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書評『必生、闘う仏教』

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書評『必生、闘う仏教』
21 世紀社会デザイン研究 2010 No.9
書評『必生、闘う仏教』
(佐々木秀嶺著、集英社新書、2010 年)
笠原 清志
KASAHARA Kiyoshi
インドにおける仏教徒の数は、公称では全人口の 0.8 パーセント(約 800 万人)と
されている。しかし、現実には、インドの仏教徒は 1 億 5 千万人ともいわれ、その頂
点に立つ指導者は日本人の佐々木秀嶺である。このことを知ったのは 2 ∼ 3 年前であっ
たが、仏教発祥の地であるインドで仏教が再興しつつあり、そのインド仏教徒の頂点
になぜ日本人がなっているのか、というについては全く理解できないでいた。今回、
『必生、闘う仏教』を読み、その疑問が解けた。それはまた、日本の仏教界が、毎年 3
万人以上の自殺者が出ていても対応しようともせず、現実の差別や貧困にも無関心で
いることとも無関係ではない。
「煩悩なくして生命なし。必ず生きる…必生。この大欲こそが、大楽金剛です。すな
わち、煩悩は生きる力なのです。」と言い切り、自殺未遂を繰り返し、尽きせぬ生来の
苦悩の末に出家、流浪の果てにインドへたどり着いた佐々木秀嶺。彼は B・R・アン
ベードカル(1891 ∼ 1956)の思想に共鳴して、仏教の再興運動と差別と貧困に苦しむ
指定部族(旧不可触民)の救済の道に入っていくことになる。インド社会では、ヒン
ドゥー教から神の前での平等や人間の平等を説くイスラムや仏教への改宗が指定部族
(旧不可触民)を中心に起きていることはよく知られている。インド憲法で万民の平等
が宣言されたとしても、またヒンドゥー教から他の宗教にしたとしても、指定部族(旧
不可触民)にとって現実の差別や貧困が無くなるものではない。しかしながら、改宗
は個人レベルではむしろ、「不可触民」、「不浄な存在」、「卑しい生まれ」などの社会的
汚名からの脱却、出自に関する劣等感の克服、「仏教徒」という新しいアイデンテイテ
イの獲得とそれに伴う自尊心の回復、他カーストの人との平等意識の醸成を可能にす
ると言われている。このような変化は、仏教の再興運動という形を取りながらも、イ
ンド社会の偏見と差別、不条理と闘いながら、草の根レヴェルの民主化への橋渡しの
役割をすることになろう。
近年、インド 8 州の州議会において改宗禁止令が相次いで可決されるなど、インド
仏教の前途は多難である。しかし、仏教徒の進学率や社会的進出の高まり、そして海
外とのネットワークの強化によりその社会的影響力は飛躍的に強化されてきている。
また、釈尊が悟りを開かれたブッダガヤの大菩提寺は、400 年前からヒンドゥー教の
寺になっている。この寺の返還運動は、ヒンドゥー教徒やインド社会との厳しい対立
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を呼び起こしてきたが、インド仏教の聖地であるところから宗派と国境を越えた運動
にまでなってきている。この寺の返還運動、指定部族(旧不可触民)の救済活動の先
頭に立って行進する佐々木秀嶺の表情は、あるときは夜叉のようであり、ある時は菩
薩以上の優しさを持っている。
今日、日本ではインド経済に対する期待、そして瞑想やヨガといったことが、ちょっ
としたブームとなっている。そのインドで仏教復興の先頭に立ち、社会の差別と偏見、
そして不条理に立ち向かう佐々木秀嶺の姿は、日本の仏教が忘れていた民衆との交わ
り社会の不条理に対する抗議、そして心と魂の救済という宗教の原点を想起させる。
本書は、インド仏教の現実をよく伝えてはいるが、その紹介本や研究書ではない。佐々
木秀嶺の心の履歴書そのものである。しかし、それはインド仏教の復興を論じながら、
彼を受け入れることができなかった日本の仏教界の問題点も照らし出している。
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