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ホメーロスの涙
ホメーロスの涙 生 田 康 夫 ではない。しかし﹁悲しみ﹂は特に両詩篇全篇に充ち満ちてい うだろうか。それは現代の我々の悲しみの場合と共通するのだ はじめに ﹃ イ ー リアス﹄で最初に涙するのはアキレウスである。その 場面は第一歌中程に出てくる。自らが受けた屈辱を母女神に訴 ろうか、相違するところがあるのだろうか。そして、詩人は何 ホメーロスにおける悲しみの内容や現れ方、捉え方はどのよ るとの印象がある。 える場面だ。最終の第二十四歌でもアキレウスは泣いている。 故これほどまでに悲しみを歌ったのだろうか。 悲 し み の も っ と も 端 的 な 表 現 は 涙 だ。 ホ メ ー ロ ス に お い て も 多 く の 涙 が 流 さ れ て い る。「 流 す χέω 」の み で は な い、 「滴 A.涙 しみをどう描いているのかを見ていくことにしたい。 これらの問いを念頭におきつつ、テキストに就いて詩人が悲 これは全く別の涙で、敵であるはずの老王プリアモスと共にす る 涙 だ っ た。 ﹃ オ デ ュ ッ セ イ ア ー﹄に お い て も、 オ デ ュ ッ セ ウ スの妻ペーネロペイアは勿論、オデュッセウス自身、息子テー レマコス、父ラーエルテースと、泣かない者はいない。 ホメーロスの詩篇は悲しみに満ちている。無論﹃イーリアス﹄ において主題は﹁怒り﹂だったし、また﹁笑い﹂は﹃イーリアス﹄ ︼ この にも﹃オデュッセイアー﹄にも様々な形で登場する ︻註1。 ようにホメーロスの詩篇には喜怒哀楽すべての感情がないわけ 222 ホメーロスの涙 らせ 」 、 「放ち εἴβω 」 。 ἀναπρήθω 」 、 「こぼし ἳημι 」 、 「湧き出させる βάλλω 勿論﹁顔﹂も濡らす。 老女エウリュノメーは人前に出ようとするペーネロペイアに こう勧める。 そのようにお顔を涙で濡らして出るものではございません、 際限なく嘆くのはよくないことですから ︵﹃オデュッセイ A―a 涙 が濡らすもの さてその涙は何を濡らすのか。 先ず﹁頬﹂である。 ︶ アー﹄第 歌 ︶ 18 173 歌 ・ 歌 ︶ ︶ 日本の伝統でこの ﹁衣﹂や﹁懐﹂に近いのは﹁袖﹂だろうか。︻註2︼ リアス﹄第 地にひざまずいて︵大地を叩いた︶ 、懐は涙で濡れた ︵ ﹃イー グロスの母は懐を濡らす。 メレアグロスの物語、兄弟を殺されて復讐を祈願するメレア そして﹁懐﹂ 。 アー﹄第 カリュプソーが与えてくれた不滅の衣は ︵﹃オデュッセイ そこに七年間ずっと留まった、衣は常に涙に濡れていた、 オデュッセウスが自らの漂流譚を語る中にこうある。 そして﹁衣﹂も濡らす。 ・ 伶人が語るトロイア遠征譚を聴きオデュッセウスは涙して頬 を濡らす。 それを高名な伶人が歌うとオデュッセウスは打ちしおれ、 ・ 涙は瞼の下、頬を濡らした ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第8歌 予言者テオクリュメノスは求婚者達の頬が濡れるのを予見す る。 ︶ 嘆き声は燃え上がり頬は涙に濡れている ︵ ﹃オデュッセイ アー﹄第 歌 原文は οἰμωγὴ δὲ δέδηε, δεδάκρυνται δὲ παρειαί, 174 260 522 であり、反復される[ de ]音が不気味な音調を奏でている。 223 353 259 570 20 7 9 521 戦場においては﹁砂と武具﹂だ。 た。彼は父親についての話を聞きつつ瞼から地面に涙をこ このように言って父親に対する彼の悲嘆の思いを掻き立て 16 女性にあっては﹁臥所﹂である。 オスはそれに気づいた ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第4歌 ︶ ∼ 高名な伶人はそれを歌った。オデュッセウスは 紫の幅広 きマントを頑丈な手で引き頭からかぶり麗しい顔を隠した。 ∼ ︶ 86 A―b 涙 を隠す 涙は意志の如何にかかわれず自然に流路するものだ。その涙 と対面したときにはこうだった。アルゴスは老犬で衰弱しきっ く姿が浮かぶ。 ており、実際この直後息絶える。 さてそのオデュッセウスが自らの館に帰還し、愛犬アルゴス を隠そうとすることがある。 士は涙 を恥と し たと見 え る。﹁ 頑丈な 手 で﹂に 勇士 の むせび泣 ﹁恥じ たのだ っ た﹂と 隠した 理 由にも 触 れてい る。や はり勇 83 眉の下に涙を流すのをパイエーケス人達に恥じたのだった 臥所は嘆きに満ちています、オデュッセウスが名を言うも 場面である。 次はそのオデュッセウスが伶人の歌うトロイア遠征譚を聞く ところだ。 を聞いて思わず涙した場面、隠そうとしたが相手に気づかれた テーレマコスがメネラーオスによる父オデュッセウス追憶談 113 ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第8歌 ペーネロペイアは悲嘆する。 116 忌まわしいイーリオスへと赴いて以来 ︵ ﹃オデュッセイアー﹄ 第 歌 ∼ ︶ 597 ︻註4︼ 日本の伝統では﹁臥所﹂が﹁枕﹂をもって象徴されている。 595 臥所に寝に行きましょう。そのいつも私の涙で濡れている ぼした、両手で紫の衣を眼の前にかざして。だがメネラー 死せるパトロクロスを前に仲間達は涙する。 砂は濡れた、者共の武具も涙で濡れた。それほどまでに潰 走 の 引 き 起 こ し 手 た る 勇 士 を 偲 ん だ の だ ︵ ﹃イーリアス﹄ 第 歌 ・ ︶ 15 戦争叙事詩ならではの詩行だ。︻註3︼ 23 19 224 ホメーロスの涙 そこに犬のアルゴスは横たわっていた、虱にまみれて。そ の時、近づいてくるオデュッセウスを認め尻尾を振り両耳 いる。 A―d 涙 する馬 涙 は 人 間 特 有 の も の、 人 以 外 の 動 物 は 涙 す る こ と は な い と を垂らしたが、もう主人のもとに近づくことはかなわなかっ た。彼︵オデュッセウス︶は目を逸らせて涙を拭った、エ この馬は神馬であり人語も話し得るくらいだから異とするにた い一節だろう。 隠した相手は忠僕エウマイオスではあるが、彼にもオデュッ らぬとすべきか︶ 。 二頭︵の馬︶は広いへーレスポントス海の船へ戻ろうとせず、 アカイア勢の戦いの場の方へ戻ろうともしなかった。あた かも墓標の如くに身じろぎもせず動かなかった。その墓標 とは亡くなった男か女の墓に立っているものだ。その如く に麗しい車を付けてじっと立ちつくしていた、頭を地に垂 ∼ ︶ れ、悲しむ二頭の熱き涙は瞼から地面に流れた、駆り手を 歌 A―c 涙 をこらえる 涙が流れそうになったとき、流れる前にそれを意志によって 垂れ下がって ︵﹃イーリアス﹄第 偲んで。豊かな鬣は塗れた、頬当てから軛に沿って両側に 一方オデュッセウスは嗚咽する妻を心の中で憐れんだ。両 A―e 神 は涙するか オリュンポスの神々は人間的である。では彼の神々は涙する 馬の悲しみが出ている。 ﹁豊かな 鬣 は塗れ た ﹂と さ れてい る。地 面 の土が 涙 によっ て 19 完全にこらえ得たかどうかは明らかでない。眼を見張って必 そうして巧みに涙を隠した ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 ∼ ︶ 泥と化しそれに塗れるのだろう。塗れるのが鬣であるところに 440 眼はあたかも角か鉄の如くに瞼の中で不動であった、彼は 17 歌 432 押しとどめようとすることがある。 セウスはまだ身分を明かしていないのだった。 言われる。ホメーロスではしかし、涙する馬がいる︵もっとも、 ウマイオスの目をたやすく盗んで⋮⋮ ︵ ﹃オデュッセイアー﹄ 第 歌 ∼ ︶ 305 犬好きには、否犬好きでなくとも、思わず涙を共にしかねな 300 212 死に涙腺をゆるめまいとする様が﹁角か鉄の如くに﹂に表れて 225 17 209 ことはあるのか。稀だがないわけではない。アキレウスの母神 テティスとアルテミスの例があった。アルテミスの例を挙げよう。 トロイア方に加勢したことで女神へーレーに打擲されたときだ。 歌 ︶ これは悲しみの涙だ。そして一転喜びの涙に変わる。 あたかも田舎の仔牛達が、牧草に飽いて小屋に帰ってくる 群なす牝牛たちを迎えて囲み、皆跳びはねる、最早柵は隔 て得ない、しきりに啼きながら母親達の周りを跳ね回る。 歌 ∼ ︶ その如くに彼らは私を目に認めるなり涙しつつ縋り付いて きた ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 悲しみの涙と喜びの涙が同じ涙であるのは考えて見れば不思 議なことだ。先に人間と神々との間の涙の差異如何についてふ A―f 悲 しみの涙と喜びの涙 涙には喜びの涙もある。悲しみの涙と喜びの涙、この二つが して差異はないのだろうか。 れたが、同じ人間の悲喜二つの涙の間には色や味、成分に果た 引き続いて起こり対照されている場面がある。オデュッセウス のだろうか。 415 409 リアス﹄第 歌 ︶ 歌 ︶ 3 ﹂と は 印 象 的 だ が、 ど の よ う な 水、 ど の よ う な 状 μελάνυδρος 前 者 は ア ガ メ ム ノ ー ン、 後 者 は パ ト ロ ク ロ ス。 ﹁黒き水の 16 黒き水の泉の如くに涙を流しながら立ち上がった ︵﹃イー A―g 涙 の比喩 涙は何に喩えられているか。 が危険を冒して妖女キルケーの下に赴く。その生還を部下達は ほとんど絶望しつつ待ち受けている。そこにオデュッセウスが 410 黒き水の泉の如くに熱き涙を流しながら傍らに立った 14 ︵ オ デ ュ ッ セ ウ ス は ︶速 き 船 と 海 辺 へ と や っ て き た。 す る 9 ︵ ﹃イーリアス﹄第 10 と速き船のところで忠実な部下達が大粒の涙を流して哀れ 戻ってくる。 10 涙しつつ女神︵アルテミス︶は鳩の如くに身を屈めて逃げ ていった ︵ ﹃イーリアス﹄第 493 」 オ リ ュ ン ポ ス の 神 々 に お い て﹁ 神 の 血 液 ἰχώρ は 人 間 の 血 とは異なるとされているから、あるいは涙もその成分は異なる 21 に嘆き悲しんでいるのを見た ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 ∼ ︶ 歌 407 226 ホメーロスの涙 は﹁戦い﹂ではない。三箇所あっていずれも 歌 ︶ ︵ ﹃オデュッセイアー﹄ πολυδακρύτοιο γόοιο 涙多き悲嘆 第 ∼ ︶ 我が子を見やって大声で泣きじゃくった ︵﹃イーリアス﹄ 歌 成る程、 ﹁戦い﹂ほど多くの涙を流させるものはあるまい。 母親は髪の毛を引きむしり艶やかな被り物を遠くに投げ、 を見ていたたまれなくなる。 へカべーは遺体となって地面を引きずられる息子ヘクトール B―a 髪 を引きむしる 身体の上の方から、先ず髪だ。 おいて悲嘆の表現・仕草はそれに留まらない様々な形で現れる。 ﹁ 涙 ﹂は 悲 嘆 の も っ と も 端 的 な 発 露 で あ る。 し か し、 人 間 に B.悲嘆の仕草 悲嘆﹂を形容である。こんなところにも両詩篇 の如くに﹁ γόος の肌合いの相違、世界の相違が現れている。 213 態の水を指しているのか。前者なら横暴でずる賢いところのあ ︶といわれるパトロクロスで ︵ ﹃イー πολύδακρυν Ἄρηα 涙多き軍神アレース︵の戦い︶ リアス﹄第3歌 ︶ ﹃イーリアス﹄第3 πόλεμον πολύδακρυν 涙多き戦争 ︵ 歌 ︶ ︵﹃イーリアス﹄ ・・・ πολύδακρυς 涙 多 き 合 戦 ︶ ﹃ イ ー リ ア ス ﹄第 μάχης πολυδακρύου 涙 多 き 戦 闘 ︵ 歌 ︶ / ὑσμίνη 第 歌 ・ 17 19 るアガメムノーンが流すのだから﹁腹黒さ﹂を表しているのか 、 A― 涙 の形容を冠する言葉 では逆に涙は何を形容しているか。 く色そのものであろう。湧き水の﹁水影暗き﹂様かと思われる。 ありそれは相応しくない。この﹁黒﹂はどうも人格評価ではな 2 とも思われるが、後者は﹁生前は皆に優しくあることを心得て いた﹂ ︵﹃イーリアス﹄ ︱ 671 第 544 上記はいずれも﹃イーリアス﹄の例だ。では﹃オデュッセイアー﹄ 543 に﹁ πολύδακρυς 涙多き﹂の形容は果たしてあるのか。確かめて みると、あることはあるが﹃イーリアス﹄の様に形容されるの 227 17 132 h 165 192 17 22 405 407 B―b 頭 を叩く そして頭を叩く。髪を引きむしるのも頭を叩くのも、そして 後に続く身体を痛める仕草は全て一種の自傷行為だろう。 歌 ∼ ︶ 老人は呻き手を振り上げて頭を叩いた、そして呻きつつ大 声で叫んだ ︵ ﹃イーリアス﹄第 34 ︶ アス﹄第 歌 ︶ 393 歌 ∼ ︶ 実際に﹁切り裂いた﹂わけではないが﹁切り裂きかねなかった﹂ するということはそのような宿命にある女達が他にもいたであ ろうことを物語っている。 勇士ディオメーデースは言う、俺が狙った奴、 そいつの妻の両頬は掻きむしられることになる ︵ ﹃イーリ 女達の仕草はこうだった。 B―e 胸 を叩く 叩くのは頭だけではない。同じくパトロクロスの死を知った のだ。涙しているアンティロコスも必死である。主語が目まぐ ないかと恐れたのだ ︵ ﹃イーリアス﹄第 ︵アン テ ィロコ ス はアキ レ ウスが ︶喉を 鉄 で切り裂 きはし て号泣した。彼︵アキレウス︶は誉れある心に呻いていた。 一方アンティロコスはアキレウスの手を摑みつつ涙を流し ら聞く、その直後の様はこう語られる。 B―d 喉 を切り裂く アキレウスは僚友パトロクロス戦死の報をアンティロコスか 表現のようだ。 と﹁両頬﹂が主語となっている。これも容赦ない必然を表した と。 ﹁妻が﹂掻きむしるのではなく﹁妻の両頬は掻きむしられる﹂ 11 れ た ﹂と 表 現 し て い る。 ﹁ 両 頬 を 掻 き む し る ﹂以 外 に あ り 得 な し る こ と に な っ た ﹂の だ が そ れ を﹁ 両 頬 を 掻 き む る 妻 が 残 さ 因 果 関 係 を 時 系 列 的 に 言 え ば﹁ 妻 は 残 さ れ て 両 頬 を 掻 き む リアス﹄第 歌 彼の両頬を掻きむしる妻がピュラケーに残された ︵ ﹃イー B―c 頬 を掻きむしる 戦死した猛将プローテシラーオスの妻についてこう言われる。 33 い 妻 の 宿 命 を 感 じ さ せ る。 そ し て、 ﹁ 両 頬 を 掻 き む し る ﹂は 35 22 るしく入れ替わっているところにも状況の切迫が感じられる。 32 700 という一語の形容詞だ。そのような形容詞が存在 ἀμφιδρυφὴς 18 2 228 ホメーロスの涙 アキレウスとパトロクロスが捕虜にした女召使い達も心に 着いたのだがそれと気づかず、またしても別の異境に着いたと また、目覚めたオデュッセウスが、実は故郷イタケーに帰り 歌 ∼ ︶ ︻註7︼ いたようだ。 歌 ︶ ホメーロスにおいて﹁膝﹂は生の根幹に繋がるものをなして ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 こ の よ う に 言 う と、 た ち ま ち 彼 女 の 膝 と 心 は く ず お れ た れて殺されようとしていると聞く。彼女の膝と心は崩れる。 B―h 膝 と心がくずおれる ペーネロペイアは息子テーレマコスが求婚者達に待ち伏せさ ﹂とあり、深い悲嘆にとら いずれも﹁嘆きつつ ὀλοφυρόμενος われた時の仕草だ。︻註6︼ 第 の腿を叩き嘆きつつ言葉を洩らした ︵ ﹃オデュッセイアー﹄ 彼は跳び起きて故郷の地を見やった。そして手の平で自ら 思って腿を叩く。 悲しんで泣き叫び、勇武のアキレウスのまわりに走り出て ∼ ︶ 来ると、皆手で胸を叩き足は萎えた ︵ ﹃イーリアス﹄第 歌 悲しみの仕草として胸を叩く文化は世界にどれだけ普遍的な のものなのだろうか。日本ではあまり見られないようだ。︻註5︼ B―f 胸 、首、顔を掻きむしる むしられるのも髪だけではない。 パトロクロスの遺体を前にしたブリーセーイスはこのように 語られる。 彼のところに倒れ伏し泣きじゃくり手で掻きむしった、胸 ・ 703 を、柔らかな首を、そして美しい顔を ︵ ﹃イーリアス﹄第 歌 ・ ︶ B―g 腿 を叩く 腿も叩かれる。自分の息子の死を知ったアレースは腿を叩く。 歌 113 199 18 このように言った、するとアレースは手の平で逞しい腿を 229 叩き嘆きつつ言葉を洩らした ︵ ﹃イーリアス﹄第 ︶ 15 4 285 197 31 284 13 28 19 114 B―i 声 が詰まる ・ ︶ 長い間彼は言葉を失い、彼の両眼は涙で満ち、彼の豊かな 歌 両方の結果であり得る。 B―j 項 垂れる 歌 ︶ 何事につけ項垂れて、両頬は涙に濡れるでしょう ︵﹃イー リアス﹄第 491 歌 ∼ ︶ 編んだ髪留めを、そしてヴェールを ︵﹃イーリアス﹄第 頭から遠くに艶やかな被り物を放った、鉢巻きを、帽子を、 B―k 被 り物を投げ出す らの父なし子としての日々を思いやる一節にある。 アンドロマケーがヘクトールの死を前にして、息子のこれか 22 声は抑えられていた ︵ ﹃イーリアス﹄第 パトロクロスの死を知ったアンティロコスの様だ。 ﹁ 彼 は 言 葉 を 失 い ﹂と 意 訳 し た 箇 所 は 原 文 で は で あ り 直 訳 す れ ば﹁ 彼 を 言 葉 の 不 語 μιν ἀμφασίη ἐπέων λάβε ﹂を主語とし人を客 ἀμφασίη 語とするのはホメーロス的だ。そしてこの場合ホメーロス的表 が捉えた﹂とでもなろうか。 ﹁不語 現がことのほか利いていて、悲しみが︵人の意志にかかわりなく︶ 言葉を封じる様が伝わってくる様だ。 それに続く二つの主語、 ﹁両眼 ὄσσε ﹂と﹁声 φωνή ﹂はいずれ も﹁彼の ﹂ οἱものではあるが彼の意志の下にはなく、いまや悲 しみの支配下にある。 の人と認めた瞬間だ。 スは眠ろうとするが眠れない。輾転反側し、そして立ちもとおる。 B―l 輾 転反側する パトロクロスの葬礼をすませ葬送競技も終えた夜、アキレウ いく様はスローモーションを見るようだ。 たときのアンドロマケーの様である。被り物が次々に放たれて 夫ヘクトールが殺され、その遺体が引きずられるのを眼にし 22 696 涙が悲喜両方の表現である様に、声が抑えられることも悲喜 470 695 彼女の心を喜びと悲しみとが領した、彼女の両眼は涙で満 472 468 17 ち、彼女の豊かな声は抑えられていた ︵ ﹃オデュッセイアー﹄ ・ ︶ 第 歌 471 媼エウリュクレイアが乞食に身を窶したオデュッセウスをそ 19 230 ある時は脇腹を下に、ある時は仰向けに、ある時は俯せに。 をせず、オデュッセウスの悲運を思わせる作り話をしたのだった。 ことを思い込ませたのは旅人に扮した他ならぬオデュッセウス ∼ ︶ に対してラーエルテースの方は﹁白髪﹂だ。 ∼ ︶ ところで前者のアキレウスの場合悲嘆の原因︵パトロクロス リアス﹄第 歌 ∼ 歌 ︶ ∼ ︶ それはふしまろんで自らの手で塗りつけた汚物だ ︵ ﹃イー その老人の頭と首の周りには汚物がべっとりと付いていた、 ︵プリアモスは︶マントで身体をすっぽりとくるんでいた。 B―n 汚 物に塗れる 灰ではなく汚物に塗れることもある。 ますます謎は深い。 と、年老いた父の姿を見て涙したオデュッセウスなのだから デュッセイアー﹄第 い た 彼 を 見 て 高 い 梨 の 木 の 下 に 立 っ て 涙 を 流 し た ︵ ﹃オ 剛毅な貴いオデュッセウスは老いに窶れ、胸に悲しみを抱 直前に の謎めいたところだ。 何故あってわざわざ親を悲しませるのか。﹃オデュッセイアー﹄ 本人なのだから罪作りだ。オデュッセウスはすぐに名乗ること そしてまた起き上がって海の浜辺をさまよい歩いた ︵ ﹃イー ∼ ︶ リアス﹄第 歌 B―m 灰 をかぶる このように言った。すると彼を悲しみの黒い雲が覆った。 歌 同様の詩句が息子オデュッセウス死すと思いこんだラーエル テースに対してある。 このように言った。すると彼を悲しみの黒い雲が覆った。 歌 彼は黒ずんだ灰を両手で摑み激しく呻きながら白髪の頭か 317 234 彼は黒ずんだ灰を両手で摑み頭から被って美しい顔を穢し た ︵ ﹃イーリアス﹄第 27 パトロクロスの死を知ったアキレウスだ。 23 ら被った ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 315 232 12 18 ﹁黒ずんだ灰﹂で穢されるのはアキレウスの場合の﹁美しい顔﹂ 24 24 165 10 の死︶は現実であったが、後者のラーエルテースの場合の原因 163 ヘクトールの死を哀哭するプリアモスである。 231 24 24 ︵オデュッセウスの死︶は事実ではなかった。その事実でない ホメーロスの涙 C.悲しみの比喩 あたかも鬣よき獅子の如くにしきりに呻きながら、深い森 からその獅子の仔を鹿狩りの狩人が奪い取る、獅子は後に 来て悲しみ、狩人の足跡を探して見つかりはせぬかと数多 の谷間を行く、激しい怒りが取り付いているのだ。あたか 歌 ∼ ︶ もその如くに深く呻きながらミュルミドーンの者達に言っ ﹂の像が﹁猛者アキレウス﹂の像に λὶς ἠϋγένειος た ︵ ﹃イーリアス﹄第 ﹁鬣よき獅子 323 だ。﹁着物に縋り付き のもとに崩れ落ちて鋭く泣きじゃくる。敵が後ろから槍で ない日から護らんとして。女は喘ぎ死んでいく夫を見てそ ﹂はまさしく﹁袖に縋る﹂ εἱανοῦ ἁπτομένη ︶ て る。 そ の 如 く に オ デ ュ ッ セ ウ ス は 哀 れ な 涙 を 流 し た。 ∼ ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 歌 C―b 獅 子 今度はパトロクロスを喪ったアキレウスの悲嘆の様が子を奪 獅子も我が子については悲しむ。 われた獅子のそれに比される。 ていく。彼女の両頬はこの上なく哀れな悲しみにやつれ果 背と肩をつつき苦難と悲嘆の待つ隷従の境涯へと連れ去っ だ。このようなときの少女の仕草、眼差しに古今東西差異は無い。 の夫は自分の城と軍の前で斃れたのだ、町と子供達を容赦 あたかも女が我が夫のもとに倒れ伏して泣くが如くに、そ 出に涙する。その様が戦死者の妻の姿をもって語られる。 C―c 戦 死者の妻 伶人の歌うトロイア戦役譚を耳にしたオデュッセウスは思い 見事に重なる。 318 悲しみの様を叙する時、詩人はどのような比喩を用いている 10 18 のだろうか。 C―a 少 女 先ず、涙ながらにアカイア勢の危機を訴えようとするパトロ クロスの姿が母親に縋る少女に比される。話者はアキレウスだ。 何故涙しているのだ、パトロクロスよ、あたかも幼い女の 子の様に、母親の後を追って走り抱き上げてくれといって その着物に縋り付き急ぐ母を引き留める、そして涙ながら に母を見つめる︵そんな女の子の様に︶ ︵ ﹃イーリアス﹄第 歌 ∼ ︶ 7 このシーンなどは現代でも世界中の路上で目にしそうな風景 16 8 523 531 232 ホメーロスの涙 こ の 比 喩 は﹁ 戦 争 の 辛 苦 を 追 憶 す る 悲 し み ﹂を﹁ 戦 争 で 辛 苦 木々の繁る葉陰に止まって 春立ち初める頃美しく歌う で繰り返される[ ] οιは むせび泣く声にも聞こえる。 καλὸν ἀείδῃσιν ἔαρος νέον ἱσταμένοιο, δενδρέων ἐν πετάλοισι καθεζομένη πυκινοῖσιν, を蒙る妻の悲しみ﹂で喩えるものであり、いわば﹁つきすぎ﹂だ。 よき比喩の要件である飛躍がなく、精彩を欠くとも見られかね ない。しかし、この比喩には別の見所がある。比喩の中に出て くる戦死者の妻には、他ならぬオデュッセウス自身の活躍によ って攻略されたトロイアの女︵就中ヘクトールの妻アンドロマ 得意の作り話だ。その作り話にペーネロペイアは涙する。 自身がオデュッセウスと出会ったことがあるとの作り話をする。 ケー︶の俤がある。そこに運命の皮肉がある。 C―d 子 を喪った鳥 ペーネロペイアは自らの嘆く様を夜鶯の鳴き囀る様に喩える。 C―e 融 雪 ペーネロペイアに対して、乞食に身を窶したオデュッセウス 夜鶯は子を喪った母親が変じたものとされている。しかしその 子は奪われたのではなく母自らが誤って殺めたのだった。 の頂で雪が溶ける、それは西風が降らせ東風が溶かすもの、 彼女はそれを聞き涙を流し肌は溶けんばかり、あたかも山 パ ン ダ レ オ ス の 娘、 黄 緑 の 夜 鶯 そして川はその雪溶け水で溢れ流れる、その如くに脇にい が春立ち初める ἀηδών ように、 ἀείδῃσιν 頃木々の繁る葉陰に止まって美しく歌う ∼ る自分の夫のために泣きながら彼女の美しい頬は流れる涙 19 204 τῆς δ᾽ ἄρ᾽ ἀκουούσης ῥέε δάκρυα, τήκετο δὲ χρώς: この一節、音韻を知るために原詩も掲げると、 涙を融雪に比している。 209 歌 その夜鶯は様々に節を変えながら響く声音を降り注ぎます、 ︶ で溶けんばかりだった ︵﹃オデュッセイアー﹄第 19 かつて誤って青銅で殺めたゼートス王との間にもうけた我 ∼ ︶ ﹂と共鳴している。 ἀείδῃσιν ︻註8︼ が子イチュロスを嘆きながら ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 歌 ﹂は﹁歌う ἀηδών ・ の二行 この一節はことに哀調を帯びている。 521 520 ﹁夜鶯 また 233 518 519 D―a 哀 哭の音頭をとる 哀哭することは真情でもあろうが同時に葬礼における重要な 作法でもあった。その音頭をとるものがいる。ヘクトールの死 に対して妻アンドロマケー、母へカベー、義妹ヘレネーが次々 に音頭をとる。 女たちの間で白き腕のアンドロマケーが嘆きの音頭を取っ ὡς δὲ χιὼν κατατήκετ᾽ ἐν ἀκροπόλοισιν ὄρεσσιν, ἥν τ᾽ Εὖρος κατέτηξεν, ἐπὴν Ζέφυρος καταχεύῃ: τηκομένης δ᾽ ἄρα τῆς ποταμοὶ πλήθουσι ῥέοντες: ὣς τῆς τήκετο καλὰ παρήϊα δάκρυ χεούσης, κλαιούσης ἑὸν ἄνδρα παρήμενον. ⋮⋮ であり た、殺戮者ヘクトールの頭を手にかき抱きながら ︵﹃イー 音が響きわたっている。涙にうちしおれる様を思 η [ê] わ せ る 音調である。 ﹁脇にいる自分の夫﹂に気づかずの涙であ ︶ 歌 ︶ 歌 ︶ 761 私の両端反った船は先へと進まなかった、キコネス人達の とになった。 コネス人の町に立ち寄る。そこでの戦闘で多くの仲間を失うこ トロイアからの帰還に際しオデュッセウスの一隊は最初にキ D―b 呼 びかける 死者に対する呼びかけである。 た ︵ ﹃イーリアス﹄第 そして三番目に女たちの間でヘレネーが嘆きの音頭を取っ ︵ ﹃イーリアス﹄第 次いで女たちの間でヘカベーが激しい嘆きの音頭を取った ・ リアス﹄第 歌 るだけに憐れを誘う。 724 747 24 C―f 黒 雲 悲しみは端的に黒雲にも喩えられる。パトロクロスの死の報 を聞いた瞬間のアキレウスだ。 ︶ そ の よ う に 言 っ た。 す る と 彼 を 悲 し み の 黒 い 雲 が 蔽 っ た ︵﹃イーリアス﹄第 歌 D.死者を悼む 723 24 手にかかって陸で殺された仲間達の一人一人の名を三度呼 ∼ ︶ 66 悲嘆の最大のものは死者に対する哀哭だろう。そこに焦点を 当ててみよう。人は如何にして死者を哀哭するか。 歌 64 22 24 ばないうちは ︵﹃オデュッセイアー﹄第 9 18 234 ホメーロスの涙 ないでください、あなたにとってそれが神々の怒りのもと ・ ︶ ﹁名を三度呼ぶ﹂というのも死者に対する哀哭の作法であっ 歌 とならないように ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 11 72 73 第 墓の頂に釣り合いよき櫂を立てた ︵﹃オデュッセイアー﹄ 歌 ∼ ︶ 具が焼けると、塚を築き、そこに墓石を曳いてきて︵据え︶ 、 我々は沢山の涙を流して悲しみつつ葬った。死骸とその武 ールの求めに応じ葬る。 そして冥界から戻った時、オデュッセウスはそのエルペーノ と懇願する。 たろうか。しかしホメーロスの詩篇の他の箇所では見られない。 高津春繁はその訳書で﹁ ﹃三度呼ぶ﹄のは、敵地で殪れて、埋葬 の礼を与えられない仲間の魂を呼んで、故郷につれて帰り、そ こで死者の体はないが、墓を建てて葬るためである﹂と註して いる。 D―c エ ルペーノールの葬礼 ホメーロスの詩篇では三人の葬礼の次第が語られている。 最も簡略だが、しかし印象深いのは若者エルペーノールのそ れだ。彼は酔って屋上で眠りこけ、目覚めた時寝ぼけて転がり 落ち命を落としたのだった。冥界に降ったオデュッセウスがそ 15 が 立てたのは死者が漕ぎ手であったからだ。エルペーノールの霊 51 の館に嘆かれもせず葬られもせぬまま残してきたのだ、他 歌 にいてそれで船を漕いだ櫂を ︵﹃オデュッセイアー﹄第 歌 ︶ だ。この遺言は﹃イーリアス﹄のパトロクロスの霊がアキレウ と言って要望したのだった。いわば遺言だが、死して後の遺言 11 塚には櫂を立てて下さい、生きていたとき私が仲間達と共 最初に仲間のエルペーノールの魂がやってきた、まだ道広 かるべき葬儀の次第が簡潔に述べられている。墓標として櫂を ここには﹁涙する、焼く、塚を築く、墓標を立てる﹂と、し 12 き大地に葬られていなかったからだ。我々は遺体をキルケー こで最初に出会ったのは死んだばかりのこの部下だった。 12 78 の仕事の忙しさに紛れて ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 ∼ ︶ そこでエルペーノールはオデュッセウスに 11 私を嘆かれもせず葬られもせぬままに後に残して立ち去ら 235 54 帰還することはないのだから、勇士パトロクロスにこの髪 歌 ∼ ︶ を 持 っ て い く よ う 与 え よ う。﹂こ の よ う に 言 っ て 髪 を 愛 す る友の手に置いた ︵ ﹃イーリアス﹄第 ここではまず﹁髪を切る﹂という行為が祈願成就のときの﹁願 ほどき﹂の意味を持っていたことが触れられている。そしてそ 153 スに残した遺言を想起させる。 その如くに我々二人の骨を同じ壺が納めてくれ、そなたの 母御が下さった黄金の両耳のあの壺が︵納めてくれ︶ ︵第 ︶ 144 次いで火葬の段を作る。そこにアキレウスは馬を、犬を、そ して十二人の捕虜を生贄に捧げる。 そこに蜂蜜とオリーブ油との双耳甕を臥所に立てかけて置 いた。大いに呻きながら、四頭の頸太き馬を追い立てて火 の中へと投じた。殿には九匹の食卓に侍らせる犬がいたが、 その内二匹を喉を掻いた上で火の中へと投じた。更に気性 ﹁スペルケイオス河よ、父ぺーレウスはあなたに空しく祈っ とばかり鋼の火の勢いを中に放った ︵﹃イーリアス﹄第 悪しきことを心にたくらんだものだ。そして、焼き尽くせ 大きなトロイア人の十二人の貴い子をも、青銅で殺めて。 たのだった、愛する父祖の地に私が帰還した時には、あな ︶ 歌第 ∼ ﹁十二人 の 貴い子 ﹂まで と なると、これ は 現代で は 人倫に 悖 23 に捧げると、そのように老人は祈ったのだった。しかしあ 177 るとして許されないだろう。﹁悪しきことを心にたくらんだも 170 なたは彼の願いを成就してくれなかった。今や私は故郷に その場であなたの神域と香しい祭壇がある源の中へと生贄 たに髪を切って供え、百頭牛を犠牲にし、五十頭の雄羊を まず 髪 を切る。 アキレウスは火葬するに際しこう言う。 してみよう。 リアス﹄第二十三歌で数百行に亘って詳述される。要点を列挙 D―d パ トロクロスの葬礼 パトロクロスの葬礼は手厚いものだった。その次第は﹃イー らか、いずれも印象深い。 の同じ行為に死者への﹁手向け﹂の意味をアキレウスは与えて 歌 ・ 23 いるようだ。 92 ここでもホメーロス的に﹁壺﹂が主語となっている。 91 ﹁櫂﹂も﹁壺﹂も死者の思い入れが籠もっている形見であるか 23 236 ホメーロスの涙 づく。これは弔いのための犠牲ではなく懲罰としてだが、女召 し か し、 ﹃ オ デ ュ ッ セ イ ア ー﹄に も 同 様 の 例 が あ っ た こ と に 気 日間。十二日目には我々は戦いましょう、やむを得ないならば﹂ ールを葬るのに何日間要するか﹂と問う。プリアモスは﹁十一 行われる。アキレウスはプリアモスとの対面で最後に﹁ヘクト D―e ヘ クトールの葬礼 ﹃イー リアス ﹄最終 歌、最 後 の一節 で はヘク ト ールの 葬礼が のだ﹂とは詩人も自ら語りつついたたまれなかったのであろうか。 使い達︵やはり十二人!︶が不義を働いた廉でオデュッセウス と応える。そこでアキレウスは とテーレマコスによって首くくりに処せられる。 その如くに女達は一列に頭を差し出し、皆の頸には環縄が 歌 ・ ︶ プリアモスよ、そなたが仰るように致しましょう、お望み そして火葬する。 リアス﹄第 九日間にわたって彼らは限りなく多くの薪を集めた ︵ ﹃イー 歌 ∼ ︶ 彼らは馬と騾馬を車に繋ぎ、速やかに町の前に集まった。 まず薪を集める。 さてヘクトールの葬礼の次第はこう語られる。 と保証したのだった。 かけられた、惨めを極めてに死ぬようにと。女達は足で一 ︶ の間戦闘を控えましょう ︵﹃イーリアス﹄第 ∼ 時藻掻いたがそれも長くはなかった ︵ ﹃オデュッセイアー﹄ 第 歌 不義不忠とはいえ無抵抗の女を﹁惨めを極めてに死ぬように と ὅπως οἴκτιστα θάνοιεν ﹂とは、やはり現代の感覚では律しき れないところがある。 このようにして火葬を終えるとパトロクロスの死を悼んだ葬 送競技を催す。 競馬、拳闘、相撲、徒競走、槍術、鉄塊投げ、弓術の諸競技 が行われる。哀悼の催しなのだが、そこは勇み立つもののふ達 670 ∼ ク ト ー ル を 涙 を 流 し つ つ 運 び 出 し、 薪 の 一 番 上 に そ の 屍 歌 785 の昂奮の世界であり哀哭はない。葬送競技は哀哭からもののふ 669 24 473 24 しかし十日目に人を照らす曙が現れた時、その時勇敢なヘ 784 471 の日常への復帰をもたらす。 782 を置いた。そして火を放った ︵﹃イーリアス﹄第 237 24 22 歌 からは大粒の涙を流した。そして紫の柔らかな布で包んだ ︶ 黄金の壺の中に拾った骨を納めた ︵ ﹃イーリアス﹄第 ∼ ︶ 敷き詰め、速やかに塚を築いた ︵ ﹃イーリアス﹄第 ∼ そして宴する。 歌 797 そして皆一同に会し、ゼウスの育てるプリアモス王の館で 歌 ∼ 誉 れ 高 い 宴 を 開 い た。 こ の 如 く に 馬 を 馴 ら す ヘ ク ト ー ル の葬礼を執り行ったのだった ︵﹃イーリアス﹄第 ︶ 802 あなたは死ぬときに臥所から手を差し伸べて私に心深い言 けている。 クトールの葬礼の前、ヘクトールの屍にこういう言葉を投げか 形見の言葉を思い出して泣くことがある。アンドロマケーはヘ を喪ったその現在にのみ涙するのではない。形見に、あるいは D―f 故 人を追憶して泣く この項ではこれまで葬礼の場面を見てきたが、人は愛しい人 であり、詩篇の声も遠ざかっていくようだ、 οιο の余韻を残して。 ὣς οἵ γ᾽ ἀμφίεπον τάφον Ἕκτορος ἱπποδάμοιο. た この如くに馬を馴らすヘクトールの葬礼を執り行ったのだっ 最終行は は静けさが領している。 この﹃イーリアス﹄全篇の最後、ヘクトールの葬礼の一節に 24 ︶ 葡萄酒で火を消す。 歌 彼らが一所に集合し終わると、まず火勢が覆ったところ全 ︶ ての火を燦めく葡萄酒で消した ︵ ﹃イーリアス﹄第 ∼ 骨を拾い、納める 790 そして、兄弟達や仲間達が泣きながら白い骨を集めた、頬 24 24 24 直ちにうつろな墓穴に入れ、上にはぎっしりと大きな石を 埋めて塚を築く 796 804 787 792 793 799 238 ホメーロスの涙 葉を言って下さらなかった、その言葉を夜となく昼となく これは涙を流しながらの訴えだった。 このように涙を流しつつ言った。それを母御は海の底の老 父の傍で坐して聞いた。灰色の海から霧の如くに速やかに で名を呼んで言うには﹁我が子よ何故泣くのです、どんな 立ちのぼり、涙を流している彼の前に座った。手で彼を撫 に甘美さも混じっている。形見とはそういうものであろう。そ 悲しみがあなたの心に来たのです。言ってご覧なさい、胸 に隠さないで、私たち二人共分かるように﹂︵ ﹃イーリアス﹄ ∼ ︶ 第1歌 363 泣かないわけではない。アガメムノーン、パトロクロス、アン 切れずに嗚咽する場合を言う。ホメーロスの世界で他の武将も いはずなのに。それが今少しも私の名誉を考えて下さらぬ。 の高く轟くゼウスはせめて誉れを私に与えて下さってもよ 母よ、私を短命な者として産んだからには、オリュンポス それらと同じ範疇だ。しかしこの第一歌でのアキレウスの涙は ても詩篇後半に起こる僚友パトロクロスの死に際してのものは 思い出や望郷の念に浸ってであったりだ。アキレウスの涙にし れらはあるいは戦況を悲観し、あるいは味方を喪い、あるいは ん坊さながらなのだから。 ﹁男泣き﹂とは言い難い。苛められたことを母親に訴える甘え ︶ 356 というのもアトレウスの子広く治めるアガメムノーンが私 ∼ 352 を 侮 辱 し た か ら で す、 自 ら の 手 で 私 の 報 償 を 奪 い 取 っ て ティロコス、オデュッセウス等々などにも泣く場面がある。そ ﹁男泣き ﹂とい う 言葉が あ る。 普 段泣か な いはず の 男が堪 え E―a 泣くアキレウス ﹁はじめに﹂でも触れたが、 ﹃イーリアス﹄第一歌早々に涙す うか。 の名が それこ そ﹁ 泣 く﹂ 。当時の聴衆は戸惑わなかったのだろ これはとても猛者の像とは思えない。アカイア勢第一の勇将 357 るアキレウスが出てくる。こう母テティスに訴える場面だ。 く。 ホメーロスの世界で女性は勿論泣く。しかし多くの男共も泣 E.泣く男 のような形見さえ失われたアンドロマケーの悲しみは一層深い。 ﹂でありそこには悲痛な中 πυκινὸν ἔπος 常に涙ながらに思い出したことでしょうに ︵ ﹃イーリアス﹄ ・ ︶ 第 歌 745 それは﹁心深い言葉 744 ︵﹃イーリアス﹄第1歌 239 24 いやむしろ敢えてそう描いていると考えるべきかも知れない。 すなわちここで詩人は母子の関係の一つの範型を描こうとして ︵これ ἐξαύδα い る の で は な か ろ う か。 ﹁ 手 で 撫 で χειρί κατέρεξεν ﹂ま で さ れ ︵ こ れ は﹃ 坊 や ﹄と で も 訳 し た 方 が τέκνον て い る。 ﹁我が子よ いいかもしれない︶ ﹂の 呼 び か け や﹁ 言 っ て ご 覧 も﹃泣いてばっかりいたら分からないでしょう﹄とでもいわん ばかり︶ ﹂の言葉遣いなど、これらはまさにも愛子に対する母 親の姿だ。猛者も母親にとっては愛子であった。 E―c 老 父の悲嘆 ホメーロスの詩篇では﹁老い﹂のテーマが繰り返し現れている。 老境にある父親にとって最大の嘆きの種は戦場に送り出した息 子の命運だ。 ぺーレウス 詩篇の前面に出ることなく遠く故郷で悲嘆しているのがアキ レウスの老父ペーレウスだ。 彼は今プティーエーで優しい涙を流している、身の毛もよ その老ぺーレウスの像がアキレウスの言葉で語られる。 E―b 泣 くテーレマコス あたかも上記﹃イーリアス﹄のアキレウスに対応するかのよ ︶ だつヘレネーのために異国でトロイア勢と戦っているこの そしてその息子の死をほとんど予見もしている。 323 325 を報じる残酷な知らせを今にも届くかと待ち受けて、悲し 辛うじて生きていても、憎むべき老いに、そして息子の死 というのもぺーレウスはとっくに死んでしまっているか、 ∼ うに﹃オデュッセイアー﹄の始めの方、第二歌で泣くテーレマ ような息子の私を偲んで ︵﹃イーリアス﹄第 歌 コスが出てくる。集会で市民達に館での求婚者の横暴振りを訴 えたときだ。 ・ 怒りに任せてこう言った。そして涙を溢れさせながら錫杖 を 地 面 に 投 げ つ け た ︵ ﹃ オ デ ュ ッ セ イ ア ー﹄第 2 歌 ︶ 19 み に 沈 ん で い る だ ろ う と 思 う か ら だ ︵﹃ イ ー リ ア ス ﹄第 歌 ∼ ︶ 337 これはどういう涙だろうか。二十歳そこそこの若者が集会で 大勢を前に、恐らくは初めて演説する。しかもその大勢の中に 334 80 は当の求婚者達が陣取っている。心の昂ぶりを抑えきれなかっ たのであろう。若い男にはこういう涙もある。 19 81 240 ホメーロスの涙 プリアモス 老王プリアモスは死地に赴こうとする︵すなわちアキレウス を一人迎え撃とうとする︶息子ヘクトールを見て悲嘆する。 歌 ・ ︶ 老人は呻き手を振り上げて頭を叩いた、そして呻きつつ大 声で叫んだ ︵ ﹃イーリアス﹄第 その様は豚飼の口からこう語られる。 ラーエルテース様はまだ生きておいでです、そしてご自身 の家で手足から命が尽きるようにと常にゼウスに祈ってお ら れ ま す。 出 て 行 っ た 我 が 子 を お 嘆 き の あ ま り に ︵ ﹃オ 歌 ∼ ︶ デュッセイアー﹄第 このように言った。すると彼を悲しみの黒い雲が覆った。 だ場面はこうだった。 そして先にも引用した、息子オデュッセウス死すと思いこん 355 ∼ ︶ 彼は黒ずんだ灰を両手で摑み激しく呻きながら白髪の頭か 歌 317 34 死地へと逸る息子を引き留めようとしたがかなわない。 ︶ 353 ら被った ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 315 33 老人は言った。手で白髪を摑んで頭から引き抜いた。しか 歌 ・ 15 命運を嘆く父親の姿だ。一方の相違点は物語への登場の仕方だ。 点とが浮かび上がってくる。共通点は言うまでもなく、息子の とプリアモスを﹃オデュッセイア﹄におけるラーエルテース像 で初め て前面 に 登場す る。 ﹃ イ ーリア ス ﹄にお ける ペ ーレウス する姿が時折他の登場人物によって言及される、そして最終歌 物の一人でさえある。ラーエルテースはいわばその中間、隠棲 でのみ現れる。プリアモスは物語の前面に出ており主要登場人 その老人の頭と首の周りには汚物がべっとりと付いていた、 ︶ ︵プリアモスは︶マントで身体をすっぽりとくるんでいた。 ∼ ぺーレウスは物語の背景に隠れている、アキレウスの思いの中 リアス﹄第 歌 165 老父ラーエルテースも帰還ならぬ息子オデュッセウスの命運 ラーエルテース 163 それはふしまろんで自らの手で塗りつけた汚物だ ︵ ﹃イー これら三人の老父の姿を並べてみるとそこには共通点と相違 24 22 ﹃イーリアス﹄ しヘクトールの心を説き伏せ得なかった ︵ 第 77 そして終に息子の死の現実を前に更に悲嘆する。 78 24 に悲嘆している。 241 22 が統合しているとも言えようか。 E―d 男 の泣き声、女の泣き声 ホメーロスでは男の﹁泣く﹂と女の﹁泣く﹂とで語を使い分け ている場合がある。その対比が明らかに現れている一節がある。 そ の 如 く に 彼︵ ヘ ク ト ー ル ︶の 頭 は す っ か り 砂 ま み れ に なった、母親︵ヘカベー︶は髪の毛を引きむしり艶やかな 被 り 物 を 遠 く に 投 げ、 我 が 子 を 見 や っ て 大 声 で 泣 き じ ゃ く っ た κώκυσεν 、 愛 す る 父 親︵ プ リ ア モ ス ︶は 痛 ま し く 呻き 、それを囲んで市中の人々は泣きじゃくり ᾤμωξεν と呻き οἰμωγῇ に捉えられた ︵ ﹃イーリアス﹄第 κωκυτῷ 歌 ∼ ︶ 、男親には ᾤμωξεν を使っている。 女親には κώκυσεν およびその関連語はホメーロスに十例余りあ κώκυσεν る。その主体の性別が明らかなものは全て女性である。一方、 ︵ お よ び そ の 関 連 語 ︶は 戦 闘 に お い て 負 傷 し た 将 兵 ᾤμωξεν ᾤμωξενお よびその関連語はホメーロスに十数例ある。そして やはり、その主体の性別が明らかなものは全て男性である。こ の き声の主体が男女どちらであるか明示されているわけではない ︻註9︼ が、前者は女達、後者は男達と見るのが自然だろう。 F.悲嘆と食事 悲嘆と食事は仇敵であるようだ。 F―a 食 事の拒否 悲嘆のあまり食事をうけつけないことがある。食べることは 生きるための基本的要件だ。それをうけつけないということは、 無意識的に死ヘの衝動が働いているのであろうか。死せる僚友 パトロクロスを前にアキレウスは食事を摂ろうとしない。 ゼウスがプリアモスの子ヘクトールに誉れを与えたもうた ∼ ︶ 時 に 彼 が 斃 し た 者 達 が 切 り 裂 か れ て 横 た わ っ て い る、 そ の 今 そ な た 達 は 食 事 へ と 促 し 立 て る。 い や 私 は、 今 は 食 事も摂らず空腹のままで戦うよう、そして陽が落ちて我々 歌 が恥辱を注いだ後に盛大な食事を準備するよう命じたい ︵ ﹃イーリアス﹄第 下はより切実な自らのこととして述べる。 ここまではアカイア全体のこととして述べている。しかし以 208 22 の発する声に使われている例が多い。これも男の声なればこそだ。 203 409 引 用 文 最 終 行 の κωκυτῷ ︵ κώκυσεν の 関 連 語 ︶ 、 ︵ ᾤμωξεν の関連語︶は、市民全体が主語であるので泣 οἰμωγῇ 19 405 242 ホメーロスの涙 裂かれて戸口に向けられて横たわっている、その周りでは の喉を通ることはないだろう。その仲間は鋭い青銅で切り その前には、我が僚友が死んでいるというのに、食事が私 した上で ﹂は ﹁い γαστέρι δ᾽ οὔ πως ἔστι νέκυν πενθῆσαι 至 言 だ し、 や 死 者 は 葬 ら ね ば な ら ぬ の だ、 非 情 な る 心 を も っ て、 一 日 涙 ﹁胃袋によって死者を悼むことなどは出来ない 前に死者の足を外に向けて寝かせる風習があった、そしてそれ は再び帰ってくることはないこと示していたと伝えている。こ の詩句にもアキレウスの無念が込められているようだ。 F―b 食 事の拒否の否定 しかしまた逆に、食事の拒否を諫める言葉もある。オデュッ ︼ は、オデュッセウスのこの言葉にも又長老達の懇願にも聞く耳 を持たず、食事を頑なに拒否するのだった。︻註 F―c ニ オベーの物語 悲嘆と食事について究極の話としてニオベーの物語がある。 それは﹃イーリアス﹄の大団円でアキレウスの口から語られる。 アキレウスはプリアモスにヘクトールの遺体返還に応じた後こ う語る。 全く沢山の者が日々ひっきりなしに斃れていくのだ、いつ アカイア人は胃袋によって死者を悼むことなどは出来ない。 娘らは矢を射るアルテミスが殺めたのです。それは︵ニオ です。ニオベーに怒って、息子らはアポローンが銀弓で殺め、 は館で殺されました、六人の娘と六人の若い盛りの息子が でさえ食事に心を向けたのですから。彼女の十二人の子供 今は食事に心を向けましょう、というのも髪麗しきニオベー 苦労の絶え間があるであろうか。いや死者は葬らねばなら のたった二人が大勢を殺したのです。彼らは九日間殺戮の トーは二人産んだが自分は大勢産んだと言って。それ故そ ぬのだ、非情なる心をもって、一日涙した上で。憎むべき 19 ベーが︶頬美しきレートーに自らを比したからでした。レー セウスがアキレウスに対して言う。 / ἀλλὰ χρὴ τὸν μὲν καταθάπτειν ὅς κε θάνῃσι 仲間達が嘆いている。それ故そんなことは私の心にはない、 ︶ ﹂は νηλέα θυμὸν ἔχοντας ἐπ᾽ ἤματι δακρύσαντας 金 言 だ。 流石智の人オデュッセウスの言葉ではある。しかしアキレウス ∼ あるのは殺戮と血ともののふ共の苦しい呻きだ ︵ ﹃イーリ アス﹄第 歌 214 ﹁ 戸 口 に向けられて横たわっている﹂について古注は、葬礼 209 戦を生き残った者は飲食を思わねばならぬ、敵の者共と一 ∼ ︶ 243 10 19 232 層激しくあくまで戦い続けるために ︵ ﹃イーリアス﹄第 歌 225 場に横たわったままで、誰も葬る者がいませんでした、人々 テティスは彼らに泣くことの欲求を掻き立てた。涙に砂は ︶ 濡れ者共の武具は濡れた。潰走の引き起こし手をそれほど ∼ をクロノスの御子が石にしたからです。十日目になって彼 偲んだのだ ︵﹃イーリアス﹄第 歌 らを空に住まいする神々が葬りました。そしてニオベーは 14 16 歌 ︶ ﹃ オ デ ュ ッ セ イ ア ー﹄に も あ る。 オ デ ュ ッ セ ウ ス と テ ー レ マ する、そのことは人間が悲しみに耐えつつ生きていく宿命にあ 二人に泣くことの欲求が掻き立てられた ︵﹃オデュッセイ 歌 ︶ 215 ︵欲求︶という語が使われている。こ これらいずれも ἵμερος は 愛 欲 や 食 欲 に 使 わ れ る こ と が 多 い 語 だ。 泣 く こ と ἵμερος 16 けることはあるようだ。 とはある。そして、泣いていて泣くことが一種の快感で泣き続 も欲の対象となりうるのだろうか。確かに﹁泣きたくなる﹂こ の アー﹄第 との欲求﹂を起こす。 テティスはパトロクロスの死に際してその仲間達に﹁泣くこ G―a 泣 くことの欲求 ﹁泣くことの欲求﹂とは逆説的表現だがホメーロスに頻出する。 G.泣くことの欲求とその終息 ることを象徴している。 無論悲しみが尽きたわけではない。悲しみを抱きながら食事 悲嘆しあれほど頑なに食事を拒否したアキレウス本人である。 た ︵﹃イーリアス﹄第 このように言った。そして皆に泣くことの欲求を掻き立て とを仲間達に語る。その時同様の表現が来る。 少し先で、アキレウスは夢見に立ったパトロクロスの霊のこ 23 コスとが父子の再会を果たしたときだった。 108 食事に心を向けました、涙することに疲れたので。 ⋮⋮ さあご老体、我々も食事のことを思いましょう。その後で 620 激情型アキレウスもここでは賢者となっている。 23 愛しい息子をイーリオンに連れて行き哀泣されるがよい、 さぞかし多くの涙が流されることでしょう ︵ ﹃イーリアス﹄ 第 歌 ∼ ︶ 601 この物語を語るのはアキレウスだ。僚友パトロクロスの死を 24 244 止であった。 第二十三歌まで待たねばならない。それはあくまで一時の小休 それで嘆きが尽きたわけではない。完全に嘆きが終息するには G―b 泣 くことの満足 アキレウスは夢見に立ったパトロクロスの亡霊にこう語りか はやはり愛欲や食欲 τάρφθη 運命 τεθνάμεναι ﹁ τάρφθη ︵ 満 足 し た ︶﹂に 代 え て﹁ εἵην ︵ 放 っ た ︶﹂ 、そして ︵欲求︶ ﹂に代えて﹁ ἔρος ︵欲望︶ ﹂を用いたこういう一 ἵμερος ︶ 欲望 γόου 歌 ∼ を放った ἔρον 後 で ︵﹃ イ ー リ ア ス ﹄第 εἵην にも私を殺すだろうからだ、私が息子を胸に抱いて悲嘆の になろうとも望むところだ。というのもアキレウスはすぐ 青銅の鎧のアカイア勢の船端で死すべき 節もある。 ﹁ 満足は一時のことだ。﹁嘆き﹂の満足もそうなのであろう。 に使われることが多い語である。愛欲や食欲の場合においても ﹁満足した﹂と訳語をあてたこの ける。 歌 さ あ 近 く に 寄 れ、 た と え 束 の 間 で あ っ て も 抱 き 合 っ て 互 いに痛ましい嘆きを満足させよう ︵ ﹃イーリアス﹄第 ・ ︶ 歌 ・ プリアモスが息子の遺体を乞い受けるべくアキレウスのもと 但 し こ こ で は﹁ 嘆 き を 満 足 さ せ よ う、 満 足 す る ま で 嘆 こ う ﹂ であって満足を果たしたわけではない。実際パトロクロスの霊 はこの直後、アキレウスと抱き合うまもなく﹁キイキイと泣い て地下に去った﹂のだった。 しかしこういう例がある。 ︶ る広間へと行った ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 あ り そ し て﹁ 死 58 ﹁ 満 足 する﹂のはいずれもペーネロペイアだ。満足によって 57 なまでに凝縮している。 21 嘆きの休止が生ずる。その休止の間、前者ではオデュッセウス 死 を 覚 悟 し て い る。 こ こ に は﹁ 悲 嘆 γόος ﹂が あ り﹁ 欲 ἔρος ﹂が ﹂が あ る。 人 間 の 根 源 的 な も の が 崇 高 θάνατος 彼女は涙多き嘆きに満足すると思い上がった求婚者達のい ・ 彼女は涙多き嘆きに満足すると再び彼に応えて言った ︵﹃オデュッセイアー﹄第 歌 24 23 に赴く決意を語る場面だ。悲嘆の欲望を果たしたときに自らの 214 ︶ 213 227 98 場たる広間に向かう、いずれも何らかの行動に出ている。勿論 245 19 224 97 ︵扮する乞食︶に弓競技実施の考えを語り、後者では弓競技の ホメーロスの涙 G―c 泣 くに飽きる アー﹄第 歌 ・ ︶ 歌 20 ︶ 59 胸 を 凍 ら せ る 嘆 き の 飽 き は 早 い も の 故 ︵ ﹃オデュッセイ ある時は嘆きに心を満足させ、またある時は嘆きを止める、 満足の後は﹁飽き κόρος ﹂だ。 メネラーオスの語る中にこの言葉がある。 ペーネロペイアについてさえこう言われる。 泣いて心に飽いた後で ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 ﹂についてはこのような詩行もあった。 κόρος ・ ︶ 637 歌 ︶ 食事に心を向けました、涙を流していて疲れたので ︵﹃イ ーリアス﹄第 613 ︻註 詩行である。 ︼ 先に引いたアキレウス語るところのニオベーの物語にあった 24 い力が貫いた ︵﹃オデュッセイアー﹄第 歌 ∼ ︶ 彼の心は掻き立てられた。愛する父を見るなり彼の鼻を鋭 H―a「 鼻を鋭い力が貫く」 先ず感覚についてはこのような詩行がある。 やかに描写している。 るのだろうか。この点についても詩人は鋭い観察をしそれを鮮 泣く時にはどのような感覚や感情、意識が、起こり働いてい H.泣く時の感覚・感情・意識そして夢 11 ︻註 た。 ︼ 子死すと思いこんで嘆き悲しみ、頭に灰を被る姿を見た時だっ 主語の﹁彼﹂はオデュッセウスだ。老父ラーエルテースが息 319 ﹁飽き 歌 636 全ての事に飽きがある、眠りにも、色事にも、甘い歌にも、 楽しい踊りにも ︵ ﹃イーリアス﹄第 13 ﹁全ての事に飽きがある﹂ 、嘆きも例外でないということだろ うか。 318 103 G―d 涙 することに疲れる 24 102 飽きるのみではない、疲れることもある。泣くのが運動であ りエネルギーを消費する行為であることは赤ん坊を見ても分かる。 12 4 246 ホメーロスの涙 他の例も、その人が何かの思いに囚われているとき、あるいは ﹂の表現が使われているその πόδες φέρον 戦闘で憔悴したりあるいは逆に自らの雄姿に酔ったりしている ﹁足が︵人を︶運ぶ H―b 泣き笑い ﹁泣き笑い﹂ 、これはどのような感情だろうか。ヘクトールと い、消え去っている。 やはりここにはない。ここでは意識は起こっても働いてもいな 時、いずれも心ここにあらずのくだりである。涙する人の心も アンドロマケーとの最後の別れの場面に次の詩句がある。 ︶ 涙 な が ら に 笑 い な が ら ︵﹃ イーリ δακρυόεν γελάσασα アス﹄第6歌 H―d 夢 で泣く 意識の有無という観点で言うと、夢の中で泣くときはどうな 死を覚悟したヘクトールが幼子アスチュアナクスに別れの抱 擁をしようとする。幼子は父の兜の房を見て恐れ仰け反って泣 のだろうか。 婚との間で揺れ動いている。その彼女がオデュッセウス扮する ペーネロペイアの心は帰還せぬオデュッセウスへの思いと再 く。父母はそれを見て笑い転げる。ヘクトールは兜を措きあら ためて子を抱擁し、その子をアンドロマケーに返したのだった。 老乞食に自分の見た夢について語る一節がある。 二十羽の鵞鳥が屋敷にいて水から小麦を啄んでいます、そ 歌 ・ ︶ れ を 眺 め て 私 は 楽 し ん で い ま す ︵ ﹃オデュッセイアー﹄第 538 アカイアの女達が私の周りに集まりました、鷲が鵞鳥を殺 私は夢の中ながら泣きしゃくり上げていました。髪麗しい そこで、 そこに鷲がやって来て鵞鳥皆の首をへし折って殺してしまう。 537 アンドロマケーは﹁涙ながらに笑いながら δακρυόεν γελάσασα ﹂ 受け取る。哀切を極めた人間の感情が珠玉の表現を得ている。 ︶ 19 H―c「涙 を流している彼を足が運ぶ」 ﹃ イ ー リアス﹄には﹁足が︵人を︶運ぶ﹂という一風変わった 表現が何回か出てくる。 ﹁ ︵人が︶歩いた﹂もしくは﹁ ︵人が︶歩 を進めた﹂といわずにである。その中に涙する人を運ぶ例がある。 パトロクロスが討たれ、その悲報を知らせようとアキレウスの もとに泣きながら向うアンティロコスを﹁足が運ぶ﹂ 。 歌 247 484 700 涙を流している彼を足が戦いから運んで行った ︵ ﹃イーリ アス﹄第 17 歌 ∼ ︶ し て し ま っ た の を 悲 し み 嘆 い て い る 私 の︵ 周 り に ︶ ︵ ﹃オ デュッセイアー﹄第 I.誰が誰を悲しむのか 悲しむ人と悲しまない人が画然と分かたれているのだろうか。 悲しみに無縁な人間がいるのだろうか。詩人はこの問を問い続 こ と が 語 ら れ て い る。 鵞 鳥︵ 求 婚 者 ︶達 が 啄 ん で︵ 飲 み 食 い し て ︶い る の を 私 は 眺 め て 楽 し ん で い る。 そ し て、 そ の 鵞 鳥︵ 求 婚 者 ︶達 が 殺 さ れ た の を 見 て 私 は﹁ 泣 き し ゃ く り 上 げ ﹂ οἴκτρ᾽ ὀλοφυρομένην トロイア方のアカマースはアカイア︵アルゴス︶方のプロマ コスを斃し、勝ち誇ってこう広言する。 アルゴスの弓しか使えぬ、口ばかり達者な者らよ、苦しみ ﹂ 、 ﹁悲しみ嘆いて κλαῖον καὶ ἐκώκυον 一体これはどういうことか。何故ここで泣くのか。ペーネロ と悲しみは我々にのみあるのではない。いやお前達もいつ 歌 ペイアは貞潔な妻、思慮深い妻とされている。自分でもそうあ かこのように討ちとられるのだ ︵﹃イーリアス﹄第 ∼ ︶ ﹁泣く﹂という最も直接的な感情の、 ﹁夢﹂という虚飾のない場 での流路であるだけにその奧に何かがあるのに違いない。ある いは意識下に、言い寄られることへの陶酔、再婚願望があり、 夢の中でそれが現れたと、それも一つの合理的解釈だ。 479 歌 ︶ 軍神は平等、殺さんとするものを殺す ︵ ﹃イーリアス﹄第 まさしく 斃す側はいつ斃される側になるとも知れない。戦いの必然だ。 14 戦いの非情さ際立つこういう一節もある。敵の首級を槍先に 悲しませる側はいつ悲しむ側となるとも知れない。 309 しかし、ペーネロペイアがその夢を隠さず語り、聞いた乞食︵オ デュッセウス︶もそれを聞き咎めた風がない。やはりこれは大 きな謎だ。何か辻褄を合わせる理屈を拒んでいる感がある。 ﹁泣 く﹂ことの向こう側に世界の裂け目、人の心の底知れぬ深みを 覗くような気をさせられる。 481 18 相貌の奥に、無意識の密かな思いがあるということだろうか。 りたいと考えている。それは間違いない。その理性的、意志的 いる。 I―a 敵も味方も悲しむ けたようだ。 513 そして鷲は言う、 ﹁鵞鳥は求婚者達であり、鷲はお前の夫だ﹂と。 541 ペ ー ネ ロ ペ イ ア が 語 っ た 夢 が こ れ だ。 こ こ に は 驚 く べ き 19 248 ﹁罌粟の実の如くに ここで着目したいのはそれに続く詩行だ。 これ自体﹁ブリセーイスの悲嘆の物語﹂になりそうだ。しかし そのように泣きながら言った。女達は、パトロクロスを口 ﹂掲げてぺーネレオースが言い φὴ κώδειαν トロイア人達よ伝えてくれ、誇り高きイーリオネースの、 実にして、それぞれの苦しみを嘆いた ︵﹃イーリアス﹄第 歌 ・ ︶ ︶ 歌 た。パトロクロスあなたは、私に泣いていることを許さずその る。自分の三人の兄弟は戦死し、夫はアキレウスの手で殺され I―b 各 人の悲しみを泣く パトロクロスの遺体を前にブリセーイスが悲嘆する場面があ 描いている。 情、共苦の世界がある。そのあり様を詩人は深い共感をこめて のであることがある。そこには悲しみにおける一種の連帯の感 I―c 共 有する悲しみ 他人の悲しみと自らの悲しみがそれぞれでありつつ共通のも 泣く時自らの悲しみをも泣いている。 人は皆それぞれの悲しみを抱いている。人は他人の悲しみを ・ れ ぞ れ が 館 に 残 し て き た 者 を 思 い 出 し て 嘆 い た ︵第 このように泣きながら言った。それにつれて長老たちはそ ぺーレウスを思いやって嘆いた時である。 またこのような場面もある。アキレウスが故郷に残した老父 愛しい父と母とに館で嘆くようにと。アレゲーノールの子 プロマコスの奥方も、トロイアから船と共に我らアカイア 歌 の若者達が帰還するときに、愛しい夫が帰って来たのを迎 えて喜ぶことはならぬのだから ︵ ﹃イーリアス﹄第 ∼ ︶ 多くの人名が輻輳しているので少し解説すると、イーリオネ ースはぺーネレオースによって今殺され︵ ﹁罌粟の実の如くに﹂ 首を掲げられ︶たトロイア方の兵士、プロマコスはその直前に 殺 さ れ た ア カ イ ア 方 の 兵 士。 イ ー リ オ ネ ー ス に﹁ 愛 し い 父 母 ﹂がいる、プロマコスにそのプロマコス πατρὶ φίλῳ καὶ μητρὶ ﹂とする奥方がいるように。 ἀνδρὶ φίλῳ 302 ﹃イー リアス ﹄最終 歌 で、 プ リアモ ス は息子 ヘ クトー ルの遺 非情な言辞である。しかしそれは戦い自体が持つ非情さだ。 を﹁愛しい夫 19 501 301 339 14 19 338 505 アキレウスの正妻にしてやると言ってくださっていたのに、と。 249 放った言葉はこうだった。 ホメーロスの涙 体を乞い受けんとしてアキレウスの下に赴く。アキレウスと対 面するとプリアモスは嘆願しつつこう言う。 悲しみ、共苦を雄弁に語っている。 摘をうけそうだ。ここで﹁ホメーロスの涙﹂と題した趣旨を説 こ の 小 論 は 表 題 を﹁ ホ メ ー ロ ス の 涙 ﹂と し た が、 本 来 は﹁ ホ おわりに され、私と同じく年取って、忌まわしい老いの閾にいる父 明しておきたい。そこには、表題は簡潔なものでありたいとの 神の如きアキレウスよ、そなたの父上を思い起こしてくだ 上を。 ⋮⋮ アキレウスよ、神々を畏れ、そなたの父上 を思い起こしてこの私を憐れんでくれ。私は一層憐れな者 このように言った。そして彼アキレウスに父を思って泣く た悲しみ、すなわち詩人自身が抱いた悲しみか、あるいは他人 であってみればそれを﹁ホメーロスの涙﹂と題することもあな のものであっても詩人が共感した悲しみに他ならないはずだ。 がち的外れではなかろう。 、一方は τὼ δὲ μνησαμένω ⒈ ホメーロスにおいてその悲しみの内容や現れ方、捉え方 はどのようだろうか。 わち さて、この小論の﹁はじめに﹂で三つの問いを立てた。すな しやった。二人は思い起こし ﹂の双数表現が共有する τὼ δὲ μνησαμένω 24 めに泣き、又ひるがえってパトロクロスのために泣いた。 下に倒れ込んで激しく泣き、アキレウスの方は我が父のた もののふの殺し手ヘクトールを思い起こしアキレウスの足 ことの欲望を掻き立てた。彼は手を取って老人を静かに押 るだろう。そしてまた、詩人歌うところの悲しみは詩人が感じ ずもがなであり、﹁涙﹂で﹁悲しみ﹂を代表させることは許され まず、﹁涙﹂は﹁悲しみ﹂の最も端的な表現であることはいわ もある。 メーロスの詩篇における悲しみ﹂とでもすべきところだとの指 です、他の死すべき人間が誰も忍び得なかったこと、我が ︶ 気持ちが働いていることも事実だが、それに加えて多少の理屈 ∼ 506 子を殺した男の手に口を差出すことを忍んだのです ︵ ﹃イー リアス﹄第 歌 486 そうするとアキレウスの心は揺すぶられる。 24 彼らの泣き声は家中に響きわたった ︵ ﹃イーリアス﹄第 ∼ ︶ 歌 512 ﹁二人は思い起こし 507 250 ホメーロスの涙 ⒉ そしてそれは現代の我々の悲しみの場合と共通するのだ ろうか、相違するところがあるのだろうか。 ⒊ 詩人は何故これほどまでに悲しみを歌ったのだろうか。 この内1については上記本文でつぶさに見てきたところだ。 実に多様な悲しみが描かれていた。至るところに悲しみがあり、 その中には詩人が特に共感したであろう自らと他者が悲しみを る。︻註 ︼ 今ここに一人の若者がいたとする。その若者が死期の迫った 親を見舞いに病院に行く。面会時間になるのを待って病院敷地 の池の端かどこかで﹃イーリアス﹄を読む。丁度第二十二歌の ヘクトールの遺体が地面を引きずられるあの場面にさしかかる ところだ。 その如くに彼︵ヘクトール︶の頭はすっかり砂まみれになっ た、母親︵ヘカベー︶は髪の毛を引きむしり艶やかな被り 物を遠くに投げ、我が子を見やって大声で泣きじゃくった。 2の我々の悲しみとの相違については、確かに若干の違いが 共にする姿もあった。 あるのだがそれはいわば﹁ずれ﹂であり、理解しがたいものは 愛する父親︵プリアモス︶も痛ましく呻いた ︵ ﹃イーリアス﹄ 歌 ∼ ︶ モ ス の 悲 し み に 自 ら の 悲 し み を 重 ね た の だ ろ う。 そ の 共 鳴 の く し て 相 次 い で 亡 く し た こ と に 触 れ て い る。 恐 ら く は プ リ ア 土井晩翠は ﹃イーリアス﹄ 訳跋文に愛娘と愛息、いずれをも若 だが、この時ヘクトールの父母の悲しみは今の若者自身の悲し ちらは病院、置かれた状況は相違しあるいはかけ離れているの の子に対する情、こちらは子の親に対する情、かたや戦場、こ かたや叙事詩の登場人物、こちらは現代の若者、かたや父母 で何故このような苦しみを与えられねばならないのか。 会人としてそれなりに真面目に生きた人間だ。人生の最後近く かも知れないが、それほどの悪人とも思われない、親として社 る。欠点もあり人並みの悪いこともあるいはしたことがあった 近くのICUの病床では様々な管を付けられて親が臥してい 第 ほとんどなかった。むしろ驚くほど共通していた。我々が意識 していなかったり言葉にしていなかった、しかし我々が感じて いた悲しみの側面が捉えられ表現されている詩行にも多く出会 った。﹁ホメーロスの涙﹂は﹁我々の涙﹂でもあった。 最後に三つ目の問い﹁詩人は何故これほどまでに悲しみを歌 ったのだろうか﹂をあらためて問うてみたい。 この三つ目の問の答は一つ目と二つ目のそれから繋がってい 408 みとかぶさり、共振して止むことがないのではなかろうか。 るようだ。 405 深さが本邦初の韻文原典訳を成し遂げせしめたのだと思われ 251 13 22 悲しみに満ちているのはホメーロスの詩篇の中だけではない。 この人間世界そのものが悲しみに満ちている。ゼウスが洩らす 言葉に次の詩句がある。 というのも人間ほどに哀れなものはどこにもないのだから、 ・ ︶ 地上で息をし這い回っている全てのものの中で ︵ ﹃イーリ アス﹄第 歌 446 447 註 ︻1︼ 詩人は﹁怒り﹂についても、又﹁笑い﹂についても、並々 ならぬ関心を示し深い洞察を加えている。筆者はホメーロ スの詩篇における﹁怒り﹂と﹁笑い﹂それぞれについて若干 の考察を試みたことがある。﹁ ﹃イーリアス﹄における怒り・ しみ、神々しいまでの悲しみに満ちているのか﹂と。 こう問うているのではなかろうか、 ﹁世界は何故これほどの悲 神々しさはない︶ 。詩人はこの事実に驚嘆し、両詩篇を通じて を湛え神々しい︵オリュンポスの神々にこの悲しみの深さ故の しみ ⋮ ⋮。まさしく悲しみに呻吟しつつ息をし這い回っている。 この悲しみは不条理である。しかし同時にその悲しみは高貴さ 死の悲しみ、別れの悲しみ、諸々の苦難や不幸がもたらす悲 17 再考﹂ ︵明治学院大学﹃言語文化﹄第 号︶、﹁笑いから見た ホメーロス﹂ ︵同第 号︶ ︻2︼ 日本の和歌以来の伝統では多く﹁袖﹂が登場する。 つれづれのながめにまさる涙川袖のみ濡れて逢ふよし もなし ︵古今集、藤原敏行︶ ﹁御所中の女房たち、皆袖をぞぬらされける﹂ ︵平家物 語﹁月見﹂︶ ﹁供奉の公卿・殿上人⋮皆袖をぞしぼられける﹂ ︵平家 物語﹁大原御幸﹂︶ ﹁袂﹂もあった。 30 紅のふりいでつつなく涙には 袂 のみこそ色まさりけ れ︵古今集、紀貫之︶には 袂 語られぬ湯殿にぬらす袂かな ︵奥の細道、松尾芭蕉︶ ︻3︼ ﹁平家物語﹂には﹁鎧の袖﹂がある。 ﹁守護の武士どもも、みな鎧の袖をぞ濡らしける。﹂ ︵平 家物語﹁成親流罪﹂︶ ︻4︼ 平安朝文学では﹁枕が浮く﹂がある。 独り寝の床にたまれる涙には石の枕も浮きぬべらなり ︵古今六帖五︶ 涙落つとも覚えぬに、枕浮くばかりになりにけり︵源 氏物語、須磨︶ 改 め て 読 み 直 し て 見 る と﹁ 枕 が 浮 く ﹂と は 甚 だ し い 誇 張 表現だ。 ︻ 5︼ し か し 法 隆 寺 五 重 塔 の﹁ 涅 槃 像 土 ﹂に は 釈 迦 入 滅 に 際 し 胸を叩いて悲嘆する弟子の姿が見られる。ただこれは、日 本 固 有 の も の で な く 天 竺︵ イ ン ド ︶の 風 習 を 引 き 写 し た も のである可能性もあろうが。 31 252 ホメーロスの涙 ︻ 6︼ 日 本 語 で は﹁ 膝 を 打 つ ﹂と い う。 正 確 に は 腿 を 打 っ て い る の で 仕 草 と し て は ホ メ ー ロ ス の﹁ 腿 を 叩 く ﹂に 同 じ だ。 しかしそこに込められた意味はというと、ホメーロスの﹁腿 を叩く﹂が悲嘆の仕草であるのに対して、日本の﹁膝を打つ﹂ は気づきや感心の仕草である場合が多い。もっとも日本で も︵悲嘆とまでは行かないにしても︶ ﹁しまった﹂と失敗に 気 づ い た 時 に﹁ 膝 を 打 つ ﹂こ と も あ る。 そ の 点 で は 通 ず る ところがあるともいえる。 ﹂と い え ば﹁ 殺 ︻ 7︼ 戦 場 で﹁︵ 敵 の ︶膝 を 崩 す γούνατα λύειν す ﹂こ と で あ っ た。 ま た、 嘆 願 す る 時 に は 相 手 の﹁ 膝 ﹂に 取 り 付 く。 Chantraine の Dictionnaire étymologique γόνυ d e l a l ang ue g recqueに は 、 γ ίγ ν ο μ α﹁ι 生 ま れ る ﹂や ﹁ 認知する﹂の語と γόνυ ﹁膝﹂との関連を探る興 γιγνώσκω 味深い推論が︵定説としてではないものの︶紹介されている。 の 前 掲 書 で は ἀηδών ︵ 夜 鶯 ︶と ἀείδω ︵歌う︶ ︻ 8︼ Chantraine ﹂としている。 との関連性について、﹁おそらくある probable に﹁ 歌 鶯 ﹂と 呉 茂 一 は そ の 説 に 拠 っ て で あ ろ う か、 ἀηδών の訳語をあてている。 なお、万葉集に歌われる﹁ぬえ︵鵺︶鳥﹂は﹁夜鶯﹂や﹁ナ と近い鳥であったのかも イチンゲール﹂と解される ἀηδών 知れない。 ひさかたの天の川原にぬえ鳥のうら泣きましつすべな きまでに︵柿本人麻呂歌集所出歌 巻十 一九九七︶ よしゑやし直ならずともぬえ鳥のうら泣き居りと告げ む子もがも︵柿本人麻呂 巻十 二〇三一︶ 万 葉 人 が﹁ ぬ え 鳥 ﹂の 声 音 に 聴 き 取 っ て い た 情 調 に は のそれと近いものが感じられる。 ἀηδών の 語 に つ い て Chantraine の 前 掲 書 で は、 語 頭 ︻ 9︼ οἰμωγῇ の は οἰ﹁ 苦 痛 や 苦 悩 を 表 す オ ノ マ ト ペ ー で あ る ﹂と し て い の 方 に つ い て は Chantraine にオノマトペーで る。 κωκυτῷ からは男の呻き声、 あるか否かの言及はない。しかし οἰμωγῇ からは女の泣きじゃくる声が聞こえてくるような κωκυτῷ 気がするのは心なしであろうか。 ︻ ︼ 本 文 で 直 訳 的 に﹁ 非 情 な る 心 を も っ て ﹂と 訳 し た の 詩 句 を 三 人 の 和 訳 者︵ 呉、 高 津、 νηλέα θυμὸν ἔχοντας 松平︶はいずれも﹁心を鬼にして﹂と意訳している。なるほ どそのニュアンスだ。このように対応する表現が定型句的 に存在するということは、ホメーロス世界の心性と日本古 来の心性との間にに通じるものがここにもあることの証左 であろう。 ︻ ︼ 日 本 語 に﹁ 泣 き 疲 れ る ﹂と い う 表 現 が あ る。 こ れ は ま さ ︵涙を流していて疲れ に本文引用の κάνμω δάκρυ χέουσα る︶にあたる。 ﹂は 日 ︻ ︼ ﹁ 鼻 を 鋭 い 力 が 貫 く ῥῖνας δριμὺ μένος προτύπτω 本 語 の﹁ 鼻 の 奥 が ツ ン と す る ﹂を 想 起 さ せ る。 表 現 は 異 な るが感覚は同じだ。こういう根源的身体感覚は人間である 限り古今東西不変であるようだ。ホメーロスにおける﹁鋭 い力﹂という分析的表現が﹁ツン﹂という日本語特有の擬態 語表現となっている。 ︼ ﹃イーリアス﹄土井晩翠訳 冨山房 一九四〇年 ︻ 253 10 11 12 13