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海の文化をたずねて ジュゴンの新城島(パナリ)・舟づくりの黒島

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海の文化をたずねて ジュゴンの新城島(パナリ)・舟づくりの黒島
第5回「やしの実大学」公開講座 in 八重山報告
海の文化を訪ねて
ジュゴンの新城島(パナリ)・舟づくりの黒島
2002.6.1(土)∼6.2(日)
やしの実大学:太平洋の島々と同じ珊瑚礁文化や島社会の視点を持つ八重山諸島から全国へ、世界へと発信する形で太平洋
の島々の歴史、文化を学ぶ目的で作られた。(URL http//www.yashinomi.to/)
□ごあいさつ ……………………………………篠遠喜彦 p46
□エッセイ 新城島と黒島を訪れて ……團 紀彦 p47
□講演 体験航海 私たちの遺産―海洋文化
…………………………………………クリスティーナ・ヒガ p49
●フィールド・スタディ●
○新城島ガイド p40
○参加者の顔・声・風景 p42
□講演 新城島とジュゴン(ザン)−その盛衰の歴史
…………………………………………………………砂川哲雄 p52
□寄稿 資料にみるジュゴン(海馬)……得能壽美 p57
□寄稿 航海の島・黒島 …………………通事孝作 p60
39
島の中心にあるナハウガンは鳥居の先より足
を踏み入れてはならない非常に神聖な場所。
奥にあるマークは月と太陽をあしらっており、
月は母、
水を。
太陽は父、
火の意味をもつという。
ここでは粟と米の豊年祭が年に2回行われ、
そのため全国から新城出身者が島に戻ってくる。
石と当き
垣疑にれ
がっ数い
低て人に
いしし掃
のまか除
もう生さ
特ほ活れ
徴どして
。 て
建 い
物いる
がな集
あい落
るの。
?本
。
今では公民館になっている元上地
小学校。
上地島にはかつて350人∼
400人もの人たちが住んでいた。
NAHAUGAN
案内人は新城公民
館長の島仲信良さん。
「あるものは無くす
な、ないものは作る
な」と島に対する想
いを語ってくれた。
KUINUPANA
「クイ」は地名で「パナ」は頂上の意
味。
集落
TAKANIKU
昔、交通や通信手段が
限られていた頃、狼煙
を上げて連絡をとって
いた火番盛がここタカ
ニク。今では木々で覆
われて景色は見え隠れ。
桟橋の横にある高台クイヌパナ。急な石
段を上りあがると奥には下地島が見え、
手前には一つ一つ名前が付いている岩
を眺めることが出来る。見晴らしのよい
高台なためか、昔は火を焚いて安全を見
守りながら船を待ったという。島の情景
を唄った「クイヌパナ節」が出来たのも
何だかうなずける。
UTAKI
の秘密
150年ほど前まで、新城島だけで
作られていた焼物「パナリ焼」。鍋
や骨壷など生活雑器や祭器の破片
は残っているが、その伝来や技術
ははっきりしなかった。
しかし近年、
「パナリ焼」は島の赤土に一度焼い
て粉末状にしたタカセ貝やシャコ
貝、
夜光貝などを混ぜて、
露天焼に
したのではないかということがわ
かっている。
そんな「パナリ焼」を今
回間近で見ることが出来た!
昔は下地島の方が親村だったので、下地
島の中央部の地名をとって「ナハスク=
中城」にしようとした。ところが沖縄本
島の中城(琉球王と関係の深い地名)と
同じでおそれ多いということで、島の南
の地名をとって「アラスク=新城」にし
たらしい。今は牧場になっている下地島
だが、昔は7つの集落があり、最も大き
な集落がアラスクだった
アールオン
(東御嶽)
、
ザンヌオンなどと呼
びジュゴンの骨を祀
る古い御嶽。新城島
周辺がジュゴンのも
っともよい漁場とさ
れた時代、琉球王府
より海上権を与えら
れジュゴンを捕獲し、
その肉や皮は塩漬け
や干し肉に加工され、国王に納めたといわれている。今では
その姿を見ることは出来ないが、島の人のジュゴンに対す
る想いがアールオンという形で生きているのかもしれない。
アさ た ←
。 岸
ダ
ンを 自 本
の
、然 君
木改
子
のさ
を
見め い ん
るて
、
っ新
と
、実 ぱ 里
こ
ト
れ感 い ヨ
のし
残さ
新
ん
﹁
ま
芽
っ
で
した 下
り
篭
る
で 懐 思 ど た 思 をた 離
時
す し い も り い 作。
。かだのし出っ自 島 が
怖
た生
っし頃てさ事す の か
、
たてを子れがる 良 っ
↑島に響く、とぅばらー
ま大会チャンピオンの
美声…
↑貴重な「パナリ焼」お披露目会。
直に触れることが出来るとは!と、
皆さん真剣そのもの
「
とし←
屋い久
良おし
ご弁
夫当ぶ
妻をり
満食に
足 お
そべ弁
うた当
!ら
「古いパナリの歴史を知るということは大事
だなあと感じました」
「年に2、3回北海道から八重山に来
ています。新城島に来たのは初めてです」
建築家の團紀彦先生→
「ここの景色は、素晴らしいの一言です。
伊豆・小笠原諸島にもよく行くんですが、そことはまた違っ
たサンゴでできた砂浜の景色が見える。神聖な島 だと
感じました」
」
→
新
城
哲
也
さ
ん
・
恵
子
さ
ん
・
大
地
く
ん
。
↑グラスボートで新城島沖合のさんご礁「前ピシ」
を見終えた、上地静さん、上地順子さん、岸本さん、
屋良美江子さん。
「こんなにたくさんのキレイなさ
んご礁があるとは思いませんでした。最高です。同
じ八重山に住んでいて驚くなんて、灯台下暗しと
はこのことでしょうね」
→
「たくさん
の人たちが
この企画で
新城島に来てくれて、この島を紹介
することができて良かった」
と語ったのは、
新城島の公民館長・島仲信良さん。
「
と日 ←
帰
り間 自
ので
然
船
をし に
待た
癒
つ
田!
さ
中
智
れ
和
た
さ
ん
2
」
く﹁
静
、
何か
百で
年砂
も浜
前が
かキ
らレ
人イ
がな
住島
んだ
でな
いあ
たと
と思
聞い
いま
てし
驚た
き。
ま案
し外
た民
﹂家
が
多
→(左)から
成田悦子さん、
上地スエ子さ
ん 、砂 川 竹 子
さん。
→帰りの船にて、「念願のパナリに来れて良かった!
もう一度行きたいです」 と前回も参加した篠崎文さん ↓木造による建築中の民宿。
「家は弱く、主は強く。主が強
ければ何度でも家は建てら
れる!」と建主の西大舛さん
↑お昼は月桃と
バショウの葉で
包まれたお弁当。
土に還すことが
出来るようにと
素材に気を配り
出来上がったの
がこれ! ぐる
くんの唐揚や島
らっきょうなど。
理い
恵
子な
さ
んあ
。と
思
い
ま
す
﹂
と
応
え
た
の
は
、
笹
川
平
和
財
団
の
早
川
向こ
けれ
たか
交ら
流八
事重
業山
のと
きハ
っワ
かイ
けと
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な、
れ発
ば展
いに
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の
石
で原
、慎
そ
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を郎
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﹃
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こ﹄
のと
島い
にう
と小
て説
もが
興新
味城
が島
あを
り舞
ま台
しに
たし
た
。
↑「美味しい!」 と木陰でお弁当を食べる嘉手
川重昭さんとヨシ子さん
→新城島伝統の唄と踊りで参
加者を歓迎した、地元出身の
大浜安則さん、幸枝さん、憲子
さん、野原政俊さん。
ての ら
い
いま で
るま し
島で か
来
だ、 れ
な昔 ま
せ
あの ん
と も で
感 の し
じ
た
ま が 。
し 多自
た
く然
残が
っそ
」
WHAT ARAGUSUKU
GOING ON?
←岩崎あとむくん・黒島礼人くん・
岩崎かんなちゃん・黒島雄人くん。
「お
父さんたちと来たよ」
↑グラスボートで前ピシの
海中の様子を楽しむ参加者
じ子←
八さ石
重ん垣
島
山、
隣
にりか
住でら
ん“参
です加
いやし
てすた
もや中
、”島
新 和
城夫枝
島のさ
に定ん
は治、
豊さ曽
年ん我
﹁由
祭。
く同美
←黒島に到着。
トラックの荷台に乗って、
いざ宿へ!
↑見ているこっちに、楽しさが伝わっ
てくる満面の笑顔。
↑
「おっ、
網をかついだ海人
(ウ
ミンチュ:漁師)登場!」 この
踊りが1番盛り上がった!舞
踊その3『ぺん蟹取れー(ペン
ガントレー)』で、お父
さんも熱演!
→男女が仲睦ま
じく観客に会釈。
←タイマツを手に、ヤシガ
ニを捕える演技は迫力があ
った。
↑黒島と言ったら牛汁!? 黒島青年会の涙の結晶
召し上がれ∼
↑槍の名手が岩場の影から獲物を出し
て見せると、会場からは大きな歓声が
沸いた。
↑夕食をとりながら郷土芸能で盛上がる黒島芸能
伝統館
↑ここが講演会・交流会が行われた『黒
島伝統芸能館』。
↑踊りの演目最後は、黒島を代表する舞踊(その4)
『黒島口説(クルスィマクドゥキ)』。
→石垣島出身の歌手・ミヤギマモルさんも出
演し、新曲を熱唱した。交流会フィナーレの
カチャーシー(※沖縄県では、だれもが自由
に参加して踊るもの)
で、
会場の熱気は最高潮!!
↑「朝10時から夕食の仕込みをし大変でしたが青年
会だけでやりきれたという満足感があります!」と
黒島青年会会長さん。皆様遅くまでご苦労様でした!
←↑黒島婦人会による黒島伝統の舞踊その1。
『笠踊り(ハサブドゥン)』。
↓舞踊その2『鎌踊り(ガッキブドゥン)』。
皆、真剣に聴いてくれてうれし
い! わたしは黒島出身ではな
いけど、民謡を含め他にないい
いものがある。やられた!って
感じでした
8月末にハワイでイベントがあ
るそうです。
↑黒島マリンビレッジ正面玄関前にて。
「 天気も恵
まれたし、黒島の芸能が思った以上で面白かったで
す」と宮古支店からも来ている沖縄旅行社の皆さん。
「お疲れ様でした」
↑この日の夕食は、黒島青年会が用意し
た牛汁。その味は、この参加者たちの笑
顔が保証済み。
「あ∼うらやましい∼」
JOYHUUUULL! COW ISLAND
團 紀彦 だん のりひこ(建築家)
1956年神奈川県生まれ。新島グラスアートセンター、新島島民塾、八丈島のアトリエなど島の
建築を多く手がける。八丈島のアトリエは父で作曲家の故團伊玖磨氏の仕事場であった。2001年
に沖縄で開催された日本文化デザイン会議では議長をつとめ、沖縄の建築や島・海の文化に深い
関心を持つ。現在は、建築活動のかたわら、黒潮圏の歴史に基づく文学を執筆中。八重山は今回
が初めての訪問。
しのとう
篠遠喜彦
團だん
紀のり
彦ひこ
城
島
へ
向
か
う
と
、
意
外
に
も
先
島
諸
翌
朝
石
垣
空
港
に
つ
い
て
か
ら
、
新
て
、
先
生
と
楽
し
い
一
時
を
過
ご
し
た
。
中
の
八
丈
島
の
流
人
史
の
話
な
ど
を
し
深
い
お
話
も
伺
っ
た
。
私
も
現
在
執
筆
わ
れ
た
の
で
は
な
い
か
と
い
っ
た
興
味
尚
王
朝
に
献
上
す
る
際
の
壷
と
し
て
使
力
が
小
さ
な
島
々
に
及
ぶ
と
い
っ
た
構
な
島
が
文
化
の
発
祥
の
地
で
そ
の
影
響
の
文
化
的
な
関
係
だ
っ
た
。
普
通
大
き
に
代
表
さ
れ
る
よ
う
な
小
さ
な
島
々
と
と
い
っ
た
比
較
的
大
き
な
島
と
パ
ナ
リ
っ
た
の
は
、
本
島
や
石
垣
島
、
西
表
島
沖
縄
の
場
合
、
大
変
興
味
深
い
と
思
老
婆
が
水
の
無
い
こ
の
島
で
荒
れ
た
土
ポ
ー
ト
を
見
た
事
が
有
っ
た
。
二
人
の
イ
ト
ル
だ
っ
た
と
思
う
が
、
黒
島
の
レ
昔
テ
レ
ビ
で
﹁
水
と
風
﹂
と
い
う
タ
っ
て
栄
え
て
い
る
島
だ
。
ど
で
、
今
は
畜
産
と
美
し
い
自
然
に
よ
黒
い
肉
牛
の
数
の
方
が
人
口
の
10
倍
ほ
そ
れ
が
ザ
ン
︵
ジ
ュ
ゴ
ン
︶
の
燻
製
を
ナ
リ
焼
き
を
再
現
し
た
時
の
お
話
や
、
に
渡
っ
て
そ
こ
で
貝
の
粉
を
使
っ
た
パ
焼
き
の
製
法
を
調
べ
る
為
に
、
新
城
島
や
狼
煙
台
の
跡
な
ど
を
見
た
。
仲
信
良
さ
ん
の
御
案
内
で
島
内
の
御
獄
の
宿
る
島
で
も
あ
る
。
公
民
館
長
の
島
い た 海 来 す い た に 島
パ た 波 上 る 。 ま 。 参 の
ナ 。 照 バ 機 こ し ﹁ 加 方
間 ス 会 う た い し 々
リ
島 の が い が つ て も
は
の 席 あ っ 上 も お 多
本
女 で り た 陸 そ ら く
当
に
性 隣 ま こ す ば
﹁
美
の に せ と る を れ や
る
し
方 座 ん が の 通
し
い
か っ で 無 は っ の の
島
ら て し い 初 て に 実
で
話 お た と め 見 気 大
、
を ら ﹂ 中 て て づ 学
神
聞 れ と 々 で は い ﹂
の
、
し
か
し
大
変
美
し
い
島
だ
っ
た
。
高
良
先
生
か
ら
は
、
以
前
に
パ
ナ
リ
に
か
か
っ
て
以
来
だ
っ
た
。
ン
会
議
で
議
長
を
務
め
た
と
き
に
お
目
タ
ー
で
開
催
さ
れ
た
日
本
文
化
デ
ザ
イ
に
宜
野
湾
の
コ
ン
ヴ
ェ
ン
シ
ョ
ン
セ
ン
倉
吉
先
生
と
再
会
し
た
。
昨
年
の
11
月
事
に
し
た
。
そ
こ
で
琉
球
大
学
の
高
良
の
で
、
私
は
前
の
晩
那
覇
に
一
泊
す
る
石
垣
に
向
か
う
朝
の
便
が
早
か
っ
た
な き 的 う て の ﹁
種 で 化 琉 図
黒 い た 遺 が い よ 子 い 的 球 が
島 。 と 伝 当 る う ﹂ て な で 見
い 子 時 点 に が 、 原 は ら
は
う の は だ な 移 本 型 、 れ
パ
事 命 マ 。 る 植 島 と む る
ナ
も 脈 ラ 平 と さ や な し こ
リ
あ が リ ら い れ 大 る ろ と
と
っ 永 ヤ な う 発 き ﹁ 小 も
は
た ら も 小 総 展 な 種 さ 多
ま
の く 少 さ 合 し 島 子 な い
っ
か 保 な な 過 て で ﹂ 島 の
た
も た く 島 程 ﹁ 様 を 々 だ
く
知 れ 歴 の を 森 々 育 が が
別
れ て 史 ほ 経
な ん 文
﹂
、
47
エッセイ
新
城
島
と
黒
島
を
訪
れ
て
1924年、東京生まれ。自由学
校を卒業し、ハワイ大学で人類学、
考古学を学び、のち北海道で理学
博士号をとる。40年以上、ビシ
ョップ博物館でポリネシアの調査
研究にかかわってきた太平洋考古
学の第一人者。考古学調査のみで
なく、観光資源ともなる遺跡復元
や地元の若手人材の育成に尽力。
主な著書に「楽園考古学」
、
「秘境
マルケサス諸島」など。
ご
あ
い
さ
つ
「やしの実大学」の公開講座も第5回目を迎える事になり、大変嬉しく思います。
今回は「海の文化を訪ねて」というテーマで新城島と黒島を訪ねて島の方々にお
世話になることと思います。石垣に住んでおられる方々の中にも初めて訪れる島々
であるかもしれません。この島々の歴史や文化を学び、島の方々と親しむことは人
と人との交流を深めるという「やしの実大学」の目標の一つを実現することになる
でしょう。
立派な講師の方々をお迎えして、この公開講座が一層意義あるものになることを
確信しています。私の研究と関係のあるヒガ先生の『ポリネシアの航海』のお話は、
あまり世に知られていないポリネシア人らによる偉大な遠洋航海が、北欧のバイキ
ング以前に、広大な太平洋で行われていたという歴史もお話して下さると思います。
そしてその遠洋航海を天測航行で再現した現代の若者達がいること。ハワイのナイ
ノア・トンプソンを航海士として1976年にハワイからタヒティまで古代の航海術の
みによって帆走した双胴のカヌー、ホクレア号の偉業は勇気と誇りをハワイの人々
に与えたのでした。それは同時に他の地域のポリネシアの人々に大きな刺激を与え
たのです。
1995年にはニュージーランド、クック諸島、タヒティの双胴のカヌーがタヒティ
に集まり、ハワイまでの大航海をしました。
八重山諸島に住みついた人々も舟を操って島に渡って
来たのでしょう。その人たちの造船の技術、航海術など
との比較研究も今後の興味あるテーマとなるかも知れま
せん。公開講座の企画をなさった実行委員会の皆様、多
くの関係団体や企業より頂いた協力、後援に対し心より
お礼申し上げます。
この度は参加できず、誠に残念ですが、公開講座のご
盛会をお祈りします。
関
やしの実大学学長
篠遠喜彦
46
代
読
笹
川
平
和
財
団
大
平
洋
島
嶼
国
晃 基
典 金
室
長
クリスティーナ・ヒガ (ハワイ大学 ピースサット事業部長)
1969年ハワイ生まれ。約80年前、沖縄浦添からハワイのカウアイ島に開拓民として移民した
祖父母を持つ沖縄系三世。太平洋の島々に衛星で無料の通信を提供するハワイ大学のピースサッ
ト事業に10年以上関わってきた。2002年4月より千葉にあるメディア教育開発センターの客員研
究員として半年間滞在する予定。西表島で開催された第4回「やしの実大学公開講座」に続き八
重山は今回2回目の訪問。
る
私
た
ち
の
多
く
が
、
移
民
、
も
し
く
イ
に
移
民
し
て
き
ま
し
た
。
こ
こ
に
い
父
母
が
約
80
年
前
沖
縄
浦
添
か
ら
ハ
ワ
が
、
私
の
故
郷
は
沖
縄
で
す
。
私
の
祖
ら
皆
さ
ん
も
う
お
わ
か
り
と
思
い
ま
す
私
の
顔
を
見
て
、
ま
た
私
の
名
前
か
と
で
ハ
ワ
イ
で
は
幸
せ
の
星
を
意
味
し
で
す
。
ホ
ク
レ
ア
と
は
天
頂
の
星
の
こ
は
伝
統
的
な
カ
ヌ
ー
の
復
元
を
夢
み
た
る
か
ら
で
す
。
ホ
ク
レ
ア
と
い
う
名
前
あ
り
私
た
ち
の
プ
ラ
イ
ド
に
な
っ
て
い
レ
ア
号
は
ハ
ワ
イ
伝
統
文
化
の
象
徴
で
た
い
と
思
い
ま
す
。
と
い
う
の
は
ホ
ク
ー
ホ
ク
レ
ア
号
に
つ
い
て
お
話
を
し
ら
ク
ッ
ク
諸
島
へ
航
海
し
た
時
に
始
ま
ホ
ク
レ
ア
と
い
う
カ
ヌ
ー
が
ハ
ワ
イ
か
リ
ネ
シ
ア
航
海
協
会
と
は
約
10
年
前
に
て
お
話
し
た
い
と
思
い
ま
す
。
私
と
ポ
に
い
か
に
航
海
す
る
か
と
い
う
こ
と
で
ま 自 代 ヌ す 念 と
こ 大 が ア り ハ
次 し 体 的 ー る な と バ と 航 近 航 着 ワ
の た は 道 の 考 が も イ を 海 代 海 い イ
挑 。 昔 具 復 古 ら に キ 証 を 的 協 た や
戦
の は 元 学 ポ 埋 ン 明 意 な 会 と ポ
は
形 利 は 上 リ 葬 グ す 図 機 の 主 リ
近
に 用 手 の ネ さ の る 的 械 目 張 ネ
代
近 し 間 発 シ れ カ こ に を 的 し シ
的
い た 取 見 ア る ヌ と 計 利 は ま ア
機
も も り も の の ー で 画 用 古 す の
器
の の ま 少 カ で は し し し 代 。 島
を
を の し な ヌ す 彼 た 実 な の ポ 々
用
復 カ た く ー が ら 。 施 く カ リ に
い
元 ヌ 。 、 に 、 の
し て ヌ ネ た
ず
し ー 近 カ 関 残 王
た も ー シ ど
か
の
研
究
者
は
ま
っ
た
く
の
偶
然
で
、
は
多
く
の
議
論
が
さ
れ
ま
し
た
。
何
人
ま
古 す
代 。
ポ
リ
ネ
シ
ア
航
海
術
に
関
し
て
ハ
ー
ブ
・
コ
ネ
と
言
う
人
の
ア
イ
デ
ア
た
こ
と
を
大
変
嬉
し
く
思
い
ま
す
。
今
日
は
、
こ
の
ポ
リ
ネ
シ
ア
の
カ
ヌ
か
な
文
化
遺
産
を
学
ぶ
機
会
を
得
ら
れ
上
げ
ま
す
。
八
重
山
諸
島
の
自
然
と
豊
笹
川
太
平
洋
島
嶼
国
基
金
に
感
謝
申
し
さ
ま
の
暖
か
い
歓
迎
と
ス
ポ
ン
サ
ー
の
い タ し 大
今 ま ー ま 学 皆
回 す に す の さ
の 。 客 。 ク ん
八
員 現 リ こ
重
研 在 ス ん
山
究 千 テ ば
訪
員 葉 ィ ん
問
と の ー わ
に
し 放 ナ 。
あ
て 送 ・ 私
た
滞 教 ヒ は
り
在 育 ガ ハ
、
し セ と ワ
皆
て ン 申 イ
オ
を
結
び
ま
し
た
。
ハ
ワ
イ
の
子
供
た
ち
、
テ
レ
ビ
、
ラ
ジ
利
用
し
て
カ
ヌ
ー
を
航
海
す
る
人
々
と
サ
ッ
ト
と
い
う
ハ
ワ
イ
大
学
の
衛
星
を
り
ま
す
。
私
の
関
わ
っ
て
い
る
ピ
ー
ス
49
今
日
は
ポ
リ
ネ
シ
ア
の
航
海
に
つ
い
ク
リ
ス
テ
ィ
ー
ナ
・
ヒ
ガ
講演
探
検
航
海
私
た
ち
の
遺
産
状
の
系
を
形
成
し
て
い
て
、
琉
球
の
系
ら
マ
リ
ア
ナ
諸
島
に
至
る
一
つ
の
連
鎖
諸
島
、
さ
ら
に
は
北
硫
黄
、
南
硫
黄
か
京
か
ら
1
0
0
0
キ
ロ
の
処
の
小
笠
原
0
キ
ロ
の
八
丈
島
ま
で
の
七
島
と
、
東
い 島 ど ン 建 い
ネ い の 大 て や
行 対
伊 た の を タ 築 う 私 ル て 伝 変 く し 黒 な す
豆 。 流 御 ー 、 テ は ギ 、 統 楽 だ の 島 わ る
諸
人 紹 や 例 ー 、 ー 体 的 し さ 実 の れ 知
島
史 介 、 え マ ﹁ を の な い っ 大 公 る 識
は
の し 八 ば で 島 与 中 踊 一 て 学 民 べ と
、
お 、 丈 新 、 嶼 え が り 時 、 の 館 き 愛
東
話 現 島 島 伊 の て 生 も を 島 一 で も 情
京
な 在 の グ 豆 建 く き 生 過 の 行 は の を
か
ど 執 父 ラ 諸 築 れ 返 き ご 皆 の 、 だ 持
ら
も 筆 の ス 島 と た る 生 し さ 為 牛 と っ
南
さ 中 仕 ア で 文 。 よ き た ん に を 思 て
に
せ の 事 ー の 学
う と 。 た 料 一 っ 正
3
て 八 場 ト 私 ﹂
な し 黒 ち 理 頭 た し
。 く
0
頂 丈 な セ の と
エ て 島 と し
、
欲
し
い
と
願
い
つ
つ
、
黒
島
を
後
に
し
ま
で
も
美
し
く
豊
か
な
場
所
で
あ
っ
て
い
自
然
と
文
化
に
触
れ
、
そ
こ
が
い
つ
つ
な
が
っ
て
行
く
。
先
島
諸
島
の
美
し
知
る
こ
と
は
海
と
世
界
を
知
る
事
に
も
一
つ
一
つ
の
島
々
の
文
化
と
歴
史
を
た を う
。 始 に
め な
て り
平 、
和 幕
的 末
に
な は
共 日
存 本
が 人
計 が
ら 入
れ 植
後
ア
メ
リ
カ
人
と
ハ
ワ
イ
人
が
住
む
よ
8
2
6
年
か
ら
イ
ギ
リ
ス
人
が
、
そ
の
て
世
界
に
知
れ
渡
っ
て
い
た
の
だ
。
1
人
島
が
な
ま
っ
て
ど
の
捕
鯨
船
の
薪
水
補
給
港
と
し
と て
し 無
Bonin Island
す し は
。 い 海
生 を
活 渡
を り
築 新
い し
い
て 土
き 地
た を
と 求
思 め
い 、
ま 新
普通大きな島が文化の発祥の地でその影響力が小さな島々に
及ぶといった構図が見られることも多いのだが、琉球では、
むしろ小さな島々が文化的な原型となる「種子」を育んでい
て、本島や大きな島で様々な「種子」が移植され発展して
「森」のようになるという総合過程を経ている……
タ
ケ
ッ
ト
か
ら
来
る
年
間
6
0
0
隻
ほ
部
の
ニ
ュ
ー
ベ
ッ
ド
フ
ォ
ー
ド
と
ナ
ン
ア
メ
リ
カ
ニ
ュ
ー
イ
ン
グ
ラ
ン
ド
北
東
ほ
ど
重
視
さ
れ
な
か
っ
た
こ
の
島
は
、
人
島
の
ま
ま
だ
っ
た
江
戸
幕
府
か
ら
さ
所
領
と
さ
れ
た
が
、
入
植
は
進
ま
ず
無
間
に
、
信
州
深
志
城
主
小
笠
原
貞
頼
の
と
い
う
も
の
は
、
本
当
に
そ
の
場
所
に
小
笠
原
島
は
、
16
世
紀
末
の
文
禄
年
印
象
を
新
た
に
し
た
。
テ
レ
ビ
の
報
道
豊
か
で
自
然
の
恵
み
の
あ
る
島
と
い
う
が
、
今
は
島
の
皆
さ
ん
の
努
力
で
大
変
と
い
う
先
入
観
を
抱
い
て
し
ま
っ
た
と
聞
く
と
何
か
過
酷
な
自
然
と
戦
う
島
た
も
の
だ
っ
た
。
そ
の
た
め
か
、
黒
島
地
と
カ
ラ
ス
の
襲
撃
と
戦
う
姿
を
描
い
歴
史
な
ど
を
ご
紹
介
し
た
。
だ
っ
た
の
で
、
そ
の
頃
の
小
笠
原
島
の
代
の
文
政
か
ら
天
保
に
か
け
て
の
時
代
が
今
調
べ
て
い
る
歴
史
が
1
8
0
0
年
海
道
の
一
つ
と
な
っ
て
い
る
。
丁
度
私
南
へ
至
る
二
つ
の
重
要
な
海
洋
文
明
の
と
も
異
な
る
、
日
本
列
島
か
ら
見
れ
ば
た
。
︱
海
洋
文
化
48
太平洋の文化圏
オーストロネシア人とポリネシア人の移
住経路
篠遠喜彦(Y.H. Sinoto)2000
Bishop Museum, Honolulu
アジア
北太平洋
北米
1976年、ホクレア号のハワイからタヒチへの航海が成功しま
した。指導者マウ・ピアイグルは太陽、月、星、風、そして
波をよみながら、また伝統の航海術を駆使しました……
日本
小笠原
ミッドウェイ
沖縄
台湾
シア
カロリン
パラウ
ボルネオ
ロネ
グアム
ヤップ
インドネシア
ハワイ
ミク
フィリピン
スマトラ
マーシャル
メラネシア
ニューギニア
ソロモン
マルケサス
ジャワ
サモア
タヒティ
ヴァヌアツ
ツアモツ
フィジー
オーストラリア
トンガ
オーストラル
クック
ニューカレドニア
マンガレヴァ
ピトケルン
南米
ア
ネシ
ポリ
ニュージーランド
南太平洋
に
海
洋
文
化
、
航
海
の
文
化
の
中
に
私
も
つ
な
が
っ
て
い
る
と
思
い
ま
す
。
特
重
山
の
固
有
の
文
化
は
環
境
の
保
護
に
る
こ
と
を
知
り
ま
し
た
。
ハ
ワ
イ
と
八
う
に
神
が
全
て
の
自
然
に
や
ど
っ
て
い
重
山
を
訪
れ
た
時
、
ハ
ワ
イ
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同
じ
よ
界
を
行
き
来
し
て
い
る
。
以
前
私
が
八
し
、
自
由
に
現
実
の
世
界
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精
神
の
世
地
に
、
海
に
あ
ら
ゆ
る
と
こ
ろ
に
存
在
あ
る
神
々
、
祖
先
の
精
神
は
空
に
、
大
と
は
な
い
と
信
じ
て
い
る
。
創
造
主
で
と
祖
先
か
ら
決
し
て
引
き
離
さ
れ
る
こ
で 世 っ に ー 千 る を 航 意
ハ あ 界 た 少 で マ 家 可 海 味 オ
ワ る に 。 し 行 イ 族 能 者 す ハ
イ 。 は な も っ ル は に 達 る ナ
の
何 ぜ 危 た も 自 し に ︶ ︵
人
の な 険 。 の 然 た 見 の ポ
々
壁 ら を オ 航 と 。 知 存 リ
は
も 精 感 ハ 海 神 こ ら 在 ネ
自
存 神 じ ナ を 々 の ぬ が シ
在 世 る は 双 に 航 土 ポ ア
分
し 界 こ こ 胴 守 海 地 リ 語
達
な と と の 帆 ら を へ ネ で
の
い 現 は 大 走 れ 共 の シ 家
創
か 実 な 航 カ て に 航 ア 族
造
ら の か 海 ヌ 何 す 海 の を
主
謝
し
ま
す
。
51
皆
さ
ん
の
暖
か
い
歓
迎
を
心
か
ら
感
味
を
持
っ
て
い
ま
す
。
と
れ
た
生
活
を
営
む
上
で
も
重
要
な
意
く
、
環
境
問
題
、
健
康
、
バ
ラ
ン
ス
の
価
値
観
を
再
認
識
す
る
だ
け
で
は
な
の
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
に
と
っ
て
ハ
ワ
イ
の
ネ
シ
ア
航
海
の
復
興
は
今
日
の
ハ
ワ
イ
う
と
し
て
い
る
点
で
重
要
で
す
。
ポ
リ
ア
・
リ
ン
ド
︱
シ
ア
の
航
海
﹄
︱
セ
シ
リ
ア
・
カ
プ
﹃
オ
ハ
ナ
︵
家
族
︶
の
精
神
と
ポ
リ
ネ
で
ご
紹
介
さ
せ
て
い
た
だ
き
ま
す
。
統
文
化
を
学
び
さ
ら
に
そ
れ
を
育
て
よ
じ
価
値
観
を
土
台
に
多
く
の
人
々
が
伝
守
る
た
め
に
人
々
が
協
力
し
、
ま
た
同
ホ
ク
レ
ア
号
の
復
興
は
伝
統
文
化
を
し
ま
し
た
。
伝
統
的
航
海
術
は
自
分
の
な
が
ら
、
ま
た
伝
統
の
航
海
術
を
駆
使
も
の
で
す
が
重
要
な
こ
と
だ
と
思
う
の
た
こ
と
の
な
い
私
に
は
理
解
で
き
な
い
得
る
こ
と
が
で
き
、
そ
の
後
こ
れ
ら
の
航
海
の
成
功
に
よ
り
多
く
の
情
報
を
す
る
と
確
信
し
ま
す
。
た
ち
の
共
通
点
は
ま
だ
ま
だ
多
く
存
在
存
在
し
ま
す
。
そ
れ
は
航
海
を
経
験
し
ま
た
カ
ヌ
ー
に
は
精
神
的
な
も
の
が
陽
、
月
、
星
、
風
、
そ
し
て
波
を
よ
み
た
。
指
導
者
マ
ウ
・
ピ
ア
イ
ル
グ
は
太
か
ら
タ
ヒ
チ
へ
の
航
海
が
成
功
し
ま
し
1
9
7
6
年
ホ
ク
レ
ア
号
の
ハ
ワ
イ
る
そ
う
で
す
。
彼
ら
は
沖
縄
に
も
航
海
す
る
計
画
が
あ
ア
ラ
ス
カ
に
も
航
海
を
試
み
ま
し
た
。
ち
に
と
っ
て
も
同
じ
こ
と
で
す
。
め
ら
れ
ま
す
。
こ
れ
は
島
に
住
む
私
た
の
上
の
資
源
に
注
意
を
払
う
こ
と
を
求
育
者
と
し
て
活
動
し
て
い
ま
す
。
リ
ネ
シ
ア
の
人
々
に
伝
統
を
伝
え
、
教
来
初
め
て
の
航
海
者
と
し
て
育
ち
、
ポ
ソ
ン
が
ポ
リ
ネ
シ
ア
の
歴
史
5
0
0
年
ハ
ワ
イ
の
生
徒
、
ナ
イ
ノ
ア
・
ト
ン
プ
海
岸
、
リ
テ
ィ
ッ
シ
ュ
コ
ロ
ン
ビ
ア
、
ク
ッ
ク
諸
島
、
マ
ル
ケ
サ
ス
諸
島
、
西
も
、
サ
モ
ア
、
ト
ン
ガ
、
マ
ン
ガ
レ
バ
、
ニ
ュ
ー
ジ
ー
ラ
ン
ド
、
ハ
ワ
イ
以
外
に
ア
大
三
角
形
を
結
ぶ
、
イ
ー
ス
タ
ー
島
、
っ 島 リ 忘 航 ア 次 え 伝 を
す 船 は 航 な 夜 慎 全
ホ た 々 ネ れ 海 号 の ま 統 提 こ 。 の 船 海 い 、 重 感
ク 。
方 体 を 時 雲 に 覚
﹂ の シ ら の の 様 し 文 供 の
レ
人 ア れ 成 ハ に た 化 し 航
向 の し 、 が 観 を
ア
々 文 て 功 ワ 述 。 の た 海
が 下 ま 航 現 察 使
号
を 化 き 、 イ べ ポ 復 だ は
わ の す 海 れ す う
は
結 の た そ か て リ 興 け 研
か 波 。 者 天 る こ
そ
び 豊 航 れ ら い ネ に で 究
る の マ は 体 こ と
の
つ か 海 は タ ま シ 大 な 者
と う ウ 波 の と と
後
け さ 術 何 ヒ す ア き く に
言 ね ・ と サ が 周
、
る と の 百 チ 。 航 な 、 多
わ り ピ 風 イ 大 り
ポ
こ 太 復 年 の ﹁ 海 契 ハ く
れ を ア を ン 切 の
リ
と 平 興 も 往 ホ 協 機 ワ の
て よ イ よ が で 自
ネ
と 洋 が の 復 ク 会 を イ 情
い ん ル ん 使 す 然
シ
な の ポ 間 の レ は 与 の 報
ま で グ で え
を
。
互
い
を
尊
重
し
、
責
任
を
果
た
し
、
船
に
隔
て
ら
れ
存
在
し
ま
す
。
航
海
者
は
ヌ
ー
も
島
も
限
ら
れ
た
資
源
と
人
で
海
が
住
む
﹁
島
﹂
に
例
え
ら
れ
ま
す
。
カ
カ
ヌ
ー
は
私
が
住
む
、
ま
た
皆
さ
ん
発
見
す
る
こ
と
に
努
め
て
い
ま
す
。
て
く
れ
ま
し
た
。
そ
し
て
現
在
、
彼
の
す
る
こ
と
で
、
伝
統
文
化
の
価
値
を
再
シ
ア
の
人
々
に
教
え
る
こ
と
を
了
承
し
識
を
ハ
ワ
イ
の
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
と
共
有
他
人
に
は
教
え
な
い
航
海
術
を
ポ
リ
ネ
リ
ネ
シ
ア
航
海
協
会
は
航
海
で
得
た
知
う 世 ま ら し と こ の っ を 諸 ヌ シ 存
マ で 代 り れ た し の カ た 頼 島 ー ア 在
ウ す へ で た そ て カ ヌ 時 み の の 航 し
・ 。 着 す 人 う サ ヌ ー こ ま マ 指 海 て
ピ
実 が 々 で イ ー を の し ウ 導 協 い
ア
に 、 に す パ を 見 マ た ・ を 会 な
イ
受 こ し 。 ン 使 せ ウ 。 ピ し は か
ル
け の か こ か い て さ 私 ア て ミ っ
グ
継 よ 伝 れ ら 学 も ん が イ い ク た
は
が う え ら ヤ 校 ら の サ ル る ロ た
本
れ に ら の ッ 教 い 甥 イ グ カ ネ め
来
て 世 れ 伝 プ 育 ま か パ 氏 ロ シ 、
な
い 代 な 統 に の し ら ン に ラ ア ポ
ら
る か い は 航 一 た 小 に 指 イ で リ
ば
よ ら 決 限 海 環
型 行 導 ン カ ネ
。
い
て
話
し
会
う
機
会
も
持
ち
ま
す
。
ポ
50
を
訪
ね
子
供
た
ち
と
実
際
に
航
海
に
つ
ま
す
。
航
海
の
後
、
航
海
者
達
が
学
校
様
子
を
知
り
、
質
問
す
る
こ
と
も
で
き
タ
ー
ネ
ッ
ト
な
ど
で
受
信
し
、
航
海
の
生
徒
達
は
航
海
中
の
情
報
を
毎
日
イ
ン
算
数
、
科
学
と
き
り
が
あ
り
ま
せ
ん
。
ま
す
。
そ
れ
は
ハ
ワ
イ
の
言
葉
、
地
理
、
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か
ら
多
く
の
ハ
ワ
イ
の
文
化
が
学
べ
カ
ヌ
ー
の
勉
強
を
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て
い
ま
す
。
カ
ヌ
ー
ン
ネ
ッ
ト
や
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デ
オ
会
議
を
利
用
し
現
在
ハ
ワ
イ
の
子
供
た
ち
は
イ
ン
タ
で
カ
ヌ
ー
を
製
作
し
て
い
ま
す
。
ハ
ワ
イ
の
島
々
の
各
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
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育
に
役
立
て
ら
れ
て
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ま
す
。
今
で
は
す
。
航
海
術
は
既
に
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シ
ア
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は
情
報
が
ハ
ワ
イ
の
コ
ミ
ュ
ニ
テ
ィ
の
教
砂川哲雄(すながわ てつお)
1946年生まれ。沖縄県立図書館八重山分館長・八重山文化研究会会員・八重山地名研究会会
員・石垣市史編集委員
が 山 づ
分 で き
か の に
り 歌 な
ま 謡 る
す 数 と
。 が 思
た 多 い
だ い ま
し と す
、 い が
こ う 、
れ こ 八
ら と 重
レ
ジ
メ
を
ご
覧
い
た
だ
け
れ
ば
お
気
う
対
句
が
あ
り
ま
す
。
こ
め
て
亀
百
こ
め
て
﹂
と
い
歌
謡
で
す
。
こ
の
中
で
﹁
ざ
ん
百
り
み
ぢ
へ
り
き
よ
が
ふ
し
﹂
と
い
う
さ
う
し
﹂
中
の
﹁
う
ち
い
で
は
と
ま
﹁
巻
第
十
一
首
里
ゑ
と
の
お
も
ろ
御
い
ま
す
。
そ
の
一
つ
を
あ
げ
ま
す
と
そ
の
中
に
も
い
く
つ
か
収
め
ら
れ
て
し
た
歌
謡
集
全
二
十
二
巻
の
こ
と
で
、
と
い
う
の
は
首
里
王
府
が
一
五
三
二
年
か
ら
一
六
二
三
年
に
か
け
て
編
纂
62
︶
。
こ
の
中
で
﹁
お
も
ろ
さ
う
し
﹂
歌
謡
を
紹
介
し
て
お
き
ま
し
た
︵
P
と
に
し
ま
す
。
レ
ジ
メ
に
各
地
域
の
れ
た
ジ
ュ
ゴ
ン
に
つ
い
て
述
べ
る
こ
の
琉
球
弧
に
伝
わ
る
古
歌
謡
に
謡
わ
る
奄
美
諸
島
か
ら
八
重
山
諸
島
ま
で
ま
ず
初
め
に
南
島
歌
謡
、
い
わ
ゆ
■
古
歌
謡
に
謡
わ
れ
た
ジ
ュ
ゴ
ン
だ
け
に
い
た
し
ま
す
。
部
分
に
限
っ
て
か
ん
た
ん
に
ふ
れ
る
ご
覧
下
さ
い
。
私
の
ほ
う
は
必
要
な
れ
る
予
定
で
す
か
ら
そ
の
時
に
ま
た
こ
の
大
学
の
報
告
書
で
詳
し
く
書
か
や
す
く
書
い
て
あ
り
ま
す
し
、
後
日
ジュゴンに関する歌謡のモティーフは基本的に航海
安全です。よく知られた新城島の「ざんとぅるジラ
バ」などは、ジュゴン漁のための網作りから捕獲ま
での様子を、八重山歌謡独特の、おおらかなエロテ
ィシズムとユーモアをまじえて謡っています……
砂
川
哲
雄
の
と
き
海
が
荒
れ
る
ぞ
、
助
け
た
ら
を 食
食 べ
べ よ
た う
ら と
主 言
人 う
の 女
首 に
里 対
へ し
の 、
航 自
海 分
は
浜
に
上
が
っ
た
ジ
ュ
ゴ
ン
を
早
く
い
ま
す
。
い
っ
ぽ
う
、
別
の
歌
謡
で
ム
と
ユ
ー
モ
ア
を
ま
じ
え
て
謡
っ
て
の
ち
に
述
べ
る
ジ
ュ
ゴ
ン
の
漁
獲
数
せ
て
い
ま
せ
ん
。
こ
れ
は
お
そ
ら
く
、
地
域
で
は
そ
れ
ほ
ど
の
広
が
り
を
見
思
い
ま
す
。
八
重
山
を
除
く
ほ
か
の
も
身
近
な
存
在
だ
っ
た
と
言
え
る
と
人
び
と
に
と
っ
て
、
他
の
地
域
よ
り
と
い
う
こ
と
は
、
ザ
ン
が
八
重
山
の
る
地
域
が
広
範
囲
に
広
が
っ
て
い
る
フ
の
も
の
で
す
。
そ
れ
で
も
謡
わ
れ
の
歌
謡 は
ほ
と
ん
ど
同
じ
モ
テ
ィ
ー
り
ま
す
。
た
だ
、
ジ
ュ
ゴ
ン
の
こ
と
を
確
か
に
南
西
諸
島
に
は
人
魚
伝
説
が
あ
人
魚
伝
説
を
連
想
す
る
と
思
い
ま
す
。
に
、
ジ
ュ
ゴ
ン
と
い
え
ば
み
な
さ
ん
は
べ
る
の
で
は
な
い
で
し
ょ
う
か
。
同
時
亀
が
同
じ
捕
獲
網
に
か
か
っ
た
こ
と
そ す う
ら 。 に
く こ よ
、 れ く
ザ は 亀
ン な と
を ぜ 対
捕 で 句
獲 し で
す ょ 表
る う 現
と か さ
き 。 れ
に お ま
、
ゴ
ン
は
﹁
ザ
ン
・
カ
ミ
﹂
と
い
う
ふ
す あ た ち た ゥ ン ァ ン あ つ 海 桃とう て な
り け 上 里ざと き く
と 。 る は ま り ﹂
、 ー ギ
こ ニ す が す ツ マ ョ ま て に 東 ま 、
こ
と ン 。 あ な ミ デ を す 捕 浮 の す ニ
ろ
を ギ こ る わ ウ ィ 舟 。 ら い 港 。 ン
で
示 ョ れ と ち キ ン に こ え て 口 そ ギ
、
し が な 言 孫 ル 乗 の よ い に
歌
ョ
の
て 海 ど わ 以 ン 七 せ と う た 通
謡
と
中
い を も れ 下 デ 代 た き と ニ り
の
い
る 司 ジ て 七 ナ ら 、 す ン か で う
中
と る ュ 、 代 イ ル 、
で
﹁ も る ギ か 、 言
言 も ゴ 解 ま ジ マ マ し 場 ョ っ 石 葉
は
え の ン き で ワ デ ー も 面 を た 垣 が
ジ
ま で ま 放 た ド ィ フ ニ が 見 際
ュ
、 島 出
か
ユ
ン
グ
ト
ゥ
﹂
に
は
、
ザ
ン
で
は
事
歌
謡
で
あ
る
﹁
ぱ
い
ふ
た
ふ
ん
た
で
島
々
を
め
ぐ
る
内
容
の
長
大
な
叙
す
。
こ
こ
黒
島
に
伝
わ
る
新
し
い
舟
え
ら
れ
て
い
る
こ
と
が
理
解
で
き
ま
司
る
も
の
と
し
て
ジ
ュ
ゴ
ン
が
と
ら
類
歌
と
比
較
す
る
と
、
航
海
安
全
を
て
あ
げ
よ
う
、
な
ど
と
謡
う
よ
う
に
、
す
い
す
い
と 旅
が
で
き
る
よ
う
に
し
ま
ず
八
重
山
側
に
は
十
八
世
紀
か
ら
然
科
学
関
係
は
こ
こ
で
は
除
き
ま
す
。
か
、
主
な
も
の
を
あ
げ
て
み
ま
す
。
自
文
献
に
は
ど
の
よ
う
な
も
の
が
あ
る
の
こ
の
沖
縄
の
ジ
ュ
ゴ
ン
に
つ
い
て
の
が
こ
こ
で
は
省
略
い
た
し
ま
す
。
こ
て
も
大
事
な
こ
と
だ
と
思
わ
れ
ま
す
津
波
・
人
魚
に
関
す
る
伝
説
の
モ
テ
ジ
ュ
ゴ
ン
に
関
す
る
歌
謡
や
伝
承
と
、
いき
ま
るし
ゃっ
とば
た
いく
言え
じ
っゅ
別
ん
て だ
お と
り 古
ま 老
す か
。 ら
こ 聞
れ い
は て
、
か
、
と
い
う
研
究
者
も
い
ま
す
。
て
い
た
こ
と
に
も
よ
る
の
で
は
な
い
神
の
乗
り
物
と
し
て
も
あ
が
め
ら
れ
す
。
ま
た
、
ジ
ュ
ゴ
ン
や
海
亀
は
海
に
多
か
っ
た
と
推
測
で
き
る
か
ら
で
生
息
数
は
ジ
ュ
ゴ
ン
よ
り
も
圧
倒
的
す
。
の
ち
ほ
ど
述
べ
ま
す
が
、
亀
の
が
多
か
っ た
こ
と
も
あ
る
と
思
い
ま
が
、
講
座
の
リ
ー
フ
レ
ッ
ト
に
分
か
り
八 に
重 あ
山 る
博 ジ
物 ュ
館 ゴ
の ン
の
・ 記
得とく 録
能のう に
壽とし つ
美み い
さ て
ん は
出
て
ま
い
り
ま
す
。
こ
の
古
文
書
な
ど
も
細
か
い
記
述
を
含
め
れ
ば
け
っ
こ
う
ィ
ー
フ
の
違
い
を
考
え
る
う
え
で
と
特
の
、
お
お
ら
か
な
エ
ロ
テ
ィ
シ
ズ
の
喜
び
の
様
子
を
、
八
重
山
歌
謡
独
喜
舎
場
永
は
ジ
ュ
ゴ
ン
と
人
魚
は
漁
の
た
め
の
網
作
り
か
ら
捕
獲
ま
で
一
つ
だ
け
付
け
加
え
て
お
き
ま
す
と
、
ぅ
る
ジ
ラ
バ
﹂
な
ど
は
、
ジ
ュ
ゴ
ン
テ
ィ
ー
フ
は
津
波
災
害
の
予
知
で
す
。
よ
く
知
ら
れ
た
新
城
島
の
﹁
ざ
ん
と
波
伝
説
と
重
な
っ
て
お
り
、
そ
の
モ
ー
フ
は
基
本
的
に
航
海
安
全
で
す
。
度
お
読
み
下
さ
い
。
人
魚
伝
説
は
津
ジ
ュ
ゴ
ン
に
関
す
る
歌
謡
の
モ
テ
ィ
に
は
大
体
の
っ
て
お
り
ま
す
の
で
一
は
、
西
表
島
に
関
連
す
る
も
の
で
す
。
ご
存
じ
な
い
方
は
、
民
話
関
係
の
本
古
島
で
も
ジ
ュ
ゴ
ン
に
関
す
る
歌
謡
略
い
た
し
ま
す
。
ち
な
み
に
、
も
し
53
よ
く
謡
わ
れ
て
い
ま
す
。
ま
た
、
宮
く
知
っ
て
い
る
と
思
い
ま
す
の
で
省
ス
ク
な
ど
の
ほ
か
の
魚
類
の
ほ
う
が
り
ま
す
が
、
こ
れ
は
み
な
さ
ん
も
よ
は
ジ
ュ
ゴ
ン
よ
り
も
亀
、
タ
マ
ン
、
人
魚
伝
説
﹂
を
は
じ
め
い
く
つ
か
あ
た
と
え
ば
沖
縄
本
島
や
そ
の
周
辺
で
と
も
関
係
が
あ
る
と
思
わ
れ
ま
す
。
ュ
ゴ 次
ン に
の 人
関 魚
係 伝
で 説
す ・
が 津
、
﹁ 波
野のば 伝
原るざ 説
崎き と
の ジ
■
ジ
ュ
ゴ
ン
の
伝
説
れ
て
い
た
と
言
わ
れ
る
話
を
思
い
浮
か
人にん 焼
頭とう と
税ぜい 共
と に
し 、
て か
首
里 つ
王 て
府 ジ
に ュ
納 ゴ
め ン
ら が
く
る
豊
年
祭
︵
旧
暦
6
月
︶
や
パ
ナ
リ
り
ま
せ
ん
。
く
つ
か
あ
り
ま
す
が
、
ま
だ
よ
く
分
か
る 義
動 に
物 つ
の い
犀さい て
に は
似 、
て 事
い 典
る な
か ど
ら に
だ 出
と て
い く
す
。
な
ぜ
ザ
ン
と
言
う
の
か
、
そ
の
語
ル
カ
の
こ
と
だ
と
い
う
辞
典
も
あ
り
ま
り
ま
す
。
も
ち
ろ
ん
、
以
上
の
ほ
か
に
は 記
﹁ち 録
中ゅう な
山ざん ど
伝でん が
信しん あ
録ろく り
﹂ ま
な す
ど 。
い 中
く 国
つ 資
か 料
あ で
雑
記
﹂
を
は
じ
め
と
す
る
視
察
・
調
査
さ
う
し
﹂
や
明
治
・
大
正
期
の
沖
縄
県
び
周
辺
離
島
で
は
、
歌
謡
集
﹁
お
も
ろ
う
よ
う
な
、
い
い
加
減
な
も
の
な
ど
い
新
城
島
と
い
え
ば
間
も
な
く
や
っ
て
統
計
、
県
外
で
は
明
治
期
の
﹁
琉
球
藩
■
ジ
ュ
ゴ
ン
に
つ
い
て
の
文
献
き
ま
す
。
こ
と
を
、
あ
ら
か
じ
め
お
断
り
し
て
お
る
程
度
に
な
る
か
も
し
れ
な
い
と
い
う
す
。
時
に
は
省
略
し
た
り
、
軽
く
ふ
れ
述
べ
る
こ
と
は
不
可
能
だ
と
思
い
ま
で
す
べ
て
の
項
目
に
つ
い
て
き
ち
ん
と
意
し
ま
し
た
が
、
与
え
ら
れ
た
時
間
内
砂
川
で
す
。
い
ち
お
う
レ
ジ
メ
を
用
い
う
言
葉
が
あ
り
ま
す
が
、
そ
れ
は
イ
し
ま
す
。
与
那
国
島
で
は
ピ
ッ
ト
ゥ
と
古
歌
謡
な
ど
に
も
ザ
ノ
と
謡
わ
れ
た
り
ザ
ン
と
の
こ
と
︶
、
ま
た
沖
縄
本
島
の
新
城
島
や
西
表
島
で
は
ザ
ノ
︵
発
音
は
で ン
あ ぬ
り 魚
、 ︵
表 イ
記 ユ
も ︶
海かい と
馬ば 呼
と ぶ
書 の
き が
ま 一
す 般
的
。
南
西
諸
島
の
言
葉
で
は
ザ
ン
ま
た
は
ザ
帳
﹂
な
ど
が
あ
り
ま
す
。
沖
縄
本
島
及
紀
に
ま
と
め
ら
れ
た
﹁
八
重
山
島
諸
記
﹁し ﹁
き
諸ょも 仕し 規も 親
物のだ の 模ちょ 方
代いつ 上ぼせ 帳う の
付けち 世れ ﹂ そ
帳ょう い
れ
ちと
﹂
、 例ょ そ ぞ
ま 帳う
れ
た ﹂ れ の
同 ﹁ に ﹁
し
じ
ょ付
く 諸しま 随 八
重
十 締り
八 帳ちょ す 山
世 ﹂う る 島
52
た 十
与よせ 九
世や 世
山ま 紀
う
親えー に
方かた か
け
・ て
お
翁な 何
長が 度
親 か
方 布
・ 達
富とみ さ
川がわ れ
講演
新
城
島
と
ジ
ュ
ゴ
ン
︵
ザ
ン
︶
︱
そ
の
盛
衰
の
歴
史
介 と
の い
調 う
査 、
報 農
告 務
も 省
あ 技
り 師
ま ・
す 松
が 原
、 新
そ 之
物
と
し
て
漁
民
に
捕
獲
を
命
じ
た
﹂
府
か
ら
徳
川
幕
府
や
中
国
へ
の
貢
ぎ
介
し
て
い
る
﹁
旧
藩
時
代
に
首
里
王
納な 可 せ
か
寛んじ 能 ん
惇ゅん 性 し
が は 、
﹁ 低 そ
新 い の
南 と 収
島 思 穫
風 い 量
土 ま か
記 す ら
﹂ 。ひ 言
で 東がし っ
紹 恩おん て
ま
で
の
研
究
で
は
確
認
さ
れ
て
い
ま
か
と
い
う
こ
と
に
つ
い
て
も
、
こ
れ
外
貿
易
の
品
目
と
し
て
い
た
か
ど
う
ま
た
、
首
里
王
府
が
ジ
ュ
ゴ
ン
を
海
あ
り
ま
せ
ん
。
は
現
存
し
ま
せ
ん
の
で
知
る
よ
し
が
れ
ま
せ
ん
が
、
肝
心
の
そ
の
規
模
帳
の
﹁
規
模
帳
﹂
に
ま
で
遡
る
か
も
し
リ 八
信 重
仰 山
を に
禁 来
止 島
し し
た て
あ イ
の リ
恩おん キ
納な ヤ
親 ア
方 マ
こ べ
と ら
と れ
同 ず
じ 、
で 粟
す な
。 ど
を
食
べ
て
い
た
う
ど
米
を
作
っ
た
農
民
が
自
ら
は
食
べ
ら
れ
な
か
っ
た
は
ず
で
す
。
ち
ょ
か
ら
は
新
城
島
の
人
た
ち
自
身
は
食
で
す
か
ら
、
御
手
形
が
発
行
さ
れ
て
ジ
ュ
ゴ
ン
は
首
里
王
府
へ
の
御
用
物
る
こ
と
が
で
き
る
﹂
と
。
捕
獲
し
た
に
か
か
わ
る
大
事
で
あ
っ
た
か
を
知
時
、
こ
の
こ
と
が
い
か
に
島
の
浮
沈
建
立
し
て
神
に
祈
る
姿
を
想
像
す
る
し
て
も
、
捕
獲
を
神
事
と
し
、
嶽
を
当
と
い
う
ほ
か
な
い
が
、
新
城
島
に
け
る
と
い
う
こ
と
は
、
ま
っ
た
く
不
そ
の
捕
獲
を
小
島
の
住
民
に
義
務
づ
海
の
動
物
を
人
頭
税
の
対
象
と
し
、
あ
ナ り
ナ ま
ゾ す
ウ 。
と
い
う
の
は
下
地
の
遺
そ
こ
に
は
今
で
も
ジ
ュ
ゴ
ン
の
骨
が
の
豊
漁
祈
願
を
行
っ
て
い
ま
し
た
。
同
じ
く
ジ
ュ
ゴ
ン
の
骨
を
祭
り
、
そ
下
地
の
七
門
御
嶽
も
ア
ー
ル
オ
ン
と
に
ワ
ン
と
発
音
し
て
い
ま
す
。
こ
の
御
嶽
の
こ
と
を
小
浜
島
と
同
じ
よ
う
異
な
り
ま
す
。
で
す
か
ら
下
地
で
は
か
ら
と
、
豊
年
祭
の
伝
来
ル
ー
ト
が
小
浜
島
か
ら
、
上
地
は
西
表
島
古
見
承
知
か
も
し
れ
ま
せ
ん
が
、
下
地
は
か
呼
ば
れ
、
七
門
と
あ
て
ま
す
。
ご
ナ
ナ
ゾ
ウ
ワ
ン
と
か
イ
シ
ョ
ワ
ン
と
ン
の
骨
を
祀
る
御
嶽
が
あ
り
ま
す
。
か 豊
ら 漁
隣 を
の 祈
下しも 願
地じ し
に た
も わ
同 け
じ で
く す
ジ 。
ュ そ
ゴ れ
そ
う
い
う
島
の
人
び
と
の
ジ
ュ
ゴ
ン
物
を
た
く
さ
ん
許
し
﹂
と
祈
る
の
も
揚
げ
も
の
を
た
く
さ
ん
許
し
、
寄
り
謡
っ
た
奄
美
大
島
の
オ
モ
リ
に
﹁
あ
れ
て
い
た
は
ず
で
す
。
ジ
ュ
ゴ
ン
を
す
な
わ
ち
神
か
ら
の
贈
り
物
と
思
わ
で
す
か
ら
ジ
ュ
ゴ
ン
は
寄
り
物
・
数
は
は
る
か
に
少
な
か
っ
た
の
で
す
。
も
、
他
の
海
の
幸
に
比
べ
れ
ば
そ
の
城
近
海
に
数
多
く
現
れ
た
と
い
っ
て
も
の
で
す
。
か
っ
て
ジ
ュ
ゴ
ン
は
新
て
い
た
か
、
と
い
う
こ
と
を
物
語
る
っ
て
、
い
か
に
大
き
な
比
重
を
占
め
が
、
新
城
島
の
人
び
と
の
生
活
に
と
へ
の
御
用
物
と
し
て
の
ジ
ュ
ゴ
ン
漁
が
あ
る
と
い
う
こ
と
は
、
首
里
王
府
へ
の
思
い
を
あ
ら
わ
し
た
も
の
だ
と
55
う
に
述
べ
て
い
ま
す
。
﹁
出
没
不
定
な
い い
は る
一 こ
六 と
七 か
八 ら
年 推
、 測
仕しお す
置き る
の と
た 、
め あ
に る
重
山
島
規
模
帳
﹂
な
ど
に
記
さ
れ
て
物
と
な
っ
た
の
か
は
不
明
で
す
。
﹁
八
ジ
ュ
ゴ
ン
が
い
つ
か
ら
王
府
の
御
用
い
て
あ
り
ま
す
。
と
ま
ず
、
国
王
に
捧
げ
る
﹂
と
、
書
は
得
が
た
い
も
の
で
、
つ
か
ま
え
る
体
は
魚
の
よ
う
だ
が
鱗
は
な
く
、
肉
れ
て
い
る
の
か
、
と
い
う
こ
と
に
は
う
こ
と
を
述
べ
て
い
ま
す
。
た
だ
し
、
て
新
城
村
だ
け
に
課
せ
ら
れ
た
と
い
四
十
八
種
目
の
御
用
物
の
一
つ
と
し
︵
物
産
税
︶
で
あ
っ
た
と
い
う
こ
と
、
ジ 場
ュ 先
ゴ 生
ン ・
が 牧
付 野
加 先
税 生
で の
あ お
る 二
上うわ 人
木き は
税
、
し
ふ ゃは 舎
れ ば じ 場
て えいめ 永
い じゅんと
ま し ・
す まて 牧
。 きの、 野
た きよ多 清
と しく な
え の ど
ば 研 の
、 究 先
喜 者 学
舎 がき を
で
も
引
き
継
い
で
お
り
ま
す
し
、
喜
い
て
は
島
の
方
々
も
そ
の
伝
承
を
今
言
わ
れ
て
い
ま
す
。
こ
の
こ
と
に
つ
税
と
し
て
新
城
島
に
課
せ
ら
れ
た
と
課
台
帳
、
そ
の
他
の
沖
縄
の
租
税
の
ろ
確
か
め
ら
れ
ま
せ
ん
。
人
頭
税
賦
的
に
記
さ
れ
た
も
の
は
現
在
の
と
こ
ら
ジ
ュ
ゴ
ン
が
上
木
税
と
し
て
具
体
文
書
の
記
録
の
う
え
で
は
残
念
な
が
具
体
的
に
ふ
れ
て
お
り
ま
せ
ん
。
古
れ
を
裏
付
け
る
史
料
は
残
念
な
が
ら
い
ま
す
。
問
題
は
こ
の
御
用
物
が
上
い
て
は
研
究
者
や
伝
承
と
一
致
し
て
と
で
す
。
で
す
か
ら
、
こ
の
点
に
つ
新
城
村
に
限
ら
れ
て
い
た
と
い
う
こ
て
納
め
て
い
た
こ
と
、
そ
の
捕
獲
は
ュ
ゴ
ン
は
首
里
王
府
の
御
用
物
と
し
ま い 守 な 以 納 は こ ﹁ ま 今 望 ち 城 次 重
こ す く ら ら 外 税 新 う 富 た 後 さ ジ 村 の 山 一
の 。 つ れ な か 指 城 も 川 、 は れ ュ は よ 島 七
親
記
か て い ら 令 村 あ 方 そ 御 て ゴ 諸 う 規 六
録
似 い こ 所 書 に り 八 れ 用 村 ン 役 な 模 八
か
た な と 望 を 限 ま 重 か 以 の や 人 記 帳 年
ら
外 悩 亀 か 録 ﹂ の
よ い に さ 出 っ す 山
分
ら は み
﹂
。
て
し
れ
う
な ら が と ﹁
。 な
﹁ 島 一 所
か
に
ご
手
て
て
な
ど 海 あ い 与
そ っ
御よ 規
る
望
記 の て も お 形 用う 模 〇 を な を 馬 り う 世
こ
録 ほ い 渡 り す 物もの 帳 七 禁 っ い 、 ま 資 山
と
が か る し 、 な の ﹂ 年 じ て つ す す 料 親
は
あ に が て そ わ 海 に 後 る い も な 。
﹁ に 方
、
り も 、 は れ ち 馬 は の ﹂ る 所 わ 新 は 八
ジ
。 。
示
さ
れ
て
お
り
ま
せ
ん
。
こ
れ
も
具
体
的
な
史
料
が
や
は
り
、
れ
て
い
る
、
と
記
し
て
い
ま
す
が
、
話
と
と
も
に
、
薩
摩
で
も
重
宝
が
ら
ュ
ゴ
ン
を
国
王
へ
献
上
し
た
と
い
う
に 学
出 者
し ・
たと 戸
﹁べ 部
大よし 良
島ひろ
筆ひっ が
記き 、
﹂ 一
に 七
も 六
、 三
ジ 年
い
の
で
す
。
さ
ら
に
、
土
佐
藩
の
儒
の
研
究
で
も
ジ
ュ
ゴ
ン
は
出
て
こ
な
示
さ
れ
て
い
ま
せ
ん
。
東
恩
納
自
身
す
。
こ
こ
で
か
っ
て
は
ジ
ュ
ゴ
ン
の
や
結
願
祭
な
ど
が
行
わ
れ
る
聖
地
で
呼
ば
れ
て
い
て
、
プ
ル
︵
豊
年
祭
︶
ン
ヌ
オ
ン
と
も
イ
シ
ョ
ウ
オ
ン
と
も
ジ
ュ
ゴ
ン
の
骨
を
祀
る
御
嶽
で
、
ザ
ン
が
あ
っ
た
と
思
い
ま
す
。
そ
れ
が
と
思
い
ま
す
。
そ
の
中
に
ア
ー
ル
オ
上かみ ま
地じ す
で 。
御 み
嶽 な
な さ
ど ん
も は
ご 今
覧 日
に 、
な 新
っ 城
た 島
二
つ 次
の に
御うた ジ
嶽き ュ
に ゴ
つ ン
い を
て 祀
話 る
を 新
す 城
す 島
め の
■
ジ
ュ
ゴ
ン
を
祀
る
御
嶽
考
え
ら
れ
ま
す
。
に
優
れ
て
い
た
と
い
う
こ
と
な
ど
が
れ
た
と
い
う
こ
と
か
ら
、
捕
獲
技
術
が
﹁
亀
の
腕
、
ザ
ン
の
腕
﹂
と
言
わ
多
か
っ
た
の
と
、
新
城
島
の
人
た
ち
の
島
々
に
比
べ
て
ジ
ュ
ゴ
ン
の
数
が
り
し
ま
せ
ん
が
、
新
城
島
近
海
が
他
の
島
で
ジ
ュ
ゴ
ン
の
骨
を
祀
る
御
嶽
こ
の
よ
う
に
上
地
・
下
地
の
二
つ
お
り
ま
せ
ん
。
六
三
年
以
降
は
豊
年
祭
は
行
わ
れ
て
表
島
な
ど
に
移
住
し
た
た
め
、
一
九
残
念
な
こ
と
に
、
下
地
は
住
民
が
西
放
射
状
に
残
っ
て
い
ま
す
。
し
か
し
、
つ
の
道
が
ナ
ナ
ゾ
ウ
オ
ン
を
中
心
に
野のそ 跡
底こ 保
宗そう 存
吉きち に
さ 力
ん を
な
ど 注
の い
お で
話 お
に ら
よ れ
る る
っ 妙
た 薬
の と
か い
も う
し 話
れ な
ま ど
せ が
ん あ
。 る
徐じょ い
葆ほこ は
光う あ
徴
さ
れ
る
不
老
長
寿
の
話
や
安
産
の
た あ
と る
い こ
う と
八はっ や
百ぴ 、
ゃ
比く 八
丘びく 〇
尼に 〇
の 歳
伝 ま
説 で
に 生
象 き
も
、
こ
の
ジ
ュ
ゴ
ン
の
肉
が
珍
味
で
首
里
王
府
へ
の
御
用
物
に
な
っ
た
の
口
が
多
い
こ
と
か
ら
呼
ば
れ
た
と
い
い
つ
か
ら
、
な
ぜ
新
城
村
だ
け
に
課
種
類
の
中
に
は
た
と
え
ば
亀
な
ど
は
の
著 と
者 こ
・ ろ
大 で
浜 、
﹁
信しん 八
け
賢ん
さ 重
ん 山
が の
次 人
頭
の
税
よ
﹂
う
こ
と
で
あ
り
、
現
在
で
も
そ
の
七
せ
ら
れ
た
の
か
、
ど
の
文
献
に
記
さ
伝でん 使 と
信しん が い
録ろく 一 う
﹂ 七 琉
に 二 球
は 一 に
﹁ 年 来
首 に た
は 著 中
馬 し 国
の た の
よ ﹁ち 册さっ
う 中ゅ 封ぷう
で 山うざ 副
ん
、
と
、
ジ
ュ
ゴ
ン
が
上
が
っ
て
く
る
入
う
か
?
こ
れ
に
つ
い
て
も
は
っ
き
の
た
め
の
捕
獲
を
命
じ
た
の
で
し
ょ
新
城
島
に
限
っ
て
ジ
ュ
ゴ
ン
の
御
用
そ
れ
に
し
て
も
な
ぜ
、
首
里
王
府
は
り
の
こ
と
を
推
測
さ
せ
ま
す
。
れ
た
り
し
て
い
る
の
は
、
そ
の
あ
た
た
あ
と
早
く
食
べ
よ
う
な
ど
と
謡
わ
わ
れ
た
り
、
歌
謡
の
中
で
、
捕
ら
え
さ
て
、
ジ
ュ
ゴ
ン
は
か
つ
て
人
頭
■
人
頭
税
と
ジ
ュ
ゴ
ン
ま の し の
す と て よ
。 し も う
て 、 に
認 ジ 、
識 ュ 歌
さ ゴ 謡
れ ン に
て は し
い 海 て
た を も
と 司 伝
言 る 承
え も に
な
い
も
の
な
の
で
し
ょ
う
か
。
と
や
島
の
人
び
と
の
伝
承
は
根
拠
の
し
ょ
う
か
?
研
究
者
の
述
べ
る
こ
ま
せ
ん
。
こ
れ
は
ど
う
い
う
こ
と
で
わ
ち
ジ
ュ
ゴ
ン
の
文
字
は
見
あ
た
り
明
記
さ
れ
て
い
ま
す
が
。
海
馬
す
な
木
税
と
し
て
納
税
品
目
に
入
っ
て
い
て
き
た
と
い
う
こ
と
な
の
で
す
。
れ
て
、
今
日
ま
で
ず
っ
と
伝
え
ら
れ
税
の
付
加
税
の
一
つ
と
し
て
意
識
さ
新
城
村
の
人
た
ち
に
と
っ
て
は
人
頭
入
が
義
務
づ
け
ら
れ
て
い
た
こ
と
、
大
事
な
こ
と
は
、
御
用
物
と
し
て
納
い
か
な
い
の
で
す
。
た
だ
、
こ
こ
で
人
頭
税
だ
と
決
め
つ
け
る
わ
け
に
は
か
と
い
う
疑
問
も
残
り
、
た
だ
ち
に
よ
う
に
品
目
と
し
て
出
て
こ
な
い
の
そ
れ
で
は
な
ぜ
他
の
付
加
税
と
同
じ
の
可
能
性
は
確
か
に
あ
り
ま
す
が
、
る
と
か
考
え
れ
ば
、
物
産
税
と
し
て
が
新
城
村
に
限
っ
て
発
行
さ
れ
て
い
首
里
王
府
へ
の
御
用
物
と
か
、
手
形
こ
の
点
に
つ
い
て
は
あ
い
ま
い
で
す
。
た
か
ど
う
か
と
い
う
こ
と
で
す
が
、
の
素
材
と
し
て
﹁
か
な
海
馬
﹂
が
使
記
録
﹃
膳
符
日
記
﹄
の
中
に
吸
い
物
り の
、 土
宮みや 産
良らど 品
殿ぅぬ 目
内じぃ の
・ 一
石 つ
垣 に
殿 あ
内 げ
の ら
法 れ
事 た
と
め
ら
れ
た
﹁
八
重
山
島
諸
記
帳
﹂
か
も
し
れ
ま
せ
ん
。
十
八
世
紀
に
ま
産
も
の
に
し
た
と
い
う
こ
と
が
あ
る
人
た
ち
が
賞
味
し
た
り
、
接
待
や
土
う
こ
と
な
ど
か
ら
、
そ
の
た
め
に
役
か
、
あ
る
い
は
栄
養
価
が
高
い
と
い
珍
味
で
あ
る
と
か
、
美
味
で
あ
る
と
良
い
と
か
、
不
老
長
寿
の
妙
薬
と
か
、
と
で
す
。
そ
れ
は
お
そ
ら
く
安
産
に
れ
を
欲
し
が
っ
た
の
か
、
と
い
う
こ
ら
ず
ジ
ュ
ゴ
ン
が
獲
れ
る
た
び
に
そ
人
た
ち
は
御
用
物
で
あ
る
に
も
関
わ
も
う
一
つ
、
な
ぜ
、
八
重
山
の
役
54
■
御
用
物
と
し
て
の
ジ
ュ
ゴ
ン
が
あ
る
﹂
と
い
う
。
毒
薬
と
し
て
い
る
が
、
す
ば
ら
し
い
効
目
■
﹁
不
老
長
寿
﹂
の
薬
も
っ
た
宗
教
者
が
、
そ
れ
を
実
現
し
た
。
は
、
権
力
者
で
は
な
く
、
不
思
議
な
力
を
カ
ク
ノ
コ
ノ
ミ
は
有
名
な
話
だ
。
日
本
で
人
間
が
切
望
す
る
ら
し
く
、
ト
キ
ジ
ク
ノ
ン
﹄
と
称
す
る
神
社
あ
り
。
儒
艮
の
骨
を
よ
ば
れ
、
﹁
︵
新
城
︶
島
に
﹃
ザ
ン
・
ヌ
・
オ
ュ
ゴ
ン
の
こ
と
で
、
ザ
ン
・
ザ
ヌ
な
ど
と
ウ
チ
と
説
明
さ
れ
る
が
、
八
重
山
で
は
ジ
和
辞
典
﹄
で
は
タ
ツ
ノ
オ
ト
シ
ゴ
、
セ
イ
い
う
こ
と
ば
が
あ
る
。
﹁
海
馬
﹂
は
、
﹃
大
漢
わ ル う り
琉 れ は 俗 し
球 る 、 信 た
・ 。 ジ が 。
ュ あ ま
八
ゴ っ た
重
ン た 、
山
と 。 食
の
も そ べ
史
マ し る
料
ナ て と
に
テ 人 若
﹁
ィ 魚 返
海
と の る
馬
も モ と
﹂
い デ い
と
ら
ず
。
得
れ
ば
則
ち
先
づ
以
て
王
に
献
ず
。
品
の
最
も
貴
な
る
者
は
、
常
に
は
得
易
か
て
鉋
花
の
如
し
。
色
は
片
茯
苓
の
如
し
。
次
の
よ
う
に
記
さ
れ
て
い
る
。
五
年
︵
一
八
〇
〇
︶
六
月
十
五
日
条
に
、
う 価 ニ の
李 か 値 取 ﹁
鼎 。 の 得 土
あ 候 産
元
る 也 之
の
、 ﹂ 類
﹁
珍 と ﹂
使
味 記 に
琉
と さ も
球
い れ 、
記
﹁
う て 海
﹂
こ い 馬
に
と る 、
は
で 。 但
、
あ 希 、
嘉
ろ 少 稀
慶
﹃
和
漢
三
才
図
会
﹄
に
も
﹁
人
魚
﹂
の
項
説
で
あ
る
。
■
冊
封
使
録
の
﹁
海
馬
﹂
あ
っ
た
の
だ
ろ
う
か
。
し
て
、
﹁
海
馬
﹂
に
は
不
老
長
寿
の
効
能
が
祭
れ
り
﹂
と
い
う
︵
八
重
山
語
彙
︶
。
は
た
の
薄
片
で
あ
っ
た
。
丸
ま
っ
て
曲
が
っ
て
ら
く
は
、
未
だ
生
け
る
者
を
見
る
を
得
ず
⋮
て
足
有
り
、
皮
は
江
豚
の
如
し
。
惜
し
む
其
の
状
、
魚
身
に
し
て
馬
首
、
無
毛
に
し
し
、
良
い
き
ざ
し
の
両
方
が
あ
り
、
八
重
が
語
ら
れ
る
が
、
そ
の
出
現
は
悪
い
き
ざ
人
魚
は
世
界
各
地
で
い
ろ
い
ろ
な
伝
説
顔
を
馬
と
み
る
か
ど
う
か
は
別
と
し
て
、
テ
王
ニ
進
ム
﹂
と
い
わ
れ
て
い
る
。
あ
の
ク
、
頗
ル
得
ガ
タ
シ
。
得
ル
モ
ノ
先
ツ
以
馬
首
魚
身
ニ
シ
テ
鱗
ナ
シ
。
肉
ハ
豕
ノ
如
に
み
え
る
。
﹁
中
山
伝
信
録
﹂
に
﹁
海
馬
・
琉
球
の
﹁
海
馬
﹂
の
説
明
は
冊
封
使
録
物
な
ど
に
さ
れ
た
と
い
う
。
膳
符
に
は
﹁
か
な
海
馬
﹂
と
あ
り
、
吸
い
削
っ
て
薄
片
に
し
た
よ
う
で
、
八
重
山
の
形
状
だ
っ
た
ら
し
い
。
実
際
に
カ
ン
ナ
で
ナ
の
こ
と
な
の
で
、
カ
ン
ナ
屑
の
よ
う
な
い
た
よ
う
で
、
﹁
鉋
﹂
は
大
工
道
具
の
カ
ン
の
か
、
そ
れ
以
前
か
ら
﹁
御
用
﹂
の
品
と
方
の
と
き
か
ら
﹁
御
用
﹂
の
品
と
な
っ
た
る
﹁
御
用
﹂
の
品
で
あ
っ
た
。
与
世
山
親
が
、
ジ
ュ
ゴ
ン
や
カ
メ
は
王
府
に
献
上
す
︵
て 上 そ う = メ つ し の を 人 に ら
諸 い げ の こ 魚 な ま て で 欲 が は れ 乾
役 る で 漁 と ︶ ど り は 、 し ﹁ 、 た 隆
人 。 も は が と と 、 い 今 が 海 新 ﹁ 三
、 、 前 は い 新 け 後 る 馬 城 与 三
︵
め 冊 提 異 っ 城 な は が ﹂
士
︵ 島 世 年
っ 封 と な た の い ﹁ 、 ジ の 山 ︵
族
た 使 な る 、 人 、 御 島 ュ 人 親 一
︶
々 と 用 に ゴ 々 方 七
に 録 っ 海
が
と で て 産 一 が 規 ﹂ と ン に 八 六
こ
れ も い 物 般 ジ 定 の っ ︶ 対 重 八
れ
な 地 る を 的 ュ さ ほ て や し 山 ︶
を
い 元 。 と な ゴ れ か は カ て 島 に
欲
と の し る 漁 ン て に 迷 メ 、 規 ま
し
い 書 か と 獲 や い 要 惑 な 諸 模 と
が
め
求 な ど 役 帳
っ き し い 物 カ る
る
﹂
。
ジ
ュ
ゴ
ン
は
食
品
で
あ
り
、
そ
れ
は
肉
よ
い
も
の
に
、
﹁
不
老
長
寿
﹂
﹁
不
死
﹂
と
い
八
百
比
丘
尼
伝
説
が
そ
れ
で
、
人
魚
を
食
が
あ
り
、
﹁
い
ま
で
も
西
海
の
大
洋
の
中
に
、
て
い
る
。
暴
風
雨
が
来
る
前
に
姿
を
み
せ
う
悲
願
が
あ
る
。
と
く
に
権
力
を
有
し
た
べ
て
長
寿
︵
八
百
歳
︶
を
得
た
と
い
う
伝
ま
ま
こ
の
よ
う
な
も
の
が
い
る
﹂
と
い
っ
る
と
い
い
、
﹁
阿
蘭
陀
で
は
人
魚
の
骨
を
解
山
の
民
話
で
は
村
に
津
波
が
襲
っ
て
き
た
食
品
に
海
馬
肉
の
薄
片
有
り
。
廻
屈
し
57
■
新
城
島
の
ジ
ュ
ゴ
ン
と
亀
人
類
史
上
で
永
遠
の
課
題
と
い
っ
て
も
寄稿
得
能
壽
美
﹁
頗
ル
得
ガ
タ
シ
﹂
は
、
﹁
八
重
山
島
旧
記
﹂
か
か
も
し
れ
な
い
。
よ
り
、
馬
と
で
も
し
た
ほ
う
が
、
心
安
ら
史
料
に
み
る
ジ
ュ
ゴ
ン
︵
海
馬
︶
れ
ば
、
人
、
と
く
に
美
女
の
顔
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考
え
る
国
王
に
供
し
た
と
い
う
。
食
べ
る
の
で
あ
い
と
も
あ
り
ま
す
。
時
代
が
違
い
ま
捕
獲
が
難
し
い
た
め
、
と
ら
え
れ
ば
ま
ず
ジ
ュ
ゴ
ン
の
肉
は
豚
肉
の
よ
う
で
あ
り
、
﹁
海
馬
﹂
は
ジ
ュ
ゴ
ン
で
あ
っ
た
ら
し
い
。
す
が
、
た
だ
し
ま
れ
に
し
か
獲
れ
な
す
な
わ
ち
ジ
ュ
ゴ
ン
も
入
っ
て
い
ま
記
録
で
は
、
土
産
品
目
と
し
て
海
馬
、
れ
た
﹁
八
重
山
島
諸
記
帳
﹂
と
い
う
で
は
見
る
こ
ろ
が
出
来
な
い
﹂
。
ダ
イ
ナ
マ
イ
ト
で
乱
獲
さ
れ
、
今
日
上
に
浮
か
ん
で
い
た
り
す
る
の
を
、
の
初
期
頃
ま
で
大
原
と
新
城
間
の
海
岸
で
三
月
頃
か
ら
現
れ
は
じ
め
た
よ
■
ジ
ュ
ゴ
ン
の
数
思
う
の
で
す
。
が
め
ら
れ
て
い
た
の
で
は
な
い
か
と
、
豊
饒
を
も
た
ら
す
も
の
と
し
て
も
あ
ー
タ
を
ご
紹
介
し
て
お
き
ま
す
。
一
代
の
ジ
ュ
ゴ
ン
に
関
す
る
二
つ
の
デ
せ あ す
つ ん る か
い 。 い ら
で
は 、
で
違 ジ
す
っ ュ
か
て ゴ
ら
い ン
、
た の
明
か 生
治
も 息
・
知 状
大
れ 況
正
ま も
時
も
言
え
ま
す
。
ジ
ュ
ゴ
ン
を
祀
る
新
表 よ
島 る
・ と
小こは 、
浜ま ジ
島 ュ
・ ゴ
石 ン
垣 は
島 新
な 城
ど 島
の ・
沿 西
か
?
言
い
伝
え
や
目
撃
談
な
ど
に
ン
が
生
息
し
て
い
た
の
で
し
ょ
う
海
に
は
そ
れ
ほ
ど
数
多
く
の
ジ
ュ
ゴ
し
て
指
定
さ
れ
る
ほ
ど
、
八
重
山
近
さ
て
、
首
里
王
府
へ
の
御
用
物
と
で 少 し ゴ 六 漁 た る 海 た ゴ い で に す て
こ す 価 た ン キ 獲 と 割 産 か ン ま あ 七 と い
の 。 値 が の ロ 数 え 合 物 が の せ り 九 同 ま
の っ 十 グ は ば は 全 分 生 ん 、 斤 じ す
よ
あ て 二 ラ 三 同 最 体 か 息 。 ほ ︵ 調 。
う
る 、 倍 ム 、 じ も で り 地 八 か 約 査 つ
に
海 ジ 近 ︶ 五 年 少 み ま と 重 の 四 で い
新
産 ュ い で 六 の な ま す し 山 地 七 島しま で
城
物 ゴ 数 す 〇 八 い す 。 て が 域 キ 尻じり に
島
だ ン に か 斤 重 わ と そ 際 い で ロ 郡 申
だ
っ は な ら ︵ 山 け そ れ だ か は グ は し
け
た 大 り 、 二 の で の で っ に 獲 ラ わ 上
に
わ 変 ま ジ 一 亀 す 占 も て ジ れ ム ず げ
課
ュ 三 の 。 め 、 い ュ て ︶ か ま
け 希 す
せ
。
斤
︵
一
八
〇
キ
ロ
グ
ラ
ム
︶
と
な
っ
県
統
計
書
で
は
漁
獲
数
量
が
三
〇
〇
す
。
も
う
一
つ
大
正
元
年
末
の
沖
縄
六
斤
︵
約
一
五
三
キ
ロ
グ
ラ
ム
︶
で
で
す
。
そ
れ
に
よ
り
ま
す
と
、
二
五
治
二
十
六
年
の
ジ
ュ
ゴ
ン
輸
出
統
計
つ
は
八
重
山
島
役
所
が
調
査
し
た
明
が
、
そ
れ
で
も
一
九
九
九
年
に
国
立
ま
だ
研
究
者
も
断
言
し
て
い
ま
せ
ん
し
た
。
完
全
に
い
な
く
な
っ
た
と
は
に
よ
っ
て
ほ
と
ん
ど
い
な
く
な
り
ま
の
ダ
イ
ナ
マ
イ
ト
に
よ
る
乱
獲
な
ど
し
ま
し
た
よ
う
に
、
太
平
洋
戦
争
後
ま 特 嶽 の ま ら
そ す 異 信 骨 た れ
の 。 な 仰 を そ た
位 も 祀 れ 御
ジ
置 、 り に 用
ュ
を 八 、 関 物
ゴ
占 重 豊 わ と
ン
め 山 漁 る し
も
て の を 形 て
、
い 歴 祈 で の
先
る 史 願 ジ 税
ほ
と の す ュ 制
ど
言 中 る ゴ も
紹
え で 御 ン 、
介
あ
り
が
と
う
ご
ざ
い
ま
し
た
。
え
つ
つ
そ
ん
な
こ
と
を
思
い
ま
し
た
。
ま う 物 て が 然 と テ
新 す 環 な い ジ 記 思 レ
城 。 境 ど ま ュ 念 い ビ
こ に す ゴ 物 ま で
島
そ 指 。 ン で す ご
と
が 定 ほ の す 。 覧
ジ
大 し ん 生 が ジ に
ュ
事 な と 息 、 ュ な
ゴ
な く う の こ ゴ っ
ン
の て は 危 の ン た
の
だ い 天 機 こ は 方
歴
と い 然 を と 国 も
史
思 と 記 示 事 の 多
を
い い 念 し 態 天 い
考
う
に
泳
ぐ
三
頭
の
ジ
ュ
ゴ
ン
の
姿
を
陽よう て が
沖 い 、
で ま ウ
ゆ す ミ
っ 。 ガ
た 数 メ
り 年 な
と 前 ど
、 に も
寄 、 だ
り 名 い
添 護 ぶ
う 市 減
よ 嘉か っ
ゴ
ン
の
こ
と
ば
か
り
話
し
て
い
ま
す
と
こ
ろ
が
十
八
世
紀
に
ま
と
め
ら
息
条
件
が
悪
化
し
て
い
ま
す
。
ジ
ュ
変
化
な
ど
に
よ
っ
て
海
洋
生
物
の
生
喪
失
、
海
の
汚
染
、
そ
し
て
海
流
の
よ
く
見
か
け
た
の
だ
が
、
終
戦
後
は
、
一
つ
は
開
発
工
事
に
よ
る
、
砂
浜
の
ど
恐
い
も
の
は
あ
り
ま
せ
ん
。
も
う
需
給
の
バ
ラ
ン
ス
が
崩
れ
る
こ
と
ほ
の
よ
う
に
書
か
れ
て
い
ま
す
。
﹁
昭
和
が
も
た
ら
す
供
給
と
私
た
ち
人
間
の
六
年
に
著
し
た
﹁
新
城
島
﹂
に
は
次
ゴ
ン
に
限
り
ま
せ
ん
が
自
然
の
恵
み
う
で
す
。
安
里
武
信
さ
ん
が
一
九
七
確
認
も
で
き
ま
せ
ん
で
し
た
。
ジ
ュ
海
域
調
査
で
は
つ
い
に
一
頭
の
生
息
ジュゴンの燻製。平成5年嶺井久勝九州大学農
学部教授から八重山博物館に寄贈されたジュ
ゴンの燻製。大島廣氏が八重山調査の折
(1932年)に入手したものと思われる。
(八重
山博物館所蔵)
56
島
・
新
城
島
・
西
表
島
な
ど
の
周
辺
三
重
大
学
が
行
っ
た
石
垣
島
・
黒
ら
の
贈
り
物
と
し
て
、
ニ
ラ
イ
か
ら
城
島
の
二
つ
の
御
嶽
も
ま
た
、
神
か
抵
之
ヲ
見
ザ
ル
ナ
シ
、
旧
藩
政
ノ
時
ニ
於
﹁
需
艮
ハ
海
馬
ト
モ
称
ス
⋮
沖
縄
県
地
方
大
防
腐
剤
処
理
を
さ
れ
て
展
示
さ
れ
て
い
る
う
し
﹂
に
み
え
る
久
高
島
周
辺
の
こ
と
で
明
治
二
一
年
の
農
商
務
技
師
の
報
告
に
、
■
明
治
・
大
正
期
の
ジ
ュ
ゴ
ン
西
表
付
近
で
捕
獲
さ
れ
た
海
馬
の
胎
児
が
か
な
り
グ
ロ
テ
ス
ク
な
好
奇
心
の
も
と
、
此
生
物
界
に
存
在
す
る
や
否
﹂
と
い
う
、
を
ふ
り
乱
し
た
女
相
し
て
ゐ
る
⋮
怪
物
が
揚
げ
が
あ
っ
た
。
島
尻
郡
は
、
﹁
お
も
ろ
さ
か
に
島
尻
郡
で
も
七
九
斤
︵
六
円
︶
の
水
三
〇
〇
斤
、
価
格
十
二
円
と
あ
る
が
、
ほ
県
史
20
沖
縄
県
統
計
集
成
﹄
干
し
肉
に
さ
れ
て
、
沖
縄
・
鹿
児
島
に
送
る
の
か
は
わ
か
ら
な
い
。
全
体
の
分
量
に
が
塩
漬
け
肉
で
あ
る
の
か
、
干
し
肉
で
あ
四
貫
文
琉
目
﹂
と
あ
る
。
こ
の
﹁
壱
斤
﹂
升
五
合
起
/
鹿
児
島
県
へ
引
合
代
代
分
琉
球
蔵
方
よ
り
島
方
迄
之
引
合
代
米
壱
﹁
八
重
山
出
産
﹂
と
し
て
﹁
海
馬
壱
斤
/
︵
一
八
七
三
︶
調
査
の
﹁
琉
球
藩
雑
記
﹂
に
、
し
ま
っ
た
が
、
ま
だ
首
里
に
い
た
。
最
後
の
琉
球
国
王
尚
泰
は
藩
王
と
な
っ
て
族
館
に
、
﹁
体
は
魚
の
形
で
顔
は
人
間
の
髪
い べ イ 家 価 重 色 目 国 東
こ も リ ノ 捕 ニ 年
明 。 物 リ 文 は さ を 録 勧 京 明 に 貢 テ 各 獲 充 々
﹂ コ 書 一 で し に 業 上 治 は 納 捕 海 ス テ 該
治
肉 し 獲 辺 ル タ 島
と と ︶
四
。 円 、
﹁ て 、
﹁ 博 野 十
し 一 第 二 石 、 海 覧 公 二 に て セ 小 ニ リ 民
〇
て 緒 五 〇 垣 三 馬 会 園 年 つ い リ 浜 ハ 、 ニ
年
出 に 区 銭 間 〇 皮 へ で 廃 い た と 島 ア 蓋 於
に
品 な 第 と 切 〇 ﹂ の 開 藩 て と 云 石 ラ シ テ
は
し っ 五 さ 新 目 三 八 催 置 の
東
記 は フ 垣 ズ 新 之
た て 類 れ 城 か 枚 重 さ 県 述 い ﹂ 島 該 城 ヲ
京
の い に て 村 ら が 山 れ 後 が わ と ノ 島 島 捕
勧
か る 分 い ニ 四 あ か た の な れ あ 沿 近 ニ 獲
業
も の 類 る 産 二 る ら 第 同 い る る 岸 傍 於 シ
博
し で さ ︵ ス 〇 。 の 二 十 。 が 。 等 西 テ 其
覧
﹁
れ 、
会
、 皮 ニ 表 ノ 課
﹁ れ 石 ﹂
、 目 鼈 出 回 四
年
な 食 て
至 島 ミ 当
水
原
垣
内
甲
こ
品
の
、
﹂
、
獲
物
に
﹁
海
馬
﹂
が
み
え
る
。
八
重
山
で
く
だ
っ
て
、
大
正
元
年
の
沖
縄
県
の
漁
文
書
︶
。
や
は
り
、
食
べ
て
い
た
の
で
あ
る
。
用
︶
・
﹃
石
垣
市
史
新
聞
集
成
^
﹄
・
﹃
沖
縄
恩
納
寛
惇
︵
﹃
東
恩
納
寛
惇
全
集
﹄
版
を
使
料
集
1
石
垣
家
文
書
﹄
・
﹁
南
島
風
土
記
﹂
東
肉
、
干
し
肉
は
ど
う
な
っ
た
の
だ
ろ
う
か
。
﹁
乾
海
馬
﹂
が
あ
げ
ら
れ
て
い
る
︵
石
垣
家
っ
た
の
で
、
鹿
児
島
に
送
ら
れ
た
塩
漬
け
し
た
が
っ
て
、
﹁
島
津
の
殿
様
﹂
は
い
な
か
琉
球
藩
が
設
置
さ
れ
て
い
た
時
期
で
あ
る
。
藩
置
県
が
す
で
に
行
な
わ
れ
、
琉
球
で
は
ら
れ
た
。
明
治
六
年
は
、
ヤ
マ
ト
で
は
廃
新
城
特
産
の
ジ
ュ
ゴ
ン
は
、
塩
漬
け
肉
、
つ
い
て
も
未
詳
で
あ
る
。
が
わ
か
る
。
り
、
こ
の
時
期
に
も
食
さ
れ
て
い
た
こ
と
﹁
紅
白
か
な
さ
ん
︵
=
鉋
ジ
ュ
ゴ
ン
︶
﹂
が
あ
ま
た
、
明
治
二
五
年
の
元
服
祝
儀
で
も
海
馬
﹂
は
、
酢
味
噌
で
食
べ
ら
れ
て
い
る
。
る
。
カ
ン
ナ
で
削
ら
れ
た
﹁
か
な
︵
=
鉋
︶
士
族
の
膳
符
に
﹁
海
馬
﹂
﹁
さ
ん
﹂
が
み
え
先
述
し
た
よ
う
に
、
明
治
期
の
八
重
山
︵
史 16 付 ﹃
・ 帳 石
14 17 ﹂ 垣
合 ︵
﹃ 市
雑 併 石 史
纂 号 垣 叢
︶
﹄
︶ ・ 市 書
・ ﹁ 立 7
︶
﹃ 琉 八 ﹄
石 球 重 ・
垣 藩 山 ﹁
市 雑 博 八
史 記 物 重
﹂ 館 山
八 ︵
﹃ 紀 島
重 沖 要 諸
山 縄 ﹄ 物
史 県 第 代
岩
波
文
庫
︶
・
﹁
翁
長
親
方
八
重
山
島
規
模
帳
﹂
2
﹄
︶
・
﹃
お
も
ろ
さ
う
し
﹄
︵
外
間
守
善
校
注
世
山
親
方
八
重
山
島
規
模
帳
﹂
︵
﹃
石
垣
市
史
叢
書
金
城
須
美
子
編
著
九
州
大
学
出
版
会
刊
・
﹁
与
号
︶
・
﹃
宮
良
殿
内
・
石
垣
殿
内
の
膳
符
日
記
﹄
八
重
山
文
化
研
究
会
﹃
八
重
山
文
化
論
集
﹄
第
2
料
﹄
・
﹁
八
重
山
島
旧
記
﹂
︵
玻
名
城
泰
雄
翻
刻
ま
で
食
べ
て
は
い
け
な
い
物
の
リ
ス
ト
に
、
な
お
、
蕁
麻
疹
の
患
者
が
病
気
が
治
る
じ
ん
ま
し
ん
59
和
さ
れ
て
い
た
こ
と
に
な
る
。
が
独
占
し
て
い
た
ジ
ュ
ゴ
ン
漁
が
規
制
緩
い
た
と
す
る
と
、
こ
の
時
期
に
は
新
城
島
し
川
平
村
の
村
民
が
ジ
ュ
ゴ
ン
漁
を
し
て
市
史
資
料
篇
第
1
巻
3
冊
封
使
録
関
係
資
訳
注
平
凡
社
東
洋
文
書
版
を
使
用
︶
・
﹃
那
覇
﹃
和
漢
三
才
図
会
﹄
寺
島
良
安
︵
島
田
勇
雄
ほ
か
︻
史
料
・
参
考
文
献
︼
し
た
人
の
名
が
記
さ
れ
て
い
な
い
が
、
も
上
納
し
た
の
か
と
い
う
と
、
明
治
六
年
で
は
、
そ
の
塩
肉
・
干
肉
は
、
ど
こ
に
る
こ
と
が
で
き
た
の
で
あ
る
。
み
た
よ
う
に
、
﹁
後
日
之
御
用
﹂
に
も
供
す
し
肉
に
さ
れ
て
い
た
。
そ
の
結
果
、
先
に
ュ
ゴ
ン
の
肉
は
、
塩
漬
け
、
あ
る
い
は
干
代
夫
壱
人
但
皮
目
同
断
﹂
と
あ
る
。
ジ
一
四
七
七
年
の
朝
鮮
済
州
島
民
の
漂
流
記
た
﹂
か
ど
う
か
は
、
よ
く
わ
か
ら
な
い
。
古
い
時
代
に
八
重
山
に
お
い
て
﹁
食
べ
城
島
ヲ
以
テ
最
モ
善
シ
ト
ス
ル
ガ
故
ニ
沖
縄
県
地
方
ニ
於
テ
ハ
八
重
山
島
ノ
内
新
獲
ヲ
命
ゼ
リ
、
而
シ
テ
該
獣
捕
獲
ノ
便
ハ
府
ニ
貢
ス
ル
為
メ
漁
民
ニ
課
シ
テ
之
ガ
捕
テ
ハ
皮
ヲ
藩
主
ヨ
リ
幕
府
及
ビ
支
那
国
政
り
し
て
い
る
。
ジ
ュ
ゴ
ン
を
食
べ
て
い
た
こ
と
は
は
っ
き
ん
﹂
と
い
う
記
述
が
あ
り
、
八
重
山
で
も
期
の
八
重
山
士
族
の
膳
符
に
﹁
海
馬
﹂
﹁
さ
な
お
、
の
ち
に
み
る
よ
う
に
、
明
治
初
︵
琉
球
新
報
︶
。
に
命
じ
て
、
﹁
後
日
之
御
用
相
達
候
様
可
取
﹁
余
計
分
﹂
は
在
番
・
頭
が
確
保
す
る
よ
う
前
の
と
お
り
禁
止
す
る
と
し
た
う
え
で
、
人
数
長
々
手
隙
を
費
及
迷
惑
﹂
の
で
、
従
﹁
所
望
渡
﹂
は
、
﹁
年
々
右
捕
得
方
ニ
付
、
多
あ
ろ
う
か
。
代
夫
︶
三
分
三
り
三
毛
/
海
馬
干
肉
壱
斤
と
と
し
て
、
﹁
海
馬
塩
肉
壱
斤
同
︵
註
・
豊
七
年
︵
一
八
五
七
︶
に
決
め
ら
れ
た
こ
の
﹁
八
重
山
島
諸
物
代
付
帳
﹂
に
は
、
咸
同
治
十
三
年
︵
明
治
七
年
=
一
八
七
四
︶
い
る
︵
石
垣
家
文
書
︶
。
こ
の
史
料
を
提
出
捕
獲
の
費
用
は
二
〇
円
二
四
銭
と
な
っ
て
に
提
出
し
た
も
の
で
、
海
馬
五
五
斤
で
、
料
が
あ
る
。
そ
の
費
用
を
、
同
村
の
与
人
村
湾
内
﹂
に
お
け
る
海
馬
漁
を
伝
え
る
史
八
重
山
で
は
、
明
治
二
一
年
に
﹁
川
平
た
か
隠
し
て
い
る
人
は
い
ま
せ
ん
か
?
を
う
か
が
う
こ
と
が
で
き
る
の
に
。
ど
な
き
て
い
る
人
が
い
れ
ば
、
い
ろ
い
ろ
な
話
ジ
ュ
ゴ
ン
を
食
べ
て
、
八
〇
〇
歳
ま
で
生
堅
苦
し
い
古
文
書
か
ら
は
み
え
て
こ
な
い
。
ど
う
も
﹁
不
老
長
寿
﹂
に
つ
い
て
は
、
え
ば
魚
︶
は
と
っ
て
い
な
か
っ
た
の
か
。
の
人
々
は
、
そ
れ
以
外
の
海
産
物
︵
た
と
だ
っ
た
の
だ
ろ
う
か
。
そ
れ
で
は
、
新
城
そ
の
目
的
は
、
や
は
り
﹁
食
べ
る
﹂
た
め
ら
ジ
ュ
ゴ
ン
を
と
っ
て
い
た
と
す
れ
ば
、
城
の
人
々
が
、
上
納
品
と
さ
れ
る
以
前
か
ど
う
い
う
こ
と
な
の
だ
ろ
う
か
。
仮
に
新
ジ
ュ
ゴ
ン
を
捕
獲
す
る
と
い
う
こ
と
は
、
と
こ
ろ
は
っ
き
り
し
な
い
。
い
う
観
念
が
あ
っ
た
か
ど
う
か
、
い
ま
の
で
あ
ろ
う
が
、
そ
こ
に
﹁
不
老
長
寿
﹂
と
か
ぎ
り
は
、
や
は
り
肉
を
﹁
食
べ
た
﹂
の
や
は
り
﹁
食
べ
た
﹂
の
だ
ろ
う
。
﹁
食
べ
る
﹂
が
る
と
い
う
の
は
、
八
重
山
の
諸
役
人
は
い
っ
て
い
る
の
で
あ
る
。
さ
ら
に
、
こ
の
た
﹁
御
用
﹂
の
量
よ
り
多
く
な
っ
た
分
を
計
﹂
が
あ
る
の
か
と
い
う
と
、
命
じ
ら
れ
何
に
対
し
て
、
何
が
満
ち
た
か
ら
﹁
余
が
き
い
た
と
い
う
こ
と
で
あ
る
。
い
う
こ
と
。
つ
ま
り
、
ジ
ュ
ゴ
ン
は
保
存
日
之
御
用
﹂
に
供
す
る
こ
と
が
で
き
た
と
ュ
ゴ
ン
は
、
お
そ
ら
く
加
工
さ
れ
て
﹁
後
文
字
。
﹁
一
、
御
用
物
海
馬
之
儀
新
城
村
ニ
⋮
﹂
な
く
て
は
い
け
な
い
点
は
、
捕
獲
し
た
ジ
■
﹁
海
馬
﹂
を
食
べ
た
?
の
記
述
に
あ
る
よ
う
に
、
わ
ざ
わ
ざ
欲
し
先
の
﹁
与
世
山
親
方
八
重
山
島
規
模
帳
﹂
証
言
が
あ
る
︵
安
里
武
信
﹃
新
城
島
﹄
︶
。
ュ
ゴ
ン
漁
の
時
期
の
食
料
と
し
た
と
い
う
ュ
ゴ
ン
漁
の
網
に
か
か
っ
た
カ
メ
を
、
ジ
興
味
深
い
こ
と
に
、
新
城
の
人
々
は
ジ
提
に
、
久
高
島
あ
た
り
で
漁
を
し
て
い
る
。
せ
ゝ
と
﹂
と
歌
わ
れ
、
食
べ
る
こ
と
を
前
り
や
り
/
沖
膾
せ
ゝ
と
/
辺
端
膾
る
の
だ
ろ
う
か
。
こ
れ
は
、
﹁
食
べ
た
﹂
こ
と
を
物
語
っ
て
い
き
た
ぞ
﹂
と
い
っ
て
喜
ん
で
い
る
︵
同
前
︶
。
い
魚
が
と
れ
た
。
こ
れ
は
よ
い
土
産
が
で
に
か
か
っ
た
人
魚
を
み
て
漁
師
は
、
﹁
珍
し
と
と
し
て
語
ら
れ
る
人
魚
の
話
で
は
、
網
石
垣
島
東
海
岸
に
あ
っ
た
野
原
村
の
こ
﹃
翁
長
親
方
八
重
山
規
模
帳
﹄
に
記
さ
れ
た
﹁
海
馬
﹂
の
﹁
翁
長
親
方
八
重
山
島
規
模
帳
﹂
で
注
目
し
■
加
工
さ
れ
た
﹁
海
馬
﹂
前
納
さ
せ
て
も
よ
い
と
思
う
の
だ
が
⋮
。
王
府
と
し
て
は
、
と
れ
れ
ば
と
れ
た
だ
け
58
と
あ
る
が
、
と
る
の
が
難
し
い
の
だ
か
ら
、
②
﹁
年
々
右
捕
得
﹂
、
⑤
﹁
後
日
之
御
用
﹂
検
討
は
こ
こ
で
は
省
略
す
る
。
次
い
で
、
考
え
な
く
て
な
ら
な
い
点
が
あ
り
、
そ
の
文
言
に
は
人
頭
税
制
全
体
の
問
題
と
し
て
⋮ 結 に ろ
〓 び / さ
〓 降 〓 う
ろ ︹ し
百 ち 魚 ﹂
へ + に
捕 / 需 も
出
り 亀
︺ て
や 網
り 〓 く
/ 結 ︹ る
亀 び 魚 。
﹁
降 + 久
百 ろ 艮 高
ち ︺ の
捕 へ 網 澪
ジ
ュ
ゴ
ン
と
カ
メ
の
セ
ッ
ト
は
、
﹁
お
も
あ
る
の
は
確
か
で
あ
る
。
た
こ
と
は
、
与
世
山
以
前
か
ら
の
こ
と
で
人
々
が
ジ
ュ
ゴ
ン
や
カ
メ
を
捕
獲
し
て
い
か
ら
は
決
定
で
き
な
い
。
た
だ
、
新
城
の
し
て
上
納
し
て
い
た
の
か
は
、
こ
の
文
言
い
︵
ば
が
ー
島
八
重
山
の
民
話
︶
。
配
し
て
い
て
、
﹁
食
べ
る
﹂
ど
こ
ろ
で
は
な
わ
れ
に
害
を
加
え
な
い
だ
ろ
う
か
﹂
と
心
を
み
た
い
と
い
い
、
漁
師
た
ち
は
﹁
わ
れ
捕
獲
さ
れ
た
人
魚
は
む
し
ろ
積
極
的
に
島
ろ と い に
波 う さ 。 は
照 。 れ 新 、
る 城 産
間
が 島 物
の
、 で と
人
こ い し
魚
れ う て
に
は と ﹁
関
陸 、 海
す
産 カ 馬
る
の メ ﹂
伝
カ も は
承
メ い み
で
で な え
は
あ い な
、
渡
い
た
し
候
﹂
︶
。
げ
て
い
る
と
い
う
︵
﹁
余
計
有
之
節
ハ
所
望
者
が
い
る
が
、
余
分
が
あ
る
と
き
に
は
あ
さ
ら
に
続
け
て
、
御
用
以
外
に
欲
し
が
る
城
の
特
産
物
と
し
て
指
定
さ
れ
て
い
た
。
近
世
の
八
重
山
に
お
い
て
﹁
海
馬
﹂
は
新
新
城
村
ニ
限
手
形
入
候
﹂
と
い
っ
て
お
り
、
親
方
の
段
階
で
は
、
﹁
御
用
物
海
馬
之
儀
、
上
納
し
た
こ
と
に
違
い
は
な
い
が
、
こ
の
で
あ
る
。
①
の
﹁
御
用
﹂
︵
物
︶
は
王
府
に
﹁
後
日
﹂
の
た
め
に
保
管
し
た
こ
と
、
な
ど
す
る
こ
と
が
あ
っ
た
こ
と
、
④
そ
れ
を
た
が
、
③
﹁
御
用
﹂
の
量
よ
り
多
く
捕
獲
の
人
手
と
時
間
を
費
や
し
て
捕
獲
し
て
い
と
し
て
上
納
す
る
た
め
に
、
②
毎
年
多
く
の
人
々
は
、
①
ジ
ュ
ゴ
ン
を
﹁
御
用
﹂
品
与
世
山
か
ら
ほ
ぼ
百
年
の
の
ち
の
翁
長
こ
の
文
言
か
ら
わ
か
る
こ
と
は
、
新
城
■
翁
長
親
方
八
重
山
規
模
帳
締
事
﹂
と
し
て
い
る
。
﹃
と 許 素 は 咄 す 慶 っ ま
島 綴 に 地 、 左 ら 来 た り 以 申 た る 船 儀 語 船 島 島 居 け 謹 来 五 則
で る て に 明 記 所 慶 と で 上 事 る 処 形 相 り に へ 者 け る 而 あ 包 妹
の 。 地 し ら ﹂ は 田 い 、 の 也 と 中 と 知 似 乗 見 る 折 承 る 七 に
船 て か と 昔 城 わ 黒 内
な 頃 て れ け た り 付 に 節 り へ 包 御
造
作 い に 題 よ 由 れ 島 容
り よ 竹 た る る 来 是 右 大 此 し 船 神
船
事 て ﹃ し り 来 る は か
今 り 富 り 島 を る を 船 波 船 と と 乗
は
に 、
の 所 島 故 仲 不 島 手 黒 に を 御 名 り
木
八 た 黒 記 。 航 ら
﹁
成 黒 重 記 島 ﹄
石 替 に に 造 審 仲 本 島 引 海 神 付 移
海 竹
材
為 島 山 述 村 に
垣 せ す 竹 船 に 見 て へ 流 に 詑 是 り
の 富
資
申 が 島 が に ﹁
船 石 ら 富 よ 思 付 船 流 さ 浮 あ れ 島
始 島
源
由 船 由 あ て 古
是 垣 所 よ り ひ 私 を 着 れ へ り に 仲
ま が
が
伝 出 来 る 作 見
也 へ 相 り 出 差 流 造 け 無 磯 て 造
り 造
豊
有
と 差 拵 出 来 図 し り る 念 遊 け 海 る
の 船
富
記 。 事 船
初
之 故 ﹄ 内 仕 作
相 越 置 た た 段 け 竹 を に ひ れ 上 船
地 の
な
事 船 を 容 候 事
伝 し け る る 相 る 富 彼 存 仕 は 往 は
だ 始
西
、
﹂
は
ど
こ
だ
っ
た
の
だ
ろ
う
か
。
﹁
黒
島
最
初
考
え
ら
れ
る
が
、
そ
れ
で
は
島
の
造
船
所
表
島
か
ら
取
り
寄
せ
、
行
わ
れ
て
い
た
と
所
が
創
設
さ
れ
た
。
造
船
所
は
石
垣
島
の
に
は
西
表
島
北
部
の
船
浦
に
新
た
に
造
船
出
発
し
た
が
、
一
七
四
八
年
︵
乾
隆
一
三
︶
黒
島
の
造
船
所
は
古
見
に
移
転
し
、
再
事
な
ど
の
た
め
に
資
材
の
豊
富
な
古
見
村
と
、
資
材
の
運
漕
と
造
船
日
数
が
長
引
く
事
始
め
︶
の
神
口
︵
カ
ン
フ
チ
ィ
︶
が
残
る
と
六
反
帆
船
は
完
成
し
、
船
の
神
様
に
ア
シ
イ
ザ
シ
が
終
わ
っ
て
五
、
六
日
す
俗
誌
﹄
︶
と
い
う
こ
と
で
あ
る
。
へ
移
転
さ
れ
た
わ
け
で
あ
る
﹂
︵
﹃
八
重
山
民
ん
/
帰
り
き
ー
/
ゆ
ぬ
/
み
み
じ
や
/
走
る
嘉
例
吉
舟
/
絹
の
上
は
ら
/
ま
た
船
/
絹
の
上
は
ら
/
布
の
上
は
ら
千
里
っ
て
造 さ
る あ 今 い
/ ー 日 る
み り の 。
よ / 佳
ー み い
に み 日
/ じ に
六 や ち
段 / /
帆 な 黄
/ は 金
嘉 / 日
例 乗 に
吉 し ち
造
船
に
関
す
る
一
連
の
儀
式
が
厳
か
に
行
著
︶
琉
球
王
府
時
代
に
は
、
こ
の
よ
う
に
あ
る
︵
﹃
八
重
山
芸
能
と
民
俗
﹄
︵
宮
良
賢
貞
そ
し
て
、
船
は
宮
里
に
投
錨
し
た
よ
う
で
て
進
水
式
を
行
い
、
海
に
浮
か
べ
ら
れ
た
。
神
酒
、
供
物
を
備
え
満
潮
時
を
見
計
ら
っ
理
由
は
船
材
の
蒐
集
上
不
便
で
あ
る
こ
と
島
に
造
船
に
関
わ
る
テ
ン
ダ
テ
ィ
︵
仕
く
ぬ
果
報
ど
/
に
が
よ
ー
ら
た
と
記
録
に
見
え
て
い
る
。
其
の
移
転
の
に
﹁
黒
島
の
造
船
所
は
古
見
村
へ
移
転
し
■
造
船
の
カ
ン
フ
チ
ィ
ん
/
あ
ら
し
や
う
り
/
う
ぬ
願
ひ
ど
/
シ
さ
ば
/
大
和
鍋
に
ん
/
う
ざ
か
鍋
に
と
の
記
述
が
こ
れ
を
裏
付
け
る
。
要
す
る
船
場
被
仰
定
候
事
﹂
︵
﹃
八
重
山
島
年
来
記
︶
石
垣
船
者
石
垣
村
、
古
見
船
者
大
枝
村
造
ニ
而
作
事
仕
、
楷
木
積
渡
往
来
過
分
ニ
付
し
た
。
﹁
前
代
ハ
大
船
作
事
之
儀
、
黒
島
村
︵
康
煕
一
七
︶
に
は
西
表
島
の
古
見
に
移
転
行
わ
れ
て
い
た
よ
う
だ
が
、
一
六
七
八
年
造
船
は
、
し
ば
ら
く
宮
里
村
の
船
浦
で
り
を
し
て
い
た
と
い
う
こ
と
だ
ろ
う
か
。
人
た
ち
は
西
表
島
に
渡
っ
て
独
自
に
船
造
記
述
を
ど
の
よ
う
に
捉
え
る
か
。
黒
島
の
重
山
芸
能
と
民
俗
﹄
宮
良
賢
貞
著
︶
と
の
や
し
て
六
段
帆
を
造
っ
た
の
で
あ
る
﹂
︵
﹃
八
名
あ
り
︶
に
渡
っ
て
一
ケ
月
の
日
時
を
費
ギ
ャ
ド
︵
山
に
桑
の
木
が
多
い
か
ら
そ
の
に
あ
る
、
黒
島
の
造
船
場
浦
田
の
ク
ワ
ン
男
が
く
り
舟
で
西
表
島
の
仲
良
川
の
川
口
ば
が
船
ぬ
生
り
や
/
甲
寅
に
ど
生
り
た
た
。
挙
式
の
神
歌
は
以
下
の
よ
う
で
あ
る
。
入
ら
な
い
よ
う
に
す
る
こ
と
︶
式
を
挙
げ
木
と
の
合
目
に
ボ
ロ
布
を
差
し
込
み
水
が
が
半
ば
出
来
た
頃
に
ア
シ
イ
ザ
シ
︵
木
と
っ
て
、
仕
事
を
始
め
た
と
い
わ
れ
る
。
船
え
、
無
事
に
船
が
完
成
で
き
る
こ
と
を
祈
造
船
の
時
は
、
こ
の
テ
ン
ダ
テ
ィ
を
唱
る
/
神
ぬ
に
ど
生
り
た
る
/
ア
シ
イ
ザ
61
る
宮
里
海
岸
に
建
つ
。
浦
御
嶽
は
、
豊
年
祭
の
船
漕
ぎ
が
行
わ
れ
し
十
五
歳
か
ら
五
十
歳
ま
で
の
健
康
体
の
な
は
=
に
、
の
上
に
︵
﹃
八
重
山
民
俗
誌
﹄
喜
舎
場
永
ま
ほ
し
と
相
語
り
け
れ
は
念
願
相
叶
ひ
喜
屋
武
御
嶽
は
、
島
の
女
性
が
島
に
安
う
で
あ
る
。
八
嶽
の
由
来
を
た
ず
ね
る
と
、
以
下
の
よ
ど
海
岸
の
近
く
に
あ
る
こ
と
が
特
徴
だ
。
し
て
い
た
。
場
所
は
二
嶽
を
除
き
ほ
と
ん
﹁
公
儀
御
嶽
﹂
と
し
て
信
仰
の
中
心
を
形
成
し
て
親
し
ま
れ
て
い
る
。
王
府
時
代
に
は
島
に
は
八
つ
の
御
嶽
が
あ
り
、
﹁
八
嶽
﹂
と
弟
が
公
用
船
の
船
員
に
選
ば
れ
、
八
重
山
北
神
山
御
嶽
は
、
航
海
術
に
勝
れ
た
兄
著
︶
。
船
嶽
に
参
詣
し
て
儀
式
を
行
っ
た
所
で
あ
る
﹂
時
司
を
始
め
、
大
工
並
び
に
村
民
等
が
御
と
進
水
式
︵
す
ら
お
ろ
し
︶
の
儀
式
等
の
船
浦
御
嶽
は
造
船
中
の
祈
願
と
航
海
安
全
茲
に
船
浦
御
嶽
を
創
建
し
た
の
で
あ
る
。
を
移
転
し
、
以
て
造
船
業
を
盛
ん
に
し
、
た
が
、
其
の
後
宮
里
村
の
船
浦
に
造
船
所
の
造
船
所
は
南
フ
タ
村
の
ま
き
泊
で
あ
っ
村
で
拝
殿
を
創
建
し
、
村
の
旅
御
嶽
と
し
村
び
と
は
妹
が
祈
る
場
所
を
霊
場
と
考
え
、
の
祈
り
は
通
じ
、
無
事
に
帰
省
し
て
き
た
。
ち
の
平
安
無
事
を
祈
り
続
け
て
い
た
。
妹
海
し
た
。
そ
の
都
度
、
彼
ら
の
妹
は
兄
た
と
王
府
の
あ
っ
た
首
里
の
間
を
何
度
も
航
月
は
旧
暦
の
四
月
、
島
の
農
閑
期
を
利
用
が
分
か
る
が
、
そ
れ
に
対
し
て
﹁
新
造
の
船
は
古
見
、
船
浦
で
行
わ
れ
て
い
た
こ
と
は
六
年
目
に
新
造
し
た
と
い
わ
れ
る
。
造
五
反
帆
の
地
船
を
管
理
し
た
が
、
そ
の
船
れ
役
割
分
担
し
て
管
理
し
た
。
黒
島
村
は
反
帆
船
か
ら
三
反
帆
船
ま
で
を
、
そ
れ
ぞ
た
。
蔵
元
は
十
二
反
帆
船
を
、
各
村
は
十
も
の
も
含
め
て
、
船
材
は
各
村
で
分
担
し
ま
れ
の
故
・
上
勢
頭
亨
氏
は
﹁
航
海
の
始
場
所
だ
っ
た
こ
と
が
分
か
る
。
竹
富
島
生
を
渡
航
す
る
船
び
と
の
航
海
安
全
を
祈
る
と
を
本
旨
と
し
て
い
る
。
嶽
名
か
ら
島
間
も
ち
、
航
海
の
無
事
に
感
謝
を
捧
げ
る
こ
は
、
八
御
嶽
で
は
な
い
が
、
海
と
関
連
を
島
の
北
海
岸
沿
い
に
あ
る
阿
名
泊
御
嶽
※
み
み
じ
や
=
舟
下
駄
り
/
人
け
ー
ら
喜
ば
し
給
う
り
嘉
例
吉
た
ん
か
ー
/
し
い
と
ー
り
ん
/
ぬ
ず
ま
り
給
う
り
/
旅
ふ
く
ば
/
で
ん
/
か
わ
ら
ん
ち
く
ん
/
人
け
ー
ら
し
/
給
う
る
と
っ
り
/
い
ち
ん
い
ち
ま
と
ゆ
ま
し
/
ば
が
け
ー
ら
と
ゆ
ま
な
は
/
休
息
/
わ
ー
り
と
う
り
/
舟
神
し
妹
神
か
た
べ
造
け
る
船
に
名
付
あ
ら
け
れ
は
島
仲
申
様
汝
年
頃
に
も
な
か
れ
あ
は
れ
し
兄
に
食
事
を
あ
た
へ
ん
と
来
ら
ん
と
思
ひ
木
を
伐
り
造
け
る
折
節
妹
物
と
感
心
し
て
先
此
形
に
似
せ
船
を
作
形
あ
る
を
兄
島
仲
見
付
取
揚
不
思
議
成
き
と
云
所
に
三
日
月
の
輪
の
様
な
る
船
み
よ
ー
に
=
御
舟
祈
願
所
だ
っ
た
と
い
う
伝
承
は
薄
い
。
は
れ
し
五
歳
な
る
者
居
け
る
或
時
ほ
さ
﹃
琉
球
国
由
来
記
﹄
巻
二
十
一
に
よ
る
と
、
彷
彿
さ
せ
る
。
イ
カ
ナ
イ
信
仰
が
脈
打
っ
て
い
る
こ
と
を
年
祭
に
は
船
漕
ぎ
の
儀
式
が
あ
り
、
ニ
ラ
航
海
の
始
ま
り
の
島
だ
と
い
わ
れ
る
。
豊
て
い
る
。
ま
た
、
造
船
の
伝
説
が
あ
り
、
海
と
の
つ
な
が
り
を
有
す
る
由
来
が
残
っ
嶽
は
、
ほ
と
ん
ど
航
海
安
全
に
関
与
し
、
の
神
と
関
わ
り
が
深
い
。
底
御
嶽
が
あ
る
が
、
同
御
嶽
も
航
海
安
全
れ
た
と
い
う
伝
説
が
あ
る
。
近
く
に
伊
見
祈
願
し
た
場
所
が
旅
御
嶽
と
し
て
建
て
ら
安
を
心
を
込
め
て
祈
願
し
た
。
そ
の
妻
が
帰
郷
す
る
こ
と
に
な
り
妻
は
夫
の
一
路
平
と
島
の
女
性
が
夫
婦
に
な
っ
た
が
、
夫
が
保
里
御
嶽
は
、
島
に
漂
着
し
た
大
和
人
嶽
は
直
接
海
と
か
か
わ
り
、
航
海
安
全
の
慶
多
御
嶽
、
迎
里
御
嶽
が
あ
る
が
、
両
御
承
が
あ
る
。
こ
の
ほ
か
、
八
嶽
に
は
南
風
ろ
、
農
作
物
が
豊
か
に
実
っ
た
と
い
う
伝
と
な
り
、
こ
れ
を
安
置
し
祈
願
し
た
と
こ
イ
ビ
も
消
失
し
て
い
る
。
海
の
石
が
霊
石
あ は
■
る ﹃ 八 造
上 。 八 重 船
代
重 山 の
竹
山 で は
富
島 の じ
村
由 造 ま
に
来 船 り
島
記 の
仲
﹄ 始
と
に ま
申
そ り
者
の に
七
記 つ
歳
述 い
あ
が て
保
慶
御
嶽
は
、
御
嶽
の
原
型
を
失
い
、
れ
あ
り
﹂
と
唱
え
た
。
60
い
わ
れ
る
。
り
魚
舵
黒
島
島
仲
ア
ナ
ド
マ
リ
是
■
航
海
安
全
と
御
嶽
か
ら
海
と
関
わ
る
文
化
が
あ
り
、
特
に
御
型
的
な
﹁
ヌ
ン
グ
ン
島
﹂
で
あ
る
。
往
古
ど
と
呼
ば
れ
、
隆
起
珊
瑚
礁
か
ら
な
る
典
は
、
﹁
フ
シ
マ
﹂
ま
た
は
﹁
サ
フ
シ
マ
﹂
な
八
重
山
諸
島
の
ほ
ぼ
中
央
に
あ
る
黒
島
し
た
と
い
う
由
来
が
あ
る
。
で
祈
願
し
た
場
所
を
旅
御
嶽
と
し
て
創
建
無
事
に
帰
省
す
る
こ
と
が
で
き
た
。
そ
こ
航
海
安
全
を
祈
願
し
た
と
こ
ろ
、
役
人
は
と
恋
仲
に
な
り
、
役
人
が
島
を
離
れ
る
時
、
着
し
た
宮
古
古
島
の
テ
フ
ヌ
主
︵
若
文
子
︶
安
全
を
祈
願
さ
せ
る
た
め
に
創
建
し
た
と
女
性
を
、
自
分
の
旅
立
ち
に
際
し
て
航
海
子
が
在
任
中
に
賄
女
と
し
て
娶
っ
た
島
の
に
よ
る
と
王
府
時
代
に
、
黒
島
首
里
大
屋
﹁
由
来
不
相
知
﹂
と
あ
る
。
し
か
し
、
古
老
仲
盛
御
嶽
は
、
﹃
琉
球
国
由
来
記
﹄
に
は
寄稿
航
海
の
島
・
黒
島
通
事
孝
作
こ
と
が
伝
承
と
し
て
残
る
。
が
通
じ
、
旅
御
嶽
と
し
て
聖
地
に
な
っ
た
し
姉
妹
が
霊
的
な
庇
護
を
発
揮
し
て
祈
り
オ
ナ
リ
神
と
関
わ
り
、
兄
弟
の
危
難
に
対
る を て
南 。 た 深
神
ず く
山
ね 崇
御
る 敬
嶽
と し
は
、 た
、
オ 、
そ
ナ と
の
リ い
由
神 わ
来
を れ
を
想 る
繙
起 。
く
さ 由
と
せ 来
、
ま
海のすぐ近くにある阿名泊御嶽
う
話
だ
が
、
こ
れ
を
八
重
山
蔵
元
の
役
人
ら
れ
無
事
に
黒
島
に
戻
っ
て
き
た
、
と
い
多
良
間
真
牛
が
、
半
年
の
後
、
鱶
に
助
け
の
こ
と
。
遭
難
し
て
無
人
島
に
流
さ
れ
た
起
こ
っ
た
の
は
一
八
四
三
年
︵
道
光
二
三
︶
関
わ
る
。
記
録
に
よ
る
と
、
こ
の
奇
蹟
が
間
真
牛
の
話
﹂
が
あ
る
が
、
こ
れ
も
海
と
島
に
は
、
ま
た
﹁
鱶
に
救
わ
れ
た
多
良
に
櫂
を
漕
ぐ
。
そ
の
光
景
は
圧
巻
で
あ
る
。
か
ら
﹁
世
﹂
を
手
繰
り
寄
せ
よ
う
と
必
死
す
漕
ぎ
手
は
腕
に
力
が
漲
り
、
海
の
彼
方
い
に
競
漕
す
る
が
、
全
身
全
霊
を
櫂
に
託
独
特
の
船
に
二
十
二
人
が
乗
り
込
ん
で
互
い
る
。
パ
ー
レ
で
は
サ
バ
ニ
と
は
違
う
島
か
ら
給
る
﹂
と
の
考
え
を
根
強
く
持
っ
て
と
か
ら
﹁
豊
作
は
波
渡
か
ら
、
海
の
彼
方
し
き
わ
ー
ら
﹂
と
あ
い
さ
つ
を
交
わ
す
こ
ば
仕
差
、
た
ん
と
う
の
豊
作
ば
漕
い
満
ち
り
か
ら
給
る
と
言
っ
て
、
今
日
は
パ
ー
レ
老
た
ち
は
豊
年
祭
の
当
日
、
﹁
豊
作
や
波
渡
信
仰
が
底
流
に
あ
る
よ
う
に
思
え
る
。
古
彼
方
か
ら
豊
穣
を
求
め
る
ニ
ラ
イ
カ
ナ
イ
競
漕
は
、
﹁
世
乞
い
﹂
に
通
じ
て
お
り
海
の
る
。
島
で
パ
ー
レ
と
呼
ば
れ
る
船
漕
ぎ
の
ぎ
は
ユ
ニ
ー
ク
な
島
の
文
化
を
感
じ
さ
せ
※
砂
川
哲
雄
氏
作
成
航
海
と
深
く
関
わ
る
が
、
豊
年
祭
の
船
漕
島
は
海
の
文
化
の
ひ
と
つ
で
あ
る
造
船
、
話
は
語
り
継
が
れ
、
記
録
化
さ
れ
て
い
る
。
□発行:笹川太平洋島嶼国基金 〒108-0073 東京都港区赤坂1-2-2 ℡03-6229-5450
編集:南山舎 〒907-0004
沖縄県石垣市登野城88-1
わ
れ
て
い
た
。
多
良
間
真
牛
の
話
は
公
然
と
な
り
、
多
く
告
し
た
。
そ
の
結
果
、
鱶
に
助
け
ら
れ
た
が
調
査
し
、
そ
の
記
録
を
首
里
王
府
に
報
賜
さ
れ
て
い
る
。
島
で
は
古
く
か
ら
そ
の
良
間
真
牛
は
、
後
に
王
府
か
ら
賞
品
を
下
の
人
た
ち
の
知
る
と
こ
ろ
と
な
っ
た
。
多
司
会
:
友
寄
英
正
実
行
委
員
長
■
パ
ー
レ
・
多
良
間
真
牛
早
川
理
恵
子
さ
ん
℡09808-2-
Fly UP