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A3判表裏カラーPDF - 群馬県立土屋文明記念文学館
つち しょう がく ご しち ご しち しち や ぶん せい さんじゅういちおん めい う み そ ひ と も じ たん かじん か たん よ よ つちやぶんめい いま かか きょう しつ かみ ん にせんじゅうにねんじゅういちがつ はっこう 二〇一二年十一月 発行 にせんじゅうよねんじゅういちがつ だいさんさつ はっこう げ ぶん しも か さんこう 参考 こんの す み 今野寿美 つく ばあい かしゅう なか まんようしゅう けんきゅう かじん ねっしん つちやぶんめい いっしゅ はっぴょう たんか よ たんか おこな ざっし つく ひと ことばがき はっぴょう まえ ひと ぶんかくんしょう あ み あと ほん ことばがき にほん ざっし じゅしょう よ よ あと あま いちばんふる じんせい すうしゅ かしゅう く たんか ぐんまけんめいよけんみん かしゅう に わ すうじゅっしゅ じょうきょう せつめい 場合がほとんどです。︵マンガがはじめ雑誌に発表されて後で本になるのと似ています。︶ たんか いっしゅ しょうこうじょう ぬ さんそようせつ ちめい だ よ ひかり よ みりょく とうきょうしじょうとうく げんざい ことばがき かしゅう つちやぶんめい たんい だいさんかしゅう さんこくしゅう よ よ ことば みりょく た た ん か うた あつ ひゃくさい はっぴょう ぶんしょう せんきゅうひゃくさんじゅうごねん 土屋文明︵第三歌集﹃山谷集﹄︵一九三五年︶︶ すなまちしじゅっちょう とうきょうとこうとうく よる なか しじゅっちょう はい いま かしゅう こ う と う く ひがしすな 歌集の中では、いくつかの短歌をまとめて、その前に﹁詞書﹂と呼ばれる、状況を説明する言葉や文章が入ります。 いっしゅ 短歌には、一首だけ抜き出して読む魅力もあれば、詞書、歌集といった単位でまとめて読む魅力もあるのです。 とくちょう 特徴のある一首を読んでみよう! ﹁小工場に酸素熔接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす﹂ い み とうきょうとうぶ ちめい ︵しょうこうじょうに さんそようせつの ひらめきたち すなまちしじゅっちょう よるならんとす︶七八六九七 すなまち ︻意味︼小工場に酸素溶接︵の光︶がひらめきたち、砂町四十町は夜になろうとしている。 たんか たんか ﹃作ってみよう らくらく短歌﹄ に せ ね ど ん ふ く かいせいしゃ ん く ちょうめ ぼ 副読本 ん ﹃読んでみよう わくわく短歌﹄ よ 群馬県立土屋文明記念文学館 ︵ともに二〇〇〇年、偕成社︶ ん たかさきしりつかみさとしょうがっこう ご しち しち した 高崎市立上郊小学校 ぐんまけんりつつちやぶんめいきねんぶんがくかん ︵二〇一四年十一月 第三刷︶ へんしゅう きょうりょく 編集・発行 て 協力 とう く ~伝統的な言語文化に親しむ~ ご しち ご う せんきゅうひゃくきゅうじゅう 一九九0) ぐ ん ま け ん た か さ き し ほ ど た ま ち せんはっぴゃくきゅうじゅう 土屋文明の短歌を読む ぐんま ぐんまけんにしぐんまぐんかみさとむら 群馬が生んだ歌人・土屋文明(一八九〇 つちやぶんめい な が い けんりつぶんがくかん まで長生きしました。 たんか 県立文学館ホームページ﹁土屋文明ってこんな人!﹂を見ると、その人生がよく分かります。 ぶんめい いっしゅ 文明の短歌を一首だけで読む、詞書と合わせて読む、歌集として読む たんか … めた本︶である﹃万葉集﹄の研究も熱心に行いました。文化勲章を受章し、群馬県名誉県民になり、百歳 ほん グループのリーダーとして活躍した歌人︵短歌を作る人︶です。日本で一番古い歌集︵短歌などの歌を集 かつやく 土屋文明は、群馬県西群馬郡上郊村︵今の群馬県高崎市保渡田町︶に生まれ、﹁アララギ﹂という短歌の - 短歌が一首だけで発表されることは、ほとんどありません。雑誌に数種から数十首ぐらいまとめて発表され、それが後で歌集にまとめられる あと 短歌の五七五七七の三十一音を三十一文字と呼ぶことがあります。はじめの五七で五を﹁上きの句﹂、後の七七を﹁下の句﹂といいます。 ご しち ご しょく に だい さ ん く だ い よん く けっく おと おお じ すく じ しち しち 五七五はそれぞれ﹁初句﹂、 ﹁第二句﹂、 ﹁第三句﹂、七七は﹁第四句﹂、 ﹁結句﹂といいます。音が多いのが﹁字余り﹂、少ないのが﹁字足らず﹂です。 ちい なが 長音︵ちょうおん︶ いちおん ちい かぞ 小さい﹁っ﹂や﹁ん﹂、カタカナなどを長くのばす﹁ ー ﹂も一音ですが、小さい﹁ゃ﹂﹁ゅ﹂﹁ょ﹂は数えません。 だい く あいだ あ ぎょう か か きほん た ん か いっしゅ 短歌一首は、ことばとことばの間を空けたり行を変えたりしないでつなげて書くことが基本です。 たんか 短 歌 教 室 とうきょう したまち つちやぶんめい ちい ことばがき つづ こうじょう つづ きんぞく こうじょう たんか だ い き ゅ うか かしゅう たんか ぶんめい たか おんど きかいてき ぜんぶ せいなんしゅう よ と よ いちれん たんか せんきゅうひゃくろくじゅうななねん まんようしゅうしちゅう ななひゃくごじゅうきゅうねんにがつふつか ほん よ ぜんにじゅっかん なか ななひゃくろくじゅうねんいちがつにじゅうににち ようせつ とうじ ことばがき げんこう うた か お さぎょう あたら しちゅうこうりょう じぶん いけん い み お ご よ しゅ たんか さんねんまえ て 東京の下町の小さな工場で、金属を高い温度にして溶かしてつなぎあわせる﹁溶接︵熔接︶﹂作業をしているところを詠んだ短歌です。 ひと あと 一つの詞書に続く短歌を全部読んでみよう! ことばがき つ つづ 土屋文明には、こうした工場などの機械的なものを詠んだ短歌があって、これは当時、かなり新しいものでした。 ひと つちや ぶんめい 一つの詞書の後に続く短歌のまとまりである﹁一連﹂をすべて読んでみることにしましょう。 ことばがき せいれき いま 土屋文明の第九歌集﹃青南集﹄︵一九六七年︶の中で詞書﹁私注稿了﹂に続く五首 しちゅうこうりょう てんぴょうほうじさんねん つ ﹁※ 私注稿了﹂という詞書は、文明が﹁﹃万葉集私注﹄という本︵全二十巻︶の原稿を書き終えた﹂という意味です。 まんようしゅうしちゅう まんようしゅう ぶんめい じぶん いけん の ほん ﹃万葉集私注﹄は、万葉集について文明が自分の意見を述べた本です。 宝字三年注しをへたり今ぞ切る三年前のマニラ一本 い み ︵ほうじさんねん ちゅうしおえたり いまぞきる さんねんまえの まにらいっぽん︶七七五七七 さん ふう き いっぽんす れたマニラ産たばこの封を切って一本吸おう。 鉄ペンも得難き時に書き始め錆びしペンの感覚今に残れり い み しちゅう てつ さき てつ まんねんひつ て い むずか とき か ︵てつぺんも えがたきときに かきはじめ さびしぺんのかんかく いまにのこれり︶五七五十七 か つづ かんかく て いま のこ さびたペンで書き続けた。︵その感覚が手に︶今も残っている。 浅葱の枯れて野びるはかじかまり吾が腰抜ける二月近づく い み いっしゅ か しょくぶつ さむ ︵あさつきの かれてのびるは かじかまり あがこしぬける にがつちかづく︶五七五七七 はじ 年々の足の立たなくなる二月恐れて冬のひよこを買はず い み まいとし あし た にがつ しんぱい せ わ ふゆ ︵としどしの あしのたたなく なるにがつ おそれてふゆの ひよこをかわず︶五七五七七 金柑の貝殻虫を落したり温かき日はただたのしくて い み お あたた ︵きんかんの かいがらむしを おとしたり あたたかきひは ただたのしくて︶五七五七七 ごしゅなら よ ちょくせつ しちゅう かんけい さいしょ にしゅ さんしゅ おな じ き ︻意味︼キンカンについたカイガラムシを落としたりして︵過ごす︶暖かい日はただたのしい。 しゅう よ か なが なか ぶんめい ふだん せいかつ なか ふか みりょく はい かん こ じかん あつ か こし ぬ つた よ にがつ ちか いっしゅ じ み か ﹁私注﹂を書くことが文明の普段の生活の中に深く入り込んでいたことや、その時間の厚みのようなものが伝わります。 一首ずつは地味でも、歌 しちゅう 五首並べて読んでみると、直接﹁私注﹂と関係があるのは最初の二首だけで、あとの三首は、同じ時期の他のことを詠んでいます。こうすることで、 ほか ︻意味︼毎年足が立たなくなる二月が心配で、︵世話ができなくなることがないように︶冬のひよこを買うことはない。 か ︻意味︼︵ネギの一種︶アサツキが枯れ、ノビル︵という植物︶が寒さでかじかんだようになり、私の腰が抜ける二月が近づく。 わたし ︻意味︼この﹁私注﹂は鉄ペン︵ペン先が鉄でできた万年筆︶を手に入れることが難しかった時に書き始めた。 ︵新しいものを買えなかったので︶ あたら ︻意味︼天平宝字三年︵西暦では七五九年二月二日∼七六〇年一月二十二日︶の歌に、自分の意見を付け終わった。今こそ三年前に手に入 い 砂 ※町は東京東部の地名で、東京市城東区︵現在の東京都江東区︶にありました。その中の地名﹁四十町﹂は今の江東区東砂8丁目のあたりです。 つ ち や ぶ ん め い の す ひ 集を読む流れの中での、まとまりとしての魅力を感じることができるのです。 土屋文明 小 学 生 おも しろ たん か つく ことば い 面白い短歌を作るには ぐたい てき なまえ さいぐさゆう … とうじしょうがっこうよねんせい インパクトのある言葉を入れてみよう! こ ゆ う め い し せんきゅうひゃくきゅうじゅうよねんいちがつごう 固有名詞︵具体的な名前など︶ 三枝悠︵当時小学校四年生︶︵﹃りとむ﹄一九九四年一月号︶ ﹁石頭パキケファロサウルスゴツンゴツン卵胎生の草食恐竜﹂ い み あたま おお かた いしあたま あたま おや じぶん ︵いしあたま ぱきけふぁろさうるす ごつんごつん らんたいせいの そうしょくきょうりゅう︶五九六七八 らんたいせい にくるい た しょくぶつ に く た しちおん そうしょく きょうりゅう じあま はい なが ことば ふた いじょう く からだ なか たまご く ふ か ︻意味︼︵頭が大きく固い︶石頭のパキケファロサウルスがゴツンゴツン︵と頭をぶつける︶。︵メスの親が自分の体の中で卵を孵化させる︶ きゅうおん 卵胎生で、︵肉類を食べずに植物を食べる︶草食の恐竜だ。 そら くず かぜ だいち おお やま な かず ひと ふ おと … し あらわ いま きたはらはくしゅう ことば だいいちかしゅう きり つよ はな いんしょう のこ せんきゅうひゃくじゅうさんねん 北原白秋︵第一歌集﹃桐の花﹄︵一九一三年︶︶ め ことば よ さ の あ き こ み ひ ら ぎ お ん ご だいごかしゅう うご ようす つか まいひめ あらわ こ と ば じぶん せんきゅうひゃくろくねん 与謝野晶子︵第五歌集﹃舞姫﹄︵一九〇六年︶︶ さんびゃくとう ぼくじょう ほう おな わかうま ぐたいてき ことば ほか みみ がいこく く かぜ ことば かえ ふ ぎ た い ご ぐ かた なか おな ことば なんど で か ぶんしょう で つか ときいじょう おもしろ な 短歌の中に同じ言葉が何度も出てくると、ふつうの文章に出てくる時以上にインパクトがあります。 た ん か ま か か わたしひとり だいいちかしゅう さんぎょうわ たぎょう わ だいいちかしゅう はな よ あらわ インパクトのある言葉には他に外国の言葉などがあります。 ﹁GUNMA﹂のように、アルファベットで書き表 なか してもよいのです。 しち ご しち しち か しち ご すな いちあく が すな せんきゅうひゃくじゅうねん とも かたち か うえ あたら じぶん つま えら いっしょ かしゅう め み 花を買ってきて、妻と一緒に愛でる。 はな が ひ ︻意味︼友だちがみんな自分より偉く見える日は、 い み ︵ともがみな われよりえらく みゆるひよ はなをかいきて つまとしたしむ︶五七五七七 木︵第一歌集﹃一握の砂﹄︵一九一〇年︶︶ いしかわたくぼく 石川 わ なか あかむらさきいろ きほん か パキケファロサウルスは九音ですが、二句の七音のところに字余りで入っています。長い言葉は二つ以上の句にまたがる﹁句またがり﹂で詠 ぎ た い ご んでもよいですね。多くの人が知っているわけではない言葉は、このように強く印象に残ります。 ぎ お ん ご 擬音語・擬態語︵オノマトペ︶ ﹁梟はいまか眼玉を開くらむごろすけほうほうごろすけほうほう﹂ い み ︵ふくろうは いまかめだまを ひらくらん ごろすけほうほう ごろすけほうほう︶五七五八八 かえ ︻意味︼フクロウは、︵鳴きながら︶今、目を見開いているのだろうか。﹁ごろすけほうほうごろすけほうほう﹂と鳴いている。 く ふつう カタカナの繰り返しなどで音を表した言葉が擬音語、動きや様子を表した言葉が擬態語です。あわせてオノマトペといいます。 ぐ た い て き なつ かえ ぎょう ん ﹁ごろすけほうほうごろすけほうほう﹂のように、普通には使われていない自分だけのオノマトペを使うと、面白いですね。 す う し 数詞︵具体的な数︶ ﹁夏の風山よりきたり三百の牧の若馬耳ふかれけり﹂ い み ︵なつのかぜ やまよりきたり さんびゃくの まきのわかうま みみふかれけり︶五七五七七 さんびゃく ︻意味︼夏の風が山から吹いてきて、三百頭の牧場にいる若馬の耳が︵風に︶吹かれている。 きごう ご ﹁たくさんの﹂というより、﹁三百の﹂という方が、具体的なイメージがわいてきます。 がいらいご みじか 外来語・記号など く こんなに短い五七五七七の中で、同じことばを繰り返してもよいの? はんぷく 反復︵繰り返し︶ たんか が 「短歌らしい」書き方にとらわれないで書いてみよう! わ 分かち書き いちあく 友がみな我よりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ かた おお ひと なんきょうしんしょう せんきゅうひゃくにじゅうよねん 木の﹃一握の砂﹄はすべて﹁三行分かち書き﹂の、形の上でも新しい歌集でした。 いしかわたくぼく 石川 だいいちかしゅう 会津八一︵第一歌集﹃南京新唱﹄︵一九二四年︶︶ あ い づ や い ち もっと多くの行に分けて書く﹁多行分かち書き﹂をする人もいます。 い ち じ あ ひらがな︵一字空け︶ ﹁あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ﹂ い み た かん さび きみ ぶつぞう ほほえ ︵あめつちに われひとりいて たつごとき このさびしさを きみはほほえむ︶五七五七七 いんしょう た ん か いんしょう つく たんご あいだ いちじ あ とくちょう ︻意味︼空と大地の中で、私一人いて立っているように感じるこの寂しさを、君︵仏像︶は微笑んで︵なぐさめて︶くれる。 かんじ あ い づ や い ち 漢字にはかたい印象、ひらがなにはやわらかい印象があります。 しゃくちょうくう うみ いい せんきゅうひゃくにじゅうごねん 釈迢空︵第一歌集﹃海やまのあひだ﹄︵一九二五年︶︶ 会津八一は、ひらがなだけの短歌をたくさん作りました。単語の間を一字空けることも特徴です。 くとうてん 句読点 ﹁葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり﹂ い み つか ふ しんせん いろ み に ほ んご ぶんしょう なか わ つか やまみち ひろ ある み め ひと えら さんじゅうろっかじん けんりつぶんがくかん ちょうくう やいち たくぼく ︵くずのはな ふみしだかれて いろあたらし このやまみちを ゆきしひとあり︶五七六七七 め い じ い こう ︻意味︼葛の︵赤紫色の︶花が踏まれて、新鮮な色が見えている。この山道を歩いていった人がいる。 くとうてん たんか 句読点︵﹁、﹂と﹁。﹂︶は、明治以降になって、日本語の文章の中で広く使われるようになりました。 短歌では使わないのが基本ですが、入れてみると読むリズムが分かり、また見た目のアクセントにもなります。 ★ 木、八一、迢空は、県立文学館オリジナルの「三十六歌人」に選ばれ、 にんぎょう じっさい み フィギュアのような人形があります。ぜひ実際に見にきてください! けんりつぶんがくかん さんじゅうろっかじん み 県立文学館ホームページ「三十六歌人ってだれ?」も見てくださいね!