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「謎の多い島、イースター島」

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「謎の多い島、イースター島」
「謎の多い島、イースター島」
塩田 悦三郎
1.はじめに
イースター島は、チリ国内なので行ったことがある人が多いのではないかと思いす。
しかし、イースター島は謎の多い島なので何度行っても興味は尽きないのではないでしょうか。
私自身たった1度6日間行っただけですが、帰って来てからますます興味を持つようになりました。
行く前より後の方が文献を読んだり、博物館の展示を注意深く見るようになっています。
「イースター島の魅力=謎」について述べさせていただきます。みなさまがイースター島へいらっしゃる時のご参考になれば幸いです。
2.地理と歴史のあらまし
イースター島は、スペイン語で「イスラ・デ・パスクア」、現地語で「ラパ・ヌイ」と言う。チリ本土から西へ約3,700km、飛行機で5
時間余のところにある。
人口 3,800人。亜熱帯の小さな島。島名の由来は、1722年にオランダ海軍提督、ヤコブ・ロッゲフェーンがこの島へ上陸し
た日がたまたまイースターの日だったので「イースター島」と命名したといわれている。
イースター島は、1888年にチリ領土になった。チリ領土になるまでには様々な経緯があった。主なものは次の通り。
1722年 オランダ海軍提督、ヤコブ・ロッゲフェーン上陸。外界と初接触。
1770年 スペイン人船長、ドン・フェリペ・ゴンザレス、スペイン領を宣言。
「サン・カルロス島」と命名。
1862年 ペルー人による奴隷狩り。約1000人をペルーに連れ去る。
1863年 ペルー、各国の非難を受け奴隷を解放するも、過酷な労働で既に900人が死亡。残りの100人は、天然痘に罹
患。生還者、15人。
1888年 チリ戦艦艦長、ポリカルポ・トロ・ウルタド、チリ領を宣言。
3. ポリネシアン・トライアングル
イースター島は、ハワイとニュージランドとを結ぶポリネシアン・トライアングルの一角で、かつて人々はトライアングル内の島々をカヌ
ーで行き来していたとのこと です。昔の人はなんと壮大な冒険をやっていたのでしょう。
4.イースター島の住民のルーツ
イースター島の住民のルーツについては、ポリネシア系説と南米系説との二つの説がある。南米系説の根拠は、
(1)モアイの台座の石組みの精巧さが、ペルーの石組みの精巧さとよく似ている。
(2)火口湖に繁茂する葦は、南米の葦と同種類である。
(3) 潮流や風の動きから判断して、南米の古代文明国家から移住した可能性が大である。
等々。しかし現在では、民俗学的にも言語学的にもポリネシア系説が優勢。
5.モアイ
イースター島は、モアイの島で有名。全島に約900体あると言われている。製造途中で放置されたのや、倒されたり、風化しつ
つあるのをいれるといくつになるのだ ろうか。このモアイは、大きさ・顔かたち・表情・立っているかいないかなどとそれぞれどこかが異
なる。全て男性と言いたいのだが、一体だけ「女モアイ」が ある。
首がないモアイで胸のふくらみがあるから女性とわれているが、男でも胸がふくらんでいる人がいるから断定できない。
モアイはすべてアフという石の祭壇の上に置かれていて、それぞれの一族の長の館に向かって立っていた。しかし、海 を向いている
モアイの群が 1 箇所だけあ る。島の中部にあるアキビのモアイだ。 7体ある。彼等は遠い海のかなたをみつ めている。彼等が見
つめている方角は、 春分・秋分の日没の方向と一致する。
6.モアイ戦争
18世紀後半、彼らは時々戦って相手のモアイを倒した。モアイの造られた場所は、 島の東部のラノ・ララク 1 箇所だけだ。自分
たちの守り神のモアイは、出生が同じ場 所でいわば兄弟なのになぜ戦争なんかしたのだろう。それよりも伝説によれば、イー スタ
ー島に最初に住み着いたのはホツマツア王とその一族の200人と言われている。すなわち祖先は同じだった はずなのに戦争なん
かして。
さらに、戦争のあと勝者は敗者の何人かを炉でゆっくり焼き、刻み、食べたという。
いくら食料が乏しいからといって人間まで食べなくてもいいだろう。ライオンやトラでさえ共食いはしないというのに。私は、彼らが食
人をしたことは信じたくない。しかし、この悪習は19世紀まで続いていたという。1882年ドイツ人ガイスラーは食人の宴の後の踊
りを見たという。
アフ・ハンガ・テー
アフ・トンガリキ
モアイ戦争によって倒されたモアイ。すべ て顔面が下
イースター島最大の15体のモアイ像。1991年か
になっているのは、
ら1993年に日本の
眼にはある 種の霊力が宿っていると信じられていたか
企業によって復元された
ら。
イースター島は、モアイがあまりに有名だが、訪ねて見るべきところは沢山ある。
その一つは、日曜日朝の「ミサ」である。 村中の人々が着飾って集まる。島独特のゴスペルソングが感動的。信者でなくても聴く
人に感動を与える。内容はさっぱりわからないが司祭のお話を神妙に聴く。2列ほど前にいる女性がハンカチを出して目に当てて
いる。どうやら日本人のようだ。確かに、教会全体は厳粛な雰囲気だ。でも、それだけで涙しているのではないだろう。彼女は、司
祭の言葉がわかるのかもしれない。
8.ロンゴ・ロンゴ
ロンゴ・ロンゴという文字板がある。象形文字のようだが、未だに解読されていない。1862年のペルーによる奴隷狩りの際、文字
を読める長老達までが連れ去られたので島民で読めるものはいなくなってしまったのだ。そのコピーが、ホテルや土産店の飾りにな
っている。この文字板の変わっているのは、最初の行を右から読んだら、次の行は左から読むことだ。どなたかこの解読には挑戦し
てみませんか。
9.おわりに
「イースター島」は小さな島だが、いろいろと興味は尽きない。予備知識があれば楽しみは倍増する。一つ一つのモアイと対座し、
いにしえに想いを馳せれば時間はいくらあっても足りない。馬に乗ってモアイめぐりをするのもいいでしょう。時間に多少余裕のある
方は、ココヤシに囲まれた美しい白浜のアナケナ海岸で海水浴を楽しんで下さい。時間があまりない人は、「イースター島博物館」
で短期学習をすることをお 薦めいたします。
それではみなさん、「イオラナ」(注)。
(注)「イオラナ」は現地語(パスクエンセ)で「おはようございます」、「こんにちは」、 「こんばんは」、「さようなら」と何にでも使える便
利な言葉。この点、ハワイの「アロハ」に酷似する。ちなみに、「ありがとう」は「マウルル」と言う。
この文章は会議所会報 2004 年 10 月 197 号に掲載されました
ミサを終えて
アナケナ海岸のヤシ林
イースター島唯一の教会、ハンガ・ロア教会。
厳粛なミサを終えて村人は三々五々家路に着く
だと思わせる光景。
タヒチから移植したココヤシの林。イース ター島がポリネシアの一部
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