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宣研ニュースレター
日本バプテスト連盟宣教研究所
宣研ニュースレター
宣研ニュースレター
2011.2.23.
〒 336-0017
No.83
さいたま市南区南浦和
さいたま市南区南浦和1
市南区南浦和1丁目2
丁目2番4号/TEL 048-813-7567
巻頭言
植民地主義を超えて
宣教研究所所長
濱野道雄
「『和解という暴力』は、和解達成を
阻む主たる障害が被害者側の要求である
かのように主張し、和解という美名のも
とに被害者に対して妥協や屈服を要求す
る。…『和解という暴力』に反対する理
由は、それが真の和解への障碍だからで
ある。」「『和解という暴力』には、徹
底的に抵抗しなければならない。ただし、
その場合、私たちが立脚すべき地点は韓
国と言う一国へと閉ざされた国家主義的
ナショナリズムではなく、全世界の被害
者たちとの連帯へと開かれた反植民地主
義という原点である。」(徐京植『植民
地主義の暴力』、高文研、2010)
歴史のこの時点で、神学が目指すべき
ものは、どの分野にせよ、反植民地主義
的(ポストコロニアル)神学となること
だと私は思っています。ポストコロニア
ルの「ポスト」は、①現在ある植民地主
義に抗する神学、②植民地主義後の世界
を描く神学、の二つを意味します。この
神学でなければ、和解は聖書の示す真の
和解にならず、「和解という暴力」(画
一化という危険)にすらなりえます。ま
た同時に、様々な国家のナショナリズム、
- 1 -
また色々な運動のセクショナリズム、そ
して悪しき個人主義に陥り、「弱いもの
がさらに弱いものをたたく」世界(孤立
・無関心という危険)は激化します。
そして反植民地主義的神学は、具体的
な地からの問いかけによって、最も相応
しい形成ができるでしょう。沖縄での三
バプテスト合同牧師研修会(テーマ「バ
プテスト精神の今日的展開~沖縄から見
えるアジア・日本宣教~」)の準備が続
いています。そこでは共同宣言のみなら
ず、シンポジウム「21世紀、アジアに生
きるバプテストの可能性を沖縄で問う」
を計画しています。
初日は日本同盟から森島牧人先生によ
り講演「初期バプテスト史」、2日目午
前中は沖縄連盟から饒平名長秀先生によ
り講演「ベッテルハイムから今日に至る
までの沖縄から見る平和」が持たれます。
この二つの講演―バプテストと沖縄の視
点―を受けて、では私たちは何を行って
いくのか、教会の宣教を考えていく時が、
このシンポジウムです。そのシンポジウ
ムの流れを受け、「私たちバプテストは、
沖縄の痛みを共有し、主に『平和をつく
私たちの教会では起こっていない問題で
しょうか。運動の連帯を祈るのです。
テーマは「21世紀、アジアに生きるバ
プテストの可能性を沖縄で問う」です。
これからの時代、沖縄の歴史と現実に向
かい合いながら、神はアジアに生きる私
たちに、そしてバプテスト教会にどのよ
うな働き(宣教)を望まれているのでし
ょうか。反植民地主義的神学は、実際に
は具体的にどのような言葉で形成され、
どのような運動を起こすのでしょうか。
り出すもの』と呼ばれる教会を目指す」
という主旨の共同宣言を最終日に採択し
たいと願っています。
シンポジストとして、沖縄連盟から東
風平京子先生(沖縄バプテスト連盟女性
会元会長)、日本同盟から渡邊さゆり先
生(曽根キリスト教会牧師)、日本連盟
から村上千代先生(日本バプテスト女性
連合幹事)に立っていただきます。当日
の司会とコーディネートは吉高叶宣研運
営委員長(栗ヶ沢バプテスト教会牧師)
が担います。
研修会全体として、私たちバプテスト
が、植民地主義的な世界や宣教論をいか
に越えてゆくのかを考える時になればと
願っています。「誰かの犠牲の上に成り
立つ平和」と越えてゆきたいのです。そ
の際、既に長年、3バプテストの協力の
上に平和の宣教を積み重ねていらっしゃ
った女性(会)の皆様方にシンポジスト
になって頂きたいと考えました。更に、
沖縄の課題は自分たち一つひとつの教会
自身の問題でありますから、自らの教会
で「誰かの犠牲の上に成り立つ教会」を
超えてゆく必要があります。その際に、
性差別の克服は大切な事柄でしょう。実
際、沖縄における米軍による性暴力の問
題は深刻に続いています。そしてそれは
宣研ニュースレターでも前号から、シ
リーズ「『安保』と基地と沖縄―今、問
われている『日本』の宣教」を掲載して
います。特別委員会等のこれまでの取り
組みの射程には沖縄の痛みが入ってきた
し、今も入っています。それをそれぞれ
の委員会等から言葉にしてもらうことで、
紙上シンポジウムとなることを望んでい
ます。ご一読くださり、議論を広め、深
めていきましょう。
(はまのみちお/宣教研究所所長・花小
金井教会協力牧師)
シリーズ●「安保」と基地と沖縄-今、問われている「日本」の宣教
2
自分で考えてください
谷本
去年の夏のことがずっと心にひっかか
っている。バプテスト北九州地方連合8
・15平和集会に、沖縄から平良修牧師(日
本基督教団)をお招きしてお話をうかがっ
たときのことだ。
平良修牧師は1931年生まれ、現在79歳。
- 2 -
仰
1966年沖縄国際キリスト教短期大学学長
に35才で就任。その直後、第5代のアメ
リカ・沖縄高等弁務官就任式で「この弁
務官が沖縄最後の高等弁務官となります
ように」と祈り、物議を醸したことでも
知られる。アメリカでも「タイム」誌に
とりあげられるなど、大きな反響を呼ん
だが、その多くは牧師が政治的な祈りを
したことに対する疑問、反発、批判だっ
たという。
本来、祈りは神に対して直接捧げられる
ものであり、その直接性のゆえに自由だ。
そしてキリスト者の祈りは唯一、平和の
主イエス・キリストにのみ束縛された者
としての、神への訴えであるからこそ、
それ以外のすべてのものから自由なのだ。
真の祈りはこの自由さのゆえに、時に政
治を、そして神になりかわって人間を、
時代や世界を支配しようとする者たちを
根底から揺さぶる。「国家、民族、イデ
オロギー、経済、富、宗教的政治的権威、
自由と正義、道徳、両親、感情、感覚、
生命、自分自身、そして愛する者たち。
これら一切は服従の対象ではない」(平和
に関する信仰的宣言より) 。
私たちの祈りは自由だろうか。従軍牧
師が戦地で兵士たちの殺戮破壊行為の為
に祈る祈りや、戦時中の1944年に、富田
満・日本基督教団統理がアジア諸国の教
会宛に日本の侵略戦争と支配の正当化の
ために書き送った「日本基督教団より大
東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」
の中の祈りのような、暴力や抑圧に屈従
する、偽りの祈りになっていないだろう
か。
平良修牧師は静かに淡々と語られた。
薩摩藩、明治政府による琉球の領有と支
配、アメリカによる統治、そして米軍基
地を伴う「本土」復帰。幾度も繰り返さ
れてきた「琉球処分」。日本の米軍専用
基地の75%が、国土のわずか0.6%の沖縄
県に集中していること。日米安保条約体
制こそが、沖縄米軍基地の存在を支えて
きたこと。
ただ、それらは沖縄に関する問題につ
いて書いてある本に必ず書いてある、い
わば基本中の基本だ。期待していた普天
間や辺野古の現状についての話も、あま
り聞けなかった。少々首をかしげるよう
- 3 -
な思いで講演を聴き終えた後の質疑応答
で、しかし、ぼくは大きな衝撃を受ける。
「日本の人間として、沖縄の人々と連帯
するために何ができるでしょうか」との
フロアからの質問に、平良修牧師は一言
「それはあなた自身が考えて下さい。私
はもう充分語りました」と応答したのだ。
そしてさらに「悲しいですか?悲しんで
ください」とも。
「自分で考えてください。悲しんでく
ださい。」それは沖縄にばかり苦しみも、
闘いも、言葉も、平和を考え語ることも
負わせてきたわたしたちへの、沖縄から
の本気の応答だ。「これほど沖縄は苦し
み、繰りかえし叫んできたのに、まだ語
らせるのか。われわれの話だけを聞いて、
結局自分では考えず、語らず、決断せず、
共に悲しまず怒らず、行動しないままな
のか。沖縄の問題は、沖縄の問題なのか。
あなた自身の問題ではないのか。」そう
問われている、と感じて、はっとさせら
れたのだ。
平良修牧師は、今も手紙などにご自分
の住所を書かれる折、「沖縄県」と書か
ず「沖縄」と書くといわれた。度重なる
琉球処分を行ってきた日本の行政区分の
中に位置づけられていることへの抵抗感
が「県」をつけることを躊躇させる、と。
また「本土復帰」の際、沖縄は日本の平
和憲法のもとへと復帰した、としばしば
いわれているが、その憲法自体が、沖縄
を切り捨て、切り離し、戦時下体制に置
いたまま「平和」を謳うものだったこと
も指摘された。沖縄は平和憲法さえも問
う。憲法の語る「平和」は真の平和なの
か、と。
「彼らは、わが民の破滅を手軽に治療
して、平和がないのに、『平和、平和』
と言う。」預言者エレミヤは繰り返しそ
う語る(エレミヤ6:14、8:11)。目先の人
間関係や状況をとにかく無難に、波風立
てずに「平和」に保ち、その陰で誰かが
一方的に傷つけられ続けるようなやさし
さの欺瞞性を預言者は暴露する。一見平
和に見えて、実は平和とは程遠い現実を
明らかにする。平良牧師の祈りと言葉は、
この預言者性が、教会の使命であること
を想起させた。
教会は、本当にやさしいか。クリスチ
ャンは真に平和を祈り求めているか。本
当に明らかにし、分かち担わなければな
らないことに背を向け、目を伏せ、蓋を
したまま、「平和がないのに『平和、平
和』」と繰り返し、主イエスとは別のも
のに膝を屈めたまま、微笑みを交し合っ
てはいないか。
「自分で考えてください。」平良修牧
師の放った言葉は、日を追うごとに響き
を増し、うなりとなって、われわれの在
り方を揺さぶっている。どうしようか。
もう、聞かなかったこと、見なかったこ
と、知らなかったことにはできない。
(たにもとあおぐ/日本バプテスト連盟
理事・南小倉教会牧師)
シリーズ●「安保」と基地と沖縄-今、問われている「日本」の宣教
2
対立・抑止ではなく共生の道を!
吉田真司
昨年私たちは「韓国強制併合」100 年
にあたり、朝鮮半島への侵略と植民地支
配、さらに戦後の歴史を貫くわが国の犯
してきた罪と過ちを振り返り、悔い改め
を表明しました。そしてその上に立って、
今後は同じ過ちを繰り返さない、戦争や
支配、搾取ではない共に生きていく世界
を望み、祈り求めました。
しかしながら昨今、国政の最重要課題
とされている沖縄基地問題をめぐる報道
や世論の中で、殊更に北朝鮮民主主義人
民共和国(以下「北朝鮮」)の脅威に対
する抑止論が強まり、在沖米軍基地の存
在を容認する声が高まっています。金正
日総書記の三男、正恩氏への権力移行、
核開発問題、さらには延坪島砲撃事件等
を巡り、北朝鮮への国民感情は「対立」
一色となっている感があります。それは
拉致問題を巡り被害者の救出が騒がれた
時と比べて輪をかけて強くなっているよ
うに思えます。
この風潮の中で、私たちはキリスト者
としてこの問題をどう捉え、どのような
態度を表していけば良いのでしょうか。
かつて米国大統領が言ったように「なら
ず者国家」と言い放ち、武力による対立
・抑止を強めることを容認、支持すべき
なのでしょうか。またそれによって在沖
米軍基地の存在を是認すべきなのでしょ
うか。これは大変重要な問いだと思いま
す。
もう10年近く前、私はソウル近郊の
韓国陸軍基地の中にある教会、その名も
「必勝」教会を訪ねる機会がありました。
迷彩服に身を包んだ数百人の兵士たちに
混ざって礼拝したのは勿論初めての経験、
興味と戸惑いの内に礼拝を終えた昼食会
の席、その教会の主任牧師に尋ねました。
「この軍属教会の存在とキリストの平和
の教えとの矛盾を感じられますか?」と。
- 4 -
するとその牧師は「この軍隊は防衛が目
的です。朝鮮半島の統一が達成された時
には、随分縮小されるでしょう」と言わ
れました。私はその応答から、南北に分
断された朝鮮半島、そこで同民族同士が
武力で対立・抑止し合わねばならない現
実への痛みと同時に、南北統一への強い
祈りを感じました。
さらに私はこれまで都合4回、南北朝
鮮の国境・北緯38度線近くを訪ねて来ま
した。初めての時は、一人の韓国人老牧
師と一緒でした。彼の故郷は現在の北朝
鮮、自身が南に移った後分断され、その
後数十年親族と一切交流が絶たれた方で
した。その方が、初めて韓国を訪ねる私
を真っ先に連れて行ってくれたのが、北
朝鮮をイムジン川の向こう岸に望む「統
一展望台」だったのです。そこに立ち、
悲しみと共に彼岸を見つめておられた老
牧師の姿が忘れられません。
それ以来、私の中で北朝鮮を見る目が
変えられました。メディアの影響による
「北朝鮮は悪い、恐ろしい」といったス
テレオタイプになるのでなくて、過去の
植民地支配の罪責、分断された韓民族の
痛みと南北統一への悲願という視点から、
冷静に北朝鮮情勢を捉え考えるようにな
りました。
「明らかな歴史認識が欠如した小人た
ちと、自分たちの利益だけを優先する外
国勢力が、朝鮮半島の分断を固定させて
おり、地域間の葛藤がますます助長させ
られる矛盾した歴史がくり返されてきま
した」(『駐韓米軍犯罪白書』青木書店
より)との指摘の「歴史認識が欠如した
小人たち」や「自分たちの利益だけを優
先する外国勢力」とは、米国はもとより
私たち日本(人)を指していることは言
うまでもありません。この指摘を真摯に
受け止め、正しい歴史認識と他者(他
国)の利益を優先する生き方へと転じる
ことが、世界平和、とりわけ日韓・日朝
間の平和実現に欠かせない姿勢であると
思います。
「だれかがあなたの右の頬を打つなら、
左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)
と主イエスは言われました。これは「報
復の連鎖に終止符を打て」との意と理解
します。ある空手家から「こちらが力を
緩めれば、相手も力を緩めるものだ」と
教わったことがあります。抑止力は緊張
・対立しか生み出しません。むしろ、こ
ちらから力を緩めることの中に突破口を
求めるべきです。
「そんなこと非現実的だ」との声に対し
て応えます。主イエスによって開始され
た「神の国」は、私たちの常識を覆す遥
かなる射程を持っています。日韓・在日
連帯特別委員会の活動の中に身を置きな
がら私は、外国人住民との共生を探る運
動の中に、その「現実を超える神の国の
豊かさ」を垣間見てきました。しかも私
たちはそれを単なる理想とせず実現する
ための運動を続けています。
「韓国強制併合」から100年が経ち、こ
れからの100年の分かれ道に立っているよ
うに思います。依然として対立・戦争を
繰り返すのか、それとも共生の世紀とし
ていくのか、沖縄基地問題は、その試金
石のように思えて仕方がありません。た
しかに対立・抑止ではない共生の道は険
しい道です。しかし「命に通じる門はな
んと狭く、その道も細い」(マタイ7:1
4)のです。私たちキリスト者は、その狭
く、細く、険しき道へと進むよう主イエ
スより招かれているのです。
(よしだしんじ/日・韓・在日連帯特
別委員会委員長、別府国際教会牧師)
- 5 -
口蹄疫の現場から -命は繋ぐべきもの-
徳渕敬尚
「殺処分」。何と嫌な言葉だろう。
2010年4月。宮崎県で発生した家畜法
定伝染病、口蹄疫は、4月20日に第1例
が発表されてから畜産地帯を南下し、豚
への感染後、爆発的な発生となった。こ
れ以上の感染を食い止めるためにワクチ
ン接種が行われ、県全体で29万189頭の牛、
豚、羊、山羊、猪など殺処分・埋却され
た。宮崎県の家畜の飼養頭数は、肉用牛
で29万7,900頭(全国3位)、豚で91万4,
500頭(全国2位)にものぼる。今回の口
蹄疫では、その家畜の約25%を殺処分し
た。
口蹄疫ウイルスという見えない相手を
前に、感染拡大を恐れて畜産農家をはじ
め一般人も不要な外出を控え、イベント
などの交流を自粛した。そして、ひたす
ら消毒を続けながら終息するまでじっと
我慢をして耐えた。また、家畜を失う悲
哀と、いつ感染するかわからない恐怖を
同時に味わった。そして、殺処分・埋却
に携わった人々は何も悪いことをしてい
ない健康な家畜を次々と殺して埋めると
いう罪悪感に苛まれた。
生の声をいくつか紹介したい。
現地でもあまり取り上げられなかった
ことの一つに獣医師たちの苦悩があった。
彼らは、ワクチン接種・殺処分の先頭に
立たなければならなかった。また、高齢
の和牛繁殖農家は、経済性よりも生き甲
- 6 -
斐が占める割合が大きいのだといわれる。
彼らから生き甲斐を奪ってしまった。
A獣医師 ワクチン接種はですねえ、も
う、涙、涙ですよ。普通、ワクチンは
病気を防ぐために打ちますよね。とこ
ろが今度のは死刑判決と同じ。一生懸
命感染させんように消毒しちょっとや
から、一生懸命やった人ほど落胆が大
きかったですよ。
B獣医師 8月 27 日には県が終息宣言を
した。家畜のいなくなった畜産地帯で、
僕は何を思えば良いのだろうか。「め
ったにない経験ができた」などとはと
ても思えない。勝手に殺しまくってお
いて「犠牲になってくれた牛や豚に感
謝」もできない。ただ、罪悪感がある
だけである。今は、再興に向けて前進
するしかない。
C獣医師 数は少なかったけど、農家じ
ゃないお宅で愛玩動物として山羊を飼
っていたんです。結局、殺処分される
ことになって、そこの娘さんがワクチ
ン接種のときに泣いてですよ。そりゃ
あ、私、そんときはもうすんまっせん
って謝りました。・・・正しく診断し
て治すために獣医師の免許もらって仕
事しとったのが、どうやって安全に殺
すかというのをやるもんだから、こり
ゃなんじゃと思いました。
D農家 ワクチンから2週間くらいで殺
処分ですわ。のさんかった(つらかっ
梱包してラッピングする。
○送信メール 会いたいけど家から出ら
れないので、今夜電話してみます。
(妹へ)
た)。ちゅうよりもそんときの気持ち
を、さあ、何て表わしたらいいですか
ね。生き地獄って、こんなこっちゃわ
いて仲間にも言ったんです。おらあ、
地獄というのは、生きちょるときに悪
いことをした人間が死んでから行くと
ころだと思うちょったけど、元気なう
ちに地獄を見るとは一体どんげなこっ
ちゃろかいと。
以下にあるのは、児湯キリスト教会の
濵砂八千代さんが書かれたものだ。和牛
繁殖農家で、口蹄疫によってワクチン接
種後、全頭殺処分された。口蹄疫の一報
を聞かれた時から、自分の家の牛達が殺
処分・埋却された時までの記録と、外出
のできない彼女がその時々に友人や妹さ
んにあてたメールの送信記録である。大
変つらい作業を強いてしまった。悲しい
出来事を思い出し、涙を流しながらの作
業であったと思う。このように書き留め
てくださったことに深い敬意を表したい。
<殺処分までの経緯と携帯電話の送信メ
ールの記録>
●4月 20 日 私と父は牛の削蹄を行って
いました。そこへ都農町で口蹄疫が発
生したという知らせがきました。
○送信メール 実は牛の口蹄疫が出て、
牛の移動が中止になり、出荷停止にな
りました。次々と悪いことが続いてい
ますが、今度も神さまが救ってくださ
ると思います。(牧師へ)
●5月 18 日 知事が非常事態宣言を発令
する。
○送信メール 外出もしていないし、し
ても消毒したり、大変だよ。メールあ
りがとう。消毒のご協力よろしくお願
いいたします。(友人へ)
●5月 19 日 政府が発生地から半径 10
キロ圏内の牛や豚をすべて殺処分する
方針を出す。
○送信メール 私、政府には怒っていま
す。今まで知らん顔してて、突然処分
するって納得できない。(友人へ)
●5月 20 日 経済連出向中の夫が、殺処
分に動員されることになり、単身赴任
となる。宮崎市から動けなくなり、家
族が宮崎のアパートに行くことも許さ
れない。
○送信メール 牛の顔を見ると涙が出て
つらい。ちゃんと消毒を続けて頑張ら
ないと。(妹へ)
●5月 21 日 私の住む西都市でも発生し、
殺処分される。
○送信メール 相変わらず行政からなん
の連絡もないよ。不安だけが募ります。
(友人へ)
●5月 24 日 市役所より「明日ワクチン
接種に行きます。」という連絡が入る。
夜8時頃。
○送信メール 明日、ワクチン接種に来
るそうです。今から龍摩(息子さん・
高校3年)と子牛達の様子を見てきま
す。(妹へ)
●4月 27 日 県の畜産試験場で発生し、
豚が処分される。
○送信メール ニュースで試験場の豚も
感染といったね。きちんと管理されて
いる所でも出るんだね。ショックだっ
た。豚さんかわいそう。(友人へ)
●5月2日~4日 冬用のえさを確保す
るために、約1ha分の牧草を刈り取り、
- 7 -
●5月 25 日
ワクチン接種。午前9時半
す。雨が降ると重機がすべるので、取
りやめたりするから、土日関係なく埋
却してるみたいよ。(妹へ)
頃。終了後母は県外獣医師に怒りをぶ
つけていた。
○送信メール 「18 年間ありがとう。助
けてあげられなくてごめん。」と泣き
ながら謝るので、牛達は龍摩の顔を心
配そうに見つめていました。
(友人へ)
○送信メール 殺す時は、もっとつらい
よね。理不尽な状況が続くけど頑張り
ます。メールありがとう。元気がでま
す。(友人へ)
●6月 20 日 雨が激しいので 21 日に延
期になる。
○送信メール 明日に延期になりました。
雨の影響です。永遠に延期だとよいの
ですが・・・ (牧師へ)
●5月 26 日 ワクチン接種99.5%が
終了。この時点で12戸の農家の同意
が得られていない。
○送信メール あと2週間したら、牛が
いなくなってシーンとしてるやろうね。
子どももかなり落ち込んでいます。
(友人へ)
●5月 31 日 半径20キロ圏内の早期出
荷対策として、三財地区の肥育牛が出
荷される。
○送信メール みやちくの牛の解体能力
は1日 60 頭って言ったね。どんどん嘆
願書が出てくれば、政府も方針を変え
るかもね。うちはワクチン接種したか
ら手遅れだけど、そっち(早期出荷圏
内)はまだ希望があるから、市長や市
議に意見を出した方がいいと思う。
(友人へ)
●6月 21 日 12 時半に牛の積み込みが
始まる。親牛達はぎゅうぎゅう詰めで
トラックに乗せられる。55 頭の大切な
牛達を見送る。
○送信メール 昨日の午後、連れていか
れました。親牛は素直にトラックに乗
り、ちび牛はわけもわからないまま引
っ張られ、ほんと悲しかったです。お
祈りありがとうございました。むなし
いですが、皆様のお祈りとあたたかい
言葉を支えに少しずつ前に進んでいき
たいと思います。ありがとうございま
した。(牧師へ)
●6月 26 日 西都地区のワクチン接種牛
の殺処分と埋却が完了する。うちの牛
は新富との境に近い岡富地区に、ほか
のたくさんの牛達と共に眠っています。
この文章を書いてくださった濵砂八千
代さんは、ある時から、自分から殺処分
の話をすることはなくなった、と言われ
る。それは、次のような言葉を投げかけ
られたからだ。
「人間は、牛や豚、作物を食べて生き
ている。殺すことを前提として収入を得
て生活しており、自己中心的な被害妄想
だ」。
確かにこの問いは重い。今回殺処分さ
れた 29 万頭を超える家畜には、全国から
の同情が寄せられた。一方で日常に行わ
れている屠殺に思いを寄せることはない。
食卓にならんだ豚カツや牛丼を前にして、
●6月5日 子どもが感染性胃腸炎にな
り、最終的に家族全員がかかる。
○送信メール 龍摩が熱、大人が吐き気
と下痢なので、ポカリとか消化のよい
物を買いに行きたいんだけど。買い物
頼んでいい?(妹へ)
●6月 17 日 畜産振興会の穂北の支部長
さんより、殺処分は 20 日になりますと
伝えられる。
○送信メール とうとう最後のお別れで
- 8 -
涙を流すことはない。感謝をしていただ
く。
「殺処分」と「屠殺」は一体何が違う
のだろうか。明確な答えは持ち合わせて
いない。しかし、殺処分の嵐の中で私が
感じたことは、“命は繋ぐもの”という
ことだ。私たちは多くのいろんな命をい
ただいて生きている。だから感謝して食
べる。人間だけではない。生き物はみな、
何らかの形で命をいただきながら生きて
いる。そして、それをまたいただく。そ
ういう意味で、命は繋がっているのでは
ないか。だが、「殺処分」は“命を断ち
切る”。ここには、何でも人間の都合で
コントロールしようとする傲慢さ、人間
の思い上がりがある。
国際獣疫事務局(OIE)では、清浄国復
帰への申請条件を「ワクチン接種家畜の
殺処分完了から3カ月後」としていた。
しかし、近年、OIEはワクチンを接種され
た動物を抗体検査し、感染していないこ
とを証明すれば、6カ月で清浄国に復帰
申請できるという条件を追加している。
今回使われたワクチンは、感染かワクチ
ン接種かを判別できる「マーカーワクチ
ン」が使われていた。殺して解決するの
ではなく、生かして解決する道があった
のだ。残念でならない。
私たちは、自然と向き合い、動物と向
き合い、そして人と向き合うときに、自
分の中に深く浸みこんでいる殺処分の論
理を乗り越える努力をしなければならな
いだろう。命は繋ぐべきものであるはず
だ。
(とくぶちのりひさ/児湯キリスト教
会牧師)
神学セミナー報告
バプテストの礼拝-教育-
吉高
礼拝(礼拝学・礼拝論)。これは、近
年たいへん注目され、関連書籍の出版も
多い領域だ。だからというわけではない
が、宣教研究所は、過去三年間、「礼
拝」をテーマの中心に据えて神学セミナ
ーを積み上げてきた。「礼拝」こそ、神
と人との交わりの姿をあらわし、また神
の前での人と人との交わりの姿をあらわ
していると言える。また、「礼拝」こそ、
神の前で生き、人々の前で生きる一人の
人間の生の全体性をあらわしていると言
える。「礼拝」は、「和解の営み」であ
り「和解の場」であり「生の統合」でも
- 9 -
叶
あるだろう。
「礼拝」というキーワードに引きつけて
語るならば、「神学」とは、なぜ、どの
ように、誰と礼拝するのかという問いで
あるし、「伝道」とは、礼拝する人間と
なっていくことへの招きだといえことが
できる。また「牧会」とは、礼拝し続け
る人でありつづけるために為し合う交わ
りや支援のことだし、「教育」とは、礼
拝する人間としての生の培いのことだろ
う。そのように、全ては、礼拝において、
礼拝から、礼拝に向けて、礼拝ゆえに位
置づけられていくとも言えるだろう。
だからこそ、私たちは、礼拝をどう捉
え、どう位置づけ、そこにおいて、どう
表現していくのかを検討していきたかっ
たし、またバプテスト教会が大切にして
きた(あるいは大切にしていくべき)も
のと、どのように調和させながら、いっ
そうふさわしい礼拝を創造していくこと
ができるのだろうかを模索したかったの
である。(※礼拝とは、決して主日にな
される、あの「礼拝式」だけを意味する
言葉ではなく、礼拝者の生の全体、礼拝
式と全生活の循環のことだが、以下の文
の中では、礼拝という語を、いわゆる
「礼拝式」の意味で使用していることを
あらかじめ了解いただきたい。)
神学セミナー1年目は、上記のような
礼拝にまつわる基本的問題意識を共有し、
現代の様々な礼拝スタイルの類型とその
特徴を学び、それぞれの類型とバプテス
ト主義の適応性などを考察した。また、
参加者たちの教会が、現に置かれている
地域的課題や、大切にしてきた教会形成
の視点を背景に、どのような礼拝が試み
られているかを紹介しあった。
2年目は、「礼拝をどのようにつくる
か」に焦点をあててみた。礼拝準備のプ
ロセス、すなわち「誰が準備するのか」
「どのように準備していくのか」の実際
は、その教会が何に力点を置いているか、
どのよう礼拝理解や教会論をもっている
かを、よくあらわしていると思うからだ。
しかも、「礼拝と音楽」を切り口にする
ことによって、準備の実際がどうなって
いるか、プログラム配置の意図(ねら
い)が理解されているか、奉仕者(牧師、
司式者、奏楽者など)たちが宣教指針を
共有しているか、などが浮き彫りになっ
てくると考えた。用いる賛美歌の種類や、
その導入の仕方によっては、<達成しよ
う・獲得しよう>としている事柄も違っ
てくるだろう。その点を点検することも
大切な作業だし、賛美歌の改定の背景に
ある問題意識を学ぶことも、現代の礼拝
の射程を捉えるうえで有益だと考えたか
らでもある。
さてシリーズ「バプテストの礼拝」の
3年目にあたる今回は、「礼拝と教育」
の関係、「礼拝における教育性」を考え
る場として設定された。その場合、あく
までも「礼拝と教会学校」ではなく、礼
拝そのものが持つ教育的作用のことであ
り、礼拝の教育力そのものをどう認識し、
それに依拠し、またそれを用いていこう
としているのかを検証することにあった。
「教育」とは広い、そして深い概念だが、
少なくとも「教会が必要としている信徒
育成」とか「次世代を担う信徒養成」と
いう次元のものではなく、いかなる「こ
とば」によって人格が形成されるべきで
あり、共同体がどのように培われるべき
であり、どのような出来事が引き起こり、
どのように人と共同体が創りあげられ、
そしてどのような宣教に向かって動いて
いくのか、そのような人と人々にもたら
す創造的な作用のことを「教育」と捉え
たのである。人がつくられる出来事、交
わりがつくられる出来事、宣教の業がつ
くられる出来事と言うべきだろうか。
バプテスト教会には祈祷書や特定の式
次第はない。各教会が、自由に選び、自
由に組み立てることができる。また、会
衆全員が参加している実感が得られやす
いのもバプテストの礼拝式の特徴といえ
ば特徴である。それだけに、人間の交わ
りの喜びのために礼拝プログラムを組む
ことが可能だし、教会運営の時々の必要
に応じて礼拝プログラムを組むことも可
能である。そうした自由さの中には恣意
性が入り込むし、人間の必要と恣意ばか
りだと、人間そのものを撃ち、つくり変
えようとする「教育力」が発揮されない
まま過ぎてしまうことも考えられる。ま
た教会のニーズからばかり礼拝の主題を
設定していくと、聞きとれずにいる声や、
見てとれていない人々のことに気づかな
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いまま過ごしていくことにもなるかもし
れない。そしてそのような礼拝から、教
育力は失われているのではないか。
今回の神学セミナーの底流に流れてい
た主催者側の問題意識はそれであった。
そして、その問題意識は、今回のこのセ
ミナー開催に多大な協力をくださった日
本バプテスト連盟教育室とも事前協議を
重ね、共有していたものだった。
今回の講師、古谷正仁氏(日本キリス
ト教団蒔田教会牧師)は、二回の講演を
通して、礼拝のもつ不思議で力強い教育
力のことを語り続けてくださった。たと
えば、教会という場が持つボランティア
性そのものが持っている教育力のこと。
信仰歴50年選手と新来者が同時に並ん
で座って、共通の「ことば」の前で何事
かを学んでいる「礼拝という場」が持つ
不思議な教育力のこと。幼子から高齢者
までが一つの空間の中で過ごしている教
育力のこと。大人たちの経験を真剣に懸
命に子どもたちに伝えようとする迫力が
生み出す教育力のこと。時には、子ども
たちの聖書へのまっすぐな気持ちが、教
会の姿や本質を問いかけてくるような出
来事が起こる教育力のこと。つねに神と
人間の対話として、真理と生との対話と
して語られ聞かれる「ことば」を囲む礼
拝の教育力のこと。そして何より、神が
教育の主であるがゆえに、人間がどんな
に準備しても、人間がどんなに意図して
も、それを超えたハプニングがいつも引
き起こされていく礼拝(教会)の教育力
のこと。
古谷氏は、これまで牧会された教会や
ご家族の中で引き起こされてきた物語を
語り聞かせてくださり、礼拝共同体が持
つ教育力・礼拝そのものの教育性を説い
てくださった。参加者一同、その一つ一
つの物語に励まされ、共感し、勇気づけ
られていった。
「キリスト教の2000年の歴史におい
て、「日曜学校」や「教会学校」が形成
されていったのは18世紀後半になって
から。でも、礼拝一本で人間教育、信仰
教育、人生教育をやり抜いてきたのが
『キリスト教』なんです。」「だから、
礼拝そのものの持つ教育の力にもっと信
頼すること。そして『成長させてくださ
るのは神である』ことの前にひざまずい
て共に集うことが大切なのではないでし
ょうか。」そう語られる古谷氏の言葉に、
決して忘れてはならない基本線があった
ように思う。
そうなのだ。礼拝には豊かな教育力が
ある。分断と分裂が人間を苦しめる歴史
の中で、和解と統合へと招く神のことば
が示され聞かれるならば。
礼拝には豊かな教育力がある。現実が
どうであれ、人間を真理から照射する光
が示されていくならば。
礼拝には豊かな教育力がある。表面的
な正しさではなく、「愛に根ざした真
理」が受け取られ、事情を抱えて生きる
実際の人間を受容しつつ励ますことがで
きるならば。
礼拝には豊かな教育力がある。復活の
いのちに裏打ちされつつ、生の苦悩や死
をわかちあっていることができるならば。
こうした礼拝の教育力、礼拝の中にあ
る教育性を、再び受け取り直しながら、
礼拝と生活、礼拝と伝道、礼拝と牧会、
礼拝と地域などの関連の深みに思いを届
けたいと感じた。
ところで、だからといって(神さまが
主で、だから神さまの教育力に委ねるべ
きだからといって)何の準備もしないで
礼拝に臨むのが良いのだ、と開き直って
はならないのではないか。きっと、素晴
らしいハプニングや恵みのサプライズは、
良く準備され、真心をこめて捧げられた
場に引き起こされるものだからだ。
その準備において、とくにバプテスト
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教会では、たとえば宣教者とその他の礼
拝奉仕者とが協働で準備していくことが
大切になるし(またそれが可能なのだ
し)、礼拝と教会学校、礼拝と諸活動が
響き合っていることも考慮されるべきだ
ろう。バプテスト教会形成は、そうした
コミュニケーションの豊かさや全体的な
調和によって、良い実りを得ていくのだ
と思う。そういう意味では、「教会形成
の意思」が礼拝に何らかの影響を与える
ことは必然のことだと思う。だからこそ、
その「意思」を独り牧師が左右するので
なく、「教会の思い」を表現すべきであ
るし、また教会は、その「意思」を、自
己目的の誘惑と闘いながら、歴史性や隣
人性を保ったものとしてどのように獲得
していくか、が課題となるのだと思う。
「教育」というと、多くの場合「教会
学校」とつながり、他派の教会において
、
「教会学校」というと「子どもたちへ
の」と続いていくことが多いが、このよ
うに「礼拝と教育」という切り口でセミ
ナーを実施したことは新鮮なことだった
のではないだろうか。また、教会学校を
アウトリーチの場として位置づけること
も多い私たちにとって、「教会学校で、
ほんとうに教育の業は起こってきたのだ
ろうか」という問いかけが響いているよ
うに思えた。 さらに・・・。バプテスト
教会においては、信徒が説教を担うこと
はもちろんのこと、場合によっては礼典
執行も、そして冠婚葬祭の司式も担うこ
とができるのであり、そのようなバプテ
スト教会にとって「教育」というものの
持つ、特別なステージや射程があるよう
にも思うが、私たちバプテスト教会は、
常に教育の内実と作用とを見据え、教育
運動を絶やしては立ちゆかない人々なの
だ、ということを感じさせられたセミナ
ーであった。
最後に、「教会学校」運動の推進役で
ありながら、自ら「教育を問う」という
厳しい土俵に自らをさらしてくださり、
真剣に教育論を闘わせてくださった宣教
部の榎本譲教育室長。また、日本におけ
る教会教育の歴史、日本バプテスト連盟
の教会教育の歩みの、展開や転換のポイ
ントを発題してくださり、共同検討のた
めの良い示唆を与えてくださった教育室
の富田直美氏にこの場を借りてお礼を申
し上げたい。
(よしたかかのう/宣教研究所運
営委員長、栗ヶ沢教会牧師)
●編集後記
ドキュメントタッチの徳淵氏の報告に
固唾をのんで見入ってしまった。暮らし
の中からの悲鳴やため息が聞こえてきそ
うだ。昨年の秋、口蹄疫の現場からのリ
ポートをお願いしたとき、「まだことば
にならん。書ききらん・・・」とおっし
ゃった徳淵氏。年が明けて「書いてみよ
うかと思う」と、取り組んでくだささろ
うとしたとき、鳥インフルエンザが大量
発生し、新燃岳が噴火した。ふたたび、
ペンが止まる。でも、そんな厳しい中を、
力を振り絞って書いてくださった同氏に、
心から感謝したい。
-「安保」と基地と沖縄-をシリーズで
取り扱っていきます。「神学セミナー報
告」でも触れた「聞こえない声」の一つ
が、沖縄の人たちからの声です。でもも
う、聞こえないでは済まされない。知ら
なかったではゆるされないところに来て
いる。私たちの「礼拝」が、沖縄の人々
とどのようなつながりにあるのか。どの
ようなつながりにしていくのか。抜き差
しならない問いである
宣聞士
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