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鎌倉コラージュ - Kateigaho

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鎌倉コラージュ - Kateigaho
J apanese tex t
2014年 春/夏号 日本語編
町と文化
湿板写真という形で実現することとなった。
鎌倉コラージュ
撮る人は、写真家のエバレット・ブラウンさん。報道写真
―クリエイティブ・ライフを訪ねて
通信社の日本支局長を経て、文化専門のフォトジャーナリス
トとして活躍するかたわら、近年はコロジオン湿板という古
撮影 = 佐藤竜一郎 文=編集部
典的な技法による表現に可能性を感じ、独特な世界をもっ
p84 ∼ 87:ヘアメイク=赤間賢次郎、久保田直美 着付=藤田君子
p.082
東京から程近い海辺の町、鎌倉。12 ∼ 14 世紀、武士によ
る幕府が置かれた歴史の町として知られますが、一方で、数
多くの文学者や芸術家、文化人たちが集い、暮らし、文化を
発信してきた場所でもあります。愛する鎌倉の地で、それぞ
れの創作のインスピレーションを得ている現代の表現者たち
を訪ね、鎌倉の魅力を探ります。
た作品を発表している。
そして纏う人は、女優の鶴田真由さん。80 年代から活躍
し日本アカデミー賞にも輝いた、実力派だ。鎌倉出身の鶴田
さんは、鎌倉市の観光親善大使も務め、今回撮影場所の一
つとなった、境内の苔むした石段などが美しい杉本寺も、鶴
田さんのおすすめによるもの。
鶴田さんが着る 2 枚の訪問着は唯一、手塚隆畝の作品と
して残っている、落款の入ったもの。ほかのものは売れて行
方知れずというから、手塚さんにとっては極めて貴重な父の
形見というわけだ。柄はいずれも隆畝オリジナルの、唐草の
(p.083)
建長寺の山門 ( 三門 ) は、春爛漫の装い。この禅宗寺院は 1253 年に創
正倉院模様と、もみじ柄。唐草は、地紋までも描き込んだ、
建され、山門は再建を経て 200 年以上、鎌倉の歴史を見守ってきた。
とても手の込んだものだ。もみじ柄は、日本の色ともいえる
鎌倉この地には、古都の風情が息づくと同時に、現在はいろいろな文化
藍の色調で、葉の先端に向かって色が濃くなるぼかし技法で
が入り混じる不思議に満ちている。
描かれている。隆畝が得意とした表現だという。
写真=原田 寛
「昔の着物ですから、やはり生地も色合いも今のものにはな
い質があるような気がします。友禅は生地がよくなければ、
柄も美しく描けないんです」と、手塚さんは父親の作品を讃
友禅 × 湿板、時空を超えて
える。
― エバレット・ブラウン
ブラウンさんが表現のテーマの一つとしている「日本の面
p.084
それは、ある友禅染の着物がきっかけだった。
影」を求めて、古都・鎌倉の風情の中で、三様の表現と表
現者たちが出会い、数々の情景をつくり上げた。
メディア・プロデューサーである手塚隆一さんの父、手塚
隆畝は、鎌倉ゆかりの友禅師だった。手塚家は呉服店を営
む親戚が多く、隆畝は幼い頃から着物の世界に慣れ親しみ、
友禅の技法を独学で身につけたという。隆一さんもまた、学
湿板写真のプロセスは、一見すると化学の実験のような、はたまた魔女
の薬の調合のような、不思議な光景だ。
左ページ:女優の鶴田真由さんの姿が、そんな魔法にかかった。何か時
空を超えてこちらに語りかけてくるような、静けさの中の力強さを感じる。
校帰りに荷物を持ったままよく父の仕事場へ直行し、作品づ
くりの現場にふれるのが好きだった。そんな思い入れのある
(p.086)
父・隆畝による友禅の着物の魅力を、何かのかたちで後世
湿板写真とは、写真撮影の原点ともいえる技法。ヨウ化物、エタノール
に伝え、残したい。そう思いはじめていたとき、
それは鎌倉で、
など配合したコロジオン液を湿布したガラス板を用い、濡れているうち
に撮影してネガをつくる。3 秒から長くて 15 秒間露光するため、被写体
Copyright - Sekai Bunka Publishing Inc. All rights reserved.
Reproduction in whole or in part without permission is prohibited.
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のうつろいをとらえ、不思議な光と影の滲みを生み出す。「このモノクロ
ささめやさんは 1943 年に東京で生まれ、逗子で育ち、鎌
の表現が、水墨画の国のムードを表現するのにもぴったりと感じます」
倉には 40 年近く住まう。子供の頃は別段好きだったわけで
とブラウンさん。
はないのに、大人になってから急に絵を描きたくなったのだ
時間がかかる撮影だが、現場にはそれだけにゆったりとした時間が流
れているようだ。撮影に参加した誰もが同じ時を楽しみ、「こうして、み
という。絵の勉強をしたことはない。きっかけは編集者時代、
んなで一緒にクリエイトしている過程にわくわくします」と鶴田さん。
逗子から東京の神田までの通勤電車の車窓に毎日見えた、
帯・小物提供=手塚商店
工場地帯の煙突の煙。「その日の天気、風向きによって全く
違って見えて、なんてきれいなんだろう、とどうしても絵にし
(p.087)
たくなって」
。いきなり 30 号の油絵を描こうとするが、さす
「25 年間日本に暮らし、この美しい国の精神性を写真に捉えたいと探し
求めて辿りついた表現方法が、湿板写真でした」とブラウンさん。
●エバレット・ブラウン写真展
がにどうやってもうまく描けない。そして 2 か月と 28 日経っ
たある日。もうやめようと思い、最後にパレットに残った絵
の具を全部キャンバスに塗りたくって、寝ようとしたそのとき、
3 月 7 日∼ 16 日 銀座・山下画廊
「電気のスイッチがドアのほうにあって、消す寸前にふと振り
向いてキャンバスを見ると……自分が最初に描こうとしてい
た絵はこれだ、と衝撃が走ったんです」
静かな日常のクリエイション
もしあのスイッチが別の場所にあったら、今の自分はな
― ささめやゆき
かっただろう。その後、フランスやニューヨークで 3 年間の
p.088
「ちょっとした、旅をしている気分になりますね」
" 若い売れない画家 " 生活も送り、あのときの喜びをもう一
度味わいたいと、それ以来ずっと絵を描き続けてきた。
小雨模様のその日、アトリエを訪れた男性は、数えきれな
「これにします」と、悩み抜いた末に男性が選んだのが、さ
いほどの絵を前に目を輝かせた。偶然、鎌倉近くのワイン店
さめやさんが最近お気に入りという、ネパール製の紙に、マ
の壁に掛かった小さな絵を見かけ、自分もぜひ欲しいと、そ
ジックとクレヨンの色彩が躍る、煙突掃除夫を描いた絵。
の作者を直接訪ねてきたのだという。額装されたカラフルな
「本当は、売らなくていいと思えたら絵を描くのも少し楽にな
クレパス画、箱にぎっしり詰まった小さな版画、それらにち
るんだけど…。注文された仕事ではなくて、最近は、人生の
りばめれたフランス語やロシア語のフレーズ。アトリエで次
終わりにまた自分の原点である油絵に戻ろうと思っているん
から次へといろいろな世界が目の前に展開する。
です」
画家のささめやゆきさんが「今まで描いてきた絵、全部こ
こに広げたらきっとすごいんだろうなぁ」と笑いながら、奥
の部屋から、絵をもう数枚運び出してきた。
作品はほとんど想像の中の世界を描く、というささめやさ
んの作品は、アクリルガッシュやクレパス、版画をはじめ、
光にあふれたアトリエで、次の展示会用の準備をするささめやゆきさん。
会津から移築した蔵を、ご夫婦で改装したという、ささめやさんの表現
の世界が詰まった空間だ。
ささめやさんが挿絵を描いた絵本作品は 80 冊を超え、個展開催も数
多く、最近は地元で手作りの人形劇を催したりと引っ張りだこ。
実に多様に表現される。どれもカラフルだがどこか抑えた、
センチメンタルな色合いにあふれ、叙情的でそしてユーモラ
スだ。画家への一歩を踏み出す以前は、出版社の文芸部で
日本文学全集などの編集を担当し、三島由起夫、川端康成ら、
名だたる作家たちの作品にどっぷり浸かった。
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伝統の新しいカタチ
彫りでした。そんな父の代からの、鎌倉でよく見られる椿や、
― 博古堂・後藤圭子
ザクロのモチーフのものは、今でも一番人気のある商品で
p.090
す」
。この地に生まれ育った後藤さんが、現当主として工房
力強い木彫が施された盆を手に取ると、その重厚な印象と
を継いだのは 20 年ほど前。現在、新しいデザインの考案を
は裏腹に、驚くほどの軽さがある。さまざまな手間をかけて
すべて手がける。たとえば、本来仏具などには全体に施され
生み出されたその漆塗りの肌は、しっとりと温かく手になじ
る唐草模様を、ほんの一部にワンポイントとしてあしらったり、
み、長く大切に使いたいと思わせる。
あるいは柄を大きくデフォルメし、深い彫りでうねるような線
鎌倉のシンボルの一つ、鶴岡八幡宮の三の鳥居のすぐ脇
を表現したり。仏像が纏う衣の、胸もとの部分を大胆に切り
にある「博古堂」は、明治 33 年(1900)から続く鎌倉彫の
取ったような柄のシリーズも斬新だ。
工房。4 代目当主・後藤圭子さんが出迎えてくれるギャラリー
この 3 月からは、椀や小鉢などのテーブルウェアを中心に、
では、コンクリートの明るくモダンな空間に伝統柄から最新
「Hakko」というシリーズを展開する。全面にこってりと柄が
のシリーズまでが並ぶ。開業以来のコンセプトは、" 日常的
施された意匠とは対照的に、高台に段々状の彫りを施しただ
に使える鎌倉彫 "。
けの、削ぎ落とされた造形美。サラダやパスタを盛るなど、
鎌倉彫は、鎌倉時代に中国から伝わった漆の技を、仏具
洋の食卓でも使いやすい。「シンプルでもちょっとずつ彫りが
や仏像に取り入れたのが興りとされ、この地で作り継がれて
入っていたりして、何もないのとは違うでしょう。長年のお客
きた漆器のこと。「博古堂」の店舗から程近く、後藤家の自
さま方からのご要望も多く、もっと使いやすく、生活を楽し
宅周辺の一帯にはかつて十数軒の仏師たちの集落があった。
める器を、と日々新しいかたちを模索しています」
。伝統の
明治の初期、廃仏毀釈の運動が起こると仏師たちは職を失
鎌倉彫は、
「博古堂」としてしっかりと守り継いでいく一方で、
い、ほかの家は大工業などに転向する中、後藤家は生活の
鎌倉彫という枠から少しだけ自由になって、あくまで自身の
ものを中心に製作する彫漆工房を構えた。
デザインとして発信もしていきたい、と後藤さんは意欲的だ。
後藤家の鎌倉彫の風合いは、数多くの緻密な工程があっ
てこそ生まれる。その特徴は、日常で使っていく中で傷みを
防ぐために模様の彫りの角を丁寧にならす " 後藤彫り " とい
う技法、そして " 幹口塗り " という塗りの技法を用いること。
上:博古堂 4 代目当主の後藤圭子さん。
右:後藤さんが特に好きだという、先々代・後藤運久による文箱。博古
堂で受け継がれてきた " 後藤彫り "" 幹口塗り " という特徴的な技法で表
現されている。
下地から始まり、何層にも漆を塗り重ねた後、マコモ(イネ
科の植物)の粉を撒き、砥の粉で研ぎ出して(磨いて)仕
上げる。柄の立体感を際立たせるとともに、古びた効果も出
す。仏像の表面を仕上げる技から考案されたもの。何より目
を引くのは、肌の奥から控えめな光を放つような、しっとりと
左ページ:脈々と受け継がれる伝統の意匠とともに、こんなモダンなた
たずまいの作品をつくり上げるのも、職人たちの熟練の技。左上、奥から:
。漆に錫を混ぜた金属的な色は、
「唐草」シリーズの五角筥(40 万円)
先代・後藤俊太郎の発案。木彫の陰影がより引き立つ、博古堂にしかな
い風合いだ。「刀 華」シリーズの棗(24 万円)と、銘々皿(5 枚組 14
した艶だ。
万 5000 円)
、「唐草」半月皿(5 枚組 13 万円)
。
鎌倉には多くの寺社があり、そして海も山もある、豊かな
、茶托にした「刀華」
右下(手前から)
:
「衣紋」シリーズの硯箱(33 万円)
自然に恵まれた土地。仏師たちが伝えた古典的な図案に加
銘々皿(5 枚組 13 万円)
。
え、四季折々に目にする動植物など、周囲は常に創作のヒン
トにあふれる。「先代の父・俊太郎の作風は、とくに力強い
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博古堂
分の子どもに何を食べさせるか。考えざるをえないんです」
。
神奈川県鎌倉市雪ノ下 2-1-28
パンを焼いているかと思えば、鎌倉を拠点にアートイベン
(3 月∼ 10 月 ) 9:30 ∼ 18:00
トやワークショップを行う NPO 法人ルート・カルチャーをオー
(11 月∼ 2 月 ) 9:30 ∼ 17:30 ガナイズしたりする。勝見さん自身もまた不思議な人だ。
無休(年末年始を除く)
ミュージシャンやアーティストと交友は幅広い。鶴田さんとは
[email protected]
伊勢神宮に一緒に行きパンを奉納したという。
勝見さんと工房をシェアして「ヨロッコビール」を製造販
売する友人の吉瀬明生さんがいう。
町の不思議なパン屋さん
「彼はすごく影響力を持っていて、人と人をつなげるのがと
― 勝見淳平
ても上手いんですね。10 年くらい前から種を蒔き始めて、
p.092
町が確実に面白くなっている」
84 ページの鶴田真由さんの撮影をしているとき、現場にバ
だが、勝見さんはあくまで自然体だ。そんな勝見さんのこ
イクにまたがってふらりとやってきたのが勝見淳平さんだっ
とを鎌倉の多くの人が知っている。人が人を呼びつながって
た。鶴田さんと知り合いなのか、鶴田さんは「ジュンペイ君」
いく。鎌倉はそんな町だ。
と呼んで親しげに話しかけている。勝見さんは来たときのよ
うにふらりと帰り、帰り際に白い模様が描かれた黒いパンを
置いていった。黒いパンに描かれた不思議な模様はアステ
カの文様を思わせた。
右上がパラダイス・アレイ。左中は、人に頼まれて、デザイン画をもらっ
て描き焼いたパン。左下写真の左が勝見さん、右は友人の吉瀬さん。
左ページのウェディングパーティのために焼いたできたてのパンは竹炭
と麻炭が練り込んである。太陽系の星々を配置した大作だ。
勝見さんの店「パラダイス・アレイ」は鎌倉市農協連即
売所の一角、野菜が売られている市場の路地に入り込んだと
ころにある。
「人が自然に集まる休憩所」
としてのカフェスペー
スがあり、あの不思議なパンが並べられている。
ドラコニアに暮らす
実は、勝見さんの作るパンは、今、企業から個人まで、
― 澁澤龍子
大小のイベントやパーティに引っ張りだこだ。たとえばこの
p.094
ウェディングパーティ用に焼いた巨大なパン。これは一種の
フランス文学者で小説家の故・澁澤龍彦の小説に、鎌倉幕
アートだろうか。
府の将軍・源実朝が宋にわたる木造船を建造させたが、大
「周りはそう言ってくれますが、絵心があるわけではないし、
きすぎて海に出すことができず船が朽ちていく様を描いた
自分では割り切れない部分もある。『食べるのがもったいな
『ダイダロス』という短編がある。舞台は鎌倉の由比ヶ浜。
い』といわれるけれど、食べないほうがもったいない。食べ
澁澤龍彦の晩年の傑作の一つだ。
られるように作っているわけですし」
鎌倉に暮らした澁澤龍彦は 1928 年に生まれ、文学、美術、
今、勝見さんが作るパンは、自ら果物などから酵母を培養
エロティシズム、博物学などに通暁し、数々の著作を残した
して作る天然酵母のパンだ。「熟れすぎた柿を買ってきて酵
異才の作家だ。マルキド・サドの『悪徳の栄え』など翻訳
母にするとおいしく焼ける。一年中あればいいんだけど」
。
も数多く手がけた。古今東西を自由に行き来する迷宮のよう
発酵とは何かを追求し、食のあり方そのものを考える。東日
な澁澤の空想の世界は、今も新しいファンを生み続けている。
本大震災で鎌倉も微量とはいえ放射能の影響を受けた。「自
自らの世界観に基づく自らの領土を澁澤は「ドラコニア」
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と呼んだ。そのドラコニアそのものともいえる鎌倉の澁澤邸
上から:澁澤龍彦の書斎。
に夫人の龍子さんが暮らしている。画家の金子國義や、人
書斎に置かれた四谷シモン作の人形。
形師の四谷シモンの人形などのアート作品、澁澤が自らの価
値観で集めた貝殻やオブジェなどのさまざまなモノたち、そ
龍子さんの好きな装丁も美しい澁澤の著作。
澁澤が翻訳を手がけたフランスの作家、ポーリーヌ・レアージュ『O 嬢
の物語』の原作本。
して書斎を埋めつくす無数の本。
右:1969 年サド裁判判決の年に自宅にて。41 歳。
「ほとんど澁澤が使っていた時そのままなんですよ」という
右ページ:澁澤龍彦が集めたさまざまなものが置かれた居間での澁澤
龍子さんが言うとおり、部屋に一歩足を踏み入れると、作家
龍子さん。『澁澤龍彦との日々』などのエッセイがある。
の思索が生まれては拡散していく創造の核心に立ち入ったよ
うで襟を正す。
鎌倉は、文豪・作家たちが多く暮らす町として知られるが、
澁澤龍彦もその一人だった。当時出版社で芸術雑誌の編集
者だった龍子さんは、同じ鎌倉に住んでいたことから、上司
や同僚から原稿の受け渡しなどを頼まれ、澁澤邸に出入りす
ることになった。鎌倉が縁で 1969 年に結婚。
「私と結婚してからの澁澤はほんとに家が好きでした。外で
飲むようなこともほとんどなく、出歩くとしても近くで土筆を
摘んだり、筍を掘ったり。晩年は『持ち時間が少なくなった』
といって仕事に没頭していました。夜中の 2 時、3 時に起き
て仕事を始めたり、40 時間寝ないで仕事をしたり、ペース
はめちゃめちゃでした」
古今東西、多次元の世界を自由に行き来する空想の迷宮。
澁澤龍彦の想像力がはばたく幻惑的な世界に、交友のあっ
た作家・三島由紀夫をはじめ、文壇にも編集者にも熱烈な
澁澤ファンがいた。
「いろいろな人がここに澁澤を訪ねてきました。持って生ま
れたものだと思うけれど、人を惹きつける何かを持った人で
した。自分でそうしようと思っているわけではなくて。カリス
マ的というか。でもグループを作る人じゃなかった。いつも
一人でした」
澁澤邸からも見える浄智寺が、澁澤龍彦の菩提寺である。
花で有名なこの寺へ、今も時折ひっそりと澁澤龍彦の墓前に
参る人が絶えない。
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