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NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
バートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としての二つの平
和財団について
Author(s)
岩松, 繁俊
Citation
経営と経済, 46(2), pp.45-105; 1966
Issue Date
1966-07-31
URL
http://hdl.handle.net/10069/27731
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
バートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としての二つの平和財団について
岩松繁俊
全体的破滅からの解放の思想は、毎日毎日の各瞬間に、地球上の生命が破滅するかどうかを堵けて生きている歴史
的現在の危機のなかからつかみだされたものである以上、そしてこの危機からの解放が人類至上の課題である以上、
たんなる思想にとどまっていることはゆるされない。それは現実に全体的破滅からの解放そのものにむかって実践す
すくなくとも、バーランド・ラッセルにおける平和思想は、このような意味において、解放そのものにむかって実
ることを要求せずにはいないところの思想である。
践することをみずからに讃するところの思想である。したがって、ラッセルの思想を研究するものは、同時に、そのF
活潰な実践をも対象としなければならないであろう。
本稿は、このような視点にたって、ラッセルの平和思想とその実践活動とをとりあげようとするものである。ただ
紙幅の関係上、本稿がとりあげるのは、五〇余年もの長期間にわたるラッセルの平和活動のうちで、とくに一九六三
年九月以降約一年間のそれに限定される。それは、かれが二つの平和財団を設立して新しい活動を開始してからの一
経営と経済
四六
年 間 を 意 味 す る 。 し た が っ て 、 本 稿 の テ l マは、かれの平和活動の機関としてのこつの平和財団設立の思惣的意味と
その一年間にわたる具体的実践的活動の状況を中心として展開されるであろう。
一九六三年九月二九日、ラッセルは、慎主かつ決然たる準備ののちに、二つの平和財団の設立を全世界に発表した。
(
1
)
二つの平和財団とは、 一つは﹁太西洋平和財団﹂であり、いま一つは﹁バ lトランド・ラッセル平和財団﹂である。
﹁パ!トランド・ラッセル平和財団﹂の設立趣意書を発表し
(
2
)
この目、テレビ・インタヴュ!と新聞記者会見にのぞんだラッセルは、ステートメントを発表して、平和財団設立
の理由と目的について説明した。また同時に、かれは、
て、これの詳細な具体的計画をあきらかにした。
これらの資料をもとにして、平和財団設立の理由と目的、具体的計両をあきらかにし、それによって平和財
ところを整理してのべると、 つぎのようになる。
核戦争反対運動の現状は、けっして満足すべきものではない。
(
4
)
﹁あらゆる種類の大衆運動はいちじるしく妨害されている。﹂
このような現状は何に由来しているのであろうか。その理由は、いちおう、表面的にいえば、
﹁各国の政府と
活動が効果的となるほどに、われわれの努力は国際的に結合されてはいない。﹂また、世界中のそれぞれの国において、
(
3
)
破壊の脅威に反対しつ"つけてきたわれわれ﹂の非常な努力にもかかわらず、﹁われわれの数的優勢が感知され、その
﹁多年にわたり、明けても暮れても、核による
なぜかれは平和財団という平和活動機関をつくらねばならなかったのであろうか。その理由について、かれが説く
団のもつ意義をのべてゆきたい。
以
下
ト
)
ω
(
5
)
国民が、危機の性格について、すなわち、危機がいかに切迫しているか、またそれがいかに大規模なものであるかに
﹁す乙しばかりでも公表の機
しかし、 かれらはいったいなぜ無知なのだろうか。それは、真実を知らされないからである。なぜ知らされな
ついて、信じられないくらいに無知である﹂からである。
寸
↓
いのか。理由は二つある口①反戦運動は、それ自体で一一一口論報道機関をもたないために、
(
6
)
会をうるためには、新聞、雑誌や映画・テレビなどの報道機関のお慈悲にすがってこなければならなかったにすなわ
(
7
)
ち、いままで﹁手より口へのその日暮しをやってきたのである。﹂②ところが、反戦運動がすがりついてきたところの
﹁核戦争の危機がいかに大き
報道機関は、反戦運動にたいして﹁本質的に敵志をいだいているひとびと﹂、﹁当局から金をもらって自己の利益の
(
8
)
ためにうそをつくひとびと﹂によって支配されているのである。これらの報道機関は、
(
9
)
いか、その危機の実現を防止するためにすみやかに行動することがいかに必要であるか、を一般大衆に理解させまい
とする陰謀﹂をもっている。したがって、反戦運動の歎願に応じてやむなく公表するばあいには、その内容をゆがめ、
方法も適切さをかき、その回数も散発的で、そのため一般大衆は真実をつかむことができなかったのである。
(叩)
たとえば、報道機関は、核戦争の危機や軍備廃止の必要性について理解させようとはしないで、﹁核非武装運動
︹C N D︺と百人委員会と(の︺:::意見の相違﹂という小さな問題を興味本位に大げさにとりあげるのである。ま
た
、 一九六三年七月二五日に仮調印された米英ソ三国の部分的核実験停止条約について、これで﹁これまでの平和運
動の仕事は水泡に帰したとか、平和運動はもうこれ以上つやつける必要はなくなった﹂というように、非常にゆがめた
一寸
T
報泊をながすのである口 ﹁核実験停止条約は︹地上の生命の絶滅の︺危険をほとんどまったく除去するものではなく、
(日)
また大国の政府の核兵器運搬体系やその貯践に反対する運動をおこす必要の緊急性を減少するものでもなかった。﹂
﹁核戦争の危機に関する真実をかくそうとする陰謀﹂は、アメリカとソヴェトとが一九六一二年現在において、
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としての二つの平和財団について
四
七
経営と経済
﹁ζの死の兵器障をからにす
四
そこで、
﹁世界的な核戦争反対運動﹂を推進し展開するためには、当然真実を﹁ひとびとに系統的に提供する
とができる﹂ことl!このように危機が切実重大であることを、大衆に知らせないようにと、報道言論を統制してきた。
(
ロ
)
ほどに路大な量であること、したがって、すでに貯蔵された核爆弾だけで﹁地球上の全生命を瞬時に何回も絶滅するこ
るためには第二次世界戦争中に使用した全火薬力とひとしい核爆弾を毎日一四六年間つ*つけて使用する必要がある﹂
N T火薬に換算して三二O O億トンの核爆弾を貯蔵している﹂こと、そしてこの呈は、
/
¥
機関が併置されなければならない。かくして、平和財団の目的は二つ、すなわわち、真実の究明と真実の報道とであ
く、真実を報道するのが使命でなければならないからである。したがって、この報道機関には、真実を究明する研究
ところで、報道するためには、真実を究明し、把握しなければならない。なぜならば、虚偽や不確実な情報ではな
機関を発展させる意図をもっている。﹂
(市)
によって脅迫される出版物には依存しないところのわれわれ独自の報道機関││ラジオ、新聞、映画、雑誌ーーー一一一一口論
的に拒否すると乙ろの独自の報道二一口論機関をつくることである。﹁われわれは、企業によって統制されたり、政府
ら容易に推測することができるであろう。すなわち、政府によって統制されるところの企業的報道機関の陰謀を全面
では、平和財団の目的は何であろうか。この目的の一半は、以上にのべた設立理由のなかにのべられているととか
以上が、平和財団設立の理由である。
的な手より口へのその日暮しのやりかたで指導される乙とをゆるしてはならないのである。﹂
(同)
もはや、乙の平和のための仕事が、これにたいして木質的に敵意をいだいているひとびとのおなさげによって、偶然
手段﹂すなわち、﹁われわれ自身の報道機関を創設﹂し、﹁当局から金をもらって自己の利益のためにうそをつくひ
(日)
とびとによって支配される報道機関に、もはやたよらない﹂ようにならなければならない。すなわち、 ﹁われわれは、
(
四
)
るということができる。この二つの目的を達成するために、おのずから、平和財団の組織は二つにわかれる。
洋平和財団﹁と﹁パ lトランド・ラッセル平和財団﹂がすなわちこれである。
﹁太西
﹁太西洋平和財団﹂は、 ﹁﹁パ lトランド・ラッセル平和財団﹂の仕事に関係のある諸領域、すなわち、軍縮、平
(日)
和および戦争の危機にかんする諸領域で、研究し調査するために創設された組織である o
﹂これは、 ﹁
パ lトランド・
﹁われわれの計画のな
ラッセル平和財団﹂の実践的活動を基礎づけるためのじみな研究調査をおこなうものであるが、じみなためにとかく
(行)
等闘にふされがちなこの研究調査の活動を、ラッセルはきわめて重視するのである。それは、
(氾)
かで本質的なものは﹁太西洋平和財団﹂であることのべているかれの言葉からも理解できるであろう。
g各ロ吋 σが同封されてい
一九六四年五月七日付のラッセルからの郵便には、乙の﹁太西洋平和財団﹂にかんするt
た。これによれば、その目的はつぎのようにのべられている。
J
AU
現在戦争中の、あるいは戦争準備中の諸国家聞の歴史的、政治的、経済的、社会的、宗教的、民族的、およ
び文化的差異
軍備と軍縮の諸問題、'国際緊張とその政治的、経済的、および社会的帰結
冷戦の民族的・宗教的少数者(再会をまつユダヤ人家族のととき)や政治的異見のゆえに犠牲となった個人
におよぼす影響
バ lトランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
ブ
も
四
二、研究結果を発表する乙と。可能なかぎり広範囲に情報を宣伝することによって、国際センターがおこなった仕
,
、
、/目、
国際紛争における歴史的、政治的、経済的、社会的、宗教的、および民族的要因
一、戦争と平和にかんする研究のために国際センター(複数)を設立すること。その研究領域はつぎのとおりであ
る
。
LU
(
司
(
c
)
経営と経済
事にひとびとが大いに関心をもつように努力する。
rすこと。乙れには大学の講座、
スカラーシップその他の奨学資金がふく
﹁太西洋平和財団﹂は、実践的活動機関としての﹁パ lトランド・ラッセル平和財団﹂の活動を基礎
一二、研究のためのその他の機会をつくり
まれる。
h
るのである。
ところで、
(叩)
﹁﹃バ lトランド・ラッセル平和財団﹄はつぎの分野における研究を支援する。﹂として、以上にのべたよ
(却)
﹁各国の政府やその役人たちが、核時代においてもっとも重大な生か死かの問題について、うそばかり
﹁かつてくわだてられたこともないほどの規模で﹂独自の報道機関を組織佑して、真実を系統的体系的に報
道し、さらに虚偽の報道をこととしている政府や役人とたたかうことを目的としているのである。
乙れは、
ついていることにたいしてたたかう強力な風潮と通信ル l卜を創造し発展させようとする﹂ことである。すなわち、
れによって、
被害をこうむっている国々で、きかせなければならない声を創造する手段を開放する﹂ことであり、そして、さらにこ
報道機関、言論機関を創設し発展させる﹂乙とであり、﹁財団の目的に共鳴するすべてのひとびとに、冷戦によって
は、すでにのべたことでもあるが、ふたたびラッセルの言を整理すれば、政府や企業によって支配されない﹁独自の
もっところの﹁パ lトランド・ラッセル平和財団﹂は、それ自体として、どのような目的をもつのであろうか。それ
﹁太西洋平和財団﹂にたいして、以上のべたような、基礎づけられ、かつ支援するという二重の関係を
うな研究分野をあげているのである。また前述の目的、二、研究結果の発表も、後者の平和財団によっておこなわれ
すなわち、
gSロ3 のなかで、明確にしめされている。
﹁支援する﹂という関係にもあるのである。それは、後者にかんずるt
づけるための研究調査をおこなうものであるが、後者は、前者によって基礎づけられるばかりでなく、逆に後者を
このよ つに、
O
五
以上が﹁パ!トランド・ラッセル平和財団﹂の主要な目的であるが、しかし、なぜ真実の報道をかくも緊急に、し
(引)
かも大規模に行なわなければならないのか。それは、いうまでもないことであるが、核戦争の脅威がわれわれの想像
以上にはるかに切迫し、もはや一刻の猶余もならないからであり、﹁世界的な核戦争反対運動を推進する﹂ことが緊
急の重大必要事であるからである。すなわち、別言するならば、ラッセルが二つの平和財団を創設したのは、世界的
な核戦争反対運動を組織化し推進し、国際的なレジスタンス運動を発展させるためであった。真実の発見とその報道
は、こういう目的を達成するために今日もっとも重要かつ不可欠な一手段として、とりあげられたものにほかならな
o
﹁
バ iトランド・ラッセル平和財団﹂の
ン問題、中部ヨーロッパの将来について、ラッセルは公平で効果的な調停をおこなった。
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
五
一、国際的危機の解決のための努力。たとえば、キューバ危機、中印国境紛争、アラブ 1イスラエル紛争、ベルリ
支持するための組織であるが、それではいったい、これまでラッセルはどのような活動をおこなってきたのであろう
(お)
か。おなじパンフレットによれば、これらの活動領域はつぎのように分類される。
このように、この実践的な平和財団は、平和運動の国際的連帯的発展を目的として活動してきたラッセルを強力に
であるこ
(包)
にたいし国際的レジスタンス運動を発展させようとするラッセル卿の努力に、広くかっ組織的な基盤を与えるつもり
パンフレットは、あきらかに、つぎのようにのべている。﹁﹁パ lトランド・ラッセル平和財団﹄は、核戦争の脅威
精力的で広範囲な平和活動に組織的な基盤をあたえようとするものである。
なおざりにしていると解するものがあれば、それは大きな誤解である。この平和財団は、従来までのラッセル個人の
したがってラッセルの平和財団が、ただ、学問的な真実の発見とその報道のみに注意を集中して、他の実践活動を-
v
,
t
経営と経済
ο いまや、かれはレジスタンスの国際的シンボルである。
のなかの体系的分業的機関にほかならないのである。
(お)
﹁平和財団が設立されたのは、乙れらすべての分野でとく
共通の目標、すなわち人類の全体的破滅の危機からの解放、人類の存続と繁栄にむかつて活動するための一つの組織
のであるが、しかし二つは、もともと別個のものがただ協力するという関係にあるのではなく、じつは、た、に一つの
二つの平和財団は、前述のように、それぞれの目的をもち、また相互に補完的な関係をもって緊密に協力しあうも
の平和財団が創設されたのである。
ルの精力的な平和運動を、さらに強力に、さらに大規模に、さらに有効に、さらに体系的に組織やつけるために、二つ
に成果をあげることが、おおいに必要とされ、またそのチャンスがあるからである o
﹂すなわち、多岐にわたるラッセ
後ますます拡充し発展されなければならないものであり、
ラッセルは、以上のような領域において、じつにめざましい活動を実践してきたのであるが、それらはいすれも今
文と演説を通じて、核戦争の危機と真実を大衆に知らせようと努力してきた。
五、核戦争準備の現実、核戦争がもたらすであろう惨禍についての啓蒙。ラッセルは、多くの著書、何百という論
実行させた。
四、東西双方の独裁政府による犠牲者の救助。ラッセルは多くの国で、政治犯の釈放、窮状の緩和、減刑その他を
展に没頭している
三、核戦争に反対する大衆運動の支援。ラッセルは、学究者としての仕事をすべて放棄して、国際的平和運動の発
セルの意見をうけいれ、それにもと。ついて行動しはじめた口
って、ラッセルは、世界中の中立国首脳とたえず通信し接触をたもってきたし、他方中立国首脳の多くは、ラッ
(別)
二、中立主義的意見の動員。中立主義が国際緊張解決のためのもっとも有望な手段のひとつであるという立場にた
五
﹁
パ iトランド@ラッセル平
そして、今日、もっとも緊急に必要なことは、とりあえず、多くのひとびとに真実を知らせることである。したが
って、政府や企業にコントロールされないところの独自の報道機関を創立することが、
和財団﹂の主要な仕事とならざるをえない。
(お)
では、この財団の計画は、具体的にはどういうことであろうか。そのいくつかはつぎのようなものである D
一、新問。この新聞は、他ではおさえられるか都合よく無視されてしまうようなニュースを掲載するとともに、平
和財団の仕事を知らせる。
二、商業的、政治的圧力をうけない印刷、出版施設。
三、核時代の現実について想像力をかきたてるような記録映画やその他の映画。
凶、ラジオ放送局。この放送局は、核軍縮をよびかける世界の声となり、数カ国語で放送する。
D
五、世界の各地に財団の支部をつくり、ロンドンの本部(パ lトランド・ラッセル・ハウスを建設する予定)との
(幻)
緊密な連絡のもとに、国際的平和運動を発展させてゆく
以上をもってみれば、﹁この財団の計画が野心的であり﹂、﹁かつて民間の運動がくわにてた事業のうちで、もつ
(お)
とも野心的なもの﹂であるといっても、けっして過言ではないことがあきらかであろう。権力も金力ももたぬ民間人
がくわだてた仕事のうちで、各国政府の偽善と商業主義とにたいし、真正面からたたかうところのレジスタンスとし
(mU)
て、もっとも勇敢な、もっとも徹底した、そしてもっとも大規模なレジスタンスである。
また、ラッセルの世界的視野からの活動の当然の帰結として、この財団は、全世界の緊密な連帯を実現しようとの
国際的規模をもった組織である。
また、この財団は、従来の平和運動にしばしば見られた間けつ的非日常的な活動形態を打破し、たえず恒久的日常
パートアンド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
五
経営と経済
﹁ 太 西 洋 平 和 財 団 ﹂ に か ん す る パ ン フ レ ッ ト 、 お よ び ﹁ パ l トランド・ラッ
(泊)
との点が、ラッセルの平和思想の大きな特色の一つでもあることは、すでに指摘したとおりである。
(1)ζ のステートメントについては、すでに、拙稿﹁パートランド・ラッセルの平和思想と反帝国主義﹂﹃経営と経済﹄一
でもないので、ここでは省略する。
送された。未訂正校正刷と決定版との相違点は、公表すべきものでもないし、またとくにとりあげるべきほどに重大なもの
くつかもったととろの﹁未訂正校正刷﹂巴ロgロ2古己厚。。同であって、校正ずみの決定版は翌年一月一五日と一六日に発
た。しかし、乙のときおくられてきたものは、九月二九日のためにいそいで準備されたためか、まだ訂正を要する個所をい
(
2
) 乙の設立趣意書も、前注にのべた拙稿のおなじ注でふれておいたように、一九六三年一 O月三日付の郵便に同封されてい
Q
司
。
ロ
ロ
門
目
白
片
山 Oロωロ仏﹀己ωロ片山の阿川2 8 司O Z
ロ
含
一
立
。PMum名古田σ2・
z 一九六三年一 O月三日付の郵便でおくられて
一
∞
∞
∞きたこれの最初のコピーは、タイプ謄写版であったが、一九六四年五月七日付の郵便でおくられてきたコピ 1は、活字印刷
版であった 以下、引用は後者によっておこなう。
aa
四号、一五三i五四ページ、注 (
3
) でふれておいた。ふたたびそのステートメントのタイトルをしめせば、つぎのとおり
印 吉田 σ
Z
己主吉宮三回目。口百件。コ目。当ωロ門戸官。∞印。。ロ向。円。口。。。ロ官ロロのVEmFo 回。円片岡ωロ仏河口的目。=ヲ誌の。
である。
O
民族解放および階級解放との関連を意識しながら、とりあげるものであることが注目されなければならないであろう。
破滅からの解放のみを孤立的にとりあげるのではなく、それを、歴史のうえで人類がたえず追求してきた人間解放、
セル平和財団﹂にかんするパンフレットにかかげられているが、これらによってみれば、その研究がたんに、人類の
ばならないであろう。この研究領域は、
両領域にまたがる、きわめて広範かつ権威ある活動をめざしている点でも、劃期的な平和活動機関であるといわなけれ
さらにまた、乙の財団は、従来とかく等闘にふされてきた研究調査を本質的な一環とするところの、研究と実践の
セルの危機意識の深刻さと危機解決のためのとりくみかたの徹底性をここでも明白にみることができる。
的な活動をおこなうものであるという点でも、注目にあたいする。全身全霊を人類の解放のためにささげているラッ
五
四
件
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3) 回2立自仏河口出目。=・宮ぬ即日ωmog FOESFロ円。。同FO回。吋可ωロ仏河口目的。=MMgno 吋Oロロ仏三時Oロ・
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︿8)同58F宮ぬ凶器∞0・
︿刊日)同58-f 冨o
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9)(叩)(日)(ロ)同Emo---mgZBoz-アプ
︿同)(市)(同)(行)同ES---∞宮古BgyHYM・
乙の﹁太西洋平和財団﹂を﹁本質的﹂としてきわめて重視しているが、わたしも、社会思想史の立場から、人類の解放にか
︿問)乙の胃onF50は、﹁太西洋平和財団﹂そのものについて説明した文書として、最初のものである。なお、ラッセルは、
んするこの広範囲におよぶじみな研究の組織を重視するものである。
︿叩)乙の詳細については、後注(位)を参照されたい。
︿却)河口凹印。=-ωZZB05・円M・M・
︿引)悶ES---zggm0・EFoσ円。のゲロ円。。同国2可ωロ門回同58=同M28司。ロロ仏己目g・ u・M・
(別)一九五五年七月の﹁ラッセル Hアインシュタイン宣言﹂以来、乙の財団の設立当初まで、ラッセルは、東西両陣営のいず
(包((お)回円。のHE叫00同国025ロ仏河口回目。=司28司Oロロ合同日opHV・ ω・
れにも偏しない立場にたち、人間として、核戦争政策をとる両陣営のいずれをもはげしく非難しつづけてきた。乙れを中立
主義といっているのであるが、しかし、一九六五年以後のラッセルは、もはやこの立場をとらない。かれの最近の立場につ
いては、拙稿﹁パ 1 トランド・ラッセルの平和思想と反帝国主義﹂にくわしくのべておいた。とくに、かれの立場の状況へ
の適応性と一貫性については、拙稿﹁社会思想家としてのパ 1 トランド・ラッセル﹂﹃経営と経済﹄創立六十周年記念論文集、
以下では便宜のため、前掲拙稿のうち前者を﹁社会思想家﹂、後者を﹁反帝国主義﹂と略記する。
五五
¥二八一ページ、および前掲拙稿、一四二l四三ページ、ならびに本稿、六八ページおよび注(お)を参照されたい。なお、
パート一プシド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
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じて引用してゆくこととしたい。
ところで以上にあげた資料のうち、ー、
5 以下の資料で
2、3 および4 は平和財団設立の理由と目的、計画をあきらかにすること
をこころみた前節において、くわしく検討ずみのものである。したがって、以下でとりあげるのは、
ある。
ところが、日、問、件、旬、問、旬、旬、別、引、辺、おおよびおは、すでに拙稿﹁パ l トランド・ラッセルの平
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四三ページでもふれたように、ラッセルの最近の平和思想が、ラ
和思想と反帝国主義﹂においてくわしく紹介したものである。すなわち、時間的にはあとにくべきものを、さきに紹
介したわけであるが、これは、前掲拙稿、 一四一
ッセルの長期にわたる平和思想の歴史のなかで、おそらくもっとも知られることがすくないのではないかと憂慮され
たこと、しかるに今日の危機段階においてラッセルの最近の平和思想はェきわめて重要であり、平和思想の研究におけ
るぷ礎的資料として一刻も早くこれを提供することが、ラッセルと直接文通し、その思想に私淑しているものの義務
とかんがえられたこと、によるのである。
なお、さきの資料のリストであきらかなように、前掲拙稿にとりあげた資料よりもさらにあたらしい多くの資料が、
一一刻も早く公表しなければならない責務を痛感するが、紙幅の関係から、本稿では、残念ながら省略せざるを
その執筆後におくられてき、しかもそれらはみな現在のラッセルの思想と活動をいきいきとったえる重要な資料であ
って、
えない。ちかい将来、稿をあらためて、詳細に紹介するつもりである。
したがって、本稿は、時間的には前掲拙稿の前におかれるべき部分をとりあつかうものである。
パート一アンド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
ー
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一
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、
/
四
経営と経済
ωロBERM- 。向。ロ円当2wg 門目白件。は、前述のように、 一九六四年五月七日発信のラッセルの郵便に他の
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(E) いくつかの諸問題で調停をおこなってきた。たとえば、アラブリイスラエル紛争、中印国境問題、イェ l メ
(E) 調査、旅行および責任ある官吏との会見をおこなった。乙の仕事は着手してからかなりその数を増加した。
する用意はない。なぜならば、この仕事は秘密であることを要し、秘密をまもらなければ効果があがらないからである。
主口を意味する口しかし、どういう国々にわれわれがアピールしたか、誰のためにアピールしたか、という乙とを公表
三の菌でえられた。この具体的成果というのは、囚人の釈放、死刑判決の減刑、囚人たちのおかれている諸条件の改
となわれたものもある。要求した国々は、共産主義国もあり、資本主義国もあり、中立国もある。具体的成果は、
て交渉をおこなってきた。これらの要求は、多数のひとびとにかんしておこなわれたものもあり、個入にかんしてお
(工)二一一カ国にたいし、
ω政治犯ω被圧迫少数民族ω政治上の異見のために脅迫されているひとびと、にかんし
(4) ﹁
パ lトランド・ラッセル平和財団﹂としては、 つぎのような仕事をおこなってきた。
機会をつくることには、まだ着手していない。これはもっとあとになるであろう
(
3
) ﹁太西洋平和財団﹂の三、にあげられた仕事、すなわち、大学の講座その他の将学資金を提供して、研究の
には出版されるであろう
究成果を発表すべく準備中である。これらの研究成果は、過去六カ月聞に遂行されたり、促進されたもので、夏まで
(2) ﹁太西洋平和財団﹂の仕事としては、パンフレットの一、に列挙されている諸研究領域に関係ある一連の研
(引)
(1) ちかい将来、財団支部を、北アメリカと近東の二カ所に設置する予定である。
平和財団は半年聞に、つぎのような活動をおこない、または準備している。
資料若干とともに同封されていたものである。これは、設立後半年間の財団の活動を要約したもので、それによれば、
資料5
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・
、
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ンの問題、ルアンダとブルンディにおける紛争、キューバとアメリカ、キプロス、ヴェトナムその他での紛争がそれ
ω片足。ロ片岡νgoodE。
P28甘えロE'
である。問題になっている係争にかんして国家元首や責任ある高官に提案する前に、あらかじめ調査し、関係当事国
の大使や特派大使と会談した。
(町)他の組織との協力。たとえば、ヴェトナム戦争問題にかんしては、
止
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円色丹可句。 ω。。の ωロ
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・ その他二二五のアメリカのカリッジ、三五のア
V252 可。ロロ仏己目。ロの支配
メリカの新聞社、通信社、サンフランシスコ、 ロスアンゼルスおよびニューヨークの H
下にあるラジオ放送網と F Mラジオ放送局に、資料を提供した。また、ヴェトナムにかんする資料は、二0 ヵ国以上
の国々で利用されている。ギリシャの政治犯のためにも、乙の程度の規模の仕事をおこなっている。
以上は、 ﹁太西洋平和財団﹂のパンフレットにのべている第一の目的と﹁パ!トランド・ラッセル平和財団﹂のパ
(
辺
)
ンフレットの二ページにのべている項目の大部分をカバーするものである。
(V) ﹁
パ lトランド・ラッセル平和財団﹂のパンフレットの四ページにあげた五つの野心的な計画のうちで、映
(お)
画の作成は相当すすんでいる。これにかんするパンフレットを参考までに同封する。
(日)他の四つの計画を実現するために、寄金を募集中である。これらは長期的計画であるが、 一年の終には全般
的に進捗していることを発表できると期待している。
以上が、設立後半年聞に財団がおこなった活動の要約であるが、これらの活動のなかで、準備が相当にすすんでい
るとのべられている映画について、資料6 にもとづきつつ、のべてみたい。
パンフレットの第一ページには、写真六葉が複写して印刷されている。乙の六葉の写真は、左側に四葉、右側に二
実がならべられていて、左上から下ヘ、 ロンドンでのカクテル・パーティーの状況(なぜこの写真がのせられている・
パート一フシド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
-L.
/
、
経営と経済
六四
のかは、あとの三ページの説明から理解できるであろう)、ニ列横隊にならんだすくなミとも一五名以上のナチスの
兵隊が限かくしもしないで立つ一民間人をいまにも銃殺しようとしている瞬間、日本の海軍陸戦隊が軍旗をかかげな
がら燃えつやつける焦土を進軍している状況、ナチスの強制収容所の周壁の鉄条網の写真、右上は、広島で被爆した九
一ヤリとしている冷酷な男(ドイツ人7) の写真である。
カ月の妊婦の胎内にあった小頭症の胎児の標本づけ、右下は、栄養不良のため骨と皮ばかりになり、ただ腹部だけ、が
ふくれている赤ン坊の首と肩を片手でっかんで、
Z
叶出何回。巧開問吋
をつくったが、
﹁ヘラルド・トリビュ l ン﹂紙は﹁芸術⋮
- 問。mgE氏が作成した映同のスチール写真の一こまであるが、乙の映画作成者について
これらの写真は、ピ。5
。
一九五七年に、
は、二、ゴ一ページに説明がくわえられている。
問
。mgE 氏は、
の勝利:::文句なしに、かつてこの国でつくられたもっともすぐれた記録映画のなかの一つ﹂と絶賛した。この映阿
凶
ロ
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問
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昨
日
戸
川
凶
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﹁かつてスクリーンにうつされたうちでもっとも赤裸々な現実である。:::これらはあなたがけっしてわすれる
はニューヨークのパワリ!のアルコール中毒者にかんするものである。映画にかんする偉大な権威者、
︽
をつくった。乙の映画について、 ロンドンの﹁デイリー・ミラ l﹂紙はつぎのようにのべている。
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gロ神父は、
﹁いままで
国平
口 の do冨何回﹀ハい同
﹁わたしは、南アフリカの恐るべき悲劇を表現するのにど。ロ己 問
。
向
。 ω山
半の映画のダイナマイトをつくりだした。 ほかにほ表現のしょうがない。﹂人部差別にたいする有名な反対者、
つくられた映画のうちで、もっとも異常な、恐るべき、屈辱的な映画である口それはリアルで不快な真実l l一時間
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河
。mgZ 民は、四年後には、南アフリカへ行き、南アフリカの民族主義にかんする映両 Eho冨 何 回 ﹀ わ 同 ﹀ 明 白 '
も有意義な映回の一つ:::﹂と書いた。
乙とのできない顔である。:::慢性的危機の状態にある人間:::記録映画がいままでに知ったうちで社会的にもっと
l
土
﹀町一自の﹀・ほど適切な映画は想像することができない。﹂と書いている。
その問。mgE 氏 が 、 い ま 、 か れ の も っ と も 重 要 な 映 画 を 製 作 中 な の で あ る 。
乙の映画のねらいは、戦争と平和の
問題をスクリーンに投射することである。この映画の製作のために、かれはどのような苦心をはらったか。二年同調
ヨフ
l ィ
ク Jレ
J¥ ム
とを
旅き
ロンドンから、パリ、ベルリン、ワルシャワ、 モスクワ、ニュ l デl リ、東京、おー
し(し
たO、
3
4て、
査したあとで、戦争の恐怖にかんするニュース映画の資料を一五万フィートも収集した。氏の一行は、戦争にかんす
ユ映
l 画
行が
J
を再検討せざるをえなくしようとするのである。
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
六五
ぎめさせようとかんがえている。 ユ ニ ー ク な 映 画 の 手 法 を も ら い て 、 観 客 を し て 、 戦 争 に た い す る か れ ら 自 身 の 態 度
ひ と び と が 無 関 心 で い る こ と に 衝 撃 を あ た え て 、 現 代 の 主 要 な 矛 盾 1 1 核の六0年 代 に お け る 戦 争 と 平 和 の 問 題 に め
この映画には、戦争反対にたちあがっている全世界のひとびとのニュース映画が多数おさめられている。かれは、
録映画がしめす真実とを対照的にならべて、現代の危機をするどく表現しようと計画しているのである。
び と を 、 戦 争 に か ん す る 議 論 に ひ き こ ん だ 。 か れ は 、 乙 の お し ゃ べ りl│現 代 の 思 考 へ の 恐 る べ き 反 映ilと 戦 争 記
年一二月、ロンドンのあるカクテル・パーティーで、映画のなかの若干の場面を映写した。そして、そこにいるひと
そこで、かれは、戦争にたいしてもっとも無自覚的で遊惰なひとびとの一団にたいし、乙の映画を見せようと、昨
たえるために、この映画をつくったのである。
定見に時流におしな、かされてす Cし た 。 か れ は 、 こ の よ う な 過 去 の あ や ま ち を 三 た び く り か え さ な い よ う 、 警 告 を あ
牲となった。世界中のひとびとは、くりかえしおこった危機にま、えとまれ、二つの大戦のあいだを救いもなくたに無
問
。mgE の 関 心 は 、 世 界 が 戦 争 へ む か つ て お し な が さ れ て い る と い う こ と に あ る 。 現 代 に お い て 、 二 つ の 世 代 が 犠
よる
び記
ニ録
経営と経済
六六
以上のようなねらいをもった映画であるが、これまでに収集したフィルムが彪大な量に達するので、編集になお時
聞を要する。また、この映画を完成させるためにもう少し撮影しなければならないところがのこっている。
乙の記録映画からの抜すいとカクテル・パーティーの若干の場面との短い予告編は、いつでも観覧に供する。乙の
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企画に関心をおもちのかたは、つぎのいずれかに連絡してほしい。
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コミュニケーション/情報源/コミュニケーションの政府および民聞による統制/報道と誤った報道/冷戦がコミュニケ
資源/軍備競争のコスト/資源の別途使用/大量飢餓/貧困と人口過剰/生活水準/非工業諸国の開発
紛争/諸大国間の関係/冷戦の原因/紛争のイデオロギー的、経済的、心理的原因/国境紛争/国内の紛争
軍備/核戦争の性格/核戦争の蓋然性/佑学・生物学戦争の性格と蓋然性/兵器体系/技術的事故の見通し
﹁
パ 1 トランド・ラッセル平和財団はつぎの分野における研究を支援する。
(辺)﹁バ 1 トランド・ラッセル平和財団﹂のメシブレットの二ページにある項目というのは、つぎのとおりである。
(引)本稿、四九 i 五0 ページ参照。
門
・者・ ω・
同州凶自同
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(お)
件
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)。
乙の予告編の観覧については、簡単な通知だけで手はずをととのえる、との注記が末尾に記されている。
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Mo-Z4ω問。ωY
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ロ円。。同仲FOE-BBω 色
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O印古
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共存/国際協方/国際連合/中立派の役割/調停
レジスタンス/国際平和運動/軍縮と社会変革/権力源/核・化学的・生物学的軍備の縮少撤廃にあたっての障害﹂
(お)乙のバンプレットは同封されず、あとで、八月に来日した財団理事ブァ 1レーによって手交された。これが、本稿五七.内
ージにあげた資料6にほかならない。
円
。
。
Mm) 切
︿
(
お ) O U・己fHYω ・
ェトナム戦争はそのうちの一問題にほかならなかった。
バ 1トランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
六七
うに、地域的にも問題の種類からいっても非常に広範であって(もちろん、すべて平和へつらなるものである)、グ
が当時精力的にとりくんでいた問題は、アフリカ、近束、アジア、およびアメリカ大統領暗殺の真相の問題というよ
にとりくむことをしていなかった。これらの資料がとりあつかっている主題をみればわかるように、かれの平和財団
これらの資料が書かれ、そして発信された一九六四年一 O月 Cろ ま で 、 ラ ッ セ ル は ま だ 、 ヴ ェ ト ナ ム 戦 争 に 集 中 的
くむにいたった経過を知ることのできる一つの資料として有益であること、の二つの理由にもと*ついていた。
ルのヴェトナム戦争にたいする思想の直接的表現ではないが、それ以後本格的精力的集中的にヴェトナム戦争にとり
を 主 題 と し 、 そ し て そ の 期 間 に お け る ラ ッ セ ル の 主 要 テ l マはヴェトナム戦争であったこと、ところで、日はラッセ
すでにのべたように、前掲拙稿が一九六五年初から六六年一月までのラッセルの平和思砲を集中的にとりあげること﹄
で簡単にふれ、そして、そのなかの刊についてはとくに詳細な紹介をおこなった。そこで刊のみをとりあげたのは、
資 料7 ないし竹については、すでに拙稿﹁パ lトランド・ラッセルの平和思想と反帝国主義﹂ 一四四 l 四五ページ
五
こ
視
野
の
ひ
ろ
さ
を
立
証
前
掲
拙
稿
で
指
摘
し
て
お
た
窃
よ)
フ
l
こ
平
和
財
団
の
平
和
の
た
め
研
の
究
と
るから、もはやくりかえさない。ただ、ヴェトナム戦争にたいするとりあっかいかたが、かれの平和思想の特質とど
るさいに、くりかえし問いかえし、そして解答してゆかなければならない問題である。しかし、本稿は、平和財団の
ラッセルの平和思想の原理の一貫性と政策的次元における状況への適応性は、かれの平和思想を歴史的にあとづけ
がヴェトナム戦争の進展につれて根本的な変化をとげたという内面的理由から、理解されなければならないのである。
ム戦争が、きわめて重大な局面に突入したという外面的な理由ばかりでなく、ラッセルの政策的次元における平和思想
あげなければならなくなったのである。したがってラッセルのヴェトナム戦争反対にしめす精力と緊張は、ヴェトナ
れからはアメリカ帝国主義の戦争政策とたたかい、帝国主義支配者をくつがえすために、集中的にヴェトナムをとり
国主義であるとの結論に到達し、ついにアメリカにたいして、その平和思想上の立場を変更せざるをえなくなり、そ
検討していった結果、アメリカこそが核戦争の瀬戸際へ人類をおいこみ、人類を破滅させようとする、残忍無比な帝
、にけではなくて、ヴェトナム戦争におけるアメリカの行為がますます残虐の皮をくわえ、実証的経験的にその資料を
っとも重要な問題として集中的にとりあげるようになったということは、ただそのとりあっかいが拡充されたという
である。すなわち、ラッセルがヴェトナム戦争を多くの問題のうちの一つとしてとりあげる乙とをやめて、これをも
わってくるのが当然だという特質が、ヴェ卜ナム戦争のとりあっかいをめぐって、如実にしめされているということ
験科学のそれでつらぬかれていること、したがって、事情がかわり、状況がかわれば、政策的な次元での平和思想もか
のような関係があるのかについては、のべておかねばならない。それは、ラッセルの平和思想形成の方法が実証的経
す
六八
活
動
の
経営と経済
こ
と
は
す
で
l
乙
るものである。と同時に、それは、ラッセルの平和思想の基本的な特質と密接に関連していることをもつけくわえて
(訂)
おかねばならないであろう。ラッセルの平和思想の特質については、これも、すでに拙稿で指摘しておいたことであ
の
目的や思想、ならびに活動についてのべるのが目的であって、ラッセルの平和思砲の歴史的なあとづけは、別の機会
(犯)
にゆずらなければならないので、ここでは、中立主義から反帝国主義へのかれの思想の変佑の経緯と意義づけの問題
にはふれないでおく。
D
一九六四年である
これらはいずれも重要な資料であるが、ここでは紙幅
ともかく、資料7 ないしけは、以上のべたような意味でラッセルの思想に重要な変化がまさにおころうとする直前
の資料として、評価され理解されなければならないのである
の関係から、資料7、8 および9 をとりあげるにとどめたい。
吋FoZ
ゆえ同O 円Z。
BOEが執筆された日付はわからないが、本文の内容からみて、
k
r
z
mロ
ロ-
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
六九
このような論点からわたしがひきにす結論は、非同盟が人類の存続と大多数の人間の社会的進歩のための不可欠の政
分なものとなろう。人口の爆発的増加と資源の消耗が一年 Cとにますます大きな病気と飢えの問題をうみだしている。
関係している。東西間の斗争がやみ、軍備競争がなくならなければ、発展のためのあらゆる努力は名目ばかりで不十
題は、軍備競争をおわらせることと世界政府によって世界の発展計画に着手することである。これらの問題は密接に
に大多数の人間を飢餓と病気にくるしませるのである。人類にとってもっとも緊急だとわたしがかんがえるこつの問
ろう。東西間の斗争にともなう軍備競争は、人類絶滅というぞっとするような見通しをあたえるばかりでなく、さら
ラッセルは冒頭でつぎのようにのベる。﹁世界人民の大多数は、冷戦がつづくかぎり、悲惨な生存をつやつけるであ
内容的に充実している。
執筆時期を乙えた存在意義をあたえようと期したからではないだろうか。そのように判断できるほどに、この論文は
に執筆の日付をつけなかったのは、おもうに、これを、乙の時期におけるラッセルのもっとも代表的な論文として、
ととはまちがいがなく、また、資料8 との関係からみて、八月以前ではないかとおもわれる。また、ラッセルがこれ
7
(刊)
用がかさみ、将来の解決をますます困難にするのであるよ
﹁現在の軍事支出﹂の規模を、他のものと比較すれば、それは、
﹁すべての低開発国の全国民所得を超過し﹂、ま
設備が建設的でない用途に利用されているのである。﹁軍事費が増大するにつれて、放置された問題が累積され、賀
大な意味をもっているよこれらの彪大な軍事費によって、いうまでもなく、尼大な資源、エネルギー源、労働、機械
は一、六O O万ドルである。しかし、このほかに、いろいろな機密費があり、それは確認された軍事費とおなじく丞
﹁現在︹一九六四年︺、世界の軍備費は、年間一、四O O億ドルで、これを一日に換算すれば四億ドル、 一時間に
人類福祉への影響について論ずる。
平和と福祉にたいする妨害物は何か。それは軍備競争である。そこで、ラッセルはまず、軍備競争の実体、平和と
両陣営はいずれも軍備競争に拍車をかけているという中立主義の立場を明確にのべていること、これである。
備競争の廃止を前提としているということ、国軍備競争を廃止するためには、非同盟政策をとらなければならない、
立にともなうはてしなき軍備競争が、人類の平和と福祉を危機においこんでいる原因であり、世界の発展計画も、軍
りかえし論じてきた平和の問題とならんで、経済的社会的福祉の問題を大きくとりあげているということ、ロ東西対
の障害を除去する方法は何か、 ということに要約されるであろう。ここで注意すべきは、付ラッセルが、いままでく
この論文で論じようとする論点が、ここに明確にしめされているが、それは、平和と福祉のための障害は何か、そ
いるのである。だれをも益しないところの斗争で、地球の産業的潜在力を浪費することに満足している二つのブロツ
(
ぬ
)
クがあるかぎり、平和と幸福は幻想的目標であるだろう。﹂
進するときでさえ、それらの国は、冷戦を維持するがゆえに、貧窮の原因と生命の危険の原因とに間接的に貢献して
策であるということである。二つのブロックのうちのいずれかと同盟している国が、自国民の経済的社会的福祉を促
経営と経済
O
七
(引)
﹁それは、アフリカ、アジア、およびラテン・ア
000万以上のひとが軍需産業に雇用されている。﹂
た﹁あらゆる商品の世界中の一年間の輸出を超過している。﹂また、
メリカの国民所得を超過している。六、
﹁このおそるべき軍事支出の源泉を検討してみると、つぎのことがわかってくる。すなわち、もっとも開発された
国々は、資源をもっとも浪費しうる国であるばかりでなく、身分不相応にそうしている国であるという乙とである。
1一叩にしかならない。
mをしめている。
カナダ、中国、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、およびソヴェトの七カ国が全軍事支出の八五M
(位)
すべての低開発国││人類の大多数をしめる││の軍事支出は全部あわせて、西側のそれの
mをしめるよ
アメリカの軍事予算五O O億ドルは世界総額の三五M
﹁イギリスの航空母鑑一隻の費用は六、五O O万ポン
(伺)
000万ポンドあれば、 エジプトのすべてのひとに飲料水を供給することができる。また、
わかりやすくするために、費用の比較をおこなってみよう。
ドである。ところで、四、
(判)
000万ドルである。これだけあれば、 一年に五万ないし七万トンの能力
﹂
これだけの金があれば、田舎の健康相談所が九O Oもできる o
﹁アトラス・ミサイル一基の費用は三、
﹂
をもっ窒素肥料工場の建設に投資することができる o
﹁軍備に支出される法外な額は、もしそれが軍備以外に投資されるならば、その投資額以上の価値になることが記
憶されなければならない。もし、イギリスで軍備に支出される一四億ポンドが投資にまわされるならば、すくなくと
門
当 uEMHHMmB∞百三同氏は、最近、 つぎのようにかたった。
T-s ・R ・2 一機は近代的病院の五つ分にあたり、ミサイ
もその一 O倍の価値がうみにされるであろう。イギリスの例でいえば、ポラリス@ミサイル一基は四つの大学に相当
(桁)
し
、 V型爆開発射装置一基は七つの中等学校に相当し、
ル破壊装置一基はトラクター一万台にひとしい。﹂
つぎに、工業国と非工業国との関係はどうであろうか。
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
七
経営と経済
(特)
七
﹁低開発国は産業を発展させるよう財政的な援助をうけているが、他方、その生産物は、きびしい差別的なとりあっ
かいをうけている。これは矛盾である o
﹂乙れは両者の関係の本質をしめしている。
工業国は、世界の資源を軍備に浪費しているのみならず、それが低開発固にあたえているいわゆる財政援助によっ
て、資源と投下資本の低開発国からの逃避を永久化するように計画している。すなわち、﹁財政援助は、後進国を工
業国にますます従属させるような産業に重点がおかれている。ラテン・アメリカへの援助は、そのような援助がない
ばあいよりも、かえってより多くの貧困をうみだしている。これは逆説的であるが、援助によって促進される生産は
資本利潤のその国からのいっそうの逃避を助長するのである。生産性が増大したようにみえるのは幻想である。なぜ
ならば、利益をうけるのは、いわゆる援助をうけるひとびとではないからである。外国信用貸付で二億ドルがアメリ
(灯)
カからラテン・アメリカにあたえられている。ところが、二億ドル以上の金額が、おなじ時期に、とれらの不幸な国
国を支配する腐敗したエリートたちによって、スイスの銀行に預金されたのであるよ
﹁過去一四年間に、アメリカは余剰農産物を購入するために四O億ドルをつかった。購入された余剰の小麦、
西側の産業活動の弱点をしめすもっともいい例は、余剰食糧がアメリカでどのように処理されているかということ
である。
からす麦、大麦、とうもろこし、バタ l、およびチ lズは、西側諸国の価格水準をつりあげておくために、貯蔵され、
生母を注入される。バターやチ lズをたべられないようにするために、バターやチ lズの大きな山に青染料を注入する
(特)
一九六O年までに、一億二、五O O万トンのパン用穀物がアメリカで貯蔵された。これは全インド市民を一年間養う
に十分な竜一である。インドには、飢えにくるしんでいるひとびとが一、四O O万人以上もいる o
﹂
(刊)
西側世界の大工業生産は、世界に存在する飢餓を永続させるためばかりでなく、さらに利潤めあてに飢餓をますま
す増大させるために、意識的におこなわれているのである。
Q
つぎに、ラッセルは、いわゆる低開発国のなかで、アラブ連合共和国をとりあげ、その発展のための努力をのべる
﹁二、六O O万のエジプト人のうち、 一、六O O万人がピルハルツ吸虫病にかかっている。乙の衰弱させる病気は、
Q
開門ω
昨
日
ロ
。
ところが、使
との国の人口の約三分の二をおかしていて、このため、この国の一年間の国民所得の三分の一を負担しなければなら
ない。この非常におそろしい病気から救済するためには、四、二O Oの村に便所をつくる必要がある
所は健康にとって脅威である。というのは、ナイル・デルタの地下水面が土壌の表面に近すぎるからである口
D
ところが、 ハイ・ダムをつくると、運河は住民を養うが、その運河を通って、
の
EEO 同ωが指摘するように、たピアスワン・ダムをつくってナイル河をとめ、それによって地下水面をさげるとき
だけ、完全な便所計画が可能となる
上部エジプトに寄生動物がもたらされ、ピルハルツ吸虫病のあたらしい脅威がうみにされるという困難がある。ビル
ハルツ吸虫病のかたつむりや病気それ自体とたたかうために巨大な額が必要である。 ハイ@ダムは壮大な業績であり、
o﹂
(印)
低開発国に必要な発展の模範である
﹁南アフリカでは、 一万人の子供が毎年胃腸炎で死んでいる。カンボディヤをなやます
以上のべたところからも、すでに、軍備競争と冷戦が人類最大の敵であることはあきらかであるが、ラッセルはさ
らに、例をあげて説明する。
天然痘は五O万ドルの費用で除去できるであろう。何百万ものひとびとがいち C状痘をわずらっているが、乙れは七
n
a
巧MZFEW2 のようなたん白質欠乏症、脚気、あるいはペラグラにかかっている。アメ
ペンスのペニシリンを投与するだけで治癒させることができるであろう。五億のひとがトラコーマにかかっている。
、
アフリカの子供の六O%は
リカがその余剰農産物を貯蔵するならば、それはただ飢えたひとびとから食糧をうばいとるばかりでなく、あらゆる
o﹂
(引)
低開発国に食糧を高い費用で買うように強制する乙とになるのである
軍備競争と冷戦は、以上のように、人類にとって最大の敵というべ、喝さほどに、大きな浪費であるが、しかしこの浪
パ lトランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
七
Q
経営と経済
(臼)
﹁
一 O世紀に、﹀戸・冨ωgE がモロッコから北京へ馬
回
な生産をさまたげているのは、ほかならぬ軍備競争と冷戦である。
非工業国では、飲料水、濯瓶および動力が非常に要求されている
ペンタゴンは、 合衆国内に一二、
これらがあれば、何倍もの食糧生産が可能であ
﹁アルジェリアでは、水を国
二O O万エーカー以上、 海外にほぼ三O O万エ l
カl、あわせて数千万エーカーの土地を所有している。ペンタゴンの建物は巨大で、合衆国政府のある首都がペンタ
大の組織である乙とを意味する。
﹁アメリカ国防省の所有する財産は、約一 O年前には、 一六O O億ドルであった。これはアメリカ国防省が世界最
する。
だろうか。ラッセルは、その理由をこまかく論じてゆき、国防省と大軍需産業との協同体の支配的なちからをばくろ
国のばあいをとりあげる。
(日)
﹁世界危機は、株式市場にブ l ムをもたらす。ベルリン危機は株式市場に空前の高利潤をもたらした。﹂それはなぜ
ているか、をしめしてきたが、つぎに、強国の軍需産業の役割についての検討にうつる。ラッセルは、アメリカ合衆
以上、軍備競争と冷戦が、世界の経済力をいかに浪費し、そのため、低開発国のひとびとがいかにくるしみつ"つけ
られてよい。﹂
(臼)
に投ぜられる金の一部にすぎない。これらの数字はおなじような環境下にある他の国々を象徴する典型としてとらえ
民にひくために五0 0マイルのパイプが必要である。乙の費用は二、五O O万ポンドであって、実験用ミサイル一基
るが、軍備競争と冷戦のために、乙れらに投資されるべき金は軍備につかわれている。
Q
分な投資をおこなえば、世界中のひとびとを養うのに十分な食糧の何倍も生産できるようになるであろう。このよう
で旅行したとき、かれが遭遇した唯一の肥沃な国は、ナイルの谷だけであった。﹂現在の大きな不毛の地も、乙れに十
費は、欠乏の観点からのみはかられてはならない。すなわち、
七
(回)
ゴンの五つの主要建物の一つのなかにすっぽりはいってしまうほどである o
﹂
一九六二年ま
このように、戦争および戦争準備の総元締である国防省の財産の規模についてのべたあと、ラッセルはさらに、軍
事費の規模についてのべる。
﹁一九六二年の予算は、軍事用宇宙空間計画をのぞいて、軍備費が五一ニO億ドルである。こうして、
一0 0セントのうち七七セン
でに、 一ドルのうち六ゴ一セントが軍備と宇宙空間の支出のために充当されたことになる。さらに六セントが長期勤続
(部)
につかわれ、また利子支払いのうち、八O%が軍事上の負債のために支払われている。
トが、過去の戦争、冷戦、および将来の戦争準備のためにつかわれている。﹂
﹁こうして、アメリカの軍のポケットにそそぎこまれる何十億ドルもの金のために、ペンタゴンは、アメリカ人の
(日)
生活、したがってまた、人類の生活のあらゆる面に影響をあたえるだけの経済力を獲得したのである o
﹂
s
-ス
'乙の影響力の規模をはっきりさせるために、具体的な例をあげよう。﹁アメリカにおける軍の資産は、 U ・
ティ i ル、アメリカ電信電話、メトロポリタン生命保険、ゼネラル・モータース、およびニュ l ジャl シlのスタン
(部)
ダlド・オイルの全資産合計の三倍もの大きさなのである。国防省に雇用されているひとの数は、これら大企業の一雇
用者数合計の三倍である。﹂
﹁数十億ドルの契約は、ペンタゴンで落札され、大産業によって履行される。一九六
つぎに、このような﹁ちからと富の巨大な世界的集中﹂たる国防省とアメリカの大産業との密接な関係、すなわち、
産軍協同体制についてのベる。
(臼)
O年には、二一 O億ドルが軍需品の調達に支出された。 一O の企業が七五億ドルを、一二つの企業が各一 O億ドルを、
そして二つの企業が九億ドルを、うけとっているここういう関係は何を意味しているかといえば、これらの巨大会社
七五
は軍人職員を採用しなければならないという乙とである。すなわち、少佐以上の退役将校一、四O O人が、二一 O億
パ 1トランド・ラッセルにおける平和活動の機関としての二つの平和財団について
経営と経済
七六
ドルをわけあうトップ企業に雇用されている。このなかには、二六一人の将軍や司令官級の将校がふくまれる口最大
Q
﹁アメリカの政策と軍備競争は、相互関連をもち、軍備競争の永久佑を自己目的としている彪大な権力複
の契約をもっ企業ゼネラル・ダイナミックスでは、 一八七人の退役将校、二七人の将軍、提督、前陸軍長官がやとわ
れている。
かくて、
(印)
﹂乙の権力複合体はアメリカ経済全体に浸透している
合体に奉仕しているのである o
戦争請負人によって落札される下部請負は、あらゆる大きさのあらゆる都市におよんでいる。数百万のひとびとが
その仕事に従事している。国防省だけで、ほぼ四OO万人がはたらいている。かれらの給料は一二O億ドルで、.これ
はアメリカの全自動車産業の給料総額の二倍に相当する。さらに、四OO万人が、直接、軍需産業に雇用されている。
したがって、八0 0万人以上のアメリカ人が軍事施設にやとわれていることになる。
これら一雇用者の比率は、ある都市では非常にたかい。たとえば、カリフォルニア州サンディエゴでは全産業労働者
mが、ワシントン州シアトルでは五三%が、ミサイル空産に従事し
のうち八二%が、カンサス州ウィチトーでは七二M
ている。国防省の請負だけでいえば、カンサス、ワシントン、ニュ l ・メキシコ、カリフォルニア、およびコネティ
カットの各州では、全産業労働者の一二O%をしめている。カリフォルニア州だけで、軍需産業は毎年五O億ドルの金
﹁アメリカ全体としては、全経済活動のほぼ五O%が軍事支出に依存しているのである。経済的投資のう
をつかっている。 ロスアンゼルスでは、半数以上の労働者が、直接あるいは間接に、軍事支出に依存している。
かくて、
ち、軍備競争、冷戦、搾取の永久化、貧窮国と富裕国とのあいだに現存する関係の維持、のための投資が圧倒的であ
る。あらゆる食糧品底、あらゆるガソリン給油所は戦争のための生産の永続犯を必要としている。このことの意味は、
アメリカが、その社会のもっとも根本的な転換をとげる覚倍をするのでなければ、平和をもたらすことはできないと
(引)
いうことである o
﹂
一平備競争と冷戦は、以上のような軍需産業、産軍協同体制をうみ、そしてこれらの軍事経済体制は軍備競争の永久
持続を目的として、とどまるところをしらない口乙れら軍備競争の追求は、地球上の人間の生命にどのような危険を
およぼすか、すなわち平和にたいしてどのような脅威をあたえるか、について、 つぎに検討する。
﹁一九六三年までに、諸強国は T N Tに換算して一二、二O O億トンの爆発力をもったハ核兵器を︺蓄積している。
乙の核蓄積をつかいはたすには、第二次世界戦争中につかわれた全爆発力を毎日、 一四六年間もつやつけてつかわなけ
れ ば な ら な い の で あ る 。 こ の 核 蓄 積 は 一 年 ご と に 二 倍 に な る 。 ア メ リ カ は 、 ま た 、 ェ ア ゾ i ル神経ガス爆弾二ニ万個
を貯蔵した。これら生物・化学爆弾のうちの一個だけで、四億五、五O O万平万マイルの地域にある全生命を抹殺す
るのである。これは地球上の陸地の八倍、アメリカの陸地の一五一倍にあたる。これらの兵器を運搬するミサイルは
地球上に散在し、一二O秒という短時間の警告余裕時聞に依存している。これらのミサイル体制は、 レーダーから情報
一日一日がすぎてゆくにつれて、偶発
をとらえる巨大な計算機とむすびついている。ところで、そのレーダーはあらゆる自然現象とミサイルとを区別する
乙とはできないのである。したがって、 つぎのことが明白である。すなわち、
的な核戦争の危険はほとんど確実な点にまで増大するということである。保険会社は、毎年道路でおこる事故はわず
かであろうし、民間航空機をふくむ空中衝突はある一定数しかないということであろう。われわれは、その ︹わず
かな︺一定数を採用すれば、ある平均数の衝突がおこるということを知勺ている。おなじように、毎年、核工学上の
事故が、電気的失敗、 レーダー信号の誤謬、計算の誤謬、人間的故障によって、わずかながらおこっている。国際的
(位)
七七
危機の各期聞を通じて、変数は増加し、事故の蓋然性はいちじるしく高くなる。毎日毎日の各瞬間に、われわれは地
球上の生命の切迫した破滅を堵けているのだといっても、けっして誇張ではない。﹂
バ1ト一フシド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
経営と経済七八
軍備競争の結果、人類の全体的破滅の危機はこのようにも切迫しているのである。しかるに、政府はうそをついて・
危機の切迫を大衆に知らせまいと努力している口
(臼)
﹁諸国の政府は、反対あるいは不利をまねくだろうとかんがえる政策については、うそをつく習慣があるこたとえ
ば、﹁アメリカ政府は、核実験の結果として、何もわるい効果は生じなかったという。政府は、なぜ、アメリカで、
白血病が子供の死亡の第一原因になったのか、そして先天的奇型が第二の原因になったのか、を説明することができ
なかった。これらの病気は、ニっとも'一 O年 前 の ア メ リ カ で は 非 常 に ま れ な 病 気 で あ っ た の で あ る 。 ま た 、 ア メ リ
(倒)
カ政府は、なぜ南西部諸州の子供たちが、放射能の﹁許容量﹂の二八倍をうけたのか(しかも許容量は一年間の計算
であるが、 このばあいには一ヵ月でうけたのである。)、説明することもできなかったのである。﹂
つぎに、イギリス政府はどうか。﹁イギリス政府は、放射性降下物の水準はけっして危険な水準にまで接近しては‘
が
(防)
∞町一﹃。﹃ロはまた、﹁これ以上大気圏内で核実験がおこなわれると、イギリスでは生牛乳を禁
﹁すくなくとも一度は、イギリス政府は、生牛乳のあらゆる供給を禁止することを考慮した﹄とのべ
-F 1、 と主張している。しかし、それでは、なぜ、イギリスの原子力委員会理事印可旬。 FD わ州5wgp が、核実験
Jepu
'LV ゃ
停止条約後に、
たのか、わからない。
止する必要があるだろう﹄とのべている o
﹂
核実験の人類への害悪は、政府の宣伝にもかかわらず、非常に大きいのである。とくにそれは、将来の世代に非常
な害悪をおよぼすのである。﹁もしかりに、ポエニ戦役中に、いま生存している何千人ものひとびとを殺す兵器を敵
をる
殺と
すい
こう
と信
に念
なに
の意
では
あし
る(な
よ6
6い
る同
)で
あ
ろ
つ
か
し
し
核
実
験
は
一回の実験だけで、何世代にもわたってほぼ四O O
万
対者たちがつかったとしても、われわれは、その敵が非常にわるいので、将来世代のひとびとを殺しても正当化され
人う
全体的破滅をもたらす核戦争の偶発的危機を、ラッセルは、 ふたたびくりかえし論ずる。
﹁一九四五年から一九六
O年までのあいだに、核装備されたミサイルや航空機の事故が五O回もおこっている。おなじ期間に、多くのまちが
ったレーダーの報告があった。 一九六O年に、グリーンランドのレーダーが、月の上昇をとらえて、それをソヴェ卜
のミサイル攻撃と解釈した。ソヴェト連邦を抹殺するようにとの決定がくだされた。しかし、最後の瞬間にとりあげ
(印)
寸気狂いじみた誤った計算、衝動、ちょっとした機械の故障が、何億ものひとびとの生命をたち、苦﹄
られなかった。というのは、カナダの司令官がかんがえなおしたからである。かれの再考は、まったく偶然の出来事
(町)
によってたすけられた。海底電信線が氷山によって切断され、それによっておくれたのである﹂このような例からも
わかるように、
悩にみちた死をあたえるのである。﹂
﹁わたしは主張する。多年にわたって、このような予想にもとづいて、かれらの政策白
軍備競争の結果、人類はこのような偶発による破滅の危機にたたされている。
そ乙でラッセルは主張する。
や実践をおこなってきたもの以上に凶悪な犯罪者はいないと。さらにわたしは主張する。これら潜在的大量殺人者に
(印)
ちが人類にあたえてきた卑劣で不道徳な危険のほかに、かれらの精神的病気のために平均余命が二五年にちぢまり、
何千万人ものひとびとが病気と飢えで死亡し、苦難ははかり知れないほどになると。﹂
ラッセルはこのように、冷戦の遂行者、軍備競争の追求者をもっとも凶悪な犯罪者、精神病者、ときめつけ、かれ
らのために人類の寿命はちぢまり、病気と飢餓と苦難ははかりしれないという。
ところで、軍備競争、冷戦政策の遂行者は、いったいだれであろうか。すでにくりかえしのべたように、ラッセル
は中立主義の立場をとり、東西両陣営のいずれをも軍備競争の当事者であると論じてきた。しかし、乙の中立主義は、
すでに注(お)でのべたように、経験主義の方法にのっとって、緩和ないし変化の傾向をはらんでいる。この傾向は、.
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としての二つの平和財団について
七
九
経営と経済
O
(刊)
にのみ、もたらされうる己
︹しかし︺現在、軍縮に
東西両陣営の冷戦に加担しない非同盟の国のみが、平和と人類社会の進歩に貢献しうるのである
D
o﹂
(刊)
その非同盟諸問
諸国の指導者たちが冷戦にちからをかすことを拒絶し、冷戦をおわらせるために可能なあらゆる手段を使用するとき
ついて、まだ結論づける段階にきていない。そこで、ラッセルはいう。﹁平和と社会の進歩とは、冷戦に加担しない
しかし、まだ、ラッセルは、中立主義を放棄しはしない。西側がつねに、本質的に好戦的侵略的であるかどうかに
を非難する。
さきにはキューバ危機において、ラッセルは西側の好戦的態度を非難し、いまは軍縮交渉において、西側の不誠実
面白な、持続的な、大規模な、統制された軍縮をはじめようとする意志をもたないということである
いうことを、きわめてはっきりさせることが不可欠である。冷戦がつづき、軍備競争がつづく主要な理由は、西側が真
たいする主要な障害は、いかなる不満もありえないところの提案を西側が受諾することを拒否していることであると
たしは、 ソヴェトは冷戦と核戦争の危機にたいして責任を分担すべきであるとかんがえる。
運搬手段の一 00%の解体を監視できるであろう。わたしは、 ソヴェトの多くの冷戦政策をみとめない。そして、わ
いることをみとめるであろう、とのべたのである。これらの査察者は、現場で、ソヴェ卜の兵力の六O%とミサイル
ソヴェ卜は、もし全面軍縮が同意されるならば、軍備の削減がはじまる前に数千人の国連査察団がソヴェト領土へは
の手段がとられる前に、国際的に編成された査察団があらゆる国に配置されることを要求するであろう、とのべた。
っている。 ソヴェトは、その軍縮提案で、もし西側が全面軍縮の原則に同意するならば、ソヴェトは、何らかの軍縮
﹁西側諸国は、くりかえし、ソヴェトが査察をみとめる用意がないから、軍縮をはじめるわけにはいかない、とい
乙の資料のなかでも、つぎのようにのべられている。
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とは、
﹁アフリカとアラブ諸国の人民﹂である。しかもこれらの国々は、東西間の冷戦の結果にくるしんでいるので
﹁非同盟諸国が諸強国の政策に反対するために、 そ の 政 治 的 能 力 を 行 使 す る こ と の で き る 世 界 組 織 が あ
ある。冷戦に加担せず、かえって冷戦の結果にくるしんでいる諸国こそが、軍備競争に反対し、平和に貢献しうる資
格をもっ。
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﹁われわれは、アルジェリアがその独立をもとめたとき、フランスがアルジェリアに何を課したかをみて
しかし、もちろん、このような世界的組織をつくることには多くの困難があるだろうし、ラッセルはそれを過少評
価しない。
いる。われわれは、キューバが他のラテン・アメリカ諸国に課せられた諸条件とはちがった諸条件を自国民のために
つくり、にそうとねがったために、アメリカによってキューバが包囲攻撃をうけたありさまをみている。それにもかか
(花)
わらず、軍備競争と冷戦との諸政策にたいしては、われわれの矛盾のそもそもの根源、すなわち、軍備競争それ自体
にうったえないで、決然たる態度で反対しなければならない。﹂
非同盟諸国の決然たる反対がおこるとき、冷戦を追求する国々は中立・非同盟諸国にたいして、いろいろ困難な課
題をかぶせてくるであろうが、どからといって、非同盟諸国は、自国内におこる批判や自由な討論を抗黙させたり、
まちがいを正直に発表することを禁止したりしてはならない。圧迫され、いろいろな困難に遭遇しながらも、高貴な
目的を追求しているひとびとは、かれらとおなじ目的をもっていながら、かれらと意見を異にしているひとびとがも
っている見解を割引、喝さしてきく傾向がある。こういうことは、人類の存続と幸福にとって不可欠な戦争と搾取にたい
する反対斗争をよわめる乙とになる。
﹁平和の大義は、発展しつつある国々の側に
このように、平和と福祉のために斗争する国々の内部における自由抑圧に警告したあと、最後にラッセルは、非同
盟諸国と、西側の平和活動家との連帯を強調して、この論文をおわる。
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
/
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経営と経済
八二
おける活溌な非同盟によってたかめられるであろう。西側にあっておなじ目的のためにはたらいているわれわれは、
できるだけ短期間に、西側の世論を転換するように努力している。われわれが成功するためには、すべての発展しつ
つある国々の同士心的な支持が必要である。パートランド・ラッセル平和財団は、西側世界において、ペンタゴンの椛
力に終止符をうち、わたしがこの論文でのべてきた諸政策に終止符をうつ乙とを要求するような世論がうまれるため
に、重要な役割を演じたいとねがうものである。アラブ連合共和国の国民と指導者は、よりよい世界を追求するにあ
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(刊)
たっての協同斗争、もっとも緊密な協力と友情のゆえに、西側のわれわれがたかく評価するものである
以上が、非同盟の必要性を説いたラッセルの論文のほとんど完全な紹介である。したがって、かれの主張は ζのな
かで十分理解されうるであろう。
ただ若干の注意をつけくわえておく必要があるであろうo Hこの論文の読者は、拙稿﹁反帝国主義﹂、一八一 l 八
五ページに紹介したシェ l ンマンの演説の内容と、表現の細部にいたるまで同一である部分が多いのに気づかれたこ
とであろう。シェ l ンマンは、ラッセルのこの論文におけるアメリカ権力の分析をほとんどそのまま引用しながら、
一九六五年一 O月のジャカルタでの国際会議で演説をおこなったのである。 一年以上も時聞が経過しているにもかか
わらず、ラッセルの鋭利できびしい分析は、なお生命をうしなっていないのである。同アメリカの権力複合体や低開
発国の貧窮などの事実の分析は、いまにいたるまでまに生命をうしなっていないが、シェ l ンマンがその演説で論じ
た思想は、ラッセルの乙の論文の立場とはまったく異なっていたことに注意しなければならない。乙の点は、前掲拙
稿、注(日)で指摘していたとおりであって、ラッセルの論文は、非同盟の立場にたち、西側をよりきびしく追求し
ながらも、東西対立による軍備競争を非難攻撃する論旨でつらぬかれ、他方シェ l ンマンの演説は、アメリカ帝国主
義を徹底的に非難する論旨でつらぬかれている。しかし、この相違が、ラッセルとシェ l ンマンとの思想の相違では
なく、
一九六四年なかばのラッセル平和財団の立場と一九六五年の立場との相違であることはいうまでもない。そし
て、この立場の変佑がどのような事由にもとづくものであるかは、すでにくりかえしのべていることであるから、こ
こではもはやのベる必要がないであろう。
(お)拙稿﹁反帝国主義﹂、一四四ページ
(訂)拙稿﹁社会思想家﹂、二八一ページ、および﹁反帝国主義﹂、一四二 l四三ページ参照。
ラッセルの基本原理が、人間の立場にたって、人類の全体的破滅は絶対にきけなければならないということであり、そし
(お)とりあえず、簡単にラッセルの中立主義から反帝国主義への経過をのべておく。
て乙の基本原理が終始一貫していることは、すでにくりかえし指摘したとおりである。
申立主義から反帝国主義ヘかわったのは、状況に適応すべき政策的次元における思想である。中立主義は核戦争による破
滅をさげるという究極の目標にたいし、東西いずれの陣営の行動もひとしく責任をおうべきであり、核の危機にたいしてい
止、たがいの狂信的憎悪と不信感の放棄をよびかけ、政治的には中立諸国がリードして平和のためのステップをつみかさね
ずれも同罪であるとの状況認識のもとに、東西いずれにも偏せず、ただ人間として、人類の一員として、核実験や軍備の廃
るべきであると主張するのである。乙れは、東西が対立しているから、いずれにも味万しないという喧嘩両成敗的な消極的
ところが、一九六二年一 O月のキューバ危機および多年の紛争がこのころになって激化した中印国境問題において、ソグ
中立ではなく、東西いずれもひとしく核の危機にたいして責任をおうべきだとの非難を前提としたはげしい中立である。
ェトと中国の両政府は、相手側よりはるかに平和的であった。ラッセルは、乙れらの事件において、アメリカとインドの政
東西いずれの側にも偏しない慎重な態度をとることを主張していたラッセルにとって、一つの変化であるといわなければな
府のとったかんがえかたと態度をふかく遺憾とし、東側の健全な良心的な行動に感謝と賞讃をおくつに。これは、いままで、
らない。しかし、この変化も、かれの中立主義を根本的に放棄したことを怠味しない。これら二つの危機において全身全霊
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を傾倒して危機回避に努力したかれは、その努力を、まもなく、一冊の単行本にまとめて出版した。=ロ
38がそれである。そのなかで、かれは、その当時の平和思想をつぎのようにまとめている。
﹁平和か戦争かの問題に関連するときにはいつでも、東西それぞれの側の長所は、平和の重要性に比較すれば、無意味に
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
、
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経営と経済
八四
なる。核の時代においては、人類は平和がなくては寄続できない。このために、諸強国間のどの紛争においても、わたしは
つねに、より平和的な側に味方するであろう。この本がとりあげているこつの紛争において、たまたま、共産側が相手側よ
り非好戦的であった。しかし、いつもそうだとはいえない。そして、そうでないばあいには、わたしは反共産側に共感をい
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w 牧野力訳、二一ページ。た亡し、訳文はかならずしも邦訳にしたがってはいない。)
ここであきらかにされている重要なことは、付個々の事件について、いずれが平和的であるかを判定する、という経験的
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実証的な方法、同いずれか一方がつねに平和的であるとはけっしていえない、という東西両陣営にたいするひとしい警戒心、
回しかし、個々の事件についてであれ、平和への動きがいずれか一万の側にみられたという事実のために、ラッセルのきび
これら三点は、乙の時点におけるラッセルの平和思詔の微妙なあやを理解するうえで、非自に主要な点である。すなわち、
しい中立主義が緩和され、一方の側に味方する傾向をみせていることの三点であろう。
中立主義という立場はつらぬきながら、かれの経験的実証的な万法にもと*ついて、一方の側を個々の具体的事例にかぎって、
より平和的と賞讃するという態度は、やがて、同程の現実的経験がつみかさなれば、本質的に一方が平和的、他方が好戦的
とする立場へ移行する可能性をはらんでいるということができるであろう。一九六二、三、四年の現実は、経験的実証的資
このような意味において、一九六二、三、四年は、ラッセルの平和思想上、とくに注意されなければならない年である。
料をラッセルに提供しつ*つける。その資料の蓄積が、ラッセルをして、ついに反帝国主義の立場へとふみきらせるのである
23
これらを側面から知る資料として、ラッセルからわたしあてにおくられてきた書簡のうち、この期間にぞくする主要なもの
をいくつかあげてみよう。
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一九六四年八月にラッセルが執筆したものである。これは、す
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紀のあい、ににはじめて、 アフリカ人自身の事柄を統治しつつある。こうして、 アフリカにおける指導者が、冷戦が核
﹁今日、 アフリカ人民は、世界の政治情勢においてますます重要な役割をはたしつつある。アフリカ諸国は、数世
におとらず、冷戦の結果にくるしんでいるのである。そして核戦争になれば全人類が死ぬのである
(花)
﹁アフリカの人民は、冷戦に加担しない。それはかれらの紛争ではないにもかかわらず、かれらは、冷戦の当事者
にのべている。
ラッセルは、
手たるアフリカを中心に展開されたいわば具体的各論のような立場にあるのである。
どちらかといえば、 一般的原理論であるのにたいし、 8 は軍備競争の最大の犠牲者であり、また平和の最大のにない
ものであろう。したがって、思想のうえでも、両者はまったく同一の論旨につらぬかれているのであるが、ただ7 が
でに示唆したように、内容のうえで、資料?と重複する部分がニカ所あって、おそらく、資料7 の執筆後にかかれた
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経営と経済
﹁わたしは、アフリカ諸国が、西側は
一方にたいして他方よりきびしく追求することをも辞せず、むしろ現段階ではそれを不
(加)
﹁わたしは、アフリカ諸国が非同盟の政策をとり、また NATO、ワ
﹁国際連合は、非同盟のアフリカ、アジア諸国の加入によって、世界における人口分布をよ
関係を転換できるところの現実となりうるであろうこ
(別)
乱暴な権力のために、当分は遠い見通しのようにみえるかもしれない。しかし、時がたてば、これは現在の世界の消
しうるちからを獲得するということは主要なことである。これは、 アメリカとソヴェトによってふりまわされている
り正しく反映するものになりつつある。それがアメリカやソヴェトをふくむあらゆる関係強国を拘束する決定を強制
付国際連合への加盟。
ところで、アフリカ諸国が軍備競争、冷戦政策に反対する方法には二つある。
ルシャワ条約、 CENTO、
SEATO、などのような軍事ブロックの廃止要求を支持しているのをうれしくおもう o
﹂
れこそが平和をかちとる道であると強調する。
ラッセルは、このような意味の中立主義の立場にたって、 アフリカ諸国の非同盟政策を、きわめてたかく評価し、こ
可欠とする立場である。
調子で訴えることではなく、
このように、ラッセルのいう非同盟主義、中立主義は、東西両陣営にたいして、おなじようなことをおなじような
めるように要求する、と言明してほしい。﹂
(乃)
ソヴェトによって素描された軍縮提案を受諾し、そして査察にかんするソヴェトの立場についてうそをつくことをや
を説明して、現在時点での西側の責任をよりきびしく追求する。そしていう、
(市)
つぎに、ラッセルは、東西の軍縮交渉をとりあげ、西側のソヴェト提案にたいする虚偽宣伝をっき、 ソヴェ卜の案
ある。﹂
戦争になるのを阻止し、冷戦それ自体に反対するにあたって、決定的な役割を演ずることができるようになったので
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﹁破滅へむかっている大勢をかえるべきならば、西側
同すべてのアフリカ諸国が参加する機関を設立し、パートランド・ラッセル平和財団のような西側の反戦組織に情
報を提供し、それによって西側の世論を広範にうとかすこと。
の政策を変更することが必要である。そして、これは西側の世界における大きな世論を活動的にすることによっても
っともよくはたされうると、わたしは確信する。問題はあまりにも深刻であり、また失敗の結果は戦争反対勢力にと
ってあまりにも悲惨なので、分裂したり、目標をみうしなったりしてはならない。わたしは、すべてのアフリカ諸国
(mM)
﹁軍備のために
が参加する機関が設立され、その機関が、バ i ト ラ ン ド ・ ラ ッ セ ル 平 和 財 団 の よ う な 組 織 に 、 西 側 の 諸 国 民 に 系 統 的
に情報を提供する手段をあたえてもらいたいとおもう。﹂
つぎに、ラッセルは、軍備競争がアフリカ諸国にとってどういう意味をもっているかをのべる。
日につかわれる一億ポンドは、生活必需品ももたぬひとびとのための世界の資源を浪費することであるばかりでなく、
発展しつつある国々にたいしてもっともおそるべき困難と制約を課するものである。このような規模での資源と貨幣
の浪費は、人口の爆発的増加をとどめ、社会を急速に発展させる乙とを非常に困難にする。このような発展に不可欠
(m
∞
)
の資源は、植民地主義、新植民地主義、大工業国による世界資源の国際的支配、大工業国が軍備競争を永続化するた
めにもらいる専門技術者の独占、によって、偏在化するのであるこ
大国の軍備競争がアフリカの発展を阻止しているばかりでなく、アフリカ諸国自身が軍備に支出せ、ざるをえなくな
り、国内で弾圧政策をとるようになることに留意しなければならない。
﹁アフリカ諸国の政府は、また、かれら自身軍備に支出せざるをえなくなっている。かれらは陰謀をめぐらして大
強国とたたかうために、国内では抑圧的手段をもちいざるをえなくなっている。かれらは、金や武器や技術や自己の
志士山を世界で強行する残忍さをもったひとびとからの政治的圧力が非常につよいばあいには、自国民の要求をみたし
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としての二つの平和財団について
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経営と経済
てやることが困難なためにだまされるのである
o﹂
o﹂
(倒的)
o﹂
﹁軍備競争がおわらないかぎり、資源は枯
(市)本稿、七七i七八ページにのべた部分。
2 可ωロ仏河口回目。-f ﹀片山gω ロ仏 50冨040目。三同。門司gn0・﹀ロmCE--∞∞??M
(花)(行)回
(市)それは、本稿、八 0ページにのべた資料7の文章とほとんどおなじである。
と議論している平和を達成することができるであろう
(筋)
し、かれらは数が多く、自国の政府と西側の平和団体といっしょになって、われわれが論文や集会や会議でながなが
希望することは、実践可能な命題となるであろう。アフリカとアジアの人民は軍事的にはよわいかもしれない。しか
対することができるのである。そのとき、冷戦と人類絶滅の危機をおわらせるために世論がたちあがりうるだろうと
冷戦政策に反対する西側のわれわれと直接に協同するばあいにのみ、われわれの目的に敵対的な強力な西側政府に反
西側強国の政府に反対し、平和を達成できるであろう。﹁われわれは、ただ、非同盟政策を追求するアフリカ諸国が、
しかし、アフリカとアジアの人民のみが孤立しては平和の獲得はできない。西側の平和活動家との連帯によって、
らせうるのはかれらの抵抗なのである
一の犠牲者は、アフリカとアジアの人民である。軍備競争を可能にしてきたのはかれらの従順きであり、それをおわ
せるのに必要な反対斗争に、エネルギーとちからとをもたらすことができるのだとわたしは確信する。軍備競争の第
軍備競争に終止符をうたせるものはだれか。﹁軍備競争の犠牲を自分の肌で感ずるひとびとだけが、冷戦をおわら
渇し、人口は増加し、発展は、きわめて緩慢で、政府は顛覆し、われわれの世界を拷聞にかけるところの危機は増大し
(お)
て、ついに大量殺裁への突入は終局の破滅となるであろう o﹂
したがって、軍縮が成主しないかぎり、 アフリカの発展はありえない。
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一九六四年九月にラッセルが執筆したものである
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自由ということばも社会的福祉ということばも、自由世界の一員である政府を性格づけはしないということ
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
jt
があきらかけいなるだろうと確信する。西側諸国の市民は、なぜ自分たちの税金や軍隊が専制政治や全世界の破滅を支
げたい
﹁わたしは、西側が﹁自由世界﹄ということばで何を意味しているかのケ l ス・スタディとして、イランをとりあ
の実態をばくろすることである。
したがって、イランをとりあげることは、 アメリカの援助の実態、それが擁護すると主張しているところの﹁自由﹂
v
ついていえることは、 アメリカから援助を つけている他のすべての国々についても多かれ少なかれいえることである。
いる国であり、そしてそれは、他のアメリカからの援助をうけている諸国の典型という意味をもっている。イランに
ルは、乙こでも西側にたいするよりきびしい態度をもって、イランをとりあげる。イランはアメリカの援助をトつけて
国のそれ、にけではなく、その強国によって援助をうけている国の実態をもふくむことをわすれではならない。ラッセ
東西問の冷戦に終止符をうつためには、まず冷戦の実態、軍備競争の実態を知る必要がある。その実態は、ただ、強
ラッセルはなぜこの論文を執筆したのか。その理由は、やはり、かれの平和への熱烈真剣な希求ということにある。
9
経営と経済
(釘)
持するためにつかわれているのかについて、研究をはじめられるよう希望したい。﹂
000万ドルをおくられている。
OK
戸向。ロミが舞台の背後で重要な役割を演じている。たとえば、
一般のイラン人は正式の請願権なしにとらえられ、な
これらのイランの暗黒面について、西側の新聞はほとんど報道していない。 シャ lは、巨額の金を宣伝と渉外会社
ぐられる口
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∞
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学生はその教室で殺され、政治上の異端者は拷問にかけられ、
Mmである。八五%の国民は病気である。新聞と議会は完全に統制されている口大学の
死亡率は生れた子供のほぼ五O
国民の生活はどうか。石油からの財産所得やアメリカからの援助にもかかわらず、国民の平均余命は三O才以下で、
リカから毎年入、
シャ lは、大地主と軍隊によって支持されている。かれは、毎年四億ドルの石油使用料をうけとり、さらに、アメ
イラン石油の国有佑をおこなった富。EBBa 冨8 8常 mF の廃位のごとし。
アメリカの中央情報局、同志の
g口巳 HEo--日向。ロの
乙の軍隊と警察軍の実際の機能は、アメリカとイギリスの石油精製所とパイプラインを保護することである。
る。ほかに大警察軍があり、また六万人以上の秘密警察もある。
攻撃にたいしてイランを防衛することである。この軍隊は、ペルシャ湾に駐留するアメリカ軍によって支援されてい
凶
mBBO円四回O
イランの軍隊は二O万、シャlω ﹃
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w につかえている。軍隊の表面上の目的は、外部からの
自由は人類の大多数に必要な発展と共存する機会をもちうるのである0 ﹂
(飽)
はやめるであろう。そのときにのみ、世界計画と世界政府は実現可能となるのである。そのような世界においてのみ、
という人類の普遍的目的のためなのである。﹁このような研究は、産軍協同体制がばくろされ、冷戦が終結する日を
このような研究は、ただたんに知識の宣伝につきるものではない。冷戦の終結、世界政府の実現、真の自由の確保
九
6一叩が大学に配分され
一二O億ライアルが軍隊に支出され、厚生省にはわ
に支出して、真実をかくし、虚偽を宣伝することにやっきとなっている。そして、進歩的な君主だというイメージを
世界にあたえている。しかし、イランの予算を検査してみると、
ずかに一O億ライアルが支出されているにすぎない。そして、乙の一O億一フイアルのうちの
(叩)
ているにすぎない。それだけではない。後の二者の金額のうち、多額のものが、正しい使途につかわれる前に宮吏の
ポケットにきえてゆくのである。
シャーはその土地改革計画を大いに自慢しているが、じつは、全農民のうちの六O%は全然土地をもたないのであ
る。ところが、シャ l自身は三七O万エーカーの土地を所有しているのである。
町中の首脳もまた、腐敗の極に達している。石油からはいる四億ドルの収入を完全にすいとってしまい、国民の税金、
土地売上利潤、偽りの発展計画、わいろからたっぷりすいあげる。他方、国民の八五%は年間平均所得が七0 ドルに
すぎないのである。
国庫はつねに破産状態である口この国庫は、貴族たる地主、軍の将校、中東で最強をほこる憲兵隊からサービスを
購入するのにつかわれる。六万の秘密警察は、すべての教養あるひとびとや民族指導者をスパイしている。
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秘密警察は専制政治につきものであるが、この秘密警察と軍隊の大学にたいする弾圧は言語に絶するものがある。
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によると(一七ページ)、 一九五三年一二月に、王室護衛兵と警察がテヘラン大学に侵入して、異論をもっていると
の嫌疑で、一ニ人の武装していない学生を射殺した。制服をきた武装軍隊、警察、秘密機関が大学に侵入することはし
ばしばで、もし三人あるいはそれ以上の学生がいっしょに話しあっているのをみると、近づいていって、話をやめる
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(引)
ように警告するのである
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
九
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おなじことは教授室や外国人学生の寄宿舎でもおこった。現在、きわめて多数の学生が重傷をおって大学病院に入院し
大学病院でさえも、兵隊たちからまぬかれなかった。看護婦や患者の多くが、なぐられるか傷つけられるかした。
破壊した。
ァ、窓、壁は、軍隊が、その将校から制止されるととなく、武装していない学生とたたかって、パンダル人のように
きさかれ、棚はこわされ、タイプライターはうちこわされ、研究設備はぬすまれたり破壊されたりし、机、椅子、ド
われわれが大学の建物を視察したところ、野蛮人の軍隊が敵の領土に侵入したような状況になっていた。書物はひ
でみたことも、、きいたこともない。何人かの大学の少女は、教室で、兵隊たちによって犯罪的な暴行をうけた。
わたしは、政府の軍隊によって、このような残虐、サディズム、凶行、文佑破壊行為がおこなわれたことをいまま
兵隊と落下傘部隊は、侵入後、少年少女を無差別に攻撃した。:::学生の多くは、死ぬまでなぐられた。
にじったことにたいして、何らの説明も釈明もなかった。
λ
﹁われわれの会談がおわった午前一一時、丘 隊と落下傘部隊がテヘラン大学を占領した。大学の権利や規則をふみ
∞M)。テヘラン大学長は、つぎのような勇敢なメッセージを首相におくつた。
学校の生徒たちの再入学をみとめるべきであると要求したことだというのである(目50冨
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生に負傷させ、多数の学生を永久的に不具にした。学生たちの罪というのは、政府を批判したかどで追放された中等
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﹁六カ月後の一九六二年一月一二日に、 シャ!の落下傘
部隊が大学に侵入し、銃剣で学生に突撃し、五O O人の学
換局局長ロア回日件。ロ当・冨ω芝山口の直接の報告による
は四、 000人の教師を攻撃した。一人の教師は殺害され、一二人が負傷した。これは、テヘラン大学のアメリカ人交
﹁一九六一年五月二日には、テヘランの教師が賃金の値上げを要求してストライキをおこなったので、政府の軍隊
経営と経済
九
ている。
大学の学長として、また教授会および学生団体の代表として、わたしはこの機会に、この残虐で犯罪的な行為にた
いして抗議する。
責任あるひとびとがその野獣的行為にたいして処罰されないかぎり、大学の全学部長と私とは辞表を提出する。
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シャ lは進歩的君主だと宣伝しながら、じつは阿片栽培農閣の独占所有者である。 一九五一二年までは、 ヘロインは
イランで知られていなかったが、今日では三O才以下のイラン人の二O %がヘロインを常用している。シャ lは阿片
のほかにヘロインを導入したのである。ヘロインのほうが阿片より能率的な収穫があがるからである。シャ lは年々、
何百万ドルもかせぐ。一九六O年には、かれの妹﹀岱門広王女が、ヘロインを一杯つめたスーツケースを数個もって
いたかどで、スイス警察に逮捕された。
(例)
アメリカ関税局と連邦検察局 F B Iは、もちろん、 アメリカに密輸される麻薬の主要な輸出国がイランであること
を知っている。しかし、西側にとってシャ lは利用価値があるので、アメリカはみのがしているのである。
シャ!は、どのような自己宣伝をおこなっているか。かれは、毎年、六0 0万ドル以上をつかって、同gzp 回目?
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のような来日物が依頼されて書かれた。ところがこの書
護する来日物として、 k
(釘)
物は、じつは、アメリカの新聞係りロoロ巳仏当口町巴自によって代作されたことが冨芯﹃ωo乙よ円円UFによって発見
されたのである。
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
九
五
経営と経済
国民にたいする弾圧はどうか。残忍な弾圧はいまでもつづいている。
九六
﹁国民運動 1イラン民族戦線の多くの囚人の
訴えを検討している軍事裁判所は、長期独房監禁という原判決を確認した。これらのひとびとは、一九六四年二月に
はじめて判決をうけていた。九人は政府の圧迫政策にたいして口にだして反対したという理由で、シャ!の監獄に合
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計五一年間監禁という判決をうけた。問題のひとというのは前工学部長冨各丘団ωNRmg 教授(一 O年独房監禁)、
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神学部﹀ヨ吉宗吾、吋巳ωmE巳 教 授 ( 一 O年独監)、地質学教授 J
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円吉三ω江出兵同日目(四年独監)、富。吋戸内出回民民山(四年独監)、および司州再三
裁判は秘密にひらかれ、議事録を自分たちの費用で出版したいとの被告たちの要望は却下された。
一つあるいはいくつかの生産単位
土地改革の実態はどうであろうか。五万あるイランの村のうち、三、七O Oの村が地主から買いあげられ、地主は
貧弱な土地を売って利潤をえた。これら、 地主の利益のために売られた土地は、
(種子、水、牛、農具)をもっている中産農民に売りわたされたのである。しかし、大多数をしめる貧農は、この改
(mm)
一O O以上の村が、 一九三0年代に、かれの父によって、没収や脅
草には全然参加しなかった。これら貧農の ζとを、かつて、シャ lは﹁動物でさえも住めないような穴や泥の家に住
んでいる﹂といったことがある。
シャーはこの国最大の土地所有者である。二、
迫の手段をもらいて蓄積されていった。シャ l の父が一九四一年に追放されで国外へ去ったとき、かれが蓄積した土
地は、土地をもたない農民に自由に分配されるために、国家に寄付された。その決定は、 一九五一年まで延期され、
シャーはそのとき、この土地にたいする権限を個人的に所有することにした。
シャ lは、土地所有からえられる金を、石油タンカー、ヨーロッパやアメリカの株、世界中のナイトクラブ、ホテ
ル、レストランに投資している。シャ l の土地のうち、四七八の村だけが、農民に分配されたのみであり、農民は貧
﹁王領分配計画はシャ!
しいなかから土地代金を分割払いしている。農民への分配分以外は皇太子の基金になる。しかも分配された土地のう
ち、三一二%は、農業に従事していないと乙ろの軍人や政治家の手にわたっているのである。
が不安定で利益にならない土地を、イランの園内と国外で、安全かつ利益の多い財産に転換したぬけ自のない投機家
(叩)
であることをあきらかにしている。かれは詐欺手段で、自己を慈悲ぷかい君主であるかのととくによそおうところの、
自己の利益の巧妙な推進者である。﹂
(川)
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ω三ωロ地区で農民が抗議し
また﹁現行の土地計画は、大土地所有者がその搾取を永続犯するのをみとめている。 N
たために、三つの村は略奪され、男はすべて逮捕され、遠隔地の監獄へ追放された。﹂
農村には、三、五O O人のシャ l の協力者がおり、そのうち、約二、八O O人 が 指 導 者 ﹀ 自 町 市 民 三
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(川)
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もとにはたらいている。そのおもな仕事は、二、 000ライアルの農民の会費を徴集することである。
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住宅改造計画はどうであろうか。シャ lは昨年(一九六三年)、二、 000戸の家を建てるよう命じた。ところが、
そのうち、七0 0戸は王室護衛将校のため、四O O一円はテヘランの高級陸軍将校のためのものである。その他は、上
級陸軍将校のためと一九六三年夏のシャ lの選挙命令を遂行するひとびとへ労働大臣と内務大臣が分配するために建
(川)
てられるのである。これに反して、イラン農民の九OMmは、くらくてじめじめした穴ぐらのような小屋に住んでいる
のである。
九七
一、五0 0ドルから二、 000ドルである。
イランの物価はたかい。肉、野菜、果物および卵の価格はアメリカよりも高い。ところで、イラン人の年間平均所
得は八0 ドルというのに、秘密警察と高級陸軍将校の給料は、毎月、
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
九
o﹂
(川)
自由世界と冷戦にかんする真実をどれどけ西側の人民に知らせることができるか、ということが、イランの革命を
リカと西側の人民に、自由世界と冷戦にかんする真実をどれだけ知らせることができるかにかかっている
反乱を鎮圧してまで、イランの﹁自由﹄をまもろうとするであろうか。乙の質問にたいする答えは、われわれがアメ
﹁もし国民が暴動をおこしたとき、 アメリカは、ヴェトナムにおけるとおなじように、莫大な人的犠牲をはらって
の論文をおわる。
知られることの少ないイランについて、以上のようにぱくろしたあと、ラッセルは最後につぎのようにのべて、こ
経営と経済
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成功させうるかどうかの鍵であるというラッセルの主張のなかに、われわれは、ラッセルのいわゆる﹁自由世界﹂に
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∞ωl一∞宝 をとりあげるべき段階にきた口これは、
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たいする批判の意味とそのきびしさを明白に感得することができるであろう。
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すでにのべたように、まだ草稿であるが、結局決定稿はおくられてこなかったので、この草稿により、発足後一年間
の財団の活動を、 Cく簡単に要約してしめしてみたい。
一九六四年一一月一六日付の手紙でのべているように、
﹁非常に初期の段階にあって、われわれがまだどこにも発表していない情報
しかし、財団理事ハ UF同町吉司宮門司R
-3 が、そののち、
この草稿は﹁まだ改訂の途中にあり﹂、
をふくんでいた﹂のであるから、ここでの紹介も非常に慎重である乙とが要求される。改訂を要する部分は、詳細に
﹁第一年はきわめて快調なスタートをき
はわからないが、ある種の人事をふくむことはあきらかであるので、その点に留意しながら、大綱だけを書くにとど
めたい。
財団設立後一年間の活動の概観として、草稿はつぎのようにのべている。
(川)
った。財団の発展は急速かつ継続的で、すでに多くのことが達成された。財団の目的は、きわめて雄大であって、安易
な自己満足をゆるさないけれども、なお、いちじるしい進歩をとげたということを報告できるこ
パートランド・ラッセル平和財団の政策決定にあたって指導的役割をはたすのは、理事、顧問団、および科学顧問
団の三つのグループである。顧問、科学顧問は、財団のそれぞれの研究活動領域において有能なひとびとである。
草稿は、理事、顧問、科学顧問、ならびに発起人の名をあげ、それぞれのメンバーについて、かなり詳細な略歴や
註釈をくわえているが、ここでは、顧問と科学顧問の顔ぶれについて概観をあたえるだけにとどめたい。
顧問には、西ドイツのジャーナリスト兼ナチス研究家、オーストリアの平和主義者、 アメリカの弁護士、 フ-フンス﹃
の社会主義者、ケンブリッジの北欧研究の権威、国際連合とラテン・アメリカ問題の専門家、オックスフォードの世
界政府研究家、アメリカの著述家、エデインパラの国際関係論の教授、イギリスの牧師、ユーゴスラヴィアの学者、
コロンビア大の経営学教授で軍縮問題の権威、西ドイツの神父でドイツの平和運動の指導者、イタリアのある市長、
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
九
九
経営と経済
(川)
一O O
東南アツアにかんする権威者、イギリスの芸術評論家、世界政府運動に熱心なイギリスの貴族、ラテン・アメリカ問
題の権威者などがふくまれている。
科学顧問は、 アメリカの経済学者でアインシュタインの遺志の実行者であるオット 1 ・ネイサン、科学者・数学者一
のジェ i ムズ・ニュ!マン、オーストラリアの科学者M ・L ・オリファント、有名なノーベル化学賞受賞者ライナス
H ワット、およびノ 1
-ポーリング、アメリカの科学評論家ジェラルド・ピ l ル、パ l ソロミュ l病院物理学部長でパグウォッシュ会議の
(川)
事務局長J ・ロトプラット、パキスタンの物理学者 A ・サラム、 アメリカの物理学者ワトソン
ベル物理学賞受賞の湯川秀樹、 の各氏より構成される。
つぎに草稿は、第一年の仕事についてのべている。それを要約すれば、つぎのととくである。
一、政治的囚人、迫害をうけている少数者、死刑宣告をうけているひとびと、のためにおこなった仕事。
右にのべたようなひとびとをかかえた四Oあまりの国々にたいして、折衝がなされ、その成果は大いにあがった。
これはわれわれの仕事のうちで、もっともすみやかに成功した分野である。その具体的成果とは、囚人の釈放、死刑
判決の減刑、囚人や少数者がおかれている悪条件の改善、旅行や移民にたいする査証その他の認可、政治的異見をも
ったものへの迫害の中止、などである。こういう方法で救済されたひとの数は数百人であり、仕事の量はなおも急速
に増大しつつある。乙の仕事には、大規模な調査、文通、旅行、高官との会見がふくまれる。
(川)
たとえば、 東ドイツで投獄されていたい
。
。 ωは釈放され、イランの教授たちは死刑判決を国司ω
ロ含¥ギリシャの長期服役囚であった叶。ロ吋﹀BtE目
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われわれの仕事が、どういう国にたいし、またどういうひとびとのためになされてきたか、 について公表するわけ
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、 そのなかには、 す で に 天 下 に 周 知 の ケ l スもある
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山
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二、紛争の調惇。
これは、ラッセル個人が財団設立よりはるか以前からはじめていた仕事を拡大したものである。調停した紛争地域
は、中米紛争、中印国境紛争、キプロス、イェ!メン、ヴェトナム、キューバ、およびルアンダリブルンディである。
何百時間ものあいだ、 ロンドンや海外で、関係政府の代表者と会見した。また、二O ほどの国の元首とは個人的にあ
(川)
って話をした。調停をはじめる前には、国連事務総長ウ・タント民と討議し、また外国へ旅行する前には大使と会談
した。
一二、中立主義的意見の動員。
財団は、何百もの論文、テープ・レコーディング、インタヴュ l、パンフレット、国家元首や政府スポークスマン
との会談や討論を通じて、中立主義的意見を積極的に激励してきた。
四、われわれ自身の報道機関の設立。
(一)パンフレット。財団の事業や研究を表現するパンフレットの最初の数シリーズを出版した。長期にわたりも
っと多くのパンフレットをだすよう準備しているが、そのテ l マは、軍備競争、個々の紛争、軍縮の経済学、迫害さ
れている少数民族の状況、飢餓、貧困、人口、その他戦争と平和にかんする多くの局面である。このシリーズには、
イラン、南アラビア、トルコ、 コンゴ、ブラジル、南朝鮮、およびヴェトナムにかんする専門研究がふくまれる。
一九六四年一一月に、ニューヨークではじめて公開される
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一九六五年に出る。はじ
乙れは世界中からあつめた戦争にか
(二)映画。財団の援助によって、映画が準備され、第一年目がおわる前に完成された。それは巴。
5 日同。問。巴ロ
によって指導され、
んする多くの記録映画を利用してつくられたものである。
(三)雑誌。財団が発行する予定の隔月刊行の雑誌は、細部にわたって準備されており、
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
O
経営と経済
(川)
ロンドンの本部。 一九六三年九月以来、われわれの仕事をおこなうに必要な空間は三倍に膨脹した。これはわれ
ずかのものだけが財団自身によって発表された。しかし、その割合は急速に増大するであろう。
(川)
六、研究資料の公刊。完成された研究の多くは、すでに五つの大陸で、出版物として発表された。そのうちのとくわ
いる。そのうちの多くはすでに発表されており、その呈は急速に増加しつつある。
(川)
五、研究。軍縮、発展、および市民の自由にかんする広範囲なテ l マについての研究がすすめられ、また提起されて
ちカし
雑誌を発展させることに没頭しているからである。放送局設立のための原価計算や設備にかんする研究はほぼ完成に
(四)新聞、ラジオの計画。新開発行計画とラジオ放送局設立計画も、まだ時期尚早の段階にある。それは、当面、
説明する。
めのうちは英語で印刷し、世界中に配布する。部数は一 O万部をこえる。この雑誌で、財団のあらゆる事業について
O
(川)
一年間に、四つの海外支部が設立された。すなわちインド、日本、アメリカおよびフィリピンであ
数カ国の六一人の美術家が財団に助力しているということである
D
草稿は、六一人の名前をひとりひとりかかげて、
最後に、草稿は、財団の活動を支援してきた非常に多くのひとびとへの感謝をのべている。とくに注目されるのは、
草稿は、 つぎに、各支部の代表者や幹事の住所と氏名をあげているが、ここでは省略しよう。
る。海外支部の目的は、以上に要約したような仕事をそれぞれの国で促進することである。
八、海外の支部。
の建設は、もっとあとになるであろう。
(川)
大きな建物が必要であるが、しかし、これは第一義的に重要な乙とではないので、パートランド・ラッセル・ハウス
われの仕事がいかに急速なテンポで発展しているかをしめすものである。したがって、現在使用している建物よりも
七
(川)
その努力に感謝している。
の仲仲
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( 川 ) 。 ? の 山 神 J ℃・∞・
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(川)各国支部の設立と増設、発展は、ラッセル平和財団の発展と平和運動の国際的連帯のために、きわめて重要な乙とであるが、
とくわずかの例外をのぞき、財団支部は量的にも質的にも大きな発展をとげている。最近までの支部の発展状況については、
資料却にくわしくのべられている。これについては、いずれ稿をあらためて紹介したい。
F3
(川)。?の
一O三
μ およびお以下おまでの一一編の資
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としてのこつの平和財団について
料については、べつの機会に稿をあらためて紹介してみたい。
ついては、すでに拙稿﹁反帝国主義﹂で詳細に紹介したとおりである。その他の
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活動それ自体については、すでにそのリストをあげたところの資料が詳細にかたってくれるのでゐって、その一部に
最後につけくわえたいことは、平和財団の最初の一年間の活動とその後の活動との関連についてである。その後の
の一年間の活動状況およびこの活動をつらぬく中立主義の思想についての概観である。
以上がパ lトランド・ラッセルの平和活動の機関としての二つの平和財団の設立の由来と目的、ならびにその最初
九
経営と経済
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乙こでは、乙れら資料のあいだの関連を要約することによって、平和財団の活動をつらぬく思想的立場の関連を要
約する乙とにしたい。くりかえしのべたことであるが、本稿でとりあつかったところの、財団設立後一年間の活動を
つらぬく立場は、中立主義であり、東西いずれの陣営をも軍備競争と冷戦とにたいして責任ありとしてはげしく非難
し、人類の一員としての立場は、いずれにも加担せず、非同盟をつらぬくことであるというかんがえかたであった。
しかし、この中立主義には、すでに、東側でなく、西側が最近の個々の諸事件や諸交渉においてより好戦的であり、
核戦争の危機にたいしては西側こそがよりきびしい責任をおわなければならないとのかんがえがふくまれていたこと
も、くりかえし指摘したとおりである。ただし、ラッセルは、この段階においても、まだ、西側が本質的な侵略主義
的帝国主義であるとの断定は注意ぷかくこれをきけていた。
ところが、拙稿﹁反帝国主義﹂でとりあつかったところの叩ないしお、ならびにまだとりあげてはいないが、おな
(川)
いしおまでの資料は、中立主義の立場を完全にすてて、明確にアメリカ帝国主義こそ平和への敵であるとする反帝国
(川)
主義の立場に立脚するものである。この立場はすでに、前掲拙稿で委曲をつくしてのべたとおりであり、ここにくり
かえす必要はもはやないであろう。そして、すでに指摘したように、ラッセルが、いったん到達し確信した結論は、
いかなる圧力がくわわろうともけっしてかえず、あくまで良心的にそれをつらぬかずにはすまさない強靭にして大胆
な論理の主張者であることにはいささかのかわりもない。
それのみか、 かれはまずまずはげしく、ますますするどくアメリカ帝国主義の打倒による人類解放をさけび、限界
人民の未曽有の連帯をつよく要請するのである口その連帯すべき世界人民のなかに、アメリカの人民はいうにおよば
ず、アメリカ帝国主義支配者のために、心ならずもヴェトナムへおくられたアメリカ将兵をもふくめるのである。か
れが、南ヴェトナム解放民族戦線のラジオ放送、および北ヴェトナムのラジオ・ハノイを通じてアメリカの将兵によ
びかけた放送のテキストである資料位およびおは、きびしいなかにもじゅんじゅんとアメリカ将兵にむかつて、ヴェ
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たとえば、ヴェトナムにいるアメリカ将兵によびかけたかれの演説のなかで、 かれはつぎのように
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トナム戦争の犯罪的本質を説、き、平和の大義をかたって、帝国主義者への協力をやめ、戦うことを拒否し、戦争犯罪
裁判にたいして、直接自分の眼でみたなまの証拠を提供し、人類にたいして勇敢な奉仕をなすようにとよびかけてい
るのである。これほどに徹底した国際連帯斗争のよびかけは他にないであろう。
最後に、これまたくりかえしのべたことであるが、ラッセルの反帝国主義が、人類の一員という立場にたち、人類
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の全体的破滅は絶対にきけなければならないという基本原理につらぬかれているものであることはけっしてわすれら
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いっているのである。
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(川)なぜこのような立場をとるようになったか、まにこの立場の詳細はどういうものか、については、拙稿﹁反帝国主義﹂の
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全文があきらかにしているところである。ただ、ラッセル自身が中立主義を放棄し、反帝国主義の立場をとるにいたったこ
とについて言及したことばとしては、たとえば、前掲拙稿、一七五、一九六および一九八ページを参照されたい。
(川)拙稿﹁反帝国主義﹂、一四二ページ
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(一九六六・七・三一)
八付記V拙稿﹁反帝国主義﹂一八三l八四ページの数値に誤謬があった。それらの数値は、本稿、七四l七六ページの対応するバ一ア
パートランド・ラッセルにおける平和活動の機関としての二つの平和財団について
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