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88号
Kawagoyan News Kawagoe-Salem Friendship Society Chair Prof. Barry Duell C/o Y.Iwaki 2-1-8 Shinden Fujimino City 356-0033 Phone 090-5311-4711 http://www.hana-ichimonme.com/ksfs/ No.88 2/10/2011 オレゴン州の尊厳死 沢田和雄 「死について語るのは楽しい話題ではありません。しかし、今日はあえて死についてお 話します」7月17日(土)、TIUの教室でリンダ・ホイザー教授の講演が始まりまし た。「私に死期が迫った不治の病で苦しみ続けている兄が居るとします。そこで妹の私が、 見かねて兄の死を早めるとします。これは殺人罪です。また、死のうとしている兄をその ままにて助けようとしなかったとします、これは自殺幇助でやはり罪になします。しかし、 1997年オレゴン州で成立した尊厳死法では、厳格な条件化での患者の自殺について、 それを助けた医師は罪を問われることはありません」 ホイザー教授によると、オレゴン尊厳死法は1994年に住民投票の結果52パーセン ト対48パーセントというわずかの差で成立し、その後反対派による撤廃運動が起こりま したが、1997年の再度の住民投票で60パーセントが尊厳死法を支持し正式に成立し たものだそうです。反対運動の中心は教会だったそうで、ホイザー教授は「キリスト教で は自殺は罪です。オレゴン州はローマカソリックの信徒が少なく、宗教教義にとらわれな い人が多いために全米で最初に成立したのでしょう。アメリカ全体で国民投票すれば、尊 厳死法は成立しないでしょう。」と話していました。 私自身は新聞で、オレゴン州で尊厳死が合法と認められることになったという記事を読 んだ時、苦しみ続けている患者にとって朗報だが命が軽いものになる危険性もあると感じ ました。今回の講演でも、尊厳死の普及によって、命の尊厳が脅かされることがないのか 関心を持って聞きました。しかし、私の心配していたことは、話を聞くうち杞憂だとわか りました。オレゴン州では年間の死者数約3万人にたいし尊厳死による死は平均38人に 過ぎないというのです。少ない理由は、尊厳死の濫用を防ぐための、次のような厳しい条 件にあるようです。 ・18歳以上のオレゴン州住民であること。 ・2人の医師から余命半年以下の末期患者であることが認定されること。 ・患者自身が口頭と書面で尊厳死を医師に依頼できること。 ・第1回目の依頼から15日以上たってから再び口頭で医師に依頼ができること。 ・医師に処方してもらった致死薬を自分ひとりで服用できること。 などがその条件で、寝たきり等自分の意思を口頭と書面で直接医師に伝えられない患者や ウツ病が疑われる患者は対象になりません。見方によっては厳しすぎるほどの条件を課し ています。これでは尊厳死の対象が少ないのも無理はないとも考えましたが、それでも死 者 1000 人に1人の割合は、やはり少ないと思います。先生の説明によると、尊厳死の制 度を知っている人がそもそも少ないのだそうです。学校教育の中で教わることもなく、病 院にポスターを貼るわけにもいかないでしょうから、知る機会が少ないのかもしれません。 実際、尊厳死を選んだ人のほとんどは高等教育を受けた中産階級以上の白人であるという 統計も紹介されました。 芥川龍之介の河童では、生まれてくるかどうかを胎児?が判断するという記述があった ような気がしますが、人には生まれてくることを選ぶことはできません。そして自分の意 思で死を選ぶことも人の道としてよしとはしてきませんでした。しかし、オレゴン州の尊 厳死法(「医師による自殺幇助」と表現されるとこともある)は、制度として自殺を認め ることになり、人の生命の大切さと快適に生きるために死を選ぶ権利について真剣に考え ることを迫るものだと思いました。 ところで、講演会終了後、リンダ・ホイザー教授を囲んだ軽食会がありました。その席で 尊厳死を自分なら選ぶかどうかを即席 アンケートしました。その結果は、圧 倒的に自分は尊厳死を選ぶ方が多数で した。アメリカと比べると宗教的しば りが少ないためなのかとも考えました が、尊厳死を選ぶ理由に「家族に負担 を掛けたくない」が多いことに日本的 特徴を感じました。しかしこれには少 し危うさも感じます。つまり尊厳死は あくまで患者の生活を脅かす苦痛から の解放であるべきで、家族の都合では あってはならないと思うからです。少なくとも家族のための自殺が美談になってはいけな いと思います。 A September Study Trip to Shanxi University by Barry Duell My daughter, Emi, and I participated in Tokyo International University’s September trip to China. The trip’s main purpose was for studying Chinese culture and language at TIU’s sister school, Shanxi University, in Taiyuan which is in Shanxi Province, Saitama’s sister prefecture since 1982. We were warmly welcomed by students and faculty (See Fig. 1). Fig. 1. Our TIU group included older adults from Saitama, as well as students. Here we are welcomed to Shanxi University by an official from the International Exchange Office. Our group’s leader, Prof. Jia Ye, is to my left. She is a Shanxi Univ. graduate, and TIU professor. Though Shanxi University is in Taiyuan, a city with more than 3 million people, the university itself is a town of about 50,000. Students live on campus in dormitories. About half the faculty, and most of the office staff also live on campus with their families. This university town has its own hospital, elementary school, post office, bank, shopping road, parks, and so on. It takes about half an hour to walk from one end to the other; its campus is much larger than those of most Japanese universities. Our group lived in the International Student Dormitory, and we ate our meals on campus. There were many cafeterias and restaurants to choose from. Because so many people live on campus, the cafeterias serve three meals a day. We had a wonderful time trying many delicous foods. Prof. Ma Jingyu was one of our Chinese culture teachers. He introduced us to Chinese calligraphy, as well as to the Chinese two-stringed instrument, the erhu. He teaches calligraphy and erhu performance at Shanxi Univ., but also often travels to Japan to perform. As part of our cultural experience, we visited a Chinese home for lunch. We older adults were graciously hosted by Prof. Ma, who lives on the Shanxi Univ. campus. (See Fig. 2) Fig. 2. The older adults of our Shanxi Univ. tour visiting the home of Prof. Ma Jingyu (right), specialist in Chinese calligraphy and erhu performance. One of my favorite topics is sweet potatoes. I was very happy to find a small shop on the Shanxi Univ. campus that sold steamed corn on the cob, as well as steamed or roasted sweet potatoes (Fig. 3). Fig. 3. This young couple runs a small shop on the Shanxi Univ. campus that sells steamed corn on the cob, as well as steamed or roasted sweet potatoes. My daughter and I returned to Kawagoe with many pleasant memories of our trip which also included a brief stay in Shanghai, to see the World Expo there, and in Beijing, to see such things as the Great Wall of China. 上の文は、ドゥエル会長が 9 月に山西省太原市山西大学 を訪問したときの記録です。 2つの祖国の狭間で 村山 都美 去る9月26日、ウイラメット大学 Linda Tamura 教授による”Nisei Linguists in the Pacific during World war Ⅱ”という講演会に参加させていただきました。 マモル ノチ"さん、フランク ハヤチさんというオレゴン州 フッドリバー出身のお 二人の、第二次大戦下の通訳者 翻訳者としての日系Ⅱ世という難しい立場での軍での働 きや、終戦後のアメリカ社会での日系人への差別などについて、リンダ先生が写真や資料 などを織り交ぜながらわかり易く説明してくださいました。 以前、御高齢のカナダ人のご婦人とお話した際に、彼女の高い日本人への信頼は、日系 カナダ人Ⅰ世、Ⅱ世の方々の長年の勤勉、勤労、真摯な行動に裏づけられたものであると 感じたものでした。皮肉にもフッドリバーにおいては逆に日系農民の勤労、婦人や子供な どの家族の者たちの農業への絶対的な協力は、逆にアメリカ農民の脅威となり、差別 迫 害に拍車をかける結果となったということを知り、大変驚きました。 2つの祖国をもつⅠ世、アメリカ人として教育を受けたⅡ世、そしてアメリカ人として 参戦した戦いで亡くなったにもかかわらず、差 別を受けた人々が実在したという事実を知り衝 撃を受けました。戦後、名誉を回復し果樹園農 家として成功され、地域のリーダーとして活躍 されたマモル ノチ"さんはリンダ先生のおじ 様だということでしたが、リンダ先生は御自身 の研究のため、そしてこの戦争の記録を後世に 残すために、岡山 広島で聞き取り調査を続け ていらっしゃるとのことでした。 平和の意味を、そして異国で苦労された同邦 人について考えさせられた一日でした。 スーザン田辺さん一行が川越でホームステイします 隔年で川越を訪れているセーレムの高校教師スーザン田辺さんが今年 3 月に高校生5人 とともに川越を訪問する計画を進めています。そこで川越セーレム親善協会ではホスト ファミリーを募集します。 3 月 23 日から 25 日 2 泊 3 日 24 日 川越女子高訪問 男子高校生 3 人 女子高生 2 人 詳しくは、佐藤さん 231-0467 に早めにご連絡ださい。 役員訂正 前回発行のカワゴヤンニュース 87 号で紹介した役員の名前が違っていました。お詫びし て訂正いたします。 会計は清水孝子さんと村山郁美さんです。 会費納入のお願い 今号に平成 22 年度会費未納会員宛に「会費納入のお願い」を同封しました。集計後納入 していただいた皆様には、行き違いをお詫び申し上げます。