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産経 E X 第 1 回 ﹁ Campus 新聞大賞 ﹂ を受賞

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産経 E X 第 1 回 ﹁ Campus 新聞大賞 ﹂ を受賞
産経EX第1回﹁
新聞大賞﹂を受賞
Campus
人が書いたブラインドサッ
日、東京
カーをテーマにした記事が
選出され、4月
都千代田区の産経新聞東京
本社で表彰式が行われた。
や希望が見えてきた﹂との
介 し、﹁ 視 力 を 失 っ て、 夢
ことを夢見ていることを紹
観光客の皆様
そうだ
京
都、行こう﹂がそれぞれ選
賞に同志社大学の﹁外国人
﹃魅力﹄と﹃魔力﹄﹂、特別
大賞のほか、優秀賞に法
政 大 学 の﹁ 恋 愛 ゲ ー ム の
ピックに出てメダルをとる
見出しで記事を飾った。
ばれた。
表彰式後は、会場を移し
て交流会が開かれ、各大学
の学生記者が産経新聞の記
てもらおう、と、EXが昨
新聞﹂は大学
﹁ Campus
生に新聞づくりを実体験し
者を交えて和やかに歓談、
のテーマで、その中から
人生を描き、読者に感動を
年 月にスタートさせた企
本学学生記者の記事が﹁視
集長︶と評価され、栄えあ
与 え た ﹂︵ 鈴 木 裕 一 E X 編
を当て、体当たりルポと二
ブラインドサッカーに焦点
子さん︵経済学部3年︶の
選考対象となったのは、
3人。
昨年 月の
﹁ Campus
新聞﹂
創刊から今年3月までの半
記事は視覚障害のある
人たちのスポーツのひとつ、 年間に掲載された 大学の
学生記者がブラインドサッカーを体当たりルポ
産経新聞の兄弟紙
﹁ SANKEI EXPRESS
﹂︵通 称
EX︶編集部が半年に一度、
中央大学有志学生記者3
アイマスクをつけて体験
イベントに参加した学生
画で、毎週火曜日にフルカ
友好を深めた。
記者が、﹁真っ暗な闇の中、
る第1回大賞に輝いた。
ラーのタブロイド紙、見開
力を失ったことで夢や希望
カー日本代表
唯一頼れる光は、仲間の声
表彰式には、十数の大学
から約 人の学生記者が出
という光を得た選手たちの
選手に迫る﹂
だった﹂の見出しで、ボー
や大学院生が自由にテーマ
人の日本代表選手へのイン
︵3月8日掲
ルの音源を頼りにゴールを
を決めて取材、写真を撮っ
タビューで構成。
載︶の記事で、
賞作が発表されると、清水
席。EX編集部から大賞受
紀子さん︵総
年 ︶、 坂 井 悠
ん︵文学部4
の清水恵美さ
有志学生記者
な が ら、 ブ ラ イ ン ド サ ッ
がある﹂と自らを振り返り
見えなくなった人生の2つ
﹁人生には見えていた人生、
てから視力を失った選手が
ビューでは、高校生になっ
表情に変わり、素直に喜び
らも、すぐさまにこやかな
お互いに顔を見合わせなが
くり。信じられない表情で
の3人は目を丸くしてびっ
さん、坂井さん、地紙さん
市型農業の未来﹂が掲載さ
探る﹂、﹁若い世代が育む都
﹁﹃ 取 材 拒 否 ﹄ の 舞 台 裏 を
これまでに在学生が書いた
では大賞受賞作のほかに、
て記事を書いており、本学
き2ページで掲載。大学生
合政策学部3
を表していた。
︵編集室︶
カ ー と 出 会 い、 パ ラ リ ン
れている。
年 ︶、 地 紙 裕
ラインドサッ
企画をたてて
を ル ポ。 選 手 へ の イ ン タ
狙うブラインドサッカー
10
優秀作を選ぶ﹁ Campus
新
聞大賞﹂の初の受賞作に、
15
取材し、記事
新聞大
第1 回﹁ Campus
賞﹂に輝い
10
40
た の は、﹁ ブ
23
25
を書いたのは、
第1回「Campus新聞大賞」の表彰式(写真・産経新聞社提供)
30
◇喜びの第1回﹁
じてくれたブラインドサッ
ながりを持てる機会を作っ
カー日本代表の二人の選手
思うような話ができず苦労
しかし、自分の書いた記
事が産経EXに載った際の
には感謝の気持ちでいっぱ
時、学生記者募集を知り、
充足感は何物にも代えがた
てくれた産経新聞社と大学
軽い気持ちで応募したも
のの記事にするまでは順調
いものでした。しかも大賞
の担当者、そして取材に応
にはいきませんでした。企
しました。
ようやく形になるのだと思
画段階から、誰をどのよう
思い切って応募しました。
たちにとってのゴールでも
うと心が震えた。そこが私
新聞大賞﹂受賞者◇
Campus
感動させる側に立てた喜び
文学部4年
てきてよかった、と感じま
たいと思います。
し、さらなる成長を目指し
たものを、大学生活で活か
話 し 合 い ま し た。 取 材 に
した。このような社会とつ
いです。今回の経験で培っ
だから大賞受賞の瞬間は
驚いた。そして喜びが全身
行った時もなかなか自分の
をいただくこともでき、真
に溢れてきた。自分たちが
摯に仲間たちと取材を行っ
悩み抜いた上で紡いだ言葉
にどういった視点で取材し、
感動の連続だった。しか
し最後に大賞受賞という感
記事にしていくのか何度も
動が待っているなんて予想
が、伝わったことに感動し
あった。
していなかった。1年半前
た。私たちも今回の記事で、
校出身︶
にブラインドサッカーを初
感動させる側に立てたとい
清水恵美さん
︵宮城県立宮城第一女子高
めて見た時に感動し、いつ
に記事を書いた2人、そし
うことが何より嬉しい。共
て﹁食わず嫌い﹂であった
りに携わって、活字に対し
サッカーの取材、記事づく
新聞を読むのを避けてい
た私でしたが、ブラインド
した。
しさに触れることが出来ま
新聞づくりに参加
Campus
したことで、活字の素晴ら
ら苦手でした。しかし今回、
に何かを伝えることも昔か
私は新聞を読むことが苦
手でした。文章を書き、人
地紙裕子さん
︵香川県立高松高校出身︶
経済学部3年
活字の素晴らしさを知る
ていた私にとって、この企
坂井悠紀子さん
︵福岡県立東筑高校出身︶
総合政策学部3年
社会とのつながりを体験
方に感謝と喜びを伝えたい。
て支えてくださった多くの
か世間に発信したいと思っ
画はチャンスだった。
実際の取材では、選手を
はじめ様々な方から話を伺
うことができた。そこから
どれを記事にするかを考え
るのが、1番辛かった。ど
んなにがんばっても全てを
記事にはできない。そして、
2年次からFLPジャー
ナリズムプログラムを履修
ようやくできた原稿を担当
し、何か自分のやってきた
た。件名は﹁感動しました﹂。 ことを形にできるようなこ
とをしたい、と思っていた
「Hakumon ちゅうおう」'11 年夏季号
31
者に送ると返信が返ってき
そのメールに私は感動した。
喜びの大賞受賞者。左から地紙裕子さん、清水恵美さん、
坂井悠紀子さん(写真・産経新聞社提供)
の記事の一つ一つに記者の
ことが分かりました。新聞
す。今回、それを痛感しま
ばいけない、ということで
を分かるように伝えなけれ
ました。自分には出来ない、
と自信をつけることが出来
ただき、次もがんばりたい
それと荷物の運搬が一番大
中原氏は﹁最初に活動計
画を立てることが大事です。
う。夜はお寺の救護所で、
ので楽に行動できた﹂とい
は、﹁ 安 全 靴 を 履 い て い た
愛が詰まっていることに気
懐中電灯を使って診療。日
し、夜間の医療活動が行え
程の後半からは電気が復旧
るようになった。夜は寝袋
ス し た う え で、﹁ 診 療 は カ
にくるまって寝た。
ない方がいい﹂とアドバイ
ルテがないので、患者さん
1時間半で 名を診察しま
した﹂と報告。医療班には
中原氏は
﹁避難所で赤
途中から市職員も加わった。 中 原 氏 は、﹁ プ ラ ン を 先 に
空き時間を使って活動計
画の見直しを行ったという
に一から話を聞いて行い、
とってもひとつもないと思
じていきたいです。
います。自分の可能性を信
変なので、個人の荷物は少
自分には出来ないと思っ
ていたことをやりきったと
向いてないものなど、誰に
き、自分の可能性は広がり
した。
ます。大事なのは、その文
ました。しかも、大賞をい
が付きました。ただ文章を
章には届ける相手がいて、
書くだけなら誰だって出来
その相手に、伝えたいこと
の第1陣として3月
泣いているの
なものはすべて持参し、車
食料、水、着替えなど必要
メンバーは医師、看護師、
薬剤師、事務員らで構成。
本当に気の毒
来れません。
所には連れて
惑なので避難
も鳴き声が迷
がショックで
ティア活動等
に医療支援物資を積んで被
でした﹂と避
ボランティアに関心がある多くの学生が出席した講演会
大震災被災地で災害医療活動に携わる
中原邦晶氏 ︵北里大医学博士︶が講演
ら3泊4日の日程で、災害
ちゃんや子供
門医の中原邦晶氏で、東日
総勢 名の医療支援チーム
本大震災の被災地域に行っ
脳神経外科専門医、救急専
﹁大学病院による被災地
域への医療支援の試み﹂を
医療活動を行った。
がなじめずに
テーマにした講演会が4月
て災害医療活動に携わった
について約1
災地入りした。災害対策本
した。ペット
時間講演した。
部がある大船渡市役所を活
難所の様子を
体験談を交え、現地の状況
中原氏が医
療支援で訪れ
動の拠点にした中原氏らは、
と今後必要とされるボラン
たのは、大震
語った。
瓦礫が散乱
する被災地で
難所で医療支援活動をはじ
めた。
まず隣接の陸前高田市の避
18
災で甚大な被
里大学医学部の医学博士で
40
日か
日、多摩キャンパス5号
29
害を被った岩
手県大船渡市。
中原邦晶氏
館で開かれた。講師は、北
28
32
立てて行動することが大事
んから
歳まで、延べ92
活動。生後1カ月の赤ちゃ
ティア団体との連絡、協力
② 被 災 地 自 治 体、 ボ ラ ン
い﹂と断言した。
入以前に﹁後戻りはできな
ンスは世界5番目の経済大
た。そうしたうえで﹁フラ
﹁安全﹂④活動記録をつな
③身の回りを自ら管理する
を密にする﹁協調・同調﹂
界で2番目に高いことを紹
価を得ており、生産性も世
またフランスの労働力が
世界トップ3に入る高い評
3名の患者を診療した。
ぐ﹁継続﹂の4つのポイン
原発問題に関しては、フ
ランスが 年前から原発に
と述べた。
国としてがんばっている﹂
です﹂と重ねて強調。市災
害 対 策 本 部 に は、 医 療 班
た﹂という中原氏は、現地
の 行 動 記 録 を 提 出、﹁ ノ ー ﹁医療チームの半数にス
トに引き継ぎ事項を書いて、 トレスによる心的障害がで
次の支援につなぐことが重
況を紹介、原発が建設・稼
る﹂として、
11
%を原発に頼っている状
働から停止・解体にいたる
着 手 し、 現 在、 総 電 力 の
フランスが、外国から多く
までに﹁100年かかる﹂
人と決して多くない人口の
の投資を受けていることも
介。さらに人口6200万
講演会は、活発な質疑応
答も行われ、被災地ボラン
強調した。
トを指摘した。
ティアへの関心の高さをう
医療基盤の自立と安定化な
災地でのボランティア活動
かがわせた。
どを課題に挙げた。また被
の心構えとして、①自分の
︵編集室︶
ことは自分でする﹁自立﹂
要です﹂と指摘した。
日までの
名の医療支援チームは、
第1陣が被災地入りした3
日から3月
間に第4陣までに分かれて
月
加えて大使
は、フランス
はそのイメー
閉鎖することなく、東京を
ドルを超えていることを指
講演するフィリップ・フォール駐日フランス大使
﹁世界の中のフランスと3・ 後の日仏関係﹂
ジであるエル
メスやシャ
でなく、﹁もっ
ネ ル、 ル イ・
加盟するEUの人口が5億
で活躍してい
と幅広い分野
聞き入っていた。
人で、GDPは160億ド
離れずに、対日救援活動な
ヴィトンだけ
フィリップ・フォール大
使は、冒頭、東日本大震災
ルと、北米地域の140億
た講演会が6月9日、中央
ど危機管理にあたったこと
エアバスや民
大学多摩キャンパス8号館
間衛星、薬品、
出産品として
ろだ﹂と強調した。なかで
自動車、農産
対日貿易の輸
フランスの国際的地位
②
各国の経済に﹁大きな安定
も共通通貨ユーロの導入が、
摘 し、﹁ E U は 国 家 を 超 え
生や教職員、報道関係者で
当面の外交課題
③3・
以降の日仏関係の3 つの
物などを挙げ
た関係を構築しているとこ
満席となり、原子力発電推
をもたらせた﹂と述べ、導
などを紹介したうえで、①
進国でもあるフランスの駐
テーマに分けて、講演した。
会場の大教室は、多くの学
の3・
後も駐日大使館を
まず、フランスの国際的
地位については、 カ国が
フィリップ・フォール駐日仏大使が講演
界の中のフランスと﹃3・
フィリップ・フォール駐
日フランス大使による﹁世
27
8304号室で開かれた。
﹄後の日仏関係﹂と題し
50
99
11
日大使の話に真剣な表情で
33
11
28
29
18
11
80
ことから、原発への取り組
ていかなければならない﹂
みは﹁100年後を見据え
年間、ミッテラン
一方、フランス大統領の
任期が5年で、シラク元大
統領が
ンス語がアフリカやメキシ
ることを挙げた。またフラ
400の文化施設が存在す
入れ替わっていることに苦
述べて、近年5人も首相が
あるときには特に残念﹂と
ち着きがない。国際会議が
医薬品、防護服、放射能の
はじめ、人道的支援だけで
くに仏原子力企業のアレバ
の支援を提案したとし、と
汚染水処理などの面で多く
る﹂と述べ、日仏関係の強
的なリーダーシップがとれ
で、両国が協力すれば世界
講演会は、質疑応答も含
め、予定時間を大幅に超え
て、盛況のうちに終えた。
︵学生記者
荻原睦=法学
部3年︶
と日本は文化や建築の分野
と述べたうえで、フランス
した羽田発、那覇行き日本
出発しました。その時搭乗
島・石垣島への修学旅行に
3 年生154 名は沖縄本
去る5月 日、中大高校
︵後楽園キャンパス内︶の
習講演会を行っています。
る方々のお話を聴く進路学
中大高校では、卒業生を
はじめ様々な分野で活躍す
旅行委員が報告します。
高校3年生で構成する修学
しました。その経緯を中大
で先輩・後輩の邂逅が実現
はJ AL905便に搭乗す
ことが決まっていて、往路
た。
大きな刺激となっていまし
だき、進路を考えるうえで
の質問に丁寧に答えていた
中大高校・中大卒の副操縦士と客室乗務員
沖縄修学旅行﹃JAL905便 ﹄
に同時乗務
母校の後輩たちを乗せた夢フライト!
最後に大使は﹁日仏関係
は今後も強化していくべき
化の重要性を強調した。
なく、ミネラルウォーター、
処理を請け負っていること
放射性物質を含む汚染水の
日から高濃度の
もできることはする姿勢で
社が6月
臨んだ﹂と述べた。
線 量 計 の 提 供 な ど、﹁ 何 で
あ っ た と し て、﹁ 長 く G 8
年間その任に
サミット︵主要8カ国首脳
元大統領が
続いて大使は、外交に話
を 移 し、﹁ 外 交 面 に お け る
会議︶に参加し、世界に存
3月末のサルコジ大統領
訪日の際には、大統領が日
との考えを示した。
フランスの強みには、世界
在感を示した﹂ことを指摘。
コで広く勉強されているこ
言を呈した。
ス語は︵世界で︶より一層
と な ど を 紹 介 し、﹁ フ ラ ン
﹁3・ 後の日仏関係﹂
については、﹁日仏関係は、
など﹁直感的に共感できる
航空905 便には中大高
重要な役割を果たす﹂と強
軍事面では、現在3万人
の兵士を国外に派遣して、
ものがある﹂とし、食の分
校・中大卒のOB・OGが、
3・ 前から良好でした﹂
国連の軍事介入に参加して
野に加え、最近では日本の
副操縦士と客室乗務員とし
昨年の 月、パイロットに
調した。
い る と し、﹁ 国 際 社 会 の な
漫画がフランスの若者に高
い人気があることを挙げた。
11
認識を示した。またフラン
スが国連常任理事国のひと
つの国であることも﹁非常
に大きい﹂とも述べた。
一方で、今年の修学旅行
は5月 日から沖縄に行く
スクもやむを得ない﹂との
かで存在感を示すには、リ
11
を紹介した。
2番目のネットワークがあ
本に対しロボットや資材、
88の大使館、 の領事館、 ﹁首相が頻繁に代わり、落
それに比べ、日本について
14
12
る﹂と述べ、世界各国に1
10
輩に高校に来ていただきお
なる夢を実現させた池田先
であることは全員が知って
先輩が日本航空の副操縦士
る予定でした。当然、池田
3・ 後、フランスは即日、 て二人同時に乗務するとい
100名の消防士の救援
う幸運に恵まれ、奇しくも
話を伺いました。生徒全員
11
部隊を日本に派遣したのを
いましたが、そのフライト
高度1万メートルの空の上
11
30
30
97
34
のコクピットに池田先輩が
座るなんて全く想像すらし
ことを知り、最
に乗務している
人として同じ便
客室乗務員の一
田先輩までもが、
しかもOGの和
縦していること、
いただくこととなりました。
の大切さを身を以て教えて
夢を抱いて歩んでいくこと
大学で学び、自分の希望や
て、将来を見据えて高校や
先輩の働く姿を目の前にし
きました。二人の頼もしい
欠塚玲・杉野美沙希︶
︵修学旅行委員会委員長、
送りします。
航空に感謝してエールをお
お二人の職場でもある日本
忘れることはないでしょう。
方々とともに私達はずっと
お世話になったクルーの
い訓練を経て、現在国内線
社。保安要員としての厳し
航空に客室乗務員として入
つつも難関を突破して日本
部に進学。就活では苦労し
校を卒業し中大総合政策学
○和田
千奈︵かずな︶さ
ん⋮⋮2006年、中大高
のか混乱しまし
じられないくらい幸運な出
をお伝えします。本当に信
お二人の先輩に、3年生
全員、心から感謝の気持ち
し中大法学部に
中大高校を卒業
○池田
惇︵じゅん︶さん
⋮⋮2001年、
初は何が起きた
たが、少し経っ
来事にみんなが感銘を受け
ロット訓練生と
日本航空にパイ
に乗務。
て事情が飲み込
ています。
また、このような出会い
の舞台となったJ AL90
進学。卒業後は
5便︵B777型機︶を、
︻先輩たちのプロフィール︼
めると生徒の間
拍手が湧き起こ
から期せずして
りました。
て、高校時代の友
経てB777型
い訓練生時代を
して入社。厳し
人や恩師はかけが
旅行終了後、二人からの
メッセージとし
も、905便が羽田を離陸
ていませんでした。もっと
する時、何人かの生徒が﹁こ
月より国内
を取得し、昨年
機のライセンス
えのないものであ
機内で和田千奈さんと
の飛行機、池田先輩が操縦
真剣に取り組むこ
躍する。
心選手として活
サッカー部の中
務。高校時代は
線・国際線に乗
10
してたらすごいよね!﹂と、 ること、何事にも
全くあり得ない前提でしゃ
は自分の信念や価
と。また、就活で
持って企業と向き
べっていた人はいたようで
合うことなどにつ
す。
やがて、操縦室から乗客
への挨拶のアナウンスによ
値観をしっかり
り、池田先輩がこの飛行機
いて語っていただ
35
のコクピットで実際に操
池田副操縦士と那覇空港到着ロビーで
中大高3年の教室で
Fly UP