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お母さん,僕,なんともあらへんよ。

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お母さん,僕,なんともあらへんよ。
題名
お母さん,僕,なんともあらへんよ。
志摩市立和具中学校3年
浦口皐二郎
僕は産まれてすぐに心臓の手術をし,ずっと運動が制限されてきた。もちろ
ん体育の授業は見学だし,小学生の頃,姉や兄と一緒に野球やサッカーなどを
して遊んでいたら,後で姉と兄が「弟の事をもっと考えてあげなさい。あの子
は運動ができないのだから。」と怒られていた。またある時は,友達が「あい
つ,何もできへんからおもしろくない。」と言っていた事もある。僕の「フツ
ウ」が周りの「フツウ」と違っていたから,みんなは迷惑だったのかもしれな
い。
しかし,中学校二年生の夏,毎年検査のために行っている病院の,僕の担当
の先生がペースメーカーを入れないかという提案をしてくれた。体に機械を入
れるのだそうだ。運動ができるようになるのならば是非入れてほしかったのだ
が,少し大きな手術をするらしく,機械自体も決して安いものではなかった。
僕が自分の体のことや,家族への負担など様々なことを考え悩んでいると,母
が「あんたの人生,あんたの好きなようにしなさい。本当にどうしようもなく
なったら,お母さんが何とかするから。」そう言って,僕の背中を押してくれ
た。僕は手術を受けることにした。手術は十一月。すでに半年もなかった。
九月,十月,十一月と時がたつにつれ,僕の心に恐怖が生まれ大きくなって
ゆき,「やっぱりやめたい。」と何度も何度も思うようになった。「手術がもし
失敗したら。」とか「死んでしまうのではないか。」とか,いつも不安で辛かっ
た。そして手術の半月前,恐怖のあまり母に「何で僕だけ心臓が悪いんだ。お
姉ちゃんとお兄ちゃんは元気やんか。」すると母は少しの間うつむいて,僕も
驚くくらい弱々しい声で「ごめんな,元気に産んであげられんで。」と言った
のだ。僕はこの時ほど後悔したことはない。僕の心臓が悪いのは誰のせいでも
ないし,ちゃんと理解して納得しているはずなのに,僕は,周囲から何をする
にも気遣われ,少し運動すれば迷惑がられ,みんなが思っているよりずっと弱
くはないのに,最初から何もできないことを前提にされるのがもどかしく,そ
んな人生を不思議に思った。でも,僕よりも十四年間僕を育ててくれた母の方
が僕よりもずっと悩み,僕以上に僕のことを思ってくれていたのだ。けれど,
あの時は母に対して何と言ってよいのかわからず,結局,謝ることもできなか
った。
手術の一週間前から入院して備えるのだが,母は仕事を休んで,ずっと僕に
つきそってくれた。けれど,あんなひどいことを言った後に僕は何と言えばよ
いのだろうか。「アリガトウ」や「ゴメンナサイ」はなんとなく違うような気
がして,今の気持ちを伝える言葉が思いつかなかった。そしていよいよ,手術
をする日になった。当日は母だけでなく,家族や親せきの人達も来てくれて,
「頑張って。」「大丈夫。」たくさん声をかけてもらった。本当に嬉しかった。
最後に母は,僕の手をただ黙って握ってくれた。そこに会話はなかったのだが,
温かい雰囲気に包まれた。僕はなぜか泣きたいような気持ちになったが,手術
をする時間がきた。だから小さな声で,ボソッと,
「お母さん,僕,元気やで。
なんともあらへんよ。」と言った。母に聞こえたかどうかはわからない。ただ,
母には聞こえていなくても伝わっているような気がした。
僕は晴れやかな気持ちで一歩,前へ踏み出した。そこには不安も不満もなく
手術後はとりあえず,思いっきり走ってみようと思った。
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