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発展途上国における観光発展に関する考察 A Study of the Growth of

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発展途上国における観光発展に関する考察 A Study of the Growth of
奈良教育大学紀要 第61巻 第1号(人文・社会)平成24年
発展途上国における観光発展に関する考察
Bull. Nara Univ. Educ., Vol. 61, No. 1 (Cult. & Soc.), 2012
93
発展途上国における観光発展に関する考察
−持続的発展への一つのアプローチ−
淡 野 明 彦 奈良教育大学社会科教育講座(地理学)
(平成24年5月7日受理)
A Study of the Growth of Sightseeing in a Developing Country
−A Reference to Sustainable Development−
Akihiko TANNO
(Department of Social Studies / Geography, Nara University of Education)
(Received May 7, 2012)
Abstract
The expectation of the growth of sightseeing in a developing country is great. The purpose of this
research is to try to evaluate the situation of the growth of sightseeing in a developing country
quantitatively, and to consider the problem that the growth of sightseeing causes in addition. 24
countries were measured among countries classified into LDC(Least Developed Country)of the DAC
list of OECD.
According to the result of the measurement, the tourism revenue exceeds the sightseeing expense
in a lot of countries, and a constant effect of the growth of sightseeing has become visible. However,
the amount of money of the income obtained from sightseeing is only amount of small compared with
the amount of the deficit of the trade balance (amount of adverse balance of trade).
A lot of problems of causing it by the spread of an increase of the tourism revenue and the
sightseeing expense have been pointed out in the process of the growth of sightseeing according to a
current research. As the example of the problem, a bad influence on the relation between an increase
of the distribution of the tourism revenue and the sightseeing expense and the external economies and
resources for tourism, etc.
Aiming at reasonable development for sightseeing, it is necessary to understand a lot of occurring
problems structurally and to recognize it as sustainable development.
キーワード:発展途上国、観光、持続的発展
Key Words : Developing Country, Sightseeing,
Sustainable Development
Ⅰ はじめに
相互理解の増進を図りつつ、国際収支の均衡化に資する
ことが求められている」と述べている。さらに基本的な
日本では2007(平成19)年に「観光立国推進基本法」
視点として「国際観光は、国家間の所得再配分の効果的
が制定され、観光が国の成長戦略の柱の一つとして位置
な手段であり、世界経済のより均衡のとれた発展に寄与
づけられた。既に国の「観光政策審議会」では「今後の
するものである」と述べている。観光がもたらす経済的
観光政策の基本的な方向」(1995年答申第39号)において、
な効果がやや強まった表現となっているが、こうした観
国際観光については「国際観光は、平和によって育まれ、
点は一国のみで認識されるものではなく、世界全体での
平和を促進する。国際社会に遅れて登場したわが国は、
一致した観点として共有されるべきものである。
21世紀においては、さらなる国際観光交流により、国際
国際観光機関(UNWTO)においても、観光は世界の
94
淡 野 明 彦
交易と繁栄の最も強力な要因の一つであるとして、低所
なく、文化的なあるいは心身的な側面での評価をあわせ
得国や地域の貧困の削減に観光の役割を位置づけ、ミレ
て定量的におこなうことが観光を総合的にとらえるのに
ニアム開発目標(Milennium Development Goals)とし
不可欠であるが、これらの側面での考察に必要な定量的
てTourism and Poverty Alleviation(観 光 と 貧 困 の 軽
な基礎データを得ることが難しいという問題がある。
減)をテーマに掲げ、Sustainable Tourism-Eliminating
Ⅱ 国際観光の動向
Poverty Initiative(ST-EP 計画:持続的な観光と貧困の
(1)
軽減の計画)を世界の各地で展開している
。この計画
では直接的に経済への効果をうたうだけではなく、地域
2.
1.訪問客数
の自然環境や文化的伝統などにも配慮した観光のマネー
2010年における世界各国・地域への外国人訪問者数を
ジメントのあり方への認識を示している(UNWTO 2012)。
上位30位までみると(図1)、フランスが際立っており7,680
発展途上国(地域)における観光発展については、す
万人である。ついでアメリカ合衆国、中国(香港、台湾
でに Lorenz, H.(1986)、Ueli, M.(1988)らにおいてそ
を除く)、スペインが5,000万人台であり、イタリアが4,000
の議論の必要性が提示されてきた。その後の研究は限ら
万人台と続いているが、以降はイギリス、トルコ、ドイ
れた国や地域のスケールでのものが多く、本格的な研究
ツなどで2,000万人台に急減している。訪問者数を計測す
の遅れは、このテーマに関する主に欧米での既往の研究
る国際的な標準方法が統一されていない現況で、微細な
をふまえ基礎的な研究法を教科書的な著作としてTelfer,
数字の比較は意味をもたないが、30位までにランキング
J. & Sharpley, R.(2008)が刊行されているという状況か
される国・地域のうち、欧米の主要国が30位までの国・
ら皮肉的に推察できる。日本では江口信清(1998)、高寺
地域の訪問者数合計の約6割を占めている。以外ではマ
奎一郎(2004)の著作がまとまった研究成果として取り
レーシア、香港、タイ、シンガポールなど東アジア地域
上げられるが、特定の国や地域に限定して考察されてい
の従来より国際観光の発展に意を注いできた国・地域が
る。研究が進展しない原因としては、観光の発展が声高
みられる。
にとなえられるものの、観光の本質そのものへの理解や
認識の甘さ、そのことが研究の深化を遅らせていること、
2.
1.国際的な観光収支
研究に必要な信頼できる統計(基礎データ)の不足など
外国人訪問者数は各国・地域の国際観光の概況をみる
があり、いわば「曖昧」な研究とならざるを得ない状況
ことができる指標ではあるが、国際観光がもたらす経済
を指摘できる。
的効果をさらに詳しくみるには、世界各国・地域の観光
観光発展の評価を経済的な面でどのようのに捉えるか
(2)
収支について検討しなければならない。「観光収支」
については、UNWTO が推奨している TSA(Tourism
は他国から訪問する観光客(イン・バウンド)により支
Satelite Account ツーリズム部門会計)があるが、複雑
払われる金額(収入)と、自国から他国へ訪問する観光
な計算であることから、Cooper, C. et.al.(2005)が直接
客(アウト・バウンド)が支払う金額(支出)との収支
支出、間接支出、誘発支出の三段階の過程を一連として
であり、貿易に例えれば、収入は輸出(他国への商品の
計上する方法を示している。ただ、この方法においても
売り付けに対して支払われる対価)に該当し、支出は輸
直接支出の対象となる「観光客の支出」において、観光
入(他国からの商品の買い付けに対して支払われる対価)
客をどのように数えるかについての統一された手法がい
に該当する。したがって観光収支の黒字は自国に対して
ま だ に 確 立 さ れ ず、こ の 点 に 関 し て ヨ ー ロ ッ パ では
は経済的な潤いをもたらすことになる。この点において
FECTO モデル(淡野 2000)の提示がなされているもの
貿易面では商品の輸出額の少ない国や、輸入額が輸出額
の、各国が一致して採用しているわけではない。先にふ
を上回る(入超)国では、数多くの観光客の来訪に期待
れた「観光立国推進基本計画」においても、観光に関す
し、輸出と同様な経済的効果を期待する気運が高い。
る統計の整備について客数の計測において他の統計との
世界の主要国における2009年における観光収支につい
整合性の考慮の必要性を指摘し、調査項目の見直しを行
てみると(表1)、来訪客数が多いフランス、アメリカ
うことを明記するという状況がみられる。
合衆国、イタリアでは観光収入が観光支出を上回ってい
本稿では観光に関する統計の国際的な整備がいまだ遅
るが、中国、ドイツ、ロシアでは来訪客数が多く、観光
れている状況をふまえながら、観光発展による活性化が
収入は多いものの、他国を訪れる自国民により支出され
期待されている発展途上国(Developing Country)につ
る額が収入を上回っているために、支出超過となってい
いて、現時点で得られる基礎データをもとに発展途上国
る。ことにドイツは観光収入の約2.3倍もの観光支出で、
における観光発展についての経済面での評価をおこない、
同様の傾向はイギリス、ロシア、日本、サウジアラビア、
それから波及する問題を指摘することを目的とする。評
カナダにおいても顕著にみられる。日本では約2.4倍となっ
価は経済的な側面だけでは不十分であるのは言うまでも
ており(3)、観光面だけでの経済的なバランスは崩れてい
発展途上国における観光発展に関する考察
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95
図1 世界各国・地域への外国人訪問者数(上位30位)
(2010年)
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10,000
20,000
30,000
40,000
50,000
60,000
70,000
80,000
90,000
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る(4)。
(国内総生産)の5%で、雇用面では世界的な雇用の7%
以上のことから、来訪する旅行者が多い場合であって
を占めるに至り、世界の輸出総額の6%に匹敵し、サー
も、自国から他国へ訪れる旅行者との人数的なバランス
ビス産業に限れば30%にも達していることを指摘し、
が均衡しなければ、貿易面での輸入超過と実質的に同様
先 に 述 べ た よ う に「観 光 と 貧 困 削 減」を テ ー マ と し
なものとなる。逆に輸出によって得られる金額が少ない
て掲げ、具体的には ST-EP 構想(Sustainable Tourism-
国・地域にあっては、観光収入は貴重な外貨獲得の手段
Eliminating Poverty Initiative)として、持続可能な観光
である。輸出の対象となる自然資源や加工品の乏しい国・
を推進するために、観光を通じて貧困を緩和するための
地域が観光業に期待し、経済的な安定さを求める所以で
10項目からなる原則を定め(5)、直近ではカンボジア、ニ
ある。
ジェール、ニカラグア、ホンジュラス、ルワンダなどで
UNWTO は観光によって創出される金額は世界の GDP
プロジェクトを展開している。
表1 主要国における観光収支(2009年)
Ⅲ 発展途上国における観光収支
単位:100万ドル
国 名
観光収入
観光支出
121,131
105,202
15,929
フランス
49,450
38,575
10,875
ドイツ
34,781
81,044
▲46,263
イタリア
37,410
29,090
8,320
イギリス
30,498
50,559
▲2,006
スイス
13,816
10,628
3,188
ロシア
9,297
20,763
▲11,466
る48カ国(地域はなし)を対象として考察した(表2)。
中国
39,675
43,702
▲4,037
48カ国中で観光収支に関するデータが全くあるいは継続
日本
11,947
29,154
▲17,207
的に得られなかった国を除外して、24カ国について考察
アメリカ合衆国
収 支
資料:『ブリタニカ国際年鑑 2011年版、2012年版』
ブリタニカ・ジャパン
3.
1.開発途上国の特定
ST-EP 構想では対象となる国・地域は特に特定され
て い な い が、本 稿 で は 開 発 途 上 国・地 域 を OECD に
よって作成されている DAC(Development Assistance
Committee 開発援助委員会)リスト(6) のLDC(Least
Developed Countries 後発発展途上国)に分類されてい
した。
96
淡 野 明 彦
表2 DACリストに記載の後発開発途上国(Least DevelopedCountries)
(2011∼2013年適用)
アフガニスタン/アンゴラ/バングラデシュ /ベニン/ブー
タン/ブルキナファソ/ブルンジ/カンボジア/中央アフ
リカ共和国/チャド/コモロ/コンゴ民主共和国/ジプチ
/赤道ギニア/エリトリア/エチオピア/ガンビア/ギニア
/ギニア・ビサウ/ハイチ/キリバス/ラオス/レソト/リ
ベリア/マダガスカル/マラウィ /マリ/モーリタニア/
モザンビーク/ミャンマー /ネパール/ニジェール/ルワ
ンダ/サモア/サントーメ・プリンシペ/セネガル/シェ
ラレオネ/ソロモン諸島/ソマリア/スーダン/タンザニ
ア/東ティモール/トーゴ/ツバル/ウガンダ/バヌアツ/
イエメン/ザンビア
ドルもの実質的な観光収入を得ている。カンボジアには
世界的に著名なアンコール・ワットがあり、それを含む
地域が世界文化遺産「アンコール」として1992年に登録
されており、日本からのパックツアーも多く催行されて
いることから、多くの観光客を招いている結果として推
察できるが、裏付ける精細なデータは得ていない。ブー
タンは収入,支出ともに額が少ないが、収入が支出をわ
ずかに上回っている。
支出が収入を超えているのは6カ国であるが、モザン
ビークが収支の差が少ないのに対し、最下位のスーダン
では支出が収入の約3倍となっている。ネパールは4件
の世界遺産を有しているものの、国土面積が狭小で、高
山地域であることから観光客に提供できる交通の質・量
資料:OECD DCD-DAC(国際協力局開発援助委員会)
ともの不便さが足かせとなっていることが考えられる。
3.
2.観光収支
3.
3.観光収支と貿易収支の比較
観光収支では18カ国で収入が支出を上回っているが、
国の経済規模が異なることから、貿易収支との比較を
その額は国によって大きく異なっている(表3)。最上
すると(表4)、年次のそろった統計を得ることができ
位のカンボジアでは収入が支出の約8倍であり、11.5億
ないために考察には限度があるが、アンゴラは他国に比
べ巨額な貿易で輸出額が輸入額の約1.8倍である。アンゴ
表3 LDC各国の国別観光収支(上位順)
(2009年)
単位:100万
国 名
カンボジア
観光収入a 観光支出b 観光収支a-b
ラは原油による収入が2009年では輸出総額の96.2%を占
め(主に中国、アメリカ合衆国に輸出)、観光から得ら
れる収入は原油に比べれば約1.4%に過ぎない。アンゴラ
1312
162
1150
以外は貿易収支は輸入超過となっている。ラオスなど11
ウガンダ
667
179
488
カ国は10億ドル台の輸入超過であり、エチオピアでは約
アンゴラ
534
133
401
71億ドルにも達しており、実質的に得られた約19.1億ド
1160
766
394
ルは貿易赤字額の3%弱に過ぎない。
イエメン
496
214
282
考察の対象としたLDCリストの24カ国全体について大
ハイチ
315
63
252
まかにみれば、観光による経済的なプラスの効果をみる
エチオピア
329
138
191
ことができるが、得られる額は貿易収支の赤字額に比べ
ラオス
268
83
185
れば寡少に過ぎない。
マダガスカル
308
123
185
タンザニア
カーボベルデ
292
136
156
ルワンダ
174
72
102
サモア 112
11
101
ザンビア
98
39
59
レソト
40
14
26
シェラレオネ
25
13
12
ソロモン諸島
44
32
12
ジプチ
16
6
10
ブータン
42
39
3
196
212
−16
5
52
−47
光発展の第一のステップである。Butler, R.(1980)は増
ネパール
371
434
−63
加によって生じる成長曲線的なモデルを6段階で示し(図
ブルンジ
2
71
−69
3)、観光客が順調に増加する場合においても、ある時
69
249
−180
点において増加が鈍り、やがて沈滞段階(stagnation
299
868
−569
stage)に入り、やがて衰退段階(decline stage)へと
モザンビーク
中央アフリカ共和国
バングラデシュ
スーダン
資料:『ブリタニカ国際年鑑』
2011、2012各年版のデータによ
り作成
Ⅳ 発展途上国における観光発展の経済面での
評価から波及する問題 4.
1.観光収入の増加による波及
4.
1.
1.観光客の増加
観光の経済的効果については、直接、間接を含めて関
連する産業は広範におよび、淡野(2004)は観光客を頂
点とする観光のヒエラルキーを図2に示したが、観光収
入の根本は来訪する観光客であり、その数的な増加が観
向かうことを一般論として指摘している。各段階が生
じ る 時 間 的 な 特 定 は さ れ て い な い が、整 理 段 階
発展途上国における観光発展に関する考察
97
表4 各国の観光収支(2009)と貿易収支の比較
国 名
観光収支
輸出額 c
輸入額 d
単位:100万ドル
貿易収支c-d
貿易額備考
アンゴラ
401
40828
22660
18168
ブータン
3
486
506
−20
2008年の額
ザンビア
59
5061
5099
−38
2008 同
カンボジア
1150
4358
4417
−59
2008 同
中央アフリカ共和国
−47
133
192
−59
2008 同
12
193
323
−130
2008 同
ブルンジ
−69
142
315
−173
2008 同
サモア 101
72
288
−216
2008 同
シェラレオネ
12
163
404
−241
2008 同
ジプチ
10
58
473
−415
2007 同
ソロモン諸島
カーボベルデ
レソト
156
115
824
−709
2008 同
26
1035
1883
−848
2008 同
ルワンダ
102
193
1146
−953
ラオス
185
1639
2816
−1177
2008 同
−16
2653
4008
−1355
2008 同
252
550
2143
−1593
モザンビーク
ハイチ
エチオピア
−569
7843
9691
−1848
マダガスカル
185
1667
3846
−2179
2008 同
イエメン
282
7106
9766
−2660
2008 同
ウガンダ
488
1724
4526
−2802
タンザニア
394
1644
4549
−2905
−63
909
3845
−2936
−180
13143
17623
−4480
191
1602
8680
−7078
ネパール
バングラデシュ
エチオピア
2007 同
2007 同
資料:『ブリタニカ国際年鑑』2009∼2012のデータにより作成
図2 観光関連産業のヒエラルキー
淡野明彦 2004.『アーバンツーリズム』
(consolidation stage)から沈滞段階へと向かう過程で、
次の発展を目指した修復段階(rejuvenation stage)を意
図3 Butler(1980)による観光地のライフサイクル
出典:淡野明彦 2004.『アーバンツーリズム』
(Butler の原典を日本語訳)
図しなければならないという重要な点である。ひたすら
観光客の増加をねらった一直線な発想や手法では、一過
ホールセラー業界における寡占を指摘していることをあ
的な発展に終わってしまう危うさを認識しなければなら
げている。航空面でみると、国際観光においては開発途
ない。
上国への往復に要する航空運賃が多額であるが、この航
4.
1.
2.観光収入への外部からの阻害と寡占
空運賃が開発途上国の航空会社に収入へと結びつく度合
観光収入の多くは交通費と宿泊費によって占められる
いは少ない。ルフトハンザ航空、エール・フランス航空、
が、高寺(2004)は UNWTO が2020年に向けての国際
デルタ航空など欧米の巨大資本の航空会社が世界的な路
観光が抱える課題と一つとして、航空・ホテル・旅行
線網を形成しており、ルフトハンザ航空での路線におい
98
淡 野 明 彦
表5 ドイツ−アフリカ LDC 諸国との
定期旅客航空便(直行便)
(2011年秋∼2012年春)
など一部の階層だけであるという指摘は、問題がすでに
現実化していることを示している。
国名(発着都市名)
運航会社名(週当たりの便数)
4.
2.観光支出の増加による波及
アンゴラ(ルアンダ)
ルフトハンザ航空(2)
DACリストのLDC諸国における観光発展への期待は、
赤道ギニア(マラボ)
〃 (3)
「観光収支」という限定された国と経済的指標でみる限
エチオピア(アジスアベバ)
〃 (4)
エチオピア航空(4)
りにおいては、金額の差は大きいものの多くの国で観光
エリトリア(アスマラ)
ルフトハンザ航空(3)
スーダン(ハルツーム)
〃 (4)
資料:ルフトハンザ航空他航空会社運航計画により作成
収入が観光支出を上回るというプラスの効果を生じてい
る。この効果の原因については収入および支出の内容に
ついて具体的に検討しなければならないが、基礎となる
データをとらえることができないために困難である。単
て LDC 諸国のアフリカ地域でみれば(表5)、同社のベー
純に指摘できることは、収入の増加を見込む一方では支
スであるフランクフルトからルアンダ(アンゴラ)、ア
出の増加という点にも目を向けなければならない。
ジスアベバ(エチオピア)、アスマラ(エリトリア)、ハ
Telfer, J. & Sharpley, R.(前掲2008)は開発途上国にお
ルツーム(スーダン)に自社便を運航しているが(2011
いて国民が経済的に裕福になるにつれて、より頻繁に海
年秋∼2012年冬ダイヤ)
、逆に LDC 諸国の航空会社から
外へ旅行し、支出が増加し、収入でのプラスは減少する
フランクフルトに運行される便はエチオピア以外はない。
ことを指摘している。開発途上国がいつまでも一方的な
航空業は巨額の資本と航空に関する国内外の法的な厳し
観光客の受け皿としてあり続けることを強制はできず、
さから、航空業への当初の参入にあたっては国策として
経済的のみならず観光を通じた相互の交流を図るという
着手されることが多いが、国際的な航空業の再編や業務
点からしても、一方通行的な訪問であってはならない。こ
提携(スカイ・チーム、スター・アライアンス、ワン・
の点に関しては、日本における国外への旅行者数と国外
ワールドの3大連合)が急速に進む状況において、発展
からの旅行者数との不均衡の緩和や解消が、単に経済的
途上国の航空業が巨大な国際航空業への従属性を高める
な観点だけではないという論拠に共通する。
可能性があることを UNWTO(高寺 2004)は指摘して
いる。
4.
3.観光客の増加による観光資源への波及
宿泊費についてみると、1950年創業で太平洋島嶼地域、
1978年に世界自然遺産に登録されたエクアドルの「ガ
カリブ海など世界の36カ所にバカンス施設を展開する
ラパゴス諸島」は、2007年に「危機遺産」リストに登録
Club Med(日本での呼称:地中海クラブ)など欧米の資
された。その理由は観光客の増加、観光地化による常住
本によるチェーンホテルの進出が展開している。Telfer, J.
人口の増加、域外との往来の増加による外来生物の侵入、
& Sharpley, R.(前掲2008)はフランスの Accor Hotels
密猟などによる環境の悪化により、世界遺産への登録時
が割安タイプのホテルから上級ランクのホテルまで世界
にその登録基準となった自然環境の真正性を損ない、持
中で4,000近くものホテルを運営している事例を取り上げ、
続的な維持に困難を生じさせているということであった。
(7)
ホテルチェーン
は企業戦略として企業吸収、合併、ジョ
この事態に対して、エクアドル政府は海洋環境保全計画
イント・ベンチャーを用い、世界的な規模で事業を拡大
プロジェクトなどを進め、2007年にその努力が認められ、
し、さらには宿泊だけではなく観光行動に関わる一連の
危機遺産から外れることができた。2005年に世界自然遺
手配を一括するという垂直的な統合にまで及んでいると
産に登録された「知床」については、翌年の第32回世界
いう。
遺産委員会での世界遺産の保護管理状況に関する報告の
発展途上国においてローカルな企業が巨大な国際企業
中で、特に強調したい9項目の履行が日本政府に要求さ
への従属化が進んでいる状況は、観光を通じた新たな形
れた。要求の主要な点は、海域を含む全体管理計画の実
態での「植民地化」の進行としてとらえることができる。
施のための予算やスケジュールの明示や計画そのものの
先に述べた観光のヒエラルキーは一次的関連産業の段階
見直し、観光・経済開発戦略との間の密接な連携の確保
で、発展途上国から外来企業へと還流する仕組みは、発
で、ここでも自然環境の保護と観光との関係に対する懸
展途上国の本来的な発展を阻害する深刻な問題である。
念が示されている。
さらには、二次的、三次的以降の関連産業への観光収入
世界遺産に限ったことではなく、観光対象となる自然
(所得)の分配が公平、適正になされているかという点
環境や遺跡、建造物などの観光資源の観光客の流入によ
についても、同様な問題である。江口(1998)がカリブ
る軋轢は、世界の各地で顕在化していることは半ば常態
海地域での研究において、現地人で多くの儲けを得るこ
化している。LDC諸国が観光発展に経済的活路を求め、
とのできる者は、観光関連事業に直接投資できる資本家
多くの観光客の流入に期待する度合いが高くなれば、上
発展途上国における観光発展に関する考察
記の問題を避けることはできない。観光発展により将来
的に顕在化してくる事態に、当初から意識し、先行地域
の事例に学びつつ、先取的な計画の立案と段階的な実施
が求められる。
Ⅴ まとめ
発展途上国(LDC)における観光発展の現況を経済面
で定量的に評価するために、観光収支の状況を統計的に
一定の水準で把握できるデータでとらえ、発展途上国を
OECD 作成の DAC リスト の LDC に分類されている諸
国に特定し、48カ国のうち計測が可能な24カ国について
考察した。大まかにみれば、観光収支という限定された
経済的指標でみる限りにおいては、金額の差は大きいも
のの多くの国で観光収入が観光支出を上回るというプラ
スの効果を生じているが、貿易収支との比較でみれば得
られる額は貿易収支の赤字額に比べれば寡少に過ぎない
という実態をとらえることができた。
つぎに観光発展の経済面での評価から波及する問題に
ついて、既往の研究の成果をもとに指摘した。
観光収入および支出の増加による波及をみれば、「観
光発展が開発途上国を潤す」という一辺倒の図式ではあ
りえず、発展過程で生じる事態への予測、外部経済との
関連、観光資源に与える影響などをトータルに考慮され
なければならない。観光発展が一過的なものではなく、
諸般の環境のなかでの持続的な取り組みであることを強
く認識されなければならない。
いわゆる第三世界の観光の現状とあり方ついて論じた
Lorenz.k.(1986)の“Klar, es war schOn, aber...”
(澄み
切った、快適だ、しかし.
..:筆者訳)いう表現は、い
まなお観光発展の功罪について意味深長である。
99
各国官公庁に照会しながら補正を施し、可能な限り同一の
対象について同一の基準で、最新かつ同一時期の比較が
できるよう厳格な編集)する“Britannica World Data”
を日本語に翻訳したものである。利用した原データの詳
細は公表されていないが、同年鑑の高い評価からすれば、
それなりの信頼しうる数字として扱うことが妥当である
と判断した。
(3)ドイツの支出超過額(46,263百万ドル)は同年の輸出額
の約3.2%にあたり、日本(17,207百万ドル)は約2.6%で
ある。
(4)純然とした観光客数ではないが、日本では1971(昭和46)
年以降は日本人海外旅行者数が訪日外国人旅行者数より
も多く、年を追ってその較差が大きくなっており、2010(平
成22)年では約2倍(海外旅行者数1,664万人、訪日外国
人旅行者数861万人)にも達し、経済的な収支の面でも大
きな問題となっている。
「観光立国推進基本法」の規定に
基づき、2012(平成24)年3月に閣議決定された「観光
立国推進基本計画」では2026(平成38)年初めまでに2,500
万人とすることを念頭に、2016(平成28)年までに1,800
万人にすることを基本的な目標の一つに設けている。
(5)原則の設定に当たっては、競争力の向上と同様に貧困層
へのより多くのメリットの提供、当該地域における観光
対象となる資源の管理、観光と観光以外の経済部門との利
害の調整の点での対処において、競合性と持続性の両面へ
の確実さを意図している。
(6)OECDの委員会の一つで、開発途上国への開発援助を奨
励するとともに、援助の質を良くすることを目的とする
国際フォーラムである。援助を受け取る国・地域を GNI
(国民総所得)を基準に4つのグループに区分し、3年
ごとに対象となる国・地域を更新する。区分は Upper
Middle Income Countries and Territories(高中所得国)、
Lower Middle Income Countries and Territories(低中
所 得 国)、Other Low Income Countries(低 所 得 国)、
Least Developd Countries(LDC 後発発展途上国)となっ
ている。
(7)同様なホテルチェーンとして、Marriott Hotels Resort
And Suites、 Hyatt Hotels And Resorts、 Hilton
International、Inter Continental Hotel And Resortsなど
がある。
注
文献
(1)直近ではカンボジアのメコン川流域での遺跡を散策する
遊歩道の整備、ニジェールでの小規模な農村作業の観光
化、ルワンダでのナイル川流域でのハイキングコースの
整備等が着手されている。
(2)国際通貨基金(IMF)では観光に関連する統計として、
「旅行収支」を毎年において計上している。IMF のマニュ
アルでは「主として旅行者がある経済圏における1年未
満の訪問期間中に当該経済圏から取得した財貨および
サービスを計上する」と規定されており、観光目的以外
での業務等での旅行者にかかわる財貨・サービスについ
ても含まれ、観光の実態よりも過大なものとして計上さ
れてしまう。このため本研究では『ブリタニカ国際年鑑』
(ブリタニカ・ジャパン社)の毎年度版で採用されてい
る「観光収支」をデータとして利用した。「観光収支」は
シカゴのエンサイクロペディア・ブリタニカ社が、毎年
各国から収集する資料(国際連合、国際通貨基金など国
際機関からの諸統計や、各国のその他の諸資料)に基づ
いて独自に作成(前述の諸資料を参照しながら分析し、
江口信清 1998.『観光と権力−カリブ海地域社会の観光現
象−』.多賀出版.
高寺奎一郎 2004.『貧国克服のためのツーリズム』
.古今書院.
淡野明彦 2000.観光客統計における FECTO モデルの紹介と
適用の検討.奈良教育大学紀要51−1(人文・社会).19-28.
淡野明彦 2004.『アーバンツーリズム−都市観光論−』.古今書
院.
ブリタニカ・ジャパン社 2009∼2012.
『ブリタニカ国際年鑑』
各年版.ブリタニカ・ジャパン社.
Butler, R. 1980. The concept of a tourism area cycle of
evolution. Canadian Geographer. 24: 5-12.
Cooper, C. et.al. 2005. Tourism: Principles and Practice (3rd
ed.). Pearson Education.
Lorenz, H. 1986. Klar, schön war’s, aber…: Tourismus in die
Dritte Welt. Informationzentrum Dritte Welt.
Telfer, J. & Sharpley, R. 2008. Tourism and Developing World.
Routeledge.(阿曽村邦明・鏡 武訳.2011.
『発展途上世
界の観光と開発』.古今書院.
100
淡 野 明 彦
Ueli, M. 1988. Vom Kolonialismus zum Tourismus−von der
Freizeit zur Freiheit. Rotpunktverlag.
UNWTO. 2012. Manual on Tourism and Povery Alleviation:
Practical Stepsfor Destinatio. SNV.
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