...

見る/開く - ROSEリポジトリいばらき

by user

on
Category: Documents
20

views

Report

Comments

Transcript

見る/開く - ROSEリポジトリいばらき
ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
Title
Author(s)
Citation
Issue Date
URL
アメリカ合衆国州憲法の教育規定の歴史的変遷
上原. 貞雄
茨城大学教育学部紀要(22): 63-72
1973-03
http://hdl.handle.net/10109/10832
Rights
このリポジトリに収録されているコンテンツの著作権は、それぞれの著作権者に帰属
します。引用、転載、複製等される場合は、著作権法を遵守してください。
お問合せ先
茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html
63
アメリカ合衆国州憲法の教育規定の歴史的変遷
教育学科教育制脚院室 上 原 貞 雄
(昭和47年10月18日受理)
1 州憲法の制定・改正・修正 なって西部の人口は次第に増加してきた.また,その
注1 結果,西部にあいついで新たな諸州が誕生した。すなわ
アメリカでは,独立革命以来1820年までに,旧12州を ち,いわゆる旧13州に加えて,1820年までには11州が,
含めて・23州の憲法が制定された。加うるに・その後・ そして1850年までには18州が州への昇格と連邦加盟とを
1835年にミシガン州が,翌1836年にアーカンソー州が憲 認められるにいたったが,これらのうち若干の諸州を除
法を制定して連邦に加盟したのをはじめとして,西部版 いて,ほとんど大部分の諸州がアレガニー以西の新たな
図の拡大にともない,他の諸州がこれらに続いた。近年 西部に属していた。ここに,加盟年度順にそうした西部
では,1958年および1959年にそれぞれ憲法を制定したハ
@ 諸州を列挙すれば,オハイオ(1803),ルイジアナ(1812),
ワイおよびアラスカ両州の場合があげられる。また,こ インディアナ(1816), イリノイ (1818),ミズリー
の間には,多くの州で,憲法の部分的な修正(Amend−
@ (1821),アーカンソー(1836),ミシガン(1837),
ment)はいうにおよぼず・その審面的な鉦(Revisi一テキサス(1845),アイオワ(1846),ウ,スコンシン
on)も一再ならず行なわれてきた。なお,各州憲法の
@ (1848),カリフォルニア(1850)などといったぐあい
制定もしくは改正年次の詳細は,第1表のとおりであ である。したがって,それだけに,政治の面で西部の発
る。 1) 言力が一層強まり,今やアメリカ社会の動向を大きくゆ
初期州憲法の教育規定については,既に別の論文でと さぶるほどの勢力となったといえる。
りあげたが,そこでは,特にマサチュセッツを含むニュ
元来,「西部の社会は,自らの身体と労働を唯一のた一・イングランド5州の初期憲法が,今日まで大幅な改
よりに未開の原野たるフロンティアに挑戦する開拓者た正もなく,依然現行憲法として存続していることに言及
しておいた。また,ウィスコンシン州をはじめ,1848年
ちによって構成され,したがって基本的には,貧富の
差,教育の差,家柄の差のない社会」であり,そこでは以後連邦に加盟した,主に西部に属する21州について
は,それらの鞠傭法が,わずか3少卜1だけを例外に, 「弊まえ上平等であるのみならず渓際上も平等であ
同じく現行憲法として維持されていることが指摘されよ った。」当然,西部の台頭は・そのような平等観に立つ
う。もちろん,初期憲法もしくは最初の憲法を堅持して 民衆による政治への強い要求となって現われた。また,
いる,これら多くの諸州の場合を含めて,現行各州憲法 その一方,北部でも,ほぼ時を同じくして,資本主義的
の教育規定の内容に関しては,今後稿を改めて詳細に検 近代工業の発展にともない著しく増加しつつあった工場
討する予定である。したがって,ここでは,諸州の憲法 労働者の側から,一連の労働運動を通じて・政治上の平
規定に深く立ち入り,それらを仔細に比較分析すること 等を求める声がようやく強まった。1824年のジャクソン
はさしひかえ,むしろ特に州憲法史上注目される,ジャ (A・Jackson)大統領の出現をもって始まる新らしい
クソンの時代以来顕著な憲法詳密化の動向および近年の 時代,いわゆるジャクソニアン・デモクラシー(Jack一
憲法簡略化の動向に沿って,そうしたなかでの教育規定 sonian Democracy)時代における政治上の諸改革は,
のありようの歴史的変遷を概観するにとどめたい。 実にこれら諸勢力の伸張を基盤として推進されたのであ
る。このジャクソニアン・デモクラシーは,アメリカの
2 ジャクソン時代以後の州憲法 政治機構に各様の変革をもたらしたが,その裾度は,連
@ 邦よりも州において一層顕著であったといわれ,勢い州
@ 教育規定の動向 憲法にも甚大な影響があったようである。それは,一語
(1)州憲法の長文詳密化への一般的動向 にしていえば・州憲法の長文詳密化ということであろ
建国以来,連邦政府は,宗教および公教育普及のため う。
の国有地交付や,これを通じての国有地売却の促進によ 概して,それ以前の初期州憲法は,権利章典と統治組 2)り,西部への移住を大いに奨励してきたが,それにとも 織とについて最も基本的な事項のみを規定し,したがっ
64 茨城大学教育学部紀要 第22号
第1表 各州憲法のページ数の比較
州\年代
一1799
1850−1859
「800−1829
1866−1869
臼§含ラ1施
(1819)19
ア ラ バ マ
アーカ ン ソ ー
(1836) ,9
キャリフォーニア
(1849) 1ア
臼隅丑量% (1874)59
(1879)59
(1876)58
コ P フ ー ト
(1818)11
コネティカノ ト
デ ラ ウ エ ア
!郡81雲
(侶9ア)56
(1831) 18
(1838)で9
フ ロ リ ダ
ジ r 一 ン 〆
/総11%
1;§謝差1
(1885)50
1糧9景1麓
(18ア7)52
(1889)34
ア イ タ ホ ウ
(1848)1ア
(1818)15
(1816)16
イ リ ノ イ
イ ンデ ィ ア ナ
1揖甥翫
キ ャ ン ザ ス
(1859)20
8;;琴1拷
(1890)42
(1850)24
(1812)11%
ル イ ジ ア ナ
(18ア0)59
(1851)20
ア イ 才 ワ
ケ ン タ ン キ
8書謝椙% 1鴇含8銘% 1摺発1ラ縫
(,819)18%
メ イ ン
メ ア リ ラ γ ド
(17ア6)15
マサチ1一セノツ
(1780)23
(1851)29
臼§£ll碧
(1835)14
ミ シ ガ ソ
1捻量男勇呈
ミ ネ ソ ウ タ
ミ シ シ ノ ビ
(1817)16%
ミ ズ ー リ
(1820)17
(1852)15
(τ869)20
(で865)28
モ ン タ ナ
(1866)12%
(1864)53
ネ ブ ラ ス ヵ
不 ヴ ァ ダ
n ゾ『プ シ ヤ
騰1蕨
ニユー・シャーソ
(1アア6) 5
ニ ュー一● ヨーク
(1ア77)15
ノ ー ス .
(1ア76) 7
二 ●
ア ヤ ロ ラ イ ナ
(1822)12
(1844)16
(1846)22
ロ ウ ド ・
L ャ ロ ナイ ナ
(1851)24%
(1857) 21
81ζ81砺
(,873)32
(1858)14
(1845)13
A イ ラ ン ト
サ ウ ス 。
隔111
8§含暑鼻呈
(1796)11%
(18ア0)25
(1854)19
(1845)21
テ ク サ ス
8§含8茎者
臼糊丑毛%
(1776) 7
ヴ ジ ニ ア ア
(1876)42%
(で895)34%
ユ ー タ ー
ヴ ァ モ ン ト
(で895)58%
(1889)47
サウス・ダコウタ
テ ネ シ ー
(18ア6)21
(1889)41
(1802)12%
オ ハ イ オ
オ レ ゴ ン
煤@ 、 イ ニ ア
(18go》59%
(1875)44
(1889)58
(1875)28
(1894)43
(1868)22
ノー一ス・ダコウタ
ペ ン シ ノレ
18ア0−1900
1概矛1蔓
8§謝ム呈
(1864)18%
(18ア0)28
(1865)20
(1872)50
(1889)56
ウォッシソ トン
ウ エ ス ト .
煤@ ジ ニ ア ア
ウイスコンシン
(1848) 24
(1889)57
カツコ内の数字は,憲法の制定年代を示す。
カツコ外の数字は,Thorpeの書物で占めるページ数を示す。この数には,修正条項
のページ数を含まない。
(田中英夫『アメリカ法の歴史』上,昭43,320−21ページ掲載のもの)
♂
上 原: アメリカ合衆国州憲法の教育規定の歴史的変遷 65
て比較的短文簡略な憲法たるにとどまっていた。これに そこで・このことを,初期州憲法の場合と・つまり1820
対して,ジャクソンの時代に入ってから制定もしくは改 年までに制定された23州の憲法のうち10州のものが教育 8)
正された州憲法では,たとえば行政官や裁判官の公選制 規定をもっていなかったことと考えあわせると,その後
が採用されたり,また従来法律に委ねられるべきものと 漸次ほとんどの,そしてやがてすべての州憲法に教育規
されていた些細な事項までがおりこまれたりなどして, 定がおかれるようになったことが了解されるであろう。
それだけ立法府の権限に制限が加えられるにいたった。 第2表 採択年次による各州憲法教育規定数の比較
もっとも,
「人民による統治を唱えるジャクソニアン・
、\
fモクラシーの信奉者が,立法部に対して不信感をもっ
@ \一\州憲法数
ていたということは矛盾しているように見えるが,そう
\
ではない。彼等は過去の経験から,立法部の議員が,い
ったん当選すると民意から離れて行き,人民に不利な立
法をすることが少なくないことを知っていた。・・…(中
略)……そのため,彼等には,直接民主制的な発想が強
「凸つまり,州憲法において1ま,立法府の権限をでき
るだけ仔細な点までチェックすることで,政治や行政が
民衆の意志から離れるのを防ごうとしたわけである。し
たがって,この時期以後に制定もしくは改正された州憲
ウ育規定数\\
合 計
1850年以前採
の州憲法数
1850年以後採
の州憲法数
3・1 17
1∼ 3
4∼ 6
7∼ 9
7
6
3
10∼12
P3∼15
16∼18
45
44
1
5
19
0
11
一
8
一
(W.D. Cocking and C. H. Gilmore;Organization
法は,一般的にみて,それだけ詳密化され,かつ長文に and Administration of Public Education 1938, p.
14.掲載のもの)わたるものとなっているようである。
第1表は,田中英夫教授がソープ(F.N・Thorpe) また,これらの教育規定の長さについては,第2表の
の『連邦および州の憲法』(Federal and State Con一 示す諸州憲法中の教育規定の数によってほぼ推測できる
stitutions, Colonial Charters, and Other Organic と思う。同表は,1930年当時の現行48州を対象としてお
Laws,7vols.,1909.)のなかで各州憲法の占めるページ り,したがって上記115の州憲法から既に破棄された州
数を表示したものである。同教授の説明のように・「当 憲法を除いたもののみを扱っている。同表作成者である 注3
初の州憲法の長さは,連邦憲法とほぼ大差はないが, コッキングとギルモアとの説明では,これら48州の憲法
1830年代,1840年代,1850年代と次第に長くなり,南北 は,全部で公教育に関する449規定を含んでおり,州別 6)
戦争後は,いちだんとその傾向が強くなっている。」と にはメアリランド,ヴァーモント,コネティカットなど
いえる。 の諸州の場合の1規定からオクラホマ州の場合の19規定
このような州憲法の長文詳密化は,当然,その教育規 までというようにさまざまであるが,この表の示すごと
定についてもあてはまる。もちろん,この場合,教育規 く,一般的にいって・1850年以前に採択された州憲法よ
定の長文詳密化の動向は,他面において,特にジャクソニ りもそれ以後に採択された州憲法の方がより多くの教育
アン.デモクラシーの台頭を背景に,マン(H.Mann) 規定を有している。さらに1880年以後に採択された州憲
やバーナード(H・Bamard)など当時のすぐれた教育 法は,1Qを下ることはなく・ほとんどの場合,1『以上に
指導者たちの献身的努力を通じてなされた,各州におけ わたる教育規定をおいていることも指摘している。
る,いわば教育民主化への大きな動向としての公教育制 なお,特に長文にわたる州憲法としては,19世紀後半
度の発達とも密接な関係にあると考えるべきであろう。 に入ってからではカリフォルニア州第2憲法(1879年制
(2)州憲法教育規定の長文化 定,以下略記)が・また20世紀に入ってからではアラバ
ジャクソン時代以来の州憲法教育規定の動向につい マ州第6憲法(1901),オクラホマ州憲法(1907),ル
て,さしあたり量的な角度から検討してみよう。 イジアナ州第10憲法(1921)などがあげられるが・こ
1776年の独立宣言による旧13州の成立以後,新加盟の れら現行州憲法の教育規定の数は・カリフォルニアの場
諸州を加えて,1929年までには,それぞれの州において 合第9条第1−15節,アラバマの場合第14条第256−270
あいついで憲法が制定され,あるいは改正されてきた 節りオクラホマの場合第1ユ条第1−6節,第13条第1一
が,それらの州憲法の総数は,改正によって破棄された 8節,第13A条第1−4節,第13B条第1−4節,ルイ 注4
ものまで含めると,128に達しており,しかもその大部 ジアナの場合第12条第1−26節である。しかも・最後の
7)
ェを占める115のものが何らかの教育規定を有していた。 ルイジアナ州のものは,単に憲法全体として最も長文で
66 茨城大学教育学部紀要 第22号
あるだけでなく,教育規定の数も最も多いといえる。 らず,また500世帯以上のタウンもしくはディストリク
もちろん,州憲法における教育規定の動向を,教育規 トは公費をもってハイ・スクール(high school)を維i
定の数のみでうんぬんするわけにはいかない・この場 持しなければならないとし慧っいで,1837年には徽
合・教育規定の量的増加つまり長文化は,当然,その内 育行政機関として州教育委員会(State Board of Edu一
容の詳密化と一体的関係にあると考えられるので,次に cation)を設置した。さらに,1855年には,憲法修正を
は,教育規定の内容に若干立ち入る腰カ1あろう・ 行ない,州や市やタウンの公費は,「その鐡の費消さ
(3) 公教育制度の発展と州憲法教育規定の詳密化 れるタウンまたは市当局の命令と監督のもとに法律にし
初期州憲法は,概して短文であり・かつその半数近く たがって経営される学校以外のどの学校にも充当かつ費
のものが教育規定を設けていなかった。また・教育規定 消されてはならない。しかも,かかる金銭は,どの宗派
をもっている場合でも・特にマサチュセッツのものを除 に対しても・もっぱらその宗派の学校の維持のために支 13)けば,その内容に一応各様の特色があるとはいえ,ほぼ 出されてはならない。」(修正第18条)と規定した。
共通して,それは比較的簡略かつ抽象的であったといえ マサチュセッツ州の場合は,ざっとこのようなぐあい
る。その理由としては,憲法自体に対する考え方は別に であったが,同じニュー・イングランド地方のほか,二
して,一つには,多分に植民地時代以来の宗教的伝統と ユー・ヨークや西部地方でも,ややおくれて,ほぼ同様
の関連において,世俗的な州政府が教育の問題に関与す の過程がみられたようである。殊に,上記1855年のマサ
ることに大きなためらいのあったこと,また一つには, チュセッツ州憲法の修正においておりこまれた,宗派学
そのために,ニュー・イングランド地方の場合はともあ 校への公費援助を禁止した政教分離規定については,後
れ,全般的にはまだそれぞれの州独自の公教育制度が樹 にも触れるように,それがニュー。ジャージー州第2憲
鰭れるにいた・ていなかったことなどがあげられよ 法(1844),ウ・スコンシン州憲法(184・)などにお、・て
う。 既に示されていた同様趣意の規定とともに,それ以後,
しかし,19世紀の第二四半期以来,つまりジャクソニ 他の諸州でも「今日にいたるまでアメリカ的ルールとし 14)
アン・デモクラシーの時期以来,多くの諸州において州政 て続いてきている。」ことは,注目すべきであろう。
府が大衆子弟の教育問題に積極的にのりだすにいたり, 加うるに,ここでぜひとも一言を要するのは,オハイ
それぞれにコモン・スクール(common school)を中心 オ,インディアナをはじめとする新西部諸州では,公教
に独自なかつ正当な意味での公立学校制度が樹立される 育制度の樹立と憲法におけるその趣意の教育規定との端
ようになった。カバリー(E・P・Cubberley)によれば, 緒が実は建国以来の連邦政府の国有地政策によって開か
それは・「無償の,税金でまかなわれる,非宗派的な, れたという事実である。これら西部諸州の加盟を認めた
州支配の学校」制度であり,その成立過程は,概して(D 連邦による各州設置法では,「殆ど例外なく,州憲法に
公費獲得,(2)貧民学校思想排除,(3)完全無償化,(4)州監 教育上の規定を設けることを条件に公立学校および大学
督擁立,(5)宗派議排除,(・)ノ’イ゜
ッ一ル設立,(・}のため姻有地絞付されることと定められた・いうま州立大学設立,の諸段階に区分されるが,つまりは,基 でもなく,連邦政府は諸州に対して新たな憲法のもとに
本的傾向として,従来伝統的に教会の支配下にあった学 独自の教育制度を樹立することを要求するとともに,そ
校鞭がこれを脱して州政府の支酉己下におかれるように 然めに財政援助を行なうことを練したものであ・
なっていく過程でもあった。しかも,この間には,当然 た。」しかも,ここで一層重要なことは,オハイォ,イ
それぞれの州において次第に公立学校を含めて公教育に ンディアナ両州の最初の憲法の教育規定は別として,そ
関する各様の法規が制定され,もしくは憲法のなかにこ の後制定された西部の諸州憲法の場合は著しく詳密にな
れがおりこまれるにいたったのである。 っているが,「しかし,これは,連邦議会によってかく
試みに・ニュー・イングランド地方において,ビュー 寛大に配当を決定された学校用地の処分のためのとりき
リタン的信仰と鉢の関連においてであ。たとはいえ, めをする必要のあ。たことに大いに依拠して、・る出と
早くからある種の公教育の伝統を保持し,しかも当時コ いわれることである。実際,多くの州憲法において,土
ネティカット州とともに,本格的な公立学校制度の樹立 地管理委員会の設置・土地の処分,学校基金の投資など
に絶えず指導的役割を演じたとみられるマサチュセッッ 仔細な点までが規定されるにいたっているのであ島?
州の場合を例にとってみよう。同州では,1827年に法律 なお,このように,諸州憲法における教育規定詳密化
を制定して,50世帯以上のタウンもしくはディストリク の動向は,それぞれの州における公教育制度の樹立,そ
トは公費をもってコモン・スクールを維持しなければな の財政的裏づけの一つとしての連邦の国有地交付と相関
上 原:アメリカ合衆国州憲法の教育規定の歴史的変遷 67
連しながら顕著にな・てい・たといえるカ㍉一層具体的 校」(、ep、,a、e sch。。1)が維持さ認しかし,ほ}ま
には,この後でとりあげるウィスコンシン,カリフォル この時期を終わって以後にさらに改正された南部諸州の
ニアなどの州憲法の場合をみれば明らかであろう。 新憲法では,一致して分離学校を規定するようになり,
ところで,公教育の中核を占める正当な意味での公立 たとえば既にその種の規定のあった上記諸州に加えて,
学校制度が,ジャクソン時代から南北戦争の頃までに, ノース.カロライナ,サウス.カロライナ,ルイジアナ
北部および西部の諸州において漸次樹立されるにいたっ の諸州では,それぞれ1876年,1895年,1898年に従来の
たのに対して,。夢部のたいていのナト1では諾干の獅の 混合学校の立場を放棄して艦学校による二元的公立学場合は別として・それはかなりのおくれをとった。その 校制度を憲法上明確に規定するにいたったのである。
主な理由としては,第一に,南部諸州では,「教育は主 なお,上記のほか,一応項目的に追記するだけにとど
に家族および宗教関係のことがらであって,州の関心は めるが,1900年前後において一般に義務教育制度が確立
孤児や貧児に対する儲とし望み及んでいくという何 し沙なからず謝卜慮法にその種の規定がおりこまれる
世紀かにわたる伝統があった。」こと,第二に,「大部 ようになったこと,また第一次世界大戦後においていわ
分自給自足鵬の儂業生活であ・たため1こ,「フオ1δ ゆるアメ1功化翻(Am・・i・ani・a・i・・)と関連して公
マルな教育の必要がほとんど感じられなかった。」こと・ 用語および教育用語とししての英語の採用を若干州憲法
さらに第ヨこは,「奴隷制騨」公教育発達に「最漣 に明言己するようにな。たこと,などもあげられよう。
大な阻害的影響を及ぼした・」ことなどがあげられよう。 こうして,ジャクソンの時代,南北戦争後の再建の時
しかし,南北戦争後,やがてこれらの障害は大きく克服 期を通じて,しかも来述のような公教育制度の漸次的発
され・いわゆる再建の時期(Reconst「uction Pe「iod) 達の過程と一体の関連において,州憲法上長文かつ詳密
を通じて,南部諸州でも公立学校制度が本格的な発展を な教育規定がみられるにいたったといえる。次には,参
とげるにいたった。また・その過程において,必要な法 考事例として,若干州憲法の教育規定をあげてみたい。
改正として,州憲法にも変更が加えられるようになっ (4) 若干州憲法の長文詳密な教育規定の事例
た。たとえば,メアリランド州では,1864年に第3憲法
州憲法史上,「ジャクソニアン・デモクラシー的発想が制定され,その教育規定(第8条)において「効果的
撫償公立学校制度の樹立」,「これの糸筐持のため螺 を統治鱒の面に+分に反映させ,その後傭法に影響
税,その他」,「州学腿金の保持」などカ・定められ翫 を与えた」ものとしては,一般に1846年のこ・一’ヨー
ク州第3憲法があげられるが,同憲法では,確かにコモ加うるに,同年にはアーカンソー,ルイジアナ両州にお
いて,186,年にはミズリーフ。リダ酬において,そ ン゜スクーノレ盤’群齢’合衆国預錘金の元本不
可侵(第9条第1節)などを規定しているものの,必ずして1866年にはテキサス州において,それぞれ憲法改正
しも長文詳密な教育規定をおいているとはいえない。しが行なわれ,「これらの諸州が従来知っていた以上に,
公鮪に対す狼槻定を行な。ぎ1㌔新憲法は,多く たが・て・ここで噛臆法に続いて,しかもその強い
影響下に採択されたといわれる,ユ848年制定のウィスコの場合,北部諸州のものを範とし,概して学校制度,教
育敏繍政に関働較的総合白勺かつ言羊細磁議擦鶉墓灘鞭カリフォルニア州第1
をおいていたようである。 注6
@ただ,ここで今一つ注目すべきは,南北戦争の結果, ウィスコンシン州憲法(1848)
奴隷の境遇から解放された黒人の教育への南部諸州の態 第1条権利宣言
度であろう。もちろん,再建の時期を通じて諸州の立場 第18節一・(前略)・…・・㌔’かなる宗教団体・または宗教的な
はまさに各様であ。てしかもその後しばらくは州憲法 ”しは神学自勺セミ側一のためにも訟庫から金鋤‘ひき
の改正や修正によりこの点での教育規定にも一再ならず だされではなら鮎’°
第10条 教育
マ更が加えられたもようである。すなわち,この再建の 第1節 公教育の監督権は,州教育長と,州議会の命ずる他
時期において,ミシシッピー,サウス・カロライナ,フ の官吏とに与えられる。……(後略)……
ロリダ,ルイジアナの4州では,憲法規定により白入と 第2節 従来または将来,合衆国によって教育目的のために
黒人併用の単一の公立学校鞭腰瀞れ,「混合学校」 州に与えられたすべて胱地から生ずる収益没収により
(mixed school)の実験が行なわれた。これに対して・ 州に帰属する全財産から生ずる一切の資金及び清算収益,
ジョージア,アラバマ,テネシーアーカンソーテキ (中略)・・…は、「学校基金」(The School Fund)
サスの諸州では,憲法規定により両人種別々の「分離学 と称する特別基金として別置されるものとする。……(後
’
68 茨城大学教育学部紀要 第22号
略)…… らに公立学校における宗派的宗教教育の禁止の規定追加
第3節州講会は・ディストリクト・スクール(district によりかかる政教分離原則がその十分な意味内容を備え
school)の設立を法律で定めなければならない。この学校 たものとして確立されたというべきである。なお,元来
は,4才から20才までの全児童に対して,無償かつ授業料 ウィスコンシン州はミシガン州の一部であって,1835年
負担なしとする。しかも,そこでは,宗派的教育は許され
第・節各タウ。や市は,学校齢から生ずる収入から鮪 ストリクト゜システムを採用し,かつどの州より轡初
の恒久的制度として州教育長の任命を規定していた」こ目的のためにそれぞれ割当てられた金額より少なくない額
を,毎年,その管内のコモン.スク_ル維持のために,税 と,したがってこの種の教育規定がウィスコンシン州憲
として徴収するもの芝する。 法に継承されていることも付言されよう。
第5節学校基金からの収入をタウンや市に対してそのコモ このウィスコンシン州憲法の教育規定に対して,一年
ン・スクールの財政的保障のために配分する規定が,法律 おくれて1849年に採択されたカリフォルニア州第1憲法
によって制定されなければならない。……(後略)一・ の教育規定は,明確に,ニュー・ヨーク州第3憲法と,
第6節……(前略)・・…合衆国により大学の財政的保障の 北西部領地より誕生したオハイオ,インディアナ,イリ
ため州に交付されたすべての土地から生ずる収益は恒久基 ノイ諸州の憲法を範としたアイオワ州憲法(1846)との
金とし・「大学基金」(Th・U…ersi・y Fund)と称する. 影響諾しくう、ナているとされてい慧』。とも,カリ
同基金から生ずる利子は,州立大学の財政的保障のために フォルニア州第1憲法の教育規定は,下記のように,決
支出されるものとする。州立大学では,宗派的教育は許さ して多いとはいえない。
れない。 33)
謔V節州務長官,州財務長官,州検事総長は,学校及び大 力リフォルニア州第1憲法(1849)
学基金用地の売却と,それによる基金の投資のための管理 第9条 教育
委員会を構成する。……(後略)・・…・ 第1節 州議会は,州民による州教育長の選挙を規定しなけ
第8節 ……(前略)……管理委員会は・土地売却によって ればならない。. (後略)__
得たすべての金額を・他のすぺての学校及び大学基金用地 第2節 (前略)__学校の財政的保障のため,合衆国
とともに・州議会の定める方法により投資するものとする。 によって本州に交付されるすべての士地から、これを売却
’…
i後略)…… または処分して得る収益,・ (中略)__は,恒久基金
このウィスコンシン州憲法は,少なくとも第10条だけ とされる・そして・その利子が・未売却の土地の全地代や
州議会が定める他の手段とあいまって州全域のコモン・スで8節に及ぶかなり長文な教育規定を有している。した
クールの財政的保障のため損ずることなく支出されるものがって,その内容も,全児童に解放される公立無償のコ
とする。
モン・スクールおよび州立大学を基本として構成する公 第3節 州議会は,コモン・スクールの制度を規定しなけれ
教育制度・コモン’スクールおよび州立大学のための基 ばならない。_.(後略)__
金制度・コモン・スクールのための年度教育税制度,各 第4節州議会は合衆国もしくは何人かによって大学の使用
段階の学校教育における政教分離原則,公教育行政のた のため州に従来留保または交付された,ないしは今後留保
めの州教育長職に関して,かなり詳密な規定を含んでい または交付される土地の保護,改善,その他の処分のため
る。しかも・規定の多くの部分は,連邦により交付され の諸方策を講じなければならない。そして,かかる土地の
た国有地や,それにもとつく学校基金・大学基金の管理 地代や売却から・または前記目的のための何らかの財源か
問題に費されていると明らかにいえる。また,ここで目 ら生じる資金は・恒久基金とされ・かつその利子が…(中
新らしく注目されるのは,年度教育税制度や州教育長職 略)’……前期大学の財政的保障のために使用されるもの
への言及もさりながら,特に学校教育における政教分離 とする・…”(後略)”…
に関して,公立学校たるコモン・スクールおよび州立大 ところで,これまで,ジャクソンの時代以後におい
学における宗派的宗教教育の禁止まで規定していること て,しかも公教育制度の樹立を基礎づける意味で,それ
であって,このことは高く評価されてよいと思う。もち それ制定されたものとして,両州憲法の教育規定をみて
うん,既に1802年のオハイオ州憲法や1816年のインディ きた。ウィスコンシン州憲法の場合には,確かに公立無
みられ,また1844年のニュー・ジャー・ジー州第2憲法に する公教育制度,コモン・スクールおよび州立大学のた
おいて宗派学校への公費援助の禁止という形でこれが具 めの基金制度,コモン・スクールのための教育税制度,
体化されていたが,このウィスコンシン州憲法では,さ 各学校段階における政教分離原則,公教育行政のための
し
上 原:アメリカ合衆国州憲法の教育規定の歴史的変遷 69
州教育長職を含む,かなり長文詳密な教育規定がおか 州第10憲法(1921)にいたって頂点に達したといえる。
れ,この点・以後の諸州憲法にほぼ共通にみられる新た たとえば,アブラハムソン編集の上記書物では,それ
な教育規定のありかたが示されていたといえる。これに それにその後小きざみに加えられた修正を含めて,現行
対して,カリフォルニア州第1憲法では・教育規定の数 オクラホマ州憲法の場合は,第11条州有地と学校基金用
も少なく,コモン・スクールや州立大学を含む公教育制 地,第13条教育,第13A条オクラホマ州高等教育制度,
度,これを財政的に裏づけるべき国有地交付に由来する 第13B条オクラホマ諸カレッジ理事会,全部あわせて22
誾熕ァ度,公教育行政のための州教育長職を規定してい 節でほぼ6ぺ_ジ近くにわたってお貌また現行ルイジ
る程度であるが,これは,一つには,憲法制定当時にお アナ州第10憲法の場合にいたっては,第12条公教育,全
ける公教育制度の未発達を反映しているとも解すること 16節で優に12ページを越えているといったぐあいであ
ェできよう。 器
事実,カリフォルニア州の場合,さらに30年後に,し
3 近年における州憲法たがって既に独自の公教育制度の基盤が確立された後
に,全面的に改正されたその第2憲法(1879)において 教育規定の新動向
は,教育規定(同じく第9条)は,ほぼ倍増して9節を (1)州憲法の長文詳密化への反省とその短文簡略
もって構成され,わずかながら前記ウィスコンシン州憲 化への一般的動向
法の場合より長文になっている。また・ここでは,紙面 元来,ジャクソニアン・デモクラシーのもとでの政治
の制約から具体的に個々の節を詳記できないが,その内 改革の一環として始まった州憲法の長文詳密化の傾向
容の点でも,第1憲法で定めていた諸事項のほか,州お は,今世紀に入って,1921年のルイジアナ州第10憲法の
よびカウンティ教育委員会(第9条第7節),カウンテ 制定において一応頂点に達したといえる。実際,こうし
イ教育長(同第3節),無償のコモン’スクール(同第 た長文詳密な州憲法では,むしろ法律をもって規定すべ
5節),私立宗派学校への公費支出禁止とコモン’スク きだと考えられるような多くの規定が含まれていた。ル
一ルでの宗派的教育禁止(同第8節),州立カリフォル イジアナ州第10憲法の教育規定を例にとれば,州教育長
ニア大学の政治的・宗派的影響からの独立と男女共学 の俸給の具体的金額がきめられていたり(第12条第5
(同第9節)といった諸事項のもとに,きわめて詳密に 節),また教育財源やその配分など教育財政関係の仔細
規定している。また,特に長文詳密な節(同第4・6・9 なことでほぼ9ページが費されている(同第14−23節)
゚)腱邦交付の国砒やこれに蛛する輸制度曙 とい。たありさまであ91したが。て,そのような敗
理運用にかかわっていることが指摘されよう。さらに, 詳密化の結果として,一つには,「基本的に重要なこと
この第2憲法は,当然に同州公教育制度の発達普及と関 と,それほど重要でないこととのあいだの相違が,多く
Aしながら,・9・・年にはレランド・スタンフ・一ド短期 の場合ほとんど見失われて、畿」また,_つには,あ
大学(同第10節),カリフォルニア工業学校(同第11節)・ まりにも詳細で特殊な規定をもつ「長文憲法は社会経済
カリフォルニア科学アカデミー(同第12節),1906年に の急激な変化に応ずることができない。ゴ)特に憲法改正
はコッグスウェル・ポリテクニカル・カレッジ(同第13 および修正の手続が困難な州の場合は,一層そのことが
節),1926年には学区(同第14節),1930年にはヘンリ あてはまる。コッキングとギルモアとの研究によれば,
一・E・ハンティントン図書館および美術館(同第15 1930年において,10以上の教育規定をもつ24州憲法のう
節),舗の諸事項についての修正増補をう}ナるにいた ち・・3州の憲法が修正困難であり・したが。て「教育に
っている。なお,試みに・アブラハムソン(S・S・Ab一 ついて詳細な規定が含まれている多数の州では,現在の
rahamso11)編集の『合衆国の憲法一国と州との一』 社会的経済的状況からみて適切でない教育規定がそのま
(Constitutions of the United Sむates, NatiQnal and まあるために,教育の発達が阻害されているかもしれな 42)
S∫ate・2vols・・1962・)では・同州現行第2憲法の教育 い。」とされている。もちろん,このような状況に当面
齪・つ越第、鰺全15節は優に6ページにもおよんで して洛州にお・・てこれまでの長文藷臆法に対する
いるほどである。 批判や反省が次第に強まりつつあった。事実,「ルイジ
このように,1879年制定のカリフォルニア州第2憲法 アナ州憲法を頂点として,その後はジョージア(1945),
において顕著にみられた州憲法の長文詳密化の傾向は, ミズリー(1945),ニュー・ジャージー(1948),アラ
今世紀に入ってから制定されたアラバマ州第6憲法(19 スカ(1958),ハワイ(1959)の各州憲法は,しだいに
01),オクラホマ州憲法(1907),さらにはルイジアナ 簡素化されて来ている。とくに,アラスカ,ハワイ両州
70 茨城大学教育学部紀要 第22号
憲法の簡素化は躇である曹といわれている。 とも,実際には・模範臆法が,その初版(1921)の刊
行以後制定されたジョージア(1945),ミズリー(1945),このような州憲法の短文簡略化を目標とする今世紀第
ニュー・ジャージー(1948)の諸州憲法において,何ら二四半期を通じての運動において,最も中核的な役割を
かの影響を及ぼし,また近年ではアラスカ,ハワイ両州果たしてきたのは,とりわけ,ニュー・ヨークにある,
の憲法において,最大の影響を及ぼしているといわれる地方行政に関心をもつ学者や実務家などでもって組織さ
れている, 「全国都市連盟」(National Municipa1 ものの,確かに下記ハワイ州憲法の場合にみられるよう
に,少なくとも教育規定だけに関していえば,必ずしもLeague)であろう。同連盟には「州政治委員会」(Com一
この種の模範州憲法のものほどに簡略化されてはいなmittee on State Governπ1ent)がおかれ,ここでの
研究討議をもとに, 「模範州憲法」 (Model State い・しかし,それでも・ジャクソン時代以後に制定さ
れた従来の憲法規定,たとえばカリフォルニア州第2憲Constitution)が1921年(初版),1928年,1933年,
法,オクラホマ州憲法,ルイジアナ州第10憲法などの場1946年,1948年,1963年(第6版)に公刊されてきた。し
合に比して,近年制定のものが大幅に簡略化されているかも,これらの模範州憲法が大きな影響力のあったこと
ことは明瞭に認められると思う。は,特に近年制定されたアラスカとハワイとの両州の憲
44) 47)
法において看取できるし,またそこに将来の州憲法への ハワイ州憲法(1959)
動向をうかがうこともできるといわれる。その意味で, 第9条教育
以下,模範州憲法と,近年制定の両州憲法のうちハワイ 第1節公教育州は,宗派的支配から解放された州全域に
州憲法とを参照して,それぞれの教育規定をとりあげて わたる公立学校制度・州立大学・公立図書館と,望ましい
みたい。 と思われるその他の教育機関との設立,財政的保障及び支
配を,物的便宜を含めて,規定しなければならない。(2) 模範州憲法とハワイ州憲法における短文簡略
第2節 教育委員会 教育委員会がおかれなければならない。な教育規定の事例
…… i後略)……
全国都市連盟によって公刊された模範州憲法は,初版 第3節 教育委員会の権限 教育委員会は,法律に合致して,
から最新の第6版までその都度若干の手なおしを経て作 政策を立案し,かつその執行官つまり教育長を通じて公立
成されてきたわけであるが,基本的には法律によること 学校制度に対して支配を行なう権限をもつものとする。_
を適当とする諸事項を除外することを建前として・憲法 …(後略)._.
規定の簡略化を達成しようとしている。この模範州憲法 第4節ハワイ大学 (全略)
の最新版は,前文と全13条とから成るが,非常に短文か 第5節大学理事会,その権限 (会略)
つ簡略で,アラハムソン編集の書物では,全部で16ペー
@ 45)
Wである・しかも,その教育規定は,わずかに次の1節 4 現行各州憲法の教育規定の多様性
だけである。
以上によって,ジャクソン時代以後におけるアメリカ 46)
ヘ範州憲法(第6版,1963) 諸州憲法教育規定の歴史的変遷を,ごく大ざっぱながら
第9条公教育 ほぼ明らかにし得たかと思う。恐らくは,諸州憲法の一
第9.01節無償の公立学校,高等教育の財政的保障州議会 般的動向に沿って,それぞれの教育規定も,これまでの
は・州の全児童に開放された無償の公立学校制度の維持と 制定や改正を通じて長文詳密化から短文簡略化へと現に
財政的保障とを規定し・かつ公立の高等教育機関を含め 向かっているか,さもなければ将来予想される改正を通
て・望ましいその他の公教育機関を設立し財政的に保障す じてそうした方向に進んでいくものとみてよかろう。ま
べきものとする。 た,教育規定の内容の点でも,公教育の目的および制度
この模範州憲法の教育規定は,要するに,短文かつ簡 や教育行政組織や教育財政などに関してごく仔細に規定
略に,教育の機会均等の保障としての無償の公立学校を する方式から公教育の諸般にわたる具体的施行の責任を
中核とした,高等教育段階にも及ぶ公教育制度と,かか 一括して州政府に委任する趣意のごく簡略な規定の方式
る制度の維持のための州側における行政的および財政的 に移ろうとする傾向が明らかに看取できるであろう。
責任とだけを定めているにすぎないといえる。したがっ しかし,いうまでもなく,すべての州憲法がそうした
て,教育行政上,相対的にそれだけ州政府において大幅 傾向に沿って,一様に制定または改正されてきたわけで
な自由裁量が認められ,時代の社会的経済的諸条件の変 はない。実際,一口に現行各州憲法といっても,ニュー・
化に対応することが一層容易となるわけであろう。もっ イングランド諸州のように,基本的には初期憲法のす
上 原9:アメリカ合衆国州憲法の教育規定の歴史的変遷 71
ぐれた比較的短文かつ簡略な教育規定を持続している場 Research・1952・P・1089・
合もあれば,またカリフォルニア,オクラホマ,ルイジ 8) 拙稿前掲論文41ページ。
アナの諸州のように,その後の憲法観の推移のために長 9) W・D・Cocking and C・H・Gilmo「e;0「9anization
文詳密な教育規定をそのまま保持している場合もあり, and Administ「ation of Public Educatio恥19鍬P
14.
ウらに近年の新たな憲法観を反映して,アラスカ,ハワ
イ両州のように,比較的短文簡略な教育規定に復帰のき 10) 拙稿前掲論文40∼41ページ・
11) E.P. Cubberley;Public Education in the Unitedざしをみせているように思える場合もある。いわば現行
States, revised and enlarged ed.,1962, p.177.
B憲法には,歴史的に各様の段階のものが並存している
12) E.P. Cubberley;Readings in Public Educat量onわけである。したがって,このように多様な現行各州憲
in the United States,1934, p.232.
@の教育規定の内容を,今一層明らかにするためとはい
13) S.S. Abrahamson ed.;Constitutions of the
え,比較分析することは決して容易ではなかろう。しか United States, National and State, vol.2,1962,
し,現行各州憲法の教育規定の比較分析は,この研究の Constitution of Massacllusetts, P.3a
いわば本論を占める部分であり,これについては,当然 14) J.Schouユer;Constitutional Studies, State and
次の課題として鋭意とりくんでいくつもりである。 Federal,1897, p.227.
15) 拙著 前掲書 29ページ。
〔注および引用・参考文献〕 16) J.Q. Dealey;Growth of American State Con一
注1 旧13州のうち,ロード・アイランド州が同じように憲 stitutions from 1776 to the End of the year 1914,
法を制定したのは,1843年のことであった。 1915,P.237,
注2 憲法の修正は,基本的には従来の憲法の継続を前提と 17) ibid.;p.238,
している。これに対して、憲法の改正は・従来の憲法の 18) E.RCubberley;PubHc Education in the
廃止,つまり新憲法の制定である・ United State馬revised and enlarged ed.,1962, P
注3 連邦憲法は,ソープの書物では制定当時10ページ程度 422.
で,きわめて短文かつ簡略である。 19) ibid.;p.422,
注4 これらの現行州憲法の教育規定数は・S・S・Abra・ 20) ibid.;P.422.
h・m・…3・;C・n・tiヒ・ti…°f the United State・ 21)S. S. Ab,ah。m、。n。乱;。P。iL, C。n、tit。ti。n。f
N・ti・n・l and・t・tG 1962・&こもとついて列挙した・ M。,y1。n己Pμ57.58.
注5たとえば・WheeH・騒Cha・1・・t°n・M・bile・Ta!la− @ 22)E. R C。bb。,i。y;。μdし, P.433.
hasseeでは・南北戦争以前に・税金でまかなわれる良 23) 田中英夫著 前掲書 436ぺ_ジ
い学校制度が既に樹立されていた。 24) R.L. Vassar e&;Social且istory of American
注6 ウィスコンシン州憲法の訳にあたっては・衆議院法制 Education,1965, voL a p.8.
局・参議院法制局゜国立国会図書館調査立法考査局共訳・ 25) EPCubberley;op ci七,ρ435.
アメリカ州憲法集,第4集,ウィスコンシン州憲法,昭 26) 田中英夫著 前掲書 321−322ページ。
26も参照した。 27) 同上書 322ページ。
注7 最新のカリフォルニア州第2憲法のテキストとして 28) F.N. Thorpe ed.;The Federal and State Co11・
S.S. Abrahamson編集のものを使用したが,その1
@ stitutions, Colonial Charters, and Organic Laws
ページはF.N. Thorpeのものと同様で,平均53行程 of the States, Territories and Colonies Now and
度である。 Heretofore Forming the United States of Ame一
1) 拙稿 アメリカ合衆国初期州憲法の教育規定 茨城大 rica,1909・PP・4078−4079.
学教育学部紀要 第21号 昭4639−48ページ。 29) ibid.;PP.4090−4091.
2) 拙著 アメリカ教育行政の研究一その中央集権化の 30) 拙稿 前掲論文 44ページ。
傾向一 東海大学出版会 昭46 18ページ。 31) E.P. Cubberley;op. cit., PP.109−110.
3) 田中英夫著 アメリカ法の歴史 上 東京大学出版会 32) C.J, Falk;The Development and Organization
昭43 308ページ。 of Education in California,1968, P.18.
4) 同上書 314ページ。 33) F.N. Thorpe ed.;P.402,
5) 同上書 319ページ。 34) ibid,;PP.431−432.
6) 同上書 320∼321ページ。 35) S.S. Abrahamson ed.;oP. cit., Constitution
7)W.S. Monroe ed.;Encyclopedia of Educational of California, pp.53−58.
72 茨城大学教育学部紀要 第22号
36) ibid.;PP.53−58・ ユー・ヨーク州憲法 昭26 9ページ。
37) S.S. Abrahamson ed.;op. cit., Constitution of 42) W. D. Cocking and C. H. Gilmore.;op, cit., p.15.
Oklahoma, PP・67−69, PP.70−74・ 43) 小倉庫次著 前掲書 254ページ。
38) S.S・Abrahamson ed.;oP. cit., Constitution of 44) 同上書 226ページ。
工ouisiana, pp.189−201, 45) S. S. Abrahamson ed.;op. cit,, Model State
39) ibid・;PP.192−201. Constitution, PP.1−20.
40) 小倉庫次著 アメリカ合衆国州憲法の研究 有斐閣 46) ibid.;P.17.
昭36 10ページ。 47) S.S. Abrahamson ed.;oP. cit., Constitution
41) 衆議院法制局他共訳 アメリカ州憲法集 第1集 二 〇fHawaii, p.17.
Historical Trends in the Educational Provisions of American State Constitutions
Sadao Uehara
Abstract
The state constitutiollal provisions relating to education vary greatly from state to state
at the present time. A study of these state constitutional provisions is essential to an adequate
understanding of American decentralized educational organization and administration.
Iwill try a historical analysis on the educational provisions of state constitutions. Formerly,
as its first step, I dealt with such provisions of the early state constitutions in the other
thesis. Now, continually as its second step, I will refer to the historical trends in such
provisions of state constitutions from the Age of Jackson to the present age.
The main contents are as follows;
1. Adoptions, amendments, and revisions of state constitutions.
2・ Trends in the educational provisions of state constitutions since the Age of Jackson.
3. New trends in the educational provisions of state constitutions in the present age.
4.Multiformity in the educational provisions of the present state constitutions.
Fly UP