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Master's Thesis / 修士論文 教科書は誰の為であるのか? : 教科書にひ そむもの 李, 雅戈 三重大学, 2007. 三重大学大学院教育学研究科博士前期課程教科教育専攻 http://hdl.handle.net/10076/8959 教科書ぼ誰の であるのか嘗 -教科書にひそむもの 平成且8年庶 ・・:チ:' .1・,:・・.阜 _/i: 教科書は誰の為 であるのか? 一教科書にひそむもの 教科教育専攻美術教育専修絵画研究室 204MO38 李 2007年2月27日 雅jt 教科書は誰の為 であるのか? 一教科書にひそむもの 目次 Eまじめに 学習の背景と本質 第一章 教育、義務教育とは何か? -P7 1、教育を受ける権利の起源 学習 2、教育 学ぶ権利 -P16 教わる義務 -p22 一中国大学で提案された、必須授業 第二章 教科書は誰のため編集されるのか? 1 、ミスに見る教科書政策組織構造のひずみ -P28 -P28 2、中国における美術教育・芸術教育に対する国策的背景 との茅篇 -p35 3、教科書とは?教育とは?本事件を事例に諒もて ふ か え 振り返る。 -p37 4、教科書作成に求められるのは主権在民の志向 第三章 -p39 世界各国の教科書制度がもたらす、中国教科書制度-の 巻芽 -P43 1、中国の教科書制度の現状 ∵it -P43 2、各国の教科書制度 -P45 3、供給制度について -P47 4、中国の教科書制度について -P49 5、中国における教科書制度の遍赫痛鼓葦東(提案) --一組織とフロー概略 -P50 6、地域性にかかわる部分と、全国標準部分の分割と、 それぞれの編集方法 第四華 -P52 中国南方、北方、日本の教科書の比較 -P53 1、教科書の概要(後書)による南北の比較 -p64 2、参考:中国史における南北の関係とそれぞれの特徴 的性質 -p69 3、参考:平成17年度版「図画工作」観点別・編集の 特色 -P70 4、教科書が存在する意義 -P82 5、教科書は誰のためにあるのか -P87 まとめ -P91 参考文献 -2・ はじめに しゆかんてきげんじつ きゃくかんか しゆかんか がいぶてきけいけん 芸術は主観的現実を客観化し、自然界の外部的経験を主観化する。芸術教育は かんじょうき上ういく ばくぜん じょうちょ お ぽれて 感情の教育であり、感情教育を無視する社会は、漠然とした情緒に溺れてしまう。 もIま う しかくじ上うほう ゆ れ 精神性や人間性を表面的に模倣し、視覚情報を感情の揺れのダイナミズムに ま か せ り た かんさつり上く ぎ びょうがせいさく こ う ぎじゆっ たくえつ ひょうそう かざる 任せたり、観察力をともなわず、描画制作の技巧、技術の卓越だけで表層を飾るよ げいじゆつ うな「まずい芸術」 ほんらい げいじゆつ ていぎ (本来の芸術の定義に、まずい芸術などという言葉を使うこ の はんせい けっかてき こ とは不適当だろう。時代を乗り越え結果的に"まずい"という反省ができても、 たいしゆうてききょうかん ねっき上う せんどう ま よ つく その時点、時点での大衆的共感や熱狂に先導され、迷いの中で作られたものであ せいしん にんげん せかい みいだ いちぶ げいじゆつ ったとしても、それも人間の精神の一部により見出された世界であるから、芸術 なのかもしれない。)は遺構を壷速させる.これは表装箸や琵L#芸議蒙が利 ひ ご う り おお しゆぎ よういん 非合理主義にみられる大きな要因である。 おも おも ちせい しん きち上う 美は人間にとって思えば思うほど、貴重な価値ではなかろうか、実は人間の知性 り もと ねん がくもん しんおう しゆうきょう えん の求めてやまぬ理念ではあるが、その深奥は、学問や宗教に縁のない人にはわか うえ しんじつ し ほど こわ ざんこく らないし、その上、真実は知りたくない程、怖く残酷な場合もある。 ぜん どうよう たいせつ い し 善は同様に大切ではあっても、意志のさほどに強くないわれわれにとっては しゆうれん きかいてきごうりせい つねにじつげん り かんりたいせい こ 常に実現できるものでない。機械的合理性によって修練された管理体制や、利己 しゆぎ こ じん しゆぎ 主義や、個人主義、 ・aTA<の義苫前位違っけ,を資本の本質に壷み込んでなさ じ きょうそうしゃかい たしや こ と うか きょうかん そんざい ぜん れる競争社会においては、自己と他者を等価においた、共感の中に存在する善の こ う い そんざい こんなん ひと 行為の存在は困難に等しい。 なにげ す にちじ上う かんどう これに対して美は、何気なく過ごす日常の中で、どんな人にもそれなりの感動と ひと にちじょう して、いたるところで出会うことができる。人に日常があり、精神と、外部を捉え ・3- がいぶ とら さまざま かぎ きかん あた きかい る、様々な器官が存在する限り、その機会はあふれるほど存在する。たとえ与え ちかくきかん ちかくきかん のこる うしな られるはずの知覚器官が、いくつか失われたとしても、残る知覚器官が世界を かんどうどう せいしん ひろげ きかい もと つづ 広げ、精神は美に出会い感動する機会を求め続けるo あた せいしん せいしんせかい きのう 私たちに与えられた身体の機能によって、精神世界はかたちづくられ、精神は がいぶ しんたい ぴ つづ う だ いつも身体によって外部とつながり続ける。そのつながりこそが美を生み出すの じっかん そんぎい う かんどう であって、存在の実感としての感動が生まれる。 きほんてきたちば げいじゆつ ひ上うげんり上く 私はこうした基本的立場にたって、芸術教育としての美術教育、また、表現力 いくせい 育成のための教育について、そこに必要とされる教科書のあるべき姿について考 えてゆきたい。 学習の背景と本質 あた せいしんせかい きのう しんたい かたちづく 「私たちたちに与えられた身体の機能によって、精神世界は形作られ、 私は、 せいしん がいぶ しんたい び つづ 精神はいつも身体によって外部とつながり続ける。そのつながりこそが美を う み だ す そんざい じっかん かんどう う にちじょう 「人に日常があり、 生み出すのであって、存在の実感としての感動が生まれるoJ せいしん がいぶ とら さまざま きかん そんざい かぎり そんざい きかい 精神と、外部を捉える様々な器官が存在する限り、その機会はあふれるほど存在 ちかくきかん あた ち のこ うしな する。たとえ与えられるはずの知覚器官が、いくつか失われたとしても、残る知 かく きかん ひろ せいしん きかい かんどう もと か つづ 覚器官が世界を広げ、精神は美に出会い感動する機会を求め続ける。」と書いた。 せい こんげんてき じっかん そんざい 根源的に言うならば、生を実感し存在すること、これが生きることそのもので しんたい がいぶ しんたい がいぶせかい うちがわ ある。私たちはこの身体が外部をその身体の内側に「外部世界」としてつくりあ かんじゆ く はんのう かえ せいめいきかい つづ げ、感受し、反応することを繰り返し続ける。いわば生命機械として生まれたと じかくてきし いしき いてきこうい く こうどういぜん かえ つづ きから、意識による自覚的思惟的行為・行動以前に、それを繰り返し続けている。 れんさ ふくざっ こうぞう じ かくりつ こ いしき そしてその連鎖(認知理解)が複雑になった構造に自己の存在が確立し、意識が れんさ こうぞう はんのう ふくざっ こんなん 生まれる。その連鎖の構造が複雑であればあるほど、反応は困難となる。その困難 ・4- こんなん こ う い こうどう いしき こそが、行為、行動の意識なのではないだろうか。 もっと せいめい こんげんてき けんり しんたい いのち 生きるという最も根源的な、生命についての権利は、私たちの身体が命を持っ がいぶ て外部とつながることにある。 しんたい がいぶ い けいぞく かぎり 私たちは、身体と外部とのつながりにおいて、生きることを継続する限り、意識 せかい ひろげ こ しんか せいしんてきIまついく がくしゆう つづ いしき Iまんしつ 世界を広げ、個としての進化・精神的発育を続けることになる。学習の本質はこ せいしん そんざい こにあり、精神の存在もここにあると考える。 がいぶ それでは外部とは何か? がいぶ しんたい いちこたい どうよう こたい 一個体の身体と外部のかかわりについて書いてきたが、私たちは同様の個体しんたい がいぶ たしや しる かた 身体をともなう他者を外部に存在させている。存在させているという記し方が てきとう じゆうぶんりかい がいぶ たしゃ こたい 適当でないことは充分理解できる。他者・外部の存在は、いずれの個体が設定で こたい そんざい せってい がいぶ そんざい がいぶ にんち きるものでもなく、個体の力によるものではなく存在する。しかしその外部の存在 かくにん まか こたい たと を確認するすべは、その個体に任されているわけであるから、例えば、外部を認知 ていし きゃくかんてき こたい がいぶせかい することを停止させてしまった個体には、客観的に外部世界は存在しようが、そ せかい こたい ひろ く がいぶ たしゃ にんち の個体には存在しない世界が繰り広げられる。外部・他者の存在についての認知は、 こたい まか そんざい その個体に任されている。存在させているというのはそれをさす。 こたい た こたい ふくめがいぶ それぞれの個体が身体をともなって、他の個体を含め外部を、呂Liの謁鼠 せかい いしきせかい く た さぎ上う じょうき か 世界としてつくり、意識世界を組み立てていく。その作業(上記に書いた個体の しんか せいしんてきはついく おとな こども どうよう く 進化・精神的発育)は大人であろうが、子供であろうが同様に繰り返されている こ たい かえ のである。 く かえ さぎょう がいぷ はんのう ひ上うしゆつ こたい かんじゆ がいぶ -んか いちぶ その繰り返し作業、反応は外部-と表出され、ほかの個体は、それを感受し外部 と はんのう こたい はんのう がいぶ 世界として取り込み、また反応する。そしてその、個体の反応が外部の変化の一部 た こたい はんのう しゃかい つく し く ちょうき として、他の個体の次の反応を作りだす。社会は、その仕組みが長期にわたって 続いたものだと考える。 しゃかい こたい かぎ っづ せいしんてきはったっ 社会そのものも、個体それぞれが生きている限り続ける精神的発達の「集合的 -5・ しゆうごうてき とうえい 投影」によってかたちづくられているものである。 きかいてきはんのう こたい ふくざっこ う どか ひ上うしゆつ しゆうたい 社会は、個体の機械的反応が複雑高度化し表出される反応の集体であり、たゆ く へんよう こたい かんじゆ まず変容が繰りかえされる。それぞれの個体の感受 も じたい おお はんのう ひょうしゆつ 反応 表出によって、大き せいめい へんか なうねりを持って、それ自体が生命を捲ろ窟柾のように変化するのである く かえ モルフォゼを繰り返すのである。 しやかい こたい せいりつ しゅうごうたい 社会が、個体の集合体として成立するとき、社会そのものの大きなうねり(変 こたい がいぶ たい な た こたいないぶ 化・メタモルフォゼ)は、個体に対して大きな外部の成り立ちとして、個体内部に つくる こたい しやかい さんか こたい けいせい さ ゆう 世界を作る。個体はそれによって個体そのものの形成が左右されるようになる。 ひと にんげん しやかい せいかつ じょうき く 人が社会に参加する、人間として社会で生活をするということは、上記の繰り返 つづくなか ふくざっ きょうこ けいせい せいめいうんどう いちぶ しが続く中で、複雑にそして強固に形成された生命運動の一部と考えてよいので はないだろうか。 げんだい じどう お ないぶ せいしんてきはったっ したがって現代においても、児童そのものの内部で起こる精神的発達と、大人 こたい せいしんてきはったっ こおう も子供も変わりなくすべての固体の中の精神的発達、そしてそれに呼応し、なに すがた しゃかい み もと にんげん せいいく かさ あ かしらの姿を見せる社会が求める「人間としての生育」は、重ね合わさりながら、 がいぶ ないぶ けっ どういつ はんしってき 外部と内部のそれぞれの変化として、決して同一のものとはならない。本質的部 こば こおう しつづ も さく 分において変化を拒みながら、社会の変化に呼応しながら、模索し続ける形とな る。 こたいないぷ せいめいきかいてき な た ほんしつ 学習が身体を持つ個体内部での、生命機械的成り立ちの中にその本質があると きょういく せいめいきかいてき な た こたい しゆうごうたい つく だ すれば、教育は生命機械的成り立ちの個体の集合体が作り出す、学習の本質を はいけい しぜんはっせいてきごう り がくしゆう けいせい 背景とした自然発生的合理によって形成されるものだと考えてよいように思う。 ・6- ほんしつ かえ 第一章 教育、義務教育とは何か? 量産義持を畠駕、壷援の嘉島とする留諒の;B(<の歯音は、符鼓の義錨にお し がっこうきょういく よ と う し き上うかし上 ょ かか さまざま かんし上う おこな 学校教育で使用する図書、教科書について様々な関わり・干渉を行うo くに おおく さい 多くの国においては、 じ く こ ねんかん ぎ もと むきょういくきかん きょういくないよう 7歳からの9年間の義務教育期間に求められる教育内容 さいていげん こくみん よろこ い にんげん かくとく は、自国において国民として最低限の人間として生きる喜びを獲得するための けん がくしゆう り けんり おこな じゆうそく 権利としての学習する権利にたいして、それを充足すべく行われるものであるこ とが基本である。 い こくみん ぜんてい ぎ こうりつ む したがって、その国の国民として生きることを前提としているため、公立の義務 きょういくきかん し上う こうりつ ちゆうがっこう しゆぎ こつか う しそ 教育機関すなわち、公立の小・中学校においては、その国家の主義や思想そして も と こつか こくさいしやかい い ち ほうこうせい はんえい こくさいてき し や 国際社会における国家が求める位置づlナ(方向性)が反映される.国際的視野に た しょうらいた て っ こ せいかつ く ぜんてい きぼう いじゆう た こ く 立って、将来他国での生活を前提としているからといって、移住を希望する他国の し しゆぎ そ う はいけい じゆぎょう で もと き 主義思想を背景にした授業を求めることは出来ない。 きぽう ぎょうせい きょか かいこう え しり ざいにち つ そのような希望のあるものは、行政における開校の許可を得た私立や在日の人 かよ がっこう つく たちが作った学校-通うことになる。 さいていげん しゃかい しあわせ けん かくとく り そもそも、社会において最低限の幸せを獲得する権利とはなんであるのか? こつか こくせい む し くに い まったく、国家・国政を無視してその国で生きていくことが出来るのだろうか? しやかい こつ か かんけい 社会と国家の関係とはいかなるものであるのだろうか? き上うけんてきどくさいてきこくせい にほん こくみん つね かんし みんしゆこつか 日本においては、強権的独裁的国政は、国民によって常に監視される民主国家で ある。 はんしゃかいてき かぎ こくみん しそ う げんろん じ ゆう そして、反社会的でない限りにおいて、国民の思想・言論の自由が法律上守ら れている。 -7- ほうりつじょうまも ひと こくせい きょじゅう にっぼんこくりょうどない こくみん しゃかい そしき つく こつか はんえい 国政は、日本国領土内に居住する国民の作る組織-社会を反映し、国家という そしき かんりうんえい 組織を管理運営することになる。 こくせい じゆうみん こくない さまざま つく しゃかい はんえい あくまで、国政は国内の住民により作られる様々な社会を反映するものであっ こ か つ しやかい て、国家-社会ではない。 さ い にんしき ちが けんざいか き上うかしょけんてい さい れきしにんしき その差異による認識の違いが顕在化するのが、教科書検定の際の歴史認識では ないだろうか。 げんろん はいご しゆぎ しそう げんぜん れきしにんしき たちば 言論とは、その背後に主義思想をもって現前する。それぞれの歴史認識の立場か れきしてきじじっ たい かいしやく たよ う ら、歴史的事実に対する解釈が多様に出てくることは当然のことである。 じ げんろん ゆ う けんり ほうりつじょうほしゆ はんしゃかいてき おなじしやかい さんか したがって言論の自由が権利として法律上保守され、反社会的(同じ社会に参加 ふ なんにん り しゃかい え き ひ なか り と じしん にんげん する何人もが不利益をこうむること)でもなく社会の中で一人の人間として自身 い し しやかい い かか にんげん さいていげん こうふく かくとく の意思で社会と関わり生きていくことを、人間としての最低限の幸福を獲得する り けん かんが い まな み もんだい ための権利と考えれば、その意味においてはどのように学ぼうが問題はないとい うことになる。 き上ういく う けん り ほし上う う けんり 教育を受ける権利が保障されているとすれば、それは受ける権利であるから、 い みずか う し たちば じゆどうてき のうどうてき かんが へんかん 自らの意思において、受けるという・受動的な立場を能動的立場に変換すると考え よ い ても良いだろう。 じしん で せんたく き る 嶺姦の義持遠謀が鳥篭されれば、自身でそのいずれかを選択する事が出 ずである。 しょうがく しかし、 かくとく ちゅうがくじ ど う ねんれい こ はったつだんかい う ど ち しき きょうよう ′ト学、中学児童の年齢における発達段階において、高度な知識、教養を とくいてきじ ど う のぞ よ う せんたく い のうりょく 獲得した特異的児童を除いては、用意された教育を選択する能力はそれ程無い。 きょういく う じしん じぜん り かい もし、教育を受けることによって、自身にもたらされるものが事前に理解でき じてん み ち しき し こ うのうり上く るとすれば、その時点でその教育によって身につけるであろう知識や思考能力を じゆうぶん み ちか そうごうてき 十分に身につけているか、もしくはそれに近いレベルにあるか、総合的に判断す ー8・ はんだん そな のうりょく だんかい る能力を備えた段階にあるかのいずれかにあるといえる。 しやかい じ いちいん けんり こ ぎ む しやかい りかい じしん たい 社会の一員として、自己の権利と義務を理解し、社会の中における自身に対する ぎ そうごうてきはんだんりょく むきょういく もくてき しやかいさんか こじん さいていげん きょういく 総合的判断力こそが義務教育の目的とする個人が社会参加できる最低限の教育で じどう かんが ぜんてい のうりょく あると考えると、児童にその能力がないことを前提としていることになる。 にんげん よ たんじょう せい そんげん い じてん う あた 人間は誕生し、この世に生を受けた時点から、人間として生きる尊厳が与えら り けん い ほし上う れ、生きる権利が保障されている。 う じどう けんり けん い ほし上う 児童に教育を受ける権利が保障されているということと、人間として生きる権 ほし上う り わたしたち ふた しゃかい げんろん ほ じゆう ご 利が保障されているこの二つのことから、私達の社会が言論の自由によって保護 しゆぎしそう い じどう し む し がくしゆう きょうよラ される主義思想の社会であっても、児童の意思を無視して、その学習を強要する ことは出来ない。 だれ しゆぎしそう ゆうこう かんがえて じどう ほんしってき しゆたい しんがい 誰にも、その主義思想が有効であると考えても、本質的には児童の主体が侵害さ かたち きょう で ほどこ き れるような形で教育を施すことは出来ないのである。 きょういく う けんり も つ じしん じどう もっと かんが ゆうこう では、教育を受ける権利を持つ児童が、自身に最も有効と考えられるものを、 せんたく じしん う のうりょく けんり もっともゆうこう こうし 自身で選択する能力がないときに、その教育を受ける権利を行使し最も有効と じ がくしゆう おも こ で こうちく き る 思われる学習によって、自己を構築していくことがどのようにしたら出来るのだ ろうか? じどう ぜんてい しゆたい しやかい きょういく いちいん 児童を主体とすることを前提とした教育をうけ、そして社会の一員となった者 しゆたい じだい こども せいしつ も きょういく が、次代の主体である子供に同様の性質を持つ教育をほどこすことによって、子 こう-い じんけん さんか かくとく 供が公平な人権を獲得し、一人の人間として社会に参加できるのではないかとい いっばん おや しこうほうほう う考え方である。一般の社会人であれ、親であれ、国であれ、この思考方法の構図 か は変わらない。 かんが かた ふへんせい あや じょうけん く わえた この考え方に危うさがあるとすれば、それは普遍性という条件を加えたときで ・9- こうず ある。 みんしゅしゆぎ すうり上う ふ-んせい みんしゆ かんねん 民主主義においては数量によって普遍性を理解する。そして民主という観念に きょうどうげんそうてき ふ-ん ち い げんじつ かいけつ で し きけんせい おいて、共同幻想的に普遍を位置づけてしまう。私たちは現実と、その危険性を知 き りつつそれを解決することはいまだ出来ない。 もと こども もと こども がくしゆう もと こども きょういく 子供が求める教育、すなわち子供が求める学習は、子供が求めるであろう教育そ こども ひつよう きょういく -んぼう して子供にとって必要とされるであろう教育-と変貌する。 ときおり きょういくかんけいしゃ ろんぶん 時折、教育関係者の論文において、 きじゆつ 『毒指(箪iL#)』というような教育と学習を う み じどう せいしんてきはったっだんかい ぜんだん じとう 義とする記述が見受けられる。これは児童の精神的発達段階を前段として、児童が じしん せんたく のうり上く き圧んじょうけん せいしんてき 自身で選択する能力を持たないということ基本条件としている。これは精神的 はったっだんかい よういん しどうしゃしゅたい はつげん けんり 発達段階を主たる要因とした指導者主体の考え方の発言ではないだろうか。権利 ぎ む にんげん と義務という しゆたい あた 圧んにん じんけん みと かたち じどう 一人の人間に与えられるべき人権をその本人に認める形で、児童 ばあい きょういく がくしゅう みぎて ひだりて を主体とした場合においては、教育と学習は右手と左手のように「あわせの かんけい けっ かんが してどうい ただしい 関係」にあって、決して同意ではないと考えることが正しいと私は考える。 じしん じどう のうり上く じしん も し い かんが わたし せんたく で たとえ、児童が自身の能力を持って自身の意思で選択することが出来ない状況 じどう かわ じどう もっと せいとう がくしゆうないよう せんたく にあって、児童に代わって児童に最も正当と考えられる学習内容を、選択しなけ げんじつ がくしゆう どうい へいれつ き つか ればいけない現実にあっても、教育と学習を同意・並列に使ってはいけないと考 える。 げんじつ こども しゆたい じどう き上ういくないよう けってい 現実においては子供が主体であっても、児童の教育内容は社会が決定せざるお えない。 じ せだい ちゅうしんてきい ち かなら にな じどう もと 次世代の社会の中心的位置を必ず担う児童が求めるであろう、また必要とする ないよう なに せい ひつよう こた であろう内容の選択について、何を正とするか?その答えは教科科目によっては ぜったい 絶対ではありえない。 なに こんきょ せい ぜったいてき こた みいだ 何を根拠に正とするか、われわれすべてのものが絶対的な答えを見出すことは ・10・ じょうきょう そしきしやかい はんえい い み しる ぜんだん しやかい はんえい ない。組織社会を反映するという意味で、前段で記したように、社会を反映しそ かんり うんえい まか もと こくせい るきょういくないよう けってい げんじょう の管理・運営が任された国政に求められる教育内容を決定するというのが、現状に みんしゆしゆぎ ふ-んせい りかい た ほうほう おける民主主義における普遍性の理解に立った方法となっている。 すうり上う げんり こんぽん せんたく そしき きのうてき はんえい これは数量の原理が根本となった選択であって、それは組織を機能的に反映し す た方法に過ぎない。 こくせい かず ろんり せいけん かくとく せいとう しゆけん なぜならば、国政は数の論理によって政権を獲得した政党が主権を握る、その かくにん にぎる せいけんたんじょう 昔貰の崩や筈諒をすべて確認したうえでの政権誕生はありえないからであ い み こつか しゃかいてき-んか し い こくみん はんえい こくせい その意味において、国家がすべての社会的変化、国民の意思を反映し、国政が し い ひと しゆうやく じ上うきょう その意思を一つとして集約できる状況は決して存在しないのである。 れきしきょうかしょ けんていもんだい おお うつ だ 歴史教科書の検定問題は、そのずれを大きく映し出すものであり、教育が誰に だれ ひつよう うつ だ きょういく だれ きかい よって誰のために必要とされているかが、映し出される機会でもあったのではな わたし おも いか、私はそう思うのである。 きょういく だれ しゆたい じどう む し上うらい 圧んらいひつ 教育が誰のためにあるのか?主体となる児童にとって、将来に向かって本来必 よう ないよう きょういく はんえい 要となるであろう内容が教育に反映されているか?この二つの事項は決して、い じだい そんぎい つの時代にも対で存在する。 きょういく こうぞう かか じゆう しそうひょうげん けってん う じどう 教育の構造が抱える欠点を埋めることができなければ、たとえ児童を主体とし げんろん じゆう けんり しゆたい おこな けっきょく て言論の自由や思想表現の自由などの権利の保守をどのように行おうが、結局は こつか こくせい てきしてん きょういく そしきてき わくぐ 国家、国政におけるマクロ的視点での教育という組織的な枠組みのなかでは、決 して普遍の本質にはとどかない。 きょういく こくせい かか こくさいてきしてん ふ-んてきないよう だからといって教育が国政と関わらず、国際的視点で普遍的内容を展開するこ かのう ただ げんじつ とが、可能であるか、正しいかといえば、それも現実には回答できない。 しやかい いん けんり ぎ む ほ じ じっこう で き にんげん なぜならば、社会の一員としての権利と義務を保持実行出来る人間としての成 きたい きぞく うんえい 長を教育に期待するとき、社会そのものが、国家に帰属し、運営されているから r i]iE てんかい である。 きょういく にんげん きほんてき と こた にんげん にんげん 教育は、人間とはなんであるのかその基本的問いに答えるべく、人間が人間に求 ちゅうしょうてきりねん じっ げんじつ もと し めるものであり抽象的理念でもあるが、現実に実施されるにあたっては、きわめ げんじってき りきがくてきこうぞう いぞん て現実的な力学的構造に依存した事柄なのである。 き上ういく う けんり しゃかい あたい いとな ひつよう 教育を受ける権利とは、人が人として社会で人に値する生活を営むために必要 じょうしき きょうよう かくとく けんり な常識や教養を獲得する権利である。 ぎ むきょういく い しやかい うきょういく しゃかい いちいん ひと かつ いとなむ きょうようじょうしき ひつよう さ れんさ いちれん しやかい かいしやく 活を営むに必要な教養常識をおおむね指す。一連の連鎖による解釈は、また社会と しゅうごうたい くに しゆうごうたい りかい かさ せい あたい 義務教育で言う教育内容は、社会の一員としてその社会において人に値する生 しやかい こつか いう集合体を国という集合体と重ねて理解させる。したがって、社会を国家とい しゆうごうたい お い か こつか いちいん う集合体に置き換えて言うと、義鹿妻指は、国家の一員として「その国にお せいかつ あたい いとな ひつよう じょうしき きょうよう しゆうごうたい そしき 人に値する生活を営むに必要な常識や教養を指すことにもなる。集合体(組織) せいしつ ようじんぶか かんが にんげん というものの性質について用心深く考えるものにとっては、ここにそもそも人間 あた じんけん おぴやかすかのうせい ひそ りかい に与えられるべき人権を脅かす可能性が潜んでいることを理解するだろう。 じんけん ぜったいてき げんり 嘉島義指が、人権として絶対的な原理において人そのものに与えられた ぞ く す あた そ るしゆうごうたい けんり う ごかんけい さんか あるのか、社会とその個人が属する集合体との相互関係において、そこに参加す ひつよう せいりつ そうたいてきげんり けんり るに必要な相対的原理において成立する権利であるのか、そのいずれであるのか めいかく てい じ 明確な提示はされていない。 きょうかしょもんだい きょういくかいかく もんだい しゆうごうたい そしき 教科書問題、教育改革、いじめなどの問題は、すべて社会-集合体(組織)に かんけいせい たいするたいおう そうたいてき げんり みちぴ だ りんしょうてき ぐたい おける、関係性に対する対応、相対的な原理によって導き出す臨床的で具体的 ぜったいてきけんり い な対応である。したがって、そもそも本人が絶対的権利としての生きる権利・人と ほしゆ かさ あ かなら さ い して保守される権利と重ね合わせても、必ず差異が生まれることになる。 ・12・ けん り ひと こくみん ほうりつ さだ のうりょく おう きょういく 『すべて国民は,法律の定めるところにより,その能力に応じて,ひとしく教育 う け る けん り ゆう を受ける権利を有する。 ほうりつ こくみん ほ さだめる ご しじ上 ふつうきょういく う すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受 ぎ む お う ぎ むきょういく けさせる義務を負う。義務教育は,これを&L慮とする.』 いがく せいりがくてき み い 義務教育は「生きる」という意味を、医学・生理学的意味における生命に対す い ち かいしゃく せいしんせいてつがくてきい み い かいしゃく る位置づけから解釈するか、精神性哲学的意味生きるという意味を解釈するか、 そのいずれに、位置をおいているのだろう? き上ういく かた い ことば そんげんし もんだい ほんしってき 私は現代の教育が語る『生きる』という言葉は、尊厳死の問題と本質的には同じ ち-い もんだい かか 地平の上で、同じ問題を抱えていると考えている。 しやかい しゆうごうたい しゆうごうたい ほんしってきカSb、ねん ようそ しゆうごう かんけい い 社会-集合体、集合体の本質的概念においての要素と集合の関係から言えば、 ぜったいてき ひと そんざい しゃかい けんり そうたいてき 絶対的な人として存在することの権利が、社会との相対的なかかわりにおいて ゆ しゃかい しゅうごう ようそ も とき せいりつ ぜったいてきじょうけん 揺らぐものではなく、社会-集合がそれを要素に持つ時の絶対的条件として成立 しゃかい しゆうごうたい どう じ ようそ じょうけん する。しかし、社会が集合体であると同時にその要素に与えられた条件が一律で しゅうごうたい じんかく に いちりつ そしきこうせい なく、そしてまた集合体が一つの人格に似た組織構成なすとき、その要素があら か ち こうぞう ぜったいせい いっしゆん そうしつ かじめ持っていた要件に対する価値構造は、絶対性を一瞬にして喪失するのであ る. ヒト 人⇔人間 ー 人間 集合 一 意識的組織構成(社会の誕生) 生きている(生命) 生きる`こと(方法)'の保守 「生きる」意味の付加 無自覚 生命の保守 組織の保守-生きる`こと(命題)' 種の保存 の保守 ・13- せいぷつがくてき しゆうごうたい っくる たん せいめいきおくてきこうい いでんし 生物学的にヒトが集合体を作ることが、単なる遺伝子、生命記憶的行為なのか、 なか しんか がくしゆう かくとく しいてきこうい ほにゆうるい 進化の中で学習し獲得した窓意的行為なのかと考えれば、ヒトが晴乳類、胎児 たいじ しゆつさん 出産を行うということから、ヒトは常に母と子(単体数2)、もしくは父母と子(単 もっともちいさなしゆうごうそしき せいめい たんじょう 体数3)という、最も小さな集合組織で、生命の誕生をむかえるわけであるから、 しゆうごう いでんし はは せいめいきおく こ 集合体をつくることは遺伝子、生命記憶的プログラムであり、母と子という最も小 もっとも さな単位での社会が組みこまれていると考えてよいだろう。 はは こ せいめい まも はっ なら 子は母のそばで、生命を守るために母から発せられる信号を「習い」の行動の かくとく 中で身につけ、コミュニケーションを獲得する。そのコミュニケーションによっ がくしゆう こうぞうてき せいりつ て学習が、構造的に成立する。 ひ と たんじ上うじてん ぽにゆう せいいくきかん じ上うけん あた しんたい ヒトは誕生時点で母乳のみの成育期間が条件として与えられた、脳と身体の関 みかんせい じょうたい たんじょう 係が未完成の状態で生まれてくる。誕生した時点から、母と子という最も小さな ははおや せいめい いぞん ほいく 社会の中で、大きく母親に依存しながら生命の保育を行わなければならない。そ もっと ちい そしき さんか せいめい ほいく の最も小さい社会という組織に参加することによって生命を保育し、成長過程を はは せいち上う あいだ せいちょうかてい おこな しんたいてき 過ごす。成長は、その母との間に行われるコミュニケーションによって、身体的 せいち上う のう せいち上う そうごうてき せいしんてきせいちょう かくとく 成長、脳の成長は、総合的な精神的成長となって獲得される。ヒトは、母と子の かてい せいりつ がくしゆう 関係という最も小さな社会の中で生きる過程において、学習という成立を気づか かくとく がくしゆう かくとく ほにゆうるい せいめい ぬうちに獲得する。また学習の獲得は、晴乳類であるヒトに組み込まれた生命 きおくてき いでんしてき のう こうぞう き やくそく 記憶的、遺伝子的に与えられた脳の構造にも約束されたものであると考えてよい だろう。 せいぶつがくてき しやかい せいめい たしゃ ほしゅ い じ せいぶつ ヒトは、生物学的に社会、他者とのかかわりの中で生命を保守維持する生物で ほしゆ せいちょう かてい あり、その保守、成長の過程において、コミュニケーションによってまず乳を獲得 さら のう こうぞう もと し、成長にしたがって更なるコミュニケーション能力を脳の構造に基づいて構築 ・14・ かくとく こうちく せいめいほしゆ しやかい さんか し、学習という新たな生命保守一社会-の議書→更なる大きな社会組織-の い し かくとく 意思を獲得する。 にんげん 「ヒト」から「人」、 その過程そのものが、 へんか 「人」から「人間」 -の変化でもある のである。 しゃかい さんか こんげんてき したがって、社会に参加することによって、もっとも根源的な人権である生き あた ることについての意味が与えられるということではない。 がくしゆう い のうりょく 学習も、生きるということもそもそも「ヒト」に、もとよりある能力、欲求で しやかい さんか よっきゆう ほにゆうるい あって、そして社会に参加するということも、同じくヒトが噛乳類であることに せいめい い じ しゆ じ い かか し ぜんせつ り はじめから与えられた生命維持、種の維持に関わる自然摂理なのである。 ぎ しゃかい むきょういく いちいん ひと さいていげん せいかつ かくとく 義務教育が社会の一員として、人としての最低限の生活を獲得するためのもの きてい そしき かんきょう じょうけん であると規定するならば、義轟敏う脊においては、その組織の環境や条件な きょういくないよう がくしゆラ -んか って、教育内容が変化することはあってはならない。学習活動のそのものの重 かつどうかんき上う じゆうようせい りかい しやかい たしや 要性やその活動環境の重要性の理解、そして社会における他者とのかかわりに たしや そんげん りかい ほんしってき きばん じゆうよう おける他者-の尊厳、理解に結びつく本質的な基盤づくりが重要となるはずであ る。 ざんねん ほんしってき かくとく しかし残念なことに、本質的なものの獲得のすべを、 かくとく いがい ぐたいてき 「もの」や「こと」によっ ほうほう て獲得する以外に具体的な方法を私たちは知らない。 しゃかい じんけん こども そんざい たい りかい はじ 社会が人権、子供という存在に対する理解を始めた時代以前から、国という構 いくど へんよう にんしき こうどか 造は幾度も変容し続けてきた。そして、情報というものに対する認識の高度化と こくさいか しゃかい しんか しゆうごうたい なんそう じゆうそうか 共におとずれた国際化という社会の進化の中で、集合体は何層にも重層化し、人 たよ う しゆうごう は多様な集合にいつの間にか参加しているのが現代である。おそらく、現在の義 さまざま じゆうそうか 務教育におこる様々な問題は、そのような重層化した集合の構造を持つ社会の中 じだい はんえい こべってきとくしょく けいとうか で、時代を反映しつつも、それぞれが個別的特色を持ち、系統化して理解するこ ・15・ りかい もんだい とが難しいことに問題があるのではないかと考える。 注んしつろん 義務教育における権利について、本質論を持ち出すだけでは、もはやその本質 さえ不透明になるのが現状なのではないだろうか。 1、教育を受ける権利の起源 げんししゃかいまっき のう からだ ぶんぎ上う はじ おこな じ き せいおう 原始社会末期の脳と体の分業が行われ始めた時期に、西欧においては、独自の こんかん め はじ ば 西洋教育の根幹が芽生え始めた。 たい せいかつかんき上うそうせい みはったっ だんかい きび じょうけん 道具や生活環境創生に対し、未発達な段階において、厳しい条件の中で生命を い じ じかん ろうりょく よう さぎ上う せいめい しんたい 維持するための作業は、時間と労力を要するものであり、作業一身体という関係 ひと ぜったいてき せいやく しば のう からだ ぶんぎ上う かくとく かこ において、人を絶対的な制約の中で縛りつけた。脳と体の分業の獲得は、過酷な なか ごうりてき せいめい じ い しゆほう 条件の中で、合理的に生命を維持する手法であった、まだ、道具、機械などの科学的 はったつ みはったっ 発達が未発達な段階で、それらによる合理性が獲得されない現状において、道具と どうよう いじょう はたらき も かがくてき とうぐ どれいせいど つ 同様のそれ以上の働きを持つものが奴隷制度であった。 どれいせいど 奴隷制度は、優位性にたった民族や、あるいは国家の、現代においてのコンビ さんざ上うきかい こうそく ユータ-やロボット、産業機械等、身体の拘束を開放することを目的に開発する ごうりせい ついきゆう 合理性の追求とかわりはない。 どれいしやかい どくがく その奴隷社会においては、学ぶということは独学を中心とする。 くに けんり上く じゆくど かんけい これには、国・権力の熟度が関係すると思われる。 どれいせいど たとえば、ギリシャ時代においての奴隷制度は、奴隷に対して民族や家系に たいしてきび し上うたんい しゆうごうたい みんぞく 対して厳しい決まりごとが存在ない。小単位の集合体の中で、求める合理性を充 あらそ かくとく せんりひん あつか 足すべく、争いによって獲得された戦利品として人材が扱われる。したがって、 なに のうりょく どれい しみん かく あ 何かしら能力のあるものは、奴隷から市民-の格上げが簡単に行われた。 -16・ く かけい きょういく り かい しゆうごうたい そしきてき 国という単位に対する教育や理解をその集合体に組織的に行うことが、国力 きょうこ どれいせいど かけい みんぞく ふく しゆうしんてきせいど を強固にするという流れの中で奴隷制度は、民族や、家系を含め、終身的制度に へんか 変化する。 くに がいねん しょうさい じだい こうちく 国という概念が詳細に構築される中世奴隷社会時代においては、教育学習は、 かくかてい じん こ まか しみん ちせい かくとく 各家庭や個人に任される。というより、市民の知性の獲得は、結果として能力を 持つものにたいする評価はしても、その行為そのものはこのまれなかった。 とれい こくせい お てんぷく る それ しみん た いす るせんせいくんしゆ おう 奴隷たちによる国政の転覆を恐れるのみではなく、市民に対する専制君主、王の けんり上く き上うよう 権力を守るための方法でもあった。中世前期において、ギリシャ時代にあった教養 ふうち上う かんき上う -いじ上う を身につけるための大学や、その風潮、環境はすべてが、主権の下に閉錠される。 じ も じょうほう ち しき じゅうようせい しゆけん も いちぷ 文字情報によってもたらされる知識の重要性は、主権を持つ一部のものしか、 と し ふ 上 で き かんき上う る み あき り いっぱんしみん よ う 図書に触れることが出来ない環境を見ることで明らかである。一般市民が利用す で き とし上かん きょういくきかん ることが出来る図書館がないこと、教育機関がないことは、まさに学習と教育に ち しきき上うよう けんりょく どうよう ちから りかい も じじつ よってあられる知識教養が権力と同様の力を持つことを理解していた事実の し上うめい 証明に他ならない。 ち しき きょうよう う こ どくがく い とて み いせいど う け よ し う 知識や、教養を身につけるという行為は、独学や、徒弟制度、身請け、養子な せいど なか どの制度の中で身につけていくものであった。 むが く くに ちつじ上 い しゃかいちつじ上 じ こんなん しかし、国民がまったくの無学では、国の秩序、社会秩序の維持は困難である。 しやかいさんか いっぱんしみん た いす るほこ じり たい い つ くに ひつよう 一般市民の社会参加に対する誇り、生きることに対する自律を国は必要とする。 やくわり しゆうきょう やくわり そこで大きな役割を果たすのが、宗教カトリックの役割である。 こくせい じ い みつせつ むす なか しゆうきょう きょうかい くに ちつじ上 しやかいちつじょ 国政の維持と密接に結びつく中での、宗教、教会が国の秩序、社会秩序の維持 きょういく にな う を目的に教育の担うことになる。 くに ちつじ上 せんせいくんしゆ い けんり上く じ はいけい しかし、国の秩序は、専制君主の権力の維持を背景にもったものであるために、 いっぱんしみん き上うよう ち しき じゆうそく 社会、一般市民が求める教養や知識すべてを充足させるものではなかった. ・17- い じ そのため、二最古詣、社会から呈鎧されるものではなかった. おうせい じだい あんていき けいざいかつどう はってん きゆうそく ルネッサンス時、王制の時代の安定期において、経済活動が急速に発展すると たんじょう ふゆうそう けいざい こくせい あんてい 共に、富裕層が誕生する。経済における豊かさと、国政の安定により、一般市民 ちてきき上うよう か う ど こ とみ こくせい の知的教養の高度化が、国政に富をもたらすことが実感される時代となる。 としょかん こうりつ し上もつ きかい ふ いっぱんしみん 公立の図書館や、書物などに一般市民が触れる機会が訪れる。 しゆうき上う みつせつ かんけい けいざいかつどう はってん 国家と、宗教の密接な関係による、教育のコントロールが、経済活動の発展に さまざま じょうほう かくとく よう い よってもたらされる、様々な情報と、経済前島も;ゝさによって獲得が ち しききょうよう きょうこ 知識教養の環境により、一般市民の生活力は強固となる。 じだい-んか いっばんしみん こ ちてきすいじゆん う ど か はいけい そのような時代変化と、一般市民の知的水準の高度化を背景に、中世末期の宗 かくとく い じ けんりょくてきこうぞう ほうかい 教改革によってカトリック教が獲得維持していた権力的構造が崩壊する。 しゆうき上う そんぞく せいり上く 分裂したプロテスタントとカトリックは、それぞれに自らの宗教の存続と勢力 かくじゆう い じ ないぶへんかく の拡充維持を目的に、内部変革を行う。 にんち せいり上く かくじゆう しゆうは きょうぎ 大衆の認知は勢力の拡充に最も重要な用件であり、宗派の教義を広めるために、 せいしん てつがく こつかく いっぱんてきち しき そして宗派の教義を大衆が理解するために、精神、哲学の骨格となる一般的知識 きょうよう かん するきょういく しゆうは 教養に関する教育は欠かせないものであった。それぞれの宗派は、それぞれの宗派 り ねん ふきょうかつどう せいしんりかい せいり上くかくだい かのう きょうよう 理念の布教活動、勢力拡大を目的としながら、その教義や、精神理解に可能な教養 み を身につけるための市民教育に力を入れることとなる。 かくきょうは ろんそう かてい 各教派の論争の過程の中で、 MartinLuther (1483-1546)は誰でも教育を受け しゆちょう なければならないと主張した。 きょうは じんりょく c。1vinの教派はジュネーブで広範に崩等義義毒指を首題させること た。 じっこう お ら ん はじめ だ こうき上う ぜいしゆう き上ういくひ プロテスタントを実行するオランダは世界で初めて公共の税収で教育費まかな ・18・ う国家となった。 こくせい かんけい なか ち い かくとく とうよう こくせい かんけい 国政との関係の中で、地位を獲得してきたキリスト教は、同様に国政との関係に はくがいなど おいて、迫害等を受けることとなる。 しゆうきょうはくがい のが プロテスタント教徒たちは宗教迫害を逃れてアメリカに来た、教育を重視する 伝統もアメリカに持って入った。 き上ういく じゅうし どうき しゆうきょうしめい かんせい しかしその時教育を重視する動機が、宗教使命を完成するためのものであるこ こ じん とに注目しておかなければならない。例えばMartin う け る っうじない しゆうき上う せいふ じ む きょういく Lutherは、個人は教育を さんよ しゆちょう 受けることを通じないと宗教と政府の事務に参与できないと主張している。 しゆうき上うしどうしや しゆうきょうき上ういく 宗教指導者JohannAmosComennius つうじない うやうや (1592-1670)は、宗教教育に通じないと恭 ひんかく しい品格を身につけることができないとしている。 みっせつ かんけい せいりつ なか カトリックとの密接な関係の中で成立していた祐墨昌二号首&'の鮎前菱 ほうかい しゆうきょうせんそう から あ じだい 崩壊と、宗教改革、そして宗教戦争が絡み合う時代であった. たが りえき けんりょく 炭諒とL#寡の韻窟は、互いに利益や権力が絡み合う中で共存していたが たんじょう しんせい から あ なか そしきてきな き上うぞん た ほうけんりょうしゆ リックを中心に誕生した神聖ローマ帝国の組織的成り立ち(封建領主の連合体的 せいしつ しゆうき上う こくせいてきけんりょく れんごうたいてき ようい 性質)によって、宗教が国政的権力を手に入れることが用意であったともいえ る。 きんいんち上くごいこう 1 じじつじょうしんせいろ - まていこく ぶんれつ 4世紀カール大帝の金印勅語以降、事実上神聖ローマ帝国は分裂し、ハプス ごけんいがい りょういき ブルグ家が帝位を世襲するようになってからは、ドイツ語圏以外の領域は殆ど失 ほとんどうしな われる。 なかしゆうきょうかいかく ぶんれつ 有責の昌描花、嘉窟の中宗教改革による分裂による、宗教戦争がおこる。 き上うせいき上ういく ほうれい しゆうきょうせんそう こうひょう 1559年wittenburg国は強制教育の法令を公表した。 さかい 3 しゆうき上う せいけん ぬ だ 0年戦争を境に、宗教による政権のコントロールを抜け出すことが各国で求 はじ められ始める。 ・19- かっこく もと せいけんと う ち 17世紀から、カトリック教のコントロールを抜け出すため、政権統治を つ め よ きじゆん る じんみん こつか いくせい きょうせいぎ むきょういく ほうれい 強める、帰順した人民を育成するため、いくつかの国家は強制義務教育の法令を こ うふ 公布した。 かんせい く わ ないよう たっ 1619年weimarの法令はすでに詳しい完成された内容に達していた、 じ ど う がっこう べんきょう 6-12歳の ばっきん おや か 児童に学校で勉強するように求めて、実現されなければ親に罰金を課する。その 蒔の諸掛講義鹿妻指は窟の嘉島である、しかし児童にとって1'超の送岸苗 である。 ぎ むきょういく たんじょう しゆんかん せいけん しゆうき上う けんりょくてき それは義務教育の誕生の瞬間でもあったが、それは政権と宗教の権力的かか し れき みんしゆう ふまん はじ こえ しゆうき上うかいかく あと せいりょくあらそ わりの歴史と、民衆からの不満の声で始まった宗教改革の後の勢力争いと、 しんせい じゃくたいか ていこく ほうけんりょうしゆ れきし なか 弱体化した神聖ローマ帝国の、封建領主たちの勢力争い、いわば、歴史の中で ひ だ いか じやくたいか ほうけんり上うしゆ さんぷつ 肥大化し弱体化した封建領主と、宗教のもたれあいの中の産物であったといえる。 せんそう こくみんこつか たんじ上う かくめい いっぱんしみん ちてき ナポレオン戦争による国民国家の誕生、フランス革命と、一般市民の知的、 こ せいしんてきほうじょう ども そんざい たい にんしき がいねん きゆうそく てんかん 精神的豊穣と共に、教育と、子供という存在に対する認識、概念は急速に転換を むかえる。 こうきょう たいしゆう せいじこうり上うじつげん ブルジョア革命の勝利で"公共、大衆-の宥郎の量産義持"の政治綱領実現 かのうせい 可能性がはじまる。 かっこく ぎ むきょういく ふきゅう ほうりつ こうふ 各国は次々と義務教育を普及させる法律を公布する。 ふつう 1871年ドイツが統一した がっこうほう ぎ しょとう むきょういく きょうせい 後に、 1872年に《普通の学校法》を公布して、6-14歳の8年の初等義務教育を強制 じっ し しゆうぎょう さい まえ せいねん 嘉島義持に謹め、実施するようになり、すでに就業した18歳の前の青年が し上くぎょう ほしゆうき上ういく こ もと うふ だけ職業の補習教育を受けることを求めた。フランス1848年公布した《carnot し上とう ぎ むき上ういく だんじ上 ふきゆう じどう にゆうがく 義持送業》による、初等義務教育を普及させることを求めて、男女の児童 ・20・ きょうせい がくせい むり上う し上せき きょうきゆう しょくじ ることを強制して、学生に無料で書籍と食事を供給する。 ぎむせい こくみんきょういく むりょうせい せぞく げんそく か じゆうし 1881年の《Ferry法案》は国民教育の義務制、無料制と世俗化の原則を重視し ていた。 はっぷ し上とうき上ういくほう かく く せつりつ 方;っこう ようきゅう イギリスは1870年に《初等教育法》を発布、各区で学校を設立することを要求 ど う じ する、 ぎ むきょういく 5-12歳の児童に義務教育を実行する、 し上とうきょういく むりょうせいど じっこう じど う し上とうきょういく そして1891年に5-10歳の初等教育の無料制度を実行する。児童は初等教育を う い け る れ こつか ぎ ひとつ む じどう おや ひとつ けんり 受け入れることは国家の一つの義務になった、児童と親の一つの法律の権利にも とききょういく りねん きょういく せいりょく こつか みつせつ かんけい も つ き上ういく いがい なる。その時教育の理念は教育と国家の勢力に密接な関係を持つ以外、教育は たい こうみんこじん じゆうようせい じゆうし 公民個人に対しての重要性も重視する。 みんぞく 例えば、 DenisDiderot こと みんぞく みんぞく きょういく (1713-1784)は、一つの民族にとって、その民族を教育 ぶんめいか しゆちょう する事はその民族を文明化させることと主張している。 こつか みんぞく き上ういく はってん ちゆうい こつか 国家また民族は教育を発展することに注意しなければ、その国家はどっちみち おとろ きょういく ひと ち む ぬ け だ し りせい はつよう そんげん む かくとく 衰える。教育は人が無知から抜け出し、理性を発揚して、尊厳を獲得できる、無知 お は ら りょうやく き上ういく がいぶ しぜんかい あつりょく そくぼく を追い払う良薬である。教育は自然界と外部の圧力やコントロールと束縛から ぬ だ じぶん やくだ か ち たす そんげんかん 抜け出すことに役立って、自分の価値を実現することを助けて、そして尊厳感と たっせいかん も 達成感を持つものである。 みんしゆこつか れきしてき-んせん も がくしゆう もの たちば た 民主国家-の、歴史的変遷を持ってようやく、学習する者の立場に立った教育と りねん ふ たんじょう か え っ たきょういく がくしゆう いう理念が誕生する。振り返れば、学習する者・社会の一員となる市民を主体に した学習-の欲求、教育の必要性にたった、義務教育の具体的方策が採られて1 00年余りの歴史しかない。 いぜん こくさいほう もと じんけん きょういく じとう かん かだい しかし、依然として国際法で求める人権・教育・児童に関する課題は,各国に さ おいて差がある。 ・21・ かっこく ち しゆうき上う しゆぎ しそ う た か こくせい づ ち く ら れ る いじ上う いまだ宗教、主義思想などによって、国政がかたちづくられる以上、やむ終え れきし ふ え か ないことであるといえるが、本質的人権に向かい、これまでの歴史を振り返ると、 しゆたいてきようきゅう ほ も と ご 人権、教育が、その教育を受ける立場にあるものの主体的要求に基づいて保護さ ていきょう じつげん れ提供されることが、いまだ実現できないものであることが現実なのである。そ う よ い きょういく う り けん みすから もと がくしゆう れは、あくまで用意されたもの、教育を受ける権利であり、自らが求める学習す まも けん がくしゆう り も と もの ご 法 がくしゆうかんき上う ほぜん ることを守る権利でなく、学習を求める者を保護し、その学習環境を保全し ぎ ていき上う む 提供する義務ではないからである。 学習 2、教育 学ぶ権利 教わる義務 一中国大学で提案された、必須授業 きょういく う り けん ひとじしん しやかい ひと ひと あたいする 教育を受ける受ける権利とは、人自身が人として社会で人に値する生活を営む ひつよう きょうよう じ上うしき けん かくとく れんあい り けっこん ひと ひと ために必要な常識や教養を獲得する権利であるが、恋愛や結婚は人が人として しやかい せいかつ あたい ひと なか ふく にんしき な 社会で人に値する生活の中に含まれると認識されるものであるのか、無いのか、 しゃかい ひと せいかつ あたい にんしき こつかてき もしそれが、社会で人に値する生活に含まれるものであると認識され、国家的 ふ-んせい けっこん かくにん れんあい ひつよう じょうしき き上うよう けん かくとく り 普遍性が確認されれば、結婚や恋愛に必要な常識や教養を獲得する権利があると いうことになる。 きょういく う る け けん り お と し て と うじしゃじど う がくしゆう p8下から14行目以降に、教育を受ける権利を通して、当事者児童の学習す けん り がくしゆう きょういく げんきゆう かんけい いこ る権利、学習と教育の関係について言及したが、 ぎ きょういく むきょういく き上ういく がくしゆう ラ p9の7行以降に記したが、 どうあたい じ かた ど う 義務教育における、教育が教育(学習)と同価で、語られるとしたとき、児童は れんあい けっこん ひつよう じょうしき きょうよう まな きかい きょういく う けんり はんきょうせいてき 恋愛、結婚に必要な「常識や教養」を学ぶ機会が教育を受ける権利として、半強制的 あた に与えられる。 はんきょうせいてき がくしゆうしゃ じ ど う ひと しやかい にんげん 半強制的というのは、学習者である児童が人として社会で、人間として生きてい ひつよう ち しき き上うよう くのに必要な知識や教養であるか、事前に選択できる能力をたない状況において、 ・22- い しやかい せいかつ ひつよう ちしき み と たばあい め 社会がそれを、社会で生活を営むために必要な知識であると認めた場合に、それ げんざい てんかい じどう し じ く どう たちば え い ば き上ひ が児童に展開される現在の仕組みにおいては、児童の立場から言えば、拒否する てんかい な い してん じどうがわ せんたく じ上うきょう 遊韻も無く展開されることになる、児童側の視点から言えば選択できない じしん じとう し い けってい だんかい な いじ上うき上う じとう である。児童が自身の意思で決定できる段階に無い状況にあって保護者は、児童に か ふ じどう り え き せんたく たちば 代わって、その児童にとって不利益とならない選択する立場にある。 けっこん にんげん せいぶってき いとな はいけい しゃかいてきわくぐ せいど 結婚は、人間の生物的な営みを背景に、社会的枠組みとなった制度であり、憲 したが わ く ぐ げんざい せいぶつがくてきせいしょく 法に従った枠組みの中で社会に位置する。現在においては、生物学的生殖にかか いとな せいどういつし上うこうぐん たいするりかい ふく どうせい いせい わる営みを基本とするが、性同一症候群などに対する理解なども含め、異性、同性 けっこん しやかいてきにんち じょうきょう の「結婚」も社会的認知を獲得しつつある状況にある。 れんあい れんあいかんじょう いっぽうてき り そうごかん り えきふ え き 恋愛については、一方的な恋愛感情によって相互間に利益不利益の差が生じる めいわくぽうし さ しょう ほうてききせいたいし上う こうい 場合などは、迷惑防止やストーカー行為として法的規制対象となる。コミュニケ ぴみ上う い こ ち こ そうごかん -ションの問題を含んで微妙なところに位置すると思われるが、個々相互間で せいりつ し Iまうてき ば な 成立するものついては、法的な縛りは無いといってよい。 れんあい こ こ せいしんせい しゃかいせい はぐく せいどてき 恋愛はあくまで、個々の精神性と社会性のなかで育まれるものであって、制度的 い ち せいどてき ほし上う こと だいがく れんあい むずか な位置づけはなされていない。また制度的に保障するという事が、難しいことは せいしつ り かい その性質から考えても理解できる。 ながなが まえ おき なが きんねんちゆうごく かてい 長々と前置きが長くなったが、近年中国の大学において、恋愛、結婚と家庭に かてい せいき かてい じっ し ていあん かんする課程を正規の課程として実施すると提案がなされた。 ていあん り ゆ う ひ ちゅうごく と り っ たん こせいさく はっ 提案の理由は、中国の一人っ子政策に端を発する。 じんこうぞうかよく しせいさく と ら れ た ひ と り っ こせいさく ひにん きょうよう 人口増加抑止政策として採られた一人っ子政策は、避妊の強要にまで入り込む せいさく 政策であったo めんめん かだい もし、 つづくちゅうごく ついちょうきん しはら 2人目を生むとすれば過大な追徴金の支払いがあった. れきし なか もっともじゆうよう し かぞくあい しんぞく 面々と続く中国の歴史の中で、最も重要視されたのは家族愛、親族の深いつな がりである。 -23- こ ども かぞく たんじょう しんぞく かけい はんえい よろこ 子供が家族に誕生することは、その親族、家系の繁栄であり喜ばれるものであっ た。 げんざい けいぎいとく く じゆうけいざい どうにゆういぜん しほんしゆぎ ちゆうごくきょうさんしゆぎ また、現在の経済特区における自由経済の資本主義の導入以前の中国共産主義 けいざい けいざい せいかつ こじん しゆこうせい 経済においては、日本やアメリカのような経済が個人の生活の趣向性について、 お お き くえいきょう じょうき上う 大きく影響を与える情況ではなかった。 けいざいてきま べつ ず かぞく かけい はんえい ゆた れんめん 経済的貧しさとは別に、家族、家系の繁栄としての豊かさに多くの国民が連綿と かぞく けいざいてき 伝㌍岩選抜程を支えにしていた.しかし、痛言の家族の経済的生産能力と ちゆうおうせいふ けいざいてきせっぱく と う じ かくかてい き上ういく たい よっきゆう は、中央政府の経済的切迫-とつながった。同時に各家庭での教育に対する欲求も、 こ じん せいかっ き わ だ い た かいぜん こ じょうきょう う ど き上ういく 個人の生活に対する際立った改善が望めない状況においては、高度な教育よりも ろうどうり上く なか ひつようせい ていか こくみん こつか せっばく ひ-い 労働力としての必要性の中で低下していく。国民、国家がともに疲弊していく切迫 けいざいじ上うきょう だかいさく かくかてい かん き上ういく けいざいてきかんきょうせいぴ くちすう した経済状況の打開策として、各家庭の教育に関する経済的環境整備として、口数 じ - ゆ うけいざい しほんしゆぎけいざい どうにゆう を減らし、自由経済、資本主義経済を導入することによって、個々の能力によっ かくほ ふた ちょうき ちゆうごくこくみん せいしん て経済前島ち三ゝさが確保したoこの二つは、長期にわたって中国国 たんじかん かたちづく -んか 形作ったものを、短時間で覚醒を図ることから言えば、毒指によって変化 じゆうぶん かくじつ かく じんけん より、充分で確実なものであった。しかし、このような大きな変革には、人権に たい はいりょ き は く ふたた か あき 対する配慮が希薄となることも、再び明らかにした。 ちゆうごくこくみん あらた じんけんかいふく む みず じんけん う き ほ せんたく 中国国民は、新たな人権回復に向けて、いつの間にか自らの人権を放棄する選択 をしていたともいえる。 み げんそう にんしん しゆつさん し きせい 国民は経済苗&f=b、さが見せる幻想の中で、妊娠、出産にまで規制を せいふ たい ちゆうごく かけいはんえい かぞく みつちゃくど しん きたい に対する政府-の不満を、中国の家系繁栄-の家族の密着度,期待-のまい進す かつりょく むすこ むすめ しょうらい る活力に代え、そして一人の息子、娘の将来に対するの関心-とかえた。 じょう かけい はんえい はいけい こう ど きょういくかんきょう ー人っ子であるわが子に対する愛情は家系の繁栄を背景に、高度な教育環境と、 こ う ど きょういく しゆうとく こ ども も と かたち できあい けいじょう 高度な教育の習得を子供に求める形で、溺愛の形状-と変化した。その溺愛を受 ー24- ねんれい たっ けた80年代の一人子達が、成人の年齢-と達した。 せいじんねんれい むかえ れんあい だんかい こんいん せだい せいねん きょうだいしまい 成人年齢を迎え、恋愛と婚姻の段階にはいったこの世代の青年は兄弟姉妹がい りょうしん ひじ上う ないため、両親の`ねばねばする愛' おおく (中国語:姉慣)が非常に多く、そのねば あいじょう せいしつ どうよう ねばする愛情(中国語:姉慣)によって育った彼らの多くに同様の性質が見られ るようになった。 かれら よわ ないしん じ き上うれつ ちゆうしんしゆぎ こ けいせい にんげんかんけい こうちく 彼らのもろくて弱い内心は、強烈な自己の中心主義を形成し、人間関係の構築や、 の まさつ こ ちから きはく じょうじゆ けいせい もの ふ 摩擦を乗り越える力が希薄で、恋愛をうまく成就、形成できない者が増えている。 れんあい しっぱい がくしゆう しごと しんこく えいき上う あた れい その恋愛の失敗が、学習と仕事に深刻な影響を与えている例が多く う み けっか じさつ お浴 せんたく 見受けられるようになった。その結果、自殺を選択する若者が増え始めているの である。 もくてき じゆぎ上うかいこう せいねん きゅうさい もくてき この授業開講の目的は、そのような青年たちを救済するのが目的である。 ちゅうごく せっぱく けいざいてきじょうき上う なか きょういく かんするかんしん おや うす こども まず 中国の切迫した経済的状況の中、教育に関する関心が親と子供から薄れ、貧しさ だっしゆつ ちゅうごく じゅうよう へのスパイラルは作動していた。そこからの脱出は、中国にとって重要であった。 かくふうふ せいあい かぞくかん ひにんせいさく 各夫婦の性愛、家族感にまで芥一笑した一人っ子、避妊政策は、義持、穿かさ きんべんどりょく けいざい たいするかんしん こじんきょうそう いっきに め ざ せいこう 勤勉努力、経済、個人競争に対する関心を、一気に目覚めさせることに成功した けっかてき こ こ れんあい たしゃ こうちく ちから が、結果的に個々の恋愛、他者とのコミュニケーション構築する力を喪失させ、 ほんらいこ こ にんげん なか しやかい かんけい そうしつ にんげんせい 本来個々の人間の中で、社会との関係の中ではぐくまれるべき人間性まで、をも ほうほうろん きょういく 方法論としての教育を始めるにいたった。と考えることもできる。 よだん き かん 少し予断になるが気になることがある。この恋愛・結婚・家庭に関する授業が せいき かいこう こうとうきょういくきかん 正規の授業として、開講されるのが高等教育機関においてであるということであ る。 ・25・ じゆぎょう と ひ り ちゅうごくぜんど こせいさく っ たいし き ぴ しこう ちゅうごく 一人っ子政策は、中国全土に対しかなり厳しく施行された。したがって、中国の し と こせき のうそんこせき ひんぷ のこるげんじょう かくさ こじんき上うそういがい 都市戸籍、農村戸籍がいまだ残る現状にあって、貧富の格差は個人競争以外でも のこるよういん いまだ残る要因がある。 こ ふそく ども その状況にあって、一人っ子に見られるコミュニケーションカの不足は、子供に い し るのうりょくきょうそう げんじょう ど あ かんが さ しんがくねつ 強いる能力競争の現状の度合いによって、差はあるものと考えられるが、進学熱や こじんき上うそう む ほごしゃ いく じかんきょう あら げんし上う 個人競争-向かう保護者の育児環境だけに現れる現象ではないと考えてよいであ ろう。 しゃかい にんげん せいかつ ひつよう たしや とすると、社会での人間として生活をして行くうえで、必要な他者とのコミュ せいしんてきし上うか たしゃりかい れんあい けっこん せいし上く いくじ ニケ-ション、精神的昇華としての他者理解、恋愛、結婚、生殖、育児などは、 こうとうきょういくきかん げんぎいもと 中国においては高等教育機関で学ぶことのできる人間だけに、現在求められる にんげんてきすがた 人間的姿ともいえる。 ぽうりょくてき ひはん げんじょう これはかなり、暴力的な批判ともいえるが、現状にあってはそういわざるを得 た終えない。 ちゅうごくせいふ こくみん かくさぜせい げんざいじゅうようかだい 中国政府において、国民の格差是正は現在重要課題である。その点から言えば、 せいか む おさめふ-んてきじっせん じ き かくほ この授業による展開が、一応の成果を収め普遍的実践-と向かう時期を確保した ちゅうとうきょういくきかん し上とうきょういくきかん てんかい ひろ かんが も ならば、これは中等教育機関、初等教育機関での展開-と広がり持つと考えられ る。 こんかいもんだい せいねん り しどう ゆう 義務教育機関において、今回問題となった青年たち-の指導理由と同じ意味の せいしんせい こ う と せいちょう なか せいあい ふか せいしょく もの、すなわち、精神性が高度に成長していく中で性愛、生殖などとも深くかか め ば たしやりかい れんあい せいしんてきはついく ちゆうと わりながら芽生える、他者理解における恋愛を、その精神的発育の中途段階にあ じどう きょうじゆ こんなん さぎ上う る児童に教授するのは、困難な作業であろう。 じどう ねんれい かさね たしや なか せいちょう まずもって、その本人、児童が年齢を重ね、他者とのかかわりの中で成長し、本人 い し せいしんせい たしゃりかい げん の意思で、その精神性をもって他者理解をするという人間そのものの精神性にま ・26- せいしんせい 圧んにん けんぜん ほうほうろんてき れんあい かたち も じたい で、方法論的にそしてモデルとなる健全な恋愛の形なるものを持ち込むこと自体、 じんけん た い す るしんがい おそ 人権に対する侵害の恐れがあるように思うわけである。 してん れんあい けっこん かぞく かも く せいき じゆぎょうかいこうていあん このような、視点からこの恋愛・結婚・家族を科目とした正規の授業開講提案は、 ちゅうもく 注目に値すると考えている。 ・27- 第二章 教科書は誰のため編集されるのか? 1、ミスに見る教科書政策組織構造のひずみ にっかんしんぷん 2006年4月15日中国美術学院と漸江日刊新聞の新聞グループ会社が主催する きしゃけんせきにんしや ( 「美術新聞」に記者兼責任者の韓洪剛は《無錫のどこに"痩西湖"があるだろう ぶんしょう いってい ひ はんきょう お か?》の文章を書いた。社会で一定の反響を引き起こした。 きょうし きしゃ いちつう 2006年4月10日に とど きしゃ じんみんしゆつばんしゃ が襲洪正と言う教師から記者に-通のメールが届いた、彼は記者に人民出版社の かていき上うざいけんきゆうし上 かていかいはつ ふつう -んさん 課程教材研究所と美術課程開発センターが編纂し、人民出版社が出版した《普通 こうこうかていひ上うじゆん じっけんようき上うかし上 tFじゆつかんしJ:う ちしき 高校課程標準による実験用教科書-一美術(美術鑑賞)》の中で多く知識の誤 き しゃ さいしょ かいぞくぼん と しょ あやま おも りが現れていたと言う常諾を韻書した、記者は最初に海賊版の図書だと思 せんせい みほん いた、しかし2006年4月12日に襲洪正先生から送られて来た教科書の見本を さんし上う もんだい かくにん 参照し、問題を確認する。 (ふつうこうこうかていひょうじゆん 韓洪剛が、 じっけんようきょうかし上 びじゆつかんしょう 《普通高校課程標準による実験用教科書-一美術(美術鑑賞)》 けんあん たいしょう きょうかしょ もんだい きさいれい において、懸案の対象となった教科書での問題となる記載例は、以下のような内 容である。 い ち 1 痩西湖は無錫に位置する 2 ゴッホの死亡年齢を40歳 しぼうねんれい りったいさくひん 3 4 すんぽう しょうかい 立体作品の寸法の紹介が、 2つのディメンションでしかなされていない。 近寄、寡着手描と、その筈L#が一致しない(議薮の募着岸富と諾&'が い ま じ 入り混じった状態にある) しょうかいさんこうさくひん 5 はんてんけいさい 紹介参考作品の図像の反転掲載 ・28- こ て ん し う ご よ 古典詩の 6 かいせつ し かいしゃく あやまり 用語の解説における、詞の解釈の誤り れつあく 教科書の劣悪さを示すものであるが、しかしそれぞれの問題に対して、教科書 そ う あ ができるまでの過程に沿って考えていくと様々な問題が浮き上がってくる。 -んさん 編纂 かてい -んしゆう かてい かんが 編集の過程を考えるとおおむね以下のような過程と考える。 せんてい -んしゆういいん 1-1 編集委員の選定 1-2 編集、編纂に関わる基本審議. 1-3 基本原案に従い、その掲載内容に関わる専門領域の従事者の担当の決定 2-1 決定された担当者による、掲載写真および解説の原稿作成. しんぎ へんさん したがい たんとうしゃ けってい だいさんしゃ 各担当者の原稿作成段階での こ う さ せんもんり上ういき じゆうじしゃ ふく むこ たんとう けってい げんこうさくせい かいせつ けいさいじゃしん げんこうさくせいだんかい かくたんとうしゃ 2-2 かか けいさいないよう う さ ぶんあん 第三者を含む考査(文案 けいさいじやしんなど 掲載写真等に こうせい 校正) 対する、考査 かか さいしゅうげんこう さしゆう 2-3 担当部分に関わる最終原稿の査収 3-1 全体での仮編集 3-2 全体を通しての、文言記載内容、掲載写真、引用物などに対しての審議・ かりへんしゆう き さ い 確認 ていせい ご う い 3-3 訂正の合意確認 3-4 担当者による訂正、担当者合意による委員会による訂正 ご う ていせい 3-5 4-1 -んしゆういいん たんとうしや いんさつぎ上うしゃ ちゆうごく い いいんかい さいしゆう-んしゆうげんこうかくにん 編集委員、担当者による 最終編集原稿確認 ば げんこう いんさつぶもんたんとうしや 印刷業者(中国の場合には印刷部門担当者と言うべきか) -の、原稿 ひきわた 引渡し へんしゆうげんこう 4-2 編集原稿 4-3 第一次 せいはん かりいんさつ 製版 仮印刷 かりいんさつ ごしょく いんさつひんしつ 仮印刷による、誤植等の校正 査 ・29・ う あ 印刷品質打ち合わせ らくち上う 落丁の検 かくにん せいはん いんさつげんこうさいしゅうかくにん 4-4 確認 印刷原稿最終確認 ほんいんさつ かりいんさつ 5-1 本印刷 (第二次仮印刷) 製版 たんとうしゃけん へんしゆういいん さ 5-2 編集委員および、担当者検査 5-3 政府担当者検査 6-1 合否判定 6-2 修正および審議が必要と思われる箇所が出た場合 せいふたんとうしやけんさ はんてい かし上 しんぎ しんぎいいんかい せっち 新たな審議委員会の設置 しんぎ へんしゆういいんかい もしくは編集委員会との審議 かしょ こうてい きじゆつ 部分的修正箇所にたいして、行程が戻る.(記述担当者の変更もありうる) 7-1 ご う ひはんてい 合否判定 とくしゆ おおよそ、以上の行程が考えられる。教科書という特殊な位置ある出版物であ けんえっ るから、このほかに多くの、委員会や検閲などの審査を通る過程があるかもしれ たんじゆん しそうてき せいじてきそくめん かんさ ないが、単純に、考えれば思想的、政治的側面で、政府の監査を受ける。児童の き上ういくてきはいり上 せいしんはったっ もんごん けいさいぷつ 教育的配慮からの、精神発達にかかわる文言や掲載物に関して、社会性、専門家 こうり上 したがい ほんあん げんあん りょういき の判断を考慮する。この原則に従い、基本案にそった原案は領域の専門家によっ しっぴつ て、執筆されると考えてよいだろう。 しる はんせいじてきもんだい こくさいてきじょうせい この事件の問題は、上記で記したように、反政治的問題や、国際的情勢などに かんあん ぴみょう 勘案する微妙な問題によって引き起こった問題ではない。 -んしゆういいん しっぴつ せんもんりょういき したがって、編集委員や執筆担当者の知的レベルや、その専門領域に関わる、 学術的レベル、教育に対する責任に関する認識度に、要因があると考えることは たやすい。 ざっばく こうてい そうてい しんぎ こうさ 上記で雑駁ではあるが行程を想定するなかで、いくつかの審議・考査、校正を つうか かてい 通過する過程が少なくとも、 こうてい 6回は存在する。その行程において、これだけ多く ・30- こうせい きょうかし上せいさく そしきてき のミスが存在すると言うことに関しては、教科書製作にかかわる組織的プロセス に大きな問題があるようにも思われるわけである。 この教科書においてのミスを,分類すると以下のように大別できる。 せんもんり上ういきじょう ち しき あやま A専門領域上の、知識の誤り や いこ さ い むしやく ち 1 痩西湖は無錫に位置する 2 ゴッホの死亡年齢を40歳 しぼうねんれい り上ういき にんしき お かいしやくじょう あやまり B専門領域上の、認識や解釈上起こった問題もしくは、誤り し う ご よ 古典詩の 6 かいせつ し かいしやく 用語の解説における、詞の解釈の誤り ふくごうてき 複合的ミス C せんもんりょういきじ上う あやまり 専門領域上の、知識の誤り じ いんさつげんこうひきわたし じむて き きさぎょう げんこうかんり わ ふてぎ 印刷原稿引渡し時期における、事務的作業(原稿管理)の不手際 しょうかいさんこうさくひん ちゆうしやく ちゆうしやく 紹介参考作品と、その注釈が-敦しない(複数の参考作品と注釈が 4 り い ま じ っ た 入り混じった状態にある) し上うかいさんこうさくひん ずぞう はんてんけいさい 紹介参考作品の図像の反転掲載 5 かん ふくごうてき 教育に関する複合的 D 認識による問題 りょういきじ上う ら く さ 専門領域上の、認識の落差 にんしき 教育上の ら く さ 認識の落差 すんぼう 3 立体作品の寸法の紹介が、 2つのディメンションでしかなされていない。 ちしきじ上う Aについては、明らかに知識上の誤りである。 きょうかし上さくせい -んしゆういいん せんもんりょういき しっぴったんとうしゃ 教科書作成にかかわった編集委員、専門領域のメンバー、執筆担当者の知識度 しっぴつ ししつ が、疑われることはやむおえない。執筆担当者の資質については、明らかな問題 があると言える。 ・31- あき ち し き ど こんどう しかし、誰にでもうっかりした、簡単な間違いや、知識の混同はありうる。い こうせい かくにん きかい くつもの、校正、確認の機会があると思われる中で、このミスに誰もが気づかな いと言うことに、理解できない問題が存在する。 あやまり せいどく かかわった全員が、同じ知識的誤りをしていたのか、校正確認の際に誰も精読し ていなかったのか。 この点が、もっとも大きな問題であると言える。 あやまり ちいきてき き上ういく もんだい 同じ知識の誤りをしていたとすると、地域的な教育に対する考え問題があると ちいきてき きょういく ちしき ら く さ 言うことになる。地域的な教育・知識の落差が存在するということであるし、こ こ こうだい く ど ぎょうせいてきけつらくけってん れは中国と言う広大な国土と、人口に対する行政的欠落欠点といえる0 こうせいかくにん じ せいどく 校正確認時の精読の義務を、編集にかかわるスタッフが怠っていたとしたら、 しょくむたいまん しょくむ こうし上くいしき けつらく 職務怠慢と、教育にかかわる職務、公職意識の欠落でありモラルが問われる。 けつろんてきひはん と げんだんかい Bの問題については、結論的批判をするには、現段階では難しい部分がある。 じ上うほう ひつよう ぞ 詳しい情報が必要である。その内容によっては、 く す る Aに属する問題であるかもし れない。 がくもん つね せんもん りょういき けんきゅう しんど あら じょうほう 学問と言うのは常に専門の領域にあっては、その研究の深度と、新たな情報 くわ かいしやく じれい が加わることで、解釈がかわることはこれまでにも事例がある。したがって、 かいしやく もんだい まちが さ 解釈の問題を間違いと、早々に言い切ることは避けるべきである。 じょうほう しりょう かくとく いっぱんか かいしやく -んか しかし、新しい情報、資料の獲得によってこれまで一般化していた解釈が変化 がくもん り上ういき するにしても、学問の領域においては、それが認められるかどうかの議論は、常 げんだい しんちょう がっかいなど しんちょう ぎろん に慎重になされている。現代では学会等によって、慎重に議論され、その進捗 じ上うき⊥う じ上うほう ぎろん しんちょく かくとく 状況を誰でもが情報として獲得できる。 もんだい こ と な るしつ もんだい -んしゆういいんかい この間題がAとは、異なる質の問題であるとすれば、編集委員会は、問題とな かいしゃく たい しんぎ きかい がっかいなど かいとう もと った解釈に対し、審議の機会をつくり、学会等に回答を求めると言う手立てをと ・32・ もんだい あたら かくにんさぎょう かいしゃく い しょうかい し って確認作業ができたはずである。また、新しい解釈を紹介するという意思で けってい げんだんかい ぎろん しんち上く の掲載決定であるとすれば、現段階における、議論の進捗状況を紹介し、これま かいしやく で一般的に認められる解釈と並列に記するなどの工夫も取れたと思われる。 よういん ここにも、 もんだい -んしゆういいんかい Aと異なる要因による問題としてこの問題を考えても、編集委員会 うかが にんしき の襲窟の笛鼠もしくは、認識の甘さが伺えるのである。 いんさつぎ上うむ ひきわたし さんいつ こんらん Cについては、印刷業務-の、原稿引渡し時期に資料が散逸し、混乱してしま き もんだい いん すいさつ ったということに起因した問題とも推察される。 ぎ上うむじょうしよ う と あつか このような、業務上使用する資料の取り扱いは、韻'&ui5の墓誌であるが ぼうだい ばあい お つね 料が膨大である場合に常に起こりかねない問題である。 ぎょうむ ひきわた したがって、業務の引渡しにおいては、その内容に対する責任まで理解できな ぎょうしゆたんとうしや ひ わ た たい しりょう かんりせいり いまったく異なった業種担当者に引き渡すことにおいて、資料に対する管理整理 しん と うじしゃじ も せきにん どり上く さいしん は、当事者自身がこれまで責任を持って努力したものである以上、細心の注意を ひ はら わ た しごと ないよう せんもんてき のうりょく ひ上うか 払い引き渡すであろう。仕事の内容が、専門的でありその能力の評価において担 り かい しぜん お 当した仕事であるという理解があれば、自然に起こる心理である。 しかし、このような問題が数多く存在したということから考えていくと、やは どうよう たんとうしやじしん ち し かん き ど がいとう り、同様に担当者自身の知識度に関する問題としてAに該当するのではないかと も考えられるわけである。 もんだい せいはん かりいん かくにんさぎょうだんかい こうせい かくにん これらの問題が製版、仮印刷時の確認作業段階での、校正で確認されていない ち いいんかい し き ど もんだい こうせいぎょうむ と言うことについても、委員会メンバーの知識度の問題、もしくは、校正業務に し上くむ た い す るたいまん き上うかし上さくせい い しゃかいてきせきにん たい かかわ時点での、職務に対する怠慢、教科書作成と言う社会的責任に対する認識の けつらく 欠落と言えるわけである。 けつらく けいさい Dにいたっては、文言の欠落ではなく、参考作品の、掲載理由目的などに対す -33- にんしき けんかい ぎろん る見解そのものに対して議論が必要と思われる。 じ こうせいかくにん き 問題点を4つに分類したが、すべてにまたがっていえることは、校正確認の時期 しやかいてきせきにん に、訂正がなされなかったと言うことが大きな問題である。社会的責任に対する けつじょ り かい きIまんてきにんしき けつじ上 認識の欠如、学問というものに対する基本的認識理解の欠如が、おおきく じけん よこ 横たわった事件であったことはいうまでもない。 ひ上うし ぜんこくちゆうしょうがっこう しん きょうざい さけっていいいんかい 「全国中小学校の教材の審査決定委員会2004年の この教科書の表紙には し上しん 初審を通る」と書いてある。 たんじゆん かんたん しゆうせい けんてい なぜこのような、単純で、簡単なミスが修正されることも無く、製本され、検定 ごうかく を合格したのか。 この顎髭は嵩宕の帯で芽軌こ論う窟な設響がおきた。 はんこうごうき しゃ れんらく しやかいてきはんきょう 私は2006年10月に電話で韓洪剛記者と連絡をとり、社会的反響と出版社、 -んしゆういいんかいなど たいおう しゆつばんしや うかがった 編集委員会等の対応について話を何った。 ぜんこくかく へんしゆうぷ ち すうけん てがみ 『編集部は本件&'題後2006年9月までに、全国各地から500数件の手臥メと う ないよう ぎもん き上うかし上 ぴじゆつ 「疑問をもつ」、 る」、 ふんがい おどろ 「その内容に驚く」、 ルを受け取った。それらの内容は、本件について、 かいぜんあん 「憤慨す ていあん 「これから美術の教科書の改善案の提案」など様々な内容で あった。 はんきょう さいど しゆつばんしゃ きょうかし上 記者は、それらの社会的反響を持って、再度に出版社と教科書を編纂する ぶもん -んさん しゆざい 部門を取材しに行く。 とうじしや たいおう よそ ういじょう はんのう ちょくめん かんれん ぶもん せきにんしゃ 当事者の対応は、予想以上の反応に直面して、関連する部門と責任者は、 しゅざいかいとう かいひ 取材回答を回避した。 お しゆうせい 結局、責任を負う人もいない、この教科書をどう修正するかも表明しない けいか まま、時が経過している。 』 ・34・ ひ上うめい と言う内容であった。 しや はんこうごうき ごくきょういくぶ にほん もんぶかがくし上う しゆざい 韓洪剛記者によると、その後、中国教育部(日本での文部科学省に当たる)に取材 さいちゆうごくきょういくぷ かくやく いいん を行い、その際中国教育部の委員は、今回のミス事件を調査することを確約した という。 しや はんこうごうき たいおう ど う き しやかいてきはんきょう たい しかし、韓洪剛記者には、その対応の動機は、この社会的反響に対し、大きな しゆくし上う 問題を縮′J、させ、そして小さな問題として消えさせるということ、調査を行うと たいおう しゆうそく のぞん いう対応で問題の収束を望んでいるように感じたと言うことだった。 むじゆん 2、中国における美術教育・芸術教育に対する国策的背景との矛盾 ちゆうごくきょうさんとう だいじゆうろくかい じんみんだいひ上うたいかい せっき上くてき じぎょう ぷんかさんぎ上う 中国共産党の第十六回の人民代表大会は「積極的に文化事業と文化産業を はってん めいかく してき 発展する」ことを明確に指摘する。 げいじゆつりょういき ぴじゆつ たい こくさいてききょうそうりょく かく ほ うかてき こ こくない 美術・芸術領域は、国際的競争力に対する能力確保を、最も効果的に国内に しめ しゆほう ゆうこう 示す手法として有効である。 げんご こくさいかんけい せんもん こ りょういき せんたんせい かくぶんや また国際関係において、言語を超えて、専門的領域における各分野での先端性や せんこうせい しょうちょうてき あらわ し上がいこく かんけい ゆうこうてき こうりってき すす 先行性を、象徴的に現し、諸外国との関係を友好的に、また効率的に進めていく 上でも、視覚によるイメージの役割は大きい。 じんぎい じゆつき上ういく いくせい じっ し ぴじゆつかんけい じんざい 美術の人材を育成すること。美術教育の実施と美術関係の人材を育成するこ びじゆつかい はってん かか ぷんかけんせつ すす いくせい しゃかいけいぎい とは、美術界の発展に関わるだけではなく、文化建設を進めるにも、社会経済の はってん そくしん ひじ上う じゆうよう い ぎ も かんが 発展を促進するにも、非常に重要な意義を持つと考えている。 めん こくせい もと ぶんかじぎ上う はってん ぶんかさんぎょう しょうち上う その面から、国政の求める文化事業と文化産業の発展において、それらを象徴 けんざいか じゆうよう ぴじゆつげいじゆつ こうせいぷぶん しかくじょうほう 的に顕在化できる重要な構成部分として、美術芸術など、視覚情報にかかわる -35・ り上ういき ちゃくもく 領域に対して着目をしている。 じ せだい びじゆつ じんざい いくせい せっきょくてき ぶんか ぶんかじぎょう したがって、次世代の美術に関わる人材を育成し、積極的に文化事業を文化 はってん さんざょう けんせつ 産業を発展させることの重要な基礎建設であり、美術の教科書に対し、様々なア すす -んしゆう ブローチを求め編集を進めることに力を入れる理由はそこにある。 こくさいてきけいざいきょうそう せっきょくてき せんたく 中国がwTOに参加し、国際的経済競争に積極的に参加することを選択した今、 じ わたしたち せだい し上うらいち上くめん おくちゆうごくじん いま あいだ 私達の次世代が将来直面するのは13億中国人の間の競争だけではない。 ちゆうごく げんざい きょうかしょ も と め る ら れ せいちょう ひと だいいちIま 中国の現在において、教科書に求められる役割は、人の成長の第一歩として、 こくさいてきけんしき じんざいいくせい じゆうようせい そうぞう 国際的見識を持つ人材育成を求めるうえで、その重要性は想像できないほど高い。 もと こくせい かくしん ちゆうごくこくみん せいかつ ゆた 国政が求める中国の革新は、中国国民がより豊かに生活できることとして、 串う&'責鼠こ違透し、義弘まより豊かに人としての星宿を送ることができ き たい 教育に期待している。 こくせい め ざ こくさいきょうそう 国政の目指すものと、国民が目指す生活は、国際競争というフィールドの選択 によって、一致するのである。 きゅうたい こくせい そしきてき けんいてきあつりょく まったん しかし、国政における旧態の組織的システム、権威的圧力が、末端の公的組織に まんえん 蔓延する現状においては、先にあげた教科書にかかわる事件に対する、一般社会・ こくみん いしき しゆつばんしゃ -んしゆういいん にんしき だた へ こうてきそしき いっぱんしやかい り 国民の意識と、出版社、編集委員との認識におおきく隔たりがあることを、今 かいぜん じ上うき上う を持ってなお改善することができない状況にある。 かんしん よっきゆう ちゅうごくせいふ ちゆうごくこくみん がんぜん 教育に対する関心、欲求においては、中国政府と中国国民は、眼前にある こくさいてききょうそうさんか よそう しょうき 国際的競争参加によって、予想される勝機に向かって一致する。 がくしゆうよっきゆう きかい いっち かんき上う げんざい しかしながら、国民が求める学習欲求と、その機会、環境は、現在の行政が きょうかしょ きょういん ふく ぶっしってきかんきょうこうちく 持っ教科書、教員を含め、人的にも物質的環境構築能力とは、一致していない げんじつ 現実があるわけである。 ・36・ いっち ぎょうせい あらた 教育とは? 3、教科書とは? ちゆうごくき上うさんとう だいじゅうろくかい ふ か え 本事件を事例に改めて振り返る。 じんみんだいひ上うたいかい せっきょくてき ぷんかじぎょう ぶんかさんぎょう 中国共産党の第十六回の人民代表大会の「積極的に文化事業と文化産業を はってん こくさいき上うそう てんかん 発展する」という国際競争-向かっての大きな転換を先に紹介した。 じゆぎょうひ上うじゆん 同様に、 そしつ はっぷ 2001年中国の教育省は"新しい授業標準"を発布する。その中で、 き上ういく はんちゆう げいじゆつぴじゅつかもく 素質の教育の範噴に芸術美術科目が入れられる。それによって全国で美術の ぜんこく ぴじゆつ かいし きょういくかいかく 教育改革が開始する。 かてい り ねん 多くの美術の教師が、新しい課程の理念で生まれた美術の教科書に期待をよせ きたい f=. 『 《音韻嵩議の美毅崩窟営義経室(美術)》は、白岩に非軌こ呈鍍され、 き上うし せつじつ きたい なか とうじ上ラ 術の教師が切実に期待する中で登場した。 せんもんかも く じつ じっけんようひょうじゆんきょうかし上 しかしながら、出版された専門科目の実験用標準教科書が実は"アマチュア じ上うしきてき あやまり レベル"しかなく、多くの所に常識的な誤りがあった。 さきに たいしょう 』 き上うかし上 -んしゆうしゆつばん 先にあげた事件の対象となる教科書も、この改革の中で編集出版されたもの である。 じ上うきょう いつわ このような状況の中で、以下のような逸話が伝えられる。 き上ういくせんもんか あいだ じょうだん 教育専門家グループの間で"冗談"がささやれた. きょうかし上 びじゆつき上ういん しつぽう たいけん このような教科書を見たら、私は美術教員の失望を体験することができる。「授 なお 業よりミスを直すのが忙しい。」 さき き⊥うかし上 なか ないよう み じょうだん 先の教科書の中のミスの、内容を見ればこのような冗談が交わされることも、 り かい 思わず理解できる。 もんだいてん じょうだん きょういくかんけいしゃ しかしながら、重要な問題点は、このような冗談が教育関係者の中で交わされ ・37- か わ さ れ げんじつ み ている現実にも見ることができるのである。 そんざい やくわり 教科書という存在は、どのような役割をになうのか? 教科書は誰のためにあるのか? 教育、義轟敏うi'とはいかなるものであるのか? がくしゆう けん り ち いっ 教育を壷舶航?Jと、学習の権利とは一致するのか? そんざい き上うし きょうかし⊥ かんけい 教師の存在とは何か?教師と教科書の関係は? 教育者とはいかなる存在か? じゆうよう もんだい きょうかし上 なか そんざい もっとも重要な問題は、教科書の中に存在するミスの量でも質でもないのかも しれない。 じしん まな もっと かな ふゆかい 自身が学ぶにあたって、最もつらく、悲しいこと、不愉快なことは何のか。正 はんべつ あやまり ち しき じょうきょう しいこと、誤りそれが判別できない知識の状況にあって、それを今から学ぶこ ち しき はんべつ かくとく のうりょく かくとく とによって、知識を獲得し、判別する能力を獲得することしかできない、目の前 に与えられたものを、信じることからしかはじめられない、そのような状況に自 じど う まえ じど う た し い て ふ 身があったことを、児童を前に、児童に対して大人達教育関者の振り返る能力こ かえ のうりょく と そが問われるのではないだろうか。 にんげん よろこび た い し て ほんしってき り かい 学ぶことに対する、人間の喜びに対しての本質的な理解が、教科書の存在を かたちづく 形作るよう思うのである。 そ しつ きょういく たいげん じ き上うかしょ しん そ しつ もんだい 「素質の教育を体現する教科書に、その自身の素質に問題があって、どうして かてい かいかく すす そ しつ きょういく すす 課程の改革を進めることができるのか?素質の教育を進めることができるの か?」 ぎもん きょうかし上 み す ほんしつ この疑問こそが、教科書のミスの本質のように私は思う。 ・38・ そんざい きょうかし上さくせい ぎいみん もと しこ う 4,教科書作成に求められるのは主権在民の志向 き⊥うかし上 そんざい きょうかし上 ひつよう しよ う はんだん 教科書の存在は、その教科書を必要とし使用するものに、判断がゆだねられる ざんねん きょうかし上 ひつよう しよ う じ上うき上う じどう べきものであるが、残念なことに、教科書を必要とし使用する状況にある児童、 せいご ひつようせい lまんだん な のうり上く 生徒、学生にその正誤、必要性を判断する能力は無い。 がくしゆう けんり がくしゆう ちしきしゆうとく よっきゆう かくとく よろこ うったえる 学習する権利、学習、知識習得-の欲求や、その獲得の喜びを訴えること しゆうとく か ちしき はんてい ち おお かくとく はできても、習得する知識について価値判定ができるのは、多くのことを獲得し い かの う こ う てなお、それ以降に可能となることである。 がくしゆう けんり よっきゆう ほぜん ひつようせい そう ご りかい したがって、学習の権利や欲求の保全は、人権として、その必要性を相互に理解 けいけん かてい じしん じんけん まもる けいけん し、その過程を経験し、自身の人権を守るすべとなることを経験する、教育を ほどこ かんき上う う 」こうちく け 施されたものたちによって、「教育の義務」として環境が構築される.敏う% しゃかいじん さんかく りかい おとな き上ういく 社会人として参画する、いわば大人たちの理解のなかで、 ぎ すいこう む 「教育の義務」は遂行さ れる。 じしん しゃかい さんか ふと う さべつ かく さ ひてい 自身が参加する社会において、不当な差別や格差によって、人格が否定される さいていげん こと無く、人として生活できる纂嵐蔽のX敵前畳ち三、ざを蒜指するために ひつよう ちしき けいけん きょういく ぎ む 必要な知識、経験をつむことが、教育の義務なのである。 じしん しやかい さんか そしきたんい かんけい ひろ こつか しやかい 自身が参加する社会は、その組織単位の関係を広げていくと、国家という社会 たんい しゃかいたんい かなら ひろ こつか たんい 単位と必ずつながる.その社会単位をもっと広げて考えると、国家という単位で せいぎ むじゆん むじゆん の認識や正義の矛盾にもであうことになるが、その矛盾の修正は、国家という単 こくさいてきかんけい なか しゆうせい た -んかく よ ら ざ る 位での国際的関係の中での修正、変革に頼らざるおえない。したがって、人が豊 よう き上ういく こ こくみん つか かに生きていくために必要な教育は、その国家において国民として、生きていく に必要な教育ともなるわけである。 そんぞく ようてい 社会の存続の要諦は、その社会に参加する一人ひとりの人間そのものにある。 さいしゆうてき こ つか のうりょく したがって、畠琵の簸う脊、晶諾崖誕岩鼠ま、最終的に国家の能力というこ -39・ なる。 き の う 国民が、おろかでは国家という社会は機能しない。 そんぞく 一人ひとりに与えられた人間として生きるための教育は、国家そのものが存続 そしきてきじぎょう こうてい こくさく いな するための組織的事業、国策でもある。このことをすべて、肯定するか否かにつ こくさいてきかんけい けいざい な ふくざつ は じ たんじょう こくさいきぎょう いては、国際的関係が、経済によってより複雑になり始め、国際企業の誕生とそ こ はってん ふ いぞん つかけいざい こ そうしつ つか の発展に国家経済の依存が増え、国家というボーダーが喪失し始めた現代におい げんきゆう こんなん て、言及するのは困難である。 か と いぜん こつか こくみん しゆうごうかんけい しかし、その過渡期にある現代において、依然、国家と国民の集合関係におい ぎ む きょういく こくさく かんけい ては、義務教育が国策と関係することを肯定せざるおえない。 げんだいちゆうごく き上うざい -んさん ぜんこくてき ひ上うじゆんてき きょうかし上 そのような現代中国にあっては、教材の編纂、特に全国的な標準的な教科書 ひじょう -んしゆう じゆうだい しごと しごと はってん こつかきょういくじぎょう じんざい の編集は、非常に責任重大な仕事だ。この仕事は国家教育事業の発展、人材を そ だて るひやくねん たいけい ししつ こくみん かか いくせい 育てる百年の大計に、また国民の資質を育成することに関わっている0 義経毒の庖端箸は旨箇壷の鼠、揃で、教材の窟賀は、国家の美議に態管す げんざい(ふつ うこうこう じっけんようひょうじゆんき上うかし上( こうそしょう る。現在《普通高校の実験用標準教科書(美術)》を使う江蘇省を例として、毎 ふつ う こうこうせい 年の普通の高校生は40数万人が使っている、このミスのある教科書を、もしその あやまった まま使うと、 しんさ つ 40万人の生徒に誤った知識が詰め込まれることになる。 きょうかし上 ひんしつ ほし上う いっかん もっともしゆよう ちゅうごく き上うかし上 しんさ 審査は教科書の品質の保証の最も主要な一環だ.中国で、教科書の審査に きてい) たい (ぜんこくちゅうしょうがっこうきょうざい 対して、 《全国中小学校教材の審査決定委員会の規程》 せいてい しんさきじゆん 審査基準》 いいんかい しんさけっていいいんかい どう じ ぜんこく (ちゆうし上うがっこうきょうざい 、 《中小学校教材の ちゆうしょうがっこうき上うざい しんさけってい などが制定されている。同時に全国の中小学校教材の審査決定 せっち 委員会も設置されている。 じゆんちょう このような環境の中で、問題のある教科書がどうやって「順調」に教室に入 -40・ き上うしつ ることができたのだろうか? しや はんこうごうき しんさ ぎもん 私と同じように多くの読者が、韓洪剛記者に審査のシステムに関して疑問した。 めいかい はんこうごう しんび上うせい 韓洪剛記者の回答は、簡単で信じがたいが、もっとも明快でその信意性があるも のだった。 私にも、これが道理だと思えた。 よう 「よくチェックするとすぐ見えるが、そうしないと見えないだけのこと。」要は う さ こ こうせい せいさ 校正、考査、検査などのチェック機会に、充分な精査がなされていない現実であ る。 き上うかし上 せいいん しんさけっていいいんかい せんもんか こつかきゆう がくじゆつ けんい 教科書の審査決定委員会の成員は、すべて専門家で、国家級の学術の権威であ しん かれら さ き上うかし上 はっこう けんい かれ る。彼らに審査してもらうのが、発行される教科書の権威となる。彼らに"きび しん さ たの がくせい せいちょう はってん きょういくじぎょう しく審査する"ことを頼むことは、学生の成長のため、教育事業を発展のため、 ししっ こくみん たか せきにん また国民の資質を高めるためであり、 たいざん おも "責任は泰山より重い"と言える。 きょうかし上 しんさ ないよう もんごん しりょう しかし残念なのは、厳しい審査は、教科書の内容や文言、資料についてではな く、まったく別なもの-と向けられている現実があることである。 き び しんさ じんてきかんけい なか けんい せいどく おうこう 厳しい審査は、人的関係の中での権威としての横行であり、内容に関する精読に は無いということが問題である。 こくみん じ しん じこ く こつか じゆうよう よういん じかく き は く き上ういく 国民の自身が自国の国家の重要な要員であることの自覚の希薄さが、教育そ ほんしつ ふと うめい のものの本質さえ不透明にしてしまうのである。 こく ど こくせい いっきょくしゆうちゅう こんなん しかし、中国国土の広大さと人口に対する、国政における一極集中は困難ある かくしょう まか あつりょくかんけい き上うかし上さくせい ほんしってき ため、各省に任される教科書作成において、一方で権力的圧力関係の中で、本質的 そくめん きょうかし上さくせい きはく れつあく こくさいてき な側面が希薄になった教科書作成による劣悪な教科書が出現する一方で、国際的 し や しゆけんしや こくみん のうりょく さいだいげん の 視野にたった、主権者である国民それぞれの能力を最大限に伸ばすことを目的に、 ・41・ ちみつ せっけい き上うかし上 じじつ しゆつげん ち り て き じ上うけん 撤密に設計された教科書が出現していることも事実である。地理的な条件や せいじせいさく けんり上くこうぞう れきしてきはいけい さまざま じじょう きいん 政治政策、権力構造や、歴史的背景など様々な事情に起因し、嘉島簸う脊に き⊥うかし上かく さ う げんだい ちゆうごく る教科書格差が生まれているのが現代の中国である。 ・42- せかいかっこく きょうかし上せいど ちゅうごくきょうかし上せいど けいはつ 第三章:世界各国の教科書制度がもたらす、中国教科書制度-の啓発 ちゆうごく きょうかしょせいど げんじ上う 1、中国の教科書制度の現状 げんざいちゆうごく きょうかし上 せいど か い 現在中国での教科書にかかわる制度は、以下のようになる。 きょうさんとうたいかい たいこう けってい かてい き上ういくぶ 共産党大会において、大綱が決定し、教育部によって課程標準(日本の指導要 けってい 顔)を決定する。 かくしょう たいこう しめ きょういくぶ 各省によって、その大綱と教育部によって示された標準なるものに従い、各省 せっち しゆつばんしや かていきょうざいけんきゅうし上 かん かくき上うか がいかく けんきゅうそしき に設置される人民出版社の課程教材研究所と各教科に関する外郭の研究組織 かていかいはつ -んさん じんみんしゆつばんしゃ しゆつばん (課程開発センター等)が編纂を行い、人民出版社が出版をする。 ちゆうごくせいふちょつかつ にんめい がくじゆつせんもんりょういき 日本の検定にあたる審査は、中国政府直轄で任命を受けた、学術専門領域の いいんかい しん せっち さ 専門家による委員会が設置されそれが審査にあたる。 そしきじ上う ながれ たいこう こつか ししん しめし ちょつかつ き上ういくぷ 組織上の流れは、国家が大綱によって指針を示し、政府の直轄の教育部によっ かていひ上うじゆん にほん しどうようり上う じゆんき上 しょうせいふ ちょつかつ て示される課程標準(日本の指導要領にあたる)に各省が準拠し、省政府の直轄 しょくむ さいしゆうしんさ の出版社において、その職務に当たるスタッフにおいて作成する。最終審査にお ふたた ちゅうおうせいふ にんめい しんさいいんかい しんさ いて再び中央政府が任命した審査委員会が審査を行うというフローである。 じあん げんじつ 第二章の2で記したような、事案は起こりにくく見えるが、現実はかなり多く じしょう ちゆうおうせいふ はあく の事象が重なり、中央政府がすべて、把握できる状況に無い。また、省政府に まか じじつじょう きょうかし上さくせい -んさん せいさく 任される事実上の教科書作成にあたっては、その編纂、製作スタッフは出版社内 ちいき きょういくかんけいしや のスタッフとその地域の教育関係者が中心となる場合が多い。 かくしょう lまうしん (この部分につい りょういき ては各省の方針でばらつきがある。たとえば領域専門家をスタッフの主要メンバ はいち しゆつばんしやない きょういくかんけいしゃ はいち かいぜん 一に配置する。そのほとんどを教育関係者で配置するなど、改善を図る省もある が。) ・43・ さくせい きゅうたい したがって、編集作成は旧態のものを、引き継ぐ状況をぬぐいきれない状況も き上うかし上 むりょうはいふ せいど 含んだままである。また、教科書は無料配布や、貸し出しなどの制度は無く、就学 せたい な しゆうがく しゅっばん ひよう 児童をもつ世帯で購入しなければならない。したがって、出版にかかる費用と、 はんばいぶすう よさん もんだい かくしょう けいぎいりょく よさんはいぶん 販売部数との予算の問題も、各省の経済力、もしくは予算配分などの影響も微妙 じんてきかんきょう そしきてき に受けながら、作成されることになる。人的環境については、組織的な内容やス けいれき えいき上う ぴみ上う ないよう さんこうさくひんしり上う タッフの経歴など細かく調査しなければ結論は出せないが、参考作品資料などに っいては、他の印刷物からの岩月などを用いたものなど、使用する敏有述赫 しゆうしゆうかてい せつやく けいざいてきそくめん -んしゆう 収集課程での工夫というか節約などから、経済的側面での編集に与える影響 あたえるえいき上う などを見ることができる。 もんだい しゆつばん かくしょう さいり上う なか 様々な因子によって起こる問題は、出版する各省での裁量の中で決済されて き上うかし上 けっさい たんじょう 教科書が誕生していることになる. ちゆうおうせいふ にんめい いいん かくしょう しゆつばん 中央政府により任命された審査委員は各省ごとに出版されるすべての きょうかし上しんさ ばうだい かず きょうかし上かすう 教科書審査にあたるわけである。膨大な数の教科書数となる。したがって、内容 せいご せいさ ちゆうおうせいふ たいこう きょういくぷ しめすかていないよう こつかてきせいさく の正誤に対する精査よりも、中央政府の大綱、教育部の示す課程内容、国家的政策 かんけい もと せいさ にあった国際的関係に基づいた精査が中心となっているといってよいだろう。 しょうせいふ かくちいき き上うかし上しゆつばん ちゅうごくぜんど 省政府による各地域による教科書出版をやめ、中国全土にまたがる一括した さくせい ちいきかん かく さ て いっかつ だ 教科書作成が、地域間のばらつきや格差をなくす手立てとしては、最も簡単な方 こつかせいど き上うさんとう せいふ じゆうこうぞう 法といえるが、中国という国家制度が、共産党と政府という重構造であること、 れきしてきなが こうだい かんり こくど 歴史的流れの中で広大な国土にまたがる管理をしていく上で、省による連邦制を しょうすうみんぞく おお か か れんぼうせい みんぞくこつか 導入していること、少数民族を多く抱えた多民族国家であることなどから、地域 ぶんかたいけい ほぞん はいりょ そんち上う かんきょう れきしてきじょうけん ごとの文化体系の保存や尊重、民族-の配慮など様々な環境、歴史的条件など いっかつ も理由に、一括した教科書の作成がなされていない。 ごうりせい いっかつ ひょうじゆんぷぶん かん ふくどくIまそく 合理性から、一括した標準部分に関する教科書を作り、副読補足部分として各 -44・ かん みんかんしゆどう そうけい 省に任せる部分を作るということも考えられるが、民間主動に関しての早計な ていあん か ひ え た い 提案は控えたい。 きょういくすいじゆん こくみん あ ぞうだい きょうそう こくさいしやかい 国民の教育水準を上げ、国力を増大し、国際社会と競争していくことを選択 ぎ むきょういく ちゆうごく きょうかし上 もんだい じゅうよう した中国にとって、義務教育における中国の教科書にかかわる問題は、重要な かだい めいかく じしん ちゅうごくこくみん せいかつ 課題であることは明確であり、また中国国民にとっても、自身の生活をよりよい かんしん ひじ上う たかいじあん ものにしていくうえで、非常に関心の高い事案であるといえる。 2、各国の教科書制度 ヨーロッパ、北アメリカ なんおう せいおう ほくおう 西欧、南欧、北欧、北アメリカなどの多くの国においては、教科書はすべて民間 しゆつばんしや -んしゆうはっこう の出版社によって編集発行されている。 がっこう きょうかし上 せんてい さいたく ほうほう くに 学校での教科書の選定、採択の方法は、国によって異なる。 しゆうもんぶしょう さてい ドイツ、ノルウェーは、州文部省の査定を受けたのち、使用される0 きょうかし上にんていいいんかい かくけん き上うかしょもくろく にんてい はっこう かくがっこう フランスは、各県の教科書認定委員会が認定した、教科書目録を発行し、各学校 もくろく きょうかし上 せんたく はその目録に沿って教科書を選択する。 しゆうき上ういくいいんかい アメリカ、カナダの多くの州も、フランスの制度に近い。州教育委員会から にんてい う け た き上うかし上もくろく かくがっこう もくろく はいふ 認定を受けた教科書目録が、各学校に配布され、その目録にしたがって選択する。 しん さ にんてい せい ど な きょうかし上 イギリス、スウェーデン、フィンランドは、審査、認定などの制度が無い。教科書 しゆつばんがいしや おお のうりょく えいきょう みんかん きょうかし上しゆつばんがいしゃ こつか かてい 出版会社の能力が大きく影響する。民間の教科書出版会社は国家の課程の ひ上うじゆん けんきゅうきかん かていけんきゆうせいか 標準、研究機関の課程研究成果、あるいは串嘗敏う脊の軍管壷磁謀議の妄 きょうかし上 けんげん へんしゆう こうち上う き上うし よって教科書を編集する。教科書の採択の権限は学校の校長、教師が持ってい がくちょう きょうし そうだん き上うかし上 しよ う る。イギリスでは、学校の学長が教師と相談して教科書の使用を決める。小学校 ・45・ し上うがっこう けっていけん こうち上う ちゆうがっこうきょうかし上 しゆ せんたく がっか じゆぎ上うたんとうき上うし 校長の決定権は大きくて,中学校教科書の選択は主に授業担当教師、特に学科 ち上う そんち上う いけん 長の意見を尊重する。 アジア にほん みんかん きょうかし上しゆつばんしゃ きょうかし上 ちゅうごく -んしゆうはっこう かんこく 日本は民間の教科書出版社から教科書を編集発行するが、中国.、韓国、マレー し上とうきょういく こ つか ちゆうとうきょういく シア、シンガポール、インドネシアなどのアジア国家は初等教育と中等教育の だいぶぶん こ きょうかしょ つか にほんいがい -んしゆうはっこう さいたく 大部分の教科書は国家から編集発行する。したがって、日本以外、採択のための にんてい しんさ てじゆん そんざい 審査あるいは認定する手順が存在しない。 みんかん きょうかし上 しゆつばんしや う しよ しかし近年になって、アジア各国でも民間の出版社による教科書が使用される ようになった。 ぽ こ く ごいがい かも く シンガポー)レでは主に社会、岩窟二Li態と母国語以外の科目、マレーシア 題益、由嵩、義挙、違献荏答hj策の粁p'に限って旨尚の姦芽室が鹿蒲される Li益毒指を炭モミマすべての科目は民間で タイの姦韻串智敏う脊は畠嵩、由'i、 行する。 みんかん しゆつばんしや はっこう き上うかし上 日本を含めて,すべてのアジアの国々では、民間の出版社が発行する教科書は こ か つ さ しん 国家の審査を受けなければならない。 しよ きょうかし上 にほん うさいたく し上うちゅうがっこう し きょうかし上 まち むらきょういく 教科書の使用採択については、日本では、小中学校の教科書は市、町、村教育 いいんかい こ こ つか う ごうかくきょうかしょもくろく ふ と うちいき きょういくじょうきょう 委員会が国家の公布した合格教科書目録によって、また当地域の教育情況の ち上うさ と うちいき つう とういつ せんてい きょうかし上 調査を通じて,当地域の統一な教科書を選定する。また選定に当たっては、教師 を中心としたワーキンググループの意見が反映される。近年では、一般の教師、 Iま ご しゃ いっばんじん いけん と い き上うかし上 いっぱん さいたく 保護者、一般人の意見も取り入れて、教科書が採択される。 き上ういくいいんかい さいたくけってい ふくどくほん 近年日本では、教育委員会が採択決定したものに反して、独自に副読本として、 べつ きょうかし上 しよ う こころ がっこう いっぱんゆうしきしや 別の教科書の使用を試みる学校も出た。教師、保護者、一般有識者などと、教育 ・46- き上うし こと いいんかい けんかい しめ こんらん 委員会とが異なる見解を示し、混乱なども出ている。 こんらん かいしやく そうい こんぽん この混乱は、義嘉敏う育に対する解釈の相違が根本にあるといってよい ぎ きょういく むきょういく う けんり た い して ぎ む き上ういく う ぎ む まで義務教育は教育を受ける権利に対しての義務であって、教育を受ける義務 こんかん れき こつかてき しにんしき こくさいてき れき しにんしき ではないことを根幹にしており、国家的な歴史認識と国際的な歴史認識のどちら きょういく う がくしゆう せんたく そうてん に立って、教育を受ける(自らの学習を選択する)かが、大きな争点であった。 3、供給制度について くに むし上うはいふ む り 上 う か し だ ヨーロッパ、北アメリカなどの、ほとんどの国が無償配布、無料貸し出しであ きょうかし上 むし上うはいふ り、日本も小中学校での教科書は無償配布である。 一方、アジアの国々において、供給制度は様々である。 ぎ き上ういくし上とうだんかい む むしょうていきょう むしょうたいよ ′J、学校(義務教育初等段階)に関して、韓国、インドネシアは無償提供、無償貸与、 中国、マレーシア、シンガポールはすべて、有料購入となる。ただし、マレーシ かん ていし上とくしやそう むしょうたいよ アは、低所得者層に関して無償貸与を行う. ぎ む きょういくちゅうなどだんかい ていし上とくしやそう むり上う 中学校(義務教育中等段階)に関しては、マレーシアが低所得者層-の無料 たいよ せい ど も う け て 貸与の制度を設けているが、韓国、インドネシア、マレーシア、シンガポールな ゆうり上うこうにゆう ど、有料購入となっている。 ちゆうとうきょういく かん むりょうたいよ けいたい たいよ インドネシアは、中等教育に関して、無料貸与の形態をとるが、貸与される れっか げんじつ こうにゆう 教科書の劣化がひどく、現実には購入するものが多い。 むし上うはいふ むりょうたいよ アジアにおいては、有料、無償配布、無料貸与など様々な形態やとる。 むし上うはいふ むりょうたいよ さ こくせい い 無償配布と、無料貸与は、量産簸う蓄に静する国政的認識にさほど差異は 考えてよいだろう。 たいよ けいざいてきふたん 配布と、貸与の違いは大きくは経済的負担の問題ではないかと考えられる。 むりょうたいよ むしょうはいふ こくせいてき 有料と、無料貸与、無償配布に関しては、義務教育に対する国政的位置づけや、 ・47・ い ち こくせいめん こつかしゆぎ えいき上う 多民族など国勢面や、国家主義による影響があると考えられる。 たいよ けいざいてきもんだい けんち 貸与については、経済的問題を含めた中での、義轟敏う音韻き鼠こ対する たいおうさく じ じ じょうせい -んか かがく しんぼ らの対応策と考えられるが、時事変化する国際情勢や科学進歩などにまで視点を きょういくないよう けんかい 広げて考えると、義嘉敏う%'に求める教育内容に対する見解などが見えて 有料については、わが祖国は初等中等すべて有料で有ることが、アジアの中で き上うきゅうせいど も際立っ供給制度といえる。 ぎ むき上ういく ほんらい りねん したが きょういく う けんり じとう ゆう 義務教育の本来の理念に従えば、教育を受ける権利を児童が有し、教育を施 かんきょう ほぜん ゆう こくみん むしょうはいふ す環境を保全する義務を国民が有すると考えれば、無償配布が望ましい。 ちゆうごく じどうすう たみんぞくこつか かくしょう のぞ れんぼうせい ちか しかしながら、中国の児童数、多民族国家、各省の連邦制に近い政治形態、 きょうさんとう きょうさんせい むし上うはいふ おお ふくざっ じじ上う 共産党と共産制など、無償配布をするには、多くの複雑な事情を整理しなけれ せいじけいたい せいり ばならない。 ぎ む きょういく ほんしってき りねん 簸巌鮎篇封崖の箪=3:は、義務教育の本質的理念を明確にするとともに、 ぜんじどう せいと どうとう がくりょく めいかく しゆうとく 全児童・生徒に同等の学力を習得させるのにきわめて有効であり、また国民の しやかいいしき たか きゅうたい 社会意識を高める上でも効果的であるが、旧態の組織的プロセスの上で、そのま も こくさいてき-んかく けいざいとく く かどきてきこんらん ぶんさん ま盛り込むことは国際的変革を経済特区などをして、過渡期的混乱を分散させて げんじょう おお こんらん まね いる現状においては、大きな混乱を招きかねない。 ちゅうごく むし上うはいふ いた かてい こんご ふくざっ もんだい かいけつ のこ 中国が無償配布に至る過程では、今後も複雑な問題の解決が残されている。 と同時に、 いたるかてい き上うかし上さくせい &L慮品篇に至る過程で教科書作成にいたるプ。セスについても、 -んかく きな変革が求められることになる。 -48・ 4、中国の教科書制度について きょうかし上さくせい かっこく せんてい きょうかし上 せいど 先に各国の教科書作成プロセスと認定、選定などの教科書にかかわる制度を しょうかい 紹介した。 ざい ちゆうごく きょうかし上さくせい せいど さきにしょうかい じょうきょう 現在の中国における教科書作成とその制度は、先に紹介したような状況に ある。 げんざいかくしょう せっち じんみんしゆつばんきょく かくしょう 現在各省に設置された人民出版局が各省ごとに出版する。編集委員会に当た そ しき しゆつばんき上くないぶ せっち る組織はその出版局内部に設置されている。 ちゅうおうせいふ たいこう き上ういくぶ しめすかていひ上うじゆん したが しゆつばん だいいち ぎ 中央政府の大綱と、教育部の示す課程標準に従い出版することが第一義で ある。 し じ したがい じゆんき上 そ しき へんしゆういいんかい 指示に従い、準拠することを第一義とするため、編集委員会にあたる組織が、 そ う い ていあん かくしょうかくいちかし上 いちそ しき ひ せいさく 創意をもって提案することや、また各省各-箇所、一組織での制作となるため比 くら かいあん しゆうれん きかい き わ め て す く な い 較による改案など、修練する機会が極めて少ない。 らんぼう よそ く はんい 乱暴な言い方をすれば、どこまで書いていいのか、上を見ながら予測できる範囲 もんだい はんい な せいさく で、問題の無い範囲で制作をするということが、起こりやすい状況にある。 みんかんすうしや し くに ど うようりょう ここまでの状況を書けば、民間数社が国の指導要領に従い、それを解釈し教科 しんせい はっこう げんりてき してん 書を作り、各社より教科書としての発行を申請されたものを、原理的視点からの けんてい う せんてい かくちいき き上ういくげんば いけん さんこう さいたく 検定を受け、各地域ごとに選定し,教育現場の意見を参考にし、採択を行う。と げんだい ゆうこう しゆだん てんかん いうプロセスが、現代において有効な手段であり、早々に転換が求められたいと 思うところである。 た みんぞくこつか き上うわ しかしながら、中国という国家嘉7J冨の歴史の中に、多民族国家による共 史がある。 みんかん き上うかし上しゆつばんがいしや ふくすうそんざい じJ:うきょう つく したがって、民間の教科書出版会社が複数存在する状況を作り上げたとして かくしょう みんぞく せいかつかんしゆう と ちいき きょうかし上 さくせい も、各省や、民族の生活慣習を取り込んだ地域にあった教科書の作成となると、 ・49・ せいさんへんしゆうのうり上く こうど しきんしげん たいするのうりょく そこに求められる生産編集能力など、きわめて高度で、資金資源に対する能力 が初期より大きく求められる状況にある。 みんぞく ちせい ふ ふくすう きょうかし上はっこう き上うかし上いがい 民族、地勢などの条件を踏まえたうえでの複数の教科書発行は、教科書以外の しゅっばんしょせき さんざ上う きばん な きわ 出版書籍などの産業の基盤の確立が無くては、困難を極める。 しゆつばんけいしきじたい いんさつ インターネットによる、構葡デジタル化が進む中、印刷による出版形式自 かつろ こんなん じょうきょう きばんかくりつ いっそう こんなん きわ 活路も困難な状況にあっては、一層その基盤確立は困難を極めるであろう。 しゆつばんぶつ きせい 出版物に対して厳しい規制の中にあった中国において、インターネットによる じょうほうかんり こんなん きわ 情報管理は、困難を極めた。しかし一方で、すべての情報に対して、体質的とも かびん はんのう かんよう いえるほどの過敏な反応が肝要になり始めたことが、論う美、の等う宙の簸 かかわる構葡の義範昌に宥義なu&5諾を与えていることも理解するべきで ちゅうごく きょうかし上せいど か どき て きかいぜんさく 5,中国における教科書制度の過渡期的改善策(提案) そ しき がいりやく --一組織とフロー概略 か ど げんざい -んかだんかい ちゅうごく きゅうたい ぎ上うせいてき 過渡的な変化段階にある現在の中国において、旧態の行政的フローとシステ ちょうりゆう こくせい きょういく そしき ムと、新しい潮流のなかで、国政におおきくかかわり教育にかかわる、組織フロ たこく た けいたい だ と こんなん こんなん 一にかんして他国の形態を直ちに取り込むことは、困難であるし、その困難を の じし上う かか 乗り越えたとしても、他の事象にかかわっての大きなリスクを抱えることになる。 げんじょう がくもん せんもんり上ういき しげん じゆうぷん もっとも、現状で、学問、専門領域にかかわる資源を充分に活用し、組織や じんてきこうせい けいかくだんかい せっけい み かつよう あつり上く そしき Iまたら かんきょう 人的構成によって、計画段階や設計において見えない圧力などが働かない環境 かくほ し上うらいてきかのうせい かいひ はかれ こくさいてき を確保し、将来的可能性と、リスク回避が図れ、そして、国際的に直ちに通用す こうせい ただ っうよう もと る構成が求められる。 せつあん にほん わたし ちゆうごく のうりょく ちから かくしん 拙案であるが、私なりに日本から、中国の能力、力を確信し、最も効果的で、 じっこうせい そあん しる 実効性があると考えた素案を記す。 ・50・ こうかてき せっ かくし上う ち こうとうきょういくきかん しはんがくいん しょうせいふ れんけい 各省に設置される大学高等教育機関、師範学院に省政府と連携した出版セン せっち がくじゆつろんぶん き上うようし上 はっこう きょうかし上しゆつばんぶ ないせつ タ-を設置し、学術論文、教養書などの発行とともに、教科書出版部を内設し、 ぎ しよ むきょういく う き上うかし上 さくせい 各省の義務教育で使用する教科書を作成発行する。 せっち き上うかし上しゆつばんぶ ぜんしょう むす 設置された出版センターの教科書出版部は、全省でのネットワークで結ばれ、 そ う ご しりょう ていき上う 相互の研究資料の提供などが行われるようにする。 き上うかし上しゆつばんぶ-んしゆういいんかい だいがくけんきゆうしょくいん きょういん かくしょう し上とう それぞれの教科書出版部編集委員会は、大学研究職員、教員と、各省の初等 ちゅうとうきょういん き上ういくいいんかいいいん せんもんりょういき いっぱんゆうしきしや きぎょうしや こんせい 中等教員、教育委員会委員、専門領域研究者、一般有識者、企業者などの混成 かくとし こうせい で各年で構成する。 き上うかし上しゆつばんぶ ちいきたいおう しっぴつ ぜんこくばんたいおうぶぶん ぶもんさくせい 教科書出版部は、地域対応部分の執筆チーム、全国版対応部分コンペ部門作成チ ームに分かれて実務を行う。 じつむせいさく しゆつばん だいがく がくいんなど けんきゆうしつ 実務制作は、出版センターを置く大学、学院等の研究室がチームを構成し、 お う だいがくけんきゆうしつ けいぞくけんきゆう きょうかし上さくせい (このことにより、大学研究室の継続研究と、教科書作成 その業務を請け負う。 よ はか さんけいげん における研究とがリンクすることにより、予算軽減が図れる) ぜんこくき上うようぶぷん き上ういくぷ せんもんけんきゅうしゃ 全国共用部分のコンペに関しては、教育部、専門研究者とともに、各出版セ しんさいいん せんしゆつ とくひょラ ふくすうあんすいせん ンタ-から数名の審査委員を選出し、複数案推薦形式をとり、得票の高いものを すうてんせんたく さいしゆうけつろん 数点選択し、最終結論を出す。 ざっばく けんしょう 雑駁なものであるので、様々な部分での検証が必要であると思うが、この提案 じゆうよう し ぶぶん ぶぶん かくしんてき けんきゆうきかん せんもん しゆつばん が重要視している部分、革新的である部分は、専門の研究機関に出版センター けんきゅうきかん がくもんけんきゆう ふか を置くこと、また大学などの研究機関におくことで、学問研究にもっとも不可欠 じ ち て き じゆんすい りょういき ないよう かくIま だいいち な自治的でかつ、国際性と純粋な学問領域による内容の確保を第一にしているこ かくし上う そんざい だいがく ちいきこうけん けんきゆうきかん し上うらいてき と、また各省に存在する大学の地域貢献、大学等研究機関に将来的に必要とな けいえいてきそくめん る経営的側面における競争を導入することにある。 ・51- ひつよう けつ ちいきせい ぶぶん ぜんこくひ1うじゆんぷぶん ぶんかつ へんしゆう 6、地域性にかかわる部分と,全国標準部分の分割と、それぞれの編集 ほうほう 方法 た みんぞくぶんかかんしゆう かくしょうちいき のこ ぶんかいさん みんぞくいさん 中国の多民族文化慣習を残し成立する各省地域の、文化遺産、民族遺産に対 ほ かてきそんちょういしき じ きょうかし上 ないよう して文化的尊重意識を保持しながら、各省にあった教科書の内容とする。 ちゆうごくぜんど じどう どうよう ちしき うのうり上く しこ じゆうぜん む しゆうとく また、中国全土の児童に同様に求める、知識、思考能力の十全な習得に向かっ ふ-んてきがくしゆうないよう かくしょう はいち いいんかい た、普遍的学習内容については、それぞれの各省が配置する、編集委員会がコ こ うかてき おも かたち せんたく ンペの形式により、提出し、もっとも効果的と思われる内容のものを選択する。 提案理由とその長所 しゆつばんぶつぜんたい こうもく 各課程の項目ごとに、コンペ形式を導入することで、出版物全体を編集作成後 しんさ けんてい しゆうせい く わ もど さぎ上う -んしゆうさくせいご げんじょう けいげん ちゅうごく に審査、検定し、修正を加えるという、戻り作業が軽減できる。また、現状、中国 すうしや しゆつばんしゃ きょうかし上さくせい どじ上う けいざいてき において数社の出版社による教科書作成という土壌を作ることが、経済的、ノウ こんなん おぎな ハウ面で困難であることを補うことができる。 しゆうせき ていしゆつ また、コンペ形式にすることで、提出されたものがデータとして集積されるの ふくすう きょうかし上 はっこう ふ かくし上う か の う じょうたい ひかく で、複数の教科書を発行することが、各省ごとに不可能な状態では比較による こ う さ こんなん ひかく う さ こ か しゆだん 考査が困難である。その比較による考査に変わる手段とすることができる。 こうとうきょういくきかん けんきゆうきかん り よ う けんきゆうしりょう じょうほう かつよう ふく 高等教育機関、研究機関の利用、研究資料、情報の活用を含めたノウハウの ちくせき れんけい げんじょう こうちく しせつ かつよう 蓄積や、連携によるネットワークの構築なども、現状の施設、人材活用は、効果的 けいざいてき ちゆうごく て き し た く ふう て だ て 経済的かつ、中国に適した工夫の手立てではないかと提案する。 -52・ ていあん こうかてき 第四章‥中国篇芳、芳拐、呂謀の義芽室の品議 ふ きょうかし上 しょうげき 日本-留学して、日本の教科書に触れたときの、最初の衝撃を忘れることがで きない。 かんしゆう こうふく ゆた それぞれの国には、それぞれの国の古くからの慣習があり、また幸福や豊かさ こと を感じるものも、それぞれ異なる。したがって、自国民にはなんでもないことが、 まず た こくみん かんどう 他国の人から見たら貧しく見えることもあれば、他国民が感動するようなもので こ く み ん たこ く じこ たい く は も、自国民から見たらたとえ自国のことであれ、他国に対し恥ずかしくみすぼら しく思うことも有る。 日本という国が、蒙篭や軍など&'+31た製品を作る豊かな若造畠であると こ く ど おお れき じんこう ちゆうごく し も ゆた しながらも国土の大きさや、人口、歴史などから、中国の持つ豊かさが劣ること はないという思いがあった。 にほん きょうかし上 にはん み ほんしってき ゆた しかし、日本の教科書を見たときに、日本の本質的な豊かさを見たような気持 ちがした。 ろんぶん れきぜん けいき この論文のそもそもの契機は、日本の教科書と中国の教科書の歴然とした違い ぐたいてき ちが ひか く に、何がどう具体的に違うのか、詳しく比較してみたいという思いがあった。 てんしん そだ ふる れきしてき ぺきん こうえき 私が育った天津は、歴史的にも古く、北京からも近く、海にも近いため、交易と けいざいてき せいさんざ上う あんてい ゆた と し てんしん 生産業によって昔から、経済的には安定した豊かな都市であった。その天津の き上うかしょ いんさつ れつあく にほん き上うかし上 うつく ひかく 教科書の印刷の劣悪さは、日本の教科書の美しさとは比較できないほどのもので あった。 きょうかし上 ひかく 私が中学生であったころの、教科書との比較をしたことも大きな要因であった れつあく が、、、。中国の教科書が、なぜこれほど劣悪なのか?信じられない思いで、調査を し始めた。 いんさつめん ひょうめんてき ちゆうごく ひかく きょうかし上 これは印刷面での表面的な比較においてであるが、中国の教科書は、現在の きょうかし上 ずいぶん 教科書においては、日本のものと随分近くなったような気がした。しかし、いま ー53・ げんざい ぜん ずはん いんさつ だ印刷や図版や全体のレイアウトが、美しくない。 き上うかし上 にほん たい き も き上うかし上 日本の教科書に対して、うらやましく思う気持ちと、中国でこのような教科書を にlまん きょうかし上 しら 使えたらという気持ちで日本の教科書を調べ始めた。 きょうかし上 し ないよう つた く ども こ せいち上うかてい 調べ始めるうちに、教科書の伝える内容や仕組みに、子供の成長過程や、指導 ざいりょう たい ど う ぐ にあわせた、材料や道具などに対する細かな組み立てがあることに気がついた。 てんしん あたら き上うかし上 わたし つか 天津の新しい教科書は、私が使っていたころに比べ随分、美しく楽しい。参 せかい 考作品も増えたo く ら ふ そうぞう む 知らない世界-の想像も膨らむそんなっくりができるようにな がしつ あら こま ってきてはいるが、いまだ写真などの画質は荒く、細かく見ていくと異なる単元 いっけんこ ど も さくひん み であるにもかかわらず、一見子供が書いたような作品に見せて大人が描いたもの ばくぜん そうごうてき あんない さくひん が並んでいたり、漠然と総合的に作品を作らせてしまうような案内になっている ことに気がついた. きょうかし上ひかく 日本の教科書がすばらしく思える気持ちが大きくなる一方で、私の教科書比較 けいとう せいひんしつ は、製品質に傾倒し始めようとしていた。 たいしつ よ こと 北方と南方では、古くから体質が異なることを思い出し、篇芳の姦芽室を せた。 ちゆうごく き上うかし上 それはまったく私が知る中国の教科書ではなかったo調べていくうちに、中国 けいざいとく く こくさいてき -んか と し しんけん せいかつようしき の経済特区のすさまじい変化と、国際的都市と生活様式を身につけることに、真剣 ちゆうごくじん すがた かさ ちゆうかしそ う かきょう せいしん よ な中国人の姿が重なった。もともと中華思想、華僑の精神は良くも悪くも世界 にあった。宥芳の義経喜は崩べるうちに、かなり研究され作られていること けんきゆう たん がいこく こくさいせい たん もほう かったoその研究は単に国際性を身につけようと、外国のものを単に模倣するの じどう せいしんはったっ ぎ ほんしつ むき上ういく きょうかし上づく ではなく、児童の精神発達や、義務教育の本質をゆがめることなく、教科書作り を始めているようにも感じるものであった。 じどう せいちょう がくしゆうよく じどう けいけんてき あ つ せいしんてきはったっだんかい こま 児童の成長、学習欲、児童の経験的積み上げ、精神的発達段階などに、細か ちゅうい は ら われ かくがくねん たんげん ぎ む き上ういくきかん とお ていねい」 く注意が払われ、各学年そして単元が、義務教育期間を通して丁寧に積み上げ -54・ つ あ ぐたいてきてんかい めいかく られたカリキュラムに沿った、より具体的展開を明確にしたものであった。私の にほん きょうかし上 中にくすぶり続けた、日本の教科書コンプレックスから、留学生が日本はすばら もうもく めいろ しゆんかん かいはう しいと、盲目的に評価する迷路から解放された瞬間だった. きょうかし上ひかく ちゆうごく にIまん ずしき なんぽう にほん ほっぽう ひかく 私の教科書比較は、中国の日本の図式ではなく、南方、北方、日本の比較とな ひつようせい う じど きょうし おや きょういくぶ もんかし上う り、教科書そのものに対する必要性について、児童、親、教師、教育部・文科省な し い へんしゆうしや どの視点から、そして制作にかかわる編集者の意思などを考えていく上での、比 較と変わった。 ここでは、串う&'篇芳、詣芳の義経室と呂`誌姦芽室の違いを、表にして紹 かてい かも く そうごうてきてんかい おお 課程や、その他の科目とのかかわりで、総合的展開が多い5・ ぎ むきょういく じど う なに 6年生を除いて、 よ ていき上う 1年から4年まで、義務教育が、児童に何を提供しようとしているのか、要素が てんかい そうごうてき ていがくねん ちゆうがくねん ひかく しょうかい 総合的に展開しない、低学年から中学年の比較を紹介する。 たんげん か もんごん たんげん こ ど も な こ と ば 単元ごとに書かれた文言や、その単元で子供-投げかけられた言葉を書き出し、 ど う ぐざいりょう さんこうさくひん さんこうさくひん く ぶん すうりょう 道具材料、参考作品、参考作品などを区分して数量で表した。 ・55- あらわ う そ 北の方(夫津市) 目的、指導 自分好きな絵の具と道具で一枚の 作品を作ってください。 見て!私たちの絵 生徒の作品3点、生徒たち作 業中の写真2点。 大自然に入る みんなで作ろう カラー線とカラー点が つながる 材料無制限、服をテーマにする作品を作 る。自分の作品について現明して、みん なの意見を聴く。 円形の感覚を話して,線と色を 使って自分が好きな円形物を描 く。 方形の感覚を話せして、線と色を 使って自分が好きな方形物を描 く。 三角形を探せよう 組み合わせ 組み合わせ 三角形の感覚を言舌して,線と色を 使って自分が好きな三角形物を描 く。 占 みんな てみよう。工夫 な。 学校には、友i; ね。いろいろな を作ってみよう なかよし Ilヽヽ○ カラー練とカラー・点を使って一枚 の作品を作る。 生徒作品7点,生徒が作業中の写 真1点。 雨の感受を描いて見てください。 生徒作品6点、生徒が作業中の写 真1点。 でてきた はこ 見つけたよこん な、こんなもの できた はこ ハコ いつも遊んでい 料でどんなこと んな場所で作ろ 臭が いろいろな箱や 並べたりすると い だね。工夫 身の回りにある 並べてみよう。 よう。工夫 集 に並べようかな 材料,技法は無制限、花火をテー マにして作品を作る。 描く、切る,貼るなど技法で作ら れた生徒の作品5点、花火の写真 6点。 生徒の作品2点、円形物を含 む日常写真5点。 美しい印の紋様 自分の手、菓、など色を付けって 拓本をする。 生徒作品1点、作る方法の写真2 点,生徒が作業中の写真1点。 ねんどでたしざん いろいろな形を せてみよう。工 ようかな。 1 紙コップの表面で絵を描いて,縄 で刺し連ねる。 生徒作品2点,作る方法の写真3 点、生徒が作業中の写真1点。 きょうかしょびじゅつ 触って感じて 触ってみよう 絵画,紙を引き裂く,切るなど方 法で泳いている魚を表現してくだ さいo 生徒作品5点、海底の写真1点。 絵画、紙を引き裂く、切るなど方 法で空を飛行している人間を表現 してください。 生徒作品7点,生徒が作業中の写 真1点。 生徒の作品2点,円形物を含 む日常写真5点。 泳いている魚 私は空を飛行している 大恩に太陽さんと月さんの童話を 作て、描きだす。材料は無制限。 私の新しい友達 水墨ゲーム1 水墨ゲーム 生徒作品2点,作業中の写真5 なあに すきなもの きらきらの花火 2 にちは! る。 生徒の作品5点。 生徒の作品4点、円形物を含 む日常写真6点。 1 太陽さん,月さんこん 石,瓶,缶、紙を並べて図案を作 掲載図、写真など 2 ならべて どんどん かん なかに入ったり けた場所をかこ こつちにおいでよ よう。工夫 見つけた石や襲 おもしろいかたち いっぱい 生徒作品6点,生徒が作業中の写 真1点。 みて、みて、おはなし たのしいな 花は先生に贈る 色紙で花を作って先生に贈る。 生徒作品4点,生徒が作業中の写 真2点。 私は作った文房具 紙ボックスとゴム粘土で文房具を 作る。 生徒作品5点、生徒が作業中の写 真1点。 動ける紙の人形 色紙で動ける紙の人形を作る。 生徒作品2点,作る方法の写真5 点,生徒が作業中の写真1点。 描いて,作って,多忙な交通風景 を表現してください。 生徒作品5点、生徒が作業中の写 真1点。 ドキドキ ベタベタ ペックン コロコ ニヨキニヨキ いろなものを作 な組み合わせに のに名前を一 お話を仰いたり たことを徐に措 すごいな ウキウキ ロ いと思った所は がら 好きな動物を作 う。工夫 どノ 友達が楽しいと 楽しかったこと たことなどを轟 どんなところを ながi 身の回りにある どうすればうつ なものでうつそ ンも 身近な材料を便 したりする楽l どんなものが男 友達を-弁 色 いろと 手の印、指の印が変 わった 何に見える? 立って,立って ようぐのホー ムページ 生徒の作品7点。 童話の中の小屋 転がることができるお もちや ぞうけい 不用の物と厚い紙を使って転がる ことができるおもちやを作る。 パソコンを開いyilldoysのペイント を使って作品を作る。 2 し 生徒作品6点 生徒作品3点 ずかん 好きない; ン・ /iスの使い 用具 はさみ弓 接着の仕方 用 生きているな きものたち。 北の方(夫津市) 掲載図、写 目的,指導 プロジェクターまた電気の前で体 を動かせ、影を紙に書いても良い 生徒の作品4点。 水墨ゲーム 一つの散歩の情景を仮定して、療境の変 化による自分の気持ちも変化する,いろ 1 生徒の作品3点,古代画家の 作品写真1点。 んな垂線でその場面を表現して見て。 水墨ゲーム 大自然に入る 中国の生徒作品7点、外国の画 家の作品1点。 2 ケーキを分ける 粘土版を彫刻する 面白い半円形 触って、描いて 生徒作品4点、影絵芝居の写真1 占 ▲lヽヽ○ 自然の素材、砂,雪、土などを利 用し作品を作る。 生徒作品6点,作業中の写真3 不用の紙,物を使って観を作る、 数枚の作品をつなぎ合わせって一 枚になる、話して,見て。 生徒作品4点、作業中の写其1 丸い物を紙に描いて切って,新し い画面になるように配列・合わせ 生徒作品5点、作業中の写真1 点。 る。 生徒の作品9点,生徒が作業 中の写真1点。 掲載図,写 半円形を利用し作品を作る,そし てその作品を変化させる。 粗くて,つるつるして、かたく て,柔軟など感じを絵で表現す 占 一lヽヽ○ 占 ′lヽヽ○ 生徒作品4点,作業中の写真1 占 Jいヽ(I 生徒作品8点。 るc グアッシュ、クレヨン、水彩等で 春の風景を表現する。紙を引き裂 いて貼るでも良い。 生徒の作品5点、春の風景写真 1点。 グルグル回る 厚い紙、糊,欽,絵の具などを用 意してこまを作る。回る前にその 変化が想像できますか? 生徒の作品2点,作業中の写真 1点、遊んている生徒姿の写 真6まとめ3点。 腺やかな学校 グアッシュ、クレヨン、水彩等で 学校活動を表現する,なるべく腺 やかな感じを描き出して。 自分の容貌を話して、鏡,写真を を見ながら自画像を描く、自分を 別のタイプのデザインしでも良い これは私だよ! 1 これは私だよ! 2 不用の紙を引き裂く,貼るなど技法で自 画像を作る、速いとこるから名義しなが ら自分に似るように作る。 これは私だよ! 3 見る、触るを通して自分の顔の特 徴を良く覚えて粘土作品を作る, 友達に評価させる。 ひもの浮き彫り 生徒の作品4点。 味覚と嘆覚を描く いろんな点、線,面で自分が経験した味 覚と喚覚を描いてみんなの意見を聴く、 点,線、面を先に措いて味覚と喚覚を連 想しても良い。 しおり一枚を贈る まずしおりの内容を決まる,でき たしおりは先生に贈っても良い、 友達に贈っても良いo 中国の民間おもちや 絵画,貼るの絵など方法でテント ウムシを表現する。 生活の中の面白い事 生活の中の面白い事を思い出して 絵画など方式で表現する。 抱飛んで飛んで いろんな材料で泡,バルーンを テーマにして作品を作る 宇宙の植物を想像して粘土,カ ラー粘土など材料で宇宙の植物を 作る。 母の日またお母さんのお誕生日の 日を思い出して、いろんな材料で 作品を作る。 生徒の作品5点、成人の作品4 占 ′lIヽ○ 生徒の作品13点。作り方の訊 明写真3点。 い。 違う種類のダンボ-ルといろんな不用の 物を集めて、好きな物を作る。 テントウムシの服 中国の生徒作品5点、外国の生徒作 品1点。 厚口紙、欽、糊,いろんなひもで 作品を作る,ひもに染色しても良 不思議なダンボ-ル 生徒の作品7点、展示する姿の 写真1点。 ひもで紙,ボタンなど物を刺し連 ねて飾り物を作る。 おいしい果物 生徒作品1点、ダンボ-ルを 切る祝明写真1点。 生徒作品1 0点。 生徒作品8点。 生徒作品8点、泡を遊んでいる生 徒の写真1点。 生徒作品1 4点。 生徒作品9点。 生徒作品6点、作業中の写真2 占 ●l、ヽ○ 生徒作品4点。 大きい船を描いて、船の放と乗る 人も描き出して、紙で船を折って も良い。 冷蔵庫を開ける 不用のボックスで冷蔵庫を作る、 絵画で表現しても良い。 生徒作品6点,冷蔵庫の写真1 揺れることができるお もちや 不用の物を使って揺れることがで きるおもちやを作る。 生徒作品7点,生徒が作業中の写 真1点。 コンピュータ美術 yirLdoysのペイントソフトの方形、 円形ツールを使って作品を作る, 色も付けだ方が良い。 生徒作品5点、ソフトを紹介する 写真2点。 生徒の作品1点,外国壁画の 仮面と頭の飾り物を作って扮装夕 邑 べを行う.ポスターとステージ背 生徒が作業中の写真4点、扮装夕 生徒の作品1 0点。 民間おもちや図例10点、生徒 だちは社会で体験する写其3 の材料で作ってみて。 カラー粘土でいろんな姿の人形を 作る。 占 ′Lヽヽ0 大きい船に乗って世界 を周遊する 生徒の作品7点。 教科書の図例のどれに好きですか?不用 カラー粘土でいろんな果物を作 る、そして紙で希を作る,貼るの 絵でも良い。 生徒作品9点,作業中の写真1 占 生徒作品4点、作業中の写真1 点,船の写真1点。 占 一lヽヽ○ Ilヽヽ○ 外国の民間おもちや 中国の民間おもちやと外国の民間おも ちゃの特色を話して見て、いろんな材料 で作って見て。 外国の民間おもちゃ写真10点,生徒 が自分の作品を展示する姿の写真1 点。 学校が許可する壁に絵を描く、グ ,T,__-7P-r.垂dラー′毒J 自l.ヽ ノー=事 ワー7与 貞:i;占 せj走f-'tlけ作堂ロコq 夢の中の別の私 事の中の自分キ描き出して、みんなの事 がそれぞれので.まねないでくたさい。 実験しながら毛筆と普通の隼の格 義,水墨用紙と他の画用祇の格差を 封冷する。 自由に措いて、水の土と力による変化と その効果せ載察する。 デパ-トに行って多様なバックを親 奏する,その外形、色、質、図案を 載賞する。 生徒の作品4点。 変化が絶えない線 生徒の作品4点、画材の写真1 点。 生徒のの作品5点。 生徒の作品3点、日常用品の写 真1点。 分ける、合わせる 一種の幾何形を運んで,その形の好 きのように切って各部分を利用して の作品をなるようにヨ阻み立て。 生徒の作品4点.成人の参考の 作品12点。 デバ-トに行っていろんな電気の織 能、外形、色について親察して封胎 する。 生徒の作品1点.電気の写真1 点。 紙の半分に絵の具を塗って対称に折 り畳んて押しって他の要素を添加す る。 簸でトンボの細部を表現する、紙で トンボを折っても良い。 1 生徒の作品8点、成人の参考の 作品1点、動物の写真5点。 絵で手紙を書く 自分の身の回りにどんな不用の材料 があるでしょうか?それを使って動 物のの作品をつくれますか? 生徒の作品9点。古今東西の参 考の作品の写夫1 0点。 生徒のの作品8点。 生徒の作品1点、中国の椅子写 真3点、外国の椅子写真2点。 私が作った椅子 自分が椅子をデザインする。 作品写真4点、外国の椅子写実 1点。 いろんな材料で精子幸作る,目新しさ、 ユニークキ追求する。 生徒の作品8点、成人の椅子の 作品写真4点、 自分の想像による好きな都塵を描き出し 生徒の作品2点、 ,外国の画家の 作品写実2点。 て。 。 ♯の写真1点。 の作品7点。 絵と文字で手紙を書いて相手に送る 生徒の作品7点。 ループで学校を中心にして回りの路 線図を完成しても良い。 今日のメニュー まずメニューを考えでカラー粘土で 料理を作る。 鼓さんに乗って みんなが象さんの乗る場面を描き出 して,飛んでいる鳥に乗る場面でも 良い。 材料と道具は無制限,四季の風を表 現する。 転がることができるおも ちゃ コンピュータ美術 生徒の作品5点、トンボの写真1 点、大人の参考の作品1点。 て、自信を持って大胆に1点のの作 品を作る、 学校から家まで路線図を措く、グ 家に帰る途中 生徒の作品8点,作業の模範写真2 点。 ミロと他の芸術家のの作品を我賞しミロと他の芸術家の作品5点、生徒 いろんな瓶と缶の蓋で作品を作る, 並んでも良い.貼っても良い。 生徒の作品2点.成人の椅子の 私がデザインした椅子 生徒の作品6点、 い。 私は芸術家だ 生徒の作品5点,成人の作品3 点。 見た事がある,好きな椅子を措い て。自分がデザインしても良い。 紙を折り畳んて鍵の形に切って,貼 る絵を作る,他の形に切っても良 生徒の作品3点,成人の参考の 作品4点。 怪獣の作品の像が奇異、雰囲気も奇 異であれば良い。 絵で寒い.集い.苦しい,瀕しい、静 か、痛い、揮いなど懸覚を表現する。 生徒の作品8点。 生徒の作品6点、生徒が作業中の写 真2点。 一種の形を決めて、その形の繰り返 しを利用するの作品を作る。 動物は友達だ カラー粘土で仮面を作る。 カラー粘土と色紙で瓶を包む、手描 きでも良い。 価単な形をつなぎ合わせ る。 良く見える動物を絵に措いて見て 面白いカラー粘土 生徒の作品6点、屯話機の写真1点, 生徒が遊んている写真2点、ベル時 代の写其2点。 生徒の作品5点、大人の参考の作 品5点 動物は友達だ 生徒の作品8点。 粘土、紙ボックスで電話機また携帯 電話を作って,屯帝をするゲームを 遊ばう。 自分が想像したパックを作り出し て,展示する、人気の作品を討輸す る。 粘土、紙また不用の物を使ってt気せ作 る、外形のデザイン材料と色の租み合わ せを通して、自分の)1J意工夫を見せる。 発光絵の具で自分の名前を絵になる ようにデザインする。 生徒の作品1点,パックの写真 8点,中国の少数民族のの作品 1点。 私がデザインしたパック 私がデザインした電気 きらきらの名前 不用の物を使って転がることができ るおもちゃを作る。 vindovsのペイントソフトのコピーと貼 り付けの機能を使っての作品幸作る、貼 り付け画他の色とサイズを沖美しても良 生徒の作品1 0点。 生徒の作品5点、成人の作品の写実 1点。 生徒の作品11点。 生徒の作品5点、象の写実1点。 生徒の作品7点,外国画家のの作品 の写真1点。 生徒の作品6点、生徒が作業中の写 真1点。 生徒の作品4点.ソフトを紹介する 写真1点。 し、 私がデザインした部屋 1 私がデザインした部屋 2 飾り物 紙と他の材料で立体な部屋模型をデ ザインする。 我、動物に立体な都塵横型をデザインす る、新屋のスタイルを長く考えで。 面白いイメージを作って,掛けても 良いし刺し連ねても良い。 生徒の作品4点、成人の参考の 作品の写真3点。 指人形の劇場 生徒の作品2点,生徒が作業中の写 真2点、上演する写実2点。 世の形と色の写其を我賞して,自分 自然の風景写実3点、日常用品写真 生徒の作品4点,作業中の生徒 の写実1点。 指に付ける人形を作って,台本も編 集する、そして上演する。 この世界は形と色の世界 の意見を発表する、身の周りに面白 い形と椅麓な色を探す。 3点,建物の写実3点。 各民族の友達 島民切れを差込 ひも,紙また他の材料で点、線, 面を配列する作品を作る。 生徒作品1 2点,故宮の城壁の門 の写真1点。 生徒作品4点。 配列,重なり合うで動物,人物の 作品を作る、描いても良い切って も良い。 生徒作品1 0点,成人の参考作品 2点。 生徒作品10点、田舎で写生す る写真2点,作品を展示する 写夫2点、動物の写真3点。 絵画、拓本,貼るなど方法で商品 の包装糸氏を作る。 生徒作品1 2点,外国の成人の参 考作品1点o 生徒作品1 1点、外国の成人 参考作品8点、交流中の生徒 たちの写真2点。 絵画,貼るの方法で甘い,塩辛 い、苦い、辛い,救っぱいなど感 じを表現する。 生徒作品7点、大人の参考作品4 点、生徒が作業中の写真1点。 各人種の友達 動物は友達だ 1 動物は友達だ 2 白地に藍色の図案のお 皿 動物のなぞ当ってを遊ぼう、家畜と人Ⅶ tb物の作品を作る。 の関係を考えて, 不用の物を集まって作品を作る、個人完 成でも良い,グループ完成でも良い、お 互いに交流しながら自分の意見を大且邑に 発表する。 毛筆と藍色で白いお皿に絵を描 く,画面とお皿の形を合うことに 注意する。 花の生長と形を親察する、写生で も良い記憶のよる創作しても良 い。 カラー紙と不用の物を使って、切 る、貼るなど方法で花を表現する 生徒作品4点、生徒が作業中 の写真1点。 水墨絵で花を表現する,点と線の 繰り返し,違う毛筆を順番に使う 事に注意して。 生徒作品4点、古代水墨画家の作品 写井3点。 各木の種類の格差と四季による変化を帝 私は木に好き 1 私は木に好き 2 木の上、木の下 して見て,地域の木の種類と存在する理 由を了解して絵の作品を作る。 1 花,葉、木が変える 2 どんどん できるよ 不用の物といろんな材料を使って トロフィーを作る。 生徒作品5点、トロフィーの写真 1点。 かたおし かたぬき いろんな材料で立体的なクジャク を作る。 生徒作品6点,成人の参考作品1 絵画、切るでいろんな縁飾りを表 現する、日用品を利用しても良 い。 生徒作品4点、生徒が写生す る写真2点。 占 ′llヽ○ 生徒作品6点。 生徒作品6点、中国古代の陶芸、 瓶作品の写真2点。 人間の足跡,動物の足跡による、 想像絵を措く。 生徒作品6点、生徒が作業中の写 真3点。 野菜が変わった 地域の野菜、果物を利用して動物 杏作る,植物を利用しても良い。 生徒作品8点,生徒が作業中の写 暮8点。 木の上の動物と木の下の動物のス トーリを編んで絵の作品を描くそ して発表するみんなの意見を聞き 生徒作品4点、成人の作品2 点。 鳥ちやんの家 カラー粘土で鳥の人形を作る、紙 と草で鳥の巣を作る、そして木の 分枝に置いて討論する。 生徒作品2点,鳥の巣の写真3 点、鳥の巣をテーマにする絵画の 作品2b 水墨絵で木を表現する。 生徒作品4点。古代水墨画家 の作品写真2点,技法を教え る写其2点。 ストーリの絵 中国のことわざまた自作のストー リを絵にする 生徒作品9点。 自分のクラスの特色を討論して, いろんな材料でクラスのマークを 生徒作品7点。 葉の形と色を載察して,誇兼的な 表現方法で菓の作品をデザインす る。 観察,写生を通して花と木の特徴をつか む、誇張的な表現方法で花、木の作品を デザインする、点と線の連用を注意して 昆虫の構造と特徴を注意しながら粘土ま あなたは切手をデザイ 生徒作品9点、生徒が作業中の写 真1点。 菓の葉脈を観察して、葉脈の絵を 描く、絵の隣に感受の言葉も書く 椅東な縁飾り た他の材用で作品を作る、自分が想像し た昆虫を作っても良い。 各国の切手を範賞,評価する、多 生徒作品3点,日常用品と自 然環境の写真1 1点。 クラスのマーク 。 デザインするb いろんな方法で地域の発展史と変 化を調べて写真など資料を使って 作品を作る。 生徒の作品16点、成人の参 考作品の写真1点。 生徒の作品9点,成人の参考 作品の写真2点、外国画家の 参考作品の写真1点。 私は患いより先生 生徒の作品1 0点、成人の参 考作品写真4点,昆虫の写真 8点。 生徒の作品1 3点、 真5点。 、外国の参考写 生徒作品2点、各国の切手の 担任先生の模様,性格による絵画 作品で先生の姿を表現する,切る 写真で作品を作っても良い。 yirLdoysのペイントソフトで綾取り を作る、 1点の図案をコピーと貼 り付けで連続の図表を作る。 まず草案をデザインする紙、発泡 ・≠亡■▲ t} -′盲弓才t∃ 士一〟ヒ:乙 占 ′いヽ○ 生徒作品4点、生徒が作業中の写 真1点、技法を教える写真4点。 る。 ÷+J*:l 生徒作品5点、地域発展の写真2 生徒作品7点。 紙。不用の物で遭える玩具を作 コンピュータ美術 いい感じ ロボット 生徒作品2点、成人の参考作 品1点。 自然界の昆虫を良く載察して作品を作る 私が作った昆虫 クジャクが軽快に踊り これ おはなし 粘土、不用の物を使って一本の木 を作る,そしてみんなの作品を集 まって森になる。 生活の中の点、線、面を探して作品を作 る。 花、葉、木が変える 生徒作品7点、花に関する日 常用晶の写真4点、花の写真 4点。 わっ!すごいな 女d:也 生徒作品3点、ソフトの使い方を 紹介する写真1 2点。 材料の うつして -んしん うつして ピョコピョコ スト ローマジック いろと ようぐの ホームページ ぞうけいずかん 北の方(夫津市) 目的、指導 生徒の作品3点,三原色を混ぜる 写井1点,外国画家の参考作品の 写真1点。 万華鏡を見るような感じの作品を 作って見よう、絵画,切り紙、貼 るなど方法で表現する。 生徒作品1 3点、万華鏡を遊んて いる子供の姿の写真1点。 大きいか小さい比較より分かる、 大きいか小さいの感受を話して作 品を作る。 生徒の絵画作品1 1点、成人の参 考作品2点、同じ物が辞表による 違う大きさに見える写真3点。 生徒作品4点。 物が次第に縮小する事による前後 順番が見える,絵画また貼り絵 で物の前後関係を表現して。 生徒作品4点、通路の写井1点、 秦朝の兵馬偶の写真1点。 生徒作品3点、田舎家庭の台 所と都市家庭の台所の写真各 2点。 きめが付いている物を探して,描 画また拓本作品を作る,その上好 きな要素を添加しても良い。 生徒作品3点,きめが付いている 物の写真3点。 生徒作品3点。 単線で花を描く,いろんな素材で 立体な花を作っても良い。 生徒の絵画の作品4点,立体な作 品3点。 自分が尊敬する人を描く、切る、 貼るなど手法で表現しても良い。 生徒の絵画作品7点,技法を教え る写真5点。 絵画で学校で掃除の当番する場面 を表現して,他の素材で表現して も良い。 生徒の絵画作品1 0点、生徒たち が掃除している写真1点。 紙、布など材料で椅東な靴を作 る,粘土を使っても良い。 生徒の作品8点。 マジックの色 Tシャツを描く 大人の国と子供の国 家庭、お店、学校の食堂の台所を載察す る、その風格を注意して。 自分の記憶による絵を描く、人間 と道具の比例と労働の雰囲気が要 注意。 水量とクレヨン,アクリル絵の具,グ ワッシュ、拓本,貼るなど手法の総合運 用の,%び合うで作品を作る。 白地に葉色の図案のお 皿 私がデザインした建物 1 私がデザインした建物 2 生徒作品2点、外国の画家の 参考写真2点。 生徒作品7点。 地域の建物の資料と写真を集まっ て親賞、討論する、草案がデザイ ンしたら作り始める。 から一紙で作られた立体な生徒作品 7点、中国の建築模型の写真2点、 外国の建築の写実3点。 みんなの作品を集まって建築群になる、 その建築群に合わせて植物、車両も作っ 絵画,切り紙を折る,コピーなど 方法で二方の連続図表を作る。 今日私は掃除の当番を する 生徒作品2点、生徒が観賞中 の写真1点。 て。 二方の連続図案 尊敬される人 毛筆と藍色で白いお皿に絵を措く 画面とお皿の形を合うことに注意 する、展覧してお互いに評論する 多種な植物が素材として晴頭的な方法で 装飾性が茸い図案をデザインする,花園 案外形、構造,色の違いと関係が要注意 掲載図,写真など 三原色をい互いに混ぜて、その変 化を観察する、原色と間色を使っ て作品を作る。 丸めて,包んて 生徒作品0点、成人の参考作 品6点,建物と服の写真各1 占 ′lヽヽ0 しわの紙を体験する,カラーしわ 紙で果物と動物を作る、お菓子を 作っても良い。 これでかけるよ グルグル かくかく くっつけ くっつけ 風パワーぜんかい ねん土でお話 き上うかし上 びじゆ つかん ふわふわゴーゴー 生徒作品5点,技法を教える写真 3点。 地域の木の葉,革また他の材料を 使って貼り絵 を作る。 生徒の作品7点。 木、缶、紙などろくでなしを使っ て立体的な作品を作る。 生徒の作品9点。 そのときの気持ちを大 切に 0 生徒作品3点,古代の工芸品 の写真2点、日常物の写真1 ろくでなしを宝物にな る 占 ■lヽヽ○ 昆虫の構造と色を注意しながら作 品を作る、自分が想像した昆虫を 作っても良い。 昆虫の構造を注意する、いろんな材料と 手法で昆虫を表現する。 動物は友達 1 動物は友達 2 私と動物たち いろんなメディアから動物を観察 する,好きな動物の特徴と表情を 作品で表現して。 粘土、不用の物で動物を作る、特徴を作 り出す。 いろんな材料で人間と動物共に過ごす場 面を表現できますが? いろんな材料で自分が見た事がある仲良 く場面を表現する、その表情、姿、大き さの比例が要注意。 紙など材料を使って描く、切る、 紙など材料を使って暮を作る、作品の中 生徒作品4点、成人の参考作 品1点,昆虫の写真7点。 まぽろしの中の砦 る、絵画で表現しても良い。 生徒の粘土作品6点、不用の 物で作られた作品1 1点。 私がデザインした自転 車 生徒絵画と貼り絵 の作品6 点、動物の写真7点。 生徒の作品1 1点,成人の参 考作品の写真8点。 目新しいなパソコン 生徒の作品6点,成人の参考 作品写真1点、人間と動物共 に過ごすの写真6点。 コンピュータ美術 生徒の作品3点、 、成人の参考作品 写真3点、私物たちが仲良くしてい る写真5点。 生徒作品5点、アフリカの仮 , 亡.^ ^_≡白L一・■コ・1- ■ヽ トナ 山._ ∠■_ に毛気を付けって載賞しながら封冷す 音が出るおもちや AL 1点、絵画 自転車の草案をデザインして絵画 また立体的な方法で表現する。 生徒の絵画作品4点、草案の図2 点、立体的な作品4点。 浪い色の紙を使ってクレヨンをこ そぎ落とすの方法で星空の作品を 作る。 生徒作品6点、生徒たちが展示す る写真1点、銀河系の写真1点。 技法を教える写真4点。 紘,紙ボックス、粘土など材料で 目新しいなパソコンをデザインす 生徒作品7点。 るn yirLdoysのペイントソフトでサラサ を作る。 どうすればおもちやは音が出され るでしょうか?不用の物で音が出 るおもちやを作って見て。 いくつか撮影の知隷を理解する、当学校 __1● 生徒の立休的な作品1 の作品2点。 生徒の作品4点,ソフトの使い 方,操作の順番写真1 2点。 生徒の作品4点、市販されるおも ちや写真3点、生徒たちが作業中 の写真7点。 ぞうけいずかん 北の方(夫津市) 掲載図、写真など 日的,指導 水量絵の専用道具と材料を使っ 生徒が練習する作品3点、成 人の参考作品1点。 て、水墨絵を描いて見て。 絵画,切り紙など方法で法則があ 生徒が練習する作品3点、成 人の参考作品3点。 る繰り返し図案を表現する。 いろんな材料,曲線と直線で作品 を作る。 凧を遊ぶの農牧があるか?凧を並ぶの 場面、雰囲気、感受を描き出して。 あなたはどれらの飛行 梯を見たことがある か? 飛行機を見たことがあるか?乗ったこ とがあるか?その場面を思い出して絵 に措いて、自分が*めた資料による絵 を描いても良い。 生徒の作品3点、凧を速ぷ写 某4点、凧を観賞する写其2 身の回りにつりあうとバランスを良く 取れた物を探して絵画、貼る綾など手 泣でつりあいとバランスを表現する。 点。 生徒の作品4点、飛行機の写 音を感受する 真各7点。 教科書に載せている飛行機の写真 想像の中の飛行機 私t)飛行機を作れる。 を研究する、未来の飛行機を討給 して描き出す。 現代飛行機の構造特徴を研究していろ んな材料で飛行稚を作る. シナリオを編む漫画集を描く、自 分完成でも良い、グループ完成で も良い。 yindoysのペイントソフトで捜画を 作る、手描きとパソコンの格差を 討論して。 生徒の作品3点、 SF映画の中の 飛行機の写真7点。 生徒の作品9点、未来飛行機 のイメージ写真3点。 生徒の作品3点、成人浸画家 の参考作品2点。 私のクラスメート 動物園の鳥と家禽、ペット店の.■を浪 蕪して好きな鳥と家禽を描き出して、 外形、動作と色の特徴を表現する。 生徒の作品5点、動物の写真 一色の図案をデザインするのに外形と色 の束縛を受けないで、大R旦にデザイン しなカ;ら点、線、面の運用も注意し 生徒の作品3点、成人の参考 9点。 写真6点。 生徒の作品4点.成人のデザイン 参考作品6点。 生徒作品4点、成人の参考作品の 写真2点、建物、日用品、植物の 写末各1点。 いろんな動物のぶちをを描く、い ろんな材料で貼る絵を作っても良 生徒の絵画の作品1 1点、動物の 写真2点。 紙ボックスを穴が開けてセロハン 紙を貼って窓の作品を作る。 生徒の作品5点、カラーガラス窓 単線立っている人物を写生する、 生徒の絵画作品8点、写生してい 粘土作品を作っても良い。 地域の橋と塔を探して、作品を作 る。 本の装丁デザイン いろんな材料で本の装丁をデザイ ンする。 絹糸で貼る絵を作る。 作品6点、殿の写真1点。 生徒作品2点,成人の参考作品の 生徒の作品1 5点、生徒が音楽を 聴く姿の写真1点。 故郷の橋と塔 生徒作品3点。 真1点。 音楽を聴く.そして自分の感受を 描きだして。 い。 カラーガラス窓 掲載図、写真など 生徒が練習する作品1点、技法紹 介の写真1点,生徒が練習中の写 の写真1点。 る写真1点。 生徒の絵画作品7点、立体的な作 品1点、作業中の写真1点、稀と 塔の写実2点。 生徒の作品4点、成人のデザイン 参考作品1点。 生徒の作品7点。 て. 写生また写真による水墨絵で鳥と 家禽を表現する。 三年後期 いろんな材料を使って立体的な鳥 私が作った鳥と家禽 と家禽を作る、自分完成でも良 いろんな材料を体に付けて鳥に扮装す る、そしてゲームをする. いろんな人間の手を親奏して写生 する、お互いに討論して描き直す 教科書に載せている参考作品をま ねても良い、自分が考えで手の作 品を作っても良い。 いろんな材料で1点の商品の包装 をデザインするグループで完成し ても良い、そして展示する。 各国と民族の家を載蕪する地域の建築 の歴史を珊べ年輩の人を取材する,級 と色で好きな家を書き出して。 いろんな門、窓、壁の資料を集 めって好きな門、窓、壁を描き出 して。 私が作った家 いろんな家の細い点と外我を頼義する いろんな材料で家の模型を作る、風格 と様式は柵斐して統一する。展示も行 う。 そぎ落とすの方法で夢を表現ナ 真2点。 粘土作品4点、成人の参考作 金色の浮き彫り すず箔で浮き彩りの作品を作る。 品4点。 生徒の作品4点、作業中の写 真4点、速んている写真1点 尽きるがない形象の変 化 生徒絵画の作品3点、粘土の 作品4点、成人の参考作品の 写真8点、手の写真1 生徒の作品9点。 る。 生徒の一般材料の作品9点、 い、グループ完成でも長い。 私はl羽の小さい鳥だ 漉い色の紙を使ってクレヨンをこ 生徒作品2点、水墨画家の参 考作品2点、技法を教える写 私たちの集り 1点。 生徒の作品4点、成人の参考 作品の写真8点。 生徒の作品3点、成人の参考 作品写真1 1点。 生徒の作品5点、中国各民族の 豪の写真1 0点、外国各民族の 家の写真9点、生徒が取材して いる写真1点 生徒作品5点、中国各民族の蒙 の門,恵、童の写真9点、外国 各民族の家の門、恵、童の写真 9点。 2 2世亮己の建物 コンピュータ美術 飛んで行けるおもちや 希少な野生動物を保護 する 生徒の作品1 0点、中国古代 の作品の写真3点、鳥の巣の 写真3点。 民間おもちや 身の回りの物によるイメージを変 わらせて、芸術作品を作る 6月1日の国麻子供の日を表現す る作品を作る。 未来の建築を描き出して。 yindoysのペイントソフトで植物を 作る。 不用の物で飛んで行けるおもちや をデザインする、誰のデザインが 良いを比べてみる。 稀少な野生動物の資料集めて,いろん な表現辛酸で野生動物を保護するパン フレートや地図などを作る。 いろんな民間おもちゃの資料を集まっ て好きなおもちや1点を選んで理由を 現明する、身の回りの材料を使って自 分のおもちゃをデザインして見て。 生徒の立体的な作品2点,貼る絵 の作品3点。 生徒の絵画作品6点。 生徒の絵画作品5点、煮り活動の 写真2点。 生徒の絵画作品5点、立体的な紙 も模型の作品1点。 ブラシ、コピー、貼り付けなど機 能を使う模範例の写真1 5点。 生徒の作品4点、市販されるおも ちや写真2点、生徒たちが作業中 の写真3点。 生徒のパンフレート作品5点、地 図の作品の写真1点、生徒たちが 作業中の写真4点。 南の方(江森省) 目的、指導 参考作品の構図と色調を討論す る,描かれる人物と背景の関係を 注意する。 遊園地の好きな部分を絵画で表現 して、楽しい雰囲気を描き出して 水墨ゲーム 切り紙細工 1 切り紙細工 2 占 Jllヽ○ 生徒作品3点,成人の参考作品の 写真2点、自然界の写真2点。 点、線、面で基本的な要素として一枚の 絵を描いて。 生徒の作品1点、日常の写真 建物の写真1 1点。 美術のリズム 載蕪と写生を通して花井の特徴を捉える 点、線、面を使って清張,変形,添加な ど方法で花井の図案をデザインする。 生徒の作品2点、成人の参考 作品の写真2点。 自分写井を細長い形、配列する変形の効 果カミ出で来る。 生徒の作品1点,成人の参考 作品の写真6点。 色の輪を理解して,対比色で一枚 の絵を描いて。 鳥に目、口、足を描くとき港み出 ないように少水分で良い、鳥の足 を描くとき鳥の重心が要注意。 ー動物 色の暑さと寒さ 線の動くと静か ンする、点,港,面の運用が要注意。 ー鳥 生徒の絵画作品2点。 生徒の絵画作品2点,成人画家の 参考作品2点,自然風景の写真2 生徒の絵画作品3点。 木の成長の規律と特徴を理解する特頒、 変形,添加など万態で木の図案をデザイ 水墨ゲーム 掲載図、写真など 掲載図,写真など 生徒の作品3点、近代中国の水量家 の作品写実4点。 生徒の作品4点、近代中国の 水墨家の作品写真4点。 切り紙細工作品の図秦は断ち切れ ない、画稿の束縛を受けないでく たさい。 生徒の作品4点、中国各地の 参考作品5点。 の外の部分を切り落とす。 自分と家族の干支は何です?ます絵を措 いて切り紙細工の方法で制作する。 のリズムを体験する、絵画など方法でこ 方、四方の連続を表現する。 生徒作品1点,成人の参考作品の 写真4点、自然界の写真3点。 生徒作品3点、技法を教える写井 1点。 生徒の作品1 5点,成人の参考作 品1点、色の輪の紹介の写真1 占 Jいヽ○ tb物の特徴を我奏する、どうすれば簡潔 な筆法で表現できるを村輸する、運筆の 力と水分が要注意。 陰軒:主体のアウトラインを切り落とし て、空白を表して,対比を形成する、払 勢:主体のアウトラインを表して、主体 音楽を聴くリズムを感覚する、美術作品 楽しい思い出 楽しい事1件を思い出して絵画ま た紙版画で描き出して。 生徒の絵画の作品9点,紙版画の 作品1点、技法を教える写真3点 山に登るゲーム 山に登るゲームの碁盤と碁石を 作ってみんなで遊ばう。 生徒の作品5点,生徒たちが遊ん でいる写真1点。 自分の学校の特徴を了解して、文 辛,図形でデザインするそしてい ろんな材料で作り出して評論する 生徒の作品1点,成人の参考作品 2点。 切手の歴史と役割を了解して切手 の特徴による1点またセットの切 手作品を作る。 生徒の作品3点,切手の歴史を紹 介する写其4点、生徒たちがお互 いに範賞する写真1点。 グループでカレンダーをデザイン する、そして装丁する。 生徒の作品1 星座による想像するそして絵を描 き出して、みんなの作品を集めっ て星座図になろうo 生徒の絵画の作品6点、粘土の作 品1点。 蛮の外の景色 窓の外の景色を写生する、自分の 想像より作品を作っても良い。 生徒の貼る絵の作品3点、立体な 作品1点。 私が思い未来 絵画で思い未来を表現する。 もし私はデザイン家 まず草案を描いてデザイン現明も 書いてそして描き出して。 生徒の絵画作品9点,不用の物で 作られた立体な作品2点。 絵画など方式でで遊園地の場面を 表現する,みんなの作品を集めっ て展示する。 生徒の絵画作品6点,不用の物で 作られた立体な作品1 0点。 紙の粂を編む、鞄,かごなどを作 生徒の作品4点,技法を教える写 真8点。 学校マークのデザイン 陸封,敗勢また総合的な方法で作っ た生徒作品3点,中国各地の参考作 品7点。 生徒の作品7点、動物の写真 9点,中国各地の参考作品5 カレンダーを作る 占 0点、作業中の写真 1点。 ■lヽヽ○ 町、鉄連、建築,森の遠近変化を戦痕し て近くて大きい遠くて小さいの現象を描 き出して深まる感じがあるでしょうか? 近くて大きい遠くて小 さい 遠い所の色と変化する 筆触 グワッシュで一枚の風景作品を描 いて見て。 街頭新聞販売所、屯話ボックス、バス停 を載察する、その機能性と親箕性のデザ インを封冷して,自分の意見を発表す る. 展示を行う、自分のデザインについて現 明する、お互いに評冷する。 私がデザインした小施 設 私が作った小施設 1 いろんな材料で立体な小施設をデ ザインするグループで完成しても 良い、そして展示するb 目を閉じて1つの簡単な物体を触 るそして感覚による粘土また絵画 作品を作る。 実物の連想 1 沢山の日常用晶を準備する、組み合わせ た作品を紙に貼って展示する。 自分と友達の作品を評論する,お 生徒の作品4点,成人の参考 作品1点、自然風景の写其2 占 一lヽヽ○ 生徒の作品2点、成人画家の 参考作品の写真2点,自然風 景の写真1点。 生徒のデザインによる絵画作品1 点、街頭新聞販売所、電話ボック ス,バス停など写真4点。 生徒のデザインによる絵画作品1 点,街頭ジュ-ス販売所、電話ボッ クス、バス停など写真4点。 だったら 生徒の立体な作品3点、町の 写真1点。 生徒の立体な作品4点。 紙の粂を編む 生徒の作品5点,物体を触っ ている生徒の写真1点。 コンピュータ美術 生徒の作品2点、成人の参考作品の 写実5点。 走れるおもちや 生徒作品3点,成人の参考作品の写 私たちの誕生日ばパー る。 yirLdowsのペイントソフトの回転、 引き伸ばす機能を使って作品を作 る.、 まず草案を措いてデザイン祝明も 書いてそして不用の物で走れるお もちやを作る。 自分の成長写真を集めって、記録冊を 生徒の絵画作品1 0点、貼る絵の 作品1点。 生徒の作品1点,ソフトの使い方 の模範例の写真1 1点。 生徒の作品7点、技法を教える図 2点、生徒たちが展示する写真4 古 JIIヽ○ 日本(3, 4下) 生徒の絵画作品2点。 生徒の絵画作品3点。 キラキラ光る絵 絵の具の不恩義 生徒の絵画作品1 5点。 ひもでつくろう コロコロ 氷河と夕焼け コロがラー ト 心に深く残っている思い出などを絵に 描いてみよう。工夫 どの場面を措こ うかな。 絵を見ながら患い出を精 し合ってみよう。 穴をあけてみると・ ・。そこから始 まる不息態な世界。どんなお帯が生ま れてくるかな。工夫 どんなお帯の世 界を作ろうかな。 忘れられない日 想像の中の飛行機 ど-玉やポールの転がる楽しいめい絡 やゲームを作ってみよう。工夫 どん なふうに転がると楽しいか、考えなが ら作ろう. ・ 私も飛行嶺を作れる。 現代飛行機の稚造幣徴を研究していろ んな材料で飛行機を作る。 シナリオを編む洩画集を描く、自 生徒の作品9点、未来飛行機 のイメージ写真3点。 分完成でも良い、グループ完成で も良い。 生徒の作品3点、成人洩画家 の参考作品2点。 yindoysのペイントソフトで渡画を 作る、手指きとパソコンの格差を 討論して。 生徒作品3点。 動物園の鳥と家禽、ペット店の鳥を屯 蕪して好きな,&と家禽を描き出して、 外形、動作と色の特徴を表現する. 好きな捷画を集めて臨写する, 絵画また切り紙絵のつりあいで人 物また動物の組み合わせを表現す 生徒の作品7点。 生徒の絵画作品3点、切り紙絵の 作品2点、粘土作品1点。 る 蔵書票の歴史と作用が了解して、 生徒の絵画作品1点、版拓本の作 絵画また紙版拓本の方法で蔵書票 品5点、成人の作品2点、技法を 教える写真3点。 を作る。 生徒の作品5点、動物の写真 9点。 絵画またカラー粘土で私と友達の 作品を作る。 生徒のカラー粘土作品3点、成人 の参考作品1点。 き上うかし上 びじゆ つかん ワンダーランド-よう こそ ぬのから 生まれた 鳥の図表をデザインするのに外形と色 の東#を受けないで、大胆にデザイン しなz5iら点、線、面の運用も注意し 生徒の作品3点、成人の参考 作品6点、服の写真1点。 その瞬間の私 絵画など表現形式でスポーツ動作 生徒の絵画作品8点。 また連続の動作を表現する。 ゆめを広げて て. 写生また写真による水墨絵で鳥と 家禽を表現する。 四年後期 私が作った鳥と家禽 私は1羽の小さい鳥だ いろんな材料を使って立体的な鳥 と家禽を作る、自分完成でも良 い、グループ完成でも良い。 いろんな材料を体に付けて鳥に扮装す る、そしてゲームをする。 いろんな人間の手を常套して写生 する,お互いに討論して描き直す 教科書に載せている参考作品をま ねても良い、自分が考えで手の作 品を作っても良い。 いろんな材料で1点の商品の包装 をデザインするグループで完成し ても良い、そして展示する。 各国と民族の家を載奏する地域の建集 の歴史を調べ年輩の人を取材する、線 と色で好きな家を書き出して. いろんな門、窓、壁の資料を集 めって好きな門、窓、壷を描き出 して。 私が作った家 いろんな家の細い点と外親を鞍点する いろんな材料で豪の模型を作る、風格 と様式は珊董して統一する。展示も行 う。 生徒作品2点、水墨画家の参 考作品2点、技法を教える写 真2点。 楽しい春のピクニック 生徒の一般材料の作品9点、 粘土作品4点、成人の参考作 どれらが同じだか? 品4点。 生徒の作品4点、作業中の写 真4点、選んている写真1点 めまぐるしく変化する 帽子 生徒絵画の作品3点、粘土の 1点。 作品の写真8点。 作品写実1 1点。 生徒の作品5点,中国各民族の 蒙の写真1 0点、外国各民族の 家の写真9点、生徒が取材して いる写真1点 生徒作品5点、中国各民族の家 インする。 コンピュータ美術 泳げるおもちや の作品の写真3点、鳥の巣の 写実3点。 vindovsのペイントソフトでパソコ ン絵画を作る。 まずデザイン草案図を措いて、不 用の物で泳げるおもちやを作る。 光と美術の関係を了解して、紙など材 料で作品を作って照明器具で作品を照 射する、展示する。 の門、忽、童の写真9点、外Eg 各民族の家の門,忽、童の写真 9点。 生徒の作品1 0点、中国古代 紙で帽子をデザインする、そして 展示する。 紙ボックスで立体的な迷宮をデザ 生徒の作品4点、成人の参考 生徒の作品3点、成人の参考 絵画、切り絵,拓本など形式で同じと 違う図形を表現する。 発泡板で島を作る、その上に人物 建物など形の絵を貼って,水に置 いて漂わせる。 作品4点、成人の参考作品の 写真8点、手の写真1 絵画で楽しい春のピクニックの場 面を表現する。 国宝を心から愛する 秦始皇の陵墓の兵馬佃 兼始皇は中富を統一する斉料を集め て、兼始皇の酸基の兵馬備に対する感 受を肯して. 生徒の作品3点、写生している写 真1点。 生徒の絵画作品4点。 ハッピーカード 木から生まれた世界 生徒の作品5点、展示する写真1 点。 生徒の作品9点。 色と用具のホームペー ジ 物や遊び場所がたくさんあるね。 「行ってみたい」 r並んでみたい!」 とことは・ ・。事はいっばい広がる ・ 身近な場所に不思議な扉をつけると そこはワンダーランド.どんなと どこ -行ってみたいかな。工夫 くと楽しくなうか考えて作ろう めてみよう。ものを缶めたり、組み合 わせたりして、楽しいものを作ろう。 工夫 布の感じを確かめながら作ろ 身近にあるものから想健を広げて、絵 に表してみよう。工夫 徐に表そうか な。立体に表そうかな。 絵の様子 を文にしてみよう う。どんなカードにしようかな。工夫 だれにどんなカードを送るか考えよ う。 みんなでカードを見せ合お 感じたことや想像したことを木はんで い 工夫しながら表してみよう。工夫 ろいろなほり方を試してみよう。 見せ方を考えて、飾ってみよう. 身近な材料や光を使って変身してみよ うどんなものになりたいかな.工夫 どんなものになりたいか考えよう。 変身した姿を見せ合いながら賭そう。 色 アニメーションから色が消えてし まうと、どんな感じがするかな。比べ 金づちときり 接着 てみよう。用具 のいろいろ 包む形いろいろ 生徒の作品4点、作り方を教える 写真3点。 ブラシ、鉛筆、充填、選択など機 能の使い方の模範例の写真5点 生徒が作った船形の動物など作品 9点、生徒たちが作業中の写真3 点、技法を教える図3点。 生徒が照明器具で影を遊んでいる 写実3点、成人の作品5点。 ぞうけいずかん いろいろなもの が包んであるね。どんな思いが込 められているのかな。 1、教科書の概要(後書)による南北の比較 一参考日本の教科書の編集における観点 南方 き上うかし上 1、 せいと き上うかし上 へんしゆう この教科書は生徒のために編集された教科書である。 たくさんきれい ほんき上うかし上 しやしん おもしろいないよう よ う せいと 2、 本教科書では沢山締麗な写真と面白い内容を生徒たちに用意した。 3、 先生とクラスメートが、お互いに討論、交流し、学習と合作を通して、 とうろん おも えが く つ かてい あそ なか がくしゆう こうりゆう じぶん かんさつりょく い がっさく しこうりょく うだいたん じゆ 思い、描く、作り、遊びの過程の中から、自分の観察力、思考力と、自由大胆 ひょうげん のうり上く はいり上 いくせい に表現する能力を育成できるように配慮した。 Iまんきょうかし上 せいと わ く せかいかくみんぞく に かがや ぶんかいしき 本教科書は生徒たちに、我が国と、世界各民族の輝かしい文化意識によ 4、 せいさく どうよれいせいと さくひん けいさい って制作された同齢生徒の作品を掲載した. そうぞう たの こと かんじゆ 創造する事による楽しさを感受する。 じぶん うきしん こ ほ そうぞうり上く じ せいかつ うつく つ く ろ う 自分の好奇心と想像力を保持して美しい生活を作ろう。 北方 ほんきょうかし上 もくてき -んしゆう こ つか そ き きょういく かていかいかく しんかていひ上うじゆん 本教科書を編集する目的は国家基礎教育の課程改革と新課程標準を 1、 けんしょう きょうりょく こと 検証する事に協力する。 ぜんじどう もと あたら せいしん もの じっせんのうりょく いくせい そくしん 全児童に求める、新しい物を打ち出す精神と実践能力の育成を促進する。 にんげん きlまん はってん じぷん せいと い しき せんたく 人間の発展を基本として、生徒が自分の意識で選択できるように、彼ら はってんてき じゆうぷん せいと こうり上 がくしゆういよ く き上うか の発展的ニーズに十分に考慮し、生徒の学習意欲を強化する。 ちゆうかみんぞく ゆうきゅう れき し しやかい けいしょう しんぽ はってん ぷんか およぴたげん 中華民族の悠久の歴史を継承し、社会の進歩と発展、及び多元の文化を 4、 じゆうぶん たいげん げんだいいしき ちゆうごくとくし上く きょうちょう 十分に体現する。現代意識と中国特色を強調する。 がくしゆう おもしろ き上うちょう たしゆたよ う かつどうほうしき き上ういくないよう せっけい 学習の面白みを強調し、多種多様な活動方式で教育内容を設計した。 5、 せいと しゆたいせい こせい はっき こと ゆうこうせい もた 生徒の主体性と個性を発揮させる事に有効性を持たせるよう、生徒の生活 ・64・ せいと せいかつ けいけん そ き上うみかんしん 経験と興味関心に沿わせた。 生徒の箪管嵩議を鼠、5fたせる董を旨違にして、庖態の窟諒と品韻の 6、 しゆうとく りょうほう はいり上 習得の両方のニーズに対し配慮した。 7、若姦芽室の綜纂は参議を態な算術窟覇を室毒窟とし、易しい声描から窟 ないよう か と き そ ちしき きほんぎのう しゆ ふくどうせん ふくどうせん きんみつ しい内容-過渡的な基礎知識と基本技能を副導線として、主、副導線が緊密に しんか こうご くふう つながって交互に進化する工夫をした。 法っぽう きょうかし上 がいねん ちが 宥芳と、北方の教科書に対する概念の違いを極めて顕著に表しているの けんち上 双方の1に記されている内容である。 せいとじどう しゅ き上うかし上 たいし上う ほっぽう ちゅうおうせいふ 南方が、生徒児童を教科書の主たる対象としているのに対し、北方は中央政府 ししん き上ういくぷ じっせん かていひ上うじゆん の指針と、教育部の課程標準の実践である。 もんごん さ い きょうかし上 ないよう ちが -んしゆう いっち この文言による差異は、教科書の内容、編集についての違いとも一致する。 きょうかし上 ないよう ほっぽう せいと はったっど あ しどう 教科書の内容について、北方が、やや、やはり生徒の発達度合いにかかわらず指導、 きょうほんがた かんさつ ぶんげん かん きょくど 教本方であることが観察できる。しかし、この文言から感じられるような極度な ちが あと ちゅうごくれきし しめ なか なんぽく とういつぶんだん 違いはない。そこには、後で示す中国歴史の中の南北の統一分断の歴史に基づく なが ちゆうい りかい すす れきし もと ひつよう 流れがあることに、注意し、理解を進める必要がある。 しやしん さんこうさくひん けいさい くふう り ゆう しる 宥芳は、写真や参考作品の掲載についての工夫と、理由について記し、窟 ひ上うげん 表現がキーワードとなっている。 ほっぽう たしゆたよう ぴじゆつかつどう しょうかい はったっだんかい き そ そ ちしき 北方は、多種多様な美術活動の紹介と、発達段階に沿った基礎知識と基礎技能 かんけいづ くふう しょうかい はってん はっき こせい ぎのう き そ ぎのう しゆうとく の関係付けの工夫を紹介し、個性の発揮、個性の発展、技能の習得がキーワー ドとなっている。 とうろん こうりゆう たこ く せいとさくひん しょうかい また、宥芳では、討論、交流、他国の生徒作品の紹介などとともに、感受な とうせだい かつどう か ど、同世代を中心とした、コミュニケーション活動について書かれている。授業 ・65- じゆぎょう じ ど う かつどう が児童の活動であることをうかがわせる。 これに対し、北方では、習得、学習意欲の強化 生徒のニーズなどにこたえる 事を書いている。授業が指導「教える」という観点にあることを示している。 ・66・ 各学年教科書の掲載図、写真など枚数 内容 学年 生徒作品 有名人 作業中 技法を説明 一般的 の作品 の写真 する写真 な写真 成人作品 期 要撃- 一年 南の方 97 41 4 7 5 9 北の方 121 0 0 15 2 25 * * * * * * 後期 日本 - ≠i-ー ? ・_..=.葦.葦撃 ・ 垂 * ・■■重要匿 章垂 撃垂 塞 i---_--千+- -5'.i.I__■■ 二...墨 :- ・_ ■i■… ・萎 葦.I-…= -■..委棄-一章-..-._≡_..-.華 ・2++ 垂妻 嚢≡- I-I_.牽 *.__. ・墓室 南の方 125 27 6 4 2 83 北の方 125 7 0 17 19 9 日本 69 0 0 26 31 12 義垂 1.23 ?8 *垂 垂 二年 後期 -:亭示■-I 芸垂-Bj 三年 - ・_ 日 ・3 垂 ,4■ ・葦■=.-_■■._嚢 27 ・垂._. 章一 .60 -■壷. 南の方 149 52 4 10 6 91 北の方 109 25 0 10 16 12 * * * * * * -.妻妾こ .-. .:-.-22--I-I-. _._妻藍.._ 後期 日本 岳'6'-: 嚢.. _-.妻 _I:* ・ 四年 -一重=--二. 壁-■.-.■ B 秦 . 田 *=--I 蛋 . ■., . 3-.. -_.蔓堅 ・.筆 35l ・衰…二妻 南の方 153 58 4 7 6 86 北の方 110 17 0 4 24 12 日本 77 6 5 13 25 25 後期 -67・ けいさい はん ひかくおもて しゃしん しゆるい まいすう しゆうけい ここで掲載紹介した、教科書の比較表にある、図版、写真の種類、枚数の集計 を紹介する。 き ふ きょうかし上せいど ここで、注意しなければならない点を付記しておく。日本の教科書制度では、 ふくすう にんてい きょうかし上 う かくしちょうそんきょういくいいんかい さいたく けってい 複数の教科書が認定を受け、各市町村教育委員会で採択が決定される。日本には、 ずはんかず 図画工作(美術)については、後2社の教科書が存在する。したがって、図版数な すうち はんてい どの数値だけで「日本の教科書」についての判定をすることはできない。しかし、 こんかいひかくさんこう と きょうかし上しゆつばんがいしや はいふ き上うかし上 今回比較参考に取り上げた教科書出版会社の教科書が、全国の配布数の約6 かくがくねんじどう しよう し さいたくかず こんかい ひかく 5% しよう りゆう の各学年児童が使用する採択数を占めている。今回の比較に使用した理由は、そ はいふりつ こんきょ の採択、配布率が根拠である。日本の図画工作の授業における展開で、教科書に ご 求められる内容について、もっとも近い教科書であると考えて、大きな誤差はな さ いだろう。 さんこうさくひん かんしょう じどう じしん しぜん し さくひんしゃしん えいき上う 宥芳が、参考作品、鑑賞など、児童が自然に自身の意思で作品写真から影響 い せっき上く 受けることを積極的に取り入れていることがわかる。 もくてき そ ずはん しゆうちゅう ち上めいさくひん けいさい 北方は、各単元ごとの目的に沿った、図版に集中し、著名作品などの掲載は はったっだんかい そ く し た さぎょうけいけん ぎのう かんてん しゆうとく ない、発達段階に則した、作業経験と技能の習得に観点をおいていることがわか る。 にほん きょうかし上 どうよう ち上めいさっか けいさい あらた おどろ 日本の教科書が、同様に著名作家の作品などの掲載がないことに、改めて驚く。 しやしんずはん けっか すうじてき で ずはん また写真図版が少ないことにも、結果として数字的に出ているが、図版ごとの いちまい しやしん なか じょうほう み サイズが大きく、一枚の写真の中で、いくつもの情報が見えるようになっている。 ていがくねんじどう かんさつり上く じょうほう かくとく 低学年児童の観察力でいえば、かなりの情報を獲得できるはずであるが、 い へんしゆうしゃ と おとな かんてん じ上うほう じどう ひろい じはつ 編集者の意図する大人の観点からの情報を、児童が拾い集めることが自発的に ふめい きょうし じどう できるかどうかは不明である。その点については、教師が児童とともに写真図版の ひろい 情報を拾い集めていくことをする必要があるかもしれない。 ・68・ しゃしんずはん よ けいさいひょう にほん と きょうかし上 ち い 掲載表からも読み取れるように、日本の教科書は、買指と箭芳の串う軌こ るつくりとなっている。 なんぽく かんけい とくち上うてきせいしつ 2、参考:中国史における南北の関係とそれぞれの特徴的性質 れき せんねん し なんぽく とういつ ぶんれつ く かえ れき し 中国の秦朝から2千年の歴史は、南北の分裂と統一が繰り返された歴史である。 ちゅうごく し れき おお うえ じ上うき上う ちゆうげん かんさつ 中国の歴史の上の、大きな分裂の情況を観察すると、分裂は中原を中心として、 さかい なんぽく ぶんれつ だいだい秦准河(今の南京以南)を境として、南北に分裂することが分かる。 さんごく じだい め ど なんぼくだいぶんれつ なんぼくだいぶんれつ 三国時代に1度目の南北大分裂、東晋南北朝時代の2度目の南北大分裂、五代 なんぼくだいぶんれっ たいじ の時代の南北大分裂、および宋に金朝の対時の時期の4度目の南北大分裂、同様 きそくせい あらわす の規則性を現す。 どくりつ と う ちたいけい ぶんれつ こんてい 南方と北方は、常に二つの独立な統治体系を根底にもち、統一分裂を続けている といえる。 とういつ なんぽう たいけい ほっぽう 例えば元が全土の統一をはかり、宥芳を好古しても、南方は、徐々に北方の なか はな ばあい うんどう さ らにきんだい の中から離れていく。清の場合は、宥芳の太平天国から運動がおこる。更に かくめい ほくぼっ 文(南方)でおきた辛亥革命に関しては、北洋軍閥の北伐、蓑世凱が帝位につい どくりつ し あき た窟の宥芳の各省の同文電報の独立などからも明らかに知ることができ き ど う おな なが く らの歴史の軌道はすべて同じ流れを汲んでいる。 とういつ ないざい どうりょく ほっぼう ぜんど -いごうよっきゅう 統一後の内在する分断の動力はすべて宥芳に窟茎し、北方の併合欲求、中 と う ち の統治から抜け出す。 れきしてき じだい ぐん じ ゆう い 歴史的には、荘芳が宥芳に比べてどの時代においても軍事力において優 へいごう む たい つづ り、買指は前詣若芽蕃の族笥を持ち併合-と向かい続ける.それに対して宥 は、詣芳に落しての綻二彼の跳主程を捲って、辞書を求めることは宥芳に 篇芳は昔に、北方主導の統一の中にあっても、北方の中央集権に向かわな ほっぽうしゆどう とういつ なか ちゆうおうしゆうけん ・69・ む も とういっ たいしつ じ い 質を持って、統一にありながらも、前詣芳の表芸した体質を維持し続けて のである。 と とうし上うへい えんかい 郵小平の取った、 なんぼく けいざいとくべつ けいざいとくべつ く く たんじょう 80年代沿海の経済特別区、広州の経済特別区の誕生も、こ れきしてきたいしつ い しき こうみ上う ちいき せんたく し げんざい の南北の歴史的体質を意識し、巧妙に地域を選択したものであることは、現在知ら れるところである。 せいか かいかくかいほう けいざい ぶんりつ こうみょう 改革開放の20年の成果も南北の経済を分立することによって、巧妙なバラン たも スを保ちながら成立した。 ほっぽう ちゆうおうせいけん たよ もんごん う けんいてき ひ上うき 北方が中央政権にそくした文言を多用し権威的に表記するのはそのような たいしっ ほっぽう 北方の体質があるからであり、宥芳が炭遺業話的箕書の巌蒲をしないのは たいしつ いしきてきこ い う らの体質であり、また、意識的行為でもあるのだ。 きょうかしょへいせい ねんどばん ず が こうさく かんてんべつ へんしゆう とくしょく 3、参考:日本の教科書平成17年度版「図画工作」観点別・編集の特色 し き上うかし上 にほん ど う ようりょう -んしゆう -んしゆう かてい きょうかし上 日本の教科書は指導要領にしたがい編集される編集の過程で教科書に かんてん もと か ふ た い き 求められる観点を書いたものを付記する。 ないよう (以下P70-P82は参考資料である) てきせつど 内容の適切度 乱塁旦1 かんれん がくしゆうしどうようり上う はか ・学習指導要領との関連が図られているか。 ちから い 1 かんせい きほん ぐたいか そうぞうり上く ① 「生きる力」を,感性や創造力などとともに具体化していくことを基本に みずか して, まな いよく そだ かつどう かだい きょうかし上 「自ら学ぶ」意欲を育てる学習活動を課題にした教科書づくりをしてい ます。 ず が こうさくか もくひょう ぞうけいてき ②図画工作科の目標である, ゆた よろこ い と きほんてき のうり上く かくとく たか ひ⊥うげん -んせいくふう 「豊かな感性」を獲得し高めるように編成工夫しています。 の喜び」, -んしゆう かんせい そうぞうかつどう 「造形的な創造活動の基本的な能力」や「表現 しんせん ・編集意図は新鮮であるか。 ・70・ ¥ かか ぞうけいかつどう ようそ ざいりょう ばしょ かつよう そう ①子どもの造形活動に関わる要素を「材料や場所の活用」, てんかい かくじゆう こうい 「想の拡充」, 「行為 がくしゆうしゆだい かつどう の展開」の3つの学習主題にまとめています。それによって,子どもの活動を そうご かんれん ゆうごう ぞうけいがくしゆう とくせい めいかく だいざい ないよラ 相互に関連,融合させ,造形学習の特性を明確にするとともに,題材の内容 そ こうせい しきか Iまうこうせい う だ しゆたいてき かつよう 構成や組織化のための方向性を打ち出し,子どもが主体的に活用できるよう にしています。 かたち うつく いろ ずはん かずおお ②形や色の美しさに気づかせる図版を数多く取り上げたり,見ることのおも あじ げいじゆつさくひん かんせい しょうかい しろさが味わえる芸術作品などを紹介したりして,子どもの豊かな感性や じょうそう はぐくむないよう はっそう こうせい こうそう ぎのう のうりょく 情操を育む内容や構成になっています。発想や構想の能力,創造的な技能, ぞうけいかんかく けいせい ししつ とお のうりょく だいぎいかいはつ の 造形感覚の形成などを通して,豊かな資質や能力を伸ばす題材開発をしたり, だいざいそしき けいとうせい ふ 題材組織の系統性を踏まえています。 ③各学年(低,中,高学年)のオリエンテーションのページでは,その学年で はくりょく かつどうばめん みり上く かんしょうずはん めいかい の「目標」や「めあて」を迫力のある活動場面や魅力のある鑑賞図版,明解 しめ ぶんしょう ひ上うげんいよく たか くふう な文章でわかりやすく示し,子どもたちの表現意欲を高める工夫をしていま す。 はいり上 せいかくせい ・正確性に配慮がなされているか。 がくしゆうしゆだい ①目次のページでは, ぶんし上う い かく 3つの学習主題や各ページで使われている「用具マーク」 み くわ き上うかし上 つかいかた めいかい せつめい や文章の意味などを詳しく示し,教科書の使い方を明解にわかりやすく説明 しています。 かくだいざい かんれん しきさい りかい ぎほう ②「いろとようぐのホームページ」では,各題材に関連した色彩-の理解や技法, よ うぐ ざいりょう とくちょう あんぜん かた つか 用具や材料の特徴や安全な使い方などを,子どもにもわかりやすく正確に しめ お こ ていねいに示しています。折り込みのページに取り上げ,開くといつでも見 くふう ることができる工夫がしてあります。 じだい てきおうせい はいり上 ・時代-の適応性に配慮がなされているか。 ・71・ せいかく ず がこうさく じゆぎ上う かんしん とお しこうり上く いよく ①今を生きる子どもたちが,図画工作の授業を通して,関心や意欲,思考力, はんだんり上く ひょうげんりょく けいけんてき′ しんせん かくじつ だいざい 判断力,表現力などが経験的に確実に身につくように新鮮な題材を かいはつ こうせい 開発して構成しています。 はいり上 かんきょうもんだい ・環境問題-の配慮がなされているか。 かくだいざい なか こうがいぽうし ぴ がっこうかんき上う か はいりょ ぎいりょう あんぜん ①各題材の中で,公害防止,学校環境の美化などにも配慮して,材料の安全 と あつか ぶんべっ かた な取り扱い方や,かたづけのしかた,ごみとの分別のしかたなどをマークと し てきせつ じぶんしょう しめ 適切な指示文章で示しています。 してん じんけんそんちょう はいり上 ・人権尊重の視点-の配慮がなされているか。 と お かぞく し よ り ふ からだ じゆ う ひと ひごろ ①家族やお年寄り,体の不自由な人たちなどに対しても,日頃からやさしい き も ち あ む おうたい 気持ちで向き合ったり,思いやりをもって応対できたりするように,それぞ だいざい なか こころゆた じあい にんげんせい はいり上 はぐく れの題材の中で心豊かで,慈愛のある人間性が育まれるように配慮して います。 がっこうしゃかい ちいきしやかい み かんきょう み ②自分とまわりの人たちや,学校社会,地域社会など,身のまわりの環境を見 ふ れ あ きょうせい せいめい とお そんちょう き上うゆう つめ,人との触れ合いや共生を通して,生命の尊重をみんなで共有しな ふか ぞうけいひょうげん きほん きょうかし上 -んしゆう がら,造形表現を深めていくことを基本テーマにして教科書を編集してい ます。 こくさいりかい はいり上 ・国際理解-の配慮がなされているか。 し上がいこく ① じ が どうが か さくひん がんぐ たてもの と あ 諸外国の児童画や画家の作品,玩具や建物などを取り上げ,それぞれの国 ひJ:うげんほうIまう ちが りかい ふう ど ちが こくさい による表現方法の違いを理解したり,風土の違いを学んだりして,国際 りかい たいせつ み そういくふう 理解の大切さを身につけるように創意工夫しています。 はいく ② かか え ひょうげん とお せかい 日本で生まれた俳句とそれと関わる絵の表現などを通して,世界の国々の ー72- くふう こうりゆう 子どもたちと交流する工夫などもしています。 ぶんか でんしょう ぶんかいさん そんち上う はいり上 ・文化の伝承や文化遺産の尊重に配慮がなされているか。 きょうど ① でんとうぶんか いき せいかつようひん と みんげいひん あ ふか かんきょう かか 「造形と社会や ぞうけいかつどう りかい しやかい ぞうけい 郷土の伝統文化の息づく生活用晶や民芸品などを取り上げ, かつよう こうせい 環境」との深い関わりについて理解し,造形活動に活用できる構成にして います。 にほん ② でんとうてき ぶんかいさん きょうど みんげいひん と あ 日本の伝統的な文化遺産,郷土の民芸品なども取り上げて,そのすばらし あじ でんとうぎほう じっさい ふか せいさく さを味わうとともに,伝統技法による実際の制作によってそのよさを深く くふう りかい 理解できるように工夫しています。 かくち ③ ぎ上うじ まつ ぶたい びじゆつぶんか いき 各地の行事や祭り,舞台などにも美術文化は息づいています。 けしょう いし上う かんしん おど む と ひつようせい あ みこし,衣装,化粧,踊りなどにも関心を向ける必要性,大切さも取り上げ ています。 よう ぐ あんぜん と ばいり上 あつか ・用具を安全に取り扱えるよう配慮されているか。 よ う ぐ こ う ぐ あつか かた きけん ばあい ひつよう おも ①用具・工具は扱い方によっては危険な場合があります。必要と思われる題 せってい 材に「なるほどコーナー」や各学年に「いろとようぐのホームページ」を設定 きけんぼう し あんぜんしどう ぎじゆつしどう じゆうぶんはいり上 こうせい して,危険防止,安全指導,技術指導などに十分配慮をして構成していま す。 みずか ②自 ちから かくとく そうぞうてき ぎのう そだ せいさくふうけい こうぐ らの力で獲得してほしい創造的な技能を育てるために,製作風景や工具 あつか おお ばめん と くふう い きけん あつか を扱っている場面を多く取り入れ,自ら工夫したり,危険のないように扱っ たよう ひょうげんかつどう くふう たりすることで多様な表現活動ができるように工夫しています。 がくしゆうこ 2 はいり上 うか 学習効果-の配慮 ぞうけい かんしん いよく はいり上 たか ・造形-の関心・意欲を高めるための配慮がなされているか。 だいざいないよう じぶん ねが おも あらわ すす ひょうげん ①それぞれの題材内容で,自分の願いや思いを表し,進んで表現や鑑賞の -73・ かんしょう たの そうぞうかつどう よろこ あじ ぷんし上う じどうさくひん 創造活動を楽しみ,つくりだす喜びが味わえるように,文章,児童作品, ずかい じ上うけい こうせい 情景,図解などをわかりやすく構成しています。 はっそう こうそう たか のうりょく はいり上 ・発想・構想の能力を高める配慮がなされているか。 かん だいざいないよう そうぞうりょく ①それぞれの題材内容で,感じたことや考えたことなどをもとに,想像力を じぶん はたら はっそう うつく 働かせながら,自分らしい発想をし,よさや美しさなどを考え,豊かな ひょうげん しめん こうそう こうせい 表現を構想できるように紙面を構成しています。 そうぞうてき たか ぎのう はいり上 ・創造的な技能を高めるための配慮がなされているか。 い あらわ と おう そうぞうてき ぎのう はたら ぞうけいかんかく い ①表したい思いや意図に応じて創造的な技能を働かせたり,造形感覚を生か あらわ かた くふう だいぎいぐん よ うい したりしながら表し方を工夫できる題材群が用意されたり,そのための「な るほどコーナー」や「いろとようぐのホームページ」などを設定しています。 かんし上う たか のうり上く はいり上 ・鑑賞の能力を高めるための配慮がなされているか。 かんしん ぞうけいさくひん ① した 造形作品などに関心や親しみをもち,そのよさや美しさなどを感じ取った あじ だいざいぐん よ うい かんしょう のうり上く り,味わったりする題材群を用意していて,どのページでも鑑賞の能力 たか が高められる工夫をしています。 じ だいざい ② こひょうか まんぞくど ふく たっせいど ひょうじ 全ての題材に,自己評価も含めた満足度,達成度を表示できる「学びマじゅぎ上うぜんたい ふ かえ ク」があり,授業全体が振り返ってみれるように工夫しています。 みりょくてき だいざい ・魅力的な題材であるか。 Eまったっだんかい あ Iまっそう ひろ ざいりょう ようぐ えら ひょうげん ①子どもの発達段階に合わせて,発想を広げ,材料や用具を選んで表現し こうそう ね ひょうげん ひろ かつどう だいざい しめ ながら構想を練り,表現が広がっていく活動の題材を示しています。 かくじゆう の拡充) ・74- そう (徳 ばし上 みずか ② しんたい とくせい はっけん とくち上う たか い 自 ら材料や場所,身体の特性を発見し,その特徴を生かした表現-と高 めていくように工夫 ぎいり上う ひ上うげんこ ③ うい ばし上 かつよう (材料や場所の活用) しています。 とお あらわ かた はっけん しゆうとく 表現行為を通して,表し方やつくり方を発見したり習得したりできる こ ように工夫しています。 てんかい うい しんきんかん (行為の展開) はいり上 ・子どもに親近感のもてる配慮がなされているか。 ひ上うげんいよく た そうぞういよく て ① 「やってみたい」という子どもの表現意欲や創造意欲をかき立てる,魅力 だいざいぐん ぶんし上う こうせい さくれい じょうけい ずかい み にあふれた題材群で構成し,文章,作例,情景,図解など,見やすいレ こうせい イアウトで構成しています した しんせん だいぎい がわ かんし上う ②親しみのある新鮮な題材や,子どもの側からとらえた鑑賞のページを せってい ぞうけいのうりょく み 設定し,子どもの造形能力が身につくように工夫しています。 と しゆたいてき はいり上 く ・子どもの主体的な取り組みが配慮されているか。 だいざい ① おも ひ こ こうせい それぞれの題材が,思わず引き込まれてしまうようなページ構成になって ぞうけいかつどう ひつよう ないよう しかくてき しめ います。造形活動に必要な内容が視覚的に示されていて,子どもの じしゆてき きたい 自主的な活動が期待できます。 ひと ② りひと り じぷん い かのうせい 子どもがゆとりをもち,一人一人が自分らしいよさや可能性を生かし, たの ぞうけいかつどう と く くふう 楽しく造形活動に取り組めるように工夫しています。 がくしゆうしどう はいり上 ・学習指導-の配慮がされているか。 だいざい ① ぞうけいひょうげん ひつよう ないよう しめ げんせん それぞれの題材ごとに,造形表現に必要な内容を厳選して示しています。 はじ けいけん ぎじゆつ せっちゃくざい いろ よう ぐ ぐ こう 初めて経験する技術や色について,接着剤や用具・工具の取り扱いに ついて, 「なるほどコーナー」や「いろとようぐのホームページ」などを -75- る みりょく もう がくしゆう あ さんし上う み 設けて,いつでも学習に合わせて参照して見られる工夫などもしてい ます。 じゆんぴ じぜんしどう ② やくだ だいざい しゆ ひつよう よ こ う ぐ う ぐ 事前指導や準備に役立つように,それぞれの題材に必要な主な用具・工具 しめ ぞうけいかつどう ないよう ひつよう がくしゆうしゆだい 「テ- などをマークで示し,また造形活動で必要な内容を「学習主題」 しゆぷん めいかい 「主文」 マ」 「くふう」 しゃしん ぷんし上う ず 「ふりかえり」などの明解な文章,写真,図など しめ で示しています。 みずか ③ よろこ こせい あじ い たよう 子どもが自らつくりだす喜びを味わえるように,個性を生かした多様で そうぞうてき かつどう さまた せつめいぶん ずかい さくれい じ上うけいじやしん 創造的な活動の妨げにならないように,説明文,図解,作例,情景写真 あつか さいしん ちゆうい はら こうせい などの扱いに細心の注意を払って構成しています。 はいり上 ちいきせい ・地域性-の配慮がなされているか。 1 きた ① みなみ ぜんこくかく ち ちいき のうぎょそん しょうぎ上う せいかつかんき上う ちが 北から南まで全国各地の地域,農漁村,商業など生活環境の違う ちいき と せっきょくてき あ たが ひ上うげん 地域の,それぞれのよさを積極的に取り一上げて表現に生かしたり,お互い りかい はいり上 こうりゆう が理解し交流したりできるように配慮しています。 だんり上くてき ② たよう しどう そうぞうてき うなが ひょうげんかつどう じぶん 弾力的な指導ができたり,多様で創造的な表現活動を促したり,自分 てき ひょうげんほうIまう えら ちいき とくせい じかんすう たいおう に適した表現方法を選んだり,地域の特性や時間数にも対応できる3つ せってい がくしゆうしゆだい -んせい の学習主題を設定し編成しています。 じったい ちいき ③ あ にゆうしゆかのう ざいりょう がくしゆう くふう 地域の実態に合わせて入手可能な材料で学習できるように工夫した せってい はいり上 ちいき たいおうかのう がっこう り,テーマ設定にも配慮したりして,どの地域の学校でも対応可能な構成 にしています。 かくがくねん ④ とうがいがくねん おも 各学年のp.5に,当該学年で,あるといいな,と思われる,いろいろ ざいり上う しやしん と あ ひょうげんいよく むす な材料の写真を取り上げていて,子どもの表現意欲に結びつけたり, ちいき がっこう じったい あ わ せ て さんこう 地域や学校の実態に合わせて参考にしたりできます。 -76・ こうせい たきょうか そうごうてき がくしゅう かんれん ・他教科や総合的な学習と関連づけられているか。 ず がこうさくか もくひょう ないよう とくせい′ けんきゆうぶんせき と あ だいざい どうじ ①図画工作科の目標や内容の特性を研究分析し,取り上げた題材が同時 く ごか こ せいかつか たき上うか そうごうてき がくしゆう そうご がくしゆう に国語科や生活科など他教科や「総合的な学習の時間」と,相互に学習 かんれん くふう が関連づけられるように工夫しています。 ず そだ がこうさく かんせい ゆた ししつ はたらいて のうりょく たき上うか ②図画工作で育てられた豊かな感性や資質,能力がともに働いて,他教科と かんれん がくしゆう かんが みずか ちから くふう いっそうそだ 関連づけて学習することで,自ら考える力が一層育つ工夫をしていま す。 -んせいど 3 編成度 だいざい はいり上 けいとうせい ・題材の系統性について配慮されているか。 ぞうけいてき そうぞうかつどう き そて き よろこ ひ上うげん のうりょく かんせい ゆた そだ ①造形的な創造活動の基礎的な能力や,表現する喜び,豊かな感性を育 たか けいとうだ がくしゆうしゆだい て,高めることができるように系統立て, ねんかんがくしゆう こうせい だいざい 3つの学習主題で構成した題材 み へんせいくふう を6年間学習することで,身につくように編成工夫をしています。 しめ かくがくねん かくだいざい ②各学年のオリエンテーションでは育てたい「めあて」を示し,各題材の けいとうせい てい なか こうがくねん ぞうけいがくしゆう きちょう しんしん せいちょう 系統性は低・中・高学年で造形学習の基調となる子どもの心身の成長 はったっ ぜんこくかくち じっせん技うこく けんきゆう ぞうけい 発達を全国各地の実践報告をもとに研究して取り上げ,だれでも造形 のうりょく み くふう 能力が身につくように工夫しています。 ぜんばん ないよう はいれつ がくねん じゆんじ上せい くふう ・全般に内容の配列や学年の順序性は工夫されているか。 ぞうけいてき そうぞうかつどう たいせっ ていがくねん ①子どもの造形的な創造活動を大切にして,低学年では「みつけたよ,た ちゆうがくねん こうがくねん のしいな」,中学年では「ためしながら,たしかめながら」,高学年では じしん おも ぞうけいかつどう ひろ と く めいかい 「自信をもって,思いを広げて」と造形活動に取り組むようねらいが明解 はいり1 になるように配慮しています。 がくしゆうしどうようり上う しめ もくひょう ないよう てい ②学習指導要領に示された目標・内容をふまえて,低・中・高学年に合 ・77・ ちゆう こうがくねん あ がくしゆうしゆだい ないよう せってい しんしん はったっ じゅうぷん はいり上 わせて学習主題の内容を設定して,子どもの心身の発達を十分に配慮 だいざい はいれつ けいとうだ しながら題材を配列し系統立てています。 ないよう ぶんりょう てきせつ ・内容の分量は適切であるか。 ちいき がっこう じったい じ上うきょう あ だいざい せんたく ①地域や学校の実態や,子どもの状況に合わせて,題材を選択したり く あ きょうかし上 じゆうぶん かつよう くふう 組み合わせたりして,教科書が十分に活用できるように工夫しています。 がくしゆうしゆだい たば だいざい せんたく がくねん じかんすう さくげん ②学習主題に束ねられた題材を選択することで,学年の時間数の削減にも たいおう はいり上 たんじかん じっせん だいざい と あ 対応できるように配慮され,また短時間で実践できる題材を取り上げるな はいりょくふう どの配慮工夫もしています。 ひ上うげん 4 表現 ぶんしょうひょうげん てきせつ ・文章表現は適切であるか。 こ ① ど も ぞうけいかつどう ばあい かくだいぎい がくしゆうないよう りかい 子どもたちが造形活動をする場合に,各題材の学習内容が理解しやす ないよう こうせい いように以下の内容で構成しています。 がくしゆう * がくしゆうしゆだい だいざい かんれん 学習のめあて-学習主題と題材との関連をわかりやすく短い ぶんしょう だいざいめい うえ ひょうじ 文章で題材名の上に表示しています。 だいざいめい * き上うみ いよく ひ き だ おお す 題材名・-子どもの興味や意欲を引き出すために,大きくわかりやすく しかくてき しめ 視覚的に示しています。 がくしゆうないよう * しゆぶん いちどく いよく かんしん こうそう いよくひ上うげん 学習内容(主文)-一読することで,意欲・関心や構想など意欲表現 りかい がくしゆうないよう のきっかけとなり,学習内容が理解できるように示しています。 かくだいざい * まな しえんぶん くふうマーク-・各題材の学びのポイントを子ども-の支援文として 示しています。 ・78・ じ上うじゆかん ふ かつどう か え きろく ふりかえりマーク-・学びの成就感や活動の振り返り,記録のボイン * てんじ かんしょう やくだ トを示し,鑑賞や展示のしかたにも役立つようにしています。 かんが かんきょうほぜん し上 あと り かたづけマーク-・環境保全を考え,後かたづけ,ゴミ処理などのし * かたを示しています。 ふ じゆぎょう か じ え ふく こひょうか 学びマーク-・子どもたちが授業を振り返って自己評価も含めた * まんぞくど しめ たっせいど 満足度・達成度を示すことができるようにしています。 なるほど!コーナー-・ * だいざい なか 「いろとようぐのホームページ」のほかに,そ ちゆうい よう あつか ぐ れぞれの題材の中で注意しなければならない用具などの扱いについて かいせつ く わ 詳しく解説をしています。 よ う ぐ かつどう ひつよう いちもく 用具マーク-・活動に必要なマークが一目でわかるように示していま * よ う ぐ けいとうてき しどう やくだ す。用具の系統的な指導にも役立っようになっています。 あんぜん きけん と あつか ないよう じゆうぷん ちゆうい あつか 安全マーク-・危険な取り扱いの内容は十分に注意して扱うように * 示しています。 さくれい せつめい せつめい ずかい めいかい かんしん ひ その他-・作例の説明や図解の説明なども明解で,子どもの関心を引き * むす ひょうげんいよく ないよう 表現意欲に結びつく内容になっています。 しやしん ずはん がくしゆうないよう かんれん ・図版,写真などは学習内容と関連づけられているか。 と かくだいざい あ げ じょうけいじゃしん さくれい ぎんみ がくしゆう ①各題材で取り上げている情景写真や作例はよく吟味され,学習に や く だ ていじ じょうほうげん 役立つ情報源となるように提示されています。 さくれい しやしん とうがいがくねん あ ないよう さくひん げんせん てきせつ ②作例や写真は当該学年に合った内容の作品を厳選して適切なものを けいさい ずかい し く せいさく りかい てじゆん 掲載しています。図解は仕組みや製作の手順が子どもたちに理解しやす さいしん ちゅうい せいかく ないよう ほかきょうか く,細心の注意をはらって正確な内容になっています。他教科との かんれんせい じゆうぶん はか がくねん ないよう けいとうだ 関連性も十分に図り,その学年にふさわしい内容で系統立てて取り上 げています。 ・79- と あ ぎんしん ・レイアウトは斬新であるか。 ぞうけいかつどう たの よろこ しかくてき うった ①造形活動の楽しさや喜びが,視覚的に訴えかけてくるレイアウトにな しんせん しめんこうせい -んしゆう っていて新鮮な紙面構成に編集されています。 がくしゆうないよう じゆぎょう ながれ とういつ しめんこうせい ②学習内容や授業の流れがわかりやすい紙面構成で統一されていて,そ めいかい だいざい しかくてき ていじ わかり の題材のポイントが明解に視覚的に分かりやすく提示されています。 お こ とくしょく かつどうばめん い ③折り込みページの特色を生かして,ダイナミックな子どもの活動場面, みり上くてき ぶたい かんし上うさくひん 魅力的な舞台や鑑賞作品, と 「いろとようぐのホームページ」や「ぞうけ あ いずかん」などを取り上げています。 ぞうけい ねんど い ④造形のおもしろさを生かした「粘土アニメーション」を, ないよう と あ それぞれの学年の子どもたちにふさわしい内容で取り上げています。 かてい ずかい めいかく ・つくる過程や図解は明確であるか。 1せいさくかてい りかい こうぞうず めいかい しめ せつめいず ①製作過程や構造図などは,子どもたちに理解しやすい明解な説明図で示 しています。 ぞうほん 5 ていさい 造本・体裁 いんさつ せんめい ・印刷は鮮明であるか。 1いんさつ さいしん せいはん し く いんさつぎじゆつ ①印刷は最新の製版・印刷技術を駆使し, ざいしつかん じどうさくひん ぴじゆつさくひん ・児童作品,美術作品のもってい ちゅうじつ さいげん よ う つと し ず るニュアンスや材質感などの忠実な再現に努めています。用紙は図画 こうさくか きょうかし上 さいせいし なか さいてき り上うしつ かみ しよ 工作科の教科書として,再生紙の中で最適の良質コート紙を使用して います。 せいほん けんろう ・製本は堅牢であるか。 せいほん すうかし上 め こま いと なかと ①製本は30数カ所という細かい目をつけたミシン糸の中綴じ,見返しつき ・80・ みかえ う が ちょうき た しよう けんろう じ上うぶ ぞうほん で,長期の使用に耐える堅牢で丈夫な造本にしています。 まえ うし もう がめんこうせい 前と後ろに折り込みページを設け,インパクトのある画面構成となり, うし お こ ひつよう 後ろの折り込みの「いろとようぐのホームページ」では,必要なときに さんこう くふう いっでも参考にできる工夫がしてあります。 ひょうし たいすいせい ほどこされて じょうぶ ②表紙は耐水性のあるコーティングが施されており,丈夫であり, みずぬ れ たい たいきゆうせい たか かつ,水濡れに対しても耐久性が高い。 そうてい くふう ・装丁は工夫されているか。 ひ上うし ① うらび上うし うつくしいそうてい いったい くふう ひ上うし 表紙と裏表紙が一体となった美しい装丁を工夫しました。表紙のタイ たの ひょうし トル,サブタイトルも子どもたちが楽しめるデザインで,表紙では か ひょうげんいよく た がめん じどうさくひん 表現意欲が駆り立てられる児童作品を画面いっぱいに大きく取り上 あげまき かつどうばめん げかん りったいさくひん げています。さらに,上巻で活動場面,下巻では楽しい立体作品を取り と あ 上げています。 うらびょうし ② ていがくねん がっきゆうけいえい やくだ さくひん ちゆうがくねん かくち まつ 裏表紙では,低学年が学級経営に役立つ作品,中学年が各地のお祭り さくひんほぞん りよう こうがくねん とデジタルカメラでの作品保存と,それを利用した作品づくり,高学年 びじゆつかん りよう けいさい しやかい がっこう ひろ が美術館の利用やパブリックアートの掲載で,学校から社会-の広が ふく がくしゆう りも含めて学習できるようにしています。 あんぜん はいり上 ・安全は配慮されているか。 しょくぶつせい しよう じゆうらい いんさつ くら えいき上う 植物性インクを使用しているので,従来の印刷に比べ人体-の影響 すく かびん かがくぶっしつ はいり上 じどう ひょうし が少なくまた,化学物質に過敏な児童-の配慮から,表紙の表面加工 くふう かがくぶっしつ ぎんぞんあたい すく を工夫するなど,化学物質の残存値を少なくするための努力が行わ れています。 -81・ ひょうめんかこう どりょく おこな かんき上う はいり上 ・環境に配慮しているか。 しげんほ はいり上 ご しゃしん せんめいせい たも ほんぶん ひょうし 資源保護に配慮し,写真の鮮明性を保ちながら,表紙・本文ともに さいせいし しよう いんさつこうてい はいり上 かんきょう かんてん 再生紙を使用しています。印刷工程での環境-の配慮という観点から, し上くぷつせい さいよう 植物性インクを採用しています。 きょうかし上 そんざい い ぎ 4、教科書が存在する意義 き上うかし上 ひつよう 教科書は必要なものであるのか? ていじ き上くろん き上うかし上 ひつよう りゆう 極論的な提示であるが、教科書が必要であるとすれば、その理由があるはずで り ゆう もくてき やくわり ある。そしてその理由にかかわって、目的なり役割が見えてくる。 あら し いてつお 群馬大学の荒井哲夫氏は以下のように述べている。 ぴじゆつ じゆぎ上う き上うかし上 やくわり は た し て 出足旦美術の授業で,教科書はどのような役割を果たしているでしょうか。 誕窟鼠こは,義美指は傾詳義謹の議鼠こ冠じて轟機能斯された教科の主た 材」として位違っけられています。しかし矢掛こは,それぞれの姦軌こよっ きょうざい い み と たる教材」としての意味が真七っています. ちゆうりやく 中略 ぴじゆつ じゆぎ上う かんが ひ上うげんかつどう ばあい ひょうげん かか せいさく 美術の授業では,とりわけ表現活動を考えた場合,表現や制作に関わる材料 ようぐ しゆよう おお きょうざい どうにゆう ざいりょう だんかい や用具が主要な教材とみなされることが多く,教科書は導入やまとめの段階で 粘境執こ使われる教材と考えられやすい衛尚があります。極嶺な例では,毒 せんせいがた なか きょうかし上 つかわず じゆぎ上う ほう 先生方の中には,教科書をほとんど使わずに授業をしているという方もいるほど です。 ・82・ ぴじゆつ じゆぎょう きょうかし上 ふよう こくご すうがく それでは,美術の授業に教科書は不要なのでしょうか。国語や数学などと く らべて ぴじゆつ じゆぎょう きょうかし上 て と じゅぎ上う ひんど たし すく 比べて,美術の授業では教科書を手に取って授業をする頻度は確かに少ないで しょう。 きょうか とくし上く がくしゆうかつどう かんが せいかく きょうか しかし,教科の特色や学習活動の性格を考えれば,それぞれの教科によって き上うかしょ かつよう ほうほう こ となる とうぜん ぴじゆつ きょうかし上 びじゆつ たと 教科書の活用の方法が異なるのは当然です。美術の教科書は,例えてみれば,美術 せかい ひろ みりょく しょうかい かつどう さんか よ の世界の広がりや魅力を紹介したり,活動-の参加を呼びかけるガイドブックと いぜん き上うかし上 とざん り よ う いえるのではないでしょうか(以前,教科書をハイキングや登山で利用される「地 図」に例えましたが, 「ガイドブック」の方がより遥萌な昆磁のように思います). ちゅうりやく 中略 ぴじゆつ き上うかし上 ほかき上うか かいせつし上 せつめいし上 美術の教科書を,他教科のような解説書や説明書ではなく,ガイドブックのよ かんが きょうかし上 じゅぎ上う つか うなものと考えれば,教科書を使わずに授業をするという発言もあながち的外れ とはいえません。なぜなら,該6-fしも姦芽室をAI=iに遠賀が富められずと 芳墨が違芽の迷妄に酪じて,あるいは峯速が&'韻などを窟して算術の甚謀 たり,装う窟や亮揃のヒントを轟たりする皐掛かりになっているとすれば ブックとしての裟純な姦割は鼠こ兵長Lそいるといえるからです。 こうりやく 後略 あらい し ぴじゆつ き上うかしょ じゆぎ上う しよう 荒井氏は美術の教科書が授業で、どのように使用されているか。大まかな いち どうにゆう だんかい ほじ上てき けいこう 位置づけとして導入やまとめの段階で補助的に使われる傾向があり、教科書をほ おお きょうかし上 きょうし つか とんど使わず授業をしている教師もいるといっている。 げんじょう たい きょうかし上 ふよ う この現状に対し、教科書は不要なのかと由う。しかし雛鳥自身この高いに -83・ たい ていじ こたえ かもく き上うかしょ かつようほうほう こと 対して、答は提示しない。科目によって教科書の活用方法は異なる。としている り ひつよう ゆ う が、必要である理由はあげてはいない。 そして芸術の義経室をガイドブックと範頼することで、その旨岸の宥覇 き上うかしょ きょうかしょつか じゆぎょう すす めし、教科書がガイドブックであれば、教科書使わず授業を進めるということも まとはずれ い せんせい き だいざい せんてい ずはん せいと と お してぴじゆつ せかい 的外れとは言い切れない。先生の題材の選定、生徒が図版を通して美術の世界に ふ ひ上うげん せいさく え て 触れる、表現や制作のヒントを得たりする手がかりになればガイドブックとして きほんてきやくわり は の基本的役割はすでに果たしているといっている。 しょうしょうぎもん おも 私は、少々疑問に思う。 きょうかしょ つ か じゆぎょう ただ おこな まず、教科書を使わず授業を行うということが、正しいことなのか?許される ことなのか? きょうかし上 そんざい き上うかし上 やくわり い ち きょうかし上 これは教科書の存在や、教科書の役割、位置づけにかかわりながらも、教科書そ もんだい きょうし も じゆぎょう こうせいせきにん ゆる のものの問題ではなく、教師が持つ授業の構成責任がどれほど、許されているか もんだい という問題である。 義経毒は「姦詳義謹の議諒に冠じて轟機能和された教科の窒たる敏有」と い ち いっぱん こうかい ひつようせい ふ-んてき けんてい にんち しんさ 位置づけられ、一般にも公開され必要性が普遍的に認知された「検定」という審査 にかけられる。 しどうようり上うしたがした こま きてい ぶんげん たい こま かいしやく 指導要領に従った細かな規定がなされ、文言に対する細かな解釈にいたって、 臓を巻き込んで読嘉が違こるほどであるから、窟若という窟壷は審議前嘉 ふく ぎ むき上ういく こくみん ぎ む いじょう 含めたものであり、義務教育にいたっては国民の義務である以上、国民が参加し こくみん さんか ている洋室ということになる。掻岩は槙篭にかつ巌しく、そして崩揃に窟諒 されていく。 日々の授業を参観することが、毅実線こ茜簸な東岸にとっては、提嘗 ようりょう すす だいぜんてい き上うか 要領にしたがって進められるという大前提があるわけであるから、教科の主たる ・84・ しゆ 敏有が、遠賀呂篠の散楢を知る範二の喜豊てである。 姦詳の窒たる簸有という位違っけとして、夢くの緒違を誓えながら、義雀 けんてい きょうかし上いじょう じゆぎ上う すす うえ てきせつ き上うざい 検定された教科書以上に、授業を進めていく上で適切な教材があるとすれば、 き上うかし上 そんざいり ゆ う と 教科書そのものの存在理由が問われる。 きょうし しゆ きょうぎい みと しよ き上うかし上 う き上うぎい また教師に、主たる教材として認められた教科書を使用せず、ほかの教材を 鹿補することの決楚権が許されているのかという島拍が生まれる. あらい し い きょうかし上ふ しよ だいざい せんてい ち 荒井氏は、ガイドブックとしての位置づけをすることで、教科書不使用の授業 まとはず う じゆぎ上う せいと が的外れではないともいえるとする。ガイドブックであれば、題材の選定や、生徒 ずはん ぴじゆつ せかい ふ ひょうげん せいさく え が図版などから美術の世界に触れる、表現や制作のヒントを得る手がかりとして やくわり きほんてき きの う じゆうぶんは の役割で基本的な機能は十分果たしていると言う。 きょうかしょ ち い ほうりつ こくみん まず、教科書をガイドブックとして位置づけることが、法律や国民の義務とし こくみん せいど なか ぎ む ば て国民がかかわる義義敏う育という制度の中で、果たして菱当であるのか 審議前にその痘違っけ、範触ミ蓋拐されるのか?されたのか?もし、姦前の岩 な範L*'であれば、まったく妊答荏を轟赤鼻ものではなくぷ答荘を遠麗した と も取れなくもない。 い ち うえ かつよう たい ガイドブックとしての位置づけをした上で、その活用に対してのありようを示 し、その宥覇荏から、虜砧峯実としての芹荏遠猫へと締着している。 い ち づ け きょうかし上 あた うえ あくまで、ガイドブックという位置づけを教科書に与えた上での、許容である ていぎ ど う じ おこな そしてガイドブックというものそのものについての定義も、同時に行っているの である。 ・85・ きょうかし上 りかい しよ う ぎろん まず、教科書がガイドブックとしての理解での使用でよいのかという議論がな ひつよう される必要がある。 ぴじゆつ き上うかしょ かぎ Iまかかもく ぎろん くわ ぎろん こんにちてき 美術の教科書に限らず、他科目を加えた議論としては、今日的に議論の的とな れきしかいしやく ぷぶん しようしゃ まか せんたく る歴史解釈にかかわる部分について、使用者に選択が任される、教師に選択が か ま さ れ おお る き なもんだい きょうし まと せんたく ふく 任されるという大きな問題を含んでいる。 かも く ほうりつじょう きてい げんば ゆる -んか 科目ごとに法律上の規定が、現場において変化することが許されることはない。 し あらい きょうし こなかこう 荒井氏は′jヰ校の教師ではない。雛鳥が義経喜を鹿補する至猫で、義経 しよ うほうほう き上うかしょ い ち し る あらい 使用方法を教科書の位置づけとともに、記しているわけではない。荒井氏の、 きょうかし上へんしゆうしゃ し いちいん る かぎ げんば じょうきょう し りかい 教科書編集者の一員として、知る限りの現場の状況を理解しながら、そのよう な現状を盛まえた上で授業が効果的に進宿し、峯撞にとって宥覇である義 く しん きじゅつ り かい ありように苦心しての記述と理解してよいだろう。 雛鳥自省は、傾響の帯で十分に窟崩できる義経室を在ることが,遺風こ たず わたし ねが 携わる私たちの願いであることはいうまでもありません。」と、述べている。 掛氏自省の議若者としての謀議は、接嘗の帯で半う芽に窟崩できる姦芽 つ く る 作ることなのである。 しかしなぜ、議宥者がこのような状況を、教科書をガイドブックと直書換 までしなければ、義経毒の芹左前占を言い纂蓬抗\のか、尚違はそこにある おも に思う。 きょうかし上 ひつよう めいだい ぎろん みいだ 教科書がなぜ必要であるのか、という命題について議論した記述を、他でも見 すことはできなかった. ぎろん せいりつ え もんだい ふく かのうせい おそらくこれは議論としては、成立し得ない問題を含んでいる可能性があるの かもしれない。 ・86・ きょうかしょ きょうかかも しゆ く き上うぎい ち い 教科書は、あくまで教科科目の主たる教材としての位置づけでしかない。した がくしゆう ざい いちそ がって、簸雀、鵜、提嘗達皆において、また学習の-素材であって、それが しゆ そ ざい い ち 主たる素材として位置づけられていることにある。 まわ き⊥ういく がいねん そんぎい なに き上ういく 回りくどい言い方をしたが、教育という概念は存在しても、何を教育するか も りゆうどうてきそくめん きょうかし上 きょうざい いじょう そんぎい は流動的側面を持っているということが、教科書を教材として以上の存在とし ち い き上ういく う けん も り た き上ういく い ぎ ほどこ む て位置づけるすべを、教育を受ける権利を持っものに対して、教育を施す義務を も がわ みいだ 持つ側が見出せないことにある。 きょうかし上 だれ 5、教科書は誰のためにあるのか わたし こ うかてきすす そ ざい きょうざい いじょう 私は、敏雀、端、提響蓮皆において、それを効果的進める素材(教材)以上 い づ ち け みいだ しる げんじょう の位置づけを見出せない現状があると記した。 いく ひと のうりょく ひはん それは、教育にかかわる人たちの能力を批判するものでも、敏う脊の韻砺 就萌しているわけではない. 1B巌の鮫がでないこと(もしくは出さないこと) きょういく かんが けんぜんせい きょうかしょ つか に教育の健全性があると考えているのである。しかし、教科書がまったく使われ もんだい かん り げんだい ゆ う ない授業については、問題を感じている。それはいかなる理由であれ、現代にお ゆる かくにん こうぞう いては許されない構造にあることを確認すべきであると考えている。 き上うかし上 き上うざいいじょう なに きょうざい きょうかし上 す 教科書が教材以上の何かであるのか?教材に過ぎないものなのか?教科書は ひつよう なん ひつよう 必要であるのか?では何のために必要であるのか? きょうかし上 そんざい 私は、教科書の存在について、このように考えている。 がくしゆう はいけい ほんしつ か おと な こ ども いちおう い 私は、はじめに(学習の背景と本質)で書いたが、大人も子供も-応に、生きて かぎ がいぶ ないぶ と ら はんのう はんのう つづ こうぞう がいぶ いる限り、外部を内部に捉え反応し続ける、その反応の構造は、外部を感受する ・87・ かんじゅ 期間の経過とともに議鼠こなり、炭岩も議鼠こなるとした.その窟轟音の嘉 おとな さ こども い かんが がいぶ と せかい こ さぎょう つく 大人と子供の差異であると考えている。外部を取り込み世界を作るその作業を か く え かてい ないてき お -んか づ つ おとな せいしんてきはったっ かんが たしゃ がいぶ べつ こたい どうよう こども 繰り返す過程で、内的な変化は起こり続ける.私はこれを、大人も子供も同様の なか -んか ふく 精神的発達と考えた。そして、外部として他者(別な個体)の変化もその中に含ま れるとした。 しやかい こたい たが しゆうごうたい にがいぶ た こたい と はんのう こ つづ 社会は、個体の集合体であり、互いに外部として、他の個体の反応を取り込み続 けるとした。 しやかい し こたいどう はんのう そしきてき づ -んたいしつ 社会は、個体同士が反応しあうことを、組織的なうねりとして変態し続けると る け した。 い こたい かぎ り がいぶ はったつ かてい つづ すべての個体が、生きている限り外部とかかわり、発達し続ける過程にあり、 その鳥越の貰盲従が妊答である.前表それぞれの炭冠の箸首が、荘答の様相 あると考えた。 せいかつ わたし はんのう ひょうしゆつ しゆうごうたい 私たちは、人として生活できるために、私たちの反応、表出の集合体として 嘗を&6bL,た妊答、その嘗にまた如櫨に炭冠、箸首を姦り態し、それによって すがた か しやかい さんか ひつよう ちしき きょうよう きかい かくとく また姿を変える社会に参加するために必要な知識と教養を獲得する機会を作ら つく なければいけないのである。 し せいしんてきはったっ つづ すがた しやかい しゆうごうてき 私たちが、死ぬまで精神的発達をし続けるとすれば、社会の姿も集合的な か と せい も すがた わたしたちじしん しゃかい なに ひと なに 過渡性を持った姿でしかない。私たち自身が、社会とは何か、人とは何かを問い かて い 続けている過程にあるわけである。 き上うかし上 わたし じしん にんしき りかい 私は、教科書は私たち自身が、宗誼ち呂L#を二岩島永存止させ認識、理解 た、好走ち呂L#の通産荘を箕姦花したものでないかと考える。言い違えれば じしん しやかい ひと い しやかい たち自身が、社会で人として生きていくということはいかなることなのか?社会 とは荷かを品るために選択した詮執こよる崩峯の岩窟であって、好走ち呂 き上うざい 知るために用いた教材なのではないか考える。 ・88・ かんご ひつよう だんかい じどう む じどう い か わたし そして、監護が必要である段階にいる児童にとっては、児童を迎え入れる私たち たい じどう り いま かいにんしき きろく おく もの きょうかし上 の、児童に対して、今を理解認識した記録の贈り物が教科書であり、それによっ じしん じどう せいち上う じしん おな じしん い いま り かい て児童自身が成長とともに、同じように自身を、そして自身が生きる今を理解す る手立てとして、次巷純にその前七の荏答を誠として姦諾し鼠ナるのだと ている。 きょうかし上 たん じどう がくしゆう き上うざい じどう たい きょういく ぎ む 教科書は、単に児童が学習するための教材ではなく、児童に対し教育の義務 も がくしゆう しゃかい を持つわれわれの、学習、 きょうかしょ じどう じしん わたし し る て だ (社会、私たち自身を知る)手立てであるように思う。 しどう じどう はったっ おとな 教科書は児童に指導するためにあるのではない。児童と大人がそれぞれの発達 旨経で、箕う星、し南篭に巌喜かけを宥うために芹左するのだと誓える。 きょうかし上 ひつようせい わたし けってい わたし き上うせい 教科書の必要性は私たちが決定するのではなく、私たちが共生するために、 わたし りかい かてい う い み きょうかし上 私たちを理解する過程で生まれるものなのだと考える。その意味で、教科書は、 う じど わたしたちおとな がくしゆうかてい がくしゆう し く 児童と私たち大人にとってそれぞれの学習過程、学習の仕組みにおいて生まれ るものだと考える。 き上うかし上 ひつよう かな う っく 教科書は、必要なのではなく、必ず作ってしまう。生まれてしまうものなので はないだろうか? きょうかし上 わたし しやかいこうせいいん 教科書は、私たち(社会構成員すべて)のためにある きょうかしょ こ ども じどう わたしたち 教科書は子供児童のためにあるだけでなく、私たちのためにもあるのだと かんがえる 考える。 しやかい しやかい そんざい 社会のためにあるのだといってもよいのかもしれない。社会が存在すれば、そ しゃかい きょうかしょ かなら そんざい の社会には教科書が必ず存在するのかもしれない。 ー89・ 接警護軌こおいて、違う妄なのは、簸う脊の謁、宕は宗旨の袈溜を慮りて いるという自力蛍のもとで芹あれるべきであり、鳥篭に為する私議の窟軌 ひ上うそう す いちぶ っよ かんが にんしき 表層の一部にしか過ぎないことを強く認識すべきであると考える。菱′馨 か じどう きょうし いったい りかい 淀んしってき る表層を借りて、児童と教師が一体となって本質的なものを理解しようとする かんきょう 環境こそが、違背達皆だと考える. き上うし じどう こたい じかんてきけいか 教師と児童は、個体における時間的経過における議蓮の窟崩の墓真にあ じ しん り かい であって、妊答との静鼠自身の理解に品かう顛諜においては、まったく尚等 あると考えるべきである。 したがって、義経善が妊答=前表の炭冠・業皆の総社であり、荏答に劾召す げんざい ひとびと り かい きろく 人々の「現在の理解」の記錬であるとすれば、授業においては、主たる教材とし じゆうぷん かつよう て充分に活用しなくてはいけない。 しゆ きょうかし上 かつよう た ひょうめんてき しどう どうせんてきくふう そして、教科書は主たる活用に耐えうるものとして、表面的な指導・導線的工夫 きょういく ぎ む も よりも、教育の義務を持つ私たちが存在した驚として、いまの私たちが、リアル かくとく ち こうせい に畠拐し、獲得した知によって構成されるべきものであると考えるo わたし げんぎいこども しょうらい う き上うかし上 私には現在子供がいない。しかし、将来わが子が生まれたとき、教科書が わたし おとな わたし し こども じしん し 私たち大人が私たちを知るためのものであり、子供が自身を知るためのものであ のぞむ き上うかしょ こども たが に はなし きかい おお ることを望む。教科書を子供とひろげ、互いに、話をする機会が多く生まれるこ ゆめみ とを夢見る。 -90・ う まとめ さいご ちゆうごく さまざま ようけん なか せっけいだんかい かんせい 最後に、中国の様々な要件の中で、設計馴皆と完成されたもの、理想と現実が けいけん わたし きょうかし上 げんじつ りそう だれ 皇描の串、で菱宕することを経験した私には、 「教科書が誰のためにあるのか?私 は鳥篭のためにある.鵜する窟の敏う脊鵜が、授業蓮皆が鵬事実として糾 するためにあるのではない。」 かんが とうしょ おおき にほん きょうかしょ め いんさつぎじゆつ うは ちゆうごく 当初、その考えが大きかった。日本の教科書の印刷技術に目を奪われ、中国の 姦芽室の努憲さだけが孟になった. しら にほん きょうかし上 なに ふそく いろいろなことを調べていく上で、日本の教科書にも何かが不足しているよう に感じた. こんなん ぎもん それは私にとって、困難な疑問だった。 ぎもん と この疑問を解いていく、大きなヒントは宥芳の窟筈にあった. とうろん こ こうりゆう とば 「先生とクラスメートが討論、交流」という言葉であった。 しゃかい じょうき上う ちしきせい のうりょく さ い 社会ではそれぞれの状況における能力、知識性に差異があっても、それぞれ せいしん そんざい たが りかい もっと じゆうよう に精神が存在し、互いを理解しようとすることが最も重要である。 ねんれい こ と きょうし じどう 提嘗もいうなれば、年齢が異なる教師と児童によって構成された、ひとつ こうせい 会である。そのことが、大きなきっかけとなった。 先生は、違諒と指の蕃執こよって多くのものを見てきた.茄議童も豊富で る。 けいけん すく 子供は、まだ、経験も少ない。しかし、考えるということは、その量に関係な り上う かんけい くできる。 くうかん たくさん かんじゆ こども かんじゆ たい てんかいはんのう もしかすると、空間が沢山ある子供は感受と感受に対する展開反応の量は、 りょう 飽満訣窟に鼠、岩ズよりも慮っているかもしれない。 ちょうし上 たんしょ かんが つく それぞれの長所はそれぞれの短所も作る。そう考えると、どちらを主導にする ぜんてい じゆぎょう きょうしつ かということを、前提にしなければ、授業、教室という社会が見えてくる。教師 ・91- しゆどう き上うし せいと じゆうよう こうせいよういん も生徒も重要な構成要員なのである。 互いに、好Jdt,省いその空間を作ればよいo きじゆつ ぴじゆつ じゆぎょう ぎじゆつてき ある記述で、美術の授業において技術的 ・美適前端を窟菟させるか、窟荏を ぎじゆってきしどう 窟蒐させるかの読姦があると善かれていた. 技術的指導よりも感性を・ かんせい ・という ないよう 内容であったと思う。 おとな ちしきてきけいけんてきゆうい たちば はっそう しかし、考えてみれば、大人が知識的経験的優位であるという立場からの発想で ま ちが あることは間違いない。 どちらを窟蒐するではないように思う.芸ぎiv、に呂L#が捲っているもの 合えばよいのではないだろうか。 ちしき けいけん ほうふ ぎじゆってき ほ 知識や、経験が豊富で技術的なものがあれば、それがないものが欲すれば、そ し上うかい れを紹介すればよい。 たが も たが し しょうかい きかい 互いが持っ ているものを、互いがまだ知らなければ、それを紹介しあう機会を 作ればよい。 き上うし じどう しゃかい きょうしつ こうせいよういん いちこたい すべ 教師と児童は教室という社会での構成要員としての、一個体としては全てのも おな こと とくせい い のうりょくてきさ やくわり のが同じなのである。ただ異なるのは、それぞれの特性や能力的差異で役割を担 にな うということである。 きょうし けいけんり上う ちしきり上う も ひとり やくわり にな じゆうよう 教師は、経験量や知識量を持った一人として、役割を担うことが重要な気が き する.槌音というのも姦試である.窟蒐離島ではない。 きょうかし上 こども わたし そんな箸賢芳が農芸ミった。教科書が、子供のためだけではなく、私のため かんが じしん い あるのだと考えることができたときには、うれしかった。自身の位置を獲得した ち かくとく おも ように思えた。 しやかい 主謀と芙tRぎてがあって社会だとすれば、当然のことかもしれない0 ちゆうごく きJ:うかし上 とうぜん せいさく 中国において、このような教科書が制作されていることを、誇りに思う。 -92- lまこ おも 参考文献: 「中外教育比較史綱」 (近代巻、現代巻) 同国華 実式頴 1997年 張人傑 山東教育出版社 「西方経済学」 1996年 高鳴業 主編 経済出版社 「国家学説史」 1999年 鄭永賢 主編 福建人民出版社 「美術新聞」 第6 4 中国美術学院と漸江日刊新聞の新聞グループ 7期 会社が主催する 「新学校教育全集一教科書・教材教具」 1995年 `図画工作,美術科の指導と教材・教具' 水越敏行、熱海則夫 遠藤友麗 pl12-121 ぎょうせい出版 「現代の教育を考える」 「美術」 2004年 中谷勉 2002年 (一年用 浪ブ 虜年 四年生F - 北樹出版社 前期、後期 人民教育出版社(北方) 「美術」 2004年 (一年用 四年生用) 一 前期、後期 江蘇少年児童育出版社(南方) 「図画工作」平成17年 (1・ 2 引用① 「図画工作」観点別・編集の特色 引用② 「美術の授業と教科書の役割 3 、 ・4) 上、下 平成17年度版 - 「中学校美術」の特色群馬大学 目本文教出版 日本文教出版 」 新井哲夫 日本文教出版 ・93・