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オ・プルブ著『モンゴルのシャマニズム』(モンゴル語)、民族出版社(北

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オ・プルブ著『モンゴルのシャマニズム』(モンゴル語)、民族出版社(北
【書評】
オ・プルブ著『モンゴルのシャマニズム』(モンゴル語)、民族出版社(北
京)4
3
4ページ、2
0
0
6年
O・Purbu "Shamanism of Mongolia" (in Mongolian), Minzu Publisher (Beijing) 434 pages,
2006
サランゴワ
Sarangowa
要旨 本書は学者のオ・プルブがモンゴル国において、綿密な現地調査の基に書き下ろし
たモンゴル・シャマニズムの専門書である。本書の独創性は、第一次資料の豊富さとそれ
の分析にある。本稿は、著者を紹介・内容を要約し、成果をとり上げ、若干のコメントを
した。
はじめに
著者のオ・プルプ博士は、1
9
3
1年に生まれ、出身は、モンゴル国の北部フブスグル・ア
イマグ(県)のハラ・ダルハド部族である。1
9
6
8∼9
1年まで、モンゴル人民革命党の中央
に所属する党史・社会学研究院で研究員・教授として勤める。1
9
6
0年からモンゴル・シャ
マニズムを研究し始め、3
0年以上、モンゴル国においてシャマニズムに関する現地調査を
行った。そして、これら第一次資料をもとに書かれた『モンゴルのシャマニズム』は、モ
ンゴル国において、キリル文字で1
9
9
8、1
9
9
9、そして2
0
0
2年に3回出版されている。本書
は、2
0
0
6年にキリル文字からモンゴル文字に転写され、中国の北京にある民族出版社から
出版された。著者は、モンゴル文字で出版するに当たって前書きに次のように書いている。
「モンゴル国のフブスグル・ノール(湖)の西側に居住するダルハドの人々は、1
8世紀か
ら政治的・地理的に閉ざされた状況におかれていたため、ハルハ部族の間に流行った文化
的進化がこの地域に浸透しなかった。そのため、この地域のシャマニズムの変化の足取り
は遅いものだった。そのことは、ダルハドのシャマンの習俗、世界観に見られ、
『元朝秘
史』
の内容に反映されている。そのため、本書は、①ダルハド・シャマンの世界観、習俗、
②モンゴルのシャマニズムを研究した先学たちの著作、③『元朝秘史』の内容などを比較
して研究した」と述べている。
著者は、モンゴルのシャマニズムを宗教としてとらえ、初版本(1
9
9
8)の前書きに、次
のように述べている。①モンゴルのシャマニズムは昔から伝承されてきた独自の歴史、世
界観、習俗をもった宗教であることをできるだけ明確にする。②モンゴル・シャマニズム
の世界観はこの地域に政権を打ちたてた歴代王朝の思想、組織の基礎となってきたことの
証拠を提示する。③モンゴルのシャマニズムは遊牧経済を基盤に発展を遂げたため、モン
ゴル人の生活の中で、不文律として遵守されたことをさまざまな視点から証明する。④ロ
ス(水の主)
、サブダグ(地の主)や祖霊であるオンゴット(守護霊)とはいったい何で
あるか、また、シャマンになる運命は何を意味するのか。⑤人間と人間以外の生き物が超
自然界で、ある種の関連性をもっていることを示し、その関係性をさらに詳細に研究する
289
人文社会科学研究 第 16 号
意義を指摘する。本書は、以下のような構成からなっている。
1.本書の概要
第Ⅰ部 モンゴル・シャマニズムの歴史から
第1章 モンゴル・シャマニズムの起源と発展
第2章 匈奴時代のシャマニズム
第3章 モンゴル世界に多様な宗教流派が共存する時代
第4章 モンゴル・シャマニズムの衰退と分裂
第Ⅱ部 モンゴル・シャマニズムの宇宙論
第1章 大地とその階層
第2章 地と水の主
第3章 蒼き天
第4章 庶民の「テングリ」についての観
第5章 他界
第6章 霊魂
第7章 守護霊
第8章 モンゴル・シャマニズムの政治性
第Ⅲ部 モンゴル・シャマニズムの習俗
第1章 「動物」としてのシャマンの装束
第2章 シャマン装束の蛇状の装飾
第3章 「鎧」としてのシャマンの装束
第4章 シャマンの道具
第5章 シャマンへの道
第6章 シャマン儀礼の形式
第7章 亡きシャマンの霊が守護霊になる過程
結論
各章の内容は概略以下のようである。
第1部は4章からなっている。第1章の「モンゴル・シャマニズムの起源と発展」
では、
著者が先行研究を挙げながら、今から7
0
0
0∼5
0
0
0年前の母系社会の時代にモンゴルのシャ
マニズムができたと主張する。母系社会で、女性の地位が男性より高いので、シャマンの
機能を果たしているすべての女性(氏族の長であるとないとにかかわらず)を「etugen
エトゲン」と呼んでいた。著者は、ゲ・プルライの、
「エドゲンとは女性オンゴ(精霊)
であり、母系から出たと言う意味がある点からみると、母系社会の残存であることが明ら
かだ」
(1
9
5
6)
というの説を引用している。しかし、父系社会では、男性シャマンを
「ブォ」
、
女性シャマンを「イトガン」と呼ぶようになる。モンゴルのシャマニズムの伝統を保持し
てきたダルハドとホーラルなどの部族では、「ブォ」
とはシャマンの総称であり、男性シャ
290
書評『モンゴルのシャマニズム』
(サランゴワ)
マンは「ザイラン」
、女性シャマンを「イトガン」と呼んできた。モンゴルに仏教が普及
するはるか以前から、シャマニズムに黒い方向のシャマンと白い方向のシャマンの分類が
あった。黒い方向のシャマンとは、
「天界の神々と地祇たちをその性質によって温和な神
と荒ぶる神に分けて、後者をすべて黒いテングリ(神々)として祭るようになった。その
ため、黒い方向の神々と精霊を祭って信仰し、それに奉仕するシャマンを黒い方向のシャ
マンという」
。また、白い方向のシャマンは、
「天界と地と水の温和な神々と交信を行い、
西に向かって拝む」
。第2章の「匈奴時代のシャマニズム」において、シャマニズムはで
きたときから、集団のなかで、信仰を通して秩序を定め、守り、人々をひとつの目的のた
めに一致させ、自然との関係を調和させてきたと説く。紀元前2
0
9年に匈奴の冒頓単于は
部族を統合し、大帝国を築けたのは「天の力」のお陰であると自ら認め、漢の皇帝は、匈
奴の兵士たちの勇猛さはシャマンと関係があると考えていた。匈奴では内政外交を決める
際に、シャマンたちが活躍した。匈奴の時代(紀元前2
0
9年から2世紀)には、モンゴル・
シャマニズムが発展を遂げ、皇帝から庶民まで信仰する国教となった。この時期に、黒と
白の象徴、天と地、先祖を大事にする、また反社会的な行動を罰するならわしや霊魂に関
する理解などモンゴル・シャマニズムの中心となる思想がほぼ完成した。第3章では、紀
元2世紀から、モンゴルのシャマニズムが仏教の影響を受け始め、南方の仏教思想と北方
のシャマニズムが共存する時代が始まった。シャマニズムはモンゴルを統一するときに組
織と精神の面で中心的な役割を果たしたが、一方、元朝が滅びた後、モンゴルが分裂する
要因のひとつとなった。これは、フビライが政権を大都(北京)に集中し、貴族の間に仏
教を浸透させたため、シャマニズムは政権のために果たす役割を喪失した。各地の貴族た
ちは、シャマニズムを依然として信ずるが、モンゴルを統一し、権力を握るため、互いに
争った。アルタン・ハン(在位 1
5
4
2−1
5
8
1)はシャマニズムでモンゴルを統一すること
が不可能となったと悟り、仏教の普及による統一を目指して積極的に弘通に努め、シャマ
ニズムを弾圧した。このプロセスの中で、シャマンの抵抗があり、仏教に順応したシャマ
ンとしなかったシャマンの別が生じた。それまでの白い方向のシャマンと黒い方向のシャ
マンとは質的に異なる。前述の黒白シャマンの別は、あくまでもシャマニズム内部(仏教
の要素がない)のことである。仏教に順応したシャマンを「シャルン・ブォ」(黄色いシャ
マン、黄色は仏教を意味する)と言い、順応しなかったシャマンを「ハリン・ブォ」
(黒
いシャマン、黒はシャマニズムを指す)という。
第Ⅱ部の第1章では、モンゴル・シャマニズムの宇宙論は、
仏教の影響により地域によっ
て、異なる点があるとしながら、次のように論じている。モンゴルのシャマニズムの宇宙
に関する従来の考え方は、おそらく、垂直な世界観ではなく、地表における高地や平地な
ど多様な地形のことであり、それが3つの階層と考えられ、それぞれに人や動物、植物が
繁殖し、成長するということだろう。この3つの世界が、実は地球に関する解釈だと見て
取ることもできる。昔の人は、目に見える宇宙の万物を知的に解釈する一方、目に見えな
いものを抽象的に考え、それが神々に左右されると考えた。第2章の水と地の主において、
①水と地の主を穢すとたたりを受ける。②水の主が移動する道がある。③山々は地の主の
居所である。④水と地の力を得たシャマンの力は強い。⑤水と地の主に属する動物の中で
は蛇を重視する。⑥蛇はシャマニズムの象徴でもある。⑦鳥類は天に属する動物、その中
では鷹、シャガジャガイ(鳥の一種)
、カラスを特に重視する。⑧家の上空にカラスが飛
291
人文社会科学研究 第 16 号
びすぎ、鳴くと杜松を燻して拝む。⑨鹿、熊、狼などがおとなしくついて歩き、真正面に
現れる、または、横を通り過ぎた場合、殺さない、杜松を燃やし、拝む。第3、4章では、
テングリ(天)に関する概念を取り上げる。
『元朝秘史』にテングリは4
0回言及されてお
り、天はモンゴル人にとって、至高神である。チンギス・ハンの出自をテングリに求める
のは、一方では、先祖を重視し、崇めることを意味する。天神の数と階層の概念は仏教の
影響によるものである。後になって、テングリはオンゴット、すなわち守護霊になる。テ
ングリの加護を受けるには、タブーを守り、祭る必要がある。第5章では、他界観を述べ
る。仏教の影響が少なく、シャマニズムの伝統的な要素を色濃く残してきた地域の人々は、
この世を「ナラト・イン・オロン」
(太陽がある世界)
、あの世を「ハランゴイ・イン・オ
ロン(暗闇の世界)
」と言い、天界の下の層に存在すると考えている。この層には、シャ
マンの守護霊・補助霊と一般人の死霊がいる。あの世は必ずしも光のない、暗闇の世界と
いうわけではなく、
「目を閉じた人たちの世界」
、
「目に見えない世」
、
「隠れた世」という
意味でである。第6章では、霊魂観を述べる。著者は先行文献を踏まえながら、人に霊魂
が3つあるという見方を認め、モンゴル国の有名な学者、故べ・リンチンの指摘に同意し、
現地調査で得たシャマンたちの考えを記している。すなわち、母方から得る血の魂、父方
から得る骨の魂、それに命の魂と3つある。人が死ぬと命の魂はあの世で永遠に存在する。
モンゴル・シャマニズムの本来の考えには、転生という概念はなかった。また、あの世か
ら亡きシャマンの霊が守護霊になってこの世に戻ってくる。
第7章は守護霊(オンゴット)についてである。シャマニズムの現在まで解明されてい
ない問題は、シャマンと守護霊の関係の問題である。この問題が解明できれば、シャマニ
ズムの世界観の中心である問題を解決することができるとする。シャマンの守護霊は、①
亡きシャマンのあの世に永遠に存在する、命の魂は目に見えないが、シャマンや道具を媒
体に超自然の力を発揮する。②予知能力、③治療能力などがある。④守護霊の移動する道
がある。⑤その移動を音で人に感じさせる場合もあれば、狼や鹿など野獣の姿で見える場
合もある。⑥シャマンには、地界に属する精霊と亡きシャマンの霊という2種類の守護霊
がある。第8章では、シャマニズムの政治性について述べる。①火に関する信仰、火をモン
ゴルのシャマンたちは非常に神聖視する。あらゆる神聖純潔なものの象徴であり、源泉で
もある。そのため、火に関するタブーが多くある。②シャマニズムの信仰では、奇数が大事
にされる。それは、
『元朝秘史』によくみられ、数字の3は4
0回出てくる。モンゴル人の
日常の慣習、政権の構造、組織の原点にはシャマニズムの「3つの論理」
が貫通している。
第Ⅲ部の第1章の「動物」
としてのシャマンの装束について、服、帽子、靴を紹介する。
先学とシャマン自身の解釈からすると、シャマン服は、人の霊魂、鹿や蛇の霊魂であり、
それら霊魂の集まる場所でもある。装束を布や毛皮で作り、その上に多数の装飾品をつけ
る。①シャマンの装束に用いられる色彩はそれぞれ、象徴的な意味を持っている。著者は、
色彩を世界の色、人間の心の色、部族の色に分けて考え、先学セ・バダマハダンがダルハ
ドとホーラル部族における装束の分析を引用する、
「シャマンの装束自体は、生き物(殺
された動物が再生したと言う意味)なので、装束を布で作ったとしても、それを生命ある
もののようにするため、腰のところに毛皮をつける。これをみると、ダルハド部族のシャ
マンの世界観は、動物を表現してシャマンの儀式を行う昔のトーテム形態から人間の霊魂
を守護霊とするシャマニズムへと移行する時期の表現である」
(1
9
6
5)
。シャマン服の肩の
292
書評『モンゴルのシャマニズム』
(サランゴワ)
ところに、ホトゴイド部族の場合、フクロウの羽を挿してあり、ホーラル、ダルハド部族
の場合は、鷹の羽を挿してある。また、仏教や漢民族の影響を受けた部族の装束や帽子に
変容が見られる。②ダルハド部族がシャマンの装束を作る際に、父系の出自を問わず、母
系の出自を基準に作る慣習は1
9世紀末から2
0世紀初期まで、モンゴル・シャマニズムの習
慣の中に残されていた。これはシャマニズムが母系氏族社会で発生したことと、ダルハド
部族がモンゴルの固有の一員であることを証明する。シャマンの帽子については、①モン
ゴル国のノヤン・ウラ山から発掘された匈奴時代のフクロウの羽に飾られた帽子はホトゴ
イド、バルガ(モンゴル国内)とハルハ部族の一部に見られる帽子のへりや頭頂のフクロ
ウの羽のかざりと類似するので、シャマンの帽子と判明した。②ブリヤート、バルガ、ホ
ルチン部族のシャマンの帽子には、鹿の角や、ボル・フルゲソ(鹿の1種)の角、それに
飛翔するライオンや鷹の像が飾られている。③ダルハド、ホーラル部族は、シャマンの帽
子は、シャマンの体に憑依する守護霊の頭と考えている。そのため、帽子の基本的な色彩
は部族が重視する色である。たとえば、ホーラル部族の帽子は濃紅色、ダルハド部族のは
茶色、マガジラグ部族のは緑である。そのため、帽子に作られた人間の顔の赤、濃紅色、
茶色、青、緑色はシャマンに招かれて降臨してきた守護霊や地方の神の顔であるという既
にある説は古典的な解釈だろう。シャマンの靴については、①ダルハド部族のシャマンは、
守護霊が憑いた後、靴は守護霊の両足になる。②靴に人の顔、蛇の形が描かれているのが
ある。蛇があるのは、地界の補助霊の力を受けるシャマンで、その象徴である。以上から
分かるのは、シャマンの装束は動物として看做されており、モンゴル国に住む部族たちは
シャマンの装束をボル・フルゲソとして考えていたが、霊魂を信仰するようになってから、
シャマンの装束を亡きシャマンの霊と考えるのが、圧倒的になったと先学たちは理解して
いる。③シャマンの装束の中心となる色は、降臨してきた守護霊の顔を現すと同時に、シャ
マンの属する部族を表す。
第2章では、シャマン装束の蛇状の装飾について述べる。蛇は地界の主から、①シャマ
ンの助手として派遣された使者である。これは、羊の毛や綿を編み、種々の色がついた布
で包んで、蛇をかたどる。この蛇は、シャマンの装束の基本的な構成要素になっている。
ところが、モンゴルの各部族における蛇の形は異なっており、抽象的に表すものもあれば、
蛇をありのままに表すのもある。②シャマンの装束につける蛇の色はシャマンの守護霊
(亡
きシャマンの霊)の部族、出自、変遷、および昔から重視されてきた色彩を表現する。③
これらの「蛇」が装束の全体にわたって配置される際、一箇所に「何匹」も配置すること
がある。これは、蛇と亡きシャマンの力を強化するためである。また、蛇状の装飾で結び
目を作る。その特徴は、①一匹の「蛇」にひとつの結び目を作る場合もあれば、2∼4回
作る場合もある。または二重にして結ぶのもある。②これは、シャマンの装束にある一匹
の「蛇」は精霊であり、人が遭遇した災害、病気の軽重や精霊の性格の激しさと穏やかさ
によって、1つの精霊に懇請するか、2つの精霊に懇請するかによるものである。最終的
な目的からすれば、生命を強くするためである。第3章では、シャマンの装束が「鎧」で
あることを述べる。シャマンの「鎧」にシャマン服、帽子、靴などが含まれ、これらを身
にまとったシャマンを「鎧をもつシャマン」
、あるいは、
「鎧を身に着けたシャマン」とい
う。シャマン服につけるガラガラは、地域差を反映する一方、モンゴル・シャマニズムの
内部の変化をも表現している。シャマンの装束には他に、帯がある。それは「蛇」を象徴
293
人文社会科学研究 第 16 号
し、地と水の主から守護霊に与えた敷物、被り物、宝剣などである。
第4章はシャマンの道具である。シャマンの道具には、守護霊の乗り物である太鼓と撥、
四胡、銅鏡、杖などがある。これらは、①シャマン、あるいは守護霊の乗り物、②敵への
メッセージ、③守護霊を喜ばせる音楽(太鼓の音など)
、④シャマンから依頼者の意を守
護霊に伝え、啓示を(占いなど)受ける道具である。太鼓を一般的に「ヘングルグ」とい
うが、部族によって言い方が異なる。第5章では、シャマンへの道について述べる。水・
地の主と守護霊(亡きシャマン)の力でシャマンになる際に、①シャマン病になる。守護
霊の選びが病気として現れるが、内モンゴルの学者のゲ・ボヤンバトとダ・マンサンが
シャマン病のきっかけについて記述を評価する。調査した事例の9
0.
9%が1
2∼2
0才の間に
発病している。この時期は感受性が高い時期とみられる。②著者は、守護霊の選びが病気
として現れるのは、一人のシャマンに多くの守護霊・補助霊がいるため、これらの精霊が
後継者の体に集まり、血管を活動の道とするため、後継者にかかる圧力が重くなる。その
ため、血圧が高くなったり、体がだるくなったりする。この場合、守護霊を受け入れて、
また、それを送り返すことによって病気から開放される。2)師匠と弟子シャマンの関係
は一定のしきたりによって結ばれる。第6章はシャマン儀礼の形式である。①シャマンの
助けとなる守護霊に祖霊、亡き師匠の霊、シャマンの装束に憑く霊、先祖の祭ってきた霊
などが含まれる。②昔、亡きシャマンの霊に民衆が定期的、不定期的に伝統的なしきたり
で供犠する習慣があった。③昔から堅く守ってきたタブーを犯すと神々や守護霊の罰とし
て病気や災害を被る。これをシャマンは、体の、心の、食の穢れと看做す。これを治療す
るのはシャマンである。直接的と間接的な治療がある。第7章で、亡きシャマンの霊が守
護霊になる過程を述べる。各地で風葬、土葬、火葬など相違点が見られるが、結局は守護
霊として崇め、その守護を受けるためである。亡きシャマンの偶像を祭る習慣がある。
結論として次のように指摘する。①『元朝秘史』をシャマニズムの世界観をもとに書か
れた。②仏教の影響によって、シャマンが分類された。③保守派の黒い方のシャマンは地
球が3つ世界からなり、真中にモンゴル人が住むと考える。④モンゴルのシャマニズムは
父なる天、母なる大地、および祖霊を崇め、像を創って祭っていた。昔は狼、鹿、鳥の形
だったが、後になった人間の形になった。⑤人が亡くなると、霊魂はあの世で永遠に存在
し、子孫を守護する。また、光になって守護霊として人に憑き、この世に来る。⑥亡きシャ
マンの守護霊が狼、熊、カラスなどの鳥に憑き、それを明確な目的をもって制御すること
ができる。
2.本書の評価
モンゴル国においてシャマニズムに関する先行研究は、1
9
5
9年に出版されたチ・ダライ
の『モンゴル・シャマニズム概説』
、セ・バドマハダンの『フブスグルのダルハド部族』
(1
9
6
5年)、セ・ドルマの『ダルハド・シャマンの伝承』(1
9
9
2年)がある。本書を含めて、
モンゴル国のシャマニズムの研究にダルハド部族、あるいはダルハド人のシャマニズムが
中心に扱われる理由は、この地域にシャマニズムが残っているからである。
1
9
9
8年に本書の初版が出された後、
『ダル新聞』がレ・トゥドゥブの書評を掲載した。
1
9
9
9年の再出版で、著者オ・プルブはそれを丸ごと転載した。レ・トゥドゥブは次のよう
294
書評『モンゴルのシャマニズム』
(サランゴワ)
に述べている。「本書のような価値のある、専門的な研究書はわが国にこれまでなかった。
チ・ダライの著作は、シャマニズム研究の古典的な書物になり、半世紀あまり独占的な位
置にあった。しかし、現在、一人っ子に弟ができた。青は藍より出でて藍より青しという
喩えのように、オ・プルブの著作は専門的な研究だけでなく、一般の人が知らない細部、
たとえば、男性と女性シャマンの生活様態、シャマンの儀式などの慣わしの深みを実見し、
参与観察を行い、それらの経験と知識を鮮やかに描きだすことによって、名著となった」
。
レ・トゥドゥブの評価に評者も同感である。本書の特徴は、①何よりも、精緻な現地調査
で得た資料の記述と内容の豊富さにある。著者は現地で得た資料、先行文献の資料、それ
に博物館の資料などを利用している。著者は、シャマニズムの概念について、現地の人々
の理解、シャマンの解釈を忠実に記述している。②調査地のシャマニズムの世界観が『元
朝秘史』
にどのように反映されているかを比較して記述したことは、シャマニズムの歴史、
伝承を知る手がかりになる。③本書がシャマニズムの世界観における他界、霊魂、守護霊、
人間と守護霊との関係、人間と自然との関係、人間と動物との関係を、現地資料を基に詳
細に描き出したことで、より具体的で、本質的な理解を得ることができるようになった。
著者は、本書で、仏教の影響が少なく、仏教に順応しなかった黒いシャマンの世界観を重
視して記述しているのはまさにモンゴル・シャマニズムの基本をなす、シャマンと守護霊
の概念、性質、および関係を明らかにするためである。
評者のコメントは以下のようである
①シャマンと精霊とのかかわり方における記述や守護霊の性質、経歴、トランス状態の
シャマンの様子、舞踏、病気治療の詳細、分析が欠けており、成巫過程における記述と解
釈が足りない。著者は、先祖とよその家の精霊、地界の精霊の選びによって、シャマンに
なると述べているが、シャマンを後継者として選ぶ理由、シャマンと守護霊の明確な関係、
守護霊の生前の経歴を細かく取り上げていない。評者の研究対象地域であるホルチン地方
では、まずこれらの問題が明らかにされてからシャマンになる。実は、この問題はシャマ
ニズムの伝承にかかわれている。本書では、守護霊の力が全体にわたって説明されている
が、病気治療に関する事例が少ない。②シャマンの機能について、人々の精神面に与える
影響をより詳細に記述するなら、シャマニズムの伝承のあり方が一層明確になったと思わ
れる。③資料に対するインフォーマントの解釈は大事だが、他地域、文献との比較解釈も
重要である。そうすることによって、より明確で全面的な理解が得られるだろう。④本書
の記述は生彩に富み、シャマンの装束・道具を非常に細かく紹介しているが、それに関す
る絵、図、写真が豊富に付されていたなら、分かりやすかったと思われる。⑤シャマンの装
束・道具の紹介は、それらの超自然の精霊たちにおける象徴的な意味に重点をおいている。
しかしながら、装束・道具には現実的な意味もある。たとえば、太鼓を鹿と狼の革で作る
ことの象徴的な意味を紹介しているが、ヤギの皮で作ることの意味はまったく言及されな
い。ホルチン地方では、現在太鼓をほとんどの場合、ヤギの革で作り、羊の革では作らな
い。シャマンたちの話によると、羊の革よりヤギの方が響きがよいという。鹿の革は一番
良い音が出るが、入手しにくいため、その革で太鼓を作ることができない状態である。こ
のように、シャマンの道具としてその現実的な意味にも配慮すべきではないかと思われる。
(さらんごわ 社会文化科学研究科博士後期課程)
295
人文社会科学研究 第 16 号
参考文献
! セ・ドルマ
1998「ダルハド・シャマンの伝承における象徴性」『豊碑――海希西教授誕生80寿辰』p.
247∼261、
内モンゴル文化出版社(モンゴル語)
" 西村幹也
2003「モンゴル北部ダルハド盆地のシャマニズム ツァータン・トバの事例」『東西南北』
和光大学総合文化研究所、2003年3号、p.
88∼117
296
Fly UP