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聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~改訂版
聖闘士星矢∼ANOTHER DIMENSION海龍戦記∼改訂版 水晶◆ ︻注意事項︼ このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にP DF化したものです。 小説の作者、 ﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作 品を引用の範囲を超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁 じます。 ︻あらすじ︼ ∼シードラゴン︵仮︶の憂鬱∼﹄ これは、某双子座の弟によりその出番を奪われた男の物語。 ﹃聖闘士せいや 改め 2013年9月29日CHAPTER1改訂終了。 す。 Arcadia様でも連載中ですが、こちらはその改訂版となりま ﹃聖闘士星矢∼ANOTHER DIMENSION海龍戦記∼﹄ ! 目 次 ∼シードラゴン︵仮︶の憂鬱∼ │││ プロローグ/CHAPTER 0 ∼a desire∼ ││ 第1話 聖闘士せいや エクレウスの聖衣の巻 ││││││││ 第2話 聖闘士の証 の巻 ││││││││││││││││ の巻 ││││││││ の巻 │││││││││││││││ エクレウスの聖衣 の巻 ││││││││││││ の巻 │││││││ 集結黄金聖闘士の巻 │││││││││ の巻 ││││││││││││ 第16話 激闘サンクチュアリ 立ち向かえ聖闘士︵中編︶の巻 立ち向かえ聖闘士︵後編︶の巻 第18話 望むはただ千年の決着を 第20話 運命︵さだめ︶の波を打ち砕け の巻 ││││││ の巻 │││││││││ 第19話 Never∼魂の記憶∼ の巻 │││││││││ の巻 ││││││││││││││ ││││││││││││││││││││││││││││ ! ! ! 第17話 交差する道 1 16 28 43 立ち向かえ聖闘士︵前編︶の巻 第15話 激闘サンクチュアリ ! ││││││││││││││││││││││││││││ ! 第14話 激闘サンクチュアリ 第13話 外伝∼幕間劇︵インタールード︶∼ │││││││ 第12話 ぶつかり合う意志 第11話 黄金結合 第10話 新たなる敵、その名はギガス 第9話 狙われたセラフィナ 第8話 一時の休息の巻 │││││││││││││││││ ! 54 第3話 教皇の思惑 第4話 シャイナの涙 の巻 │││││││ 誇りと敵意の巻 ││││││││││ 第5話 宿敵との再会 ! その名はカノン 第6話 分かたれた魂 ! 第7話 新生せよ ! ! ! ! 67 ! ! ! 81 183 170 153 139 126 111 96 ! ! ! ! 212 300 281 267 245 229 ! 196 │ 第21話 閃光の果てに の巻 ││││││││││││││ 324 憂鬱2∼ ││││││││││││││││││││││││ 間章1話 少年と少女の巻 ││││││││││││││││ 360 342 第22話 CHAPTER 1エピローグ ∼シードラゴン︵仮︶の ! スペクター サープリス プ ロ ロ ー グ / C H A P T E R 0 ∼ a d e s i re∼ ││西暦1014年。 冥界の王、冥王ハーデス。 地上界の護戦者女神アテナ。 冥王に付き従いし戦士たちは冥闘士。神話の魔獣を模した冥 衣と セ イ ン ト クロス 呼ばれる鎧を身に纏い、地上に生を受けながら、魔星の宿命に従い ハーデスを守り戦う者。 女 神 の 下 に 集 い し 戦 士 た ち は 聖闘士。星 座 を 模 し た 聖衣 と 呼 ば れ ビッ グ ウィ ル る鎧を身に纏い、アテナと地上の平和を守るために戦う者。 神話の時代より繰り返された神々の意思を宿した〝人間たち〟に よる地上界に住む人々の存亡を賭けた戦い││聖戦がここに一応の 幕を閉じた。 冥王の野望││地上に住む人々の尽きぬ悪行に絶望したが故の粛 清││を防いだ、という点ではアテナの勝利と言えたが、多くの犠牲 を払ってもなお冥王を滅ぼせたわけではなかった。 冥王ハーデスが支配する冥界は死者の国。神話の時代より多くの 神々の力の及ばぬ世界であり、それは戦女神たるアテナも同じ。 冥界に乗り込めぬアテナ側は、ハーデスが冥界に隠した真の肉体に まで手を出す事が出来なかった。 ハーデスが地上に干渉する為に用意した〝依り代〟││神々の意 思を宿せるだけの器を持った人間││を、どうにか出来ただけに過ぎ なかったのだ。 とはいえ、ハーデスの││神々の意思を宿せるだけの器を持った人 間など早々現れるはずもなく。 冥闘士は死の概念から解き放たれた存在であったが、それもハーデ スの力が及べばこそであり、ハーデスの力無くして死の概念から解き 放たれる術はない。 アテナの加護を受けた聖闘士たちや教皇がその命を賭して施した 1 封印により、少なくとも二百十数年はハーデスの力が地上へと干渉す る事もない。 神々から見れば、二百年の時など些細な時間にすぎなくとも、この 今を生きる人々にとってはかけがえのない時間である。 苛烈を極めた戦いの傷跡は深い。 聖戦に参加した多くの聖闘士が倒れその命を散らし、アテナでさえ もがその力を使い果たし長い眠りについている。 ゴールドセイント そ し て、聖 闘 士 の 最 高 位 で あ り 最 強 と う た わ れ た 十 二 人 の 黄金聖闘士もその数を三人にまで減らしていた。 後に判明した事であるが、この時聖戦に参加した聖闘士は教皇や黄 金聖闘士も含めて七十一名であり、聖戦後にその生存が確認されたの は僅か七名である。 冥王の力による陽の昇らぬ朝、明けない夜は終わりを告げた。 平和を取り戻した地上には再び陽の光が差し込み、闇がふり払われ た。枯れ果てた森からは新緑が芽生え、隠れていた獣たちがその姿を 現す。 河川は流れを取り戻し、誰かが見上げた空には鳥がその翼を広げて 悠々と舞っていた。 陽の光に誘われた子供たちの、どこかで生まれた赤子の声が、生命 の躍動が人々の心を安らぎで満たしていた。 誰もが感じていたのだ。 戦いは││終わったのだと。 CHAPTHR 0 ∼a desire∼ 季節はうつろい時は流れる。 多くの戦士たちの命が散った聖戦の終結より一年。 先達を失い、アテナが長き眠りにつき、教皇の座も空位となってい 2 サンクチュアリ た為にその運営に多くの支障を抱えていた聖 域であったが、どうに ジェ ミ ニ か再建の目処が立てられるまでには落ち着きを取り戻しつつあった。 聖戦以前から次期教皇と見なされていた双子座の黄金聖闘士カス トルが生還を果たしていた事も、多くの犠牲を払った聖域にとって不 幸中の幸いであったと言える。 前教皇の遺志と聖域の人々に望まれた事もあり、新教皇となったカ ストルはその人望と優れた手腕を持って聖域を纏め上げていた。 サジタリアス 聖闘士候補生達も良く育ち、次代を担うに相応しい才覚を発揮し始 めた者もいる。 この事は、今は亡き射手座の黄金聖闘士アルナスルが残した成果に よるところが大きい。 彼は聖戦以前から後進の育成に意欲的であり、聖域の中において目 ア ル ター 前に迫っていた聖戦の〝その後〟を見据えていた数少ない人物の一 人であったのだ。 シルバーセイント カ ス ト ル が 教 皇 の 補 佐 役 た る 助 祭 長 の 職 に 任 命 し た 祭壇座 の 白銀聖闘士エイリアはアルナスルが見出していた若者たちの一人で あり、つい先日聖衣を与えられたばかりの十四歳の少年である。 過ぎ行く季節が樹々の葉を落とし、花を散らせ、そしてまた芽生え させる様に。 若き力に満ちた聖域は、再生を経て新生への道を進もうとしてい る。 それは日も暮れ始めた頃。 今や日課となった聖闘士候補生たちの訓練の視察を終えて〝十二 宮〟、その先にある〝教皇の間〟へと向かっていたエイリア。 その彼を呼び止めたのは、先程の視察の中でも特に気にかけて見て いた少年たちの内の一人であった。 聖域には指導者が不足している事もあり、基本的な訓練は一人の教 コ ス モ 育者に対して十数人のグループ毎に行われているのだが、その中で早 コ ス モ くも小宇宙の片鱗を感じさせていた一人である。 小宇宙││全ては一つの塊から始まった。星も、銀河も、命さえも。 3 ビッグバン ビッグバン 宇宙は一つの塊から爆 発によって誕生したものであり、故に己とい う存在も爆 発によって生まれた小さな宇宙の一つ。 真の聖闘士はそれを理解し、己の体内にあるその小宇宙を感じ取 り、高め、燃焼し、爆発させることによって超常の力を発揮する者。そ の拳は空を引き裂き、その蹴りは大地を割る。 聖闘士の強さは己の内なる小宇宙をどこまで高められるか、どれ程 ﹂ 大きく爆発させられるかに尽きる、と言っても過言ではない。 ﹁手紙、ですか ﹁はい。実は、ボクは家族と││父さんと口論の果てに故郷を飛び出 してしまったので。せめて母さんだけにでも近況を知らせたいと﹂ ﹁⋮⋮ふむ﹂ そう呟くと、エイリアは口元に手を当てて瞑目した。 少しクセのあるブロンドの髪が風に揺れる。 それだけで華になる美しさがエイリアにはあった。 もっとも、本人は自分の小柄な体格と少女のような容姿を快くは 思っていない。 こうした仕草にしても、若くして助祭長となった自分に少しでも威 厳や貫禄のようなものがつけば、との思いで始めたのだが⋮⋮。 その成果の有無については、エイリアのその姿に見入ってしまった この聖闘士候補生の少年が雄弁に物語っている。 知らぬは本人ばかり、である。 ﹁⋮⋮その、規律に反している事は分っているのですが⋮⋮﹂ 黙したまま語ろうとしないエイリアに対して明らかに委縮した様 子で少年が続ける。 聖闘士を目指す者はその修行中は外界との接触を大きく制限され る。 家族との連絡を行う、という行為も制限の対象であった。 聖闘士は超常の力をもって地上の愛と正義を守る者。 その修行は過酷を極める。命の危険などあって当然であり、むしろ 本格化する修行では死と隣り合わせでもある。 世俗の情を断つ。その程度の意思と覚悟すら持てないようでは到 4 ? 底耐える事などできはしない。無駄に命を散らすだけ。それが古く からの聖域の考えである。 エイリア自身もその事に対して思うところは││。 ﹁分っているのならば、是非を問うまでもないでしょう﹂ 凛とした声でハッキリと。 少年の目を真っ直ぐに見つめてエイリアは言った。 覚悟はしていたのであろうが、やはり面と向かって否と言われた事 に堪えたのか。 ﹁申し訳ありません﹂ 失礼致しました、と。そう続けて一礼し、踵を返す少年の足取りは、 本人は隠しているつもりであるのだろうが明らかに││重い。 ﹁⋮⋮ああ、そうでした﹂ 背後から聞こえた声に少年の足が止まった。 周囲には他に人影はない。 補生の故郷の事を知っていてくれた。 その事が少年の心を高揚させ、返事にも力がこもる。 ﹂ ﹁あの村の近くでは、他の土地にはない珍しい植物が育っています。 え、ええと⋮⋮﹂ 薬草の一種なのですが、昨日切らしてしまいましてね﹂ ﹁え りはない。 ひょっとすれば聞いた事があったかもしれないが、草木を愛でるよ りも走りまわる事が好きだった自分が気に留めているはずもない、と 結論に至る。 ﹁すみませ││﹂ ﹁あの辺りの地理に詳しい者が皆出払っていまして﹂ 5 ならば、これは自分に声が掛けられたのだと、少年はエイリアへと 振り返った。 ﹂ ﹁⋮⋮私の記憶が正しければ、君の出身はサロネ村でしたか ﹁あ、は、はい。そうです ? 助祭長、そして正規の聖闘士であるエイリアが、自分のような一候 ! 故郷を必死に思い出そうとするが、少年にはその様な薬草の心当た ? すみません、と。 少年が口にするよりも速くエイリアは続ける。 ﹁君さえ良ければサロネへの使いを頼みたいのですよ﹂ 勢いよく駆け出して行った少年の背中を見送ったエイリアは、やが て人知れず深く溜息をついていた。 エイリアが少年に言った言葉は彼に口実を与えるための嘘ではな かったのだが、急を要する用事ではない。 全ては詭弁に過ぎなかったのだ。 ﹁まったく、お前は甘過ぎる﹂ ﹂ そんなエイリアの身体を、背後からぬっと巨大な影が覆った。 ﹁万事がその様では他の者に示しがつかんぞ ﹂ そう言ってハハハハと、豪快に笑いながらエイリアへと近付くのは 隻腕隻眼の巨漢であった。 ﹁⋮⋮どこから見ていらっしゃったんですか ﹁フッ、それに気が付かんようではお前もまだまだ修行が足りん﹂ 先の聖戦を生き残った黄金聖闘士の一人、タウラスのエルナトであ る。 百を超える冥王の冥闘士、その三十近くをただ一人で打ち倒した聖 闘士。 三十二歳という聖闘士としては高齢であり、聖戦の中で右目と利腕 であった右腕を失っているが、それでもなお、だからこそ今でも〝闘 将〟と呼ばれ続けている男である。 ﹁面目ありません﹂ ﹁気にするな、とは言わん。だが、まあ⋮⋮﹂ 父親が子供にそうするように。 ﹁オレはそういう甘さは嫌いではない﹂ くしゃりと、エルナトは項垂れたエイリアの頭を撫でた。 十二宮。 6 ? ? 黄道十二星座を基にした白羊宮から双魚宮まで続く十二の宮であ る。その先は教皇の間とアテナ神殿へと続く聖域の要とも言える砦 である。 ﹂ その十二の砦を守るのは聖闘士の最高位であり最強の黄金聖闘士 たちであった。 ﹁教皇様ですか ﹁ああ。大した用ではないのだが。カスト││いや、教皇に少々、な﹂ 今はその多くが無人となった十二宮を繋ぐ長い階段を二人は並ん で歩く。第一の宮である白羊宮を過ぎ、エルナトの守護する金牛宮を 抜けてその先へと。 夕日の淡い明かりに照らされ、肩肘を張る事なく自然体で話すエイ リアは一見たおやかな少女にしか見えない。 そして、豪放磊落︵ごうほうらいらく※度量が大きく快活であり、些 細な事には拘らない︶を体現しているエルナト。 キャンサー その二人が並ぶ姿はどう見ても父と娘のそれ。 ここに蟹 座の黄金聖闘士アルタルフがいれば、その姿を見て腹を 抱えて笑っていた事であろう。 その様子が脳裏にありありと思い浮かびエルナトは眉を顰める。 ﹁││もう一年と言うべきか、まだ一年と言うべきか﹂ 今は亡き友たちの姿を思い出し、エルナトがぽつりと呟いた。 我が強く、一癖も二癖もある者たちばかりであり、中には確かにそ の考えが理解できず、気に食わない者もいた。 それでも、同じ場所を目指し駆け抜けた仲間であり友であった。 ﹂ ああ、何でもない﹂ ﹁⋮⋮エルナト様 ﹁ん ? そうしてエルナトは目前に迫る双児宮を見た。 一体いつ現れたのか。 いつからそこにいたのか。 そこに││男が立っていた。 7 ? エイリアの気づかいに、らしくない、と頭をふる。 ? 黄金聖衣とは異なる、黄金の輝きを放つ鎧を身に纏った男が。 マスク その手には身に纏う鎧と同じ黄金に輝く三又の鉾が握られていた。 二人を上から見下ろす男の顔は兜に隠れており、その素顔を窺い知 る事はできない。 男の身から発せられる強大な小宇宙は、かつてエルナトが対峙した ﹂ 強敵たちと、友たちと比較しても劣るものではなかった。 ﹁何者ですか エイリアが一歩踏み出し、そう叫んだ。 どこかヒステリックささえ含んでいたのは、それが恐怖を誤魔化す ためのものであったのか。握り締めた拳が震えている。 ﹁││フッ﹂ その姿勢が虚勢であると気が付いたのか、最初からエイリアを脅威 とも感じていないのか。 側に立ち様子を窺っていたエルナトはマスクから覗いた男の口元 が僅かに笑みの形を浮かべた事に気付く。 ﹁答えな││﹂ 答えなさい、とエイリアが続ける事はできなかった。 何かが光った、と。 そう感じた瞬間、ドン、と大気が震えて瓦礫が舞っていた。それを 理解した時には、既にエイリアの身体はエルナトに抱きかかえられて 上空にあった。 エルナトに支えられて着地したエイリアが見た物は、それまで二人 が立っていた場所に生じた巨大なクレーターである。 ﹁な、何が⋮⋮﹂ エルナトには見えていたのだろう。 しばし呆然としていたエイリアの耳に、ため息交じりのエルナトの 声が通り過ぎる。 ﹁⋮⋮どうやら、軽い挨拶だけのつもりであったようだな﹂ 二人が向けた視線の先、先程まで男が立っていたその場所には、今 はもう何者の姿もなかった。 ﹁⋮⋮敵、ですか﹂ 8 ! ﹁さて、な。敵意も殺気もない相手。それを敵と決めつけるのも早計 だとは思うが﹂ 二人はそう話しながら双児宮へと進む。その様子は実に対照的で あった。 周囲を注意深く警戒するエイリアに対し、エルナトは特に何かを警 戒しようというそぶりさえ見せてはいない。 エルナトには先程の男が既にこの十二宮から姿を消している事を 薄々であるが感じ取っていたのだ。 ︵勘にしか過ぎん⋮⋮。が、この類の勘が外れた事もないからな。し ︶ ﹂ かし⋮⋮あの鎧、黄金聖衣にも似たあれは││もしや、伝承に聞く スケイル 鱗衣か ﹁敵意、って。実際に攻撃されたではありませんか エルナトの様子に、こうして気を張っている自分がどうにも間抜け のように思えてしまい、八つ当たりと分っていても、つい口調が荒く なってしまう。 ﹁本気であれば、足下など狙わず心臓か頭を狙っていたであろうよ﹂ それに、とエルナトは続ける。 ﹁この地にはアテナの結界がある。確かに徐々にその効力は弱まって ﹂ はいるが、だからといってそう易々と敵の侵入を許したとは思いたく はない。今後の対応が尋常ではなく面倒になるぞ イリアは続ける。 !? にぶつかってしまう。 ﹁∼∼って、急に止まらないで下さいエルナト様 これまでの快活な雰囲気から一転し、厳しい表情を見せたエルナト ﹁││いや、その必要は⋮⋮ない。教皇に知らせる必要はない﹂ エイリアは何事ですか、と問いかけようとして││ 赤くなった鼻を押さえ抗議する。 ﹂ 突然歩みを止めたエルナトに気付くのが遅れ、勢いのままにその背 ﹁由々しき事態です。この事は急いで教皇様に││っぷ ﹂ 危機感が足りていません、と先を行くエルナトに駆け寄りながらエ ﹁それはエルナト様が楽をしたいだけではありませんか﹂ ? ! 9 ! ? の様子にエイリアは言葉を失う。 何があったのかとエルナトの視線を追う様にその背中から顔を出 し、先程の男が立っていた場所に古めかしい箱が置かれていた事に気 付く。 それに、このレリーフは⋮⋮天馬 ペガサス ﹂ それはエイリアにも、いや聖闘士であるならば誰もが馴染みのある 物であった。 パンドーラ・ボックス パンドーラ・ボックス ﹁聖 衣 箱 聖 衣 箱。 ⋮⋮﹂ ﹁どうしてこんな所に ペガサスの聖衣は、確か今はジャミールに のレリーフが施されていた。 駆け寄ったエイリアが確認すれば、その青銅の箱には天駆ける天馬 ない者には決して開く事がない、と伝えられている。 善悪を見定める力があるとされ、収められた聖衣を身に纏う資格の 衣に応じたレリーフが施されている。 神話の時代より聖衣を守り、保護してきた箱であり、内に収めた聖 !? エクレウス はペガサスではなく││子馬座だ﹂ ペガサス ﹁エクレウス 聖戦後に姿を消した││あのエクレウスですか ペガサス 確か、天馬シェアトの弟⋮⋮﹂ ﹁いや、違う。レリーフを良く見るんだ、同じ天馬でも槍を咥えたそれ ? 天から降る雫は徐々にその数と勢いを増していく。 ポツリ、ポツリと。 その頬に、ぽつりと水滴が落ちた。 エルナトは険しい表情のまま聖衣箱を見つめる。 ﹁⋮⋮そうだ﹂ うのでは、とまで期待されていた男であった。 までアテナの側にあった男。心・技・体に優れ、やがては聖域を背負 天馬シェアト。聖戦の最初期よりアテナの側にあり、その最期の時 ? さっきまで雲は出ていなかったのに⋮⋮。取り敢えず双児宮 10 ! !? それは、やがてざあざあと音を立てて雨となり、聖域を濡らし始め た。 ﹁雨 ? に入りましょうエルナト様。このままでは濡れてしまいますから﹂ あ、分りました。お願いします﹂ ﹁⋮⋮ああ、そうだな。こいつは俺が運ぶ。お前は先に行け﹂ ﹁え 一瞬逡巡したエイリアであったが、そう言うと双児宮へと向かい駆 け出した。 ﹁⋮⋮雨、か。あれが鱗衣であったとするならば、この符合は││﹂ エルナトは動かない。 雨に濡れるのも構わず、ただじっとエクレウスの箱を見つめ続け る。 レリーフを伝う雨水は、そんな筈はないと分っていても、まるでエ ﹂ クレウスが涙を流しているように見え││ ﹁││これが、お前の答えか 満天の星空に煌びやかに輝く数多の星々。 そして、聖域の中で最も夜空に近い場所でもあった。 故に、禁忌の地ともされている。 封じられし記録が、英知が、全てがあった。 る存在││には登れぬ場所と言われており、ここには聖域の歴史が、 スターヒルはその険しさから教皇以外││いわば聖闘士の頂点足 域を統括する事となる。 る教皇に間においてアテナの名の元に各地の聖闘士に勅命を下し、聖 任命を受けた黄金聖闘士はその座を後進へと譲り、十二宮の奥にあ ば最も優れた者が前任の教皇より任命される。 教皇は十二人の黄金聖闘士の中から人・知・勇を兼ね備えた、いわ 許された場所である。 聖域の奥深くに存在するその丘は代々の教皇のみが立ち入る事を スターヒル。 そう呟いて、エルナトはエクレウスの箱に手を伸ばした。 ? その輝きを受けながら、先代のジェミニの黄金聖闘士であり現教皇 11 ? であるカストルは何をするでもなくただ静かに佇んでいた。 風が吹いた。 身を包む教皇の法衣が風になびき、アッシュブロンドの長い髪がふ わりと流れた。 陰と陽、金と銀。 左右に異なる光を宿したその双眸に映るのは、遥か眼下に在るはず の聖域に暮らす者達の営みか。 ﹁あの日から今日で一年、か。我々はあの戦いを経て、ようやくこの一 時の平和を得た。これは、多くの戦士たちの命の、アテナの願いの果 てに得たかけがえのないものだ。 しかし、その為に失った命も、またかけがえのないものであった事 に違いはない。何かを得るために何かを失い、しかし、何かを失った からといって何かを得られるとは限らぬ事を思えば││﹂ 視線を夜空へと移し、カストルが独りごちる。 ﹁今でも時折考える。なぜ私は〝あの時〟、お前を止めなかったのか、 と﹂ ガイア 冥王との聖戦の陰で、もう一つの戦いが行われていた事を知る者は 少ない。 ギ ガ ス 最初の神々のである大地の子、〝神々の力によって滅ぼされる事は ない〟という力を備えた大地と冥界の狭間に封じられし巨人族との 戦いである。 ラ イ ブ ラ ヘイロン この戦いの結末を知る者は、今や聖域ではエルナトとカストル、そ して天秤座の黄金聖闘士黒竜だけとなっていた。 妹 ﹁⋮⋮貴方の悪い癖だ。なまじ力があるからそのように考える。あの 時、エキドナの宿命を負わされたフェリエを殺すのは、俺でなければ ならなかった。それだけは誰にも譲れなかった﹂ 背後から返された言葉に、カストルはゆっくりと振り向いた。 ﹁何度も言ったはずですよ、俺は貴方を恨んでなどいない、と﹂ 教皇以外立ち入る事ができぬはずの場所に、黄金の鎧を身に纏い右 手に三又の鉾を持った男が立っていた。 双児宮の前でエルナトたちと対峙した男であり、ギガスとの戦い│ 12 │ギガントマキアを誰よりも知る男。 ﹁よく⋮⋮ここまで来れたものだ。予感めいたモノはあったが半信半 疑でもあった﹂ ﹂ ﹁険しいとはいえ、貴方が訪れる事の出来る場所。ならば、俺が行けな い道理はないでしょう そう言って男が左手を掲げる。ぐにゃりと、その周囲の空間が水面 に浮かぶ波紋の様に歪みを見せる。 ﹁とはいえ、流石に一歩一歩とは時間もかけられませんからね。これ 咎めるべきか、成長を喜ぶべきか﹂ を││〝アナザーディメンション〟を使った反則ですが﹂ ﹁これはどうしたものかな 教 皇 と し て は 咎 め る べ ? ﹁││双子座の黄金聖衣﹂ 刻まれたレリーフは互いに向きあう双子の姿。 男とカストルの間に黄金に輝く聖衣箱が置かれていた。 これをお返しする為ですから﹂ ありませんが俺も、です。今日、こうして貴方の前に姿を見せたのは ﹁黒竜には、そういったことは期待できないでしょうからね。申し訳 ヘイロン でもあれば、と思わずにはいられないな﹂ だ。私には教皇の座は荷が勝つよ。もう少し気心の知れた者の補佐 ﹁フッ、やはり慣れぬ事はすべきではないと後悔し始めているところ ﹁貴方は⋮⋮少し痩せられましたね。我が師カストル﹂ ﹁一年振りだなキタルファ﹂ た。 そこには、まるで知己の旧交を温めあうかの様な穏やかさがあっ ふふっ、とカストルと男が笑い合う。 き、でしょうがね﹂ ﹁師 と し て は 喜 ん で 頂 い て も 結 構 で す よ 青色の瞳は、その奥にどこか陰を帯びている様にも見えた。 それはカストルの記憶にあった頃よりも長く伸びていた。澄んだ き付ける風に、男のブロンドの髪が揺れる。 左手に生じた力場を消し去り、男がマスクをゆっくりと脱いだ。吹 ? 黄金の鎧を身に纏った男の名はキタルファ。 13 ? カストルの弟子であり、共に聖戦を戦ったエクレウスの青銅聖闘 士。 聖戦後は次代のジェミニの黄金聖闘士としてその座を譲られるは ずでありながら、しかし突如として聖域から姿を消した男であった。 ﹁正直に言おう。双子座の座を断られる可能性は考えていた。が、ま さか鱗衣を纏って現れるなど考えもしなかった﹂ ﹁俺は││元々、地上の平和だの何だのに興味はなかった。故郷の連 中やフェリエが笑って暮らせる世界があれば良かった﹂ ついでにシェアトの奴もね。そう言って苦笑する姿はカストルの 知るキタルファの姿と変わらない。 ﹁フェリエやシェアトが死んで俺の中に戦う理由はなくなった。それ でも最後まで聖戦に付き合ったのは、戦場で名も知らぬ聖闘士たちか ら託された願いがあったから。アテナを、地上の平和を││と﹂ 変わらないからこそ、変わっていないのだと、理解ができた。 ﹁聖戦が終わり、貴方が教皇になる事を知り、俺は託された願いを果た ヘイロン したと考えた。一度故郷の様子を見て、その後はさっさと五老峰に 戻った黒竜のように世捨て人でも気取るかと考えていましたよ﹂ そこまで言ってキタルファは一度大きく息を吸うと、ゆっくりと吐 き出した。まるで自分の中に澱み溜まった〝重い何か〟を吐き出す ように。 ﹁││神の意志に因らずとも人は人同士で戦い殺し奪い合う。私利私 欲、宗教、人種、貧富の差から、好きか嫌いか、その程度の事でも。分っ てはいましたが、さすがに故郷が戦争で〝焼き払われて〟いたら考え もしますよ。 これが平和か、と。失ったモノと残ったモノが割に合わない││そ う思ってしまった。ならば、どうするか﹂ 澄みきっていたはずの夜空はいつしか光を失っていた。降りしき る星座の煌めきを遮るように、対峙する二人の頭上をいつしか雨雲が 覆い隠していた。 ﹁失われたモノに見合うように、託された願いをかなえる為に。平穏 を乱す者、戦乱を生む者と俺は戦う。戦い打ち砕く。それが〝神の意 14 志の宿らぬ〟人であっても。 人の善性を信じるアテナの、聖闘士のやり方では救えない者が多過 ぎる。救われない者が多過ぎる。悪しき者を粛清し、心清き者が住ま ジェネラル シードラゴン う理想郷をつくり上げる必要がある。海皇は俺にそう言いました﹂ ﹁故に、今の俺は海皇ポセイドンに従う海将軍。 海 龍のキタルファ﹂ 15 第1話 聖闘士せいや ∼ ││西暦1975年。 た。 ﹂ 居るのか。 ﹁記憶喪失 まさか﹂ ∼シードラゴン︵仮︶の憂鬱 自分がどこの誰で、さっきまで何をしていたのか。なぜこんな所に ﹁俺はまだ夢でも見ているのか ﹂ てしまい、男はそのまましばらく何をするでもなく空を見上げてい しい頭痛と全身を包む倦怠感にこのまま起き上がる事が億劫に感じ どうやら自分は仰向けに倒れているらしいと現状を把握するも、激 から流れていた。 濡れた頬が気になって手で触れてみれば、それは確かに自分の目元 ますます持って訳が分らない。 ﹁⋮⋮涙 りはしない、と。 ずのないモノだ、と。これまで生きて来た十七年間で得たモノなどあ 馬鹿馬鹿しい、と思う。喪失感など、失うモノのない自分にあるは 思い出せないが、胸の奥に奇妙な喪失感があった。 が、それがどのような内容であったのかは思い出せない。 かび上がるのを男は感じていた。何か夢を見ていたような気がする 頬を伝わる水の感触に、まどろみの底にあった意識がゆっくりと浮 ! ? どんなファンタジーだ。まさか海の底だとでも│ それは水の天蓋。この海の世界の空。 ﹁水が空を覆う │﹂ 新しい物もあれば今にも朽ちそうな古い物もある。まるで過去と が建ち並んでいた。 周りを見れば、そこには古代ギリシア時代の神殿を思わせる建造物 ? 16 ? 見上げた先には、どこまでも広がる深い青。 ? ここは、幾多の⋮⋮そうか、海底神 未来が混在しているような違和感があった。 ﹁││アトランティス⋮⋮神殿 殿の一つ、か﹂ 知らない場所だ。 う確信がある。 ﹂ ﹁正しい。そう、この感覚は正しい。俺は、そうだ、知っている や、知っていた。思い出した⋮⋮のか どうにもハッキリとしない。 ? だった。 ﹁余計な事は考えるな、って事か すると、頭の中に知らないはずの知識が流れ込んでくる。 ゆっくりと手を伸ばし扉に触れる。 矛の紋章が刻まれた巨大な扉だった。 やがて、男の目の前に現れる巨大な壁。よく見れば、それは三又の ﹁こいつは⋮⋮﹂ の神殿を進む。 脳裏に浮かぶ声に従い、コツ、コツ、と自分の足音だけが響く無人 従い歩き始めた。 までもここにいても何の進展もないと悟り、男は聞こえてくる指示に 周囲に命の気配は感じられない。怪しい事この上なかったが、いつ 意志を感じ取る。 突如、脳裏に響き渡った男とも女ともつかない声に、男は何者かの ﹃││此方へ﹄ ﹂ 深 く 考 え よ う と す れ ば す る 程 に 頭 痛 と 倦 怠 感 が 増 し て く る よ う ? い それがどうだ。たった今、自分の口からこぼれた言葉が正しいとい はない。 そもそも海の底など、生身の人間が訪れる事ができるような場所で ? こちらの都合などお構いなしに詰め込まれるソレによって、今まで ﹂ 17 ? 以上の激しい頭痛と嘔吐感に襲われる。 ﹁ぐっ、あっ⋮⋮ !? この感覚はあり得ないと、流れ込む情報を遮断すべく扉から手を離 ﹂ そうとするが、まるで張り付けられたかのように離れない。 ﹁じょ、冗談じゃない⋮⋮ッ 意識しての事ではなかった。ただ、この苦痛から逃れる為にはどう すればよいかと考えた時であった。 三又の矛の紋章が淡く光り、彼の手があっさりと壁から離れる。地 響きのような重い音を立てて扉がゆっくりと開いた。 ﹁ハァハァ⋮⋮クソッ﹂ ふらつきながらもどうにか室内へと足を踏み入れた彼の目に、幾つ もの眩い輝きが飛び込んできた。 ﹁これは⋮⋮鱗衣﹂ 金色に輝く美しい彫像。それは神話の魔獣や英雄の姿を模した七 つの鱗衣が台座の上に安置されていたのだ。 初めて見るはずのそれらに、何とも言えぬ奇妙な懐かしさを感じて いた。 海 魔 女 これが、脳裏に刻まれた知識によるものではない事だけは感覚が理 シーホース 解していた。 ポセイドン ﹁海 馬、セイレーン、クリュサオル、スキュラ、リュムナデス、クラー ケン、 海 皇﹂ 台座に書かれた名を見ずとも、彼の口からは鱗衣の名前が澱みなく 出る。 永きに渡る眠りから目覚めつつあるのだろう。鱗衣は彼の目の前 シードラゴン で静かに輝きを放ち続けている。 ﹁⋮⋮海 龍﹂ 海龍、大海の魔獣。その名が鍵であったのか。 マ リー ナ その言葉を口に出した瞬間、激しい頭痛や嘔吐感が嘘のように消え 去り、彼は自分が海皇ポセイドンを守護する海闘士として選ばれた事 を理解した。 海皇とは何か、海闘士とは何か。 海闘士として知らねばならない事が、次々と脳裏に浮かび上がる。 ﹁シードラゴン、海将軍シードラゴン。それが俺の役割、か﹂ 18 !! 呟きと共に、自分の内側、奥底から沸き上がる未知なる力を感じ取 る。 地上の守護者たる女神アテナの聖闘士は、過酷な修行により聖闘士 としての資格を得るが││海闘士は違う。 鱗衣に選ばれ、自身が海闘士であると自覚する事で覚醒を果たす。 超常の力の覚醒。 全身を包み込むのは、まるで世界の全てが己の物になったとさえ錯 覚するような高揚感。全能感にも似たそれを感じ、彼は口元を歪めて いた。 しかし、同時に決定的な何かが足りていない。そんな漠然とした不 安感に襲われる。それが何なのか。 ﹁⋮⋮おかしい﹂ そんな馬鹿な ﹂ 拭いきれない違和感を覚え、もう一度光り輝く鱗衣とそれらが安置 された台座を見る。 見当たらない。 しかし、近くにある事は間違いない。その存在は確かに感じてい る。 覚醒した海闘士が、自分の纏うべき鱗衣の気配を間違えるはずがな い。 ﹂ 確実に近くにある。 ﹁どこだ ﹁探し物はコレかな ﹁誰だ ﹂ ﹂ それは若い男の声だった。 ? 無人の地であると認識していただけにその驚きは大きい。 その声に振り向けば、柱の影から人影が現れる。 19 台座は八つ。しかし、その上に安置された鱗衣は七つ。 ﹁シードラゴンだ。俺の鱗衣が││無い !? どういうことだと、周囲を見渡す。どこにもシードラゴンの鱗衣は ? 感覚を研ぎ澄まし、場所を特定しようとした││その時だった。 ? 話しかけられるまで人の気配は感じなかった。 !? ﹂ いつからそこに居たのか、シードラゴンの鱗衣を身に纏った男が、 なぜ、俺の鱗衣を身に纏っている 悠然とこちらを見つめていた。 ﹁答えろ、お前は何者だ !? ﹁俺の鱗衣、だと ほう、そうか。貴様が今世の〝シードラゴンだっ して取るべき行動を誤ったのだ。 くとして、鱗衣を、それも海将軍クラスの物を身に纏った相手を前に 鱗衣はただの鎧ではなく、力の増幅器でもある。事の真贋はともか 前の在り得ない状況に彼は冷静さを欠いていた。 百歩譲ってこの場に他の人間がいた、それは構わない。だが、目の ? ﹂ ﹂ !! 荒れ狂う大海の津波の如く、全てを呑み込み粉砕する破壊のエネル ﹁大海嘯に呑み込まれて消え去れ〝ダイダルウェイブ〟 広げた両腕を目の前で交差させた瞬間、溜めこんだ力を解き放つ。 例え鱗衣が無くとも繰り出す技の威力は必殺。 は既に自分の中にある。 目の前の男を倒すために何をどうすればいいのかが分る。戦う術 力の奔流をイメージして両の掌に力を集中する。 シードラゴンを名乗る男に対して彼も素早く身構えた。 ﹁ふざけるな シードラゴンだからだ﹂ た 〟 男 か。そ の 問 い の 答 え は │ │ 見 て の 通 り よ。こ の オ レ こ そ が ? これはっ ﹂ ギーがシードラゴンを騙る男へと放たれた。 ﹁むっ ! ドゴォンン 破壊の波濤が男を包んだが、その破壊の力はそれだけに留まらな い。余波は男の周囲の石畳を砕き、舞い上がらせ、放たれた進路上の 柱や壁が次々と崩壊する。 想像通りの破壊の力。狙いは寸分違わず。 しかし、その光景を見ても彼の表情は晴れなかった。眉間に皺を寄 せ、むしろ苦々しくあった。 破壊は一瞬の内。直ぐに終える、そのはずが終わらないのだ。 20 ! !! 嘲笑を浮かべていた男の表情が変わった。 !? 見れば、男の立っていたその場所だけは傷一つなく。 ﹁ク、クククッ。流石は海将軍の資格を持った奴よ。覚醒直後であり ながら⋮⋮これ程までの力を見せるとは思いもしなかった﹂ ﹂ ﹂ 破壊のエネルギーは男の両手によって押し留められていた。 ﹁⋮⋮受け止めた、だと⋮⋮ッ ﹁見くびっていた事を認めよう。そら、返すぞ ﹁そして消し飛べ ﹂ 男の身体から尋常ではない、巨大な小宇宙が立ち昇る。 !! !! ける。 ﹂ !! ﹁何 ﹂ しかし、故にそれを理解できない彼は戸惑う。 内から放たれたモノ。 咄嗟に放ったその技はシードラゴンの知識にはない技。彼の魂の 青く輝く無数の光弾が散弾の様に解き放たれた。 ﹁〝エンドセンテンス〟 ﹂ 右拳に小宇宙を集束させて眼前に迫る破壊のエネルギーへとぶつ 拙い、と感じた瞬間、身体が動いていた。 ﹁ぐ⋮⋮くっ 返して見せた。 宣言の通り、男はダイダルウェイブの破壊エネルギーの全てを跳ね ! どうにか相殺出来たものの、その余波で彼と男は激しく吹き飛ばさ れる。 ﹁ガハァ││あッうぐぅう⋮⋮﹂ 柱をへし折り、壁をぶち抜き。 神殿の壁を突き破り外へと放り出された彼は、そのまま受け身も取 れずに石畳に叩き付けられ、全身を襲うダメージに身動きが取れなく なってしまう。 戸惑い無防備となった状態。鱗衣のない生身の彼には余波ですら 致命傷となっていた。 ﹁咄嗟に切り返して見せたのは見事。だが⋮⋮鱗衣もなく生身で俺に 21 !! それが致命となった。 ? 勝とうなどとは。思い上がりも甚だしいと言わざるを得んな﹂ ﹁⋮⋮ぐッ、うぅ⋮⋮﹂ たちまち飛びそうになる意識をどうにか繋ぎ止め、どうにか立ち上 がろうと足掻く。が、それよりも相手の動きの方が遥かに速い。 ﹁この鱗衣と海将軍としての立場は俺が有効に使わせてもらう。その 為には││お前の存在は邪魔だ﹂ 彼には男が何を言っているのかが分らない。 ただ、赤と黒に染まり、霞がかった視界の中で、男の手が三角の軌 跡を描いたのが分った。 く、空間が まさか、アナザーディ││﹂ そこから感じる異様な力。彼の脳裏に警鐘が鳴り響く。 ﹁⋮⋮な、何だ ? ﹄ !! ﹄ 第一話 聖闘士せいや ﹃││誰か ﹃時の静寂を妨げるそは何者か ほう、再び青に向かうか﹄ に引き裂き一千光年の彼方へと消し飛ばしてやっても構わんが││ ﹃でありながら二度も此処に彷徨い着くとは実に││不快よな。千々 においては戯れに記憶を奪い見逃してやったあの魂﹄ ﹃青の星雲から赤の星雲に彷徨いし塵芥、憶えているぞ。あの〝時〟 ﹃││そうか﹄ ﹄ ∼シードラゴン︵仮︶の憂鬱∼ その声を最後に、彼の意識は闇へと沈んだ。 ﹃ゴールデントライアングル は形が違うが││消えろ、時の狭間、次元の歪、時空の彼方へと﹂ ﹁お前の存在をこの世界に残しておくわけにはいかん。本来のものと だが、それ以上彼が考えを進める事はなかった。 の感覚は またもや知らない言葉が口をつきそうになる。何故だ、何なのだこ ? ? ! 22 ? ? ﹃青で生まれし者は青で死すべきが正しき運命。在るべきモノが在る べき場所に戻るだけ﹄ ﹃││ならば徒に時を乱す必要もなし﹄ ﹃余の前に二度現れたその奇跡に免じ、青に生まれる新たな命として 祝福をしてやろうではないか﹄ ﹃さあ、去れ。そこで再び業を繰り返すかどうかは││お前次第よ﹄ ││西暦1980年。 遥か神話の時代より、邪悪から女神アテナと地上の平和を守るため に戦う戦士。 繰り出す拳は空を切り裂き、放たれた蹴りは大地を割る。 そんなトンデモ人間││聖闘士となるべく、おれたち孤児は各地か ら集められたのだと目の前の爺さんは語っている。 23 ﹁ふわぁっ⋮⋮﹂ その爺さんの横では、おれたちよりも幼いお嬢様が退屈そうに欠伸 をしていた。 それに気が付いているのかいないのか。 爺さんは世界の平和だの正義だのとご大層でご立派な事を語り終 えると、ようやく長い話が終わったのかと飛び付いてきたお嬢様の手 を引いて屋敷へと戻って行った。 去り際の、お嬢様が見せた〝やっと終わった〟とでも言いたそうな 表情が印象深い。 こっちも退屈で仕方がなかったんだから、恨めしそうに睨まれても 非常に困る。きっと爺さんが自分の事よりもおれたちに関心を見せ た事が気にくわなかったのだろう。 ﹂ ここにいる誰も彼もが、お嬢様の大好きなお爺様を取ったりなんか しないってのに。むしろ嫌っているのだが。 カイト ﹁なあ海斗、あいつが何を言っていたのか分ったか ボソと声が掛かった。あいつ、ってのはあの爺さんの事だ。 そんな事をぼうっと考えていたら、隣に立っていたお仲間からボソ ? ﹁孤児院から拾い上げてやったんだから、お前らは強くなってグラー ド財団の兵隊になって役に立て、って事だろ﹂ ﹁ああ、そう言う事か﹂ 違うと思うが似たようなもんな気もする。 何せ、あの爺さんは世界に名だたる〝グラード財団〟の実質的な支 配者である城戸光政様。 日本全国から、いや外国も混じっているみたいだが、とにかく各地 から﹃見どころがありそう﹄というだけで、手段を問わずに百人近い 孤児を集めた超の付く変人だ。 中には人攫い同然の手段を取った、って話も聞いている。 普通、そんな事をすれば警察やら何やらから色々と問題にされそう なものだが、少なくともこれまでそんな話は一度も耳にした事がな い。 法治国家日本ってのは嘘だな。そんな馬鹿げた相手の言う事だ。 誰が私語を許可したかっ ﹂ ﹂ !! 周りのやつらが身体を縮こまらせたのが分った。 無理もないと思う。 ここにいる百人は﹃お優しい城戸光政様によって城戸家に引き取ら れた身﹄として、特に﹃沙織お嬢様には絶対服従せよ﹄を辰巳によっ て骨身に叩き込まれている。文字どおりに。逆らえば体罰だ。 なのに、お嬢様の我が儘に従えば犬や馬として扱われる。まるで家 畜か奴隷だ。体罰と変わらない。逆らっても体罰、従っても、とやら だ。そんな仕打ちを受けても邪武だけは嬉々としてお嬢様に従って いたが⋮⋮。 おれとしては、そのあまりの理不尽さにお嬢様を何度ぶっ飛ばして やろうと思った事か。 24 どんな大層なお題目を語られたところで、おれからすれば金持ちの 海斗 道楽がまた始まった、その程度の事としか思えなかった。 ﹁那智 ﹁⋮⋮﹂ ﹁す、すいません ! お嬢様の護衛兼おれたちの教育係でもあるハゲ││辰巳の一喝に、 ! ! もっとも、まだ六歳だか七歳だかのお嬢様を殴るわけにもいかな かったので、その矛先を殴り飛ばしても全く良心の痛まないオッサン である辰巳に向けた事もあった。 あったのだが、連帯責任だと言って関係のない奴らまで罰を受けさ せられては我慢するしかなくなる。 日々、訳も分らず繰り返される虐待と言う名のトレーニングに戦闘 フン、お前といい星矢といい一輝といい。まあ、 訓練のおかげで身体だけは丈夫になったが。 ﹁だんまりか海斗 今日は特別に許してやろう。こうして顔を合わせるのも、これが最後 になるかも知れんのだからな﹂ そう言って、壇上に上がった辰巳が取り出したのは、くじ引きで使 うような穴の開いた大きな箱だった。 どうでもいいが、十歳のガキ相手に大人げないとは思わないのかコ イツは。 ﹁順番にくじを引け。それに書かれた場所がお前達の向かう修行の地 だ。そうだな⋮⋮海斗、お前から引かせてやるぞ﹂ この時の辰巳の嬉しそうな顔は、きっと一生忘れる事はできないだ ろう。 ﹁ギリシア⋮⋮聖闘士発祥の地か。お前ならデスクィーン島を引くと 思ったんだがなぁ。フン、つまらん﹂ こうして日本からギリシア・聖域に送られたおれは、かの地で牡牛 座の黄金聖闘士と名乗る男アルデバランに出会った。 2メートルをゆうに超える巨体は圧巻以外の何物でもない。見上 げていて首が痛くなる相手なんて初めてだった。 ﹁ほう、お前が日本から聖闘士になるべくやって来たという少年か。 ﹂ ははは、スマンスマン﹂ 25 ? 黒髪に黒い瞳に眼つきが悪い、と。資料の通りだな。確か││星矢と 言ったかな ﹁ん ﹁⋮⋮海斗です﹂ ? 気さくに笑うアルデバランはその巨体もあって確かに強そうに見 ? える。見えるが城戸の爺さんが言っていた﹃空を切り裂き岩をも砕 く﹄程には見えない。 いや、確かに岩なら砕きそうなんだが。 おれの向けた微妙な視線、その意図に気が付いたのか、アルデバラ ンはフムと頷くと﹁ついて来るといい﹂と俺の手を取って歩き出した。 手を取られたら逆らえない。 ﹁聖闘士についてのおおまかな説明は受けていると聞いたが、口で言 われただけでは信じる事ができないのも分る。やはり実際に見て体 験しなければ本質は分らんものだ﹂ 着いた場所は朽ち果てた古代の神殿跡地。 聖闘士の存在に半信半疑だったおれの目の前で、アルデバランは直 径三メートルはあろうかという巨大な石柱を何気ない腕の一振りで ││粉砕して見せた。 ﹁⋮⋮嘘⋮⋮﹂ 26 ﹁聖 闘 士 と は │ │ 原 子 を 砕 く と い う 究 極 の 破 壊 の 術 を 身 に 付 け た 者 よ。己の内に眠る小宇宙を感じ、それを燃やして爆発させる事ができ れば⋮⋮お前もこれと同じ事ができるようになる﹂ 唖然とするおれの肩に手を置いてアルデバランは続ける ﹁もっとも、こんな表面的な力を会得しただけでは聖闘士となる事は で き ん ぞ。ア テ ナ と 地 上 の 平 和 を 守 る。正 し き 心 と 正 義 の 意 思 が ﹂ あって初めて真の聖闘士となる事ができるのだ﹂ ﹁⋮⋮なれますか、おれは ﹁││よろしくお願いします﹂ が〝対等の人間〟として接してくれたように思えた。 その目には子供だからと侮る様子はなく、思い上がりかもしれない おれの目を正面から見据えるアルデバラン。 城戸邸から外の世界に出られればそれでよかった。 正直、聖闘士になる事に興味は無かった。ただ、あの閉塞感の漂う このアルデバランが全力でお前を鍛えあげる事を約束しよう﹂ となる。それでも望むのであれば、一歩でも聖闘士に近づけるよう、 ﹁それは分らん。全てはお前次第だ。修行は辛く日々が命懸けのもの ? この日から、おれはアルデバランを師と呼ぶようになった。 ﹂ ﹁むぅ、師匠か。悪い気はせんが⋮⋮まだ若輩の身ではこそばゆい感 若輩って、師匠はお幾つなんですか ﹂ どう見ても高校生以上ですよね ? じがするな﹂ ﹁え ﹁十四だが ﹁⋮⋮﹂ ││俺と四つしか違わないの ? ? ﹂ ? うもなろう。 はははははと乾いた笑いを浮かべる師匠とおれ。 師匠とは分かり合えそうだと心の底から思った。 この時は。 翌日、与えられた部屋で目を覚ましたおれは愕然としたよ てしまったのだから。 ﹂ 自分が海皇ポセイドンの海闘士、海将軍シードラゴンだったと知っ マ リー ナ を目指すって宣言した翌日だぞ ﹁なんてリアルな夢⋮⋮じゃない、な。何の冗談だよこれは。聖闘士 ? 年齢の割に可愛げがないだの生意気だのと散々言われて育てばこ 輝と共に何かに付けて目の敵にされていた。 城戸邸では、集められた孤児達の中でも年長という事で、おれは一 ﹁⋮⋮ああ、そうだな﹂ ﹁││お互い様、と言う事で﹂ ﹁⋮⋮嘘はいかん、嘘は﹂ ﹁十歳です﹂ ﹁海斗、お前の歳は 俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。 ? ? 27 !? 第2話 聖闘士の証 エクレウスの聖衣の巻 神話の時代より、大海を統べる海皇ポセイドンと地上を守護する女 神アテナは地上の覇権を巡り対立を続けていた。 汚れきった地上を破壊して、そこに神話の時代のように心清き人々 だけの理想郷を創り上げようとする海皇ポセイドン。 人の善なる心を信じ、ポセイドンの粛清から逃れられぬ人々や弱き 者たちの為に、地上の破壊を阻止しようとする女神アテナ。 どちらが正しいのか。 考える。 夢の中、いや、あれは恐らく時間も空間も次元すらも超えた、ここ とは違う別世界だ。 そこでシードラゴンを騙る男が最後に繰り出した技によって四散 し、肉体を失ったオレはどんな力が働いたのかは知らないが、この世 界で再生を果たしたのだろう。 霞がかった前世界の記憶とここ最近の生活を思い出し、前のオレか らすればこの世界は数年ほど過去にあたる事も分った。 ならば過去に戻ったのか、とも思いもしたが、どうも様子が違う。 ││便宜上、前のオレとするが、前のオレは城戸光政と面識はない ホー ム し城戸邸に足を踏み入れた事もない。 前のオレが育ったのは白い墓と呼ばれた施設だった。もっとも、そ こはとある男の手によって完膚なきまでに破壊された。特に思い入 れもない場所だったのでどうでもよかったのだが。 思考も口調もあの世界のオレに引っ張られている気がするが、今更 そんな事もどうでもいい。 前のオレが奴と戦ったのは1975年、確かイギリスで初の女性党 首がとか何だかでテレビの報道が騒いでいたのを覚えている。 そして今は1980年。あの時から五年後だ。 しかも、今のおれは十歳の子供。前のオレの五年後なら二十二歳の はず。 輪廻転生。概念としては理解していても、まさかアテナやハーデス 28 ! ﹂ といった神でもない自分がそんな体験をする事になるとは思いもし なかった。 ﹁しかも前世の記憶持ち、か 近い事がそうさせたのか ﹂ ﹁⋮⋮師匠の小宇宙を感じたせいか それともポセイドン縁の地が ち果てたとはいえ海皇ポセイドンの地上神殿があったはず。 前のオレの知識が確かであれば、確かこの地の近くには風化して朽 ? ? んな感じか いや、オレは日本人だったはずだ﹂ あ∼∼、ヤバいな。前のオレの名前すら分らないって何だこれ ⋮⋮ルファ 城戸の爺さんや辰巳あたりがどうなろうと正直言って知った事で てしまっていた。 が、おれは違う。おれには僅かながらも繋がりがある。繋がりができ 何のしがらみも無く、チンピラ同然に好き勝手に生きていたようだ う。 はっきりとは思い出せないが、夢の中のオレは常に一人だったと思 は願っていない。 れるモノがあったのは確かだが、おれは夢の中のオレ程にそれを強く 海皇による地上世界の浄化、その後にもたらされる理想郷。心惹か 昨夜は気付かなかったが少々硬いベッドだったようで背中が痛い。 くベッドへ倒れ込む。 おれはお手上げだというように両手を大きく広げ、そのまま勢いよ わからん。 のに⋮⋮思い浮かべられない。辞書が在るのに調べ方が分らない、そ ﹁ん∼∼、どうにも納まりが悪いな。知っている事を〝知っている〟 触発されて覚醒した、そんなところか。 最高位である黄金聖闘士タウラスのアルデバランの強大な小宇宙に 海闘士だけが感じ取れる海皇の力の残滓、そして八十八の聖闘士の ? はなかったが、短いながらも城戸邸で共に過ごした百人の孤児たちは 違う。 29 ? ? ? 皆の仲が良かった訳ではないが、それでも、おれたちには同じ孤児 としての、有無を言わさずに連れ去られた同類としての奇妙な仲間意 識があった。 海闘士として生きるという事は、アテナの聖闘士となるべく各地へ 送られたあいつらと敵対する事を意味する。 必ずしもそうなると決まったわけではないが、楽観する要素もない のもまた事実なのだから。 ﹁それは⋮⋮さすがに気が引ける﹂ 半ばおれの勝利を確信した上から目線である事は否定しないが、現 状を考えればあいつららと戦って負ける要素がない。スタート地点 が違ってしまっている。 ﹁逃げる、関わらない、ってのも⋮⋮﹂ それはそれでありかとも思ったが、きっと一生引き摺りそうな気が する。 30 今を守りたいと思うならばアテナ、今を破壊して変革を望むのなら ばポセイドン。つまりはそういう事。 どう考えても行き着くのはそこだ。 ﹂ 今はこれ以上考えてもどうしようもない事だと思い、別の事を考え る事にする。決して現実逃避ではない。 むしろ、もっと重要な事かもしれないのだ。 ﹁⋮⋮それにしても、あの男は何者だったんだ ある。 を行えるのはアテナ自身か聖闘士、もしくは力無きただの人間だけで アテナによって施された封印を海闘士が解く事はできない。それ 無くなるまではまだ時を必要としたのだから。 神話の時代、アテナに敗れた海皇はその魂を封印され、その効力が ともあと二百年は。 そもそも、海闘士はこの時代に目覚める予定ではなかった。少なく 今のおれにとっての最大の懸念。 たあの男。 記憶の探索の中で思い浮かぶのはシードラゴンの鱗衣を身に纏っ ? その効力が失われる時まで、海皇と共に海闘士も眠りにつくはず だったのだ。 あの時は、訪れた海底神殿内には海皇の気配は感じなかった。 イレギュラー的な目覚めかとも考えたが、あの場に安置された七つ の鱗衣も眠りから目覚めていた。 それは海将軍の目覚めの兆し。 他の六人の海将軍も覚醒するのであれば、その目覚めは海皇の意思 であるはず。 つまり、何者かが海皇の封印を解いたという事。 ﹁怪し過ぎるな﹂ 海闘士の聖域とも言える海底神殿に潜み、シードラゴンの名を騙 り、覚醒直後であったとはいえオレを圧倒したあの男。 海闘士ではない。当然ながら力無き人間でもない。 ならばアテナか。違う。 31 人として降臨するとはいえ、アテナは女神。その肉体は女性の物。 ﹂ 残る可能性はただ一つ。 ﹁││聖闘士、か ここなら聖闘士の動きも情報も分り易そうだし、強くなって損はな 沿っているのかどうかも分らないが⋮⋮用心に越した事はない、か。 ﹁こ の 世 界 に あ の 男 が い る か ど う か は 分 ら な い、あ の 世 界 の 流 れ に 純粋な力量でオレはあの男に敗れた。 鱗衣の有無は問題では無い。 あの時の戦いを思い出す。 ﹁あいつはオレよりも強かった﹂ の世界だ。 ない過去の記憶など当てになるはずもなく、これから先は完全に未知 事実、オレの知る世界から既に五年が経過している。碌に思い出せ があの世界と同じ流れに沿うのかも分らない。 この世界にあの男と同一の存在がいるのかも、それ以前にこの世界 い。 鱗衣のマスクに隠れて顔も分らず、あの男の名前もおれは知らな ? い。それに││﹂ 海闘士に鱗衣があるように、聖闘士には聖衣と呼ばれる鎧がある。 聖闘士として認められれば聖衣を与えられるらしいが、聖衣もまた その所有者を選ぶ。 仮に聖闘士として認められ聖衣を与えられたとしても、海闘士であ るおれがそれを纏えるのかどうかは分らない。 分らないが、海闘士として地上粛清を目指すより、海闘士が聖闘士 を目指す事の方が面白そうではある。 首尾よく聖衣を手に入れ、それを纏う事ができれば。 仮にこの世界でもシードラゴンの鱗衣が奪われたとしても、あの時 の二の舞になる事は避けられるかもしれない。 ﹁⋮⋮やってみるか﹂ どう振る舞うべきか。 そうして小一時間ほど悩んだ後、おれはこのまま聖域に留まり聖闘 ﹂ 32 士となるべく修業を受ける事に決めた。 ﹁そういえば、この世界にもオレはいたのか 第2話 聖域に来て早四年。 ﹃この聖域内で、今のお前と正面から戦って勝てる者はそうはおらん。 師曰く││ しかし、その中に師匠の姿は無い。 と多くの者達が集まっていた。 試験の場所である闘技場には、新たなる聖闘士の誕生を見届けよう 事となる。 教皇に己の力を見せる事により俺は晴れて聖闘士として認められる 教皇の御前にて行われる聖闘士候補生たちとの試合。それに勝ち、 俺は今日、聖闘士となれるかどうかの運命の日を迎えていた。 ? シルバー 白銀、いや黄金聖闘士であれば話は別だがな。俺は勅命を受けたので お前の試合を見届けてやる事はできん。 ﹄ が、まぁ問題はなかろう。ああ、一つだけ忠告だ││やり過ぎるな よ との事。 それを聞いた時は素性がバレたかとも思ったが、どうやら純粋に俺 の力量を認めた上での言葉らしく。 高く評価してもらえた事は、弟子としては素直に喜びたくもある が、実際のところは⋮⋮微妙だ。 言葉のままに受け取れば、あの世界でオレを倒した男は少なくとも 黄金聖闘士クラスの力量があったという事になる。 ﹂ ﹁それでは、これより最終試練を始める。ゴンゴール、海斗よ、準備は よいか ﹂ この戦いの勝者に栄誉ある聖闘士の証である聖衣を授けよ ﹂ う。この|子馬座︽エクレウス︶の青銅聖衣を ﹁││ブッ 問題は、神話には複数の解釈があるように、子馬座にも幾つかの由 そこまではいい。 神であるヘルメスがカストルに与えた名馬である。 子馬座。ギリシア神話ではペガサスの弟ケレリスの姿とされ、伝令 か噴いた。 はその聖衣の名を聞いて思わず噴き出しそうになっていた。という それを目の当たりにして浮つく気持ちは分らなくもない。だが、俺 する物。 候補生や雑兵達にとって、それはまさしく喉から手が出るほどに欲 ある者は感嘆の声を、ある者は畏怖を、ある者は羨望を。 めきが増した。 教皇の宣言に、皆の前にその姿を見せた聖衣の存在に、場内のざわ !? ! ﹁聞け が置かれた。 壇上に立つ教皇の横に、神官たちの手によって聖衣が収められた箱 その教皇の宣言で、闘技場内にいた者達が歓声を上げる。 ? ! 33 ? 来があるという事。 海神ポセイドンが三又の鉾で砕いた岩の中より飛び出しただの、そ の槍で突き殺しただの、と。 海皇由来の聖衣など洒落になっていない。 でき過ぎ、あるいは作為的とすら思えるこの巡り合わせに呆然とす る俺。 洒落になっていないが、同時に〝やっぱりな〟という奇妙な思い、 確信があった。 何がやっぱりなのか、何に納得しているのかは俺自身分らないが。 この微妙な、歯の奥にモノが詰まった様な感覚は久しぶりだった。 ﹂ 今の俺の姿を見て緊張をしているとでも思ったのだろうか。 ﹁頑張れよ海斗ーッ ﹁うるさいよ星矢。お前には他人の心配なんてしている余裕はないだ ろにさ﹂ マリン 聞きなれた声に視線を向ければ、魔鈴に小突かれ頭を抑えて蹲って いる星矢と、何食わぬ様子でこちらを見ている魔鈴の姿があった。 イー グ ル 俺は軽く手を振ってそれに返す。それぐらいの社交性はあるのだ。 鷲星座の魔鈴。星矢の師匠であり白銀の位にある女聖闘士。 聖闘士の女子は仮面を着ける事を掟とされているため、常々その無 愛想な仮面の下にどんな素顔があるのかが気になって仕方がなかっ た。 三年ほど前に、駄目で元々と﹁素顔を見せてくれ﹂と頼んだ事があっ たが﹁死にたければ見せてやるよ﹂と拳とともに凄まれては引き下が るしかない。あれは殺す気だった。 それから暫くの間は、何故か聖闘士候補正の女子たちから親の仇を 見るような目で睨まれ続けた。 メイ あまりの居心地の悪さに師匠に理由を尋ねたのだが﹁分らん﹂の一 言で済まされた。それでいいのか最高位。 いや、知っていて教える気がなかったような気もする。盟の奴が腹 を抱えて笑っていたような気もするし。 盟は俺や星矢と同じく城戸光政によって聖闘士となるべく世界各 34 ! 地に送られた孤児の一人だ。境遇の割に明るく、いかにもお調子者な ノリの軽い奴だったが、ここ二年ほど姿を見ていない事を思い出す。 東洋人同士仲の良い事で﹂ ﹁おや、星矢に魔鈴じゃないか。ああ、確かアイツはお前たちと同じ日 本人だったね。同胞が気になるのかい ﹁わたしは別に興味なんてないさ。星矢が〝どうしても〟と言うから 来てやっただけ。そう言うお前こそ、こんな所に来るなんてらしくな いじゃないか。一体どうしたんだいシャイナ﹂ ﹁ハッ、確認に来ただけさ。所詮東洋人如きが神聖なるアテナの聖闘 士になれるはずがない、という現実のね﹂ オ ピュ ク ス ﹁その通りですシャイナさん。ふしゅらしゅらしゅら∼﹂ そう言って魔鈴に近づいたのは、蛇遣い星座のシャイナとその弟子 カシオス。 シャイナは魔鈴と同じく白銀の位に位置する女聖闘士。 魔鈴の無地の仮面と異なり、隈取が入った仮面が特徴的だ。 聖闘士の女子は││以下略。 掟とは言え、仮面など視界を遮り呼吸の邪魔にしかならないと思う んだが、この辺りの事は聖闘士を目指し四年経った今でも俺には良く 理解ができない。 服装のセンスも⋮⋮理解ができない。 常々思うが⋮⋮なんだ、あのけしからん恰好は。 恥ずかしくはないのだろうか 俺と同じ十四歳らしいがそのプロポーションは小娘のものではな いぞ。 仮面で素顔が分らなければ恥ずかし 去った四年間の日々に思いを馳せる。 ﹃いいか海斗。この世の全ては原子でできている。人も草木もこの石 も、だ﹄ 35 ? シャイナに至っては革製ビキニの水着姿にしか見えない。 魔鈴はどうみてもレオタード。 ? けしからんな聖闘士、実にエロい﹂ ﹁アレか、戦意高揚のためか さも三割減とか ? やはりこのまま聖闘士として生きてみるかと、あっという間に過ぎ ? 聖域での修業の日々は、ハッキリ言って肉体的には辛くも苦しいモ ノでもなかった。 当然だろう。 どれ程過酷な修行の内容であっても、それはあくまでも﹃小宇宙に 目覚めていない者が聖闘士を目指す﹄為に組まれたモノ。 小宇宙を感じ取る事を最優先とされた内容なのだ。 ﹃我々聖闘士の闘技とは、己の内にある小宇宙を極限にまで高め爆発 させる事で││原子を砕く事にある﹄ 自分の内に眠る宇宙、すなわち小宇宙を感じる事ができるかどう か。聖闘士の必須条件であるそれに目覚める事こそが修行の目的。 海闘士として目覚めていた俺からすれば、与えられた修行は全て解 答片手に問題を解いているようなモノだった。 辛かったのは主に俺の精神面。 ここ聖域は聖闘士の総本山。 俺自身は聖域を破壊してやろう、だの、聖闘士をどうこうしてやろ う、などとは思ってもいなかったのだが本来海闘士と聖闘士は敵同 士。 下手をすれば敵の本拠地となり得る場所という状況に加え、俺を聖 闘士とするべく真剣に取り組んでくれる師匠には申し訳なかったが、 ﹁小宇宙にはとっくに目覚めてます。俺、実は海闘士だったんです﹂ なんて言えるはずもなく。 負い目というか、引け目もあった。 加えて、聖域の人間は妙なプライドがあるのか、東洋人である俺や 星矢に何かに付けては﹁東洋人の癖に﹂と難癖を付けて来る候補生や 雑兵共。 その都度、相手を裏路地や暗がりに連れて行きボコる日々。大人げ ない気もするが、俺は大人ではないのだから構うまい。 そんなこんなで他人との関わりを可能な限り避け続けたこの四年 間。そのおかげで友人らしき友人もなく。 強いて言うなら、俺と同じようにここに送られた星矢とその師匠で ある魔鈴ぐらいか。精々が知人を両手で数えられる程度の素晴らし 36 い人間関係。 ﹂ 前世のオレを独りぼっちの寂しいヤツだと思っていたが、今の俺も 大概寂しい奴だと気付いてしまい軽くへこむ。 ﹂ あの時の恨みも込めて叩き潰してくれる ﹁││あ、その中に居たなお前。確か⋮⋮権三さん ﹁ゴンゴールだ ﹁⋮⋮少なくとも、小宇宙を燃やせるだけの力は得たのか﹂ 喰らえ、この俺の必殺技〝スタンピングタップ〟を ! そらそらそらそらぁあっ !! 目掛けて降り注ぐ。 ﹁逃げ回るだけか ﹂ 小宇宙が込められたその蹴りは、衝撃波を伴って雨あられの様に俺 だ。 上空からゴンゴールが繰り出したのは、両足を使っての無数の蹴り のか。 俺としては褒めたつもりだったのだが、馬鹿にされたとでも思った ﹁抜かせ ﹂ であっても小宇宙に目覚めた聖闘士にとっては驚くには値しない。 その跳躍はゆうに十メートル以上。普通の人間では不可能な跳躍 過去を想っている間に、どうやら試合が開始されていたらしい。 !! ? そう叫び、ゴンゴールが文字通り飛び掛かって来た。 ! ﹂等と煽り立てる者の多い事。 !! ! ﹁よしな星矢﹂ ﹂ ! ﹁落ち着いてよく戦いを見るんだね。心配はいらないさ。お前も気付 ﹁だって魔鈴さん ﹂ ﹁なっ、なんだよこいつ等 悪い事。人種は関係なかろうに。 アテナと地上の平和のために戦う仲間であるはずなのに、この空気の 比較できる程多くの聖闘士を知っている訳ではないが、一応は女神 どうも聖闘士と雑兵との間にある意識の差が激しいというか。 洋人に聖衣を渡すな 戦いを観戦している者達の中には﹁いいぞゴンゴール ﹂だの﹁東 ゴンゴールは完全に調子に乗っている。 見て手も足も出せないと思ったのか。思ったんだろうなあ。 攻撃を避け続けてはいるものの、一向に攻め手を見せない俺の姿を ? ! 37 ! いているだろうシャイナ ﹁⋮⋮フンッ﹂ ﹂ ﹁相変わらず仲が悪いな、あの二人。いや、むしろ仲が良いのか て⋮⋮﹂ ﹂ ﹂と思わず心配してしまう。 を感じ始めていた。 ﹂ さ 俺たちはなぁ、自分は何でもできる、みたいにス ﹁手も足も出ないのか くははははッ、随分と差が付いたようだな、 俺は奴から放たれる攻撃に悪意ある小宇宙が纏わり付き始めたの 陥りやすい状態だ。 分を見失っている。聖闘士としての表面的な破壊の力に触れた者が ゴンゴールは圧倒的優位ともとれる状況に、己の力に酔いしれて自 ﹁くく、クククッ。ひはははははっ ﹁大丈夫か聖域 海闘士としての知識があるだけに、これを俺が言うのもなんだが ているだけ。 快感を表していたが、チラリと教皇を見ればただ静かにこの戦いを見 幼馴染とも言える星矢と俺達の事情を知る魔鈴はそんな空気に不 ? ? カしたその態度が気に喰わなかったんだよ ええっ海斗ぉっ ? けたとあっては他の海闘士に示しが付かない。 大体、海闘士最強である海将軍が聖闘士ですらない候補生相手に負 だから。 言い替えれば、俺と戦う事が決まった時点で全ては終わっていたの 況を引き寄せる力とやらが足りなかったのだろう。 相手が悪かったと言ってしまえばそれまでだが、ゴンゴールには状 る。 法であり、必然的にその弟子である俺もその手の闘法は熟知してい 衝撃波を伴う攻撃は俺の師匠であるアルデバランが得意とする闘 その攻撃を前にしても俺に焦りはない。 繰り出される攻撃は、今では一秒間に七十五発。 納得した﹂ ﹁ああ、つまり人種とかではなく、単純に嫌われていたわけだな俺は。 ! 38 !! ? ! ﹁⋮⋮示しを付ける気もないけどな﹂ ﹂ ﹁ええいっ、ちょこまかと逃げ回りやがって メにしてやるぞ だったらこれでトド ! 超高高度からの││〝スタンピングタップ〟 ﹂ !! と、ある種の期待を込めて上空を見上げた。 ﹁喰らえ ﹂ グーパンチ。 ﹁げぴょん ﹁高く跳び上がる意味がないだろうが 俺は、この戦いで始めて拳を握り││振り抜いた。 ! ﹁な、何という強大な小宇宙 ﹂ ﹂ ﹂ 敷き詰められた床石が⋮⋮いや舞台が全て吹き 飛んでいるではないか ﹁流石はアルデバラン様の弟子という事か クレーターと化した舞台の中央。 !! ﹁⋮⋮何という阿鼻叫喚﹂ ﹁ペッペッ。うわ∼、凄いぜ海斗 ﹂ 上げて助けを求めている者もいる。 余波に巻き込まれて頭から瓦礫に突っ込んだ者もいれば、呻き声を 腰を抜かした神官に右往左往する雑兵たち。 内心の動揺を隠しつつゆっくりと立ち上がり周囲を見渡す。 一撃を、よりにもよってツッコミで放ってしまった。 目立たないようにと気を配ってきたこれまでの努力を無駄にする ついていた。 そんな外野のざわめきに反し、俺はその場で項垂れがっくりと膝を ! !! ﹁し、信じられん ! ついでとばかりに││闘技場も。 はゴンゴールを遥か空の彼方へと吹き飛ばしていた。 思わず繰り出したツッコミは空を切り裂き音速を超え、その衝撃波 !! ﹂ どうやら必殺の一撃を放つようだと感じた俺は、何をしてくるのか く、高く。 叫び、ゴンゴールは跳躍した。これまで見せたどの跳躍よりも高 !! !? 39 !? ﹁ぐむぅうぅうう⋮⋮おぉおおおぉおお⋮⋮﹂ 瓦礫にまみれながらも素直に俺の勝利を喜ぶ星矢。 その横で股間を抑えて蹲るカシオス。 何と言うか⋮⋮スマン。 ﹁⋮⋮﹂ その横で、じいっとこちらを見て││いや、睨みつけてくる魔鈴と シャイナ。気付かなかったふりをして慌てて目を逸らそうとしたが 遅かった。 俺と目が合った二人は、無言で自分の身体に付いた埃を払い始め た。 表情は分らないが、仮面越しでも分る。アレはヤバい。二人のその 身から怒りの小宇宙が立ち昇るのが見える。星座のビジョンが見え そうな辺りかなりヤバい。 ﹃││見事だ海斗よ﹄ 40 そんな浮ついた気分が、ただの一言によって容易く吹き飛ばされ た。 威厳と迫力、そして威圧感に満ちた││そんな声だった。 ﹂ その声を聞いた瞬間、ゾクリとしたものが俺の背筋に走る。 ﹁ッ 付いてはいない。 されそうになる。俺と教皇の間にあるこの異常な空気を他の誰も気 試合の前では感じる事のなかった圧倒的なまでの存在感に押し潰 動悸が激しくなり視界が歪む。 のある者を育てていると話には聞いていたが⋮⋮﹂ ﹁まさか││これ程の力を持っていたとはな。アルデバランから才能 い警鐘を鳴らす。 の中の何かが││本能とも言えるそれが、目の前の存在に対して激し ワイバーンを模されたマスクに隠れてその表情は分らない。が、俺 視線の先に悠然と立つのはこの聖域の統治者である││教皇。 た。 素早くその場から飛び退いた俺は、声の主を正面に捉えて身構え !? 一歩、また一歩。 教皇が近付く、ただそれだけであるはずなのに、俺の身体は意思を 無視して臨戦態勢を整えようとする。 海闘士としての本能的なモノなのか、生物としての防衛本能なのか は分らない。 拳を打込み、蹴りを繰り出そうとする肉体の衝動を抑え込み、俺は 目の前の〝得体の知れない〟存在を睨みつけた。 こいつは、本当に先程まで試合を観戦していた教皇か ﹁そう緊張せずとも良い。女神アテナに代わり教皇の名の下に新たな 聖闘士の誕生を祝福する﹂ 静まり返った闘技場。 よ う や く 俺 と 教 皇 と の 間 に あ る 不 穏 な 空 気 を 感 じ た の だ ろ う か。 誰ひとりとして口を挟もうとする者はいなかった。 ﹁聖闘士の証である聖衣を授ける。海斗よ、ただ今を持ってお前はア テナの聖闘士となった。これよりは﹃エクレウスの海斗﹄と名乗る事 を許そう﹂ 異論の声も、祝福の声も││ない。 ﹁さあ、聖衣をここへ﹂ どれ程の時間が過ぎていたのか。 一瞬だったのかもしれない。 教皇の言葉で慌てて動き出す神官達。 それは、温かみと包容力に満ちた穏やかな声だった。 ﹂ 先程の光景がまるで嘘のように、場内は喧騒を取り戻す。 ﹁⋮⋮は、ハッ、直ちに 握り締めていた拳から力が抜けた。 その時にはもう、教皇から感じていた得体の知れぬ威圧感もなくな り、俺の中にあった燃え盛る様な猛りも静まっていた。 ﹁⋮⋮確かに受け賜わりました。アテナのため、地上の平和のために この力を振るう事を││﹂ その時だった。 41 ? 暫くして、神官や雑兵達の手で子馬座の聖衣が俺の前に運ばれる。 !! 聖衣を前に誓いの言葉を述べる俺の肩に、そっと教皇の手が置かれ たのは。 ﹁フフフッ、実に興味深い。青銅の器では抑えきれぬその猛々しいま での小宇宙。これからの働きに期待せずにはおれんな﹂ 教皇は親しげに俺の肩を軽く叩く。 ﹁││ハッ﹂ 俺の返答に頷きを見せると、教皇は纏った法衣を翻し神官たちを引 き連れてこの場から立ち去って行く。 俺はただじっとその背を眺めていた。 42 第3話 教皇の思惑 の巻 聖闘士と認められてから一週間。 聖闘士としてある程度の行動に自由が認められた俺は、旅行者を装 い自らの意思としては実に四年振りに聖域から外の地へと足を運ぶ ことにした。 ギリシャの首都アテネの東南、アポロコーストの海岸沿いを進む事 しばらく。 地図上ではエーゲ海に突き出たアッティカ半島の突端部││その 最南端の場所に俺が目指す場所がある。 スニオン岬である。 岬の先端には白い大理石の柱が大小多々にそびえ立つ。数千年の 時を過ごした神殿の遺跡があり、観光名所として世界中から様々な 人々が訪れている。そういう場所だ。 その遺跡はかつて海神を祀る神殿であった。 ││海皇ポセイドンを。 ﹁あ そ こ か ら 見 る 夕 日 は ま た 格 別 だ か ら ね え。テ レ ビ の お か げ な の か、最近はあんたみたいな若い人も大勢来るようになったし﹂ カフェのおばさんが言った通り、道中は若者の姿が多かったように も思えたが、その事に関しては常日頃を知らないので気のせいかもし れない。 元々、実年齢よりも高く見られがちな俺の外見から〝未成年の一人 旅〟と思われていない事は都合がいい。 いくら観光地とはいえ、この時期に真昼間から日本人の少年が一人 でうろうろ、というのはさすがに目立つ。 善意にしろ悪意にしろ、声をかけられたところでどうこうなる訳で もないが、面倒事は極力避けたくもある。 実際、先程から何者かがこちらをちらちらと窺っているのを感じて いた。 ﹁それに比例してゴミやらガラの悪い奴等も増えたような気もするけ 43 ! どねぇ。お客さんは⋮⋮ええと、ソツギョウリョコウってやつかい ﹂ ﹁まあ⋮⋮そんなところです。そんなに増えているんですか、若い人﹂ 今の俺は薄手のジャケットにシャツにジーンズというシンプルな 服装だ。 聖域を出てすぐ近くの町で買った安物ではあるが、四年振りの〝普 通の服〟なので大切にしようと思っている。 なにせ聖域はアテナの結界のおかげで﹃一般人には立ち入る事も出 来なければその存在すら知覚できない﹄ある種の異界である。〝現代 の普通〟という物が手に入りにくい。 それにより遥か神話の時代からその在り方を変える事無く現在ま ︶ で引き継げているのだが、衣食住まで引き継いでいるのはやり過ぎで はないかと思う。 ︵海闘士も似た様なモンだったか す時に辰巳がそう言っていたが⋮⋮どうしろと 所在も連絡先も聞いた覚えがない。 聞けばわかるだろうが。 さすがに観光地にはないよ グラード財団は世界中にその支部を置いているらしいから、誰かに ? 聖闘士になったら財団支部に赴き報告しろ。四年前、俺達を送り出 接触ついでに思い出した。 ︵││ああ、そういえば︶ らの接触もない。 醒から四年間聖域というアテナの結界の中で過していたので﹃外﹄か 生憎と、前世のオレは海皇に会う前に殺されているし、今の俺は覚 覚醒を果たし、海皇から全権を委ねられる││はずだった。 の海将軍、その筆頭であるシードラゴンは誰よりも早く海闘士として おぼろげな記憶と知識から分っているのは海闘士最強である七人 代の海闘士の事を何も知らない。 そう考えてどうだったかな、と思い出そうとするが││そもそも現 ? ︵財団の支部ってこの辺りにあったか な︶ ? 44 ? 素直に従うのも癪だったが、よくよく考えてみれば報告してやる必 要があるのか あの当時ならともかく、今の俺には生きていくのに財団をあてにす る必要は全くない。 全くないが、黙っていてそれがバレれば⋮⋮社会的にどうこうされ そうな気もする。 俗世に関わらない聖闘士として生きるとしても、現代社会を生きる 人間なのだから表の顔はいるだろう。そうなるとやはり少し困る事 になりそうだ。 ﹁⋮⋮別にいいか。何かあれば向こうから連絡を取るだろ﹂ そもそも俺達を送り出したのは財団であり、修行についての話を通 したのも財団だ。 俺たちの居場所や連絡先が分らない、なんて事はないだろう。 多分。 と、そこまで考えて、今更ながらに引っかかる点があった。と言う より、ようやくそれを考えるだけの余裕ができたとも言うが。 ︶ ︵百人の孤児をかっ攫ってまで、俺たちを聖闘士にして財団に、いや、 城戸光政に何の利がある そもそもとして、城戸光政はどこでどうやって聖闘士の事を知った ているのだろうか。 まさか、世界の平和のために一人でも多くの聖闘士を、とでも考え ない。 ただの財界の一個人の意志によって好き勝手に動かせる存在では して聖闘士を従える事が出来るのは女神アテナと教皇のみ。 グラード財団の私兵にするのではないか、と思っていたが、原則と かに言っていた。 あの時、あの爺さんは﹃聖闘士とするべく俺達孤児を集めた﹄と、確 ? ﹃外﹄へと出る聖闘士はいる。 グラード財団の実質的な最高権力者であるあの爺さんになら、そう 45 ? 確かに要人警護や世界的に重要な施設の警備などの勅命を受けて ? いったところで繋がりがあってもおかしくはないし、関わりがなかっ たとは言い切れない。 しかし、聖闘士の存在もそこで起きた事も全て秘匿する事が条件で ある以上、仮にそうだったとすれば爺さんの行動は聖域と交わされた 約束に反する事。 この辺りの秘匿性は時代が進むにつれて多少緩くはなっていたが、 聖域から刺客が放たれるぐらいの報復は覚悟せねばならない。 命を奪うまでには至らずとも、社会的に消される可能性は十分にあ る。 ﹁⋮⋮暇な時にでも調べてみるか﹂ 仮定に仮定を重ねたところで意味はない。 サイ ﹁ホラさ、最近ニュースでも取り上げられている﹃若き天才音楽家ソレ ント﹄って子がいるだろ そしたらさ、この前ね、あたしあそこで会っちゃったのよ ンも貰ったんだよ││﹂ ﹁ははは⋮⋮いや、俺はあまり音楽には興味がなくて﹂ 頬を染めて何やら語り出したおばさんの勢いに曖昧な返答を返し、 昼食の代金を支払うと俺は店を出た。 服の代金と今の食事で元々軽かった財布が更に軽くなっている。 正直小遣い制ってのはどうかと思う。 ホテルに戻り、預けていた聖衣箱を受け取った俺は、沈みゆく夕陽 を眺めながら人影がまばらになった海岸をのんびりと歩いていた。 夏場、それも週末であれば海水浴に訪れる人で賑わうらしいが、温 かくなり始めているとはいえ四月ではまだ早い。 気が付けば、いつの間にか日は落ち、遺跡を照らしていた照明も落 とされ始めている。 辺りは夜の闇に包まれようとしていた。 第3話 46 ! ? ││聖域十二宮。 黄金十二宮とも呼ばれるそれは、聖域の更に奥に存在する。教皇の 間とアテナ神殿へと続くただ一つの道であり、道中の十二宮は聖闘士 ア リ エ ス 最強の黄金聖闘士が守護するまさしく聖域の要とも言える場所であ る。 白羊宮││牡羊座から始まり黄道十二星座に沿って金牛宮││牡 牛座、双児宮││双子座と続く。 神話の時代より、黄金聖闘士が揃った十二宮を正面から突破した人 間は誰一人いないと伝えられている。 ﹂ ﹁これはアルデバラン様。さすが、お早いお着きですな﹂ ﹁うむ、教皇はどちらに その十二宮の奥、教皇の間へと続く扉の前に、黄金聖衣を纏い純白 のマントを身に着けたアルデバランの姿があった。 聖闘士にとって聖衣は正装であり、聖域の聖闘士の多くはこうした 重要な場では常に聖衣を纏っている。 想を終えられて教皇の間へ。アルデバラン様がご到着さ メディテーション ﹁先程、 瞑 れましたらお通しする様にと申しつかっております﹂ ﹁分った﹂ そう神官に返すと、アルデバランは奥へと進む。その先には、細や かな意匠が施され見る者に荘厳な雰囲気を与える巨大な扉がある。 教皇の間である。両脇に立つ衛兵がアルデバランの姿を確認する と、ゆっくりと扉を開き彼を奥へと促した。 ﹁タウラスのアルデバラン、只今戻りました﹂ そい言ってアルデバランは片膝をつき、正面に座す相手へと頭を垂 れる。 ﹁おお、戻ったかアルデバラン。ご苦労だったな、さあ面を上げよ﹂ 労いの言葉を掛けるのは、未だ幼い女神アテナの代理として聖域 を、聖闘士を統括する教皇であった。 純白の法衣を纏い、歴代の教皇に代々伝えられる兜とマスクを身に 47 ? 着け玉座に腰掛けている。 ﹁何か⋮⋮私が不在の間に良い事でもあったのですかな ﹂ アテナの加護により奇跡的な長寿を得て、二百数十年前の前聖戦か ら生き続けていると噂される教皇の素顔をアルデバランは知らない。 マスクによって表情は分らないが、それでも醸し出される陽の雰囲 気は分る。 ﹂ 顔を上げたアルデバランの問い掛けに、どこか楽しそうに教皇は答 えた。 ﹁フフフッ、そうだな。だが、それはお前も喜ぶべき事なのだぞ ﹁⋮⋮青銅ですか いや、あの者の力から試合そのものは左程心配 クレウスの青銅聖闘士としてな﹂ ﹁お前の弟子である海斗が先日の試合を経て見事聖闘士となった。エ の老師││天秤座の黄金聖闘士だけであろう。 は仕えるべきアテナか、同じく前聖戦の生き残りとされる中国五老峰 側近すら知らないとされるその素顔を知る者がいるとすれば、それ い、と。少なくともアルデバランはそう聞かされている。 教皇としての役割を終えるまで、人前でそのマスクを取る事はな という覚悟の証とされていた。 それはアテナのため、地上の平和のために己という個を殺し仕える はない。 ちなみにマスクで素顔を覆っているとはいえ、教皇は女性聖闘士で ? かの様に豪快に笑うアルデバラン。 そこに││ ﹁フッ、些か本音が出たなアルデバラン﹂ 八十八の聖闘士。黄金、白銀、青銅と続く聖闘士の位としては最下 層とはいえ聖闘士は聖闘士。 その事に釘を刺したのは、この教皇の間に静かに現れた一人の黄金 聖闘士であった。 ﹁確かに聖衣には階級が存在する。だが、それを身に纏う者の力量が 48 ? それでも師としては嬉しい事です、と。思わず出た失言を誤魔化す しておりませんでしたが││﹂ ? ﹂ 必ずしもそれに等しいわけではない。弟子が可愛いのは分るが││ 自重しろ﹂ ﹁ははは⋮⋮。いや、いやいや、そんな事はないぞ ﹁なら、そう言う事にしておこうか﹂ そう言ってアルデバランの横を通り過ぎた男は、教皇の前で静かに アクエリアス 片膝をつく。 アクエリアス ﹁水瓶座のカミュ、只今参上致しました﹂ 水瓶座のカミュ。 氷の闘法││凍気を極めた十八歳の若き黄金聖闘士である。 偶然か、必然か。はたまた神の意志であるのか。神話の時代より、 アテナを守り共に闘う聖闘士の多くは少年であったとされている。 アテナがこの地に生を受けて既に十一年。 それに合わせるかの様に、現在聖闘士として認められている者たち の多くはアテナと同じく十代の少年少女が半数以上を占めていた。 ﹁うむ、よく来てくれたなカミュ。そうアルデバランを苛めてやるな。 ﹂ ﹂ お前とて弟子を持つ身だ、いざその時になれば││どうなるかは分ら んぞ ﹁⋮⋮お戯れを﹂ ﹁あ∼、ゴホンゴホンッ とらしく咳をしてこの流れを止めようとする。 その様子にからかい過ぎたかと、カミュは表情を改めると本来の要 件に移ろうとした。 ﹁それで教皇、今回シベリアから私を召喚されたのは何故でしょうか このカミュだけであればまだしも、ここにはアルデバランがい しょうか ﹂ 越した究極の存在である。 して完成された存在であり、聖闘士最上位である黄金はそれすらも超 聖闘士としての基本的な存在が青銅とするならば、白銀は聖闘士と ? 49 !? どうやら二人からからかわれていると悟ったアルデバランは、わざ ! ? 黄金二人をもってして当たらねばならない様な事でも起きたので る。 ? 黄金聖闘士一人の前では、青銅聖闘士や白銀聖闘士かどれ程集まっ たところで掠り傷一つ負わせる事は出来ない。 身に纏う聖衣の能力に圧倒的な差があるのは確かだが、もっと根本 的に聖闘士の力の根源である小宇宙の大小、その桁が違うのだ。 通常、聖域からの勅命は白銀を中心としてそのサポートに青銅が就 く形で行われており、大概の用件はそれで事足りる。 故に黄金聖闘士が新たに勅命を受ける頻度は遥かに少なく、この教 皇の間に於いて黄金聖闘士同士が顔を合わせなど稀な事でもあった。 ﹁いや、そう緊張する必要は無いカミュよ。アルデバランとお前がこ の場で顔を合わせたのは偶然だ。本来、アルデバランが此処に来るの はもう少し後であったからな﹂ 余程弟子が心配だったのだろう。そう言って笑う教皇に、先のアル デバランの様子を思い浮かべ成程と納得するカミュ。 その二人の様子にまだ引っ張るかと、アルデバランは不機嫌も露わ に顔を背けムスッとしていた。 ブルーウォリアーズ ﹁フッ。さて、カミュよ。お前に頼みたいのはブルーグラードについ ブルーグラード てだ﹂ ﹁永久凍土⋮⋮つまり氷 戦 士ですか。しかし、彼らが隆盛を誇った のも今や遥かな過去の話。 一度滅びを迎えた彼らはその力を、北極圏から他の地域を支配する というかつての野心を失っています。現当主ピョートルも争いを好 まぬ男です。 正直に言ってしまえば││今の彼らはこの地上の脅威とはなり得 ません﹂ ﹁それは分っている。杞憂で済めばそれで良い。だが、最近彼の地か ら良くない気配を感じるのだ。お前を向かわせる程でもないとは思 うのだが、場所が場所だけに他に適任者がいなくてな﹂ 雪と氷に覆われ、草木すら育たず命を育む事の無い極寒の地ブルー グラード。 であれば、確かに自分以外の適任者はいないとカミュは考え、しか し、ならばと進言を行う事にした。 50 教皇の命に対して⋮⋮﹂ ﹁畏まりました。しかしながら教皇、ならば││﹂ ﹁お、おいカミュよ、何を考えている カ ミ ュ の 無 礼 と も 言 え る 発 言 を 諌 め よ う と し た ア ル デ バ ラ ン で あったが││ ﹁よい、アルデバランよ﹂ ﹁は、ハッ﹂ 教皇自身が構わぬと言うのであれば、彼には何も言う事は無い。 ﹁解っているカミュよ。││以後、氷戦士の件はお前に全て一任する。 弟子が可愛いのはカミュもまた同じという事だ。弟子に与える試練 としてふさわしいかどうかは分らんが⋮⋮な﹂ ﹁││ハッ﹂ 恭しく頭を下げたカミュの姿に頷いた教皇は、次いでアルデバラン へと視線を向けた。 向けられた視線に気付き、アルデバランは姿勢を正す。 ﹁待たせたな。では聞こうかアルデバランよ﹂ ﹁⋮⋮ご報告致します。五老峰の││老師からのお言葉は﹃七百十八﹄ との事です﹂ そう伝えられたものの、アルデバラン自身この言葉の意味は分らな い。疑問もあったが、教皇や老師のお考えなど自分如きに推し量れる モノではないと考える事を止めていた。 自らの高齢と、アテナからの直々の勅命である事を理由としてこの 十数年間、教皇からの聖域への召喚に一切応じようとしない五老峰の 老師。 だが、完全に聖域との関わりを絶っているわけでもなく、使者が訪 れれば助言や苦言を呈する事もある。 ﹁そうか。いよいよ⋮⋮なのだな。ご苦労であったアルデ││﹂ ﹂ アルデバラン、そう続けようとした教皇の言葉が止まった。 ﹁教皇 り微動だにしない教皇の姿があった。 カミュを見れば、彼もどうしたのかと分らぬ様子でアルデバランを 51 ! 何事かと訝しんだアルデバランが顔を上げれば、玉座から立ち上が ? 見た。 いや、消えた ﹂ 教皇と、もう一度声をかけようとしたアルデバランであったが││ ﹁⋮⋮何だ、この異様な小宇宙は ? しかし、どこからだ それにあの小宇宙の感じは ? ばそうなのであろう。 宇宙をその様には感じていなかったのだが、教皇がそう言うのであれ アルデバランとカミュが顔を見合わせた。二人とも先程感じた小 これは早々に昇格を考えねばならんかと教皇が笑う。 限界を知る、それは悪い事ではない。だが││﹂ れ程高められるのかを知りたくなる頃だ。許可も与えてある。己の ﹁海斗が聖闘士となって七日。そろそろ己の小宇宙が聖衣によってど そう言って教皇は続ける。 秘術により周辺の小宇宙を感じ取り易くなっている﹂ ﹁気にする事はない。二人は知らぬであろうが、この教皇の間は古の す。 教皇は何かを考えるようなそぶりを見せた後、再び玉座に腰を下ろ その呟きに、落ち着きを取り戻したアルデバランが視線を向けた。 ﹁⋮⋮ふむ。やはり興味深いな﹂ にはあり得ぬものを秘めていた。 感じられたのは僅か一瞬の事であったが、そこに宿る激しさは平時 まるで戦いの場であったような。 ⋮⋮﹂ ﹁海斗⋮⋮か この特徴的な小宇宙の持主をアルデバランは知っていた。 る 程。白 と 青。異 な る 二 色 が 螺 旋 を 描 き 混 ざ り 合 う 様 な イ メ ー ジ。 ほんの一瞬であったが、二人が感じた小宇宙は黄金に迫ろうかとす の出所を探ろうとしていた。 それを感じたのか、普段冷静な彼には珍しくどこか緊張した様子でそ 突如感じた巨大な小宇宙に思わず周囲を見渡していた。カミュも ? どこか納得できないモノを抱えつつ、二人は片膝をつくと教皇へと 頭を下げた。 ﹁教皇様、そろそろ⋮⋮﹂ 52 ? そんな二人の背後から、教皇の側近が姿を見せた。短く刈り上げら れた髪と鍛えられた体躯を持った巨漢だ。 聖闘士にはなれなかったが、そのアテナへの忠誠心と誠実さから教 皇に見出された者だったかとアルデバランは思い出す。 ﹁女神アテナ様に拝謁なされるお時間にございます﹂ ﹁そうか。では二人とも下がってよい。ご苦労だった、お前も下がっ ﹂ ていよ﹂ ﹁ハッ そう言って皆を下がらせた教皇は、しばらく玉座に腰掛けたまま彫 像に様に身動ぎ一つしなかった。 しんと、教皇の間に静寂が広がる。 ﹁⋮⋮神の一手先、か。目先も読めぬ男に成せるモノではない。成せ ると本気で考えているのならば、それはお前の愚かな驕りにしか過ぎ ん﹂ やがて、教皇はどこか気だるそうに立ち上がると││ ﹁愚かなのは私も、か﹂ 玉座の背後││アテナ神殿へと続く扉を覆う巨大な天蓋を潜り、そ の向こうへと姿を消した。 53 ! 第4話 シャイナの涙 誇りと敵意の巻 ││教皇の間で行われたやり取りから時は僅かに遡る。 ホテルの宿泊費を支払った時点で、悲しい事に俺の財布はその役目 を終えてしまった。 気分転換の散策、その程度の名目で渡された金額では当然と言えば 当然だったが。 ﹁必要な物は経費で落ちるとしても、自分の買い物一つ自由にできな い、ってのは面倒臭いよな。適当な金策でも考えるか﹂ 考え事に没頭していたせいか。俺が〝それ〟を確信したのは、既に 日は沈み辺りは夜の闇に包まれようとしていた頃だった。 シードラゴン ﹁昼間に感じていた視線から、ひょっとしたら、とは思っていたんだが な﹂ 聖域から出れば、俺に対してグラード財団やあの男からの何らかの アクションがあるのでは、と期待をしていたのだが。 ﹁お前らさ、 ﹃聖域の聖闘士候補たる者みだりに聖域を離れてはならな い﹄って、この掟ぐらい知っているだろうに﹂ どうやらハズレがかかったらしい。 落胆する気分を隠すことなく振り返った先には、聖域で見覚えの あった顔がちらほらと。 岩影から、海岸から、出るわ出るわ。あっという間に二十人近くが 集まって来た。よくもまあと呆れるやら感心するやら。 聖域の年若い雑兵たちだけではなく、その中には聖闘士候補生やゴ ンゴールの姿もあった。 ⋮⋮皆、聖域での服装のままである。 百歩譲って服はまあいい。しかし、プロテクターやらヘルメットや らで武装した姿は目立ち過ぎやしないだろうか まさかそれらを身に着けたまま聖域からここまで来たのだろうか ? 秘匿義務はどこへ行った 54 ! ? ? いや、むしろあまりにアレ過ぎて、何も知らない人からは古代ギリ シアをモチーフにした仮装とか、テレビや映画の撮影だとしか思われ ないだろうから逆に大丈夫なのか ﹁フンッ、馬鹿なことを言うな 俺達は勝手に聖域を離れた貴様を 聖域生まれではない俺には真似できない。 確かに聖域はそこだけで完結できる箱庭めいた場所でもあったが。 が付いていないのか 恐るべし聖域。俗世から離れ過ぎて現代との感覚のギャップに気 ? だ﹂と気勢を上げる。 ﹂ ﹁勝手に、って。許可は取ったぞ ? のかゴンゴール達が一斉に笑い始めた。 ﹁正式ねぇ。それが本物ではないとすれば ﹁⋮⋮ナルホドね。そういう筋書きか﹂ ﹂ ジーンズのポケットから取り出した書状を見せると、何がおかしい を起こすのは面倒以外の何物でもない。 好き勝手やる程馬鹿ではないつもりだ。体裁に拘る神官連中と諍い これは嘘ではない。幾らなんでも聖闘士になって直後にそこまで な物だ﹂ 助祭長のサインだってある正式 俺を指差し見得をきるゴンゴールに、周りのやつらも﹁そうだそう 捕えるためにやって来たのだ ! !! ﹂ ? 聖域での服装のままで。 ﹁⋮⋮おいおい⋮⋮﹂ ナまでもが姿を現した。 どうしたものかと頭を抱えたくなった俺の前に、意外な事にシャイ ていないはずがないだろうに。 するなど最悪死罪となってもおかしくはない大罪だ。それを理解し 聖闘士を、身内を騙しただけではなく、聖域の発行する書状を偽造 かける、ってか。お前ら、自分のやった事が分っているのか ﹁許可証を偽造して勝手に外に出て行った俺を、それを口実に私刑に 以上に連中から嫌われていた事は分っていたが。 つまり、俺は嵌められた訳だ。この間の件で俺は自分で思っている ? 55 ? シャイナよお前もか、と突っ込もうかと思ったが、どうにもそうい う空気ではない。 ﹁ハッ、馬鹿を言うな。そんな書状など知らんなぁ。俺達はただ無断 で聖域を飛び出した貴様を連れ戻しに来ただけよ。力尽くで、だ﹂ そう言って出てきた大柄な男に俺は見覚えがあった。 確か││ジャンゴといった名だったか。 候補生の中でもずば抜けた実力を見せつけており、その小宇宙は既 に正規の聖闘士の域に達している、と聞いた事がある。 それにしても、これ程までの無茶をしでかしてまで恨まれる覚えは 全くなかったのだが。日々を地味に過ごし、人付き合いも最低限に留 めていたというのに。 訝しむ俺の視線に気が付いたのか、一人の候補生が激昂しながら唾 を飛ばす。 ﹁テメエ、人気のない所で散々俺らをボコった事を忘れてやがるのか ﹂ 仕掛けて来たのはそっちからだろうに失礼な事を。人前でやらな かっただけ優しいと思え、と言いたい。 ﹂ 他人に泣いて土下座する姿を見られんで済んだだろうが。 ﹁⋮⋮シャイナ、お前も同意見か ワケないだろう こいつ等に事の顛末を見届ける様に頼まれただ ﹁さてね。その書状が本物か偽物か、嘘か真実かなんてあたしが知る ? ﹂ ! ブチッ、と聖衣箱を担ぐ為のベルトが断ち切られた。 ツーだ。成る程、確かに速い。 ジャンゴはそう言い終えるや否や、俺目掛けて拳を放つ。右のワン ﹁余所見をするとは余裕だなぁっ つらにとっては何だってよかったのだ。切欠が欲しかったのだろう。 こうなるともう書状の真偽は問題ではなくなってしまった。あい どうやらシャイナには連中を止める気はないらしい。 ﹁このサディストめ。⋮⋮後で覚えとけよ﹂ 俺の問いにシャイナは肩を竦めてそう答える。 けさ。まあ、お前の言葉が嘘であった方が面白いんだけどね﹂ ? 56 ! 気 付 い た か 今 は 手 加 減 を し て や っ た。 ドスン、と音を響かせて聖衣箱が足下に落ちる。 ﹁フ フ フ ッ、見 え た か ﹂ ﹂ ﹂ たかが青銅に選ばれた程度の日本人如きが、この ? ジャンゴ、ジャンゴ、ジャンゴ ては黄金の域に達し、聖域を、いやこの地上を手にしてくれるわ ﹁フフフフッ、うわはははははははっ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹂ !! 域は もう、何と言えば良いのやら。若手がこれで本当に大丈夫なのか聖 !! ﹂ ﹁俺の小宇宙は青銅を超え白銀の位まで高める事が出来るのだ。やが ける。 周りからの賞賛の声に気を良くしたのかジャンゴは胸を張って続 盛り上がるゴンゴールと雑兵達。 ﹁さすがはジャンゴさんだ ﹁ス、スゲエ。俺には全く見えなかった 悪いがハッキリと見えていた。 ジャンゴに適うなどとは思わん事だ 理解できたろう ? 取り巻きの連中の喝采が一層ジャンゴを高揚させていた。 ! お前だけは、と期待を込めて。 ﹁⋮⋮好きにしな﹂ 俺の視線に気付いたシャイナは、こめかみを抑えながら投げやりに 言った。 この場にまともな感性の人間がいた事を神に感謝したくなった。 ││どの神に感謝すればいいのか分らなかったので止めた。 取り敢えず、馬鹿騒ぎを始めた有象無象は無視して俺はゴンゴール に話し掛ける事にする。 一週間前の試合で直接俺とやり合ったお前なら理解しているだろ ﹂ ? うと。 ﹂ ﹁お前、この間負けたのに⋮⋮またやるのか ﹁アレはオレの本気ではなかった ! 57 ! ! ! ? 思わず瞼に込み上げて来る熱いモノを抑え、俺はシャイナを見た。 ? ﹁⋮⋮﹂ 泳げない奴がいたら手を上げろ﹂ その答えに、俺はもう何もかもどうでも良くなった。 ﹁お前らさ、泳げるか イキナリ何を││﹂ ﹂ ﹂ 冥府へ向 ? かった。 ﹂ 海 斗 の 拳 が 光 っ た。そ う と し か ジ ャ ン ゴ に は 感 じ る 事 が 出 来 な 第4話 最終宣告〟﹂ エンドセンテンス かいしヘルメスの足となりお前達に終焉を告げる││受けろ〝 ﹁寝覚めが悪くなる⋮⋮かもしれないからな。死ぬなよ ただ、今の自分にどの程度の事が出来るのかを試すだけだ。 違いはないが、まだ笑って済ませられる馬鹿共だ。 無論、本気で放つつもりはない。有象無象共は確かに馬鹿者共には り返し││限界を迎えたそれは今にも爆発しようとしている。 となり、その内側では高められた小宇宙が集中し、集束し、圧縮を繰 奇跡の描く歪な台形はやつらへ向けた俺の手の前で完全な四角形 の軌跡。 エクレウスを構成する四つの星をなぞる様にして描かれる小宇宙 右腕をゆっくりと振り上げる。 誰一人として口を開こうとはしていない。静かなのは良い事だ。 何やら有象無象共が直立不動で固まっている。 ﹁ようし、誰も手を上げていないな。ならば遠慮はせん 冷静だ。至って俺は冷静だ。 シャイナが慌てているがどうしたというのか。 ﹁ちょ、ちょっと待ちな。落ち着きなって海斗 ﹁⋮⋮泳げるのかどうかと聞いている﹂ ﹁ハァ ? ﹁い、一体な、何が起こった ? 58 ! !? ? まぶしさに思わず目を閉じてしまったジャンゴであったが、身体に は何のダメージもない。 ﹂ 警戒しつつ目を開けば、腕を組みこちらを見ている海斗と、その横 小癪な⋮⋮真似⋮⋮を で立ち尽くしているシャイナの姿があった。 ﹁チッ、目くらましか ? は││ いた。 いや、多分神官連中の誰かも手伝って そのジャンゴの眉間に、ピタリと海斗の人差し指が付き付けられて た。 海斗へと振り返る。それは理解が追い付かないモノへの恐怖であっ 呂律の回らぬまま、全身を襲う震えを必死に抑え込み、ジャンゴは ﹁あ⋮⋮ば、ばば⋮⋮﹂ てこれが現実であると雄弁に物語っていた。 ジャンゴであったが、海岸や砂浜に残された足跡が確かな痕跡となっ ここに来るまでに夢でも見ていたのかと、現実を疑いそうになった らここに来たのが自分一人であったかのように。 言葉を失っていた。そこには誰もいなかったのだ。まるで最初か ﹁な、なんだと⋮⋮ ﹂ ぞくりと、背中を流れる冷たい汗にゆっくりと振り返ったジャンゴ 自分の後ろに控えていたはすの者たちの気配が。 気配がない。 余りにも静か過ぎる事に。 そこで、ジャンゴは何かがおかしい事に気が付いた。自分の周りが ? 聖域に保管された聖衣はギリシア人にこそふさわ ﹁どうやらお前が主犯かな いるんだろう ? 突き付けられたその指を掴もうと手を伸ばしたジャンゴであった が││ ﹁まあ、その事は聖域でゆっくりと話してもらうさ﹂ その直後、脳裏に巨大な波に呑み込まれる自分の姿を幻視する。 波は迫り来る無数の海龍の頭となり、大きく広げられた口腔から覗 59 !! しい、って考えが透けて見える奴が多かったからな﹂ ? ﹂ く巨大な牙がジャンゴの全身を貫きその全てを咀嚼した。 ﹁ぃぎゃあっ ﹁か、海斗、アンタ一体何を いや、それよりも今見せた力は⋮⋮﹂ ずに意識を失いその場に崩れ落ちた。 それがあたかも現実であると誤認させられたジャンゴは耐え切れ が脳裏に浮かぶ惨殺された自身の姿と一致してしまう。 覚であると理解していたのだが、眉間から全身を貫く様に走った激痛 あまりにも現実離れしたそのヴィジョンからジャンゴはそれが幻 !? レ ﹂ パ ス バスも⋮⋮駄目だな。なあシャイナ金持ってない ﹂ ﹁取り敢えず、アテネまでタクシーにでも乗せて⋮⋮いや、金がない。 るが今更だ。 二人ぐらいはこの場に残しておけばよかったか。そう軽く後悔す それにしてもコイツ重いな﹂ ﹁あいつらも鍛えてるんだから、その内泳いで戻って来るだろうよ。 りきた事を不思議に思ったのも懐かしい。 居合拳から学びコツを得てモノにしたのだが、思った以上にしっく とする分野であったのが幸いだった。 取っていたが、〝溜め〟と〝放出〟というのは師アルデバランが得意 とはいえ、四年前の当時は小宇宙の更なる圧縮という工程に手間 宙を相手へと解き放つこういった闘法が向いていた。 を高め拳と拳をぶつけ合う聖闘士の王道的な闘法よりも、高めた小宇 前のオレのダイダルウェイブもそうだったが、どうやら俺は小宇宙 る技。 壊のエネルギーとして変換し、その波動を対象目掛けて一気に放出す エンドセンテンス││四角形の中で極限にまで高めた小宇宙を破 るか ては精神感応に現実の痛みを組み合わせた⋮⋮幻通拳とでも名付け テ ﹁何って、ちょいと軽く海へと吹っ飛ばしただけだ。ジャンゴに関し ? 確かに馬鹿げた小宇宙を感じた。あの時も、今も。それに今の技だ。 ﹁質問に答えなよ。こっちは真面目に聞いてるんだ。一瞬だったけど ? 60 ? 試合の時にも思ったけどね、確信を持った﹂ 一言一言を噛み締める様に、シャイナは静かに俺へと詰め寄って来 る。 ﹁アンタは聖域で過ごしたこの四年間ずっと手を抜いていたワケだ﹂ 確かに手を抜いていたと言われれば否定は出来ない。自分の力を 高める事には本気だったが、少なくとも聖闘士となる事に全力で取り 組んではいなかった。 それに、理由など話せるはずもなく、言ったところで到底納得出来 るモノでもないだろう。 ﹂ ﹂ ﹁⋮⋮ふざけんじゃないよ。アタシらはね、聖闘士となるために命懸 けでやってきたんだ ﹂ ﹁落ち着けって、そんなに興奮して叫んでいたらマスクが外れるぞ ﹁そんな事はどうでもいい どうでもいいって、お前自分が何を言っているのか分っているのか ! ? ! そう軽口を叩こうとした俺だったが、ジャケットの襟元を掴みその それを何だア まま首を締め上げようとするシャイナの尋常ではない様子に、何も言 うことが出来なかった。 ﹂ ﹁再起不能になった奴もいれば死んだ奴だっている ンタはッ !! ろう ﹂ なっている姿はさぞ滑稽だったんだろうね 陰で笑っていたんだ ﹁そ れ だ け の 力 が あ っ た ん な ら、ア ン タ に と っ て ア タ シ ら が 必 死 に ギリギリと締め付けられる力が強くなる。 !? ? 同 情 か い ﹂ 憐 れ み か い そ れ と ? 手が俺の横っ面を叩いた音だ。 ﹁⋮⋮ な ん で 避 け な い の さ ? も、余裕過ぎて避けるまでもないって ? ? 掴まれていたジャケットの襟元が破れ、行き場を失ったシャイナの ⋮⋮馬鹿にするのもいい加減にしな﹂ ﹁アンタは凄いよ、天才って言葉が相応しいのかもしれない。でもね パシンと、乾いた音が鳴った。 ? 61 ? ﹁⋮⋮﹂ ﹁何とか言ったらどうだい ﹂ 俺を見上げるシャイナのマスク、その隙間から流れる涙が見えた。 言えるはずがない。何を言ったところで言い訳にしかならない。 俺がここで謝罪の言葉を述べたところで、それは侮辱にしかならな い。そんな気がする。 そのまま、互いに無言で向かい合う。目を逸らしはしない。それを してはいけない事ぐらいは分る。 そうして、しばらく経った頃。ハァと大きく息を吐いたシャイナが 拳を握り││トンと俺の胸にその拳をあてた。 ﹁⋮⋮悪かったね。あんまりだったからさ、ちょっと驚いちまってね。 黄金の弟子なんだから才能や力があってもおかしくはない﹂ 才能のない人間のやっかみだとでも思ってくれて構わない。そう 言ってシャイナは倒れているジャンゴの下へ歩み寄りその身体を担 ぎ上げる。 ﹁心配しなくても聖域にはちゃんと事実を報告してやるさ。ただ、野 心を持つのは勝手だがジャンゴの言った言葉は聞き逃せるもんじゃ ない。コイツには何らかのペナルティが与えられるだろうね﹂ ﹁⋮⋮ああ、そうだな。頼む﹂ 俺とシャイナはそれ程親しいわけでもなかったが、さすがにさっき までの空気を引き摺り続けるのはキツかった。 身に纏う雰囲気が俺の知る普段のシャイナに戻った事で、気持ちが 少し軽くなった気がした。 ﹁アンタもさっさと聖域に帰りな。これで知っただろうけどね、アン タも星矢も﹃上﹄の連中から目を付けられているんだ。今日みたいに 連中の国粋主義も大概だな﹂ 難癖を付けられるのが嫌なら、もうしばらくは迂闊な行動は控える事 だね﹂ ﹁俺だけではなくて星矢も名指しか あくまでぼやきであって、特に誰かに返答を期待したものではな 聖闘士はギリシア発祥とは言え、閉鎖的にも程がある。 ? 62 ? かったのだが、シャイナには聞こえていたのだろう。 ﹁確かに聖域の連中には快く思われていないけど、意外と聖闘士の中 にはギリシア人以外も多いさ。まあ、ほとんどは聖域の外で聖闘士に なった奴らだけどね﹂ つまりは肯定ってわけか。東洋人以外で、俺と星矢に共通する点と いえば城戸光政かグラード財団ぐらいしか思い付かない。 こうなると、ますます城戸の爺さんが聖域の反感を買う様な、余計 な事をしていたんじゃないかとの仮定が信憑性を帯びる。 ﹁ご忠告感謝するよ。それにしても、今日は随分と優しいな﹂ ﹁フン、殴った分はこれでチャラにしといてやるから││他言は無用 だよ﹂ みっともない所を見せちまったからね。そう言い残し、ジャンゴを 担いだシャイナはこちらを振り向く事無く去って行った。 ﹁意 外 と い い 女 か も ね ア イ ツ は。あ れ で も う 少 し キ ツ さ が な け れ ば ⋮⋮想像出来んな﹂ 人気のなくなった砂浜に腰を下ろし、星座の輝く夜空を眺め打ち寄 せる波の音を聞きながら、俺はシャイナに言われた事を思い出してい た。 ﹁馬鹿にするな、か。全く、痛い所を突く﹂ あえて考えない様にしていた事だけに、それを指摘されて心情的に かなりクルものがあった。 ﹁俺は⋮⋮どうしたいんだろうな﹂ ずるずると先延ばしにしていた結論。 地上粛清を完全に否定する気はないが、海闘士として生きるには俺 にはオレ程の熱意もない。 現世では海闘士の活動自体が時期尚早であるという、オレと俺の知 識から得た確信もある。 海皇の完全なる覚醒にはあと二百年程は必要であり、不完全な覚醒 状態の海皇の下ではその加護をどれ程得られるのかが分らない。 63 神の意志に完全に覚醒してこそ、その魂を宿した人間は現世におい て神の力を正しく行使できるのだ。 姿を見た事はないが、アルデバランからアテナは既に聖域に光臨し ていると聞いている。ただ、今はまだ幼い少女であり、女神アテナと して正しく覚醒を果たすまではアテナ神殿で教皇に守られながら学 び日々を過ごしている、とも。 いつ覚醒してもおかしくはないアテナとその加護を得られる聖闘 士。不完全な海皇でも神話の時代よりアテナと戦ってきた神だ。負 けるとは思わないが、正しき加護を得られぬ海闘士が勝てると思えな い。 追い詰められた海闘士がどんな無茶をしでかすかもわからない以 上、聖闘士との不必要な開戦は避けるべきだ。 ﹁降りかかる火の粉は払うべきだが、徒に火を付けて回るのは違う﹂ こう考えてしまう時点で、俺はかなり聖闘士寄りになってしまって いる。 だが、シャイナにも言われた通り、俺が聖闘士を目指したのは力を 得る為の打算であり成り行きに過ぎない。 海闘士となってやがて聖闘士になるであろう星矢たち孤児仲間に 拳を向けるつもりもない。 アルデバランには育てて貰った恩義はあったが、だからと言って真 実を打ち明けるつもりもなければ、海皇にも女神アテナに対する忠誠 もない。 どちらにもなるべき理由が、目指すべきモノが俺にはない。 これまでも考えなかった事はないが、思考はいつもぐるぐると同じ ところを回る。 些細な変化もなくただ回り続けるだけであるならば、それはある意 味で停止しているのと変わらないのではないかと考える。 ﹁結局、中途半端とは分っていても今のままが良いのだろうな﹂ ある種ぬるま湯のような。現状維持、行き着くのはそこだ。 ﹁なら、せめて現状維持への最高の一手は無理でも最善の一手は打た せてもらおうか﹂ 64 聖衣の箱に手を伸ばす。 箱の正面に描かれたレリーフ││馬の口に咥えられた握りを捻り、 一気に引き抜いた。 ジャッという音を立てて鎖が引き出され、ドンという空気を震わせ る衝撃を伴って聖衣箱が開かれる。 立ち昇るのは、夜空へと向かい飛翔するエクレウスのオーラ。長き 眠りより解き放たれたかの様に、高く、高く舞い上がる。 残されたのは、槍を咥えた天馬を模した白いオブジェ││エクレウ スの青銅聖衣。 ウエスト チェスト アーム ショルダー サークレット オブジェ形態から、弾かれるように四散した聖衣が俺の身体へと装 レッグ 着される。 膝、 腰、 胸、 腕、 肩 そして 額 へと。 海将軍の鱗衣や黄金聖衣に比べて必要最低限の部位の保護しかな い鎧であったが、それでも内なる小宇宙の高まりに応じる様にエクレ ウスの聖衣が俺の力を増しているのを感じる。 ﹁聖衣は⋮⋮コイツは俺を聖闘士として認めた、か﹂ 嬉しくもあり悩ましくもあり。思わず苦笑してしまった。 これでは、ますますどちらの道を選ぶべきかの判断に迷う。いっそ 拒絶されていれば悩む事もなかっただろうに、と。 ﹁どちらにせよ、やるべき事は一つだけだ﹂ ゆっくりと視線を動かす。 スニオン岬の崖下には一般人が気付かぬ様に張られた結界があっ た。そこに隠されているのは懲罰房だ。聖域が捕えた敵や、過ちを犯 した聖闘士を懲らしめるために使ったとされる岩牢だ。 波が岩肌にぶつかり、飛沫を散らして海へと帰り、再び波と化して 岩肌へ。大きな波がぶち当たれば、大きな飛沫を撒き散らす。 舞い落ち散る飛沫の中に影があった。人の影だ。 ゆっくりとこちらに歩み寄る人影は、夜空に輝く星々の煌めきに照 らされて闇の中からその姿を晒し出す。 それは黄金の輝き││シードラゴンの鱗衣を纏った男だった。 その身から立ち昇る小宇宙は間違いなく前世のオレを殺した男と 65 同一。あるいは、この世界とあの世界の過去は違うという期待もあっ たのだが。 十中八九、この世界でもこの男が海皇復活に関わっているのは間違 いないだろう。 ﹁ほう、奇妙な小宇宙に興味を持ってやって来たが、まさか聖闘士とは な﹂ ﹂ ﹁そういうお前も、鱗衣で上手く誤魔化している様だが││俺には分 る。海闘士とはやはり少し違う。思った通り││聖闘士か ﹁⋮⋮貴様、何者だ ﹂ 大当たりが来てくれた。 ハズレを引くは忠告を受けるはと色々あった一日だったが、最後に ? ﹁ハハハハハッ いや、あの時とはまるで逆だと思ってな。気にす ﹁何がおかしい﹂ その男の問い掛けに、俺は笑いを抑えきれなかった。 ? るなよ、﹃お前﹄には分らない事だ﹂ 拳を握り、真っ直ぐに相手を見据える。 あの時と同じ。 見て分らないのか お前が言ったじゃないか﹂ いや、あの時と今の俺とでは決定的に違う。 ﹁俺が誰かって この男から始めなければならない。 シードラゴン こ の 世 界 で 何 を 成 す に し て も、シ ー ド ラ ゴ ン で 終 わ っ た 俺 は、 ﹁聖闘士さ、お前を倒す為の聖闘士││エクレウスの海斗だ﹂ ? 66 ! ? 第5話 宿敵との再会 その名はカノン の巻 ! ﹂ ﹂ ブロンズセイント 俺自身に油断があったとはいえ、手を抜かれた一撃でこれだ。 光の拳と光の鎧を持ち、光の速度で活動する究極の聖闘士。 光り輝く黄金聖衣を纏う彼らの早さは││光速。 のそれは比較するのもおこがましい。まさしく超越している。 青銅と白銀、この両者の時点で既に埋め難い差があるのだが、黄金 その上位である白銀聖闘士は、マッハ2∼5の速度を持つ。 シルバーセイント 百発近い拳を繰り出す事を可能とする。 聖闘士の基本として、青銅聖闘士はマッハ1の速度で動き、秒間に を容易く超えている。 俺の中にあったイメージよりも速い。その拳速は、青銅や白銀の域 見せて、だ。 奴の繰り出した左拳の一撃だ。それも、当てる瞬間にわざと止めて て、俺は吹き飛ばされていた。 全身に、まるで正面から巨大な壁にぶち当たった様な衝撃を受け ﹁がッ その瞬間、奴の姿が輝き俺の視界から消え││ ろか ﹁聖衣を得た事で思い上がり、ハネッ返って見せた。そういったとこ なる。 しかし、敵を侮っていたのは俺も同じだったと即座に思い知る事と 一分の隙も見逃さない、先制の一撃を入れてやるさ。 俺にとっては好都合だ。侮ってくれているのならそのままで良い。 戒は見せているが、敵としては明らかに見下しているのが分る。 初対面の俺が奴の事を知っているそぶりを見せた事に対しての警 そう呟き、奴が一歩を踏み出した。 ヨッコが││﹂ ﹁エ ク レ ウ ス の 聖 闘 士 │ │ 海 斗 か。若 い な、聖 闘 士 に な り た て の ヒ ! おそらく、奴が本気で拳を繰り出せばマッハを超えた光速の拳に達 するのは間違いない。 67 ? !? ならば、それを振るえる奴の力は、まさしく黄金聖闘士に匹敵する。 ﹂ 海皇の海将軍としても、だ。 ﹁ぐっ 砂浜に叩き付けられる前に身体を捻り体勢を立て直す。 許容量を超えた一撃で聖衣が軋みを上げている。聖闘士の力量は 必ずしも纏う聖衣とイコールではないが、青銅聖衣、白銀聖衣、黄金 聖衣ではその材質からが異なる以上聖衣の耐久力には明らかな格差 が存在している。 青銅聖衣でありながら先の一撃で砕けずにいるこのエクレウスの 聖衣の頑丈さにまだ持てよと、俺は着地と同時に奴目掛けて左右の連 打を繰り出した。 ﹁だが、フッ⋮⋮しかし青銅如きに本気になろうとしたオレも大人気 なかった﹂ それを奴はまるで意に介した様子もなく、僅かな動きだけで繰り出 す拳を避ける。 ﹁成る程、青銅とは思えぬ程に││速い。ならば⋮⋮そうだな、この左 拳一つで相手をしてやろう。少しは戦いらしくなるかも知れん﹂ その言葉通り、奴は避けるのを止め、左手一つで俺の繰り出す連打 を全て捌き始めた。いいさ、そのまま調子に乗っていろ。 ﹁速いだけではなく威力もある。これならば思い上がるのも無理はな い。オレの知る限り白銀クラスの中でもこれ程の使い手は││ムッ ﹂ 俺の右拳が奴の左手に受け止められ││ ﹁今世の海闘士は随分と詳しいんだな、聖闘士の事を﹂ 奴の右拳を俺の左手が受け止めていた。 ﹁ど う し た 左 拳 だ け で 相 手 を し て く れ る ん じ ゃ あ な か っ た の か ﹂ ﹁オレの事を、いや海闘士の事を知っている⋮⋮小僧、お前は││何者 そのまま俺と奴は視線を逸らす事なく睨みあう。 ﹁⋮⋮ぬかせ小僧が﹂ ? 68 ! バシンと、音が響いた。 !? ? だ ﹂ まさか、小僧││お前は ﹂ ﹁海闘士の敵が聖闘士ならば、聖闘士の敵は││海闘士だろう ﹁⋮⋮ 俺の言葉に奴はその意味を悟ったのだろう。 !! ﹂ これ程までの攻撃的な小宇宙を秘め 奴に僅かな動揺が見えた瞬間、俺は己の内で抑えつけて、高め続け ﹂ 何だこの小宇宙は ていた小宇宙を解き放つ。 ﹁なッ マスク ていただとッ !? 理解していても感情は別。 ! わ ﹂ その前にその首を叩き落としてくれる 何をするつもりかは分らんが、このまま大人しくやら れてやるとでも思ったか ﹁ええぃッ 俺がその右手を掴んでいる為に逃げる事もかなわない。 小宇宙は激流となって立ち昇り、奴はこの渦から逃れようとしたが げて風の渦を生み出した。 俺を中心に螺旋を描いて吹き上がる小宇宙。それは砂塵を巻き上 て己の小宇宙を極限にまで高め燃焼させる。 この期に及んで隠し続ける必要はない。俺は、この生において初め 区切りだ。 奴には俺が何を言っているのか分らないだろうが、これは俺自身の ﹁オレの仇を取らせて貰うッ ﹂ 前世のオレを殺した男と、この目の前の男が異なる存在だと頭では 鱗衣の兜 越しでも奴の驚愕が分る。 !! !? 顔を打ち貫こうと放たれる。 !? だが、その一撃は届かない。 ﹁これは、拳が⋮⋮弾かれるッ この威力││﹂ か、身体が捻じれっ、こ、これでは この場から逃れるのは無理と判断したのだろう。奴の左拳が俺の ! ! 俺の小宇宙の高まりに応じて破壊の螺旋に巻き込まれた奴の身体 を引き裂かんと勢いは激しさを増す。 69 !? ? ? !! 小宇宙の激流が生み出す巨大な竜巻。贄を天へと捧げる聖なる柱。 !? この程││ぐ、ぐわぁああっ ﹁シードラゴンを名乗るつもりなら知っておけ。これが││﹂ こ、この、これしきでッ 海将軍シードラゴン必殺の拳。 ﹁ぐっ ﹂ !? を。 ﹁〝ホーリーピラー〟だ ﹂ 全てを消し飛ばす。奴も、俺の中にわだかまり燻り続ける何もかも 破壊の力場に捉えられた奴の顔が苦痛に歪む。 !! ﹁⋮⋮奴は ﹂ 出した事もあり、一切の加減が利かなかったのだろう。 急激な小宇宙の消耗によって気を失っていた様だ。始めて全力を 気が付いた。 足下を濡らす水の流れを感じて、俺は自分の意識が飛んでいた事に 打ち寄せる波の音が聞こえた。 第5話 そして、俺は小宇宙を爆発させた。 !! ﹂ ? る様では師に未熟と笑われる。 誰が ﹁師⋮⋮ああ、そうだいつも困ったような顔で笑⋮⋮う 笑う ? ﹁駄目だな、意識がまだハッキリしていないのか 全力を出す度に 俺は自分の全力をアルデバランに見せた事はないはずだ。 ? ﹂ 想像以上に高まりを見せたからといって、己の小宇宙に振り回され ﹁まだまだ制御が甘い、か﹂ とはいえ、技を放った俺がその反動で気を失う様では。 なんでもあれの直撃を受けて無事に済んだとは思えない。 一切の手加減なし。全身全霊、全力を込めて放った一撃だ。いくら ﹁倒した⋮⋮倒せたのか 周囲を見渡すが、そられしき姿も気配もない。 ? ? 70 !? ? これでは⋮⋮。まあ、今はその事は置いておくか。しかし││﹂ さすがに、ホーリーピラーを放った事は聖域に気付かれたかもしれ ない。 掟により、聖闘士は聖衣を纏っての私闘は禁じられている。 奴との戦いは、確かに私情が十割の私闘ではあったが、聖闘士と海 闘士の戦いでもあった。 これは屁理屈ではあるが事実だ。 問い質されても困る事はないが、面倒な事に違いはない。できれば 気付かれてはいないと思いたいが。 ﹁それにしても、よく持ってくれたなコイツは﹂ そう呟いて聖衣に触れる。聖衣はただ身を守る為のプロテクター ではない。持ち主の精神と力に呼応して、その小宇宙を高める力があ る。 青銅から白銀、そして黄金と、位が上がる毎にその効果は顕著であ ると話にも聞いている。 海将軍でもあった俺の全力を受け止めきれるか不安もあったのだ が、聖衣は見事に応えてくれた。 ﹁とりあえずは⋮⋮戻るか。あまり遅くなるとシャイナ辺りが戻って きそうだしな。旅行者が来ないとも限らないし、誰かが来る前にさっ さと││﹂ 離れるか、と。 この場から立ち去ろうとした俺は、突如感じた巨大な小宇宙にその 歩みを止めた。 ﹁謝罪しよう。お前をたかが青銅、たかが聖闘士と侮った事を﹂ 俺の中でまさか、という思いと、やはり、との相反する思いがあっ た。 聞こえた声に振り返れば、そこにはゆっくりとこちらに歩み寄る人 影。シードラゴンの鱗衣を纏ったあの男だった。 一目見てダメージが有る事が分る。纏った鱗衣には亀裂が奔り、そ 71 の身体からは血を流し、確かに傷を負っていた。だが、感じる小宇宙 に衰えはない。 どれだけ傷を負おうとも、小宇宙の炎が衰えぬ限り戦える、戦うの が聖闘士であり海闘士だ。 つまりは││奴はまだ戦える、という事。 ﹁ここは聖域に近い。今はまだ我ら海闘士の動きを聖闘士に気付かれ ては困る。お前にも聞きたい事があったからな。そう思い、やり過ぎ ぬ様に手を抜いたが﹂ 奴の拳が放たれる。 俺も一撃を放つ。 撃ち合わされた互いの一撃が││弾けた。 ﹁どうやら││そうも言ってはおられん様になったな﹂ ﹁⋮⋮ホーリーピラーは直撃だった。だというのに随分と元気そうだ な﹂ ﹂ 受け止められていた。 俺の脳裏に﹃あの時﹄の光景が浮かぶ。この流れは││拙い。 ﹁海斗と言ったな。認めよう、先程のお前の力は黄金に匹敵した。ま さしくシードラゴン足るに相応しい。その力に敬意を表し、オレの名 72 ﹁フッ、無事ではないぞ。恐るべき威力だった。見ろ、黄金聖衣に匹敵 すると言われる海将軍の鱗衣がこれ程までに破損をしている。お前 の相手がオレでなければ、他の海将軍であれば倒れていただろう﹂ 奴の小宇宙が急速に高まるのを感じる。 ﹂ このまま黙って見ているのは拙いと、俺は直感に従い拳を放つ。 ﹁〝エンドセンテンス〟 ﹁何 しかし、その一撃が奴を捉える事はなかった。 髄││セブンセンシズに目覚めたか。確かにお前はシードラゴンだ﹂ ﹁青銅の身で、いや海闘士でありながら第六感の先にある小宇宙の真 目掛けて集束する。 拳が描くエクレウスの軌跡。四角形より放たれた無数の光弾が奴 ! 奴が突き出した両手の前に、エンドセンテンスの破壊の波動が全て !? を教えてやろう。カノンだ、今からお前を殺す男の名よ﹂ カノン。それがこの男の名。 ﹁お前の纏う聖衣が青銅ではなく黄金であれば、この鱗衣であれば、こ の勝負どうなっていたかは分らん。だからこそ、お前という存在はオ レの野望にとって大きな災いとなるだろう﹂ 奴││カノンの小宇宙にエンドセンテンスの力が呑み込まれ、その 突き出された両手に尋常ではない程の小宇宙が集束して行くのを感 じた。空間が歪んで見える程に凝縮された小宇宙が見える。 ﹂ ﹁聖域に気付かれるリスクなど最早構うまい。お前は今、このカノン の全力を持って、この場で倒さねばならん敵よ それを宿した両腕を、カノンがゆっくりと掲げる。その身から放た れた小宇宙が周囲を侵食し、気が付けば俺は奴が生み出した銀河の中 に立っていた。 そ し て 俺 は カ ノ ン の 小 宇 宙 に こ ち ら へ と 迫 り 来 る 広 大 な 銀 河 の 星々を見た。 同時に悟る。これに対抗するにはあれしかない、と。この技によっ て一度命を落としたからこそ確信を持てる。 違 う。俺 が 命 を 落 と し た の は カ ノ ン が 放 っ た 次 空 間 を 操 る 技 に よってだ。この技では││ない。 それを認識した事で、身体は俺の意志に従い構えを解く。ここで頼 るべきは〝俺の知る〟最速の拳のはずだ、と言い聞かせて。 ﹁くっ、エンド││﹂ しかし、俺がエンドセンテンスを繰り出すよりもカノンの方が早 い。 73 !! 身体が動く。俺の意識してのものではなく。それは鏡に映したか の様にカノンの構えと同じもの。 命を落とした 俺が ? そうだ、俺と師は互いにこれを││ ? 河 爆 砕 ﹂ ﹁受 け よ、 銀 河 の 星 々 す ら 砕 く こ の 一 撃 を 銀 〝ギャラクシアンエクスプロージョン〟 打ち合わされるカノンの両手。 !! 瞬だけだったのかもしれない。 が、あああああぁ⋮⋮ を見逃さなかった。 ンであったが、その時ピクリと、僅かながらも海斗の身体が動いた事 自身に言い聞かせるように。立ち上がりながらそう漏らしたカノ も、全てがだ﹂ ﹁⋮⋮恐るべき敵であったが、オレの方が上だった。力も、技も、経験 それ程の力を秘めた正しく必殺の技であったのだ。 体は消し飛んでいてもおかしくはなかった。 間違いはなかったが、仮に万全の状態で放たれていたならば海斗の身 カノンがギャラクシアンエクスプロージョンを全力で放った事に なダメージを与えていた。 海斗の放ったホーリーピラーはカノンの肉体に多大な負荷と大き 葉に嘘はなかった。 オレでなければ倒されていた、海斗に向けてそう言ったカノンの言 ﹁聖衣も肉体も残ったか。しかし││﹂ 前で、カノンは砂浜に膝をつき荒い呼吸を繰り返していた。 纏った聖衣は半壊し、血を流し倒れ伏した海斗に意識はない。その 薄れ行く意識の中、すまないと、俺は聖衣に詫びた。 閃光の中で亀裂と共に砕け散るエクレウスの聖衣が見える。 ﹁ぐ、くぅう ﹂ 大爆発の圧倒的な奔流の前に俺が耐える事が出来たのはほんの一 ビッグバン た。 さに銀河の星々すら砕く破壊の奔流と化し俺を目掛けて襲い掛かっ 限界まで凝縮された小宇宙がぶつかり合い爆発を起こし、それはま !! !! ﹁まだ息があるのか。いいだろう、せめてもの情だ。この場で一思い に止めを刺してやる﹂ 74 !? 右手を手刀の形としゆっくりと振り上げる。 狙いは海斗の首。 ﹁お前という存在に興味がわいたのは否定せんがな。⋮⋮さらばだ﹂ ﹂ 振り下ろされる手刀。それが今まさに海斗の首に触れようか、とい うその時だった。 ﹁貴方は一体何をしているのですか 波の音だけが響き渡る中で、その声は確かな力を持ってカノンの動 きを止めていた。静かでありながらも凛とした声であった。 カノンが振り下ろした手刀は、海斗の首の薄皮一枚を切り裂いたと セイレーン ジェネラル ころで止まっていた。 ﹁⋮⋮海魔女、海将軍セイレーンのソレントか﹂ 手刀を解き立ち上がる。 カノンが睨み付ける様に見据えた先には七人の海将軍の一人、セイ レーンを司る海闘士ソレントがその身に鱗衣を纏って立っており、カ ノンへと鋭い視線を向けていた。 ﹂ ﹁地上に出るのは構わん。しかし、どうしてお前が鱗衣を纏いここに いる と我々に力を振るう事を禁じた貴方が鱗衣を纏い地上へ出た﹂ それに、と続けてソレントは視線を聖域へと向ける。 ﹁この地はあまりにも聖域に近過ぎる。貴方のその姿からここで何が あったのかは想像出来ます。だが、だとするならば我々の存在を聖闘 セイレーン 士に気付かれた恐れもある﹂ 海魔女のソレント。彼は海闘士として覚醒するまでは世界でも有 名な音楽生であり、彼が奏でるフルートの美しく澄んだ音色は聞く者 の心を癒す奇跡の音色と賞賛されていた。 彼はおよそ戦いには向かない穏やかな心の持主であったが、海闘士 としての使命に対する姿勢は誰もが認める程に強い。 そんな彼の問い質す様な視線、言葉の端々に含まれる怒気を感じ、 厄介な奴に気付かれたとカノンは内心で舌打ちをしていた。 ﹁⋮⋮この男は海闘士として目覚めながらアテナの聖闘士となった、 75 ? ﹁それはこちらのセリフですよ。シードラゴン、まだ動く時ではない ? ﹂ 海闘士として目覚めた者がアテナの聖闘士に ﹂ 言わば我らの裏切り者よ。ならば始末を付けるのは当然の事ではな いか ﹁馬鹿な ソレントの抱いた驚愕、それはカノンも同じである。 ﹁待てシードラゴン ﹂ この十一年間を無駄にする事など出来るはずがない。 己の野望││大地と大海、この二つの世界を手中にすべく費やした 十一年をかけた。 にはいかなかったのだから。 いない現状で、海皇すら知らぬこの事実を誰一人として知られるわけ カノンの抱く野望の第一段階である海闘士の掌握が未だ完了して 態であった海皇に偽りを語って手に入れたシードラゴンの座。 自分が偽りのシードラゴンである事を。眠りから目覚め半覚醒状 らだ。 に海斗の事を知られる事だけは絶対に避けねばならないとの思いか 聖域に気付かれては拙いのは確かであったが、それよりもソレント 止めを刺さねばならない。 再び手刀を振り上げて海斗の首筋へと狙いを定める。一刻も早く 海斗へと視線を向けた。 だから、これは正当な制裁なのだとソレントに告げ、カノンは再び その逆もまたあり得ぬ話ではあるまい﹂ ﹁⋮⋮ 事 実 だ。そ れ に 聖 闘 士 か ら 海 闘 士 に な っ た 者 も い る。な ら ば、 のそれは相手が本来のシードラゴンであった事だが。 もっとも、裏切り者の存在に驚いているソレントとは違い、カノン !? ﹂ ! しかし、ソレントハそれに動じることなく語る。 かもしれない。 声を荒げて非難を向ける。怒気に紛れて殺気すらも漂わせていた ﹁何故止めるセイレーン これ以上冷静を保つ事は出来なかった。 振り上げられたカノンの腕を、ソレントが掴む。さすがにカノンも なのに何故、こうも邪魔が入るのか。 ! 76 !? ? ﹁貴方の言葉が真実なら、裏切り者とはいえ彼は海闘士なのだろう ない﹂ ﹁この男は裏切り者だぞ ﹂ る可能性もある。いや、海将軍でなくとも他の鱗衣の適合者かもしれ だ覚醒者が現れていない海 馬かスキュラ、クラーケンの海将軍であ シーホース 貴方にそれ程の手傷を負わせる程の、だ。だとするならば、彼は未 ? いる、と﹂ 軌跡を描く。 ﹁何を言っているシードラゴン 待て、何をする気なんだ ﹂ !! ﹂ ﹁言ったはずだ、暫くこの世から消えて貰うと。命までは取らんのだ、 ! そう言ってカノンは右手を高く上げると、その手で巨大な三角形の ているはずだからな﹂ よう。その時には、この男が残る海将軍であったかどうかの答えが出 ﹁ならば、せめて海皇が目覚めるまでこの世界から消えて貰う事にし カノンの言葉に安心したのか、ソレントは掴んでいた手を離す。 ﹁そうか。ならば彼の説得は私が行おう﹂ ﹁⋮⋮分った。この場でこの男の命を取る事は止めよう﹂ く。 こうして問答を繰り返している間にも、時間は刻一刻と過ぎて行 ばかりは恨めしくあった。 の信頼の強さは〝海将軍としては〟非常に頼もしくあったが、この時 カノンにとって、ソレントの海闘士としての使命感と仲間に対して そうソレントに言ってやりたかった。 この男は自らシードラゴンだと言ったのだ、と。 そんなことはあり得ない、と。 この十一年間、全てが上手く行っていたはずだったのだ。 どうして、どうしてこうなるのだと、カノンは怒りに身を震わせる。 ﹁ぐっ、くく⋮⋮ ﹂ る筈だ。それに貴方が言ったのだぞ、聖闘士から海闘士になった者も ﹁私は海闘士に裏切り者はいないと信じている。きっと何か理由があ ! 黙って見ていろセイレーン !! 77 !! ﹁ううっ、これは ﹂ シードラゴンが描いた三角形の軌跡、その内側の 空間が歪んで見える ﹁││ッ ま、待て ﹂ 待つんだシードラゴン ﹂ ﹂ その海域に侵入した船や飛行機が突如として消えてしま ⋮⋮まさか、それが !? ﹂ !! 斗目掛けて放たれた。 ﹂ ︵消えろ、海斗よ。オレこそがこの世界のシードラゴンなのだ ﹁フ、フフフフフッ、フハハハハハハハハッ ! た。 ﹁今すぐ││その場から離れるんだシードラゴン ﹁なん││﹂ カノンにはそこから先の言葉は継げなかった。 ﹂ だからこそ、ソレントの制止の意味を間違えて捉えてしまってい 間であるはずのソレントも自分の邪魔をする存在でしかなかった。 そう、この時のカノンには海斗を消し去る事しか頭になかった。仲 前にして、カノンは込み上げる笑いを抑え込む事が出来なかった。 最大の危惧であった己の野望を脅かすであろう敵の消滅。それを つもりもカノンにはなかった。 ソレントにはああ言ったが、海斗を呼び戻すつもりも生かしておく !! ︶ 幾重にも重なる三 角 形が、時空の狭間へと導く力が倒れ伏した海 トライアングル ﹁〝ゴールデントライアングル〟 ソレントの制止の声も、今のカノンには通じない。 ! ﹁そのまさかよ。時の狭間に落ちろエクレウス ﹁何 うという魔の三角地帯の伝説を﹂ いるか ﹁セイレーンよ、お前はバミューダトライアングルの伝説をを知って !! !? その余波によってカノンは吹き飛ばされ、事前に気配を察知してい グルの力が、巨大な黄金の小宇宙によって打ち砕かれる。 今にも海斗の身体を呑み込もうとしていたゴールデントライアン 飛ばす目も開けられぬ程の眩い光がカノンの視界を奪い去る。 突如として周囲を埋め尽くしたのは圧倒的な光量。夜の闇を消し !! 78 !! ? !? ! ? シードラゴン ﹂ たソレントは咄嗟にガードした事でどうにかその場に踏み止まる事 が出来ていた。 ﹁くっ、いったい何が ? ていた。 ﹁⋮⋮あれは何だ ﹁あれは黄金聖衣、だ﹂ ﹁シードラゴン、無事だったか りに獰猛な笑みを浮かべていた。 ﹁フッ、クククッ、クハハハハハハッ のまま大人しく引き下がってやる﹂ 良かろう、今日のところはこ それに対してカノンは一歩も引く事なく、むしろ望むところとばか 圧倒され、知らずソレントの足が一歩下がる。 装着者のいないジェミニの黄金聖衣から立ち昇る巨大な小宇宙に と姿を変えた。 聖衣が弾け飛び、あたかも聖闘士が身に纏っているかの様に人の形へ ソレントが呟いたその瞬間、オブジェ形態であったジェミニの黄金 太陽の││﹂ ﹁⋮⋮あれがジェミニの黄金聖衣。しかし、何という輝きだ。まるで ﹁あれは││双子座の黄金聖衣だ﹂ ジェ ミ ニ 衣を睨みつけていた。 カノンは憎悪の炎を宿した瞳で、海斗を護るかの様に現れた黄金聖 き合う事のない双子の姿。 それは右と左、陰と陽、表と裏。同じ身体でありながら、決して向 ントは目の前に現れたそれを観察してみることにした。 しかし四つの腕を持つ異形とは何を象徴するのか、そう思ったソレ 物か﹂ しかし、あれが黄金聖衣と呼ばれる 四つの腕を持った異形とは﹂ ソレントには宙に浮かぶそれが、四つの腕を持った異形の姿に見え を凝らせば、倒れ伏した海斗の前に黄金の輝きを放つ何かが見える。 視界を守る為に両手で顔を覆っていたソレントがその隙間から目 !? と、この場から立ち去るべく歩き出した。 そう言ってその身を翻したカノンは、倒れ伏した海斗を一瞥する !! 79 !? ? ﹁シードラゴン 一体何を⋮⋮﹂ ﹁風向きが変わった。この場は退くぞセイレーン﹂ ︵フン、貴様が交換条件を出すとはな。エクレウスを見逃せば今日こ の場の事は忘れる、か︶ カノンはもう一度だけ双子座の黄金聖衣へと振り返った。 ﹁⋮⋮良いだろう、今回だけは貴様の提案に乗ってやる﹂ ﹁だが、いずれはオレの手でその首を貰い受ける。その教皇の椅子ご サ ガ とな。そして、お前の愚かさとオレの正しさを今度こそ教えてやる さ。首を洗って待っていろ││我が兄よ﹂ 80 ? 第6話 分かたれた魂 の巻 そこは白が全てを覆い尽くす、そんな場所であった。 見上げる空も、見下ろす大地も、その全てが吹き荒ぶ雪によって。 その白の中にあって、異質さを感じさせる白があった。 それは生命の輝きを、艶を失った白││エクレウスの聖衣。それを 身に纏い立ち尽くす人影である。 ビュウと音を立てて一段と強い風が吹き抜ける。 ざあっと空の白が流され、そこに星々が煌めく夜空が姿を現した。 すると、どこからともなく現れた一羽の白鳥が空を舞い、星々の彼方 へと姿を消す。 白鳥が飛び去った後にはただの白だけが残った。 エクレウスの聖衣を纏った人影は動かない。 ﹁こ こ は 現 実 と 虚 構 の 狭 間。魂 と 魂 が 触 れ 合 う こ と の で き る 刹 那 の 場。初めまして、先代のシードラゴン﹂ 若い男の声だった。 白の世界にその声が沁み渡る様に広がり、瞬く間にその世界の姿を 変える。 見渡す限りの本の山であった。蔵書が詰み込まれた棚は幾重にも 積み上げられ、その上限がどこにあるのかも窺い知れぬ程に高い。 ﹁まさか、こうして話をする機会を得られるとは思いもしなかった﹂ そして現れる新たな人影。 それは、紫がかった銀色の髪と大海の青を瞳に宿した青年であっ た。 穏やかに笑みを見せるその姿は一見すると学者の様でもあった。 ﹁僕の名はユニティ。君の事は鱗衣が教えてくれていたから知ってい るよ。恐らくは〝君自身〟よりもね。こうして出会えたのも何かの 縁、少し話さないか││キタルファ﹂ エクレウスの聖衣を身に纏った男がユニティへと振り返る。 身に纏ったエクレウスの聖衣はその姿を大きく変え、必要最低限の 箇所を覆うだけであった鎧はほぼ全身を包み込んでおり、流線形を多 81 ! 用したフォルムとその背に備えられた翼が大きくシルエットを変え ていた。 黒い髪はブロンドに、黒い瞳は澄んだ青い瞳へとその色を変える。 ﹁⋮⋮まさか、再びその名でオレを呼ぶ者が現れるとはな﹂ 冥王ハーデスと女神アテナの戦い、前聖戦の中盤においてその趨勢 は大きく冥王へと傾いていた。 天空へと昇りし冥王の居城││ロストキャンバスへと至る道を見 出せぬまま、聖闘士と地上は消耗をし続けていたのだ。 その状況を打破すべく打ち出された案が東シベリアの最果て、極寒 の地ブルーグラードにて封印された海皇ポセイドンの助力を得る、と いうものであった。 敵の敵は味方。そう単純な事でもなかったが、地上を死の静寂に満 たそうとする冥王の行為は海皇にとっても容認できるものではな 82 かった。海皇は死者の国を統べる気はなかったのだから。 利害の一致が認められる以上、交渉の可能性はゼロではないとして アテナは二人の黄金聖闘士をブルーグラードへと派遣する。 アテナによって施された封印を解き、アトランティス海底神殿へと 向かった二人はそこで冥王軍と海闘士と遭遇し、暴走した海皇の力と 戦いを繰り広げた。 それが、今から二百数十年前の出来事である。 ﹁僕はそこでシードラゴンとしてアクエリアスの黄金聖闘士と戦い│ │自分の弱さと愚かさを思い知った。その後の僕がどうなったのか は知らない。心折れたまま朽ち果てたのかもしれないし、或いは│ │。 いや、今となっては、だね﹂ 淡々と自身の事をまるで人事であるかの様にユニティは語る。 ﹁所詮、この僕は鱗衣に宿ったユニティという男の願いの、想いの残滓 にしか過ぎないのだから﹂ ﹂ ﹁確かに今更だな。それで、わざわざこんな場まで用意した理由は、用 件はそれだけか ? ﹁ま さ か。言 っ た は ず だ よ﹃思 い も し な か っ た﹄と。こ れ は 鱗 衣 を、 シードラゴンの資格を継承する為の儀式の様なものさ。先代の意志 に、記憶に触れて力と技を継承するんだ。とはいっても、今のシード ラゴンは随分と自我が強いせいか鱗衣からの干渉を一切受けていな い。力でねじ伏せて従えているのさ。それは君も同じだったみたい だけどね﹂ ﹁全 て は あ の 男 の 実 力 か。ま あ い い さ。継 承 の 儀 式 と 言 っ た な。で は、〝俺〟はまだ死んではいないのか。運のいい事だ。いや、いっそ 死んでいた方が良かったのかもな﹂ ﹁随分と素っ気ないものだ。君自身の事だろうに、まるで他人事だ﹂ ﹁オレ自身の事だからさ。所詮こいつもオレでしかなかったという事 だ。力があっても何も救えず、その手から全てを取り零すのだろう よ。それに気付く事なく、絶望を知らずに死んでゆければ幸せだろ う﹂ ﹁│ │ 成 る 程、ど う し て 僕 と 君 が こ う し て 出 会 う 事 が で き た の か が 解った気がするよ。あの男との戦いでのシードラゴンの鱗衣との直 接的な接触だけが原因かと思っていたが││違う﹂ スッと、ユニティの目が細められる。その視線は、まるで何かを観 察する様な、嫌な視線だとキタルファは感じた。 ﹁あの男、カノンは強靭な、揺るがぬ自我によって鱗衣の干渉を抑え込 んだ。それはかつての君も、だ。それが、今の君はこうして鱗衣から の干渉を受けている。揺るがぬ自我、君が君であり、君たらしめてい たモノが欠けている。君は││何かを背負わなければ生きていけな いんだ。それは兄の夢であり、妹の幸せであり、戦場に散った聖闘士 たちの願いであり、託された希望だ。誰かに必要とされなければ││ 君は自分に価値を見出せない。生の実感を得られない。今の君には 背負うモノが何もない。だから目の前に迫る死にもそんな淡白でい られる。容易く死を受け入れようとしている﹂ ﹁⋮⋮分った様な事を言う﹂ ﹁分るさ。そして、君も僕の事が分るはずだ。見えているのだろう、君 には僕の過去が﹂ 83 ユニティの語る事は正しい。 魂が理解をしている。 ﹁無二の友が僕の元を去り、僕にとって太陽の様な姉も死んだ。人は 太陽がなければ生きてはいけない。極寒の地ブルーグラードでは太 陽なくして生きていく事は、希望を持つ事なんてできはしなかった。 世界を憎み、妬み、父を殺してまでも力を欲した心弱き愚か者、それ が僕だ﹂ シェアトを亡くし、フェリエを殺した。故郷を失い、ならばと託さ れた願いを理由として力を振るい││カストルに敗北したのがキタ ルファだ。 力を持ちながら、それを振るう理由を他者に求めた続けたキタル ファと、己の憎悪を吐き出す為に力を欲したユニティ。 ﹁隠していてもしょうがない事だから、君の記憶の影響がなかったと は言わないよ。こうして全てが終わったからこそ、傍観者となった身 だからこそ言える事だけれどね。お互い愚かだったと﹂ ザッ、と周囲にノイズの様なモノが走り、積み上げられた無数の本 棚が音もなく崩れ始め、光の粒となって白の中に消えてゆく。 ﹁ああ、もう時間のようだ。もっと気の利いた話をしたかったのだけ れども﹂ ユニティの身体も同様に、四肢の末端から光に粒となって周囲の白 に溶け込むように消え去ろうとしていた。 ﹁君と僕は間違ったんだ。それは変えようのない事実さ。そして、過 海 斗 去でありながら現在に繋ぎとめられた君が自分に絶望するのは分ら なくもないが、それを君自身にまで重ねるのはどうかと思うよ﹂ キタルファ い ま 海 斗 ユニティの腕が消え、脚が消える。胴体が透明度を増し、輪郭がぼ やける。 ﹁過去でしかない 君 と現在を生きる君自身は違うのだから﹂ そう言い残し、ユニティと名乗った記憶の残滓はその全てを白の中 へと消した。 84 後には、ただ立ち尽くすキタルファのみが残された。そして役目を 終えた白の世界が、周囲からあふれ出た黒の中へと呑み込まれる。 これで現実に戻るのかと思った時、そうなればこの意識はどうなる のかとキタルファは考えた。 キタルファに海斗の記憶はあるが、海斗にキタルファの記憶はな い。実際はあるのだろうが、それが表面に出る事はないだろうとも 思っている。 それは、キタルファが己の背後に背中合わせに立つ海斗の存在を感 じているからだ。自分と海斗は違う。それを認識した時、海斗はキタ ルファの背後にいたのだ。 オ レ 俺 カノンとの戦いで負ったダメージによるものか、海斗に意識はな い。 ﹁⋮⋮キタルファと海斗は違う、か。ならば、俺のこの手は││﹂ 誰かを救う事ができるのか 自身も黒に呑み込まれながら発せられたその呟きに答える者はい ない。 いないはずであった。 ﹁一つの器に二つの魂。限りなく同一に近くありながら、その性質は 水と氷の如く、か。その歪められた輪廻にも何者かの力を感じる。こ れは、教皇が気になされるのも頷ける﹂ 瞬く間に黒が弾け飛び、黄金の輝きが周囲を埋め尽くす。 この異界ともいえる空間に 黄金の輝きに満ちた海の中から幾つもの蓮の花が芽生え、その花弁 を開いてゆく。 ﹂ ﹁この輝きは⋮⋮まさか、黄金聖衣か 黄金聖闘士だと ? ファの前に姿を現した。 腰まで届く金色の髪、両眼を閉じたその姿は海斗がアルデバランか ら聞かされたとある黄金聖闘士の特徴と一致する。 アルデバランは海斗に言っていた。その男は聖域で最も恐るべき 85 ? 色とりどりの無数の蓮華の中、黄金の輝きが人の形となってキタル !? 男であると。そして、その強大な小宇宙から﹃最も神に近い男﹄と呼 ばれていると。 ﹁フム、まるで天秤の支柱だな。確固たる己を持たず、秤の重さで己の あり様を決める。その秤が善に傾く内は良し。しかし、悪に傾くので ﹂ あればその魂、この場で六道輪廻へ落とすのみ﹂ ﹁くっ⋮⋮やつの両手の内に小宇宙が⋮⋮ ﹁小宇宙が燃焼し爆発する ル ゴ こ、これは バ ﹂ ﹂ ﹁さあ、眠りたまえ。この乙女座の手によって││〝天魔降伏〟 ﹁う⋮⋮おぉおおおおっ 放たれた小宇宙がキタルファ目がけて炸裂した。 第6話 聖域黄金十二宮、その第二の宮││金牛宮。 ﹂ ざしてしまうのだ。それは我々も、君も望むべき事ではあるまい﹂ う点においては害悪でしかない。君という過去が未来の可能性を閉 ﹁君が何者であるか興味深くはあるが、少なくとも今の君の成長とい ! !! 海斗の小宇宙を探り続けていたのである。 教皇の間から金牛宮へと戻った彼は、それからこれまでの間ずっと しばらくしてアルデバランは眉間にしわを寄せて一つ唸った。 それからしばらく。陽が落ち、十二宮が夜の闇に閉ざされた頃。 ﹁⋮⋮むぅ⋮⋮﹂ な壁を連想させる。 瞳を閉じ、腕を組んだ姿勢で立つその様は、彼と相対する者に巨大 ち昇らせるアルデバラン。 自身が守護する金牛宮の中で、黄金色の小宇宙を全身から静かに立 ! !? しかし、教皇の間で感じ取ったあの時を境として、一向に海斗の小 ﹂ 86 !? 宇宙を感じ取る事は出来なかった。 ﹁⋮⋮どういう事だ ? 続けたアルデバランの呟き。それは海斗の事についてだけではな い。 ﹁ありえん。この十二宮にいる他の黄金聖闘士の小宇宙すら感じ取れ ぬとは﹂ 現在十二宮にいるはず他の三人の黄金聖闘士。 彼らの小宇宙も感じ取れなくなっている。その事態にアルデバラ ンは更なる困惑を隠せない。 教皇の間から金牛宮へと戻る際に、確かに彼らの存在を確認してい たのにも関わらず、である。 ﹁まるで十二宮全体が深い霧に包まれた様な⋮⋮。これでは、万一の 事態でも起きてしまえば対応が遅れかねん﹂ 目を開き、おそらくはこの事態の元凶であろう人物のいる場所へと 視線を向ける。 黄道十二宮、その第六番目の宮││処女宮へと。 87 ﹁やはり⋮⋮お前もこの異様な気配を感じたのかアルデバラン﹂ 背後からかけられたその声に、アルデバランはそれが誰のものであ るのかを確認するよりも速く、己の意識を戦闘のソレへと切り替えた 感覚が狂わされているとはいえ、己の守護する宮にこうも容易く侵 入を許す、侵入を果たした相手を警戒しない道理はない。 ﹁││何者だ﹂ タイミングも悪い。故に、アルデバランの声には一切の温かみもな く、鋼の如き冷たさと鋭さがあった。 その鋼を熱い何かがするりと抜けた。 熱は燃え盛る炎の様でもあり、凍えた身体を癒す暖の様な温かさが あった。 ﹁あまり怖い事をするなアルデバラン。いかに俺でも聖衣のない生身 でソレを受けてはただでは済まんのでな﹂ 己の組んだままの腕を静かに抑え込んだその熱を││目の前に立 ﹂ つ男が誰であるのかに気が付いたアルデバランは相好を崩して笑っ いや、ウワハハハハハッ !! た。 ﹁おお、アイオリアか ! 組んでいた腕を解いたアルデバランは、豪快に笑いながら﹁すまん﹂ と加えて相手に詫びた。 ﹂ ﹁ハハハッ、まあ細かい事は気にするなアイオリアよ﹂ ﹁⋮⋮全く、こちらとしては笑い事ではないのだぞ そう言って苦笑したのは聖域で活動する聖闘士の一人であった。 身に纏う衣服こそ聖域で活動する雑兵たちと同じ物であるが、その レ オ 眼差しの鋭さと、醸し出される気配は彼が〝モノが違う〟事を雄弁に 知らしめていた。 アルデバランと同じく、当代の黄金聖闘士の一人││獅子座のアイ オリアである。 十二宮五番目の宮〝獅子宮〟を守護する彼であったが、普段は主に 聖域周辺における警護の任に当たっている。 女神アテナ、そして教皇への忠誠も厚く、聖域では﹃聖闘士の鑑﹄と して尊敬の念を集めている男でもある。 聖闘士にとって王道ともいえる〝拳による闘法を極限にまで極め た男〟とも呼ばれ、実力者の集う黄金聖闘士の中でも一目置かれる存 在であった。 ﹁だが、うむ。良い所に来てくれたなアイオリア。俺は今より少し金 牛宮を離れる。この十二宮を覆う小宇宙も気になるが││﹂ ﹁先の巨大な小宇宙は俺も感じていた。お前の弟子である海斗が聖域 あいつめ、俺が戻るまで待てぬ事でもあったのか ま から離れる許可を求めていたらしいが、それに関係しているのかも知 れんな﹂ ﹁何だと ? 方があるまい﹂ 頼んだぞ、と。アルデバランはアイオリアにそう頼もうとし、アル デバランが何を頼むのか予想の付いていたアイオリアもまた、構わん と、そう答えようとした。 その二人の動きが不意に止まった。止められた。 ││それは無用ですよアルデバラン。 88 ? あいい。教皇は気にするなと言われたが、やはり気になるのだから仕 ? 突如として脳裏に響いた声によって。 いや、あの男ならば十二分にあり得る。この十二宮を覆 ﹁⋮⋮俺の脳裏に、いや、小宇宙に直接語りかけるこの声は⋮⋮﹂ ﹁まさか う異様な小宇宙、この様な芸当が出来るのは聖闘士の中でも〝あの男 〟しか考えられん﹂ ル ゴ ﹂ キッと、アイオリアは射抜く様な鋭い視線を処女宮へと向けた。 バ ﹁これはお前の仕業か。乙女座の黄金聖闘士││シャカ 乙女座のシャカ。 張から我知らず握っていた拳を解く。 ﹁⋮⋮では、この十二宮を覆う小宇宙は何なのだ ﹂ シャカの声にはまるで赤子をあやす様な穏やかさがあり、二人は緊 ﹃フッ、そう気を荒立てるものではないアイオリア﹄ こにあるのかも。しかし、その実力に異論を挿む者もまたいない。 シャカが一体何者であるのか、それを知る者はいない。その意がど に己を置いている。 身もそれを自覚しているのか他の黄金聖闘士達から一歩引いた場所 聖闘士でありながらシャカは明らかに異質な存在であり、シャカ自 る﹄とすら呼ぶ者もあった。 神仏と対話を行うとさえ言われることから﹃仏陀の生まれ変わりであ 改めず、その絶大な小宇宙によってあらゆる空間を自在に行き来し、 れており、また女神アテナを護る聖闘士でありながら、異国の宗派を 最強を誇る十二人の黄金聖闘士にあって﹃最も神に近い男﹄と呼ば を高めながら瞑想を続けている人物である。 結跏趺坐を組んだままの姿勢で己の守護する処女宮で静かに小宇宙 彼は自ら五感の一つである視覚を封じており、常にその瞳を閉じ、 ! シャカの落ち度である事を認めよう。先程教皇より新たな結界を求 ﹃二つお答えしよう。まず一つ。十二宮を覆う小宇宙についてはこの ││﹂ すらも分らんではないか。それに、海斗を探しに行く必要がないとは ﹁うむ。これでは十二宮はおろか﹃外﹄で何が起こっているのか、それ ? 89 !? められて試してみたが││どうやらアテナの結界と作用し合った事 で必要以上に君達の感覚までもを狂わせてしまった様だ﹄ ││今解こう。 そのシャカの言葉と共に、パンという柏手を叩く音が鳴り響く。十 おお、分る。感じるぞ小宇宙を﹂ 二宮を覆う様に感じていた小宇宙が瞬く間に消えた。 ﹁ん 十一番目の宮〝宝瓶宮〟にカミュの、処女宮にシャカの、そしてこ の金牛宮にいるアイオリアの小宇宙を。視界が晴れ渡るような感覚 に、シャカの言葉が真実であったと納得するアルデバラン。 しかし、アイオリアは未だ難しい顔をしたままである。その顔を上 げてシャカに問う。 何があったのかを﹂ ﹁シャカよ。お前は先程海斗を探しに行こうとしたアルデバランに無 用と言った。では、お前は知っているのか ﹂ たとも問わん。だが、これだけは聞かせて貰いたい││海斗は無事か ﹁シャカよ、お前の言うことは分った。その言葉に従おう。何があっ ﹁⋮⋮アルデバラン⋮⋮だが、しかし﹂ そこまでにしておけ﹂ ﹁アイオリアよ、俺の弟子の事を気にかけてくれるのはありがたいが、 イオリアの肩を、しかしアルデバランが抑えていた。 他共に認めているアイオリアである。だが、と食い下がろうとするア 生来から、隠し事や謀といったものを嫌う一本気な性格であると自 知っている。 そこに隠さねばならない何かがあった事は明白。それをシャカは 穏やかな口調に反し、その言葉の中に秘められた拒絶の意思。 とってアテナに次いで教皇の御言葉は絶対。素直に従いたまえ﹄ も だ ア ル デ バ ラ ン。教 皇 は 気 に す る な と 言 わ れ た の だ。聖 闘 士 に ﹃二つ目だ。それを君が気にする必要はないよアイオリア。それは君 ? アルデバランの問いに僅かの逡巡を見せたシャカであったが、この 程度ならば構うまいと、こう答えた。 90 ? ﹃⋮⋮フム﹄ ? ﹃彼は教皇の勅命を受け数日の内にこの聖域から﹃外﹄へと向かう事と なった。私が伝えられるのはそれだけだ﹄ 聖域の端には、一見すると廃墟同然の朽ち果てた一角が存在する。 古の古戦場の跡でもあると言われているがその真偽は不明である。 そこでは、聖闘士を目指す多くの若き候補生達が昼夜問わずに激し い修行を行っていた。 早朝であるにもかかわらず、周囲からは大地を砕く音や、気合いの 声が聞こえて来る。 彼らと同じ様に、聖闘士を目指す星矢は師である魔鈴と共にここで 修行を行っていた。 突き出された拳を、蹴りを、避ける、躱す、受け止める。 十字に交差させた両腕で受け止めたにもかかわらず、その衝撃は星 ッぐぅ∼∼うえぇえ⋮⋮﹂ ろうとした星矢であったが││ ﹁キャンキャン吼えんじゃないよ。よわっちいお前なんかがいくら吠 ﹂ え た と こ ろ で 喧 し い だ け さ。吼 え る だ け な ら そ こ ら の 番 犬 の 方 が よっぽどマシだ、って事を叩き込んでやったろ ? 91 矢の内臓を激しく揺らし、込み上げる嘔吐感に堪らず大地に膝をつ く。 ﹁∼∼ッ ﹂ ! 嘲りと呆れを含んだその声に、こなくそと闘志を燃やして立ち上が ﹁⋮⋮な、なにおぅ⋮⋮ 面に叩き付けられてしまう。 そのまま振り下ろされた魔鈴の踵の一撃を背中に受け、顔面から地 ﹁⋮⋮フゥッ⋮⋮。全く、成長しない奴だね﹂ あったが、そこで油断した。 目前に迫る爪先を、どうにか身体を逸らした事で回避した星矢で の手が緩む事はない。 吐しゃ物を撒き散らし、いかに苦しんで見せたところで魔鈴の攻撃 ﹁何をぼさっとしてるのさ﹂ !? 忘れたのかい、と。駄目押しとばかりに星矢の頭を踏みつける。 普段の修行であれば、組手であれば魔鈴はここまではしない。 事の発端は、切欠は海斗の試合である。自分と同期である海斗が聖 闘士となった事で星矢にも思うところがあったのだろう。自分もそ ろそろ聖闘士になれるのではないかと、思わず口にしてしまったの だ。 それを魔鈴に聞き咎められたのが星矢の運の尽きであった。あわ れ、この四年間で得たちっぽけなプライドごと完膚なきまでに叩きの めされた星矢はその意識を失った。 ﹁痛テテテッ。魔鈴さん、これ絶対コブになってるって。もうちょっ と手加減してくれたって⋮⋮﹂ ﹁したさ。でなきゃあお前の頭は││﹂ こうだよ、と。 ﹂ れば低い程、その日の修行は辛いものとなる。ちなみに、零点は二年 間ぶりであった。 その時の地獄を思い出す。それだけに、この採点は星矢にとって到 底受け入れられるものではなかった。 しかし、この星矢の態度は減点要素になりこそすれ加点要素になる ﹂ はずもなく。 ﹁げふっ 瓦礫の中に頭から突っ込む事となる。 ﹂ ﹁ケツの青いガキが生意気言ってんじゃないよ。この間教えてやった 事をもう忘れたのかい ? 92 拾い上げた石を軽く握り潰して見せる魔鈴。 それを見た星矢の顔から血の気が引く。 今日はいつもよりも持った筈だろ ﹁今の組手の採点をしてやるよ。喜べ星矢、零点だ﹂ ﹁な、何でだよ !? この結果によってその日の修行内容が決定され、魔鈴の採点が低け 星矢と魔鈴の修行はこの早朝の組手から始まる。 ! 魔鈴の繰り出したパンチの衝撃波を受けて吹き飛ばされた星矢は、 !? ﹂ ﹁ペペッ、そうやってすぐに暴力を振るってたんじゃ、魔鈴さんには絶 ﹂ 対嫁の貰い手が││あぶしっ ﹁││今、何か言ったかい した存在だって。そんな相手の攻撃を、生身で受けたいのかい 殺したい、ってんなら止めやしないけどね﹂ ? ﹂ ? 瓦礫の中で﹁それは違う ﹂と星矢は声にならない抗議の声を上げ ら、翌日にはぴんぴんしているのはこのせいか﹂ ﹁成程ね。毎度毎度カシオスにあれだけこっぴどくやられておきなが イナだった。 その時、そう言って現れたのは、どこか呆れた様子を隠せないシャ ﹁⋮⋮あんたたちはいつもこんな事をやっているのか しょうがないね、と呟いて魔鈴は星矢の足に手を伸ばす。 う多くはないさ﹂ 相手よりも先に当てるか、大人しく死ぬか。お前が選べる選択肢はそ れないけどね。まあ、あいつらは例外だ。避けるか、間合いを潰すか、 ﹁もっとも、小宇宙を極めた連中││黄金聖闘士であれば可能かもし バタバタと動いていた星矢の足が止まる。 自 ﹁昔教えてやっただろう 聖闘士は原子を砕く破壊の究極をモノに 先程よりも深くめり込んでいる様に見えるのは気のせいか。 へ。 折角這い出せたものの、余計な一言を言った星矢は再び瓦礫の中 気にしていたのかいないのか。 !? 想図を全力で破り捨てる。 ! 魔鈴は星矢の足へと伸ばした手を引くと、シャイナと向き合った。 ら。そう願う星矢の声が二人に聞こえるはずもなく。 でも、その前に引っ張り上げて欲しい、この状況は地味にキツイか ︵姉さん、美穂ちゃん。オレ絶対に生きて日本に帰るからな ︶ るだろう。猫がネズミをいたぶるよりもヒドく。そんな脳内未来予 それを言ってしまえば、このドSの師匠は嬉々として自分をいたぶ ない。 る。でも、内心そうかもしれないと思っている事は絶対に口には出さ ! 93 ? ? ﹁なんだシャイナかい。よその候補生の修行を覗きに来るなんて、あ んまり良い趣味とは言えないよ﹂ ﹁フン、別にあんたたちの修行に興味はないね。同じ日本人なんだ、こ こに海斗がいるかと思って来ただけさ﹂ ﹂ ﹁⋮⋮何で海斗の名前が出るのかが分らないけど。あんたとあいつに 大した接点なんて⋮⋮ああ、ひょっとして昨夜のアレかい ﹂ ナさん ﹂ ﹁ぶへっ、ぺぺぺぺっ。口の中が砂利だらけだよ、って。何だよシャイ 道端の雑草を抜く様にあっさりと瓦礫の中から引き抜いた。 魔鈴の横を通り過ぎたシャイナは星矢の足を片手で掴むと、まるで ﹁あっちにも⋮⋮いないか。おい星矢﹂ シャイナは周囲を見渡した。 魔 鈴 の 返 事 を 予 想 は し て い た の か。そ れ 以 上 何 を 言 う で も な く、 ﹁使えないね﹂ ﹁知らないよ﹂ い ﹁どうだっていいだろ、そんな事は。で、魔鈴。あんたは知ってるのか ろうと魔鈴は当たりを付けていた。 何をしようとしていたのかは知らないが、どうせロクでもない事だ ンゴの姿もあったと。 鈴の耳にも入っていた。その中には海斗に敗れたゴンゴールやジャ 昨夜、二十人近くの若手の候補生や雑兵たちが聖域を離れた事は魔 ? 知らないか ﹂ さあ ? ? 普段何をしているのかを知っている奴っているのか ﹂ 域ではそんなに頻繁に会っていたわけでもないし。むしろ、あいつが ﹁海斗 そりゃあ、オレはあいつと同じ所から来たけど、聖 ﹁あんた、海斗とは親しかったよね。アイツが普段どこにいるのかを がなモノかと悩む。 引き上げてくれた事には礼を言いたいが、男としてこの体勢はいか を見下すシャイナの姿。 片手で吊り下げられた星矢が見下ろしながら見上げた先には自分 ? ? ? 94 ? ﹁そうかい﹂ なら用はないと言わんばかりに、シャイナは星矢の身体を放り捨て た。 ﹁邪魔したね。精々無駄な努力を頑張んな﹂ 再び瓦礫に突っ込んだ星矢が何か文句を言っている様だが、シャイ ナにとっては既にどうでもいい。 振り返る事なくこの場を後にすると、ならば海斗はどこに行ったの かと考える。 しかし、いくら考えたところで思い付くはずもない。 つい先日まで海斗とシャイナはお互いの顔と名前が一致する、その 程度の間柄でしかなかったのだから。 ﹁チッ、ジャンゴの事を教えておいてやろうと思ったのに﹂ 不機嫌さを隠そうともせずに呟くシャイナ。 そもそも、自分がこうして探してやっているのに姿を見せないのが 気に入らない。 ﹁全く、どこに行ったんだか﹂ 呟き足を止める。見上げた空には雲一つない。 だと言うのに気分は晴れない。それが何故なのかが分らない。 ﹁ハァ⋮⋮ならアイオリアにでも聞いてみるか。それで駄目ならもう 知ったこっちゃないね﹂ 結局、シャイナはこのまま海斗の捜索に丸一日を費やしたが、結局 アイオリアに出会う事も、海斗の行き先を知る事もなかった。 95 第7話 新生せよ エクレウスの聖衣 ﹁うおぉおおおおおおおおっ ﹂ その時の海斗の心境はまさしくそれであった。 て叩き起こされる事になった。 の巻 ぜか開かれたカーテンの隙間から差し込まれる朝日の眩しさによっ 例えるならば、カーテンを閉めてぐっすりと眠っていたはずが、な ! ﹂ 自らの放った〝天魔降伏〟にぶつけられる海斗の小宇宙。そこに 怯えも、戸惑いも、一切を感じさせない真っ直ぐな拳撃。 シャカに一撃を届かせるとはな﹂ ﹁⋮⋮ほう、迷いの無い良い攻撃だ。加減したとはいえ、まさかこの ﹁〝エンドセンテンス〟 熱く燃やされた小宇宙は前へ、前へと突き進み││爆発する。 絶望を知り、諦観を得たキタルファとは異なる生への鼓動。 る、抗う為の意志。 己を脅かす者へと、奪おうとする者へと、迫り来る死へと向けられ あるのは意志。 敵であるならば││倒すだけ。 る。 脳裏に次々と浮かび上がる疑問は、握り締められた拳の中で霧散す そもそもこれは現実なのか。 か。 先程まで戦っていたはずのカノンはどこへ、自分は死んではいないの ここがどこで、なぜ黄金聖闘士が自分に攻撃を仕掛けて来るのか。 に海斗の身体を突き動かした。 められた強大な小宇宙は畏怖すら感じさせ││状況の理解よりも先 意識を取り戻した海斗の目前にいきなり現れた眩い光。それに込 !? ル ゴ ﹂ 込められた確かな意志を感じ取り、シャカは驚嘆の声を漏らしてい バ 96 ! !! まさか、乙女座のシャカか !? た。 ﹁シャカ ? マスク 突き出された海斗の拳の先でバルゴの兜が宙を舞う。 しかし、そこにシャカの姿は見当たらない。 バルゴのマスクが地に落ちるより先に、掻き消える様にして消え た。 ﹃敵であるならば倒す。単純ではあるが、つまらぬ大義を芯とするよ り余程強い。だが、それでは獣と変わらぬな﹄ ﹁生憎と、ご立派な主義主張なんて持ち合せてなくてね。日々を平穏 無事に過ごせればそれでいいんだよ、俺は﹂ 声は聞こえるが姿は見えず。シャカの姿を求めて周囲を見渡して いた海斗は、いつしか自分が酷く薄暗い場所に、草木の生えぬ荒野の 様な場所に立っている事に気が付いた。 ﹃フッ、随分と欲深いのだな君は﹄ どこからか轟々と鳴り響く音も聞こえる。その音を認識した途端、 海斗は足下にぬるりとした何かが纏わり付いているのを感じ取り、そ 97 れが黒い水の様な物だと知る。 ﹃獣と変わらぬと言ったが訂正しよう。実に⋮⋮人間だ﹄ まるで血の大瀑布だな。星も、雲も、月も何も見えな その流れを辿って視線を向ければ、そこには巨大な瀑布が見えた。 ﹁あれは滝か 回答が今の状況であるならば二度と死にたくはないとは思う。 これまでこういった事を考えた事がなかった訳ではない。が、その それはどこに行くのか。 る。人が死んだらどうなるのか、魂というモノが存在するのであれば もしも、ここが本当に地獄であるならば自分は死んでいる事にな 滅入る。 その不自然さが自分の推測を後押ししている様で、否が応にも気が 触覚は問題なく、視覚や聴覚といった五感におかしなところはない。 瀑布が近いせいか些細な大気の震えはしっかりと感じ取れている。 た聖衣や衣服には戦いの傷跡がありありと見て取れる。 カノンとの戦いで負ったはずのダメージはない。しかし、身に纏っ 地獄の様だと繋げようとして海斗は口を噤んだ。 い空に黒い水が流れる大地⋮⋮まるで││﹂ ? ﹁思うんだが⋮⋮死んでいるなら、二度も三度もないか う﹄ ﹁俺はまだ生きている ﹁これを持ちたまえ﹂ れで、俺は地上に戻れるのか ﹂ ﹂ ﹁⋮⋮状況が全く分らないんだが、俺を試したってのだけは分る。そ たかの様に瞼を閉じ、結跏趺坐を組むシャカの姿があった。 そこには弾き飛ばしたはずのマスクを装着し、まるで何事もなかっ 背後から確かに聞こえた声に海斗が振り向く。 の己を保ったまま地上に戻す事など誰にもできぬ事であっただろう﹂ が立つこのステュクス河を越えてレテ河を渡ってしまえば、最早生前 ﹁ここは黄泉比良坂より落ちた者が訪れる、言わば冥府の入り口。君 なって⋮⋮﹂ だったらここは、いや、そもそも何がどう と思っていたが、〝君には〟機会を与えるだけの価値はあると認めよ け、まだ生きている。諦観と共に死を受け入れるのであればそれまで ﹃そうなるかどうかは君次第。君は殆ど死んでいるが、ほんの少しだ ? まさか本当に釈迦の生 ﹁臨死体験だが幽体離脱だか、そんな状況であろう俺が冥府に居るの は誇張されたものと話半分に聞いていた海斗であったが。 師アルデバランから、かつてシャカという男について聞かされた時に 神に最も近い男、あらゆる時空を渡る男、神仏と対話をする男等々。 動かせば、既にシャカの姿はそこになく。 これからどうするのか、そう問いかけようと手にした剣から視線を 仕方がないしな。それでアンタは⋮⋮﹂ ﹁それが最後の試し、か。ま、いいさ。ここでいつまでも燻っていても 頂で己の小宇宙を極限まで高めるのだ﹂ りは、加護はまだ生きている。それを持ってあの瀑布を目指し、その り、武具としては使い物にはならぬがそこに込められた聖闘士への祈 ﹁先 々 代 の ア テ ナ が 加 護 を 与 え た 武 具 の 一 つ だ。刀 身 に は 亀 裂 が 走 形からして片刃の曲刀っぽいが﹂ ﹁っと、これは⋮⋮剣か。随分古いな。それに西洋剣とも違う。鞘の ? はまあ分る。だったらアイツは何なんだ ? 98 ? まれ変わりだとでも ﹂ 前世や転生、生まれ変わりといったものを自分が証明している以 上、〝まさか〟という思いが〝もしかしたら〟という可能性に大きく 振れる。 ﹁⋮⋮他にする事もないしな、今は言われた事をやってみるか﹂ 第7話 ヒマラヤ山脈││中国とチベットの国境近くに存在する山岳地帯。 そこにジャミールと呼ばれる場所がある。 標高六千メートルを超えるその場所は高所ゆえ極端に空気が薄く、 その険しい道のりもあって地元の者たちですら容易く足を踏み入れ る事はない。 また、その地に住むジャミールの一族と呼ばれる者たちの多くが常 人とは異なる特殊な力を持っていた事もあり、古くから迂闊に近付け ば二度と返っては来れぬ魔の山として、周辺のチベット族の人間から 恐れられていた地である。 口 伝 で は さ ら に こ う と も 伝 え ら れ て い る。屈 強 な 聖 闘 士 で す ら ジャミールに辿り着くには命を賭ける必要がある││とも。 ジャミールの一族が進んで外界との接触を図ろうとせず、故にその 地に向かおうとする者も数を減らし、やがて長い歴史の中で伝承にの みその名を残す事となった。 今や何人たりとも訪れぬ秘境。それがジャミールであった。 そのジャミールの奥深く。 深い霧に閉ざされたその場所に、少女とまだ幼い少年の姿があっ た。小さな平たい岩の上で向かい合うように腰掛けている二人の間 には、数冊の本が置かれている。 よく見れば気付くだろう。腰掛けている岩が自然に平たくなった 99 ? ものではない事に。 まるで鋭利な刃物によって切られたかの様な断面に。 少女は透き通るような銀色の長い髪を、時折吹く風に揺らせなが ら、見る者の心を温かくする、そんな笑顔を浮かべて少年を見つめて いる。 彼女の対面に座る少年はやや吊り目がちではあるが、くりっとした 大きな眼をした、いかにも活発そうな男の子である。 ﹁⋮⋮そんな彼らの眠りをさまたげることがないように、生きのこっ ﹂ た人たちが結界をはることでここに迷いこむ人があらわれないよう にした。⋮⋮で、合ってる ﹁ええ、正解よ貴鬼。でも、その手元に隠したメモを見ないで読めてい れば満点だったのにね﹂ どうやら、少女が貴鬼と呼ばれた男の子に勉強を、この場合は文字 の読み書きを教えているようだ。 今より二百数十年前。ここジャミールの地はアテナと冥王の繰り ﹂ 広げた前聖戦、その地上における最後の戦いの場であった。敵味方問 あはははは⋮⋮ムウ様にはナイショだよ わず、多くの戦士たちの魂が眠る場所でもある。 ﹁うぅえ ? かしげてみせる。 ﹁ん∼、どうしようかな くする事に決めた。 ﹂ 教育を頼まれた以上、ここは心を鬼にするところ、と考え直して厳し な、と思ったセラフィナであったが、彼女の師匠││ムウより貴鬼の 肩を落とし、目に見えて落ち込んだ貴鬼の姿にちょっと可哀そうか ﹁え∼∼っ⋮⋮﹂ さっきのはムウ様に内緒にしておいてあげよう﹂ ﹁ふふふっ。それじゃあ、ここからここまでを間違えずに読めたら、 その様子にしょうがないなと、少女││セラフィナは苦笑した。 貴鬼と呼ばれた子供は不満そうに頬を膨らませる。 ﹁いじわるだよセラフィナお姉ちゃん﹂ ? 100 ? 笑ってごまかそうとする貴鬼。少女は人差し指を顎に当てて首を ? ﹁ううう∼∼っ﹂ 捨てられた子犬のような、涙目でセラフィナを見上げる貴鬼。 ﹁⋮⋮む⋮⋮むむっ⋮⋮﹂ ﹂ 厳しくするのだ、決心したのだと、セラフィナはその視線に耐える。 ﹁うううううううう∼∼ッ﹂ だからお姉ちゃんは好き ﹁⋮⋮それじゃあ、ここからここまでね⋮⋮﹂ ﹁あはっ、やったあ !! ﹂ ? を見上げる。 どうしたの、空に何か見えるの ? その輝きに、セラフィナは黄金聖衣には太陽の光が宿っているとム 降り注ぐ。 二人が見つめる先から眩いばかりの黄金の輝きが、強大な小宇宙が ら。 その時にはセラフィナも何かが起きている事に気が付いたのだか 貴鬼の言葉に何がと問う事は出来なかった。 ﹁││来るよ﹂ そう思い、セラフィナが貴鬼に声を掛けようしたその時であった。 自分では感じ取れない何かを感じているのだろうか。 ﹁そう言えば、あなたもムウ様と同じような超能力が使えたものね﹂ る。 そこにあるのは霞がかった、いつもの見慣れたジャミールの空であ わった様子はない。 貴鬼の視線を追ってセラフィナも空を見上げたが、特に何かが変 ﹁貴鬼 ﹂ はしゃぎまわっていた貴鬼がピタリとその動きを止めて、じっと空 ﹁へへへっ。⋮⋮アレッ 繰り返される日常の一コマ。 それはいつもと変わらぬ風景。 嬉々としてはしゃぐ貴鬼と、がっくりとうなだれるセラフィナ。 視線に耐えきれず、セラフィナは一分も持たずに陥落した。 ! ウが語っていた事を思い出していた。 101 ? 光はやがて人の形となり、二人の前にその姿を現した。 黄金に輝く聖衣を纏い、艶やかな絹糸の様な黄金の髪がふわりと広 がる。 その人物は瞳を閉じている。しかし、まるで自分の全てを見透かさ れる様だと感じてセラフィナは無意識の内に胸元を握り締める。 彼女は目の前の人物から威圧感とは違う、奇妙な圧迫感の様なモノ を感じていた。存在の密度が違う、とでも言えば良いのか。 人影が地上へと降り立った。 そこで、ようやくセラフィナは目の前の人物が聖闘士である事に、 黄金聖闘士である事を認識した。 そして、その両手には負傷した黒髪の少年が抱き抱えられている事 にも。その顔に生気はなく、まるで死者の様だとセラフィナは思っ た。 少年は最低限の治療はなされているようではあったが、それでもそ あなた何を││﹂ 黄金聖闘士に対して感じるモノがあるのだろうか。 貴鬼の怯えが理解出来るだけに、セラフィナは縋る様な貴鬼の手を 振りほどく事が出来なかった。 ﹁ほう、君はその年齢で﹃感じ取る事﹄が出来るのか。成程、ムウが手 元に置くにはそれ相応の理由があったという事か﹂ ﹁さて、それを決めるのは私ではなくあの子の意志ですよ。それにし ても、久しぶりですねシャカ、まさか貴方が動くとは思いもしません 102 のままにしておいてよい程度の負傷ではない事は一目で分る。その ﹂ 胸元には一振りの古びた刀剣が置かれていた。 ﹁ッ ﹁貴鬼 ﹁ダメだよ、お姉ちゃん。あの人は││違う﹂ く、むしろ怯えの色が濃い。 貴鬼の表情にはつい先ほどまで見せていた子供らしい活発さはな 鬼が掴み、止めた。 少年に向かって慌てて駆け寄ろうとするセラフィナ。その腕を貴 !? 自分よりも鋭敏な感覚を持つ貴鬼だからこそ、自分以上に目の前の ? ムウ様 でしたよ﹂ ﹁ッ ﹁は、はい ﹂ ﹂ シルバー サイコキネシス ﹁貴鬼、 杯 座の白銀聖衣をここに。セラフィナはあの少年を﹂ クラテリス その言葉にムウは静かに頷いて見せた。 傷付いた少年││海斗の身体を地に横たえてシャカが言う。 しまっては元も子もないのでな﹂ ﹁すまないが理由は先刻話した通り。急いで貰いたい。肉体が死んで で感じていた奇妙な圧迫感が嘘のように消え去っていた。 そう言ってムウが二人の肩に手を置くと、セラフィナたちがそれま いる﹂ ﹁それと、少し力を抑えて貰えないでしょうか、二人が怯えてしまって 聖域十二宮、第一の宮〝白羊宮〟を守護する黄金聖闘士と。 牡羊座のムウ、と。 ア リ エ ス そして、その中でも極僅かの人間がこう呼ぶのだ。 彼を知るものは、この青年をジャミールのムウと呼ぶ。 い。 落ち着いた物腰と澄んだ眼差しはシャカを前にして揺らぐ事はな 性と見紛う美しさがある。 ややつり目がちな目元と青い瞳、流れる様な金色の髪は一見して女 師である青年、ムウであった。 そう言って、セラフィナたち二人の背後から現れたのは彼女たちの ﹁ムウ様∼∼っ﹂ ! る事となる。 この時を境に、緩慢に進んでいた彼女たちの時間は大きく進み始め 彼女たちのそれは今、終わりを迎え様としていた。 変わらぬ風景、繰り返される日常。 セラフィナはシャカの足下に横たえられた海斗の元へ。 聖衣をこの場所へと呼び寄せる。 ムウの指示に従い、貴鬼は自らの念 力によりムウの館から杯座の ﹁分りました﹂ ! 103 !? ドンという音が鳴り響き、僅かに大地を震わせた。貴鬼の横には聖 衣の収められた聖衣箱が出現している。 そこに描かれレリーフは杯。 ﹁お姉ちゃん﹂ ﹁ええ﹂ 貴鬼の進めに従いセラフィナが聖衣箱に手を伸ばす。 指先が触れる寸前で躊躇する様に手を引いたが、横たわる海斗の姿 を、自分を見つめるムウの視線を確認すると、瞳を閉じ一度だけ大き く深呼吸すると迷う事なく聖衣箱に手を触れた。 セラフィナが触れると聖衣箱が音を立てて開き、その中から白銀の クラテリス 輝きを放つ杯の形をしたオブジェが姿を現した。 杯 座の白銀聖衣である。 ﹁⋮⋮クラテリス﹂ セラフィナの言葉に応える様にオブジェが弾け、彼女の身体へ形を 変えて次々と装着される。 聖衣を纏ったセラフィナは横たわる海斗の元へと進むとその場で 膝をつき、両の掌で器を形作る。 セラフィナは静かに小宇宙を高め、掌から湧き出る水をイメージす る。 ﹁ほう、やはり彼女が杯座の聖闘士か。神の酒を注いだ杯、その杯で汲 んだ水には癒しの力が宿ると言われるが﹂ ﹁そうです。しかし、杯座の聖闘士であれば、己の小宇宙によって癒し の水を生み出す事が出来るのです﹂ ムウの言葉を証明する様に、セラフィナの掌からまるで星屑を散り ばめられたかの様な輝きを放ちながら美しく澄んだ水が溢れ出し、傷 ついた海斗の身体に降り注ぐ。 すると、みるみるうちに海斗の傷が塞がり、血の気の失せていた顔 に赤みが戻り始めていた。 ﹁そうか、ソーマ︵※インド神話上での神々の霊薬。口にした者に活力 を与え、寿命を延ばし、霊感をもたらすと言われる︶と同質の力か。ご 104 く稀に、聖闘士の中に戦いの力ではなく癒しの力を持つ者が現れる事 ﹂ がると文献にもあったな。しかし、過去の聖戦では杯座の聖闘士は終 ぞ現れなかったと聞いていたが ﹁杯座の聖闘士の力は聖戦の行方を左右しかねないものです。過去幾 度 か の 聖 戦 に 於 い て も 真 っ 先 に そ の 命 を 狙 わ れ た と 聞 い て い ま す。 故に、アテナの命によりその聖闘士の存在は秘匿とされていました。 それに││﹂ ムウが視線を向ければ、快方に向かう海斗の様子に反してセラフィ ﹂ ナの小宇宙が急速に低下し、その表情に苦悶の色が現れ始めている。 まるで己の命を和気与えているかの様に。 この人、は⋮⋮ ﹁そこまでです。良く頑張りましたねセラフィナ﹂ ﹁⋮⋮ハァ⋮⋮は、はあッ⋮⋮ムウ様 ? ﹁は、ハイ ﹂ する事があります﹂ ﹁貴鬼、この二人を館へと連れて行きなさい。私は今しばらくここで 聖衣箱が再び閉じられる。 身体から離れ、再び杯の形となって聖衣箱へと納まり、開かれていた それと同時に杯座の聖衣が役目は終えたとばかりにセラフィナの か、セラフィナは微笑みを浮かべるとそのまま意識を失った。 穏やかに語りかけるムウの言葉で張り詰めていたモノが切れたの い﹂ ﹁大丈夫ですよ。貴女のおかげで彼の傷は癒されています。安心なさ 崩れ落ちそうになったセラフィナの身体を優しくムウが支える。 ? ばれるとハッとした様子で急ぎセラフィナの元へと駆け寄った。 貴鬼の手がセラフィナと、僅かな逡巡の後に海斗に触れる。 瞳を閉じ、集中する貴鬼。イメージするのは皆で暮らしている家 だ。これから行うのは貴鬼の超常の能力の一つ、テレポーテーション ﹂ である。 ﹁んっ 105 ? 事の成り行きを黙って見つめていた貴鬼であったが、ムウに名を呼 ! シュンと、気合いの声を残して貴鬼たちの姿がこの場所から消え !! た。 ﹁今の通り、相手の傷の深さに比例する様に小宇宙を激しく消耗する のです。その献身故に命を落とした者もあったと伝えられています。 こういう能力なのか、ただセラフィナの力量が不足している為なのか は 分 り ま せ ん が。そ う そ う 気 軽 に 試 せ る も の で も あ り ま せ ん か ら。 あの娘はまだ正規の聖闘士ではありませんしね﹂ ﹁事が済めばエクレウスを彼女の護り手にでもすると良い。アレは大 義よりも恩や仇といった価値観で動く男だ。異論は唱えまい﹂ ﹁セラフィナは必要ないと言いますよ。あれはそういう娘です。⋮⋮ さて、ではシャカよ。彼の、エクレウスの聖衣をここに﹂ ﹁うむ﹂ ムウに促される様に、シャカがその手を天へと掲げる。 すると、瞬く間にムウの目の前に聖衣箱が現れていた。 106 誰が触れるでもなく、まるで聖衣から働き掛けたかの様に、ひとり でにエクレウスの聖衣箱が開かれる。 ア リ エ ス 聖衣は感じ取っていたのかもしれない。これから起こるべき事を。 牡羊座の黄金聖闘士であるムウ。彼にはもう一の顔があった。 この地上に於いてただ一人、破損した聖衣を修復する技術を伝えら れたただ一人の伝承者としての顔である。 開かれた聖衣箱。そこにあったのは、かろうじて形を保っていると しか表現できない程に破壊されたエクレウスの聖衣。 ﹁⋮⋮私も長く聖衣の修復を手掛けてきましたが、これ程までに破壊 ﹂ された聖衣を見るのも随分と久しぶりですよ。ここまで破壊されて いては⋮⋮﹂ ﹁ムウ、君程の者でも厳しいか 聖 衣 に も 命 が あ る。永 遠 に も 等 し い モ ノ が。し か し、不 死 で は な で分った。 エクレウスの聖衣は間もなく死ぬ。ムウにはそれが一目見ただけ 動こそ感じられますがそれも⋮⋮﹂ ﹁人に例えるならば四肢をもがれたも同然。今はまだ僅かな生命の鼓 ? い。 例え持ち主が死亡したとしても聖衣が死ぬ事はない。新たなる持 ち主が現れるまで眠りにつくだけである。 その間に、軽微な損傷程度なら自らの力で修復を行い、場合によっ ては自らその形を変える事もある。 しかし、それにも限界がある。 ﹁足りない物を補おうにも材料が足りません。いや、量的な物ではな く質という意味で、ですが。ハッキリ言ってしまえば、同等の聖衣を 一つ用意できるだけの物が必要です。それに、死んでしまった聖衣を 生き返らせる事は、このムウにも出来ぬ事。それを知らない貴方や教 皇ではないでしょうに﹂ ﹁それは承知の上。だからこそ教皇は手を打たれている。見たまえ﹂ ﹂ シャカの言葉にムウがもう一度エクレウスの聖衣を見た。 ﹁な、これは ムウの表情が驚愕に変わる。 エクレウスの聖衣に近付くと、何かを確かめる様に触れ始めた。 ﹁死んだ聖衣を生き返らせるためには聖闘士の、小宇宙が宿った大量 の血を必要とする、だったか﹂ ﹁聖衣から微かに感じる生命の鼓動、消え去るばかりの末期の炎かと 思ったが││違う。これは今まさに燃え上がろうとする命の鼓動 ﹂ は冥府でシャカが海斗に渡した物と同じ。 シャカの手に握られたのは海斗の胸元におかれていた剣だ。それ して││﹂ ﹁そう、その血は教皇の物。エクレウスの聖衣へと流された物だ。そ た。 立ち上がったムウはその視線を自らの住まう館の方へと向けてい 年にあったのかと。 あり得ないと言う思いと、それ程の価値がこの聖衣に、いやあの少 は⋮⋮まさか ましたが⋮⋮無数の亀裂に沁み込む様に与えられたこの大量の血液 それにこの聖衣にこびり付く血は、一見彼の流した物かと思ってい ! 107 !? !? かつての加護は失われているがその残滓は確かに宿り、鞘から抜か れ白日の下にさらされた亀裂の入った刀身からは強大な小宇宙が、命 の力が満ち溢れていた。 ﹁足りない材料は、質はこの剣が十二分に補うはず﹂ ムウの驚愕を余所に、シャカは淡々と語る。 そして、全てを伝え終えると役目は終わったとばかりにその身体が 色を失い、まるで空間に溶け込むかの様に薄れ始める。 ﹃その血と剣と君の力でエクレウスの聖衣を蘇らせて貰いたい。そし て彼に新たなる力を﹄ ﹂ ムウが剣を手にした時には、既にその場にはシャカの小宇宙の残滓 が残されているだけであった。 ﹁シャカよ。君は、いや教皇は何を考えている ムウのその問いは風の中に紛れて消えた。 ノ ン 袂を分ったとは言え、やはり弟 持主を殺すのは惜しい。その事は〝お前〟にも分っているはずだ﹂ ﹃シャカの言っていたギガントマキアの再来か。あの小僧をそれに当 108 聖域、教皇の間。 は可愛いのかサガよ﹄ ﹃何故あの場で殺さなかったのだ そこに何かの因縁めいたものを感じ、サガは深く溜息をつく。 士となった。 聖域から一人の聖闘士が離れて海闘士となり、一人の海闘士が聖闘 いたが、まさか海闘士となっていたとはな﹂ ﹁スニオンの岩牢から姿を消して十一年。いつかは姿を現すと思って その呟きに応える者はいない。 ﹁⋮⋮やはり生きていたか、我が弟よ﹂ カ 何もない宙をじっと見つめていた。 光の差し込まぬ暗闇の中、ただ一人玉座に腰掛けた教皇││サガは ? ﹁あの場で争えば海斗は確実に死んでいただろう。あれ程の小宇宙の ? てるつもりか ﹄ ﹁敵は冥王軍だけではないのだ。イレギュラー相手に黄金聖闘士を動 かす事は出来る限り避けるべきだ﹂ ﹃フンッ﹄ いや、応える者はいた。 それは、暗闇の中でサガにのみ聞こえる声で続ける。 ﹃しかし、だからと言ってだ。たかが一聖闘士の命と海皇軍とを秤に 掛けるとは││愚かな事を﹄ ﹁アテナの施した封印はそこまで柔な物ではない。仮に海皇が目覚め たとしても、目覚めたばかりの神であるならば如何様にもやりようは あるものだ﹂ ﹃あの小僧を助ける理由にはなっていないが⋮⋮。フン、まあ良かろ う。だがサガよ、これだけは忘れるな﹄ ﹁⋮⋮﹂ ﹃貴様が俺に隠れて何を企もうとも、俺を出し抜ける等とは思わん事 ﹂ だ。何故なら俺は││﹄ ﹁黙れッ ち着きも威厳も何もない。 ただ、苦悩に顔を歪める一人の男の姿があった。 法衣の裾を翻して振るわれる拳はただむなしく空を切る。 ﹄ どれだけ拳を振るおうとも、その拳がサガの〝敵〟を捉える事はな い。 ﹃お前自身なのだからな。クククククッ、フハハハハハハハハハッ ﹁黙れッ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ ﹂ 己の内から湧き上がるドス黒い意志。 声。 脳裏に響き渡るのは、サガが最も憎むべき男の││己の上げる笑い !! ていた。 暗闇の中、己以外誰も居ない教皇の間にサガの慟哭だけが響き渡っ !! 109 ? 玉座から立ち上がり叫ぶサガ。そこには教皇として見せていた落 !! 溜息を一つ吐き、ムウはその長い髪を掻き上げる。 ﹁いや、今は何も言うまい。私は私に課せられた使命に従い、ただ目の サイコキネシス 前にある聖衣を修復するだけだ。そう、その時が訪れるまでは﹂ そう呟くと、ムウは瞳を閉じて││念じた。 念 動 力である。 すると、ムウの前に色とりどりに輝く無数の鉱物が出現する。神話 の時代、伝承の中にのみ存在するとされている鉱物が。 ﹁オリハルコン、スターダストサンド、そしてガマニオン⋮⋮﹂ そこから必要と思われる鉱物を見繕う。 ﹁⋮⋮これ程までに破壊された聖衣を元の形とする事はこのムウにも 不可能。大幅に形を変える必要がある﹂ シャカは言った、新たなる力をと。 ﹁求められるのは青銅を超えた青銅、と言う事ですか。やれやれです 110 ね、これは一筋縄ではいきそうもありません﹂ 懐から黄金に輝く槌と鑿︵のみ︶を取り出したムウは、その刃先を そっと聖衣に当てる。 言葉とは裏腹に、ムウの表情は真剣そのもの。 ﹂ ふうと一息を吐くと、その顔から表情が消え去り、その視線はただ 聖衣にのみ注がれる。 ﹁再生、いや新生の時だ││エクレウスの聖衣よ﹂ そうして振り上げた槌を、ムウは鑿の柄へと振り下ろした。 ﹁新たなる力を宿し、新たなる翼を得て、今再び││飛翔せよ ! 第8話 一時の休息の巻 三途の川。 東洋の、仏教的概念としては、現世と彼岸の境目にある人が死んで 七日目に渡るとされる川だ。 善人はそこに架けられた橋を渡り、軽い罪を負ったものは浅瀬を、 重罪人は深みを渡るとされている。 しかし、長い年月の中で〝橋を渡る〟という考え方が消え、料金を 支払い渡し船によって渡河するといった考え方へと変化する。 西洋、ギリシア神話にも類似の概念があり、ここでいう三途の川は ステュクス河やアケローン河となる。そこにも渡し守がおり料金を 支払って渡河するのだ。 古くから川というものは境界として見なされる事が多く、こういっ た考え方は洋の東西を問わず共通する部分が多くあった。 瀑 布 ﹂ 111 ﹁││以上、タメになる雑学講座でした、っと﹂ 冥府と河。この二つが揃っている時点で〝あるだろうな〟とは考 えていた。 だからこそ、海斗は目の前の河に一隻の小舟が浮かべられている事 の にも、その小舟の側に人影がある事にも、それ程驚く事はなかった。 それだけであるならば。 血 ﹁いよ∼ぅ、少年。お前さんも、あそこまで行きたいんだろう 本人ではあるが、これには誤と言いたい。 ﹁こいつならあっという間だ。どうよ、乗ってくかい 欲張りなタ いうのは違う。正誤を問うものではないのだろうが、これは誤だ。日 しかし、白のシルクハットに白のタキシードを着こなした老人、と い。 目の前の人物は海斗のイメージ通りの白い髪に白い髭。それはい ギリシア神話で言うところのカロンのイメージだ。 寡黙な年老いた老人だった。 海斗のイメージしていた三途の川の渡し守は白い襤褸を見に纏い、 ? ヌキさんの選んだ泥船よりは安全さ。お∼っと、そんなコワい顔をし ? なさんな、コッチは見ての通りのヨボヨボの爺ィだよ ﹂ 上 ? 靄の正体はそれかと。 ﹁ほら、乗った乗った ﹂ 一名様ごあんない∼っと﹂ 何をするでもなく、ただ呻きを上げ続けるマネキンのような人型と 老人の言葉で海斗はここに来るまでに見た光景を思い出す。 ﹁そういう事か﹂ とかうーとかそんなもんよ る奴等も似たようなもんでな、話し相手になんかなりゃしない。あー チすら留められなくなっちまった奴等の魂なのさ。人型を保ってい 白いもやっとした影をさ。ありゃあ死と共に自我を失い自分のカタ 話に飢えちゃってるワケ。少年もここに来るまでに見ただろう 二百数十年間、こ∼んな薄ぐら∼いトコに引き籠ってたせいでうえの 地 シイ爺ィの話し相手になってくれりゃあそれでいいんだ。何せこの 構よ。服を差し出せ、なんて事も言わないから。ちょっくらこのサビ ﹁ああ、手持ちがないのか。大丈夫、だいじょ∼ぶ。お代の六文銭は結 ﹁⋮⋮いや、別に││﹂ しかも、それが喧しいぐらいによく喋り、妙に馴れ馴れしい。 ? 海斗の意志などお構いなしであった。 だったら、ここいら ﹁それにしても、そのボロボロの聖衣は酷いねぇ。一体何と戦ったの ﹂ やら。上ではもう聖戦が始まっているのかい 一体も賑やかになるなァ ︵⋮⋮冥闘士か スペクター ? だが、仕掛けて来る気配はないし、わざわざ老人の 明らかに怪しく、胡散臭い相手である。 ! あ、冥界はハーデスだけの世界じゃないからな。敵であるならば⋮⋮ その時はその時だ︶ 思考する海斗の姿に、ああと、老人が手を叩き、思い出したとばか りにこう続けた。 ﹂ ﹁ああ、この爺ィのコトなら時の翁とでも呼んでくれりゃあいいや。 川の流れは時の流れの如し、ってな。洒落ているだろう ? 112 ? 老人は海斗の手を取ると勢いよく小舟へと乗り込んだ。 ! 姿を取るはずがない。奴等は全盛期の肉体を維持していたはず。ま ? 聖闘士星矢∼ANOTHER DIMENSION海龍戦記∼ 海斗は自分が夢を見ているのだと直ぐに理解した。 夢 は 情 報 を 記 憶 と し て 整 理 す る た め の も の と 聞 い た 事 が あ っ た。 ならば、これはまた懐かしい記憶だと。目の前の光景を見てそう思 う。 ﹃海斗、お前に聞いておきたい事がある。まあ、今更ではあるがな﹄ 確か、三年程前だ。 ﹄ その日の修行を終え、宿舎に帰ろうとする俺を珍しく師であるアル デバランが呼び止めて、 ﹃お前は本当に聖闘士になりたいと思っているのか そんな事を聞いてきたのだった。 俺は、何と答えたのだったか。 聞けば誰もが納得する様な、模範的な、当たり障りのない事を答え た様な気がする。 ﹃アテナのために、地上の平和のために、この力を正しく振るう事こそ が我ら聖闘士の本分だからな﹄ ﹄ こうも早く、まさかオレが下がらねばならんと 脈絡もなく場面が飛ぶ。 ﹃ウワハハハハッ は思いもしなかったぞ これは⋮⋮二年程前だったか かと思えば、これはいつの事だったか。 さすがは夢。見ている俺も繋がりの意味が分らん。 ﹃お前は小宇宙こそ強大だが、あまりにも制御が雑過ぎる。そうだ、 もっと意識を集中させろ﹄ 次々と浮かび上がる光景。 113 ? ﹃拳の引きが遅い。聖闘士にとってその隙は致命となる﹄ 初めてアルデバランを後退させた時の記憶か。 ? !? ! 僅か数年間の出来事がひどく懐かしく感じる。 ﹃出来が良過ぎるのも考えモノだな。これではオレの教える事がない ではないか。ワハハハハハッ﹄ また場面が変わった。 古戦場跡だ。そこで俺とアルデバランが組手をしていた。 師の攻撃を避け、その懐に潜り込んだ俺がボディーブローを放とう としている。 ﹁そうだ、この拳は受け止められた﹂ 呟きの通り、アルデバランは難なく俺の拳を受け止める。 ﹁そしてカウンターの一撃を貰ったんだ﹂ あの一撃は効いたなと、その時の事を思い出して腹に手を当てた俺 は、そこで違和感を覚えた。 直後に放たれたはずの一撃がいつまで経っても来ないのだ。 アルデバランは俺の拳を受け止めたまま、微動だにしていなかっ ﹄ ? 114 た。 それだけではない。 傍観者であった筈の俺が舞台に立ち、アルデバランと向かい合って いた。 黄金聖衣を纏ったアルデバランの右手が俺の、破損したエクレウス の聖を纏った今の俺の拳を掴んでいたのだ。 ﹂ ﹃お前の拳は││軽い﹄ ﹁⋮⋮何 暗闇の中で声だけが響く。 ? アルデバランの声ではない。 ﹁チッ、キタルファ⋮⋮だったか ﹂ ﹃お前は何のためにその拳を振るうのだ ンの姿が消え、全てが闇に包まれて何も見えなくなる。 俺の周り、いや周りだけではない。俺の拳を掴んでいたアルデバラ 夢の雰囲気が変わった。 ない言葉。 目前に立つアルデバランの口から出た言葉。それは俺の記憶には ? ﹄ ﹃お前は強い。同じ条件の下で戦えば、オレとて容易く勝てるとは思 わん。だが、その力でお前は何を望むのだ ﹁別に、大層な望みなんかありゃしない﹂ ﹃己のためだけに振るう拳は空しいぞ﹄ この声は違う。 ﹃言葉は悪いかも知れんがな、お前の拳には執念がない。命を賭して でも何かを成そうとする覚悟、とでも言えば分り易いか。それが他の 者達と比べて感じられんのだ﹄ これはアルデバランの声だ。覚えている。アルデバランに弟子入 りして直ぐの頃に言われた事だ。 ﹁⋮⋮まさか、夢の中で説教を喰らうとは﹂ そうぼやいた俺の背後に、暗闇の中であっても眩い輝きを放つ黄金 聖衣を纏ったアルデバランの姿が浮かび上がる。 いつもの様に両腕を組み、どっしりと構えたその姿は、しっかりと 大地に根付いた一本の大樹の如く。 胸を張り、常に前だけを見ているその姿勢、その力強さは俺にはな いものだ。 今思えば、俺はその姿に憧れを感じていたのかもしれない。 ﹁今更言えんわな、本人の前では﹂ 何と言うか恥ずかし過ぎる。言えるわけがない。 ﹃女神アテナは戦を司る神ではあったが、その戦いは常に護る為の戦 いであった﹄ アルデバランの言葉が続く。 ﹃デスマスクやシュラ、ああ、俺と同じ黄金聖闘士だがな。彼らは勝利 にこそ意味があると言う。何に於いても勝たねば意味がないと﹄ それはそうだ。負けてしまえば何も言えない。勝たなければ何も 成せない。 そう、あの時だって俺は勝たなければならなかったのだ。 ﹃真理ではあるが、オレはそれだけが全てだとは思ってはおらん。何 かを護る事、誰かを護り抜こうとする意志こそが重要なのではない か、とな﹄ 115 ? この言葉は、一体いつ聞いたものだったか。 覚えていない。 馬鹿馬鹿しいと聞き流した言葉だったか。 そんな事を思案していると、気が付けばアルデバランの姿は消え去 ﹂ り暗闇の中で俺は再び一人となっていた。 ﹁フッ 何もない空間に、全力を込めた拳を突き出す。 ﹁はははっ、無いな。孤児院連中やシャイナ、師匠たちとはただ戦いた くないだけだ。何かを護ろうなんて考えちゃいない﹂ 海闘士の事だってそうだ。 戦いたくないと思いこそすれ、彼らを護ろう等とは考えていない。 ﹁師の意志を継げない、ってのは弟子失格かね﹂ 不意に自分の身体が浮き上がるような感覚を覚えた。 ﹃何かを護ろうとするその想いこそが、己の拳に力を与える。オレは そう考えている﹄ 周囲の闇を消し去る様に、白い光が俺の周りから溢れ出す。 ﹃アテナのため、それを強要はせんよ。そうである事が望ましくはあ るがな﹄ ああ、目が覚めるんだなと、漠然と考える俺の下に再び師の声が響 いた。 ﹃お前も早く見つける事だ、お前自身の護るべきものを、な﹄ 第8話 ゆっくりと瞼を開く。 視界に映るのは一面の白。 カノンに負けた俺は⋮⋮﹂ まだ夢の中にいるのかとも思ったが、よく見てみればそれは天井の 色だった。 ﹁ここは病院⋮⋮か ? 116 ! ﹂ どうなったと、その後の事を思い出そうとするが、意識を失ってい たのだから思い出すも何もない。 ﹁いや、三途の川は⋮⋮あれこそ夢か ﹁ん ﹂ せない事に気が付いた。 身体に掛けられたシーツをどけようとして、俺は自分の右腕が動か 棚上げである。 ﹁取り敢えず起きるか﹂ それをじっくり五分程繰り返し、結論を出した。 そんな事は、という思いと、いやしかしのせめぎ合い。 ? 猫か 病院に いやまさか 何か温かいモノが俺の腕に乗っている。 犬か ? ? さて、そのお子様は大口を開けてシーツごと俺の腕に噛み付いた。 ﹁⋮⋮いただきま∼す﹂ いらっしゃる。 微妙に落胆する俺に対して、この見知らぬお子様は実に幸せそうで 一体どんな夢を見ているのか。 ﹁⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮うぇへへへ∼﹂ だろう。むしろ気にもしないと思われる。そんな連中だ。 数少ない例外もある事はあるが、看病どころか見舞いにすら来ない がない。 冷静に考えれば、この十数年の人生にそんな女っ気などあったはず ﹁まあ、現実なんてこんなモンだろうさ﹂ 涎を垂らして気持ちよさそうに眠る見知らぬ男の子の姿があった。 そこには、俺の腕を枕にして││ くりと視線を動かした。 細心の注意を払い、俺が目を覚ました事を気付かれない様に、ゆっ るを得ない。 昔見たTVドラマや漫画であれば、この重さの正体は││期待せざ ? ガブリ、と。 117 ? ? 虫歯はない様で実に結構な事だ。 ﹁ふむ﹂ 上半身を起こして周囲を見る。 俺のいるベッドの横には簡素なテーブルに椅子が二つ。 奥には古びたクローゼットと思わしき家具が一つだけという、聖域 も真っ青の質素かつシンプルな部屋だと言う事が分る。 ﹁病院では⋮⋮ないな。それにこの空気の薄さは、聖域でもない﹂ 自分の姿を見れば、貫頭衣の様な服を着せられており身体の所々に 包帯が巻かれていた。 それは別に構わないのだが、思っていた程の傷がない事の方が気に 掛かった。 まさか、ここまで回復する程眠り続けていた、等という事はないと 思うが。 ﹁分らない事をいつまで考えていても仕方がない﹂ これだった。 胸の前で両手を合わせて心の底から嬉しそうに笑う銀髪の少女。 これが、俺と少女││セラフィナとの何とも締まらない出会いで あった。 118 ならば分る人間に聞けばいい。 俺は未だ腕をかじり続けるお子様を見た。 ﹁ムグムグ⋮⋮マズい∼⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮これは虐待ではない。教育だ﹂ 自分でも何を言っているのか分らなかったが、俺はこの幸せそうな お子様に目覚めの一撃をプレゼントする事にした。 それに、人見知りな貴鬼を ﹁まあ、良かった。目が覚めたんですね ﹂ 相手にもうそんなに仲良くなるなんて ﹂ !! ドアを開け、取っ組み合う俺とお子様の姿を見たそいつの第一声が ﹁あん ﹂ ! ﹁んがががか∼∼っ ! ? ﹁つまり、俺はシャカって黄金聖闘士の手でここ││ジャミールに運 ばれて来た、と﹂ ﹂ ﹁そーだよ、五日前にね。なんかおっかない人だったケド。にーちゃ んの知り合いじゃないの ﹁シャカさん、ね。⋮⋮三途の川は夢じゃなかったか﹂ ﹃⋮⋮あうぅぅう⋮⋮﹄ 軽く自己紹介を済ませた俺は、早速貴鬼にこれまでの経緯を尋ねる 事にした。 貴鬼は第一印象と見た目に反して意外としっかりしている様で、六 歳児とは思えぬ利発さを見せている。 ﹁知り合いっちゃあ知り合いになるんだろうなぁ。次に会った時に礼 を言うべきかどうか迷うような相手だが﹂ それにしても、乙女座のシャカか。 最も神に近い男、だったか。 何を考えているのかまるで分らない男だと、師はそう言っていた。 納得だ。 俺を助けたと言う事は、あの時の戦いを知られたと思って間違いは ない。 知られるのは構わないが、だとすればカノンや海闘士の事はどう なったのだろうか。 海皇の事までは知られていないのか、それとも既に手は打たれた後 なのか。 ﹂ おいらはムウ様の命令で直ぐににーちゃんたちをここに運 ﹁なあ貴鬼。シャカは、その、俺の事で何か言っていたか ﹁さあ ? る。 確かに、これ以上聞いても分らないだろう。 ﹁ところで、さっきから言ってるムウ様って、もしかして││﹂ ならばと、俺は次の質問をする事にした。 119 ? 貴鬼は、傾けた椅子の上で器用にバランスを取りながら遊んでい んだから知らないよ﹂ ? かつて聞かされた事がある。 ジャミールのムウ。聖闘士となるのならば覚えておくべき名前だ と。 ﹁にーちゃんはさ、お姉ちゃんに感謝しなよ﹂ しかし、貴鬼はそんな俺の言葉を遮って話し始めた。 ﹁死にかけてたにーちゃんの怪我を治したのはお姉ちゃんなんだから クラテリス な﹂ 杯 座の白銀聖闘士。 自らの小宇宙によって傷付いた者を癒すという、八十八の聖闘士の ﹂ 中でも極僅かな者しか持ち得ない治癒の力の持主だという。 ﹄ ﹁ずっと付きっきりだったんだぞ。感謝しろよ ﹃⋮⋮バカバカ、私の馬鹿⋮⋮ッ ! に偉そうなんだ ﹁へへっ ﹂ ﹂ 素直に礼を言うと、貴鬼は照れくさそうに笑っていた。 ﹁ありがとな﹂ にしているところに態々水を差す必要もない。 思いっきり寝てたじゃねーかと言ってやりたかったが、気分良さ気 ﹁おいらだって看病してやったんだぞ ﹂ ﹁ああ、それは⋮⋮そうだな、感謝するよ。でもな、何でお前がそんな ! ﹁セラフィナお姉ちゃんの淹れてくれるお茶はおいしいんだよ、お茶 は﹂ それから暫く。貴鬼の分る範囲ではあったが、あらかたの質問を終 えた俺は、セラフィナが持って来てくれていた茶を飲みながらのんび りと雑談に興じていた。 ﹃⋮⋮うぅぅぅ、どうしよう、どうしよう﹄ ﹁お茶を二回言うのが気になるが。まあ、確かに美味いと思う。正直、 味の良し悪しは分らんが﹂ ﹁なんだいそれ﹂ 120 ? ? この素直さは癒しかもしれん。 ! ﹃⋮⋮そうだ、さっきのはナシって事でもう一回始めからやり直せば ⋮⋮﹄ ﹁⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮お姉ちゃん⋮⋮﹂ いい加減、無視するのも疲れて来た。 ちらりと貴鬼に視線を送る。 サッと目を逸らしやがった。 ⋮⋮仕方がない。 かれこれ三十分は経っているだろうか。覚悟を決めた俺は、こちら に背を向けたまま部屋の隅でしゃがみ込み、ずっと何かをブツブツと 呟いている不審者に声を掛ける事にした。 瀕死であった俺の治療をしてくれたと貴鬼から聞かされている以 上、このまま放っておくわけにもいかない。 ﹂ ﹁⋮⋮セラフィナさん﹂ ﹁ひゃい ﹂ ﹁いや、そこまで驚かれても困るんだが﹂ ﹁な、何でしょうか、か、海斗しゃん いる分には面白い。 ずっと観察していて思ったが、随分と喜怒哀楽の激しい奴だ。見て がっくりと肩を落とすセラフィナ。 から仮面をつけていなかったらしい。 の周囲には人避けの結界まで張られているらしく、セラフィナは普段 滅多に人が訪れる事のないジャミールという立地。そして、この館 ﹁あぅううううううう﹂ わなければ分らない事なんだからさ。素顔を見られた事なんて﹂ ﹁⋮⋮見なかった事にしておいてやるから気にするな。俺か貴鬼が言 が。 理由は分らんでもないが、今更気にしても仕方がないと思うのだ おまけに顔をこちらに向けようとしない。 は噛みまくりで気が動転しているのが良く分る。 ピンと背筋を伸ばして立ち上がったセラフィナだったが、その言葉 ? 121 !? 聖闘士の女子は││以下略。 貴鬼から聞かされていたが、このお間抜けなお嬢様は、俺は今でも 信じられないが聖闘士だと言う。 しかも白銀の。セラフィナ曰く、正式に認められた聖闘士ではない との事だが。 更に十六歳だと言う。今の俺よりも二つ上だ。精神年齢はどうか 知らんが。 ﹁親兄弟、家族や師匠の前では外してもいいんだよ﹂ とは貴鬼の弁だ。それもどうかと思うが、最初から素顔を知ってい る間柄ならそれでもいい様な気もする。掟については知らん。 で、普段から館では仮面をつけない事が当たり前となっていたセラ フィナは、素顔のままで俺の様子を見に来てしまった、と。 ﹁まあ、掟だか何だか知らないが、別にそれで死ぬわけでも││﹂ ﹂ ないだろうと、そう続けようとした俺は目を見張った。 ﹂ !? いう間に移動したセラフィナ。 成程、さすがは白銀聖闘士︵仮︶、良い速さだと感心していた俺の肩 ﹂ ががっしりと掴まれた。かなり痛い。 ﹁責任とってくれますか うなら、この事を一生他人に口外するな﹂と言う事なのだろうか。 言っている意味は分らないが、つまりは﹁素顔を見た事を悪いと思 否とは、とてもではないが言えない。 ら感じた威圧感に匹敵する。 この感覚は、闘技場を吹っ飛ばしてしまった時の魔鈴やシャイナか 正直言おう。眼が怖い。 ではない。 男なら喜ぶべきところなのかもしれないが、そんな色気のある状況 ずいっと身体を乗り出して俺に迫って来る。 !? 122 ﹁じゃあ、責任とってくれますか ﹁││は ? 部屋の隅でうなだれていたかと思ったら、俺の目の前へとあっとい イキナリ何を ? そんな必死に念を押さなくても、元々言いふらすつもり等はない。 ﹁あ、ああ、分った﹂ だから、もう気にするな。 ﹂ そういうつもりで言ったのだが。 ﹁∼∼ッ セラフィナは俺の肩を掴んだまま、何故か顔を真っ赤にして動きを ﹂ 止めてしまっていた。 ﹁オイ貴鬼 掟なんだよ。ムウ様が言ってたもん﹂ ﹂ ﹁⋮⋮ちょっと待て。何だそのぶっ飛んだ掟は 聖闘士 ﹁にーちゃんだって聖闘士じゃん﹂ やはりおかしいぞ どこから出て来るんだ、そんな二択が。極端にも程があるだろうが !? ﹁聖闘士の女子はね、素顔を見られたら相手を殺すか││愛するのが 六歳児にマヌケと言われる日が来るとは思いもしなかった。 誰がマヌケか。 抜けヅラじゃいられないもんね﹂ ﹁あのさ、にーちゃん。意味分って⋮⋮ないね。分ってたらそんな間 をこちらに向けていた。 コイツ大丈夫かと、そう思って貴鬼を見れば、何とも生暖かい視線 ? ういう事だったからか 知っとけよ師匠 ﹁そんなトンデモな掟なら館の中でもつけろよ仮面を そりゃあ、聖域の女子から敵視もされるわ ? 日物ですが、でしたっけ ﹂ ﹁分ってたんなら止めろよ貴鬼 ﹂ ﹂ !? ! ? それじゃあ、私は海斗さんを殺さないと !? ﹂ それから、二日物じゃナマモノだ ﹁ええっと、海斗さんは日本の人なんですよね。こういう時は⋮⋮二 !! !! ! 違うからな、俺はそういうつもりで言ったんじゃないからな ﹁そんな !? 123 !? !! じゃあ何か、昔俺が聖闘士候補の女子達に白い目で見られたのはそ !! ! ﹁だからその発想がおかしい事だと気付け ﹂ ﹁⋮⋮騒がしいですね、何をしているんですか貴方たちは ﹂ 結局、騒ぎに呆れたムウが止めに入るまで、延々とセラフィナとの 噛み合わない問答が続けられた。 貴鬼はただ面白そうにケラケラと笑っていた。 外衣を纏い現れたムウを見て、俺は一瞬彼を女性だと見間違えてし まった。 長い髪を後ろで結んだ、長身の美しい大人の女性だと。 静かで穏やかな物腰、その落ち着いた様子は俺の知る聖闘士像とは まるでかけ離れており、一見しただけではとても戦いを行う人間には 見えない。 キトン ちなみに、聖域だけかと思ったが、古代ギリシアを彷彿とさせる 内衣と外衣︽ヒマティオン︾という服装は、どうやら聖闘士にとって は普段着に等しいらしい。 とはいえ、さすがに現代の﹃外﹄の事情も考慮する気はあるのだろ う。当然下着とズボンは着用している。 ﹁⋮⋮やれやれですね。阿呆ですか貴女は﹂ 外見に反して、随分と辛辣な言葉を仰る方の様だ。 本来、女性聖闘士にとってのマスクとは、聖闘士である事の ﹁いざ戦いとなった時にマスクが外れるかどうかを気にする者がいま すか ムウの言葉に、俺は貴鬼を見てセラフィナを見た。 二人ともぶんぶんと首を振っている。 ﹁他人の手でそのマスクを外されると言う事は女性聖闘士にとっては 誇りを汚される事と同意。そして自らの手でマスクを外すと言う事 は、相手への、相手にとっても、これ以上ない信頼の証となるのです﹂ 納得した。 成程、それが長い年月の間に徐々に歪んで伝えられた結果があの究 極の二択になったと。 124 ? !! 証であり、誇りの様な物でしかありません﹂ ? ﹁ヒドイですよムウ様。それならそうと教えておいて下さっていれば ﹂ 男の子だっ セラフィナが頬を膨らませてムウに詰め寄っている。 その点は同意だ。 ﹁わたし子供の名前まで考えちゃったじゃないですか たらユニティとか、女の子だったら││﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮﹂ 貴鬼は課題を済ませておくように。 どで構いませんので下まで来てもらえませんか ﹂ ﹁⋮⋮さて、海斗でしたか。君には少々聞きたい事があります。後ほ ! とある家族の半世紀上にも渡る壮大な物語が語り終えられるまで、 少女がやがて年老いて、ひ孫に看取られて息を引き取る。 │﹂ ら子供達の枕代わりになって貰うんです。こう、おなかのところに│ ﹁そうですね、犬を飼うのも良いかもしれませんね。大きい子だった ﹁⋮⋮﹂ その際、俺を見て手を合わせ││ニヤリと笑いやがった。 ひょいっと、軽快に椅子から飛び降りた貴鬼がその後に続く。 ﹁は∼い、分りました﹂ 何食わぬ顔で。 そう言ってムウは踵を返し、この部屋を後にした。 ? 俺はそのまま一人でセラフィナの相手をするハメになっていた。 125 ! 第9話 狙われたセラフィナ の巻 ⋮⋮ そ ? そうだ、あそこに見えるのは手甲、あそ 一つや二つでは済まない。 ││聖衣か﹂ こにあるのは肩当ての部分か。あれも、あれも、ここにある物は全て ﹁これは⋮⋮ヘッドギアか 海斗は室内を見渡すと、足下に転がるそれを一つ拾い上げる。 に散らばった大小様々な無数の欠片だ。 一歩を踏み出し、広間へと足を踏み入れた海斗が見た物は、部屋中 る。 しんと静まりかえった無人の室内に、海斗の呟きが波紋の様に広が ﹁こいつは││﹂ ギイと軋んだ音を立てて扉がゆっくりと開く。 木製の扉に手を掛けた。 海斗そはう独りごちながら目の前に見えた扉の前に立つと、古びた ﹁それでも⋮⋮どこかで言っておかないとな﹂ 今更面と向かって礼を言うのも気恥ずかしく思う。 フィナに礼を言う機会を逃してしまっていた。 タイミングと言うのは重要なもので、先程の馬鹿騒ぎのせいでセラ ⋮⋮﹂ ﹁傷 の 手 当 て や 看 病 を し て く れ た 事、そ れ 自 体 に は 感 謝 し て い る が はいない。 頭を掻きながら溜息交じりに呟かれる海斗の言葉に返事を返す者 れはそうとして﹂ 凄 い な。小 宇 宙 の 譲 渡 か 相 手 の 小 宇 宙 に 同 調 さ せ て ﹁血液の流れをどうこうってレベルじゃない。癒しの力か。単純に、 れた割には、思った程身体がなまっている様には感じられない。 身体の節々に筋肉痛の様な痛みはあったが、五日も寝ていたと言わ 段を下りる。 履き慣れない靴の感触に戸惑いながら、一歩一歩を確かめる様に階 ! 形が残されたパーツの数から推測しても、恐らく十や二十では収ま 126 ? ? らないだろう。それが分る。 ﹁⋮⋮まるで聖衣の墓場だな﹂ ﹂ ﹁同時に、再生の場でもあります﹂ ﹁││ッ 背後からの声に海斗が振り向けば、そこには先程と変わらず、落ち 着き払った様子で佇むムウの姿があった。 ︵今の今まで人の気配は感じなかった︶ あまり趣味が良いとは言えませんね、牡羊座の ア リ エ ス 内に湧く驚愕を押さえつつ、海斗は緩み過ぎたかと気を引き締め る。 ﹁いつからですか 二人の間には会話らしい会話もなく、あるのは精々があちらに、こ それからどれ程進んだのか。 を追う。 りに思いだそうとするが、どうでもいい事かと、先を進むムウの背中 聖域とチベットの時差は五時間程だったかと、おぼろげな記憶を頼 ている様だと海斗は感じていた。 霞がかった視界は方向だけではなく、時間の感覚すら狂わそうとし さを増す。 ムウの指示に従い先に進むにつれて、辺りに立ち込める霧がその濃 ﹁こちらです﹂ まるで石で出来た五重の塔だなと、背後の館を一瞥する。 広間を抜けて館の外へ。 た。 手にした聖衣の欠片を足下に置き、海斗は無言のままその後に続い ついて来なさい、そう言ってムウは広間を奥へと進む。 す﹂ を聞いていたようですね。しかし、そう呼ばれるのも実に久しぶりで ﹁アリエスの、ですか。フッ、どうやらアルデバランから多少は私の事 ムウ﹂ ? ちらへと言った指示程度。 127 !? その事自体は海斗にとっても特に気にする事ではなかったのだが、 聞きたい事があると言ったのはムウである。 まさか、あの場から離れるための方便であったわけでもあるまい に、と。ならば、と海斗は自分から話を振る事に決めた。 ﹁そこで止まりなさい﹂ しかし、話とは、と口を開こうとした海斗よりも先に言葉を発した のはムウ。 ﹁ここより先に、あなたの聖衣があります。新生したエクレウスの聖 衣が﹂ ムウが指し示した方向をじっと見たが、深い霧の為か、うっすらと かなり手酷くやられていたが⋮⋮そうか、あ 道がある様にも見えるがその先がどうなっているのかまでは分らな い。 ﹁⋮⋮聖衣がここに なたが修復してくれたのか﹂ ﹁修復ではありません。新生と言いました。そう、エクレウスの聖衣 は新たに生まれ変わったのです﹂ ﹁││生まれ変わった﹂ ﹁そうです﹂ 感慨深く呟いた海斗とは異なり、ムウの言葉にはどこか鋭いものが 含まれていた。 ゆっくりと海斗へと振り返るムウ。 その醸し出される雰囲気こそ﹃静﹄であったが、その奥底から感じ る気配は激しいまでに﹃動﹄。まるで一回りも二回りも大きくなった 様な、それ程までの、圧倒的な存在感を放っていた。 ジャミールのムウ。聖域との関わりを断ち、だた黙々と人里離れた 奥地にて聖衣の修復を手掛け続ける世捨て人の様な男。 かつて、アルデバランは海斗にそう話した事もあった。 ﹁さて海斗、あなたには色々と尋ねたい事はありますが﹂ だが、と海斗は目の前に立つムウの小宇宙を感じて思う。 一見すると物静かで優雅ささえ感じさせるこの男。 その本質はやはり聖闘士││戦う者なのだと。 128 ? スニオン岬でカノンと対峙した時点で、こうなる事は覚悟してい た。 だからこそ、海斗に動揺はない。 来るべき時が来た、その程度の事。 ﹁軽度の破損であればともかく、命を失った聖衣を蘇らせるには命を 必要とします。命、つまりは生きた聖闘士の大量の血です。当然、エ クレウスの聖衣を新生させる為にも必要とされました。それを提供 したのは││教皇だと聞いています﹂ ﹂ ﹁待ってくれ。エクレウスの聖衣を修復するために血が必要となるの は分った。だが⋮⋮教皇だって ﹁あなたをこの地へと連れて来たシャカの言葉です。彼が言うのであ れば真実なのでしょう。しかし、だとすれば腑に落ちない点が一つ。 故あって、私は教皇の事であれば誰よりも知っていると言う自負があ ります。ですが、エクレウスの聖衣に与えられた大量の血から感じら れた小宇宙は私の知る教皇のものとは違うのです。ならば、今聖域に いる教皇は││﹂ ﹂ しかし、ムウの口から出た言葉は、その海斗をして驚きを隠せない ものだった。 ﹁││一体誰なのでしょうか 第9話 最初の数日こそ物珍しさも手伝って、海斗は周囲の散策などを行う 事で退屈を紛らわせていたのだが、それも今では過去の事。 ならば本でも読むかと、ムウの蔵書から何冊か借りはしたものの、 難解過ぎて三十分もしない内に返却していた。内容が、ではなく、書 かれた文字が理解出来なかった為だ。 ﹁あれは文字じゃない﹂ 129 ? 海斗がジャミールの地で目覚めてから更に一週間が経っていた。 ? こうなってしまっては、途端にする事がなくなってしまう。それを 自覚してしまうと、途端に暇であるという事が苦痛に思えてしまう。 いわゆる居候の身である以上、何もしていないというのはどうにも 居心地が悪かった。この辺りで自分が日本人なんだなと意識する。 聖域からの迎えが来るまでゆっくりすると良いでしょう。ムウは そう言っていたが、生憎とジャミールは海斗にとっては聖域以上に娯 楽のない退屈な場所である。 長く居れば、それなりに楽しみも見い出せるのかもしれないが、そ こまで厄介になるつもりもなかった。 館から少しばかり離れたところにある広場。 広場と表現したが、むき出しの岩肌に囲まれた少しばかり開けた場 所でしかない。が、この地に住むジャミールの民からすれば十分に広 場である、とは貴鬼の弁であった。 130 ﹁││暇だ。しかし、もう二週間近くか。迎えってのはいつ来るのや ら﹂ 手頃な岩を見つけて腰掛けていた海斗が、霞がかった空を眺めなが ら呟く。 その横にはエクレウスの聖衣箱が置かれていた。 ﹃私と貴鬼は今日から数日程ここを離れる事になります。その間は工 房を閉めますので、聖衣はあなたが持っていなさい﹄ ムウからそう告げられたのが、今から約二時間前。 ﹂ そこで、留守番を任さたセラフィナに捕まり、ずるずると表へと連 れ出されて今に至る。 ﹁だったら一緒に修行しましょう わる事はなかった。 見学する事だけが唯一の日課とも言えたのだが、これまでその中に加 暇を持て余していた海斗にとって、ムウとセラフィナたちの修行を かりに申し出た。 瞑想を終えて、四肢の柔軟を始めていたセラフィナが、名案だとば 海斗の呟きが聞こえたのだろう。 ! 傷も癒え、身体を動かすには何の支障もないはずであるのに。 その事がセラフィナや貴鬼にとって疑問であったのだが、ムウはそ ﹂ れについて特に何も言う事は無なかったので深く追求はしていない。 ﹁ね そう言って、セラフィナが空を見上げていた海斗の後ろから覗きこ む様に身を乗り出す。 大きな瞳を輝かせ、何かを期待する様に海斗を見る。 ﹁ふわぁあ⋮⋮あふっ﹂ それに対しての返答は欠伸を一つ。 ﹁いや、止めとくわ﹂ ﹂ そう言って身体を起こし、立ち上がる海斗。 ﹁もうっ、またですか ﹁海斗さん ﹂ そして、何かを確かめる様に自分の拳を握り、開きを繰り返す。 が付いた。 すると、先に立ち上がっていた海斗がじっと自分を見ている事に気 たセラフィナ。 よしっ、と気合いを入れ、もう一度海斗に言ってみようと顔を上げ い。 た海斗がいつここから去るか分らない現状で、これを逃す機会はな 目の前に普段目にする相手とは異なる存在がいるのだ。傷の癒え で行う方が良い。 一人で修業を行う事は珍しくはなかったが、それでも一人より二人 今迄であれば、ここで引き下がる所ではあったが、今日は違った。 セラフィナにとって、この海斗の答えは予想通り。 ? られる。 !? 慌ててセラフィナは自分の身なりを確認する。 ﹁あ、まさか ﹂ そんなもどかしさ、とでも言うのか。何かを迷っている、そう感じ 何かを言いたそうで、しかしそれが言葉にならない、纏まらない。 どうも様子がおかしい。 ? 131 ? ﹂ ﹂ 何かおかしなところでもあったのかと。 あれ ﹁⋮⋮何をやっている ﹁え ? ? 駄目ですよ海斗さん ﹂ !? ﹂ ? 存在が現れると。私達聖闘士はアテナの下でその闇と戦う事になる ﹁ムウ様が仰られました。やがて、この地上を闇に包み込もうとする 始めた。 しかし、セラフィナは一言一言を自分の中で確かめる様にして答え ﹁⋮⋮陽光です﹂ ひかり ﹁悪い。忘れてくれ﹂ かったかと、海斗は苦笑する。 理由や目的は人それぞれ。その様子に、あえて聞く様な事でもな セラフィナはぽかんとした様子で海斗を見ている。 てみたくなったのだ。 ふと、海斗はこの争いとは無縁としか思えない少女が何故、と聞い も稀だ。 力を得る事に目的を見出した者もいるだろう。だが、それはあくまで その中には星矢の様に交換条件を提示した者もいれば、海斗の様に 聖闘士となる事を命じられた。拒否権などあろうはずもない。 あの日、城戸光政に集められた孤児たちは、半ば強制にも近い形で ﹁なあ。お前は、どうして聖闘士になろうとしたんだ まるで気にした様子もなく淡々とした口調で話し掛けた。 顔を真っ赤にし、涙目で睨み付けるセラフィナであったが、海斗は さすがにそれは早過ぎる、と。 両手で身体を抱きしめる様にして後ずさる。 ﹁ハッ 確か二人きりだのなんだのと。 す。 そう言えば、貴鬼が出掛ける前に何か言っていたはずだと思い出 違うのか、なら何なのだろうと考える。 ? のだと﹂ 132 !? その言葉に、闇とは海皇の事かと海斗は考えたが、何かが違う様に も感じる。 それ ︵闇、ね。あえてそう表現したのなら、冥王の事だけじゃあなさそうだ な︶ ﹁この地上に生きる全てにとって陽光は必要なものでしょう が無くなるのはとても悲しい事﹂ セラフィナは真っ直ぐに海斗を見つめた。 ら﹂ のかもしれない。それでも、こんなわたしでも出来る事があるのな ﹁わたしにどれ程の事が出来るかは分りません。何の役にも立たない ﹁⋮⋮﹂ 来ないから﹂ でも、そうと分っていながら何もせずにただ見ている、そんな事は出 ﹁わたしは争いは望みません。戦う力も抗う力もあるとは思えない。 ? ﹂ セラフィナが腕を引かれたのだと気付いたのは海斗に抱き寄せら れた後であった。 自分の方が年上であったが、今更ながらに自分よりも海斗の方が背 が高かった事を自覚する。 ﹁苦情は後でな﹂ そう言って海斗が拳を放った。 衝撃がむき出しの岩肌を、大地を穿つ。 ││フフフッ、どうやら威勢の良い者がいる様だが 133 それが理由です。 そう言って、照れくさそうにセラフィナは微笑んだ。 ﹁出来る事、か﹂ ││役には立つ 突如として周囲に響き渡る誰ともつかぬ声。 わっ 一瞬、空耳かと、セラフィナが視線を動かし││ ﹁え !? 視界がぶれた。 ? ﹂ ﹁チッ、ここまで近付かれていながらな。鈍ったか だ ﹂ ││お前には用はない ﹁⋮⋮どこだ お前たち何者 ? ﹁海斗さん ﹂ セラフィナだけでも逃がす事は出来ただろうが、と。 超常の力により他者の転移を可能とする二人であれば、この場から ムウが、いやせめて貴鬼がいれば。そう思う。 ﹁こんな時に⋮⋮﹂ の気配だけを頼りに探るよりはマシだと。 霧のせいで決して良好とは言えなかったが、それでもノイズ交じり る。 小宇宙の感覚だけに頼る事を諦めて、視覚も用いて相手の姿を探 確かさに海斗は眉を顰める。 む事が出来ない。まるですりガラス越しに遠くを眺めている様な不 詳しい気配を探ろうにも、この地に張られた結界の影響か上手く掴 ﹁チッ。感覚がおかしい。この歪む様な感じ、⋮⋮これでは﹂ 二つ、三つと複数の存在を感じ取れるがそこまでであった。 周囲から炎の揺らぎの様に感じる攻撃的な小宇宙は一つではない。 海斗は瞳を閉じ、小宇宙を探る事だけに意識を、感覚を集中させる。 ? だとすれば、随分と嘗めら ? きゃああああああぁっ ﹂ !? 大地から巨大な影が飛び出したかと思うと、それは海斗とセラフィ 突然、二人の足下が爆ぜた。 ﹁え ﹃そら、どこを見ている。足下が留守だぞ﹄ その言葉と共に、突如として海斗達の足下が激しく隆起した。 ││その価値すらない ﹃甞めてなどいない﹄ れたな﹂ ﹁いや、むしろ不在であるからこそ、か 胸元から離れ、海斗に背中を預ける様にして周囲を窺う。 異様な小宇宙をセラフィナも感じ取ったのだろう。 !? 134 ? ? ﹂ ナの身体を宙へと吹き飛ばす。 ﹁セラフィナ ﹃他人の心配をしている余裕があるのか ﹂ ﹁そこをどきなさいっ ﹂ 幾重にも重なった人影が立ち塞がる。 ﹄ 着地して駆け出そうとしたセラフィナであったが、そうはさせぬと ﹁海斗さん と叩き付けられた。 振り向く間もなく、轟、という衝撃を受けて、海斗の身体が岩肌へ 体勢を立て直そうとした海斗の背後から聞こえる声。 ? !? 巨 人 族 お前が大人しく我等に従うのであればな﹂ あなたたちギガスは神々の力によって冥府に封じられて ﹁あの人間が心配か ならばこう言おうか。お前が抵抗すれば││ 速度で散開していたギガスたちがセラフィナを囲む。 リーダーと思わしき男が手を上げると、その巨体からは信じられぬ ﹁こうして我等は此処にいる﹂ る。 セラフィナの呟きに、ギガス達は醜悪な笑みを浮かべて見せて答え かし││﹂ ﹁ほう、我等ギガスを知るか。フン、確かに我らの魂は封じられた。し いたはず⋮⋮﹂ ﹁そんな ら凌駕する高度を持つ金剛衣を纏っていたとされている。 アダマース その身には、聖衣の素材として用いられる希少金属オリハルコンす 激しい争いを繰り広げたガイアの子ら。 神話の時代、この地上を我がものにせんとしてオリンポスの神々と ギガス、その言葉をセラフィナは知っていた。 ﹁我らの王の命により、女、貴様を連れて行く﹂ ﹁我等はギカス。古の時代より蘇ったギガス﹂ ﹁構わんぞ 体で構成された結晶のような外観である。 全員がその身に、鈍い輝きを放つ聖衣の様な鎧を纏っている。多面 それは、二メートルはあろうかと言う大柄な男たちであった。 !! ? 135 ! ? !? あの小僧を殺す﹂ ﹂ 輪から外れた三人のギガスが、海斗が吹き飛ばされた岩肌へとその 足を向けた。 ﹁あなたたちは セラフィナは小宇宙の大きさこそ白銀聖闘士の域に達していたが、 聖闘士としての戦闘力と言う点では自身が言っていた通り今は下位 である青銅級に等しい。 ましてや、今は聖衣すらない生身。 自分一人の事であれば、敵わぬとしても立ち向かおう。 しかし、卑劣にも相手は海斗の身を人質としている。 ギガスが自分を求める理由が何であるのかは分らないが、セラフィ ナに選べる選択肢等はなかった。 ﹁分り││﹂ ﹁││黙って聞いていれば、お前ら、何を好き勝手ぬかしていやがる﹂ セラフィナの言葉を遮ったのは立ち昇る巨大な小宇宙であった。 怒気すら孕んだそれは水面に広がる波紋の様に広がり、物理的な風 となってギガスたちの動きを止める。 海斗が吹き飛ばされた岩影から白と青の輝きが放たれると、ドン ﹂ と、音を立てて〝内側から〟爆発した。 ﹂ ﹂ ﹁ぐわぁあああ ﹁おごぅ ﹁げわばあぁ ソルトー ﹂ 砕けた金剛衣と血反吐を撒き散らして巨体が宙を舞う。 ﹂ ﹁グラウリュス ﹁何だと ! ﹁俺はやられたらやり返す主義でな。忘れるなよ、仕掛けたのはそっ あり得ない光景にギガスたちに動揺が走る。 巨体が地に落ち大地が揺れる。 !? 136 !! !? 海斗の元に向かっていた三人のギガスたちが同時に悲鳴を上げた。 !? !! !? ﹂ ちか先だって事をな﹂ ﹁海斗さん ﹁まったく。不意打ちだからといって、あの程度で俺がどうこうなる とでも思ったのかセラフィナ﹂ 白く輝く新生したエクレウスの聖衣をその身に纏い、巻き上がる砂 塵の中から海斗が姿を現した。 膝と踝程度しか保護されていなかった脚部は、まるでブーツの様に 膝から下を包み込んでいる。 左胸を覆う程度であった胸部は、肩当てと一体となって胸部全体を 覆い、ベルト状であった腰部には前垂が加えられ、側面にも追加され ていた。 手甲は肘から下を包み込み、サークレット状であった頭部はヘッド ギアとも呼べる形へと変化していた。 その外観はもはや身体の必要部分だけを覆う青銅聖衣のそれでは ない。 上位聖衣である白銀聖衣と表現しても過言ではない姿となってい た。 人を心配させておきながら、しかもギガスと未知の敵に囲まれたこ の状況。 緊張感もなく、何食わぬ顔で現れた海斗の様子に、セラフィナは思 わず笑ってしまいそうになる。 だったら、せめてこれぐらいは言ってやろうと思った。 ﹁思 い ま し た よ。わ た し は ボ ロ ボ ロ の 海 斗 さ ん し か 見 て ま せ ん か ら ﹂ カッコつかないなと肩を竦めると、海斗はさてと一息入れてギガス たちへと身構えた。 ﹁お前たちが何者なのか、目的もどうでもいい。だがな、人質を使って まで女一人を攫おうとするそのやり方が気に入らん。そのだしに俺 を使った事も、だ﹂ だから││ 137 ! ﹁⋮⋮そりゃそうか﹂ ! ﹁テメエら全員叩きのめす。泣き言はその後に聞いてやる﹂ 138 第10話 新たなる敵、その名はギガス の巻 ギリシアから北西部へと向かった所にピンドスと呼ばれる山脈が ある。 そこはアルプス山脈最南端の分嶺であり、標高二千メートル級の 山々がギリシア本土を貫く様に連なる延長約百八十キロに及ぶ山脈 である。 その麓には、世界遺産にも登録されているメテオラの町が広がって いる。無数の奇岩群に囲まれた静かな町であった。 メテオラとはギリシア語で﹃宙に浮く﹄と言う意味があり、平地か ら四百メートルもの高さのある岩峰の上に建てられた修道院は、その 岩肌が深い霧に包まれた時にはまるで宙に浮いている様に見えると いう。 ﹁ほう﹂ 起立した岩峰や奇岩群に囲まれた山中。町から離れたその場所で 一人足を止めてその風景を眺めていた若者が感嘆の声を漏らした。 ゴールドセイント ピスケス 黄金に輝く聖衣を纏ったこの若者の名はアフロディーテ。十二人 の黄金聖闘士の一人、魚座のアフロディーテ。 セ イ ン ト 美の女神の名を称する彼であるが、その名に違わずその美しさは八 十八の聖闘士の中でも随一と言われ、天と地の狭間に輝きを誇る美の 戦士とも呼ばれていた。 性別に依らぬ外見上の美しさだけではない。ただ観るというその 佇まいが、長い髪を掻き上げるその仕草ですらが目にした者を魅了す る。 ﹁水の浸食作用によるものか、風食作用によるものか。この地形を生 み出した謎は今をもって解き明かされていないと言うが﹂ 利便性だけで考えるのならば、この様な高所に修道院を造る事など 不便でしかない。だが、戦乱を疎み俗世から離れて少しでも天に近い 場所、神々を感じられる場所で修業をしたいと願った修道士たちに とってはこれ以上の場所はなかったのであろう。 ﹁神を感じる為に費やされた敬虔なる修道士たちの努力、彼らの信念 139 ! に基づいたその行為は賞賛に値する﹂ まるで演劇の場に立つ役者の様に。 アフロディーテは眼下に映るその光景に対して、まるで愛おしいも のを抱きしめる様に、包み込む様に、両手を伸ばし広げてみせた。 ﹁この光景は││美しい。その結果こそが重要なのだ、彼らにどの様 な意図があったにせよ。この光景は私を飽きさせる事がない。いつ までもこの地に留まり続けたいと思わせる程に。しかし││﹂ しかし、と。両手を下ろしたアフロディーテは、その表情に憂いに も似た陰を落とし、誰かに言い聞かせるように言葉を紡ぐ。 ﹁それは叶わぬ願い。私には果たさねばならぬ役目がある。ふむ、限 られた時間であるからこそ、かな。こうまで私の胸に強く訴え掛ける のは⋮⋮﹂ そう呟くと、アフロディーテはゆっくりと背後へと振り返る。 限りある時間の中にこそ見出せる美しさ、というもの その右手の人差し指と中指の間には、一本の紅い薔薇があった。 ﹁分るかな アダマース もある。その点で言えば、君達は醜いと言わざるを得ない﹂ アフロディーテの視線の先には、金剛衣を纏ったギガスの姿があっ た。 彼の背後には巨大な空洞があり、ぽっかりと漆黒の口を開けてい る。その暗闇の中から一人、また一人と現れる姿を現すギガスたち。 ﹁君達の時間は遥か神話の時代に既に終わりを迎えているのだ。偽り の命を宿した〝そこの土くれ〟共々大人しく地の底││タルタロス へと還りたまえ﹂ アフロディーテが手にした薔薇をギガスたちへと突き付ける。 先頭に立ったギガスがアフロディーテの存在に、そして、足下に打 アテナ ち砕かれた無数のギガスであったモノたちの躯が散乱している事に 気付きその歩みを止めた。 セ イ ン ト ﹁終わりなど迎えてはおらぬ。此処より始まるのだ。小癪な女神の雑 兵に過ぎぬ聖闘士如きが知った様な事を語る⋮⋮実に││﹂ ﹂ 歩みを止めたギガスがゆっくりと巨腕を振り上げ││ ﹁││度し難い ! 140 ? 叫びと共に振り下ろした。それを合図として背後にいたギガスた ちがアフロディーテ目掛けて襲い掛かる。 ﹁フッ、ならば私も言わせて貰おう。遥か神話の遺物でしかない君達 ギガス、その雑兵である土くれ如きではこのアフロディーテに触れる 事すら││﹂ アフロディーテの手にした薔薇の色が変わる。紅から黒へと。 ﹁叶わぬ、と﹂ 色を変えた黒薔薇を手にした右手を振り上げる。すると、アフロ ディーテの周囲に無数の黒薔薇が姿を現し、 ﹂ ﹁この黒薔薇は、触れた物全てを噛み砕く。醜悪なる物に存在する価 値などない。灰燼と化せ││〝ピラニアンローズ〟 薔 薇 に 触 れ た 金 剛 衣 に 亀 裂 が 奔 る ﹂ 馬 鹿 な こ の あたかも意志を持つかの様に、その全てがアフロディーテへと迫り !! ﹂ !! !? 来るギガスたちへと降り注ぐ。 ﹁な、こ れ は アダマース こ、こんな││うおおおおおおおっ 金剛衣がたかが薔薇如きに打ち砕かれるだとぉおお ﹁馬鹿な !? あろうものか﹂ その身に纏った金剛衣を破壊し、むき出しとなった身体を文字通り 吹き飛ばした。 ま る で 浜 辺 で 作 ら れ た 砂 の 城 が 波 に さ ら わ れ て 崩 れ て い く 様 に。 五体を砕かれ、砕けた欠片を次々と砂塵へと変えていくギガスたち。 いつしか周囲を包み込む程に展開されたピラニアンローズはギガ スたちに避ける事を許さず、迫る黒薔薇を弾き飛ばそうにもその黒薔 薇に触れた時点でダメージを負う。 ならばと、アフロディーテを叩こうにも黒薔薇の壁がその行く手を 阻む。なす術もなく倒されるギガスたち。 や が て、数 十 人 近 く あ っ た 人 影 は そ の 全 て を 砂 と 化 し、ア フ ロ ディーテの腕の一振りによって生じた風に吹かれて散って行った。 ﹁⋮⋮土くれ故に醜い死骸を残さない、その点だけは評価しよう。さ て、残るは君だけだ﹂ 141 !? ﹁フッ、愚かな。このアフロディーテの手にした薔薇が、ただの薔薇で !? 全てが砂と化したと思われた中で、人のカタチを保っていたギガス マスク がいた。そのギガスの周りには、無残に散らされた黒薔薇のなれの果 てがあった。 そのギガスは明らかに他のギガスたちとは違った。 金剛衣の輝きが違った。身に纏う小宇宙が違った。 兜の隙間から 覗く双眸に宿る意思の輝きが違った。その肉体の在り様が違った。 血色が有った。鼓動が有った。 そのギガスは土くれなどではなく││人の身であった。 ﹁成程、教皇やシャカの言った通りか。ヒトの器を││命を得て現世 ﹂ に蘇ったギガスの力は強大である、と。まさかピラニアンローズを耐 えるとはな﹂ ﹁⋮⋮何者だ貴様は ﹁君が覚える必要はないが聞かれたならば名乗ってやろう。私はピス ケスのアフロディーテ。ああ、君が名乗る必要はない。美しくない者 を記憶に留めるのは、私にとって苦痛でしかないのだ﹂ ギガスに対して向けられたアフロディーテの右手には、再び紅い薔 薇があった。 それを口元に運び静かに銜える。 その仕草に一瞬足りとは言え見とれてしまったギガスは、頭を振っ て目の前の敵を睨みつける。 ﹂ ﹁このギガス十将パラスを前に、よくもほざいた。よかろう、ならばお 前にはもっとも醜く惨たらしい形での死を与えてくれるわッ あれば尚更にな﹂ 等と。戦いとはもっと優雅に美しく行われるべきものだ、力有る者で ﹁だから君は美しくないと言うのだ。その様に殺気を剥き出しにする た。 凄味を見せるパラスを前に、アフロディーテは僅かに眉を顰めてい ﹁神を前に大言を吐いた事、後悔するがいい﹂ 傷を抱く事はない。 周囲に散った黒薔薇が同胞の亡骸ごと吹き飛ぼうとも、パラスが感 パラスから立ち昇る小宇宙が物理的な風となって吹き荒れる。 ! 142 ? 風によって吹き上げられた砂塵を、降りかかる黒薔薇の花弁を払い 落しながらアフロディーテは告げる。 ﹁良いだろう。特別にこの私がそれを君に教えて上げよう。その身を もって││学べ﹂ クロス 第10話 ︵この聖衣は││違う。まるで別物だ︶ 目の前に迫るギガスの巨腕。突き出された拳を片手でいなし、繰り 出された蹴りは僅かに身をよじる事で避ける。 四方から襲い掛かるギガスたちが繰り出す攻撃を海斗は冷静に捌 クロス 143 き、隙を見ては痛烈な一撃を加えていく。 ︵カノンと戦った時とは明らかに違う。聖衣自体の総重量は増してい るはずなのに、むしろあの時よりも││︶ 突進してきたギガスの背を蹴り、宙へと舞い上がる。 ︵小宇宙のノリが違う。俺の力を増幅するだけではない、まるで奥底 ﹂ から沸き上がる様なこの感覚⋮⋮︶ ﹁新生は伊達ではないと言う事か あって、その三体は確かに巨漢ではあったが、まだ人の大きさと呼べ でこちらを観察する様に、離れた場所に立つ者が三体。巨人の中に その内、自分を見上げる者が三体、セラフィナの周りに三体、まる 残るギガスは九体。 知った。 上 空 に あ っ て よ う や く 海 斗 は 襲 撃 し て き た ギ ガ ス た ち の 全 容 を ﹁わらわらと⋮⋮﹂ 崩れ去って行くのが見える。 よく見れば、自分が吹き飛ばしたギガスたちの身体が砂塵となって 眼下を見下す海斗の表情には薄らと笑みが浮かんでいた。 !! る範疇ではあった。 ﹁石像だけじゃない あの三体は人間なのか │遠慮する必要はないな﹂ 右脚に小宇宙を集中させて狙いを付ける。 目標はセラフィナの周りにいるギガス。 レイジングブースト ﹂ だからと言って│ 大地を踏み抜き天へと駆け上がる天馬の震脚。 ﹁我が脚は大地を穿ち天空を駆け抜ける││砕け散れ天 翔 疾 駆 ? ﹁ひ、光が ﹂ ﹁ぐ、うぉおおおお ﹂ ガスたちの動きを封じ止める。 それによって生じた波動が大地へと向かって放射線状に広がりギ !! ? !? !! 向けた憤怒と憎悪の瞳に││光が奔った。 ドン うわぁああああああああ !! ドン ﹁避けきれん ドン ! ﹂ 上空から叩きつけられた圧力がその身を大地に縛り付け、海斗へと !? 体のギガス。 セラフィナの動揺を無視して海斗は残るギガスたちへとエンドセ ﹁苦情は後で聞いてやるさ﹂ しきれていない彼女の身体を左手で抱き寄せる。 そんな彼女の横に音もなく着地した海斗は、未だ視覚と聴覚を回復 ﹁黙ってろ、舌を噛む﹂. かったのだ。 周囲のギガスが反応出来なかった様に、セラフィナも反応出来な た。 の余波によって視界と聴覚を奪われたセラフィナが非難の声を上げ 周囲で巻き上がる砂塵と瓦礫、鳴り響く轟音。レイジングブースト ﹁か、海斗さん ﹂ 穿たれたクレーターの中心で人のカタチを失いながら崩れ去る三 大地諸共に砕け散り四散する金剛衣。 ラフィナを囲むギガスたちを次々と撃ち貫く。 星空に流れ落ちる流星の様に。光の矢と化した海斗の小宇宙がセ ! !? 144 ! ンテンスを放つ。 光弾と共に吹き飛ぶギガス。しかし、その影は三つ。 或いは受け、或いは避け、或いはその威力を自ら放った拳撃で相殺 し。 ゴー レ ム 残ったのは少し離れた場所からこちらの様子を窺っていた三体の ギガスであった。 ﹁どうやら、お前達はこいつらみたいな石人形ってわけではなさそう だな﹂ あらためて観察してみれば、成る程と納得した。 目の前の三体、いや三人のギガスは明らかに血の通った生身の人間 であろう事がわかる。 これまでに倒したギガスたちからは〝小宇宙が纏わり付いている ブロンズクロス シルバークロス 〟事を感じていたが、この三人のギガスは明らかに〝内側から〟小宇 アダマース 宙を生じさせていた。 タ ル タ ロ ス 神々と勇者ヘラクレスの前に敗れたギリシアの蛮神の方か は神々の力により冥府の底に封じられた、って話だったか﹂ その魂 目の前に立つ三人のギガスに注意を払いつつ、海斗は自分の拳を見 ? 145 身 に 纏 う 金剛衣 も、例 え る な ら ば 青銅聖衣 と 白銀聖衣 と 言 っ た 様 ﹂ に、その造形の精度からして他のギガスたちとは異なっていた。 ﹁兵隊と指揮官、って言ったところか にはいかない。 ギガンテス ﹁お前たち、巨人族だと言ったな 巨人族と言っても色々あるが、北 しかも、狙いはセラフィナであると言っていた。迂闊に離れるわけ 大地を割って現れる、というふざけた登場をした相手である。 ︵⋮⋮それに、だ︶ た。 あったので非難めいた視線を向けてられていても黙殺する事に決め は呆れ半分と関心半分を抱いたが、誰が悪いかと言えば非は自分に この状況でそんな呑気な事を気にしていられるセラフィナに海斗 ﹁⋮⋮あの、海斗さん、この体勢はさすがに恥ずかしいんですが⋮⋮﹂ ? 欧 系 っ て 感 じ じ ゃ あ な い な。さ し ず め 神 話 の 時 代 に オ リ ン ポ ス の ? た。 先程、エンドセンテンスを放った際に気が付いた事だが、新生され た聖衣の手甲には三又の鉾と思わしき装飾が施されていた。 子馬座の由来を考えればおかしくはない装飾だが、狙ってやったの だとすればムウは随分とイイ性格をしていると、こんな時であっても 苦笑してしまう。 ﹁そう言えば、その戦いでは女神アテナや海皇ポセイドン、冥王ハーデ スですら共闘したらしいな。まあ、どうでもいい話だが﹂ ああ、確かその戦いは││﹂ そう言って肩を竦めてみせる海斗に対してもギガスたちは動かな い。 ﹁ここまで来てダンマリか ││ギガントマキアだったか 海斗がその言葉を発した直後であった。 それまで大きな動きを見せなかったギガスたちが、まるでその言葉 を引鉄として放たれた銃弾の様に一瞬の内に海斗の目前まで迫る。 ﹁我はグラティオン﹂ ﹁アグリオス﹂ ﹁トオウン﹂ そこには海斗に対して当初見せていた侮る様な雰囲気はない。立 ち塞がる、排除すべき敵として、認識していた。 セ イ ン ト ﹁││我らギガス十将なり﹂ ﹁エクレウスの海斗。聖闘士だ﹂ 名乗りを上げると同時にギガスが散開する。海斗の正面からグラ ティオンが、アグリオスとトオウンが側面から襲い掛かる。 その攻撃は、これまで海斗が倒したギガスたちとは根本から異なっ ていた。 ﹂ き寄せていた腕に力を込め、このまま攻撃に応じた。 146 ? ? 速さも違う、重さも違う、一撃に込められた小宇宙が違う。 ﹂ ﹁││チッ、コイツは ﹁きゃあッ ! 突き放すか下がらせるか。僅かな逡巡の後、海斗はセラフィナを抱 !? グラティオンの拳撃を空いた右拳で内から外へと打ち払いその体 勢を崩す。右側から迫るアグリオスには反動で右側に開いた身体を そのままに、体勢を崩したグラティオンの身体ごと腰だめに引き絞っ ﹂ た右拳での掌底によって吹き飛ばす。 ﹂ ﹁むおぅ、貴様 ﹁ぐっ ! 小僧、貴様 ﹂ !! ﹁小娘ェ ﹂ であった。 しかし、当惑の後に怒りの声を上げたのは拳を振り抜いたトオウン ﹁何 中目掛けてその巨椀が振るわれた。 息吹ともとれる呼吸音と共にトオウンの拳が膨れ上がり、海斗の背 ﹁フォオオオ││﹂ 背を向ける形となった海斗の背後からトオウンが迫る。 しかし、掌底を放った事で動きを止めたのは海斗も同じ。 アグリオスの勢いが止まる。 必然的にグラティオンを受け止める形となり、海斗に向かっていた !? セラフィナの姿が有った。 ! ﹂ !! きしめて跳躍したのだ。 ﹂ ﹁数はそっちが多かったんだ、卑怯だなんてぬかすなよ ングブースト〟 ? ﹁⋮⋮予想以上に硬いな。先刻までの連中なら粉々になったって言う !! 〝レイジ 海斗がそうしていた様に、セラフィナがその両手で海斗の身体を抱 ないなんて道理はないわな 前らも同じだが、だからって││狙われたセラフィナ本人が手を出さ ﹁想定外は俺もだよ。ま、コイツを頭数に入れてなかったのは俺もお 海斗は動けなかった。だから、セラフィナが動いたのだ。 ﹁⋮⋮私でもこれぐらいの事ならッ ﹂ 怒りの眼差しのままに宙を睨む。そこには大きく跳躍した海斗と !! 147 !? のに﹂ そう言って着地した海斗が振り向けば、新たに生じたクレーターか ら何事もなかったかの様に立ち上がるギガスたち。 身に纏った金剛衣には所々に亀裂こそ入っていたが、完全に打ち砕 くところまでには達していない。 ﹁ダメージは⋮⋮あるのかないのか分らんな。伊達に巨人族を名乗っ てはいない、と。呆れたタフさだな﹂ セラフィナに一度は助けられたとはいえ、あれは敵もこちらもが想 定外であったが故の偶然だったと海斗は考えている。 先の言葉とは裏腹に、海斗自身にセラフィナを戦わせる気はないの だ。 ﹁な ら、徹 底 的 に 叩 き の め す ま で だ。あ ま り 俺 か ら 離 れ る な よ セ ラ フィナ﹂ ﹁⋮⋮分りました﹂ ﹂ 海斗から離れていた、背後にいたセラフィナはそれに気付いた。隆 ﹂ 起する大地に。 ﹁同じ手を 背後から再び大地を割って現れたグラティオンに忌々しげに吐き 148 一拍置いた後に返されたセラフィナのその返事には若干含む様な ものがあったが、彼女は海斗から数メートル程距離を取った。守られ ている、という事への葛藤なのだろうという事は海斗にも想像は出来 たが、だからと言って現状出来る事はない。 ︵可能な限り早急に終わらせる、それもダメージなしで、ってところ か。下手に不安がらせるのも、な。⋮⋮ムウに丸投げするか︶ どうやって神々の封印を解いたのか、どうしてセラフィナを狙うの か。十将と名乗ったからには同レベルの存在があと数人は存在する のか、その上はいるのか。気になる事は多々あったが、海斗に出来る 事は目の前の敵を排除する事のみ。 後ろ そうして目の前の敵に集中しようとした海斗であったが││ ﹁海斗さん !! 目の前にグラティオンの姿が無い事に気が付いた。 ! ! 捨てると、海斗は全力を込めた一撃をグラティオンに打ち込んだ。 ドンッ 金 剛 衣 を 打 ち 砕 い た そ の 拳 が グ ラ テ ィ オ ン の 腹 部 に 突 き 刺 さ る。 拳が筋肉を引き裂き、衝撃が内臓を破り、振動が骨を砕く。 その魂が神話の時代の神のものであろうとも、その力を振るう為の 寄り代は生身の肉体。 腹部でくの字に折れ曲がった巨体が、海斗に覆い被さるように倒れ 込んだ。 ﹁⋮⋮終わりだ﹂ これでは二度と立ち上がれまい。敵は後二人。ならばと海斗が拳 を引き抜こうと力を込めたが、グラティオンの腹部から拳を抜く事が くッ、まるで万力で絞め付けられている様な││﹂ 出来ない。 ﹁これは ﹂ 海斗の言葉にニヤリと口元を歪めてグラティオンが笑った。 ﹁嘘、そんな 集束する。集束した小宇宙は二メートルを超えるグラティオンの巨 グラティオンの身体から立ち昇る小宇宙が組み合わされた両手に ろう。そこの女はその後に連れて行く﹂ 間とは言えよく戦ってみせた。褒美として我が最大の拳で葬ってや かったのだ。だが、お前は人の身でありながら我等三人を相手に短い ﹁脆弱な肉体しか持たぬ人間と我らギガスでは戦いに等なるはずがな わせると頭上へと振り上げた。 海斗の一撃に意を介した様子もなく、グラティオンは両手を組み合 死性がある。この程度の傷など瞬く間に癒えるのだ﹂ ﹁そして我等真のギガスには母なるガイアより与えられた限りない不 きいれたままの海斗を見下しながら言い放った。 くの字の折り曲げていた身体を真っ直ぐに伸ばすと、腹部に拳を突 て怯む事は決してないのだ﹂ ﹁フフフッ、残念だがこのグラティオンに﹃痛み﹄はない。痛みによっ 動けるはずがないと、セラフィナがその光景に息を飲む。 !? 体すらかすむ程に巨大な鉄鎚の姿を見せる。 149 !! !? ハ ン ハ マー ン マー ﹁受けろ、人間よ。これが││破壊の鉄槌だ ﹂ 振り下ろされるグラティオンの破壊の鉄槌。 無慈悲に振り下ろされるそれは、未だ身動きの取れない海斗の身体 を圧壊させる死の一撃。 ﹁受け入れよ││己が死を﹂ 宣告と共に、鉄槌は寸分も違う事なく海斗の脳天へと振り下ろされ る。 振り下ろされる拳と共に、海斗の瞳に一条の閃光が走った。 鳴り響く轟音と、大地を揺るがす震動。 大地が裂け、岩壁にまで走った亀裂によって崖が崩れ地形が変わ る。 その破壊の中心では吹き上がる鮮血が大地を赤く染め上げていた。 ﹁⋮⋮あ、ああ⋮⋮﹂ 呆然と、その場に立ち尽くすセラフィナ。 アグリオスとトオウンも微動だにしない。 ﹁⋮⋮﹂ 全身を赤く染めた海斗の前で、ぐらりと、グラティオンがその身体 を揺らす。 振り下ろされた両腕には、その先にあるはずの組まれていた両拳が 無かった。 ﹁⋮⋮ぐ、がぁぁあぁ⋮⋮﹂ 血の混じった吐しゃ物を撒き散らし、呻きともつかぬ声を上げて、 グラティオンが天を仰ぎ見る様に倒れ伏した。 その全身に残るのは無数の拳の痕。 それは、海斗の放ったエンドセンテンスによる破壊の痕跡であっ た。 ﹁痛みを感じず、限りなく不死に近い肉体か。大した能力だが⋮⋮〝 不死ではない〟なら、どうとでもなるさ﹂ 身じろぎ一つしなくなったグラティオンの身体を見下し海斗が呟 150 ! く。 ﹁││余計な手出しだったか 貴様、何者だ﹂ となる。 ﹁むッ ﹂ クロス 衣 ﹂ ゴールドセイント !? ﹁⋮⋮ッ ﹂ その海斗の言葉を合図とする様に、空からナニかが落ちてきた。 たが││﹂ 性もありましたからね。それしてしても、師から聞かされてはいまし ﹁いえ、助かりましたよ。こちらの拳よりも速く振り下ろされる可能 姿があった。 そ こ に は 黄 金 の 輝 き を 放 つ 聖衣 を 纏 っ た 若 い 男 │ │ 黄金聖闘士 の 聖 ﹁その身に纏っているのは聖衣か 金色の聖衣だと た誰の耳にも届き、故にその場にいた全ての者の注意が向けられる事 海斗に向けて掛けられた誰も知らぬこの第三者の声はその場にい 静寂の中。 二人のギガス、アグリオスとトオウンすら言葉を失い、しんとした あった。 それはピンと張りつめた、刀剣の様な鋭さを感じさせる男の声で ? 切り裂く聖 剣と称される程の切れ味を誇る。 エクスカリバー ゴールドセイント 鋼の如く研ぎ澄まされた両手から放たれる手刀は、触れた物全てを 山羊座のシュラ。 カプリコーン が来るなんて思いもしませんでしたよ、山羊座の││シュラ﹂ カプリコーン ﹁ムウから俺の迎えが来るとは聞いていましたが、まさか黄金聖闘士 グラティオンの両拳であった。 セラフィナの前に落ちてきたモノ。それは組み合わされたままの く﹂ ﹁さすがは聖剣と称される手刀。拳圧ですらこうも容易く││切り裂 に震えのあるその手を取り、移動する事でその視界を遮った。 さすがに刺激が強かったか、と。海斗はセラフィナに近付くと僅か セラフィナが息をのんだのが気配で分る。 !? 151 ? ? 力を貫く事こそが正義であると、決して折れぬ刃である事こそが自 身の正義であるとして常に己を律し鍛え続けている。彼を知る者は 言う。その生き様すら鋼であり刃である、と。 ﹁シャカが言っていた。お前には数奇な星の巡りがあると。成る程、 言い得て妙と言う事か。本当にこの様な場に出くわすとは思いもし なかったがな﹂ セラフィナを一瞥したシュラは、そのまま海斗の横に立つ。 ﹁しかし、本望ではある。ギガスは我ら聖闘士にとって倒さねばなら ぬ敵だ﹂ 自然と二人の背に護られる事になり、セラフィナの緊張がほぐれた のを感じた海斗はその手を離すと、シュラと共に残った二人のギガス を見た。 二人の視線を受け、アグリアスとトオウンが身構える。 ﹁必然的に一対一か﹂ 152 そう口に出して一歩前へ。 僅かに歩を進めた海斗であったが、何者かにぐいと後ろに引かれ、 シュラの背を見る事となる。 ﹂ ﹁海斗と言ったか、お前はそこで見ているがいい﹂ ﹁⋮⋮シュラ 黄金聖闘士の戦いを﹂ ゴールドセイント だ、学 ぶ と 良 い。小 宇 宙 の 真 髄 │ │ セ ブ ン セ ン シ ズ を 極 め た ﹁敵を前にして他者に戦いを任すのは性に合わんのでな。折角の機会 海斗を下げ、ギガスたちの前にシュラが立つ。 ? 第11話 黄金結合 す。 ﹂ 集結黄金聖闘士の巻 ﹂ ! ﹁コォオオオ ﹂ 天へと突き出した両の拳に力を込める。 憤怒の形相を浮かべて巨人││トオウンが動く。大地を踏み砕き、 ﹁その思い上がり、貴様の魂魄諸共に粉砕してくれるわ 自分達が﹃上﹄であり、お前たち人間が﹃下﹄なのだ、と。 ギガスの人間に対しての意識がこの一言に集約されていた。 ﹁人間如きの││分際でッ ﹂ 言動が、その佇まいが、その存在その全てがギガスの誇りを地に落と ギガスに対してどこまでも変わらぬ不遜な態度。海斗やシュラの 神 うのか ﹁ふざけた事を⋮⋮我等を相手に、一人で立ち向かおうと││そう言 む。 物言わぬ躯と化したグラティオンを一瞥し、アグリオスの表情が歪 ! !! 過ぎる程にな。片鱗は掴んでいる、それは間違いなかろうが、お前自 ﹁まるで大海のうねり⋮⋮いや、荒れ狂う嵐の如く苛烈だった。激し て向けられた言葉だという事を理解していた。 視線はギガス達に向けたままであったが、海斗はそれが自分に対し その最中、シュラが淡々と言葉を紡ぐ。 ﹁先程、お前から感じた小宇宙は││﹂ 斗の前から歩を││ギガスとの間合いを詰めていく。 その光景を見てもシュラに動じた気配はない。むしろ、更に一歩海 ﹁なるほど、確かにより巨人らしくなったものだ﹂ ギガント 小宇宙を高めその体躯を更に巨大なものへと変えていた。 変化を見せたのはトオウンだけではなく、アグリオスもまた自らの が更に大きく膨張する。 ギチギチと音を立てる金剛衣。膨れ上がる筋肉によってその巨体 アダマース 息吹と共に巻き上がる小宇宙がトオウンの身体を包み込む。 !! 身がソレが何であるのかを認識し、自覚する事が出来ていない﹂ 153 ? トオウンが、それにやや遅れてアグリオスが動いた。 ﹁いかに切れ味が鋭くとも抜き身の刃では意味がない。それでは使い 手だけではなく周りをも傷付ける。刃とは││振るうべき時に振る うからこそ意味がある﹂ 迫るトオウンの巨体の陰に隠れる形となり、背後のアグリオスの動 きが海斗達からは掴めない。 ﹁我が鞘とは理だ。己の全てを掛けるに足る、決して揺るがぬ正しき 理。そして振るう刃は決して折れぬ我が心、我が意志よ﹂ シュラは動じない。ただ真っ直ぐに正面を見据えるのみ。 ﹁お前の鞘を意識しろ、そして研ぎ澄ませ││戦う意志を。小宇宙を 高めるだけでは、命を燃やすだけでは辿り着けぬ境地がある。意識し ろ、感じ取り自覚せよ。それが││小宇宙の真髄。五感を超えた第六 感、その先にある第七感││セブンセンシズ﹂ 突き出されたトオウンの拳がシュラの心臓を穿つ。 を両断する。 ﹂ それは、瞬時に相手の攻撃を見切り、その勢いを利用して攻撃する ジャンピングストーン シュラ必殺のカウンター。 おのれぇえ ﹁超 絶 飛 翔﹂ ﹁トオウン !! を逃したアグリオス。 吹き飛ばされたトオウンの身体が壁となり、跳び上がるタイミング ! 154 トオウンの背後から跳び上がったアグリオスの蹴りがシュラの顔 ﹂ 面を打ち貫く。 ﹁ッ !? た蹴りで打ち上げる。 俺の拳速より││うばぁああああ !? 正中線をなぞる様に奔った一条の光が金剛衣もろともにトオウン ﹁ば、馬鹿な ﹂ 殺し、勢いのまま前に進むトオウンの身体を回転のエネルギーを加え トオウンの拳が触れた瞬間、身体を後方へといなす事でその威力を シュラは正面から打ち砕いた。 海 斗 の 側 に い た セ ラ フ ィ ナ が 幻 視 し た そ の 光 景 │ │ そ の 幻 想 を、 !? ﹁ならば、この手で粉砕してくれる のソレ。 エクスカリバー なぜ背を向ける ! ﹂ ﹂ こ、これは⋮⋮まさか ﹂ !? 第11話 に崩れ落ちた。 ずるりと、右と左に分かたれたアグリオスの巨体が音を立てて大地 最後まで言葉を発する事は出来なかった。 ﹁まさか、既に断たれて││﹂ アグリオスの眼前で両断される世界。 ﹁お、おおおお その瞬間、アグリオスの視界に映る光景が縦にずれた。 スが拳を振り上げる。 そのまま立ち去ろうとするシュラの背に、 ﹁ふざけるな﹂とアグリオ ⋮⋮ま、待て ﹁ふ、ふふふ、ふはははは なにが聖剣だ、この身体にはキズ一つ た。 手刀は光の刃となり、一条の閃光がアグリオスの身体を奔り抜け ﹁││聖剣抜刃 ﹂ だめに構える。その姿勢は例えるならば刀による抜刀術││居合い 振り下ろされる鉄鎚に合わせる様に、シュラは振り上げた右腕を腰 ﹁武骨であろうが歪であろうが││決して折れぬ刃の様に﹂ そう言ってシュラは手刀の形とした右腕を振り上げた。 宇宙を研ぎ澄ませろ﹂ よ。一意専心。揺るぎなく、ただ己が成すべき事に集中し感覚を、小 ﹁今 は ま だ 未 熟 な れ ば │ │ 戦 い の 場 に 在 っ て は た だ 一 つ の み を 考 え へと迫る。 それはグラティオンの放った鉄鎚と同種の技。破壊の槌がシュラ 組み合わせた両手を振りかぶりシュラ目掛けて振り下ろす。 ! !? 155 !! ! !? サンクチュアリ 同日、同時刻││ 聖 域。 ジャミールとの時差は約四時間。聖域では今ようやく日が昇ろう かという時間である。 女神アテナの元、地上の平和を守る聖闘士が在る場所とはいえども そこで暮らす人全てが闘いを行う者という訳ではない。 いかに超常の力を振るう聖闘士とはいえ、最低限の衣食住は必要で ある。結界によって外界とは必要以上の接触を断っている聖域では それらを賄う為の職人や商人、関係する者達の家族等も暮らしてい る。 そんな聖闘士の存在を知っていると言う事を除いては一般人と変 わらぬ彼らの居住区は、聖域の中央││アテナ神殿を守護する十二宮 から最も離れた外界との結界付近に幾つかの区画に分かれて存在し ていた。 ﹁おや、星矢じゃないかい。今日は随分と早いねぇ﹂ 156 とある区画のとある一画。小さな商店街ともいえるその場所は料 理の仕込みや開店の準備等で早朝からにわかに活気づき始めている。 ﹁ああ、おばちゃんか。はは⋮⋮ハァ。早いって言うより、今訓練が終 わったとこなんだよ﹂ ﹂ ほら、こい ﹁ああ、一周回って遅いってことかい。魔鈴ちゃんは真面目だからね え。でもさ、それもアンタの為を思っての事なんだろ つをあげるからシャンとしな﹂ ﹁いや、それは違うと思うケド⋮⋮おっと、ありがとおばちゃん る星矢であったが、ここではそういった事はあまりなくある意味では 雑兵や候補生達からは外国人と言う事で何かと目の敵にされてい 来る者もいる。 こでは顔馴染みとなった星矢に対してこうして気さくに話し掛けて こうして毎朝商店に向かうのはもはや日課であり、それもあってこ 中で食材の調達はいつからか星矢の仕事となっていた。 この聖域で魔鈴と星矢が共に暮らし始めてから四年。共同生活の 言葉を言うや否や噛り付いた。 果物屋の女主人から手渡されたリンゴを受け取った星矢はお礼の ! ? あ、でも⋮⋮﹂ 落ち着ける場所でもあった。 ﹁へへっ、うめえや ﹂ ? さあ、おれは知らないよ 魔鈴さんだったら何か知ってい ? ﹂ ? それが合計五回。 ﹂ 一体何が燃え上がったんだよ あれを見なよ星矢 ﹁な、何だ、この音は ﹁あ、あれは ! ? それはボッ、ボッ、ボッと規則正しい感覚で続く。大気を震わせた ボン、と何かが燃え上がる様な音が。 は。 星矢がそう言った瞬間であった。聖域全体に一つの音が響いたの るかもしれない││﹂ ﹁ん 本当に、ただなんとなく思った事を口にしただけだったのだろう。 た。もちろん確たる答えは期待してはいない。 であったが、ふと最近感じる様になった不安を星矢に問い掛けてい 星矢のそんな姿を微笑ましく見ながら椅子に腰掛けていた女主人 ンタ何か知らないかい に感じるんだよねぇ。見回りの人員も回数も多くなっているし。ア ﹁それにしてもさ、なんだかここ数日聖域全体がピリピリしている様 言葉に安心したのか再びリンゴへと向かう。 魔鈴の折檻を思い浮かべて動きを止めた星矢であったが、女主人の ﹁分ってるよ。魔鈴ちゃんには内緒にしといてやるさ﹂ ! ﹂ ここからでもはっきりと見えるよ。あの巨大な火時計 に炎が灯ったんだよ じゃなかったんだな、あれ﹂ ﹁⋮⋮ す げ え。あ れ に 火 が 灯 っ た の な ん て お れ 初 め て 見 た よ。飾 り 座、水瓶座の五つの枠に炎が灯されている。 一体どうやって、何者が灯したのか。今は牡牛座、蟹座、乙女座、蠍 のどこからでも見る事の出来る巨大な火時計である。 時刻を表す文字盤には黄道十二星座を模した記号の刻まれた、聖域 !! ﹁火時計だ びえ立つ一つの建造物。 女主人が指示したのは聖域の中央部││十二宮。その中央部にそ !? ! 157 ? ﹁驚いたよ。⋮⋮確か、以前見たのは十年近く前だったかね 嫌だ よ、あの人達がいなくなっちまったみたいに、また今度も何か起こる んじゃないだろうねぇ⋮⋮﹂ ﹁一、二の、と。五つって事は、さっきのあの音はあの火時計の炎が原 でも、あれじゃあ時間も何も⋮⋮﹂ クリューソスシュナゲイン かった様だな﹂ ? 急ぎの用事でもあるのか を向けて足早に立ち去って行った。 ﹁何だ ﹂ ﹂ より一層精進しろ星矢。そう言い残すと、アイオリアは星矢達に背 人から好かれるという事は誇るべき事だ﹂ ﹁フフッ、安心しろ。つまみ食いの一つや二つでどうこうは言わんよ。 の顔がしまったと言わんばかりに引きつった。 リンゴがある。アイオリアと魔鈴の仲が良かった事を思い出し、星矢 そう言ったアイオリアの視線の先には、星矢が手にした食べかけの らな﹂ どうにも落ち着かん。そのおかげでこうして面白いものも見れたか ﹁まあそう言うな。こればかりは性分でな、この目で確かめん事には ﹁見回りなんて部下にでも任しとけばいいじゃないか﹂ て星矢は思わず呆れた声を出していた。 毎日こうして見回って下さっているんだよ、と女主人に耳打ちされ である。 青年││アイオリアの姿があった。質実剛健を体現したような青年 星矢が振り向いた先には、雑兵たちと同じ簡素な闘衣を身に纏った ﹁アイオリア、どうしてあんたがここに ﹂ ﹁ど う や ら 聖 域 の み な ら ず、世 界 各 地 の 黄 金 聖 闘 士 全 て に 召 集 が 掛 人。 その声の持ち主は、星矢にとってこの聖域での数少ない知人の一 けられた。 分らないと、そう続けようとした星矢の背後から、若い男の声が掛 ﹁あれは、 黄 金 結 合だ﹂ 因なのか ? ﹁ほら、アイオリア様もああ仰ってるんだから頑張りなよ星矢 ? 158 ? ! ? おれは絶対に││聖闘士にな 女主人にバンバンと力強く背中を叩かれて星矢の身体がつんのめ る。 ﹂ ﹁あ痛タタタッ わ、分ってるさ らなくちゃいけないんだからな ︵そうさ││そのためにも︶ キャンサー 男、 蟹 座のデスマスク。 オ ていたのだろう ル ゴ 十二宮にいた我らより遅れるのは仕方あるまい﹂ ﹁そう言ってやるなミロ。アイオリアは先程まで居住区の見回りをし ﹁遅いぞアイオリア﹂ 士が六人揃った事となる。 黄金の獅子が加わった事で、教皇の間に黄金聖衣を纏った黄金聖闘 ﹁獅子座のアイオリア、只今参上致しました﹂ レ そして││ ちである。 皆が二十代前後の若き青年であり、彼らこそが当代の黄金聖闘士た 氷結の小宇宙、水瓶座のカミュ。 アクエリアス 真紅の一指、 蠍 座のミロ。 スコーピオン 最も神に近い男と称される、乙女座のシャカ。 バ 現世と冥府を行き来する事が出来る聖闘士であって最も死に近き 黄金の野牛、牡牛座のアルデバラン。 タ ウ ラ ス はっきりと露わとなった。 灯された明りによって、その場に居並ぶ黄金聖闘士達の姿がより 聖闘士。 玉座に腰掛ける教皇を中央として、その左右に並ぶのは五人の黄金 い。 薄暗い教皇の間にあっても、その黄金の輝きには一切の翳りも無 の様にその拳を強く握り締めていた。 炎の灯った火時計を眺めながら、星矢は己の中の誓いを確かめるか ! アイオリアに対してのミロの叱責を、アルデバランが諌める。 159 !! !? ? ﹂ ﹁何を悠長な事を。黄金結合の意味を忘れたかアルデバラン。聖域の 危機が迫っていると言う事だぞ スコーピオンのミロ。 彼は十一年前に起きたとある事件により、アイオリアに対してある 懸念を常に抱いている。 普段はそれを表に出す事は控えてはいるものの、実直過ぎる性格が 災いしてか時折こうしてその感情を表に出し、アイオリアに対して強 く当たる事があった。 ﹁落ち着けミロよ。聖域に住まう者達の安全を守る事も、聖域に迫る 危機を防ぐ事も同意だ。ならばアイオリアはこの場にいる誰よりも 早くこの聖域を護っていた事になる﹂ ﹁むぅう。⋮⋮カミュよ、お前にそう言われては、これ以上は何も言え んではないか﹂ ミロ自身、アイオリアの黄金聖闘士として力量を認めている。嫌っ ているわけでもないのだが。 ﹁ハッ、そいつは詭弁だカミュよ。まあ、そんな事は些細な事だ。どう でもいいさ。現にアイオリアはここに来た。呼ばれたのに来ない奴 等よりは遥かにマシってもんだ﹂ 何かを含む様なデスマスクの物言いに、それまで黙っていたアイオ リアの眉が僅かに動く。 ﹁││静まれ﹂ にわかに険呑な雰囲気となったこの場を収めたのは、心の奥底にま で響き渡る様な重さを持った教皇の一言であった。 サジタリアス ジェ ミ ニ 教皇に向かい、この場の全ての黄金聖闘士達が膝をつき頭を下げ た。 ﹁黄道十二星座の内射手座は現在空位。双子座の黄金聖闘士は十数年 ア リ エ ス 前より消息不明だが、聖衣がこの地に残されている以上もはや空位と ラ イ ブ ラ 考えても良いであろう。牡羊座のムウは聖衣修復の材料を得る為に しばしジャミールを離れるとシャカが連絡を受けている。天秤座は 先代アテナの命により今もまだ五老峰を動けぬそうだ﹂ 玉座から立ち上がった教皇に合わせる様に、黄金聖闘士達も立ち上 160 ? がる。そんな彼らを見渡して教皇が続ける。 エクレウス ﹁アフロディーテはピンドスの地にて一足先に任に当たらせている。 シュラには万一の場合に備えて子馬座の迎えと、ある者の護衛を命じ ている。これで良いかデスマスク﹂ 教皇の言葉にデスマスクが頭を下げる。 ︵⋮⋮実質総動員って事か。さて、一体何が起こったのやら。退屈は しなさそうだが︶ デスマスクが胸中でその様に思いながら頭を上げると、教皇の言葉 に首を傾げる者たちがいた。 アルデバランとアイオリア、そしてカミュである。 その中で口を開いたのはアルデバランであった。 ﹁失礼、教皇は今エクレウスと仰られましたが⋮⋮﹂ 教皇の間でアルデバランが海斗の小宇宙を感じ取ってから既に二 週間近く経っていたが、その消息について語られる事は無かった。 161 どうやら無事であった様だと内心胸を撫で下ろしつつも、この場で 教皇の口からその名を聞く事になるとは思ってもいなかった為にア ルデバランは動揺を隠せない。 ﹁うむ、これまで黙っていてすまなかったなアルデバラン。この際だ、 皆にも伝えておこう。エクレウスの青銅聖闘士││海斗の事を。青 ﹂ 銅聖闘士となって日は浅いが⋮⋮私はその者に現在空位の黄金聖衣 ﹂ を任せようと考えていたのだ﹂ ﹁な、何と ﹁黄金聖衣を⋮⋮。その様な者がこの聖域にいたのですか は己の守護星座を持ち、身に纏う聖衣はそれに準じた物となる。ここ 黄金聖衣を任せようかと考えていたのだ。皆も知っての通り、聖闘士 極めも含め相応の試練を課してその成長を促し、やがてはジェミニの ﹁知っている者もいるであろうが、あれにはそれだけの力がある。見 れを発したのは他ならぬ教皇である。異論など挿める筈も無い。 これが他の者の言葉であるならば、戯言であると一蹴も出来たがそ ロはその言葉に驚愕した。 アルデバラン達とは異なり、海斗の存在を知らないデスマスクとミ !? !? にいる皆は幼少時より黄道十二星座を守護星座としていた者ばかり であるが、稀に例外が存在するのだ。歴史もそれを証明している。青 銅から黄金へと昇格を果たした聖闘士は決して少なくはない。多く もないが、な。アルデバラン、海斗の師であるお前に無用な心配をさ せぬ為にと思い秘密にした事を許せ﹂ 教皇の言葉であったが、これにはさしものアルデバランも空いた口 を塞ぐ事が出来なかった。 ﹁⋮⋮は、ハッ。いや、教皇のお心遣いには感謝致しますが⋮⋮。そ の、海斗を黄金聖闘士と認めるには実力は兎も角、その精神面におい てはまだまだ⋮⋮﹂ しどろもどろとなるアルデバランの肩に、 ﹁落ち着けよ﹂とデスマス クが手を置く。 その表情は玩具を前にした子供の様に、好奇心を隠そうともしてい ない。 に、黄金聖闘士達はその身を正して教皇へと改めて向き直る。 ﹁うむ。ここ数カ月の間、人知を超えた怪異や、神話に語られる魔物と 思わしき異形の報告が急激に増えている。その事は皆も承知であろ う﹂ 162 ﹁何を言っているんだアルデバラン。海斗と言ったか、そいつが使え ﹂ る奴だってんならオレに異論は無い。何よりも、だ。教皇が直々に目 を掛けられた奴ならば、むしろ歓迎するぜ ﹂ ? 穏やかでありながらも、どこか逆らい難い力の籠ったシャカの言葉 話はそこで終わり。ここからは黄金結合の意味を伺うべき時では ﹁教皇は成長を見極めたうえで、やがて、と。そう仰ったはず。ならば たまま一言も話さなかったシャカが口を開いた。 ミロの言葉が終わるのを待っていた様に、これまで教皇の横で黙し ﹁││やれやれ、気の早い方達だ﹂ みよ。その男に共に闘おうという意思があるのならば拒みはせん﹂ ﹁オレはその海斗と言う聖闘士の事は知らん。教皇のお言葉に従うの る。 そうだろうと、デスマスクが同意を求める様にミロ達に視線を向け ? 地上の平和を守る事が聖闘士の使命とは言え、彼らが表立って国家 間の争いに等に関わる事は無い。 さすがに人類の存亡に関わる様な致命的な事案であれば動きはす るが、基本的には不干渉であった。 関わろうと思えば如何様にも出来るのだが、人の行く末は人の手に 委ねるべきとするアテナの意向に従っている為である。 これは、一見すると放任しているだけの様にも取れるが、その実人 はそこまで愚かでは無いと、人の心の善性を信じようとするアテナの 強い想いに因る。 であるならば、聖闘士にとっての敵とは何か。それはアテナの想い を踏みにじろうとする邪悪なる意思であり、人の手ではどうする事も 出来ない人知を超えた存在である。 神話の神々││神々の意思を宿した人間や聖闘士、海闘士達が実在 ス ター ヒ ル する様に、伝説の中にある怪異や魔物もまた実在していたのである。 163 ﹁星詠の丘から視た星の動きは、この聖域に古の邪悪が迫り来る事を 告げていた。シャカにも調査を頼んでいたが、どうやら事は杞憂では 済まぬ確かな事態となっている﹂ ﹁かつてゼウス率いるオリンポスの神々と、地上の覇権を掛けたギガ ﹂ ンテスと呼ばれる巨人達の戦い││ギガントマキアがあった事は皆 知っているか それは真実か、シャカよ﹂ シャカは続ける。 教皇の言葉を受けたアイオリアの問いに、さして動じた様子もなく ﹁神々の敵だと 異変はそれに呼応した物であったのであろう﹂ によってその封印を解かれていた事が発覚したのだ。ここ数カ月の ﹁オリンポスの神々の力により封じられていたギガスが、何者かの手 かったとされる神々の敵﹂ 力を││半神半人の英雄ヘラクレスの力が無ければ倒す事が出来な 女神ガイアの子││ギガス。神の力では決して倒れる事は無く、人の ﹁オリンポスの神々を敗北寸前まで追い詰めた大神ウラノスと大地の 教皇の言葉を引き継ぎ、皆に告げる為にシャカが一歩前に出る。 ? ? ﹁ええ。このシャカ、北ギリシアの洞窟に隠れ住んだと言う曰くの通 り、先日ピンドスの地にてギガス十将ポリュボテスを名乗る者と戦っ シルバー た。十将と名乗った彼がギガスの中でどれ程の地位にあったのかは もはや分らんが、少なくとも並の白銀では太刀打ちできん。今頃はア フロディーテが彼らを呼び出したと思われる門を封じているはず﹂ ﹁封 印 に 関 し て は カ ミ ュ の 方 が 適 任 で あ っ た か も 知 れ ん が、ア フ ロ ディーテが自ら名乗り出たのでな。任せる事にしたのだ﹂ ﹁とは言え、既に門は開かれた後。どれだけのギガスが冥府からこの 地上に蘇ったのかは不明だ。既に彼らの王は目覚めた、ポリュボテス はそう言っていたが﹂ 淡々と、事実をあるがままに語るシャカの様子は普段と何ら変わる 事はない。 ﹁クククッ、勿体ぶるなシャカ。つまり、俺達にそのオリンポスの神々 ですら手を焼いた過去の遺物をぶちのめせって事だ﹂ 164 十将だかなんだか知らんが、と呟きデスマスクが続ける。 ﹁歯応えのある相手と出会わなくて久しいんだ。教皇、このデスマス クにお命じ下さい。今すぐにでもそのギガス共を冥府へと送り返し て見せましょう﹂ なんならば教皇のお心を乱す者││全てを そう言って恭しく一礼するデスマスク。 ﹁フフッ、頼もしいなデスマスク。しかし、この件に関してはお前一人 だけに任せる訳にはいかぬのだ。ギガスの狙いはどうやらこの聖域 にあるらしいのでな﹂ 再び玉座に腰掛けた教皇の傍にシャカが並ぶ。 ﹁今はその力の大半を封じられている為に左程脅威とはならない。だ が、ある物を手にした時、かつて神々すら恐れた彼らの不死の力が甦 るのだ。ギガスの真の恐ろしさはその不死性にある﹂ ﹁⋮⋮そのある物とは一体何なのだ、シャカよ﹂ ﹁それは教皇の間の先、古の││﹂ ﹂ カミュの問い掛けにシャカが答えようとした時、それが起こった。 ﹁││ !? ﹁何だ ﹂ ﹁こ、この纏わり付く様な不快な小宇宙は ﹂ 上空から圧しかかる様な不快な、悪意そのものとしか感じられぬド ス黒い小宇宙にアイオリア達が反応する中、法衣を翻して教皇が玉座 から立ち上がる。 ﹁│││来たか、ギガス共よ﹂ その呟きに応えるかの如く、ズンと圧し掛かる様な黒い小宇宙の圧 力が強まりを見せる。 ﹂ ﹁この小宇宙は⋮⋮十二宮の周辺だけではないぞ。聖域全体に広がり つつあるのではないのか アルデバランの危惧は正しい。 これは│ 雑兵と候補生、青銅聖闘士は聖 白銀聖闘士は即刻侵入者を排除せよ ﹃聖域にいる全ての戦士に告げる 域の民を護れ │勅命である﹄ ﹂ 聖域の平和の時が終わりを告げた瞬間であった。 ﹁クッ 黒の闇に包みこまれようとしていた。 !? 闘士か、これでは只の無能ではないかっ ﹂ ﹁黄金聖闘士が六人もいて気付かなかったとは 何が最強の黄金聖 ﹁馬鹿な、結界の張られたこの聖域に侵入されただと ﹂ 宙が立ち昇っている。夜明けを迎えていたはずの聖域は今まさに漆 そして地を見れば聖域のあちこちから悪意に満ちた幾つもの小宇 す不気味な黒雲であった。 も続く。外へと出たアイオリア達が目にしたのは、空一面を覆い尽く 教皇の間から外へと駆け出すアイオリア。それを追う様に、ミロ達 !! ! !? 教皇の思念波が聖域全土に響き渡る。 ! ! 至る過程は違えども、その心に沸いた感情は同一であった。己に対 い誇りを持つミロ。 聖域の守護を任されていたアイオリアと、黄金聖闘士である事に強 !! 165 ! !! ! する不甲斐無さと怒りである。 ﹂ クッ、一つ一つはどうと ? あそこは居住区に近い !! ﹁この小宇宙、これがギガスの先兵なのか でもなるが、数が││いかん ﹂ !! ! オレは向こうに現れた連中を片付ける ﹂ ﹁急ぐぞアイオリア ﹁ま、待てお前達 ! ない。 ﹁ええいッ ﹂ が居れば充分だろ 待つのは性に合わないんでな、オレも出るぜ を破る事は出来なかったみたいだな。だったら、ここはお前らの誰か ﹁ハン、聖域に侵入した事は褒めてやるが⋮⋮この十二宮周辺の結界 ! ! テナと十二宮の護りはどうする気だ ﹂ 気持ちは分らんでもないがあれは明らかに陽動だ。ア アルデバランが手を伸ばすが、駆け抜けて行った二人の背には届か !! ける。 !? ﹁⋮⋮任せるぞ﹂ ﹁アテナの護りは私とシャカが務めよう。行くが良いアルデバラン﹂ のだから。 アルデバランの肩に触れたのはシャカではなく││教皇であった ンであったが、その叫びが途中でピタリと止まる。 ここまでの流れから、次はシャカかと、反射的に叫んだアルデバラ ﹁いい加減にせん││﹂ その肩に触れる者があった。 ﹁⋮⋮アルデバラン﹂ レがしっかりせねばとアルデバランが気合いを入れる。 思わず抜けそうになる気力を奮い立たせ、 ﹁ならばなおの事﹂と、オ 冷静沈着、常にクールたれと皆を抑える役割のカミュまで。 ﹁カミュお前もか ﹂ とまたも人影が通り抜ける。 人の話を聞けと、思わず叫びたくなったアルデバランの横をスルリ ﹁デスマスク ええいっ、どいつもこいつも││﹂ 手を伸ばしたままのアルデバランの横を、デスマスクもまた駆け抜 ? !? 166 ? ﹁きょ、教皇 し、失礼致しました 敵の狙いがはっきりせぬ以上は﹂ しかし⋮⋮構わぬのですか ? ﹂ ﹂ ムウが不在とは言え、いや、だからこそセラフィナの傍に ﹃││そこな﹄ は海斗だけではなくシュラも置いたのだぞ ﹁馬鹿な の少女を手に入れた﹂ ﹁考えられる事は一つ。ギガスはソーマ││ネクタールの力を持つあ であった。 そこでシャカが言葉を止めた。その表情に浮かぶのは僅かな困惑 ││﹂ は考えられません。何かギガスを勢い付かせるだけの事があったと ﹁この侵攻は予想していたモノよりも早く、ギガスの王の復活だけと り返そうとしているのを感じ取りながら教皇が問う。 聖域の各地から立ち昇る無数の小宇宙。黒は広げる版図を白が塗 る、シャカ ﹁若さ、か。彼らを軽率と諌める事は出来ん。さて、この流れをどう見 から駆け出して行った。 教皇に一礼し、頼むぞとシャカに告げてアルデバランもまたこの場 ﹁では、お言葉に甘えさせて頂きます﹂ 二人の言葉にアルデバランが見せた逡巡は一瞬。 皇とこのシャカに任せて行きたまえ﹂ ﹁⋮⋮君は妙なところで責任感が強いのだな。構わぬよ、この場は教 ! ﹃美しき男の言う通りよ﹄ パリンと、まるでガラス細工を壊した様な音を立てて空が割れた。 聞こえた声と音に教皇が視線を上げる。空いた穴からはまるで這 い出す様に人のカタチをした何かが現れていた。 167 !? ? その時、ビシリと、何も無いはずの空に亀裂が奔り、 ! !? それは、色素の抜けた白い髪に漆黒の仮面、大蛇を模した意匠の施 された金剛衣を纏った女であった。女性体である事を強調するかの ように、胸元は開かれ、大腿を曝け出している。 妖し過ぎる色気があったが、その身から感じる小宇宙は深く暗い。 澱みに満ちたおぞましい物だと感じる。 ﹁何者だ﹂ ﹁我が名はデルピュネ﹂ 教皇の問いに女はそう名乗り、ゆっくりと地上に降り立った。 仮面の為か、くぐもった声からは女の正体を窺い知る事は出来な い。 ﹁あの小癪なヘルメスの使い││エクレウスの名を宿した小僧も、黄 金の山羊も所詮は人の子。神すら倒して見せた我等の前では余りに も││無力﹂ 空に向かって掲げたデルピュネの右手に燃え盛る炎が現れると、そ まえ、再び冥府へと送り返されるか、魂諸共に消滅するかを﹂ カー ン その手で印を組み、力ある言葉を静かに呟く。 ﹁││不動明王迦桜羅焔﹂ シャカの周りから吹き上がる小宇宙の炎。それは不動明王の浄化 168 れは劫火となってデルピュネの身を包み込む。 炎はその内にあるデルピュネを守るかのように渦を巻き、舞い散る 火の粉が火種となって周囲に次々と炎の柱を生み出していた。 アテナ ﹁さて、ネクタールの力を宿した娘は手に入れた。後はこの地に封じ られたアンブロシアさえあれば、憎き小娘に掛けられた我等ギガスの ﹂ 不死の力が甦る。大人しく渡すならば苦痛を感じる間もなく││灰 塵と化してやろうぞ て二人の間に立つ。 ? 偽りであろうが、このシャカが成す事には何の変わりもない。選びた ﹁シュラと海斗を倒したと しかし、お前の言葉が真実であろうが 吹き付けられる熱波から教皇を護るべく、シャカがその身を盾とし 畳を融解させ始めていた。 デルピュネの纏った炎の勢いが足下を、十二宮に敷き詰められた石 ? の炎。悪意を焼き払い、敵を焼き尽くす迦桜羅の炎。 デルピュネの熱波とカーンの熱波がぶつかり合う。 ﹁むぅ、二人の生み出すこの炎、まるで巨大な炎の壁だ。シャカの炎と あの女の炎がぶつかり合い互いを喰らっている為か﹂ その余波は、シャカの背に守られていた教皇の身体すら押し下げ る。 ﹁ほう、凌ぐかえ﹂ デルピュネの言葉に喜色が混じる。 ﹁ふ む。ア ン ブ ロ シ ア に つ い て は そ こ な 仮 面 の 男 に 語 ら せ る と し よ う。喜べ、美しき男よ。お前はこの我が直々に喰ろうてやろう﹂ 宣言と共にデルピュネが左手を掲げた。 そこから生じた炎は巨大な蛇のカタチとなり、炎の壁へとその身を 投げ込む。 ﹂ 生み出されては炎の中へ。次々と姿を消して行く。 くっ、まさかこのシャカが押される ﹂ う小宇宙が奔流となって弾き飛ばす。 ﹁ふふふっ、さあ、骨も残さず││喰ろうてやろうぞ﹂ 互いを喰らい合っていた炎の壁は遂にデルピュネのものとなり、そ れは、さながら巨大な大蛇の如くその姿を変えていく。 炎蛇が巨大な口を開き、シャカの身体を呑み込んだ。 169 均衡が崩れた。 ﹁むっ ﹁いかんシャカ !? シャカに迫る炎の壁。駆け寄ろうとする教皇の身体をぶつかり合 !! !? 第12話 ぶつかり合う意志 地中海最大の島││シチリア島。 の巻 ギリシア時代からの遺跡が数多く残されており、温暖な気候も手 伝って現在では観光地として名高い場所。 島にはヨーロッパ最大の活火山であるエトナ火山も存在している。 過去幾度か噴火した事のある活火山ではあるが、他の活火山と比べ てその危険性は低いとされている事も有り、その周囲では多くの人々 サンクチュアリ が生活を営んでおり、その山の麓では土壌の特性を生かした果樹園な ども広がっていた。 それらは││全て表の顔である。 ギリシアの地に古からの結界に隠された聖 域がある様に、このシ チリア島にも神話の時代から続く結界によって人々に知られる事無 く今も存在し続けている場所があった。 それは、エトナ火山の火口部に存在する。地下へと続く洞窟であっ た。日の光の届かぬ地の底でありながらも、幽玄を感じさせる淡い輝 きに満ちた場所である。 例えるならば、月夜の静寂。 月明りに照らされた大地の様に、全てを見通せる程ではないが、周 囲が見えない程でもなく。 全てが眠る夜の如く、しんと静まりかえってはいるが、決して無音 と言う訳でもない。 その淡い輝きは、この場所が広大な洞窟である事を、カチャリ、カ チャリと鳴り響く音が、この場所に何者かが存在している事を示して いた。 ﹁只今⋮⋮戻りましたアルキュオネウス様﹂ 闇色のトパーズの金剛衣を纏ったギガスが恭しく頭を下げる。 大柄なギガス達の中でも、この男の体躯は小さいと言える。無論、 ギガスの中では、という前提ではあったが。 再び頭を上げた事で、その容姿が淡い輝きに照らされて露わにな る。こけた頬、窪んだ眼窩、まるで皮を被った髑髏を思わせる風貌で 170 ! ある。 このギガスの名はエンケラドゥス。ギガス十将の一人である。 パ レ ス ﹁デルピュネ様はかの地より聖域へ。エキドナは、あの娘を連れて先 に戻った筈ですが⋮⋮﹂ ﹁知 っ て お る。エ キ ド ナ は あ の 娘 を 連 れ て ガイア宮殿 へ と 向 か わ せ た﹂ 答えたのはアルキュオネウスと呼ばれたギガス。 東洋の鬼を思わせる面を着け、黄金に輝く金剛衣を纏った男。漲る 覇気、金剛衣越しからでも分る逞しい体躯。 ただ見られている、それだけの事であるのにエンケラドゥスは魂の 奥底から湧き上がる震えを押さえる事ができない。この男が放つ雰 囲気は、明らかに十将のそれを凌駕する。 ﹂ ﹁ネクタールの娘の側にいた青銅聖闘士をデルピュネとエキドナが、 黄金聖闘士をお前が倒したと聞いたが⋮⋮それは真実か ﹁ハハッ。多少は⋮⋮抵抗されましたが、しかし、当代の黄金聖闘士が あの程度とは⋮⋮些か拍子抜けでありました。やはり、所詮は人間。 所詮は小娘の使い走りに過ぎませぬ﹂ 何かを思い出すかのようにエンケラドゥスの瞳がぎょろりと動き、 そうして報告を終えると﹁ククッ﹂と声を押し殺して嗤ってみせる。 そうして、だ。さらに三人掛りで││ようやく聖闘士二人 ﹁所詮、か。グラティオン、アグリオス、トオウンの三人は敗れたので あろう だ﹂ ば、奴等にあの様な無様を晒させる事は││﹂ ﹁釣り合わん。そう言っているのだ﹂ 十将の中でも体躯に恵まれていないエンケラドゥスは、それ故に他 の十将よりも手柄を立てる事によってでしか自分の自尊心を満たせ ない。 それが、吉報であるはずの勝利の報告を諌められては。知らずエン ケラドゥスは眉を顰めていた。 ﹁何故この私が王の座すパレスを離れ、地上との境であるこの場まで 171 ? ﹁お言葉ですが⋮⋮最初からこのエンケラドゥスに全て任せて下され ? ﹂ 出向いたのか。それを疑問には思わなかったのか ﹂ をねぎらう為だとでも ﹁は お前たちの労 ? 撃が閃光に││両断された。 馬鹿な ﹂ ﹁ふむ。やはり、な﹂ ﹁な お前は確かにこのエンケラドゥスが倒した筈 その光景に、さも当然と呟くのはアルキュオネウス。 ﹁何故だ あり得ない、と。 ﹂ パンと、周囲に衝撃波を撒き散らし、アルキュオネウスの放った拳 キンッと、澄んだ音と共に暗闇に一筋の光が奔る。 ﹃そう、人間であるならば││お前達ギガスを打倒す事が出来る﹄ 歪みが巨大な拳となって闇の中唸りを上げる。 空間﹄に拳撃を打ち込んだ。 りと、アルキュオネウスの右腕の周囲が歪み││そのまま﹃何も無い 構えた右腕に力を込める。集束した小宇宙が密度を増す。ぐにゃ るならば⋮⋮﹂ 二神では我等を滅ぼす事は出来ぬ。しかし、その意を受けた人間であ ﹁毒││それは人間だ。大いなる母ガイアの加護によりオリンポス十 ま言葉を続ける。 構える。視線は闇の中を向きながら、エンケラドゥスに背を向けたま やがて、歩みを止めたアルキュオネウスは、自身の右拳を腰だめに かを﹂ せ、オリンポスの神々を追いつめた我等を滅ぼした毒が何であったの ﹁プロメテウスのもたらした因果は、まだ我等を縛っている。思い出 もなく、ゆっくりとアルキュオネウスが通り過ぎる。 何をと、首を傾げるエンケラドゥス。その横をさして気にした様子 ? ンケラドゥス﹂ ﹁私がここまで出向いた事の答えが││これだ。尾けられていたなエ ! !! 対して、振り返ったエンケラドゥスは声を荒げた。 !? 172 ? !? 閃光が幾重にも奔り、空間が切り開かれる。 ﹃一つ、言っておく。貴様に殺された覚えは││ない﹄ そこから溢れ出すのは眩いばかりの黄金の輝き。 ﹃海斗には悪いが、当たりを引いたのはこのシュラだったな﹄ それは、太陽の輝きにも似た黄金聖衣の輝き。 光を纏いエンケラドゥス達の前に立ったのは││シュラ。 ﹂ 傷一つ無い聖衣、微塵のダメージも感じられぬその姿はエンケラ 黄金聖闘士 ドゥスの記憶とはかけ離れ││ ﹁何故生きているのだ !! 馬鹿な それでは我らが倒したのはまやかしだとで 認められ││﹂ 今度こそ貴様を魂ごと四散させてくれる ﹂ 〝ハウリン !! 灰燼と化して消え去れ ﹂ ﹁そのリングは触れた物全てを破壊する。原子の結合すら砕く超振動 それは無数に連なりながらシュラへと襲い掛かる。 突き出された両手から放射状に広がるリングのビジョン。 グボマー〟 ﹁ならば 冷静さを欠いたエンケラドゥスの耳に制止の声は届かない。 ﹁止せエンケラドゥス﹂ も言うのか ﹁亡霊だと る者を惑わせるとも聞くが﹂ ジャミールの地では時折り﹃性根の曲がった亡霊﹄が彼の地に踏み入 ﹁⋮⋮フッ。言ったはずだ〝貴様に殺された覚えは││ない〟とな。 ! ! 剣 それは一条の光と化して迫り来る破壊の力を両断する。 ﹁││斬る﹂ 振り下ろされる手刀。 ﹁抜かば││﹂ 目前に迫るそれを前にしてもシュラは揺るがない。 迫り来る無数のリング。 ﹁このシュラのエクスカリバー││﹂ 聖 そう呟き、シュラが右手を掲げる。 !! 173 !? !? !! ! ﹁奇遇だな﹂ ! 断 た れ た リ ン グ は 放 た れ た 勢 い の ま ま に シ ュ ラ の 横 を 通 り 過 ぎ ⋮⋮光の粒子となって霧散した。 ﹁言った筈だエンケラドゥス。釣り合わん、とな。不死の力を封じら れた貴様ら十将では、黄金聖闘士の相手は荷が勝つと言う事だ﹂ ピシリと音がした。 ﹁あ、あああぁああ⋮⋮﹂ エンケラドゥスの金剛衣に浮かび上がる一筋の線。 ﹁いや、ここはシュラと言ったか。お前の力量を認めるべきなのだろ うな﹂ アルキュオネウスの言葉が終わると同時に、エンケラドゥスは鮮血 を噴き出して崩れ落ちた。 ﹁エ ク ス カ リ バ ー か。余 波 で す ら 金 剛 衣 を 切 り 裂 く。見 事 な 切 れ 味 だ、聖剣を名乗るだけの事はある﹂ ﹁先を急ぐのでな、理解したのなら大人しく下がれ。逃げる者を背後 から斬る真似はせん﹂ ﹁⋮⋮ふむ。驕りや増長と笑う事は出来んな。お前の強さには大言を 吐くだけの資格がある﹂ そう言ってアルキュオネウスがシュラへと向かい歩を進める。 ﹁このアルキュオネウスと戦う資格も、だ。お前の聖剣程ではないが、 この右拳には少々自信があってな﹂ 一歩一歩、その歩みが進む毎にアルキュオネウスからの威圧感が増 大する。 それは意識や感覚を超えて、物理的な圧となってシュラに重く圧し 掛かる。 ﹁どうやら、貴様はこれまでに見たギガス達とは違う様だな﹂ そう、このギガスは違う。その身から感じる小宇宙は自分と同等か ││それ以上。 理屈ではなく己の感覚に従いシュラが身構える。 じりじりと狭まる互いの距離。あと一歩、もう半歩で互いの間合い 174 に入る。 そんな場所でアルキュオネウスがその歩みを止めた。 ﹁我が名はアルキュオネウス、我らが王ポルピュリオン様に仕える神 将アルキュオネウス﹂ 先程放った拳撃の様に、アルキュオネウスが右拳を腰だめに構え る。 ﹁黄金聖闘士、山羊座のシュラ﹂ 対するシュラもまた右腕を掲げ、その手は手刀の型に。 ﹁いざ││﹂ ﹁││参る﹂ ﹂ 互いの間合いへと踏み込み、両者は同時に必殺の拳を放った。 ﹂ ﹁エクス││カリバーー カタストロフ ﹁神屠槍 第12話 ﹂ ! ﹂ は思わぬか ﹂ り燃え盛り。しかし、これ程の炎は見た事がない。実に美しい光景と ﹁ふふふっ。どうじゃ、この炎の色こそあやつの命の色よ。燃え上が ﹁ぬぅっ 手を阻む。 勢いを増した炎から放たれる熱波が、駆け寄ろうとする教皇の行く ﹁クッ、これはなんという炎⋮⋮シャカ 燃え盛る火柱は周囲を赤く染め上げる。 巻き上がる炎の螺旋。舞い散る火の粉。 !! 悠然と進むデルピュネ。その歩みを前にして教皇││サガは己が 場所、答えて貰う﹂ ﹁さあ、後はお主だけよ仮面の男。この地に秘されたアンブロシアの 炎を背に、デルピュネが教皇へと向き直る。 ? 175 !! ! 決断を迫られているのだと理解した。 デルピュネの脅しにではない。 ︵⋮⋮もはや、逡巡などしてはおれんか では ︶ ︶ ︵早過ぎるのだ、まだ時期ではない。せめて││アテナが成長するま を、捨ててきたモノを無為にしかねない。 を隠し続けた十一年。ここで戦ってしまえば、その築き上げた年月 教皇となって十一年。己を、サガと言う存在を亡きものとし、正体 に対してである。 降伏するか否かでは無い。己の力を見せる、力を振るう。その事実 せぬ﹂ ﹁何、先にも言ったが、大人しく従うのであればこの場で命を取る事は ? ﹂ ﹃十一年だ。お前は教皇として良くやった。居もしないアテナを祭り 違うのは身に纏う色。目の前の己が纏うのは夜の闇より暗き黒。 ならば、そこで向かい合う存在もまた己。 そう、闇の中心にあるのは己だけ。 ﹁目なら覚めている﹂ ﹃目を覚ませサガよ﹄ それだけが分る。 何も無い中心に、ただ己だけがある。 上も、下も、右も、左も、何も││無い。 そこは見渡す限りの闇。 サガの周囲から一切の音が、光が消え去った。 その声を聞いた、認識した瞬間、サガの意識が白く弾ける。 内から響く声。 ﹃この期に及んでお前はまだ偽善の仮面を取り繕う気かサガ﹄ ﹁ ﹃││この期に及んで﹄ ! 上げ、虚飾に塗れながら。それでもこれまで聖域を纏め上げたのは紛 176 !? う事無くお前の力だ。アテナ不在を明かす程度の事であれば、今更お 逆らう者はおるまい﹄ 黒の己が口を開く。 ならば││オレを出せ。お前以上に上手くやって見せよう。 ﹃フフフッ、下らぬ良心とやらの呵責に悩み続けるのは心苦しいのだ ろう 様だ こ 老 師 は 動 ならばこそ、だからこそ、やらねばならなかったのだ 生 ま れ た ば か り の ア テ ナ 幼 き 黄 金 聖 闘 士 ? ﹂ 慟哭にも似た叫びを黒いサガはせせら笑う。 状況を生みだした ! ﹁⋮⋮ッ 黙れッ ﹂ !! 仁智勇全てを兼 ? ﹂ !! 違うだろう 心の奥底では思っていたはずだ、選ばれる ? ﹂ アイオロスは仁智勇を兼ね備えた男。次期教皇にふさわし いのはあの男だった ﹃この期に於いても綺麗事か。己の自尊心と野心のために教皇を手に !! ﹁違う べきは自分だと。故に、心からの祝福など出来るはずもない﹂ 本当に ﹃射手座のアイオロス、だ。言ったな、アイオロスこそが相応しいと。 サジタリアス ﹁言うな 伸ばされた黒い手がサガの肩に触れる。 呼びあった││﹄ ね備えた者として次期教皇に選ばれたのはお前では無く、互いに友と ﹃今でもはっきりと思い出せる。屈辱だったろう に浮かぶ波紋の様に黒いサガの身体が揺らぐのみ。 しかし、拳を打ち込まれた胸を中心に、まるで小石を落とした水面 ガを貫いた。 激情に駆られるままに繰り出されたサガの拳が目前に立つ黒いサ !? 皇とその手に掛けた││サガなのだよ﹄ ての発端はお前だ。オレであったがお前でもあった。アイオロス、教 ﹃ハハハッ、今更何を言っている 違うな、全 の地上を邪悪から護る為には、このサガがやらねばならなかった事だ けぬ ! ﹁⋮⋮上手くやる、だと ふざけた事を。状況を生みだしたのは貴 だから、お前はもう休め﹄ ? !! !! ? ! 177 ! ! ? !! 掛け、幼いアテナを亡き者にしようと企み、その罪をアイオロスに被 黙れッ 黙れ黙れッ せたの貴様が言う事かッ ﹂ ﹂ その全てを狂わ 私は正義の為に戦いたかった アテナの身を危機に晒した は今ではない めた 報いは受けよう。だが、それ ﹁そう、私は罪を犯した。貴様を抑える事が出来ずに教皇と親友を殺 それは、かつてカノンが海斗に向けて放った技と同じ構え。 両腕を交差させ上段に構える。 ! せた者は⋮⋮さすがに言う事が違う﹄ ﹁黙れ !! アイオロスと共にアテナの為に戦うと誓った !! ! ﹄ ? いはせん ﹂ を育てる事。それが成されればこの身、この命が引き裂かれようと構 ナを見つけ出し、来るべき邪悪との戦いに備え一人でも多くの聖闘士 ﹁言ったはずだ、報いは受けると。今私が出来る事は一刻も早くアテ リアの前で言えるのか その言葉をお前が裏切者の汚名を着せたアイオロスの弟││アイオ ﹃何を言ったところで、所詮は我が身可愛さの保身にしか聞こえん。 !! ならば力尽くで眠らせるまでよ││﹄ ﹂ サガの掲げた両腕に光り輝く小宇宙が集約される。 私は││アテナの聖闘士だ そして現れる銀河の星々の輝き。 ﹁くどい 漆黒の闇を小宇宙が生み出した銀河の星々の輝きが照らす。 ﹂ ﹁貴様を表に出すわけにはいかん。我が内で砕け散り永遠に眠れ 打ち合わされ、振り下ろされる両手。 ﹁││〝ギャラクシアンエクスプロージョン〟 !! !! 銀河爆砕。それは、銀河の星々を打ち砕く破壊の瀑布。 !! ﹂ ﹃大人しく従うならば良しと考えていたが、言っても分らんのならば、 に同じ構え。 黒いサガもまた、両腕を交差させ上段に構える。それは鏡映しの様 それを忘れてもらっては、な﹄ ﹃大した覚悟だが、それでは困る。この身体はお前だけの物ではない。 !! ! 178 !! !! ! ! 爆砕した銀河の奔流が互いの銀河を埋め尽くさんとぶつかり合い、 削り合い、喰らい合い、膨張し、そして││ ﹃フン。いいだろう、この場はお前に譲ってやるさ。だが、忘れるな。 お前という光が強くなれば、それだけ俺という影はその濃さを増すの だ。既に兆候は表れている。そう遠くない内に、この身体の主導権は 完全に俺のモノとなる事を﹄ ﹁分っている。貴様は私なのだからな。だが、そう思い通りに事を運 ばせるとは思わぬ事だ。貴様の全てを私が理解出来ぬように、貴様も また私の全てを理解する事は出来ないのだ﹂ ﹂ ││爆発した。 ﹁││ッ 肌に感じる熱波と吹き上がる炎の音で、サガは自分の意識が現世に 戻った事を確信した。 歩み寄るデルピュネの位置から、もう一人の自分に囚われたのは時 ﹂ 間にして僅か数秒にも満たぬ間であったと推察する。 ﹁さあ、返答は如何に ている事がサガには分った。 ﹁この私が、その様な言葉に大人しく従うとでも思っているのか そう告げるサガの言葉に迷いはない。 ? ﹁これは⋮⋮雪か。火の粉が雪に変わって行く﹂ となって灼熱した地に優しく降り注ぐ。 宙を舞っていた赤い粉は、その色を白へと変え、幾何学模様の結晶 火の粉はその姿を消していた。 身を焦がさんばかりに押し寄せていた熱風が止み、空に舞っていた 囲の変化に気が付いた為であった。 双子座の聖衣。喉元まで出ていたその言葉をサガが止めたのは周 ジェ ミ ニ ﹁来い、我が││﹂ ﹂ 漆黒の仮面越しであっても、醸し出す雰囲気からデルピュネが嗤っ それは、己が絶対的強者であるとする余裕からか。 ? 179 !? ﹂と周囲を見渡す。 それはあり得ぬ変化、あり得ぬ異変。それを目の当たりにしたデル ピュネも﹁何事か ﹁あ、あり得ぬ 炎が、我の炎が凍りつくなど ﹂ 凍りつき、巨大な氷柱と化してそびえ立っていたのだ。 シャカの身を包み燃え盛っていた筈の炎の螺旋。それが瞬く間に 光景がその目に映った。 そして、空を舞う雪の結晶よりもこの地に起きた異変を雄弁に示す !? !! る。 ﹂ !! 両足を組み合わせ、両腿の上に乗せた結跏趺坐の型で瞑想するその があった。 カミュが視線を向けた先には、炎の螺旋に呑み込まれたシャカの姿 な││シャカよ﹂ ﹁ありがとうございます教皇。しかし、お前には余計な事であったか を進めるだけで、燃え盛る炎が、熱波が消えてゆく。 氷の闘技、凍気を極めた男。凍気を纏った彼が一歩一歩とその歩み ミュ。 砕 け た 氷 柱 の 影 か ら 姿 を 現 し た の は 水 瓶 座 の 黄 金 聖 闘 士 │ │ カ ﹁いや、責めはせぬ。良い判断だ﹂ だ。先の勝手な行動、申し訳ありません教皇﹂ はないか。ある意味賭けの様なものだったが、存外上手く行ったもの ﹁この場の護りを薄くすれば、それに誘われる様にして姿を現すので き飛ばした。 直撃こそ免れたものの、吹き荒ぶ凍気と氷塊の勢いが女の身体を弾 ピュネを襲う。 亀裂を奔らせ砕け散った氷柱が、無数の氷塊の散弾となってデル ﹁う、ああああああーーっ 動揺が、デルピュネの判断を鈍らせた。 ﹁一体何者が む、これは、氷の柱に亀裂が││﹂ の自信がどれ程のものであったのかがその狼狽する姿から読み取れ デルピュネからは、つい先程までの余裕が失われていた。己の力へ ! 身には、先程まで業火の中にあったと言うのに、炎に晒された痕跡は 180 !? 一切見受けられない。 ﹁いや、助かったと言わせてもらおう。おかげで、結界に阻まれていた ﹂ 迷い子を上手く呼び込む事が出来た﹂ ﹁⋮⋮迷い子だと ﹁タイミングが悪かったのだ。あのままここに現れていては、先の炎 の渦に巻き込まれていたのでな﹂ カミュの疑問の声に対して、シャカが微かに笑みを浮かべた。 結跏趺坐を解き、立ち上がるシャカ。 瞼を閉じたままでありながら、まるでその先が見えているかの様に 澱みのない自然な動作であった。 シャカの閉ざされた眼には、聖域の各地に立ち上る無数の小宇宙、 命の輝きがハッキリと見えていた。 そこに、突如として現れた巨大な光。その輝きは青と白の螺旋を描 き、群がる闇を消し飛ばす。 ﹂ ﹁デルピュネと言ったか。ピンドスで出会ったギガスもそうであった が、聖闘士を甘く見過ぎではないのかな ﹁カミュ、その必要はない﹂ このカミュが││﹂ ﹂ ﹁我が凍気を侵食するか。意趣返しのつもりか よかろう、ならば 再び炎の粉と化し、この場を紅蓮の世界へと染め上げていた。 吹き付ける熱波は先程の比では無い。宙を舞っていた雪の結晶は た。それは周囲に広がる炎の勢いが如実に表している。 その身に傷は無い、だが己の矜持を傷つけられた事への怒りがあっ 怒号と共に、爆炎を噴き上げて立ち上がるデルピュネ。 ﹁⋮⋮く、ククッ。ほざくなよ人間如きが !! ? そうして再びシャカとデルピュネが対峙した。 かつて、一度はゼウスすら封じて見せたこの我を ﹁元より、彼女の相手を務めるべきはこのシャカなのだ﹂ ﹁ク、ハハハハッ ハ !? がらせる。 そう言って、デルピュネとの間に立とうとするカミュをシャカが下 ? 181 ? !! たかが聖闘士如きが、神でもない人間如きが相手にすると ! ハハハハハハハッ があった。 ﹂ ? 馬鹿な事を、あ奴は確かに我らが││﹂ られるはずが無い。 ジャミールで遭遇し、拳を交わしたのはつい先程の事なのだ。忘れ り、結界越しにでもデルピュネには感じ取る事が出来たのだ。 デルピュネはそれ以上を言う事が出来なかった。シャカの言う通 したとの言葉もどれ程信憑性のある物か﹂ 聖闘士の生死すら判断する事が出来ないとは。これではシュラを倒 ﹁おかしな事だ。ゼウスすら封じたと豪語しておきながら、たかが一 ﹁小宇宙だと 小宇宙を。お前が無力と嘲った聖闘士││エクレウスの小宇宙を﹂ ﹁気付かないのか 感じる事は出来ないか この地に現れたあの シャカの言葉にはデルピュネをして動きを止めさせるだけの何か しかし、その言葉には逆らい難いまでの力があった。 それは静かな一言だった。 ﹁││黙りなさい﹂ 的な力。 声に出した言葉が現実の事象に影響を与えるという、言葉に宿る霊 言霊という概念がある。 !! ? ﹁もう一度言おう。聖闘士を甘く見るな││と﹂ 182 ? 第13話 外伝∼幕間劇︵インタールード︶∼ ギガスと対峙するあの二人には油断も隙も無かった。 襲い掛かる敵を倒したとはいえ、未だ歪められたジャミールの結界 はそこにいる者の感覚を狂わせようとしている。 現状では、あらゆる攻撃が不意打ちとなるのだ。 とは言え、あの二人にとってそれは左程脅威にはならないだろう事 は、これまでの戦いを見て十分に理解できた。 問題とするならば、それはあの少女の事であろう。 守らねばならない存在、それがエクレウスとカプリコーンの枷とな る。 それを二人が理解しているからこそ油断は無いのだ。 ﹁ふぅん﹂ さてどうするかと思案する。 見れば、あの二人は次の行動に移ろうとしている。 ﹃一刻も早くこの地を離れる﹄ そう言う事であろう。 エクレウスが少女の手を取る。カプリコーンが僅かではあるが先 行する。 ﹁うん、いいねぇ﹂ 笑みが浮かぶ。 僅かでいい。 その距離が欲しかった。 カプリコーンがエクレウスを認めたからこそ生まれた距離。 エクレウスがカプリコーンを信頼したからこそ生まれた距離。 ﹁さぁて、と﹂ ここに来るまでに少し乱れてしまった黒のタキシード。 埃をはたき落とし、皺を伸ばし、お気に入りのシルクハットをかぶ り直す。この白いラインがオシャレポインだ。 これを悪趣味だと断じたアリエス。彼の美的感覚こそがおかしい と言わざるをえない。 183 ﹁第一印象は大事だからねぇ﹂ ま、エクレウスとはあの世で一度は会っちゃあいるが、と含んで笑 う。 一瞬、その姿を白い老人と化して、また今の姿へと。 さあ行くかと身を乗り出せば、どうやら場に変化があった模様。 ﹁おほっ﹂ ガラスが割れたような甲高い音が響き空間が割れた。 そこから現れたのは新たなギガス。 黒き仮面の竜女デルピュネ、白き仮面の竜女エキドナ。そして十将 エンケラドゥス。 ﹁おやおや、彼女等も必死と言うか何と言うか。ふむ、まあこれぐらい のアクシデントがあった方が面白いわな﹂ どうやらこの場での演目はまだ続くらしい。 ﹁でも⋮⋮ありゃあ駄目だな。あのままじゃあ直ぐに終わる﹂ 何せ、お姫様を守る騎士が強過ぎる。 せっかくの舞台の延長が、このままあっさり終わってはツマラナ イ。 主演は彼らであり今の自分は観客だ。 だが、この脚本の無い舞台の演出家になってみるのもそれはそれで 面白そうだ。 三途の川から仕込んでいた演出││愉快な挨拶の機会は失われそ うだが、この際我慢しよう。 それに役者が演目を続けようとしている。それを止める事は出来 ない。 ﹁う∼ん、でもなぁ⋮⋮。このままエンディングじゃあヒネリが無い からさァ﹂ この地の結界を再び弄り場を少々乱す事にする。 カプリコーンとエンケラドゥスを離し、エクレウスとあの少女の前 にデルピュネとエキドナを向かわせる。 ﹁後は││そうだな、いっその事挨拶も済ましちゃおうかね﹂ 裏方が出張るのは宜しくないし、観客が舞台に上がるなど以ての 184 外。 だが、演出的にはとても良い。時にはこういった突発的なアクシデ ントがスパイスとなるのだ。 彼もきっと気に入ってくれるはずだ。 ﹁聖戦までの暇潰しと思っていたが⋮⋮これはこれで楽しくなってき たなァ﹂ ﹁││下がっていろセラフィナ﹂ ﹁あ、はい﹂ そう短く放たれた海斗の言葉は、これまでセラフィナが聞いた事の 無い程に緊迫した物を含んでいた。 拙いと海斗は感じていた。 一体何が起きたのか、気が付いた時にはシュラと分断されていた。 右手を地に着け、そこを軸として回転。宙に浮かぶ身体を翻して体 制を整えたセラフィナが顔を上げる。その視線の先では、仮面を着け ﹂ た女達の攻撃を両手で受け止めている海斗の姿。 ﹁⋮⋮ッ 加勢すべきだ。 ! 185 お互いに不意打ちは警戒していたはずであったのだ。 明らかに││異常。今の海斗に細かな口調等を気にしていられる ﹂ 程の余裕は無い。 ﹁え ﹂ ! 勢いこそあったものの、セラフィナの身にダメージは無い。 ﹁海斗さん その場から弾き飛ばす。 をしかめたのと同時に柔らかな衝撃がセラフィナの身体を包み込み、 その瞬間、全身を舐め回す様な不快な視線を感じ、その嫌悪感に眉 何を││と、海斗へ問う間も無かった。 状況を把握できぬままであったセラフィナの肩がトンと押された。 何かが起きている事は分っても、それが何かが分らない。 ? 海斗は下がれと言った。 大人しく下がるべきだ。 海斗だけを戦わせて ぶ。 ﹁俺を踏み台に ﹂ ! 揚の無い声はまるで人形。 纏わり付く様な炎を連想させるデルピュネとは違い、エキドナの抑 デルピュネの声とは明らかに違う。 同じような仮面を着けながらも、どこかくぐもった様な感じのする ﹁貴方に⋮⋮用は無い。大人しくして﹂ のみ。 正体、素顔がどうであれ、自分の行く手を遮ろうとするならば倒す は明らか。 女性を殴る事に抵抗が無いわけでもないが、海斗にとって優先順位 見た目通りであるならば、自分と同年代か。 こそ似ていたがその体格は少女のもの。 蠱惑的な肢体を強調するデルピュネに対し、エキドナは纏う金剛衣 黒い艶やかな髪に表情の無い白い仮面が際立つ。 │エキドナが阻む。 デルピュネを追撃しようとする海斗。その動きを、白い仮面の女│ ﹁それは││貴方も同じ﹂ させるかっ 空中で器用に反転し、海斗の身体を蹴りつけてセラフィナへと跳 が動いた。 迷うセラフィナの思考の隙を狙い、漆黒の仮面の女││デルピュネ しかし、その僅かな逡巡こそが致命となる。 僅かな逡巡。 なりセラフィナの判断を鈍らせた。 一月にも満たない短い期間ではあったが、共に過ごした時間が情と う。 これがシュラであったのならば、セラフィナは迷わず下がっただろ ? ﹁もう一度言う。大人しくして﹂ 186 !? ﹁大人しくして欲しいなら俺の邪魔をするな ﹂ ﹂ ﹁な ら ん ぞ エ キ ド ナ。つ ま ら ぬ 禍 根 は 消 さ ね ば な ら ぬ。そ 奴 は 殺 せ ! 耳障りな声に海斗が視線を動かせば、そこには苦悶の表情を浮かべ るセラフィナが見えた。 エンドセンテンス ﹂ いや、これは⋮⋮くッ セラフィナ ﹂ デルピュネに片手で首を掴まれて吊り上げられた姿が。 ﹁どけっ ﹁避けられた !? 無数の光弾は、しかし、その全てが空を切る。 エキドナ目掛けて放たれる青い閃光。 ! そう言って左手を掲げるエキドナ。 ﹁私は避けてはいない﹂ ? ﹂ ﹂ 疑問はあったが、今優先すべきはセラフィナを救う事。 いつの間に、どうやって。 無事でいられる保証も無い。 新生聖衣のおかげか、噛みつかれた脚にダメージは無いがこのまま トロス。 そこにいたのは二メートルはあろうかと言う巨大な魔獣││オル 二つの頭を持つ神話の魔獣。 いつこうとする頭。 喰らいついた海斗の脚を噛み砕かんとする頭と、胴体目掛けて喰ら ﹁グゥルゥウウウウッ﹂ 唸りを上げて海斗の足に食らいつくモノ。 海斗が体勢を崩し、攻撃を外した原因となったモノ。 ﹁⋮⋮エキドナ⋮⋮神話上では魔物の母、だったか﹂ ﹁貴方が外した﹂ に妖しく明滅を繰り返す。 エキドナがそのルビーに触れると、まるで心臓の鼓動を思わせる様 その手首には、真紅に輝くルビーが填められた腕輪があった。 ! !! ﹁グゥアアァアアアアアッ ﹁この ! !! 187 !! 胴体に食らいつこうとするオルトロスの頭を抑えたものの、海斗の 動きはこれで完全に止められてしまう。 ﹁フフフッ、よく堪えるのう。そのまま喰らわせい。続けよエキドナ﹂ デルピュネの声に従い、エキドナが再び左手を掲げる。 本来ならば美しさを感じさせる筈の宝石の輝き。 明滅を繰り返すそれは、まるで脈打つ心臓。 視界に入っただけで倦怠感を、直視すれば嘔吐感が襲い掛かる。 それが一体何であるのか、海斗には分からない。 ただ、おぞましい物である事は分かる。 ルビーが明滅し、そこから巨大な影が生み出される。 ﹂ ﹂ 影は徐々に形を変えると、獅子と山羊の頭、蛇の尾を持った巨大な 魔獣の姿を形作る。 ﹁キマイラ⋮⋮だと⋮⋮ 広げられた巨大な顎。 抜ける海斗。 ﹂ 異変に気が付いたデルピュネが振り返ろうとするが、遅い。 188 唾液を撒き散らし向かって来る。 ﹁ケダモノ風情が⋮⋮調子に││乗るなああああッ 咆哮と共に解き放たれる海斗の小宇宙。 ﹁セラフィナ そこに現れたのは戸惑いという感情であった。 人形であったエキドナの感情がブレた。 ﹁⋮⋮聖闘士⋮⋮﹂ きを放った事を。 小宇宙の高まりに呼応するかの様に、エクレウスの聖衣が黄金の輝 エキドナは見た。 ﹁今のは⋮⋮確かに⋮⋮﹂ る魔獣達の尽くを粉砕した。 吹き荒れる小宇宙は物理的な衝撃を伴い、海斗に身に触れようとす 大地が鳴動し、立ち昇る小宇宙が螺旋の渦を描き天を突く。 !! !? 動きを止めたエキドナを無視し、四散する魔獣の血潮に構わず駆け ! 伸ばされるセラフィナの手。 ﹁海││﹂ 伸ばされる海斗の手。 ﹁セラ││﹂ 指先が触れ合う。 互いの手が││ ﹃ ﹄ ﹂ 届く事は無かった。 ﹁││な、に 海斗の伸ばした手の先には何も無かった。 目の前にいた筈のセラフィナがいない。 セラフィナに手を掛けていたデルピュネも。 次いで衝撃。 それが背後からの攻撃だと気が付くのに海斗は数瞬を要した。 幻術はあり得ない。 確かにお互いの指先が触れ合った感触があった。 自分の知覚を超える超スピード。 そんな事が出来るなら、今頃自分は死んでいる。 ﹂ 何が起こったのか分らない。 ﹁││それがどうした このまま転移されては││拙い。 現れた時と同じ様に、空間を割ってその姿を消そうとしている。 た意識の無いセラフィナの姿。 頭を振って立ち上がった海斗が見た物は、エキドナの手に抱えられ それだけでいい。 今考える事はセラフィナを助ける事。 意識はある。身体も動く。 ! 189 ? 全力で駆け全力で跳ぶ。 ﹂ ﹁その娘を連れて先に行けエキドナ。この小僧はこの場で燃やし尽く すでな そうはさせじと、行く手を遮る様にデルピュネが立ち塞がる。 ﹂ 掲げられた右手に燃え盛る炎が現れると、まるで矢の如く姿を変え て海斗へと向かい放たれた。 しかし││ ﹂ 水の壁が我の炎を喰らうなどと ﹁その程度の火で俺を焼けるか ﹁馬鹿な ﹁小癪な真似を ならば、その全てをこの炎で呑み込んでくれる﹂ この期に及んで形振り構うつもりは今の海斗には無い。 余計な詮索を受けぬ様、聖域では隠してきたこの能力であったが、 だからこそ聖衣を纏っていても使う事が出来る。 無い。 この力は海斗の持つ資質による能力であり、鱗衣に依存する能力では 海闘士の特殊能力は鱗衣を纏う事で発揮される物が殆どであるが、 それは海将軍シードラゴンとしての力。 の矢を呑み込んでいく。 海斗の小宇宙によって生じさせた水が壁となり、次々と放たれる炎 !! ! ! 事も。 ﹁セラフィナーーッ 手を伸ばす。 届く。 ﹂ 覚している事が。知覚していても、自分のこの速度には追い付けない 仮面越しであろうと海斗には分った。エキドナが自分の動きを知 セラフィナを救う。その事だけに集中する。 ンプルであった。 異なる。この戦いの場で海斗の取るべき行動、やるべき事は明確でシ 海闘士だの海龍だの聖闘士だのとゴチャゴチャ考えていた時とは しかし、海斗はそれに構わない。 両手を掲げ、これまで以上の炎を燃え上がらせるデルピュネ。 ! 190 ! !? ﹃ ﹄ 伸ばされた海斗の手の先には││何も無かった。 掴めた筈の手のぬくもりはそこには無かった。 ﹁⋮⋮そうか⋮⋮そう言う事か⋮⋮﹂ セラフィナの姿はそこに無く、エキドナの姿も無かった。 視線の先ではデルピュネがその身を空間に溶け込ませていた。 周囲では紅蓮の炎が自分を取り囲むように渦を巻いていた。 全てが過去完了形。 周囲の全てが﹃留まった﹄中で﹁ああそうか﹂と、海斗はこの異常 な状況を理解して納得をしていた。 辻褄は合うな、と。 いつの間にかシュラと分断されていた事。 ﹂ 191 届いた筈の手が届かなかった事。 カチリ、と小さな音がした。 ﹁時間よ留まれお前は美しい。なあ少年、この言葉をどう思う ﹁⋮⋮悪い冗談だ﹂ 懐中時計をポケットに押し込み、帽子を取って恭しく一礼する男。 ﹁初めまして少年。いや、エクレウスの聖闘士さん﹂ 然とした男。 黒いシルクハットにタキシード、赤い蝶ネクタイを着けた一見紳士 の様に見える。 無精ひげのせいで若干老けて見えるが、二十代後半から三十代半ば らくは日本人。 黒い髪に肌の色。そして雰囲気から東洋人だと言うのは分る。恐 べて立っていた。 にした黒づくめ。随分と場違いな男が、何が嬉しいのやら笑みを浮か そんな事を考えながら海斗が首を動かせば、そこには懐中時計を手 違いない声だ。この声には覚えがあった。 若い様で年老いている様な、兎にも角にも軽薄で碌でも無い男には ? ﹁本当に、な。一応こう言っておこうか ﹂ ﹂ 初めましてオッサン。い いきなり御挨拶だねェ、エクレウス や、時の翁。そして、さようなら││〝エンドセンテンス〟 ﹁うおっとォ ! ここは何だとか、お前は誰だとか色々聞く事があるでしょうが ﹁おいおい、まったく聖闘士ってのは気の短い奴らしか居ないのかァ ! ? 放たれた無数の光弾を器用に避けながら男は続ける。 !? ﹂ 嘘でしょ あ ﹁この状況で理解できた。お前が俺の邪魔をしていた。少なくとも3 避ける、避ける、避ける。 ︶ 突き出される海斗の右拳。 それを受け止める男の右手。 ﹁あの子の事を言おうとしたらパワーアップ まるっきり物語の勇 ︵想像以上。コイツぁ、ひょっとすればひょっとするんじゃねえのか ﹁⋮⋮良いね。うん、スゴク良い﹂ ていた男の動きを捉えたのだ。 無数に放たれた海斗の拳。光弾が閃光と化し、その一つが避け続け パァンと乾いた音が鳴り響き、男の軽口が止まった。 断して、君の手から彼女を引き離││﹂ ﹁と言ってもさ、ここでやったのは3回だけだよ。カプリコーンと分 攻撃を避け続ける。 男はそう言って軽口を叩きながら、威力と速度を増し続ける海斗の ? 回。テメェが誰かなんて││どうでもいい﹂ ブロンズ ? ∼っと、訂正しとこうか。邪魔したのは色々合わせて6回ね﹂ ﹁うおッ、とっ、ハッ キミ本当に青銅聖闘士 ! 刹那、男の立っていた場所に巨大な破壊の渦が立ち昇った。 再び黄金に輝くエクレウスの聖衣。 ゾクリ、と背筋に奔った悪寒に従いその場を飛び退く。 男はそれ以上を言えなかった。 ││﹂ 者様だなァ。あの子は囚われのお姫様。キミはそれを助ける騎士様 ? 192 ? ! ? ﹂ って、終わらねえ カノンを窮地に追い込んだ技〝ホーリーピラー〟。 なんてぇモンをぶっ放しやがる 海将軍シードラゴン最大の拳。 ﹁おいおい こンの、引きずり込もうってかァ !? !! 事は危険だと即座に男は判断する。 ﹁だからって、コイツをこのままにしとくワケにもいかねえしなァ 男は右手を突き出すと、掌をホーリーピラーへと向ける。 ﹁わりいけど││消させて貰うぜ﹂ ! て消えていく ホーリーピラーのエネルギーが││光の粒子になっ ︶ それに││﹂ ︵身体が⋮⋮動かんッ ││この渦の生み出す先は時間も物質も無い ! 安心しな、消すのはその厄介なエネルギーだけだ﹂ いやい ! そう言って男が天馬に跨る。天馬はその翼を大きく広げて嘶いた。 ﹁観客さ。君達の繰り広げる物語を││特等席で眺める、ね﹂ 白馬││天馬へと変えていた。 黒い霧は一つの塊となり、黒から白へ。やがてはその姿を翼を持つ の様な物が滲み出す。 陰陽の渦はその姿を消し、それと入れ替わる様に男の周囲に黒い霧 鳴らした。 ホーリーピラーが消滅した事を確認すると、男はパチンと一つ指を ﹁⋮⋮誰だ、お前は﹂ 初めて分る事、ってか﹂ や、それがどうして分らんものだなァ、ええっオイ。触れ合ってみて ﹁正直な、今度の聖戦にはあんまり期待してなかったのよ ズレた帽子を左手で抑えながら、ケラケラと笑い男は続ける。 る、ってさァ 世 界。一 度 入 れ ば 量 子 レ ベ ル で 分 解 さ れ て そ の 世 界 に バ ラ 撒 か れ ﹁マーベラスルーム ! ﹁な、馬鹿な 巨大な渦を描く。 歪みは陰陽を思わせる二色の光を放ちながら回り出し、男の背後に 男を中心として空間が歪んだ。 ﹂ 破壊の渦に引き込もうとする力の奔流は凄まじく、この場に留まる 勢いが !! ! !? !? !! 193 ! ﹁今日のところは挨拶だけ、な。お前さんが生きていれば、また顔を合 わせる事もあるだろうさ﹂ そう言い残し、男は天馬と共にこの場から姿を消した。 男が姿を消すと﹃留まって﹄いた時間が再び動き出し、動けない海 斗へと燃え盛る炎が迫る。 その窮地を救ったのは、異変を察知しジャミールへと戻ったムウで あった。 そして、戦いの舞台は聖域へと移る。 194 ﹂ ﹁⋮⋮アリエスは間にあったか。随分とタイミングのいい事で。これ もお花ちゃんの││アテナの加護ってか エクレウス 両手で自らの身体を抱きしめ、愉しそうに、堪らないと。 男は嗤う。 な理由だ﹂ ﹁天馬座の兄弟星である子馬座。俺の因果とするにはそれだけで十分 ペ ガ サ ス 両手を広げ、楽しそうに、可笑しそうに、まるで無垢な子供の様に。 男は笑う。 すか。 ││神殺しの業、ペガサスだけではなくエクレウスまで引っ張り出 星だからって⋮⋮﹂ ねぇ、あのお花ちゃん。意図したものとは思えないけど、いくら兄弟 ﹁今 回 も 主 演 は 天馬座 と ア テ ナ だ と 思 っ て た ん だ が ⋮⋮ エ ゲ ツ な い ペ ガ サ ス お気に入りのシルクハットを指先で器用に回しながら男は呟いた。 ﹁過保護と言うか、甘ちゃんらしいと言うべきか﹂ こっちの神様にも見習って欲しいものだ。 ? 神も、魔も、人も││﹂ ﹁舞台は俺が用意しよう。どんな演目であろうと素敵に演出してやる さ。踊れエクレウス、踊れ演者諸君 ﹂ 195 スペクター ﹁││この冥闘士天魁星メフィストフェレスの掌でさァ ! ! 第 1 4 話 激 闘 サ ン ク チ ュ ア リ 士︵前編︶の巻 立 ち 向 か え 聖 闘 神話の時代より常に噴煙を立ち昇らせる火山島。そこでは今より 二百数十年程前に一度大きな噴火があったと歴史は記している。 幸いにして大きな被害が出る事もなく、一説には噴火を食い止めた のは若き少年││聖闘士であったとも言われているが、今となっては その真偽について語れる者はいない。 常に熱く滾る大地の力に満ちたこの島は、効能高い湯治場として現 在も遠方から多くの人々が訪れている。 そこは、地中海に浮かぶ島々の一つ││カノン島。 人々の知る表の顔と、神秘によって隠され裏の顔を持つ島である。 噴煙と熱波に満ちたその火口。 煙とガスに満ち、生身の人間では立ち寄る事の出来ないその場所 で、時折りゆらりと動く影││人影があった。 金色の鱗衣を身に纏った男の姿があった。 まるで﹃そうするために﹄あつらえられたかの様に形作られた岩に 腰を下ろし、静かに瞑目をしている。 海斗との戦いの後に何処かへと姿を消した男││カノンの姿がそ こにあった。 ﹂ ﹁驚いたな。肉体の負傷だけではなく、まさか鱗衣の破損まで修復さ れているとは﹂ ﹁⋮⋮何の用だ 想像通り、その目には鱗衣を纏ったソレントの姿が映る。 ﹁湯治と言うものは知っているが、噴煙の中七日七晩身を置くならば、 だ っ た か。カ ノ ン 島 の 伝 承、ま さ か こ れ 程 の も の だ っ た と は。し か し、普通の人間ではそれに気付く前に命を落とす﹂ 穏やかな笑みを浮かべるソレント。その表情はカノンの知るソレ 196 ! 知己の声に、カノンが億劫そうに閉じていた瞼をゆっくりと開く。 ? ントに違いはない。 ﹁ならばそれに気付けるのは普通ではない存在。人知を超えた存在な のだろう。海闘士には伝えられてはいない伝承であるならば、それを 伝えているのは││﹂ ﹁もう一度聞く。何の用だ﹂ しかし、ソレントの言葉の中に含む様な〝何か〟を感じ取った事 で、カノンの言葉にもどこか棘の様な物が含まれる事になる。 僅かに立ち昇ったカノンの小宇宙はまるで拒絶の意思を示すかの 様に、周囲に斥力を伴った力場を生じさせていた。 ﹁お見舞だよ。しかし、 ﹃傷付いた聖闘士が噴煙に身をひたし再び立ち 上がる﹄だったかな﹂ 力場の圧が増し、周囲の岩肌に亀裂が奔る。 その力場はソレントをも巻き込んでいたが、当の本人には全く意に 介した様子もない。 197 ソレントは海闘士の中でも早期に覚醒した事も有り、海闘士の中で はカノンとの付き合いが最も長い人物である。 カノンが見せるこの不安定さには最早慣れたものであった。 ﹁伝承が⋮⋮伝えるものなど真実の一端にしか過ぎん。〝聖闘士の様 我等海闘士にとって な〟力ある存在しかこの場所に留まる事が出来なかった、ただそれだ けよ﹂ ﹁⋮⋮アテナの加護故の奇蹟、その可能性は この地は、この場は毒であったかも知れん﹂ ﹁それよりも、だ。俺は言ったはずだ、迂闊に動く事は控えろ、と﹂ ややあって、先に口を開いたのはカノンであった。 ﹁フッ、まあいい﹂ お互いに無言。そのまま暫く。 ゆっくりと立ち上がった。 カノンはそれを苦々しく思いながらも一瞥すると、 ﹁そうか﹂と呟き 肩を竦めてそう言うソレント。 ﹁別に。ただ疑問に思った事を口に出しただけ。他意は⋮⋮ないさ﹂ ﹁くどいぞ。言いたい事があるならばハッキリと言ったらどうだ﹂ ? ﹁言ったでしょう 貴方を心配して、ですよ﹂ 手遅れになる可能性も有る。私としては⋮⋮ カノン自身意識しての事ではなかったのか。踵を返すとこの場か ﹁では戻るか、我らが城に﹂ しかし、それも一瞬の事。 ﹁聖闘士共には精々頑張って貰うさ。露払いには丁度良い﹂ たカノンから一切の色が失われる瞬間。 それは、ソレントが知る限り普段の傲慢とも思える程に自信に満ち そう言って、カノンは聖域のある方向へと視線を動かした。 たる脅威にもならん﹂ ﹁ギガス││奴等が万全であれば或いは、な。だが、今の奴等ではさし 事を知らない。 海闘士の誰もがシードラゴンの事を知ってはいても、〝カノン〟の それがソレントの知るシードラゴンの全てである。 る者。 最も早く海闘士として目覚め、海皇の名の下に全ての海闘士を統べ だがな﹂ ﹁ギガントマキア、それを知らない貴方ではない。そう認識してるの その力は海闘士の中でも群を抜く、言うなれば絶対的強者。 海将軍シードラゴンのカノン。 承知しかねる、と言わせてもらう﹂ ﹁⋮⋮静観するのか ││そう伝えておけ﹂ ﹁お前の言いたい事は分る。だが手出しは無用だ。他の海将軍達にも ﹁地上支配を目論む彼らの存在は、我等にとっても見逃す事は⋮⋮﹂ やはり││ギガス共が目覚めた様だな﹂ ﹁状況は把握している。この纏わり付く様なドス黒い不快な小宇宙。 状態も確認する。 軽く腕を振り調子を確かめながら、カノンはシードラゴンの鱗衣の だ納得できる﹂ ﹁ぬかせ。﹃俺に成代わるために命を取りに来た﹄そう言われた方がま ? ら離れるべく歩き始めた。 198 ? ﹁シードラゴン、貴方は││﹂ そこまで口に出しながら、ソレントは続ける事を止めた。 ︵貴方には謎が多過ぎる︶ 先日の事である。 シーホースとスキュラの海将軍が覚醒を果たし、遂に六人の海将軍 が揃った。残る海将軍はクラーケン。しかし、未だクラーケンの鱗衣 は覚醒の兆しを見せてはいない。 ソレントはそこにどうしても引っ掛かるものを感じていた。 ︵それでは、スニオン岬でシードラゴンと戦った彼は一体何者だ あれほどの力量であれば間違いなく海将軍だ。しかし、残るクラーケ ンであるならば、鱗衣が反応を見せているはず︶ ﹁⋮⋮まさか、な。トリトンなど、あれこそ伝説、伝承に過ぎん﹂ 海闘士でありながらアテナの聖闘士であり、シードラゴンを追いつ める程の力量を持つ存在。 彼への執着、双子座の黄金聖衣の介入、多くを語ろうとしないシー ドラゴン。 本の口から語られぬ以上、何を思ったところで全ては推測でしかな い。 ︵﹁海闘士を纏め上げる力量。シードラゴンとしての貴方は信用出来 る。しかし、〝カノン〟としての自分を隠し続けるならば︶ そこまで考えながら、ソレントは頭を振って浮かび上がる疑念を振 り払う。今はまだ詮無き事だと。 ﹂ だから、ソレントは当たり障りのない、しかし気にはなった事を尋 ねてみる事にした。 ﹁聖闘士が敗れる様な事があれば なかった。 ﹁それが起こり得るとするならば、可能性としてはアレの復活か、それ ﹂ とも⋮⋮。いや、それを許す程に間抜けでもあるまい﹂ ﹁⋮⋮説明義務という言葉を知っているか ? 199 ? ソレントにとっては自分の気を紛らわす、その程度のつもりでしか 答えを期待していた訳ではない。 ? まあ、万 その言葉に歩みを止めたカノンは、ゆっくりとソレントへと振り返 り││ ﹁フッ、憶測に過ぎん事をベラベラと喋る物でもなかろう 一にでもその様な事態になれば⋮⋮﹂ ハッキリと言った。 ﹁俺が片を付ける﹂ 第14話 聖域には聖闘士となるべく修行する多くの聖闘士候補生達がいる。 その大半は十代の少年少女である。 そして、聖域を守る雑兵の多くは、聖闘士を目指し修行を積んだ者 達である。 その多くは青年から壮年であった。 これには、少年期を過ぎた者の小宇宙の体得率が著しく低下する事 が関係している。 少年期の内に小宇宙を体得出来なかった彼等にとって、聖闘士は絶 対であり、憧れであり、夢であり、希望である。 聖域に於いては最下級とされる彼等ではあるが、修練により得たそ の力は〝普通の人間に比べて〟遥かに高みにあり、だからこそ自分達 も﹃聖衣さえあれば﹄と思い願う。 その想いが自らを高める糧となるのか、妄執として枷となるのか。 それは、誰にも窺い知る事は出来ない。 聖域東側の城楼。 ﹂ 200 ? 聖域を守るのは結界だけではない。物理的な城壁もまたぐるりと 怯んではならん 周囲を覆う様に建てられている。 ﹁くっ、ひ、怯むな !! 物見台に立った雑兵││兵士長が声を張り上げる。 ! 迫り来るギガスの徒兵を前に、ここを守る兵士たちの気合の声が響 く。 ﹂ 突然の襲撃に即座に対応できた者は極僅か。指示も何もあったも のではない。 ﹁うおおおおおお 何なんだあの鎧は 硬過ぎる ﹂ !! たち。 ﹁くそっ そっちに行っ││逃げ││﹂ !? 眼前の恐怖から自らを鼓舞すべく、雄叫びを上げて立ち向かう兵士 !! ﹂ ﹂ 兵士達の多くは人ならざる者との戦いを経験していない。 ﹁こ、こいつら痛みが無いのか ﹁くっ、わあああ、うわああああっ ﹂ 一人で向かおうとするな しかし、その命は無駄ではなかった。 ﹁敵は多くはない 皆 ﹂ ﹂ ! 白銀聖闘士様だ シルバー !! ﹁ここからは我々の仕事だ ﹁おお ﹁ここは聖域 三人で掛かれ 貴様等の勝手がまかり通る等とは思わぬ事だ 行 ! . ﹂ きが兵士達の傍を駆け抜けてギガスへと向かう。 大気を切り裂く拳圧がギガスの身体を弾き飛ばし、次いで白銀の輝 ﹁お前達││下がれ その事実が彼らの闘志を支え││希望を繋ぐ。 数人掛りであるとは言え、確かに〝倒せている〟のだ。 ! 突然の襲撃、未知なる敵に成す術無く兵士たちが倒れる。 !! !? そう、決して〝倒せない〟相手ではない。 倒せない相手では !! ! ! !! 前聖戦から今日まで、かろうじて保たれていた平和。故に、聖域の も立ち上がるその姿。 人間を凌駕する身体能力、聖衣を彷彿とさせる鎧、倒しても倒して 彼ら兵士たちに迫るのは雑兵に過ぎなくともギガス。 ﹁おい ! 戦場に現れた白銀の輝き││聖闘士達の姿が希望となる。 ! ! 201 ! !! ﹂ ディオ シルバーセイント くぞアルゲティ ﹁応 ﹂ ﹂ ! 先頭を走るのはシリウス。 が。 ス カ 何人か抜かれているぞ ! まとめて喰らえ、このヘラ ﹁構うな、向こうはシャイナやモーゼス達に任せておけ ﹂ ﹁俺達はここにいる奴等を叩きのめす クレス星座アルゲティの必殺技を ! ﹂ 天高く舞い上がり叩きつけられて砕けろ 両手を突き刺す。 ﹁そうれっ ホルス〟 !! た。 ﹁うおぉおおおお コルネホルスから逃れたギガスも、体勢が崩れた隙をシリウスと けられる。 取る事も許されず、舞い上げられた土砂と共に次々と地面へと叩き付 高速で吹き飛ばされる事で身動きを封じられたギガスは、受け身を !! !? ﹁ぐああああああっ ﹂ ﹂ 裂帛の気合と共に、ギガス諸共地面をめくり上げ天高く放り上げ たヘラクレス星座に恥じぬ剛腕の持主。 アルゲティは白銀聖闘士の中でも最も大きな体躯とパワーを持っ コルネホルスとはギリシア語で棍棒を持つ者の意。 〝コルネ 目前へと迫るギガス達を前に、アルゲティがその身を屈めて地面に ! ﹂ 上空から見れば良く分る。既に戦域は聖域全体に広がっている事 跳躍力と滞空時間は白銀聖闘士の中でも上位に位置していた。 その星座が司る様に、ディオの得意とするのは空中戦であり、その !! 白銀聖闘士屈指の敏捷性を持つ男。 ﹁シリウス ﹂ 白銀聖闘士アルゲティが、銀蠅座の白銀聖闘士ディオが応じる。 ム 巨犬座の白銀聖闘士シリウスの堂々たる宣言に、ヘラクレス星座の カスマニヨル ﹁おうよ ! 天高く飛翔したディオが叫ぶ。 ! ! !! 202 ! ! ﹂ ﹂ ディオに狙われ打倒されていく。 ﹁おおっ ﹁凄い、これが聖闘士の力か 劣勢から転じての圧倒的な逆転劇。それは見守る兵士たちの士気 を否応もなく高める。 ﹁フッ、伝説のギガスとはこの程度か。精々が青銅レベルより、と言っ たところだな﹂ ﹁くくく、まあ所詮は過去の遺物だ﹂ それは、シリウス達とても同じ事。 かつて、神話の時代にオリンポスの神々すら退けて見せたギガスと ﹂ はこの程度かと。 ﹁⋮⋮お、おい ﹁人間じゃ⋮⋮生物でも無い こ、こいつ等は ? ﹂ 倒されたギガス達の身体が次々と土くれと化して砕けて行く事に。 ﹁ちょっと見てみろよ。死体が⋮⋮﹂ 奇妙な事に気が付いた。 高揚に沸く中で、周囲を確認する余裕が生まれたのか、ある兵士が ? 偶 お前達も下がれッ 我が手を汚す必要がどこにあるのか﹄ 巨大な小宇宙﹂ 避けろアルゲティ ﹂ ! ﹁││ ﹁い、いかん ﹂ ﹂ 何だ、この強大な⋮⋮異常な小宇宙は ﹁う、うわあ││あああああっ ﹁こ、これは アントラクマ ﹁我が名は紅 玉の鉄︽ジギーロス︾ ﹂ ﹃││貴様等虫けらを掃除するためのな。虫けらを始末するのに態々 その〝声〟は、その場にいた者達全ての脳裏に響いた。 は全て土くれに過ぎんのだ﹄ 木 ﹃││この程度、その認識は間違ってはいない。なぜならば、そいつら !? 203 !? ! それは、紅く輝く巨大な鉄鎚を持った、黒く輝く金剛衣に全身を包 !? !! ! !? !! ! !? んだ巨人であった。 腕も、脚も、胴も、全てが巨大。 ﹁こ、コイツは こ、この小宇宙は我等を遥かに││いや、違う ﹂ これは、これではまるで││﹂ ﹁││〝光槌破砕〟 ! ﹁余波とは言え、我が紅玉槌の一撃を受けて消えぬとは中々大したも しかも、その後ろには意識を失くした聖域の兵士たちの姿もある。 ガスの徒兵の様に砕け散ってはいない。 聖衣は砕け、肉体的にも重傷を負ってはいたが、その身は城壁やギ 粉塵が晴れた先には倒れ伏した白銀聖闘士たちの姿。 その口から感嘆の声が漏れる。 ﹁ほう﹂ 僅かながらも聞こえた呻きの声にジギーロスはその歩みを止めた。 ﹁⋮⋮あ、ぐく⋮⋮﹂ ﹁う、ううぅう﹂ 巨体の動きで風が吹き、その流れが粉塵を舞い上がらせる。 目指すは遠くに映る六つの炎を灯した火時計。 にするでもなくジギーロスが歩を進める。 自らの一撃で更地と化した足下の様子に、いつもの事と、さして気 岩も、城壁も、残っていたギガス達ですらも。 破壊の波濤は触れた物全てを粉砕していた。 破壊の中心にて悠然と立つジギーロス。 そして、静寂が訪れる。 衝撃波が水面に浮かぶ波紋の様に周囲へと広がり弾けた。 巨人の名乗りと共に振り下ろされた鉄鎚は大地を穿ち、光を纏った す。大気と大地が激しく揺れる。 目を焼かんばかりの閃光、耳をつんざく様な爆音が周囲を埋め尽く る。 ジギーロスの手に握られた鉄鎚が紅の輝きを纏って振り下ろされ ! の。だ が │ │ 無 駄 な 事。倒 れ た そ の 身 で 何 が で き る の か。た だ │ │ 無力﹂ 204 !? そう言ってジギーロスは鉄鎚を振り上げると、一切の躊躇をする事 なく振り下ろした。 聖域の外れにある修練場。 打ち砕かれた資材や鮮血に赤く染まった大地、粉砕され、めくれあ がった石畳がこの地で起きた戦いの凄惨さを物語っていた。 この場にいたのは聖闘士を目指し修練を積んでいた若者たち。 希望に満ちた声、情熱が生みだしていた熱気。今やその全てが失わ れていた。 僅かに聞こえるのは怨嗟の声か、苦痛にむせび泣く声が、呻きが、生 への渇望が。それだけが辺りに響き渡る。 むせかえる様な濃密な死の香りが漂うその中心に、全身を返り血で 赤く染めた巨人の姿があった。 その様子を見て、意識のあった候補生や兵士達には、あるいは恐怖 に震え、あるいは悔しさに唇を噛み締める事しか出来なかった。 そう、この場にはまだ絶命した者はいない。彼らはほんのちょっぴ りではあったが、まだ〝生かされて〟いたのだ。目の前の巨人達はい つでも自分達を殺せるのだと、その事がハッキリと分っていた。 瓦礫に半身を埋められながら、見ている事しか許されない男は涙し ていた。 死を恐れているのではない。 戦士となるべく聖域に来た時点でその事は覚悟していた。 205 中世の騎士が身に纏った甲冑の様な、全身を黒い金剛衣に身を包ん だ巨人。そして白い甲冑の様な金剛衣に身を包んだ巨人。 風 レウコテース の アネモス 白 そして、剣闘士を思わせる軽装な金剛衣に身を包んだ巨人。 ﹁ヒ ヨ コ で す ら も っ と マ シ で は な い か 雷 メラースのブロンテー﹂ 黒 ﹁そう言うな。育てれば卵を産む分、ヒヨコの方が遥かにマシだとは よ﹂ ? ハハハハハ、そう声を大にして笑う白と黒のギガス。 思わんか ? 悔しかったのだ。 絶対的な力を前にして余りにも無力な自分が。 恐ろしかったのだ。 このまま〝何も成す事なく〟死を迎える事が。 このままでは只の犬死。受け入れられる訳がない。 意味が欲しかった。どんな小さなことでも良い。戦士として生き 紅 何者にも屈さない圧倒的な力 それさえあれば、それさ ると決めた以上、死ぬ時には意味が欲しかった。 ︵力だ え⋮⋮あれ⋮⋮ば俺だって││︶ 岩 ﹁分っている﹂ けではないのだからな﹂ ﹁それは構わんが、程々にしておけよ 我等の使命は聖域の破壊だ ﹁そうだな、ここにいる雑魚共ともう少し遊んでから動こう﹂ リュアクスよ﹂ 熔 ﹁さ て、で は 我 等 も 動 こ う か。お 前 は ど う す る の だ、ポインクス の !! ﹁〝光槌破砕〟 ﹂ なく振り下ろした。 そう言ってジギーロスは鉄鎚を振り上げると、一切の躊躇をする事 無力﹂ の。だ が │ │ 無 駄 な 事。倒 れ た そ の 身 で 何 が で き る の か。た だ │ │ ﹁余波とは言え、我が紅玉槌の一撃を受けて消えぬとは中々大したも 具現たる存在であった。 男が意識を失う直前に見たのは、醜悪極まる笑みを浮かべた暴力の 目前に迫る血に濡れた巨大な拳。 ︵力、力、力、力、ちから、ちか││︶ 生き残っている者達の下へと向かい歩き出した。 そう言ってアネモスとブロンテーがこの場を去ると、リュアクスは ? 衝撃は光り輝く波濤となって、全てを粉砕せんと倒れたシリウス達 爆音が響き閃光が再び周囲を覆い尽くす。 ! 206 ! に迫る。 ﹁⋮⋮何だと ﹂ 光を受けた者達はその身を砕かれて塵となる。 そうなるはずであった。 いや、この痕跡││これは ﹂ 振り下ろしたその手に握られたのは鉄鎚の柄のみ。 ﹁紅玉槌が折れた !? ﹂ ﹂ ? ﹂ 万死に値する 神をも恐れぬその厚 顔、言葉の如く討ち砕いてくれるわ ﹁虫けら如きが何たる不遜 姿勢は神をも恐れぬ許されざる不遜であった。 それは、明らかな侮辱。ジギーロスにとって、アルデバランのその 言い放つその態度は大胆不敵。 見上げねばならない巨人を前にして、まるで見下すかの様に悠然と ジギーロスの前に立ち、両腕を組んだアルデバラン。 やろう﹂ ﹁この俺が││タウラスのアルデバランが、貴様に礼儀を叩き込んで る。 ならば、そう言って男はジギーロスに向かい真っ直ぐに歩を進め 所詮は旧き蛮族でしかないギガスに礼儀を求めても無駄か ﹁人に名を尋ねるのなら、先ずは自分が名乗れ。それが礼儀だ。いや、 タウラスか﹂ 聖衣に施された意匠。そうか、⋮⋮貴様がこの時代の黄金の野牛││ ﹁黄金に輝く聖衣、黄金聖衣。そしてマスクにある巨大な二本の角と 現れたのは、黄金に輝く聖衣を身に纏った巨漢であった。 聞こえてきた声にジギーロスが視線を向ける。 ﹁⋮⋮何者だ は、その武器を破壊させて貰った﹂ ﹁これ以上、無差別な破壊を振り撒かせる訳にはいかんのでな。先ず せて鉄鎚が落ちた。 その事実にジギーロスが到達した時、ドゴンッ、という轟音を響か ? ! その輝きは紅玉槌と同じ輝き。 激昂したジギーロスが掲げた両腕に紅い輝きが宿る。 !! ! 207 !? ! ﹁紅玉槌を破壊した程度で思い上がるでないわぁっ る。 愕に震えていた。 ﹁││な、何だとぉおっ ﹂ ﹂ 悔やめと、思い上がるなと言い捨てようとしたジギーロスの声が驚 ﹁己の傲慢を悔いあらた││﹂ 紅い衝撃破がアルデバランに迫る。 放たれる紅い輝き、鳴り響く轟音。 ﹁光腕破砕 ﹂ 鉄鎚をそうした様に、ジギーロスは己の両腕を大地へと叩き付け !! ﹂ ! 滅する。 !! ﹁そうか、貴様の闘法は鉄鎚を用いた物では無く││﹂ 巨体から繰り出されるその連撃の速度にアルデバランは驚愕する。 !! 怖であったのか、それとも⋮⋮。 ﹂ 神に刃向うと言うのかあぁあああっ この速度は ﹁矮小な人間如きが ﹁むうっ ﹂ ならば、このジギーロスの上げた咆哮は、未知への存在に対する恐 にこそ、人の真価が現れる。 それを受け入れるのか、拒絶するのか。対峙したその先に取る行動 はいられないという。 人は、己の理解の範疇を超える存在と対峙した時に恐怖を覚えずに ﹁う、うう、うおおおおおおおおおっ ﹂ それを切欠として、密度を増した障壁と光腕破砕のエネルギーが消 アルデバランの一喝。 で││このアルデバラン揺らぎはせんッ ﹁フンッ、この程度の涼風が如何程のモノか⋮⋮。この程度、この程度 か出来なかった。 不可視の障壁。目の前の光景をジギーロスにはそう表現する事し 腕を組み、不動のままのアルデバランの目の前で。 全てを破砕するはずの破砕光が押し止められている事に。 !? ! ! 208 !! 無数に繰り出されるジギーロスの連撃。 !? ﹂ ﹁我が名はアントラクマジギーロス この拳こそが紅の鉄よ 紅とは血、鉄とは我が拳 ! ! める。 ﹂ ﹁ぬぅおおおおおああああああ ﹁くっ、速い !! ﹁砕け散れ人間よ ﹂ 神に逆らった己の愚かさを悔やめ ﹂ !! ﹂ !? ︶ !? 高まりを見せている。 ﹂ アルデバランから立ち昇る小宇宙は衰える事が無く、今この瞬間も それだけではない。 ﹁む、むぐぅううう⋮⋮ ちするアルデバランの姿が。 大地に根差す大木の様に両の足で大地を踏みしめ、腕を組み仁王立 金色の輝きが在った。 ﹁ば、馬鹿な⋮⋮﹂ そこに在る、と。ハッキリと判る感触。 全てが終わったのであれば感じるはずの無い感触。 ︵ならば、この拳に〝感じている〟手ごたえは何だ 直撃。無事で済むはずが無い。粉微塵に砕け散っている。 振り下ろされた拳は確かにアルデバランを捕えていた。 ﹁く、くくく、くはははははは││ 圧力に押される様に、大地に巨大なクレーターが作りだされた。 打ち出された光輪は拳を伝い、アルデバランの身体を包み込む。 ドンッ、という音が鳴った。 破砕光を纏った拳がアルデバランに振り下ろされる。 ﹁光腕破砕 その腕に込められた破壊の力を打ち出すための。 ジギーロスが振り上げた巨碗は言わば撃鉄。 ! 砕けた大地は土砂となり、アルデバランを中心として舞い上がる。 ! ﹂ アルデバランの足下が連続する衝撃と圧力に耐え切れずに砕け始 鋼と鋼が打ち合う様な音を響かせてジギーロスの連撃が続く。 矢継ぎ早に放たれる拳がアルデバランを捕える。 !! ! 209 !! ジギーロスにはアルデバランがギガスである己すら圧倒する程の 巨人に見えていた。 ﹂ ﹁貴様の拳は確かに早く力強い、まさしく暴力。だが、そんな拳では│ │このタウラスを怯ませる事など出来ぬと知れ はさせん ﹂ ﹂ ﹁冥府へと戻れギガス。地上に我等聖闘士が在る限り貴様等の好きに ジギーロスが二歩下がる。 アルデバランが一歩を踏み出す。 ジギーロスが一歩下がる。 アルデバランが一歩を踏み出す。 出来なかった。 全身全霊を込めた一撃で〝この程度の〟ダメージしか与える事が だが、それだけでしかない。 取れる。 よく見れば、聖衣の隙間から覗く肉体には擦り傷や打撲の痕が見て ダメージは有るのだろう。 ﹁我の拳が⋮⋮効いていないと言うのか 知らず、ジギーロスの足が動いていた。後方に││一歩。 ! それは、小宇宙の生み出す力のビジョン。 ﹁神を騙る者よ。聖闘士が、このアルデバランが信じる神はただ一つ ⋮⋮﹂ ﹂ それは、極限まで高められたアルデバランの小宇宙が生みだす力の 具現。 ﹁女神アテナただ一人よ 一瞬の内に解き放つ。 ﹂ ﹁う、うおおおおおおおおおおおおおお ﹁受けよ、タウラス最大の拳 !? そこから生み出される衝撃波はあらゆる物を撃ち貫き破壊する。 !! ﹂ 極限にまで高めた小宇宙を両腕に集束させ││肉体と言う鞘から それは、対峙する者に抜き手の動すら見せぬ││神速の居合。 ! 210 !? アルデバランの背後に浮かび上がる黄金の野牛。 !! ﹂ それは破壊の暴風。 グレートホーン ﹁威風檄穿 押し切られ││﹂ その瞬間、ジギーロスは己に迫り来る││猛れる黄金の野牛を見 た。 ﹁た、耐えきれん ﹂ !! ? かった。倒す前に││礼儀を叩き込む事を忘れていたわ﹂ ﹁確かに悔やまねばならん。な。貴様の所業にどうにも加減が出来な 風がジギーロスの巨体を吹き飛ばし、その意識を四散させ││ ﹁││愚かさを悔やめ、貴様はそう言っていたな ﹂ 感じた衝撃は一瞬。ジギーロスはその先を知る事はなかった。 ﹁ぐぅわあああああああああああああああ 堪えようとするジギーロスの眼前に迫る巨大な掌底。 ! ジギーロスという存在そのものを破壊した。 211 !! 第 1 5 話 激 闘 サ ン ク チ ュ ア リ 闘士︵中編︶の巻 ﹂ 価値と断じ、その全否定へと。 ﹁グフフフッ。辛かろう、苦しかろう れば抗ってみせろ﹂ 立 ち 向 か え 聖 さあ、このまま死にたくなけ 無関心が反転し、歪みの果てに辿り着いた思考││ヒトの存在を無 を加速度的に高めていた。 その記憶が、人間への憎しみが、憎悪の記憶がリュアクスの嗜虐性 がオレの渇きを満たすのだ ﹁もっと見せろ、もっと聞かせろ。絶望と恐怖に満ちたその情念こそ 府へと封じたのはその取るに足らぬとしていた人間の戦士。 オリンポスの神々の加護を受けていたとは言え、かつて自分達を冥 だから、であろうか。 ﹁くくくっ。そうだ、その表情だ、その嘆きだ﹂ 強い。 リュアクスに関して言えば、他のギガスに比べても特にその考えが ギガスにとって人間とはその程度の存在である。 人が地を這う蟻の生死に何の関心も抱かぬ様に。旧き神族である ! ぞ ﹂ ﹁それだけで罪よ。そうらどうした ほんの少し力を入れただけだ 付ける様に掴み上げジワリジワリと力を込める。 目が合ったのは幼い少年。彼の頭部を鷲掴みにすると、周囲に見せ とは││﹂ ﹁抗えぬのならば死ぬのみよ。恨むなら己の弱さを恨むのだな。弱い を保っている者を見付けるとリュアクスは嗤った。 生かさず、殺さず。全てはこの時の為に。倒れた者達の中から意識 ? 無力な己を呪いながら、目の前の暴力を見ている誰もが少年の死を ある者は目を閉じ、ある者は耳を塞ぎ。 ? 212 ! ﹁あ、あが、ぎ⋮⋮ゃぁあああ⋮⋮﹂ ? 確信し、訪れる惨状を幻視していた。 反応の無くなった少年に向かって﹁つまらん﹂と呟き、リュアクス は手にした少年を放り投げる。 あのまま地面に落ちれば死ぬ。それが分っていても動ける者はい ない。 だが││ 何時まで経っても少年の身体が地に落ちる音が、その気配が無い。 誰かが恐る恐る少年の行方を捜した。 そして、見た。 宙に浮かぶ少年の姿を。意識は失っている。だが、上下する胸元が 少年の生を示していた。 ﹁弱さは罪、か﹂ それは、若い男の声だった。 少年の背後から眩い輝きが溢れ出し、それを見ていた者が瞬きする ﹂ このオレが、神であるこのリュアクスを貴様の様 いぞ オレに滅ぼされる雑魚の名前なんざ一々覚えていられんの でな﹂ ﹁雑魚⋮⋮だと な虫けらが〝弱い〟と││ほざくかぁあっ 213 間に輝きは人の形となっていた。 砕けた石畳の上を、音も無く歩む男。 黄金に輝く聖衣を身に纏い、薄く笑いを浮かべたその表情、その雰 囲気は不敵にして傲岸不遜。 ﹁同感だ。良い事を言うな。そう、弱い事はそれだけで罪だ﹂ 現れた男の声に、リュアクスは己の意識を瞬時に戦いのソレへと切 り替えた。 それをそう断罪する権利が││資格がお前にあるのか ﹂ オレにはな、とてもそうは見えないん ? 気配を感じさせる事無く現れた男を無意識の内に警戒したのだ。 ﹁だがな そんなにお前は強いのか だよ﹂ キャンサー ﹁⋮⋮その聖衣、貴様黄金聖闘士か。何者だ ? ? ﹁蟹 座だ。キャンサーの黄金聖闘士デスマスク。ああ、名乗らんでい ? !! ? ? 流 石 は 神 リュアクスの巨体から繰り出す剛腕の一撃は、全てを薙ぎ払う嵐の 如く。 ﹂ ﹁ハ ッ ハ ァ ー ッ こ の 程 度 の 挑 発 で ブ チ 切 れ る の か 様、気が短いなぁ まず ? ﹁ハッ、阿呆が﹂ ﹁があああああっ ﹂ シな風を送ってくれるぞ ﹂ ﹁技法も何もあったもんじゃないなぁデカブツ。扇風機ならもっとマ すら見せて。 遠巻きに眺めていた兵士の下へ、気絶した少年を送ってみせる余裕 一つ、頭が弱い﹂ ﹁おうおう、オッチョロピーってな。それで、どこが弱いって その嵐をデスマスクは笑みを浮かべたまま涼しげに避ける。 ? しかし、デスマスクを非難する事は誰にも出来ない。 達の中には目を逸らす者も、嫌悪感に顔を顰める者もいた。 弾かれる散弾には赤い色が混じっている。その事に気が付いた者 りで次々と撃ち落とす。 そう呟きながら、デスマスクは飛散する〝それら〟を自らの拳や蹴 ﹁⋮⋮チッ、面倒臭い⋮⋮﹂ ない。 リュアクスは人間を虫けらと蔑んだ。遺体の事など気にもしてい 散弾の中には息絶えた兵士達の遺体も混ざっていた。 巻き上げられた土砂は散弾と化し、周囲に破壊の雨を降り注ぐ。 様って事か﹂ ﹁まあ、空振りの余波だけで大地が抉れるってのは⋮⋮流石は自称神 それを避ける事はデスマスクにとっては造作も無い事。 だが、それも全ては怒りに身を任せての単調な攻撃。 ﹁当たれば、な﹂ だろう。 滅殺の意が込められた攻撃は、成程、当たればただでは済まないの ? その行為のおかげで、自分達が破壊の雨から守られている事を解っ 214 ! ! ! ている為だ。 ﹁うがぁらぁああああああっ ﹂ 薙ぎ払う様に振るわれたリュアクスの拳を掻い潜り、デスマスクは 無防備となった胴体を力任せに蹴りつける。 ﹁二つ、技量が低い﹂ ギシッ、という軋みを響かせて金剛衣に亀裂が奔り、衝撃が波と なって浸透しリュアクスの巨体を浮かび上がらせていた。 そして、自らの身体を反転、宙に浮くリュアクスに背を向けると ﹂ サッカーで言うところのオーバーヘッドキックの要領で大地へと蹴 り飛ばす。 ﹁ガァああああああああああっつ ﹁何故だッ こんな事が││﹂ ﹂ ﹁三つ、動きが遅い。ウスノロが﹂ 己の一撃がデスマスクの手に受け止められていた為に。 響き渡るリュアクスの声。 ﹁ぐ、ぐぐぐっ、ば、馬鹿なああ しながら拳を振り上げてデスマスクへと迫る。 あったが、憤怒の表情を浮かべて即座に立ち上がる。瓦礫を吹き飛ば 大気と大地を震わせて瓦礫の中へと叩きつけられたリュアクスで !! !? ﹂ ﹁四つ、まるでなっちゃあいない。馬鹿力だけでこの俺の相手が務ま るか﹂ ﹁ぬあっ るその勢いのまま前のめりになり、体勢を大きく崩した。 ﹁ほれ、間抜け﹂ 踏ん張ろうとした足を払われ、頭から地面へと倒れるリュアクス。 起き上がろうと手を着けば││ ﹁││頭が高い﹂ 笑みを浮かべたデスマスクが右脚を振り上げ││リュアクスの頭 を踏み抜いた。 215 !! それだけでは無く、逆に押し返されようとすらしている事に。 ! 瞬間、デスマスクが手を引いた事で、リュアクスは押し込もうとす !? ﹁ぶぐああああっ ﹂ 顔面を地面に打ち付けられるリュアクス。 ﹂ ﹁ハハハッ、い∼い土下座だなぁ。ハハハハハ 総評だ るぞカミサマ 弱過ぎ ! マンモス哀れな姿だなぁ 下に見 ? ? 手じゃあ本気を出せないのか それともこの程度が全力か ﹂ ? ﹂ !! その手はデスマスクの左足を掴み取り、彼の身体を一気に引き上げ 獣の如き咆哮を上げてリュアクスが立ちあがった。 ﹁がぁああああああああぁっ これで終わったと。そう誰かが安堵の息を吐いたその時であった。 信していた。 不満気に呟かれるデスマスクの言葉。皆がデスマスクの勝利を確 ﹁チッ、神と聞いて多少は期待していたんだがな⋮⋮﹂ 相手に見せたデスマスクの圧倒的なまでの強さに。 聖闘士という存在に、自分達を歯牙にもかけなかったあのギガスを この光景を見ていた者達は言葉を無くしていた。 ? ていた人間から見下される気分を教えてくれよ。それとも、虫けら相 ﹁おいおい、どうしたよ神様 リュアクスの姿は土下座以外の何物でもなかった。 その言葉の通り、両手を地に付けて頭部を地面へと埋め込まれた 巨人の後頭部を踏みつけながら、デスマスクの嘲笑が響き渡る。 ! !! 捻り潰す 叩き潰す ﹂ るとまるで小枝の用に軽々と振り回す。 ﹁殺す !! !! 臓物をばら撒き魂魄すらも破 デスマスクを振り上げて大地に叩き付ける、振り上げて叩き付け る。何度も、何度も何度も。 ﹂ ﹁その身を引き裂き四肢を捩じ切る 壊する に業火となってデスマスクを包み込んだ。 赤黒い靄の様な何かがリュアクスの両腕に纏われると、それは瞬時 リュアクスが力を込める。 頭上に振り上げたデスマスクを両手で掴み、その身を引き裂こうと !! 216 ! 憤怒、屈辱、恥辱。リュアクスの顔は鬼の形相と化していた。 ! !! 脆弱な人間が 弱者が強者に逆らうな 神が人に 紅の熔岩、その名が示す通りリュアクスは炎を、熱を操る力を持つ。 ﹁虫けらが 貴様の罪は││﹂ !! ﹁俺の罪が何だ 強過ぎる事か ﹂ 赤い炎がその色を徐々に蒼へと変える。蒼が赤を侵食する。 の前で起きているあり得ない光景に思考が追い着かない。 そして〝デスマスクの身を包んでいた炎の色が変わる〟という、目 アクスの精神をより一層掻き乱す。 耳からは不快な音が、声が響き始め、それが摩耗し始めていたリュ という異常。 視覚と聴覚、味覚、嗅覚は正常。しかし、触覚のみが絶たれている 腕だけではない。脚が、首が、全身が動かない。動けない。 この期に及んで手を止める理由は無い。なのに、腕が動かない。 た。リュアクスにとって決定事項であった。 生きたまま炎で焼き、その身を引き千切る。そうするはずであっ 重い。その一言を口に出そうとしたリュアクスが動きを止めた。 屈するなどあってはならんのだ ! ? ﹂ なぜオレの身体が動かない この不愉快きわまる声は何なのだッ 何だこの蒼い炎は 不遜な笑みを浮かべたままデスマスクが立っていた。 ﹁な、何だと この音はなんだ ﹁積尸気﹂ !! !? それを認識した途端、これまで以上に悲鳴とも叫びとも、咆哮とも すると、リュアクスは周囲に浮かび上がる幾つもの燐光を見た。 デスマスクがその指先をリュアクスへと向けた。 やろう﹂ ﹁どうやら声は聞こえても、姿は見えてはいないのか。ならば見せて 遥かな昔に感じた事があったこれは一体何であったのかと。 何かを感じていた。 デスマスクから立ち昇る異様な小宇宙に、リュアクスは言い知れぬ 天へと道を示す様に。 そう言って、デスマスクが右手を掲げる。人差し指を立て、まるで ! ! 炎がその全てを蒼へと変えた時、リュアクスの前には依然変わらぬ ? ! 217 !! ! 煩い、五月蝿い、うるさい 何だこの声は !! 感じ取れる音がリュアクスの脳裏に響き渡る。 ﹂ ﹁ぐぅああああああ 何だこの光は !! ﹂ ? 一寸の虫にも五分 ? ﹂ ﹁う、うわぁ、うおわあああああああああああああああああああああッ の魂という言葉がある﹂ じ、精神を掻き乱していたのだ。知っているか ﹁虫けらと嘲り、弱者として一蹴した人間。その魂がお前の動きを封 精神を掻き乱す音の正体。 これが、リュアクスが動きを止めた理由。 リュアクスの腕へ、脚へと縋り付いていた。 ま る で 生 者 に 群 が る 亡 者。燐 光 は そ の 姿 を ヒ ト の 形 へ と 変 え て、 燐光が立ち昇り、それらは全てリュアクスへと向かう。 その言葉を肯定する様に、遺体から、血に染まった大地から次々と 声。どうだ、全てお前が聞きたがっていた声だぞ 炎。そして、お前が聞いている音はこの場で息絶えた者達の怨嗟の ﹁その燐光は鬼火。死体から立ち昇る燐気、肉体を離れたヒトの魂の ていた。自分の身体が震えている事にも気が付かない。 己の知の範疇を超えた事態にリュアクスは激しい混乱状態に陥っ 分らない、解らない、判らない。 !? あ、勘違いはするなよ 俺は火種を与えてやっただけにすぎん。炎 ﹂ !? ミサマ相手にコイツが通用するか試させてもらう﹂ ﹁このまま〝鬼蒼炎〟で焼き尽くしてもいいんだが⋮⋮丁度良い、カ ﹁おぉぉおおおぉおおおおお リュアクスは肉体ではなく魂そのものを焼かれていた。 蒼い炎が燃やすのは魂。 ﹁これが││〝積尸気鬼蒼炎〟だ﹂ その炎がリュアクスの肉体を傷付ける事はない。 リュアクスに取り着いた燐光が次々と蒼い炎となって燃え上がる。 の勢いはお前の所業によるものよ、まあ、自業自得と言う奴だ﹂ ? 218 !! ﹁そいつらの怒りと憎しみは余程のものだな。よ∼く燃えている。あ !? 蒼い炎に照らされながら、デスマスクが再びリュアクスへと指先を 突き付ける。 ﹁積尸気とは││中国での蟹座の散開星団プレセペの事。霊魂が天へ と昇る穴。そして積み重ねられた死体から立ち昇る鬼火の燐気の事 でもある。それが積尸気﹂ デスマスクの指先に小宇宙が集束する。 集束した小宇宙は白いオーラへとその姿を変えた。 ﹁さあ、時代遅れの骨董の神よ。積尸気を通って再び冥府へと帰れ﹂ 〝積尸気冥界波〟 デスマスクの指先から放たれたオーラがリュアクスへ迫る。 オーラが身体に触れた瞬間、リュアクスの全身を激しい虚脱感が襲 馬鹿な、なぜオレの身体がそこに い、次に己の目が映した光景にリュアクスは絶叫した。 オレはここだ ここにいるのだぁあ││﹄ ﹃う、うぉおあぁあああああああ 在る !? う﹂ ﹁な││に ﹂ ﹁なんて事でも考えているのか サービスだ。コイツも試させて貰 ば、奴の魂が冥府に来た時に││︶ ︵ああ、そうだ。人間の寿命など我等に比べれば余りにも短い。なら 自分をこの様な目に遭わせたあの人間を許す事など出来はしない。 口惜しい。許せない。 今度はいつ光を手にできるのか。 一度は光を手にしていながら。 あの暗くて寒い場所に戻される。 冥府へと送られる事を理解した。 積尸気へと急速に引き上げられる感覚に、リュアクスは自分が再び 己の魂が肉体から切り離されたという事実に。 う状況に。 それは〝力無く崩れ落ちる身体を上から自分が眺めている〟とい ! ? その行く手を遮る様に、リュアクスの目の前にはデスマスクの姿が 肉体から切り離されて積尸気へと向かっていたリュアクスの魂。 !? 219 ! あった。 デスマスクがその両腕を大きく広げた。指先は鉤爪の様に曲げら れている。 そこに灯されている蒼い炎を見て、リュアクスはこれから己に何が 起こるのかを理解した。 ﹂ ﹁肉体という鎧を失くした剥き出しの魂。神様とはいえ、コイツに耐 えられるか 理解して││絶望した。 ﹁直に喰らえ││﹂ 耐えられるはずがないと。 ﹁じゃあなカミサマ。〝積尸気鬼蒼炎〟﹂ 意識が消え去る刹那、リュアクスは言い知れぬ感情の正体が〝恐怖 ﹂ 〟であった事を思い出していた。 第15話 ﹁うわわわわっ ていた。 ﹂ 能力を発動させた瞬間に分るのだ。感覚が成功したと教えてくれ あった。 つまりはそういう事なのだが、貴鬼には失敗はしないという自信が 異なる点はムウが傍にいない事。万一の事態に対する保険がない。 功させている。ここ半年の間に限れば失敗した事は一度もなかった。 テレポーテーション自体はこれまでにムウの指導の下で幾度も成 を助ける為とあれば躊躇う理由はない。 幼い貴鬼にとって負担の大きな能力の行使であったが、セラフィナ 距離テレポーテーション。 ジャミールからセラフィナを攫った者達の小宇宙を辿り行った長 !? ﹁うわあ∼∼っ、お、落ちるぅうううう !? 220 ? それが、どういう事か〝失敗〟した。 転移中に感じた普段とは異なる感触。それは全身を包み込む様な 抵抗感と、引っ張り上げられる様な奇妙な感覚。 イメージするならば、水中から何者かによって引き上げられる。腕 ではなく足首を掴まれて。 その異様な感覚に戸惑い、そして目の前に飛び込んできた光景に、 貴鬼は混乱し悲鳴を上げていた。 一言、運が悪かった。 これは、聖域に張られた結界による影響であり、決して貴鬼が失敗 したという訳ではなかったのだが、そんな事を本人が知る由もない。 もう一つ。目的地が聖域だと分っていれば、貴鬼に代わってムウが 行っていた。しかし、小宇宙を目印としてのテレポーテーションでは そこまで分るはずもなく。 結果、シャカの誘導もあってテレポーテーション自体は成功したも !? が貴鬼の身体を掴んでいた。 ﹁⋮⋮耳元で叫ぶな﹂ 海斗である。貴鬼の身体を小脇に抱え、迫り来る眼下を見据えなが ら空いた手で聖衣の肩をトンと叩く。 ﹂ その瞬間、ガシャンという音を立て、聖衣の背中から純白の翼が展 開する。 ﹁この程度の高さならコイツでいける⋮⋮か ? 221 のの到達場所に問題が残った。 聖域の上空である。 失敗したとショックを受けた矢先にこの状況。 全身に受ける風圧。 迫り来る建造物。 敷き詰められた石畳。 ム、ム ウ 様 ぁ あ あ あ お ね え 完全に、パニックに陥った貴鬼にはただ叫ぶ事しか出来ない。 ﹂ ﹁ひ ッ、ひ ぃ や ぁ あ あ あ あ あ あ ちゃぁあああん !? もう駄目だと、貴鬼が諦めかけたその時││ぐいっと、力強い何か !! 広げた両手よりも更に大きなそれは天馬の証、天駆けるエクレウス の翼。 ﹂ 身に纏う際には動きの邪魔にならない様、背中に収納されている パーツである。 ﹁うわあぁあ││って。あ、あれ グンと、上へと引っ張られるような感覚と、自分の身体に感じてい た風圧が急速に収まった事で、貴鬼は恐る恐る目を開く。 先程とは異なりゆっくりと迫る石畳。自分を抱えている海斗。そ の背に広がる聖衣の翼。 ﹁すっげぇえ∼∼﹂ 安全が確保されたと分った途端に余裕が生まれたのか。 貴鬼はきょろきょろと眼下の光景を見渡し始める。 真下には巨大な神殿の様な建物が幾つも在り、その建物同士を繋ぐ 様に一本の長い階段が続いていた。 少し視線を動かせば巨大な火時計が見えた。時間を示す場所には 幾つかの炎が灯っている。 貴鬼が見慣れない風景にせわしなく首を動かしていると、その耳に 海斗の呟きが聞こえた。 ﹁ひょっとしたらパラシュート代わりになるかと駄目元でやってみた ﹂ が⋮⋮。翼は飾りじゃなかったワケだ、さすがムウ﹂ ﹁⋮⋮え あったが、海斗が聖衣の翼を収納した事を確認すると、急いで口を閉 じて落下の衝撃に備えた。 しかし、速度を感じたのは一瞬。何時まで経っても貴鬼が予想して ﹂ いた様な衝撃を感じる事がない。 ﹁ん∼∼んんっ⋮⋮あれ た。 ふわりと、羽根のように柔らかく海斗は静かに着地を果たしてい ? 222 ? 何 や ら 聞 き 捨 て な ら な い 事 を さ ら っ と 言 わ れ た 気 が し た 貴 鬼 で ﹁黙ってろ、舌を噛むぞ﹂ ? 上空からの光景と慣れ親しんだ空気、炎が灯された火時計と回廊に よって繋がった宮。 ﹂ 海斗はここが聖域であり、今自分達が居る場所が十二宮である事を 即座に把握した。 ﹁ねえ兄ちゃん、ここって ﹂ ﹂ ? と貴鬼に問う。 ? ﹂ ! そ れ で、一 番 近 い の が ? 宙と⋮⋮バルゴの小宇宙 ﹂ ﹁あっちだよ、大きな小宇宙が四つ。ジャミールで感じたイヤな小宇 ⋮⋮﹂ ⋮⋮ っ て、こ の 感 じ は 戦 闘 の 真 っ 最 中 か ﹁こ う い う 感 覚 は 一 流 だ よ な お 前。正 直、俺 は そ う い う 繊 細 な の は でもなく大きな小宇宙をあちこちから感じるよ ﹁⋮⋮ううん、この辺りにお姉ちゃんの小宇宙は感じない。でも、とん ﹁貴鬼、セラフィナの小宇宙は ﹂ ふと、脳裏に浮かんだそれを海斗は軽く頭を振って片隅に追いやる ︵今はどうでもいいか︶ この先にアテナが住まう神殿が在る。 ﹁⋮⋮双児宮、か。だったら、この下が金牛宮で上が巨蟹宮﹂ 双子座の印。 鏡映しのように左右対称に作られた宮。そして入り口に刻まれた にはそれぞれの星座を示す刻印が刻み込まれている。 十二宮はそれぞれの星座に因んだ装飾やオブジェが、各宮の入り口 ﹁⋮⋮どうにも妙な感じだな。重苦しい、いや息苦しい感じ、か たが、何れにせよ海斗としてはあまり長居したい場所ではなかった。 自分達の侵入に反応がない事からここが無人の宮だとは推察でき う事に集中していた。 貴鬼の問い掛けに返事を返しながら、その実海斗は周辺の様子を窺 ﹁怖∼い聖闘士の居る場所だ﹂ ﹁十二宮 ﹁⋮⋮聖域だ。しかも、よりにもよって││十二宮とは﹂ ? !? 223 ? ﹁シャカか。ああ、俺にも分る。で、この纏わり付く様な感じは││エ キドナ、いやデルピュネか﹂ ﹂ 逃がすかよ。そう言って駆け出す海斗。 ﹁ちょ、兄ちゃん ﹂ ﹂ 後ろからいっぱい来るよ !! 予感に従って背後を、金牛宮を見る。 ﹁に、兄ちゃん ﹂ この場に急速に接近しつつある悪意に満ちた小宇宙に。 う。 文句を言おうとした貴鬼であったが、不意に〝気が付いて〟しま ﹁∼∼ッ 海斗の足││聖衣にぶつかり鼻を抑えて涙目の貴鬼であった。 走り出した貴鬼は急には止まれない。 突然その足を止めた海斗。 ﹁ふぎゃ 待って、と続けて貴鬼もその後を追い││ !? ﹁白羊宮はともかく、金牛宮を素通りしたのか ﹁ひいっ う、うわわわわっ ﹂ アルデバラン あの人は不在なの 明確な敵意と殺意に満ちた攻撃的な小宇宙が二人へと向けられた。 ギガス達も双児宮の前に立つ二人の姿に気が付いたのであろう。 か﹂ ? そこには金牛宮を抜けて駆け上って来るギガス達。 うざったい。そう小さく呟いて背後へと振り返る。 ﹁時間が惜しいんだがな。ま、後ろから邪魔されるのも面白くないか﹂ ! ﹁⋮⋮え ﹂ られるだけの余裕がない。 未だ幼く、戦闘経験のない貴鬼には、戦いの空気を平然と受け止め 全身が震え、思わずその場にしゃがみ込んでしまいそうになる。 吐き気を催す様な不快感。 圧迫されるような感覚。 確な殺意。 遊びでも訓練でもない、貴鬼にとって初めて向けられた敵からの明 !? 224 !? !? !? ? その感覚がぷつりと途絶えた事で貴鬼がゆっくりと顔を上げた。 ﹁ほれ、双児宮の中で隠れてろ貴鬼﹂ そう言って海斗が貴鬼の前に立つ。 それだけの事で貴鬼の身体からは震えが消えていた。 貴鬼が見上げた海斗の表情からは、不安も緊張も浮かんでいない。 むしろ、何がおかしいのか口元には笑みを浮かべてすらいた。 ﹂ ﹁クッ、ククッ。いやいや、まさか俺が十二宮を背に戦う日が来ると は。全く、人生何が起こるか分らない、ってか 双児宮を前に、ギガス達を見下す様に立ち塞がる海斗。 その身からゆらりと立ち昇る青と白の小宇宙。 海斗の戦意を示すかの様に、徐々にその大きさを増す。 ﹁⋮⋮来たな﹂ そうして遂に、海斗の目前までギガス達が到達する。 その数は十人以上。 小僧、お前 ﹁ほう、ここまで無人の宮が続いたので、我等に恐れをなして逃げたも のと思っていたぞ﹂ ﹁⋮⋮退け小僧﹂ ﹂ ﹁十二宮にはそれを守護する聖闘士が居ると聞いたが がそうか ? ろう﹂ 海斗を前に口々に語り出すギガス。言っている事は違えども、その 根底にあるものは同じである。 ﹁まあ待て﹂ その時、両者の間に一際屈強な体躯のギガスが歩み出た。 十二宮がアテナを守る為の砦である以上、それらを繋ぐ回廊には当 然の様に侵入者に対する備えも考慮されている。 この場で最もギガス達に影響を及ぼした事は通路の幅の狭さであ る。 並の人間よりも一回りも二回りも巨大な体躯を持つギガス。それ が十人も集まれば、同時にはまともに動けるものではない。 225 ? ﹁苦しみたくなければさっさと退け。痛みを感じる間もなく殺してや ? どれ程の数を引き連れようとも正面から対峙するしかなく、仕掛け られる人数も限られる。 そこまで考えての行動であったのか、単なる驕りであったのか。 ﹁たかが聖闘士の小僧一人に我らが全員で掛かる必要もあるまい。こ のギガス十将の││﹂ ﹁黙れ﹂ 口上を待ってやる義理はないとばかりに海斗が口を開き、相手が名 ﹂ 乗りを上げるよりも早く、抜き放った拳がギガスの顔面を打ち抜い た。 ﹁ガッ ﹁││遅い﹂ 大きく仰け反り、がら空きとなった胴体に追撃を加える。 左のボディーブローを受け、巨体をくの字に折り曲げて崩れ落ちよ うとするギガス。その身体を﹁邪魔だ﹂と蹴り飛ばす。 エウリュ││﹂ そして、海斗は密集状態にあったギガス達の中心へと自ら飛び込ん だ。 ﹁な、何いっ ﹁許さんぞ小僧 ﹂ ﹁き、貴様あぁあッ ﹂ から余裕が消え去った。 小僧と侮っていた相手からの予想外の先制攻撃を受けて、ギガス達 !? !? ﹁兄ちゃん ﹂ 拳を振り上げて次々と海斗へと迫るギガス。 !! 死ね、と。ギガス達が叫ぶ。 ! 求めるのはあの鋭さと速さ。目の前に立ち塞がる全てを撃ち貫く 〟であった。 その言葉を思い浮かべ、海斗がイメージしたのは〝エクスカリバー シュラは言った、小宇宙を研ぎ澄ませと。 ︵集束させる⋮⋮もっと鋭く、もっと速く ︶ 危ない、と。その光景を見ていた貴鬼が叫ぶ。 !! 226 !? ための力。 ﹂ 突き出された海斗の右拳を中心として放たれる青い光弾。 ﹁〝エンドセンテンス〟 変えていく。 細く、鋭く。 ﹁な、何だこの光は ﹁ひ、光が⋮⋮﹂ ﹂ それは海斗の小宇宙の高まりに、意志に応じる様に徐々にその形を !! ﹂ 静寂を破ったのは海斗の声であった。 ﹁貴鬼、終わったぞ﹂ 静まりを見せていた。 海斗から激しく吹き荒れていた小宇宙は、まるで凪の様に穏やかな の小僧、とはいかないか﹂ ﹁⋮⋮分っちゃいたが、あの切れ味は俺には無理だな。さすがに門前 静寂が双児宮の前に訪れる。 呻き声もなければ、身動ぎ一つする気配もない。 大地に叩き付けられていく。 砕け散る金剛衣。弾き飛ばされ、舞い上げられたギガス達が次々と の力を刻み込んでいた。 光は深く、鋭く、金剛衣をものともせずに、ギガス達の肉体に破壊 巨体が弾かれるように次々と宙へと舞う。 爆発にも似た轟音と、それに混じるギガス達の絶叫。 嵐の様に吹き荒れる巨大な小宇宙。 ﹁うぎゃああーーーーーーッ﹂ 天駆ける天馬がその姿を変えようとしていた事を。 海斗の身体から立ち昇った小宇宙のビジョンを。 だから分らなかった。黄金の光を放った聖衣の輝きを。 眩いばかりの輝きに思わず目を閉じてしまった貴鬼。 ﹁ッ 光弾が閃光と化し、ギガス達の身体に無数の軌跡を奔らせる。 !? ポンと、頭の上に置かれた手の感触に貴鬼が顔を上げる。 227 !? 大丈夫、危なくなったら隠れるからさ﹂ ﹁どうやら上でも戦闘が始まったな。俺はこのまま行くが貴鬼、お前 は││﹂ ﹁おいらも行くよ ﹄ ﹃海斗、君は地上の平和にもアテナの意志にも興味はないのでしょう ジャミールを離れる前、ムウは海斗にこう尋ねた。 かと妥協した。 思った〟とばかりの貴鬼の反応に、隠れてコソコソされるよりはマシ ジャミールへ戻れ、と言おうとした海斗であったが〝言われると ﹁巻き込まれても知らんからな。⋮⋮離れとけよ﹂ ! 拳を握り締め、ただ前だけを見る。 ﹃己の力を何にどう揮うのかは君の自由。その思想も。しかし、以前 にも言いましたが聖衣には意志があります。君を守り、死の淵から新 生したエクレウスの聖衣。それを再び身に纏い戦うのであれば、聖衣 の意志を裏切る様な真似だけはしないように﹄ セラフィナは気にもしてはいないだろうが、海斗は命を救われた事 を恩だと感じているし、大きな借りが出来たとも思っている。 やられた事はやり返す。恩を受けたのであれば恩を返す。 一度死んだ身だからこそ、やれる時にやれる事をすべきだと思うよ うになって来た。そこには聖闘士も海闘士も関係ない。あるのは〝 そうしようとする〟己の意志だ。 ﹁⋮⋮ちゃんとした礼の言葉もまだだったからな﹂ そう呟いて、海斗は十二宮を駆け上がる。 目指すのは十二宮最奥、教皇の間。 228 ? 第 1 6 話 激 闘 サ ン ク チ ュ ア リ 闘士︵後編︶の巻 ﹁どうやら、この辺りは片付いたみたいだね﹂ イー グ ル シルバークロス 立 ち 向 か え 聖 瓦礫に腰掛けた魔鈴が聖衣についた埃を払い落しながら呟いた。 その身に纏うのは鷲星座の白銀聖衣。 純粋なプロテクターとしての防御性能を特化させた物が多い白銀 聖衣にあって、魔鈴の身に装着されたイーグルの聖衣は敏捷性を重視 した必要最低限の部位を纏う程度に留められていた。 その形状は丸みを帯びた女性的なものであり、どう見ても男性が身 に纏う事を考慮された形状ではない。 所有者を失い聖衣箱の中で眠りについた聖衣は、次の所有者が現れ た際にはその者に相応しいカタチとなって目覚める。聖闘士を目指 す者に人種や性別、年齢といった制限がない事の理由であった。 ﹁⋮⋮フン﹂ オ ピュ ク ス 魔鈴の呟きに答えるシャイナもその身に聖衣を纏っている。 それは蛇遣い星座の白銀聖衣。 イーグルの聖衣と同じく敏捷性を重視している為か、身に纏う部位 は青銅聖衣並に少ないが、上半身だけで言えばイーグルの聖衣よりも パーツが多く身を守る範囲も広い。 それは相手の懐に飛び込み接近戦を仕掛けるシャイナの特性に合 わせたカタチとも言えた。 ﹁まあ、所詮コイツらはギガスにとっても雑兵なんだろうさ。こんな 風に、ね﹂ そう言ってシャイナは足下に倒れているギガスの徒兵の身体を蹴 り転がした。 邪魔な小石を蹴飛ばす、その程度の動作。その僅かな衝撃で、倒れ 伏していたギガスの身体が崩れ去り塵となった。 風が吹き、塵を空へと舞い上げる。 それを目で追いながら、 ﹁そう言えば﹂と、シャイナは魔鈴にふと気 229 ! になった事を問うてみた。 ﹁⋮⋮アンタ、星矢はどうした ﹂ 今二人が居るのは居住区から少しばかり離れた小高い丘であった。 ここからは居住区全体を見渡す事が出来るのだ。幸いにも、居住区 への被害は最小限に抑えられた事が見て取れる。 聖域からは未だ戦いの気配は消えてはいないものの、悪意ある巨大 な小宇宙が次々と消えている。 その事を感じ取っていたからこそ、こうして世間話を持ちかける程 度の余裕が生まれていた。 ﹁身の程もわきまえずにおれも戦う、なんてふざけた事を言ったから 寝かしつけてきたさ。今頃良い夢でも見ているだろう﹂ ﹁へぇ、そりゃあまた随分と過保護な事で﹂ ﹁どう足掻いたって勝てない相手に挑んで殺されるのは星矢の勝手。 でもね、この四年間の苦労が無駄になるのは面白くない。⋮⋮それだ けさ﹂ 星 矢 じ ゃ あ た し が 育 て た カ シ オ ス に は 勝 て な い よ。 ﹁無駄、ね。だったら一日も早く聖闘士になる事を諦めさせてやった らどうだい ﹁それが出来れば楽なんだろうけどね。諦めろと言って諦めるような 奴ならとうの昔に日本に帰っているよ﹂ 魔鈴はそう言うと、無駄話は終わりだと言わんばかりに立ち上がり 周辺の様子を窺い始めた。 意識を集中し、感覚を広げる魔鈴。その身体からは、うっすらと小 宇宙が立ち昇っている。 これはシャイナには分らない感覚であったが、空から周囲を俯瞰す る、そういうイメージなのだと魔鈴から聞いた事があった。 ︵⋮⋮こういう繊細さはあたしにはないな︶ 好きか嫌いかで聞かれれば、迷う事なく嫌いと答える。シャイナに とって魔鈴はそういう相手であったが、その能力は認めている。 状況把握を魔鈴に任せ、手持無沙汰となったシャイナは﹁何もしな いよりはマシか﹂と呟き、魔鈴の真似事をしてみる事にした。 230 ? 今までもそうだったように、これからもそうさ。変わりはしない﹂ ? イメージするのは水面に落とした一滴の雫。そこから広がる真円 今感じた小宇宙は⋮⋮﹂ の波紋。 ﹁何だ 何かに当たり、真円がその形を歪めた。歪みが生じたのは十二宮の 方向。 僅かに感じたのは覚えのある小宇宙。白と青、二つの色が螺旋を描 く特徴的な小宇宙だった。 そちらに視線を向ければ煌々と炎を灯す火時計が見える。そこで 何かが起こっている事は分っていたが、それが何かまでは分らない。 ﹂ 一種のトランス状態となっている今の魔鈴には、話し掛けたところ で返事が返る事はない。 ﹁まさか、ね。この辺りならまだしも、十二宮に海斗が も感じない。 それはないか、と。あらためて意識を集中させてみるが、今度は何 ? やはり自分には向かないかと、さてどうするかとシャイナが視線を あたしは何に違和感を覚えた ﹂ 動かし││視界に映る違和感にその動きを止めた。 ﹁⋮⋮何だ ? ﹂ 一方ではなく 風は⋮⋮吹いていない。なのに││塵 が撒き上がる ? 今は考えるよりも動け、と。 感覚に従い思考を打ち切る。 ︵⋮⋮こういう時は直感に従う︶ それでも、このままでは拙いと、感覚が訴える。 周囲には他の気配は無い。 シャイナは静かに魔鈴へと近付き、半身を下げて身構えた。 何も感じてはいない。 魔鈴は何も捉えてはいないのか動きを見せる様子はない。自分も !? ﹁四方に 四方へと撒き上がる塵。 周囲にあるのは朽ちた遺跡の瓦礫と塵と化していくギガスの骸。 ここにいるのは自分と魔鈴の二人だけ。 見晴らしの良い丘の上。 ? ? 231 ? 塵が撒き上がる場所。何も無いはずのその場所へ空を引き裂く拳 を撃ち込む。 二発、三発と続けて放つ。 拳撃は空を切り裂き、雷を纏って大地を穿つ。 ﹂ 手応えは││ない。 ﹁シャイナ 背後から焦りの籠った魔鈴の声。 ﹂ 何だ、とシャイナが問う間もない。 ﹁∼∼ッ ﹂ ﹂ !! 遮られているかのように影響を受けていなかった。 ﹁まさか、小宇宙によって姿と気配を消しているのか ? ﹁〝流星拳〟 ﹂ 回避できぬ程の弾幕だ。 相手の正確な位置が分らない以上、必要となるのは手数。 ﹁⋮⋮試してみるさ﹂ 程までとはうって変わって攻勢的なものとなる。 右足を引き右拳は腰だめに。構える魔鈴から立ち昇る小宇宙は先 宙を周囲と同化させる事による完全なる陰行⋮⋮﹂ 自身の小宇 遮る物が何もない、見晴らしの良いこの場所で、そこだけが何かに ︵飛礫が││砂塵が〝あの場所にだけ〟届いていない︶ び、シャイナのもとへと駆け寄ろうとして気付く。 コンマ数秒、シャイナより早く動いていた魔鈴は回避に成功。叫 ﹁シャイナ ﹁っぐぅううう たシャイナの身体が成す術なく吹き飛ばされる。 背後から吹き付ける熱波と飛礫、そして轟音によって宙に浮いてい その直後、大地に十字の亀裂が奔る。 脇目もふらず、シャイナはその場から急ぎ飛び出した。 四方から迫る圧迫感。 !? に相手へと突き刺さる拳はまるで小宇宙の散弾である。 それは、秒間百発以上の拳を放つ音速の連撃。その全てがほぼ同時 ! 232 ! !? 倍にして返してやるよ ﹂ 広域へと広がる散弾が、無数の拳撃が空を切る中、鈍い音が響く。 そこだねッ 数発の拳が見えぬ敵を捉えた。 ﹁でかした魔鈴 !! ﹁受けてみな 〝サンダークロウ〟 ﹂ 右手の指先を鉤爪の様に曲げ小宇宙を込めて大きく振り上げる。 喰らったようだ、とね﹂ ﹁コイツを喰らった奴は口を揃えてこう言うのさ││まるで、電撃を よってじわりと浮かび上がろうとしていた。 今まで見えなかった敵の姿が、流星拳によって巻き起こされた風に 立ち上がったシャイナが好機とばかりに追撃を仕掛ける。 ! !! ﹁な、何だ ﹂ 声が、直接脳裏に響いてくるこの声は ﹂ ﹃ほう。私の存在に気が付くとは、女の身でありながら││見事﹄ 確かに感じた手応えにシャイナは勝利を確信し││ ﹁ハッ、見たか 音を響かせて見えざる敵へと打ち込まれる。 雷の爪。その名の通り、シャイナの繰り出した拳は落雷にも似た轟 引き裂かれた空間に沿って雷光が走った。 帯電し、バチリバチリと音を立てながら輝くその腕を振り下ろす。 ! 駄目だ ! ﹂ お、大きい⋮⋮十メートル そこから離れろシャイナ !! !? 邪悪よな﹄ マズイ ! ﹁小宇宙が、巨大な小宇宙がヒトの形を 以上 !! シャイナでは近過ぎて気付けなかった。 キュアノス そこに現れたのは群青の炎を纏った巨人。 ﹁我が名は群 青の炎︽プロクス︾也。神の前ぞ。さあ、平伏せ娘よ﹂ 無造作に振るわれる巨腕。 ただそれだけの動きであったが、巨人が身に纏う破壊の小宇宙はそ ﹂ れすらも必殺の技とする。 ﹁││ッ !? 233 ! ! ﹃しかし⋮⋮神である我に対して拳を向けるその姿勢、やはり人間は !? 距離を置いていた魔鈴だからこそ気が付く事が出来た。 ? 目前に迫る破壊の力。 シャイナがそれに気付いた時にはもう遅い。 先のダメージもあった。 受けるのか、避けるのか、相討つのか。思考が身体に追いつかない。 身体が思考に追いつかない。 ﹁あ、あ⋮⋮﹂ 視界の中、魔鈴がこちらへと飛び出そうとするのがシャイナには 分った。 無駄だ、と言ってやりたいがそんな猶予が無い事は理解している。 迫る拳。 この時、不思議な事に、シャイナはこの場を中心として聖域全体の 様子が手に取る様に解る、そんな奇妙な感覚を経験していた。 ︵死を前にして小宇宙が爆発したって事か、この感じは︶ 身体は動かない、なのに思考は澄み渡る。 234 今まで感じ取れなかった各地の小宇宙が判る。 生命と小宇宙は必ずしもイコールではないが密接な関係にある事 に違いはない。 実際、極稀ではあったが五感の一部を失った聖闘士の中には、以前 よりも遥かに小宇宙を高める事が出来る様になった者もいたという。 ︵だからってこんな時に。あ∼あ、こんなのがあたしの終わりとはね︶ 悔いは有る。やりたい事もすべき事も。自分は死を目前にしても 生き足掻く。 そう思っていただけに、妙に達観している今の自分に苦笑する。 迫り来る死の瞬間。 ふと、自分が死んだと聞いたらあいつはどう思うのか、と。瞳を閉 ﹂ じたシャイナはそんな事を思い浮かべて││ ﹁⋮⋮ 死を意識した瞬間のあの奇妙な感覚は既にない。 ならば、今こうして思考している自分は何なのか。 痛みすら感じる間もなく死んでしまったのか。 何時まで経っても訪れない衝撃。 ? 焦点を取り戻したシャイナの目に映ったのは、視界に広がる一面の 赤であった。 風に吹かれて空へと舞い上がる赤││薔薇の花弁。 その中で悠然と佇むのは黄金の輝きを纏いし聖闘士。 純白のマントを翻し、彼は右手に持った一輪の薔薇でプロクスの拳 を止めていた。 ﹁急ぎ戻ってみれば、何とも無様な状況ではないか。⋮⋮全く、情けな い。シャカやアイオリア、黄金聖闘士が顔を揃えていながら。聖域を 汚らわしい巨人族の血で染める事になるとは。実に嘆かわしい﹂ ﹁⋮⋮何者だ貴様﹂ 問い掛けるプロクスの口調が固い。 それも当然であった。花一輪で自分の拳を止める。そんな事が出 ピスケス 来た相手など話にも記憶にもない。 ﹁我が名はアフロディーテ。魚座のアフロディーテ﹂ く、感覚すら狂わそうとしていた。 ﹁チッ、小賢しい真似を﹂ ﹁そこのシルバー二人、あのギガスの相手はこのアフロディーテが行 う。安心して立ち去るが良い﹂ 敵の姿を見失い動きを止めたプロクスを前に、アフロディーテは ﹂ シャイナ達へ﹁邪魔なのだ﹂と言い放った。 ﹁なっ 直に引き下がれるシャイナではない。 ﹁⋮⋮よしなシャイナ。相手は黄金聖闘士、言う事には大人しく従う 235 羽織っていた純白のマントを翻し、アフロディーテが名乗りを上げ る。 ﹂ それに応える様に、宙を舞っていた薔薇の花弁が螺旋の渦と化して この様な目眩ましで⋮⋮ッ 一斉にプロクスへと迫る。 ﹁ぬうっ !? 小宇宙の込められたそれは、プロクスの視界を奪っただけではな 視界を埋め尽くさんばかりの赤。 !? 助けられた事は感謝するが、邪魔だと、こうもハッキリ言われて素 ! ものさ﹂ いきり立つシャイナを抑え﹁ほら行くよ﹂と魔鈴がシャイナの腕を 取る。 ﹁フッ、分れば良い。それに、どうやらまだ戦闘を続けている地区もあ るようだ。そこに向かいたまえ。非力なシルバーでも出来る事はあ ろう﹂ ﹂ ﹁⋮⋮素直に自分に任せろと言えばいいのにねぇ﹂ ﹂ ﹁何か言ったかイーグル ﹁いえ、別に﹂ 第16話 ﹁ええい、この程度 出す。 プロクスの小宇宙によって生じた炎が拳を包み込む。 大地に宿りし炎の力の前に 炎を宿した両手を広げ、宙を舞う花弁目掛けて振り下ろした。 ガイア ﹂ ﹁我らギガスは大地の加護を受けし者 この様な花弁など ﹂ !! ﹁神の裁きを受けろ ﹂ アフロディーテは動かない。 い掛かった。 それは片手に五本、計十本の炎の鞭となってアフロディーテへと襲 ﹁敵を切り裂き打ち砕く我が炎を受けろ││〝焔爪鞭〟 握り締めていた拳を開き、その手に纏った炎を指先へと伸ばす。 ディーテの姿が見えていた。 視界が晴れたプロクスの視線の先にはその場に立ち尽くすアフロ その言葉の通り、次々と燃え上がり灰と化していく花弁。 ! 236 ? プロクスが拳を引き構えをとった。腰を沈め両手を正面へと突き !! !! ! 振り下ろされる炎の鞭。 空を裂き、大地を抉り、アフロディーテの身体を捉える。 炎が引き裂き、粉砕し││その身を燃やし尽くした。 ﹁愚かなり、人間よ﹂ 業火の中で崩れ落ち灰となったアフロディーテの姿を一瞥すると、 プロクスはその場から立ち去るべく踵を返す。 先程から共に聖域へと侵入した十将や兵神達の小宇宙を感じ取れ なくなっている。 その事がプロクスに若干の苛立ちと焦りを生んでいた。 ﹁千年の封印から目覚めたばかりとはいえ、たかが人間に敗れたのか ﹂ 何故貴様が生きている 灰と化した筈だ ﹂ 自ら攻め込んでおきながら、そ あり得ぬと、逸る気持ちを抑えて一歩を踏み出し││ ﹃││ほう、万全であれば負けぬと 馬鹿な ? 我は幻でも見ていたとでも 身には火傷の痕一つ見当たらない。 ﹁こ、これは一体 力が⋮⋮入らぬ⋮⋮﹂ !? ﹁これが〝デモンローズ〟。良い香りがするだろう と言っても、 は続けて一輪の赤い薔薇を差し出した。 我が身に起こった異変に動揺するプロクスを前に、アフロディーテ まった白薔薇だ。そしてこれが││﹂ ﹁その真紅の薔薇は〝ブラッディローズ〟。お前の血を吸って紅く染 薔薇が映った。 膝をつき頭を垂れるプロクスの目に、自らの四肢に突き刺さる紅い 突如として全身を襲う脱力感。 それに⋮⋮何、だ 焔爪鞭で砕いた筈の聖衣には傷一つ無く、焼き尽くしたはずのその たかの様に悠然と立っていた。 そこには目の前で灰と化したはずのアフロディーテが何事もなっ !? の言い訳は実に見苦しい﹄ ﹁何 !? 聞こえた声に振り返る。 !! ? 本来のデモンローズに比べて色も香りも劣る物だがな。この香気を ? 237 !! ? ? ﹂ 吸った者は幻に囚われ、まどろみの中このアフロディーテの放ったブ その様な物は⋮⋮まさかッ ラッディローズによって更に思考と体力を奪われる﹂ ﹁⋮⋮馬鹿な、一体、何時の間に そこでプロクスは思い出した。 !! に包まれて現れた事を。 !? などあってはならぬ ﹂ 神が人間如きに屈する うオォオオオオオオオ ! せた。 神に逆らう人間よ ﹂ 貴様 ! 私の手によって神罰を与えられなければならない ﹁神を前にしてのその傲慢、許すまじ は邪悪だ !! ! 爆炎と化した炎が巻き起こす風がアフロディーテのその身を震わ 蓮に染め上げる。 プロクスの身体から吹き荒れる小宇宙が炎となって、周囲の色を紅 !! ﹁お、おのれぇええええええッ 認めぬ には既に、そうギガスよ││お前は既に敗北していたのだ﹂ ﹁フッ、気付いた時にはもう遅い。このアフロディーテと対峙した時 ﹁あの宙を舞っていた花弁がそうだったと言うのか ﹂ 目の前の聖闘士が現れた時の事を。アフロディーテが薔薇の花弁 ? !! 自由を取り戻したプロクスが怒りの咆哮を上げてアフロディーテへ と迫る。 ﹁愚かな。美しい薔薇には棘があるのだ。無碍に手折れると思ってい るのならば、それこそが傲慢であると言わざるをえない﹂ アフロディーテの手にした薔薇の色が変わる。赤から黒へ。 ﹂ 燃やし尽くして││な、何 ﹁実に醜悪。だからこそ、せめて散り際だけはこのアフロディーテが 美しく飾ってやろう﹂ ﹂ 〝ピラニアンローズ〟 ﹁花弁如きでこの焔爪鞭は止められん だとぉお ﹁舞えよ黒薔薇 !! ! るどころか、逆に焔爪鞭の炎が掻き消されていく。 アフロディーテの放った無数の黒薔薇は焔爪鞭に触れて燃え尽き 目前の光景に驚愕するプロクス。 ! 238 !! 身に纏った炎が四肢に突き刺さったブラッディローズを焼き払い、 !! !? それは、触れる者に死を与える毒を秘めた黒薔薇。 それは、触れる者全てを破壊する棘を持った黒薔薇。 そして、遂に放たれた内の幾つかの黒薔薇がプロクスに触れた。 亀裂を奔らせ金剛衣が、プロクスが崩壊する。 ﹁こんな事が⋮⋮こんな事が⋮⋮﹂ それが、プロクスが残した最期の言葉であった。 白い巨人アネモスと黒い巨人ブロンテーの戦いは、正しくギガスの 在り方そのものであった。 行く手を阻む兵士達を歯牙にもかけず吹き飛ばし、立ちはだかる青 銅聖闘士や白銀聖闘士達はその巨躯を持って象が蟻を踏み潰すが如 く粉砕した。 その行いは千年の時を経ても変わらない。 ﹂ スコーピオン アネモス。その前に現れたのは蠍 座の黄金聖闘士ミロ。 ﹁〝リストリクション〟。この指先から放つ光速の刺突を敵の中枢神 経に打ち込み身体を麻痺させる技よ。ヒトのカタチをしているから と、小宇宙を込めて試してみたが⋮⋮蠍の一指、効果はあったようだ な﹂ ゆっくりと、ミロが右手の人差し指をアネモスに突き付ける。その 239 母なるガイアより託されし憎悪を持ってゼウス率いるオリンポス の神々を打ち倒す。 侵略して勝利する。 蹂躙して支配する。 それに⋮⋮何だ、この巨大な小宇 それが暴力の権化であるギガスにとっての全て。 身動きがとれぬ !? しかし││ ﹂ ﹁ば、馬鹿な 宙は ! ﹁人 間 が ⋮⋮ 人 間 如 き の 小 宇 宙 が 我 等 に 匹 敵 す る な ど │ │ あ り え ん !? 全身の感覚を麻痺させて、拳を振り上げた体勢のまま動きを止めた !! 爪は紅く鋭い。 ﹁これ以上、お前達の好き勝手に出来る等と思うな﹂ レ オ 片 膝 を つ き 腹 部 を 抑 え て 蹲 る ブ ロ ン テ ー。そ の 前 に 立 つ の は 獅子座の黄金聖闘士アイオリア。 静かな口調とは裏腹に、その身から迸る小宇宙は熱く激しく、どこ までも猛々しく。 ギシリと音が鳴る程に力強く握り締めた右拳を、ブロンテーの眉間 へと突き付ける。 暴力の権化が今、明らかな怯えを見せて恐怖に揺らいでいた。 目の前に立つ二人の若き黄金聖闘士を前に。 力無き人々の嘆きの声を聞き、アイオリアにその〝拳〟を止める理 由は無い。 戦士達の血に濡れた巨人を前にして、ミロには〝慈悲〟を与える理 由が無い。 光の一撃。全てを破壊する光速の拳。 撃ち込まれた拳が空を引き裂き〝神鳴り〟の如き轟音を響かせる。 ﹁このミロが今から放つこの技は⋮⋮蠍座の星の数、すなわち十五発 を撃ち込む事で完成する。降伏か死か、その十五発の間にそれを考え るゆとりを与える慈悲深い技ではあるが││お前達には必要あるま い﹂ 240 ブロンテーはアイオリアの背後に吠え猛る黄金の獅子の姿を見た。 アネモスはミロの背後にその毒針を今まさに自分へと向ける巨大 な黄金の蠍の姿を見た。 ﹁もはや││﹂ ﹁貴様ら相手に││﹂ その言葉に込められた思いに違いはあれども、この時、この瞬間、奇 ﹂ しくもアイオリアとミロの啖呵は一致していた。 ﹁問答無用 ﹂ !! それは雷を纏ったアイオリアの必殺の拳。 ﹁〝ライトニングボルト〟 アイオリアの右拳が輝きを放つ。 ! 針よりも細く、髪の毛よりも細く。 ミロの右手から次々と放たれる赤い閃光。 ﹁〝スカーレットニードル〟。これが蠍の真紅の針よ﹂ 相手の中枢神経へと直接撃ち込まれるその一撃は、蠍の毒のような 何だこの痛みは ﹂ まるで針に刺されたこの傷は あ、熱い な、何だこの傷跡は 激痛を相手に与える。激痛は身体を麻痺させ思考能力を奪う。 ﹁むぅおッ ││ぐぅああああああっ !? 四。 ﹁がぁあああああああああああッ ﹂ 刻印は、蠍座の軌跡を描くように正確無比に撃ち込まれたその数は十 アネモスの身体をキャンバスに見立て、金剛衣を打ち貫き刻まれた し、自ら神を名乗るならば耐えてみせろよ﹂ 痛に耐えきれずに絶命するか、命乞いをするか、発狂する。人を見下 ﹁常人であれば一針、いかに鍛えた者であろうと五、六発も受ければ激 !! ! ル最大の致命点﹂ アネモスの肉体に刻まれた蠍座の刻印。 ﹁スカーレットニードル││〝アンタレス〟 蠍の心臓を狙った致命の一撃。 ﹁││││││││ ﹂ ﹂ 熱。それが、アネモスが感じ取った最期の感覚。 光。それが、ブロンテーの脳裏に焼き付いた最期の光景。 それは、アネモスの心臓の位置と一致していた。 ! ﹁残る一点は蠍座の心臓部に位置する赤い巨星。スカーレットニード !! ﹁おかしな事だ。ゼウスすら封じたと豪語しておきながら、たかが一 それは互いにぶつかり合い、灰色となって大地へと崩れ落ちた。 白と黒の巨人。 砕け散る金剛衣。破片を撒き散らしながら衝撃に吹き飛ばされる それはもはや声ではなく、音として周囲へと響き渡る。 大気すら震わせる絶叫。 !! 241 ! !? 聖闘士の生死すら判断する事が出来ないとは。これではシュラを倒 したとの言葉もどれ程信憑性のある物か﹂ デルピュネはそれ以上を言う事が出来なかった。シャカの言う通 り、結界越しにでもデルピュネには感じ取る事が出来たのだ。 ジャミールで遭遇し、拳を交わしたのはつい先程の事なのだ。忘れ られるはずが無い。 ﹁もう一度言おう。聖闘士を甘く見るな││と﹂ 対峙したシャカの言葉に嘘はない。 感じ取れる小宇宙は確かにエクレウスのもの。 しかし、だからこそデルピュネは困惑していた。ジャミールで対峙 した時とは明らかに小宇宙の高まりが違う。 そして││ ︵馬鹿な、聖域に侵攻した者達の小宇宙が感じ取れぬ︶ たかの様に哄笑を始めた。 その異様な光景に、サガもカミュも、目の前で対峙するシャカでさ ﹂ 所詮我等は贄だとでも そんな事が認め え何事かと訝しみ動きを止める。 ﹁王は知っていたのか られる筈があろうものかッ !? ﹁ムッ、見境なしか お下がりください教皇。この程度の炎はこの そして、振り上げた右腕から迸る炎が無差別に撒き散らされる。 気鬼迫る、そう形容するに相応しいデルピュネの変貌。 !! ? ﹁⋮⋮これは﹂ カミュの放つ凍気の拳がデルピュネの撒き散らす炎を凍結させる。 〝ダイヤモンドダスト〟で﹂ ? 242 十将だけではなく、王に黙って兵神すらも動かした。 口惜し !! 必勝を期しての侵攻であった。 勝てると、そうヤツは言っていたのだ。 ﹂ そうか、そう言う事か アハハハハハハハハ ! 今の聖域にアテナはなく、兵も無いと。 口惜しいぞ !! ﹁ク、ククク、クハハハハハハッ い !! そう叫ぶや否や、デルピュネは仮面を抑えながら、まるで気が触れ ! シャカもまた迫り来る炎を相殺していたが、勢いこそ激しいが先程 ﹂ までと比べてあまりにも威力が低い。その事にシャカは疑念を抱く。 ﹁何かの策か の逃げの一手。 ? そうか、先程の炎に紛れて ﹂ ! ﹁海斗か ﹂ それは純白の聖衣を纏った聖闘士の姿であった。 そのカミュの目がデルピュネへと向かう一筋の光を捉えた。 ︵くっ、これでは間に合わん︶ でいた。 カミュが見上げた先では既にデルピュネの半身は空間に溶け込ん の姿となってこの場にいる者達全てを焼き尽くそうと動き出す。 無差別に放たれたかに見えた炎は、一カ所に集まると巨大な炎の蛇 ﹁炎蛇だと て来た炎の蛇にその動きを止められてしまう。 転移される前に仕留めると拳を向けたが、突如左右から襲い掛かっ その動きに反応したのはカミュ。 ﹁転移するつもりか だが、逃がさん﹂ アンブロシアと言う物にあれほどの執着を見せておきながら、突然 け込まそうとしていた。 天高く舞い上がったデルピュネが、その身体を何もない空間へと溶 ﹁最早貴様等の相手をしている暇などはないわ﹂ シャカの考えを肯定する様に、その答えは即座に明らかとなった。 ? 青銅聖闘士と聞いてはいたが、纏う聖衣の質は、その小宇宙は青銅 のそれではない。 ﹁キ、キサマ││﹂ デルピュネも自身に迫る海斗の存在に気付いていたが、既に転移に 入っていてはどうする事も出来ない。 伸ばされた海斗の手がデルピュネの肩を、その身に纏っていた金剛 衣を掴む。 ﹁セラフィナは返してもらう。聞けないと言うのなら││﹂ 243 !? 教皇の言葉に、この者が、とカミュが注目する。 ! ぞくり、と。静かに告げる海斗の様子にデルピュネの身体が震え る。 ﹁テメエら全員、残らず││﹂ デルピュネの耳にビシリと、掴まれた肩から金剛衣の砕ける音が聞 こえた。 ﹁叩き潰す﹂ その言葉だけを残し、海斗とデルピュネは聖域の空からその姿を消 した。 244 第17話 交差する道 の巻 ﹁ふむ。驕りや増長││と笑う事は出来んな。お前の強さにはこれだ けの大言を吐くだけの資格がある﹂ アルキュオネウスがシュラへと向かい歩を進める。 ﹁このアルキュオネウスと戦う資格も、な。お前の言う聖剣程ではな いが、私もこの右拳には少々自信があってな﹂ 一歩一歩、その歩みが進む毎にアルキュオネウスからの威圧感が増 大する。 それは意識や感覚を超えて、物理的な圧となってシュラに重く圧し 掛かる。 ﹁⋮⋮どうやら、貴様はこれまでに見たギガス達とは違う様だな﹂ そう、このギガスは違う。その身から感じる小宇宙は自分と同等か ││それ以上。 理屈ではなく己の感覚に従いシュラが身構える。 じりじりと狭まる互いの距離。あと一歩、もう半歩で互いの間合い に入る。 そんな場所でアルキュオネウスがその歩みを止めた。 ﹁我が名はアルキュオネウス、我らが王ポルピュリオン様に仕える三 神将が一神アルキュオネウス﹂ カプリコーン 先程放った拳撃の様に、アルキュオネウスが右拳を腰だめに構え る。 ﹁黄金聖闘士、山羊座のシュラ﹂ 対するシュラもまた右腕を掲げ、その手は手刀の型に。 ﹁いざ││﹂ ﹁││参る﹂ 剣撃と拳撃。 ﹂ 245 ! 互いの間合いへと踏み込み、両者は同時に必殺の拳を放った。 ﹂ ﹁エクス││カリバーー カタストロフ ﹁〝神屠槍〟 !! 研ぎ澄まされた刃と鍛え抜かれた穂先。 !! 打ち合わされる剣と拳。 互いの視線は相手を射抜かんとばかりに交差する。 まるでそこだけ時間が停まってしまったかの様に、両者は互いの拳 を打ち合せたまま微動だにしない。 ﹂ ブン、と空気を震わせるような音を││シュラの感覚がそれを捉え た。 ﹁││くっ 静寂を苦悶の声が破った。 声の主は││シュラ。 振り下ろした右手││聖剣に、最強の黄金聖衣に亀裂が生じてい た。 破損した右腕の聖衣、その亀裂から鮮血が滴り落ちる。 ﹁どうやら私の拳の方が上であったようだな﹂ 拮抗が崩れる。 アルキュオネウスの右腕が霞んだ。 肥大し、輝きを放っていた。それは、まるで光の繭に包まれている 様であった。 ﹂ 再びブンッと音が鳴る。 ﹁がはっ 打ち合わされた互いの拳を伝わり、波動がシュラの肉体の奥深くに まで浸透する。 抵抗する間もなく、それはまるで撃鉄に撃ち出された弾丸の如く。 シュラはその場から文字通り弾き飛ばされていた。 洞窟の壁面へと叩きつけられるシュラ。その身体を覆い尽くすよ ﹂ 聖 剣 うに砕かれた壁面が土砂となって降り注ぐ。 ﹁ぐっ⋮⋮むぅ⋮⋮ッ 屠 槍 土砂を払いのけて立ち上がろうとしたシュラが、膝を地につけたま 至らぬか。しかし││﹂ カタストロフの威力が削がれていたとは言え、完全に破砕する迄には 神 ﹁さ す が は 黄 金 聖 衣。 エクスカリバー の 一 撃 に よ っ て 私 の !? 246 !? 光の繭が弾けた。 !? まその動きを止めた。 ﹁││ヒトの身体であの衝撃を耐え切れはすまい﹂ その直後、〝肉体の内側から爆ぜる様な〟衝撃を受けたシュラは、 ﹂ その口から、全身から鮮血を撒き散らす。 ﹁がぁはあッ ﹁それが神ならぬ脆弱なヒトの器の限界。カタストロフの波動の前で は、最硬の黄金聖衣であろうが青銅聖衣であろうが、等しく意味を失 うのだ﹂ そう呟いてアルキュオネウスは踵を返した。 ﹁一度目の波動は聖衣を砕いた。しかし、二度目の波動は違う。聖衣 を伝わりお前を内側から破壊したのだ﹂ 背後では、黄金聖衣を自らの血で赤く染めその場に崩れるシュラの カタストロフ 姿があるのだろう。それは予測ではなく確信であった。 ﹂ 必殺の拳││神屠槍を受けて立ち上がって来た者はいないのだか ら。 ﹁⋮⋮ ﹁何だ ﹂ 違和感があった。 いや、これは⋮⋮ 右腕に感じる微かな何か。 ﹁痺れ⋮⋮か ﹂ !? その身の傷など意に介した様子もなく。瞳に映る闘志には欠片の の姿。 アルキュオネウスが振り返れば、そこには全身を赤く染めたシュラ が立ち昇る。 その事実に至った瞬間、アルキュオネウスは背後から巨大な小宇宙 ﹁あの一撃が、聖剣が私に届いていたと言うのか﹂ つうと、その亀裂から紅い雫が零れ落ちる。 ﹁私の金剛衣に亀裂が⋮⋮﹂ の拳に一筋の亀裂が奔っていた。 カタストロフを放った右腕。エクスカリバーと打ち合った金剛衣 ? 247 !? 数歩進んだところで、アルキュオネウスはその足を止めた。 ? ? 翳りもなく。全身から立ち昇る小宇宙はただ鮮烈。 両の脚でしっかりと大地を踏み締め、シュラは亀裂の入った聖剣を 掲げる。 ﹁⋮⋮この傷は戒めだ。アルキュオネウス、お前の力を見誤った⋮⋮ このシュラの迂闊、傲慢の、だ﹂ ﹁⋮⋮立ち上がった事は賞賛しよう。だが⋮⋮﹂ 半死半生、手にするのは罅割れた剣。 馬鹿な、と。アルキュオネウスは内心で浮かんだ愚考を振り払う。 目の前の敵から感じる小宇宙は、傷を負って衰えるどころか、むし お前た 千年前も、今も、そうして命を賭して そうか、そうであったな ろより苛烈に熱く燃え上がっている。 ﹁く、くくくっ。ハハハハハ ち聖闘士は〝そう〟だった ﹂ 揚している事を感じていた。 ﹁立ち上がってきた以上は無策ではあるまい ⋮⋮ならば来いッ ! 右拳を腰だめに構えながら、面白い、とアルキュオネウスは己が高 神の領域へ踏み込んで来る ! いカプリコーンッ ﹂ このアルキュオネウスに三度拳を抜かせた事を誉として散るが良 ? る。 カタストロフ ﹁〝神屠槍〟 ﹂ ﹁〝エクスカリバー〟 ﹂ 再びぶつかり合う剣と拳。 エクスカリバー 決着は一瞬。 カタストロフ 砕け散る〝 聖 剣 〟。黄金聖衣の右腕部が弾け飛ぶ。 両断される〝神屠槍〟。金剛衣ごとアルキュオネウスの右拳が切 り裂かれる。 ﹁相││﹂ 相打ち。互いの拳が砕けた眼前の光景にそう結論付けようとした アルキュオネウス。 248 !! !! !! アルキュオネウスの右腕が空を震わせる音と共に光の繭に包まれ !! 神速の踏み込みが互いの距離を零にする。 ! !! しかし、まだ終わってはいなかった。 結論に至るにはまだ早かった。 ﹂ アルキュオネウスの視界に一筋の閃光が奔った。 ﹁な││に 力を見誤った、とシュラは言った。 同じだ。 ﹁聖剣は││折れぬ﹂ 自分もまたこの男を見誤っていたと。〝それ〟を見てアルキュオ ネウスは思う。 ﹂ この男は使い手ではない。この男そのものが││ ﹁このシュラの小宇宙が燃え続ける限り ﹁エクス⋮⋮カリバーーーー ﹂ それはもう一振りの││聖剣。 振り上げられたのはカプリコーンの〝左腕〟。 ! しい。 それを消耗すると言う事は、己という存在そのものを消耗するに等 生命の、意思の、全ての根源であり源でもある小宇宙。 いた。 撃必殺のそれを連続した事はシュラの小宇宙に著しい消耗を強いて 己の全身全霊を込めて放った必殺の剣撃〝エクスカリバー〟。一 カタストロフによる肉体的なダメージ。それに伴った夥しい出血。 ﹁ハァ⋮⋮ハァ⋮⋮﹂ の場に崩れ落ちる。 その光景を視界の隅に映しながら、シュラが一歩を踏み出し⋮⋮そ 塵と化して崩れていくアルキュオネウス。 アルキュオネウスの意識共々その肉体を両断した。 前は⋮⋮神に勝⋮⋮﹂ ﹁聖剣││か。ふ⋮⋮ふは、ははは⋮⋮。見、事だシュ⋮⋮ラ。⋮⋮お 振り下ろされた一撃は空を断ち、大地を断ち、金剛衣を断ち。 !! ﹁まだ⋮⋮立ち止まる⋮⋮訳には⋮⋮﹂ 249 !? 朦朧とする意識の中で、どうにかして立ち上がるべく前へと手を伸 ばそうとしたシュラであったが、右腕は意に反して動こうとはしな い。 ︵││この程度の事で││︶ 蝋燭の炎が燃え尽きる様に、シュラの意識は瞬く間に闇の中へと沈 んで行った。 第17話 違和感は一瞬であった。 身体にかかる重力と、高熱、そして充満する硫黄の臭い。周囲の景 色が一変した事で、海斗は転移を終えた事を理解した。 ﹂ 肩を掴んでいたはずの手は容易に振りほどかれ、僅かに開いた間合 いから鋭い蹴りが繰り出された。 目は、意識はそれを易々と捉えているのに身体が動かない。反応に ││追い付かない。 ﹂ ガッ、と胸部に強い衝撃が響き、海斗の身体は速度を増して落下す る。 ﹁ぐっ 蹴り穿たれた聖衣の胸部には亀裂が奔り、海斗はそのまま眼下に映 ﹂ るゴツゴツとした岩肌││洞窟の底へと叩き落とされた。 ﹁あああああああああっ !! 250 しかし││ ﹁チッ ﹂ !! デルピュネのヒステリックな甲高い声が海斗の耳に響く。 ﹁小僧ッ 意識に対して肉体の反応が鈍い。 烈な倦怠感に包まれている事に苛立ちを覚え舌打ちをした。 デルピュネの転移に強引に割り込んだ為か、海斗は自分の身体が猛 ! !? デ ル ピ ュ ネ が 獣 の 咆 哮 の 様 な 叫 び を 上 げ て 両 手 を 頭 上 に 掲 げ た。 そこから生じた炎が渦を巻いて球状となる。一つ、二つ、三つと大き さの異なる炎球が、更に五つ、六つと数を増し続けてデルピュネの周 囲を覆う様に回転を始めた。 炎球はたちまちの内にデルピュネの身体を覆い隠す程の数となり、 塵一つ残さず燃え尽きよぉおおおおお ﹂ 洞窟を赤々と照らすその姿はまるで小さな太陽であった。 ﹁消え去れ ﹁││なめるなぁあぁあああああッ ﹂ 自身を太陽と化して眼下の海斗へと迫る。 冷 静 さ な ど ど こ に も な い。半 ば 錯 乱 に も 近 い デ ル ピ ュ ネ の 叫 び。 !! 水の柱。圧倒的な質量を持った水がデルピュネへと襲い掛かる。 瀑布の如き爆発的な勢いを持って、大地から天へと向かい起立する た。海龍の咆哮が木霊する。 突き出された海斗の両手から、溜め込まれた力が一気に解き放たれ る。 天駆ける天馬の姿を経て大海の魔獣、幻想の王││海龍の姿とな ﹁││海龍の身を焼けると思うな﹂ 風を纏い吹き荒れる小宇宙は海斗の意思に従い流水へと変質し、 ﹁偽りの太陽如きでエクレウスの翼を││﹂ 白のエクレウスの聖衣が黄金の輝きを放つ。 立ち昇る白と青の小宇宙が螺旋を描き一つの色へと変化する。純 デバランを見たであろう。 ここに黄金聖闘士がいれば、大地を踏みしめて立つ海斗の姿にアル しかし、最後に海斗はその軌跡を崩す様に両の拳を腰だめに構える。 両手でエクレウスの四つの星を描くのはエンドセンテンスと同じ。 し、目前に迫る太陽に対して構えをとった。 咆哮と共に己の小宇宙によって土砂を吹き飛ばした海斗が姿を現 海斗の身体を覆い尽くした土砂から白と青の光が迸る。 !! ﹂ 広域へと拡散する〝ダイダルウェイブ〟をただ一点にのみ集束さ せる。一点集中。 ﹁〝ハイドロプレッシャー〟 !! 251 !! 圧壊する金剛衣。ひしゃげ、砕け散る仮面。 ﹁⋮⋮永遠が⋮⋮我の⋮⋮。あの娘の力と││﹂ 破壊の意思に満たされた小宇宙によって生み出された水。それは 規模こそ違えども、神話の時代に神々が地上を破壊するために起こし た大洪水のそれであった。 ﹁││う⋮⋮ぁ⋮⋮﹂ ハイドロプレッシャーを消し去った海斗の耳に、か細い声が、呻き が聞こえたのはそのすぐ後の事である。聖衣から黄金の輝きは失わ れていた。 声の下へと向かえば、そこには無残に横たわるデルピュネであった 者の姿。 仮 面 を 失 い 露 わ に な っ た の は 窪 ん だ 眼 窩 に 剥 き 出 し の 歯 茎。ひ しゃげた鼻に骨と皮。 ﹂ 252 例えるならば老婆のミイラ。 妖艶な色気も艶に満ちた声も全てが偽り。 ビッ グ ウィ ル ﹁⋮⋮エキドナ、だったか。あいつとは気配が違い過ぎるからもしや、 とは思っていた。神の意志を宿した人間かとも思っていたが、本物の 神様││いや、化物だった、って事か﹂ これが、神話の時代より現代まで封じられていたデルピュネの真の 姿であった。 ﹂ 随分と広く大きな洞窟だ、 ﹁まだ息があるな。ここがどこか、お前の正体は、何て事はどうでもい い。答えろ。セラフィナはどこにいる 先が見通せない程に深いが⋮⋮ここから更に奥か 膝をつきデルピュネの肩に手を伸ばす。 ﹁⋮⋮何 ﹁⋮⋮お⋮⋮れ、ゆ⋮⋮るさ⋮⋮﹂ 荒々しい姿を見せていた者かと、海斗はその不気味さに息を飲む。 まるで枯れ枝のようなその軽さに、これが本当に先程まであれ程 ? ? 海斗の事を認識しているのか、それとも既に正気を失っているの ﹁⋮⋮若⋮⋮を⋮⋮﹂ ? か。 デルピュネの口から洩れる言葉は酷く断片的で一向に要領を得な い。 時間の無駄か、と海斗が諦めて立ち上がろうとしたその時、死に体 であった筈のデルピュネの身体が大きく動いた。何かを掴もうとす ﹂ る様にその手を伸ばす。 ﹁││ッ 半ば反射的に拳を握った海斗であったが、デルピュネの目は海斗の 姿を映してはいない。伸ばされた手も何もない宙へと向けられてい た。 ﹁口惜しや││﹂ ﹂ 口から血を吐き出しながら、怨嗟に、呪いに満ちた声でデルピュネ が叫んだ。 ﹁││ドルバルッ ﹂ そして││ ﹁ガハッ ﹁⋮⋮ドルバル 何の事だ ﹂ 程なくしてその身体が灰と化して崩れていく。 その動きを止めた。 大きく咳込み吐しゃ物を巻き散らすと、伸ばした腕を地に落とし、 !! ? ﹁││ それにしては何の変化も⋮⋮﹂ この感じは⋮⋮あの奥からかすかに⋮⋮小宇宙を感じた﹂ 気にはなったが、その事を海斗がこれ以上考える事はなかった。 ﹁何かの合図か 呪いの言葉を向けられる、であるならばまだ分るのだが。 かった。 意味は分らなかったが、少なくとも自分に向けられた言葉ではな ? ? 隠し通路ってわけでもなさそうだな。それなりにでかい そこからも奥へと続く通路の様な物が見える。 ﹁坑道か ころか﹂ 洞穴だが、あの巨人どもが複数で動くには狭すぎて廃れた道、ってと ? 253 !? ! 海斗の視線の先には先程の戦闘の影響か岩肌が崩れた場所があり、 !? 岩肌が淡く発光している事もあり、視界に関しての問題はなさそう だった。 どれ程の距離を進んだのか。 数キロか、それとも数十キロか。 どれ程の時間を歩いたのか。 数時間か、それとも数分でしかないのか。 流れる汗をぬぐいながら、代わり映えのしない洞窟内を延々と歩き 続ける。 進む程に増す暑さと、奥から感じ取れる小宇宙だけが海斗に前に進 めている事を実感させていた。 ﹂ ﹁こ の 臭 い は ⋮⋮ や は り 硫 黄 か。そ れ に こ の 暑 さ ⋮⋮。探 索 中 に 噴 火、って事だけは勘弁してもらいたい⋮⋮っと 時折、洞窟内が震えては天井からパラパラと石片が降り注ぐ。欠片 の様な物から人一人分はあろうかという大きさの物まで様々だ。 邪魔になる大きさの物は打ち砕き、周囲の様子に気を配りながら歩 みを進める。そうして、やがて大きく開けた場所へと辿り着く。 ﹁⋮⋮火山洞に地底湖かよ﹂ 周 囲 の 熱 気 と は 正 反 対 の 涼 を 感 じ さ せ る 巨 大 な 地 底 湖 が そ こ に あった。 ザバンと大きな音が鳴り響き、湖面に巨大な波紋が浮かぶ。 ﹂ 天井から崩れ落ちた破片が大小様々な波紋を生みだしている。 ﹁⋮⋮あれは〝門〟か 丸みを帯びた洞窟の中で、その穴の周囲だけが〝切り取られたかの 様に〟四角い形状をしていた。 小宇宙はその闇の奥から感じ取れる。 ﹁あの奥か﹂ ﹃││そうだ、あの奥に我らが王のおわすパレスがある﹄ 歩みを進めた海斗の脳裏に響く声。 254 ! 舞い散る水飛沫の向こうにぽっかりと空いた黒い穴。 ? ﹂ ぞくりと、背筋に冷たいものを感じて海斗はその場から跳んだ。 ﹁〝アクスクラックス〟 わった。 ゲホッ、ぐっ⋮⋮ !? 共に地底湖へと叩き付けられていた。 ﹁∼∼ッブ││ハッ ﹂ ビュオウと風を切り裂く音が聞こえた時には、海斗の身体は衝撃と ﹁ッ⋮⋮ ﹂ 熱波が海斗の背中に纏わり付き、次いで圧しかかるような圧力が加 !! ﹁キマイラ、だと 神話の化物か。⋮⋮づぅ ﹂ ﹁オレの名はキマイラ。〝合成獣〟のキマイラ﹂ いる。 山羊の顔を模した盾を左手に持ち、赤黒い輝きを放つ金剛衣を纏って 灼熱の炎を纏った大蛇にも似た剣を右手に、悪魔の頭部を思わせる それは、蝙蝠の様な翼を広げたギガスであった。 すると、先程まで立っていた場所に奇妙な影があった。 らも海斗は敵の姿を探す。 幸いにも地底湖の水深はそれほど深くなく、腰まで水に浸かりなが ! !? アが額から弾け飛ぶ。 どこに││ぐあっ 重圧により聖衣が軋みを上げ、衝撃に耐え切れずに聖衣のヘッドギ 完全なる不可視の一撃。 き飛ばされる。 意識の外から叩きつけられた衝撃に、成す術もなく海斗の身体が吹 !! 地底湖にキマイラとは違う声が響いた。 ﹁コイツだけじゃない ﹂ ﹃││だが、それを知ったところで無駄な事﹄ を受けたのだと理解する。 から滴る赤い雫。海斗は聖衣が切り裂かれた事を、その剣による斬撃 振り切られたように構えられたキマイラの右手、そこに握られた剣 水面には背中の方から赤い色が広がっていた。 背中から感じる灼熱の痛みに思わず苦痛の声を上げる。 ? それまで一切の音も気配も感じさせず。 !? 255 !! ││ッ、だが、この程度﹂ 海斗の身体は再び地底湖へと叩き付けられていた。 ﹁がはっ 気管に入った水を吐き出しつつも、追撃に備えて直ぐさま身構え る。 キマイラの対面、海斗からすれば正面にそのギガスは立っていた。 頭部、胸部、両手足。その全てが魔竜の頭部を模した漆黒の金剛衣 を身に纏っている。 その輝きは闇夜に流れる雲のように黒と白が流動していた。 ﹁吾は〝百頭龍〟のラドン﹂ ﹁⋮⋮キマイラにラドンだと また神話の化物か。それも龍、だと ⋮⋮﹂ ﹁何度も、何度も⋮⋮いい加減に││﹂ 新たな声が響く。この声もまた、キマイラともラドンとも違う。 ﹃││あの娘と共に、お前はここで王の贄となる﹄ ? 上か ﹂ 身構える海斗の頭上から闇が落ちた。 ﹁ッ !! 天井から、巨大な顎を開いた三つ首の魔獣が海斗目掛けて迫る。 地底湖に凄まじい水飛沫が上がり、まるで爆発でも起こったかのよ うな轟音が鳴り響き、洞窟内が振動する。 ﹂ 天井からは大小無数の欠片が地底湖へと降り注ぎ、音と飛沫が地底 湖を蹂躙する。 ﹁オレの名はオルトロス。〝魔双犬〟のオルトロスよ ! を纏ったギガスであった。青い輝きは暗く濁っている。 ﹂ ﹁忌々しい封印の地なれども、もはやここは我らギガスの領域 配を消し去る事など造作もない 気 魔獣が名乗りを上げる。両肩に獰猛な魔犬の頭部を模した金剛衣 地底湖から飛沫を撒き散らしながら魔獣が飛び出す。 ! 顎を開き獲物を睨み付ける。魔獣の顔を思わせるその兜の存在も !! 我らがいる限り、お前のような虫けらがあの門をくぐる あって、オルトロスの姿は三つ首の魔獣にしか見えない。 ﹁そして ! 256 !! 闇の正体は巨大な影。 !? 事など叶わぬと思い知れ ﹂ ﹃││上等だ﹄ ﹁ぬぅッ き放った。 が現れる。 ﹂ ! ﹂ 交差は一瞬。 ﹁ぐうっ ﹁むおおおおお ﹂ て、左右から海斗の身体を喰い千切ろうと襲い掛かる。 魔獣は巨大な顎を開き、涎にまみれた鋭い牙と口腔を剥き出しにし ﹁〝サフィロス・エネドラー〟 ﹂ オルトロスの交差された両手から獰猛な唸りを上げた二頭の魔犬 ロスへと。 放たれた蹴りは、夜空に流れる流星のように光の尾を引いてオルト ﹁〝レイジングブースト〟 ﹂ 互いの視線が真っ向からぶつかり、その刹那、互いに必殺の技を解 と右脚に小宇宙を集中する。 オルトロスは両手を広げ、海斗は空中にあって器用に体勢を変える 仕掛けるのは海斗、迎え撃つのはオルトロス。 先程とは真逆の状況。 ﹁││全員纏めて叩き潰す﹂ ていた海斗がいた。 オルトロスが天井へと視線を向ければ、そこには一瞬の内に跳躍し ! !! オレを後退させるの ? 流れている。 いた。聖衣の左肩と右脚には亀裂が走り、右脚からは少なくない血が オルトロスの視線の先では、海斗がゆっくりと立ち上がろうとして が精一杯か﹂ ﹁く、くくっ。多少はやるようだが、非力だな しかし、先に体勢を立て直したのは││オルトロス。 再び地底湖に轟音と巨大な水飛沫が巻き上がる。 弾かれるように吹き飛ぶ海斗とオルトロス。 !? 257 ! ! 小 無傷の己と負傷した海斗。自然とオルトロスの言葉には嘲りが、眼 ﹂ 差しには侮蔑が込められていた。 ﹁⋮⋮そうかな ﹁虚勢を張るな。お前がデルピュネと戦った事は知っているぞ ﹂ ? ﹁何者だ 思 っ ち ゃ い な い さ。思 う な ん て 思 考 は、意 識 は い ら な い。 ﹂ ﹁お前も││聖闘士か ﹂ 澄んだ音色と共に、力ある声が、ギガスの動きを止める。 洞窟内に響き渡るフルートの音色。 しよう ││手負いの相手が不満であると言うのならば、わたし達が相手を る。 僅かな動きも見逃すまいと、対峙する者達の間の空気が張り詰め まさに一色即発。 キマイラもまた剣と楯を構える。 がオルトロスの一歩前に進んだ。 海斗の身体から立ち昇る小宇宙に衰えがない事を感じ取り、ラドン するつもりはないのだから。 長期戦は無理だろうと判断するが、問題はない。元より長期戦など 背中の傷も無視出来ない。 ダメージはある。想像していたよりも右脚の裂傷が酷い。 えはない。 額から流れ落ちる血を拭いながら、しかし、海斗の闘志に一切の衰 決定事項なんだよ﹂ ﹁思 う ラドンもまた無言のままに並び立つ。 そう言ってキマイラがオルトロスの横に立つ。 将を相手に出来ると本気で思っているのか 宇宙を消耗し、今またこうして手傷を負ったその身で、オレたち三獣 ? ? キマイラとラドンの問いに応えるように、洞窟の奥から人影が二つ ? ! 258 ? 現れる。 ﹁違う。わたし達は││聖闘士ではない﹂ ジェネラル 海 魔 女 それは黄金聖衣とは質の異なる黄金の輝きを放つ鎧を身に纏った マ リー ナ 闘士であった。 ﹁│││海闘士だ。海闘士の海将軍〝セイレーン〟のソレント﹂ 口元から金色のフルートを離し、ソレントが名乗る。 地中海に於いて、その美しい歌声で船人たちを誘い喰らったとされ る神話の魔物セイレーン。 ﹁同じく、海将軍〝クリュサオル〟のクリシュナ﹂ 海皇ポセイドンの子であるクリュサオル。その名には、黄金の槍を 持つ者という意味を持つ。 ソレントに続いて名乗ったのは黄金の鎧を身に纏い、黄金の槍を 持った浅黒い肌の男であった。 259 ﹁⋮⋮海闘士、それも海将軍が二人だと⋮⋮﹂ 海斗の驚愕は、新たなる侵入者に驚きを隠せないキマイラ達ギガス の比ではない。 キマイラ達へと向けた構えを崩す事なく、海斗はちらりと背後に現 れた海将軍たちの様子を窺った。 先の言葉を額面通りに受け取るならば援軍と呼べる。しかし、本来 聖闘士と海闘士は敵同士であり、自分はシードラゴン││カノンと一 戦を交えた身。 真意を計りかねない以上、油断など出来るはずもない。 ソレントとクリシュナが一歩一歩近付いて来る。 ︶ 背後に感じる二人の巨大な小宇宙に海斗の緊張がいやにも高まる。 ︵││来るか 場である事も忘れて呆けてしまう。 そして、次いでソレントの口から出た言葉に、海斗は一瞬ここが戦 ﹁行きたまえエクレウス﹂ 通り過ぎた。 海斗が意識を切り替えようとしたその時、スッと二人は海斗の横を ? ﹁⋮⋮な、に ﹂ ﹁ギガスは││﹂ そんな海斗の様子を気に留める事なく、手にした黄金の槍を振りか ざしてクリシュナが口を開く。その切っ先はギガス達へと向けられ ている。 ﹁ギ ガ ス は 我 ら が 神 ポ セ イ ド ン 様 に と っ て も 討 ち 滅 ぼ さ ね ば な ら ぬ ﹂ 敵。アテナの聖闘士、邪魔をすると言うのならばお前が手負いの身で あってもこのクリシュナ容赦はせん﹂ ﹁⋮⋮いや、お前たち、自分の言っている事が分っているのか ﹁⋮⋮ソレントにクリシュナと言ったか。借りができたな。お互いの 実。 海闘士の真意を測りかねる海斗であったが、時間が惜しいのは事 今、我々が優先すべきは││ギガスの排除と認識している﹂ ﹁シードラゴンは手出し無用と言ったが、捨て置くわけにはいかない。 る。 そう言ってソレントは手にしたフルートをギガス達へと突き付け い﹂ かし、今はまだその時ではない。それに、私自身無益な戦いは望まな アテナとポセイドンの意志が相容れぬ以上、それは決定された事。し ﹁心配せずとも⋮⋮時が来れば我々海闘士と聖闘士は戦う事になる。 ? 立場上、返せるとは確約しかねるが⋮⋮覚えておくさ。俺の名は海斗 だ﹂ そう言って自ら名乗り││ ﹁行かせてもらう﹂ 行かせんぞ ﹂ 海斗は門へと向かい駆け出した。 ﹁むぅ ! シュナが立ち塞がる。 ラドンの前にはソレントが立ち、その行く手を阻む。 海斗の姿が門の奥へと消えた事を確認すると、キマイラがチッと舌 打ちをして標的を目の前の海闘士へと切り替えた。 260 ? その動きを察知したキマイラが飛び出そうとするが、その前にクリ !? ﹁吾の邪魔をするか。よかろう。聖闘士も海闘士もこの大地に生きる ﹂ 人間。我らの敵である事に変わりない。しかし、この状況、三対二と いう事を理解しているのか フフッ、違うな﹂ ﹁三体二 ? ││オルトロスッ ﹂ !! 最深部。 太陽の、光が届かぬ地の底にあって、妖しい光に灯されたパレスの 眠れ﹂ 再び冥府の底へと送り返そう。この一時を魂に刻み込み││永劫に ﹁さあ、始めよう。そして終わらせよう。ギガスよ、お前達のその魂、 クリシュナも手にした黄金の槍を構え直してキマイラと対峙する。 た。 内心に浮かぶその想いを押し止め、ソレントはラドンへと向き直っ に会う時は同胞として会いたいものだが⋮⋮︶ れ程までに危険視した理由が分る。恐るべき聖闘士。だからこそ、次 ︵なるほど。こうして実際に見た事で理解出来た。シードラゴンがあ は既に破壊されていたのだ﹂ ﹁鋭過ぎる一撃は、斬られた事すら気付かせぬと言うが。あのギガス 湖へとその身を沈めた。 悲鳴すら上げる事なく、全身から血を吹き出してオルトロスは地底 く間に四散する。 視線の先ではオルトロスの纏った金剛衣に無数の亀裂が奔り││瞬 ソレントが告げる言葉の正しさを証明するように、ラドンの向けた ガスが繰り出した技は相打ちではない﹂ ﹁二対二だ。どうやら気付いてはいなかったか。エクレウスとあのギ その耳に、キマイラの驚愕に満ちた声が聞こえた。 ﹁∼∼ッ ソレントの言葉に訝しむラドン。 ﹂ ﹁何だと ? 円形に形取られたその広間はまるで古代の闘技場を思わせる。 261 ? !? その闘技場の、例えるならば支配者の座す場所。 全てが見渡せるその場所に││王がいた。 巨大な岩石をそのまま加工して創り上げた玉座。形容するならば そうなる。 そこに腰掛けるのは煌びやかな装飾が施された外套を纏ったギガ スの王ポルピュリオン。 外套越しにも分る屈強な体躯。ぎょろりと見開かれた瞳、炎のよう に逆立った髪、無造作に蓄えられた髭。 その容貌は、伝承に伝えられる巨人族そのものであった。 ﹁ふむ。アルキュオネウスが敗れデルピュネも逝ったか。僅かの間に 随分と多くの鼠が紛れ込んだものよ﹂ そう言って、ポルピュリオンは手にしたグラスを傾ける。 透き通る程に磨かれたグラスにはポルピュリオンの側に立つ人影 が映り込んでいた。 262 ﹁これはまた異な事を仰られたものだ。紛れ込むもなにも、元より迎 え入れるつもりであったのでしょうに﹂ ポルピュリオンの横に控えていた純白の外套を身に纏った男が、グ ラスに紅い液体を注ぎ入れる。 それは穏やかな物腰と、僅かな動きにすら優雅さを感じさせる美し い男であった。 細身の身体、真っ直ぐで長い黒髪、色白にも見える肌は隣に座るポ ルピュリオンとの対比もあり、あまりにもギガスらしからぬ存在であ る。 ﹁フッ。聡いな、お前は﹂ ﹁││では、そろそろわたしが出向きましょう﹂ ﹂ ﹁随分と楽しそうではないかトアス﹂ ﹁⋮⋮分りますか ﹁そうか。そうであったな﹂ と戦ったアテナの聖闘士がそう言っていたではありませんか﹂ ﹁構いませんよ。﹃聖衣の優劣が強さの全てではない﹄と、かつて我等 ﹁分らいでか。だが、どうやら相手は黄金聖闘士ではないぞ﹂ ? ﹁何を身に纏おうとも強者は強者。それに、この千年、わたしが焦がれ た相手でもあります﹂ トアスは手にした水差しをテーブルに置き、柔らかな笑みを浮かべ ながらそう言うと、ポルピュリオンの前へと進む。 その場に片膝をつき、頭を下げて告げた。 ﹁全ては││我らが〝王〟の御心のままに﹂ ﹁期待しているぞ〝迅雷〟のトアス。我が右手。最強の神将よ﹂ ﹁ハッ﹂ 外套を翻して立ち上がるトアス。 その身に纏われた金剛衣が露わになる。まるで孔雀の羽根を思わ せる様な優雅な装飾が施され、曲線を多用されたそのフォルムは聖衣 に近い。 ポルピュリオンに恭しく一礼したトアスは踵を返して歩き始める。 己が待ち焦がれた戦場へと。 頬杖をつきながら、去り行くトアスをしばし眺めていたポルピュリ オン。 そうして暫く、その背中が見えなくなったところでゆっくりと口を 開いた。 ﹁そう、実に多くの鼠が紛れ込んだ。それは聖闘士や海闘士の事だけ ではない。お前の事でもある。なあ││ドルバルよ﹂ ﹁⋮⋮これはこれは﹂ 玉座の背後からゆらりと影が蠢き実体を伴う闇となった。 闇は、ぼろ布の様なローブで全身を包み込んだ男であった。 目深にかぶったフードによってその容貌を窺い知る事は出来ない。 ただ、僅かに窺える口元には笑みを浮かべている。 ドルバル││それがこの男の名であった。 ﹁上手くデルピュネを唆したものだ﹂ ﹁肉体と魂を切り離されて冥府へと封じられた貴方がたとは違ったの です。デルピュネが封じられたのは魂のみであり、その肉体は時の流 れと共に無残にも老いていた。女としては⋮⋮耐えられなかったの 263 でしょうな﹂ ﹁老い、か。若さに執着する、その感覚は我には分らんな。それにして もソーマにアンブロジア等と、よくも言ったものだ﹂ おかげで我らギガスと聖闘士は消耗したぞ 我 クククッと喉を鳴らして笑うポルピュリオン。 ﹁目論見通りか らを討つなら今が好機だ﹂ 可笑しそうに、愉しそうに笑う。 ﹁喰えん男よな。フッ、アスガルドだけでは満足出来ぬか﹂ ﹁⋮⋮さて﹂ ドルバルはそれ以上を語らない。 口元に笑みを浮かべたまま、じっとその場に立つのみ。 いた。 ゴッドウォリアー 鎖によって拘束されたセラフィナが、一糸纏わぬ姿で括り付けられて そこには岩で造られた祭壇があり、まるで咎人の様に手足を漆黒の くりと歩を進める。 様子もなく、ポルピュリオンが闘技場の中央││広間へと向かいゆっ 投げ捨てられたグラスが音を立てて砕け散ったが、それを気にした 玉座から立ち上がる。 そう呟いたポルピュリオンは、グラスに残った紅い雫を飲み干して ﹁フン。我ら、か。我が、の間違いであろうに﹂ ルの気配が消えた。 その言葉を最後に、ポルピュリオンの背後から、この間からドルバ 手致しましょう﹂ ﹁結構。その時には⋮⋮〝我ら〟アスガルドの神 闘 士が存分にお相 ル﹂ の全ては討ち滅ぼすべき敵よ。その事を、ゆめゆめ忘れるなドルバ だが、覚えておくがよい。我らギガスにとってこの地上の我ら以外 言われずとも戦おう。 え、それを解いた事には感謝しよう。その礼に戦えと望むのであれば ﹁アテナに施された我らの封印。時を経て効力が弱まっていたとはい ? 意識はない。しかし、微かに上下する胸がセラフィナの生を伝えて 264 ? いる。 それを一瞥すると、ポルピュリオンはその視線を祭壇の下の血溜ま りに、そこに倒れる少女││エキドナへと向けた。 金剛衣は無残に砕け、仮面は真っ二つに割れて転がっていた。 海斗の想像していた通り、デルピュネとは異なりエキドナは人間で あった。仮面の下にあった素顔は東洋人風の少女のもの。 しかし、美しいと形容出来たその素顔も今は血に赤く染まってい る。 ポルピュリオンは無言のままエキドナの左腕を掴み上げると、真紅 のルビーが填められた腕輪を力任せに引き剥がした。 ﹁う⋮⋮あっ⋮⋮﹂ その痛みで意識が戻ったのか、エキドナの口から苦悶の声が上がっ たがポルピュリオンは意に介さず、そのままエキドナであった少女の 身体を投げ捨てる。 ﹁あ、がっ﹂ 祭壇に叩き付けられた少女は、セラフィナの身体に覆い被さるよう にして力無く崩れ落ちた。 ﹁聖闘士の資質を持った者をエキドナの器とした。それは良い。しか し、その者にこのルビーを与えていたとは。ドルバルめ、下らぬ事を 考える﹂ エキドナは││その名を与えられたのは人間の少女であった。 ドルバルによって偽りの記憶を与えられた少女は己をギガスと信 じて行動していた。 綻びはジャミールの地で生じ、そして、幸か不幸かこの場で少女は アテナの聖闘士として覚醒を果たした。 聖闘士とギガス。両者が対峙して行われる事は一つしかない。 ﹁⋮⋮無謀にも我に挑んで見せた蛮勇は好ましいが、如何せん実力が 伴わぬ。聖衣の無い聖闘士に何が出来るものか。いや、コレすらもド ルバルの仕込みか﹂ そこでふと、ポルピュリオンは彼らしからぬ愚にもつかぬ事を考え た。 265 ﹁神話の時代、我と対峙した聖闘士が言っていたな。聖闘士はその魂 に星座の定めを刻み込んでいる、と。セイカと言ったか。この娘の定 めがこうして傀儡と化した果てで朽ちる事であるならば││哀れよ な﹂ 手にした腕輪から真紅のルビーを外したポルピュリオンは、それを セラフィナの胸へと押し当てた。 途端にルビーから赤い闇││そうとしか形容の出来ない何かが溢 れ出し、セラフィナの周囲を覆い尽くすように広がり始める。 ﹁ク、クククッ。フハハハハハハハハ││﹂ 赤い闇が、セラフィナだけではなく、倒れた少女や哄笑を上げるポ ルピュリオンにも迫る。 ﹁いま暫くの御辛抱を。間もなく全ての準備が整います﹂ 全てが赤い闇に呑み込まれる中、ポルピュリオンの声だけが広間に 響き渡った。 ﹂ 266 ﹁全ては我らが││〝王〟のために ! 第18話 望むはただ千年の決着を の巻 洞内を照らしていた淡い光が失われ、しばらく続いた闇が、やがて 赤みを帯び始める。 それは赤黒く煮え滾る熔岩の色。洞窟内がその炎によって照らさ れ、染められた色だ。 地下深く、火口をぐるりと囲むように螺旋を描いた││通路と呼ぶ のも躊躇われるような道を抜ける。 行く手を阻むのは、百の蛇の頭と何本もの手足を持った魔獣、そう としか形容のできない意匠を施された巨大な青銅の扉。 そこから先は彼らの王││ギガスの神の意志が支配する聖域。 現世と神域、その狭間である扉の前で激しくぶつかり合う二つの小 宇宙。 人の目では捉えきれない速度で交差する二つの輝き。 輝きは幾重にも重なり合った光の軌跡となる。 軌跡の中で踊るのは二つの人影。 ﹁⋮⋮これで三度目。私の〝スティグマ〟が君を捉えた回数だ﹂ 呟かれる声の主は神将〝迅雷の〟トアス。彼は穏やかさを秘めた 君は確かに速い、まさしく神速だ。それでも 眼差しのまま、落ち着いた様子で続ける。 ﹁これで分ったかな トアスの右手が掻き消え、彼と対峙していた影がその場から姿を消 した。 洞内にゴッという音が響き、天井が崩れ落ちる。 大小無数、大量の岩盤によってうず高く積み上げられたその場所 に、遅れて一つの岩が突き刺さった。長方形のそれはまるで墓標で あった。 ﹁確かに速い││だが、軽い。その程度の重さじゃあ⋮⋮﹂ 声と共に、墓標の下から黄金の輝きが溢れ出す。溢れ出た光が集束 し、洞内を貫く柱となって起立した。 267 ! ⋮⋮私の方が速い。私の二つ名を教えよう、〝迅雷〟だ﹂ ? 光に押し上げられる様にして岩が、土砂が舞い上がる。 ﹁││俺の命には届かない﹂ 光の中から現れたのは海斗。その身に纏うエクレウスの聖衣は白 ではなく、今は黄金の輝きを放っている。 ﹁ようやく実感できた、これがムウの仕込みか。新生したこの聖衣は、 俺の小宇宙の高まりに応じて強度を遥かに高めている。お前の拳│ こ の 状 態 │〝スティグマ〟だったか 確かに速く鋭い一撃だった。以前の ままの聖衣では、いや、新生した聖衣であっても〝黄金化〟でなけれ ば一撃ですら耐え切れなかった。俺の意思が、小宇宙の炎が消えない 限り、今のこの聖衣を貫く事は出来ん﹂ 海斗の言葉を証明するように、黄金の輝きを放つ聖衣には胸部と左 肩、右脚に破損こそ有ったが、トアスによって与えられた傷は無い。 ﹁そして││﹂ 海斗が僅かに腰を落とし、左右へと広げた両手がゆっくりとエクレ ウスの星座の軌跡を描く。 アルファからベータ、ガンマ、そしてイオタ。四つの星からなる縦 に長い台形。それがエクレウスの軌跡。 それを見て、トアスの表情が変化した。 一瞬であったが、そこに浮かんだのは驚愕と歓喜。 ﹁そして、お前の速度にも慣れてきた。〝スティグマ〟の正体は拳大 の無数の拳撃の中に紛れ込んだ針の様なか細い一撃だ。小宇宙を針 のように細く鋭く集束したもの。似た様な技を使う聖闘士の話を聞 いた事がある。確かに速いが││次は捉える﹂ 高まり続ける海斗の小宇宙は天駆けるエクレウスの姿を浮かび上 がらせる。 ﹁⋮⋮君の容姿と纏うその聖衣。わたしの記憶とは異なっていたので ね、こうして目の当たりにするまで半信半疑だった。だが、その構え、 その眼差し、その小宇宙が生み出したオーラをわたしは││知ってい る。やはり、君は〝そう〟だったのだな。これから君が繰り出す技を ﹂ 当てて見せよう。その体勢から放たれる技は〝エクレウス〟の必殺 拳、小宇宙の生み出す流星〝エンドセンテンス〟だ ! 268 ? 一分の隙も見逃すまいと、目の前の敵に意識を集中していた海斗で あったが、初見の相手にこの地ではまだ見せた事のない技を言い当て られた事は少なくはない動揺となり、僅かな焦りをトアスに伝える。 久しいな、とでも言うべきかなエクレウス││いや ﹁フフフッ。まさか、な。千年の時を経て、こうして再び相見える事が できようとは キタルファ ﹂ 決着を 運命がわたし達にあの時の決着を着けろ と言っているのだ ! ば、今のトアスは業火であった。 だが、わたしにとっては〝そうだ〟 ﹁そんな都合は││知った事かッ ﹂ ﹁君にとってはそうだろうさ という事なのだ ﹂ 志。トアスのこれまでが、例えるならば陽光であったとしよう。なら 穏やかな雰囲気を一変させ、今のトアスが纏うのは修羅の如き闘 トアスの言葉には闘争心を剥き出しにした激しさが、熱があった。 !! ! 海斗と同じものであった。 構えが同じだろうと││〝エンドセンテンス〟 その事実に、今度は海斗の表情が変わる。 ﹁ッ、だが 〟 ﹂ ﹂ ﹁これが我が迅雷のトアス最大の拳││〝アヴェンジャー・ショット ! 自身に迫る光弾を前にしてトアスは構える。奇しくも、その構えは !! !! 差する。 せめぎ合うのは打倒の、破壊の意思。 ﹁これはッ、こいつは同質の││いや、同じ技だと ﹂ ﹂ ﹁言ったはずだ、わたしはその技を〝知っている〟と る。 ﹁そう、今の君には分らない事だ わたしは、いやわたし達ギガスは目覚めたのだ。今、この時の様に 閃光の生み出す光の軌跡の中を駆け抜ける海斗とトアス。 ﹂ ならば教えてあげよう。千年前、 海斗とトアスの横を、互いに相殺しきれなかった光弾が、閃光が奔 ! !? ﹁そして王の、ギガスの神復活の目前まで事を進めたわたし達を阻ん ! ! 269 ! !! ! お互いの突き出した拳から放たれる光弾がぶつかり合い、閃光が交 ! だのは二人の聖闘士だったッ ﹂ 光の乱舞は二人が互いの拳をぶつけ合い、額を突き合わせられる程 までに接近した事で終わりを見せる。 ﹁今でもあの時の事を覚えている。そう、一人はエクレウスの聖闘士 だ。今の君よりもう少し年を経ていた。髪の色も瞳の色も違ってい たが、しかし、身に纏った聖衣は今の君と同じく黄金の輝きを放って いたよ。そして、もう一人。その師と名乗ったジェミニの黄金聖闘士 だった﹂ 記憶を語るトアスの表情は一変して穏やかであった。 しかし、痩身の優男のように見えてもその本質はギガスという事 か。 その外見からは信じられない程の圧力が、拳を伝わり海斗へと圧し かかる。 こうし ﹁これは運命だとわたしは感じている。あの時、ジェミニによって邪 魔をされたわたし達の戦い。迎える事のなかった決着を ﹂ その場から身を翻したトアスと、蹴りの勢いのまま空中で身体を反 しかし、状況を変化させるだけの効果はあった。 本家の技に及ぶはずもない。 とはいえ、所詮は一度見ただけ、見様見真似の言わば紛い物であり、 すカウンター││〝ジャンピングストーン〟の変形であった。 それは力の流れに逆らわず、その勢いに自身の力を加えて相手に返 線を刻みつける。 回避すべく腰をひねり、上半身を逸らせたトアスの頬に一筋の赤い れる海斗の蹴り。 崩れた体勢を立て直す間も無く、真下から突き上げる様に繰り出さ かかった抵抗を失った事でトアスの身体がずいと前方へと沈み込む。 知った事か、と。呟いた海斗の身体からストンと力が抜かれ、拳に ﹁⋮⋮お前が、俺を通して何を、誰を見ているのかは分るが││﹂ て再びエクレウス││君と相見える事ができたのだから ! !! 転させて着地した海斗との間には僅かな距離が生まれていた。 近過ぎず、遠過ぎず。 270 !! それは互いの必殺拳の間合い。 だからこそ さあ、あの時の決着を着けよ ﹁たまらないな。君には自覚があるのだな、かつてそうだったという 自覚が。ならばこそ ﹂ !! ﹁〝エンドセンテンス〟 ﹂ ﹁〝アヴェンジャー・ショット〟 ﹂ 光に弾かれた両者が身構え││放つ。 角。 威力は互角、精度も互角、速度も互角、放たれる拳の数も全てが互 手刀が、貫手が、蹴りが。 拳が、肘が、膝が、爪先が。 閃光の中で繰り広げられるのは無数の拳撃の応酬であった。 この時の海斗とトアスの状況はまさにそれであった。 葉である。 膠着したまま千日経っても決着が着かない状況に陥る事を表した言 実力の伯仲した黄金聖闘士同士が戦った際、互いに一歩も動けず、 〝 千 日 戦 争 〟という言葉がある。 ワンサウザンドウォーズ でいい。邪魔をする奴は倒すだけだ﹂ もいい。セラフィナを連れて帰る。今の俺にはそれだけだ、それだけ ﹁⋮⋮余計な雑音はいらない。俺が誰であり、何か、なんて事もどうで ば、わたしにとっては何の問題もないッ う エ ク レ ウ ス。千 年 前 の 君 は 強 か っ た。そ し て 今 の 君 も 強 い。な ら !! ﹂ ﹂ !! !! 力に満ちた巨大な繭となって具現化する。 に取り込み続ける。雫は瞬く間に巨大な渦となり、渦はやがて破壊の 雫の一つ、その程度の大きさであった渦は、周囲に溢れた力を貪欲 二人の間に小さな渦を生み出したのだ。 繰り出される拳撃のあまりの数に、行き場をなくした力の余波が、 変化はその直後に起きた。 ﹁あぁああああああああああっ ﹁うぅおおおおおおおおおおっ 今度はお互いに万全の体勢から全力で放たれた。 同質の技であるエンドセンテンスとアヴェンジャー・ショット。 !! !! 271 ! それは言わば爆弾であった。互いの力を集束し、生成された爆弾で ある。 成長を続ける爆弾は、両者の拮抗が崩れた時、つまりは敗者に対し 全てにおいて互角か それでこそ てその全てを解き放つ事となる│。 ﹁フ、フフフ。ハハハハハッ エクレウス、私が認めた││人間だ﹂ ﹁君の言った通りだ。わたしの拳は確かに君の聖衣を貫く事は出来な つ。 海斗の身体に聖衣を越して淡い光点が浮かび上がる。その数は三 ﹁既に君の肉体にはわたしの与えた聖痕が刻み込まれていたのだ﹂ 口の全てが開き、血を流していた。 海斗の背中から、左肩から、右足から。ここに来るまでに受けた傷 それは生命の色。鮮血の赤。 いる。 光の繭の向こうで何が起こっているのか。トアスはそれを知って ﹁ここに来るまでに万全の態勢であったならば、そうは言うまい﹂ トアスには海斗の表情を窺い知る事は出来ない。 二人の間に生じた光の繭により、こうして向かい合っていながらも 散っている。 憂いさえ帯びたトアスの視線の先。光の繭の向うからは赤い色が 二人の周囲に満ちていた光は既にその色を失っていた。 私の勝ちだ。その言葉をトアスは胸の内に秘めた。 ﹁だが⋮⋮全てにおいて互角であるならば、それは、すなわち││﹂ た。 この瞬間、焦がれた千年の空虚が満たされるのをトアスは感じてい その眼差しは慈愛に満ちてさえいた。 そう告げるトアスの表情が、口調が、穏やかなものになっていた。 !! かった。しかし、私の〝スティグマ〟は身に纏う物の有無を問題とし ないのだ。だからこそ││﹂ スティグマ 海斗の聖衣から黄金の輝きが消えた。 ﹁〝 聖 痕 〟なのだよ﹂ 272 ! そして、三つの光点から鮮血が噴き出した。 ﹁元を辿れば、この技は生贄となった者の血を我らが神に捧げる為の ものであった。繰り返されるその行為の中で、わたしは生物の気脈、 血脈の急所を知り、やがて〝スティグマ〟とした。君に打ち込んだ〝 聖痕〟は君の血を奪い、五感を奪い、緩やかに君の命を奪う﹂ 事ここに至り、両者の拮抗は完全に崩れた。 天秤の傾きに従って、光の繭がその力の全てを解き放とうと、敗者 へと向かいゆっくりと進む。 ﹁しかし、この状況ではそれもかなうまい。五感が衰えた事で己の死 を、死の間際の苦痛を感じぬ事がせめてもの救いか﹂ ぷつりと、糸の切れた人形の様に赤に染まった海斗の身体が膝から 崩れる。 だが、完全にではない。肩膝をつきながらも拳を突き出し、堪えて いた。 ﹁その身体で⋮⋮よく持たせるものだ。しかし、その光球はもはや私 の力でもどうする事も出来はしない﹂ 光の繭が迫る。 突き出された海斗の両手からピシリと音が鳴った。亀裂の音だ。 ﹁君はよくやった。間違いなく強者であったよ。静かに敗北を、死を 受け入れたまえ﹂ 聖衣の腕部に無数の亀裂が生じていた。 それは腕から始まり肩、胸、腰、脚部と全身へと広がっていく。 海斗の身体は光球に触れてはいない。 余波だ。 炎に手を近付ければ熱を感じる様に。 光の繭が放つ破壊の力、その余波ですらが、身に纏う聖衣の耐久値 を超えていた。 光が海斗の身体を包み込む。 その瞬間、海斗がどのような表情を浮かべていたのかをトアスは知 らない。 トアスは背を向けていた。 273 それが情と言わんばかりに。 ﹁千年の決着だ。さらばエクレウス﹂ まあどうでもいい 閃光がトアスの背を照らし、洞内に長い影を落とした。 第18話 少し昔話をしようじゃあないか。 これは、俺が先代から、いや先々代だったか やな、兎にも角にも聞いた話さ。伝聞ってやつだな。 数十年ぐらいの誤 実際に俺が見聞きした訳じゃないからホントかどうかは知らない よ それは今より千年の昔。 って、ぴったり千年ってわけじゃないんだぜ 差はあるだろうねェ。 人の暦の十年なんてクソみたいなモン まあ、キリが良いから千年って事にしとこうや。お高くとまったカ ミサマ方々からすればな だろうしなァ。 備えていた。ま、仲は悪かったみたいだがな。 ? そして、遂に訪れた冥王との聖戦だ。 その戦いに名を連ねた聖闘士は六十八、いや六十九人 何にせ 兄弟は互いに切磋琢磨し、お互いを高め合いながら来るべき聖戦に ウスの聖衣を身に纏い、誰よりも速く戦場へと駆けていた。 才能においてはその兄に勝るとも劣らないと言われた弟は、エクレ テナの傍らに。 さて、仁智勇を兼ね備えた兄はペガサスの聖闘士として常に女神ア るよ。 お兄ちゃんの話はアレだ、機会があればまた今度じっくりとしてや とある聖闘士の兄弟、その弟クンの話だ。 んで、これから話すのは聖域においてその将来を有望視されていた ? 274 ? ? ? よ、それだけいた聖闘士も戦い終わって数えてみればたったの七人 だ。これが多いのか、少ないのか。 その内の何人が五体満足でいられたのかはご想像にお任せだ。 で、生き残った聖闘士だ。そこにお兄ちゃんの、ペガサスの名は無 かった。 ペガサスは最期の時までアテナの為に戦い、アテナの為に死んだそ うだ。 では、弟クンはどうなったのか お兄ちゃんと同じく聖戦を戦ったワケだが⋮⋮その名は無かった。 聖域の史書にも正史にも││後世伝えられるべき歴史のどこにも記 されてはいなかった。 名前だけじゃないんだな、これが。 〝その時代のエクレウスの聖闘士〟の存在自体が、後世に伝えられ それはな、エクレウス││弟クンがその存在 た歴史書には記されてはいなかったのさ。 ﹁それは何故かって ガントマキア〟なワケだが﹂ 暗闇の中、どこからか現れたのは古びた一つのスポットライト。 光が灯り、照らされたその中に古びた安楽椅子の姿が浮かび上が る。 ﹁知ってたかい ギガスとの戦いをこう呼ぶのさ。ハハハッ、皮肉 ア〟なのさ﹂ 背もたれに手を掛け、ひらりとその椅子に腰掛けたのは黒いタキ シードに身を包んだメフィストフェレス。 彼は椅子に深く腰掛け脚を組む。勢いが強過ぎたのか、被っていた シルクハットが闇の中に落ちそうになったが、それを指先で捕えると そのまま器用にくるくると回し始めた。 ﹁ペガサスとエクレウスの二人は兄弟だったんだが、実はその下には 妹が一人いたんだよ。フェリエって名前のな。三人兄弟だったわけ 275 ? すら赦されぬ程の大罪を犯したからさ。その切欠となったのが〝ギ ? だねえ。そう、つまり今やってる戦いは、紛れもなく〝ギガントマキ ? だな。年の離れたお兄ちゃんとは違い、弟クンとは歳も近く過ごした 時間多かったせいかね、妹ちゃんは弟クンによく懐いていたそうだ。 とても仲の良い兄妹だったらしいねぇ﹂ 麗しの兄妹愛ってやつか、俺そーゆーの好きよ そう言って歯を見せて屈託なく笑うメフィストフェレス。 その表情はまるで幼い子供が見せる無邪気なもの。 そう、子供は無邪気だ。善悪を知らず、何色にも染まってはいない。 何者でもないが故に、禁忌に、悪意というものへの枷もない。 ならば、このメフィストフェレスは何者なのか。 聖人か、それとも││ ﹁そう、らしい、さ。詳しい事を知る者はお兄ちゃんか、弟クンの師匠 であったジェミニ黄金聖闘士││カストルしかいなかった。その二 人が口を閉ざしていた以上、他人が知れた事など微々たるモンだな。 さてさて、いよいよ激化する聖戦の中で誰もが予期せぬ事態が起 こった。オリンポスの神々にとって忌むべき存在、そうギガスの復活 だ。当然、アテナにとっては冥王もギガスもどちらも放ってはおけぬ 大事。すぐにでも戦力を割く必要があった。 しかし、ギガスとの戦い││ギガントマキアは、聖域にとっては聖 戦ではない〝歴史にさえ残す意義の無い〟戦いとされていたのよね、 これがさ。大義なんてありゃあしない。人とギガス、種族としての生 そんな戦いで命を落と 存を駆けた殺し合いにすぎないんだからなァ。 言ってしまえば害虫駆除ってヤツかね 悪 野 垂 れ 死 に と 同 程 度 の 扱 い に な る か も し れ な い。ヒ ド イ 話 だ よ、 と、とととっと﹂ 指先から落ちそうになったシルクハットを足の爪先で拾い上げ、軽 く蹴り上げる。 その戦いに自 ふわりと舞い上がったシルクハットはそこにあるのが当然の様に、 メフィストフェレスの頭に覆い被さっていた。 ﹁勝って当然、負ければ犬死、聖闘士の恥晒しってか ら名乗り出たのは、破損した聖衣の修復の為に一時的に聖戦から離れ ? 276 ? しても名が残る事はない、いや誰にも知らされる事がないんだから最 ? ていた弟クンだった。ハハッ、まるでどこかの誰かさんのようじゃな いか だが、その弟クンの申し出を止めた者がいた。女神アテナとお兄 ち ゃ ん さ。止 め た だ け じ ゃ あ な い。弟 ク ン を 拘 束 さ え も し た。そ の 時にはギガスの神の復活が目前まで迫っている事が分っていた。一 刻の猶予も無かった。なのに、だ﹂ ﹂ メフィストフェレスがパチンと指を鳴らした。 ﹁なぜだか││分るかい 好きだね﹂ がまた意外とね いくら見ていても飽きないんだよなァ。むしろ 営みが、流れとなってくるくると。そう、終わりのない輪舞さ。これ ﹁くるくるくるくる。廻り回るロンドの様に。歴史は繰り返す、人の どの人形にも││顔が無い。 している点が一つだけあった。 バラバラに踊る人形たち。その性別も種類も様々であったが、共通 を披露し始めた。 生きた人間であるかの様にお互いの手と手を取り合うと、拙いダンス すると、彼の周りに何体もの西洋人形が現れた。それらは、まるで ? に、ぼうと浮かび上がる光があった。 ずいっと、メフィストフェレスが顔を近付け覗き込んだ暗闇の中 ﹁││お前さんだよ、今生のエクレウスの海斗クン﹂ 消える。 スポットライトが消え、安楽椅子が消え、そして人形達たちの姿も だ。 安楽椅子を蹴り飛ばし、メフィストフェレスが暗闇へと飛び込ん レウスこそが││﹂ いる演目は同じ。ギガスの神の復活を阻むべく突き進む弟クン、エク ﹁そう、歴史は繰り返している。役者は違えど、舞台で繰り広げられて 拙いダンスが規則正しく、スポットの光の中でくるくるくるくる。 回る。まわる。周る回る廻る。 メフィストのフェレスの鳴らす口笛のリズムに乗って、人形たちは ? 277 ? その光は弱々しく、息を吹きかけるだけで消えてしまいそうに淡く 儚い。 その光源は、膝をつき力無く項垂れた人影││海斗であった。 それはな、 その身体は身じろぎ一つせず、純白であった聖衣は、無数の亀裂と 海斗の血によってその輝きを失っていた。 ﹁セラフィナ││あのお嬢ちゃんがなぜ攫われたのか ﹂ 満身創痍で聖衣もボロボロ、そんなお前さんにビッグ なプレゼントをあげようじゃないかァ まえた上で ﹁その後、エクレウスは聖域から姿を消したそうだ。さて、その辺を踏 トに手を伸ばす。 そう言うと、メフィストフェレスは立ち上がり、頭上のシルクハッ ﹁││殺したのさ﹂ しっかりと聞こえるように、一語一語を理解できる様に。 レウスは、その手で、妹を、その身に宿した、ギガスの神ごと││﹂ ﹁間に合わなかった。伸ばした手は届かなかった。結果として、エク メフィストフェレスが海斗に、その耳元に顔を近付けて呟いた。 ウスはギガス達の下へと向かい││そこで業を背負った﹂ の妹だったのさ。拘束を破り、制止する聖闘士すら打ち倒し、エクレ そう、ギガスの神の聖母として選ばれたのは故郷に残していた最愛 ね。 年前のアテナとペガサスは止めたのさ。最悪の事態を想定した上で、 ここまで言えば分るだろう お約束だもんなァ。だからこそ、千 あろうあのお嬢ちゃんだが、千年前はその役は誰が演じていたのかな 言ったよなァ、歴史は繰り返すと。ならば、今まさに危機にあるで があのお嬢ちゃんだったのさ。 現代においてギガスの神復活の為の贄として、聖母として選ばれたの ? ﹂ こちらに取り出しました商品は冥王軍自慢 トを手に取ったメフィストフェレスは海斗へと深々と頭を下げる。 ステージを終えたマジシャンが観客へ向けて行う様に、シルクハッ ! ! ﹁じゃじゃじゃ∼∼ん の一品 ! ! 278 ? ? 一転して勢いよく頭を上げるメフィストフェレス。 海斗に向けて差し出されたその手の上にあったのは先程手にした シルクハットではなかった。 そこにあったのは大の大人程はあろうかという巨大な彫像。冥界 の宝石、見る者にそう思わせるかの様に、それは深い夜の闇を落とし 込んだ黒で出来ていた。黒く輝く彫像であった。 人に似た姿をしながら、角を生やした鳥の頭を持ち、背には巨大な 羽を持った、人と鳥を掛け合わせた様な、言うなれば鳥人の姿をして いた。 ﹂ スペクター 女神アテナの聖闘士に聖衣が、海皇ポセイドンの海闘士に鱗衣があ サープリス るように。 ﹁何と〝 冥 衣 〟にございます 冥界の王、冥王ハーデスに従う冥闘士がその身に纏う戦いの衣。そ れが冥衣。 ﹂ な∼に、御心配は無用です。この冥衣は聖闘士でも問題な ﹁ただ一言、来い、とお求めになるだけで、この最高位の冥衣がアナタ の物に く身に纏っていただけますよぉ。実績がありますからねェ そうするかの様に気安く、気さくに語り続ける。 手 を 伸 ば す、そ れ だ け で い い ん だ。 分っただろう あのお嬢ちゃんを。助けたいんだろう ﹁さ あ、こ こ に 力 が あ る ぞ なぁ、助けるんだろう このままじゃあ間に合わないぞ 認めたらどうだい 受け入れればどうだい ? ? ? られる 勝てる 何者にも負けやしないさァ ﹂ 今のままのお前さんじゃあ無理なんだ。でも、コイツがあれば助け ? ? ? ? !! フェレスは笑みを浮かべ││嗤った。 それを見て、とても、とても楽しそうに、愉しそうに、メフィスト ス。いや││﹂ ﹁我々は君の選択を歓迎しよう。そして、ようこそ冥王軍へエクレウ なかった海斗の身体が、指が動いた。 ピクリと、これまでメフィストフェレスが何を語っても反応を見せ !! 279 !! 海斗の肩に手を回したメフィストフェレスは、さも旧年来の友人に ! !! ! ﹁新たなる天雄星││ガルーダよ﹂ 280 第19話 Never∼魂の記憶∼ の巻 ポルピュリオンは無言のままエキドナの左腕を掴み上げると、真紅 のルビーが填められた腕輪を力任せに引き剥がした。 ﹁う⋮⋮あっ⋮⋮﹂ その痛みで意識が戻ったのか、エキドナの口から苦悶の声が上がっ たがポルピュリオンは意に介さず、そのままエキドナであった少女の 身体を投げ捨てる。 ﹁あ、がっ﹂ 祭壇に叩き付けられた少女は、セラフィナの身体に覆い被さるよう にして力無く崩れ落ちた。 ﹁聖闘士の資質を持った者をエキドナの器とした。それは良い。しか し、その者にこのルビーを与えていたとは。ドルバルめ、下らぬ事を 考える﹂ 手にした腕輪から真紅のルビーを外したポルピュリオンは、それを セラフィナの胸へと押し当てた。 途端にルビーから赤い闇││そうとしか形容の出来ない何かが溢 れ出し、セラフィナの周囲を覆い尽くすように広がり始める。 ﹁ク、クククッ。フハハハハハハハハ││﹂ 赤い闇が、セラフィナだけではなく、倒れた少女や哄笑を上げるポ ルピュリオンにも迫る。 ﹁いま暫くの御辛抱を。間もなく全ての準備が整います﹂ ﹂ 全てが赤い闇に呑み込まれる中、ポルピュリオンの声だけが広間に 響き渡った。 ﹁全ては我らが││〝王〟のために りと引き下げる。 すうっと、まるで刃物に当てられたかの様に、セラフィナの白い肌 に一条の赤い線が浮かび上がる。 つうと流れる赤い血と、ルビーの中から湧き上がる熱に、その時、ピ クリと、セラフィナの瞼が、身体が動いた。 281 ! セラフィナの身体に押し当てたルビーを、胸元から下腹部へゆっく ! ﹁⋮⋮目覚めたか娘よ﹂ ﹁⋮⋮うっ⋮⋮く、あ、あなたは⋮⋮ ﹂ セラフィナの霞がかった思考、ぼやけた視界が徐々に鮮明になり、 ? あの人は ﹂ その瞳に目の前に立つギガスの姿がはっきりと映る。 ﹁││ッ ? ﹂ ギガスッ ﹂ !! 込める。 ﹁あッ││ぐうッ ﹂ ラフィナの下腹部に押し当てた手に、そこにある真紅のルビーに力を 人間の機微とやらは理解出来ん。ポルピュリオンはそう呟くと、セ 味が解からぬ﹂ 繋がりとやらがある相手でもあるまい。お前がそこまで激昂する意 ﹁解せんな。アレはお前の敵であり、今やただの〝物〟だ。人の言う フィナは抵抗を止めなかった。 拘束された手足││鎖の触れた個所から血が流れて出してもセラ た小宇宙に応じる様にその身をきつく縛りつける。 の戒めを緩める事は無く、むしろセラフィナが動けば動くだけ、高め 自分を戒める鎖を振り解こうと激しく身体を動かすが、黒い鎖はそ その無残な姿にセラフィナが激昂した。 ﹁∼∼ッ 直ぐに見つかった。自分の足下に。血にまみれた姿で。 り、仮面を捨て、自分を守るために戦ったエキドナの姿を。 それは、自分をこの場所に連れてきた敵││仮面を着けた少女であ 身を乗り出してある人物の姿を探す。 鎖に絡め捕られ身動きが取れない事は分っていたが、それでも、と ﹁くっ あったのかをセラフィナは思い出す。 それによって瞬時に覚醒する意識。ここがどこなのか、自分に何が !? !! の全身から夥しい汗が噴き出していた。 下腹部から浸透する様に熱が全身の隅々にまで広がり、セラフィナ い明滅を繰り返す。 押し当てられたルビーが、まるで心臓の鼓動を思わせる様に、妖し ! 282 ! 肌は紅潮し、乱れた鼓動が呼吸を狂わせ荒い息を吐かせている。 ﹁だが、お前は違う。偉大なる神の、王の母となる身だ。アレの様には 無碍にはせん﹂ ﹁あ││ハァ、は││ッ、ハァ⋮⋮う⋮⋮っぅ﹂ 裸身のまま磔にされた自分、母という言葉。 これから自分の身に何をされるのかは分らずとも、その果てに何が 起こるのかは想像出来る。 それが、とてもおぞましい事だと。 ﹂ 自分は、きっとその現実に耐える事ができないだろうという事も。 ﹁││っ、グッ、あ⋮⋮くうッ⋮⋮ッ 泣き叫び許しを請えればどれだけ楽か。 助けてと、叫ぶ事が出来たなら。 しかし、セラフィナは、口から漏れ出そうになった悲鳴を懸命に堪 えていた。 それは意地だった。 聖闘士としての意地であり、女としての意地であり、セラフィナと いう少女の十六年の生に対する意地だ。 ︵わたしを母とすると言った。だったら⋮⋮︶ 少なくとも、目の前のギガスの目的の為には自分が必要であるとい う事。目的を果たすまでは命を奪うつもりは無いという事。 つまり、自分に居なくなられては、死なれては困るという事だ。 どのような仕組みなのかは分らないが、聖闘士としての力を持って 誰が ? しても己の身を戒めるこの黒い鎖から逃れる事が出来ない。 どことも分らぬこの場所で ? られたルビーから感じる熱が増している。その明滅も間を置かずに 激しいものへ変化し始めていた。 おそらく、残された時間も僅かしかないはずだ。 つまり、ここから逃れる事は不可能。 283 !! 少なくともここから自力で逃れる事は無理だろう。 ならば、助けを待つのか どうやって ? こうして考えている間にも時間は刻一刻と過ぎている。押し当て ? 選択肢が無くなったという事。 ならば、残る手立ては一つだけ。それだけしかセラフィナの取れる 手は無かった。 ︵⋮⋮ありがとう︶ セラフィナは瞳を閉じ、瞼に浮かぶ親しき人たちへ、届かないとは ︶ 分っていても、心からの感謝を想った。 ︵怒るかな いつも澄ました表情で、滅多な事でもない限り感情を乱す事のない ムウ。 ︵泣いちゃうのかな︶ お姉ちゃん、と。小さなころから自分を慕ってくれた可愛い弟。 そして、 ︵⋮⋮あ⋮⋮︶ 伸ばされた手と手が触れ合った瞬間を、セラフィナは覚えている。 つい先程の事だったのだ。忘れるはずが、忘れられるはずがない。 自分を守る為に戦ってくれた海斗の事を。 あの後にどうなったのかは分らないが、せめて無事であればと願 う。 話したい事も、聞きたい事もたくさんあった。 それでも││ ﹁││ごめんなさい﹂ 思考を打ち切り、想いを、言葉を口に出す。決別の言葉だった。 これ以上は決意が、覚悟が鈍りそうだったから。 泣いてしまいそうだったから。 命を断つ。 自分にできる事はもう││これしかないのだから。 ∼聖闘士星矢∼ANOTHER DIMENSION海龍戦記∼ 284 ? 海斗と呼ぶ声があった。キタルファと呼ぶ声があった。 エクレウスと呼ばれて振り返る。シードラゴンと呼ばれて振り返 る。 男がいた、女がいだ。子供がいた、老人がいた。 聖闘士がいた、海闘士がいた。 友がいた。敵がいた。親がいた、兄妹がいた。 知らない顔だ。だが、自分はその名を知っている。その名を知って いる。だが、自分はその顔を知らない。 踵を返して東京の街中を歩く自分がいた。聖域を歩く自分がいた。 太陽が昇り朝を迎え、月が昇り夜を迎える。 朝が来れば目を覚まし、夜が来れば眠りにつく。 何度も何度も目を覚まし、何度も何度も眠りにつく。 どれ程それを繰り返したのか。 次に〝海斗〟が目を覚ました時には、その身は石造りの簡素な一室 285 の中にあった。 年季の入った木の机とベッドがあるが、部屋の中にはそれぐらいの 物しか無かった。この部屋は寝床でしかないのであろう。 ベッドから起き上がった海斗は何も身に纏ってはいなかったが、そ の手には一冊の古びた書物が握られていた。 擦り切れ、色褪せたその本には多くの破れがあり、欠落した様に ページが抜けている場所もある。 文章は検閲でもされた様に黒塗りの箇所が多く、内容を完全に理解 しようとするのならば多大な労力が必要となるだろう。 そこに記されているのは、名も無き一人の男の生涯││その十七年 間の記録であった。 ﹂ 男の喜びと悲しみ、平穏と闘争、想いと怒りが綴られた物語であっ た。 ﹁⋮⋮細部は違えども、大まかな流れは同じ。だから、か 海斗は開いていた本を閉じると溜息を吐く。 圧し掛かる様な倦怠感に眉を顰めて頭を振った。 理解が出来た。共感が出来た。 ? 男の心情がまさしく手に取る様に。 だからこそ、それが尚更腹立たしく、どうしようもなく海斗を苛立 たせる。 同情も出来た。しかし、納得は出来ない。納得する事が出来ない。 本はその役目を終えたのか、形を崩しながら海斗の手からずるりと 滑り落ちた。そのまま崩れ去り、灰と化した。 ﹁⋮⋮﹂ 握り締められた海斗の拳。 だから⋮⋮諦め ゆっくりと広げられたそこから零れ落ちた灰がふわりと舞い上が り、周囲へと広がる。 ﹂ ﹁こんなモンを見せたのは、俺には無理だから、と ろ、って事か だがな、意志や覚悟の強さなんてモノを││お前が語るな﹂ ﹁お前と比べりゃ、俺に足りないモノが多い事ぐらい分っているさ。 い音を立てて床に落ちる。 キタルファの頭部を覆っていた聖衣のヘッドギアが弾け飛び、甲高 突き出されたその拳がキタルファの顔面を捉える。 キタルファの言葉を遮ったのは海斗の拳。 ﹁││黙れよ﹂ モノがお前には││﹂ ﹁知識、経験、技量、覚悟。何かを成そうとする強靭な意志。揺るがぬ スの聖衣が傷一つ無い状態で纏われている。 向かい合った海斗の身にも、ムウの手によって新生されたエクレウ の聖衣を身に纏ったキタルファであった。 それは、海斗の知らない形状をした、しかし紛れも無くエクレウス い﹂ 弱い。オレよりも弱いお前が、オレに出来なかった事を出来る訳が無 ﹁⋮⋮そうだ。あるいは、とも思いはした。だが、駄目だ。お前は││ なった。 呟く海斗の目の前で、舞い上がった灰が一カ所に集まり男の姿と ? ﹁確かに⋮⋮お前の言う通りだ。全てを諦めたオレの言えた事ではな 286 ? いな。だが、ならばこそ、どうするのだ 強い想いは揺るがぬ意志 となって熱く小宇宙を燃やす。想いが力となる。それは事実だ﹂ キタルファの手が突き出された海斗の拳を掴み、ゆっくりと引き離 しながら言葉を続ける。 ﹁しかし、それも土台となる力があってこそだ。極限まで高められた 今、お前に 小宇宙は奇跡を起こすと言うが、容易く起こらぬから奇跡なのだ。起 こるか起こらぬか分らぬ奇跡に縋れる余裕は無いぞ 在った。 ﹁││力なら、在る。分らないか ﹁⋮⋮お前は⋮⋮﹂ 直ぐ側に在る事が﹂ 白に溶け込んだはずの海斗が、ハッキリとした輪郭を持ってそこに 海斗だった。 そのキタルファの意識に熱い何かが触れた。 ﹁││足りないのならば、補えばいい﹂ 界が白だけに染められた時に、この生も終わるのだと。 おそらくは死へと向かっているのだとキタルファは認識した。世 えて行くのをキタルファは感じていた。 やがて、二人の輪郭が白の中に溶け込み始め、自分と言う輪郭が消 何もない白の世界に二人の姿だけがあった。 天井が消え、壁が消え、床が消え、部屋そのものが消えていた。 いつしか、二人のいた部屋の中から机が消え、ベッドが消えていた。 分であったかと思っただけだ。 それに対してキタルファが思う事は少ない。ただ、やはり自分は自 ﹁それが、お前には││足りていない。だから、諦めろと言ったのだ﹂ キタルファが掴んだ海斗の拳からは力が抜けていた。 キタルファの諦観に満ちた瞳が項垂れた海斗を映す。 る確実な力なのだ﹂ とって必要なのは障害を吹き飛ばせるだけの、目の前の敵を打ち倒せ ? だと思った。 その笑みは、自分が海闘士として、シードラゴンとしての生きる事 287 ? ニヤリと口元を歪めて笑う海斗の眼差しを見て、キタルファは同じ ? を受け入れた時に時に浮かべた笑みと同じだと。 来い、と呟かれた海斗の声を最期に、キタルファの意識が、意思が、 自分を自分とする要素の全てが、白の中へと消えた。 第19話 海斗の肩に手を回したメフィストフェレスは、さも旧年来の友人に そうするかの様に気安く、気さくに語り続ける。 手 を 伸 ば す、そ れ だ け で い い ん だ。 分っただろう あのお嬢ちゃんを。助けたいんだろう ﹁さ あ、こ こ に 力 が あ る ぞ なぁ、助けるんだろう このままじゃあ間に合わないぞ 認めたらどうだい 受け入れればどうだい ? ? ? 勝てる 何者にも負けやしないさァ ﹂ !! なかった海斗の身体が、指が動いた。 ﹁我々は君の選択を歓迎しよう。そして、ようこそ冥王軍へエクレウ ス。いや││﹂ それを見て、とても、とても楽しそうに、愉しそうに、メフィスト フェレスは笑みを浮かべ││嗤った。 ﹁我々は君の選択を歓迎しよう。そして、ようこそ冥王軍へエクレウ ス。いや││新たなる天雄星ガルーダよ﹂ ゆっくりと伸ばされる海斗の手。 その動きに呼応するかの様に、ガルーダの冥衣が震えた。胎動を始 めた。 二百数十年の時を経て、再び依り代を得る事への歓喜によって。 冥衣は聖衣とも鱗衣とも、その在り方が根本的に違う。 冥衣を得るのではない。 冥衣が得るのだ。 288 ? ? ? ? 今のままのお前さんじゃあ無理なんだ。でも、コイツがあれば助け られる !! ピクリと、これまでメフィストフェレスが何を語っても反応を見せ ! 冥衣││ガルーダの瞳が妖しく輝く。 ││さあ、早く手にしろと。 ││その身を委ねろ、と。 そして、ついに海斗の手が冥衣に触れる。 ガルーダの冥衣が一際大きく震えた。 魔鳥が羽ばたき、その身体を人の身に纏わせるための鎧へと変化さ せて、新たな器の││海斗の身体を覆い尽くす。 ﹁お一人様ご案内∼∼っと﹂ ここから先は全て冥衣が済ませる事。自分に出来る事は、する事は 何も無い。 ﹁ほい、お仕事終了。いや∼、イイコトをした後は気分が良いねぇ﹂ メフィストフェレス自身、海斗に対して興味と期待は確かにあった が、それだけだ。 ﹁もしかしたら、とは思ったんだがな。やはり本命はペガサスか﹂ モノクロームの世界に無数の亀裂を生じさせる。 ﹃こそこそと見ているだけなら見逃しもしてやろう。││だが 閉ざされた空間に響き渡る第三者の意思。 したこの世界を内側から破壊した。 ﹄ 強大な攻撃的小宇宙が空間を満たし、メフィストフェレスの生み出 ! バレてたとは思わなかったよ、さっすがカミサマっ 異界の扉が開き、メフィストフェレスと海斗の姿が赤みを帯びた洞 内に現れる。 ﹁うおっとお !? 289 その関心は既に海斗には向けられてはいなかった。 ﹂ 冗談じゃないっての ﹂ ﹁期待していた流れにゃあならなかったが、暇潰しとしてはそれなり に楽しめたよ少年﹂ な、何ぃッ そう呟き、メフィストフェレスが海斗に背を向け││ ﹁ ﹁おいおいおいおいおいおいおいぃっ メフィストフェレスの足下から、眼前から、背後から。 !? その瞳が驚愕によって大きく見開かれた。 !? 四方八方から次々と撃ち込まれる光弾がこの〝留まった空間〟に、 ! !? てか 怖い怖い ﹂ ﹂ !! ﹂ ! 笑みが深まった。 ﹂ アヴェンジャー・ショットが〝止まった〟だと いいねぇ、でも││さぁッ まさか ﹁んはっ ﹁何 が笑う。 ﹁がはあっ ﹂ そう言ってシルクハットのつばを抑えながら、メフィストフェレス ﹁⋮⋮流星拳、なんちゃってな﹂ それは、自分が放ったものよりも速く、重い。 〟。 メフィストフェレスの手から放たれる〝アヴェンジャー・ショット ﹁ほ∼ら、お返しだ。受け取りな﹂ ジャー・ショットの光弾が掻き消され││ メ フ ィ ス ト フ ェ レ ス が パ チ ン と 指 を 鳴 ら し た だ け で ア ヴ ェ ン トアスの驚愕はそれだけでは終わらない。 事無くその場に留まっていたのだ。 放たれた光弾の、その全てが、メフィストフェレスの身体に触れる !? !! 目の前の敵がした事は、ただ右手を振り上げただけ。 ﹂ 触れる物全てを破壊するその光を前にして、メフィストフェレスの メフィストフェレスへと迫る無数の光弾。 ﹁〝アヴェンジャー・ショット〟 トアスの眼前に現れたのは、笑みを浮かべたメフィストフェレス。 的小宇宙を燃やしたトアス。 メフィストフェレスの眼前に現れたのは、憤怒の表情を浮かべ攻撃 の命で償ってもらうぞ た。わたしとエクレウスの戦いに水を差したのだ。その罪は││そ ﹁貴様は瀕死のエクレウスを異界へと隠し、あの破壊の光から逃がし !! あり得ない、と。その事実に驚愕するトアス。 ! ! 衝撃により洞内が大きく揺れ、壁の、天井の崩落が加速する。 青銅の扉へとその身を叩き付けられていた。 洞窟内にドゴンと、大きく重い音が響いた。トアスは背後にあった !! 290 ! !? ﹁き、貴様あッ⋮⋮﹂ 落ちてきた岩盤を押し退けて立ち上がるトアス。その両目が大き く見開かれた。 ﹁全く、そちらさんに関わる気は無かったって∼のにさ﹂ メフィストフェレスは追撃する事よりもタキシードに降りかかる 粉塵を払い落す事を優先し、やれやれと、大げさに肩を竦めて見せた。 演技であった。 関わる気が無かった事は事実であったが、こうして直接的に関わっ てしまった以上は楽しまなければと考えていた。 先の戦いを見ていた事で、トアスの性質は把握している。 ︶ 目の前でこのような態度を取られればどう動くのかも。 ︵さあ、どうするね 純粋な好奇心であった。 ﹂ 果たして、目の前のギガスは自分の思い通りに動くのか。それと も、と。 ﹁⋮⋮おんや ﹁何だ 動こうともしていない 動けない程のダメージでも無か ? 後ろに何が││﹂ もっと遠くの何かを見ていた。 ﹁後ろか ﹂ !? ストフェレスはその場から飛び退いた。 漠然とではあったが、確かに感じた不安。己の直感を信じてメフィ ﹁││こいつぁ 二度三度と、続けてである。 一度だけではない。 ガシャンと、洞窟内に甲高い音が響き渡る。 目の前を黒い弾丸が通過した。 間であった。 メフィストフェレスがトアスの視線を追う為に振り向いた、その瞬 ? 291 ? しかし、どれだけ待っていてもトアスは動かない。 ? よ く 見 れ ば、ト ア ス の そ の 視 線 は 自 分 を 見 て い な い 事 に 気 付 く。 ろうに﹂ ? トアスに背を向ける形となるが気にしてはいられない。 そんな事よりも、もっと重大な事が目の前で起きていたのだから。 音の正体は、海斗の身体から弾き飛ばされた冥衣のパーツが洞内に ぶつかる音であった。 それは、海斗の〝意思〟が〝冥衣の意思〟を拒絶した││凌駕した 証。 もしかしたら、とは考えていた。 五感を失い、血を失い、肉体は生命の危機に陥った。 あの少女を使い、そこからさらに精神を追い詰めた。 素養はあったのだ。 幾度となく黄金化を果たした聖衣がそれを証明している。 想定通り、海斗は五感を超えた第六感、そのさらに先にある超感覚 である第七感││すなわちセブンセンシズ、小宇宙の真髄に辿り着い たのであろう。 それは良い。 それは良いのだ。 メフィストフェレスにとって、新たなる天雄星の誕生など、どうで も良い事であったのだから。 冥衣を受け入れればそれで良し。 この先の聖戦で、きっと良い駒となるであろうから。 拒むのならばそれも良し。 エクレウスという役者が繰り広げるであろう舞台を、こうして特等 席で見続けられるという事なのだから。 しかし、これは違う。 こんな事は想定すらしていなかった。 ﹁⋮⋮アドリブにだって限度ってものがあるでしょうが﹂ メフィストフェレスの目の前で、トアスの視線の先で海斗が〝変わ る〟。 黒い髪はブロンドに染まり、色彩を失っていた瞳は本来の濃褐色か ら澄んだ青色へと。 額に、腕に、胸に、足に。 292 破壊されたエクレウスの聖衣から発せられる純白の輝きが、まるで 光の衣を纏わせるかの様に海斗の身体を覆っていく。 ムウの手によって新生された聖衣が重厚な防御性能を重視した〝 鎧〟であったとするならば。 曲線を多用し、身体に密着する様に、全身を覆う様に纏われたそれ は、まさしく〝聖なる衣〟。 海斗の身体から立ち昇った白と青の小宇宙が、螺旋を描き巨大な光 の柱へとその姿を変える。 青と白が交じり合い、混じり合う。 二つの色が一つになる。 それは空の青。スカイブルーのようであり。 それは海の青。アクアブルーのようでもある。 血を奪われ、五感を奪われ。 碌に身動きの一つも取れなかったはずの海斗が、迸る自身の小宇宙 る。 やはり、やはり運命だっ 背後へとちらりと視線を向ければ、そこには〝狂喜〟としか形容出 その髪だ その瞳だ なぜ、も。 来ない表情を浮かべたトアスが全身に小宇宙を滾らせて立ち上がっ ていた。 ﹁覚えているぞ、その聖衣だ ﹂ 君が目の前 逢いたかったぞ││キタルファアッ ! ! どうして、も。そんな言葉は、理由は重要ではないッ にいる、それが全てだ !! ! ! !! 外は何も見えてはいなかった。 ﹂ ﹂ 事実、この時のトアスには立ち上がった海斗の、キタルファの姿以 ばかりに飛び出していた。 言うが早いか。トアスはメフィストフェレスの存在など知らぬと !! ﹁今こそ、千年の決着だキタルファ ﹁なッ、速えっ ! 293 が生み出した光の中でゆっくりと立ち上がった。 ﹂ ﹁ふ、ふふふ、ふは、ふははははははははっ たのだ !! メフィストフェレスの背後から、狂ったかの様な笑い声が聞こえ !! 〝アヴェンジャー・バースト〟 ﹂ その速度は、メフィストフェレスの目をして速いと呼ばせる程。 ﹁そして、わたしが勝つ !! ﹂ ﹁マジか ﹂ その閃光の全てが、海斗の身体を││すり抜けていた。 ﹁な しかし││ れていた。 トアスの千年の執念、妄執とも言えるその全てが、この拳に込めら らない程に凄まじく。 その勢いは、これまでのアヴェンジャー・ショットとは比べ物にな 放たれるのはトアスの真の必殺拳。 ! から分った事。 海斗の姿は既にその場所には無い事を。 ﹂ !! 狂おしいまでのッ お前の妄執に付き合っている暇は無いッ 違うッ、これは愛だッ !! ﹁トアスッ ﹁││妄執だと ﹂ !! 両者から間合いを離し、全体を見渡せていたメフィストフェレスだ トアスの驚きとメフィストフェレスの驚きは異なる。 !? あの構えは えた。 ﹁ッ ﹂ それを見て、メフィストフェレスの表情から、その目から笑みが消 た。 それは、これまで一度たりとも海斗が見せた事のない構えであっ 海斗が両手を左右に大きく広げて円を描く。 にあった。 海斗の姿はトアスとメフィストフェレス、二人を直線に並べる位置 ? ! ﹁力なら在った。手を伸ばせば届く程近くにな。知識、経験、技量。俺 壊された聖衣へとその姿を変えていた。 五体を覆っていたはずの純白の聖衣は、亀裂と破損にまみれた、破 色は黒に戻り。 二人を見据える海斗の瞳は濃褐色に、ブロンドに染まっていた髪の 果たしてそれは幻であったのか。 !! 294 !? !? に力が足りないのであれば、補えばいい。拒絶では無く、受け入れる。 それだけでよかった﹂ ただ一つ。 それが幻でなかった事の証があった。 ﹁千年前の因縁か。悪いが、そんな事は後回しだ。そしてメフィスト フェレス、礼を言うぜ。お前が何を企んでいたのかは分らんが、おか げで自分を見つめ直す機会を得られたよ﹂ 海斗から立ち昇る、混じり合い一つの色となった強大な小宇宙であ る。 ﹁受 け 入 れ て し ま え ば、一 つ に な れ ば 自 分 が 自 分 で な く な る。そ う 思っていたからこそ拒んでいたし反発もしていたが、意外としっくり くるのが笑えるな﹂ エクレウスの聖衣が黄金の輝きを放つ。 海斗 キタルファ まるでこれが最期の輝きだとでも言わんばかりに。 ﹁俺はオ レだってな﹂ 海斗の両手に膨大な小宇宙が集束する。 それは、まるで銀河に浮かぶ星々のように光り輝いていた。 腰だめに構えた両の拳を丹田から正中線を沿う様に胸元へ。 右手は天を、左手は地を指し示すかのように大きく広げ、そこから 互いの天地を入れ替えるように回された軌跡は真円を描く。 意識して行っている訳ではなかった。 ただ、身体が動くままに任せているだけであった。 それでも、海斗自身にはこれから何が起こるのか、その結果ははっ きりと分っていた。 なぜなら、自分はその技の威力は身をもって知っている。 なぜなら、自分はその技を誰よりも間近で見続けていた。 なぜなら、自分はその技を同胞へと││己の師へと向けて放ってい た。 ︵⋮⋮記憶に引き摺られ過ぎるな。罪の意識も後悔も、今は、必要な い。想うのは過去ではなく未来だ︶ 聖域での生活は、なかなか胃に来るモノが多くはあったが││悪く 295 はなかった。そう思う。 この数週間、ジャミールでの生活は退屈ではあったが││悪くはな かった。そう思う。 セラフィナがいなくなれば、ジャミールでのあの生活は失われる。 澄ました顔のムウとだけの生活では貴鬼は寂しがるだろう。 救えなかった事を責められるのは構わないが、泣かれるのは面倒 だ。 シャイナの時もそうだったが泣かれては困る。どうすればいいの かが分らない。 ﹁フッ﹂ 堪え切れずに笑みがこぼれた。 ﹄ こ ん な 状 況 に あ っ て 自 分 は 一 体 何 を 馬 鹿 な 事 を 考 え て い る の か、 と。 ああ、そうだと海斗は思い出す。 宙。 ││そこに居る。 なんてモンを隠し玉にしてやがったんだ ﹁セラフィナは返してもらう﹂ ﹁チイッ 信した。間違いなく〝使える〟のだ、と。 ﹂ ブラフかとも思ったが、海斗の視線がどこを見ているのかを悟り確 !! 296 ﹃思いましたよ、わたしはボロボロの海斗さんしか見てませんから セラフィナがギガス達に襲われた時だ。 助けてやったのにあの感想はない。 あれでは、まるで自分が負けっぱなしのようではないか。 ればならない。 ︵││そのためにも ︶ 自分が最強だ、などと言うつもりはないが、誤った認識は正さなけ ! ││あの扉の向こうから感じるのは紛れも無くセラフィナの小宇 ││今、何よりも優先すべき事だけを考えろ。 ! メフィストフェレスは思わぬ因縁に舌打ちした。 ! ﹁そうだったよなぁ ﹂ か無いだろうが 千年前のエクレウスの師はジェミニのカスト ははっ、⋮⋮少∼しばかり、追い詰め過ぎったっ ﹁しかも、さっき見せたあの変化は⋮⋮気付ける訳が、想像できるはず 記憶〟が引き起こした奇蹟を目の当たりにしていたのだから。 事実、二百数十年前の聖戦に於いて、メフィストフェレスは〝魂の あり得ない話ではない。 肉体に宿る〝魂の記憶〟、聖衣に宿る〝魂の記憶〟。 がない ル。あの大甘な兄ちゃんなら、己の奥義を可愛い弟子に伝えないワケ ! る。 ナル !! と ん だ 意 趣 返 し 千年前のはノータッチだったってえのにさァ メフィストフェレスの目の前で、煌めく星々が、銀河が││爆砕す 海斗が天地を宿した両の手を打ち合わせた。 てっきりお花ちゃんの仕掛けかとも思ったが⋮⋮﹂ ス の 魂 は 冥 界 の ど こ に も 存 在 し て は い な か っ た。そ の 痕 跡 す ら。 ﹁前の聖戦にエクレウスの姿は無かった。そうだ、この千年、エクレウ どこまで楽しませてくれる気かと。 堪らない、と。 メフィストフェレスは││笑っていた。 軌跡の中から迫り来る銀河の姿を。無数の星々の煌めきを。 トアスは見た。 その威力は自分自身が骨身に染みて知っているのだから。 言われたあの技ならば。 ジェミニの黄金聖闘士に伝えられる最大の拳。銀河を砕くとまで なるほど、確かにあの技をもってすれば可能であろう。 と、メフィストフェレスは理解した。 自分とギガス、そしてあの扉。全てをまとめて吹き飛ばす気なのだ 海斗の視線の先にあるのは王の間への道を閉ざす青銅の扉だ。 て事か。笑うっきゃね∼よな、オイ﹂ ! お 前 が 跳 ば し た ん だ な ハ ハ ハ ハ ッ !! ﹁んははっ ホド !? ! 297 !! ! だ コイツァ確かに因縁だよ 確かに、二百年前の聖戦では色々 ﹂ !! 星の輝きにも似て。 ││〝ギャラクシアンエクスプロージョン〟 トアスを、メフィストフェレスを、そして行く手を阻む青銅の扉を。 !! それは宇宙の始まり││ビッグバンの輝きにも、星の終焉││超新 洞内を埋め尽くす破壊の光。 掛けてくれたのはジェミニの方だったってワケかい とやらしてもらいはしたがなァ⋮⋮。 図らずも、先にちょっかいを ! この小宇宙は 海斗の前に立ち塞がる障害の全てを光が呑み込んで行く。 何だこの光は !? そして││ ﹁ぬぅ ! ﹁⋮⋮海斗⋮⋮さん ﹂ セラフィナは目の前の光景に言葉を失っていた。 これは一体何の冗談なのだろうかと。 ﹁⋮⋮え⋮⋮あ⋮⋮﹂ の陰りさえ見せてはいない。 その身は血と砂塵にまみれながらも、瞳の輝きは、小宇宙は、僅か 男。 そこから姿を現したのは、見るも無残に破壊された聖衣を纏った かりと大きな口を開けていた。 そこにあったはずの青銅の扉は周囲の岩肌ごと消滅しており、ぽっ ポルピュリオンが振り返る。 ﹁聖闘士か。まさかトアスを打ち倒しこの場に現れるとはな﹂ れ落ちる。 セラフィナの身体に押し付けられていた真紅のルビーが光を失い零 背後から迫る破壊の、衝撃の波にポルピュリオンが動きを止めた。 赤い闇を吹き飛ばし、光が王の間を埋め尽くす。 !? 噺の主人公。 気負った様子も無く、こちらへ歩み寄って来る海斗は、まるでお伽 ﹁おう、海斗さんだ。迎えに来たぞ﹂ ? 298 ! しかし、その姿はどう見てもお伽噺の主人公ではあり得ない。 ボロボロだった。 ムウの手によって新生されたはずの聖衣は見る影もなく破壊され ており、身体はまるで初めて会った時の様に傷だらけとなっていた。 ジャミールからこれまでにそれほど時間は経ってはいないと思う が、その姿を見ればここに来るまでにどれ程の事があったのかは想像 に難くない。 無茶をするなと怒りたい。 大丈夫なのかと確かめたい。 ごめんなさいと謝りたい。 それ程時間は経ってないと思うんだがな﹂ ありがとうと感謝したい。 ﹁待たせたか それなのに、目の前でひらひらと手を振って見せる海斗の姿は、見 ﹂ ﹂ 慣れた飄々としたままで。 ﹁∼∼ッツ ﹁って、なぜ泣く 直前まで死を意識していながら、いつの間にか、こんな事を思える だけの余裕が生まれている。 喜怒哀楽がごちゃ混ぜになり、声にならない。言葉にならない。も う、何を言っていいのかが分らない。 嬉しくて悲しくて。 ﹂ 感情が溢れ出し、涙が出る。 ﹁知りませんっ あれ程までの焦燥感も、絶望も今は││無い。 フィナには不安が無かった。 状況は決して楽観出来るものではない。それでも、何故か今のセラ 後でもう少し意地悪をしてやろうと思い始めていた。 そんな自分を見て慌て始めた海斗の姿に胸が少しスッとして。 ! 299 ? その事が滑稽で、おかしくて。 !? !! 第20話 運命︵さだめ︶の波を打ち砕け の巻 カオス 世界の始まりは、色も形もはっきりとしないどろどろとした塊で あった。 天も地も、火も水も、全てが一つに混ざり合った││混沌であった。 この混沌から最初に生まれたのが大地を司る女神││ガイアであ る。 ガイアは天の神ウラノス、海の神ポントス、愛の神エロス、暗黒の 神エレボスなどを一人で生んだ。 その後、ガイアはエロスのはたらきによりウラノスとの間に子をも うける。 巨 神 男児が六人、女児が六人。愛の神の手引きによって天と地の間に生 まれしこの十二人の子供こそが、後にティターン神族と呼ばれる神々 である。 ガイアを娶ったウラノスは神々の王となり世界を支配する。 しかし、ガイアは子らを愛したが、ウラノスは違った。ウラノスは 己の子らを厭う。その事が、やがて大きな不和となり、父と子の争い の切欠となる。 この間も新たな子を生み続けていたガイアは、その度にウラノスが 子らを大地の穴へと落として行く姿に悲しみ、やがて、耐え切れずに ティターン神族に加護を与えた。 ティターン神族の末子クロノスはガイアより与えられた大鎌を手 に、その期待に応えて父であるウラノスを討ち、神々の新たな王と なった。 しかし、ウラノスはその最期にクロノスに一つの預言を残してい た。﹁お前も自らの子に王位を奪われるのだ﹂と。 言葉は呪詛となり、ゆっくりと、しかし確実に、クロノスの精神を 蝕み、やがて、狂気に堕ちたクロノスは自らの子をその手で次々と封 じていく。 その事に悲しんだクロノスの妻レアは、打倒クロノスのために六人 目の子であったゼウスを母であるガイアの元へと送る。 300 ! ガイアもまた、レアの求めに応じてゼウスに自らの生んだ新たな子 らの力を貸し与え協力を示した。 クロノス率いるティターン神族と、ゼウス率いるオリンポスの神々 との戦い││後世に〝ティタノマキア〟と呼ばれる争いの始まりで ある。 結果はウラノスの預言の通り、クロノスは自らの子であるゼウスら に破れ、ゼウスが新たなる王となり、オリンポスの神々による統治の 時代が始まった。 ゼウスは二人の兄弟と世界を分け合い、ポセイドンが海を、ハーデ スが地下︵冥界︶を、ゼウスが天を治め、地上は皆の共有とする事と した。 しかし、ティタノマキアは古き神々と新しい神々の間に大きな禍根 を残していた。 その中でも最も大きなものが、クロノスの死によるガイアの嘆きと 怒りであった。 ゼウスは、オリンポスの神々はガイアの想定を超えてやり過ぎたの だ。ガイアはゼウスに味方したとはいえ、同じ自らの子であるクロノ スの死までは望んでいなかったのだから。 流れたクロノスの血とガイアの慟哭から新たな神が生まれる。 オリンポスの神々への慟哭より生れし存在。ガイアの加護により 不死身の肉体を得た存在。 それが、神々の力に抗する者、との神託を受けた神々の敵対者││ ギガス。 そして、ガイアの憎悪によって、憤怒によって、神々を滅ぼす者と しての神託を受けた存在。 炎と嵐を司る最大最強の魔獣。 百の蛇の頭と凶鳥の翼を持ち、何本もの怪力の手足持つ。 神の言葉を語り、獣の咆哮を轟かせた。その身は炎を纏い、嵐を生 んだ。 その名は││ 301 ∼聖闘士星矢∼ANOTHER DIMENSION海龍戦記∼ ﹁⋮⋮ほう、随分と〝変わった〟ものだ﹂ ポルピュリオンの口から感嘆の声が漏れていた。 飄々とした態度とは裏腹に、セラフィナへと歩み寄る海斗の足取り は決して軽いものではない。 身に纏うのは破壊された聖衣。傷付いた身体からは、一滴、また一 滴と、紅い雫が流れ落ち、大地に赤い染みを残している。 そんな状況でありながら、海斗の瞳の輝きは、その身から発する闘 志は、その小宇宙は熱く燃え滾っていた。 ﹁ふふふっ。その小宇宙、この地に現れた時とはまるで質が異なって いる。面白い。デルピュネを討ち、獣将を退け、トアスを破っただけ 302 の事はある。しかし││﹂ 扉を吹き飛ばし、広間を破壊し、この神域に土足で踏み込むその振 る舞い。 それは赦そう。 血と泥に穢れた身体でこの場に踏み入る。 それも赦そう。 ﹁お前は我らが王、神への聖なる儀式の邪魔をした。それを││赦す 事は出来ん﹂ 外套を翻し、セラフィナの前に立ち塞がったポルピュリオンが海斗 へと歩を進める。 一歩、一歩と進む度に、ポルピュリオンの周囲の空間がぐにゃりと 揺らぐ。 闘衣の隙間から覗く肉体が、ぎちりぎちりと音を立てて密度を増 し、肥大する。 ﹂ 言葉とは裏腹に、ポルピュリオンの口元には笑みが浮かんでいた。 嗜虐的な笑みが。 ﹁⋮⋮だったら、どうする ? 視線をセラフィナからポルピュリオンへと移し、海斗が問う。 気負いのない自然体であった。 友人に明日の予定を聞く様な、そんな気安さがあった。 ﹂ ﹁どうする、か。神が、自らを仇なす存在に対して行う事など決まって いよう 神たる自分と対峙してなお微塵の畏れすら見せぬその姿勢。 その全てがポルピュリオンにとって許し難く、度し難く、しかし、ど うしようもなく││好ましい。 真︵神︶なるギガスであるポルピュリオンとトアス、アルキュオネ ウスの精神構造は他のギガス達とは一線を画する。 ガイアの慟哭により戦う事を定めとして生まれた彼らはガイアす ら予期せぬ歪みを宿していた。恐れを知らず、戦いに、闘争に飢えて いた。 全力を出す事を、出せる相手を求めていた。 強者でさえあれば、それが神であるのか、人間であるのか等は些細 な事であった。 勝利して支配する。それはある。だが、支配は勝利に付属する要素 でしかない。 ガイアの意志は、復讐の念はその内に確かにある。だが、それは戦 う理由でしかなく、己を突き動かす衝動とはなり得ない。 ポルピュリオンは自らの外套を力任せに剥ぎ取ると、無造作に放り 捨てた。 そのまま右腕を、その掌を海斗へと向ける。 ﹁人の子よ、心せよ﹂ それは、文字通り、正しく〝威圧〟であった。 質量すら感じさせる圧倒的なまでの意思の力。指向性を持って放 たれたそれは、巨大な渦巻く塊となって空間を歪めながら海斗の身体 を押し潰そうと迫る。 波動が聖衣の崩壊を進め、剥がれ落ちた聖衣の欠片は、まるで陶器 の様な音を立て粉微塵となって散る。 ポルピュリオンがかざした掌に力を込めて拳とした。 303 ? ﹁││神罰である﹂ ﹂ その動きに合わせるように〝力〟が圧縮され││限界を超えて爆 発する。 海斗っ ﹁四散せよ﹂ ﹁∼∼っ ﹂ ﹂ ﹁まさかな 今生のエクレウスは││水気を操るか ﹂ セラフィナが息を飲み、ポルピュリオンが気勢を吐く。 とでは。 現状を把握出来なかったセラフィナと、理解出来たポルピュリオン だが、そこに含まれたものは違う。 ら驚愕の声が漏れた。 その光景を目の当たりにしたセラフィナとポルピュリオンの口か ﹁⋮⋮む ﹁えっ 光り輝く飛沫となって。 散した。 ポルピュリオンの宣言の通り、爆発に巻き込まれた海斗の身体が四 声を掻き消してもなお止む事はない。 聖衣が、大地が、粉砕されて粉塵と化す。その音は、セラフィナの ビシリ、グシャリ、と。 ! !! ﹂ クッ、濃過ぎるぞこの靄は どこに隠れた ﹁これは⋮⋮霧、いや蒸気か は視界が⋮⋮どこだ ? これで !! ポルピュリオンが周囲を見渡すが、その全てが靄に包まれ、海斗の ? ? する暇を与えない。それよりも気にするべき事が生じていた。 いつの間に、どうやって、と。疑問はあったが、状況がそれを考察 砕いたのは水鏡に映った虚像であったのだと理解する。 をする﹂ ﹁小宇宙によって生じさせた水で作った鏡││水鏡か。小賢しい真似 年前のエクレウスと、海斗のイメージを切り離す。 に映り込む己の姿を眺めながら、ポルピュリオンは記憶の中にある千 ざあっと、宙を舞うのは聖衣の破片と水の飛沫。その雫の一つ一つ ! 304 !! !? !? 姿が見付けられない。 器用な奴よ⋮⋮。さあ、これから 見事な隠行だが、隠れるだけでは何も変 面白い ならばと、小宇宙を探ろうにも、周囲の靄のどこからでも海斗の小 宇宙を感じてしまう。 ﹁くっ、くははははっ ﹂ どうするアテナの聖闘士 わらんぞ ! れるのかと。 ﹃││そうかいッ ﹄ 次は何を見せてくれるのかと。いつ、この全力の拳を振るわせてく ている事に僅かな苛立ち覚えていたが、それ以上に楽しんでもいた。 時間稼ぎとも取れるこの状況に、ポルピュリオンは戦いを焦らされ 姿は見えず、しかし、その存在は周囲のどこからも感じ取れる。 ? !! ﹂ !! ﹁胸部だけを纏わせた人形か だがッ││見えたぞ ﹂ 飛散した水の塊がポルピュリオンの拳を、顔を濡らす。 拳に触れたエクレウスの聖衣、その胸部が砕け散り、弾け飛ぶ。 ポルピュリオンが前方の光に左拳を撃ち込む。 ﹁ぬぅうぅぁあああああああッ 靄の中で、人の形をした光が動く。 がぎょろりと動いた。 前方から聞こえた声にポルピュリオンが反応する。見開かれた目 ! !! 骨が折れ、肉が裂け、鮮血を撒き散らす。 手甲が砕け散り四散する。 ていた。 加えられた衝撃により、踏みしめられた足下││大地に亀裂が生じ あった。 顔を向ければ振り抜いた右拳を、右腕を盾にして防ぐ海斗の姿が ポルピュリオンの拳に、先程とは異なる確かな手応えが伝わる。 が映り込んでいたのだ。ポルピュリオンはそれを見ていた。 飛び散る水滴には己の姿だけではなく、背後で拳を構えた海斗の姿 へと全力で振り抜く。バックブローだ。 それに構わず、ポルピュリオンが右の拳を握り込み、己の〝背後〟 !? 305 ? 海斗の右腕と││ポルピュリオンの右肘から。 伸びきっていた右肘に、海斗の左拳が突き刺さっていた。 へし折れ、あらぬ方向へと曲がった己の腕を見て、ポルピュリオン の動きが止まる。 痛みで、ではない。 バックブローを繰り出したその瞬間、ポルピュリオンは海斗の企み を粉砕したと確信していた。 しかし、ならばこの結果は何だ。 してやられた、そういう事なのか。 秒にも満たぬ僅かな逡巡、思考の空隙。ポルピュリオンに生じたそ ﹂ の瞬間を海斗は逃さなかった。 ﹁││ッ 異変がポルピュリオンを襲う。 顎先から頸椎へと凄まじい衝撃が走り、視界が跳ね上がる。 光が失われ、暗闇が周囲を埋め尽くし、ポルピュリオンの足下から 大地の感触が消失した。 一体何が起こったのか。ポルピュリオンがそれを思考する余裕は 無かった。 ドゴン、と大地を砕く轟音が広間に響き渡る。 後頭部への衝撃と、耳鼻に響き渡る轟音と震動がその暇を与えな い。 黒から赤に染まる視界。崩れる天井とパラパラと舞う飛礫が、その 中で自分を見下している海斗の姿に、ポルピュリオンは自分が大地に 叩きつけられた事を知る。 見えないまでも、どうにか海斗の姿を感じ取ろうとしていたセラ フィナは、薄れゆく靄の中から偶然にもその瞬間を捉えていた。 ポルピュリオンの真下から飛翔する天馬。天を突く様に繰り出さ れた海斗の蹴り上げがポルピュリオンの顎先を捉え、その巨体を宙へ と浮かせる。 その頭部を跳躍した海斗が左の掌底で打ち抜き、その勢いのまま大 地へと叩き付けた事を。 306 !? ハ ナ ﹁悪いな、最初っからまともにやり合う気は無かったのさ。勝ち方は 二の次、目的はあくまでもセラフィナを連れ戻す事なんでな﹂ 海斗の左手を中心として、高められた小宇宙が螺旋の渦を描き始め る。 周囲を巻き込みながら徐々に勢いを増していくそれがポルピュリ オンの全身を包み込む。 ﹁⋮⋮タルタロスの深淵で、永遠に寝てろ﹂ それは破壊の尖塔。 混ざり合う青と白によって作り出された天を貫く巨大な柱。 全てを飲み込む破壊の渦。 シードラゴン最大の拳││ ﹁〝ホーリーピラー〟﹂ 嵐が過ぎ去り洞内に静寂が訪れる。 ﹂ 307 残されたのは、天井を穿つ大穴と、螺旋状に抉られた大地だけで あった。 第20話 ﹁こ、こっちを見ちゃダメですからね 左手でセラフィナの足首を拘束していた黒い鎖に触れる。 りそうだったので、海斗は無視する事にした。 上からうーうー唸り声が聞こえるが、どうしたって面倒臭い事にな みこむ。 気の無い返事をしながら、海斗が磔にされたセラフィナの足下に屈 ﹁⋮⋮ハイハイ﹂ なかった。 に対し、海斗は今更だよなぁと思いはしたが、それを口に出す事はし 顔を羞恥で真っ赤に染め、涙目になりながら睨んでくるセラフィナ !! すうっと、鎖に触れた指先から力が抜ける様な感覚に﹁鎖の分際で﹂ と、本気を出した。 パキン、パキンと軽い音を響かせながら、次々に鎖を砕いていく。 ﹁あっ⋮⋮﹂ 戒めを解かれたセラフィナの身体が宙を舞う。 長い銀色の髪がふわりと広がり││ ﹁よっと﹂ 待ち構えていた海斗の元へ、その腕の中に抱き止められていた。 ﹁⋮⋮ふぅ⋮⋮﹂ 腕の中に柔らかく、そして確かな温もりがあった。セラフィナの鼓 動を感じた事で、ようやく海斗が安堵の息を吐く。 ﹁さて、と。あ∼、帰りは⋮⋮どうするかねぇ﹂ おぼろげではあったが、この洞窟がどの辺りにあるのかは覚えてい る。 ﹂ 修行を積んだ聖闘士であっても、小宇宙を燃やさぬ日常の中であれ ば、それは普通の鍛えた人間と変わりはない。 痛いモノは痛いのだ。 焼け付く様な、じくじくと痺れる様な鈍痛に海斗は眉を顰めたが、 セラフィナの手が傷をなぞる様に動くと、すうっと、冷たい何かが沁 み込む、そんな感覚と共に痛みが薄れていく。 ﹁⋮⋮これぐらいの事しか、出来ませんけど⋮⋮﹂ 癒しの力。本来は〝杯座の聖衣に備えられた〟能力である。 しかし、セラフィナはそれを行使する事に〝聖衣を〟必要としな 308 覚えているが、それは言わば千年前の地図であり、比較に必要とな る現在の地図が海斗の知識には無い。 ﹁⋮⋮地理の勉強をしておくべきだったか﹂ そんな事を考えていると、海斗の胸元でじっとしていたセラフィナ が動いた。 おい、セラフィナ セラフィナの手が海斗の右手に、背中に触れる。 ﹁痛っ ? そこは、傷だらけの海斗の身体の中でも、特に傷の酷い個所である。 !? い。 ﹁⋮⋮ぁ⋮⋮ぅ⋮⋮﹂ 海斗の胸元に顔をうずめたまま、セラフィナがぼそぼそと何やら呟 いている。 ﹁ありがとう、⋮⋮海斗。⋮⋮さん﹂ ﹂ ﹁⋮⋮いや、別に、呼び捨てでも構いはしないぞ、俺は。一応、お前の 方が年も上だしな。⋮⋮上だったよな ﹁え、いえ、あの⋮⋮その⋮⋮﹂ 身体にかかる重さと、胸元に感じる確かな温かさ。 間に合った。 届いた。 それを実感した海斗の内から、様々な感情が湧き上がる。 知らず、セラフィナを抱きしめる手に力が籠っていた。 記憶の残滓に感情が引きずられている。セラフィナにフェリエの 姿を重ねている。その事は分っていた。 ︵⋮⋮まあ、今ぐらいはな︶ それを、この時だけは海斗は気にしない事にした。 自然に、お互いに抱きしめ合う形となっている事を意識してしまっ たセラフィナは、首筋までも赤く染めていた。 そのまま千日戦争に突入する事になるかと思われた二人。 オレの事は⋮⋮気にするな、続けてくれ﹂ それを防いだのは、 ﹁ん、もういいのか あった。 二度、三度、シュラは感触を確かめる様に、アルキュオネウスとの 戦いで砕けた右拳を握っては開くを繰り返す。 ﹁ふ む。少 し、引 っ 張 ら れ る 様 な 感 じ は 残 っ て い る が ⋮⋮ 構 う ま い。 しかし、たいしたものだ。正直これ程効果のあるものとは思ってはい 309 ? 腕を組み、今にも崩れそうな壁に背をもたれ掛かせていたシュラで ? なかった﹂ ﹁出 来 れ ば あ ま り 使 わ せ た く は な い ん だ け ど な。ム ウ が 言 っ て い た よ、セラフィナのあの力は自身に掛かる負担が大き過ぎると。まあ、 その力を一番使わせた俺が言えた事じゃないんだが﹂ 手頃な大きさの瓦礫に腰を下ろし、そう話す海斗とシュラの視線の 先では、セラフィナがエキドナの傷を癒しているところであった。 先程までは一糸纏わぬ姿のセラフィナであったが、今は玉座の周囲 にあった布を使い、それを即席の貫頭衣として加工して身に纏ってい る。 シュラの外套は先の戦いで失われており、ポルピュリオンが投げ捨 てた外套はホーリーピラーに巻き込まれて塵と化していた。 男二人の上着は貸し出そうにも血で汚れ、戦いで破れ、とても他人 に着せられる様な物ではなかったという事もある。 磔にされていたセラフィナのすぐ近く、血溜まりの中に倒れていた 310 エキドナの事は海斗も気が付いていたが、正直言って既に息絶えてい るものだと思っていた。 セラフィナは﹁せめて傷だけでも﹂とエキドナの元へ向かい、そこ で彼女の命の炎がまだ消えていない事に気が付けた。 その後、セラフィナどのような行動を取ったのかは語るまでもな い。 ﹁そう思うなら、その力を使わせぬよう、お前が上手く立ち回れ﹂ ﹁⋮⋮無茶振り過ぎるわ﹂ ﹁フッ﹂ ﹁⋮⋮そこで笑うか。意外と性格が悪いんだな﹂ ﹂ ﹁なに、微笑ましいものだ、と思ってな﹂ ﹁∼∼ああッ、ったく 門であった〟場所へと向けた。 を螺旋状に抉られた大地へ、大穴の空いた天井へ、消し飛ばされた〝 その後ろ姿を暫く眺めていたシュラであったが、やがて、その視線 が、その後がしがしと頭を掻きながら、セラフィナの元へと向かった。 シュラのからかいに、海斗は苦虫を噛み潰したような表情をした ! それとも⋮⋮﹂ ﹁話に聞いていた海斗の師はアルデバラン。だが、幾つかの技の性質 がアルデバランのそれとは大きく事なる。才能か シュラの視線が再び海斗の元へ。 た。 ﹁⋮⋮オレが気にする事ではないな。ん た。 ﹁エリカ ﹂ その口元が僅かに笑みを浮かべていた事に、彼が気付く事は無かっ シュラ。 やるな、と。どこかズレた感想を抱きながら、二人の元へと向かう 打ちだ﹂ ほう、なかなか鋭い平手 とはいえ、二人の様子からたいした事ではないとシュラは判断し ら言い争いを始め出す。 くしたセラフィナと触れただの何だの、見ただの見ていないと、何や そのまましばらく動きを止めていた二人であったが、やがて顔を赤 フィナが倒れそうになる。その身体を海斗が抱き止めていた。 先程の海斗の言葉の通り、力を酷使し過ぎた為か、ふらりとセラ ? と思うが。いや、⋮⋮聖良ってのもある、か。あるのか いた。 ﹁何の話だ ﹂ ﹂ エキドナの青白かった肌には血色が戻り、今は静かに寝息を立てて すとエキドナの汚れた手足や顔を拭いてやる。 やらないよりはマシかと、海斗が着ていた服を破り、〝水〟で濡ら ? まじとエキドナの素顔を見ている海斗。 顔を突き合わせてああでもない、こうでもないと何やら熱心に話し 合っている。 そんな二人にシュラは声をかけていた。 311 ? セア、セーラ⋮⋮だったのかも⋮⋮﹂ ? ﹁どう見ても日本人、いや、少なくとも東洋人だろうからセーラは無い ﹁いえ、レイカ ? エキドナの頭を膝の上に乗せたセラフィナと、身を乗り出してまじ ? ﹁ああ、この娘の名前だよ。ギガスとは関係なく、どうやら操られてい た だ け ら し い、っ て 事 で な。名 前 を 言 っ て い た そ う な ん だ が、セ ラ フィナはハッキリとは覚えていない。だとしても、さすがにそんな相 ﹂ 手をエキドナと呼び続けるのもどうか、ってな﹂ ﹁直接対峙したのはお前だ。そうだったのか ﹂ ﹁俺の目的は達したからな。これ以上この場所に留まる意味も無い。 意気消沈したセラフィナの肩に、そっと海斗の手が置かれた。 それを見かねたのかどうなのか。 ﹁何にせよ││﹂ のか。その思いがセラフィナを責めた。 自分の力は、こんな時にこそ役に立てなければならない力ではない てくれた相手でもある。 自分を攫った相手ではあったが、自分をその身を呈して護ろうとし セラフィナも理屈では分っていた。しかし、感情は別だ。 ﹁⋮⋮はい﹂ 可能性が高い。お前が気に病む必要はない﹂ ﹁操られていた、と言ったな。意識に、精神に何かしら仕掛けられてた この少女が目覚める気配は無い。 少しばかり騒がしかった海斗とセラフィナのやり取りの最中にも、 ﹁⋮⋮見える範囲での傷は癒しました。でも⋮⋮﹂ ﹁目を覚ませば、か﹂ 三人の視線が眠り続けるエキドナ││少女へと注がれる。 ハッキリする﹂ を 信 じ る か、信 じ な い か、だ。そ れ も 全 て は そ の 娘 が 目 を 覚 ま せ ば ﹁つまり、気付かなかったという事だな。ならば、セラフィナの言う事 時効﹂ ﹁あの時点では││今もどうかは知らんが、敵だったからな。時効だ、 ﹁ちょっと、海斗さん ﹁⋮⋮少なくとも、倒す気でエンドセンテンスをぶっ放したな﹂ ? とっとと地上に戻って、病院なり何なり、然るべき場所にその娘を│ │﹂ 312 !? 気を使ってくれているのかと、海斗を見上げたセラフィナであった が、海斗はそこで一度言葉を切ると、鋭い視線を広間の入口へと向け ていた。 一瞬、その表情がどこか安堵した様な緩みを見せたが、直ぐに困惑 したものへと変化する。右手で額を抑え、天を仰いだその仕草は、傍 目にも、悩んでいる、というのがよく分る。 ﹂ ﹁⋮⋮まさか、そっちから接触をしてくるとは。ここに居るのは俺一 人だけじゃないんだぜ 破壊された、口を開けたままの入り口に、並び立つ二つの人影が あった。 ﹁そこに居るのは⋮⋮その聖衣、見たところカプリコーンの黄金聖闘 士か。まさかこの場所で、かの聖剣の使い手と出会えるとは﹂ ﹁抑えろクリシュナ。今、我らが戦うべき相手は彼らではない﹂ 黄金の槍を持った海将軍クリュサオルのクリシュナと、金色のフ ルートを手にした海将軍セイレーンのソレントである。 ﹂ ﹁⋮⋮シュラも抑えてくれるとありがたい﹂ ﹁ふむ。⋮⋮説明は ﹁後でするよ﹂ 成り行きを見守る事にしたのか、シュラはそれ以上何も言わずにセ ラフィナと眠る少女の傍へと下がる。 ﹁お互いの無事を喜びたいところだが、場合によっては素直に喜べな くなりそうなんだが⋮⋮﹂ ﹂ 口調こそ何気ないものであったが、その視線は鋭くソレントを射抜 いていた。 ﹁どういうつもりだ 地底湖での別れ際のやり取りにより、この場においては互いに不干 渉とする。それが暗黙の了解であったはず、と。 その事はソレントも分っていたのだろう。 敵意が無い事を示す様に、クリシュナを一歩下がらせる。ソレント 313 ? そう言って海斗が前に出た。 ? ? 自身も手にしていたフルートを鱗衣にしまってみせた。 ﹁目的は果たせた様だな。先ずは、おめでとうと言っておこう。何、た いした手間は取らせない﹂ ソレントの視線がセラフィナと目を覚まさぬ少女へと向けられた。 想い⋮⋮人 え え、えぇえええ ﹂ ﹁きみの想い人に少々確認せねばならない事がある﹂ ﹁え ? !? ﹁違うのかな それは失礼。では単刀直入に聞こう。きみは宿した ﹁誰が想い人だ、誰が。そこ、勘違いするな、聞き流せ﹂ ? ギガスの王、ギガスの神。大地母神ガイアの産んだギリシア 余震も何も、一切の前触れも無く、この場に居る誰もがまともに その名を、ソレントが口にした瞬間であった。 ││Typhonを、と。 最大の魔獣││﹂ のか ? ﹂ ﹂ この揺れは ﹂ 立ってはいられない程の凄まじい振動が広間を襲う。 ﹁ ﹁地震か ﹁伏せてろ !? ! へと降り注ぐ。 海斗の声に従い、セラフィナが少女の身体を抱き寄せて身を伏せ る。 二人の頭上から一際大きな岩盤が落下するが、空を引き裂く海斗の 跳べ ﹂ 拳によって粉塵と化す。 ﹁海斗 !! くっ ﹂ ! 大地が隆起と陥没を繰り返し、刻々とその姿を変えていく。拡大 た。その亀裂から、巨大な火柱が噴出する。 地面が裂け、それまで海斗が立っていた場所が雪崩の様に崩れ落ち ﹁ に従い跳躍する。 二人へと注意を向けていた海斗は、何が起きたのか分らぬままに声 シュラが叫んだ。 ! 314 ? ? いたる所で天井が、壁面が崩れ落ち、大小問わず無数の岩石が広間 ! !? !? し、拡散していく大地の亀裂から、鉄を溶かした溶鉱炉の中身の様な、 ﹂ 灼熱した溶岩までもが溢れ始めていた。 ﹁このタイミングで噴火か ﹁いや、これは⋮⋮﹂ ﹁何ッ ﹂ ﹂ ﹁ただの熔岩じゃない ﹂ 溶岩がリングの様に中央に穴を開け、衝撃波を抜けさせたのだ。 た。 放たれた衝撃波が、二人に覆い被さろうとする溶岩を││突き抜け ﹁吹き飛ばすだけなら││コイツで﹂ あった。 初動と威力こそ違うが、それはアルデバランのグレートホーンで される両の掌。 舌打ちをして海斗が両手を腰だめに構える。一拍を置いて突き出 ﹁チッ に弧を描き、二人へと襲い掛かる。 その場所に、噴き上がった溶岩が、まるで意思を持っているかの様 退避した先で、偶然にも背中合わせとなった海斗とソレント。 !? ││海斗さん ﹂ ! セラフィナ シュラ ﹂ そっちはどう ! ていた。 ﹂ ﹁まさかな、狙いは俺か だ ﹁あの娘とセラフィナは無事だ ! シュラの言葉の通り、炎によって遮られた視界、炎の壁の向こう側 ! ? 海斗の周囲は炎と熔岩によって囲まれ、ただ一人孤立する形となっ 偶然か、それとも。 悲鳴じみたセラフィナの声に海斗が視線を動かす。 ﹁ッ お互いに逆方向へと跳びこれを避ける。 肩を並べたのは一瞬。 明らかに、何者かの意思が介入しているッ ﹁この動き、不自然だ ﹂ ! !! 315 ! !? ! !! ! にはセラフィナ達のものと思われる影が見えていた。 少女はシュラの腕の中にあるのだろう。この騒ぎでも目を覚まし ていないとすれば、少々面倒な事になるのかもしれない。 シ ュ ラ 様 が 海 斗 さ ん は 大 丈 夫 な ん で す か ﹁⋮⋮他人の心配をしている余裕は無いか。そっちは外に出れそうか ﹂ ﹁│ │ 大 丈 夫 で す ﹂ 周囲を見渡す。 心当たりは││ある。 ﹁こっちの事は気にするな ばかし派手な事になるな ﹂ 巻き込まれない内に早く脱出してくれ ﹂ ただ、コイツを吹っ飛ばすにはちいと 厄日かと、海斗は頭を抱えたくなっていた。 けられたなと。 セラフィナが狙いから外れた事は喜ばしいが、今度は自分が目を付 事実、先程まで確かに感じていた小宇宙が急速に遠退いていた。 るだろう。 恐らく、いや、確実に二人の海将軍も〝この場〟から排除されてい 明らかに、不自然であり作為的であった。 となる。 拳圧で吹き飛ばしても、瞬く間に新たな炎が更なる勢いを持って壁 迫って来る事がない。 奇妙な事に、海斗を囲む炎はある一定距離からはそれ以上内側へと ︵そんなワケはないよなぁ⋮⋮︶ これがただの噴火、ただの炎であるならば、何の問題も無いのだが。 い。 揺れや落石は大分マシにはなっていたが、目に映る光景は変わらな ! 嘘は言っていない。穏便には済まないだろう。 ﹁シュラ !! ! ! 自分の事だけならまだしも、他人を守れるだけの余裕は今の海斗に たのだが、そうするとセラフィナ達の安全が保障出来なくなる。 海斗としては、正直に言ってしまえば、手を貸して貰えると助かっ ! 316 ! ? !? は無かった。 元々、シュラはムウがジャミールを留守にする間、セラフィナの護 衛をするためにやって来たと言っていた。 ならば、この状況で何を優先するのかは考えるまでもない。 ﹁分った﹂ 短く、はっきりとシュラが答えた。 優先順位として正しく、そして期待通りの言葉を受け、海斗は安堵 の溜息を吐いた。 ︵とりあえず、これで心配事が一つ減ったな︶ 次は自分の事だと海斗が意識を切り替えようとしたその時であっ た。 何を ︶ シュラ達と海斗を遮っていた炎の壁が〝斬り〟開かれたのは。 ︵││エクスカリバー ﹁⋮⋮縁起でもない事を﹂ ﹁││別れの挨拶は済んだか ﹂ ら、事が済んだら御祓いにでも行くかと、半ば本気で考えていた。 海斗はセラフィナ達の小宇宙が遠ざかって行くのを感じ取りなが そして、炎の壁がその勢いを増して再び壁となって立ち塞がった。 セラフィナと海斗の視線が交差する。 て来るセラフィナの姿が見えた。 たシュラとその手に抱きかかえられた少女が、真っ直ぐな視線を向け 疑問を抱いた海斗であったが、開かれた視界からこちらに背を向け そんな事をしても、この炎は瞬く間に元の姿に、壁となるだけだ。 ? 次いで、鳥の翼と何本もの巨大な手足。 そこから最初に具現したのは百の蛇の頭。 振り返った海斗の前に、赤い闇が蠢いていた。 あの程度で終わるのかと。 自分の小宇宙が増大していたとはいえ、仮にもトアスを従えた男が 呆気なさ過ぎたが故に。 もしかしたらと予想はしていた。 ? 317 !? ﹂ 蛇の眼窩から炎が吹き荒れ、暴風とともに大蛇の胴が這いずり出 す。 ﹁これは⋮⋮コイツはッ 周囲には腐臭が立ち込め、目に見えぬ力が海斗の身体へと圧し掛か り、それに弾かれる様にして海斗は飛び退く。 膝を着いた海斗の目の前で赤い闇が││魔獣が爆ぜた。 熱気と重圧を、瘴気と狂気を撒き散らし、現れたのは赤と青、炎と 風、二つの色を宿した左右非対称の金剛衣。 胸元に込み上げる不快感を押し殺し、海斗はそれの前に立つ男を見 た。 ﹁これが、我が金剛衣。我らが神Typhonの力を宿した最強の金 剛衣よ﹂ 男の名は││ポルピュリオン。 その肉体には、掠り傷一つ見付ける事が出来なかった。 ﹁⋮⋮予感はあったが、そう来るか⋮⋮﹂ 対するのは頭部と胸部を失くした、全壊した聖衣を身に纏い、続い た戦いで消耗した自分。 思い浮かべた予測を振り払うように、即座に海斗が仕掛けた。 後手に回るのは拙い。一度守勢に回ってしまえば、二度と立て直す ﹂ 事は出来ないとの確信があった。 ﹁〝エンドセンテンス〟 放たれた無数の光弾が、次々とポルピュリオンの身体を撃ち貫く。 鮮血が舞い散り、ポルピュリオンの身体がぐらりと揺れた。 それだけであった。 ﹁全てが思惑通りとはいかなかったが、結果だけで言えば概ね順調で はあるのだ。我が神の復活までは行かずとも、こうして我は力に満ち ている﹂ 口元を歪めてポルピュリオンが笑う。 ﹁あの娘を母体と出来ればそれで良し。それが叶わねば、新たな母体 を探すだけよ。あの娘程の者が居るかは分らぬが、我にとってはその 程度の事に過ぎん﹂ 318 !! !! 海斗の目の前で、穿たれた肉体が、鮮血を噴き出していた傷口が、瞬 く間に治癒し、欠損した肉体が再生される。 ﹁デルピュネが聖域を落とせればそれで良し。仮に返り討ちにあった ところで、その血肉と魂は我が神の供物となり││力となる﹂ そう語るポルピュリオンの手には、真紅のルビーが握られていた。 失われた輝きが戻り、赤い光を灯していた。 ﹁我は貴様らに、その健闘を賞賛しているのだ。結果として、多くの力 ある魂が我が神に捧げられたのだからな﹂ Typhonの金剛衣が、瞬く間にポルピュリオンの身に纏われ る。 ﹁おかげで、こうして我は神代の力を、ガイアの加護を取り戻す事が出 来たのだ。礼を言うぞ、エクレウスの聖闘士よ﹂ 自分以外のギガスが勝とうが負けようが、どうでもよ ﹁⋮⋮そういう事か。つまり、お前は、仲間の、配下の命すら贄として いたんだな かったワケだ﹂ 返答はなかった。 ただ、浮かべられた笑みが、それが真実であると雄弁に物語ってい た。 ポルピュリオンが一歩進む。 ﹂ 風を纏った右半身により踏み込まれた一歩である。 ﹁くっ、これは 展開する。 ﹂ デルピュネの炎を打ち消した時の様に、海斗は目の前に水の障壁を ﹁クッ、ならば 炎を纏った左半身により踏み込まれた一歩である。 ポルピュリオンが一歩進む。 ていく。 を防ぐ事は出来なかった。海斗の身に、浅くはない傷が次々と刻まれ もはやプロテクターとしての機能を失っている聖衣ではその全て 迫る。 歩みだけで嵐の如き暴風が巻き起こり、風が刃となって海斗の身に !? ! 319 ? ﹂ 果たして、予想通りに風の勢いを受けた炎が、熱波が、海斗へと迫 り││ ﹁││やっぱりかよ、くそっ 跳び退いていた海斗の目の前では、易々と障壁が削り、消し飛ばさ れていた。 ︵肉 体 を 破 壊 で き な い 訳 じ ゃ な い。な ら、ギ ャ ラ ク シ ア ン エ ク ス プ ロージョンで吹き飛ばせば⋮⋮いや、多分それだけじゃあ││一手が 足りない︶ 事実、一度はホーリーピラーによってその肉体を消し飛ばしていた はずであった。しかし、こうして目の前にポルピュリオンは存在して いる。 ガイアの加護による不死の肉体。厄介な、と海斗が呻く。 ギャラクシアンエクスプロージョンで破壊するだけでは、時間稼ぎ にしかならないとの確信があった。 海斗はポルピュリオンの動きを観察する。 決して戦えない相手ではない。それも自分が万全の状態であるな らば、だが。 ︵せめて、聖衣だけでもまともな状態なら⋮⋮︶ 聖衣はただ身を守るためのプロテクターではない。 むしろ装着者の小宇宙を高め、その力を十二分に発揮させるための 増幅器的な役割の方が大きい。 その効果は、白銀、黄金と、上位の聖衣であるほど顕著であった。聖 衣自体に宿る力の桁が異なるのだ。 無論、それを発揮させるためには天才的なセンスと確たる実力が必 要であり、資格の伴わない者が黄金聖衣を身に纏ったところで青銅聖 闘士はおろか下手をすれば雑兵にすら勝利を得る事は出来ない。 そこでふと、ガルーダの冥衣はどうなった、と海斗は僅かに視線を 動かした。 すると、炎と熔岩の向こう側に、魔鳥へとその姿を戻したガルーダ の冥衣があった。 ﹁死んだ方がマシだなんて言う気は無いが、それも俺が俺であるなら 320 !! ば、だ。⋮⋮やれるか ﹂ 受け入れた上で、制御しなければならない。失敗すれば己を失い、 冥衣の操り人形と化すのだろう。 ポルピュリオンの醸し出す力の余波ですらダメージを負ってしま うこの状況では、身を守る鎧の有無は大きい。時間は無い。四の五の 言っていられる状況でもない。 ﹁⋮⋮節操無しもここに極まる、か﹂ メフィストフェレスは海斗に囁いた。歴史は繰り返す、と。 その言葉に、海斗は自身の行動によって否を突き付けた。 しかし、細部を変えども、再び繰り返そうとしている。 こちらの意志を感じ取ったのか、海斗はガルーダの冥衣が鳴動する のを感じていた。 命を掛ける理由が出来た。そのためにも、命を失う訳にはいかない のだ。 シュラによって炎が切り裂かれたあの時、セラフィナが言った。 ジャミールで待っている、と。 ﹁来い││﹂ 座して死を待つつもりはない。 どこかで、カチリと、運命の歯車が〝回る〟音が響いた。 灼熱の赤に染まった世界を、一条の閃光が貫いた。 そのあまりの眩さに、ポルピュリオンが眉を顰める。 な、なにい そして、その光が治まる事で顕わとなったソレを見て、ポピュリオ ンが驚愕する。 ﹂ ﹁何だ、この黄金の光は 何なのだ、あの輝きは あれは、あの聖衣は !? ﹁⋮⋮ジェミニの黄金聖衣﹂ う事のない双子を象った黄金の聖衣。 光の中から姿を現したのは、一つの身体でありながら互いに向き合 !! 321 ? ? ﹁⋮⋮そんな、これは⋮⋮﹂ !? 目の前の光景に、海斗もまたどこか呆然とした様子で呟いた。 対峙する二人の前に、この大地の底に、ジェミニの黄金聖衣が天を 貫き出現していた。 ﹁そうか、これは⋮⋮貴方の遺志か、カストル﹂ それが、キタルファの願望が生み出した幻影であったのかは海斗に は分らない。 やるしかないだろう、やって 師弟揃って過保護過ぎるだろう しかし、海斗の目には、ジェミニの黄金聖衣の前に立つカストルの ﹂ ? 姿が映っていた。 ﹁は、ははは。はははははっ 力を貸せ││﹂ こうも、こうまでお膳立てされては やるさ ﹁来い││ジェミニ カストルが頷き、その姿が聖衣へと消える。 ! ! 無論、それ程の光の力を制御するには相応の高い小宇宙が必要とさ つまり、黄金聖衣とは太陽の鎧であり、光の鎧であるとも言えよう。 光のエネルギーが蓄積され続けている。 の影響下にあったという事であり、その内には膨大なまでの太陽の、 そして、黄道十二星座を司るという事は、神話の時代より常に太陽 位の聖衣にはないその特性故に、である。 〝光を吸収し構造内に封じ込めエネルギーに変換する〟という、下 材質だけが理由ではない。 黄金聖衣。その聖衣が放つ黄金の輝きは、決して用いられた素材の それを成すための力を、今ここに得た。 絶ち切ればよいだけの事。 ガイアの加護がポルピュリオンを不死とするのならば、その加護を 為の力を与える。 キタルファの記憶とジェミニの聖衣が、海斗の求めた一手を、成す とその身に纏われていく。 エクレウスの聖衣が海斗の身体から分離し、ジェミニの聖衣が次々 海斗の声に応え、ジェミニの黄金聖衣がその姿を変える。 !! れ、それを実行できるだけの力を持った者が黄金聖衣に認められ、身 322 !! に纏うのだ。 それが、一体どれ程の相乗効果を生むのか。 ジェミニの聖衣を纏った海斗と、ポルピュリオンが対峙する。 吹き荒れる風も、炎も。すでに余波程度の力では、海斗の身に何ら 影響を与える事はできない。 ﹁まさしく、まさしく因縁よな。千年前、我らの神の復活を邪魔したの がエクレウス。そして、この我と対峙した聖闘士が││ジェミニで あったわ﹂ ﹁らしいな。まったく、下らない因縁だ。だがな、それもここまでだ﹂ 風と炎が吹き荒れる赤に染まった空間に、眩いばかりの黄金の輝き が一際異彩を放つ。 むしろ、周囲の炎がその勢いを増す程に、黄金の輝きもまたその勢 いを増しているかの様であった。 ﹁││ここで俺が終わらせる﹂ 323 第21話 閃光の果てに の巻 崩落により刻々と姿を変えて行く洞内が、絶え間なく続く振動、噴 き上げる炎が、地上へと駆けるセラフィナ達の行く手を幾度となく阻 む。 その度に、シュラの聖剣が障害を、駆け抜けるべき道を斬り開く。 ただ、ひたすらに前へと。 繰り返し、繰り返し。それを数えるのに片手だけでは足りず、両の 手が必要となる。そんな折であった、セラフィナが足を止めたのは。 偶然であった。 シュラとセラフィナの間に噴き上げた炎、そこに光る何かを見付け たのだ。 先を行くシュラでは気付かなかった。その光る何かは聖衣であっ た。 地底湖での戦いによって弾き飛ばされたエクレウスのヘッドギア である。 それを取ろうと足を止め、手を伸ばした。 その行為がセラフィナの命を救った。 洞内が縦にずれる。 シュラの立つ場所が上昇し、セラフィナの立つ場所が下降した。 あのままであれば、セラフィナが駆けて抜けていたであろう場所 ﹂ が、灰色の光によって斬り裂かれていた。 ﹁セラフィナ ﹂ それは、研ぎ澄まされた刃の様な両手を持ったギガスであった。全 パイオス スパテー 身を黒の鎧が覆い、鉄仮面から覗くその眼光は鋭い。 ﹁我が名は灰色の刃。我が両腕は全てを切り裂く刃なり﹂ 再び、灰色の光が洞内を斬り裂く。 その光の数は八つ。全てが同時に現れていた。 324 ! ﹁大丈夫です でも、これって、この攻撃的な小宇宙は││ギガス ! ! 斬り裂かれた壁面からは一体のギガスが姿を現していた。 !? ﹁〝エクスカリバー〟 ﹂ 遇、と言うべきかな﹂ ﹂ ﹁あなたは⋮⋮セイレーン、海闘士のソレント⋮⋮さん とうございます﹂ あ、ありが ﹁ふむ、あの場からこの様に繋がっていたか。しかし、この再会は、奇 シュラの放った光に、ではない。 た。 セラフィナの目前で、灰色の光が黄金の輝きによって弾き飛ばされ 光と光がぶつかり合う。 はそれに構わない。任された以上は果たさなければならない、と。 急制動による猛烈な負荷が、完治していない右腕を襲うが、シュラ シュラが振り切っていた右腕を強引に引き戻して再び刃とする。 ︵││させん︶ セラフィナの意識は光を捉えていたが、それだけだ。 残 る 一 つ の 光 が セ ラ フ ィ ナ に 迫 る。そ の 瞳 に 灰 色 の 閃 光 が 映 る。 ほんの僅かな狂いとなって聖剣の刃筋を乱していたのだ。 抱えていた少女の存在が、アルキュオネウスとの戦いによる消耗が、 シュラの意識は八つ全ての光を捉えていた。しかし、その腕で抱き 想定外の出来事に。 シュラの目が見開かれた。 ﹁な││ そう││七つを。 シュラの聖剣の一振りが七つの光を捉え、その全てを斬り飛ばす。 ! ﹁あらためて名乗ろうか、カプリコーンの黄金聖闘士よ。そう、オレは ﹁海将軍。確か、クリュサオルのクリシュナと言ったな﹂ ジェネラル でならん﹂ 前ほどの戦士を目の前にしながら、この場で刃を交えられぬ事が残念 ﹁戦いに疲労し、足手まといを抱えた身でありながら見事な剣閃。お 輝きであり││ それは、セラフィナをかばう様に立ったソレントの身に纏う鱗衣の ﹁無理に敬称を付ける必要は無い。そして感謝の言葉も必要無い﹂ ? 325 !? 七つの海を守護する海将軍の一人、クリュサオルのクリシュナ﹂ それはクリシュナの持つ黄金の槍の輝きであった。 ﹁フッ。どうやら、この地にはまだこの黄金の槍を振るわねばならぬ ゴールデンランス 邪悪が残っていたらしい﹂ 黄金の槍の一撃がセラフィナを救ったのだ。 ﹁今は行くが良い、アテナの聖闘士。お前もだ、ソレントよ。偉大なる ﹂ ポセイドン様の敵、邪悪なるギガスは、このクリシュナの黄金の槍が 貫く﹂ ﹁クククッ、面白い。お前の持つその槍、あの名高い黄金の槍か クリシュナが黄金の槍の切っ先をパテーに向ける。 パイオス パテー 対峙するパテーもまた、己の両腕を、その切っ先をクリシュナへと 向ける。 ﹁ならば、我が灰色の刃とどちらが上か、試し、分らせるのも一興か﹂ ﹁試し、か。よかろう。だが、心せよ。試しで終わる、二度目は││無 い﹂ 両者の意識が既に自分達に向けられていない事を悟ったシュラは、 セラフィナに﹁行くぞ﹂と声を掛ける。 逡巡を見せたセラフィナであったが、手にしたエクレウスのヘッド ギアと、シュラに抱えられた少女の存在を思い出し﹁はい﹂と頷く。 ﹁待ちたまえ﹂ そうして駆け出そうとしたセラフィナをソレントが引き止めた。 何か、と振り返ったセラフィナの目が、ソレントの手の中でまるで 大海の青を思わせる様な美しい光を放つ宝石に惹き付けられる。 その輝きは、ポルピュリオンによって押し当てられていた真紅のル ビーにも似た妖しさがあり、美しさがあり、存在感があった。 あれと同種の物だと、直に触れたからこそ瞬時に理解したセラフィ ナであったが、同時に全く異なる物だとも感じていた。 326 ! ならば、これを彼 澄んでいた。澄み渡り、清浄であった。神々しさがあった。 ﹁君は、彼と⋮⋮エクレウスとは親しいのだろう ソレントの手から投げ渡されたそれをセラフィナが受け取る。 に渡してもらいたい。なに、害のあるモノではない﹂ ? ﹁えっ あ、あれ 迫っていた。 ﹁な、なななな ﹂ ﹂ そして、気付けば先に行ったはずのシュラの背が目前の位置にまで き抱えられていた為だ。 するりと、抵抗する意思を見せる間も無く、ソレントに横にして抱 ﹁時間を取らせたな。それでは、急ごうか﹂ 出る事は無かった。 一体何を、そう続けようとしたセラフィナであったが、その言葉が ﹁あなたは││﹂ えてくれればいい﹂ の知らない事だろうが、彼とは妙な縁があってね、友好の証とでも伝 ﹁その宝石はアクアドロップ。我らにとってはお守りの様な物だ。君 た輝きが失われ、ただ青く輝く宝石でしかなくなっていた。 すると、まるで波が引く様に先程までソレントの手の中で見せてい ? ントの言葉は誰の耳にも届く事は無かった。 君に何かあれば彼に嫌われてしまいそうなのでな。呟かれたソレ が、道中何が起こるかは分らん﹂ ﹁い ざ と な れ ば カ プ リ コ ー ン が 何 と か す る つ も り で あ っ た の だ ろ う ているのだろう。 の爪はめくれ、剥がれており、血に濡れた足の裏は更に酷い事になっ セラフィナにはそれに対して言い返せる言葉が無い。事実、足の指 ﹁⋮⋮ッ⋮⋮﹂ 淡々と事実だけをソレントが述べる。 は無理だ﹂ 見たまえ、君の足は血塗れだ。君では素足のままこの洞窟を抜ける事 ﹁いかに鍛えられた聖闘士とは言え、生身の限界というものがある。 !? ︵そうだ、今はまだその時ではない。見極めなければならない︶ 第21話 327 ? ムウの手によって新生されたエクレウスの聖衣。 それを身に纏った時、海斗は聖衣に満ちた、修復前の聖衣からは感 ゴールドクロス じ取れなかった命の息吹に、迸る〝生命の躍動感〟に感動していた。 これ程のモノか、と。 そして、今。 アテナの聖闘士にとって最高にして至高の聖衣とされる黄金聖衣 を身に纏い、海斗は己を包む〝躍動感〟を超えた〝飛翔感〟に、〝万 能感〟を超えた〝全能感〟に、思わず口元を歪めていた。 ︵⋮⋮これは、拙いな。ああ、これは拙い︶ セラフィナの力によって僅かながらも傷を癒す事が出来ていたと はいえ、海斗自身が満身創痍の身であった事に変わりはない。 対する敵は、配下であり同胞であったギガス達を生贄としてかつて 328 の力を、オリンポスの神々と戦った当時の、古の巨人族の力を完全に 取り戻しつつある。 不死性を取り戻し、その肉体にギガスにとって最高位の金剛衣を 纏った真なるギガス││ポルピュリオン。 存在の格で言うならば、人と神。どちらが上か、など比べるまでも なく。 力にしても同様。相手は神でありながらTyphonとガイアと ご大層な加護など受けた覚えは無い。 いう更なる上位にある二神の加護を受けている。 対する自分には何がある 衣。まるで⋮⋮負ける気がしない︶ ︵落ち着け、抑えろ。しかし、本当に拙いぞこの感覚は。これが黄金聖 の内から湧き上がる高揚感に呑み込まれそうになっている。 出来なかった。聖衣から与えられる力と、聖衣から引き出した力、己 それが分っていても、なお、海斗は口元に浮かぶ笑みを抑える事が 油断も慢心も、そんなモノを抱けるような相手では無い。 ﹁ク、ククッ﹂ あるのは己の意志と、託された人の遺志。 ? ﹂ ポルピュリオンが右腕を振り上げた。吹き荒ぶ大風を纏った右腕 を。 ﹁〝ストームスラッシャー〟 は分った。 ﹁フッ ﹂ と、気合いの声とともに一気に振り下ろした。 果たして、海斗は無造作に右腕を振り上げ指を伸ばして手刀を作る 終わってくれるな、と。 ポルピュリオンが期待を込めた眼差しを海斗に送る。この程度で ﹁さあどうする ﹂ かったが、それを見て海斗が僅かに眉を顰めた事がポルピュリオンに 頭部全体を覆うヘルメット型のジェミニのマスクに隠れて分り辛 の風の刃と化して、四方八方、縦横無尽に海斗へと襲い掛かる。 嵐は周囲で噴き上がる熔岩や熱波を巻き込ながら、炎を纏った無数 腕を振る。ただそれだけの動きで大地がめくれ上がる。 こす。 ││背に生やした巨大な翼は、羽ばたき一つで吹き荒ぶ嵐を巻き起 の神Typhon。 ││大地母神ガイアと苦界タルタロス︵冥府︶の息子であるギガス !! ていた風の刃の尽くが打ち砕かれる。 しかし、刃を砕かれた風は、ならばと、炎を纏った衝撃の飛礫と化 して、次々と海斗の身体を打ち据えていた。 そんな中で、一際高い音が響き渡る。ジェミニのマスクが弾き飛ば され宙を舞っていた。 衝撃によるものか、それとも他の要因か。マスクを飛ばされ仰け 反った海斗の額からつうと血が流れる。 ﹁⋮⋮チッ、やっぱり見様見真似じゃこんなものか。分っちゃいたが﹂ ふらついたのは一瞬。そう呟く海斗の目にはまだまだ確かな力が ある。 329 ? 振り下ろされた手刀に宿された光の軌跡に沿って、海斗へと向かっ 一閃。 !! ﹁線や点では無理だ、ってんなら ﹁ぅおおおおおッ ﹂ 〝エンドセンテンス〟 ﹂ そして、今の海斗にはそれが出来るだけの力がある。 暴論であったが間違ってもいない。それができるのであれば、だ。 打ち砕いた刃が無数の飛礫になるのなら、その全てを打ち砕く。 !! !! 後退させた分だけ深い溝が刻み込まれていた。 まさか、この、最強の金剛衣に傷を付けるか !! ﹂ ガ イ ア の 加 護 !! を叩く。 ﹁う、ぬッ くっ、速いな。あの速度で回復するのか⋮⋮﹂ ポルピュリオンの上げた気勢が物理的な圧力を伴って海斗の全身 生を果たしていた。 金剛衣にこそ傷が残ってはいたが、その内にある肉体は瞬く間に再 をッ ﹁だ が、言 っ た は ず だ ⋮⋮ 我 は 力 を 取 り 戻 し た と も、気迫に満ちた叫びを上げて仁王立ちするポルピュリオン。 エンドセンテンスによって与えられた衝撃に巨躯を揺らしながら ﹁ぐっ、むうぅっ ﹂ 絶え間無い衝撃がポルピュリオンの巨体を後退させる。大地には 金剛衣に傷を与え、鋼の肉体に確かなダメージを与える。 破壊の光弾が、閃光が、嵐を貫きポルピュリオンへと届く。 !! ! ﹂ ならば、これを受けてみよ、大いなる大地の怒りを ! 〝フレグラスボルゲイン〟 !! ﹁嵐は凌いだか 灼熱の業火を纏った腕を。 ポルピュリオンが左腕を振るう。 !? 振るわれた左腕の軌跡に沿って大地が煮沸し、瞬く間に炎の海と化 す。その炎の海から巨大な炎蛇が姿を現す。荒れ狂う勢いのままに、 その巨大な顎を開き海斗へと襲い掛かる。 〝ハイドロプレッシャー〟 その密度、その大きさ、その異様。デルピュネの生み出した炎蛇と は比べようもない。 ﹁その手の攻撃は散々見てきたんだよ ﹂ ! 330 !! ││其は百の蛇の頭を持ち、その眼窩からは炎を放つ。 !! !! 海斗の突き出した両手から、巨大な槍とでも形容出来そうな水流が ﹂ 放たれる。巨大な水槍がまるで杭の様に炎蛇の口腔に突き刺さり、瞬 手応えが無さ過ぎる⋮⋮っく、そういう事か く間にその頭部を四散させた。 ﹁何 ﹁〝レイジングブースト〟 ﹂ 多少のダメージは覚悟の上と、迫る炎の壁を前に海斗は決断した。 ︵迷っている暇は││︶ それはまるで炎の壁であった。 斗に迫る。 四散したはずの炎はそれぞれが頭となり、それぞれの顎を開いて海 一つの胴体に複数の頭部。 ﹁⋮⋮自ら分れた、か。まるでヤマタノオロチだな﹂ 炎蛇は頭部を破壊され四散した││のではなかった。 前で示される。 海斗はその光景にどういう事かと訝しんだが、その答えは直ぐ目の ! い。 少なくとも〝足場のない炎の海で戦う〟事は、海斗の常識ではな 識は存在する。 聖闘士は一般人の常識を超えた存在ではあるが、その聖闘士にも常 そうではない。 めた黄金聖闘士にとっては些細な事であったが、今の海斗にとっては 第六感、いわゆる超能力を超えた第七感〝セブンセンシズ〟に目覚 が炎の海の中へと消えてしまっていた。 もはや、この戦場に足場と呼べそうな場所は多くは無い。ほとんど ﹁⋮⋮おいおい﹂ いた場所を炎の海へと変えていた。 眼下では炎がまるで津波のように押し寄せ、先程まで自分の立って 水流を身に纏い、炎の壁を蹴り穿つ。貫いて飛翔する。 ! どうするかと僅かに逡巡する。 ﹂ それが隙となった。 ﹁呆けている場合か ? 331 ? ぞくり、と。 背後から感じるプレッシャー。しかし、空中にいる海斗に取れる手 は多くはない。 海斗が振り返るよりも速く、ポルピュリオンの手が頭部を鷲掴みに していた。 ││其の咆哮は大地を揺るがし、何本もある手足は容易く大地を打 ち砕く。 その手から逃れようとした海斗であったが、何一つ身動きが取れな い。 ﹁よ く ぞ T y p h o n の 力 に 抗 っ た。最 後 は 我 の 力 で 仕 留 め て や ろ う﹂ 風が、全身を拘束している事に気が付いた。 獰猛な笑みを浮かべたポルピュリオンの手に、一層の力が込められ る。 ﹁フンッ ﹂ クリシュナの気迫が大気を振るわせる。 火花を散らし、刃を鳴らし。二合、三合と打ち合わされる致死の一 撃。交されるその質は実に対照的であった。 332 グンッと、海斗は全身に重圧が掛かるのを感じていた。 ﹂ 風の拘束を打ち破り、海斗がポルピュリオンのその手を掴んだ時に はもう遅い。 ﹁打ち砕く││〝ギガントクラッシャー〟 ﹁おおっ ﹂ 忽然と││消えた。 やがて、大きく弾け。 二つの小宇宙が大地の底へと突き進み。 夜空から地上へと落ちる流星の様に。 空気を貫き、風を貫き、炎の海を貫き、大地を貫き。 !! 刃を振るうパテーの気勢が大地を揺らし、 !! !! 二刀を振るうパテーの刃は重い。ただひたすらに重かった。速度 を捨てた重さであった。捨てた速度を二刀流の技量が補っていた。 対するクリシュナの槍は早く、速く、疾い。 ﹂ 剣の間合いでありながら、いなし、捌き、打ち払い、隙あらば連撃 やるではないか人間 を繰り出せる程に、巧みであった。 ﹁クははッははは ! ﹂ この我を、神を愚弄するかァあああああッ ぐぅああああああああっ ﹂ 〝八陣爪ォオオオオ〟 ﹂ !! !! た。 捉えきれるものか ﹁この刃は全て 無いッ !! 我が小宇宙によって意のままに動く 逃げ場は 一本の剣であった腕が、八つの刃を持った剣へとその姿を変えてい !? を覆う黒の鎧を斬り裂いた。 ﹁がぁ でェえッ こ、これしきの、これしきの事 槍の一閃がその閃光を絶ち斬り、パテーの左腕を斬り飛ばし、その身 灰色の閃光がクリシュナに迫る。だが、横薙ぎに振るわれた黄金の !! でなければ││終わらせるのみ﹂ ﹁貴││キサマッツ ﹁愚弄などでは無い。事実よ﹂ !! パテーが両の剣を振りかぶり、左右と続けて振り下ろす。 ﹂ 先 に 戦 っ た 獣 将 と や ら 程 で は な い。底 が あ る な ら 早 く 見 せ る 事 だ。 ﹁試しは終わりだと言っているのだ。確かにやるようだが、それでも ﹁何 ﹁分った。もういい。十分だ﹂ そして、こう言った。 ると、その石突きを地面に突き立てる。 熱を増すパテーに対して、クリシュナは手にした黄金の槍を一瞥す 一際大きな音を残し、両者が弾ける様にして間合いを広げる。 !! ! ﹂ 捉える必要すらありはせん、そう││この黄金の輝きの前には無意味 ﹁ほう、これが最初に見せたハつの斬撃の正体か。だが、たかが八つ。 !! !! 333 ? パテーが残る右腕を振り上げる。 !! !? くらえ〝フラッシングランサー〟 ! クリシュナの手によって繰り出される黄金の槍による連続突き。 あまりの速度とその回数に、点であるはずの穂先の輝きが一面を埋 め尽くす程の光と化してパテーの身体を埋め尽くす。 ﹁言ったな、二度は無いと﹂ 光がパテーの八つの刃を、黒の鎧を、その肉体を、全てを打ち貫い ていた。 聖域。 アテナ神殿へと繋がる十二宮、その第三の宮である双児宮に教皇│ │サガの姿があった。 今は純白の法衣に身を包み、首には││装飾過多であるとしてサガ はあまり好んではいない││ロザリオをかけている。 教皇に代々受け継がれている翼竜を模した兜を被り、顔を覆い隠す マスクによってその感情の色を知り得る者はいない。 聖域を統べる教皇、その様な立場にある者が、こうして素顔を隠し ているという事は一見おかしな話であるが﹁己という個を捨てて地上 の平和のた為に、アテナの為に尽くす﹂という題目によって、千年ほ ど前からの慣例となっていた。 それだけでは無いのだろうとは薄々感づいてはいたが、故あって正 体を隠さねばならないサガにとっては好都合であった。 ﹁⋮⋮いや。むしろ、だからこそこの現状がある、とも言えるか﹂ 素顔の分らない存在。だからこそ入れ替わりという事が出来た。 そう一人ごちながら、サガはかつて己が暮らしていた双児宮の奥へ と足を踏み入れる。 それは海斗がデルピュネと共に聖域から姿を消して暫く、襲撃して きたギガス達のほぼ全てを打ち倒し、少なくとも目先の脅威は払拭さ れたかと、皆が僅かに緊張を、警戒を緩めた時の事であった。 落雷かと誰もが思う様な轟音が鳴り響き、無人の双児宮から眩いば かりの輝きを放つ光の柱が立ち昇ったのだ。 教皇の間の前からその光景を見下していたカミュやサガ、シャカが 334 一体何事かと反応する間もなく、そこから流星が飛び立って行った。 その流星の正体に、それがジェミニの黄金聖衣であると真っ先に気 付いたのは、当然の事であるが本来のジェミニの黄金聖闘士であった サガである。 とはいえ、それが千年前のジェミニの黄金聖闘士カストルの遺志に よる奇跡であったなどと、その光景を目にしても理解出来た者はいな い。いるはずが無い。 故に、その奇跡は知らぬ者からすれば紛う事無き異変以外の何者で もない。 十二宮を守護する黄金聖闘士とはいえ、他の宮の内情までをも把握 している訳ではない。例外があるとすれば、それは彼らを統べる教皇 かアテナか、である。 ジェミニ不在としている以上、教皇の立場を利用してサガ自身が確 認の為に双児宮へと向かったのだ。 サガが足を踏み入れたのは居住区の、その先にある小さな一室で あった。 扉の鍵を開け、およそ十年ぶりに踏み込んだその室内は、サガが予 想していたよりも荒れ果ててはいなかった。 天井を見上げれば、開いた穴から陽の光が差し込まれ、降り注ぐ光 の元には石造りの台座が、その上には開かれたパンドラボックスが あった。 薄暗い室内にあって、陽の光に照らされ黄金の輝きを放つパンドラ ボックスには神々しささえ感じられる。 ﹁カノンでは⋮⋮ないな。もっとも、あれが今更聖衣を求めるとは思 えんが﹂ サガに弟がいた。その事実は聖域ではほとんど知られていない。 幼き頃から心優しき誠実な男、神の様な清き男として育ち、育てら れ、称えられてきたサガ。 そんな兄とは異なり、カノンはサガに匹敵する力を持ちながら己を 悪だと言い切り、悪事にも手を染めていた。双子の兄弟でありなが ら、その生き様は正反対であった。 335 それでも、と。サガはいつかカノンが正義に目覚める事を期待して いた。血を分けた兄弟を信じていた、とも言える。 しかし、それが誤りであったとサガが痛感した出来事が起こる。 それは、今からおよそ十一年前の事であった。 聖域に赤子としてアテナが降臨してから、当時の教皇が次期教皇に お前は一体自分が何を言っているのかを分っ アテナを、聖域に降臨された幼きアテナを││﹄ カノン サガではなくアイオロスを指名してから僅か数日後の事であった。 ﹃馬鹿な ﹃出せ サガ オレをここから出してくれーーッ 弟のオレを と言い切る、その事がおぞましく、サガには許せなかった。 自身の内面すら見透かそうとするカノンの視線が、悪こそが本質だ ちたサガが見せるであろう顔なのだ。 サガとカノンは瓜二つ。従って、悪に堕ちたカノンの顔は、悪に堕 そう言ったカノンの視線を、表情をサガは忘れる事ができない。 から。 自分の心を偽る必要はない。兄さんの本質もオレと同じ悪なのだ してしまえ﹄ アイオロスを次期教皇に選んだマヌケな老人共々││アテナなぞ殺 もいい。そうすればこの地上はオレ達兄弟の物になるんだ。そうさ、 いにしてオレ達が双子である事を知る者はいない。オレが手伝って ﹃力のある者が欲しい物を手に入れようとする、それだけの事だ。幸 ているのか ! !! お前のような男こそ偽善者というのだぞ 許しが得られるまでな﹄ ﹃サガ ! ﹄ 神の与えてくれた力を 自分のために使って何故いけないというのだ ! !! オン岬の岩牢に、サガは人知れずカノンを幽閉した。 お前の正体こそ悪なのだーーッ ! その後、どうやってかは分らないがカノンは脱出不可能とされた岩 ﹃オレには分るぞサガよ ﹄ だからこそ、神の力を持ってしか出る事がかなわないとされるスニ ! 欲しい物を手に入れようとして何が悪い 力のある者が ﹃お前の心から悪魔が消えてなくなるまで入っているのだ。アテナの ﹄ !! ! 336 !? !? 殺す気かーーッ !! ! 牢から姿を消し、海闘士として再びその姿を現した。 何 を 目 論 ん で い る の か。サ ガ に は お お よ そ の 見 当 は つ い て い た。 地上支配、おそらくはこれだろう。 アテナを、神すらを害しようとしたカノンだ。おそらく海皇ポセイ ドンに対しても何らかの企みを持っているはず。 ふうっ、と溜息をつきサガは頭を振った。 それともムウか ﹂ 今はカノンの事を考えている時ではない。 ﹁五老峰の老師か ? ﹂ そ れ は お そ ら く │ │ 戦 い の 場 だ。ふ っ、く く く。は は は は は は は っ 思で動いたとするならば、あのタイミングで向かったとするならば、 い。ならば⋮⋮まさか、いや、あり得なくは、ない。聖衣が自らの意 ﹁いや、それはない。あの二人がその様な軽率な行動を取るはずがな 人物をサガは思い浮かべる。 聖域から黄金聖衣を持ち出す事の出来る、そうしてもおかしくない ? ﹂ そして、とある可能性に至り、サガは笑った。 ﹁そうか、海斗の元へ向かったか 笑い、嗤い、哂う。 ﹁はははははははははっ ﹂ のある聖闘士が現れた事も想定外。 カノンが海闘士として現れた事もそうであるならば、海斗という力 の所有者たる自分の元を離れた事も想定外。 この度のギガスの襲撃もそうであるならば、ジェミニの聖衣が本来 ! ﹁全ては、試練だ。アテナへの試練であり、聖域への試練であり、聖闘 よう。 いずれは今日の事も感付かれるであろうが、もう暫くは耐えてみせ 幸いにして、今は己の中の〝もう一人の自分〟は眠っている。 いない事は自覚している。 今の自分が〝サガ〟の主導権を握れる期間は、もうさほど残されて 起こるとは、と。 最高だ、と。〝自分達〟の想定を超えた出来事がこうも立て続けに !! 337 !! 士への試練であり、私という存在への試練﹂ サガの視線が、パンドラボックスの影に向けられた。 石造りの台座、そこに僅かな歪があった。 サガの指がその歪に触れると、隠されていた引き出しが露わとな る。そこには一振りの黄金の短剣が収められていた。 それは、サガが幼きアテナの命を奪うべく振り下ろした短剣であっ た。 ﹁⋮⋮我らの敵は、ハーデスだけでは無いのだ。やがて、この地上を襲 うであろう厄災は数多の神々の物。それはアテナを中心として引き 起こされる神々の争い。ならば、我らアテナの聖闘士は、地上の平和 の為に││神を打ち倒す事の出来る力を手にしなければならない﹂ サガの手が、黄金の短剣に触れる。柄を手に取り、輝く刃を天へと かざす。 ﹁幼きアテナはこのサガの死の試練を乗り越えた。ならば、我らは強 ﹂ !? 338 くならねばならない。聖域は揺るがぬ盾となり、聖闘士は決して折れ ぬ剣とならねばならない、全てを打ち破れる剣でなければならない。 そう、私は最強の聖域を創り上げよう。そして││アテナよ﹂ そして、サガが手にした短剣を逆手に握り、台座へと突き立てる。 ﹁あなたには、このサガが創り上げる最強の聖域を超えて頂かなけれ ばならない。強大なる力を宿した神々と戦い、勝利を得ようとするな らば、地上の平和を守ろうとするのであれば││その程度の事は乗り 越えて頂かなくては困るのだ﹂ 台座にサガの影が落ちる。 突き立てられた刃は、その影の心臓を貫いていた。 不意に、腕に伝わる抵抗が無くなった事にポルピュリオンが違和感 を覚え、しかし、構うものかと再び力を込めた││その時であった。 周囲から一切の音が消えていた。色が消え、熱が消える。 馬鹿な、ガイアの加護が感じられ││ 大地が消え、重力が消え、その身を包むガイアの加護が││消えた。 ﹁な、何ッ !? ポルピュリオンの言葉が止まる。 空、か いや、星空にいるのか我は ﹂ 後を次いで出たのは、信じられぬとばかりの、呆然とした呟きで あった。 ﹁⋮⋮何だ、ここは !? ﹁何なのだ、この場所は ﹂ ポルピュリオンをして、異界、そうとしか表現が出来ない。 様なものが広がっている。 その場で燃え上がる炎、上下には天地の境を示すかの様に光の網目の しかし、よく見れば宙に浮かんだままの岩石や、形を変える事なく 暗闇の中に輝く星々の輝きは、まさしく宇宙のそれであった。 見渡す限りの宇宙、そう言うべきか。 ? ﹁ぐぅおおッ ﹂ ﹂ 今の今まで、確かにこの手で、その頭部を ﹂ ポルピュリオンの身体を突き上げる。 言うや否や、繰り出された海斗の蹴り││レイジングブーストが、 るのは簡単だった││さ ﹁ここは異界。圧し付ける為の大地は無い。〝後ろに下がれば〟抜け 掴んでいたはずだ ﹁きさま⋮⋮いつの間に に、ポルピュリオンは何とも言えぬ不気味さを感じていた。 指先で自分のこめかみをトントンと軽く叩きながら語る海斗の姿 放り込むかが問題だったんだが⋮⋮誘いに乗ってくれて助かった﹂ 自分の周囲に異界の入り口を開くだけで精一杯だ。後は、どうやって ﹁やり方は知っていたが、完全に制御しきる自信が無くてな。精々が その声は、ポルピュリオンの〝下〟から聞こえていた。 から切り離された場所だ﹂ 間。未来も過去も、現在もが同一の中に存在する止まった世界、世界 ﹁成したのは〝アナザーディメンション〟。ここは、次元と次元の狭 その問いに答える事が出来たのは、ただ一人。 !! !? ! 金剛衣が軋みを上げて亀裂を奔らせる。 力の余波が金剛衣を通り抜けて、ポルピュリオンの掌からは血が噴 339 ? !! 海斗のその蹴りを、咄嗟に両手を突き出す事で受け止めたものの、 !? き出していた。 それを確認した海斗は、牽制を込めた拳撃を放つと、ポルピュリオ ンとの距離を取る。 追撃を警戒したポルピュリオンであったが、海斗はじっと見つめる だけで動こうとはしていない。 ならばと、先に動きを見せようとしたポルピュリオンを制するよう に、海斗が口を開く。 ﹁思った通りだ。その程度の傷が〝まだ〟治らない。やはり、世界か ら切り離されたこの場所ならガイアの加護ってやつも届かない、か。 ならば││﹂ 両手を左右に大きく広げ、円を描くように動かす。 その動きに合わせるかのように、周囲に輝く星々が動いた。 海斗の身体を中心として、幾多の星々が凄まじい速さで引き寄せら れ、次々とその動きを加速させる。 340 ﹁その肉体を破壊して消滅させる。肉体を失えば、お前の魂はこの次 元の狭間に取り残される事になる。座標が頭に無くてな、この空間を 開いた俺自身が二度と辿り着けない場所さ、ここはな﹂ 腰だめに構えた両の拳を丹田から正中線を沿う様に胸元へ。 ﹁つまり、誰もここへ辿り着く事は出来ない﹂ 右手は天を、左手は地を指し示すかのように大きく広げ、そこから 互いの天地を入れ替えるように回された軌跡が再び円を描く。 ﹁肉体と共に粉砕される魂は、この空間にあっては再生する事もかな わない。永遠に││眠れ﹂ ﹂ 立ち昇る小宇宙は黄金の輝きを放ち、天地を宿した両手が打ち合わ されたその瞬間││ ﹁う、うおおおおおおおおおおーーッ 神が人に恐怖するなどあってはならぬ、と。 れを認めまいと肉体を突き動かした。 し、王としての誇りが、神としての意地が、恐れを知らぬが故か、そ 目前に迫る死の気配に、ポルピュリオンの本能が恐慌した。しか 不死の身でありながら、いや、だからこそか。 !! ﹁我はポルピュリオン ギガスの││﹂ 視界を埋め尽くす光の奔流。 それは、集束し凝縮された、極限まで高められた小宇宙が内包する 力に耐え切れずに一気に拡散する事で生じる光。 無限に崩壊し爆発する、それは銀河の終焉の光景。 光の海の中で、ポルピュリオンはその最期の瞬間、ある事を思い出 していた。 ﹂ 千年前、己を討ち倒した相手が誰であったのかを。 ﹁〝ギャラクシアンエクスプロージョン〟 ││銀河が爆砕した。 341 ! !! 第 2 2 話 C H A P T E R 1 エ ピ ロ ー グ ∼ シ ー ドラゴン︵仮︶の憂鬱2∼ 北極海に臨む極寒の国アスガルド。 聖域と同じく、神の結界によって護られたこの地は俗世から隔絶さ れており、近代科学の結晶である人工衛星であってもその所在の片鱗 すら掴む事はかなわない。 ビッ グ ウィ ル ギリシア神話に連なる神々とは異なる、北欧神話に連なる神々に よって興され、今もなおその神の意志を受け継ぎし者により統べられ ている国である。 ﹁ふぅむ、やはり感じられぬ。巨神の小宇宙が││消えたなぁ﹂ そのアスガルドの中枢、ワルハラ宮と呼ばれる中世ヨーロッパの古 城にも似た建物の最上階。 華美な装飾の施された椅子に腰かけた、紫を主体とした祭服を身に 纏った男││ドルバルが、手にしたグラスを傾けながら呟いた。 ドルバルのいるテラスからはアスガルドの大森林と、氷に覆われた 湖、そしてアスガルドの民が崇める神││オーディーンの巨像を一望 する事が出来る。 ﹁余はな、この光景が好きなのだよ。静寂に満ちたこの地のなんと素 晴らしい事か⋮⋮﹂ 沈みゆく夕日を眺めながらドルバルが思いを馳せる。それは、眼下 に映るこの国の事か、この地に生きる民の事か。 ﹁煩わしい騒音など、必要あるまいて﹂ そのどちらでもあり、ドルバルは更なる先を││国だけではなく、 この世界を思っていた。 暫く、そのままグラスを何度か口にしていたドルバルであったが、 やがてグラスを持たぬ空いた手をゆっくりと宙に伸ばす。 伸ばした手を開き││ ﹁余は⋮⋮そういうものは好かぬよ﹂ 呟く。 342 そこにあるであろう何かを掴み取る様に、掌を握り締める。 握り締めたドルバルの手から紅い輝きが漏れ出していた。 輝きは、ドクンドクンと、まるで心臓の鼓動を思わせるような、不 気味な明滅を繰り返している。 ﹁いやはや、全くもって⋮⋮素晴らしい事だよ。アテナの聖闘士は実 に優秀ではないか﹂ ゆっくりと開かれたその掌から零れ落ちたのは真紅のルビー。そ れは、ギガスの神、ギリシア神話最大の魔獣││Typhonの魂が 封じられた魔石であった。 クククと、ドルバルの口から抑えきれぬ声が漏れていた。 暗く、深く、ドルバルは││嗤っていた。 ﹁異郷の愚かなる神々など、互いに喰らい合い殺し合えば良いのだよ。 何も、我らが直接手を出す必要などありはせん。そうは思わぬか なぁロキよ﹂ ﹁⋮⋮教主様の御心のままに﹂ 背後へと振り返ったドルバル。その言葉に答えたのは、彼の後ろで 片膝をつき、頭を垂れていた青年であった。 赤を主体とした、ドルバルの物とよく似た衣服を身に纏ったアスガ ルドの若き闘士である。 端正な顔立ちをしているが、その目に宿った光は氷の様に冷たく、 鋭い。 ﹂ ﹁ふふふっ、口ではそう言っておるがロキよ、お前としては、一戦交え みでございます故に﹂ ゴッドウォリアー ロキと呼ばれた青年の言葉と、その身から立ち昇る攻撃的な小宇宙 に﹁頼もしいな﹂とドルバルは笑みを浮かべ、再び視線をアスガルド の地へと戻した。 ﹁ならん。それはならんよロキ。放っておけば良い、我らはただ観て ﹂ いるだけで良いのだよ。少なくとも今はまだ、なぁ﹂ ﹁我々だけでは力不足、そうなのでしょうか ? 343 ? ﹁⋮⋮お許し頂けるのであれば。我ら神 闘 士は教主様の命に従うの てみたい、というのが本音であろう ? ﹁ロキ、お前達の力はギガスやアテナの聖闘士に劣らぬ。しかしな、神 代と七星、十二人の神闘士を揃えずして勝利は⋮⋮無い。余はそう考 えておる。我らの敵はアテナだけではない﹂ そう言って椅子から立ち上がったドルバルは、手にしたグラスを テーブルに静かに置くと、祭服の裾を翻してテラスを後にする。 ﹁フレイもそうであるが、七星、あ奴らが真に忠誠を向けているのはこ のドルバルではない、ヒルダよ。事を起こすにせよ、まずはあの娘を 押さえねばならぬ。可能であるのならばあれの妹のフレアも押さえ て置きたいが、あまり多くを望んでも良い結果にはならぬであろう ﹂ ﹁確かに。ヒルダを押さえるだけでもジークフリートとトール、そし てフェンリルが邪魔をするでしょう。そこにフレアを加えれば更に ﹂ フレイとハーゲンへの備えも必要となりますか。では⋮⋮七星の掌 握には今暫くの時間が必要と 逆立った白い髪が特徴的な青年であった。 ﹁ハッ﹂ ﹁ウルよ﹂ ドルバルの姿に気付いた三人が床に膝を付けて首を垂れる。 ている。 二人が進む通路の先では三人の闘士がその行く手を護る様に立っ んなぁ﹂ なる物が必要なのだよ。仮面や首飾り、いや、指輪など良いかも知れ らすれば失敗であったが、それなりの成果は見せておる。やはり楔と くと申しておるしのぉ。それに、心身掌握の秘術、あの実験は結果か ﹁まあ、そう長い時は必要とはせんだろうて。アルベリッヒは余につ く。 その後ろを、付かず離れずといった微妙な距離を維持してロキが続 ? 聖衣にも似た紺色の鎧を身に纏い、その腰には一振りの剣を差して いる。 ﹁ルング﹂ ﹁⋮⋮は﹂ 344 ? 猛牛の様な二本の角を持った兜、全身を覆い尽くす薄紫色の鎧に包 んだ巨大な男であった。 ドルバル自身も二メートル近い巨体であったが、この男はそれをゆ うに超えている。 足も、腕も、胸部も、両の拳も、そのどれもが太く、大きい。 ﹁ミッドガルド﹂ ﹁⋮⋮はい﹂ 赤色の鎧を身に纏った男であったが、鎧の色に反して、その男自身 の気配は希薄であった。 鎧を纏った男の存在は認識していても、誰であるのか、そこに意識 が向かない。実に奇妙な存在感を持った男であった。 ﹁そして││ロキ﹂ ﹁何なりと﹂ ﹁そなたらの、変わらぬ働きに期待する﹂ 四人の闘士を引き連れて歩くドルバルが目指すのは、アスガルドの 南東部、海に面した場所にある〝祈場〟と呼ばれる祭壇であった。 そこでは、オーディーンの地上代行者であり巫女であるヒルダが昼 夜欠かさずに祈りを捧げている。 アスガルドでは、巫女の祈りが途絶えた時、地上の極点││南極と 北極の氷は解け、地上は大洪水に見舞われると伝えられていた。 それ故に、この巫女の祈りは神聖な儀式とされ、アスガルドの政務 の中枢を統べているドルバルですらこの時のヒルダに近付く事は許 されない。 ﹁今 は、静 か に 祈 り を 捧 げ る が 良 い ヒ ル ダ。そ の 時 が 訪 れ る ま で は 護ってやろうぞ﹂ やがて訪れるであろう時。地上を覆い尽くす厄災の時。その時を 思い浮かべたドルバルの口元に笑みが浮かぶ。 ﹁そう││余の地上のために﹂ 第22話 345 ギガス達の襲撃││現代におけるギガントマキアの終結より二週 間の時が流れていた。 多くの人的、物的被害を受けた聖域であったが、当初懸念されてい た一般人への混乱も少なく、この頃には││少なくとも居住区に住ま う人々は普段通りの日常を取り戻しつつあった。 聖闘士の活躍も要因の一つではあったが、人々にとっては教皇の存 在によるものが大きい。 教皇││サガは、襲撃の中で家族を失った者や傷を負った者、恐怖 に怯える人々の元へ足しげく通い、その不安を取り除くべく献身的に 動いていた。 昼夜を問わず、である。 己の職務を疎かにしていた訳ではない。己の成すべき事を成した 皇に声をかけてくる。彼らのその表情は皆明るく、視線には敬意が あった。親しみに満ちていた。 そこには畏怖といった恐れに繋がる色は一切混じってはいなかっ た。 サガの立ち寄る場所にはどこでも人の輪が出来ていた。 346 うえで、であった。 死者を蘇らせたわけではない。傷を癒せたわけではない。完全に 恐怖を取り除けたわけではない。 それでも、サガの行為は、人々に手を差し伸べる教皇という存在は、 本来手の届かない場所にいる存在が自分のために何かを成そうとし ﹂ てくれている事実が、救いを求める人々の心に安らぎを与えていたの だ。 ﹁教皇様 ﹁教皇様﹂ ! 今も、こうして道を歩いているだけで老若男女問わず市中の者が教 ﹁おお、教皇様 ﹂ ﹁あ、教皇様だ﹂ ! ﹁きょうこうさま きのうはおかあさんの││﹂ ﹁それは良かった。それならば││﹂ そんなサガの周りには、市民に混じって本来いるべきはずの護衛や 付き人の姿はない。 ただ一人、サガの生み出した人の輪から離れた場所で、まるで眩し い物を見る様に目を細めた包帯だらけの少年の姿があるだけであっ た。 ︵⋮⋮人々に愛と安らぎを与え、その徳は全ての人に崇め慕われてい る、か︶ 海斗である。 話しかけてくる人々一人一人に穏やかに接している教皇の背中を 眺めながら、アルデバランから聞かされていた教皇の人柄を思い出し ていた。 アルデバランが向けた教皇への評価は高過ぎた。それはいくらな んでも過大評価だろうと、どんな聖人だと話半分に聞いていた。聞い ていたのだが。 実際、エクレウスの聖衣を与えられた時の印象が強過ぎ、正直に ムウの言葉も気にはなるが、別 言ってあまり良い印象を持ってはいなかった。敵視していた、とも言 える。 ムウの言葉もある。 しかし││ ︵⋮⋮認識を改める必要があるか ︶ ! 仮面越しにその視線を自分へと向けていた。 そんな取りとめのない思考にふけっていたせいか、気付けば教皇が ︵だいたい、探られて痛い腹を持っているのは俺の方な気がする︶ あった。 間、間近で見てきた教皇の人物像はアルデバランの評価そのままで 物の見方をしているという自覚はあったが、少なくともここ数日の 生い立ちやら立場やら何やらによって、自分が年齢の割に捻くれた 以前の教皇を知らない俺が、良いの悪いのと比較できるか 人だとしても、それで問題が起きているわけでもないし、な。むしろ、 ? 347 ! ﹁ふむ、どうした海斗 故、となるのだが。 傷がまだ痛むのか ﹂ の手によって無事に異次元空間からの脱出を果たした。 が、海斗の開いた異界への座標をシャカに伝えた事で、海斗はシャカ ジャミールから海斗やセラフィナの小宇宙を探り続けていたムウ た。それがムウである。 が、海斗の行方を探るシャカに遥か遠方からテレパスを送る者があっ その時のセラフィナの様子についてはシュラは黙秘を貫いていた で、それが忽然と途絶えている事に気が付いた。 ラやセラフィナと合流し、地下へと海斗の小宇宙を辿る。その道中 教皇の命により海斗の捜索に来たシャカは、先に脱出していたシュ つつあった海斗を救ったのはシャカとムウであった。 崩壊する異空間に取り残され、そのまま次元の彼方へと投げ出され よって意識を失っていた。 ポルピュリオンを倒した後、海斗は度重なる激しい小宇宙の消耗に ﹁は、はぁ⋮⋮﹂ たのはこちらだ。お前に何かあれば私は皆に叱られてしまうのでな﹂ ﹁そうか。あまり無理をする必要はないぞ 無理を言って供をさせ 実際、海斗としてはこの姿は大袈裟すぎると思っている。ならば何 これは咄嗟に出た嘘ではない。 ﹁それに、見た目ほど酷い怪我をしているわけではありませんので﹂ をする。そのぐらい酷いレベルであった。 見るからに痛々しい姿であり、普通の感性を持つ者ならばまず心配 素な服装であったが、身体中の至る所に包帯を巻いている。 そう言う海斗はありふれた白地のシャツと紺のズボンといった簡 ﹁あ、いえ。少し考え事を⋮⋮﹂ 神経はしていない。 さすがに、本人を前に﹁貴方を疑っていました﹂と言える程図太い ? ? その後、意識を取り戻した海斗を待っていたのはセラフィナによる 説教であった。 348 ? また大怪我をしている、無茶をするな、心配させるな、命を大切に しろ等々。 海斗自身は蓄積されたダメージや疲労、ようやく終わった、という 安堵から、目覚めて早々に気を失っておりその話しの殆どを聞いては いなかったのだが。 その剣幕は凄まじいものがあり、海斗がジェミニの黄金聖衣を纏っ ている事について問おうとしたシュラが一歩引いたのを感じた、とは シャカの弁である。 そして、聖域に戻れば││負傷したシュラと半裸の少女、意識を失 ﹂と、 くした少女に、ジェミニの黄金聖衣を身に纏った、誰がどう見ても重 傷な海斗の姿を見たアルデバランが﹁これは一体どういう事だ 遂に││爆発した。 色々と溜まっていたストレスが心の防波堤を突き破り決壊してし まったのだろう。 シャカとシュラを除く黄金聖闘士達は、皆心当たりがあるためか 早々にその場を立ち去ったらしい。後に海斗はミロからそう聞かさ れた。 そんな心温まるやり取りの果て、処々諸々あってが⋮⋮今の海斗の この過剰ともいえる包帯姿である。 道行く人々からの、ちらちらとこちらを窺う視線が微妙に痛い。 大人しく寝とけ、と無言で責め立てられている様な、自分は悪くは ないのに謝らなければならない様な、そんな居心地の悪さに海斗は泣 きたくなった。 ︵心配してくれるのはありがたい。本当にありがたいんだが⋮⋮︶ あ の 鬼 二 人 心配をかけた、無茶をしたという自覚があるので文句も言えない。 アルデバランとセラフィナを前に反論する勇気が無かっただけだが。 アルデバランからリハビリを兼ねた軽い運動だと勧められれば、何 故かこうして教皇の付き人の様な事をしている。 女神アテナの代行者とも言える教皇と、片や一介の聖闘士に過ぎな い自分。接点などロクに無かったはずが。 ハハハッ、と楽しそうに笑いながら先へと進む教皇の後を、海斗は 349 ! ︶ 誰にも悟られぬ様に小さく溜息を吐き、その後を追って行く。 ︵⋮⋮どうしてこうなった 見上げた空は、海斗の胸中に反し、雲一つない澄み渡った青空で あった。 聖域十二宮、白羊宮内の広間。 散策を終えた教皇の元を離れ、暇を持て余していた海斗の姿がそこ にあった。 ﹂ ﹁い や ∼。ム ウ 様 の と こ ろ で さ、色 々 と 壊 れ た 聖 衣 を 見 て き た け ど ⋮⋮これは⋮⋮スゴイね。ヒドイ意味で ﹁思うか ﹂ ﹁そんな事は⋮⋮ないと││﹂ が余計に目立っている。 なまじマスクのパーツに目立った傷が無い分、それ以外の破損個所 破損状況である。 うやってオブジェ形態を維持できているのかが不思議に思える程の シャカによって回収されていた聖衣は、ハッキリ言って、これでど ナ、俺はムウに殺されるかも知れん﹂ ﹁⋮⋮ だ な。あ ら た め て 見 る と ⋮⋮。う ん。こ れ は ⋮⋮。セ ラ フ ィ 斗に向けての貴鬼の第一声である。 クスを開きオブジェ形態のエクレウスの聖衣を取り出して見せた海 白羊宮内にあって比較的日当たりの良いその場所で、パンドラボッ ! で、否定したくても否定しきれない、そんな苦笑を浮かべたセラフィ ナが答える。 ギガントマキアの事後処理が終わるまで、セラフィナと貴鬼の二人 は聖域に留まる事を命じられていた。ムウの縁者である事もあり、主 の不在により無人と化していた白羊宮にあと数日は留まる事になっ ている。 350 ? 海斗曰く〝過剰過ぎる〟包帯を取り変えながら、どこか困った様子 ﹁あ、あはははは⋮⋮﹂ ? ﹁⋮⋮精神的にな。こうネチネチと、胃が、キリキリする様な、そんな 感じだ。延々と責め立てられそうな気がする﹂ セラフィナと貴鬼は顔を見合し、海斗の言葉で薄暗い闇の中、無数 の破損した聖衣に囲まれて、ただ一人、何やらブツブツと呟きながら カツンカツンと槌を振るうムウの姿を思い浮かべていた。 ﹁⋮⋮ああ⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮かもねー⋮⋮。昔ムウ様よく夜中に呟いていたもん。終わらな い、終わらない、って﹂ ﹂ ﹁怖いな、ソレ。⋮⋮いや、冗談で言ったんだが。お前ら否定しろよ え、マジなの さっと目を逸らす二人の様子から海斗は〝マジ〟であると判断。 ﹂ 戦場でなければ、気が抜けてしまえば、この男││最低であった。 やって捕まえるかと思案する。 ていたシュラも一緒に連れて行こうと、生贄の羊、もとい山羊をどう 海斗はムウの怒りの矛先をかわすため、この際黄金聖衣を破損させ ⋮⋮﹂ ﹁ヤ バ い ぞ。こ う な り ゃ、少 し で も 被 害 を 散 ら す 方 向 に 動 か な い と ! ああ、聖良さんね。うん、まだ歩き回ったりは出来ないみたい ﹁ああ、そうだ。ねえお姉ちゃん、あのお姉ちゃんは元気 ﹁え ? 聖良とは、エキドナと呼ばれた少女の事である。 いつまでも名無しでは、と言う事で、セラフィナが聞いたらしい名 前を海斗がそれっぽく日本人風に修正して名付けたのだ。 肉体的なダメージはともかく、想定していた様に精神的なダメージ が酷かったらしく、彼女は自分の名だけでは無く、自分に関する過去 の記憶を全て失っていた。 現代医療での治療が疑問視された事もあって、今はアイオリアの勧 めもあり獅子宮にて療養をしている。 ﹁そう、か。まあ、会話ができる状態である事を考えれば、それほど深 刻になる必要はない、と思いたいが⋮⋮﹂ 今、獅子宮にはアイオリアの従者であるガランという青年とリトス 351 !? だけれど、話したり、身体を起こすぐらいは﹂ ? という少女がいるため、しばらくは聖良の身の安全や世話に関してさ ﹂ ほど気にする必要がない事は海斗にとって幸いであった。 ﹁気になります ああ、ユーリか。どうした ? がいた。 ﹁ん ﹂ そんな何とも微妙な空気を纏った三人に、おずおずと声をかける者 ﹁⋮⋮あの⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮多少は、な﹂ ? ﹂ ﹁普通だよな。⋮⋮やっぱりシャイナや魔鈴のセンスがおかしいのか の女性の普段着とも言える服装をしている。 助祭を務める目の前の彼女は白い貫頭衣に緋色の外套という、聖域 の髪の少女、六分儀座の青銅聖闘士ユーリが立っていた。 セクスタンス 海斗が振り返ると、そこには銀のマスクによって素顔を隠した銀色 ? ちらとセラフィナを見てユーリを見て。そうして呟かれた海斗の 声は幸いにして誰にも気に留められる事はなかった。 ちなみにセラフィナもユーリと同じ服装だがマスクはしていない。 これは彼女が聖闘士として秘匿された存在である事も理由であっ たが、今のセラフィナはジャミールでの戦いに巻き込まれた才能ある 少女であり、それを居合わせた海斗が保護した、という設定で通して いる。 また、立場的にもムウはともかくとしてその場に居合わせたシュラ が保護役を担うべきだという海斗の言葉を、シュラは﹁フッ﹂と鼻で 笑って一蹴し面倒事の全てを海斗に押し付け返した結果でもあった。 教皇の間、居並ぶ黄金聖闘士達に見守られ、おそらくは史上最も情 けない理由で聖闘士同士の戦いが勃発した。 一体どこから嗅ぎつけたのか、やんややんやと囃し立てるデスマス ク、本を片手に観戦モードに入るカミュ、興味深そうに眺めるだけで 止めようとしないミロ、口では止めろと言いつつも血が騒ぐのかうず うずとしているアイオリア、我関せずのシャカ。 352 ? アフロディーテは﹁美しくない、馬鹿馬鹿しい﹂と溜息を吐きその 場から離れたが、ちらちらと二人の戦いを気にしていた事をシャカだ けは気付いていた。 この馬鹿者共が ﹂と怒鳴り込 結局、あまりの騒ぎ││おふざけとはいえ黄金聖闘士クラスの戦い である││に、 ﹁何をやっておるか !! ﹁あ、あの、海斗様 ル ター │自分の魂が海将軍に関わる事等をぼかしながらも、答えて行く。 た中で、これまでの行動とそれに至る経緯の説明を求められ、所々│ 一通りの治療を終えた海斗は、教皇や他の黄金聖闘士達が集められ 事の発端は、海斗が聖域に帰還して数日が過ぎた時の事である。 ││途方もない価値があったのだ。 とは││例えその多くが薄れ、思い起こす事が出来なくなっていても 聖域の史書や文献を統括するカミュやニコルにとって、海斗の記憶 二人の用とは海斗の持つ千年前の記憶にある。 ミュはともかく、ニコルはそういう所がうるさいからな﹂ ﹁ああ、そう言えば⋮⋮そうだった。忘れてたな、助かったユーリ。カ 同年代の知性的な若者であった。 祭壇星座のニコル。ブルネットの髪の穏やかな眼差しをした、海斗と ア ニコルとは教皇を補佐する助祭長を務める若き白銀聖闘士である。 海斗に遠慮がちに声をかけるユーリ。 まさかあの恰好が自発的なものだと、などとブツブツと呟き始めた ⋮⋮﹂ カミュ様とニコル様が図書館でお待ちですが 海斗を残し、皆がその場から姿を消していたのだから。 狙いであったのかは、当人たち以外は知る由もなかった。 それがシュラの狙いであったのか、この騒ぎを黙認していた教皇の が語った〝ジェミニの海斗〟を好意的に受け止める事となる。 この戦いで海斗の力を目の当たりにしたアイオリア達は、先に教皇 黒星で終戦。 んできたアルデバランにより戦いは治められたが、結果として海斗の ! な ぜ ジ ェ ミ ニ の 黄 金 聖 衣 が 海 斗 の 元 へ 向 か っ た の か。ど う し て 353 ? ジェミニの奥義を放てたのか。 二人の海将軍と冥王軍と名乗ったタキシードの男との接触につい ても。 黄金聖衣については、戦いの中、死の淵にあって極限にまで高めら れた小宇宙が起こした奇跡、それで納得された。 魂の記憶や、聖衣に過去の聖闘士の記憶が蓄積される事は聖域では 実証されている事実であり、海斗の説明に異を唱える者はいなかっ た。 海将軍との接触については、この時代に海闘士が覚醒していた事に こそ僅かに驚愕の声が上がったものの、聖闘士と海闘士共通の敵であ るギガスの本拠地での遭遇であった事で、今回の接触には何ら意図す るものはない偶然であると認められた。 一時的とはいえ、協力体勢を取った事についても同様であった。 現代においては聖闘士と海闘士はまだ敵対してはおらず、彼らも地 上に対して特に何か動きを見せたわけでもない。今はまだ、来るべき 冥王との聖戦を前に避けられるべき戦いは避けるべきである、という のが教皇の││サガの結論であった。無論、警戒はすると含めたが。 海闘士を後回しにするとも取れるこの決定には、自らを冥王軍であ ると名乗った男の存在が大きい。 その男はギガス共々海斗によって倒されたとシュラが証言したが、 サガが問題としたのはそこではなく、あと数年は封じられているはず の冥王軍が、既に動き出している可能性にあった。 アテナの、神の施した封印とはいえ、それは未来永劫に続く様な完 璧なものではない。 そうであるのならば、五老峰の老師が二百数十年もの長きにわたり 大滝の前に坐したまま冥王軍の封印を監視する必要などないのだか ら。 自分の件、カノンの件、聖域の件、冥王軍に海闘士と問題が山積み である。 次々に起こる想定外の出来事にサガは人知れず溜息を吐いていた。 ﹃老師に連絡を取らねばらんな。皆、状況が分るまではしばし聖域に 354 留まって貰う﹄ 結局は、新たに生じた大き過ぎる問題への対応こそが優先される事 となり、海斗への細々な追求といったものは行われる事は無かった。 て事は、だ。アルデバランの弟子、お前さんの魂の記憶⋮⋮あ その場では。 ﹃ん ならば、当時の他の聖闘士の事も知っているんだろう あ面倒だな、名前で呼ぶぜ。海斗よ、お前は当時の事を〝知って〟い るんだな ? 例えば ? ﹂ そんな万策尽きた海斗の頼みの綱は、今は蠍座の黄金聖闘士ミロで 聖闘士であり、基本的な指導は十分に任せられるらしい。 カミュの弟子は三人おり、その一人は既に聖衣を与えられた正規の れで終わりであった。 が﹁水 晶 聖闘士に任せているから大丈夫だ﹂とシレっと答えられ、そ クリスタル と、弟子への修行を持ち出して、この苦行を打ち切ろうとしてみせた 斗は、一度その事をネタにして﹁弟子の事を放っておいて良いのか カミュがアルデバランのように弟子を取っていると聞いていた海 のは心の底から勘弁してもらいたい。寒いのだ、冷えるのだ。 クールであれと言っているカミュが一番熱く話に喰いついてくる の二人は、誰かが止めねば延々と続けるのだ。終わらないのだ。 一時間程度であればまだいい。しかし、本の虫、知識の虫であるあ て海斗にとっては苦行であった。 椅子に座って質問に答えるだけ。それだけなのだが、ハッキリ言っ キコキと音が鳴る。 これからの事を思い、やれやれと海斗が首に手を当てて動かすとコ 出したデスマスクが思わず引いてしまう程に。 までもない。特に、カミュの熱の入れようは尋常ではなかった。言い このデスマスクの言葉が、その場にいた皆の関心を集めたのは言う な﹄ 当時の蟹座の黄金聖闘士が用いていたであろう積尸気の奥義、とか には⋮⋮今は失われた秘拳なんかもあるんじゃないのか どんな戦い方をしていたか、どんな技を使っていたか、等な。その中 ? ? 355 ? ある。 自他共に認めるカミュの親友である彼は、連日憔悴した様子で解放 される海斗をさすがに不憫に思ったのか、それともカミュの〝悪癖〟 の被害者同士としての奇妙な連帯感が芽生えたのか。 ここ数回は切りの良い所を見計らい、何のかんのと理由を付けては 海斗を救出してくれていた。その度に図書館に舌打ちの音が聞こえ るのはどうかと思わなくもない。 ﹁はぁ∼∼。まあ、ここでグダグダしていても仕方がないか﹂ 流れに任せる、と言えば聞こえは良いが、なるようになれと開き 直っている最近の海斗は、これまでの張り詰めていた糸がぷっつりと 切れたのか⋮⋮駄目人間街道を順調に邁進していた。 ルーズになったと言うか、ハッキリ言えばだらしがない。根が真面 目なニコルからすれば、今の気の抜けた海斗は次期黄金聖闘士にある まじき、との事。顔を合わせれば必ず一言二言は小言が飛んで来る。 ﹁はい ﹂ ﹂と海斗は藁にも縋る思いでユーリに問い掛ける。 であった。縋った藁は腐っていたのだ。 仮面越しではあったが、きっといい笑顔をしているのだろうと察 し、海斗はげんなりとした。 本人は隠しているつもりなのであろうが、ユーリがニコルにどのよ うな感情を持っているのかは、そういう事に疎い海斗にも分る。あえ て言うつもりもないが。 おそらくは﹁ニコル様に迷惑をかけるんじゃねえよこのダメ人間 356 ﹁⋮⋮海斗さんってそういう所だらしないですからね∼﹂ 多分。うん、絶対﹂ 最初に会った頃に感じられた敬意というか尊 ﹁⋮⋮なあ貴鬼よ。気のせいか、最近セラフィナの俺に対しての当た りがキツくないか 敬的なモノが⋮⋮﹂ ﹁兄ちゃんが悪いんじゃないの ていたか 絶対は多分とは言わんだろ、とぼやきながら﹁で、あの二人は怒っ ? ? 面倒臭いのだ。ただひたすらに。 ? ユーリはハッキリと言い切った。一縷の望みが打ち砕かれた瞬間 ! が﹂ぐらいは思われている様な気がする。 張り切って歩き始めるユーリとは対照的に、肩を落としてその後に 続く海斗。 その姿を笑って見送るセラフィナと貴鬼。 ︵まあ、平和なのは⋮⋮良い事だ︶ まるで枯れた爺さんだ、と。若者の抱く感慨ではないなこれは、と。 苦笑しながら海斗は空を見上げた。 今日も、雲一つない澄み渡った青空。 ﹁手のひらを太陽に、ってか﹂ 日差しを遮る為に翳した掌を見ながら、いつか聞いた事のある歌を 思い出す。 ﹁何の因果か⋮⋮。死んだはずの人間が、さ﹂ 急ぎますよ ﹂ それは、生命を謳った歌だった。 ﹁海斗様 る よ End う に な る C H A P T E R 1 ∼ G I G A N T O M A C H I A ∼ T h e 日差しの中、海斗はゆっくりと歩き出した。 に││好きにするさ﹂ ﹁ケ・セラ・セラってな。せっかく拾った二度目の命だ。思うがまま な 愉快な未来図を思い浮かべて苦笑する。 急かすユーリ手を振りつつ、きっとニコルは尻に敷かれるぞ、と。 しろ追って来るわ﹂ ﹁はいはい、そんなに急がんでも。逃げはしないだろ、あの二人は。む ! To Be Continued⋮⋮ 357 ! 無人となったワルハラ宮のテラスに、一陣の風が流れた。 ビュウと音を立て、雪と氷を抱いた白い風が。 テーブルに置かれたグラスが白く染まり、傾き、テーブルから離れ ││砕けた。 飛散した破片が、じわりと広がる紅い液体と共に床に広がる。 広がる紅が鮮やかさを失い赤となり、赤が艶を失い、深き海の底を 思わせる││黒となる。 いつしかテラスは黒い水を湛えた湖と化し││そこに、一人の男の 姿を浮かび上がらせていた。 黒い襤褸に身を包んだ男であった。青年の様でもあり、老人の様で もあった。 デュナミス ﹃地上を覆い尽くす厄災、それは神の意志によるものだけに非ず。し かし、この流れも我が謀を満たす支流にはなろう﹄ 男の一挙一動に応じて黒き湖面に波紋が広がる。 ﹃十四年前、古き時の神の気紛れによってこの世界に落とされた神 力 の一滴﹄ その波紋が、新たに生じた波紋によって形を崩され、それがまた波 紋にぶつかり刻一刻と姿を変える。 ﹃その雫によって生じた波紋がアベルの目覚めを促し、アベルの目覚 めが冥府に施された枷を緩ませ、そこに眠る神々を地上へ喚んだ。神 の力はそれに魅せられた人間の闇を増幅し、世界に争いを撒き散ら す﹄ 湖面が爆ぜた。 黒い水が飛沫となって男の周囲を覆い、瞬く間にテラスが黒い霧に 包まれる。 ﹃平穏など戦いの前の休息にしか過ぎぬ。それで良い、人も、神も、戦 ポントス わねばならぬ。全ては試練。ヒトよ、神を屠れ。神よ、ヒトを跪かせ ウラノス エレボス エロス よ。小宇宙を高め、ぶつけ合え。その果てにこそ││この黒海の願う 世界がある﹄ ││ポントス。大地母神ガイアが生んだ最初の神。 天、暗黒、 愛 と並び、海を司る四大神の一柱。最古の神。 358 ﹃幾千万の時を経て、終に訪れるやもしれぬその時を。水は既に流れ たのだ。ならば、我は、ただ、静かに、眠りにつき、待とう。待つ事、 それだけだ。それだけで良い﹄ 黒い霧が晴れたテラスには、椅子と、テーブルと、砕けたグラスだ けがあった。 雪の舞い散る床には、グラスから零れ落ちたワインがその紅い色を 広げていた。 359 間章1話 少年と少女の巻 春が過ぎ、夏が終わり、そして秋が訪れる。 移ろい行く季節に変わるものと変わらぬものがある中、聖域では大 きな変化が起こっていた。 教皇が自らをアーレス││ゼウスとヘラの間に生まれた軍神の名 を名乗り、聖域の内務を取り仕切る者達の人事を一新したのである。 女神アテナとは対極の位置にある戦神の名を教皇自らが名乗る事 は、聖闘士の存在をアテナに代わり〝戦う者〟であるとより意識させ る為であり、戦士たちへの〝恐怖〟と〝敗走〟、〝戦死〟と〝混乱〟 の全てを教皇自らが背負う、との意志の表れであると。 旧来から続く人事の一新は、半年前に起こったギガス達による聖域 への襲撃事件を教訓として、また迫りつつある聖戦への備えとして、 何者にも脅かされぬ強固な聖域を構築するためのものであると、関係 者には説明されていた。 地上の平和を護るアテナの聖闘士。その姿勢もあって、どちらかと 言えば守勢よりであった聖域の方針から一転しての攻勢に重きを置 いた、アテナの意志とは思えぬこの流れに異を唱える者は少なくはな かったが、ギガントマキアの脅威が残した目に見えぬ傷跡は深く、こ れまでの教皇への絶対的な信頼感も相まって、結果としてより多くの 賛同を持って受け入れられる事となった。 この流れに異を唱えた者の中には人知れず聖域から姿を消した者 もいれば、口を閉ざした者もいた。聖域から距離を置く者もいれば、 教皇に対して反意を抱く者も出始める。 教皇アーレスの下、聖域は新たな歴史を、道を歩み始めようとして いた。その内に、澱みを抱えたままに。 聖闘士星矢∼ANOTHER DIMENSION海龍戦記∼ 360 聖域十二宮。 その第十一番目の宮である宝瓶宮。その離れに、現在に至るまで 代々の水瓶座の黄金聖闘士に受け継がれている書庫が存在している。 そこに収められている蔵書の多くは、代々の水瓶座の私的な、言わ ば趣味によって集められた物が大半を占めていた。 従って、そこに訪れる者があるとするのならば、それは現代の書庫 の主であるカミュか、彼に用のある者か、はたまた彼の同好の士であ るか、である。 ﹁人として降臨したアテナの世話をするのは同じである女性でなけれ ば、と か な ん と か。簡 単 に 言 え ば ア テ ナ の 護 衛 兼 側 仕 え。専 属 の 侍 女って事だ﹂ ﹂ ﹁ふむ。役目は理解できる。が、わざわざ名を付けて区別する必要が セ イ ン ティ ア あるとも思えないのだが ﹁聖闘少女な。俺に言うなよ﹂ 例外としては、こうしてカミュによって呼び出された海斗の様な者 が挙げられる。 カンテラのガラスの中で小さく揺れる炎に照らされた薄暗い室内 には、隅にある机に腰掛けながら手にした本をパラパラと捲っている 海斗と、脚立に乗り蔵書の整理をしているカミュの姿があった。 海斗は紺のジャケットのジーンズといったラフな格好をしており、 カミュは黒のスーツに身を包んでいる。 当然ながら、二人のこの姿は聖域の、少なくとも十二宮にあって相 応しい姿では無い。これは、カミュが〝外〟から聖域に戻って来たば かりであった事と、これから海斗が〝外〟へと出る為である。 ﹁昔にも、確かにそういう立場の女性聖闘士は居たけどな。今の女性 聖闘士みたいに、素顔を隠すマスクは必ずしも着けてはいなかった デ モ ン ロー ズ よ。確か、アレは元を辿れば双魚宮周辺の香気対策だったはずだし な﹂ 十 二 宮 最 後 の 宮 で あ る 双 魚 宮。そ の 周 辺 に は 魔宮薔薇 と 呼 ば れ る 薔薇が敷き詰められている。花粉や棘に五感を麻痺させ、最悪死に至 らしめる強力な毒を秘めた薔薇である。 361 ? ﹁ま、それはともかく。助祭連中の言い分は、女神とはいえ血肉を持っ た一人の女性、子供だからと言ってその身の回りの世話を男がするの はどうか、ってさ。そのセインティアを見出してアテナの御側に、っ て声が高まって来ているらしい﹂ ﹁十年近く経ってから論ずる事でもあるまい﹂ 根っこにあるのは、連中のイオ ﹁この時代は女性聖闘士やその候補生が多いからな。そっちに回せる 余裕があると思っているんだろう ニア爺さんへの当て付けだろうが﹂ ﹁老か。確かにアテナは我々聖闘士にとって何者にも代え難い尊ぶべ き存在ではあるが、あの御仁は少々それが過ぎるきらいがあるから な。先日は修練に熱が入り過ぎ、命を落とし掛けた者がいるとも聞い た﹂ ﹁珍しい事じゃないはずなんだが。過剰にな、やり過ぎだって事で謹 表 慎扱いになった。これで政務において旧来の、古参の人間は居なく なった。でも、今朝方に戻ったばかりなのによく知っていたな のか﹂ が意図的なモノだとすれば⋮⋮ああ、それでニコルの機嫌が悪かった 沙汰にはしないように、ってな流れになっていたはずなんだが。これ ? まさか世間話をするためだけに呼んだ 手にした本を閉じると、カミュへと向けて放り投げた。 ﹂ 丁寧に扱え、と言ってカミュがそれを受け取り、そのまま書庫へと 収めると脚立を下りて海斗へと向かい合う。 ﹂ ﹁⋮⋮ここ最近の聖域の変化をお前はどう思う ﹁それを俺に聞くのか が、焦りの様な、そんな何かを感じるのだ﹂ し て い る。し か し、ど う に も 違 和 感 が あ る。上 手 く 表 現 は 出 来 な い の、聖域の、この地上の平和を常々考えておられる事は十二分に承知 ﹁教皇のなされている事に異を唱えるつもりは無い。あの方がアテナ ? 362 ? ﹁アレの機嫌が悪いのはそれだけではなかろうに﹂ ﹂ ﹁さてね。それで、本題は わけじゃないんだろう ? そう言って、海斗は腰掛けていた机から立ち上がる。 ? ? 淡々と紡がれる言葉に対し、カミュの目は鋭い。 俺は今の流れを否 その問い掛けに適当に答えようとしていた海斗であったが、その雰 囲気に姿勢を正す。 ﹁政治の事は分らない、それを前提にしてだぞ 定はしない。戦力の底上げは必要だ。一から十まで黄金聖闘士が対 応すりゃあ良いってもんでもない。同時多発的に問題が起きたら、そ れで詰みだ。ギガスの一件にしたって、あれはある意味運が良かっ た。ここに黄金聖闘士の半数が揃っていたんだからな。冥闘士の動 きもハッキリしない現状では、護るにしても、攻めるにしても││力 は必要だ﹂ ﹁⋮⋮そうか。ならばこそ、一刻も早くお探しせねばならんな﹂ 目を伏してカミュが呟く。その言葉には力が込められていた。 ﹁十一年前、この地から勾引され姿を消した││﹂ それは、自らをアーレスと名乗った教皇より、ごく一部の人間にの み告げられた事実。 ﹁││女神アテナを﹂ この聖域に〝アテナは存在していなかった〟という真実であった。 間章1話 沈みゆく夕日が東京の街を赤く染める。 日に日に早くなる日没が、この国の人々に冬の到来が近付いている 事を教えている。 乱立するビルの隙間を埋め尽す様に流れる人の波は、夜の闇が迫ろ うともその勢いを衰えさせる事は無い。 むしろ、闇こそが街から放たれる光をより鮮明なものとしており、 空へ空へと押し返されていた。 そして、闇を寄せられた空は、夜空に浮かぶべき星々の輝きは、眩 し 過 ぎ る 地 上 の 灯 り と 人 の 営 み が 生 み 出 し た 363 ? 大 気 汚 染 科学の霧によるカーテンによって掻き消され、その輝きの残滓を僅か に地上に落とすのみであった。 そんな僅かな輝きが、ビルとビルの隙間をぬって、光の中にあって 闇に閉ざされた場所││路地裏の一角を照らしていた。 その光に照らされて浮かび上がる人影がある。それは少年の影で あった。 ﹁あの時までは何とも思わなかった光景。今では、それがこうもおか しいと感じる。あっちの生活に染まり切っちまったんだな﹂ 星の見えない夜空を眺めながら少年が呟いた。 染めているのであろう。星の輝きに照らされた所々黒色の見える 紫がかった銀色の髪は後ろへと伸ばされ、羽織られたカーディガンの 内から覗く大きく胸元を開いたシャツや、黒いズボン、身に着けられ いっつもやっ た幾つものシルバーアクセサリーの存在が、少年にどこか近寄りがた い、有体に言えば悪ガキ的な印象を与えている。 ﹂ ﹁で、お前らさ∼∼、随分と手慣れた様子だったよな てんのか、こんな事 げる者たちがいた。 皆、銀色の髪の少年よりも幾つか年上に見える。黒色の学生服を思 い思いに着崩した十代後半の少年たちである。 つ、強過ぎる⋮⋮﹂ ﹁う、うう⋮⋮な、何なんだよテメエは⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮こっちは七人だったんだぞッ ﹁ば、バケモノかよ⋮⋮ッ﹂ これまでもそうしてきた。だから、彼らはこれからもそうするつも と連れて行き楽しむのだ。 見て悦に浸る。相手が女性であれば、彼らが主催する〝パーティ〟へ 抵抗すれば、いや、抵抗しなくても暴力を振るい、許しを請う姿を け、街角の人目のつかぬ場所に連れて行き恐喝する。 金を持ってそうな相手を見つくろい、肩がぶつかったと難癖を付 た。 学生服の少年たちにとって、切欠は些細な、いつも通りの事であっ !? 364 ? これ見よがしに、やれやれと肩を竦める少年の足下から呻き声を上 ? りであった。 この時までは。 ﹁ま、お前らから見たらそうなんだろうな。正直な、やり過ぎたかとも 因果応報ってな﹂ 思ったが、どーにも、そーゆーコトは気にしなくてもいいみたいだな。 知ってるか 涼やかな視線のままに、銀髪の少年がそう言って一歩前へと進む。 すると、それを見た学生服の少年たちが必死の形相を浮かべて後ずさ る。 ポケットから出 その中でただ一人、体格のいい深く剃り込みを入れたリーゼントの 少年を除いて。 ﹁で、そこのこっちに尻を向けてるトサカちゃん じゃ済まなくなるぜ ﹂ ﹁う、うるせエーんだヨ で、この秋田集英高の藻部がイモ引けるわけねーだろーがッ ﹂ こ、これ以上ヨソモンにコケにされたまま そうとしている、その光ってるモンはそのまま仕舞っときな。喧嘩 ? ていた。 ﹁やってやる ﹂ !! 事が窺える。 こんなところ、もしもサツに見られたら⋮⋮﹂ ﹁ちょ、も、藻部さん ﹁そ、そうだぜ や、ヤバいよ⋮⋮﹂ 顔色を紅潮させ、荒く吐かれる吐息からもかなりの興奮上状態である ギラリと冷たい輝きを放つナイフに反して、それを手にした少年は やってやるよ、舐めやがって⋮⋮ッ その手には刃渡り十センチ程の折り畳たたみ式のナイフが握られ 上がる。 倒れていた少年達のリーダ格であろう藻部と名乗った少年が立ち !! !! ? ! し、今目の前で取り出したナイフを見せてもなお怯まぬ、いや、憐れ に好き勝手やってきた。そんな少年であったからこそ、自分を圧倒 気にくわない者は暴力で黙らせ、自分のやりたい事をやりたいよう 少女たちから恐れられている。 と言えば、この界隈では知らぬ者がいないワルとされ、同年代の少年 銀色の髪の少年は知らない事であったが、〝秋田集英高校の藻部〟 ! 365 ? ! この役立たず共がッ ﹂ みにも似た視線を向ける相手の存在が認められず、許せず。 ﹁うるせぇーーんだよ !! 一切無い。 ﹁野郎、ぶっ殺してやるぜぇーーッ ﹂ やべぇよ藻部さんキレちまってる !! !! オレらは年少なんかにゃ行きたくねーんだ ﹂ !! ﹁ヒッ ﹁止めろ藻部さん 早く逃げろッ !! 一体いつ、どうやって に間には藻部が握っていたはずのナイフが挟まれていた。 それを見下す銀髪の少年。その右手、その指先││人差し指と中指 ﹁⋮⋮阿呆が﹂ 力を失くした様に、ずるりと、藻部の身体が地に倒れる。 それは一分か、十分か、それとも数秒であったのか。 声の無い路地裏に静寂が訪れる。 れる光景に、未来を想像し、学生服の少年たちが絶望した。 ナイフを握り締めた藻部の巨体が銀髪の少年と重なり、この後に訪 路地裏に叫びが響く。 おい銀髪 ﹂ 相手が怪我をする、下手をすれば死ぬかもしれない。そんな考慮は ちかましの様に突進した。 片手で持っていたナイフを両手で握りしめ、相撲で言うところのぶ ちっぽけな矜持を護る為に。 恐怖と屈辱、羞恥と怒りを全て攻撃する意思へと転化させた。己の ! ﹁⋮⋮う⋮⋮﹂ 銀髪の少年が言葉を終えるよりも早く、学生服の少年たちは││逃 蜘蛛の子を散らすと言う言葉がある。 ﹁ば、化物だぁああーーッ ﹂ ﹁オイ、お前ら。とっととコイツを││﹂ むいている藻部の身体に降り注がれていた。 砕け散った破片はキラキラと輝きながら、口から泡を吹き、白目を その刃が、パキンと音を立てて砕ける。 何が起きたのか理解出来ぬままに呆然とする学生服の少年たち。 ? !! 366 ! ! !? げ出していた。 狭い路地を押し退け合い、我先にと進む彼らには周りなど見えては いない。あるのはただ恐怖のみ。 ﹁││連れて行ってやれ、って。オイオイ、薄情な奴ら﹂ そうして、薄暗い路地裏に残されたのは銀髪の少年と倒れた藻部の みとなった。 ﹁キミ人望無いのな﹂ 空を流れる雲によって星の輝きが覆われる。 空を見上げ、そこで伸びてきた前髪に染め残しを見付けながら、ふ と、この街で、こうして星の見えにくい夜空を眺める奴がどれほどい るのかと、少年は思う。 ﹁いや、アイツなら見ているか。星座やそれにまつわる話が好きだっ たからな﹂ 少年が思い浮かべたのは一人の少女の面影であった。 ﹂ 気配に気付けなかったという驚愕と、四年に渡る過酷な訓練により 待て 違う、彼女は││︶ 培われた技術が、無意識の内に少年の在り方を攻性なものへと変化さ せ││ ︵いかん !! 嫌がる彼女らに難癖を付けていたところにたまたま少年が遭遇し、 の少女であった。 初めに藻部たちに因縁を付けられたのはこの少年ではなく、二人組 ! 367 短い期間ではあったが、共に過ごした妹の様な存在を。 そんな風に少年が懐かしい過去へ想いを馳せていた為であったの か。 その時、彼にしてみれば失態とも言えるミスを犯していた事に気付 ﹂ けなかった。 ﹁あ、あの ﹁ッ セーラー服を着た少女が接近していた事を。 ! 自分に向けて掛けられた声で、少年はそれに気付く。 !? オレは早く家に帰れと言ったぞ 藻部たちの標的を少女たちから自分へと向けさせたのだ。 ︵さっきの子らの方割れか ︶ !! ﹂ あの、大丈夫ですか ﹂ ﹂ の人達が路地裏から走って行くのを見てもしかしたらって││って、 かけても誰も聞いてくれないしどうしようと思っていいたらさっき ﹁警察の人を呼ぼうって探していても見つからないし周りの人に声を 九十度近いお辞儀を見せた少女の頭上を素通りした。 ﹁ありがとうございました 少年は全身全霊、全力で肉体の動きを制止するも、拳は放たれ││ ﹁∼∼ッッ は打ち出される寸前であり││ 振り向いた少年が少女の存在を認識したその瞬間、既に握られた拳 ! ! ﹂ 怪我は無いか 痛い所は ﹂ ? に来た相手に対してするべき行動では決してない。 ﹁そ、そんな事より。君は大丈夫か ? 奴等に絡まれるのもイヤだろう それに││﹂ ﹁ま、ともかくだ。さっきも言ったが早く帰った方がいい。また変な という感情を抱かれていた事を少年は知らない。 ︵見た目は怖い感じなのにやっぱりいい人なんだな︶ もっとも、少年の内情など知り得ない少女に分るはずもなく。 まさにそれであった。 人間心にやましい事があると饒舌になると言うが、この時の少年は ? 程度の衝撃で済んだであろうとは分っていたが、心配し、お礼を言い 仮に、あのまま突き出された拳が少女に当たっていても軽く小突く それは少年をして近年稀にみる全力を発揮した結果であった。 ジョーブ ﹁は、ははっ、ハハハハ。いや、何でもない、何でもない。大丈夫ダイ 思える程に息を乱し、額に汗を浮かべている。 彼女に上目遣いで見つめられた少年は、誰がどうみてもおかしいと 幼さを残したそばかすのある少女であった。 肩の高さで切り揃えられた黒髪、くりっとした大きな瞳の、どこか ? 少年が親指を立てて路地の向こう、通りへと指を向ける。 ? 368 !? ! ﹁お迎えが来たみたいだぜ﹂ ﹂ 少女がそちらを向けば、こちらへと向かい駆けて来る人影が見え る。 ﹁瑠衣∼ッ 言って少年が踵を返す。 待って下さい !! ば ︶ る い ︵⋮⋮ そ ん な 餌 を 与 え ら れ た 子 犬 の 様 な 目 で オ レ を 見 な い で く れ ッ いる。 このまま名乗らずに早々に立ち去る。それがベストだとは分って 名乗り返す必要は無いが、ここで名乗らない理由も無い。 ﹁⋮⋮あ∼﹂ 言い切る自信が少年にはある。 そもそも呼び止めたのが男であれば、足を止める事すら無かったと 後悔する。 足を止めるんじゃなかった。少女の期待に満ちた目を見て少年が 火場瑠衣と言います﹂ ひ ﹁本 当 に あ り が と う ご ざ い ま し た。わ た し は 秋 田 集 英 高 校 一 年 の 少年が足を止めた。 足早に立ち去ろうとする少年の背に少女の声が届いたのであろう。 ﹁あの ﹂ その光景をぽかんとして眺める少女に笑みを返し﹁じゃあな﹂と と、彼よりも一回り大きな藻部の身体を軽々と担いで見せる。 瑠衣と呼ばれた少女が向けた、問い掛ける様な視線に少年が答える うしな﹂ ﹁交番の前に放り出しとくのさ。叩けばボロボロと、余罪もあるだろ を伸ばす。 少年は聞こえないふりをして未だ意識を失ったままの藻部へと手 姿に﹁あ、明菜の事忘れてた﹂と少女が呟いた。 ポニーテールを揺らしながら自分の名を呼び向かって来る親友の ! 僅かなやり取りではあったが、少年はこの少女が自分のこれまでの 369 ! しかし、そうすればこの少女はおそらく悲しむのであろう。 ! 生活の中で縁の無かった〝良い子〟であると理解出来ただけに心苦 しく感じてしまう。 少年が少女の肩越しに視線を奥へと向ける。彼女の友人は間もな くここに到着する。 ﹁⋮⋮ハァ⋮⋮﹂ 少年は溜息を吐くと、藻部を抱えたままその空いた手でがしがしと メイ 頭を掻き、短く、しかしはっきりと名乗った。 ﹁盟だ。苗字は無い。ただの││盟だ﹂ 歩行者用の信号が赤から青に代わり、僅かに途切れていた人の波が 一斉に動き出す。 秋の夜風は肌寒さを感じる程に冷たい。しかし、人混みが生み出す 熱気と喧騒に巻き込まれた盟は眉を顰めて不快感を露わにしていた。 る師の姿が思い浮かぶ。 キャンサー 四年間師事を受けた相手だ。盟は自分の想像に確信にも似た思い を持っていた。 蟹 座のデスマスク。それが盟の師の名前である。 盟は、この少年も海斗たちと同じく城戸光政によって集められ、聖 370 その雰囲気に当てられたのか、自然と盟の周りから人が離れる。誰 もが無意識に盟を避けていたのだが、本人はさほども気にはしていな い。 今の盟は袖口を折り返した黒い学生服を羽織っていた。 丈が合っていないのはこれが藻部の着ていた学生服であった為だ。 本来の持主は駅前の交差点近くにあった交番の前に置いて来ている。 ﹁しっかし、相変わらず師匠の手紙はワケが分らん﹂ 女神ってな ズ ボ ン の ポ ケ ッ ト か ら 取 り 出 し た 一 通 の 便 箋。折 れ て く し ゃ く しかも日本で しゃになったそれに盟は何度となく目を通す。 ﹁女神を探せってなどーゆーこった ﹂ 聖域に居るんだから違うよな。だったら何だ ? 代名詞じゃなくて名詞をくれ、名詞を アテナの事か 誰の事だ ? ? !! ? 自分で考えろ馬鹿が。盟の脳裏にゴミを見る様な目でそう言い切 ? 闘士となるべく送り出された百人の孤児の一人であった。 ﹁それでコイツはコイツで⋮⋮ッ﹂ これだけか 何がだ 何をだ 盟がポケットからもう一通の便箋を取り出し広げて見た。 ﹁手伝え、ってなんじゃそりゃ !? ﹂ !! ! が集まる。 横断歩道を歩く盟の周りには、いつしか何事も無かったかの様に人 そう呟く盟の表情には、しかし、笑みが浮かんでいた。 一発殴ってやる﹂ ﹁海斗め。幼馴染みだろうが四年振りだろうが知った事か。会ったら そのくせに、差出人の名前だけは達筆なところに悪意を感じる。 白をたっぷりと残した便箋のど真ん中に。ミミズが這った様な字で。 盟の言う通り、そこにはただ一言、日本語でそう書かれていた。余 人とまともにやり取りをする気はあるのかあの野郎は !! やがて、盟の姿は道行く人々の流れの中に消えて行った。 371 !!