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豊森なりわい塾 第 1 回「一期生ギャザリング」概要

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豊森なりわい塾 第 1 回「一期生ギャザリング」概要
豊森なりわい塾
第 1 回「一期生ギャザリング」概要
1、実施概要
開催日時
会場
2012 年 4 月 7 日(土)13:30~17:00 (懇親会 17:30~)
とよた市民活動センター ホール
豊森なりわい塾第一期の卒塾式から 1 年以上経過した。卒塾後、
「もりもり
バザー」
(野口町)など、塾生同士の個別のつながりでのネットワークや活
目的
動はあるものの、全体での集まりはまだ一度も行っていない。このギャザリ
ングでは、卒塾後の近況を報告し合い、情報交換することで、今後の交流を
さらに深め、高め合うきっかけづくりの場とする。
2、プログラム概要(全体の流れ)
13:00 集合、はじめの言葉
13:20 卒塾生の現状報告
17:00 2 期について
17:10 意見交換など
17:30 記念写真撮影
18:00 懇親会
3、はじめの言葉 概要(豊森実行委員長)
・互いが情報交換できる場を設けたい。
・震災があって、いろんな形で社会が変わってきた。すごく変わったのは、東京と関西の
人達の意識。震災を経験したことのある地域は、意識が変わってきた。変わってないのが
東海の人達。ある意味特殊な地域でもある。
・あらゆる面で社会全体が行き詰まってきて、若者は将来の希望を見出せなくなってきた。
いい会社も社会保障制度も信用していない、敗戦直後はみんな郵便貯金をした。国のシス
テムを信用してきたから。今の若者は、信用しなくなっている。
・何回か東北に入って思うこと。生きていくことのベースをどこに置くのか。いのちと向
き合うということを真摯にやっていくことが必要とされている。世の中の大勢に引きずら
れずに。いのちに向き合うとは、食糧、エネルギー、水、教育、医療、地域の福祉・相互
扶助(相補性)の問題と向き合うこと。
・これらを、自分たちで解を見出していかなくてはならない。人間が生き物としていきて
いく基盤だけではない。人間には生き甲斐も必要。これら基盤も何もかも、国に依存して
きた。外から受け止めるのが当たり前の時代から、これらを主体的につくっていかないと
いけない時代に来ている。自分たちでどうして行くか考えていかないといけない。
・今までは文化とか芸術に押し込めてきた。人と人が慈しむ社会とはどんな社会かを、青
1
臭く真剣に議論していかなければならない。各地が真剣に考え始めている。
・この地域は、まだ昨日のつづきが明日だと信じている地域でもある。豊森受講生の自分
たちの生き方が、今の若者達のモデルになっていけばいい、そんなことを思っています。
良い意味での情報交換をして、また、ひとりひとりが生きていって、そしてまた集まりた
い。
4、当日の発表内容
内容
山守のその後。K さんの間伐を 1.5ha 分。去年の 3 月末までは補助金をもらって行った。間
伐材の販売で 20 万円になった。チェーンソーなどを買った。しかしまだ面積の半分もやれ
ていない状況。去年 7-8 回集まってやったが思うようにはかどらず。現在は 6-7 割をやった
状態。正月明けもやった。
このままでは K さんにも申し訳ない。私自身は正月の初切りで軽傷。安全のためにも、ペ
ースを落ち着けてやろう、と思う。最後までやりきろう、という志をもってやる。
(スタッフ)地こしらえをしっかりやってほしい、という問い合わせが豊森にくる。こうい
うことは人海戦術でやらないといけない。判断はお任せするが、人手が必要なら 1 期生、2
期生に声をかけてやるのもよい。あの地ごしらえでは、K さんが近所からいろいろ言われか
ねない。
第 2 期では、ここで森の健康診断をやった。斜度 40 度ぐらい。沢の方に向かって丸太が落
ちかけているところもあった。間伐したところは、森林組合作業班の T さん(2 期生)言わ
せると切りすぎとのことだったが、山主の意向が大事とのこと。
(U)第 2 期の森の健康診断について行った。林地残材が雨だとかで下の方に降りてきてい
る。小川をせき止めると危険。力仕事が必要であれば声をかけてほしい。協力したい。
(Y)間伐率は 40%を目指している。まず倒すことで、後始末は二の次になっていた。すみ
ません。
(スタッフ)K さんも山に詳しいわけではない。地域の人の声は、K さんに影響がある。国
道沿いが綺麗に整備されてしまった。それに引き替え「あそこは豊森さんがやったんだよね」
と言う声が、K さんに入る。最初とは状況が変化していく。節目節目で、山主に現地で説明
することが必要だったのではないか、と感じた。
(M)間伐したところは、K さんはお気に入りの土地。だから、余計に思いが強い。
(スタッフ)1 年経って、豊森って、どんなふうに思っているのか。
(Y)仲間からの活躍やおめでたのメール。わくわくどきどきの生活を送っている。しかし、
サラリーマンなので、自分自身には大きな変化がない。
卒塾後、展示会を何度か。だんだん、知らない人からの注文や設計士さんからの注文が入る
ように。針葉樹の家具はぼちぼち。環境に興味がある人は受け入れてもらっている。環境で
選ぶというより、針葉樹が綺麗だから選ぶ、というふうになってもらえるようにしたい。作
2
り方も分かってきた。
生木を使った椅子が、家具に興味がある人(設計士・家具販売の人)の評判がよい。今度は
松でつくってみる。吉村医院に行っている。粗食しなさいと言われ、そうしたらお腹の調子
がよくなってきた。
M は、今日は足助のお祭り。ウキウキしてます。
(スタッフ)稼ぎの方は?地域の方は?
(F)稼ぎは家具の収入でなんとかやっていける。想像していたことと比べてもまあまあ、
もう少し稼げればいいが。
地域との関係では、今いる地域は、外の人が受け入れてもらいやすい地域。入りやすかった。
地域との接点は、うっとうしくもあり、楽しくも有り。2 人とも工房にいるので、何やって
いるのか地域の人にも分かりやすいというのはあると思う。
(スタッフ)ふくなりの家具は、ケアをしてもらえるのが付加価値。
(スタッフ)東京にも一度来ていただきました。
卒塾してから、震災があって、いろいろ考えるようになって、5 月に岩手県に。一時期、森
の方から離れてしまって、東北の特産品を屋台で売ったりしていた、商工会関係で。1 月に
上石津に、森さんのプロジェクトで行くことになった。亀山では、週末自称林業家、森の風
という森林施業の NPO とつながる。月1回で会っていて、一緒に活動しようかと考えてい
る。最近はずっと三重県近辺で動いていました。
仕事の方では、補助金中毒に嫌気がさして。そういうのが無いだろうと思って民間事業体を
選んだが、国策なのか、現場半分補助金の事務半分の毎日。腑に落ちない。山が綺麗になっ
て山主が喜ぶのは嬉しいけど、このままでは補助金をもらうためのプロになってしまいそ
う。社長も息子も嫌だと思っているけど、補助金で従業員も増えて、その人達を雇い続ける
ためにも、また補助金をもらわないといけなくなっている。
23 年度事業が終わったらやめようと思っている。2 月末に言おうと思って、言えなくて、昨
日やっと少し言えた。会社からは「やめるのも選択肢の 1 つだけど、ここが補助金を使わず
にすむ方法を考えるのも選択肢に入れてくれ」と言われた。
一番しっくり来るのが自伐林家の養成だと思う。
(U)この前、本にのった?
(F)全国林業普及協会が出してる「道具と技」第 6 巻の、現場日記(現場の 1 週間)に載
った。
(スタッフ)自伐林家は、ある程度材価が高いときに成り立つやり方。材価はもう変わらな
い。自伐林家だけではやっていけない。
例えば、お茶の世界。ペットボトル化。どういうお茶が生き残っているかというと、一気通
貫のところ。お茶をつくって加工して販売するところまでやっているところ。
だからといって、林業では企業が一気通貫で持つことも無理がある。モノをつなぐのではな
く、思想のつなぎで一気通貫をしていくのがよい。
3
*プレゼン資料あり「豊森と私(卒業から 1 年)
」
先代から材木屋を引き継ぐことに。合資会社鍋嘉商店(林業・製材・建築)。引き継いでみ
ると、建設業は残って無い、借金 900 万円(社長個人の借金)。社長がたまにぼけたふりを
する。
「とよたの森の木」の結果、材木の在庫がたまることに。しかし、やったおかげで今までに
付き合いの無かった人と付き合うことができた。そういう人に材料を提供することができた
のは良かった。今は 3 分の 1 がはけた。丸太を購入したのは、1 年半前。ちょうどその頃、
普段は買わない人が買うタイミングとバッティングしたため、値段が上がっていた。原木の
価格はもうあがらない。スポット的にあがっても 1 割ぐらい。山をよくしたい、と思っても、
買うときは安く買いたいと思ってしまう。高値の言い訳として、社会貢献といっているが、
それも限界が来ている。
間伐だけでなく、枝打ちも見直して欲しい。のこぎりだけでなく、鉈を使う。鉈はさぼって
いると下手になる。
プライベートでは、8 月に第 2 子誕生。長男が言うことを聴かない。ものすごくきつく怒っ
てしまう。反省。
9-10 月に、近くの川で投網。鮎獲り。年間 20 匹ぐらいだったが、去年は 250-300 匹が獲れ
た。4-5 月では、ウナギを獲りたい。あすけ祭りでは、木は売れないと思って、コーヒーを
売った。名大の木の木質化プロジェクトに無理矢理参加した。毎月一回会議に参加。そこで
知り合った設計士さんからも注文がくるように。
山のことをやっていると、近所から木を倒してくれと、依頼が。
今年早々、間伐した木でお寺の屋根を空けることに。2 月には、国道に丸太をぶちまける。
林内作業車買って一人で間伐しているが、3 月には、2t トラックで山に落ちかける。
今更ながら、2 級建築士の勉強。日建学院に通っている。
今後の目標は、とよたの森の木の PR をして売ること。間伐でちょい稼ぎ(びっくりするく
らい材が安いので、ちょっとしか稼ぎにならない)材木屋の会社の整備。不動産屋としても
充実をさせたい。ここ 3 年間で間に 2 件ほど田舎暮らししたいという人から問い合わせ。看
板はあげてないのに、田舎の不動産屋だからだろう。田んぼ仕事で体重の減量化を図りたい。
ガスストーブで、月 3 万円超えているので、薪化を。
気の利いた材木屋になりたい。
あと、禁煙をしたい。来年の今頃はたぶん吸ってない。今年はまだ吸う。
(スタッフ)行政は材を買ってくれないの?
(K)豊田の森林課の勉強会に参加。建築部門も入れた勉強会。まだ今はハードルが高いと
感じる。値段もあるが、製材しただけの形じゃ売れないこともある。とよた材としての認証
制度はない。愛知県産材、みかわ材はあるが。
(スタッフ)乾燥はどうしてる?
(K)旭製材に乾燥機がある。
4
補助金の事業をやっていた。中学校の裏山。昔の薪炭林。子どもが入れない朽ち果てた山に
なっていた。PTA でなんとかしたい、となり、整備してもらった。親子作業では、中学生と
一緒に山を片付けた。小中学生合同で、森林学習も。竹クーヘンの枝版をやった。間伐材で、
森へつづく道づくり、階段づくりも。補助金業は森林整備だけだったが、形にならないので、
炭窯づくりを。80 歳の地域の人が炭窯づくりに協力。人が集まる場所にしたかったので、
隣に土窯をみんなで作った。中学生 4 人も参加。地域の人、学校の先生も参加。小中併設校
なので小学校 6 年生も参加(来年度は中学校がなくなる)。そして、浪合中学校は閉鎖。つ
くった窯は、地域の人が使っている。
中学校を移ってからは、エコ活動をすると校舎改築の補助金が出るということで、名古屋大
学と共同してエコの実験。花を育てたりもするが、部活学校なので、花などは邪魔者扱いさ
れている。福祉活動で、福祉施設へ。最初はお年寄りも生徒もどこか迷惑そう。竹のスプー
ンを作って贈ろうと提案したら、子どもたちが熱心に取り組むことに。第 2 回訪問で、お年
寄りに渡したら、距離が縮まったような感じ。最後は子どもたちの顔が明るかった。
結いプロジェクトは、気持ちだけでも引き継いでいきたい。これが豊森なのかどうかはわか
りませんが。これからは、せっかくやったことを活かすこと。裏山の整備など。なりわいに
はなりませんね(笑)
。
*プレゼン資料あり「その後のこと」
主にやったのは、耐震のこと。診断はしたけど、改築していない人達向けの相談会をやった。
七ヶ浜に行って、野菜を送るプロジェクトで、チンゲンサイの漬け物を送ったりもしている。
明治用水共催事業。水をキーワードに森と川を結ぶ事業、講師に森さんと森川さん。グリー
ンマップの手法を使って、子どもたちと地図づくり。明治用水事業は、根底に木を使っても
らうことがある。しかし、木はなかなか売れない。森のない安城の子どもたちに木を守って
いる人がいることを知ってもらいたいと、根羽村に連れていった。聞き書きも子どもたちに
してもらった。しばらくすると、遊びの伝承会に変わってしまったが。
法人を立ち上げた。NPO 法人コミュニティサポーターほっぷ。心豊かに暮らせる地域社会
の実現に寄与する。総合的な人育て、まち育て。孤立している 50 代男性のために、全日本
きょうさい(恐妻?)組合を立ち上げた。会員は 2 人しかいないが。CSA(農業)
、CSB(防
災)
、CSC(カルチャー)
、CSD(災害)、CSF(森林)。最終的にはほっぷ村をつくりたい。2
年前に安城市民防災フェア。安城市に予算化してもらって実施した。七ヶ浜では、安城市が
50 万円を助成。安城ロケット団と協働して、プロジェクトを実施。
今年度防災フェアは、11 月 18 日に澁澤さんを呼んで吉里吉里の話をしてもらう予定。ワー
クショップでは発災 72 時間のシミュレーション。地域がどうつながるとよいのか。企業も
ワークショップに参加して欲しい。デンソーなどのメーカーが動いてくれれば。安城は、デ
ンソーとマキタが動くと動く傾向にある。
(U)会社で何かできないかと思って、デコポンに入った。年末には駒宮さんを呼んで自然
エネルギーの講演会もやった。その過程で安城工場や高棚工場にもつながりができた。
5
*電話で参加。
猫の手も借りたいくらい、忙しい。牛乳の販売は、まだまだだけど、安定して売れるように
なってきた。チーズケーキやプリン、ジャムなどの商品も。ネット販売の方はたまに注文が
くる程度。地域の商店や個人から、どういう農産物が持って来れますか?という問い合わせ
をいただくことが出てきた。ヨーグルト工場はまだこれから。やってみて、乳業ってお金が
かかる仕事なんだ、ということを知ったところ。
(S)どんなふうに忙しいの?どんなことでお手伝いが必要?
(S)とにかく忙しいの! 事務処理と営業、イベントへの参加で、お手伝いが必要。たま
にアルバイトに入ってもらうけど、人を雇う余裕はない。
(スタッフ)環境省の九州事務所に行けば、ビジネスモデルを作るだけの助成金があるので、
応募するとよい。
(S)環境省ってことは環境にいいことしないといけない?ただ牛乳売ってるだけでいい
の?
(スタッフ)一次産業は何でも OK。
(S)でも、環境省に行く時間がない。また澁澤さんにも来ていただけると思っていますの
で、相談にのって欲しいことがある。いいチーズを作る人が現れたので、その人にも仲間に
入ってもらいたいと思っています。
(スタッフ)環境省の 250 万円の使い道として、販路拡大と売上拡大で企画書をかけばいい
と思う。
(スタッフ)これからビジネスを起こしたい人のため、いろんな考え方の人がいるんだな、
と思った。毎週 500 リットル仕入れて、低温殺菌をしてもらうプラントに持っていって(自
前でやりたいと思っているが)、お客さんに届けたい。事業計画を書きなさい、と言った。
数字の事業計画は必要ないと彼女は言った。300 リットルぐらいは最初は捨てていた。事業
の見直しから 2 ヶ月後に、価格が損益分岐点に到達するのに 1500 リットル必要であること
が分かった。彼女にはミッションがたくさんある。チーズを売りたい人がいれば、一緒にや
ればできるのではないか、とか。彼女の頭の中は宝石箱状態。彼女の中には数字が入ってい
るわけではない。少なくともこれだけ売ったら、ここで人が雇えて、ということをガンガン
周りから言われた。数字なんて必要ない!と彼女は言い返した。現実は売れている。利益は
出ない。忙しい。最初の一歩の部分としての良い例。最初から数字をつくらなくても形には
していける。女性の論理で整理してあげると実はいいのだろう、と思う。
(Y)頭の中が宝石箱なのはよく分かる。やればできる自信もある。逆に私は、そろばんを
はじくとできないことが分かって動けない。
卒塾後、新城に。養蚕のインターンシッププログラムに参加した。創業支援で 250 万円もら
えることが分かって、それに応募。momo からも融資を受けて、事業を開始した。自分のや
りたいことがプログラムに合致した。助成金を受けてよかったのは、いろんな知り合いがで
きたこと。創業する仲間もできて、今でも活発にネットで情報交換している。一緒にイベン
6
トの企画もしている。
一番の問題は、繊維関係が見直されていることをひしひしと感じるにも関わらず、すぐにそ
れがなりわいになるかというと厳しい状況であること。ものづくりに集中すると人と会う時
間がとれない。6 次産業化しないといけないと思うが、それを仕掛けていく仲間がいないと
苦しい。
古民家が見つかった。お寺の庫裡。土地は 900 坪。ぼろぼろで水回りがない。リフォームに
1,000 万円かかると言われた。古民家はアウトドア生活であることとも言われたが、決心し
て借りることに。豊森のメンバーはリフォームを一緒にするのに使えるなー、と思っている。
地域の人も、本堂などを使えるようになればいいと思う。
養蚕を継承していくことが自分のベース。糸紡ぎ体験などニーズがある。
(M)いっそのこと僧籍をとれば?
(スタッフ)ビジネス的なことを引っぱってくれる人がいればいい。
昨年も綿畑をやった。元・田んぼでもやってみた。連作でやったところ(畑)の方は収穫量
が落ちたので、今年は休み。
プライベートでは、子どもが小学校に入学。自分は小さな企業に就職した。炭素繊維を作っ
ている会社。炭素繊維も手作業。応用ができるかなと思う。今までは開発をやってきた。手
先の作業に向いていることが分かった。生木の造形など、生木の特徴をとらえて、データを
とって、効能などを計ったりすることなども考えている。
(スタッフ)会社を辞めて、また就職してどうでした?
(S)前は大企業。今は 100 人足らずの小さな工場。今の日本の経済の歪みがよく見える。
中小企業の経営者の考えていることもよく分かる。ここは長くいるところではない、と思っ
た。任されている仕事(炭素繊維)は、これからまた綿などの時代に戻ってきた時に活かせ
るはず。
(スタッフ)プロジェクトを作るときは地域プロデューサー的な立場だったが、今はどう
か?
(S)使えるものは使った方がいい、と思うようになっている。何が何でも地域、ではなく
なった。
豊田市に引っ越し。長女は足助高校へ。将来は藤岡に家でも建てようか、と。
農事組合法人設立へ向けて活動。ヘルパー2 級を取得。会社をつくろうかと思って、法人格
を取得(株式会社)
。NPO アースアズマザーは、2 町歩の田畑を。6 次化へ向けた準備も。
地域で草刈り。調査事業で、現金収入を。その他、いろいろ・・・
お金がなくても循環していける社会に。地域での相互扶助などの新しい暮らし方を模索して
いる。今もチャレンジャーで、生きてるなー、という感じでいる。
(スタッフ)豊森は今、3 期どうするか、という段階。講師になれる人の一人が村野さん。
(スタッフ)稼ぎも務めも暮らしも、分刻みで入れ替わりながらやっている。
田舎で家をつくりたい。人を実験台にしてやってみた。去年の秋から、瑞浪市(恵那市との
7
境)で。200 坪の三角形の土地を 180 万円で購入。土地の中は雑木林。S さんに重機で整地
してもらった。電気は最低限の電気を引いた。現場事務所とコンテナを設置。材木は鍋嘉商
店から。現場事務所とコンテナの間に壁をつけて、屋根をつくる。(こうして、家はほとん
ど M さんの手でつくられていった)水は雨水を利用。雨水を集めてそれを浄化(ヤクルト
の容器や DELIOS4 という濾過紙などを使って)
。計算すれば、雨水だけで生活できる。トイ
レは水洗では無く、風呂もあまり入らなければ。200 万円あればなんとか住める家にはなる
か、と。
萩原さんから、地元から呼ばれるようにならないといかん、と言われた。O さんなどいろい
ろと呼ばれる。
もりもりバザー、3 回やった。月一で子どもたちが出演するプチもりバザーも。息子も、や
きそばの下ごしらえができるようになった。食を極めたいと思い、新盛の市民農園を借りて
いる。息子は高等部 2 年。足助のパレット、南医療生協のダーシェンカ(パン屋)で仕事体
験。ニコニコ宅地交流事業で移住計画を進行中。冷田町の冷田小跡地。年末に買えるかな、
と。家や庭は設計済み。ログハウスセルフビルドスクールを体験。豊森、地域の皆さんでロ
グ組をやりたい。
これからは、仕事がもう限界。次男が高校卒業まで待って辞める覚悟。半農半 X をする。X
は何だ?と言うと、地域で出来ることをする。障害者・高齢者の支援など。しぶい親父にな
って地域の人達を楽しませたい。
5、成果(ねらいに対する)
一期生同士で近況を報告し合うことができ、有意義な時間となった。また、現在、それぞれ
が抱えている悩みや課題を打ち明け、互いに協力しあえる部分を話し合うことができ、次に
つながる場となった。
6、反省課題と今後の対応など
・第 2 回目のギャザリングはもう少し時間に余裕を持って行いたい
・あらかじめPPTなどの資料を作成してもらえる人には確認をとっておく必要がある(資
料があったのに時間が足りず発表できなかった一期生がいた)
8
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