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釜ヶ崎 フィールドワーク 報告書 わらわらの会

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釜ヶ崎 フィールドワーク 報告書 わらわらの会
2013
釜ヶ崎
フィールドワーク
報告書
わらわらの会
目次
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
第 1 部 釜ヶ崎とホームレス問題
第 1 章
「ホームレス問題」の二つの現状
嶋田 康平・・・・・・・・・・・・・8
第 2 章 路上生活者の街、釜ヶ崎の床 齋藤 裕・・・・・・・・・・・・・・・・10
第 3 章 行政 vs ホームレス問題 清水 彬史・・・・・・・・・・・・・・・・・13
第 4 章 釜ヶ崎と医療 庄司 知志・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16
第 2 部 支援とかかわりを考える
第 5 章 ホームレスの排除と包摂 大野木 亜衣・・・・・・・・・・・・・・・・20
第6章
More than just a “Homeless Ghetto”
Goh Pei Ying・・・・・・・・・23
第 7 章 他者とともに生きるということ 渡部 駿平・・・・・・・・・・・・・・26
第 3 部 参加者感想・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30
おわりに―――わらわらの活動とその意義――― 嶋田 康平・・・・・・・・・・・・・36
はじめに
釜ヶ崎は、大阪市西成区に位置し、日本最大の寄せ場と言われている。寄せ場とは、日
雇い労働者が集まる場所で、釜ヶ崎の他に東京の山谷、横浜の寿町、名古屋の笹島などが
ある。また、日雇い労働者が宿泊する「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所が立ち並んでいるの
も特徴である。そのため、しばしば「ドヤ街」とも呼ばれる。
釜ヶ崎のまちは、数時間あれば一通り歩けるほどの広さである。炊き出しや恒例行事を
行う「三角公園」、職業安定所や福祉の窓口の機能を持つ「あいりんセンター」、堅牢なた
たずまいの「西成警察署」
、全校生徒約 70 名の「萩之茶屋小学校」など、様々な顔を併せ
持つ不思議なまちである。また、釜ヶ崎の周辺には、日本最大の遊郭と呼ばれた「飛田新
地」、串揚げと通天閣で有名な「新世界」、日本一の高層ビルがある「天王寺」が隣接して
いる。
わらわらの会は、2013 年年末に釜ヶ崎を中心にフィールドワークを行った。本書は、フ
ィールドワークの成果や先行研究に基づいて、ホームレスという状態及びその状態にある
人々に対する現状分析と考察を展開している。
フィールドワークの目的
フィールドワークは、以下の目的で実施された。
①参加者が「見る」
「話す」という体験を積み重ね、ホームレスの人々や釜ヶ崎への怖い、
汚いという既存のイメージを多角的にとらえ直す。
②座学での知識を検証するとともに、ホームレスや寄せ場への社会の関心を少しでも広
げる。参加者がテーマを設定して、事前学習から継続的に研究し、事後報告を行う。
③参加者同士の議論を通し、異なる考えや視点に耳を傾け、問題に向き合っていく人材
を養成する。
フィールドワークの活動概要
日にち
12 月 27 日
活動内容
釜ヶ崎まち歩き
大阪市福祉局生活福祉部地域福祉課ホームレス自立支援グループ訪問
大阪社会医療センター訪問
12 月 28 日
ビッグイシュー日本大阪事務所訪問及び販売体験
釜ヶ崎医療パトロール(夜回り)
12 月 29 日
新今宮観光インフォメーションセンター訪問
NPO 法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)訪問
12 月 30 日
振り返り、年末越冬闘争
2
○まち歩き
釜ヶ崎のまちづくりに携わる専門家の平川隆啓さんに 3 時間ほどかけて釜ヶ崎を案内し
ていただいた。あいりん労働福祉センターに始まり、特別清掃事業詰所、救護施設の三
徳寮、荻之茶屋小学校、三角公園、動物園前商店街などをまわった。
○大阪市福祉局生活福祉部地域福祉課ホームレス自立支援グループ
ホームレス自立支援グループは、ホームレスの自立の支援に係る施策の調査、企画及び
連絡調整並びに推進を行う。大阪市の現状、「巡回相談事業」「自立支援センター」とい
った具体的施策についてヒアリングを行った。「自立支援センター」について、ホームレ
スの人の入所拒否や再路上化という問題にも言及した。
○大阪社会医療センター
あいりん労働福祉センターに併設されている公的医療機関。無料低額診療・社会医学調
査・医療相談業務を行っている。無料定額診療によって、医療費が支払えない者に対し
ても貸付という形で迅速に医療を提供している。総務課長、看護部長、事務長に寄せ場
における医療の特徴と変遷、病院経営などについてヒアリングを行った。
○有限会社ビッグイシュー日本
ビッグイシューという雑誌の販売を通して路上生活者の自立を支援する社会的企業。雑
誌ビッグイシューは、ホームレスの販売者によって 300 円で売られる。そのうち 160 円
が販売者の収入となる。販売者の柳原さんと販売スタッフの吉田さんにヒアリングを行
った後、実際に事務所近くの販売ポイントで販売を体験させていただいた。
○新今宮観光インフォメーションセンター
阪南大学国際観光学部国際観光学科の松村嘉久先生及びそのゼミ生で運営されている観
光案内所。外国人観光客が多数利用しており、観光スポット、移動手段や宿泊施設など
幅広い情報を提供している。ヒアリングでは、簡易宿泊所の変容、西成区の産業構造の
変化など、まちづくりの視点からの考察が中心であった。また、実際にいくつかの簡易
宿泊所を案内していただいた。
○NPO 法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)
芸術活動や表現活動を通して、ホームレス・高齢者・ニート・教育・環境などの社会問
題に取り組んでいる。コンセプトは、人々が集まり、語りあう、おうちみたいなカフェ。
西成にある商店街「動物園前一番街」のなかにカフェを構え、アートと社会の接続点、
人々のつながりをつくる場所をめざす。代表の上田假奈代さんに設立の経緯、活動内容
に加え、
「生きづらさ」についても一緒に頭を抱えながらお話ししていただいた。
3
京都府
兵庫県
大阪湾
大阪市の位置
大阪市
奈良県
大阪府
和歌山県
ビッグイシュー日本
大阪市役所
通天閣
釜ヶ崎
西成区
大阪市内図
4
釜ヶ崎地区周辺地図
新今宮観光インフォ
JR 新今宮駅
①
メーションセンター
地下鉄 動物園前駅
西成プラザ
特別清掃事業詰所
ホテル来山
大阪社会医療センター
(あいりんセンター)
堺
筋
三徳寮
ココルーム
仏現寺公園
銀
座
通
り
荻ノ茶屋小学校
市立更生相談所
スーパ―
西成警察署
四角
玉手
公園
消防署
三角公園
ふるさとの家
飛 田
新 地
②
シェルター
① 外国人バックパッカー向けの国際ゲストハウス地域。ホテル中央グループを中心に、高
い稼働率が維持されている (第 1 部第 2 章参照)。
② 荻之茶屋の中心となる公園。夏には夏祭り、年末年始には越冬闘争が開かれ、地域の人々
が一堂に会する場所となる。
5
釜ヶ崎用語集
あ行
あいりん・・・・・
「釜ヶ崎」と同地域を意味する。
あおかん・・・・・青空の下で寝ること。野宿。
あんこ・・・・・・日雇い労働者のこと。普段は寝ているが、おいしい餌を前にしたらパ
クッと食いつくアンコウに由来する。
か行
かま・・・・・・・
「釜ヶ崎」の略。
「釜」とも表記する。
けいやく・・・・・一定の期間を区切って飯場に入り働く。
かまやん・・・・・ありむら潜(漫画家)の描く釜ヶ崎のイメージキャラクター。
けたおち・・・・・日当がひどく安いこと。
げんきん・・・・・現金日払いの仕事。
さ行
しのぎ・・・・・・他人の収入の強奪
しょしき・・・・・発生した賃金の範囲で、作業道具や酒類を掛けで買うこと。
せんたー・・・・・あいりん労働福祉センターのこと。
た行
てちょう・・・・・日雇い雇用保険の手帳。この手帳を持つ日雇い労働者は、一定の条件
を満たすことで、失業した際に給付金を受けられる。
どや・・・・・・・簡易宿泊所。釜ヶ崎の簡易宿泊所だと 1000 円台で一泊できる。
とんこ・・・・・・日雇い労働の現場や飯場から逃げ出すこと。
な行
にしなり・・・・・
「あいりん地区」や「釜ヶ崎」を指す。
にっとう・・・・・日当
にんてい・・・・・日雇い雇用保険で受けられる給付金のこと。
6
第1部
釜ヶ崎とホームレス問題
第1章
「ホームレス問題」の二つの現状
嶋田 康平
ホームレス状態に対する二つの現状認識が、これまでの活動、文献調査、フィールドワ
ークなどを通して導かれた。ホームレスの「不可視化」と「多様化」である。
ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(ホームレス自立支援法)では、ホーム
レスは「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所とし、日常生活を
営んでいる者」と定義されている。厚生労働省の調査によれば、上記の定義に該当する者
は、2003 年 25,296 人から年々減少し、2013 年には 8,265 人となった。ホームレスの定義
に関しては、一般的なイメージとかけ離れているとは思えない。だが、果たしてホームレ
スの人は減っているのか、という疑問が残る。ここで、ホームレスとは何かという定義の
問題を改めて考える必要が生じる。
稲葉剛氏(NPO 法人自立生活サポートセンター・もやい理事長)は、ハウジングプアの
全体像を下のピラミッドで示している(図は『ハウジングプア』17 頁より)。
C:家はあるが、居住権が侵害されやすい状態
定期借家や解雇で失う会社の寮や社宅など。
B:屋根はあるが、家がない状態
ドヤ(簡易宿泊所)
、ネットカフェ、サウナなど。
A:屋根がない状態
先述した日本のホームレスの定義は、A の極限状態の路上生活者しか含んでいない。行政
は、自立支援事業や生活保護といった制度によって、A の状態のホームレスの人々を「畳の
上にあげる」よう努めている。その結果が、ホームレス数の減少であり、釜ヶ崎において
も目に見える形で表れている。しかし、B さらには C の状態、すなわち路上生活の一歩手
前の人々がどれだけいるのかは明らかでない。これが、ホームレスが見えなくなっている
「不可視化」という現状である。A の極限状態は、仕事、住居、家族や友人、そして自信や
希望まで多くを失ってしまっている状態と言える。これに対し、その一歩手前であれば、
路上生活を回避できる可能性が高まる。ホームレスの定義の転換が迫られているが、実際
にどのように不可視化されたホームレスの人々を把握するかという課題も残る。
ホームレスの「不可視化」は、若者ホームレスという現象とも密接に結びついている。
2012 年の厚生労働省による生活実態調査では、40 歳未満のホームレスは 3.7%と多くはな
い。だが、ネットカフェを拠点に日雇い派遣労働で食いつないだり、路上と屋根の下を行
ったり来たりするケースが多いことが予測できる。近年釜ヶ崎で若年層を見かけないのも、
「別の場所」を拠点としているのであって、若者ホームレスがいなくなったわけではない。
8
また、若者ホームレスは、かつての不景気・働き口の減少による路上化とは異なる、複雑
なバックグラウンドを抱えている。ビッグイシュー基金がホームレス 50 名に行った調査に
よれば、半数の 25 名が片親または両親以外の者に養育されている。教育水準は相対的に低
く、中卒・高校中退を合わせると 20 名に上る。また、7 割を超える人が家族と連絡が取れ
ない、または取らない状態にある。その他、抑うつ傾向や依存症といった背景も示されて
いる。このようなホームレスの人々には、自立支援といって就労させ住居を提供するのみ
では十分とは言えない。これが、ホームレスの「多様化」という現状として指摘できる。
若者ホームレスに限らず、ホームレスの人々には多様なニーズがある。先述の厚生労働
省による生活実態調査において、
「今後どのような生活を望んでいるか」という質問が設け
られている。「今のままでいい」は 30.4%にとどまる。「アパートに住み、就職して自活し
たい」は 26.3%、
「アパートで福祉を受けながら、軽い仕事を見つけたい」は 11.9%を示し
ている。また、福祉制度の周知について、6 割を超える人が自立支援センターを知っている
が、利用したことがあるのは 1 割程度であった。生活保護についても 4 人に 1 人の利用率
であった。現在の福祉制度がホームレスの人々のニーズに応答できているのか、またどの
ような制度設計をすればよいのかという問いに発展する。一方で、「路上生活をする自由」
は多様なニーズの一つとして位置付けてよいのだろうか。フィールドワークにおいて、「路
上生活をしたい人に対してどのようにアプローチするか」と支援者たちに尋ねたところ、
その答えも様々であった。行政は、野宿生活を良しとしないという前提に立ちつつ、意志
に反して施設に入所させることはできないので説得を試みるという。ビッグイシューのス
タッフは、路上生活をしたい人はしていればよいという。
以上、ホームレスの「不可視化」と「多様化」という二つの現状を概観した。このよう
な現状認識に立つと、根本的な疑問が溢れ出てくる。若者が少なく高齢化の著しい釜ヶ崎
は今後どのようなまちへと変容するのか。自立支援または最低生活の保障には一体何が必
要なのか。若者ホームレスや生きづらさにどのように向き合っていけばよいのか。いずれ
も、簡単に回答を導けないが、
「私たち」にとって等閑視できない問いかけである。次章よ
り、フィールドワークでのヒアリングや体験に基づき、テーマ別に考察を深めていきたい。
【参考文献】
稲葉剛(2009)
『ハウジングプア:
「住まいの貧困」と向きあう』山吹書店
厚生労働省(2012)
『ホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査)
』
特定非営利活動法人ビッグイシュー基金(2010)
『若者ホームレス白書』
9
第2章
路上生活者の街、釜ヶ崎の床―外国人宿泊客誘致を中心に―
齋藤 裕
0. はじめに
「たこ焼き食うてみるか、うまいで」
じゃんじゃん横丁と動物園前商店街。2 つを結ぶ横断歩道。そこで「おっちゃん」に遭遇
した。たこ焼きを勧めてきた彼の寝床は、ビジネスホテル新ばし。彼は観光客だったのか
もしれない。もしくは日雇い労働者、出張中のビジネスマンあるいは年金生活者、はたま
た生活保護受給者だったのかもしれない。
ホームレスの街、釜ヶ崎。日雇い労働者はすべて路上で生活しているわけではない。簡
易宿泊所の「床」で休む人もいる。ビジネスホテル新ばしが位置するのは釜ヶ崎太子一丁
目のホテル街。ホテル街は身分を隠すブラックボックスの役割を果たしている。そこを歩
けば、道行く人が観光客にも見えるし、労働者にも生活保護受給者にも見える。
1. 路上から床へ―釜ヶ崎の歴史―
そもそもは労働市場として栄えた釜ヶ崎。大阪万博の時に労働者が多く雇われた。その
労働者がバブルを経て、生活が不安定になる。しかし収入はあるため、生活保護受給者は
まだ少なかった。リーマンショックにより収入がほとんどなくなり、生活保護を受給する
ようになる。彼らは床の上に上がり生活していく。市役所など行政はホームレス全員を床
の上にあげるよう努力をしてきた。NPO や地域の団体は、床の上にあがったホームレスと
この地域をどうするかという点に現在取り組んでいる。夜回りなど路上へのアプローチも
健在だが、釜ヶ崎の床の上へのアプローチも増えてきている。例えば行政は就労支援セン
ターの運営をしている。就労支援センターはホームレスの人に床を提供し、そこで職業に
就くまで生活してもらうセンターである。本章で取り上げる松村嘉久先生は、外国人宿泊
客のホテルへの誘致の活動を行っている。本稿では釜ヶ崎の路上ではなく、
「床」に注目し
てみたい。
2. 同床異夢、釜ヶ崎
西成区を見つめるまなざしはさまざまである。話題の西成特区構想は、超高齢化、高い
生活保護受給率への対策が盛り込まれている。西成特区構想では、ホームレスへの就労支
援、生活保護受給者のつながりづくり、若い親子への子育て支援、外国人宿泊客への観光
振興などが対策として挙げられ、実行に歩み出している。以上のようにターゲットとなる
人が多岐に渡っている。これは西成特区構想に参加している人々が各々違う視点からこの
地区の問題に取り組んでいるからに他ならない。まさに同床異夢。しかし夢への思いはそ
れぞれ非常に強い。
寝る「床」を提供するホテルにもいろいろある。生活保護受給者向けの福祉マンション。
10
労働者向けの簡易宿泊所。外国人宿泊客向けのゲストハウス。すべて元簡易宿泊所なので
ある。釜ヶ崎では、第 1 章で述べた B 群、C 群に位置するホームレスをさまざまな形で受
け入れている。小さい部屋に一つのベッドと部屋自体はほぼ同じ大きさだが、そこに泊ま
る人たちは大きく異なる。
街を歩いてみると、図 1 のようなホテルの文字が消えた看板を見かける。これは元簡易
宿泊所で、今は福祉マンションとなったことを示すそうだ。福祉マンションになるとホテ
ルの免許を返上することになる。一度返上したホテルの免許をもう一回取得することは難
しく、そういった例はこの地域ではまだない。一度生活保護受給者向けに福祉マンション
となると、ゲストハウスにはなれない現実がある。しかし多くの簡易宿泊所が増加する外
国人宿泊客への対応に迫られているのも事実である。ちなみに私たちが泊まったホテル来
山は隣り合った北館と南館で、観光客とそれ以外の客を分けていた。
夢を持って外から西成区に飛び込む新規参入の流れもある。写真の東横イン(建設中)がそ
れに当たる。また新今宮駅に電車が通る南海グループによるホテル参入計画もある。
3.一人の「夢」
「西成は釣りの浮きみたいなもん」
ホテルの経営者と協力し新今宮観光インフォメーションセンターを運営する松村嘉久先
生1は、西成の現状をこう表現した。どこよりも高齢者が多くて、どこよりも生活保護受給
者が多い街。安いホテルとアクセスの良さによって、今年一年の国際ゲストハウス地域の
宿泊数は和歌山県全体のそれを越える(和歌山…)。そのため前例のないことがこの街では起
こり、また行われている。
「悪いイメージがついたペンキの絵は消えない、塗り替えることしかできない」
ホームレスの街という消えないイメージ。そんなイメージを塗り替える観光産業。西成の
一地域で多くの外国人宿泊客に泊まってもらうことで悪いイメージを消すのではなく、塗
り替えていこうとしている。
「将来的にはこの観光案内所がなくなってほしい」
各ホテルが外国人宿泊客に対して観光案内役を果たせることが、最終目標である。その
目標が達成されるまでの期間の観光案内を新今宮観光インフォメーションセンターが担っ
て行くそうだ。最終的には観光案内所が必要なくなるような地域を目指すというのが松村
1
阪南大学国際観光学部教授、大阪市立大学の学部時代にバックパッカーとして海外放浪。
9 年をかけて卒業した先生の記録は未だに破られていないらしい。話を聞いてバックパッカ
ーとしての経験を生かして、外国人宿泊客のニーズがはっきりつかめていると感じた。ホ
テルの経営者と連携をとりながら国際ゲストハウス地域の活性化を目指す。
11
先生の今の「夢」だ。
図1
←ホテルの文字が消えている
ホテルの文字が消えている→
【参考文献】
鈴木亘 編(2013)『脱貧困のまちづくり―「西成特区構想」の挑戦―』明石書店
大阪府西成区『西成特区構想』http://www.city.osaka.lg.jp/nishinari/page/0000168733.html
図 1 の写真:大阪民国総合案内ドキュメント
http://japan.s262.xrea.com/osaka/osaka42.htm
12
第3章
行政 vs ホームレス問題 ― 行政のアプローチとその展開 ―
清水 彬史
1. 従来のホームレス問題
(1) 大阪市におけるホームレス問題
ホームレス状態に陥る原因の多くは失業にある2。ホームレス問題への全国的な対策が始
まったのは、バブル崩壊後の景気悪化が深刻化した 1996 年頃のことである。雇用情勢の悪
化、失業者数の増加を背景に野宿者数は増加を続け、1999 年頃ピークを迎える。
もっとも、国の施策に数年先駆ける形で、大阪市の取り組みは自治体独自の施策として
すでに始まっていた。大阪市にとってホームレス問題は他の自治体に比べより深刻な問題
であった。その背景には、日本最大級の寄せ場、釜ヶ崎の存在がある。日雇労働市場は景
気の影響を非常に受けやすい。また、市場の中心産業である建設業では機械化によって労
働力への需要が縮小していく。さらに、高度経済成長期に釜ヶ崎に入った日雇い労働者を
中心に労働者の高齢化が進む。その結果、日雇いの仕事にあぶれる者が次々に路上に出て
いった。このような日雇い労働者を中心に多くの不安定就労層が暮らす大阪市にとって、
ホームレス問題への対処は避けて通れないものだった。
(2) 自立支援策
現在の大阪市の支援事業はアウトリーチ(巡回事業)と自立支援センター運営の二本柱で
進められているが、初めに着手されたのがアウトリーチであった。専門の相談員が野宿者
のもとに赴き、就労面や健康・生活面の相談を行う。野宿者がどのような人なのか、どの
ような状況にあるのか、何を望んでいるのか。相談員が自らの目と頭でそれを判断し、適
切な対応を図る。健康面に問題があれば入院や健康診断を勧め、生活面に問題があれば福
祉サポートを紹介する。生活保護等の社会保障は申請主義が原則だ。本人が自ら窓口で申
請しなければいけない。しかし、野宿者の中にはどうすれば給付を受けられるのか分から
なかったり、そもそも自分が給付を受けられることを知らなかったりする者が多い。相談
員は野宿者と窓口の間にある高いハードルを引き下げる役割を担うのである。
就労面ではどうか。せっかく就労意思がある野宿者に出会えても相談員は仕事の面倒ま
では見られない。そこで、そうした就労意思のある野宿者の受け皿として機能するのが自
立支援センター(以下、センター)である。センターは半年までの間、入所者各自に一定の居
住スペースと食事を提供する。そして、ハローワークのように仕事を紹介し入所者を職に
就かせる。入所者はセンターを家代わりにして暮らしながら、出所後のアパート生活のた
めに家賃を積み立て、十分に貯蓄がたまった暁にはセンターを無事去っていく。
同様の支援事業は他の自治体でも行われ、その結果、1999 年にピークを迎えたホームレ
ス数は減少の一途をたどっている。野宿者人口は常に新たな流入者を迎えているため、野
2
麦倉哲『ホームレス自立支援システムの研究』(第一書林 2006) p.209
13
宿者の数が自然に減少することは考えにくい3。したがって、この減少傾向は支援事業の効
果として考えてよいだろう。
また、この減少傾向は当然国の施策が貢献している面もある。都市部のホームレスの多
くが外部からの流入者である以上、都市ごとに対策をしたところで抜本的な解決には至ら
ない。国が全国的な対策を行い、野宿者の流動をその元から断つ必要がある。ホームレス
自立支援法の制定、全国実態調査の実施などの国の施策は各自治体の対策事業を裏から支
える形で功を奏している。
2. 問題の変化
(1) 生活保護受給者の増加
大阪市内の野宿者の数は減少を続け、現在(2013 年)ではピーク時の 4 分の 1 以下となっ
ている。これは前述のように支援事業の成果といえるが、もっとも路上生活から抜け出す
手段は就労自立だけではない。生活保護もまた抜け口の一つである。かつては野宿者の間
では生活保護受給に消極的な向きも強かったが、近年生活保護を受給することで路上生活
から離れる野宿者が急増している。その背景の一つが、野宿者の高齢化だ。年を重ね、そ
れまで過酷な路上生活に耐え忍んできた身体も限界が来る。肉体労働もできなくなり、日
銭を稼ぐこともかなわない。アウトリーチにおいても 60 歳を目安に、就労ではなく生活保
護の受給が勧められる。
そのためセンター入所者の平均年齢は 40 歳前後へと低下しており、
入所者数も減少している。
大阪市は市内 5 か所のセンターのうち 1 か所をすでに閉鎖した。
生活保護をめぐっては、貧困問題解決のため受給者拡大を図る「人権モデル」と社会保
障費削減のために給付抑制を図る「適正化モデル」の 2 つの方向性の間で、様々に意見が
交わされてきた4。2010 年前後において「人権モデル」への動きが強くなると、生活保護へ
のハードルは引き下げられていった。もっとも申請主義自体に変化はなく、今も昔も申込
みさえすれば受給資格が与えられた。しかし、何らかの理由をつけて違法に申込みを退け
る「水際作戦」が日常的に行われていたのも事実であり、これに対する取り締まりが強化
されたのがこの時期である。また、サポーティヴ・ハウスなど生活保護に連動した福祉サ
ービスの拡充も、野宿者間での受給者増加につながっている。
(2) 若年ホームレスの増加とホームレスの不可視化
冒頭で述べたように、ホームレスに陥る主な原因は失業にある。この数年、野宿者の姿
は目に見えて減り、調査データも同様の結果を示している。では、それだけ失業者数が減
っているのかと言えばそうではない。市場競争が生む軋轢は加速度的に深刻化し、雇用情
勢はますます不安定なものになっている。特に問題になるのが、派遣社員やフリーターな
ど若者の失業である。企業にとって彼らはとても使い勝手の良い労働力である。雇いやす
く切りやすい。不景気から回復する企業が増えていくその影で、散々に使いまわされる彼
3
4
上掲書 p.161
大山典弘『生活保護 vs 子どもの貧困』(PHP 新書
14
2013) p.29-31
らは一向に安定した職を得られずにいる。そのうちに生活はどんどんと困窮し、しまいに
は家までも失う。そうして家を失った彼らが路上生活を始めるのかと言えばそうではない。
彼らは携帯電話を片手に日雇いの仕事を探しながら、ネットカフェやサウナなどに寝泊ま
りし、都市の中をさまようように生活する。こうした新たな形のホームレスが若年層を中
心に増加している。彼らの存在は統計には現れない。ホームレスの概数調査は目視調査が
基本だ。調査員はテントや段ボール小屋を探し、ホームレスらしき人をカウントしていく。
決まった場所に定住せず、身なりは整っている若年ホームレスがその中にカウントされる
とは考えにくい。統計上のホームレス数が減り続けている裏で、若年ホームレスの数は年々
増加しているのだろうが、その数を知ることは難しい。
3. 新たな対応策の模索
中々表には現れない若年ホームレスだが、ホームレス問題に前線で取り組む人々の間で
はその存在ははっきりと認識されている。行政も例外ではない。調査事業では見つけられ
ないものの、彼ら自身から相談に訪れるなど、彼らに接する機会は増えているという。し
かし、従来の支援策では彼らの自立を助けられないことがある。特に顕著なのが、センタ
ー事業に関する問題だ。センター内では集団生活が原則であるが、彼らの中にはこれに耐
えられない人が多い。耐えられなくなった人のほとんどは勝手にセンターを去ってしまう
ため、フォローすることも難しい。また、そもそも就労意思がないという人も多い。初め
て就いた職場での挫折経験などによって、就職自体に消極的である。
彼らに対しどのようなアプローチをすればいいのかについては未だ明確な結論が出され
ず、問題に取り組む多くの人々が頭を悩ませているのが現状である。しかし、一つの指針
として示されているのがソフト面の充実である。これまで、生活保護やセンター事業など、
ハード面を中心とする議論ばかりが繰り返されてきた。しかし、今必要とされているのは
自身の能力や将来に対して消極的な職業観の改善や社会性の回復といったものであり、こ
れはいくらハード面の制度や設備を充実させても解決しえない問題である。就労段階以前
の教育を見直し、子どもの勤労観・職業観を育むことで、問題の将来的な解決を図る動き
がある。その一方で、現に苦しむ彼らにはカウンセリングによる支援がなされている。福
祉以外の他方面からのアプローチも視野に入れながら、新たな支援の形を追及する努力が
続けられている。
【参考文献】
大山典弘(2013)『生活保護 vs 子どもの貧困』PHP 新書
雨宮処凛(2010)『生きさせろ!難民化する若者たち』ちくま文庫
麦倉哲(2006)『ホームレス自立支援システムの研究』第一書林
大阪市(2009)『大阪市ホームレスの自立の支援等に関する実施計画』
15
第4章
釜ヶ崎と医療
庄司 知志
第一次釜ヶ崎暴動
1961 年 8 月 1 日午前 9 時 15 分。釜ヶ崎で交通事故が発生した。被害者は釜ヶ崎の日雇
い労働者でタクシーに轢かれたようだった。派出所の巡査が被害者を発見、
「死亡」と確定
し 119 番通報をした。しかし消防は「死んでいるなら救急車は出せない」と突っ返してし
まう。結局 20 数分後に現場に警察車両が到着したが、対応の遅延から、釜ヶ崎の労働者達
の怒りは収まらなかった。8 月 1 日の夜半には交番の焼き打ち、一般通行中の自動車に対す
る放火、さらに西成署本署の襲撃へと発展、3 日から 4 日にかけて、国電、市電、南海電鉄
等に対する襲撃にまで至った。最終的には他府県から召集された 6000 名の警官により暴動
は鎮圧されたが、まちは西部劇のような悲惨な状態となった。大阪市行政はこの第一次釜
ヶ崎暴動を以下のように振り返っている。
住民登録がなければ、福祉の援助は受けられない。学校にも保育所にもいれてもらえない。
失業対策の紹介対象者帳も交付されない。制度はここ(釜ヶ崎)では通じない。形式には
市民も国民もここに存在しないかも知れないが、人間が個人が存在する。/バラバラな諸
政策・諸制度ではなく、抜本的な綜合的な政策がここには必要なのである。36 年 8 月の「釜
ガ崎」暴動は抑圧された人びとの怒りの爆発である。どうしようもない憤りがそのエネル
ギーであったと思う。(大阪市民政局「大阪市民生事業史」1973.3)
行政は、この地域に統一のルール、システムが機能していなかったと反省している。そ
の後、大阪市行政は「スラム対策」に乗り出すことになる。西成警察には防犯コーナーが
設けられ、警官がペアを組んで巡回する。大阪府労働部は、分室を設置し、職業紹介をは
じめる。愛隣子ども会が作られ、愛隣学園ができる。しかし、様々な施策の中で「日雇い
労働者に対する医療」という視点はすっかり抜けていた。当時の釜ヶ崎には、責任を持っ
て医療を行う拠点・機関が存在しなかったのである。
釜ヶ崎医療のはじまり
1963 年、釜ヶ崎で唯一の公的病院である済生会今宮診療所の所長に、本田良寛氏が着任
した。この時から本田氏は、
「患者対応の基準」と「医療費」という医療現場の二つの問題
に取り組むことになる。
まず本田氏は、市や西成保健所などと連絡をとり、大阪市大の医師も巻き込み会議を開
いた。そこで明らかになったのは、患者をどのように扱うのか、どのように処方するのか、
しっかりとした基準がなかったことだ。そのため、本田氏は西成区長や保健所所長と会議
16
を重ね、患者の対応方法を統一したのである。一般の病気の患者、結核の患者、性病の患
者、精神障害の患者と、区分けをして、この患者はこういうふうに扱おう、あの患者はあ
あいうふうに処置しようと手はずを決めた。
だがこれだけでは、釜ヶ崎の医療問題は解決しない。急を要する問題は医療費にもあっ
た。これについて、医療費に困る患者には、愛隣会館や労働福祉センターが「診療依頼券」
を発行することになった。
「診療依頼券」とは、無料で診察を受けられる紹介状のようなも
のだが、法的な裏づけはなく、今宮診療所でしか使えない。ただ、無料にしてしまうと「ほ
どこし」になってしまい、それこそ相手を馬鹿にしていると本田氏は考えた。結果的に、
「診
療依頼券」は「借用書」になったのである。
1970 年にあいりん総合センターが設立され、今宮診療所は大阪社会医療センターとして
再出発した。当時の「診療依頼券(借用書)」は今も大阪社会医療センターに受け継がれ、
多くの命を守っている。
釜ヶ崎での医療の役割
日雇い労働者を多く抱える釜ヶ崎医療の最大のテーマは「医療システムからあぶれた者
をどう救うか」である。そして、大阪社会医療センターはこのテーマと切実に向き合って
いる。
日雇い労働者は過酷な肉体労働を日々続け、過度の飲酒や、偏った食生活など、劣悪な
住環境の中にある場合が多い。それにより、年齢以上に身体が老化し、受診した時には回
復不可能となっているケースや、手術の必要性がありながらも体力の回復を待たなければ
行えないケースもある。もし入院をしたとしても、退院後に野宿生活に戻る方も多い。
釜ヶ崎周辺には、このような患者を引き受けて診察してくれる病院が中々無いのだ。あ
ったとしても、随時受け入れてくれるわけではない。「ベッドが満床で」「看護師が足りな
くて」と断られるときもある。そして、診察を受けられないまま持病が悪化した結果、路
上に倒れてしまうケースが多い。
さらに、救急車が来たとしても必ず治療を受けられる訳ではない。なぜなら、救急車に
乗せられた患者を受け入れてくれる病院があるとは限らないからだ。その日のうちに病院
に入れず、救急車の中で一晩を過ごしたという例もある。そして、たらい回しにされたあ
げく、患者は大阪社会医療センターに運ばれてくるのだ。
そのような地域特有の問題に対処していくことが、釜ヶ崎唯一の公的病院である大阪社
会医療センターに求められる使命である。彼らは今宮診療所からの流れである「無料診察
(借用書)
」に加え、医療相談もはじめた。そして、そこで様々な統計をとり、医学研究も
行っている。大阪社会医療センターは、釜ヶ崎で必要とされている医療を模索している。
17
これからの釜ヶ崎医療
しかしここ最近、釜ヶ崎の医療の現場は大きく変化してきている。その変化は、大阪社
会医療センターの役割にも影響を及ぼしているのだ。
バブル崩壊後から日雇い労働者の失業が相次ぎ、野宿生活者が激増した。それに伴い大
阪社会医療センターには 1 日あたり、350~400 人の患者が来ていた。80 床のベッドも常
に満床で、無料診察による赤字経営にも苦しんでいた。そして、2009 年にリーマンショッ
クが起こった。生活保護受給者がかなり増加し、無料診察を受ける必要がある患者が激減
した。入院患者も減り、使われていないベッドどころか使われていない病室まであるほど
だ。野宿生活者が減り、なんらかの居住環境を持ち、生活保護を受給できる日雇い労働者
が増えた。そのような中、これからの大阪社会医療センターの役割とは一体何だろうか。
そのヒントは統計にある。精神病患者の割合が 3.1%から 12.4%に増えているのだ。その
うちの 50%を薬物依存・アルコール依存が占める。行政は生活保護を増出し、
「ホームレス
を畳の上にあげる」ことを第一にやってきたが、
「一律にモノをあげる・金をあげる」とい
う物的な解決策ではどうしようもない問題が浮き彫りとなっている。この数字は、ただ単
に精神病患者が増えていることを表しているのではなく、釜ヶ崎に住む人達の気持ちの拠
りどころが無くなって来ていることを表しているのではないか。しかし、この問題は医療
機関だけでは解決に至らない。大阪社会医療センターは、名前が今宮診療所であった時の
ように、様々な機関と連携をとりながら「救いきれない者を救う」歴史を繋いでいく必要
がある。
【参考文献】
冨田一栄(1984)『大阪における愛徳姉妹会の社会福祉事業 50 年史』
大阪社会医療センター付属病院『大阪社会医療センター付属病院ホームページ』
http://www12.ocn.ne.jp/~osmc/
大阪社会医療センター(2009)『大阪西成区あいりん地区ホームレスを含む住民の栄養の考察』
大阪社会医療センター(2010)『大阪社会医療センター付属病院の精神科外来患者の実態調査』
大阪社会医療センター(2011)
『外来初診患者疾病構造の 12 年間の変化について』
18
第2部
支援とかかわりを考える
第5章
ホームレスの排除と包摂について
大野木 亜衣
ビッグイシューとは、ホームレスの人に雑誌販売の仕事を提供し自立を促す社会的企業
である。販売者として登録した人は、1 冊 140 円でビッグイシューから雑誌を仕入れ、それ
を 300 円で販売する。つまり、1 冊売るごとに 160 円の収入を得るのである。いわば、卸
と小売りの関係である。この様に、ビジネスの形態をとることで、ビッグイシューは持続
可能な支援を実現した。そして、
「ビッグイシュー基金」という非営利団体を設立し、スポ
ーツや文化活動などを通じてそうした自立支援を下支えしている。この点で、「施し」を続
ける NPO やボランティアとは全く異なる。また、仕事を与えることで支援する側とされる
側という上下関係が無くなり、販売者は自分で稼いだお金だからこその価値を見出す。更
には、
「施し」に偽善を感じるがビジネスならば抵抗無く支援する人もいるであろう。こう
した点に、ビジネスという支援方法に大きな存在意義がある。
ビッグイシューは自立へのステップとして3つを掲げている。まず、簡易宿泊所などに
泊まり路上を脱出する。そして、貯めたお金でアパートを借り住所を持つ。そして最後に、
住所をベースに新たに就職活動をするのである。こうした過程の中で、実際にアパートを
借り、仕事を得た人はビッグイシュー日本設立からの 10 年間で 164 人にも上る。しかし、
ビッグイシューは単に「家」と「仕事」という、物理的な「ホーム」を与えれば自立とは
考えていない。
ビッグイシュー日本の設立者である佐野章二氏は、ホームレス状態に陥る過程の中で仕
事、家族、家、貯金と多くのものを失い、最終的に頼れる人がいなくなった時「ホープレ
ス」になり「ホームレス」になる、という。その上、一度ホームレス状態に陥ると「怠け
者」「社会不適合者」「自己責任」等のレッテルを貼られ、社会から排除されてしまう。岩
田正美氏は「ホームの喪失」を、第一に安定して生活を営む家が無いということ、第二に
路上で生活せざるを得ない結果、違法性を追及されやすく、嫌われやすいということ、そ
して、第三に社会関係を築いていくための場所を失うこと、と述べている。つまり、ホー
ムレス状態とは、社会から切断された「どこのだれか分からない状態」である。実際に、
釜ヶ崎のまちを歩くとホームレス状態にある人々が地域社会から遮断されている様子を目
の当たりにした。近くに通天閣や難波という観光名所があり賑わっているのにも関わらず、
あいりん地区は道路をへだてて隔絶されていたのである。私自身もそうであったが、一般
的にホームレス状態の人々に対し偏見があるため、誰も近づこうとしないのである。釜ヶ
崎のまちの専門化でありまち歩きを担当して下さった平川隆啓氏によると、観光ガイドは
「道路のあっち側(あいりん地区)には行かないよう」警告するらしい。
ビッグイシューの雑誌販売には、既述のビジネスであることの意義に加え、この様に排
除されてきたホームレス状態の人々を社会に包摂する機能がある。自身がホームレス状態
にあることを晒して雑誌販売をすることで、それまで排除されてきたホームレス問題が社
20
会に可視化される。そして、客である私達は、一人の人間として販売者と対話することで、
ステレオタイプ的な認識を改める機会になる。そして、なによりも販売者自身が社会や人
との繋がりを得ることが出来るのである。販売者として働く柳原さん(次ページ資料参照)
にお話しを伺った際、
「ビッグイシューのお客さんはみんなあったかい」と繰り返していた
ことが強く印象に残っている。足を悪くしたことを気遣い「一緒に病院行こう」と言って
くれた人、強く手を握って「頑張ってください!」と声をかけてくれた人、マンションの
一室を格安で貸してくれる人。柳原さんはビッグイシューをして「日本は弱者に対して冷
たいと思っていたが、優しい人はたくさんいる」ことに気付いたという。この様に、ホー
ムレス状態にある人々が人との繋がりを得ること、またビッグイシューの販売スタッフで
ある吉田さんが言うところの「何か気持ちの面で前向きになれる」ことにビッグイシュー
の雑誌販売という仕事に大きな意義があるのではないか。
ホームレス問題に対する認識は多様である。そうした中、ビッグイシューは排除されて
きたホームレス状態にある人々がビジネスを通して、それまでに喪失していた「関係」を
再度構築する仕組みを作った。販売の仕事を 10 年以上続けている人がいるのも、そうした
雑誌販売を通して得る「関係」を楽しんでいるからであろう。ホームレス問題に目を向け
ることで、人との関わりや繋がりが如何に重要であるかが見えてくる。増加する離婚率、
地域コミュニティーの崩壊、個人主義の台頭、核家族化など、人と人との「関係」が希薄
化している現在においてホームレス問題は他人事とは言い切れない。
【参考文献】
佐野章二著(2010)『ビッグイシューの挑戦』講談社
稗田和博著(2007)『ビッグイシュー 突破する人々
社会的企業としての挑戦』大月書店
山崎克明他著(2006)『ホームレス自立支援 NPO・市民・行政協働による「ホームの回復」』
明石書店
21
22
第6章
More than just a “Homeless Ghetto”
Situating Kamagasaki in the broader discourse of asset-based community development
Goh Pei Ying
With the largest concentration of day labourers in Japan, and home to at least a quarter of the
officially-identified homeless population in the country, it is not surprising that descriptions
about Kamagasaki in Nishinari, Osaka, often emphasise poverty, dilapidation, and people
sleeping in makeshift shelters along the roads.1 However, beyond the stereotypes and
prejudices, the complex interplay of local formal and informal associations, social businesses
and ground-up initiatives in Kamagasaki actually exemplifies a growing movement in
international development practice, known as asset-based community development. Such
dynamics reveal the community’s potential to host participatory development which may foster
community-building and empowerment more effectively than bureaucratic trouble-shooting.
Asset-based community development recognises the community as the driver of
development by identifying and mobilising existing (but often unrecognised) assets within the
community, such as informal networks and individual skills. This approach is a drastic shift
away from the predominant needs-based approach in top-down, problem-solving policy-making
processes, which perpetuate a deficit mindset, play up weaknesses and problems, neglect
individual agency and diversity, and compromise community capacity-building. Leveraging on
social capital, social trust and resources endogeneous to the community promotes sustainable
organic participatory development.2
The works of three local actors in Kamagasaki align with principles of asset-based
community development. ココルーム, a local NGO, serves as an intermediary between the
community and the local government. It facilitates the building of social trust and informal
networks by providing a platform for interactions among members in the community. Through a
range of arts-based activities and workshops, the NGO identifies and enhances existing assets
1
Johnston, Eric. 2009. "In Osaka, a place the homeless call home - Nishinari draws in the
forsaken of the nation." The Japan Times.
2
Mathie, Alison, and Gord Cunningham. 2011. "Who is Driving Development? Reflections on the
Transformative Potential of Asset-based Community Development." Canadian Journal of
Development Studies/Revue canadienne d'études du développement no. 26 (1):175-186.
23
and capacities in the community, while at the same time, recognizes and celebrates diversity.
One of the core principles of asset-based community development highlights the construction of
shared meaning as a key driver of collective motivation in community development, which the
organisation does through circulating publications of personal stories and interviews of
members of the community.
THE BIG ISSUE, a social business originating from London, empowers homeless
individuals to help themselves through selling THE BIG ISSUE magazines. Its business model
exemplifies a shift away from the needs-based view of unemployed homeless people as needy
and helpless, to a strengths-based view of them as individuals with the ability and the capacity
to provide for themselves. While the task of selling magazines itself builds and capitalises on
the capacity of the homeless by recognising and developing their individual skills and
self-reliance, the most impactful outcome of the social business is intangible, yet essential in
strengths-based developmental processes. Interactions with customers provide a rich site of
interpersonal linkages and informal associations (which in themselves are sources of
opportunities), while elevating the homeless seller from a place of deficiency to an egalitarian
standing with other members in the community. In this sense, the social business is a sustainable
means of empowering and affirming the homeless while building social linkages.
At the core of the asset-based community development approach is a paradigm shift
from problem-oriented, depersonalised bureaucratic trouble-shooting to an organic form of
collective empowerment which maximises existing resources and accommodates diversity. As
one of its educational initiatives, the Department of International Tourism of Hannan University
operates a student-run tourism information centre within Kamagasaki, which capitalises on
Kamagasaki’s concentration of guesthouses (its asset), developing Kamagasaki as a base from
which tourists can be connected to other cultural sights and sightseeing spots. The premise of
this initiative exemplifies the paradigm shift from defining a community by its problems (as in
the labelling of Kamagasaki as a “Yoseba” 3) to defining the community by its strengths, and
capitalising on pre-existing assets. Avoiding negative constructions of the community through
labels which emphasise the deficiency of the community primes us to better identify existing
3
寄せ場 (“Yoseba”) is a Japanese term referring to an area with a high population of day labourers.
24
resources and strengths which, when leveraged and maximised, can result in community
development initiatives which are bottom-up and efficient.
In my opinion, these are practices that need to be continued and supported, because
they build, from the bottom up, what top-down policies alone cannot achieve, and because they
open up new possibilities which needs-oriented, problem-focused lenses do not reveal. Yet,
tensions with bureaucratic objectives are realistic concerns. The bureaucracy is responsible for
responding to and balancing the competing, and often conflicting, interests of multiple actors in
the society at a macro level, and too often, measurable objectives are the only yardsticks
acknowledged. At the macro level, the bureaucracy has limited capacity to acknowledge
diversity and accommodate intangible outcomes. So while resolving the tensions between
bureaucratic and civil society actors remain perhaps an ideal, it may be more realistic to
consider how such tensions can be made productive in striking a balance and finding common
ground.
25
第7章
他者とともに生きるということ
渡部 駿平
「障害者は、先輩だから」
。これは、今回のフィールドワークにおいて、NPO 法人こえ
とことばとこころの部屋(ココルーム)を伺った際に、代表理事である上田假奈代さん(以
下、假奈代さんと表記)のお話のなかに出てきたことばである。
そしてこれに続くことばは、
「先輩がまちを歩いてくれていないのなら、それは困る」と
いうものであった。障害者自立支援法1の改正によって、近いうちに障害者がまちを出歩く
ことに制限がかかるようになってしまう、という話のなかで出てきたものである。假奈代
さんは、障害者が先輩であると考える理由として、こう述べる。
「わたしたちも、事故や病
気でいつ障害をもつようになるかわからないから」と。この一連のことばにわたしは強い
共感を抱くとともに、いまの社会の「生きづらさ」の原因を読み解くための手がかりが、
ここにあるように思えてくる。
「社会的マイノリティ」
、また同じようなことばに「社会的弱者」というものがある。少
数者であるがゆえに社会制度に十分に守られることがない(社会制度のすき間から漏れ落
ちてしまう)
、また、人間的な感情から、偏見や差別にさらされたりする人々のことを指し
ている。わたしたち、わらわらの会が主としてかかわっているホームレスという問題はま
さにそうであるのだが、そのほかにも、身体/精神障害をもつ人々、宗教的な少数者、犯
罪者、在日、セクシャルマイノリティ、そして最近の話題でいえば、福島原発によって被
ばくした人々も、これに当てはまるのではないか。
これらの存在は、社会制度に十分に守られていない、そしてさらに人々の偏見や差別に
さらされているということは、すでに述べた。しかしわたしは、
「社会制度に守られていな
い」ことについて、
「少数者であるから」という理由は採用しないでおきたい。もちろん、
少数者の存在を想定して社会制度を構築することは、その成果に対する「コスト」が大き
い(
「コスト」と括弧付きにしたのは、わたしは「コスト」ということばは人間を対象にし
ないと思っているからである。人間が生きることに「コスト」などということばは適用で
きないし、仮にそれをするとしても、むしろ「コスト」はかけるべきであると思っている)
。
政府の財源の余裕のなさなどの問題もあるだろう。が、ことの順序としては、「偏見や差別
にさらされる」から「社会制度に守られていない」のではないか、とわたしは考えている。
そう、政策的な問題ではなく、根本にあるのは人間的な感情なのである。さて、この差別
や偏見という、だれもがもっているであろう醜い感情について考えてみたいと思う。
1
障害者及び障害児が自立した日常生活または社会生活を営むことができるよう、必要な障
害福祉サービスに係る給付その他の支援、そしてそれらの福祉の増進を図ることを目的と
する法律。2006 年施行、2010 年改正。2013 年に現在の正式名称である「障害者の日常生
活及び社会生活を総合的に支援するための法律(障害者総合支援法)
」に変更。
26
そのことを考えるにあたって、冒頭の假奈代さんのことばはとても示唆的である。「わた
したちも、いつ障害をもつようになるかわからない」という、謙虚な(とでもいおうか)
人間観である。
「社会的マイノリティ」、
「社会的弱者」に対して偏見や差別の感情をもつ人々
は、このように「いつ自分もそのような存在(社会的弱者)になるかわからない」という
ことを、考えたことがあるだろうか。わたしの話をすれば、たとえば「あなたは未来永劫
にわたって犯罪者にならない自信がありますか?」と聞かれたら、どのように答えるだろ
う。本書を読んでくれている方々のなかには、もしかすると「ある」と答える方もいるか
もしれない。しかしわたしには、そんなことは怖くていえないと思っている。怖くて、と
いうのは、
「自分」と「社会的弱者」の間に確固とした線引きをすることに、生理的な違和
感があるからである。それをしてしまうと、自分のなかでいま「見えているもの」を無理
やり「見えないもの」にしてしまうような、そんな感覚があるからである。
ここでは「社会的マイノリティ」
、
「社会的弱者」という存在を挙げたが、このような人々
に限らず、
「自分」と「他者」の境界は、意外と脆いものなのではないか、とわたしは思う。
わたしが、いつ病気になるのか、いつ事故に遭うのか、いつ貧しい状況に陥るのか、いつ
宗教に入るのか、いつ罪を犯すのか、そして、いつ死ぬのか。それはだれにもわからない
し、ふとした次の瞬間に、そのような状況が訪れているかもしれない。
この考え方をふまえたうえで、差別や偏見の感情について考えてみると、これらは「未
来の(そうなるかもしれない)自分自身を毀損している」ということになる。
「社会的弱者」
に対して偏見や差別の感情をもっている人々は、自身が事故や病気や、またほかの理由に
よってそのような存在になったときには、どのような行動に出るのだろうか。わたしなら、
即座に「助けてください」といいたいのだが、どうだろうか。
とかく人間は、自分と他者をはっきりと分けて、
「あのひとは○○だ(だから好きだ/嫌
いだ)
」というふうに考える(考えてしまう)生き物であると、わたしは思っている。しか
しここで、一度立ち止まって考えてみること。假奈代さんのいうように「あのひとは、先
輩だから」と考えてみること。これが、人間に対して謙虚な態度であり、他者を排除しな
いために必要な態度であると、わたしは思っている。
ここまで長くなってしまったが、もうひとつ、人間にとっての「自立」ということにつ
いて考えてみたい。大辞林によると、自立とは「他の助けや支配なしに自分一人の力だけ
で物事を行うこと。ひとりだち。独立。」とある。この定義を聞くまでもなく、「自分のこ
とは自分でやる」という状況を想像された方もいるだろう。経済的な自立といえば、自分
自身の生活を自分のちからで立ててゆくことであり、精神的な自立といえば、他人に甘え
ようとしないこと、というところだろうか。しかし、このような意味での「自立」をする
ことがすべての人間にとって望ましいというのならば、わたしたちはいよいよ他者とつな
27
がりにくくなってしまうのかもしれない。
わたしの考えている「自立」の意味は、これとは少しちがっている。最近になって、
「自
立とは、依存先を増やしてゆくことである」ということばをよく聞くことがある。わらわ
らの会が、早稲田大学の他団体と合同で開催したイベントのなかでも聞いたことがあるし、
今回のフィールドワークにおいて、假奈代さんのお話のなかでも聞くことがあった。この
ことばを聞くと、ほっと安心するとともに、
「そうだよね」といいたい気持ちになる。
このことばに込められているいちばん大きな意味としては、
「依存先をきちんと認識する」
ことであると、わたしは思う。あらためて考えてみればわかることであるが、わたしたち
は、さまざまな立場にいる人々に支えられてこそ、日々を生きている。生きてゆくために
は、最低限のお金を稼ぐことが第一であるが、他者がいなければ、まず商売は成り立たな
い。そこには「ニーズ」が存在しないからである。そして食においていえば、野菜や肉を
つくる(育てる)他者が必要であり、それを世に流通させる他者が必要である。他者がい
ないとことばの交換、感情の交換もできないし、根本的なところをいえば、両親がいない
と、わたしはこの世に生まれてくることはない。両親が出会うためには、そのまた両親の
存在が必要になって…と順々に考えていくと、ひとりで生きるということなど不可能であ
ることは、明らかである。
このように、人間は他者がいなければ生きてゆくことができないという前提を前にする
と、自立することを目指して「わたしは、だれにも依存していない=自立している」とい
う人間よりも、
「わたしは、こんなにたくさんのひとたちに支えられている=依存している」
という認識をしている人間のほうが、よっぽどまっとうであるように思えてくる。どんな
に強がってみせても、わたしたち人間は他者がいないと成立しないのだから。
自立とは、independence ではなく interdependence のことであると、哲学者の鷲田清一
はいう。interdependence は、日本語でいうと、相互依存。一見、「自立」とは正反対にあ
ることばのようにも思えるが、わたしにとっては、こちらのほうがしっくりくる。「わたし
は、このひとに対して依存している」とはっきりと認識する。その認識があるからこそ、
ひととひとの間に感謝というものが生まれる。「わたしは、このひとに助けられたことがあ
るから、そのお返しに、いつかわたしもこのひとの役に立ちたい」と思う。これが相互依
存の意味なのではないか。
「わたしはだれにも依存していない」と思うのか、「わたしはこんなにたくさんのひとに
依存している」と思うのか。
「自立」ということばの意味を、ひとりひとりが考えてゆく必
要があるように思う。
28
第3部
参加者感想
大野木 亜衣
今回フィールドワークに参加することで、釜ヶ崎のまちが好きになりました。確かに、
釜ヶ崎のまちは不法投棄のごみで汚れていて、結核が蔓延していて、路上で生活している
人がいて、他にも問題がたくさんあるのが現実ですし、それを楽観視してはいけないなと
思います。しかし、実際に訪れてみると、様々な人がそれぞれの立場で、ホームレス問題
に対し真剣に取り組んでいる姿が強く印象に残りました。ホームレス問題があることで、
かえってあの小さい地域の中で人と人との繋がりがすごく密にあるように感じます。東京
にいると、こういった人との関わり方はなかなか見られないです(ちゃんと探せばあるの
かもしれませんが……)
。まち歩きを担当して下さった平川さんが、釜ヶ崎は「どんな人で
も受け入れるまち」と言っていたように、ホームレスという社会の中で居場所を失った人々
を受け入れてあげるような、そういう人が集まるまちだからなのかなと思います。
また、釜ヶ崎に行くことで、ホームレスの人に対する印象がガラっと変わりました。今
思うと本当に失礼なことなのですが、今までは街でホームレスの人を見てもただの「ホー
ムレス」でしかなく、そこに人間味を感じることはありませんでした。しかし、釜ヶ崎に
行き、たくさんのホームレスの人の中に入ると、ひとりひとり個性があるのが分かります。
話はしなくても、全身毛皮の服をまとっている人、気軽に話しかけてくる人、楽しそうに
歌っている人と、これまでのそれぞれの人生やこだわりがあってその人の今があるのだな
と。今までは、正直ホームレスの人達は努力が足りないからホームレスなのだと、漠然と
思っていました。サラリーマンだって嫌な仕事をしながら我慢して働いているのに、それ
に耐えられなかった人達がホームレスなのだと本気で考えていました。しかし、釜ヶ崎に
行くとそうではないことが分かります。ホームレスの人達もひとりひとりが精一杯自分の
人生を歩んでいて、それを他の人と比べること自体が無意味でした。それは、ホームレス
の人に対してのみではなく、友人にしても家族にしても、同じことだと思います。今まで、
自分の狭い価値観で人のことを測ってしまっていたなと反省しました。釜ヶ崎に行くこと
で、もうちょっと人の人生を尊重できるようになりたいなと思えました。釜ヶ崎で活動を
している人達の多くが、そうやって偏見を持たずにホームレスの人ひとりひとりと向き合
っているから、私は釜ヶ崎にたいして「なんかいいまちだな」と思えたのかもしれないで
す。今回フィールドワークに参加できて本当に良かったです。
30
川口 歩
高校時代、新聞で釜ヶ崎のことをはじめて知った。日本にこんな地域が本当にあるのか。
それを知るために、約 2 年前、私は単身赴任で大阪にいた父と一緒に釜ヶ崎に行った。道
路を 1 本越えると、とたんに女性の姿がなくなる。立っているだけでじろじろと見られ、
ここでは自分は異質な存在なのだと気づいた。率直に怖いと感じ、もっとまちの中まで入
って見てみようとする父を止めた。衝撃が大きかった。今まで豊かで安全だと思っていた
日本に、このような地域があったこと、その地域を「危険だから近づいてはいけない」と
見て見ぬふりをしていること、そしてこれらの実態があまり知られていないこと。私は様々
な違和感を覚え、もっとこの地域への取り組みや今後の展望を知りたいと思い、今回フィ
ールドワークに参加した。
2 度目の釜ヶ崎。最寄り駅の動物園前駅に向かう途中に、スマートホンで滞在するホテル
の場所を知ろうと住所を検索した。すると、関連キーワードとして、その周辺地区の名と
「治安」
「危険」などの言葉が出てきた。ネット上にあふれる情報を見て、危険な目にあっ
たらどうしようと不安にかられ、引き返そうかと思った。
しかし、着いて NPO の方に案内されながら見て回った釜ヶ崎からは、2年前に受けた印
象やネット上の情報とは違う、次のような印象を受けた。
まず 1 つ目は、人の数だ。以前のように、私たちに異質な目を向けてくる人が少ないと
感じた。年末という時期もあったと思うが、それよりもこのまちの高齢化が進み、人口が
減っているからではないかと思った。よろよろと頼りなく歩く年配者の姿を見て、彼らは
今後どうなるのだろうと心配になった。
2 つ目は、このまちの改善、活性化のために取り組んでいる方々の多さだ。まちを歩きな
がら多くのNPOの施設を見た。この 2 つ目の気づきにより、私が感じていた、周囲が「見
て見ぬふりをしているのではないか」という違和感がなくなったとともに、その取り組み
に感動した。
3 つ目は、ネットの情報と現実とのギャップだ。この周辺地域に関しては、危険だ、近づ
くな、などのマイナスなイメージばかりがひとり歩きしていると感じる。確かにこの地域
の環境は「ふつう」ではない。でも、まちを歩いている途中、
「君たち、見学しているなら、
ちゃんと大学から単位をもらわないとなあ」と言い、大笑いして通り過ぎるおじさんもい
たりする。情報を鵜呑みにせず、自分の目で確かめるという基本的なことの大切さにも改
めて気づかされた。
「ビッグイシュー」に関わる方々との交流も、私にとって大きな経験となった。自立を
支援する方や販売の方と話をしたり、ともに路上に立ったことで、普段とは違う価値観や
視点に触れることができた。大学で専攻しているメディアという観点からも、ビッグイシ
ューについて深く考えてみたいと思った。
このフィールドワークを通して、釜ヶ崎の抱える問題は、切り口を変えることによって、
31
様々な日本社会の問題を教えてくれると改めて感じた。私たちの年代には、このような問
題を知らない人がおそらくたくさんいるだろう。近頃は海外に目が向いている人も多く、
途上国でのボランティアに参加する友人も多い。だが、私は豊かだとされる日本にも釜ヶ
崎のような問題があることをぜひ知ってほしい。規模や環境に違いがあるのは当然だが、
途上国と共通する何かが日本にもあるかもしれないと思うのだ。私は海外の問題も大事だ
と思うが、まずは身近にある日本の貧困を考えたいと思っている。そのためにも今回はと
ても実りの多い経験だった。
齋藤 裕
釜ヶ崎、西成区の床にはこれからだれが住むのか。若い世代の家庭か。留学生を含めた
大学生か。外国人宿泊客か。生活保護受給者か。遠くの床で夢見ている次第である。
今回のフィールドワーク(現地実習)では、町内会などのその街に昔から居る人々の話が聞
けなかった。もともと住んでいる人がどのように感じているか気になった。
釜ヶ崎にある自販機で、
「牛乳でおいしくつめたいココア」(50 円)を買ってみたらホットだ
った。冷たい街、元気のない街だと思っていた釜ヶ崎。その釜ヶ崎が行ってみたらたくさ
んの人がいろんな活動していて熱気に溢れていた。のどに熱くしみわたるココアにそんな
釜ヶ崎の熱気を重ねてみる。
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清水 彬史
わらわらの会の活動に初めて参加したのは 3 か月前のことだった。初めてわらわらの会
を訪れ、なぜこの活動に参加したいと思ったのかと尋ねられた時、はっきりとした答えを
返すことはできなかった。どうして「ホームレス」に興味を抱いたのか、自分でもよく分
かっていなかったように思う。ただ、東京の路上に横たわるホームレスの男性と、その傍
を足早に行き交う人々の光景に感じていた違和感をずっと忘れられずにいた。しかし言葉
にするにはあまりに漠然とした違和感だった。
釜ヶ崎から戻った今ならば、この違和感を少し言葉にできるような気がする。それは、
このフィールドワークでの経験が、ホームレスの人々もまた人間であるという事実に気づ
かせてくれたからなのだろう。きわめて当然のことだが、この気づきが東京の風景に感じ
た違和感にどこかでつながっている。
この気づきはビッグイシュー販売者、濱田さんとの出会いによるところが特に大きい。
これが自分にとってホームレスの人と初めて対話する機会となり、そして、初めて「ホー
ムレス」の人が一人の個人であることを実感する経験となった。濱田さんはいろいろなこ
とを話してくれた。これまでのこと、今の仕事のこと、お客さんのこと、これからのこと。
特にお客さんのことを話しているときの熱心な口調とうれしそうな表情は、今でも鮮明に
脳裏に浮かぶ。そこにはホームレスであることの卑屈さや悲壮感は一切なく、ただ商売人
としての喜びとお客さんへの感謝で満ち溢れているようだった。たしかに濱田さんは今晩
も路上で寝なければならないのだろう。しかし、それはもしかすると彼の日常における単
なる一事実にすぎないのかもしれない。ホームレスであるという事実は、その人が一個人
として存在していることの価値に、傷一つ付けることができないのだろう。
しかし所詮これはきれいごとなのかもしれない。東京の光景を思い出すと、そんな疑念
も沸いてしまう。ある日、あるサラリーマンの足が路上に横たわる男性の背中に当たった
ことがあった。しかし何事もなかったかのように足をぶつけた彼はそのまま歩き去ってし
まった。あれは一体何だったのだろうか。彼は一体何を思ったのだろうか。申し訳なさか、
はたまた煩わしさか。もしかすると何も思わなかったのかもしれない。なんにせよ彼を責
める気にあまりなれないのは、もし同じ状況に置かれても彼と同じことをしないと言い切
る自信が私には無いからなのだろう。
人はモノではない。それが当たり前であるように、ホームレスの人は路上のゴミでも社
会のゴミでもなく、一人の人間である。背中に足が当たれば少なからず痛みを感じるのだ
から、当てた方は少しでもいいから謝るべきだろう。しかし、それが中々できないのはな
ぜだろうか。ホームレスの人もまた一人の個人であるという、厳然たる事実がきれいごと
に見えてしまうのはなぜだろうか。釜ヶ崎での様々な出会いを通じて、かつての違和感は
いつしか疑問に変わり、今の私にとってホームレス問題とはこうした疑問そのものである。
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庄司 知志
私は東京で 1 人暮らしをしていたが、最近母の体調が悪くなり実家に戻った。久しぶり
に家族と生活してみると、親が予想以上に口うるさい。ここ最近はコタツの電気をつけっ
ぱなしで寝てしまうのを、怒涛の勢いで言ってくるのである。
外を軽くフラフラしてみると、地元の友達をよく見かける。しかし、私が地元に長く滞
在するのも 10 年ぶりくらいだから私に気づかない。こちらから話しかけると非常に戸惑っ
てしまうが、私の顔には覚えがあるようで名前を当てようとしてくる「佐藤だよね?」ち
がう私は庄司だ。ほとんど覚えられていないとしても、小学校の時にランドセルを家に忘
れて登校した話をすると、みんな庄司の存在を思い出し始める。地元の友達はほとんどが
働いているから、そのやりとりの後は飯を奢ってくれる。釜ヶ崎から帰ってきて 2 ヶ月後、
こんな感じの数日を地元でおくっていた。
しかし唐突に言葉が出そうになる時がある。
「ホームレスって知ってる?」そりゃ皆知っ
てるだろうが、母や父や友達の顔を見ていると、何かこうぶつけたくなる衝動がたまにあ
る。
いきなり話が変わってしまうが、私は 1 週間に 1 回、ソフトボールをするために埼玉の
田舎に行く。1 週間のうち、6 日は新宿や池袋で過ごし、1 日だけ田舎に帰るとものすごい
ギャップを感じる。風景も時間の流れる速さも、人も話題も生活のリズムにも大きな違い
がある。同じ日本でも、世界がいくつにも分かれているんだなと、この時実感する。同じ
早稲田でも、政治サークルで「○○内閣は即刻解散すべきである!」とか言ってる傍ら、
わらわらの会は「人の幸せって何なんだろうね~」とか言ってるのである。
「we are the one」
とかふざけた言葉だな~としみじみ思う。みんなそれぞれ、自分の目の前にしなければな
らない事があり、自分の生活にリズムがある。自分の世界の外に気を払う余裕なんてない。
それは勿論、私にも、父母、友達にも当てはまる。だからこそ、その人間がいる世界の外
にある事をぶつけてみたくなる時がある。大抵は相手にされないのだが。だから私が「ホ
ームレスって知ってる?」という問に友達や親は「知ってるけど…」とキョトンとしてい
る。しかし私は後に言葉が続かない。
やはり、私達が自分の世界を持てる事は非常に幸せなことだ。自分という存在を親や友達
が受け入れてくれるからこそ、何気ない生活をおくれる自分の世界が持てる。だが逆に、
自分の世界での生活に満足していても、していなくても、一度自分の居場所を持った人間
は、自分の世界の外に気を払う事には、かなり億劫になってしまう。私は釜ヶ崎から帰っ
てきて尚、口うるさい親や、私を忘れかけている友人の事を大切にしたい、私の世界を大
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切にしたい、そういう思いが強くなった。皆それぞれ自分の世界を大切に思うのだから、
世界はいつまでたっても one にはならないし、ならないほうが良い。家族でも教室でも町
でも国でも、価値観や主義の押し付けはこれまでずっと続いてきた。でも、自分の世界を
大切に思うその気持ちを少しだけ外に向けて、お互いの世界の違いを認め合い、お互いの
世界の足りないところを補い合う事が出来たら、それは素敵なことだと思った。
ゴー・ペイイン
日本の外務省が行った外国における対日世論調査によれば、ASEAN の国において、日本
は、
「科学技術が発達した国」
、
「生活水準の高い国」
、「経済的に進んでいる国」といったイ
メージが一番強いそうだ。日本に対してそういったイメージを持っていた留学生として、
釜ヶ崎のような日雇い労働者がたくさん集まって、ホームレスが多いところの様子は想像
できなかった。
そして、好奇心から、
「ホームレスのまち」と呼ばれる釜ヶ崎に行く前、インターネット
で「釜ヶ崎」と「あいりん地区」を検索してみたら、
「ヤクザ」や「麻薬」や「治安が悪い」
などのキーワードが検索結果に出てきた。それに加えて、勉強会で勉強していたのは、ほ
とんど、貧困やホームレスの問題などだったので、悪いイメージを持って、釜ヶ崎に行っ
た。
しかし、実際に現地に行って、NGO、行政、ソーシャルビジネスなど様々な分野で活動
している方々、また、ホームレスの方々に会ったり話したりしたところ、現状は持ってい
たイメージとは違うと感じた。確かに、釜ヶ崎の街は、少し汚くて、路上に寝ているホー
ムレスの方も何人かいらっしゃったが、本当に印象的だったのは、そのことではなくて、
以下のようなことだ。
私は今まで、ホームレスだけを問題として考えてしまって、釜ヶ崎を「ホームレスのま
ち」としてしか捉らえられなかった。でも、実際の釜ヶ崎は、単にホームレスが多いとい
うだけで問題になる地区ではない。釜ヶ崎は汚くて問題点が多いところだという先入観に
縛られて現地に行くと、汚さと問題しか見られなくなってしまう。「何が必要か?」、
「何が
足りないのか?」より、
「何をすでに有しているか?」というふうに考えたほうがいいのか
なと思う。もう少し視野を広くして釜ヶ崎を見ると、実は、釜ヶ崎にも、資源やいい点が
あって、釜ヶ崎に住んでいるホームレスや日雇い労働者なども、一人一人それぞれの独特
な性格、人生観、希望、経験などを持っているのだと感じて、感動した。
釜ヶ崎は単なる「ホームレスのまち」ではない。もちろんホームレスや貧困の問題を無視
すべきだというわけではない。でも、釜ヶ崎を問題のあるコミュニティーとしてとらえて、
問題点だけに注視するより、発想を転換して、釜ヶ崎の資源を生かして、問題に取り組み
ながら、そのまちを作っていったほうがいいのではないかと思う。変化しつつある釜ヶ崎
のコミュニティーは、これからどのようなコミュニティーになるのかを期待している。
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おわりに―――わらわらの活動とその意義―――
嶋田 康平
今、あなたに「ホーム」はあるだろうか。家はあるけど家族は冷戦状態。一人暮らしで
時々寂しい。恋人と同棲して毎日ラブラブ。いろいろあるだろう。私には、寒い夜に温か
いココアを飲みながらホッと一息つける場所がある。その時、一人だが独りじゃない。
さて、わらわらは「垣根を越えた出会いと対話」を大切にしている。理念や目的といっ
た堅苦しいものではない。でも、私は、けっこうこの合言葉を気に入っている。
まず、
「垣根を越えた」という表現。立場の異なる者が自らの一線を越えていくというイ
メージである。これは、
「ホームレスの人」と「ホームレスでない人」に限った話ではない。
たとえば、法学部生と文学部生、大学 1 年生と 4 年生、学生と社会人なども含まれる。法
学部生だから。1年生だから。ホームレスだから。そんな簡単な言い訳で多様性をあきら
めたくない。だから、わらわらは、週に一度勉強会をして、様々な学生が意見を交し議論
を重ねる場を大切にする。主張と受容を繰り返しながら、多様性に基づく共同体に挑戦し
ている。
「出会いと対話」にも意味がある。ホームレスと聞くと「怠け者だ」と思う人もいれば、
「助けなければ」と思う人もいるだろう。わらわらは、その両方であり、そのどちらでも
ない。おそらく、私たちは、「どうしてホームレス状態になったのだろう」「どういう人な
のだろう」という点が気になっている。それらを確かめるために、実際に会いに行ったり、
一緒にイベントを行ったりする。ホームレスの人たちの話は、それぞれに違っていて、そ
れぞれに興味深い。自分の若き日の武勇伝を話すときは意気揚々。家族のことになると、
なにやら雲行き怪し。映画の話で盛り上がったりもする。すると、わからなくなる。ホー
ムレスの人と自分は一体何が違うのだろうか・・・。
本書は、出会いと対話を通して得た、そうしたもやもやした違和感を伝えている。だか
ら、答えや結論は書いていない。無責任に解決策を提示することもない。ただ現状につい
て頭を抱えて悩んでいる。悩んでいるうちに、各々自分の生活や世界と向き合うこととな
ってしまう。これこそが「垣根を越えた出会いと対話」の意義だと考えたい。決して目に
は見えない。ただちに問題を解決する成果でもない。だが、他者との対話は、他者との関
係性・相互依存のなかで生きていく上で、避けては通れない営みである。そして、それは
必然的に「自分とは何か」という身近すぎて忘れがちな問いかけをもたらしてくれる。
さて、今、私たちに「ホーム」はあるだろうか。
最後になりますが、年末のお忙しい時期にフィールドワークにご協力下さった方々、日
頃より活動を支え見守って下さる多くの方々に、心より感謝申し上げます。また、こうし
てともに活動できる仲間がいることもとても幸せです。ありがとうございます。
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釜ヶ崎フィールドワーク
2014 年 4 月 25 日 初版発行
発行 わらわらの会(早稲田大学平山郁夫ボランティアセンター公認プロジェクト)
Web:http://homeless-warawara.jimdo.com
E-mail:[email protected]
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