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ずい分様変わりしたものです。

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ずい分様変わりしたものです。
№87
平成27年 4 月21日
【発行】
豊橋市立栄小学校 校長室
[email protected]
家庭訪問の季節だそうだ。小学生の娘さんがいる同僚
でした。訪問する先々でお茶を出してくれましたので、
に教えられた。そうか。新学年の始まった、この時期に
出されたお茶を飲まないわけにはいきません。当然、
行われるものだったか。
生理現象が早まります。挨拶もほどほどに、真っ先に
最近の傾向では、玄関での立ち話でお開きになるとい
トイレをお借りするなんていうこともありました。ま
う。お茶もお茶菓子も出さない。その方が先生も親もお
た、不慣れな正座での懇談後、立ち上がった途端によ
互いに世話がないのだろう。
ろめいてしまったなんていうこともありました。
家庭訪問のお茶菓子に苦労した時代もあったようだ。
弘兼憲史さん(67)の代表作「課長島耕作」にこんな
場面がある。貧しい家に育った女の子が家庭訪問を心配
大学では「家庭訪問の仕方」という講義なんかある
わけがありません。先輩の先生に付き添ってもらって
家庭訪問するなんていうことも当然ありませんでした。
する。
汚い家を先生に見られるのが恥ずかしい。お茶菓子だ
事細かに指導してもらえる機会も仕組みもなし。全て
って用意できない。母親が安心しろと胸をたたく。
「とび
が手探りの状態です。先輩がたから聞いた話と自分で
っきりおいしい手作りのおはぎをこしらえて出すから」
。
実際に行った経験知とを合わせて、少しずつその方法
家庭訪問の当日、先生はおはぎに手を付けなかったが、
を身につけていくしか方法はありませんでした。
後でいただくと持ち帰っていった。
これで一件落着とならぬ。先生が帰った後、女の子は
河原で遊んでいて土手の草むらにそのおはぎを発見す
る。先生が投げ捨てた。
「母が作ったおはぎが悪いんじゃ
ない。捨てた先生が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」
。
女の子のせりふがいつまでも残る。
いつの世にも人の事情が理解できない人がいる。理解
今日から28日にかけて家庭訪問が予定されていま
す。何度経験していても、初対面の保護者と話をする
のは緊張を伴うものです。おそらく保護者も「今度の
先生はどんな先生なんだろう」と、ふだん以上の興味
や関心をもって迎えてくれるはずです。
「自宅の位置を知ることが主な目的」とはいうものの、
しない人がいる。株価は上がる。されど格差は広がる。
「担任の先生と少しでもお話したい」
「うちの子のこん
その一方で人生とうまく折り合えない人を思い、想像す
なところをわかってもらいたい」と考えている保護者
る力が強いかといえば、決してそうとは言えない時代で
も多いはずです。
「人との出会いは第一印象がその後の
ある。心配性の小欄は先生への茶菓子無用にほっともす
る。
4 月20日付中日新聞「中日春秋」より
関係に大きな影響を与える」ことは、これまでの経験
でどなたも知っていることでしょう。家庭訪問が、良
好な信頼関係の第一歩となるよう、丁寧な対応をお願
ずい分様変わりしたものです。どちらがいいとか悪
いとかの問題ではなく、時代の流れを感じます。私が
いします。
ところで、おはぎを捨てられた女の子は、その後先
担任だった頃の家庭訪問の様子を思い浮かべてみると、
生に対してどんな思いを抱いたのでしょうか。おはぎ
こちらから特段お願いしていないにもかかわらず、ほ
を捨てられたことを知らされた母親は、先生をどのよ
とんどの場合「先生、お上がりください」と言われて、
うに思ったのでしょうか。良好な信頼関係が築けたと
応接間やリビングに通され短時間の懇談をしていまし
は到底思えません。現在の家庭訪問に「おはぎ」は出
た。
「玄関先で立ち話」というケースももちろんありま
てこないでしょうけど、保護者や「この子」の思いを
したが、圧倒的に少数派だったように記憶しています。
きちんと受け止め、期待に応えるのが私たちの務めだ
家庭訪問が保護者と担任との信頼関係構築の第一歩
ということを改めて肝に銘じておきたいものです。
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