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7月度報告 - けやき倶楽部

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7月度報告 - けやき倶楽部
 けやき倶楽部 グループ学習活動記録 (234回) 文 学 ・芸 術グループ
世話人:山田 恂 記録:山田 恂
日 時
平成28年(2018)7月23日(土) 午後1時30分∼4時30分
参加者氏名
(以下敬称略)
活動内容
概 要
合 評
場 所 千葉大学学習室
(以上計 7名)
・ 読書会 大江健三郎著 『飼育』 新潮文庫
担 当 KY
み
・ 著名な現代作家でありながらなぜか今まで取り上げられることはなかった。扱う
テーマの重々しさ、翻訳調の読みづらい文体などが敬遠された要因である
が、今回の課題作は文壇に颯爽と登場しはじめた頃の、23歳という最年少で
芥川賞を受賞した作品である。文体はまだ平易であるが既に重厚なテーマに
手を掛けている。
・ 担当者による作家概要にくわえ、参加者の用意した小説の構造分析を中心に
読み込みが開始され、様々な意見がとびかった(合評)。最後にこんな意見も
だされた。分析したり、作家の生い立ちや境遇を調べたりして「成程!」と理解
すればするほど作品がもつ輝きが後退し、色褪せていかないか? 種明かし
された後の手品の味気無さに似て、聞かなきゃ良かったと後悔が残る。解説を
加えるほどに面白く興味深くなるような読み方はないものか?
・ この作品の3年前に3歳年上の石原慎太郎が芥川賞を同じく23歳で受賞して
若き日の大江健三郎
いる。『太陽の季節』で、それはセンセーショナルな事件であった。
その後の二人は対照的な過ごし方をするが、常に社会的存在であり続ける。そして60年後の今日、片
や傲岸不遜な政治家、片やものいう警世家。
utusidasareta
(A)久しぶりに「文学」を堪能しました。読んでいくうちに情景が頭のなかに浮かび上がり、匂いまで感
じられるようでした。圧倒的な描写力! 近年、これが芥川賞?と疑問に思う作品も多い中、弱冠23歳
での受賞作品に100%納得しました。
それにしても読書会は刺激的です。ジャンルを問わず小説は単に「物語」として、目の前の料理を楽
しむようにただただ賞味するだけですが、他の会員の方々は作者が意図したテーマや展開を分析し
ながらお読みになるのですね。また、自分では決して手に取らない作品に出会えるのも読書会ならで
は。興趣が尽きないところです。
・ (B)少年のイニシエーションの形をとっているが、終戦間際の閉鎖的な山村が、いきなり米軍機の墜落
と黒人捕虜の登場で激変する様子は少年の目で刻銘に描かれ、少年の心の変遷はきめ細やかに描
かれている。普段は無視されている村社会と町社会の無責任な対応も描かれ、戦時下の体制批判も
垣間見えるので社会的な面もうかがえる。表現力の豊かさに驚かされ、その後の作家・大江健三郎の
原点を見る思いだ。
(C)大江健三郎の短編をいくつか読んだが、この作品は比較的わかりやすい。
私は深読みするタイプではないので基本的には青春小説として読んだ。主人公の大人になったという
気持にあわせ何とも言えない読後感がありました。この感じて映画のスタンドバイミーのラストとなんとな
く似ているような気がした。
・ (D)どろどろとした触覚が読後に残る。また少年期から抜け出ようとする時期の特有のにおいも感じ
る。それにしても『書記』を死なせてしまったのはなぜだろうか。
・ (E) 注記:長文のため別紙に記載しました。
・ (F)子どもがイニシエーションを経て大人になるという話。構図はシンプルだし、一般とは隔絶された集
落という状況設定も作者の意図としては明確だ。ただ、描写も表現も醜悪で露骨極まりない。今なら差
別用語満載のすべてを閉塞した空間に放り込んで、その暴力的な状況をグロテスクに悪臭芬々と描
いている。読むだけでしんどくなる。『死者の奢り』も然り。ここまで異様な状況設定が果たして必要な
のか疑問。醜悪さばかりが前面に出て、主題が何なのかがよく見えない。大江健三郎は私には難解す
ぎる。
メール参加
次回例会
・ (G)ノーベル文学賞は受賞するが文化勲章は拒否した大江健三郎、記者団にその理由を問われ「ノーベ
ル賞は(スウェーデン)国民がくれるもの、文化勲章は(日本)国がくれるもの」と答えた。大江が日本の国体
(天皇制)反対論者ということは後で知った。今回初めて読んだ彼の文学、『飼育』はストーリーはじっとりス
リリング、文脈は流れるごとく、惜しみない社会性、そんな印象だ。この作品は大江の原風景か。繊細な
表現を紡ぐこの文体は体験に基づく感性の醸し出しと理解する。時代は高度経済成長に入りなんと。
青年期の大江に存分な思いありや。芥川賞の選考基準に〈新しさ〉があると聞く。この作品の〈新しさ〉
とは。小説の虚構性は〈虚〉を〈実〉と装うことにあらず。しかし、大江のこの作品には〈虚〉を〈実〉と言い
包(くる)めるに十分な、妙なリアリズムを覚える。これが〈新しさ〉と言うつもりはないが・・・「日本」の「文
学」の巨人と称される大江健三郎。今にして、その端緒となった本作の芥川賞を、彼は誰から「もらっ
た」のであろうか。
・
・
次々回例会 ・
・
日 時:平成28年8月13日(土)
内 容:映画鑑賞会 ブラジル映画『ストリート・オーケストラ』
日 時:平成28年9月24日(土) 午後1時30分より4時30分まで
内 容:読書会 堀江敏幸著 『雪沼とその周辺』 新潮文庫
・場 所: 千葉劇場
・場 所: 千葉大学学習室
・担 当: YE
大江健三郎著 『飼育』 感想
僕らにとって戦争とは、村の若者たちの在・不在。時々郵便配達夫が届けてくる兵隊の消息と言うこ
とにすぎなかった。それが「山の向こうの都会では、戦争の優劣を村に悟られないように潜行させる。」
この掌編は通過儀礼(イニシエーション)を通して子どもが大人になっていく青春物語。全て仕掛け、
装置、レトリックはイニシエーションを確定するためにある。通過儀礼については吉本隆明、柳田國男
が言及しているが小生には面倒なのでとりあえず読んでいない。
書記は僕を《蛙》と綽名で呼んだ。子供たちや村人も《書記》と綽名で読んでいる。吊り橋が押しつ
ぶされて閉鎖状態である村と村を軽視していた町〈当然その先には県またその先には国がある〉の情報
伝達者を書記と綽名で呼べるのは書記が大人へのもしくは、大人になると言うイニシエーションから時
を経ていない事を示唆している。
"書記"は町役場という大人の世界に属する、"僕"と対等に会話する唯一の大人でもある。しかも黒人兵
と村の子供達の交流は、子供=動物のレベル。"書記"の義足の修理が黒人兵を村に受け入れさせるひとつ
のきっかけになったであろう。
つまり、町(=県・国家)と村を仲介する"書記"は、大人と子供の世界を仲介する存在でもある。やが
て黒人兵は殺され、傷を受けた僕は子供の世界から大人の世界へと移行する。そのあと、義足を外して
子どもの遊びに参加しようとした"書記"は、あっけなく死ぬ。これは、大人の世界に入った人間が子供の
世界にもう一度戻ろうとしても、生き延びることは出来ず死ぬだけだ、ということを示している。大人
から子供への不可逆性の示唆である。
成長の痛みを傷として記憶に留めつつ子供と大人の世界を仲介する"書記"の役割は、"僕"が受け継ぐよ
りない。書記は義足を外すことでしか子供と一緒に遊べない。飛行機の翼そりを乗りこなすことで、橋
の向こうの町、県、国の大人たちの決断力の欠如を自分で解決しようと考えたのでは。到底無理なこと。
滑り降りた後、義足をつけることで大人に戻る無理な可逆反応を夢に見るが死んでしまう。僕は片手
で義足を運搬することは不可能であることを自覚していたし、書記の可逆反応に加担出来ない事も判っ
ている。僕は遊んでいる子供たちから離れ、書記の死体を見捨てて去る。なぜなら大人になったのだか
らまたはなろうと決意したから。
僕は橋を渡って町県国と対峙することを覚悟する。通過儀礼は完結する。
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