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158号 〃 6月

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158号 〃 6月
発行日2004年6月26日
杉 岳 通 信
・
158号
編集人
安岡正俊
製作・発行人
中村利夫
発行所
杉岳同門会
杉並区和泉3~59~21
鈴鹿の印象・一年を振り返って
澤山弘明
昨年春から歩き始めた鈴鹿の山も、いよいよ私にとって初の冬シーズンを迎えることになった。振り返ってみると、こ
の一年にずいぶんあちこち歩き回ったものだと思う。その間にそれまで抱いていた鈴鹿の山に対するイメージは、回数
を重ねるに従って大きく変わり、「何を言おうと、所詮は低山にすぎないではないか!」との思いは、もろくも崩れ去って
しまったのである。 又、私の今までの山行と比べて、一味違うものになっていることにも気づかされたのだった。
鈴鹿の山を歩くようになってから、山に対しての挑戦的・冒険的意識は少なくなったが、一方で山歩きの
楽しさの幅が広がった様にも感じられる。これは当初の思惑が当たったと言えるのかも知れない。密かに望
んでいたとおり、今までの山行とは違ったものが得られそうな気がして楽しみな近頃である。
ミスミ草(撮影:河瀬さん)
福寿草(撮影:河瀬さん)
鈴鹿は標高1000 M 程の山々しかなく、それぞれの山々に際立った特徴がある訳でも、息をのむ様な眺
望や見所があるのでもなく、いたって地味な山々ばかりである。
だが、ひとたび山に入って見ると、そこ
には複雑な地形や植生の豊かさ、姿はあまり見せない野生動物たちの匂い、そこここに見られる先人達の足
跡など等、地図や案内書などからでは想像出来ない、奥深い自然とそこに昔からはぐくまれたの営みを肌で
感じることが出来るのである。
山を歩いていると、ふと回りの自然の中に無理なく溶けこんだ自分に気がついたり、妙に山と一体化した
自分自身を感じる事も多い。
たとえ初めて行くル-トであったとしても、又踏み跡のない尾根や谷筋を歩いている時でも、決して不安
を感じる事も無いし、危険を感じた事もない。のんびりとどっぷりと山に浸りきることが出来るのである。
鈴鹿の山に行くたびに、山の持つ優しさ・おおらかさを教えられ、我々人間と自然とのつきあい方を教えて
もらっている様な気がしてならない。
今まで春、夏、秋と行ってみて感じたことだが、夏のシ-ズンだけはいただけない。尾根筋を行くと標高
が低いゆえ暑さが激しく、特に背丈を超える笹藪の中を歩かされる事にでもなると、苦行以外のなにもので
もない。 夏の雨乞岳の登りで、まるで蒸し風呂のような笹薮の中を登らされひどい目にあったことがある。
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さりとて涼しさを求め沢筋を行くと、山ヒルの襲撃をまともに受けることになる。特に鈴鹿北部はヒルの
多い所なので、初夏から秋口にかけて谷間に入ることは、ヒルにえさをやりに行くようなものとなる。待っ
てました!とばかり一斉に襲ってくる。これも茶屋川を遡行し、藤原岳西尾根に取り付くまでの間で体験し
た事だ。
今までの経験からすると鈴鹿は春と秋がおすすめだ。新緑の頃、春の花を愛でながら登るのは特に良い。
石灰岩質の霊仙山、御池岳、藤原岳辺りの山々には、春多くの花が咲くことで有名である。
しかしこの時期は人が多いので一般道は出来れば避ける方がいい。三重県側からより滋賀県側から登る方が
人が少なくてお勧めだと思う。
秋は 10 月頃ならもうヒルの心配はないから沢もいいかもしれない。この頃ならまだそれほど水も冷たく無い
し、紅葉に囲まれながらの沢歩きはきっとすばらしいものと思う。残念ながら私にはこの経験はまだない。
木々の葉が落ち切った初冬の頃、道のない尾根筋を適当に登って行くのも面白い。甲津畑村落先の林道終点
に車を置き、ダイジョウを目指して渋川右岸の尾根をよじ登ったが、下生えの少ない葉の落ちた雑木林の斜
面は、踏み跡が無くてもどこでも登って行ける。地形図と辺りの地形を見比べ、どの辺りにいるのか考えな
がら登るのも楽しい。傾斜が緩くなった尾根の平らな所にはヌタ場があちこちにあり、野生動物の生息数の
多さを感じた。そのうち鹿や熊に出会えることがあるかもしれない。
鈴鹿の冬は、標高とその位置にしては積雪量が意外と多い。近くに高い山がなく、日本海からの季節風の
影響が強いためと言われている。特に北部の霊仙山や御池岳辺りではドカ雪となることも多いそうだ。何年
か前にも霊仙山で遭難騒ぎが起こっている。
御池岳・奥ノ平
それと冬の鈴鹿ではアプローチがちょっと長くなる。冬季は通行止めになる道が多く、夏のように車で峠
2
まで上がることも出来ないし、林道伝いに奥まで入ることも出来ない。日帰りで手軽に行けるところは、極
めて限られてしまう。今冬は私にとって冬期鈴鹿の初体験であった。暖冬のおかげで例年より積雪は多くな
いようだった。しかしそれでもさすが冬山!冷たい雪交じりの強風に悩まされたり、視界の無い雪の中でル
ートを誤ったり、湿気の多い雪には防水の甘いパ-カ-は役に立たず、濡れネズミ状態となった事もあった。
標高が低いためか、天気の良い日と悪い日の気温の落差が激しく、晴れれば半袖でも歩けるくらい暑かっ
たし、ひとたび寒波が来れば気温は-10度位まですぐに下がって吹雪くことも多い。鈴鹿ごときとあなど
っていると、痛いしっぺ返しを食うことになるのである。
1月・2月の週末は毎週のように、天気予報とにらめっこしながら鈴鹿へ出かけた。次回以降で、その時々
の鈴鹿山行の概要を記してご報告したいと思っている。私が、いかに鈴鹿の魅力に取り付かれつつあるのか、
又、それによって少しでも皆さんに鈴鹿の山々の良さを感じていただけたら、望外の幸せである。(「DT
FA山の会」ホームページ記事より)
・
城郭朝日山
2004年5月1日
小坂、中村(記)
南会津・城郭朝日山(じょうかごあさひやま・1448m)へ。前泊の長岡を早朝出発し、只見町経由で黒谷
川へ入る。倉谷集落から 1 キロほど先で林道は残雪のため行き止まり。この付近には釣り人の車が数台。こ
こに駐車し身支度を整え、日帰りで城郭朝日山を目指した。
城郭沢出合まで約3キロ、何箇所かの押し出しのデブリを越える。城郭沢出合から左岸の廃道を辿るがす
ぐ先で途切れ、右岸への橋の残骸箇所はゴルジュの急流となっていた。渡渉不能だ。休憩をとりながら四囲
を眺めルートを探すが策も無く、断念せざるを得ないかと思ったが、偶然対岸の廃道に釣り人が。ゴルジュ
の下部に唯一、急流であるが渡渉可能地点があった。靴のまま膝下の渡渉で対岸に渡る。藪に覆われた廃道
を進むが沢身が残雪で埋まってきたのでアイゼンを着けて沢に降りる。ずっと続くかと思った残雪も所々切
れて轟々たる沢音が響く。東の沢との二股はスッパリ切れていたが、幸い東の沢にスノーブリッジがあった
ので、それを渡って城郭沢の本流へ進む。すぐに大きな堰堤があり、それを高巻くように右岸に廃道が続く。
少し先へ進んだがこの先も沢身には残雪が少ないので 800 m地点からアイゼンをはずして左へ尾根に取り付
くことにした。
小さな沢を上がり、左へ急斜面をブッシュを頼りに本峰から北西へ延びる尾根へ取り付いた。やっと這い
上がった地点は 969 mの雪田だった。ここからはうって変わって緩やかな疎林の中の雪稜歩きが続く。ブナ
の根本の周りで 1.5 m位の残雪となる。1300 mの大雪原から右前方に最後の雪面を登りブッシュが残る山頂
に着いた。最高点の東側大雪庇とブッシュの境目に三角点が頭を出していたの見つけた。360 度の展望、15
時近くになっていたが会津朝日岳、丸山岳、会津駒ケ岳、山毛欅沢山など豊富な残雪に輝いている。
帰路は往路の尾根を末端まで下降。下部は 35 度を越す急斜面、ブッシュを頼りに二股出合の新緑の大木を
目印にずり落ちるようにして降りた。再び東の沢のスノーブリッジを渡り、今度は終始廃道を歩いて難なく
本流出合近くに戻ったが、初っ端の渡渉地点は雪代の増水でまたも難儀。ザイルを使って 2 人とも腰まで濡
らす苦闘の末やっと林道へ戻った。行動開始から 11 時間余、車に戻った時には、陽は完全に暮れてしまった。
頂上を含めて標識類は皆無、さすが南会津の秘峰であった。
3
・
八ヶ岳懇親集会
2004年5月29日~30日
山崎隆志
5月29日(土)に第2回八ヶ岳懇親集会が催され、総勢13名の参加となりました。はるばる大阪からの澤
山さんとご友人の猪熊さん、日向山を登ってきた中村さん、大柴さんと三田村さん、御所山を登ってきた菊
池さん父娘と山本さんと安岡夫妻、イワナ、ニジマスを13匹釣ってきた石丸さん、そして我々名古屋からの
2人です。
最初に石丸さんが14時頃に到着、鍵が空かず車で仮眠中に越後支部長がミッチャン車でわざわざ届けてく
れた差し入れを受け取りました。その直後に中村・三田村隊が到着。16時に山崎隊、場所が判らず甲斐小泉
駅より迎えコールのあった澤山隊、同時に菊地・安岡隊も揃ったのが17時頃でした。
そしていよいよ国際色豊かな料理を囲み、話は40年前からつい昨日のことまでとどまることを知らず、鉄
丸大人持参のバーベキューコンロと炭で焼いてくれた魚も旨く、焼肉もちらし寿司もまた美味しく、さらに
バラエティーに富んだ飲み物はビール500ml缶20数本、日本酒約2升、ワイン1本、紹興酒1本、焼酎3
合ほどの消費量でありました。「明朝は早出で八ヶ岳へ行くのであまり飲めない」という澤山さんも含め、
結局日付のかわる24時過ぎに就寝と相成りました。
安岡、石丸両氏の豪快なイビキを子守唄代わりに、じっくりと睡眠をとり、明けた今朝は5時過ぎに起床。
またまた美味しい朝食とほんの少しのビールにのどを潤し、7時に出発の澤山隊を見送り、8時頃には本日登
山の茅ヶ岳に向けて山荘をあとにしました。
一路中央道を韮崎ICまで走り、県道から林道を上って観音峠に。ここから往復2時間位のものだろう、
との会長の言葉を信じたのに何と帰り着いたのは14時と3時間半ほどを要しました。しかも途中には岩場あり、
ナイフリッジ状の尾根あり、巻き道間違いあり、結局金ヶ岳も茅ヶ岳も頂上まで行き着かずでありましたが、
心配していた天気には恵まれ、なかなか楽しい登山でありました。
みーんなにはよう、どえりゃあ世話になってまって、ありぎゃてゃあことだわ、これからもあんじょうや
っとってちょうだゃあ。
・
板2枚三昧
安岡正俊
山下さんに誘われてクロスカントリースキーを始め、八幡平で滑るため山スキーを86年に購入。ボーゲ
ンまでは行くのであるが、その後の技術が、どうも思うように行かず。スキーはもういいか、と思っていた。
宇都宮が昨年ショートスキーを購入し、会津駒、乗鞍、至仏、鳥海、毛勝と行った記録を読み、この雪遊び
俺もと思う。
そして、今年1月島村、宇都宮で飯綱に行く。この時、島村は山靴でショートスキー。2月に安達太良に
行く。島村はいつ覚えたのかスキーは上手く、1969年の石打後楽園でのスキーを楽しんでいた記憶があ
る。ミツゴの魂百までも。
ショートスキーの記録は、以前あるクラブのホームページで自由にアルパインスキーのりこなしているの
も読み、いいなと思う。記録を読むと山靴で滑っている。ひょっとすると、ショートスキーは、短い分コン
トロールし易いのではと、思ったりする。新宿のスポーツ点ICIに行くと、そのショートスキー(商品名:
フリートレック、90cmで少し幅広)が、ビンディング、シール、スキーアイゼン、ケース付で¥250
00で売っている。短い分軽い。即、購入する。2月15日。
「これでスキーを楽しめるぞ!」の妄想に取り付かれる。以下、その妄想の記録ある。
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ショートスキー購入し、その試し2月21日土樽スキー場
土樽は小学生の時、行った記憶があり、駅の側にあり、便利で。朝、6時半のバスで杉並を出て、土樽1
0時過ぎに到着。ビール付の昼飯の後も、14時半過ぎまでショートスキーを楽しむが、長いスキーで出来
ていたボーゲンしか出来ず。
スキー教えを受けに2月28日入笠山麓の富士見ピラタススキー場
富士見ピラタススキー場、雪はなく、人工雪で溶けないようにコチコチの雪である。「スキーだめ」の亡
霊が沸き始める。何故か、全く出来ない。先生役の義兄を含め諦められる。横滑りが、左下だけの一方向だ
けあるが、できるようになる。次の日もスキーの予定であったが、雨で出来ず。雨の八つ麓の原村の別荘で
沸き始めた亡霊と遊ぶ。亡霊と妄想の戦いである。
「努力で技術が得られ、技術は道具の力をカバー出来る」が誤りでないか?
「技術を習得できるはずがないもうスキーは止めろ」の亡霊が飛ぶ。
「技術をカバーする道具があるぞ!」の囁きにのせられる。
スキー兼用靴の確認3月6日拡大公開練習、土樽スキー場
5日スキー兼用靴を午後会社を休みで購入し、試験スキーである。ICIで調整したが履いただけで右足
が痛くなる。中敷きを取り除き使う。スピードを出しても上手く行く。新雪も何となくOKで、できなかっ
た右下の横滑りもOKである。ボーゲンターンでも右脚がターンで残る。リフト終了の16時まで滑る。雪
も降り出し終わる。
帰宅後、中敷の説明を見ていたら、少し小さめにカットするとか、記載されていた。これが誤りで中敷を
2枚入れていた。別に購入していた¥4500程の中敷き一枚で良く、靴に付いていた中敷を取り除くので
した。
動きの確認3月13日 夫婦コソ練、水上・奥利根スキー場
先週の課題もあり、こっそり練習の2回目。スキー場のホームページ案内を見ていると雪が少ない。少し
標高の高い奥利根スキー場に行く。リフト1日券に食事付きで¥3000(老人(55歳以上)割引)である。
スキー場は広く、人も少なく、下手な練習には都合が良い。中級で滑っていて、上級の急斜面に入るのをビ
ビッテいたら、和子が「行こう!」と上級斜面に入る。後を行くと何となく行ける。斜滑降からターンも上
手く行く。自分ではボーゲンの次に入れた感じで楽しくなる。靴の調子も良い。14時過ぎまで滑る。
風呂に入れなかったが、普通電車で座って帰宅。ショートスキーは電車でも邪魔にならないのが良い。
本格山スキー歩き3月20日~21日 八幡平
酒の席で言い出し皆を誘い、酒の勢いで不二子さんにお願いし受諾された八幡平行きである。
6時56分の新幹線(連休切符は新幹線代・指定席付往復¥24000と安い)。昼前に坂本不二子さん
の義兄所有の別荘に着く。曇り空である。ビールを飲んで用意された恒例のカレーを食べて、スキー場へ行
く。奥利根の効果か、傾斜が緩いだけか、スムーズに行く。
翌日、7時半出発となる。空は快晴。コースは大黒森~茶臼小屋~八幡平(往復)~茶臼岳(下降)の予定で
ある。8時過ぎに着くが下のリフトは動いていない。上のリフトまで歩き、リフトを2本乗って大黒森に8
時50分到着し歩き出す。1回下って、シールを着ける。そのまま小屋まで休み無く行く。1時間15分程
度。正面の岩手山が快晴の青空に冴える。
八幡平組安岡×2、島村、宇都宮、大柴、月浦、タカさん(不二子さんの旦那)、アヤチャン(不二子さん
の友達)は10時40分過ぎに出発する。黒谷地までは緩い下り。その先、少しきつい登り。タカさん黒谷
地の手前で引き返す。アヤチャンも心細くなるが行くように勧める。宇都宮は早い。アヤチャンとシンガリ
を行く。1ピッチで前回の最終到達点に着く。昼食とビールとする。空に少し雲が出てくる。先行していた
別パーティが引き返して来た。宇都宮が「この先で沼が見えますか?」と問う「見えないよ」の答え。先を
見ると源太森が見える。もったいないと、走って行く。自分も続く。慌てて宇都宮が、更に早く走って引き
返してくる。「皆、来ないと行けない」と呼びに行く。源太森の頂上からは、八幡平の小屋が見え、沼が雪
に覆われて見えない。ガスが少し出て来て白いボーの世界に、雪原が続き、冷たい風、空も曇りだしヒロイ
ックな感動を覚える。12時20分過ぎに茶臼に引き返す。シール付で下るが、上手く行かず数回転ぶ。シ
ールのためか、歩くタイプで足が固定されていないためか?その後、雪質変化点で何回か転び、足腰が不安
定、バラスの悪さを感じる。皆がんばり、帰りも1ピッチで戻る。13時20分に全員小屋の前に揃う。ガ
スっていた空もこちらに戻ると青い空である。やっぱりあの茶臼の頂を見ると行く気というか、自信がなく来
5
た道を戻ることを提案。宇都宮と月浦には行く事を勧め、行くことになる。二組に別れる。
大黒森の登りから右手に入るトレースがある。入口はゆるくいいコースである。途中で大福おやつの休み、
ゲレンデを通り、前回滑れなかったコース(通信136号)も転ぶことなく下山。二人は既に下山しており、
約40分の滑降であったらしい。14時間50分に全員揃い。予定より少し早いので迎えの車もなく、7人
車に詰め込み別荘に戻る。乾杯。1升頂き、それを飲みながら帰京。
また、行きたい東北の山である。
山でのショートスキー使用3月27日~28日 北八 ピラタス~麦草~高見石~渋の湯
山崎が忘年のシラビソ参加できず計画した北八である。13年前にも行く(通信116号)。中村、山崎、
安岡、島村、今村。9時過ぎに茅野に集まり、タクシーで行く。駅前で女の子を引き倒すところであった。
ロープウェイもそんなに混んでおらず、荷物代も取られずに行く。頂上の小屋で着替えをして真っ青の空の
下歩き出す。山崎はスノウシューで雪を走り回る。他の4人はスキー組でアップダウンをシールのまま滑る。
何となく上手く行く。五辻から大石峠に向かう。雪が腐ってシールに付着し高下駄のようになり滑らず、歩
き難い。このピッチで中村さん脚を痛める。大石峠への道は雪原である。吹雪けば迷う所である。麦草は舗
装道路が少し出ている。ポカポカでいい天気。ゆるいと思っていた丸山の登りきつく。つぼ脚隊に抜かれる。
2回の登りで丸山の頂上。頂上付近は木が茂り寒く、シールの溶けた雪が凍結して、下駄となる。
林間を下ると高見石。小屋は少し多めの人であるが、炬燵を占領し宴会を始める。特徴的な話題はないが、
たくさんの飲み物に喜ぶ。
28日 いつものパン食の朝食。我々は下山のみでゆっくりとしている。オコジョの遊び場所に行き、ス
キーを楽しめ、酒ものみ、駄々寝を楽しむ。今日も空は真っ青。のんびり。小屋に戻り贅沢ラーメンの早め
食事をして下る。渋の湯の風呂に入り下山。いつもの蕎麦や閉店でもうひとつがありそこでゆっくり酒、ビ
ール、蕎麦を楽しむ。山崎少し多めに払い帰名古屋。我々は汽車で飲むこともなく寝て帰京。
本格山スキーに4月11日 日白山 二居温泉
2001年4月7日朝一番で東京駅を出て、雪が入口を塞ぐ土樽の毛渡沢の先の林道に入る。小松沢の脇
の尾根に入る頃暑くなる。雪の腐りクタクタになる頃、スキーの4人組に抜かれる。何で、こんな急な坂、
早く登れるのか。スキー組はグングンと先に行く。我々はあきらめ下りだす。スキー4人組に林道を下る間
にまた抜かれる。以前スキーに登り、下りの2回も追い抜かされた山です。天気はいいが諦めた山。日白山。
その怨念がスキー妄想に疲れたのかも。
今回はスキーで土樽とは裏側から行く。鉄塔を目指す東谷山経由のルートは雪がなく、地王堂川ルートに
変える。最終民家まで林道は除雪されおり、そこまで車で入る。8時に出発。雪の林道を行き、沢に降りス
ノウブリッジで渡り林を抜けると、緩く広い雪原。目の前を熊驚き、斜面を駆け下り、谷を越え、斜面を駆
け上った。早い、追い駆けられたら捕まる。振り向くと苗場の山々。その先、沢状の急登をジグザグに行く。
でバランスを崩して倒れ込むとずるりと滑る程である。緩斜面というより雪原に出る。トレースが右尾根に
付いており、そちらに行くが、左の尾根の低い部分へ登る方が良いようである。上はきつく、下りはアイゼ
ン歩行と思い登る。宇都宮は早い。月浦は付き添いの先生のように後から来る。
10時40分、稜線に出ると豊富な雪。大きな雪庇。正面に平標から谷川の山々が見える。が、何か心弾
まない。下りを考え出したからか?稜線に沿い頂上を目指す。2人組が格好よく滑って来る。帰り、あんな
に滑れるか。最後の頂上直下登りは、2人組のすべりで崩れ、右手は切れ、左手は急な斜面が見える。和子
が遅い、自分も先に行く気がしない。これまでトップであったが写真を撮ると後ろについていた宇都宮が痺
れを切らしたか、先に行く。頂上に着く、11時30分。
展望はすごい。巻機から谷川、平標・・見えるが、緊張のためか少し胃が何か重たい。ビールも飲めず。
食欲も進まない。360°の展望は素晴らしい。浮かない心。シールを外し靴もスキーモード。それだけで
もう違和感がある。12時25分、頂上を出る。宇都宮が横滑りで下る。その後、横向きで下る。ゆっくり
降りる。超ビビリバビデブー。尾根道は、滑れる。登りで出た場所の手前から森林帯に入る。斜滑降で転ぶ
のでは、、。横滑りでグズグズ下る。時々広くなると、まっすぐ滑る。楽しい。登りの道とは少し離れ、尾
根沿いに行く。尾根から谷側から回り、登りで最初に休んだ雪原へ、傾斜もなく滑りを楽しむ。3人に追い
つき4人揃う、13時15分。やっとビールを飲む。旨い。
そこからは滑りを楽しむ。車に帰る、14時5分。ビールをまた楽しむ。
樹林帯での斜滑降。確実な横滑り。まだまだ力不足である。
だが、ウロコの目になった一日であった。
6
十分に楽しむ4月30日
至仏山
ふきあげの湯
18日同行者がなく、今年はだめと思っていたら、月浦がOKとなり、平
日がいいとなり、29日22時発で行く。高速も順調で、鳩待峠、入口のゲ
ートも閉まっておらず、鳩待の駐車場に1時前に着く。車が10台前後。2
3期の部長が部長している崎陽軒のシュウマイで少しの宴会。寝る。
翌日、6時半に起きる。皆出かけている。カレーうどんの朝食。7時40
分出発。広く、傾斜もそれほど急でなく、シール歩行快適である。小至仏ト
ラバースは、遊歩道程歩きやすい。その後に偽至仏に上がってしまい、雪が
消えスキーを外す。人が一杯の頂上、10時10分。頂上から熢岳、平岳、
会津駒、魚沼三山、谷川、武尊、赤城とまだまだ雪がある。
昼は十分に休んで、11時5分、頂上から左に回り、登山道を越え、ムジ
ナ沢に向かう。頂上の下り少し、緊張する。途中雪が切れ、スキーを担ぐが
その後は、熢岳を正面の広い沢を自由に行ける。ぶつかる木も、岩も無く、
ビビリバビデブーもなく、スキーを楽しむ。雪が削られ、ゴロゴロと雪固ま
りが落ち雪崩でも起きそうな感じ。見上げても大きな沢である。沢をトラバ
ースし抜け、登山道に向かう。登山道から12時10分、尾瀬ヶ原に降りる。
そこからの熢岳も立派。山鼻から、またシールを着け鳩待14時に戻る。
熢岳へ向けて滑る
雪に冷やしたビールが旨かった。来シーズンも行きたいコースである。
まだまだ動きに余裕無し5月2日 岩木山 大黒沢(弥生コース)
東京7時前に出て、弘前12時過ぎに着く。迎えに来てくれた車で岩木山に行く。雪が少ないようである。
リフトで8合目に。メンバーはタカさん、柳子さん(不二子さんの友達)、まーくん(タカさんの姪の旦那)、
安岡(和)、島村で、迎えに来てくれたフーコさんと畑山さんは帰る。登山道を往き、9合目付近で右手に巻
き込み、雪が出てきて、15時にスキーを着ける。
準備が遅れ、自分だけが少し遅くなり、高度感のあるトラバースにビビリバデデブーで更に遅くなる。滑
降はそれなりに降りる。皆と一緒になり潅木帯を渡り、沢上部にでる。広い。広い。ムジナ沢と違い、漏斗
を半分に切断した形状で、下部は狭い沢に絞り込まれている。右に行ったり、左に行ったり自由に滑る。天
気もよく満喫である。沢沿いが狭まり、15時40分、雪も少なくなる。上部の方は、沢の斜面の斜滑降も
水も見えずいいのだが、更に下ると更に沢狭くなり、雪も少なくなり、沢の水が見えてくる。斜滑降の連続
で、横に落ちると水にトボンである。
パトロールが最終者確認で降りてくる。傾斜も緩く、雪も少なく、木が出て、潅木に躓き倒れる。橋の手
前で雪は無くなり、16時50分、スキーを外し歩く。1時間の遅れで迎いに来てくれた畑山さんに心配を
かける。雪が多いとこの先まで、滑れるそうである。高度感のあるトラバースで、何故か、まだ駄目!
また、滑りたいコースである。
夜は不二子さんの用意してくれたご馳走である。18時過ぎより、宴会。夜、月浦から電話。4日の夜弘
前にくるとのこと。3日山菜取り、4日雨で弘前見学。
妄想を強くした5月5日 櫛ヶ峰
5日晴れる。東京からの安岡(正・和)、島村、月浦は櫛ヶ峰に行き、弘前組タカさん、フーコさん、アヤ
さん、リュウコさん八甲田山の銅像コースに行くことになる。
朝6時に起き、7時に出発。途中おにぎりを購入。睡蓮沼の周りは駐車で一杯であるが、雪が少ないため
か、それほどの交通妨害になっていない。ここからは櫛が多いと思っていたら、大岳組も多いようある。
シールを着け見送られ出発。8時30分。雪原を越え、沢筋に入ると雪が増え、登りもきつくなる。平坦地
に上がり、振り返ると八甲田の大岳が見える。1本入れ、若干の登りを行く。偽駒の頂上で先行していた単
独は引き返すらしい。木が雪の上に出て林間を進む感じである。駒の斜面は大きい。つぼ足の夫婦連れが来
る。地元の人か早い。雪の上を走るように我々シール隊を抜いていく。駒の斜面も木がありぬって行くよう
に下る。夫婦はもう少し下をトラバース気味に行く。どうもこの道の方が正解であった。
櫛への登りである。正面の斜面でなく、右手の尾根筋を行くと思うが、大きな谷があり正面に回りこむ。
どこを登るかと思うほど広い。正面から右手に回り込むように登る。シールが効いてしっかり登れる。島村
においていかれる。尾根筋に出ると、いつ来たのか単独行がシールも無しでXCというか、テレマークスタ
7
イルでジグザグにすごいスピード、抜かれる。
櫛ガ峰頂上へ(撮影・合成:月浦)
11時45分に到着。頂上は雪が出ている。月浦が虹と言うので上を見ると、太陽を中心に環の虹「日環
現象?」が見える。レンチャンの酒か、何となく胃が重くラーメンが食べられず。
シールを外して、スキーモードに切り替えて、12時45分下降開始である。10mほど進み、斜面に入
る。広い。広い。その先も広い雪原。雪が多ければ、木々は全て雪の下か。上は青空に、白い薄い雲が浮い
て、下は白い雪の斜面。何回行ったり来たりをしたか。最後は真っ直ぐ進めるところまで行く。登りが、あ
り、スキーを外したり、着けたり。時間が掛かる。
14時10分、駒の手前から、稜線を外れ下るトレースがある。それに従い滑る。何か左に寄りすぎかと
思い、右手に回る。今度は回りこみ過ぎで、右手に巻き気味に林の中を下る。木の間を抜け、下に向かって
行く。斜面は少し急であり、日白山の下りの状況を考えると自分ながら良く降りた。夏は沼地と思われる平
原となり、歩く。道路が見え、先に行くと谷で切れている。更に左に回りこむと、朝出た方向とは逆(後ろ)
から待ち合わせ場所に到着。15時であった。弘前の皆に迎えられ用意されたビールを飲む。
大川原温泉に入る。弘前で盛岡行きのバスを待つ間宴会をし、名残惜しみ、弘前の方々に見送られ帰京。
今度は横岳から行こう!
今シーズン最後のスキーと思い5月22日~23日
蝶ヶ岳
島村、月浦と残雪を期待して蝶ヶ岳に行く、天気悪く頂上まで行くがスキー使わずに戻る。
最後に
妄想を持ち続ければ、それが現実となって、少し走るかも知れないが、今度は夢となって追い続けられる。
・
「同門会覚え書」その1<“杉岳同門会”命名の頃>
中村利夫
今では「杉岳同門会」という名称でお互いに認識しているが、そもそもこの名称はどんないきさつで生ま
れたのか。
1960 年 5 月に発足した「杉並高校山岳部OB会」は当初その名称を使っていなかった。
発足の翌年、正式に決定されるまで賛否が分かれていた。いや、その数年後65年でも、「いったい、“杉
岳同門会”なのですか“杉並高校山岳部OB会”なのですか。ひとつの組織を巧妙に使い分けている。この
曖昧さが『正に崩壊寸前である OB 会』である」と菊池が指摘し、更に、「駄洒落を応用した、少々意気が
った僕の嫌いな“杉岳同門会”の名称」とまで言われた散々な状態であった。(*1)
もっとも、菊池はその 35 年後、「sangakudoumonkai」名メーリングリストを管理人として開設し、その翌
年の「長谷川杯レース」の申し込み書の所属団体名に「杉岳同門会」(書き間違いで山岳同門会としてしま
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ったが)と書いているので、今では隔世の感ということなのだが。
命名当時のメンバーは中林、神谷、松村、鳥沢、原田、天野、山下、福島、中村ら 2 期から 5 期の顔ぶれ
であった。「杉岳」の名を冠する意見を推したのは中村である。彼は頭の中に年報の名称として、日本山岳
会の年報「山岳」に模した「杉岳」(さんがく)をその時に構想していた。福島は、憧れであった早稲田大
学のOB会名「稲門山岳会」のように「門」が付くのがOB会らしくていいと主張していた。もちろん「○
○山岳会」という案も無くはなかった。ついでに言えば、その 3 年前に卒業していた杉高山岳部(当時は山
岳同好会)の創立者である神谷(2期)は、自身の「山日記」の裏表紙に、なぜか「好岳会」と書いていた。
一方、60 年代の初期から「山学同志会」に所属していた山下は「さんがく同○会」という名称に強い難色
を示した。当時、「山学同志会」を倣った「○○山学同志会」というのがいくつかあって、何かと物議をか
もしていた時代でもあったのだ。
結局のところ、「杉岳」を生かしたため「山岳」を外し、「門」を「同門」としたところが決着になった
のである。「杉岳同門会」「稲門山岳会」、特別な因縁はないが音律がよく似ているのはいたし方ないので
ある。
二つの名前の並記(括弧内に都立杉並高校山岳部OB会)は、年報『杉岳』では創刊号から 7 号(1971.5)
まで踏襲されたが、1966.4 に創刊された月報『杉岳通信』は初めから「杉岳同門会」名で発行されている。
外部向けと内部向けの使い分けではあったが、外部にも「杉岳同門会」(さんがくどうもんかい)名で一本
化したのは前述した 2000 年のメーリングリスト開設ということになる。
今でも「同門会」と言ったり「OB会」と言ったりで、特別な意識で使い分けることはないが、月報世代
以前の人は何かとこだわっていたものなのである。
中村の述懐は続く。
1990 年代後半、「杉岳通信」の発送で文京区の小さな切手売りの店に寄った時、店のおばさんが封筒の「杉
岳同門会」の名前を見て「杉並の山仲間の会ですか」と聞いてきたという。奇を衒った名でなく分りやすい
名前なのではないのだろうか。
*1.『杉岳』3 号
<別冊>
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1965.10
「杉岳同門会略年表」(2004.6 作成途上版)
山行短報<主としてeタマリより抜粋抄録>
2004年1月10日~11日 澤山 鈴鹿、御池岳
10日国民宿舎・金剛輪寺荘にて盛大な新年会
11日は御池谷より小雪の中を御池岳・鈴北岳に全員登頂(10名)。霧氷に覆われた頂上はすばらしいものでした。
2004年1月31日~1日 澤山 冬の鈴鹿・雨乞岳
31日夜甲津畑から1時間ほど歩いて幕営
1日ピストンで鈴鹿第二の高峰、雨乞岳に登頂。好天に恵まれすばらしい眺望、白山や御岳も見えた。
2004年2月21日 安岡 コソ練
2004年2月21日 宇都宮 武尊山
2004年2月22日 2月月例、源次郎岳・嵯峨塩鉱泉
参加者:中村、三田村、安岡(正・和)、菊地(一・淳・山本)、大柴、月浦、島村
2004年2月28日 宇都宮 巻機山 井戸尾根 (ニセ巻機山にて 敗退)
清水(4:50)~桜坂(6:35/6:45)~尾根上(8:00/→) ~井戸の壁上(8:45/8:55)~森林限界(10:30/10:40)~ニセ巻
機山山頂(12:30/12:45)~・(13:15:/13:30)~桜坂尾根上(14:05/14:30)~米子橋(14:45/→)~清水(15:15)
2004年2月29日 中村 土樽スキー場
2004年2月28日~29日 安藤、他6人 志賀高原:ゲレンデスキー
2004年2月28日 澤山 鈴鹿・御池岳:T字尾根
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2004年3月6日 中村、安岡(正・和)、熊谷、今村(D平)、宇都宮、月浦、しまむら
中村会長の新イデオム「拡大コソ練」土樽スキー場
2004年3月 澤山 鈴鹿・雨乞い岳
2004年3月13日 宇都宮 巻機山 (本峰リベンジ~牛が岳)
清水(3:15)~米子橋尾根取付(4:00/4:05)~桜坂尾根上(4:30/4:40) ~井戸の壁上(5:35/5:45)~ニセ巻機(7:10/
→)~巻機小屋(7:20:/7:40)~巻機本峰山頂(8:15/8:25)~牛が岳(8:50/8:55)~巻機本峰山頂(9:20/9:35)~
巻機小屋(9:50:/10:10)~ニセ巻機(10:25/10:40)~尾根上(10:50/11:05)~桜坂尾根上(11:25/11:35)~米子
橋(11:40/→)~清水(12:00)
2004年3月14日 3月月例、笹子雁ケ腹摺山・天目山温泉
参加者:中村、菊地一族(一郎・淳・山本)、安岡グループ(正・和・後藤)、熊谷、三田村、小坂家(宗・みっち
ゃん)、月浦、大柴、島村
以上14名
2004年3月20日~21日 澤山 軟弱山行「奥美濃・大日ヶ岳」行って来ました。
高鷲スノ-パ-クからゴンドラで一気に1500 M まで・・
駅のすぐ上のブナ林でテント設営。暗くなったらすぐに酒盛り。
21 日は朝から天気の恵まれ、北アの槍・穂高や御岳・白山を眺めながらほんの 30 分歩いて頂上。奥美濃の他の山々
はよく見えているのだが、同定にいたらず、「遭難騒ぎの大長山はあの辺りかナ-?」などと・・・
テントに戻ってすぐ撤収、あとは若いボ-ダ-達に混ざって、スキ-で下り、近くの湯の川温泉に入って帰阪しま
した。予想以上の軟弱山行に終始した感あり。これから病みつきになりそうです。
2004年3月21日 安藤 妙義山
松井田妙義 IC(6:20)~大ノ字(7:30)~奥ノ院(8:10)~天狗岳(9:25)~タルワキ沢ノコル(9:40)~相馬岳(10:00・
11:00)~タルワキ沢ノコル(11:15)~中間道(11:50)~妙義神社(12:30)~もみじの湯~松井田妙義 IC
2004年3月20日~21日 <<快晴の八幡平でスキーツアー!>>
3月 20 日参加者は東京から6名、宮古から2名、現地合流の弘前組4名と総勢12名の大パーティーでした。
●東京参加者:安岡(正・和)、宇都宮、月浦、大柴、しまむら
●宮古参加者:真山長姉ご夫婦
●弘前参加者:坂本不二子(9期)さんとタカさんご夫婦、渡辺あや子さん、柳子さん。
山荘からめと鼻の先の岩手山スキー場で足慣らしスキーを楽しみました。
翌日 21 日、大快晴。3台の車に分乗し八幡平スキーツアー
2004年3月27日~28日 山崎さん(10期)といく北八ヶ岳彷徨の旅
ピラタスロープウェイ~麦草峠~丸山~高見石(泊)高見石~渋の湯
参加者:中村、山崎、安岡(正)、今村、島村
2004年3月28日 宇都宮 ショートスキー (パルコール嬬恋ゴンドラ~四阿山山頂~あづまや高原)
パルコールゴンドラ終点(8:50)~2183ピーク手前(9:55/→)~2332ピーク手前肩(10:10/10:25)~四阿山山頂(10:50/11:15)
~里宮付近(11:30/→)~牧草地上 1700 ぐらい(11:55:/12:05)~あづまや高原ホテル(12:25)
2004年4月4日 雨の日家での花見酒 島村、石丸、末光、眞山(友)、安岡×3、山本、大柴、宇都宮、月浦
2004年4月 土屋 鹿島槍北壁の正面ルンゼ
2004年4月11日 安岡(正・和)、宇都宮、月浦 日白山
2004年4月12日~18日 澤山、KUACのOBマレ-シアの高峰・キナバル山
高山障害は何も起こらない自身の体に感激!
さすがに世界遺産の山、環境設備などすばらしく、日本でも見習うところが多々あるように感じました。
2004年4月18日 中村、安岡(正・和)、五郎山
2004年4月24日 4月例、本社ヶ丸
参加者:中村、菊池組(一・和・淳)、安岡(正・和)、熊谷、三田村、大柴、後藤、月浦、島村
上期最終の汁パーテイとなる今回の山も快晴無風の本社ヶ丸頂上にて滞りなく実施され、楽しい早春のハイキング
となりました。
2004年4月30日 安岡(正)、月浦 至仏山
2004年4月29日 小坂、中村 新潟・明星山(ミョウジサン1189m)
長岡=糸魚川=小滝・関地区ー明星山(往復)
2004年4月30日 中村 新潟・角田山(482m)、弥彦山(634m)
2004年5月1日 小坂、中村 城郭朝日山(1448m)・・・・・前掲
2004年5月1日 澤山 6名で双六岳に行って来ました。
4月30日出発:中尾温泉民宿「つくしんぼ」泊
5月1日:左俣林道~シラビソ小屋~弓折岳~双六小屋
5月2日:周辺を散策、双六小屋連泊
5月3日:来た道を下山、帰阪
最高の天気に恵まれて春山を十分楽しんで来ました。今回フリ-トレックを持参、弓折頂上から槍・穂高を見なが
らの滑降はすばらしいものでした。いよいよ山スキ-にはまりそうです。
2004年5月2日、5日 岩木山・櫛ヶ峰
5月2日から5日まで4日間、弘前 坂本不二子先輩宅にお邪魔し現地の皆様と親睦交流、山菜取り、スキー(2
箇所)と豪勢なGWを楽しんできました。
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弘前組:坂本家ご夫婦(タカさん・フーコさん)、綾子さん、 柳子さん、マークさん
東京組:安岡(正・和)、島村+4日夜から月浦
2004年5月3日~4日 菊池(一、淳) 和名倉山(白石山)
奥秩父の 和名倉山(白石山)へ行ってきました。天気が崩れるのは了解の上で出かけたのですが、吹き上げの頭と
言うところで(名前からしてもヤバソウ)ツエルトを張ったところ、1晩中強風と雨で苦しめられました。私は寝ず
にシラフカバー1枚で震えながらツエルトを抑えているのに、淳は冬用シラフでゴーゴーと唸る風の中、のうのうと
寝てました。
4日朝、早々に引き上げかけたのですが、木の陰に入ると風雨は弱く感じられたので、軟弱にも方針を二転三転、
頂上へ向かいました。40分で頂上でした。
連休中、新ハイ誌のバックナンバーを見ていたら、奥秩父の秘峰とか久恋の山など形容されている山に和名倉があ
りました。小坂氏が冬に行ったとも聞いたような気がしたので、発作的に出かけた次第です。連休のラッシュを避け
て、しかも最短距離を車で、笹尾根の裾を通る藤野、小菅ラインを使うと、自宅から 2 時間で上り口の一の瀬高原へ
行けます。
3 日:八王子発:3日7時50分→一の瀬高原発:10時15分→将監小屋発:11時50分→神の土:12時15
分→吹き上げ:2時40分(幕場)
4 日幕場発:6時50分→白石山:7時30分~45分→神の土:10時45分→将監峠小屋:11時10分
2004年5月22日~23日 安岡(10期)、月浦(23期)、島村(11期) 蝶ヶ岳
2004年5月29日~30日 5月月例 八ケ岳懇親会(第2回)
参加者:<大阪>澤山、猪熊(DTFA東京・広報、KUAC/OB)、<名古屋>山崎(隆志、敬子)、
<東京>菊池(一郎、淳)、山本(和子)、安岡(正俊、和子)、石丸、大柴(悠子)、三田村、中村
2004年5月29日 小坂 五郎山
2004年6月13日 菊池(一郎、淳)、山本(和子) 宮ヶ瀬より丹沢山手前の高畑山(766m)
K2「梅雨払い」
6月11日
18:31~21:00
参加者:小坂、中村、安岡、石丸、月浦、宇都宮
旧部報や年報「杉岳」各号の譲渡も行なわれたため、昔の話がたくさん、「一の俣鮮血事件」
「八ヶ岳雪崩れ事件」等も。なお、月浦より最近の山行の写真アルバムとしてCD‐Rが各人に配ら
れました。(中村・記)
会
員
動
静
☆安藤です
新住所
〒857-0047
長崎県佐世保市矢岳町 7-18
TEL 0956-25-3254
こちらは東京に比べ、日の出・日の入が約1時間遅れます。夕方まだ4時頃かと思っていたら5時・6時
という具合です。
坂道の多い町ですので、下の通りから自宅まで74段の階段を登らなければなりません。トレーニングに
はなりますが、常時となると閉口します。
☆川合です
4月の異動で那須カラオケ道場を閉鎖いたしました。2年続けて温泉宴会登山でのご利用誠に有難うござ
いました。この度新しく福岡県にカラオケルーム付きの道場を開設いたしましたのでお知らせします。
今度は深夜まで周りに気兼ねなく騒げますのでどうぞ安心してお越しください。と言ってもちと遠過ぎま
すかね?
新しい職場は国民宿舎「マリンテラスあしや」と言って休暇村が経営受託している施設になります。響灘
を見下ろす絶景の地にあります。九州遠征の折には是非お立ち寄りください。ウマーイ魚を用意していま
す。
職場
国民宿舎「マリンテラスあしや」
〒807-0141 福岡県遠賀郡芦屋町山鹿1588
TEL 093-223-1081
11
自宅
〒807-0112 福岡県遠賀郡芦屋町正門町2-24 サニーコートあしやA201
TEL 093-222-273
☆熊谷です(大阪支部へ)
土曜、日曜と引越し荷物つくりを行いました。今日狭山から荷物をだし明日大阪で受け取りです。4t車1
台まるまるくらいの荷物になってしまいました。ところで来週の山崎さんと行く北八はそんな訳で行けそ
うにありません、5月の杉岳荘集合には大阪支部員として参加したいとおもっています。
☆澤山(住所変更)
〒545-0003 大阪市阿倍野区美章園3-1-7-1404
TEL:06-6629-3625
☆石垣@23期です。
この春、14年6ヶ月暮らした砧から、桃井4丁目に引っ越ししました。青梅街道の日産自動車工場跡地のす
ぐ傍です。ようやく落ち着いてきましたので、同門会の月例山行にも秋の部からは参加できれば、と思っ
ています。(体力が心配ですが...)
(新住所)
〒167-0034 杉並区桃井4-11-23
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編集後記:梅雨空いかがお過ごしですか。
梅雨はいやですね。
急に話が変わりますが、
年金問題が、世の中で話題になっています。
アルピニストは年金支払っていますかね、山野井なんか払っていますかね。
急に変な絵を出します。
クイズこの2人は誰でしょう。
急に話が変わりますが、
澤山さんの友達(工学院山岳部の1年後輩)の猪熊さん体重120k、現役の時も90kとのことです。
山登りでの減量。どうも信じられなくなりました。
急に話が変わりますが、
去年の冷夏。今年は暑そう。
皆さん、どこに行きますか。
急に話が変わりますが、
庭のセンダンの木花が咲いたと思ったら、もう実を付けています。
毎朝、カラスがうるさく鳴きだします。
その頃、新聞配達が来ます。我家のポスト具合が悪く、新聞を入れる時、ガタガタと騒ぎます。
井の頭公園の緑、この前の雨でまた綺麗になりました。
池の上の白い雲、緑が黒くなる前に自分の緑を残す帰り道に、
焼酎2杯。
繰り返し。(門)
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