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『ノートル=ダム・ド・パリ』における石の詩学

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『ノートル=ダム・ド・パリ』における石の詩学
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『ノートル=ダム・ド・パリ』における石の詩学 : ピエール・パヴェ・パリ
小潟, 昭夫(Ogata, Akio)
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.44, (1982. 12) ,p.105- 121
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00440001
-0105
ヴ
における石の詩学
けりノ flili− −
昭
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潟
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﹁ノ!トル uダム
ノ
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夫
ユゴlにとって海はエクリチュ!ルの原動力とも一一一一口うべき
さらに﹃ノlトル川ダム﹄では都市空間そのものがエクリチュl
の区分によって、パリの都市空間を記述していくが、海だけではなく人体構造、人間の形姿や皮膚、さらに樹木、大樹
ートル Hダムの塔から見下したパリの記号論的エクリチュ l ルで、 ユ ゴ ー は こ こ で 中 の 島 、 大 学 区 、 市 街 区 と い う 三 つ
シテユニヴエルシアヴイル
ルの対象空間と化している。﹃レ・ミゼラプル﹄の﹁巨獣のはらわた﹂のプロローグともいえる﹁パリ鳥敵﹂の章は、ノ
群集だけではなくパリという都市の隠聡でもあるが、
力を担った原イメージで、 いわばエクリチュ l ルにおける隠除体系に君臨している。海の拡がり、海の動き、海の波は
りつく川、渦、滝、そして寄せては砕ける波と化すように
り、作者がその様子を﹁海の様相﹂を呈していると書くと、 た ち ま ち の う ち に 群 集 は 生 気 づ い て 、 水 の 流 れ 、 湖 に た ど
﹃ノlトル Hダ ム ・ ド ・ パ リ ﹄ の 冒 頭 は 、 群 集 が 裁 判 所 の 大 広 間 へ 聖 史 劇 を 見 る た め に ぞ ろ ぞ ろ と 歩 い て い く 場 面 で あ
ーーーピ
。
ド
ノ
レ
ハチの巣、動物の群、巨大な怪物といった隠除を駆使して、有機体としての、複雑に錯綜した迷宮としての、上か
-105ー
コ
ニ
ら見た、都市の姿を呈示している。ことに大祭日の朝、 い っ せ い 鳴 り 響 く パ リ 中 の 無 数 の 教 会 の 鐘 の 音 の 交 響 楽 ︵ 高 さ
林
百メートルの石のフルートのなかで歌うこの一万もの青銅の声﹂︶ を描破した箇所は、聴覚的イメージによって表した
コレスポンダンス
と言え、 ボ lドレ i ル の 照 応 の 詩 学 の 先 駆 け に な っ て お り 、
ハリのヴィジョン ︵﹁耳にも物が見える﹂︵一五O
︶
︶
ボルテージュの高い詩的散文であろう。 この章で著者が都市に観たものは、人の群れ、無数に集まった塔の群れ、町家
の群れ、 屋根が積み重ねられた群れであり、 その審美的な光景に他ならないが︵﹁気球に乗って空からパリを見おろし
たばあい、この都市はきっとわれわれの目の下に、美しい豊かな線や、数かぎりない細部のおもしろさや千差万別な眺
めや、 また碁盤を思わせるようなあの何かしら壮大な簡素さや、 思いもかけぬ美しさを繰り広げることであろう﹂︵
ユゴーが﹃ノ lトル日ダム・ド・パリ﹄という小説
四九︶︶、 ユ
ゴ lは読者の想像力に訴えて、中世のパリの街の姿を歴史的記述を混ぜながら描いていく。
ところで伝記的歴史的事実がわれわれに教えるところによれば、
一八三O年七月二十五日のことであり、 その二日
ノートル川ダム大聖堂の塔
の創作に、﹁さながら牢獄の中に入るように﹂没入していったのは、
後に七月革命が没発し、 まさにパリの街は暴徒でひしめき、 血生臭い戦いが繰り拡げられ、
中の島の上の空はまっ赤になっている﹂﹁:::陛下。
にも三色旗が翻っていたのである。﹁陛下!陛下!パリには人民の暴動が起きておりますぞ!﹂﹁このうるわしのパリ
の都で、民衆が何か騒ぎでも起こしたというのかね?﹂﹁おお!
でもそれは民衆の﹃時﹄がまだきていないからなのです﹂﹁どのようにするのかね、暴動を起こすには?﹂﹁まず、市民
たちに不平をもたせなければなりません:::﹂ ︵四六二|四七七︶といったルイ十一世とコプノ l ルとの対話に出会う
と、物語と現実、 エクリチュ l ルの時と歴史の時との平行関係を想起せざるを得ないが、 ジャック・セパシェ教授も指
摘するように、歴史小説というジャンルのおかげで、予言的次元にイロニーを与えるあの距離と後退を獲得しており、
道化的カ l ニヴァル的イロニ lに色付けられた欠落の体系、移動の体系、省略の体系こそ、﹃ノ lトル日ダム﹄の小説体
-106ー
系であり、歴史は未完なものであり、歴史の全体化はまだ時機尚早であることを暗示しているというわけだ。
海で始まるこの小説の大団円が、 ノートル Hダ ム 大 聖 堂 で カ ジ モ ド が 起 こ し た 火 事 の 場 面 で あ る こ と を 想 う と 、 こ の
小説は﹁水﹂に始まり﹁火﹂で終る小説であり、 ま た 大 聖 堂 の 塔 と 塔 の あ い だ か ら 落 下 す る 石 こ ろ の イ メ ー ジ か ら 考 え
ると、水平的な動きから垂直的な動きへと向う物語である。波のように流される受動的な群集から炎のように燃え上が
やがて鉱夫たちが反徒と化し、 最後はハン自身が牢獄に火事を起して自殺する、﹁水﹂から﹁火﹂
る能動的な群集へと変貌した民衆の書である。すでに﹃アイスランドのハン﹄では、海辺に引きあげられた死体を取り
囲む群集で始まり、
ハ
2
︶
への物語であったと言え、﹃ハン﹄と﹃ノ l トルリダム﹄とのあいだに同じ仕組みを見ないわけにはいかず、いわばユゴ
!の小説にコンスタントにあらわれる原型的イメージである。そうすると、われわれはこの小説を歴史的現実との関係
ウlヴ ル ス
l ヴル
で読む方法だけにくみするわけにはいかず、作品︵テグスト︶ の 内 部 分 析 あ る い は 作 品 と 作 品 と の 重 ね 合 わ せ に よ る 解
読行為に向わざるを得ない。作品は自己開示するのだ。
ピエール
ピエ i ル
﹃
ノ l トル Uダム・ド・パリ﹄は、巨大な石造の交響楽ともいえる大聖常を中心に展開する物語である。
ピエ l ル ・ デ マ ン ヴ ウ ト パ ヴ エ
か つ て 女 を 愛 し 動 物 を 愛 し た が 今 で は 石 を 愛 す る ピ エ l ル・グランゴワ i ルは、ピエ l ル・コルネイユばりの劇作
家で﹁パリの街路の実践哲学者﹂であるが、二つの磁石にひっぱられて、上と下、天井と敷石、落下と上昇、天頂
と天底のあいだで永遠にふわふわ浮いている中間存在である。反ユゴl的作中人物ピエlルは、夜のパリの街路地で、
宝石のエメラルドまがいの大きな緑色のガラス玉のついた小袋を大事にしているエスメラルダというジプシー女
ピエール・プレシューズ
のあとをつけるが、彼女にふくれつつらをされ、それでも敷石を数えながらついてゆく、放浪の民である。六つのとき
-107-
オム・トヲツケ
バヴエピエ・−一ユ
か ら み な し ご に な っ て パ リ の 舗 道 を は だ し で う ろ つ い て い た ピ エ i ルは、パリの夜の街の発見者であるし、湾同予でも
あるし、追跡される男でもある。カジモドに張りとばされ、気がついたときには︵体が敷石に触れて冷えびえしていたの
ガマ
L
ピエール
で︶パリのどぷで寝ていたが﹁パリのどろはとびきり臭い。揮発性の窒素性塩分を多量に含んでいるに違いな川一と思
う。。ハリの舗道をうろついている浮浪児たちに学校帰りの少年は石ころを投げつけられたものだが ︵浮浪児は路地空
︵
4 ︶−フピヲントリユエルカルフ
lル キ ユ ル ・ ド ・ サ ッ ク
間の王様だ︶ 藁ぶとんを投げられ火をつけられそうになったピエ i ルは逃げだし、﹁まるでネコが糸かせをひっかきま
わしたみたいにこんがらかっている﹂迷宮みたいな路地や四つ辻や袋小路、﹁しごく論理の欠けた﹂街をぐるぐる歩
きまわっていると、 いざりやびっこやめくらに出会い、敷石の上に松葉杖やおわんの音をガチャガチャさせながら息せ
ききって閣の中から現われ、﹁お恵下され!﹂と追ってくるので、﹁まるでバベルの塔だな﹂と叫ぶが、辿り着く奇跡御
ピエ l ルの歩行の行程は﹃ノ lトル日ダム﹄ の物語の行
殿の光景は悪夢の光景であり、地獄の首都の光景であり、 ひっきょうユゴ l自身の夢の空間に他ならない。道化役者ピ
エールの歩みは物語を導く牽引車の役割を担っているといえ、
フェピュスがエスメラルダを救う隣りの四つ辻︶、広場は歩行物語の出
プヲIス
程になっているだろう。曲がり角や四つ辻は作中人物が消えたり現われたりする、 いわば歩行物語の分節点であり︵エ
スメラルダがカジモドにさらわれる曲がり角、
発点であり到達点であり、作中人物が踊ったり群集が群がる祝祭空間で、価値の転倒︵ばか祭りのばか法王カジモドや
ピエ l ルの歩行行程は、 裁判所の大広間←サント日シャベル礼拝堂の牢獄の小窓の下←
宿なしのノ lトル Hダ ム の エ ス メ ラ ル ダ ︶ や 暴 動 の 準 備 ︵ 陰 謀 家 ピ エ l ルは宿なしたちに暴動をそそのかす︶ の特権的
空間であろう。 いずれにせよ、
シャンジュ橋←川ベり←中の島の西の突端←グレ lヴ広場←ク lテルリ通り←路地・四つ辻・袋小路←市場のさらし台
←ヴェルドレ通り←マリア像のあるそ l コンセイユ通りのどぶ←路地・袋小路・四つ、辻←中央市場の曲がりくねった舗
-108ー
7
ル・デ・ミラクル︵第二編︶︵裁判官
ヲl
道 ← 舗 装 さ れ な い 坂 道 ← 奇 跡 御 殿 ← エ ス メ ラ ル ダ の 小 さ な 部 屋 ← ノ lト ル 日 ダ ム の 広 場 ← 大 聖 堂 内 ← ト ゥ i ル ネ ル 裁
クル︵ルイ
と対話︶︵クロードとの対話︶クール・デ・:
判 所 ︵ 大 広 間 ︶ ← サ ン ・ ジ ェ ル マ ン Hロ l セ ロ ワ ︵ フ ォ ー ル 川 レ ヴ ェ i ク 邸 ︶ ← ベ ル ナ ル ダ ン 通 り ← 奇 跡 御 殿 ← パ ス チ
十一世との対話︶︵クロードと会う︶シテ
ーユ城←サン uタ ン ト ワ l ヌ 通 り ← ボ l ド ワ イ エ 門 ← 中 の 島 ← ノ l ト ル Hダ ム 大 聖 堂 ← 中 庭 ← セ l ヌ 河 ← ポ Hロリフォワン
︵クロードと別れる︶
船着場←グル一一エ Hシュルリロ l通り︵ここにピエ l ルの部屋がある︶ となっているように、 ハリの舗道を訪復うピエ l
ル は 曲 が り く ね っ た 水 平 運 動 に 身 を ま か す が 、 注 目 す べ き こ と は 物 語 を 引 っ ぱ っ て い く ピ エ l ルがエスメラルダとクロ
!ド・フロロとの、暴徒と権力との媒介的な存在であり、最下層の宿なしたちの住家﹁奇跡御殿﹂と荘厳で崇高な建造
物﹁ノ lトル日ダム大聖堂﹂ とのあいだを往還する中間存在であるということである。 さらにピエ l ルが夢想しながら
ひとり歩いていると市民たちの会話を耳にしたり、あるいはピエ l ルがクロードと出会って歩きながら対話をするよう
に、街路を歩くことは夢想や独自や対話の発生を促がす原動力であり、 エ ク リ チ ュ l ル の 運 動 そ の も の で あ る 。 ピ エ l
デリユム・マルシャントポエツト・ダン・ラ・リユ
ルは歩く羽根ベンであり、路上の詩人である。
﹃アイスランドのハン﹄における軽
他方、 ノートル日ダム大聖堂の塔を登り降りするクロード・フロロは、 ピエ 1 ルとは対照的に、垂直運動に身を投ず。
劇 作 家 で お し ゃ べ り 詩 人 の ピ エ l ル に 対 し て 、 司教補佐で錬金術師のクロードは、
薄で皮肉屋のフレデリックに対する真面目で情熱家のオルドネlルのように、軟派のユゴlに対する硬派のユゴーであ
ろう。クロードは﹁きびしい、きまじめな、気むずかしい聖職者﹂﹁威厳のある、 陰気な人物﹂であるが、 弟のジャン
は﹁怠惰と、無知と、道楽﹂をむさぼり﹁まったくふしだらな、 しようのないやっ﹂で、 いわばまともな都会生活から落
あり
いよ
パリの舗道はいいな!
ヤが
コたブ
の。
梯子をのぼる天使たちでも息を
バヴエ
ち こ ぼ れ た 学 生 で 奇 跡 御 殿 の 仲 間 入 り を す る 。 大 聖 堂 の 独 房 で 錬 金 術 に 耽 け る 兄 に 無 心 す る ジ ャ ン は ノ iトル日ダムの
塔から階段を降りて言う。﹁ああ!
-109-
パヴエエスカリエ
きらしてしまいそうな、 いやな階段だ!﹂︵二九九︶水平的舗道に対する垂直的階段は学生ジャンに対する聖職者クロ!
ド・ブロロの内面を外在化した都市空間に他ならない。しかしクロードが担う信仰、学問、権力という絶対は、民衆の
聖処女エスメラルダというジプシー娘に破壊され、司教補佐の従順な奴隷カジモドに大聖堂から突き落とされる。ピエ
ール・グランゴワlルのパリが街路の位置から、つまり敷石すれすれから見たパリの街の姿であるのに対して、クロ!
ド・フロロのパリはノlトル川ダム大聖堂の高みから下を見下す烏敵的なパリの姿である。 ことに、 大聖堂の塔から、
日の存在であり、 存在の目である。﹁くぼん
パリの街の、 ノートル日ダムの広場の、群集のなかの、ジプシー娘エスメラルダに注ぐクロードの目は、トピやワシとい
った鳥の日であり、 いわばクロードの存在は眼差しとしての存在であり、
だその目には不思議な若々しさと、燃えるような生気と深い情熱がきらめいている。男の日はじっとジプシー娘に注が
れたまま離れない。この男は何か暗い物思いにだんだん深く沈みこんでいくようだつた﹂︵七三︶﹁ときどき目がきらき
ら光り、 まるで大かまどの腹にあけた穴みたいになることがあるが、 いったい心の中にどんな火が燃えているのだろう
?﹂︵一七四︶だが、﹁炎のようなまなさし﹂を持ち、﹁ただ目だけが生きているばかりの﹂クロード・フロロも、実は
石の男である。弟ジャンとフェピュスの後をつけていくクロードは﹁像が歩きだすといおうか、この化石のような男﹂
ピエール
で、影の男、石像そのものの、見知らぬ男、正体を隠している男、 ひとことも口をきかない男、 フェピュスとファル!
ピエール
ルデルの連れ込み宿へ行くときも、エスメラルダを大聖堂から救いいっしょに舟で逃れるときも、正体をあらわさず、
化石のような微笑で、﹁死人の手のように凍って﹂いて、﹁司教は敷石の上を流れる水の中でのたうちまわり、石の階段
のかどに頭蓋骨を打ちつけた﹂︵三五O︶﹁化石のようなクロード・ブロロ﹂︵三五二グレ lヴ広場の絞首台を見やる司
教補佐は﹁墓の彫像﹂である。﹁このわしは、自分の心の中に牢獄をいだいているのだ﹂︵三四九︶クロードにとって牢獄
n
u
とは、内部にかかえた牢獄であり、この内面化された牢獄感覚のイマジュリ lは、冬であり氷であり絶望であり夜である
が、同時に、すでに指摘しように﹁牢獄の中に入るように﹂この小説の中に没入したユゴ!のエクリチュ lル空間である。
﹁中世においては、建築物が完全にできあがった、 というときには、地上にある部分とほとんど同じだけのものが地
下にあったのである:::光溢れ、 オルガンと鐘の音が響きわたる地上の本堂の下に、低く、暗い、神秘的な、目もなけ
ぜエール
れば声も出さないもう一つの大聖堂があった。﹂︵三三七︶地下にはびこった根のような地下の建物は、墓や牢獄の機能を
果たしていた。死刑囚を監禁した漏斗状の地下牢。﹁囚人は人間と白分とのあいだに、石の牢番とが一つの塊りとなっ
て頭の上に押しかぶさっているのを感じる。﹂︵一三二八︶こうした混沌とした泥沼と閣の中で冷たい水に浸されたエスメ
ラルダといい、 ロラン塔の墓のような穴ぐらにこもっているパケット・ラ・シャントブル lリ ︵実はエスメ一フルダの実
母︶といい、都市のネガティヴを生きている。パケット・ラ・シャントフル lリの落ちぶれ物語は、﹃レ・ミゼラプル﹄
のフアンチ i ヌの物語の原型になるだろうが、﹁石造りの穴ぐらといっしょに石になってしまった﹂老婆パケットは、
古い建物の部厚い壁に固まれた、 まるで墓みたいな穴ぐら、﹁家と墓、墓と都会とをつなぐ鎖の輪にもたとえられるこ
ダルピエールピエール
うした恐ろしい小部屋﹂に生涯、隠遁している。肉体と石の二重の包皮の下で苦しむ隠遁者、都市のまん中で閉じこ
ヴイヴアン
もって生活するおこもりさんは、﹁額が石畳にぶつかって、石と石とがかち合ったような音を﹂立てる、すでに生き
レエルファンタスチックピエール
ながらえた死者同然である。﹁ゴヤの奇怪な絵によくでてくる、光と影と半々でできた幽霊﹂で、﹁影と光がまじりあう
パヴエ
ように、現実と空想とがまじりあってできる幻みたいなもの﹂こそ、エスメラルダの母にほかならず、石の絞首台
パヴエピエール
に連れだされた娘を抱きしめたが、引きはなされ、敷石の上にうずくまり、再度立ちあがって死刑執行人にかみついた
が、敷石の上に突きとばされ、頭を石に打って死んだ。
クロードにせよパケットにせよ、 さらにエスメラルダにせよ、牢獄や独房に閉じ込められた点で、
ユ
ゴ l のサディツ
ユゴ!の二元論的なヴィジョンにあって、 エクリチュ l ルの空間的かつ劇的な次元を保証する作品の原 基と
クなまでの幽閉願望︵すなわちマゾヒスム︶ を 具 現 し て い る が 、 深 淵 、 牢 獄 、 地 下 牢 、 洞 穴 、 地 水 道 と い っ た 地 獄 の イ
メiジは、
クール・デ・ミヲヲル
してのイメージに他ならず、またネガティヴからボジティヴへ、ポジティヴからネガティヴへと価値が転換する場として
の イ メ ー ジ な の で あ る 。 奇 跡 御 殿 は ピ エ l ル ・ グ ラ ン ゴ ワ i ル に と っ て 死 刑 に 処 せ ら れ そ う な 地 獄 で あ る が 、 エスメ
ラ ル ダ が 救 っ て く れ 、 ﹁ 地 獄 か ら 天 国 ﹂ に 連 れ も ど さ れ る 場 と な る 。 聖 職 者 の 独 房 の 窓 か ら 見 お ろ し た ノ lトル川ダム大
聖堂の広場で大陽の光に輝いて踊っているエスメラルダは、 クロードにとって﹁地獄の天使﹂﹁炎の天使﹂であって、﹁光
明の天使﹂ではなかった。 エスメラルダが地獄からやってきたと思うクロードの内部での崩壊感覚は、﹁地獄の坂の上に
さしかかって、 どうして車を止めることができようか?﹂︵一一一四七︶ と い う よ う に 、 群 集 の な か か ら 、 玄 関 や 街 角 で 、 塔
エスメラルダが処刑される絞首台のほうへ ﹁暗く兇暴な
の上から、 フェビュスとエスメラルダの逢引の様子を隣室から、 い た る と こ ろ か ら 制 き み る ク ロ ー ド は ﹁ ま る で 猛 禽 類
のような目をぎらぎらさせて﹂﹁のろわれた者のまなざし﹂で、
マシ l ヌ・アンフエルナル
目っき﹂で見るという宿命にとらえられる。﹁おまえをとらえ、このわしがひそかに作っておいた機械の恐ろしい歯車に
おまえをかけたのは、 まさに宿命なのだ﹂︵三四八︶地獄の機械、陰謀こそクロード・ブロロの宿命である。 エスメラ
﹁そのひ
ルダがカジモドに救いだされ、 避 難 所 で あ る ノ l ト ル Hダム大聖堂に隠れ込んだとき﹁司教補佐は大聖堂を逃げだし、
大学区の起伏の多い通りへ入り、 男 女 の 群 れ が 魔 女 エ ス メ ラ ル ダ が 吊 る さ れ る の を 見 た さ に 急 い で い る の に 、
とびとにひと足ごとにぶつかり、青ざめ、 とりみだし:::たけり狂った姿で歩いていた:::うしろを振り返って、大学
区のいくつもの塔をとりまく壁や市外のまばらな家々が見えるあいだは逃げつづけた。﹂﹁こうして日暮れまで畑のあい
“
ヮ
だを駆けつ、つけた。自然や人生や自分自身や人間や神など、あらゆるものから一日じゅう逃げつづけたのだ﹂︵三七八︶
都市空間が異様な幻想空間と化す。 ﹁物の姿がみなゆらゆらと揺らいで見える﹂ゆえに、空と川の二つの
クロードの逃避行は、 まさに神の目を恐れる兄弟殺しカインのそれを想起させるが、再びセ l ヌ河の川岸にもどってき
たときには
夕暮れの薄暗がりの頭上に消えていく巨大な尖塔を見あげるような感じ﹂で、
﹁このセ l ヌ左岸の鐘楼のほ
白い面とは別にのびているこの黒い大きな方尖塔のような川岸は﹁ちょうどストラスプール大聖堂の鐘楼の足もとで寝
そべって、
L
︵三八O︶ まさに﹁バベルの塔﹂ であり、 頭の中で絶望の嵐が吹き荒れているクロードの眼には川に治
うは八千メートルもの高さをもち何かしら前代未聞で、巨大で、広大無辺なもの、人の目にはいままでけっしてみたこ
とのない建物
って横わる街のぎざぎざした姿は﹁地獄の鐘楼﹂にみえ、無数のあかりは﹁巨大なかまどの火口﹂に見え、通行人は﹁亡
霊﹂に見え、物の姿は判然とせず、 はじの方は互いに溶けあいながら混沌としていたのである。パリの街の陰画、事物
の裏側、地獄の光景としてのバリのイメージであり、垂直化したクロード化したバリの姿である。
他方、パリの群集はエスメラルダの処刑場面を見にグレ lヴ広場に集まっているが、﹁まるで砲兵工廠につまれた弾
丸の山のように、何千という人たちの頭が積みかさなって見える﹂︵三六四︶し、﹁ネズミ色をしていて、汚らわしく、
泥だらけ﹂の感じで、﹁満足そうなざわめき﹂を起こし、 好奇心の日と歓呼の声を示している。 グレ lヴ広場に集まる
群集のイメージはすでに﹃アイスランドのハン﹄︵一八二三︶ や﹃死刑囚最後の日﹄︵一八二九︶ で描かれ、ことに後者
ゴ lにおける﹁群集﹂は処刑場へ向かう群集によって意識化され、
では死刑囚から見た群集を浮彫りにしていたが、 ユ
問題化され、作品化され、同時に死刑廃止論へ向かわせる契機ともなっているのだ。群集の目から死刑囚エスメラルダ
を奪った醜いせむし男カジモドの姿は﹁実に美しかった﹂とユゴ lが書くとき、 それは作者ユゴ iの審美的倫理的要請
に他ならない。﹁孤児であり、捨て子であり、
人間のくずであるこの男が
ふう
堂々として強者の風があることを自らも感
じた。彼は、自分を見向いてもくれないこうした民衆を、 い ま や 真 正 面 か ら な が め た の だ 。 堂 々 と 民 衆 の 中 に 乗 り こ ん
でいって、人間どもに干渉し、人間の裁判からその餌食を奪ったのだ。警吏、裁判官、死刑執行人、そしてあらゆる国
一方は肉体的に不幸な存在、他方は社会的に不幸な存在だが、互いに触れ合
王 の 権 力 を 、 こ の 最 下 層 の 人 間 が 神 の 加 護 に よ っ て 、 叩 き つ け て し ま っ た の だ に ︵ 三 七 三 頁 ︶ カジモドも捨て子ならば
エスメラルダも孤児で、二人の孤児は、
カゾモドピエール
い、助け合う姿は、すでにジャン・ヴァルジャンとコゼットとの物語を準備する、感動的な場面であろう。
ピエール
この生まれつきかたわで、素性もわからぬ二重の宿命を背負った、ほぼ人間の形をしたカジモドにも、石願望があ
lル
る。大聖堂の奇怪な彫像に向かって﹁ああ!おれもおまえのように石でできていたらよかったのになあ!﹂︵三九五︶
ピエ l ル ピ ヱ
というカジモドは石の上で寝ているが、カジモドと石の大聖堂とのあいだには﹁不思議で、まえの世から存在して
いたような一種の調和﹂があり、 カジモドにとって大聖常は成長するにつれて﹁卵となり、巣となり、家となり、
国
L
があり、
﹁ざらざらした大聖堂はカジモドの叩ら﹂である。
へピやト
この愛馬を愛撫し、 とびっき、﹁青銅の
﹁半人半鐘の奇怪なケンタウロス﹂になる。﹁ノlトル Hダ ム の す べ て の 石 に 生 気 を 与 え 、 こ の 古 い が 聖 堂 の 奥 ま っ た
ち、胸は鍛治屋のふいごみたいな音をたて、目は炎を吹きだし、怪物じみた鏡は彼の体の下であえぎながらいななく﹂
怪物の耳をつかみ、両ひざで胴を締めあげ、両方のかかとで拍車をかけ﹂ると、鐘の響きは激くなり﹁赤毛はさかだ
える建物である。 マリやジャクリlヌと名のついた大鐘はカジモドの恋人で、
カ ゲ や カ タ ツ ム リ や カ メ や サ ル や カ モ シ カ に 比 除 さ れ る カ ジ モ ド に と っ て 大 聖 堂 は 大 同 然 で あ り 、 いわば﹁母﹂とも言
能的な交感や磁気的な親和力や物質的な類似性
となり、宇宙となった﹂ので、建物に似てき、 い わ ば 建 物 に 象 眼 さ れ て そ の 一 部 に な っ た の で あ り 、 両 者 に は ﹁ 深 い 本
祖
S 斗4
場所場所を息づかせている﹂︵一六一ー一六七︶このサチロスのような生︵性︶の過剰を示すエロチックなカジモドもユ
ゴーその人を訪綿とさせるではないか。
石造の巨人を攻撃してでもいるような
このノlトルリダム大聖堂に群集が押し寄せて来る。ぼろ着をまとった男女の一群が鎌や、槍や、詑や、鉾を持って、
ピエ l ル
広場に波打って来る。﹁まるで幾千という足をもった怪獣が、 頭を低くたれて、
気がしてくるのだった﹂ ︵四三八︶すると、 ノ ー ト ル 日 ダ ム の 塔 の 高 み か ら 石 こ ろ が 一 つ 一 つ 落 ち て き て 暴 徒 た ち の 頭
に一撃を喰わす。 石 膏 の 箭 屑 や 石 や 切 石 や 石 工 の 道 具 袋 な ど を 積 み 上 げ た の で 、 暴 徒 が 大 門 を 打 ち こ わ し は じ め た か
しー
υ リ
﹁まるで
梯子さらにエスメラルダの処刑の梯子に到るまで、さらし台に関係しており、作中人物は段の高みで無垢なる罪人とし
ピ
てしまう。ジャック・セパシエが指摘するように、この小説の梯子は、グランゴワ i ル の 芝 居 に 役 立 つ 梯 子 か ら ジ ャ ン の
つくや、 カ ジ モ ド に よ っ て 浮 浪 人 ど も が 鈴 な り に な っ て い た 梯 子 は 引 き 離 さ れ て 円 孤 を え が い て 敷 石 の 上 に ど っ と 倒 れ
鋼鉄の鱗をもったへピが大聖堂の壁を這っているように見えた﹂︵四四六︶ のだが、 ジャンが同廊のバルコニーにたどり
に立てかけられた梯子に司教補佐の弟ジャン・フロロが先頭にのぼり、あとに続く浮浪人たちも鎧を着こんで﹁まるで
ム・ド・パリ﹄という作品のアレゴリーにさえなっているように思われる。ことに側面の玄関の上の下側の回廊の欄干
く、迫力のある光景になっているが、石の山と同様に死骸の山が積み重ねられるイマジュリiはこの﹃ノiトル日ダ
炎の錐のように彼らの頭蓋骨の中に入っていった。﹂この目方の重い火の落下のイメージはこの小説の大詰にふさわし
とけた鉛が海のような群集の上に流れ落ち、
︵四四O ︶ カジモドによって山のように積み重ねられた石は一つ、 また一つと落ちていく。薪のたばに貫板
﹁すぐさま切石が雨あられと落ちはじめ、大聖堂がまるで、彼らの頭上にくずれかかってくるように思われた
っ、う
た、と
の た ば や 鉛 の 巻 い た も の を 積 み 上 げ て 、 それに火をつけると、
の、と
だ、思
ゴ l の作品にコンスタントに現われる二人の兄弟の敵対関係はここではジャンとカジモドを対立さ
て示されている。 ユ
せる運命として形どられ、父を殺害することで昇華される。つまり権力の象徴である司教補佐の落下の両端には二つの
民衆の形姿であるカジモドと敷石がある。このセパシエの指摘は、まさにわれわれが今まで展開してきた石の物語と
しての﹃ノ lトルリダム・ド・パリ﹄の構図であろう。
タ・ド・ピエール︵7
︶
﹁地質学は深淵である。そこから歴史は出発し、そこに庵史は回帰する。すべての石は、柱になりうるが、すべての
柱も石に再び戻るであろう﹂︵﹃小石の山﹂︶歴史は完了しないし完了しえないという性質こそ、すでに崩壊を宿した石の
准積のイメージである。 ノートル日ダムの大聖堂は、廃捕としての建造物であり、建造物の廃嘘であるが、同時に、﹁双
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頭のスフィンクスがすわりこんでいるみたいな大聖堂﹂は謎めいた書物の石である。﹃ノ lトル日ダム・ド・パリ﹄とい
う書物は、書物の原型であり、原型にかんする書物である。石造りの大聖堂は思想を表現する建築物、書物としての
建築物、つまり石の書物なのである。ユゴ I は 人 類 史 に あ ら わ れ た 記 念 碑 や 建 築 物 を 書 物 と み な し 、 建 築 術 を 文 字 を 書
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巨
く術と同一視し、建築物を石で書かれる思想と考えている。﹁時代がくだると、人類はこうした建築物で単一請をつくる
ようになった。石を積み重ね、花山岡岩の音節を結び合わせ、動詞が何か文のようなものをつくろうとしはじめた。
石墳は単語であり、カルナックの巨石群は立派な文章であり、﹁力を表わす建築の神ダイダロスが測量をおこない、理
知を表わす楽神オルペウスが歌をうたうにつれて、文字の役目をつとめていた柱や、音節の役を演じていてアーケード
や、単語の役をつとめていたピラミッド、こうした建築の諸要素は幾何学と詩学の法則に促されて、いっせいに活動を
開始し、群をなし、組み合わされ、混合し、地にくだり、天にのぼり、地上に並び、または階を重ねて天にそびえ、
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いに一時代の時代思想の命ずるままに、数々の素晴らしい書物を生み出すようになったのである。 つまり、素晴らしい
建築物ができあがったのである。﹂︵一八九︶ そして十五世紀になってグ Iテンベルグがあらわれると、表現形式の大転
換がなされ、印刷術が建築術にとって代わるという。印刷術が建築術を、紙が石を、書物が建造物を滅ぼすという思想
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ユゴlが抱いている書物あるいは作品のイメージであり、 創造行為にか
リl ヴ ル ウ
を記述する﹁これがあれを滅ぼすことになる﹂︵第五編2︶ と い う 章 を 読 ん で い る と 何 や ら ロ ラ ン ・ バ ル ト 流 の 今 日 的
記号論のディスクールのような気がする。
しかし、 わ れ わ れ が こ こ で 注 目 し た い の は
んするヴィジョンである。 ユゴiにとって印刷機が生みだしたすべての書物の一、まとまりは巨大な建造物の様相を呈し
ており、﹁知性のアリ塚﹂であり﹁想像力のミツバチの巣﹂であり、﹁無数の階層をもった建造物﹂といったイメージを
呈するが、この驚くべき建造物はいつまでたっても完成されることはないのである。
﹁あらゆる人聞が石工なのだ。どんなにつまらない人間でも、穴をふさいだり、石を積んだりしている。:::毎日毎
日、新しい層が積みあげられてゆく。:::たしかに印刷術もまた、らせん状に、果てしもなく高く高く積みあげられて
ゆく建造物なのだ。ここにもまた、ことばの混乱が、休みない活動が、疲れを知らぬ労働が、全人類の熱烈な共同作業
いつまでたっても完成されることはない。歴史と同様に
が見られる。書物もまた新しい大洪水や蛮族の侵入にそなえて、人知を守る使命をもった避難所なのだ。人類の生んだ
第二のバベルの塔なのである。﹂︵二O 二
︶
書物は毎日毎日絶えず書かれ、積み上げられていくけれど
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書物も作品も積み重ねにほかならず完成することはない。石ころを積み重ねても崩れる宿命にあることを知っているユ
ゴi の詩学は、 シ ャ ト l ブ リ ヤ ン 流 の 廃 櫨 の 美 学 の 延 長 上 に あ る と は 言 え 、 打 情 的 と い う よ り 観 想 的 で あ り 、 心 情 的
-117-
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であるというより思弁的であり、絵画的というより幻視的であろう。
一八三O 年におけるゴ一つの偉大な仕事は、 戯曲﹃エルナ一一﹄、 詩﹃夢想の傾斜﹄、 小説﹃ノ I トル Hダム・ド・パリ﹄
われわれの小説との深い類似性が認められる。 ﹃夢怨の傾斜﹄に歌
で あ っ た が 、 こ と に ﹃ 夢 想 の 傾 斜 ﹄ の 詩 的 体 験 は ユ ゴ l の生涯において深いヴィジョンに到達したとも言え、 その精神
イマジネl ル
の構造性において、その言語表現の傾向において、
われる想像的なものは、ハ円傾斜するセ l ヌ 河 や 湖 に 流 れ る 河 か ら 深 い 海 へ 下 降 す る と い っ た 精 神 の 水 平 性 か ら 垂 直 性 へ
の過程を記述している。。自分の精神の内部に見える一切のものが巨大な群れのなかに消滅していく様を、耳もとでう
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ゴ l の思想的原型と名付けるこ
-118-
なる都市群やミツバチの巣の除で表しているが、群集の無名性、混沌、声、限、歩みの複数性が描かれている。日突然、
波聞から人々が生活を営んでいる都市の傍らに、恥積や塔やピラミッドで一杯の、奇妙な額をした町すなわち過ぎ去っ
た 時 代 の 廃 嘘 と 化 し た 墓 場 が 、 足 元 は 海 に 、 頭 は 湿 っ た 大 空 に 浸 し な が ら 、 湧 出 し て く る 。 さ ら に 三 層 に な っ た ロ iマ
といった積み重ねられた都市群のイメージは、﹃諸世紀の伝説﹄のヴィジョンの芽であろう。制詩人が見ていたものは
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﹁諸世紀と諸場所の積み重ねで形造られた巨大な建造物であり﹁世界のパベル塔﹂なのだ。日開大洋の黒くひしめく波の
ような、﹁時間と空間のなかに山積みとなった数﹂や渦巻き状になった
が歌われている。以上、見てきたように、この詩の志味論的ヴェクトルの方向は、
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﹁夢想の傾斜﹂の想像界は、 先 程 引 用 し た ﹁ こ れ が あ
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れ を 滅 ぼ す こ と に な る ﹂ の 最 後 の 文 と 、 同 一 の 認 識 論 的 詩 的 地 平 に 立 っ て い る わ け で 、 われわれはユゴ i の頭蓋骨の内
られ、下降するパベル塔のイメージで表現されているとはいえ、
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奇 跡 御 殿 の イ マ ジ ュ リ lは﹁社会秩序をかきみだすあらゆるモンスズメバチが、夕方になると獲物をくわえて帰っ
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てくる恐ろしい巣﹂︵九二﹁一種の恐ろしいハチの巣﹂︵四二二︶であり、奇妙なグループが﹁うようよと集っていて
うじゃうじゃ寄り集った﹂りしているが、それと﹁ノ l トル川ダム﹂︵第三編1︶の章で、﹁建築術の偉大な象徴であるバベ
ルの塔は、ミツバチの巣なのだ﹂︵一二四︶というディスク i ル と は 何 ら 矛 盾 す る と こ ろ は な く 、 同 一 の 光 源 か ら 照 ら
された都市の姿であり建築観であろう。また、奇跡御殿の酒場にいる者は﹁まるでカキの貝がらみたいに順序も調和
もなく、ごたごたとかさなりあっているようにみえた﹂︵四二一ニ︶というディスクールと、﹁ノlトル Hダム﹂の章の﹁雑
アンタスマン
種 建 築 は ﹁ い く つ も の 世 紀 が 積 み 重 ね た も の ﹂ と い っ た こ と ば と は 対 応 す る ユ ゴ l のヴィジョンの外在化といってよい
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だろう。こうした﹁積み重ね﹂は、﹃ノlトルけダム・ド・パリ﹄全体を司る原イメージで、さまざまなヴアリアントを生
み出すが、 と り わ け 群 集 を 描 く カ l ニ ヴ ァ ル 的 祝 祭 空 間 に お い て 言 葉 の 爆 布 は 極 点 に 到 達 す る だ ろ う 。 そ し て 、 積 み 重
ねは永遠に完成することのない崩壊を宿している点において、民衆のイメージであり、石ころのイメージであり、
註
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であり、﹃ノlトル日ダム・ド・パリ﹄は同時に石の書物と紙の書物にかんする書物であり、書物の書物なのである。
堆積は、すなわち、ことばの、名詞の、文章の、 イメージの唯積であり、 ひっきょう堆積としての書物のイメージなの
大聖堂から敷石に議く民衆に石を落下させる。小石の准積、波の堆積、群集の堆積、屋根の唯積、都市の堆積、音の
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モドのイメージであろう。民衆の犠牲者、いけにえとしてのカジモドは、民衆に笑われ石を投ぜられるが、最後は逆に
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