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北方民族の動向 ・4~5 世紀、遊牧民が大規模な移動を開始。地球規模

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北方民族の動向 ・4~5 世紀、遊牧民が大規模な移動を開始。地球規模
☆北方民族の動向
・4~5 世紀、遊牧民が大規模な移動を開始。地球規模での民族大移動。
○匈奴の分裂 ・[匈奴]、漢の武帝による攻勢を受け、内紛も生じる。前 60 年頃分裂。[東]匈奴は内モンゴルを支配。前 51 年漢に服属。
[西]匈奴はタラス川上流に移住。前 36 年、東匈奴が漢と結んで西匈奴を倒した。後 48 年[東]匈奴が南北分裂。[南]匈
奴は中国内地に移住。後の五胡の一つとなった。[北]匈奴は後漢に討たれ、西に移動。
○五胡の華北侵入
・2 世紀ごろ、遊牧民諸部族が華北に移住し、後漢などの傭兵として活動。4 世紀初め、中国内部が混乱。華北に遊牧民
が国家を建設し、興亡した。漢人は、華北から江南に移住した。
・[匈奴]…漢に服属した南匈奴の中の[劉淵]が[八王]の乱の際に挙兵し、304 年に漢を建国。
・[羯]…匈奴の一派。後に十六国の一つ[後趙]を建国。
・[鮮卑]…モンゴリア草原の遊牧民。ツングース系・トルコ系などの説がある。後にその中の[拓跋氏]が有力となり、
[北魏]を建国し、華北を統一。
・[氐]…陝西・甘粛地方のチベット系半農半遊牧民。十六国の[前秦]、[後涼]を建国。
・[羌]…青海地方のチベット系遊牧民。十六国の一つ[後秦]を建国。後に[西夏]を建国。
・匈奴・羯・鮮卑・氐・羌をあわせて[五胡]という。
・4~5 世紀、ユーラシア西部では[フン]族が西進。ゲルマン民族の大移動。ユーラシア東部では五胡が南下。中国の南
北朝の動乱。
☆分裂の時代
○後漢の滅亡
・184 年、[黄巾]の乱を豪族連合軍が鎮圧。
・華北の[曹操]、江南の[孫権]、四川の[劉備]が有力に。208 年の[赤壁]の戦いで曹操は孫権・劉備の連合軍に敗れ、天
下三分の形勢となった。
○三国時代
・[魏]…220 年、曹操の子[曹丕](文帝)が後漢を滅ぼした。都は[洛陽]。官吏登用制として[九品中正]を定めた。
・[呉]…[孫権]が建国。都は[建業]。
・[蜀]…[劉備]が建国。都は[成都]。関羽・張飛・諸葛孔明らが活躍。234 年、諸葛孔明は五丈原で陣没。263 年、魏が
蜀を滅ぼした。
三国時代
a
魏
m
帯方
b
呉
n
高句麗
c
蜀
o
倭
d
鮮卑
p
赤壁
e
匈奴
f
羯
g
羌
h
氐
i
洛陽
j
建業
k
成都
l
楽浪
○晋の統一
・265 年、[魏]の重臣の[司馬炎]が、禅譲を受け[晋]を建国。[武]帝となった。都は[洛陽]。280 年[呉]をほろぼし中国
統一。国を[西晋]とする。しかし政情は安定しなかった。土地制度として[占田]法・[課田]法、税制として[戸調]式
を定めた。
・三世紀末、[八王]の乱が起きた。司馬氏一族の諸王の抗争。それぞれが北方の遊牧民を傭兵として利用し、抗争。五
胡が勢力を伸ばし各地で自立。304 年匈奴の[劉淵]、山西で挙兵し漢を建国(後の[前趙])。これが[五胡十六国]時代の
始まりであった。
○東晋の成立
・311 年[匈奴](漢)が首都洛陽を攻略、ついで 316 年、長安も陥落させ西晋滅亡。これを[永嘉]の乱という。317 年、晋
の一族[司馬睿]が江南に逃れ[東晋]を建国。都は[建康]。漢文化の中心が江南に移り、開発も進んだ。
1
○五胡十六国
・華北に五胡および漢人の 16 王朝が興亡した。
・五胡…[匈奴]・[鮮卑]・[羯]・[氐]・[羌]がそれぞれ華北に王朝を立てて抗争。華北に遊牧民の習慣が広がった。351
年、[氐]の前秦が有力になるが、383 年、淝水の戦いで東晋に敗れ、衰退。すると鮮卑の中の一部族、[拓跋氏] が有
力化し、386 年に[北魏]を建国。[平城]を都とし、部族制を廃止。
○南北朝
・439~589 年の 150 年間、南には漢民族の王朝、北には北方民族の王朝が併存。
○北朝
・439 年、[北魏]の[太武]帝が華北統一。道教を国教とし仏教弾圧。494 年、[孝文]帝は都を[平城]から[洛陽]に移し
た。
・仏教保護に転じた。制度、服装、言語の[漢化]政策を推進。隋唐に伝わることとなる[均田]制という土地制度を開始。
郷・里・党からなる村落制度である[三長]制の採用。
・538 年、内紛から[東魏]と[西魏]に分裂。西魏で軍事制度の[府兵]制が開始。東魏は[北斉]に、西魏は[北周]に替わ
る。577 年、[北周](西魏)が華北を統一。府兵制を継承。廃仏を行う。
※北朝五つ…北魏、西魏→北周、東魏→北斉(北周に吸収)
○南朝
・420 年、東晋の武将[劉裕]が実権を握り[宋]を建国。以後、[斉]→[梁]→[陳]と漢民族の王朝が続いた。都はいずれも
[建康]。貴族の勢力が強く、皇帝権力は弱かった。長江流域の開発が進み生産力発展し、人口も増えた。
・呉、東晋、宋、斉、梁、陳の漢民族の王朝をあわせて[六朝]という。貴族による漢文化が継承され[六朝文化]として
栄えた。
・581 年、[隋]が南北朝を統一。
※南朝四つ…宋、斉、梁、陳 六朝…呉、東晋、宋、斉、梁、陳
南北朝時代の中国と東アジア
a
北魏
k
平壌
b
宋
l
漢城
c
高句麗
m
雲崗
d
新羅
n
竜門
e
百済
o
敦煌
f
平城
p
広開土王碑
g
洛陽
q
白村江
h
長安
i
建康
j
慶州
☆社会経済の変化
○貴族階級の形成
・後漢末から豪族の力が強まった。官吏登用制度は漢の[郷挙里選]から三国時代の魏の[九品中正]に変わった。地方の
州郡毎の役人である中正官が、人物を九等級にわけて中央政府に推薦。「[上品に寒門無く下品に勢族なし]」といわ
れ、豪族が上級官僚を独占。
○土地制度の変化
・豪族の大土地所有と農民の没落・奴隷化の防止のための政策。
・三国時代の魏では[屯田]制。[曹操]が実施した。富豪が耕作者の集団に官有地を耕作させる制度。西晋では[占田]
法・[課田]法。[武]帝が制定。土地所有の制限と租税の確保をはかったものらしい。
・税制は[戸調]式。一戸ごとに税として絹・綿など現物を納められた。
・北魏の[均田]制は[孝文]帝が定めた土地公有制。隋唐の土地制度として継承された。15 歳以上の男に 40 畝、女に 20
畝の[露田]を給し、老年になれば返還させる制度。大土地所有の制限は不十分で、豪族の貴族化は隋唐時代まで続い
た。
・長江の中・下流では華北からの人口流入により人口増加し、開発が進んだ。東晋および南朝では土断法を施行。南朝
の貴族は、[荘園]を経営、自給自足的な田園生活を行うものも現れた。
2
☆魏晋南北朝の文化
・動乱期にあたり多様な思想や文化が生まれ、儒教に代わり仏教と道教が盛んになった。 ・貴族社会が形成され、自由で自主的な思想が生まれた。 ・特に江南では漢文化が継承され、文学や絵画で貴族を主体とした六朝文化が栄えた。
○仏教の伝来
・後漢の1世紀ごろ、西域から中国に伝来。4世紀後半、中国の社会一般に仏教が広がった。中国仏教が展開する。4~
5 世紀、華北の五胡十六国、江南の東晋の時代、西域・インドとの仏僧の往来が盛んになった。
・[仏図澄]…310 年、西域の亀茲から来朝し洛陽で布教。弟子の道安は戒律を作った。東晋の慧遠は浄土教を始めた。
・[法顕]…東晋の僧。グブタ朝インドに行き『[仏国記]』を著した。
・[鳩摩羅什]…亀茲の人で父はインド人。5 世紀はじめ、長安で布教、仏典の翻訳。
・5 世紀[北魏]の仏教弾圧。[太武]帝、[道]教を国教とし、446 年に仏教弾圧が起こった。
・石窟寺院の造営。北魏で仏教が復興し、孝文帝によって保護された。
・[敦煌]…西域の東端。4 世紀から唐代に及び塑像の仏像、壁画が多数作られる。
・[雲崗]…文成帝の時、平城に建造。ガンダーラ・グプタ様式の残る石仏。
・[竜門]…孝文帝の遷都に伴い、洛陽郊外に建造。中国独自様式をもつ石仏。
・北朝の仏教は、庶民に広がると共に国家仏教として発達。南朝の仏教は貴族仏教として発達。6 世紀前半、梁の[武]帝
の時、江南の仏教が栄えた。6 世紀初め、[達磨]、インドから渡来・伝承。唐で中国独自の[禅]宗に発展。
○道教の成立
・5 世紀、民間信仰と[神仙]思想を道家の思想に取り入れ、[道]教が成立。
・北魏の[寇謙之]が[新天師道]をはじめ、国家宗教として教団の形成につとめた。[太武]帝に信任され、北魏の国教と
なった。さらに不老不死と現世の利益を説き、民衆に浸透する。
○魏~西晋の貴族文化
・[竹林の七賢]…阮籍・嵆康ら。儒教的な道徳を否定し、自由な生き方を求めた。
・[清談]の流行…老荘思想の影響を受けた自由な議論が好まれた。
○東晋~南朝の六朝文化
・漢文化が継承され貴族文化が発展
・詩人…東晋の[陶潜]、宋の[謝霊運]などが田園生活を歌った。
・文人…梁の[昭明太子]は『[文選]』を編集。この時期は[四六駢儷体]の文体が流行した。
・絵画…[顧愷之]の『[女史箴図]』
・書…[王羲之]の『[蘭亭序]』
・歴史書:西晋の[陳寿]、『三国志』を編纂。
・地理書:酈道元の『水経注』 ・技術書:賈思勰の中国最古の農業書『斉民要術』。
・医 学:医学書『傷寒論』
☆周辺国家の形成
○朝鮮の情勢
・中国の分裂により朝鮮半島の諸民族の自立。周辺諸民族の新興国家が中国の諸王朝に[朝貢]。外交儀礼とともに貿易
でもある。
・半島北部では 313 年、[ツングース]系貊族の[高句麗]が楽浪郡を滅ぼした。都は鴨緑江岸の丸都城。427 年に都を平壌
に移した。4~5 世紀、広開土王が半島南部に進出、倭と争った。そのときの状況は広開土王碑に記されている。
・韓民族が三韓(馬韓・辰韓・弁韓)に別れ、それぞれ小国に分立。4 世紀なかば、馬韓、辰韓では統一が進んだ。
・辰韓は[新羅]へ。都は金城(現在の慶州)。馬韓は[百済]へ。都は[漢城](現ソウル)。高句麗に押され南の熊津、さら
に扶余に移った。弁韓は[加羅]諸国へ。朝鮮の[三国時代]となった。
○日本
・1世紀頃から、中国の文献に[倭]国として現れ始めた。3 世紀[邪馬台]国の女王[卑弥呼]が魏に朝貢。『[魏志倭人
伝]』に記載されている。考古学上の弥生時代後期にあたる。
・4 世紀[大和政権]が成立か。考古学上の古墳時代の始まり。
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