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科学 と 詩 学 が 出会 う と こ ろ
は じ めに 松永 京子 科学と 詩学 が出会 うところ ― マリルー・アウィアクタと原子のナラティヴ 一 し た 破 壊的 で ダ ー ク な 〈 地 獄 絵 図 〉 で も あ った 。 私 が 原 子 に つ い て 語 る と き、 私の 原子 の イ メ ー ジ 、 す な わ ち こ れ ま で の 私の 経 験 ージ を、 完全 に 払 拭 して しま う こ とは 難 しい 。 そ し て この こと を や 記 憶、 さ ら に は 現 在 の 私 の 状 況 や あ り 方 を 反 映 し た 原 子 の イ メ オク ラ ホマ 州 タ ルサ に到 着 し てか ら 二日 目、 私は ギ ル ク リ ース 強 く 感 じ た の は 、 赤 い 月 に 遭 遇 し た 翌 日 の こ と だ った 。 美 術 館 を訪 れた 。ク リ ー ク 族 の 登 録 部族 員で ある ト ー マ ス ・ ギ ル ク リー スに よって設 立 されたギ ルク リー ス美術館 には、 ア メリカ 西 部 を 描い た 絵 画 や 北 米 先 住 民 の ア ー ト 作 品 が 数 多 く 所 蔵 さ れ て ティ スト 、 ウ ィ ラ ード ・ス ト ー ン ( い る 。 そ こで 私 は 、 一 つ の 作 品 に 出 会 った 。 チ ェ ロ キ ー 族 の ア ー )による「私たち Willard Stone )という題 1946 “ ” 名 の 彫 刻 で あ る 。 高 さ 約 六 〇セ ン チ 。 表 面 は 丸 み を 帯 び て な め Our Atomic Baby, た と きの こ と で ある 。ネ ブ ラ スカ 州か ら オ ク ラ ホ マ州 に 向 か っ て 皮 で 包 まれ た 人 間の 形 が 彫 り 込 まれ 、 中 央 部 分に は 〈 キ ノ コ雲 〉 らか で、 色 は濃 い 赤 褐色 。細 長い 像 の 上 部に は、 トウ モロ コシ の のアトミック・ベイビー」( 車で ハ イ ウ ェ イ を 走 って い る とき 、 イ ラ クで 起 こ って いる 戦争 に そ して 不 吉 だ と 思 っ た 。 ラ ジ オ で聞 い た 〈戦 争 〉 と東 の 空の 〈赤 な って い る 。ウ ィ ラー ド に よる この 作 品 は、 広 島 と 長 崎 に 原 子 爆 を 思わ せる 小 さ な 円 形、 下 方 部 分に は赤 ん 坊 にみ える 丸 い 形 が 連 け て きた 私に とっ て、 スト ー ン の 彫刻 に刻 まれ た 原 子 の イ メー ジ 122 二 〇 〇 三 年春 、 ち ょ う ど ア メ リ カ に よ る イ ラク 侵 攻 が は じ ま っ つ い て ラジ オで 聞 き な が ら、 私 は東 の 空 に大 きな 赤い 月 を みた 。 い 月 〉 は、 無意 識 の う ち に 私の な か で 結 びつ け ら れ 、 月 は 血 の 赤 知 ら ず の う ち に こ れ ま で の 経 験や 記 憶 、 あ る い は自 分が 置 か れ た は新鮮だった 。ストーンは、科学者たちが生み出した原子爆弾を、 原 子 を 常 に 原 子 爆 弾 や 戦 争 とい っ た 破 壊 的 な イ メ ー ジ に 結 び つ 弾 が 投 下 され てか ら 一 年後 、 一 九 四 六 年 に 制作 され た 。 状況 や立 場 を 反映 し て し まう 。 そ して この こ と は、 私 た ち が 原 子 や口承伝統で重要な役割を担う〈トウモロコシ〉へと結びつけた。 こ れ ら の 組 み 合 わ せ は 、 し ば し ば 見 過ご さ れ て き た 原子 の 姿 を 私 原 子 爆 弾 と 赤 ん 坊 。 キ ノ コ 雲 と ト ウ モ ロ コ シ 。 一 見す る と 異 質 な 生 命 の 象 徴 と し て の 〈 ベ イ ビ ー 〉、 さ ら に は チ ェ ロ キ ー 族 の生 活 長 崎 に 投 下 さ れ た 〈 原 子 爆 弾 〉 で あ り 、『 は だ し の ゲン 』 に 描 か 暮ら し て き た 多 く の 人々 と 同 様に 、 私に とっ ての 原子 は、 広島 や れ た 〈 ピカ ド ン 〉 で あ り、 丸 木 夫 妻 が 《 原 爆 の 図 》 の な か で 表 現 につ い て 語 る と き も 例外 で は ない 。お そら く 原 爆 を身 近 に 感 じ て あ る 事 象 を 解 釈 し た り 意 味 付 け た りす る と き 、 私た ち は 知 ら ず に 染ま り、ハ イウ ェイ に 浮 か ん でい た 。 (1) ア ウィ アク タ ( )もまた、隔離、分離、破壊といっ Marilou Awiakta た 言葉に結びつけられてきた原子のイメージに疑問を呈してき を批 判す る一 方で 、 詩的 で、 生命 を 養 う力 を 持つ 原子 の姿 を、 詩 た 。 ア ウ ィ ア ク タ は、 直 線 的 か つ 破 壊 的 な 現 代 科 学 の ナ ラ ティ ヴ 隔 離 、 制御 して きた 現 代 科 学 の あ り 方 が 、 進 歩、 生 体 解 剖 、 ト リ や散文のなかで肯定的に描いたのである。本稿では、原子を分離、 ア ー ジ と い っ た 概 念 を 広 め た 啓 蒙 時 代 の 科 学 の ナ ラ ティ ヴ を 継 ナ ティ ヴ と し て ア ウ ィ ア ク タが 示 し た 原 子 の 詩 学 と ナ ラ ティ ヴの 承 し て い る こ と を 確 認 しつ つ 、 こ の よ う な 原 子 観 に 対 す る オ ル タ 可能性につい て検証してみたい 。 リザベーション 一 九 四 五 年 、 テ ネ シ ー州 ノ ッ ク ス ヴィ ル に 生 ま れ た ア ウ ィ ア ク アウィア クタ と原子 の居 留 地 タ は、 九 歳 の と き マ ンハ ッ タ ン 計画 の 一 環 と して 建設 さ れ た 新 興 二 る い は 再生 を 繰 り 返 して きた 生 命 そ の も の と して の 原 子 の 姿 で あ た ち に 開 示 す る 。 そ れ は 、 可 能 性 を 秘 め た 種 子 と して の 粒 子 、 あ ってコントロールされてきた原子のイメージを打ち壊す 。そして、 離 さ れ 、 制御 さ れ て き た 。 スト ーン は、 こ の よ う に 人間 の 手 に よ ン 計 画 の 一 環 と し て 建 設 さ れ た 当 時 は 、 核 兵 器 に 使用 す る た め の 放 射 線 の 影 響 の 研 究 で 知 ら れ てい る が 、 一 九 四 三 年 、 マン ハ ッ タ ッ ジ 国 立 研 究 所 は 、 医 療用 ア イソ ト ー プ の 生 産 や 人 体 ・ 環境 へ の の町オークリッジへ移り住み、幼少期を過ごした。 現在オークリ 隔 離 や 分 離 に よ る 破 壊 力 よ り も、 創造 力 あ るい は生 命 力 を 強 調 す ウランやプルトニウムの分離精製を目的に、X -、Y -、K とい った コ ー ド 名 を持つ 施 設 が 置 かれ て い た 。 こ の とき ア ウ ィ 十 九世 紀以 降、 原 子 は 人間 によ って 理 論 化さ れ、 隔 離さ れ、 分 った。 る こ とで 、 冷 戦 期 の 〈ア ト ミ ック ・エ イ ジ 〉 に お け る 原子 表 象 に アクタの父親が働いていたのが、電磁気的分離を行っていたY 12 ご した 経 験 は 、 後 に ア ウ ィ ア ク タ が 「 原 子 は 私 の 幼 少 時 代 の 友 人 である。〈 原 子 を 分 裂 さ せ る 〉 た め に 作 ら れ た オ ー ク リ ッ ジ で 過 10 だ っ た 」 と 回 想 し てい る よ う に 、 作 家 の 自 己 形 成 や 原子 観 に 大 は、 ス ト ー ン だ け で はな い 。 テネ シ ー 州 ノ ッ ク ス ヴィ ル に 七 世 代 新た な側 面 を 付 与 した 。 だ が こう い った試 み をお こな って きた の (3) 123 (2) し 、 ス ト ー ン と 同 じ く チ ェ ロ キ ー族 の 血 を 引 い た 詩 人マ リ ル ー ・ 2 (1946) ギルクリース美術館所蔵 目 アパ ラチ ア 地 方 人 とし て生 ま れ、 オー ク リ ッ ジ で 幼 少期 を 過ご (4) 12 ウィラード・ストーン「私たちのアトッミック・ベイビー」 き な 影 響 を 与 え る こ と とな った 。 だ っ た と い え る 。 一 九 九 三 年 に 出 版 さ れ た 散 文 集 『 セ イ ル ー― コ 多くの人はオークリッジを外部からみて、危険で超現代的 ーン・マザーの知恵を求めて』( Selu: Seeking the Corn-Mother's Wisdom, 一 九 七 八 年 に 出版 した 詩 集 『 永 遠 な る ア パ ラ チ ア 山 脈 ― 山 と 原 子が出会うところ』( Abiding Appalachia: Where Mountain and Atom Meet, )の な か で 、 ア ウ ィ ア ク タ は オ ー ク リ ッ ジ を 以 下 の よ う に 表 1993 現している。 )の な か で ア ウ ィ ア ク タ は 、 オ ー ク リ ッ ジ とい う 場 所 に 、 物 1978 理 的 かつ 象 徴的 に フ ェ ン スで 隔 離 さ れ た 原 子 が、 ア パ ラチ ア の 山 に と っ て 、 そ こ は ホ ー ムだ った 。 コロニ ーのように、遠くて異質な場所 とみなした。私たち な場所、山脈の青みがかった霞の大波に浮かぶスペース・ ある人たちにとって、山と原子が出会うところはテネシー に 〈 出 会 う 〉 こ との 意 味 を次 の よ う に 述 べ て い る 。 州のオークリッジのような場所―突然作られ、フェンスで 出会うところは、時間と空間を超えた魂。山や原子、ある 裏に原子を分離する場所。けれど私にとって、山と原子が 弾 に 必 要 な 高 濃 縮ウ ラン 抽 出 を目 的 と し て 人 工 的 に 作 ら れ た オ ー 故 郷 〉 の よ う な も の で あ る と 想像 す る こ と は 難 し く な い 。 原 子 爆 よう に、 先に 述べ た「 魂 ( オ ー ク リ ッ ジ は 「 ホ ー ム 」 で あ る とア ウ ィ ア ク タが 指 摘 して い る 囲まれ、オークや松の尾根で見えなくなった原子炉で秘密 いは私たちの―時を経てこれらの山々を故郷と呼ぶように ” ク リ ッ ジとい う 町が 、 こ の場 所 に 居 住す る 人 々 に とっ ての 「 ホ ー 」が、 お そ ら く は 〈 精 神 的 な split ) “ に とど まる 魂 で ある 。 なったチェロキー族や開拓者やその他の住人の―心のなか か ら オ ーク リ ッ ジ をみ た と き、 そ こ が「 危 険 で 超 現 実 的 な 場 所 」 ム = 故 郷 」 で あ る とい う ア イ ロ ニ ー も さ る こ と な が ら 、「 外 部 」 一 九 四 三 年 以 降 、 エ ネ ル ギ ー省 、 契 約 会 社 、 科 学 者 の 三 位一 体に と 表 現 さ れ て い る こ と は 示 唆 的 で あ る 。「 外 部 」 か ら や って き た トリニティ 」 きた オ split ) よ って フ ェン スで 囲ま れ、 原子 を「 分離 し て ( れ る べ き 場所 、 す な わ ち 人 間 の 手 によ って コン ト ロ ール さ れ る べ 者 た ち に と っ て 、 オ ー ク リ ッ ジ は 原子 同 様 、 他 か ら 隔 離 ・ 分 離 さ “ ” “ ” こ こ で も う 一つ 注 目 した い の は 、 オ ー ク リ ッ ジ が 「 ス ペ ー ス ・ き場 所と して 存在 してきたの だった。 ー ク リ ッ ジは 、 チ ェロ キ ー 族 や 開 拓 者 、 あ るい はも とも とこ の 土 地に 居住 して きた 人々 に と っ て「 魂 ( ア ク タ は 述 べ る 。 も ち ろ ん こ こ で は 、 分 離 す る とい う 意 味 を 持 つ “ ” splitが対比されているわけだ “ ” コロニー」すなわち「宇宙の植民地」と表現されている点である 。 splitと、魂という意味を持つ が、 こ の 発 音 の よ く 似 た 二つ の 言 葉 の 違 い は 、 こ の 場 所 に 居住 し 『 セ イ ル ー 』 の な か でア ウィ ア ク タ が「 私は 一 九 四 〇 年代 、 政 府 リザベーション の居 留 地で育った。インディアンの居 留 地ではなく、原子の リザベーション ー ク リ ッ ジ に 対 す る 感 じ方 や考 え 方 の 違 い を 実 に よ く 捉 えた も の て きた 人々 と一 九 四 三 年 以降 に この 場 所 に や って きた 人々 の 、 オ 124 (6) 」で あ る と アウ ゥ split ) (5) 居 留 地で 」 と幾分皮肉をこめて述べているように、 オークリ 巨 大 な磁 気力 に引 かれ るよ う に し て ーに ” 振 動 さ せた “ ブルドー ザーが大 地をえ ぐり 身 を 委 ねる も の もい た ッ ジ にお け る 抑 圧 の 歴 史の ア ナ ロ ジー は、 詩 人 ア ウ ィ ア ク タ に と 何千 もの 人々 が流れ込 んで きた リザベーション 」 Genesis) 工 場 が そび え 立 ち って明白なものだったいえる 。例えば、詩編「起源( のな かで アウ ィア ク タは、一 九 四 〇年 代以 降、 核施設 建設 のた め ベア クリ ークな どの 谷間 には 常に変動するリズムとなって というのも 私は七歳でしかなかっ 両 親が 頭 を も ち あ げる の を みた ノ ック ス ヴィ ルの 空気 を満 た し た 至ると 力強く絶え間ないブーン 誰も知らなか 巨大 な街 がで きあ がった 家 々 の 群れ が立 ち 並ら び に土 地を 奪 われ た ア パ ラ チア の住 民の 姿 を 、 西 部 のイ ン デ ィア ン そ れ は 尾 根 の 風 下 に ま で 広 が っ て い った 木々 の 隙間 には その何かは 長い 間フロンティアへと家族を引き寄せたも 何 か によ って 血が 騒ぐ の を 感 じ た か ら だ た けれ ど 私も頭をもちあげた そ して 私は そ れ は 私た ち の 住 む こ ろ を 満 た して い た 新 しい 振 動 と とい う 音 を立 てな がら けれどもそのエネルギーは った どうしてそのようなものができたのか ま もな く 丘 に隠 れて 居 留 地 へ 強 制移 住 さ せら れ、 離散 を 余 儀 な く さ れ て き た 北 米 先 住 冬に向かって消え 乳 今度は彼らが年 民 の 姿 に重 ねて い る 。 すき 秋の葉の残り火が 光の胎動が始まり そ こに とど ま っ た 彼らの息子たちが 鋤 を手にし 開 拓 者 た ち は 種子 を ま い た それから 霧 に 包 ま れた まま その奥深いところでは そして山々は 老い てい った けれども そ して 一九 四二 年 汁 分 泌が 始 ま っ てい て … ブラック・オークリッジの近くで新たな土地が掘り返 始 めた とき さ れた 耳 を そ ばだ て の 昔の 開 拓 者 の 子 孫 で あ る 彼 ら は も と も と そ こ に住 ん で い た 人々 は 風の にお い を 嗅ご う と頭 を も ち あ げ 数マイル先に タ ッ キ ー や テネ シ ー へ ヴァ ージニアから ウェスト・ヴァージニア へ さらには ケン 家庭を離れなければならな そしていま れた 新たなフロンティアがつくら フロ ン テ ィ ア が 生 ま れ よ う と して い た ブラック・オークリッジに流れてゆくエネルギ たくさんの人が荷造りをして けれども か った 125 (7) パパが一番乗り 一九四三年 明け方家をでて 夕暮れ時 ー 、 ニ ュ ー ホ ー プ 、 ロ バ ー ツ ビ ル、 エ ル ザ 、 ウ ィ ー ト と い っ た コ 四 二 年、 ア メ リ カ 政 府 が 公 的 収 用 宣 言 を 下 す と 、 ア メ リ カ 陸 軍 工 ミ ュ ニ テ ィ ー が オ ーク リ ッ ジ 建 設 以 前 にも 存 在 して い た が、 一 九 も と 住 ん で い た 約三 千 人 の 住 人は 移住 を余 儀 な く さ れ る こ と と な 兵 司 令 部 が 五 万 九 千 エ イ カ ー の 農 地を 買い 上 げ 、 こ の 土 地 に も と に 帰 って きた 「ベアク リーク渓谷のY 謎は 深ま った ら に、 十 九 世 紀 前半 、 フ ロ ン テ ィ ア に 沿 っ て 「 ヴ ァ ー ジ ニ ア か ら る 。 ア ウ ィ ア ク タ は こ の よ う なア パ ラチ ア ン の抑 圧の 歴 史 を さ ブルドーザーは目の前で丘を取り崩すこと プリカッ 土 で (雨 が降っ た ら 泥で ) 秘 密を 守 って お く ため に ウェスト・ヴァージニアへ (9) プリ ブ ロック形 に箱 詰 めさ れ」 オークリ ッジ に持ち込 ま 以 下 のア ウィ アク タの 言葉 にも 明 らか で あ る。 域 「まさにこの場所だ」と。彼らはこの場所を X -と呼んだ。 そして山の尾根に囲まれた ところに、彼らは原子を分離す けた 。科 学 者た ち が ここ にや って きた とき 、 彼ら は言 った 。 この隔離された緑の渓谷をパイオニアたちはベテルと名付 聖 た 。 オ ー ク リ ッ ジ の 支 配 と 原 子 の 支 配 の ア ナ ロ ジー につ い て は、 国 家の 安全 や 進 歩 の 名 の 下 に、 秘 密 裏 に 隔 離 さ れ 、 分 離 さ れ て き れた家々のように、外から持ち込まれ、囲い込まれた原子もまた、 カ ット され 量生 産で き る よ う「 ア ル ファ ベ ッ ト 記 号 で サ イズ 分け さ れ 原子 も ま た 抑 圧 の 対 象 と さ れ て き た 事 実 も 織 り 込 ま れ てい る 。 大 圧 の 歴 史 とい う 二 つ の 異 な っ た 植 民 地 支 配 の 歴 史 を 接 続 し つ つ 、 「 起 源 」 に は 、 チ ェ ロ キ ー 族 の 抑 圧 の 歴 史 とア パ ラ チ ア ン の 抑 し た の だ った 。 へ 」と移住 を 強い られ てきたチ ェロ キー族の 抑 圧の 歴史へと敷衍 さらにはケンタッキーやテネシー 私 も そ こに 行く こ と を 待 ち 望 ん だ - だよ 」 仕 事 につ い て の 唯 一の 言 葉 は (8) ブ ー ン とい う 音 は 強 ま っ た 彼らは言った オ ーク リ ッ ジは マ ジ ッ ク の よう な 響 き が あ っ た ブロック形に箱詰めされた アルファベット記号でサイズ分けされ が でき る のだ と 家々は ブルドーザーでいっ トされ 板で 歩道 をつ く り ぺん に何 百も つ くる こと がで きる よう に そして彼ら は 通 りを つ く り そ の ま わ り 全 部 を 金 網で 囲 っ た こ の 詩 の な か で ア ウ ィ ア ク タ が 浮 き 彫 り に した の は 、 ア メ リ カ に お け る 新 た な フ ロ ン テ ィ ア 、 す な わち 〈ア ト ミ ック ・フ ロ ン テ ィ ア 〉 へ と 化 し て い っ た オ ーク リ ッ ジで ある 。 核 施設 が 建設 さ れ る 地方 人 、 そ して 開 拓 時 代 か ら の 居 住 者た ち が 、 荷 物を ま と めて こ プ ロ セ ス の な か で オ ーク リ ッ ジで は、 チ ェ ロ キ ー 族、 ア パ ラチ ア の 場所 を 去 るか 、 こ の 場 所 に 残 って 自 分た ち も開 発に 参 加 す るか の 二者 択 一 を 迫 ら れ た 。 実 際 の と こ ろ、 この 場 所 に は、 ス カ ボロ る黒鉛原子炉を建設したのだ。何年もの間この場所は、選 10 126 12 ばれた者だけが知ることができるしっかりと守られた秘密 ― 近代科学と〈近代の暴力〉 ベ ーコン、デカ ルト、ホッブズ ( 三 オ ー ク リ ッ ジ や 原 子 を 隔 離 ・ 分 離 す る 対 象 と し 、「 選 ば れ た 者 だ 換 え な ど と い っ た 〈 近 代 の 暴 力 〉の 起 源 は、 フ ラ ン シ ス ・ベ ー コ 社会学者であり人権活動家でもあるシヴ・ヴィスヴァナサン け が 知 る こ との で き る 」 秘 密 と 見 な す 行為 は 、 あ る 意 味 、 資 格 を 学 者 や 思 想 家 が 広 め て き た 、 進 歩、 生 体 解 剖 、 ト リ ア ー ジ と い っ ン、 ル ネ ・ デ カ ル ト、 ト ー マ ス ・ ホ ッブ ズ と い っ た 啓蒙 時 代 の 科 で あ った 。 与え ら れた 一部 の 人 間が、解 剖用 の 人間 の死 体を 人間 としてで は )は、強制収容所、原子爆弾、そして遺伝子組み Shiv Visvanathan な く、 物体 とし てみ る 行 為 に 似 てい る 。 オー ク リ ッ ジ や 原 子 の 隔 た概念に まで遡るこ とができる と述べてい る 。 自 然 の ミ ス テ リ と な っ た よ う に、 生 物 体の 身 体 を 切 り開 い て 観 察す る 行 為 は 、 解 い う ベ ー コン の 考 え や 、 問 題解 決 の た め に は 複 雑 な 全 体 を で き る ー は 人 間の 利 益の た め に 探 求 さ れ、 明ら か に さ れる べ き で あ る と 離 ・ 分 離 が 、 そ れ ら を 「 遠 く て 異質 な 」 も の と 見 なす こ とで 可能 剖 者 が対象物と精神的なつ な が りを 断った 時 はじめて 可能 とな 生 体解 剖 と 客観 性の 関係 を 示 し てい る と い っ て も 過言 で は ない だ 形 成 に 加 担 す る と 同時 に、 自 然 や 〈 他者 〉 に 対す る 暴 力 と 無 関 係 解 明す る こ と を 擁 護 して き た 近 代 科 学 は 、 科 学 的 ヒ エ ラ ル キ ーの 自 然 を 位置 づ け 、 生 体解 剖 な ど の 実 験 的 方 法 に よ っ て 自 然 の 謎 を きく 貢献 してき た 。 一方 で、 人間 が介 入 し操 作す べき 存在 として ろ う 。 実 験 の 対 象 物 の 解 剖 、 分 離、 隔 離 、 選 別 を 行う た め に は、 科 学 史の 研究 者、 また はエ コフ ェ ミ ニ スト 哲学 者 と して 知 ら れ で は な か った 。 るキ ャロ リン ・マ ーチャン ト ( )は 『自然の死』 Carolyn Merchant ) The Death of Nature: Women, Ecology and the Scientific Revolution, 1983 の な か で 、 近 代 科学 や自 然 哲 学 の 第 一 人者 で ある 十 六 世 紀 の 哲 学 提唱 した 」 重 要 な人 物で あ る と述べ て い る 。 マ ー チャン ト は、 者 フ ラ ン シ ス ・ ベ ー コ ン を 「 自 然 の 搾 取 を 擁 護す る 新 しい 倫 理 を ( て 引 き 継 が れ て きた 科 学 の マ ス タ ー ナ ラ ティ ヴ と 呼 べ る も の で も とい え る 。 そ して こ の よ う な イ デ オロ ギ ー は、 啓 蒙 時 代の 近 代 科 界 の 事 物 、 す な わ ち 〈 他者 〉 と 見 なす イ デ オロ ギ ー が 働 い てい た を 分 離 ・ 隔 離 して きた 政 府 や 科 学 者た ち の 行為 に は 、 対 象 物 を外 と が 必 要 とさ れ る 。 こ の よ う に 考 え た と き 、 オ ーク リ ッ ジや 原子 対 象 物 を 自 己 の 意 識か ら 独 立 し て 存 在す る 外 界 の 事 物 と み な す こ れ ね ばな ら な い と し た ホ ッブ ズ の 思 想 は、 現 代 の 科学 や 医 学 に 大 状態の社 会で あり、 機 械 を操 作す る の と同 様に その 秩 序は 統一 さ だ け 断 片 化す べ き とす る デ カ ル ト の 主 張、 あ る い は 自 然 は 無 政 府 コ ト ー は 、 家 族 同 様 に 親 しい 人 の 体 に メ ス を 入 れ て 手 術 る 。 例え ば、 離 島 を 舞 台 と した 人 気 ド ラ マ 『 コト ー診 療所 』 の (11) す る こ と が で き る の か と い う 問 題 に 直 面す る が 、 患 者 と強 い 精 神 なか で Dr. 学 に よ っ て 形 作 ら れ 、 現 代 医 学 や 科学 テク ノ ロ ジ ー の 使用 に よ っ あ った 。 新 た な 科 学 的 知 識 や 科 学 的 方 法 を 擁 護す る ベ ー コ ン の ナ ラ テ ィ ヴ (12) 127 (10) 的 な つ な が りを もつ とき に生 じる 医師 の こ の よ う な ジ レ ン マ は 、 Dr. て 魔 術 ( ウ ィ ッ チ ク ラ フ ト )に 対 す る 法 廷 尋 問 を 反 映 し て い る と が 、 十 六世 紀 の イ ギ リ ス社 会 に お け る 階 級 制度 や 家 父 長 制、 そ し 制に お け る ジ ェン ダ ー の力 学 を 踏 襲 し てい た と もい え る 。 こう し 的 に 捉 え 、 こ の 二 つ の 区 分 に 優 劣 をつ け る 行為 は、 ま さ に 家 父長 が 正 当 化さ れ て き た こ とに 注目 して い る 。 自 然 と人 間 を 二 項 対立 “ ” い った 。 るよ う な、 自ら ベ ー ルを 脱い で 科 学 に服 従す る存 在へ と変 わっ て 紀の 科学 革 命 後 、 ル イ ス =ア ーネ スト ・ バ リ ア ス の 彫 刻 に 見ら れ て「 しと やか さ と い う 衣 服 を 引き 裂か れた 」自 然の 姿 は、 十七 世 指 摘 し、 特 に ベ ー コ ン の ナ ラ ティ ヴ に お け る 性 的 イ メ ジ ェ リ ー に 重 要 性 を 見い だ し た 。 man)の技術と手によって」はじめて自然は「彼 女の自然な状態から無理矢理押し出され、取り出され、形 「 人間 ( 作 ら れ る 」。 こ の よ う に し て 「 人 間 の 知 識 と 人 間 の 力 が 一 つ さ らに 十七 世 紀 には 、 マ ラ ン ・ メルセン ヌ ( ) 、ピエー 1588-1648 ( ) 家 た ち に よ っ て 、 あ ら ゆ る 現 象 を 〈 機 械 〉 とい う メ タ フ ォ ー を 用 、 デ カ ル ト と い っ た フ ラン スの 思想 1592-1655 い て 解 明 し よ う と す る 機 械 論 的 哲 学 と い っ た 考 え も 広ま って い っ ル ・ガ ッサ ン デ ィ ま さ に こ の、 大胆 でセ クシ ュア ルな 修 辞的 表 現 のな か に 、 た 。 デカ ルト の 機 械論 的 自然 観 は 、 自 然論 、 生 気 論 、 ア ニ ミズ ム となるのである」。 れた秘密の看破といった近代の実験的方法の基本的な特徴 信 奉 を否 定 し 、 自 然 を内 部の 力 で はな く、 外 部 の 力 に よ っ て 動 く 実験所における自然の拘束、技術 と知性による解剖、隠さ をみることができる。それは、いまだに科学者の「まぎれ ルイス=アーネスト・バリアス(Louis-Ernest Barrias) 128 (14) ) ” “ ” “ ( “ ( もない真実( 」、 「洞 察力 の あ る 知 性 ) penetrating 「不活発な」粒子によって成り立つ「死んだシステム」とみなす hard facts mind 」あるいは「彼の議論の迫力 thrust of his argument 」 ) ” 「科学を前にベールを脱ぐ自然」(1899) といったものを賞賛する ときに使われる言葉である。しと [ ] “ “ ” “ ” ” 性 化さ れた 自 然 の 拘 束 や解 剖、 また その 「 隠 さ れ た 秘 密 の 看 破 」 かで 多用さ れる hard, penetrating, thrust といった「セ ク シ ュ ア ル な 修 辞的 表 現 」に 注 目 し 、 こ れら の 言 葉 の なか で 、 女 オルセー美術館所蔵 やかさ という衣服を引き裂かれたことに対する自然の嘆き 利益のために自然を搾取し「レイプ 」することを正当化す の なか で、 自然を 看破することに対する制約は、 人間の る 言 葉 の 容 認 へ と 変 わ っ て い った 。 マ ー チ ャ ン ト は 、 ベ ー コ ン の ナ ラ ティ ヴ や い ま だ 科 学 的 言 説 の な (13) 要であると説いた 。ホッブズはさらに、 「 原始 的 な キ リ ス ト 教 、 の 行い に 対し て一 般的 に 受 け入 れ られ た ル ール を課す こ と」 が 必 の 無 秩 序 を 正 す に は 、 機 械 の 操 作 に 必 要 な 規 則 と 同 様に 、「 市 民 客 観 主 義 と 冷 静さ を重 視 し 、 問 題 解 決 のた め に は 複 雑 な 全 体 を で こ とで、 人 間 に よ る 自 然の 支 配 や 操 作 を正 当 化 した 。徹底した き る だ け 断 片 化 す べ き と し た デカ ルト の考 え は 、 彼 の 生 体 解 剖 へ の 傾 倒 に も 明 ら か だ った とい え る 。 環 境 文 学 や 環境 正 義 の 研 究 者 学 、 そ し て その 他の 神 話 詩 的 な 想 像 力 全 て 」 を 「 非 科 学 的 で 不 合 アリストテレスの哲学、ウィッチク ラフト (魔術 ) 、オカルト科 で あ る ジ ョ ニ ・ ア ダ ムソ ン ( デカルトは、複雑な周りのコンテクストから問題そのもの の 〈 進 歩 〉 に 対す る 考 え 方 に は 、 過 去 と 未 来 に 優先 順 位 をつ け る 序 や倫 理 的 秩 序 は 成 立 しな い と 信 じ てい た 。 こう い っ た ホ ッ ブ ズ 満 ち た 過 去 」 を 完 全 に 排 除 し て し ま わ な い 限 り、 新 し い 政 治 的 秩 を取り出し、問題解決に必要なだけ多くの部分に分割する ヴ ァ ナ サ ン は 指 摘 す る 。 ト リ ア ー ジの 概 念 を 反 映 し た ホ ッブ ズ の 直線 的 思 考 は 、 ヴ ィ ス ヴ ァナ サン が特 筆す る よ う に 、 非科 学的 な 直 線 的 思 考、 す な わち ト リ ア ー ジの 概 念が 反 映 して い る とヴ ィ ス 彼は、生きた動物を解剖することのほうが、独創性を欠い 文明や部族文化を、近代や進歩の対極にある過去として位置づけ、 ことで、問題を単純化することができると見なしていた。 た書物を研究することよりも啓 発的だと考えていた。従っ 他 な ら な か った 。 同化すべ き 存 在、 あるい は消 え 行く〈 他者〉 としてしまう こと に 「 下 等 な 動 物 」 と し て 位置 づ け る 科 学 的 ヒ エ ラ ル キ ー を 採 用 し、 デ カ ル ト が 支 持 し た 生 体解 剖 は 、 対 象 と な る 動 物 を 解 剖 者 よ りも 爆 弾 の 投 下 で あ っ た 。 ヴ ィ ス ヴァ ナ サ ン は 「 ア ト ミ ック ・ ホ ロ コ 形 で 表 れ た の が、 第 二 次 世 界 大 戦 で 施 行さ れた 強 制 収容 所 や 原子 認 す る 危 険 性 を 孕 む 。 そ し て こ の よ う な 科 学 的 暴力 が最 も 顕 著な う 概 念 は 、〈 他 者 〉 を 抹 消 す る こ と を も 辞 さ な い 科 学 的 暴 力 を容 ー ス ト 」 を、 ト リ ア ー ジ 、 進 歩、 生 体 解 剖 の 概 念 に 結 び つ け 、 以 言葉である。実験としての生体解剖には無関心という考え トリアージは、生体解剖と進歩の概念を結びつける沈黙の 下の よう に 述べ てい る 。 ッ ブ ズ は 自 然 の 状 態 を 「 無 秩 序 の 状 態 」 とみ な し 、 こ う した 社 会 展 す る こ と とな る 。 ヴィ ス ヴ ァ ナ サ ン が 指 摘 し て い る よ う に 、 ホ ー マ ス ・ ホ ッブ ズ に も 影 響を 与え 、 ホ ッ ブ ズ 独 自 の 自 然 観 へ と 発 デカ ル ト の 機 械 論 的 自 然 観 は 、 イ ン グ ラン ド の 哲 学 者 で あ る ト たのだった。 察す る こ と を よ し とす る こ と で 、 科 学 目 的 の た め の 暴 力 を 是 認 し 痛 み を 与え る 生 体解 剖 を 容 認 し た の だ っ た 。 て彼は、 科学的リサーチのた めに、より「 下等な動物」に これは彼が生体解剖の実践で試してきた考えだった。実際 デカ ル トの 考え を次 のよ う に ま と め てい る。 理 な 信 仰 や 慣 習 」 と み な し、 こ の よ う な 「 扇 動 的 な 信 仰 や 慣 習 で )は、生体解剖に関する Joni Adamson (17) 十 七、 十 八 世 紀 に 確 立 さ れ た ト リア ー ジ 、 生 体解 剖、 進 歩 と い (18) 129 (15) 問 題 解 決 のた め に は 生 きた 動 物 に さ え 「 痛 み を 与え 」 客 観 的 に観 (16) わち抹消に終わる。トリアージは、合理的行動、すなわち だす。 中略 西洋の 他者との 遭遇は、最 終的な論理、 すな れらを合わせて、無関心なものの退廃、という考えをうみ が内在しており、進歩は退廃を示唆する。トリアージはこ り直 しの 土 台 と な っ てい る の が、 チ ェ ロ キ ー 族の 口承 伝統 のな か い る とい っ て い い 。 そ し て ア ウ ィ ア ク タの 原子 の ナ ラ ティ ヴ の 語 的 文 化 的 文 脈 か ら 語 り 直 そ う とす る ア ウ ィ ア ク タの 試 み を 指 し て れ て きた 原子 の ナ ラ テ ィ ヴ を、 ア パ ラ チア ン や チ ェ ロ キ ーの 歴 史 こ れ は 、 こ れ ま で 軍 事 的 ・ 政 治 的 ・ 科学 的 文 脈 か ら 支 配 的 に 語ら [ ] セ イ ル ーの 言い 伝え に は 様々 な バ ー ジ ョ ン が ある が、 その な か で で 伝 え ら れ て き た コ ーン ・ マ ザ ー 〈 セ イ ル ー 〉 の 教え で あ った 。 アトミック・ホロコーストとして、近代のもう一つの大き な 流 れ と合 流す る 。 の 行為 が 、 い か に 〈 他 者 〉 を 〈 抹 消 〉 しよ う と す る 力 へ と結 びつ は、自分たちの食べ物がどこからきているのかを知ると、母親 シを二人の息子に与えて育てていた。けれども二人の息子たち セイルーはお腹をこすって自分の身体からでてきたトウモロコ も よく 知 ら れ て い る の が、 次 の バ ー ジョ ン で ある 。 け ら れ て きた の か を 説 明す る 。 原 爆 が 「 生 体解 剖 の 暴 力 」 を 体 現 あ れ 原 子 爆 弾 で あ れ、 歴 史 的 に 科学 的 進 歩 と み な さ れ て きた 人間 「 無 関 心 な も の の 退 廃 」 と い う ト リ ア ー ジの 概 念 は、 生 体解 剖 で す る 具 体 的 な 段 階 と し て ヴ ィ ス ヴ ァ ナ サ ン は 、( 一 ) 原爆 投 下 の ” を魔女 ( “ 決 断 ( 二 ) 被 爆 者 へ の 対 応( 三 ) 現 在 も 続 く 核 研 究 と い っ た 三 つ 息子たちに指示していた。息子たちは母親の言いつけを守り、 イルーは、自分が死んだらその身体を七回地面に引きずるよう、 になった。 彼女の身体が引きずられた地面からはトウモロコシが育つよう witch )と見なして殺してしまう。殺される前にセ 原 子 爆 弾の 製 造 過 程 に お け る 原 子 に 対す る 暴 力 で あ ろ う 。 原子 を の 段 階 を 示 して い る が、 この 三つ にさ ら に 付 け 加 え ら れ る の が 、 隔 離 し 、 分 離す る 行 為 は 、 科 学 実 験 や「 進 歩 」の た め に 、 原 子 を サバ イ バ ル の ナ ラ テ ィ ヴ 実 験 対 象 物 、 す な わち 〈 他 者 〉 とみ な し 、 破 壊す る 行為 で も あ っ た。 ― コーン・ マザ ー〈セイ ル ー〉 コーン・マザーの物語は、人々の命をつなぐ食料としてのトウモロ コシの重要性を教えてくれると同時に、死を迎えても再生し続ける とで、この物語は二人の兄弟の、そして究極的には部族のサバイバ で命を奪われるものの、二人の息子たちがセイルーの教えを守るこ 四 は じ め て ア パ ラ チ ア に や っ て き た と き 、〈 ス ク エ ア 〉す ぎ て う ま ルの物語へと転化していく。事実、セイルーの物語は、強制移住に 殴り殺され」 、 「頭部を切断された」とあるように、かなり残酷な形 トウモロコシのあり方を描いている。また、セイルーは「こん棒で く フィ ット しな い 気 が し ま し た 。 私 の 仕 事 は 、 原 子 を 紡い で 編 み アウィア クタはインタ ヴューのな かで 「原子が一九四二年に (21) 込 む ことの で き る 束 へ とか え て い く こと で す 」 と 述 べ てい る 。 (20) 130 (19) と西部チェロキー族の評議会がテネシー州で最後の会合を開いた翌 バイバルの物語として繰り返されることとなる。東部チェロキー族 よってディアスポラ化したチェロキー族の再生の歴史のなかで、サ 精神 の奥 深く に生 きている んだよ 。 ト ウ モ ロ コシ の 知 恵 な んだ 。 種 は その 時 が や っ てく る ま で 、 全なときがやってくるまで自分自身を守っておく―それが 年、チェロキー・ネイションは分裂させられ、〈涙の道〉 ( Trail of Tears ) イ ジ ン グ ・ フォ ーン は 親 切な 白 人 夫 婦に 引 き 取ら れた 後も 、 自 分 の 心 の 固い 殻 の な か に 閉 じ こ も った ま ま で い る 。 家族 と 離 れ ばな ト ウ モ ロ コ シ が 固い 殻 に よ っ て 自 ら の 実 を 守 り 続 け る よ う に、 ラ れ にな って か ら 一言 も 口 を き か な い ライ ジン グ ・ フォ ー ン は 、 安 として知られるミシシッピ川以西の土地への強制移住を強いられ、 アウィアクタの言葉を借りれば「コケのなかに隠れて固まった状態 全 にな る ま で 、 周 りの 状況 を じ っく り と 観 察 し 、 芽 吹く タイ ミ ン 多くの部族民の命を失った。しかしチェロキー文化とその精神は、 部チェロキー族と西部チェロキー族の評議会のメンバーは再び、テ で」生き延びた 。 〈涙の道〉から約一五〇年を経た一九八四年、東 た の は、 白 人 夫 婦 が ラ イ ジ ン グ ・ フ ォ ーン と 彼 女の ヘリ テッ ジ を グ を 見 計 ら っ てい るの で あ る 。 そし て 彼女 がは じめ て言 葉 を 発し こ の 再 会 が 果 た さ れ る 一 年 前、 ア ウ ィ ア ク タ は 『 ラ イ ジ ン グ ・ ネシーで再会を果たしたのである。 ロ コ シ が 、 自 分 自 身 で あ った こ と を 理 解 す る 。 フォーンと火のミステリー』( ようやく理解しはじめたときのことだった。このときライジン Rising Fawn and the Fire Mystery: A グ ・ フォ ーン は 、 祖 母 か ら も ら っ て 大 事に しま っ て お い た ト ウ モ ) とい う 児 童 向 け の 物 語 を Story of Heritage, Family and Courage, 1833 出版 して い る 。 この 物 語 の 主 人 公 で あ る チ ョ ク ト ー族 の ラ イ ジ ン 彼女 ] 穀 粒 を み た 。 その 固い 殻 は 割 れ 始 め て い た 。 蔓 状の 根 が 地 面 [ と を 学 ぶ 。 強 制 移 住 に よ っ て 家 族 が 離 れ ば な れ に な る 直 前、 ラ イ 〈 い か に 自 分の ヘ リ テ ッ ジ を 失 う こ とな く 生 き 残 る か 〉 とい う こ に 向 か って 下 へ 伸 び る に つ れ て、 細長 い新 芽が 小さ な きら め グ・フォーンは、トウモロコシの知恵と火のミステリーを通じて、 ジング・フォーンの祖母は彼女の手のひらにトウモロコシをの き を 帯 び た 葉 っ ぱ を 広 げ な が ら 上 へ と 押 し 出 した 。 彼 女 は 理 解 し た 。 彼 女の 魂 が 無 事だ とい う こと を 。 また 彼 女も 皆 スピリット ライジング・フォーン は、朽ち葉色のトウモロコシの せ 、 次 の よ う に ラ イ ジ ン グ ・ フ ォ ーン に 語 って 聞 か せる 。 [ ] 彼女の種は、この新しい土地で育つのだということも。 の た め に 、 常 に 種 を 運 ん で い る の だ とい う こ と を 。 け れ ど も 中心 は神聖な火の小さな炎のような この トウモロ コシの 部 族 の 悲 劇 を経 験 し な がら も、 目 に はみ え な い と こ ろで その 文 化 こ う し て ラ イ ジ ン グ ・フ ォ ー ン は、 家族 の 離 散 と 強 制 移 住 と い う てもいい し、小袋に入れておいてもいいし、手で持ってい もの。でも殻がどんなに頑丈か確かめてごらん。床に投げ よ。もし早く芽を出してしまうと死んでしまうからね。安 てもいい、 それでも種は暖かい大地でしか芽吹かないんだ (23) 131 (22) こ と を 困 難 に は す る も の の 、 そ の 不 可 視 性 は 同 時 に 、〈 外敵 〉 か ウ モ ロ コ シ の 種 に 宿 る 生 命 は 目 に 見え ない た め 、 そ の 力 を 信 じ る い く よ う に、 自 ら が 部 族 の サ バ イ バ ル の 継 承 者 とな って い く 。ト と ヘリ テッ ジ を 守 り 続 け、 最 後 はト ウモ ロ コシ が生 命 を 継承 して を 伝 え る こ と が で き る と い う 点に お い て、 人間 の 潜 在 能 力 を 示 唆 の 羅 列で ある にも かか わら ず 、 表 面的 な 言 葉 を 超え た メ ッ セ ー ジ 点 で 人間 の 限 界 を 超え てい る が 、 人間 が 生 み 出 す 詩 も ま た 、 言葉 モ ロ コ シ は 、 人 間 の 計 り知 れ な い エ ネ ル ギ ー を も っ て い る と い う し て い る か ら だ 。 こ う い った 一 見 矛 盾 した ポ エ テ ィ ッ ク ス の あ り が らも 、 目 に 見 えな い 形 で生 き 延び て き た チ ェロ キ ー 族 の 文 化 や 方 は 、 移 住 や 離 散に よ っ て 部 族 の 存 続 が ほ と ん ど 不 可 能 に 見え な ら 身 を 守 る た め の サ バ イ バ ル の ツ ー ル で も あ った 。 散 文 集 『セ イ ル ー』 の な か で ア ウ ィ ア ク タ は 、 こ の よ う に 部 族 て、トウモロコシの種に似ている。繰り返しになるが、理 メーターのなかで生まれる生命。このパターンは母なる自 る。バランス、ハーモニー、包括性、協調性―秩序のパラ サバイバルのパターンは、一次 空間のポエティ ックスにあ で ある 。 バ イ バ ル の パ タ ー ン と ポ エ ティ ック スの 関 係 に つ い て 述 べ た 文 章 精 神 の サ バ イ バ ル に も 通 ず る だ ろう 。 以 下 は 、 ア ウ ィ ア ク タ が サ の サ バ イ バ ル と 結び つ け ら れ る ト ウ モ ロ コシ の あ り方 が、 ポ エ ト リ ーす な わ ち 詩 の あ り 方 に も 似 て い る こ と に 注 目 し て い る 。 ポエトリーは、そのエネルギーが集中していて、目に見え 解は時間 を要する 。けれども種 は現実その もので… 生 きた 然の最も 深い 本質を繰り返し、そこでは原子が―それ自身 括性、協調性」といった特徴に見いだし、そのパターンを生命の継 ここでアウィアクタは、サバイバルを「バランス、ハーモニー、包 132 る部分を超えたところで現実を喚起するという意味におい ージでもある。それは何を意味しているのだろう?人間の ポエ ムで あって… それはすぐ に伝えるこ とのできるメ ッセ ろで現実を喚起する 」種が「現実そのもの」でもあるという謎を、 続性や「宇宙の力学」そのものであると表現する。そしてこのよう に利 用したの だ。 チェロキー族はこういったポエティック スをサバイバル 持する 基 本的 な力 学。 しい生命を生み出している。変化における継続、宇宙を維 の予想可能なパラメーターのなかで―自由に動き回って新 て い ま だ解 明で き てい ない 。 知性は七千年も費やして熟考してきたのに、その謎につい こ こ で ア ウ ィ ア ク タは 、 ト ウ モ ロ コシ と詩 を、 集 中 的 な エ ネ ルギ ー と 「 目 に み え る 部 分 を 超 え た と こ ろ で 現 実 を 喚 起 す る 」 とい う 私た ち がい まだ 解 明 で き てい ない と も 主 張 し てい る 。 この よう な に、近代科学の支配的ナラティヴからサバイバルのポエティックス 点 に お い て 結 び つ け た 。 一 方 で 、「 目 に み え る 部 分 を 超 えた と こ 可 能 性 を 示 して い る よ う に も 思 え る 。自 然 界 の 象 徴 で も ある ト ウ ア ウ ィ ア ク タの ト ウ モ ロ コシ と 詩 に 対す る 見 解 は 、 人 間 の 限 界 と (25) (24) に、原子の循環的な動きと再生力について次のように述べている。 由に動き回って新しい生命を生み出」すのだ。アウィアクタはさら きた原子は、 「予測可能なパラメーター (媒介原子)のなかで」 「自 の文脈に置き換えられたとき、理論化され、隔離され、分離されて 子ということになると、言葉は詩の中でしか語られない。詩人も、 葉を引用し、また『セイルー』の中では、ニールス・ボーアの「原 同然で、火の消えたロウソクである」というアインシュタインの言 それを知らず、もはや驚きをもつこともできないものは、死んだも とに関わっているのだから」という言葉を引用した 。この事実は、 事実を語ると言うよりは、イメージや精神的つながりを創造するこ に私は気がついた。循環的な動き、常に動いて、常に新し 場にあることを示唆している。アインシュタインが芸術と科学の根 理論物理学者たちが提唱してきた詩的な科学と、基本的には同じ立 アウィアクタの原子の詩学が、アインシュタインやボーアといった 原子 は確かに、自然の「母の心臓」であるのだということ が地球や自分自身を破 壊しても、原子の母の心臓、すなわ 源にあるものを「神秘」とし、ボーアが原子を詩の中でしか語れな アスで危険な美の存在。…まるで山のように。私は原子も山も 原子は私の幼少時代の詩―イメージやリズム。それはミステリ スで詩的なものとして捉えていた。 いものとみなしたように、アウィアクタもまた、原子をミステリア 壊 し て も 、 常 に 「 新 しい 形 と 融 合 し な が ら 」 生 き 続 け る 自 然 そ の どちらも愛した。それから原子はおかしくなる… 見知らぬも のへと変わっていった。なぜかは分からないけれど、私は原子 を避けてしまった。でも今では分かる。問題なのはどういう風 にそれが語られたのかということ。あの人たちは当時、原子核 を分裂させた。きちんと、正確に、うまくコントロールして。 科 学 と 詩 学 が 出 会 うと こ ろ それから重たい具体的な散文で描写した。でもその言葉はうま ― ここまで、近代科学の支配的ナラティヴを詩的な原子のナラティ くフィットしなかった。具体的ではだめなのだ。 お わ りに ヴへ転化しようするアウィアクタの試みについて述べてきたが、ア ラチア』 の巻頭 で 、 「私たちが経験できる最も美しいものは神秘で 力 豊か で大 胆 と もい え る こ の 発 想は 、 ボ ーア やア イ ンシ ュ タ イン 原 子 は 詩 で あ り 、 イ メ ー ジ で あ り、 リ ズ ム で あ る 、 と い っ た 想 像 うことも述べておかねばなるまい。アウィアクタは『永遠なるアパ ウィアクタが必ずしも、原子の科学を否定しているのではないとい 五 も の の 姿 で も あ った 。 え る 詩 学 を 擁 護 す る 。 そ れ は 、 た とえ 人 間 が 地 球 や 自 分た ち を 破 な 性 質に 目 を 向 ける こ と で、 自然 の 生 命力 や再 生 力 を 肯 定 的 に 捉 ア ウ ィ ア ク タ の ナ ラ テ ィ ヴ は この よう に、 原子 の 循 環 的 で 育 成 的 ち 再生 す る 自 然 の 中心 は、 生 命 を 生 み 出 し 続け る 。 い形と融合しながら、生命を生み出すもの。たとえ私たち (27) ある。神秘は真の芸術と真の科学の根源にある基本的な感情である。 (28) 133 (26) る か と言 う と 。 そう だ ね 、 ま だ 誰も 分か って い な い だ ろ と い っ た 科 学 者 た ち の 原 子 の ナ ラ テ ィ ヴ と 多く を 分 か ち 合 っ て い して生きて い く こ とを 学 ばなくち ゃいけない 。 う ね 。 私 た ち は 原 子 の 本 来 の 姿 に 敬意 を 示 して 、 原 子 と 調 和 ― る 。 ア イ ン シ ュ タ イン や ボ ーア が 、 原 子 の 性質 は 従 来理 解 さ れ て る こ とを 提 唱 し てい た よ う に 、 ア ウィ アク タ もま た、 人間 が 原 子 希望が残されているように私には思えてならない。というのも、人 ことをまだ誰も分かっていない、と指摘する。そしてこの点にこそ、 ここでアウィアクタの母親は、原子が何を意味しているのかという 見抜 き、 原子 を表 現する た め には 新 しい言 語の 用い 方 が必 要で あ き た よ り も ず っ と 適 応 性 が あ っ て 予 想 不 可 能 で あ る とい う こ と を こ とを 主張 して きた 。 を 理 解 す る 際 に は、 ア ナ ロ ジ ー と い う 修 辞 法 が 必 要 不 可 欠 で あ る (30) 投下 され た 原 爆開 発に 貢 献 す る 結 果 と な っ て し ま っ た 。 一九 四 〇 重 た い 無 機質 な レ ト リ ック や数 字 に 置 き換 え ら れ、 広島 や長 崎に 論 や ボ ーア の 原子 の ナ ラ テ ィ ヴ は、 肝 心 の 生 命 の 部 分を 持た な い だ が 、 皮 肉 に も 、 詩 的 な 科 学 を 提唱 した ア イ ン シ ュ タ イ ン の 理 りのできごとについて、自然界の現象について、そして原子につい 私たちは語り (生き)続けることができるからだ。私たちの身の回 意味しており、原子が人間によって支配されない生命体である限り、 は、人間が原子をいまだ完全には支配しきれていないということを 間がまだ、原子が何を意味しているのかを分かってないという事実 て。もちろん、私たちが原子について語るとき、自分たちの経験や 年 代 の オ ー ク リ ッ ジ に お い て も ま た 、「 き ち ん と、 正 確 に 、 う ま く コ ン ト ロ ー ル し て 」 分 裂 さ せ る 科 学 や 、「 重 た い 具 体 的 な 散文 が、ウィラード・ストーンの彫刻に出会うまで、原子を破壊的イメ ージでしか語れなかったように。既存の言語・思想システムを問い 境遇といったものから完全に逃れることはできないだろう。私自身 直すことは、決して容易なことではない。けれども、原子のナラテ で 描 写 」 す る ナ ラ テ ィ ヴ に よ って 原子 は 支 配 さ れ て し まう 。 そ う し て 、 楽 観 的 に は な る こ と は 難 しい 。 し か し 、 そ れ で も 、 ア ウ ィ い った 意 味 に お い て も 、 ア ウ ィ ア ク タの 提 案 す る 原子 の 詩 学 に 対 ア ク タ の 詩 と散 文 は、 ある 種の 希 望 を 私 た ち に 与 え て く れ る 。 以 ィヴを問い直し続けるまさにその行為のなかに、人間が原子と新た な関係を築く可能性が、まだ残されているのかもしれない。 下 は、 幼 い 頃 ア ウ ィ ア ク タ が 母 親 か ら 聞 い た 言 葉 で ある 。 それ を 使 って 皆 を 傷つ け る こ とは 可能 な ん だ よ 、 マ リ ル ー 。 注 した 。 け れ ど も 原子 その も の は ど う だ ろう 。 原子 は 人 の 目 に めに優 先順 位を決 定し 、そ れ に基づ いて 患者 の手当 や医 療処 置を行 それ は何 万人 とい う ヒ ロ シ マ とナ ガ サ キ の 人々 に死 を もた ら は 見 え な い も の で、 最 も 小 さ な 粒 子 。 お 前の 手 も 、 洋 服 も 、 う 時 な ど に用 い ら れ る 概 念 で あ る。 1 Stone, Willard. Our Atomic Baby. Gilcrease Museum, Tulsa. 1946. ト リア ージ とは一般的に 、戦場など で生存者数 を最大限 にするた て い て 、 動 き回 って い る ん だ よ 。で も 原 子 が 何 を 意 味 し てい お 前の 飲ん で い る ミ ルク も、 全 て が 何 百 万 と い う 原子 で で き 2 134 (29) Oakridge National Laboratory. Department of Energy. 30 April. 2013. www.ornl.gov. Web. 20 19 18 Adamson, 171. Visvanathan, 48. Visvanathan, 48. Marilou, Awiakta. Reweaving the Future. Interviewed by Thomas Rain Crowe. Appalachian Journal: A Regional Studies Review. Fall 18.1 ” “ ” Selu, 143. Rising Fawn, 43. Iris, 1983. 17. Selu, 21. Selu, 181. Reweaving the Future, “ ” ( “ ) ” 付記 科研費(科研番号 Selu, 69. 学 」で発表した内容に 、加筆・修正を施したものである 。また JSPS )の 助 成 を 受 け た 研 究 の 一 部 で あ る 。 : 25770111 回大 会シ ン ポ ジ ウ ム 「カ ウン タ ー ナ ラ テ ィヴ か ら 読 む ア メ リカ 文 ク・エ イジ のア メ リカ文 学 」 と 中・ 四国ア メ リカ 文 学会第 四十二 本稿は九 州ア メリカ文 学 会第五十 九回シン ポジ ウム「アトミ ッ Selu, 66. の世界 を経験することと はで きない」と述べて いる。 Abiding Appalachia, 79. ア ウィアクタは「私た ちの知覚で はアナロジーによってでしか核 Abiding Appalachia, 11. Selu, 68-69. 45. Awiakta, Marilou. Rising Fawn and the Fire Mystery. Bell Buckle, TN: Moony, James. Myths of the Cherokees. 1900. Michigan: Scholarly P, 引 用 は 松 永 が 要 約 し た も の で ある 。 1970. 244-245. 1990 : 40-54. ) ] Selu, 30. From the Annals of the Laboratory State. ( [ Thompson, Mariou Bonham. Abiding Appalachia: Where Awiakta, http://oakridgevisitor.com. Abiding Appalachia, 83. Web. Visvanathan, Shiv. Alternatives XII 1987 : 38-59. Merchant, Carolyn. The Death of Nature: Women, Ecology and the Merchant, 171 Scientific Revolution. 1980. New York: HarperSanFrancisco. 1983. 164. Merchant, 171-72. Louis-Ernest Barrias, La Nature se dévoilant devant la Science. Musée d'Orsay. 1899. Merchant, 193, 195. Adamson, Joni. American Indian Literature, Environmental Justice, and Ecocriticism. Tucson: U of Arizona P, 2001. 170-171. “ Awiakta, Marilou. Selu: Seeking the Corn-Mother's Wisdom. Golden, 以 下 、 本 稿 に お け る 英 文 引 用 の邦 訳 は 、 す べ CO: Fulcrum, 1993 : 31. て松永 による。 Awiakta Mountain and Atom Meet. Memphis, TN: St. Luke's P, 1978. 13. The Oakridge Convention and Visitors Bureau. 30 April. 2013. Abiding Appalachia, 47-48. 6 Genesis. 7 Merchant, 211-12. 135 8 21 22 29 28 27 26 25 24 23 30 3 4 5 9 11 10 12 14 13 16 15 17