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ホヴァリング
menu 1969 1970 ( 42歳) 「第1回信濃橋画廊選抜展」信濃橋画廊( 大阪) 「とまと」Tomato 200×100cm( 鉄、トマト) 無機的な鉄と有機的なとまととの出会い。他者性。時間性。 1997 年の「送られた熱」 の鉄壁と銅との 関係と構成的には同じ。( 但し、熱の輸送のコンセプトが付加されている。) 鉄の加工の仕方は、1995 年 の「Plate−Burnt Vocal Cords」 、「WHITE IRON」 に続く。鉄板シリーズ。 とまと 1970 「電熱器」出品。 「神戸須磨離宮公園第2回現代彫刻展−夜と昼」神戸市須磨離宮公園 ( 神戸) 「余り」The Remainder 400×250×200cm( ポリエステル、土、ワイヤロープ) 「自重」からの次の行為。地球の余り。地面から表皮を摘まんだもの。「トランク」の中に入れた、かつ て南君と話していた「宇宙に出ると俺達は余りだった」というメッセージとも繋がってくる。重力とか熱 とかは根源的なものとして宇宙構造の中に組み込まれているが、自我は宇宙の物質界からすると余りの 瘤にすぎないという思いを抱いていた。 この頃、村岡はハイゼンベルクの不確定原理を読み、一条の光を予感する。それはその時の自分にとっ て、“またたき”であったと回想している。 ( 参考) 村岡三郎「たしか中学生・・・」 余り 1970 「余り」The Remainder( 模型) ( ポリエステル、土砂) 「余り」The Remainder( 完成図) 余り(模型) 余り(完成図) 「5周年記念 20人の方法展」信濃橋画廊( 大阪) 「れもん」lemon( 鉄板、木、レモン) 9mm の鉄板の上で椅子をバーナーで燃やし、炭化した椅子の上に有機的なレモンを置いた。他者性。 鉄板シリーズ。 1971 ( 43歳) 「第2回現代国際彫刻展< 現代世界の人間像> 」彫刻の森美術館( 箱根) 「We Never Evolve」 80×100×200cm( 木、タイプライターによる文字) 関所としての「箱根」で、立て札に墨ではなくタイプライ タ ー に よ る 英 文 字( = ア メ リ カ 文 明) で 書 く 。 反 ア メ リ カ の 作品。文明の関所としてアメリカ文明を締め出している。 ( 参考) サイード『知識人とは何か』より We Never Evolve 1971 「和歌山現代美術展」和歌山県立近代美術館( 和歌山) 「第4次会談( 机と椅子) 」( 鉄板、分解された拳銃) 安保の一環として防衛計画が強化されていく日米会談への抗議。 第4次会談( 机と椅子) 1971 「作家とシルク印刷展」タグチプロセス( 大阪) 「シルクスクリーン」Silk Screen ( 美術手帖、リンゴ) 美術手帖のあるページを見開き、生のリンゴを置き、その表面にそのページの一部をシルク印刷した。 展覧会の2日目にインド人の女性がやってきてリンゴを齧って飲み込んでしまった。その齧ったリンゴ はそのまま展示され続けた。作品に他者性が加わって、それ自体をまた作品化している。 「第4回現代日本彫刻展−材料と彫刻・強化プラスチックスによる」宇部市野外彫刻美術館 ( 山 口) K氏 賞受賞 シルクスクリーン 1971 「ゲル化」Gelation 80×100×200cm( 樹脂) 公園のコンクリートの既成のベンチをまず木枠で型取り、その木枠をベンチからずらし、一部を取り 込んだ状態で、ポリエステル樹脂28缶を封入し固めた( ゲル化) 後、木枠を外したもの。ものの硬化( 物 質の変化) を最もミニマルな形で視覚化した。場所性とズレ。展示後も作品の撤去は意識的に行われず、 現場に意図的に放置された状態のままにされた。 ゲル化 1971 ゲル化(図) 「THE END」The End 50×40×25cm( 鉄、樹脂、他) 1978 年修繕 小品。 1972 ( 44歳) 関西女子美術短期大学の教授となる( 1981 年退官) 「貯蔵していくこと A光 B生態( 蝿) 」信濃橋画廊( 大阪) 「貯蔵−光」Storage-Light 200×200×200cm( 懐中電灯、ビニール、電池、鉄) 「鉄棒に吊るされた一辺1 5 0cm 立方の、密閉された黒のビニールシートの中に、20本の懐中電灯の光 を投入し続けた。その間消費した電池は840個。」 貯蔵−光 1972 「貯蔵−蝿の生態とその運動量」Storage-The Ecology of Flies and Their Momenta 100 ×70×70cm( 鉄、ガラス、20 W電球、蝿の幼虫) 「蝿の幼虫が上部のガラス器具入口から展示期間中密閉された鉄の箱の中に投入された。その幼虫は、 箱の中で順次蝿の成虫へと成長し、やがてその一生を終えた死骸は、下部の小さな出口から順次排出さ れた。展示最終日迄その数は385匹。その後上部の入口と下部の出口は封印された。」 貯蔵−蝿の生態とその運動量 1972 「神戸須磨離宮公園第3回現代彫刻展−都市空間のなかに」神戸市須磨離宮公園 ( 神 戸) 神戸美術愛好家協会賞受賞 「貯蔵−都市空間の中で」Storage-In Urban Space 100×600×300cm( 鉄、振動スピーカー、集音マイク、アンプ、 電話回線、その他) 「神戸市内の3箇所に設置された集音マイクから電話回線を通じて、それぞれの都市の振動エネルギー ( 音) を、現地に設営された鉄板に展覧会中投入し続けられた。」 都市エネルギーを音として鉄板内に貯蔵した作品。貯蔵3部作。 貯蔵−都市空間の中で 1972 共同行為「この偶然の共同行為を一つの事件として( 三人の心臓音) 」 今井祝雄・倉貫徹との街頭イヴェント( 大阪難波・御堂筋) この共同行為には、次のようなコメントが添えられた。 「今回、今井祝雄・倉貫徹・村岡三郎の共同行為として各自の心臓音を7月20日以降10日間この一 角に投入します。心臓音は、店内のテープレコーダーと屋上の3台のスピーカー及びウィンドーのオシ ログラフで構成されています。街の騒音と人間の生命体としてのリズムを相互に浸透させます。」 この偶然の共同行為を一つの事件として( 三人の心臓音) 三人の心臓音を御堂筋のビルの屋上に設置した3つのスピーカーから同時に流した。三人の心臓音が 重なる時がある。10日間続ける。2人のヤーサンが毎日そのスピーカーの前にやってきて、聞いてい た。この反社会性の行為に、「こんな痛快なことはないわ」と共感を感じ、撤収の後片づけまで手伝った。 ( 参考) 「雑踏のなかで心臓音ドクドク」 1972 心臓音 この偶然の共同行為を一つの事件として( 三人の心臓音) 1972 「部分展」信濃橋画廊エプロン( 大阪) 「第5回現代の造形< 映像表現 '72> もの、場、時間、空間−Equivalent Cinema−」京都市美術館( 京都) 「棒」( 8mm 映像) 店舗のウインドウに外から棒を何回か位置を変えて立て掛けた映像を中から撮り、それを美術館で再 生しながら、その映像のスクリーンに棒を何回か位置を変えて立て掛けていく作品。時々偶然に映像と 現実の棒とが重なる時がある。その時間、空間性のズレを露わにした作品。メディアは何を使おうと表 現したいコンセプトは同じである。 棒 1972 「貯蔵−蝿の生態とその運動量( 一匹分) 」Storage-The Ecology of Flies and Their Momenta 40 ×30×30cm( 鉄、蝿 の幼虫) 貯蔵−蝿の生態とその運動量( 一匹分) 1973 ( 45歳) 「閉回路」立体ギャラリー射手座( 京都) 「閉回路」Closed Loop 5×5×37cm( 鉄、振動マイク、金槌、テープレコーダ) 叩いた音が5秒遅れで椅子に伝わってくる。それを感じてまた人が金槌で鉄板を叩く、という人の介 在した閉回路を構成する作品。 閉回路 1973 閉回路(鉄板に関するルール) 閉回路(図) 1973 「村岡三郎 二十年の記録展」信濃橋画廊エプロン( 大阪) 「日韓現代彫刻展」兵庫県立近代美術館( 神戸) 「鉄」出品。 「負の鉄」Negative Iron 14×30×21cm( 鉄) 鉄の表面を擦り続けて、物質自体を消去していく作業。鉄の表面に日にちを刻印し、その刻印がなく なったらまたその日の刻印をして、その作業を繰返す。1年以上続けるが、腰が痛くなって止める。自分 で自分を減らしていく、負のトートロジーの表現。「PlanⅠ−(Iron)」「PlanⅡ−(Iron distance) 」と呼ばれ ることもある。 負の鉄 1973 「第5回日本芸術大賞展」伊勢丹( 東京新宿) 「貯蔵−蝿の生態とその運動量」出品。 「第1回彫刻の森美術大賞展」彫刻の森美術館( 箱根) 「貯蔵−音」Storing−Sound 100×600×300cm( 鉄、振動スピーカー、集音マイク、アンプ、電話回線、その他) 貯蔵−音 「現代日本美術展< 現代美術20年の展望> 」東京都美術館( 東京) 「1973 京都ビエンナーレ< 集団による美術> 」グループ"Equivalent Cinema" に参加 京都市美術館( 京都) 1973 「第6回現代の造形< 映像表現 '73> 写真、フィルム、ビデオ」京都市美術館( 京都) 「グラインダー」( 映像) グラインダーの回っている状態を編集も無しでそのまま映像に撮ったもの。映像の中での時間性 ( 撮る 側) と現実の時間( 見る側) との関係の意味を剥奪していくミニマルな仕事。 「アサヒ=アート・ナウ '73」梅田近代美術館( 大阪) 「ペット」5×5×37cm( 鉄、くさり、地図) 鉄をくさりで引き摺り続けて、消えた鉄と道路の関係の痕跡を視覚化した作品。車で引張った経路を 地図にも記した。しばらくは、歩いて煙草を買いに行くのにも引き摺って行っていた。 ペット 「第9回今日の作家73年展」横浜市民ギャラリー( 横浜) 「貯蔵−蝿の生態とその運動量」出品。 「第5回現代日本彫刻展−形と色」宇部市野外彫刻美術館 ( 山口) 1973 「ロード阿倍野橋筋」( 鉄、シルクのインク缶) 敷き詰められたセメントタイルが阿倍野橋筋と宇部の会場で同じ物が使ってあったので、阿倍野橋筋 の写真を撮って、宇部の会場にシルク印刷した。そのうえで、宇部でのシルク印刷に使ったインク缶を 現地の空間内に置き、その影だけ描き足した。空間移動=移相のトートロジー。村岡の仕事には、空間 の移相、音の移相、熱の移相、状態の移相、エネルギーの移相、時間の移相等、「ずれ」=差異化するこ とによって、存在の本質を現示する手法が、多く用いられている。この「移相」という方法は、「もの」と「概 念」とが接点を持って接していて、それらのなす「角度」が大きければ大きいほど作品として成功するとい う村岡の製作原理から派生したひとつの重要な手法である。 ロード阿倍野橋筋 1973 「アート・コアオープニング展< 映像と影像> −フィルムコミュニケーション」アート・コアギャラリー( 京 都) 「Film Exhibition in Signum FILMARTS」Signum( 京都) 「アート・コア・フィルム・トリップ」アート・コアホール( 京都) 「第1回信濃橋画廊懇談会< パリ・ユーゴ・サンパウロ・ヴィエンナーレ> 」に参加 信濃橋画廊エプロン( 大 阪) 「村岡三郎+乾由明」ダイアローグみづえNo.817 4月号 「負の銅貨」Negative Copper Coin 10×8cm( 10円銅貨、銅板) 10円銅貨の表面を半年間擦り続けて、物質の意味性を消去し ていって元の物体に戻す作業。美術手帖の1973 年 11 月号の表紙 のために制作。 ( 参考) 「負の銅貨−表紙のために」村岡三郎 負の銅貨( 美術手帖 1973 年 11 月号) 1974 ( 46歳) 「シグニファイング、言語、事物/ 態度の表明とともに」京都市美術館( 京都) 「音」出品。 「フィルム・イクジビジョン・イバラキ '74」茨木市立中央公民館( 大阪) 「第7回現代の造形< 映像表現 '74>」アート・コアホール( 京都) 「無限軌道」( 映像) 木星探査機ボイジャーが飛んでいる最中、鉄道を電車が走り続けるのを横から撮った中に、ランダム に木星の映像を挿入したもの。 「第11回日本国際美術展」東京都美術館( 東京) 「未確認の記録( バール) 」Record of Unidentified 110 ×230×40cm( 石膏、バール( 鉄道用) 、松川事件裁判記録年 表、鉄) 松川事件を取扱ったもの。証拠のバールが実は、アメリカ製であったため無罪となった。そのバール を一度石膏に埋め、それを掘り返した。松川事件裁判記録年表も逆に綴り直し、時間の発掘とをだぶら せた告発の作品。世間でこの事件が忘れられた頃に発掘( = 発表) し直している。世の中に痕跡として残る という作品の持つ特殊性を逆に利用した告発である。 松川事件裁判記録年表 野間宏『黒い霧』参照。 未確認の記録( バール) 1974 未確認の記録( バール) 1974 「無題」ギャラリー16( 京都) 「音響片」( 木、振動マイク) 京都の裏山の森の中の1本に振動マイクを固定して、その上下を楔状にのこぎりで切り取る。その音を 収録し、その片を会場の床に置き、逆に木片をスピーカとして音を流した。物質に関わった音をまた自分 から発する仕事。音=振動のトートロジー。時間の可逆性。 音響片 1974 「音響体」( 鉛板、振動マイク) 1mm の 鉛 板 で 振 動 マ イ ク を 金 槌 で 叩 き な が ら 包 ん で い く 音 を 収 録 し 、 ま た 再 生 し て い く 仕 事 。 だ ん だん音が小さくなっていく。音を収録するための物質=振動マイクが、作品の中核となっていく。 音響体 1974 「音響板」( 木、振動マイク) 10mm の ベ ニ ヤ 板 に 振 動 マ イ ク を 取 り 付 け て 、 角 材 を 壁 に 置 い て 床 と 角 材 と 壁 に 沿 っ て 折 っ て い く 音が記録され、その音を自らが発信体=スピーカとなって自らの折れる音を発していく。 村岡の音の仕事は、物質の質との関わりから生じる振動=音を物体の質=他者性を通して再現してい く作業である。物質の質を振動をメディアとして別の質を通した表現。音のおもしろさを追うのではな く、物質とのかかわりの音を提示する。自重に始まり、見えないものを現前化していく系列の仕事。こ れは音だけでなく、熱の仕事に拡がっていく。 音響板 1974 「無題」信濃橋画廊( 大阪) 「空化」The Void 60×600×120cm( 手、ゴム、みみず、石、ガラス、熱、鉄、ラード、雨、木、光( 電球) 、石膏) しりとり遊びを使った、物質の「しりとり」。物質が空化した後の痕跡だけが連続して提示される。 「未確認の記録( バール) 」出品。 空化 1975 ( 47歳) 「観測値」ギャラリー16( 京都) 「観測値」村松画廊( 東京) 「観測値−a またはb の見たもの」80×60cm( 写真によるドローイング) 父 親 が 持 っ て い た 写 真 を 引 用 し て 、 被 写 体( a またはb) が 見 て い る で あ ろ う 風 景 を 想 像 し て 描 い た も の。撮る方( 加害者) と撮られる方( 被害者) とを等価に戻してやろうとした作品。 観測値−aまたはbの見たもの 1975 「観測値」( 写真によるシルクスクリーン) 観測値 1975 観測値 1975 「タナトス」真木画廊( 東京) 「タナトスA」 ThanatosA 20×80×60cm( 石膏、バネ、みみず、拳銃、) 石膏でサッカーグランドを型取り、その裏側。ゴールに女性の陰部の女型がありそこにバネがひかか っている。その延長にみみずが魚針で吊ってあり、その片方が拳銃の劇鉄に繋がっている。みみずが収 縮すると女性の陰部は快感を感じると同時に拳銃で撃たれる。この競技がサッカーグランドの裏で行わ れている。女性とは、エリザベス女王である。 タナトスA 1975 「タナトス B」ThanatosB 15×30×20cm( 鉄枠、ガラス、拳銃、戦死公報) 昭和14年日本製のピストルが兄の戦死公報を狙っている作品。引き金から重りがぶら下がっていて、 その先に「東京都千代田区」と書いてある。その地点から戦死公報に記された旧満州吉林省林口までの距 離が記されている。 タナトス B 1975 「タナトス C」Thanatos C ( 石膏、ビニール、呼吸、死物) ビニールの中に1回分の呼吸を封入したものを石膏で固めている。その片方に小包がある。その小包 は、小清水漸氏に「死を送れ」と依頼して送ってもらったもの。中身が何であるかは未だに村岡は知らな い。 タナトス C (部分−ひと呼吸) タナトス C タナトス C (部分−死物) 1975 「タナトスD」 Thanatos ( 紙、 石) 自分の死顔を想像してドローイングしたものをアトリエの床の板に石膏で固めたものの上に置いたも の。死顔は虫メガネを加えている。この虫メガネは、初めて老眼で老いを意識させられた対象物である。 (タナトス 全景) タナトスD 「第18回毎日選抜美術展」大丸( 京都) 「空化」出品。 「1975 年京都アンデパンダン展」京都市美術館( 京都) 「ART and VIDEO」アート・コアギャラリー( 京都) 1975 第3回ルナ・フェスティバル「いま芸術は・・・」 コンプレックス・ワークB< 晩餐−人間再現> ほか」芦屋ル ナホール( 兵庫) コンプレックス・ワークB「晩餐−人間再現」 ( 参考) 展覧会「いま芸術は・・・」高橋了 「EXHIBISM−方法から方法へ」神奈川県立県民ホール・ギャラリー( 横浜) 「心臓音」 植松圭二らとのコラボレーション。マン・レイの目玉のメトロノーム「こわすべきオブジェ (Object to Be Destroyed)」(1932)へのオマージュ。メトロノームと心臓音とを重ね合せる仕事。 心臓音 1975 「静物」エスパース土曜( 東京) 「光を喰ったミミズ」( ドローイング) 中原祐介の企画展。懐中電灯をみみずが食べていて、胴体から光が透き出ているドローイング。みみ ずには目がない=視覚がない。 光を喰ったミミズ 「10周年記念 20人の方法展」信濃橋画廊( 大阪) 「トマト」出品。 1975 ?(不明・ドローイング) ?(不明)1975 年 1976 ( 48歳) 「タナトス」信濃橋画廊( 大阪) 「ナビゲーター」ギャラリー16( 京都) 「ナビゲーター」 「ナビゲーター」ギャラリー16( 京都) 1976 「10個の太陽」Ten Suns 100×80cm( 紙、ポラロイド写真) 10個の太陽 1976 「標的空間」( 紙、標的) 空気銃でデッサン紙を折った上に標的を貼ったものを撃つ。広げると弾の後があちこちに付いている。 3次元から2次元への展開。 標的空間 1976 「挟撃空間」( 紙、ペンチ) 同様に折った紙をペンチで鋏んで広げたドローイング。 挟撃空間 1976 「頚動脈」( 紙、インク、インク消し) 頚動脈ドローイング2点。びっしりと脈が書き込まれている。一部インク消しで消されていて、ピス トルの撃鉄が描かれている。自殺のイメージ。ロシアン・ルーレット。 「交信」( 鉄、樹脂、ペンチ、金) 遺跡の上を飛行機( ペ ン チ) で飛んでいる。他者との出会い。金と鉄との針金が言語でではなくて、物 質的な交信をしている。 「コラージュとフロッタージュ展」ギャラリー16( 京都) 「1976 京都ビエンナーレ< 七名の評論家による現代作家展> 」京都市美術館( 京都) 「空化」出品。 「彫刻家によるドローイング展」青画廊( 東京) 「日本の現代作家展 デュシャンを透して」ギャラリーペテ( 大阪)/ 日仏会館( 京都) 「テーブルとイス」 「机上鉄の本」 「第4次会談( 机と椅子) 」 で使った「テーブルとイス」の上に一体性双生児の写真を挟んだ鉄の本を 置いたもの。反ベトナム戦争。 「第12回今日の< 空間> 展」横浜市民ギャラリー( 横浜) 1976 ?「世界地図」 ?(不明) ?「世界地図」 1976 年頃 ?(不明)1976 年頃 1977 ( 49歳) 「現代美術の鳥瞰」展( 京 都 国 立 近 代 美 術 館) の 運 営 に 対 し て 抗 議 し 、 福 岡 道 雄 、 河 口 龍 夫 、 小 清 水 漸 と と も に出品依頼を拒否 「ホヴァリング」信濃橋画廊( 大阪) パフォーマンス「ホヴァリング( 空中停止) 」Hovering( 撮影: 小清水 漸) 自らが自らを支えている。重力への挑戦、抵抗。 ホヴァリング(部分) Photo by Hiromu Narita 1977 「ホヴァリング」信濃橋画廊( 大阪) 1977 「ホヴァリング」信濃橋画廊( 大阪) ( 参考)1977 年 8 月「美術手帖」 1977 「村岡三郎、福岡道雄、河口龍夫、小清水漸 彫刻展」信濃橋画廊( 大阪) 「標的空間 No.2」 標的空間−No.2 「村岡三郎、福岡道雄、河口龍夫、小清水漸 絵画展」ギャラリー16( 京都) 「頚動脈」出品。 1978 ( 50歳) 「作品展 WORKS-1952∼1978」ギャラリー16( 京都) この回顧展に際してそれまでの作品を復元・改作する。 「作品」、「1954 年 7 月( 鉄) 」、「背」、「レリーフⅠ」、「レリーフⅡ」、「手( あやとり) 」、「手( 鉄板を持つ手) 」、「バ ネ」、「トランク−No.2」、「翼」、「滴」、「逃亡車」、「余り( 習作) 」、「ゲル化」、「未確認の記録( バ ー ル) 」、「THE END」、「貯蔵−蝿の生態とその運動量( 一匹分) 」、「貯蔵−光」、「ペット」、「負の鉄」、「負の銅貨」、「空化」、「観 測値」、「タナトス A」、「タナトス B( ひと呼吸) 」、「タナトス C」、「標的空間」、「挟撃空間」、「交信」、「構造」 「トランク−No.2」Suitcase No.2 45×55×19cm( 銅、鉄、アルミ、都市ガス、その他) トランク−No.2 「20年を迎えた京都アンデパンダンの方向< 現代美術、私の提言> 」京都市美術館( 京都) 「木」他2点出品。 「椅子のかたち< デザインからアートへ> 」国立国際美術館( 大阪) 「イスとテーブル」出品。ギャラリーペテでの「テーブルとイス」を建畠氏が見て出品依頼。 「第1回国際実験フィルム&ヴィデオ展< LIFT UP/ODESSEY ON FILM & VIDEO > 」東海ビデオシス テムほか( 名古屋) ?(不明) ?不明 1978 年頃 1979 ( 51歳) 「インテリア」ギャルリーキタノサーカス( 神戸) 「IRON BED」Iron Bed( 鉄) 戦時中の教育期間中、当番で寝ずの番が回ってくる。 夜中眠くなる。その時壁にたまたま板が立て掛けてあっ た。その板と銃とに寄り掛かって仮眠を取っていた。テー ブルを作った時にその時の事を思い出して作ったのであ ろう。後に「鉄の墓」にリメーク品が収蔵されている。 「テーブルとイス」出品。 ( 参考) 村岡三郎「深くは眠らぬ人よ」 建畠晢 IRON BED 「扉」ギャラリー手( 東京) 「扉」 door ( 鉄、漆喰) 蔵の扉。完璧に空間を密閉する。開いた黒漆喰にコンテで日を鋏んだ頚動脈ドローイングがされてい る。空間と時間を閉じたり開いたりする。アイアン・ブックに続く。この作品は、後年ある大学で人為的 に破壊された。 扉 「手( あやとり) 」、「貯蔵−蝿の生態とその運動量」出品。 menu 「第15回今日の作家< 横浜 '79> 展」横浜市民ギャラリー( 横浜) 「ホヴァリング( 空中停止) 」、出品。 「乾燥器−塩の線」Dryer−A Line of Salt 60 ×180×90cm( 鉄、土、熱、ガスバーナー( 4基) 、プロパンガス、塩 水) 熱せられた鉄板上に( 下 部 に ガ ス バ ー ナ ー 設 置) 塩 水 を 含 ん だ 糸 を 張 り 、 そ れ を 指 で 弾 く こ と に よ り 、 瞬間的に水分が気化し、塩の結晶が線状に痕跡化したもの。 乾燥器−塩の線 1980