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バ ロ ッ ク 明 治 正 昭 和 平 成 鎌 倉 室 町 江
カンテレ史年表 年 TERESIAN KANTELE 日本史 世界史 フィンランド音楽史/カンテレ史 フィンランド史 フィンランド、バルト海沿岸国を中⼼にカンテレ、カンテレに類似する楽器は2000年以上前から存在したと⾔われている。 この頃カンテレで演奏されるのは「カレワラ」に代表するようなルノラウル(詩歌)のメロディと伴奏であった。 トゥルクに⼤聖堂聖歌学校が誕⽣(1155年) 1200 1300 スウェーデンよりキリスト教伝来、これを機にスウェーデン王国の⼀部となる(1155年) トゥルクが⾸都となる(1229年) 鎌 倉 パハキナサーリ条約によってスウェーデンとノヴゴロド(ロシア)が和解し、フィンランド東部はノヴゴロドへ、フィンランド⻄部と南部は スウェーデンに割譲される(1323年) 1400 1500 室 町 スウェーデンで宗教⾰命、これに伴いフィンランドもルター派を国教とする(1527年) M.アグリコラによる「信仰の本」の中で”Kantele(Candele)”という単語が⽤いられる(1551年) ※ただし、竪琴を指す楽器の名称として使⽤されていると考えられる M.アグリコラによってフィンランド語で書かれた最初の本「ABCの本」が発⾏される(1543年) M.アグリコラによって聖書のフィンランド語訳出版(1548年) ヘルシンキの町が誕⽣(1550年) J.フィンノ、T.ぺトラにより「ピエ・カンツィオーネス」編纂(1582年) J.フィンノによって讃美歌が編纂(1583年) 1600 バ ロ ッ 1700 スウェーデンが30年戦争に参加、フィンランドもスウェーデンと共に戦う(1618〜1648年) フィンランドで最初の⼤学、 王⽴トゥルク・アカデミーが設⽴(1640年) 現存する最古の5弦カンテレが製作される(1698年) スウェーデンとロシアの間で⼤北⽅戦争が勃発、これによりフィンランド東部の⼀部がロシアに割譲される (1700〜1721年) ク 1800 江 ⼾ スウェーデンの対露報復戦争により、フィンランドの東部がロシアに割譲される(1741〜1743年) ロシアは、割譲された⼟地に住むフィンランド⼈の宗教的⾃由、不動産、法律や特権を保障 歴史学H.G.ポルタンが著した「De poesi fennica」で5弦カンテレとルノラウルについて⾔及(1766〜1788年) トゥルク演奏協会(1927年以降、トゥルクフィルハーモニー管弦楽団)創⽴(1790年) イタリア出身のG.Acrebiが著した「Travels through Sweden, Finland and Lapland to North-Cape 」の中で5 弦カンテレとルノラウルについて⾔及、またカンテレとルノラウルの楽譜を添付(1802年) スウェーデンとロシアの間でフィンランド戦争が勃発、フィンランドはロシアに割譲される(1808年) フィンランドはロシア⾃治公国となる(1809年) 1800年代に⼊り、弦の数が徐々に増え始め、最⼤で15弦にまでなる 音楽アカデミーがトゥルクからヘルシンキへ移転、F.パシウスが音楽教師として迎えられる。(1828年) ⾸都がヘルシンキに遷都(1812年) 箱型カンテレへの発展、弦の数が20弦以上となり、それぞれの地域で異なる演奏⽅法が編み出され始める (Saarijärviのスティック、Haapavesiでのスルクソイントゥ、Perhonjokilaakso) C.A.ゴットルンドによる「フィンランドの⽺飼い︓カンテレ、角笛のための曲集」出版(1831年) フィンランド⽂学協会(SKS)設⽴(1831年) E.リョンロットによる「古カレヴァラ」が編纂、これにより⺠族ロマン主義が⼤いに花開く(1835年) E.リョンルートにより「フィンランド人の歌と詩の楽譜集」が編纂(1840年) J.L.ルーネベリの詩にF.パシウスが曲をつけた「わが祖国」が初演され、後にフィンランド国歌となる。(1848年) E.リョンロットによる「新カレヴァラ」完本出版(1849年) F.パシウスによるオペラ「カール王の生還」初演。(1852年) オペラ「カール王の生還」にてカンテレが⽤いられる(演奏︓Kreeta Haapasalo)(1853年) F.V.シャンツが「カレヴァラ」を題材とした初めての音楽作品である「クッレルヴォ序曲」を発表。(1860年) ヘルシンキ・オルガニスト養成学校設⽴、M.ヴェゲリウスがヘルシンキ音楽院を創設、R.カヤヌスがヘルシンキオーケストラ協会を設 ⽴(1882年) 1800年代後半には、箱型カンテレの弦数は28弦にまで増える 明 治 1900 ⾔語宣⾔によりフィンランド語は公式に⾏政の場で⽤いられる⾔語となる(1863年) フィンランド議会が召集(1863年) ロシアの通貨ルーブルに代わって、フィンランド独⾃の通貨マルッカが導⼊される(1865年) 徴兵法、フィンランドは独⾃の軍隊を持つ(1878年) アレクサンドル3世、ニコライ2世の統治下、ロシアはフィンランドへの締め付けを強める 第1回ソルタヴァラ音楽フェスティバル開催、カンテレ奏者が招かれ演奏を⾏う シベリウスがカンテレ⽤の楽曲「カンテレのための2つの小品」を作曲(1896-98年) シベリウスが画家ペッカ・ハロネンの5弦カンテレにあわせ、バイオリンパートを加えた小曲「子守唄」を即興で演奏(1899年) フィンランディア初演(1899年11⽉) 「わが祖国」の歌詞がP.カヤンデルによってフィンランド語訳される。(1890年頃) パシ・ヤースケライネンが積極的に国内外で演奏、レコード収録を⾏う(アメリカ、コペンハーゲン、ロンドンなど) オスカル・メリカントがパシ・ヤースケライネンのために「さえずり」を作曲、ヘルシンキで開催されたアンサンブルコンサートで披露 (1904年) パリ万博にてフィンランドブース出展(1900年) 第1回国会選挙(1907年) エルッキ・メラルティン作曲、ヤルマリ・フィンネ脚本のオペラ「アイノ」初演、初めてオペラにカンテレが⽤いらる。ただし、初演ではカン テレの代わりにハープで演奏された(1909年) この頃、⺟語(スウェーデン語/フィンランド語)をめぐっての⾔語論争の影響を受け、各オーケストラでの競い合うオーケストラ戦 争が頻発。 パシ・ヤースケライネンが週刊誌ヨカミエス誌の「フィンランドで最も重要な⼈物」投票でトップ3に⼊る(1910年) ⼤ 正 ヴァイオリン奏者ヘイッキ・ハロネンがルノラウラヤ(伝統詩歌詩⼈)であった⺟ヴィルヘルミーナの5弦カンテレレパートリーを紹 介、翌年兄のアンッティがサヴォ地方の5弦カンテレ楽譜集をまとめる(1917年) フィンランド作曲家協会が設⽴(1917年) ロシア⾰命に乗じ、フィンランド独⽴(1917年) 内戦(1917〜1918年) 憲法採択、⼤統領を元⾸とする共和国となり、K・Jストールベリが初代⼤統領に就任(1919年) 1920年代パウル・サルミネンによるメカニックカンテレの考案、以降、発展を遂げていく これに伴い、箱型カンテレの弦の張り⽅が変化、楽器の向きも⻑い弦(低い)を⼿前にすることが定着化する サルミネンがヘルシンキ音楽院にてカンテレ教師をはじめる。最初の⽣徒はウッラ・カタヤヴオリ、ヴァイノ・ハンニカイネン、アルヴォ・キ ルヴェンサロ(1923年) ウルヨ・フォン・グレンハーゲン、ドイツで後のナチス親衛隊指導者ハインリヒ・ヒムラーに会う(1935年) グレンハーゲン、アーネンエルベ(ナチスドイツの研究機関)の活動としてラドガ湖周辺、カレリア地⽅へ研究へ赴き、ルノラウルや カンテレに関する調査、録音、撮影を⾏う。(1936年〜) 昭 和 1940年代Fazer-musiikki社がパウル・サルミネンのメカニックがついていないカンテレを「ホームカンテレ(Kotikantele)」とい う名称で販売を始め、その後この名前が定着する。 ウルヨ・フォン・グレンハーゲン、アーネンエルベでの研究活動やヒムラーのカレリア文化への興味について述べた本「ヒムラーの秘密 結社」を出版。(1948年) 冬戦争、これによりフィンランドの南東部(カレリア地⽅)がソビエト連邦に割譲(1939〜1940年) 継続戦争、北極海沿岸のペッツァモをソビエト連邦に割譲(1941〜1944年) J.K.パーシキヴィ⼤統領に就任、ソビエト連邦との関係の改善に努⼒(1946年) ソビエト連邦との間に「友好協⼒相互援助条約」締結(1948年) カリフォルニアのフィンランド系移⺠の団体「カレヴァラの兄妹の会」よりシベリウスにコンサートカンテレが贈与される(1950年) 夏季オリンピックがヘルシンキで開催(1952年) 国際連合に加盟(1955年) 北欧理事会に加盟(1956年) ウルホ・ケッコネン⼤統領に就任(1956年) ウッラ・カタヤヴオリがソプラノ歌⼿シルヴィア・アールノと共にニューヨークのカーネギーホールでコンサートを⾏う(1963年) 第1回カウスティネン⺠族音楽祭開催(1968年) 欧州⾃由貿易連合(EFTA)に準加盟国として加盟(1961年) タンペレ音楽院のシラバスにカンテレが加わる(1970年) イロマンツィで第1回カンテレキャンプが開催(1970年) フィンランディアホール完成(1971年) 欧州経済共同体(EEC)と⾃由貿易協定を締結(1973年) シベリウスアカデミーにてカンテレが教えられ始める(1975年) カンテレ協会(Kanteleliitto ry)設⽴(1977年) シベリウスアカデミー⺠族⾳楽学科にカンテレコースが設⽴される(1983年) エルッキ・レスケラがスロ・フオタリより技術を継承し、カンテレメーカーを設⽴(1983年) マウノ・コイヴィストが⼤統領就任(1982年) 「カレヴァラ」150周年(1985年) マルッティ・ポケラ、伝統音楽復興プロジェクトに尽⼒。これにより、全国の学校へ5弦カンテレが贈与される(1985年) シベリウスアカデミーにカンテレソリスト科が設⽴される(1987年) シベリウスミュージアム(トゥルク)にてシベリウスが作曲したカンテレ楽曲「カンテレのための2つの小品」の楽譜が⾒つかる(1989 年) 2000 2000年代に⼊り、エレクトリックカンテレが開発される 平 成 ⽇本カンテレ友の会設⽴(2008年) 第1回国際カンテレキャンプ(クフモ室内音楽祭プログラム)開催(2008年) 第1回国際カンテレコンクール(ソロ)開催(2011年) 第2回国際カンテレコンクール(アンサンブル)開催(2013年) 第3回国際カンテレコンクール(ソロ)開催(2015年) 欧州連合(EU)に加盟(1995年) 初の⼥性⼤統領タルヤ・ハロネン就任(2000年) 通貨がユーロになる(2002年) サウリ・ニーニストが⼤統領に就任(2013年)