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HSE ネパール海外視察研修 報告書 (2012 年 11 月 8 日~11 月 15 日) 主催:株式会社 Kae マネジメント 【目 次】 1.研修目的~なぜネパールなのか~ 2.ネパールという国は 3.コーディネーターの紹介 4.研修行程 5.ネパールの食事情 6.薬局・病院・医療 7.多民族多宗教国家 8.ネパールの自然とアクティビティ 9.おわりに ご 挨 拶 『今、我々に欠けている事は何でしょうか。』 それは豊かさに埋もれてしまったごくふつうの「幸せ感」じゃないでしょうか。 有り余るほどの食料があり、蛇口をひねると当たり前のように水が溢れ出る。 病気になると簡単に医療が受けられる。そんな中で当たり前のことに「幸せだ」と いう実感を忘れているような気がします。 今回はネパールの医療事情を通じて、失われつつある「幸せ感」とは何か。そして、 医療人としてのボランティア精神とは何かを感じる研修を企画しました。 現地における医療の実態、そこで活躍する医療人としての姿勢また日本からの医療 ボランティアの方々との語り合いなど、これからの薬局のあり方を肌で感じること が出来ればと思います。 最後に、「ネパール」という国はヒマラヤ山脈に代表する様に、雄大な山々に囲ま れた自然多き地であります。夏には欧米を筆頭にから多く国から観光客がバカンス に訪れます。多民族多宗教と日本にはない環境があります。 「百聞は一見にしかず」研修を通し、ネパールに対する「見方」が変わりましたら 幸いです。 株式会社 Kae マネジメント 代表取締役 駒形 和哉 ≪ネパールという国は≫ ■ 国名 :ネパール連邦民主共和国 □ 面積 :14.7 平方メートル (北海道の約 1.8 倍) □ 人口 :2662 万人(2011 年人口調査) 人口増加率 2.4% □ 首都 :カトマンズ □ 民族 :チュトリ、バフン、マガール、タルー、タマン、ネワール他(人口数順) 約 100 民族 □ 言語 :ネパール語(公用語) その他、マイティリ語、ボージュブリー語、タルー語、タマン語など多数 □ 宗教 :ヒンズー教(80.62%)、仏教(10.74%)、イスラム教(3.6%)他 □ 通貨 :ネパール・ルピー □ 識字率:59% 【 経 済 】 □ 主産業 :農業、カーペット、既製服、観光 □ GDP □ 成長率 Rs.=約\0.96 (2012 年 12 月) (2009 年国勢調査) :約 186.36 億ドル :3.5% □物価上昇率:9.6% 【 国 旗 】 ネパールの国旗(ネパールのこっき)は、世界で唯一矩形ではない国旗である。特徴的な 形は、ネパール王国の王家と宰相家が使用していた 2 つの三角旗を組み合わせて簡略化し たことに由来している。 国旗の真紅は、ネパールの国花であるシャクナゲの色であり、ネパールのナショナルカラ ーでもある。また、赤は国民の勇敢さを、縁取りの青は平和を、それぞれ意味している。 2 つの三角形はヒマラヤの山並みを象るとともに二大宗教であるヒンドゥー教と仏教を意 味しており、月と太陽はこの国が月や太陽と同じように持続し発展するようにという願い が込められている。 【日本との国交】 1899年僧侶の河口慧海[かわぐちえかい]が日本人として初めてネパールを訪問。 1956年日本・ネパール外交関係樹立。 1989年長野県松本市とカトマンズ市の姉妹都市締結(北アルプスを背景とした松本盆 地の風景が、カトマンズ盆地に似ているためにカトマンズより打診がなされ、締結に到り ました。) 2006年日本・ネパール国交樹立 50 周年を迎える。 ≪コーディネーター≫ 海外研修において最も重要なのはコーディネーターの存在です。現地の医療事情などに精 通しているほか、適切な通訳を行える力が求められます。今回の研修においては、現地で 医師として活躍する楢戸健次郎先生に通訳兼視察のコーディネートをお願いしました。 楢戸 健次郎 氏 (医師 元社団法人日本キリスト教海外医療協力会) 中学の時にシュバイツァーの本を読み、海外医療協という機関があることを知る。千葉大 学医学部卒業後は、家庭医を目指して独自の研修プログラムをつくり多科ローテーション をこなす。北海道の美流渡診療所などに 25 年間勤務。その間、社団法人日本キリスト教 海外医療協力会の一員として理事・常任理事などを歴任。現在、ネパールに赴き医療活動 を行う。 チョウジャリ病院にてアドバイザー ・診療アドバイス ・病院運営のアドミニスター(薬剤発注、人事管理、病院運営など) ・公衆衛生の責任者 昨年よりフリーとなる ・従来業務の引継ぎ(診療手伝い、公衆衛生、病院の運営管理) ・ネパール保健医療いけいけ 16 人のネパール人を医師養成 ネパールの医療をネパール人で担ってもらう支援 ・発展途上国への理解と協力者の育成 駒形 和哉 氏 ツアーコンダクターもその一環 (薬剤師 株式会社 Kae マネジメント 代表取締役) 昭和 54 年 東北薬科大学卒業後、眞鍋薬品株式会社(現ほくやく・竹 山ホールディングス)入社。平成 9 年関連会社㈱マルベリー(現㈱パ ルス)を設立に関わり、社長として同社を調剤薬局(パルス薬局)、在 宅介護用品販売・レンタル(さわやかセンター)の会社として成長さ せた。平成 19 年同社を退社。8 月より医療・福祉・薬局関連分野を中 心とした経営コンサルタント会社である株式会社 Kae マネジメントを 設立。薬剤師、中小企業診断士、宅地建物取引主任者、介護支援専門員 ≪ 日 程 ≫ ■1日目:11月 8日(木) 22:20 集合 羽田空港国際線 3 階出発ロビー集合 ■2 日目:11月 00:20 羽田発 9日(金) タイ国際航空 TG661 便にてバンコクへ 05:20 バンコク着 10:30 バンコク発 タイ国際航空 TG319 便にてカトマンズへ 12:45 カトマンズ着 14:50 ブッダ航空 夕刻 ポカラ着 U4-604 便にて ポカラへ(約 25 分のフライト) ホテルへご案内 休憩後夕食へご案内。 ■3日目:11月10日(土) 09:00 朝食後、病院施設訪問・視察 午後 「観光産業の現状と民衆の生業を視察」 ポカラ市内・視察交流 夕刻 「国土と成り立ちと高地の環境を体感する」 ヒマラヤビューポイント ノーダラの丘へ 夕食へご案内 ■4日目;11月11日(日) 早朝 ヒマラヤビューポイント サランコットの丘へ 午前 朝食後、空港へご案内。ブッダ航空 午後 「暮らしの風景を歩き、民衆の経済活動に触れる」 U4-617 便にてカトマンズへ 商店街・市場の視察 夕刻 夕食「民族音楽と民族舞踊の鑑賞」 (ネパール宮廷料理) ■5日目:11月12日(月) 午前 朝食後、病院施設訪問・視察 午後 「政治体制と信仰に触れる」 カトマンズ旧王宮広場、スワヤンプナート寺院視察 夕刻 夕食「多民族国家ネパールの食文化に触れる」(チベット料理ギャコク鍋) ■6日目:11月13日(火) 終日 「ネパール国家成立の歴史的経緯を辿る」 古都バクタプル視察 ■7日目:11月14日(水) 午前 「死生観と宗教に触れる」 ボダナート寺院・パシュパティナート寺院視察 13:50 カトマンズ発 タイ国際航空 TG320 便にてバンコクへ 18:25 バンコク着 22:35 バンコク発 タイ国際航空 TG640 便にて成田へ ■8日目:11月15日(木) 06:15 成田着 ≪ネパールの食事情≫ 民族によって食生活は異なりますが、基本的に一日二食です。 朝10時と夜7時~10時の間に食べます。 普段の食事は、ダル・バートとよばれる定食です。 ダル(豆のスープ)とバート(ごはん)に独特の スパイスで煮込んだ野菜のおかず(タルカリ)と ピリッと辛い漬け物(アツァール)が添えられま す。 タルカリは、慣れない人には、すべて同じカレー の煮物に見えますが、食べてみると細やかな違い があります。 現地の方が食べていたダルバード また、いわゆる激辛の料理は少なく、ニンニクのコクやトマトのさわやかな酸味を感じる 料理が多いのも特徴です。 【今回の視察では・・・】 ネパールの食事は香辛料を使った「カレー」をイメージする方が多いかと思いますが、イ ンドと中国(チベット自治区)に挟まれた位置事情が食事にも影響しています。 チベット系料理は日本人に馴染みのある中華料理。「モモ」と呼ばれる「小籠包」に似た 料理もあります。また、ネパールは蕎麦の実がなることでも有名です。「そばがき」に似 た郷土料理もあります。日本人に親しみのある料理も数多くあります。 チベット系の料理 チベット鍋料理「ギャコク」 現地で食べた日本蕎麦 ≪参加者の声:医薬品卸 赤尾 様≫ ダル・バートを見て、野菜が多くてヘルシーそう、というのが第一印象だった。ネパールのお 米は、日本のお米よりたんぱく質が2倍含まれており、パラパラとしていて私はおいしく感じ た。ダルと合わさると、脂っこくなく食がすすむ。牛は神聖な生き物とされているため食べな いが、とり肉やマトンといった肉、豆、トマト(火を通したもの)、卵、じゃがいも、青菜を 使った食材が多かった。どの料理も味付けは濃くなく、スパイスが効いていておいしく頂けた。 また、病院訪問の際にも、1日2回の食事の時間にちょうど立ち会うことができた。食事は やはりダル・バートだった。時間になると一斉に患者さんたちが配膳場所に駆け寄る姿を見て、 食事の時間は、どの国の病院でも、楽しみの一つとなっているのだろうと感じた。吉野家の牛 丼のご飯量以上に盛られたバートに、たっぷりのダルやタルカリがかけられており、人々たち は、右手で混ぜ合わせて上手に食べていた。 ≪医療・病院・薬局≫ 医師の資格は 3 種類 1)普通の医師(MBBS) 高校卒業後 SLC(一生ついて周る学歴) +2(サイエンス)医学部入学資格の取得 4 年半 さらにインターン 正規の医師 2)中国の裸足の医師(類似制度) 准医師(CMA) 農村部での医師不足から始まる SLC 取得後 1 年間医学校 OJT 半年から 3 ヶ月 試験を受けて CMA 3)高校卒業後 SLC を取得 3 年間 HA(?)から MBA(?)医師 +2(サイエンス)から医学校へ進む 現在、21 の医学校があり、その 1 校が HA から MBA への進路を進めている 医師資格 3 種類の違いは基本的に修業年数 強いて言うと手術は正医師が担う 1986年 国立トリパン大学(日本の ODA)から医学部が出来る 1987年 1962~3 年ころには医師数が 80 人程度(英国、インドで学ぶ) 促成栽培が始まる ただし、CMA のニーズは田舎だけで、都市部では余っている 医師の教科書は英国モデル 知識はあるが検査機器などが不足(実践的ではない) 医療の質は日本の 6~7 割 検査機器がないことが影響している 救急車は存在するが日本の様な社内装備はなく、輸送だけを目的としている。 家族が付き添うが、お金の前払いがないと発車しない。 病院の治療も前払い制度である。 *「裸足の医師」 中国の文化大革命当時青年活動家たちが活躍した。 その一環として 1960 年以降、農村部の医師不足解消で最短で 3 ヶ月、最長でも 1 年の研修 で医師になった。 看護師 いろいろな資格制度がある 看護学校は多い 准看護師 高校卒業後 1 年間看護学校 半年実習 正看護師 准看護師取得後 2 年間の実習 看護学校 3 年間 +2(サイエンス)の後、直接看護学校に入学 3 年間 薬剤師 ほとんど居ない ネパール 500 人程度 高校卒業後 4 年間学校に通う 3 年間で助手(准薬剤師) 街の薬局のほとんどは CMA(准医師) CMA は田舎でしか医師として評価されていない ネパールの病院にも人員基準がある。しかし、ほとんどが不備の状態のまま。 安定した職を求めて准看護師は、2~3 年後の採用されるためにタダでもいいから働いている。 <訪問先> 11/10 □カンダキ病院(州立) この日は土曜日でお休み 待合室に立ち寄る 薬は院内で渡す かつて日本でも病院の 窓口や薬局の窓口と同じ様に全体が硝子で覆われている そ の硝子は鉄の格子状になっていた □フィッシュテール病院(私立) 100 床、外来患者 100~200 人 設備を見学するが 30 年以上も前の日本の状態を感じさせる 薬は院内と院外に薬局がある 薬剤師はほとんど居ない もちろん白衣も着ていない 院外の薬局では向精神薬以外は一般的に販売可能 許認可は店舗ごとで、更新されていない店舗も多い 11/11 □アナディガン病院(ハンセン氏病センター) カンディル院長(非医師)からのレクチャー 治療だけではなく社会に対する偏見への克服 社会復帰プログラム、心のケア、政府への提言、啓蒙活動 ネパール国内で毎年 3,500 人の新患あり、その内の 10%が子供 現在までに 10 万 6,000 人の治療を行い、6 万 5,000 人の社会復帰の実績がある 研究所(世界に 5 箇所しかない) 早期発見の大切さなどを訴えている □チャタガン診療所 1972 年 国、地方自治体、地域住民による共同運営 モデルクリニック 独自の保険制度を持っている 年間 24,000 人の外来あり 100 件の出産 14 ベッド 30 人のスタッフ(医療系 16 名、事務系 14 名)実習生多数。 薬局はあるが薬剤師はいない。 風邪などで受診すると 30~50 ルピ 保険に入っていると半額 乳幼児健診なども行っている ER を有する 24 時間対応 ≪参加者の声:坂井薬局グループ 坂井様≫ 決して衛生的と言える環境ではないが、地域の医療を支える重要な拠点となっている。この 診療所で働きたいという方は非常に多く、スタッフの一部は無給で働いており、欠員が出るの を待っている現状とのことである。 診療所のある付近はネパールでは一般的な集落であるのだろうが、日本人の感覚には貧しい 環境にあるように思われたので、無給で働いてでも診療所で勤務したいという思いは納得でき た。見学当日に生まれたばかりのお子さんを連れた夫婦が健康診断に来ていた。日本では体重 計が使われるところだろうが、その代わりに天井から籠のようなものがぶら下がっており、秤 で計測していた。また挨拶すると非常に良い笑顔で応対してくれたことが印象的であった。 現段階では、この地区で運営している保険制度を支える財源が足りないため、不足分は諸外 国からの寄付などで賄っており、この依存度を徐々に減らしていこうと努力をしているとのこ とで、皆保険制度が成立している日本は、やはり豊かで幸せな国であると感じた。 ≪参加者の声:東邦薬品㈱ 赤尾様≫ ネパールでは、保険制度がないため、お金がない人は病院には行けない。機器が少なく治療の 範囲が狭い、ほとんどの薬局に薬剤師がいない、などこの医療の遅れが、平均寿命63歳とい う短さをもたらしているのかもしれない。助かる病気も早期でないと命が危ぶまれるものがた くさんある。印象的だったのは、ハンセン病院の潰瘍病棟で、片足を失っている人が多く、車 椅子生活を余儀なくされているのにかかわらず、キャスターのついた木椅子の座る部分が半分 壊れてしまっていて、半分だけにお尻を置いて、動きづらそうに移動している姿を見て、日本 の車椅子がどんどん進化している中で、こういった方たちの為に、日本にいる私たちにはもっ ともっとできることがあるのではないかと感じた。また、ネパールには、薬剤師のいない薬局 が多くある。日本では薬剤師の徹底した医薬品管理や服薬指導により安心して薬が購入できる ことなど、日本で医療を受けられているありがたさを痛感した。また、医療職種がたくさんい る日本でこそ、それぞれの専門性を最大に発揮して仕事していく必要があり、管理栄養士とし てその役割と責任を再認識する機会となった。 ≪多民族多宗教国家≫ ネパールという国は、民族観と宗教観をなくして語ることが出来ない。 100 以上の民族が共存しており、多様な宗教が信仰されている。国民の多くはヒンズー教 であるが、2007 年以降はどの宗教にもとらわれない「世俗国家」として定められている。 しかしながら、各々宗教観は生活と密着し、日常生活の中でも肌で感じることが出来る。 ヒンズー教では牛は神聖な生 仏教寺院スワヤンブナート き物とされている。 日本の七福神もヒンズー が起源と言われている。 ≪死生観≫ ヒンズーという言葉は「川」を意味していると言われている。ガンジス川の沐浴などヒン ズー教に取って川は重要な意味を成している。これは葬儀にも現れている。葬儀の種類は 主に火葬で行われる。カトマンズの中心にはガンジスの支流にあたるバクマティ川が流れ ている。火葬はそのほとりで行われる。 家族に見守られ、儀式がおこなわれる。骨や灰は全て川へ帰される。辺り一面には焦げる 匂いがたちこめている。 別の宗教では鳥葬が行われる。主にチベット仏教やインド系ゾロアスター教などで行われ ている。 火葬は野外で行われる。 着火の役目は長男の仕事 灰が流されるバクマティ川 ≪参加者の声:坂井≫ ネパールには数千もの神々がいるといわれている。一説には、人間の数よりも多いとも いわれている。それほど宗教が生活に根ざしており、その影響は随所に見られる。 火葬場には葬式の参列者だけではなく多くの観光客も訪れていた。日本と違い、観光客 でも誰でも火葬の瞬間を見ることが出来る。現地の有名人が火葬されるときはTV中継さ れることもあるそうだ。またバクマティ川を挟んで火葬場の対岸には安産祈願の祠があっ た。輪廻転生を信じるネパール人からすると、死というものは終わりなのではなく次の人 生へのプロセスであり、大きな隔たりは無いと感じられるのだろうか。私の勘違いなのか もしれないが、そういった輪廻転生の考えを象徴しているようにも思えた。 ≪ネパールの自然とアクティビティ≫ 日本人にとってネパールは親近感のある国ではない。多くの人が「ネパール??」と思う だろうが、代表されるヒマラヤの絶景を中心に、ゴルフやトレッキングとヨーロッパの避 暑地として人気の高い国である。研修の合間にちょっと息抜き!ネパールの自然を楽しん でみた。 ■ネパールの大自然 11 月はベストシーズン。 3000M を超える山々 ヒマラヤの麓のペワ湖 ビュースポットから見る朝日(サンコット) □アクティビティ 研修の合間に・・・ ヒマラヤ山脈 遊覧飛行 パラセーリング 【総括】 ネパールは経済、医療やインフラ整備といった観点からすると日本に劣る部分は多いと 思う。物価は安いが決して衛生的とは言えず、道路の半分は拡張工事中で埃っぽいし、デ コボコ道を走るため車中ではバウンドしっぱなしだった。市中では計画停電の実施や5つ 星ホテルであっても水道水が飲料不可と一目でわかるくらいに濁っていた。 日本では物が豊富にあることが当たり前になりすぎていて、既に幸せな状態にあること を感じにくくなっているのだと思う。 日本では当たり前のようにあるものが、まだネパールでは整備されていない。だが、現 地に住む人々は非常に活き活きとしており明るくパワフルであった。無ければ無いなりに 対応できているし、不便だが死ぬこともない。 物は豊かにあるが閉塞感の漂う日本と、貧しいけれど悩んでいてもしょうがないとばか りにエネルギッシュなネパールとどちらが幸せかと問われると、私には単純には答えられ ないように思う。 ≪坂井薬局グループ 坂井 優夫≫ 「百聞は一見にしかず」で、本で見るより実際の目で見た今回のネパール視察から、多くのことを気 づかされ、学ぶことができた。私たちから見ると、ネパールの人たちは、交通の便、常に埃が舞いクラ クションが鳴り響く道路、紙を流すとつまるトイレ事情など毎日の生活に不自由を感じていないのだろ うか、と余計なことを考えてしまうが、人々は、今ある環境で一生懸命生きて素敵な笑顔とともに毎日 を楽しんでいた。「ナマステ~」(こんにちは)と気軽に声をかけてくれる人たちに、ゆとりがみられる。 そして、日本よりも素晴らしいヒマラヤ山脈の景色には感激した。日本一の富士山がちっぽけに見え てしまうくらいのどっしりとした存在感が、ヒマラヤ山脈にはあり、その景色をよく目に焼きつけた。飛 行機で雲の上を飛んでいても、山々がその雲を突き抜けて存在している。世界一のエベレスト山を見 ることもでき、世界一ってやっぱり凄い!と感じた。散歩している牛や野生の猿も見られ、とても緑が 多く11月という乾季の時期も合わさり、非常に心地よい毎日を過ごすことができた。 日本の中にいるだけではわからなかった発展途上国での医療・生活を実際にみることができ、少 ない物の中でも一生懸命に暮らしている人々を見て、物が有り余るうえ、さらに利便性を求め電化製 品に頼りながらなに不自由なく暮らしている自分たちの恵まれた日本での環境を、改めて感じざるを えない旅だった。 ≪東邦薬品㈱ 赤尾 美代子≫ 今回の視察で、訪れた首都・カトマンズ、第二の都市・ポカラ。どちらも、私たち日本人から見れば、 日本と比べると、想像を絶するような環境の街だったが、ネパールの地方に生活している民衆から見 ると、カトマンズに住むことが出来るのはごく限られた裕福な民族とのことで、農村地域の生活は想 像も出来ない程に貧しいものだそうだ。無医村の地域があちこちに存在し、冬の寒い夜も、ロウソク1 本で藁のベッドで毛布一枚にくるまって暖をとり着るもの1枚でさえも不自由をしている民族が、まだ まだネパールのあちこちに存在するそうだ。 同行してくださった楢戸先生がおっしゃった「皆さん、帰国される前に、捨てて帰る洋服があれば、 ホテルのごみ箱に捨てるのではなく、全て私に預けてください。私たちはそれをひとつたりとも無駄に はしません。ボールペン 1 本、靴下一足、シャツ 1 枚に至るまで、すべて農村地域に住む民衆の為に 使います。」という言葉が、重く胸に突き刺さった。普段、贅沢に買っては捨てているようなシャツ 1 枚 も、この国では生きる為の大切な物資になるのだという事を改めて現実のものとして痛感した。 日本人は何と贅沢に暮らしているのだろう、清潔で安全で、水も食べ物も何もかも安心して口にする 事が出来る、あたたかい家があり、お洒落を楽しむ服があり、そして働く場所があり、沢山の娯楽や 贅沢に囲まれ何不自由なく生活出来る、それが当たり前だと思っている国がある半面、こうして、 日々の暮らしにさえも必死になって生きている民族がいるという事を目の当たりにすると、私たちが出 来ることは一体何だろうと考えずにはいられなかった。そして、私たち日本人が忘れかけているような、 何か大切なものがそこにはあるような気がして、貧しさの中でも強くたくましく生きるネパールの人々 から学ぶべきものが多いのではないかと感じた。 私たちが携わる医療の世界、仕事の内容はそれぞれだが、その仕事の先に絡む多くの人々の幸 せがそこにある事を考えながら、私たちは医療人としての自覚と誇りを持って、日々の業務に取り組 まなければならないと強く感じた研修であった。 ≪東邦薬品㈱ 伊丹 恵子≫