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Page 1 から、体制に異議申し立てをして いる人々相互の交流と討論と

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Page 1 から、体制に異議申し立てをして いる人々相互の交流と討論と
月号 QQ99)
二 1月
0「 交流」は、いろいろな生活領域
1年 間 予 約 制
、 男の子育てを考
2
︲月6日 ﹁
える会﹂主催によるミ ニ ・フェ
スティパルが開かれた。
だしも のは、第1部が、実力
派シンガーソングライターぼけ
まるのコンサート ︵
ギター、
ハ
ーモニカの弾き語り︶、第H部
が大寸劇 ﹁
男= いちどや ったら
やめられな い﹂。
何を隠そう、この大寸劇 こそ
2年度 ﹁
かねてより、8
男 の子育
て ・こ助 の切りにとしてた友ゲ
全 厚 生 は 日 共 系 と いう ち が いは
た い、 と 原 作 者 は 申 し て お り ま
最 後 に 、 出 演 者 のは し く れ と
した。
し て の ぼ く の感 想 ︱ ︱ ま あ 、 ゼ
ニと って 見 せ る 芝 居 と し て は 、
ま だ ま だ 改 良 の余 地 が あ る だ ろ
、出 演
者 一同 え ら く コー
フ ンし て 活 気 づ いた こ と が 、 何
う けど
よ り大 き な 収穫 で はな いでし ょ
,
そ れ に 、 これ を 見 て 、 生 き 方
うか
を 反 省 す る男 が ひ と り でも 出 て
く れ れ ば 大 成 功 で し ょう 。 M
開﹂を学校側に申入れたり、昨
年暮には、大衆運動 の追及の成
果と思われるが、区教委 が ﹁
花
東小学校長の責任を問う﹂と い
うかなり強 い方針を決めたりし
ているが、果してどうなるか?
足立 の金井康治君も、
いった
んは花東小に通うようにな った
のに、花東小教師集団によ って
再び間を開ざされ、養護学校や
区議会議長らが ﹁
学習参加の再
。
ヽつ こ レc
各氏である。
声明の内容は、東一
昼自由保育
園の劣悪な労働条件、労組弾圧
のやり方を批判し、業務上患者
の切り捨てに抗議すると共に、
最低つぎのことを早急に実現す
ることを要求している。
① 柴崎さんに対する ﹁
体職命
令﹂と ﹁
申入書﹂を撤回し、
彼女を原職復帰させること。
② 柴崎さんの病気を業務上疾
病と認め、彼女の軽減勤務を
受入れ、賃金の減収補償を行
.
循 瑠 を う オ “ に“ 霜 す る こと
③ 労働組合に対する敵視と差
別をやめ、誠意をもって団体
交渉に応ずること。
④ 業務上患者を出さないよう、
またその患者が安心して勤務
できるよう、労働条件と労務
男、黒田喜夫、小中陽太郎、菅
以上︶
︵
原克己、高杉晋吾、武田敦史、
そして最後に、多くの心ある
中島誠、針生 一郎、日高六郎 の 人びとに支援を訴えている。
なお、柴崎温子さんの電話は
九七 一︶八五五九
︵
が上す べりでしかな いことが改
めて痛感される。
5、8、9号で紹介して
本紙 6
7 7
きた東京自由保育園 ・柴崎温子
さんは、 印年9月 ﹁
背腰痛症﹂
として労基暑による ﹁
業務上認
定﹂をかちとり、回側 に対し職
場復帰を要求して いるが、園側
はこれを認めず、労基署 の指導
も拒否している。
きわめて悪質な園側 の労働者
弾圧の姿勢に対し、か って柴崎
さんが働 いていた新日本文学会
や国民文化会議 の関係者 である
次の十氏が、
一九八 一年十二月
付で ﹁
東京自由保育国に抗議し
柴崎温子さんの職場復帰を要求
する声明﹂を発表した。
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ひとこと 雌
︹
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詢
鵬
赦
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断
輛
a
縞
賽
餞
子、女の子の役割りのちがいを と ﹁
あ のオジサ ンはウ ルトラ マ
教師から教えられつつ成長して ンと仮面ライダーをご っち ゃに
いく。
してるから つまんな い﹂。
おとなに評判よか ったのは、
主人公を演した丸山君の演技。
特にラストの死神と対面する
場面は仲代達也とど っちか、と
いうぐら いなも の。
注文としては ﹁
余り欲ばりす
ぎてな いか。も っと焦点を絞 っ
たら ﹂とか、 ﹁
ポクはあれほ
,
どひどくな いから いいや﹂と自
己満足してしまう男がでてくる
のではな いか、など いろいろあ
るけど、今後だんだん改良を加
え つつ、あちこちで上演して沢
途中、カ マキリのオス、メス
のかけ合 いとか、 ﹁
正義 の味方
ウルトラマンが、そのカミさん
に油をしばられる﹂ エピソード
とか、 ﹁
ふぬけ男を叱るパネル
ディスカ ッシ ヨン﹂として、笹
川良 一、竹村健 一、石原慎太郎
黛敏郎らが登場する悪ふざけが
あ ったりして、観客サービスに
つとめる。も っとも、その日の
観客は、出演者 の数よりすくな
か ったけれども、そんな ことは
どうでもよか ったりして⋮⋮。
吉 局 、 け ﹂ i 一﹂1 つ し 一望 ま
待たれていたも のだ ったのであ 自己主張 の強 い女と、控え目な
亀”
ス
ンャー ン⋮⋮
女との三角関係に直面して後者
脚本は星建男、衣装=明子、 をえらび、課長にまで出世する
照明=純子、出演=九山、関野 が、妻は愛情がさめて、若 い男
橋谷、大邑、山本、金岩、星、 とかけおち、最後には、す べて
令子、明子、皆川、江守、柴野、を失 った 一直が病 いの床で死神
ます の。練習=2回半/
と対面し、幕となる。
さて、ドラ マのあらすしは、
観客としては子ども の数が い
というと
ちばん多か つたが、彼らに評判
仕事、仕事で日を送る男道 一 がよか ったのはウルトラ マンと
徹 の家に、待望 の男 の子が生ま 怪獣の対決。子どもたち の興奮
れる。子どもは 一直と名付けら とヤジの方が凄か ったぐら い。
れ、保育同でも学校でも、男 の
も っとも、ある子に言わせる
レ
タ
る 。 前 述 し た 全 電 通 は 社会 党 系
去り/秋風さよ吹き/美し い花 記が書 いてある。 つまり、
一介 あ る が 、 ど さ ら も 官 僚 的 体 質 は
びら/むごくも犯しゆけば/花 の組合書記が全電通と いう大労 共 通 し て い て 、 同 じ よ う に 組 合
落ち朽ちはてた/お前 の姿がわ 組と問 っているのだ。
員 を 傍 聴 のた め 組 織 動 員 し て い
びし いよ﹂
この裁判の原告は町田よし子 る 。 こ う いう 組 合 を 見 て い る と
つまり、原詩は日本 の植民地 さん。連絡先は千葉県習志野市 本 当 に 情 な いや ら 、 腹 立 た し い
時代に抵抗 の歌として生まれ、 本大久保 2 ・4 ・6 ・3
や ら ︰⋮ 。 ︵
な お、 秩 父学 園 の
日本 の充台下でま険う う 書じ
,
られた いきさ つがある、と
いう 発行元は東京都昭島市中神町 一
︲ 遠藤方。
のだ。それが ﹁
中流階級的童謡﹂三七 一・8
2月 の婦人民主
圏話は変るが、1
に変えられてしま った。その怒 なお、次回公判は3月1日0 新聞 ﹁
航路﹂欄に ﹁
障害児を担
任して﹂と いう文章がの ってい
る。この人は、特に希望したわ
けではな いが、やり手がな いの
で 障害児学級﹂を受け持 つこ
,
0 時 、 東 京 地 裁 民 事 第 9部 。 とに っ
朝1
な たのだが、これまで担
1
9部 法 廷 任した子どもや親から ﹁
口 と こ ろ で 、 こ の民 事 1
どうし
と いう 所 は 、 も う 一つ大 労 組 を て? と問 いつめられたそうで
﹂
相 手 ど った 訴 訟 を 扱 って い る 。 ある。 つまり、生徒、親、教師
3 、 4、 6 号 紹 介 の全 厚
本紙 4
の中には ﹁
障害者は ″バカ″だ
4 6
生 秩 父 学 園 支 部 が 本 部 を 相 手 ど から、その担任も落ちこばれで
って 起 し て い る 訴 訟 で 、 こ れ に よ い と いう論法が支配的で、
﹂
は ぼ く も 何 回 か 傍 聴 に 行 って い 停年間近 の婦人教師が回される
ことが多 いと いう のだ。
﹁
国際障害者年﹂と いう言葉
りと悲しみを ﹁
酔 いどれ放談﹂
の言葉に託して、さりげなく語
っている。その語り回が、シワ
ッとした迫力をも っている。
日もう 一つ、同じ号から紹介し
ておこう。それは、全電通と い
う組合 の書記として働 いていた
人が頸肩腕症の戦業病となり、
解雇されたので、解雇無効 の裁
判をおこした経過、裁判 の傍聴
イ
男 のミ ニ ・
フ エステ イバル
表 使 った コ ン パ ク ト な も のだ け
ど 、 中 味 が濃 い の に感 心 し た 。
そ の 一つ に 、 加 藤 登 紀 子 の歌
って い る ﹁
鳳 仙 花 ﹂ の訳 詞 が 原
詞 と い か に ち が って いる か を 指
︵
訳 詞 ︶ ﹁赤 い ほ う せ ん 花 お
庭 に 咲 いた よ / 灼 け つく 夏 の 日
爪 先 染 め た よ / 赤 いほう せ ん 花
お 庭 に 咲 いた よ / や が て 夏 去 り
遠 く へは じ け よ / 赤 いほ う せ ん
花 お 庭 に 咲 いた よ / や が て 夏
去 り 秋 風 吹 け ば / か わ い い娘
︵
原 詩 の直 訳 ︶ ﹁垣 の 下 よ り 伸
は 爪 先 染 め た よ ﹂
いよ / 長 い長 い夏 の 日 / 美 し く
び た 鳳 仙 花 / お 前 の姿 が わ び し
花 咲 け ば / 可憐 な 乙女 ら/ お前
を 愛 で て 遊 ん だ よ / や が て夏 は
ア
六 寸劇 を初
日約半年がかりでつく つたパン
フ﹁
男も女も青児時間を/﹂ぜ
ひ友人にも見せてあげてくださ
暑 さ も 知 ら ず に / か わ い い娘 は
日 ﹁不 協 和 音 ﹂ と いう ミ ニ コ ミ
が あ る 。 ガ リ 刷 り で B 4版 の 裏
い。
一〇 〇 〇 部 刷 り ま し た 。
内 容 は 、 0 育 児 時 間 等 の取
得 状 況 一覧 、 O Q & A 、 日
0 、 ︲、 5
経 験 レポ ー ト ︵
本紙 9
9 9
号 よ り転 載 ︶ 、 ① 座 談 会 ﹁
育
秋 風 吹 け ば / ほう せ ん 花 種 蒔 け
摘 し た 章 があ る。 それ を 少 し 紹
介 し て み た い。
児 時 間 を 男 性 にも = 労 働 運 動 の
中 でど う と り く む か ﹂ 、 0 私
も ひと こと 、 本 田 珠 枝 ほ か 。
6頁 o
タ イ プ オ フ セ ット 2
一冊 三 〇 〇 円 。
送 料 何 部 で も 一括 二 〇 〇 円 。
申 込 先 = 東 京 都 渋 谷 区 西原 2
4 ・8 グ リ ー ン ハ ツ 7 号 、
・・
イ
丹原 恒 則 気 付 ﹁
育時連﹂
な お 、 パ ン フ の合 評 会 を 1 月
3. 日 0 1時 よ り 中 野 新 井 地 域 セ
ンタ ー 型 至 で や り ま す 。
公
演
情
報
フ
野潔気付 )
(03)385-2293
京
4-5 1 709
電話
東
議
会
発 行
交 流 」編 集
「
東京都 中野区江古田 4-17-14(増
〒 165
郵便振 替
(送 料 共
10日 (毎 月10日 発行)
)1,500円 1部 頒 価 150円
1982年
から、体制に異議申 し立てをして
いる人々相互の交流と討3iと 発展
のための月刊新間です。
0原 稿料は払 いません。編集作業も
無償です。購読料とカンパによっ
て、印刷費・郵送費をまかないます。
第99号
1975年 3月 25日 第二種郵便物認可
,荒
交
(1)1982年 1月 10日
︽
新しい家庭科︱ 胎︾
、
半 田た つ子
の仲間にな ってください
昭 和 ひ と け た 生 ま れ の私 は
十 五 年 戦 争 のま った だ 中 で 成 長
し た。 母 は、 日 に 日 に苛 烈 さを
、
増 す 戦 局 の中 で 乏 し い物 質 を
、 生 活 を いと お
か こみな がら も
し む 心 を 忘 れ な か った 。
敗 戦 後 、 不 在 地 主 の た め 一家
、
は 東京 か ら福 井 に引 き 揚 げ 女
、
子 大 を 事 業 し た 私 も いや いや
、 私 は 一時 間
な が ら そ こ で暮 ら す こ と に な っ
真 珠 湾 攻撃 の朝
た。
目 の教 師 に ﹁こ ん な ち っぱ け な
私は、生徒がほし いと思う台
所器具を書き上げさせ、値段を
調べさせて、それら 一式が、婚
礼衣裳の片袖分も出さずに買え
ることを発見させたりした。
日常のくらしは、むしろ粗末
なのが美徳であり、冠婚葬祭は
門野晴 子
。
中 に輪 郭 を 描 き 始 め た
、
て ﹁婦 人 問 題 ﹂ が 次 第 に 私 の
。
け、実家で生んだ第 一子が婚家 と び き り 派 手 に す る こ と が賞 揚
孫渡し﹂と称し さ れ る 生 活 感 覚 は 、 ど う し て も
にもどる時は ﹁
て、小さな嫁入りぐらいの道具 う な ず け な か った 。 日 常 のく ら
一式を贈るのだ。まだ残るイ エ し ぶ り に こ そ 、 そ の人 の全 人 格
意識の中で、女が、人間として が 投 影 さ れ る こ と 、 日 々 のく ら
扱われていな いため、婚家先で し を 大 切 に い と お し み 、 人 間 ら
の娘の位置を、金や物で守ろう し いく ら し と は ど う い つも の か
とする悲し い知恵な のであ った。 を 追 い求 め る 心 を 、 家 庭 科 に よ
家庭科で着物 一枚、帯 一本仕 って 培 いた いと 願 った 。
、
、
。
教 師 へ の拭 い難 い不 信 感 を 植
え 、 私 は 安 心 し て 軍 国 少 女 と な 愕然とした それは 生徒たち 上げる度に 嫁入り支度が 一つ
。 え つけ ら れ て し ま った 私 は 、 た
った 。
一番 得 意 で大 好 き だ った が育てられている家庭をも覆う できたと類ずりする生徒たち
。
ところが、学校 でした調理を家 と え デ モ ・シ カ で あ って も 、 自
英 語 へ進 も う と す る 希 望 を 阻 ん 思想 であ った
ハレを重 でや ってみた いが、な べ ・かま 分 の 生 き 方 と 相 反 す る こ と だ け
ひと言でいつなら、
だ も 、 学 校 の英 語 教 師 だ っ
の
女
、
、
んし、ケをを軽んじる思想 であ の外に新しい器具は フライパン は 絶 対 に 生 徒 に 語 る ま い と
た。
、
、
″聖 った。どんなに 一
5
生懸命 に授業 だけ、計量カ ップも スプーンも 決 意 し て いた 。 し か し 家 庭 科
4年 八 月 十 五 日を 境 に
、
。 の教 科 書 は 、 主 婦 を 讃 え 、 主 婦
、
戦 ″ を 侵 略 戦 争 と 呼 ぶ 教 師 。 私 に取り組んでも 生徒たちの心 な いからできません と言う
歳 ま では 母
もどかしさは、父ちゃんが財布を握 っているか の 責 任 を 述 べ、 ョ 一
は 、 絶 対 に 教 師 に だ け は な る ま に浸みていかない
、
。
、
ッ
が
と
教
え
る
も
の であ
プ
ン
親
育
よ
ら
計
プ
・
ス
ー
と
言
て
量
カ
た
いと 誓 った 。 し か し 北 陸 の小 ここにあっ
﹂
、
折から ﹁
生活改善﹂が花 々し ってもわか ってもらえません、 った 。
さ な 町 に 女 子 大 を 出 た 娘 の就
、
、
。 く進歩していた。低 い流しは立
子 を 生 み育 てな が ら 教 師 を
く 職 業 は 教 師 し か な か った
、
、
、
続 け る か ら に は も う 一人 の親
私 は 、 デ モ、 シ カ で高 校 の家 庭 ち流しに 土間は板 の間に 暗
。
で あ る つれ あ い の協 力 が 絶 対 に
科 教 師 と な り 、 や が て 恋 を し て い台所には窓が開けられた だ
。 が、それは隣近所に負けま いと
必 要 で あ った 。 子 供 は 母 親 だ け
、
。
の所 有 物 で は な い 父 親 と は
しただけで、くらしを大切にす
、
子 供 に と って 何 な の か こ う し
る思想 に目党めたわけではなか
、
。
持 つ家 庭 で く ら す よ う にな って った
嫁入り支度には莫大な金をか
私 は ″く ら し の思 想 々 の隔 り に
日 本 が 、 ア メ リ カ と 戦 って 勝 つ 農 家 の 長 男 と 結 婚 し て し ま った
。
自 分 の生 活 感 党 を は ぐ く ん で
の で し ょう か ﹂ と 尋 ね た 公 民
の教 師 は 、
一呼 吸 し て か ら ﹁一 き た 家 庭 と は 全 く 異 な る も のを
国 の為 政 者 が 負 け る と わ か った
戦 いを 始 め る で あ ろ う か ﹂ と 答
っ
獄
撃 丙 十 舞 雅 里 つれ づ れ
魏げ
教
刺
輌
¨
証
肇
侮
斑鳩 日記0
◇
戦 後 教 育 三 十 年 の歩 み の中 で
、 教 育 課 程 の 改 訂 の都
、 変 質 し て い った 。 民
家庭科 は
度揺 らぎ
ホ ープ と し て誕 生 し た 社会 科 ・
主 的 な 社 会 ・家 庭 を 作 る た め の
、
家 庭 科 で あ った が そ れ は 数 年
し か 続 か な か った 。 ﹁
家 事 ・裁
女 子用教
縫 の合 科 で は な い﹂ ﹁
﹁
技 能 教 科 で はな
科 で はな い
﹂
い﹂ と の 三 否 定 の上 に 成 立 し た
、
、
家 庭 科 であ る の に 現 在 は そ
、 家 事 ・裁
の否 定 を 再 度 否 定 し
縫 のイ メ ー ジを 引 き ず る 女 子 用
。
の技 能 教 科 と な って し ま った
。
小 学 校 だ け 男 女 共 学 が 残 って い
る が 、 モ ノ 作 り の技 能 教 科 に 堕
、
を
えさ31
王寺駅から自宅までの十五分 車 は 無 事 家 へ着 いた 。 応 接 室 へ 民 主 主 義 と か 憲 法 と か が ボ レ ポ ら 帰 り な ﹂ ﹁ナ ニオ / ﹂ と 再 び だ こ の テ レ ビ の発 達 し た 時 代 と 帰 宅 し て 頭 を 抱 え て いた
、
、
、
。
息 子も 娘 も 器 用 に関 西 弁 を マ
の道 のりは、四季おりおりの信 灯 り を つけ た が 運 転 手 は こな い。 ン入 り ア レ ッと 思 った 女 に いき り 立 った が 結 局 は いう 通 な の に 機 械 と ナ マ で は 刺 激 が
、
。
。
ス タ ー し た 今 日 でも 息 子 は 英
し な し 、 と 門 を 対 す る 認 識 は ゼ ロだ が 、 労 働 組 り に し て 引 き 上 げ て 行 った 違 う ん だ そ う な
い
く
貴山の山並みやゆ ったりと流れ ナ ン デ エ、
、
、
、
、
る大和川の自然が展開し、なか 開 め に 行 こ う と す る と 、 彼 が 無 合 の 男 た ち か な と 考 を た り ﹁畜 生 陸 運 局 へ訴 え て や る ﹂ 右 の事 件 だ け で な く 阪 急 電 訳 の と き に 必 死 だ か ら 東 京 弁 に
、
、
、
ド ッ
。
線 で 呼 び 集 め た 男 た ち が ド ヤ ド 七 対 一だ か ら 頭 も 日 も 忙 し い 興 奮 し て わ め く 私 に お び え 切 車 で 友 人 と 話 し て いた ら 酔 っ な って い て 教 師 も 生 徒 も
なかオツな空間である。
。 ﹁な ま じ ぱ ら い の 四 人 組 に も か ら ま れ た 。 と 笑 う の に 、 間 違 った の か 、 と
、
ヤ と 入 って き た 。 私 は 娘 を 舅 に 何 が 目 的 な の か 金 か と 言 え った 舅 が つぶ や いた
当 は、夜
なると大和
初
遅
く
川
。
。 ﹃
、
思 った そ う だ 娘 は こ れ ま た り
何 や 、 そ の言 葉 は か ら 始 ま
革 新 ゾ ラ し と る 連 中 の方 が ﹁
﹂
の土手が怖 いので、タクシーに 預 け 電 子 は ま だ 東 京 ︶ 、 ど ん ば 札 束 を ド サ ンと 叩 き つ け る
﹂
、
、
、
、 ﹁
、
ンチ の大 き な 理 由 に な った が
女 女 ﹂ と 侮 辱 す る筋
乗 った。娘と京都に遊んだ帰り な こ と が あ って も 出 て き ち ゃ い ス ゲ エ / 家 に 人 を つけ る ぞ タ チ が 悪 い﹂ ︱ ︱ あ あ そ れ で って
、
、
、
﹁
、
も、タクシーがカポチ ャに変わ け な いよ 、 と 言 い含 め る 。 叩 き 壊 す ぞ と わ め く し 外 に 憲 法 や 民 主 主 義 だ った か 私 に 書 き は 同 し 謝 ら せ て 終 わ る ま 最 近 で は 門 野 の教 科 書 は 標 準
語 で書 いて あ る で ﹂ と 言 わ れ る
七 人 の サ ム ラ イ に取 り囲 ま れ
る時間を気にし つつ行く先を告
。
ほど ﹁
市 民権 ﹂を 得 たよう だ
げ、娘と話の続きを始めると、
私 は タ カ ラ ツ カ 狂 い の青 春 だ
運転手がからみ出した。
った か ら 、 関 西 弁 に 憧 れ る あ ま
﹁
何やその言葉は。われ、ナ テ キ は 、 今 東 光 で お 馴 し み の 河
、
り 関 西 の男 と 結 婚 し た が イ ン
これは私 の言葉よ。 内 弁 も ど き の 言 葉 で 見 事 な タ ン
ニサ マや﹂ ﹁
ト ネ ー シ ョンが 難 し く て真 似 を
娘と話しているのに何やとは何 カ を 切 り 、 そ のよ ど み な いリ ズ
。
す る と か え って お か し い 夫 は
何をえらそにぬかすか。 ム に 私 は 聞 き 惚 れ る 。 対 す る は
や﹂ ﹁
名 古 屋 を 堺 にし て言 葉 が ガ ラ リ
営業所でいうて聞かしたるわ﹂ 江 戸 ッ子 タ ンカ 、 芝 居 や 映 画 で
、
と 変 わ る の が 面 白 い。
﹁
勉 強 ﹂ し た 程度 だ か ら ポ ロ
運転手は怒 ってスピードを上
、
。
、
関 西 は 文 化 の発 祥 地 と 関 西
げた。 いけな い、娘がいる。私 を 出 さ な い よ う にす る の が 精 一 は 近 所 の 人 が た か り 出 し た の で あびせた言葉の数 々は 彼らが で の エ ネ ル ギ ー の 使 用 量 も 同 じ
法隆 寺 はう
人 は胸 を 張 る し 、 ﹁
大 阪 の 若 い リ ブ に 、オ カ マ の
受けてきたものかも知れぬ︱︱
だけなら ﹁
初体験 がまた増え 杯 。 わ り と イ イ 線 い って いた 。 仕 方 な く 一 一〇 番 を 呼 ん だ 。
﹂
、 急に関志がしぼんだ。奈良に来 言 葉 み た い や な と 言 わ れ た と
ち の物 置 き ﹂ と 暴 言 を 吐 く ガ ク
﹁わ れ 、 そ れ で も 女 か 。 喜二土
若 いオ マ ワリ が 二 人 く る と
﹂
るが︱︱ 。ふだんは探してもな
、
。
。
っ 。
な い で も 、 千 年 以 上 も の文
し
が
た
の
私
得
心
い
め
実
た
き
よ
や
く
た
こ
と
を
初
て
感
う
の顔 が 見 て え 。 亭 主 を 出 せ ′ ﹂ ヤ ア ヤ ア と 彼 ら と は 顔 馴 し み
い母性愛が噴出した。
、
。
。
化 遺 産 に は ひ と か ど の敬 意 を 持
﹁
息 子 も 高 校 で 女 子 た ち に ﹁オ
﹁
車 に 乗 った の は 私 だ よ そ れ 無 法 地 帯 か よ と 私 は 怒 った
ふざけるんじ ゃねえ、私し
、
。
﹁や 引 き 上 げ か け る 男 ど も に 最 後 の
多くの関西人 の基 スに対する カ マ の 言 葉 は 好 か ん 、 あ っち ヘ つ。 そ れ な の に 年 輩 者 だ け で
っ
ゃ
も
が 怖 な った か え
が
け
と
言
た
と
私
く
客
だ
よ
客
つ
ろ
﹂
、
、
、
。
場所 へつけろ ってんだ。文句が か ま し い。 わ れ の よ う な 教 養 の 見 栄 を 切 る 。 ﹁ち ょ い と 待 ち な 嫌悪感や いわれ のな い恐怖心 行 っ て ﹂ と や ら れ 教 師 に も 普 な く ツ ル ベを し て 代 弁 さ せ る
、
、
。
あるなら家 へ入 ってきやがれ﹂ な い女 に は いう て も わ か る け ﹂ お と し ま え を つけ て い って も ら は説明しがた い 生理的に東京 通 に 発 言 し た の に ﹁何 だ そ の 若 者 た ち ま で 東 京 へ の む き だ
、
、
。
し の敵 意 は 一体 ナ ンダ
そ う いえ ば 彼 ら の演 説 に は お う 名 前 を 言 って 謝 って か や東京弁 に拒絶反応があるよう 生 意 気 な 言 い 方 は ﹂ と 叱 ら れ た
必死のケツマクリに驚 いたか
,
譴
(2)
1982年 1月 10日
,荒
交
第二種郵便物認可
第99号
房﹂ 宛 ︶
6 7 ﹁ウ イ 書 一
円 。 郵 便 振 替 ・東 ふ6 ・5 9 8
、
す W eの 仲 間 が ど ん ど ん ふ え
。
る こ と を 願 って ︱ ︱
な お 、 ウイ は 年 間購 読 料 五 千
︵
。
う私 たち それ らを育 く み創 り
。. . .
ぃ家 庭 朴 を 志
出す 力 を 培う新 し
い生 活 を 、 差 別 のな い社 会 を 願
。
あ った よ う に さ え 思 う
自 立 し た 男 と女 を 、 人 間 ら し
の雑 誌 に よ って 創 り 出 す た め に
。
の創 刊 準 備 に 忙 殺 さ れ て いる
、
遠 い少 女 の 日 か ら の道 の り は
、
新 し い、 開 か れ た 家 庭 科 を こ
してしま ったのである。しかし、 ら れ た 。 差 別 撤 廃 条 約 批 准 に か
、
、
教科としての市民権すら持たな か わ って 家 庭 科 女 子 必 修 こ そ
いこの教科の変質は、論議すら 教 育 制 度 に よ って 性 差 別 を 温 存
す る も の で あ る こ と の認 識 が 広
呼ばなか った。
ところが、高度経済成長路線 ま った 。 そ し て 女 性 解 放 と は 肩
を完進したひずみがようやく顕 ひ し 張 った 女 が 男 社 会 の 仲 間 入
、
在化し、人間らし いくらしを奪 り を す る こ と で な く 男 も 女 も
回しなければならぬことに気づ 人 間 ら し いく ら し を と り も ど す
健康にして文 た め に 、 男 の生 き 方 を も 間 わ な
き始めたころ、 ﹁
化的な最低限度 のくらし﹂とは、 け れ ば な ら ぬ こ と が 明 ら か に な
どう いう内容を持 つのか。それ った 。
、
いま 、 私 は 大 勢 の 仲 間 の支
をこそ大切にする思想を、ど こ
で培う べきかが問 い直されるよ 援 を 得 て ﹁新 し い家 庭 科 I W e﹂
う にな った。
受験教育に傾斜した学校教育
の中で、心のふれ合いや手の働
きを失 った子供たちに、情裸を
豊かにし、頭と手を同時に働か
せる教育の必要性が痛感され、
総合的な力を育てる家庭科が見
直さ
れるようにな った。
・
その家庭科を、なぜ女子だけ
が という問いが広がり、男
,
女共修をすすめる運動が生まれ
た。続く国際婦人年世界会議で
は、性別役割分業こそ、男女差
別の元凶であることがつきとめ
中央集権に対する京都人の反 質 的 本 質 を も の 語 って は いな い
骨精神はょく言われる。奈良の か 。 お だ て ら れ た ﹁地 方 の時 代 ﹂
、
保守性も保守なるがゆえの誇り が 中 央 製 で あ る こ と に 意 識 下
、
もあろう。大阪の堂 々たる経済 で 地 団 駄 踏 む 人 々 の 屈 折 し た
と いっても、ょく知らな い コ ンプ レ ック ス の 現 れ な の か も
力 ︵
。
知 れな い
けど︶や上方芸能なども胸を張 ´
。
言 葉 は そ の 人 の文 化 で あ る
るゆえんだろう。だが、胸の張
り方がどうもおかし い。 ツッパ コミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン が 可 能 な 限
ッテいるのだ。これは コンプ レ り 、 各 人 の文 化 を 誇 れ ば よ ろ し
ックスの裏返しではな いのか。 い。 ど う いう 言 葉 を 使 う か で は
、
私 の ヘソがヒクヒクと鳴り出し な く 言 葉 で 何 を 話 す か に 価 値
、
たとき、その 一端がつかめた。 を 置 く 関 西 人 と の出 会 いも ま た
。
運動会 の放送係にな った生徒 数 多 く あ った こ と を 付 記 し た い
﹁地 球 は 一家 、 人 類 は 皆 兄 弟 ﹂
は、 ﹁
NHKのアナウ ンサーの
言葉で話すように﹂と特訓を受 と お っし ゃ る 方 も お い で の 国 際
、
けるそうだ。指導する教師が関 社 会 の時 代 だ と いう の に わ ず
NHK﹂だから、 か 三 時 間 の距 離 に す ぎ な い文 化
西なまりの ﹁
、
﹁
変な調子だよ﹂と娘が いう。 の違 い で パ ッカ み た いな ナ ワ
見にくる父母が斑鳩人だも の バ リ 争 い に 神 経 を と が ら す な ん
。
、
土地の言葉でやれば いいのにね、 て バ ッカ み た いよ
●
と母親たちに言 ったら、どこの
学校でもや っていると いう。
NHK
彼らのキ ャッチした ﹁
の標準語﹂と、私たち母子の東
一
旱弁のナ マナ マしさとの間は、
中央権力 への盲従と、異文化 へ
の排他性が葛藤する地方人 の矛
第二種郵便物認可 第99号
1311982年 1月 10日
み が か か り 私 は あ わ て て お っこ
ヨ■1
る裁判が少しも公正ではないこ
との証明である。
事の真実と裁判の実態=権力
の意図的操作を告発、併せて、
ン ︶
保育行政、子育てをめぐる社会
割旬室の枡につかま って足を 的背景にも根本的な問題をなげ
ふ ん ば り 、 腰 を 一寸 つき 出 し た かけながら六年半にわたる裁判
格 好 を し て いた T 君 の 姿 に 気 づ 闘争を聞い抜 いてきた成果を世
である。
く と 私 は 側 へ寄 った 。 例 の臭 い に問うたのが水奎日
が プ ー ンと す る 。 ﹁ア ッ、 や っ
事故発生当時、自分の過失か
て ま す ね ﹂ と 言 いな が ら ヨイ シ ら亜矢ちゃんの生を開ざしてし
ョと お む つ交 換 台 に 乗 せ よ う と ま っ
た自責の念で胸が潰れる思
し た ら 、 T 君 が イ ヤ イ ヤ と 身 体 い、茫然自失の塚田さんが警察
権力の手によ って ﹁
有罪﹂の証
拠とされる自白調書を控造され
を ひ ね る 。 腕 と 腰 に ズ ー ンと 重
と さ な いよ う に前 の め り に な り
な が ら な ん と か 交 換 台 の上 に T
君 を 乗 せ ホ ット す る 。 実 際 、 床
。 mぁ る 交 換 台 へ抱 き 上 げ
から 7
c
オ ム ツ交 換 す る 時 、 決 し て 少 く
私 は 0 才 児 担 当 の時 に ﹁頸 腕 ﹂
な く な い保 母 達 が ヒ ヤ ット し た
思 いを 経 験 し て い る に 違 いな い。
ビ レを 自 党 す る よ う に な った 頃
を 発 症 し た が 、 肩 、 腕 の痛 み シ
本 当 に 子 供 を 落 し そ う に な って
し ば ら く 動 機 が 静 ま ら な か った
のを 生 々し く 憶 い出 す 。 だ か ら
塚 田 悦 子 さ ん の事 を 知 った 時 、
″
人 ご と でな い″ と ま ず 感 し た
も のだ 。
一九 七 四 年 二 月 二 二 日 、 練 一
馬
区 の無 認 可 保 育 園 で そ の 不 幸 な
事 故 が 起 った 。 当 時 一才 七 ヶ月
の 亜 矢 子 ち ゃん が 塚 田 さ ん の 手
め ら れ 、 デ ッチ 上 げ 犯 罪 に 大 き
赤 ち ゃ ん を せ っか ん 、 量 に た た
き つけ る ″ と 歪 曲 さ れ 、 以 後 の
裁 判 は こ の予 断 と 偏 見 の中 で進
自 分 に許 る さ ず 自 殺 を 考 え た り
ね 返 す 気 力 も な く 、 自 己弁 護 も
あ る 。 彼 女 が こ う し た攻撃 を は
る 冤 罪 事 件 の プ ロセ スど お り で
る のは、 これ ま でく り返え さ れ
い て 鋭 い指 摘 が あ る 。 無 認 可 、
ル規 制 が 持 って いる 危 険 性 に つ
ズ ア ップ さ れ て いる ベ ピ ー ホ テ
第 二 に 、 現 在 社 会 的 に ク ロー
が よ く わ か る。
マ ス コミ キ ャ ン ペー ン の犯 罪 性
に つ いて 学 び、 そ れ に手 を 貸 す
から も 故 意 の ﹁
傷 害 致 死事 件 ﹂
で は な く 事 故 で あ る 、 と いう こ
についても言及していること等 ム を 見 る よ う で 興 味 深 く 、 同 時
公立保育園 への幻想、専門性 ヘ に悲 し い気 持 に さ せ ら れ る 。
し かし、 塚田 さ んと ﹁
支える
の批判は、私にと っても耳が痛
いことである。
会 ﹂ は 、 そ の事 を し っか り と 受
第二に ﹁
塚田裁判を支援する け と め 、 権 力 の 民 に 陥 る ま いと
会﹂ の成り立ちとそのねばり強 亜 矢 ち ゃ ん の命 を 生 か す た め に
い運動 のプ ロセスの中 で、誰れ も 亜 矢 ち ゃん の 父 親 と 対 決 す る
よりも塚田さん自身がどう変革 こ と に 決 め て いる 。 こ の こ と は
してきたのか、関わ った諸個人、 塚 田 さ ん に と って ど れ 程 つら く
弁護士、
一人 一人が変わり鍛え 苦 し い こ と だ ろ う と 察 す る が 、
られてきた様が伝わ ってくる。 そ う し た こ と に 耐 え て ゆ く だ け
やはり人は存在をかけて闘う時 の精 神 的 な 強 さ は 、 こ の 長 い裁
強くたくましく、明るくさえな 判 闘 争 の中 で 培 って き た の で あ
れる、と いう気がする。
ろ う 。 正 に権 力 は 反 面 教 師 な の
最後に残念な事として、塚田 だ 。
さんが引き続き民事訴訟の被告
それ にし ても 預 け る ︱ 預 か る
席に立たされていることである。 育 て る ︱ 育 て ら れ る 、 と いう 関
亜矢ち ゃんの父親が マスコミ報 係 に 思 いを め ぐ ら す と 、 ″共 に
道、裁判進行の過程で次第 に変 育 つ″ と いう 原 則 以 外 に な いよ
り、か って昼、夜なく父子家庭 う に 思 う 。 な ら ば 、 事 故 を め ぐ
の亜矢ち ゃんの世話をしていた って 対 立 が 起 こ る 、 親 が 保 育 者
壕田さんに感謝していたものが、 に 賠 償 要 求 な ど と いう 発 想 は 、
賠償請求をする、と いう行為に いか に も 資 本 主 義 的 な 行 為 だ 。
出た のだ。その根拠が ﹁
有罪﹂ 親 権 って 一体 何 ん だ ろ う ? ⋮ ⋮
判決な のである。この様子は人
現代 書 館 刊 、
三 二〇 〇 円 ︶
︵
間の弱さ、みにくさ、
エゴイズ
宅 で み て く れ る と いう こ と に な
夕 方 帰 って か ら の時 間 は Y さ ん
ば あ ち ゃ ん が 来 る ま で の時 間 と
った り の 話 で あ った 。 そ し て お
あ ず け る こと は 、 ど ち ら か が 妥
が あ った 。 私 が Y さ ん に 子 供 を
る た め の 根 拠 を 明 確 にす る 必 要
け よう と 決 心す る には、 そ う す
な い であ く ま でも Yさ ん に あ ず
次 号。
か ら 断 わ ら れ た の だ った 。 以 下
他 の 二、 二 人 の知 人 にき い て み
て も 、 だ いた い似 た よ う な 理 由
の夫 の言 い分 も 現 代 人 の も つ心
。
メ ンネ と いう の で あ った 彼 女
橋本紀子
った 。 そ れ か ら 後 、 や は り 乳 児
が 全 生 活 含 め た か か わ り 合 いを
協 す る の で はな く 、 私 と Yさ ん
着色 料、 防腐剤 だと神 経 を使 い
の課 題 と し て 出 発 し よ う と 決 心
と への 不 安 を 残 し た ま ま 、 今 後
そ し て 、 Y さ ん にあ ず け る こ
日 時 = 2 月 9 日 ω l時 半 と 6 時
水 優 の 図 ・物 語 ﹂
日映画 ﹁
理 の 一面 か と 思 わ ざ る を 得 ず 、
を も つA さ ん や H さ ん を 合 め 、
あ った 。 そ れ は 施 設 に お け る 現
す る こ と を 意 味 し て いる は ず で
を あ ず け っこ し た り し て 親 し く
つき 合 い は じ め た の だ が 、 そ う
か る 者 の関 係 性 が 生 じ る 以 前 の、
状 のよ う な 、 あ ず け る 者 と あ ず
の人 間 同 士 の 関 係 性 が ど こ ま で
子供 を た く す 側 と たく さ れ る側
いう の が だ ん ′ヽ 、に み え て き て
違 い が は っき り し て く る の は 当
可 能 か 試 し て み た いと いう 事 で
す ぎ る し 、 洗 剤 も 粉 セ ッケ ンし
し た の だ った 。
も あ る。
か 使 わ な いと わ か る と 、 あ な た
え て 帰 って く る の だ った 。 又 、
で い つて 合 成 洗 剤 の大 箱 を か か
洗 剤 の パ ー ダ ンがあ る と
もす る が、 ど こか の スー パ ー で
、とん
ケ ンを 買 って き て 使 って み た り
ど と いう 。 Y さ ん は 時 折 粉 セ ッ
ず け た く な いと 思 う にし ても ︶
た く な いと 思 う にし ても 私 が あ
べ て の結 果
要 素 で あ った か ら 。 し か し 、 す
お そ ら く 子 育 て に と って も よ い
人 間 と し て魅 力 があ り 、 そ れ は
そ し て 、 な に よ り Yさ ん は 、
野 ・三 鷹 上 映 実 行 委 員 会
4 ・〇 三 六 四
電 話 = 〇 四 三 二 ・4
主 催卜 ﹁
水 俣 の 図 ・物 語 ﹂ 武 蔵
中 学 生 ″六 百 円 ︵
当 日入 百 円 ︶
当 日千 円 ︶
高 校 生 ″八 百 円 ︵
当 日千 二百 円 ︶
一般 前 売 千 円 ︵
,
に
鉄 吉 祥 寺 駅 南 ロ ソ バ︶
国
会 場 = 武 蔵 野 公会 堂 ホ ー ル ︵
食 事 も イ ン ス タ ント 食 品 が 多 く
N を 施 設 保 育 所 へ入 れ る よ
︵
Y さ ん があ ず か り
安 く て 便 利 と いう 考 え 方 に 私 の
2回 上 映
は 理 想 的 な 生 活 を 求 め す ぎ るな
物 一つと って も 、 化 学 調 味 料 、
彼 女 達 か ら み る と私 は 、 食 べ
然 の な り ゆ き だ った 。
す る う ち 互 い の生 活 の し か た と
子 供 を 一緒 に 遊 ば せ た り 、 子 供
保 育 園 ノー ト
そ の8
番 外編
、 やり方は歯が立たなかっ
た。
な った と し た ら 、 そ こ へ至 る 過
育児体業もあと 一ヶ月で終ろ 年 と る こ と に し た の だ った 。
の と こ ろ へや って く る 。 あ ら
当 に 塚 田 さ ん が保 母 と し て ふ さ
、
さて、Nをあずける日がだん 程 は 現 在 の 施 設 が お か れ て い る
そ し て 出 産 後 ヽ こ の ア パ ー ト お ば あ ち ゃ ん が 近 く で い いわ ね
わ し く な く 、 わ ざ と 子 供 を つき うとしている時 昨年末生まれ
、
、
一つ の側 面 と し て 何 ら か の考 察
落 す 冷 酷 な 人 な ら 、 他 の人 は ご たNの保育者にな ってくれる予 の 庭 で 子 供 を 日 な た は っこ さ せ と いう 私 に Y さ ん は あ な た う だん近くなると 私の中でYさ
、
ま か せ て も 一緒 に 働 ら い て い る 定のYさんが ゼンソクの発作 な が ら 近 所 の主 婦 と お し ゃ べ り ち の 母 に 子 供 を み て も ら った ら んの生活パターンの中 ヘスッポ が 得 ら れ る は ず で あ ろ う と 考 え
、 、
、
、 ど と い 。 そ れ と い のも 友 リ入らざるを得ない不安が少し た 。
う
う
う
卜 部 さ ん の 日 は ご ま か せ な い し 、 が起きて 二 三日後 Nのめ を か わ す よ う に な った あ る 日
。
と ころ が そ ん な矢 先 に Y さ ん
又 、 そ の後 、 当 時 子 供 を 預 け て んどうをみる自信がないといっ N と 同 じ 月 生 ま れ の 子 供 が いる 人 の T さ ん 宅 は 少 し 離 れ た 所 な づつ頭をもたげてきた そんな
個 が ゼ ン ソ ク の発 作 に み ま わ れ た 。
てきた。突然の成り行きに、私 Y さ ん が 自 宅 で 分 娩 し た と いう の で 、 上 の 子 の M が 学 校 か ら 帰 不安を察したHさんは私に ﹁
い た 親 が 、 塚 田 さ ん を いか に 信
、
。
った 後 の こ と も あ り 、 で き れ ば 人的に規しいからといってあず 彼 女 の 母 親 は そ の看 病 と 子 供 の
頼 し て いる か と いう こ と を 証 人 達はあわて かわりの保育者を 話 を き いた Y さ ん は 新 し く 入
。
。
居 し て き た ば か り で 私 と 面 識 が こ の ア パ ー ト の 近 く に 保 育 者 が けるのはむずかしいよ それぞ め ん ど う で 血 圧 が 上 り 寝 こ ん だ
で 述 べ た り 、 支 援 す る と いう 事 さがさねばならなか った
そも/ヽNを生んだ後 三年間 な い人 だ った が 、 病 院 で の お 産 あ れ ば と 話 し て いた か ら で あ る 。れ生活のしかたや子供への接し の で あ る 。 そ ん な わ け で 、 は か
な ど あ り え な か った で あ ろ う 。
ら ず も 突 然 に N の保 育 者 は い な
の育体をとるということは、そ
実 際 、 塚 田 さ ん が オ ム ツを と
、
く な り 私 の決 意 も 水 の泡 と な
の後Nをどうするかという計画
り 換 え よ う と 抱 き 上 げ て いる 時
。
った の だ った 。 そ し て 以 前 予 定
に 予 想 に 反 し て 体 を ね し った 亜 をたてての上だった 施設保育
し て いた 友 人 の T さ ん に た の む
あずけるには年度初めでな
矢 ち ゃん を ア ッと いう 一瞬 のう 所 へ
。
と 、 心 よ く ひき う け てく れ た 。
ち に 落 し て し ま った と いう 事 は ければなか/ヽ入れな い 私は
と こ ろ が 夫 の反 対 に あ った と い
できれば個人的に親しい人にあ
ま る で 私 自 身 の経 験 と も ぴ った
。
って 二 、 三 日 後 、 考 え な お し た
り 重 な り 、 あ ︱ こ れ は 絶 対 事 故 ずけたいという気持があ った
それというのも以前、民間保 を選ばず、自宅で助産婦さんを ま た 、 彼 女 は 母 親 が 娘 の と こ ろ 方 は 違 って い る 。 親 し け れ ば 親 いと いう の で あ る 。 大 の 高 い分
だ 、 過 失 以 外 の何 物 で も な い、
、 よんでお産をしたと いう話に、 ヘブ ラ / ヽ、や って く る の は い い し い程 相 手 に 気 を つか い、 か と は 、 人 の 子 を あ ず か る と いう 事
子 供 の動 き を 完 全 に コ ント ロー 育所で働いていた時の同僚が
子育てを理由に仕事を辞めて家 丁度、日合の助産院でお産をし け れ ど 、 彼 女 の夫 が 夜 の仕 事 で い って 決 し て 相 手 の気 に いる よ は と て も 責 任 の 重 い こ と で 、 そ
ル で き な い以 上 、 不 可 抗 力 と も
、
、
。
いう べき こ と な の だ 、 と 確 信 し 庭におり 会う度 仕事を辞め てきた私にと って魅力的に感じ 昼 頃 帰 って き て 寝 る の に 気 を 使 う に は で き な いも の Y さ ん に の 子 に 与 え る 肉 体 的 精 神 的 影 響
た事への不満がくすぶっている られる人だ った。Yさんは、自 い、 結 局 母 親 を 追 い返 す こ と も あ ず け る よ り 仕 事 で 子 供 を あ ず ま で 考 え た ら 簡 単 に あ ず か れ る
た。
のを話したりし、私が仕事を続 分のも のさしをも っている人で、 し ば / ヽ で 、 も し 、 私 の家 を 解 か って く れ る 人 に た の む ほ う が 、 も の で は な い。 自 分 の 子 な ら 責
そ の 頃 ﹁頸 腕 ﹂ 発 症 に よ る 職
。
. こ
.わ
. 。き
、
.る
り .れ
こと が出 来 て 任 は 親 が と る が 人 の子 な ら 本 来
業 病 の 問 い、 健 康 回 復 へ の努 力 けていることを支援したい気持 子育てや夫 への考え方などいろ 放 し て く れ れ ば そ こ で N と 留 互 ぃ ‘
。
。
。
責 任 は と れ な い ん だ 。 と いう 。
守 番 が て ら 、 の ん び り す ご せ る い いと 思 う よ 。
だ け で せ い い っぱ い の私 は 、
一、 があると言 っていたからである んな所で私と意気投合した
﹂と いう
、
彼女 の母親はこのアパートの の で は な いか と いう の で あ る 。
私 は 彼 女 の考 え 方 が 子 供 を あ 三 日 間 夫 婦 ゲ ンカ に 近 い話 し
そして、すでに産体に入る頃、
二 度 の 裁 判 傍 聴 等 ぐ ら いし か 支
その友人Tさんに子供をみても 近くに住んでいるが、自分の家 私 は M が 学 校 か ら 帰 って か ら の ず け よ う と す る 親 の 一般 的 な 心 合 いを 深 夜 ま で 行 な った 結 果 、
らう約束ができて私は育体を 一 での用事がすむとプラブラ彼女 こ と も 考 え る と 、 願 った り か な 理 だ と 思 う 。 私 が あ え て そ う し 夫 の 言 い 分 を 聞 く し か な く て ゴ
援 で き ず に いた 。 今 回 本 書 を 読
み な が ら 、 何 度 か涙 で字 づ ら が
、
、
く も った が 御 苦 労 様 よ く 本
にま と め たね 、 裁 判 闘 争 だ け で
も シ ンド イ こ と だ った の に 、 と
心 か ら 拍 手 し た い。 そ し て 一人
で も 多 く の人 に 本 書 を 読 ん で は
し いと 願 う 。 単 に 保 育 関 係 者 だ
け で は な く 、 子 供 と 事 故 の問 題
は 全 て の大 人 に 関 わ る こ と 、 人
と 人 と の関 係 性 を 問 う も の で あ
な 影 響 を 与 え た の であ る。 そ し
し て いた 時 に 、 た った 一人 の同
り そ れ だ け の 多 様 な 内 容 が つま
って い る 。
地
︵
僚 下 部 み や 子 さ ん は 直 ち に塚 田
無 資 格 、劣 悪 な 施 設 、等 表 面的
か ら 落 ち て 三 日後 に 死 亡 す る と
いう 事 実 は 、
マ ス コミ に よ って
″
無 資 格 の若 い保 母 が む づ が る
て、
一九 七 五 年 二 月 第 一審
さ ん の潔 白 を 証 明 、 勇 気 づ け 、
な 、 或 は 国 家 の法 基 準 に 照 ら し
の紙 切 れ ﹁
上 告 理 由 にあ た ら な
い﹂ と 楽 却 決 定 、 現 在 で も 塚 田
さ んは ﹁
法 ﹂ 的 に は潔 白 に は な
れ ず に いる 。 し か し 、 こ れ は 塚
と がわ か る。 何 故 な ら、も し 本
第 一に 権 力 の デ ッチ 上 げ 犯 罪
裁 ︶ 判 決 は、 愁役 二 年 、 執 行 猶
予 四年 の ﹁
有 罪 ﹂ で あ った 。 さ
ら に 七 七 年 四 月 の東 京 高 裁 は 、
と も か く 生 き 抜 く た め に支 え て
田 さ ん の せ いで は な く 、 公 正 な
ら ﹁
支 援 す る 会 ﹂ が出発 した事
に な る の だ か ら 。 そ し て こ の事
て 選 別 差 別 す る こと の お と し 穴
評 =皆 川珂奈 江
く れ た 事 は 重 要 な 事 だ。 こ こか
保育日死亡事故
﹁
有 罪 、 原 審 破 棄 、 懲 役 二年 、
執 行 猶 予 三年 ﹂ と 判決 し 、 最 高
裁 に 至 って は 七 八 年 十 一月 一片
塚 田悦子・塚 田裁判 を支援す る会
(4)
1982年 1月 10日
,充
交
第99号 第二種郵便物認可
土田0日 石 ピース缶冤罪事件「被告」
前林貝U子
I︶思 い出深 い綸争あれこれ
︵
I
I
第 0号にのせた ﹁
長時間保育
反対論﹂と、それに続く論争は
思えば ﹁
交流﹂の歩みにと って
非常に大きな意味を持 っていま
す。その時 の論争そのものは、
必ずしもカミ合 ったも のではあ
りませんでしたが、 ﹁
保育論争
シリーズ﹂はやがて ﹁
子育てを
考えるシリーズ﹂ へと名称を変
4年 H月の ﹁
第1回 ・子育
ぇ、7
てを考えるシンポジウム﹂ へと
つなが っていきました。
この第 一回シンポは、予想を
はるかに越える百二十二人のお
となが参加し、熱気にあふれた
ものでした。そして又、このシ
ンポが、現代書館から出版され
る ﹁
現代子育て考﹂シリーズの
出発点 にな ったわけです。
第 0号の頃は、編集技術も稚
拙で、よく読んでくれたも のだ
と冷や汗 の出る紙面ですが、そ
れだけに懐しさもひとしおです。
﹁
交流﹂ の ﹁
子育て﹂がそれ
なりの反響を得た理由として、
二つのことが考えられると思 い
ます。
期 が 始 ま った 頃 、 私 は 血 清 肝 炎
書 き ま し た が 、 大 学 二 年 の新 学
重 傷 を 負 い、 手 術 を し た こ と を
の暴 行 に よ って 腎 臓 破 裂 と いう
無 実 の訴 え ︵2 ︶ で機 動 隊 員
︿長 期 療 養 生 活 ﹀
無 翼の 露 え
と を 感 し てき ま し た 。
半 身 の部 分 を 切 り 捨 て て い る こ
て い る ぼ く た ち は 、 い つも そ の
言 葉 を 扱 う メ デ ィ ア に関 わ っ
せ ん。
葉 の危 いと こ ろ な の か も 知 れ ま
ろ な の で し ょう 。 た だ 、 文 章 に
し て し ま え ば 、 そ のプ ラ ス の側
面 し か 表 現 さ れ な い。 そ れ が 言
の側 面 を あ わ せ 持 って いる と こ
を 感 し た と いう 人 と に ︰ 。
き っと 柳 下 村 塾 は 、 そ の 二 つ
のため再入院となり、再びベ ッ を ま ざ ら わ し て いま し た が 、 そ のですが、 ﹁
彼﹂と私は対照的 ネ エち ゃ ん 、 こ の本 貸 し て あ げ 私は、病院よりも っと厳し い安
ド生活を送ることにな ってしま れ も 仲 間 が 一人 、 二 人 と 退 院 し ︵ ︶で、パジ ャマの色も私は る ﹂ と い って 渡 さ れ た 本 で す 。 静治療を課せられ、外を歩く の
,
いました。肝炎の初期は、吐き て いく と 、 何 と も いえ ぬ 淋 し さ ブルー、
ユキち ゃんはピンクと い わ ゆ る 男 性 の セ ミ メ ー ド ︵? ︶は 一週間に 一度、病院 へ血液検
気がして食事がとれずだる いの に 襲 わ れ 、 夜 が と て も 長 く 感 じ いった具合で、
ベッドの上など 写 真 と いう の で し ょう か 、 ポ デ 査をうけに行く時だけになりま
ですが、点滴と安静を保 つこと ら れ る よ う に な って いき ま し た 。私のところは本があるだけの殺 ー ビ ルを や って いる 筋 肉 た く ま した。 いつも ﹁
もう大丈夫 です
によ って十日もすると、吐き気、 特 に 肝 炎 の場 合 、 自 党 症 状 が 風景さだ った のですが、
ユキち し い男 性 の 写 真 の み が 出 で い る よ、よくなりましたよ、大学 ヘ
だるさがなくなり、健常人とか な い の で 、 い つに な った ら よ く ゃんのベッドには人形があ った 雑 誌 で し た 。
通学してもよ いですよ﹂と言わ
わりなくなります。
な る の か 皆 目 わ か ら ず 、 あ せ り り、彼氏の写真が飾られたりし
話 し が 横 道 に そ れ て し ま いま れることを期待しながら、病院
でも、それからが大変な ので と 不 安 が 交 差 す る 日 々 で し た 。 て、春が来たような幸やかさで し た が 、 自 分 の 日 で 王 子 野 戦 病 へ行くと ﹁
まだ安静にしていな
す。自分では健康にな った つも そ ん な 中 で 私 も 、 父 が 転 動 し た した。
院 と は ど ん な と こ ろ か 、 又 何 の ければ いけません﹂と言われ、
、旺盛な私は、失礼とは た め に 闘 う の か 確 か め て み た い 失望しながら家 へ帰 ったも ので
りでも、肝機能検査の数値はよ 木 更 津 市 に 肝 臓 の専 間 医 が い る
好奇じ
′
くならず、しかも肝炎が慢性化 と いう こ と で、 自 宅 療 養 に き り 思 いながらも、や っばり聞いて と 思 って 出 か け た 王 子 で し た が す。
すると治りにくくなるので、完 か え る た め 、 六 月 に 退 院 し ま し みたくて、 ﹁ユキち ゃんはどう 予 期 せ ぬ 大 怪 我 で 、 私 は 全 く 違
一体 いつにな ったら完治する
全によくなるまで、安静にして た 。 私 が 退 院 す る 時 、 見 送 って してオカ マにな った の ﹂と質 う こ と を 学 び ま し た 。 そ れ は 入 のかわからず、時にはもう体な
,
いなければなりません。吐き気 く れ た の は 、
ユキ ち ゃ ん と いう 問してしま いました。 ユキちゃ 院 中 に 知 り あ った ユキ ち ゃん や んかどうな っても いいや、とヤ
やだるさがあ った時は、
一日中 オ カ マ の坊 や で し た 。
んの語るところによると、少年 そ の 他 色 々な 人 達 と 話 し を す る ケクソな気持にな ったりもしま
ベッドに寝ていても苦痛ではな
私 が 入 院 し た 病 院 は 下 町 で あ 院 へ送られた時からだそうで、 こ と に よ って 、 ﹁
人 生 し の 断 片 した。そのヤケクソな気持に負
か った のですが、食欲が出てく った せ いか 、 色 々な 人 達 が いま 以後、女性には関心がなくな っ を 知 った と いう こ と で す 。 そ の けな いため、私は鶴を千羽折れ
ると、安静にしていることが苦 し た 。 山 谷 で働 い て い た 人 、 旅 たとのことです。
断 片 は 別 に 知 ら な く て も よ い世 ば病気は完治すると信し、無心
痛にな ってきます。
芸 人 を し て いた 人 、 そ の 他 、 経
写真の彼氏は今、刑務所に入 界 だ った か も 知 れ ま せ ん が 、 入 に千羽鶴を折り続けたりしまし
入院治療が長くなると同しく 歴 を 聞 いた だ け で 一つ の 小 説 が っていて、
ユキち ゃんは彼氏の 院 し て い る 人 達 の 明 る さ 、 く っ た。又、あせりの気持をも つと
長期人院している人達とも知り 出 来 上 る の で は な いか と 思 う 程 、帰りを待 っていると言 っていま た く な さ の エネ ルギ ー に 私 は ひ どうにもならな いので、朝、目
合 いになり、 いつか気 の合う仲 人生を背負 っている人達が いっ した。 ユキち ゃんと話しをする き つけ ら れ ま し た 。 私 を 見 送 っ を覚ませば本を読み、眠くなれ
間が出来ました。朝の検診と点 ば い い ま し た 。
と、私の知らな いことばかりで、 て く れ た ユキ ち ゃ ん の 細 い 肩 は ば寝ると いうことを繰り返し行
、
滴が終ると、仲間で集ま って歌
ユ キ ち ゃ ん が 入 院 し て き た の 驚くことが多 いのですが なか 今 も 忘 れ る こ と が 出 来 ま せ ん 。 いました。
をうた ったり、雑談をして苦痛 は 、 私 が 退 院 す る 少 し 前 だ った でも 一番び っくりしたのは ﹁
オ
さ て 、 自 宅療 養 にき り か え た
土田 ・日石 ・ピース缶事件で
一つは 、 そ れ ま で の左 翼 の メ
デ ィ ア で、 子 育 てを 正 面 か ら 議
に の りま し た が、 ど こ か 肝 腎 の
論 し た も の は き わ め てす く な か
ぶ し つけ と も いえ る ぼ く の質
った 、 と いう こ と です 。
問 に 対 し て、 武 田 桂 二郎 さ ん か
。年 代 の終 り 頃 に ら は 丁 寧 な 電 話 が あ り ﹁多 忙 の
二 つめ は 、 6
成 長 し た、
いわ ゆ る 全 共 闘 世 代 た め 返 事 が 遅 れ る ﹂ 旨 の 連 絡 を
と か 反 戦 世 代 の人 た ち が 、 当 時 、 く れ ま し た 。 結 局 、 返 信 は 9 号
子 ど も を 生 む 年代 と な り 、 自 分
と こ ろ が ポ カ さ れ て いる 印 象 は
否 め ま せ ん でし た。
の生 き ざ ま と 子育 てを ど のよ う
日 いく ら か で も ﹁
手作 り﹂ 的な
デ ッチ上げられた時、私が権力 へ戻 り 、 松 戸 の家 か ら 通 学 を 始
に迎合せず、耐えることが出来 め ま し た が 、 こ の頃 、 日 大 や 東
たのは、この血清肝炎と の間 い 大 で は 全 共 闘 が 結 成 さ れ 、 各 地
で﹁
辛抱﹂と いう ことを知 った の大 学 へも 全 共 関 運 動 は 波 及 し
経験が大きか ったと思 います。 て いき ま し た 。 こ れ ま で 学 生 運
つまり、自分の力ではどうにも 動 のな か った 日 大 が 全 共 闘 運 動
ならな いことに対しては、辛抱 の先 頭 を き って いた わ け で す か
すると いうのも 一つの間 いにな ら 、 社 会 的 に も パ リ ケ ー ド を 作
るわけです。そして辛抱するた って の大 学 封 鎖 は 衝 撃 的 な こ と
めには、鶴を千羽折れば必ず治 で し た 。
ると自分に言 いきかせ、それを
一方 、 白 百 合 は 相 変 わ ら ず 温
信じると いう単純な発想 が必要 室 のよ う な 無 風 状 態 で ﹁ご き げ
です。爆弾事件でデ ッチ上げら ん よ う ﹂ と 交 わ す 挨 拶 が 何 と な
れた時、私は いつの日か絶対に く シ ラ ジ ラ し く 聞 こ え ま し た 。
無実が明らかになる日がくる、 早 く 大 学 べ 戻 り た いと 思 った 私
その日が来るまで待とうと決め で し た が 、 緑 の本 々 に 囲 ま れ た
それを信しました。取調室 の中 教 室 の 中 で 、 居 心 地 の 悪 さ を 感
で、私が耐えられたのは信じる し ま し た 。
ことが出来たからだと思 います。
以上、大部長 い説明にな って
しま いましたが、八月にな って
や っと肝機能数値が正常 になり
健康をとりもどせました。丁度
千羽鶴が折りあが った頃で、こ
の鶴は今も私 の家にあります。
九月にな ってから、私は大学
﹁個 と 集 団 の矛 盾 な ど で し た 。波をかぶる人の数も多 いだけに 荒畑寒村さんは、ぼくにと って 味 を 出 そ う と 、 こ れ ま で は 見 出
﹂
﹁
新 島 さ ん の文 章 を 読 み 返 し て み
言葉 の使 い方には人 一倍、 も、又おそらく多くの人 々にと し を 手 書 き で 作 って き ま し た が 、
﹂
る と 、 明 き ら か に ご 自 分 の感 性 慎重であ ってはしいなと思 いま っても、すごい人だ ったけれど、 今 回 、 ち ょ っと イ メ ー ジ チ ェ ン
、
、
2
の中 で は 矛 盾 に気 が 付 い て い る す。
9号で指摘されたように 中に ジ の た め 写 植 に し て み ま し た
は ず な の に、 そ れ を 言 葉 の上 だ
最後に、昨年交した中山千夏 はイヤな 一面を見てしま った人 いか が で し ょう か ?
け で 生¨
理 に と り つく ろ って い る さんとの論争。
も います。
圏 ﹁一〇 〇 号 記 念 縮 刷 版 ﹂ の 申
こと を 感 じ ま す 。
あれは 一種のカルチ ャーシ ョ どうやらぼくは、たまたま運 込 み は ま だ 少 いけ ど 、 ﹁相 当 な
論 争 の 頃 、 新 島 さ ん は 山 岸 会 ックだ ったのでしょうか。
悪く、千夏さんのイヤな顔を見 赤 字 党 悟 で も ⋮ ⋮ ﹂ と 、 出 し た
の中 に 幸 福 学 園 を 建 設 し よ う と
第 一段階は、中年 の男 の秘書 てしま ったようです。 ン 運悪 い気 持 は 強 ま る 一方 。
,
一生 懸 命 で し た 。 共 同 体 へ の 幻 氏から ﹁
ギ ャラの平均水準﹂を く、なのかな 好運にも、とい
と いう の は 、 ﹁ふ り か え れ ば
,
聞かされた時です。 ﹁
オヤ?﹂ う べきな のかな
一〇 〇 ヶ月 ﹂ を 書 く た め 、 古 い
,
と いう感しだ ったけれど、まだ
これを教訓にして、ぼくも精 号 を 読 み 返 し て み る と 、 や っぱ
交流 に書くほどの気にはなりま 一杯、イヤな顔を少くし、
いい り 他 に 類 の な い、
ユ ニー ク な ミ
せんでした。
顔を多くするよう努力した いと ニ コミ だ な あ 、 と つく づ く 思 え
グリー ン車、ホ 思 います。
第 二段階は ﹁
て く る の です 。 編 集 者 の ぼ く が
テルでなければ﹂の話をき いた
さて、以上が諭争をふりかえ 言 う のも 変 で す け ど ⋮ ⋮ 。
時。 ﹁エー ッ′こ と いう感し、 っての感想です。
日 そ れ で お 願 いがあ る の です が
﹁三 千 円 で は 高 く て 買 え な い
それが ﹁
編集後記﹂の中に洩れ
読者 の中には、この欄 でかな
﹂
でた溜め息になりました。
り詳し い論争の紹介を期待され と 思 わ れ る 方 、 最 寄 り の 公 立 図
第二段階、 ﹁
交流はスキ ャン ていた方も いるようですけど、 圭日館 に か け あ って 、 買 う よ う に
グ ルジ ャーナリズム。山形 へは ぼくとしては、
ヨ 〇〇 ヶ月﹂ 働 き か け て く れ ま せ ん か ?
行かな い﹂︱︱ これで ﹁
ムム ッ﹂ の感想を、多く の読者から寄せ
そ れ だ け の価 値 は あ る 出 版 物
とな ったわけ。
て項くための 一つの呼び本的な だ と 思 う ん で す 。
結局、論争は千夏さんが継続 つもりで書き始めたも のな ので 日 年 末 カ ン パ 、 あ り が と う ご ざ
十
を断 ってきたので、欲求不満を この程度で勘弁願 います。
いま し た 。 1 月 7 日 現 在 で 、
残した形で終りました。
この欄も、次回4回目で 一応 万 四 千 百 円 に 達 し ま し た 。
思うに、人間にはいろ いろな 終る予定 です。 ︵
以下次号︶
今 年 も お 互 い シ ヨ シ ヨが ん ば
顔があるのでしょう。たとえば
り ま し よう 。
ことを忘れな いようにしなけれ 想がいちばん大きくふくらんで
ばと思います。
いた時期だったのかも知れませ
新島淳良さん の ﹁
新人類のた ん。やがて氏は山岸△ム
と離れま
めの育児学ノート﹂ の書評に端 した。
4号∼7号の論争も又
を発した3
いろ
誰でもその人生の中で、
3
﹁
言葉のおとし穴﹂とでもいつ んなことに幻想を抱き、そして
べきものに関係していたと言え 幻滅するということを何度もく
ます。論争 のテー マとな ったの り返すのでしょう。ただ新島さ
は﹁
毛沢東 の間争原則と山岸会 んのように影響力の大きな人は
の″
和気あ いあ い″原則の矛盾﹂お 一
人の方向転換にとどまらず
ま す のきよ し
編集おぼえがき0
ふりがえれば 一〇O ヶ月
、 と い こと です 。
う
に つな げ た ら い いか を 手 探 り し
は じ め て いた
こ ち で 試 み ら れ 始 め て いた の も 、
そ の頃 、 共 同 保 育 運 動 が 、 あ ち
そ の こと と 無 縁 で は な い で し ょ
第 5号 で は 、 当 時 、 評 判 に な
って いた 柳 下 村 塾 託 児 所 に 、 卒
直 な 疑 間 を ぶ つけ ま し た 。
特に ﹁
複 数 の母 た ち ﹂ の序 章
丁度その頃、柳下村塾では伝
は 、 強 烈 な 個 性 を 持 った 一人 の 習館救援会との事実上の分裂が
論 客 の手 で 書 か れ た も の で 、
一 進行していたことを、ぼくはず
見 ス キ の な い論 理 で 組 立 て ら れ っと後にな って知ることにな っ
て いる だ け に 、 か え って は く は たのです。
そ こ に 或 る 種 の危 う さ を 感 し な
ぼくの知人にも、柳下村塾に
いわ け に は い か な か った の で す 。行 ってきた人が何人かいますが
そ れ ま で の政 治 運 動 の経 験 か その人たちの印象は二つに分か
れるようです。非常に感動した
という人と、モヤモヤした反発
ら 、 ぼ く は 、 し ば し ば 頭 で っか
ち の文 章 が 、 言 葉 に な ら な い下
=
落合恵子さんに会 いにいく時
中二の息子を誘 ってみた。彼は
﹁スプー ン 一杯 の幸せ﹂ の読者
だし、学校の教師からはいい影
響力を何 一つ期待できな い状況
だから、せめてすてきなおとな
に引合わせてやりたか った。
ぼく の友人たちとの会合には
いくら誘 っても乗 ってこな い彼
だ ったが、珍しく ついてきた。
中野の喫茶店で落合さんと会
い、息子を紹介して早速サイ ン
をお願 いしたら、書 いてくれた
のがタイト ルの言葉だ った。
︽
希望さん へ。自分のものさし
で風通しよく生きようぜ︾
実際 ﹁
自分のも のさし﹂と い
うことを落合さんほど確信をも
っ
れ
て
言
い
切
る人は少 いのでは
なかろうか
,
﹁
世間的なも のさし﹂を使え
ば、落合さんの半生は必ずしも
風通しのいいも のではな い。非
嫡出子として生まれ、高校時代
から反戦デモに参加。第 志望
ま と め た 縮 刷 版 の発 行 に ふ み 切
る決意をしました。
ま で の 通 算 一〇 一号 分 を 一冊 に
作 版 第 ○ 号 か ら 本 紙 第 一〇 〇 号
し た 。 本 紙 に登 場 し た 沢 山 の 中 ま す が 、
一九 七 二 年 一〇 月 の 試
葉 の矢 の中 には 、 う ま く マト に
命 中 し て いる のも あ れ ば 、 あ ら
ぬ 彼 方 にと ん で い ってし ま った
の大学入試に失敗、明大入学後
はアルバイトに追われ、多く の
職種を体験。もの書きをめざし
て受けた岩波、中公等 の出版社
にもふられ、文化放送に入社、
ここでも三年間の下積み生活を
体験する。だが、こうした経験
を彼女は自分の栄養分としてこ
とごとく吸収したにちがいな い
やがて深夜放送のパーソナリ
ティとしてヤングの人気を集め
皮肉にも出版社からの原稿依頼
が増えてくる。最近では、強姦
問題を主題にした ﹁
水 の女﹂が
評判にな っている。
でも彼女に言わせると
﹁
馨冬の人たちは ″
ミ
男 の評塾
ステリー″の面を強調するけど
私にと ってはそれは器にすぎな
ズムの立場
いんです。 フ子ミ 一
の女性は、何も説明しなくても
そこのところ分 ってくれる。私
が問題にしたのは、強姦に典型
的にあらわれる ″
強者 の論理″
であり、それは強姦にかぎらず
原発や戦争や、教科書規制や、
いろ いろな社会 ・政治 の中に出
てくる論理なんですよね﹂
″レ モ ンち ゃん と いう 、 曽
″
って 放 送 会 社 が彼 女 に つけ た愛
称 と は全 く 関係 な く 、 切 れ 味 鋭
い批判精神が彼女 の中にはみな
ぎ っているように思える。
但し、落合さんのユニークさ
は ﹁
とかく男というも のは﹂と
5%∼
せん。書店のマージン ︵
2
、
0
3%︶を考えると かえ って赤
字にな ってしまうからです。
ペーシ数は四〇四ぺ︱ジ。A
4サイズの見込みです。
すでに予約申込みされている
方 には、3月下旬に発送できる
と思 います。本が者き次第、折
返し代金お支払 い下さ い。
ひとりでも多くの方 の購入申
込みをお待ちしています。又、
前 にも書きましたように、図書
館、公民館等 の資料としても有
意義なも のと思います ので、 ル
ート のある方は、その方面に働
きかけて下されば幸 いです。
東
代金支払 いは、郵便振替 ﹁
京 4 ・51709﹂交流編集会
議事務局宛にお願 いします。
いう形で、男、女をセクシ ュア
リティでまとめる発想をせず、
あくまで ﹁
個﹂と いう視点 でと
らえるところにあるようだ。
それでも思春期 の頃は、 ﹁
異
性﹂として見る傾向が強か った
そうだけれど、今は、 ひとりの
人間として接するから、男 ・女
の区別はしな いと いう。
恋愛についても、同性 ・異性
の区別をしな い以上、友情と本
質的にちがうものではなく、た
だ友情にプラスアルファが加わ
ったも のとみる。
この辺りはとても ス ッキリし
ていて、ぼくみた いに、ド ロド
ロと表現不可能な部分を抱えて
いる者からみると、ち ょ っと首
をかしげたくなるところだけれ
ど、それが ﹁
自分のも のさし﹂
を強調する0 たんでもあるのだ
ろヽ
つか。
コンェラシーのような感情を
持 ったことは ﹂ の質問にも、
,
﹁
会社にいた頃、自由な立場
の人に対して感したことはある
けど﹂ ︵﹁
うらやまし い﹂と い
私にと っては、修
う感覚,し ﹁
羅場、愁嘆場は関係な いし、所
有関係を求めるような人とは、
最初の段階から仲良くなれな い
と思う。
﹂
も っとも、人はみな シングル
であることが基本だと いっても
苦し い時に助け合う温さは必要
で、その温さの本質は フレンド
シ ップであ って ﹁
所有感覚﹂と
は区別しなければならな い。こ
れが落合さんの強調した いこと
のように思う。
耀外
口ぼけまるのこんさ︱と ︵
その
6︶うたえ/いかりとあいと
7日02時∼
日時=2月2
場所=立川市中央公民館講堂
会費=百円以上
託児室無し︶
※子連れ歓迎 ︵
9 ・六七 一
問合せ=〇四二五 。5
〇
洋
よ う な のもあ りま す が、
いず れ
〓 号 艶念
一
養 行 のお知らせ
←
0 年 代 か ら 。 年 代 に か け て 、 発 行 部 数 は 三 〇 〇 部 限 定 。
も7
8
時 代 を 批 判 的 に 生 き よ う と し た 格 は 一冊 三 〇 〇 〇 円 、 送 料 一
人 々 の、 貴 重 な 証 言 と 言 え るど 一
二〇 〇 円 の 予定 で す 。
思 いま す 。
値 段 が 高 く て 買 い に く いと 思
そ こ で 、 財 政 基 盤 の 弱 い本 紙 いま す が 、 こ れ で も ギ リ ギ リ な
と し て は 、 大 変 な 冒 険 で は あ り の です 。 だ か ら 書 店 に は 置 き ま
冊 価
(毎 月10日 発行 )
)1,500円 1部 l価 150円
9■
(送 料 共
1年 間 予約 制
2月 10日
発 行
交 流 」編 集 会 議
「
東京都 中野lX江 古旧 4-17-14(増
野潔気付 )
〒 165
電 話 (03)385-2293
郵便振 替
東
京
4-5 1 709
から、体制に異議申し立てを して
いる人々相互の交流と討論と発展
のための月刊新聞です。
0原 稿料 は払いません。編集作業も
無償 です。購読料とカンパによつ
て、
印刷費・郵送費をまかないます。
=
読者の皆さん、執筆者の皆さ
ん、本号でついに 一〇〇号にな
りました。 このち っぱけなミ ニ
コミが 一〇〇 ヶ月続 いたからと
いって、世の中が変るわけし ゃ
な いけど、でもなんとなく ﹁
ヤ
ッター′﹂と いう感じで、うれ
し いんですよね。
ご承知のように本紙は、比較
的小規模な運動体とか個人 の闘
子育てを
いを報道したり、又 ﹁
考えるシリーズ﹂、 ﹁
性を考え
るシリーズ﹂、 ﹁
老 いを考える
シリーズし、 ﹁
食卓拝見﹂など
日常生活の表裏を再点検する連
続企画などを通して、私たちを
生き難くしている支配の網の目
の先端をさぐり出し、それを断
ち切る方法を手さぐりしてきま
紺
漏リ
版
2月 号 鰤Q100)
1982年
=
撃職
0「 交流」は、いろいろな生活領域
第 100号
1975年 3月 25日 第二種郵便物認可
流
交
(1)1982年 2月 10日
ちなみに、落合さんは ﹁
自立﹂
と いう言葉に対してはとても慎
重なのだ。著書 の中でも、職業
を持 つ女性が、専業主婦に対し
て差別的な見方をする姿勢にク
ギをさし、ここでもあくまで ﹁
自分のも のさし﹂が大切である
ことを指摘して いる。
にならな いと見る。彼女はあく
﹁
ひとから或る生き方をおし まで ﹁
個﹂ のとらえ方重視な の
つけられるのが いやだから、自 だ。深夜放送をしていたころも
又、大学祭 に招かれて話したり
しても、 こちらが熱意をこめて
語りかければふりかえ ってくれ
る ハートがある、真剣な長 い手
紙を送 ってくれる若者がいる。
それを信した い、オプテミステ
ィックと言われるかも知れな い
けれど、と、クールな第 一印象
とちが って、イ ンタビ ューの終
り頃には次第に言葉にも力がこ
も ってきて、 こちらはタンタジ
をぐら い。
一九四五年 一月生まれとは思
えな いほど感性が若々し いのだ
ろう。 ﹁
徒党を組むのは苦子だ
けど、世 の中 の巧妙にかくされ
た悪 ・強者 の論理をチ ェックし
ていかなければ﹂と話を結ぶ。
勉強なんかにはすぐ飽きてし
2息子だが、
まヽ
一時間神妙に耳
を傾けて いて、喫茶店を出てか
ら吐 いた言葉が
﹁
おれ、 フアンにな っちま っ
たぜ。帰りに本買 っていこうぜ﹂
結局、帰り道 の本屋で3冊も
買わされてしま った。でも、気
持 のいいイ ンタビ ューができて
よか ったと思う。
︵
文責 ・ます のきよし︶
分もひとにおし つけたくな い﹂
彼女が ﹁
強者 の論理しを僧む
のは、強者が いつも弱者に対し
ていろ いろなことをおし つけて
くるからだ。たとえば学校。子
どものためと称しておし つけて
くる管理、し つけ。 スポーツさ
えやらせれば思春期のエネ ルギ
ーが発散されるだろうと いう単
純な見方。おとな のも のさしに
合わな い子は ﹁
問題児﹂とレッ
テルをはる身勝手。
落合さんがオーナーである渋
谷のクレョン ハウスでは、毎月
一回勉強会を開 いたりして、子
どもがおかれて いる状況 への視
点を研ざすましている。そこへ
0代 の著者たちも、
集 ってくる2
﹁
世の中 の右傾化﹂を敏感にキ
ャッチして いると いう。
﹁
今 の著者はダメだ﹂とおと
なたちは言うけれど、そのおと
なの側にこそ問題があるのでは
な いか、と落合さんは言う。
学園紛争などをくぐ ってきた
、。
。
3代にくら べ 2代がシラケて
いると いう のは マユツバではな
いか。そう いう傾向があるとし
ても、開 いの息吹きを伝えなか
。代 の責任も問わなければ
った3
ならな いし、世代論は余リアテ
ながらも いまだ二人暮しの身 の
上、子育 て奮間記、育児を通し
ての社会 の見方等の記事を読む
のがいささか苦痛にな ってきた
からです。
でも、貴紙をよむと ﹁
こう い
う考え方 の人も いるのか﹂と感
心させられることも多 いも ので
すから、や っばり今後もよんで
□購読料お送りしようかどうし いきた いと思 い、おくればせな
ようかと、しばらく速巡してい がら送らせていただきます。
0年、父母、義父
ました。結婚 1
今後ともよろしく。 ︵
K子︶
母には ﹁
孫がほし い﹂と いわれ
門野晴 子
,
孟
ミ
平
ミ
メ
ミ
ミ
六
贔
ま
7
き
)
」
1//
摯 情罫 一
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お あ い こ だ が 、 双 方 の タ イ ミ ン そのままに、何よりも命 の尊さ 同 授 業 だ し 、 教 師 は 交 代 し た ば い や に 冷 静 な 返 事 を す る の で 、
グ が 合 わ な いか ら や や こ ︱´い。 を知り、人間の誇りに目党めた か り で 荒 れ る 条 件 が そ ろ って い ヽヽん な 教 師 は 話 に な ら な いと 思
ら ぬ ルな よ ′
最 大 の 難 問 は 、 成 熟 し た 院 体 ことがうれしい。娘は、 スカー る 。 こ の 日 も 授 業 中 、 生 徒 同 士 い、 こ ち ら も 事 務 的 に 話 を 打 切
と未 成 熟 な 精 神 の ア ン バ ラ ン ス トをまくる男子にビ ンタを食ら が ふ ざ け 合 い、 う ち の息 子 K も った 。
で 直 面 す る 性 の 問 題 だ が 、 人 人 わし、ヒワイな言葉をやり返し、 A 君 と 柔 道 の マネ ご と を し て い 更 に あ ち こ ち 電 話 し た 結 果 、
8日
は こ い つが ア キ レ ス 腱 だ か ら 、 かと いって、
一番 の話題 のリー て 背 負 い投 げ が き ま り 、 相 手 が す で に 何 人 も の生 徒 ・親 が 2
子 供 視 し て 禁 上 の .手 に 出 る 。 ダーシ ップを握るから、刑務所 痛 が った の で ﹁ご め ん ﹂ と 謝 っ 中 に 呼 出 さ れ 、 中 に は ひ ど く 呵
親 が 顔 を し か め る 度 に 子 供 の 好 のような学校に喜 々として通 い、 た り し た ら し い。 こ ん な こ と は 喝 さ れ た り し て 始 末 書 を と ら れ
奇 心 は 増 幅 し 、 親 へ の復 讐 も か 学校 の点数評価をはね返した。 男 の 子 の 間 で は 日 常 茶 飯 事 だ 。 て い る こ と 、 ﹁被 害 者 ﹂ と さ れ
てすり寄 ってくる。チ ョロイ。 ね て ﹁実 践 ﹂ す る 子 供 も いる 。
十 八 才 と 十 五 才 の ガ キ が 家 の イギーオカ ンは圧倒され っぱな
子供 の喫煙をやめさせるのに
と ころ が こ の 日 は、 別 のT 君 る T 君親 子 は む し ろ警 察 沙 汰 に
息子の友だちがよく遊びにく
中 を う ろ つく 様 に 、 私 は と き と し。息 子のきりりとしま つた背
性 教 育 に 熱 を 入 れ る 教 師 も い 父親が禁煙した新間 の投書を読 が 他 の男 子 達 に な ぐ ら れ て ア ザ な った こ と を 迷 感 が って お り 、
ここに至 って、仕掛け の主役
7 日 に 出 頭 し が学校だということが ハッキリ
し て 不 思 議 な 気 分 に 襲 わ れ る 。 中は幼さを秘めて進しく、何と る。ドヤドヤ、ズシズシと侵入 る が 、 何 の こ と は な い、 管 理 教 ませたら、娘日く ﹁
わかるけど が で き る と いう ハブ ニ ン グ が 起 いや い や な が ら 、 2
ビ ー ビ ー 泣 い て いた 幼 な 児 が 、 も言えず セクシーだ。これを い してくる。夏体みは褐色 の上半 育 の 一環 で 説 教 し て いる 。 生 徒 サ。子供がセ ックスしたら親が き た 。 授 業 は そ のま ま 終 った が て き た こ と 、 そ の時 す で に 調 書 してきた。最強の権力を持 つ警
タ テ に も ヨ コに も 私 を 追 い越 し うと、すぐ ﹁
母子相姦﹂に直結 身 ヌードで健康な エロティシズ が 一番 知 り た い の は ﹁ど こ へ何 やめるのかな。 ワ ハハ﹂
下 校 時 に な って 、 教 師 た ち が こ ら し い文 書 が で き て いた こ と 等 察が ﹁
独自 の立場で捜査﹂する
、 ムをふりまきに来たが、ビビ っ を ど う や った ら 子 供 が で き る の
、
、
。
﹁
た ゾ ー タ イ で 、 ﹁オ カ ン、 メ ヽ
ご してからかうヤカラがいるが
のなら、なにも学校に呼出しを
﹂ 子供 の躾論には どこか 二 の事 件 を 重 大 視 し 始 め K も 合 の事 実 が 分 ってき た
、オ バ ン、 カ ネ と の た ま う 現 娘 の見事な胸も息を のむほど美
てなんか いられな い。オバサ ン な の に 、 ﹁正 し い男 女 の交 際 ﹂ 宮修身﹂の匂 いがしてやりきれ め て 8 人 の 生 徒 が 残 さ れ 、 夜 8 ﹁被 害 者 ﹂ 側 が警 察 に 通 報 し 頼む必要はな い。しかも、教頭
﹂
な い。その欺購を鋭く見抜く の 時 頃 ま で 、 校 長 が お 説 教 す る や て いな い と す れ ば 、 残 る の は 学 がKに直接言わな いで、よりお
実 が な か な か 許 容 で き な い のだ 。しく、あどけな い顔とのアンパ はホ ットパンツで餌付けをする。 な ど と 自 々し い った ら な い。
、
、
、
﹁
子
つ
し
じ
常
は
二
人
で
は
は
ど
だ
た
ば
ン
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き
連
四
初
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私
子
供
の
年
令
に
応
は
ならぬ子供たちだ。
こ
の
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年
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め
娘
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他
ら 規 を 呼 び だ す や ら 大 げ さ な 扱 校 側 し か 考 え ら れ な い。 し か も となしそうなB君を使 って出頭
て
セ
、 を そ ら さ ず に話 し て き た が 、 知
﹁
十 才 にな る ん だ ﹂ 何 を ア ホ な こ た い欲情 にムラムラとかられる。 がお目当てかと思 っていたら
あんた、それでも主婦?﹂ いを し た 。 そ の 説 明 は ﹁ひ と り ﹁ひ と り の 子 を 8人 が か り で ﹂ を示唆するとは、なんたるうす
と を 、 と 一笑 に ふ し た 夫 が 、 帰
むろん、そんなことはおくび オバサンが目的なので狂喜した。 識 の与 え 過 ぎ は 好 奇 心 を あ お る 、とガキに言わせるほど親 の権威 の 子 を 8 人 が か り で いじ め た ﹂ と いう 、 事 実 と ち が う デ ッチ 上 汚なさ/
、
、
0日0には予想通り警
センコーの悪口や女の子のこと と いう 一説 が 心 配 だ った 。 だ が なんぞ振り捨てて、
一人 の女が と いう詫 い方だ。Kは ﹁
デ ッチ げの説明も、学校側と警察の日
省 し て ﹁パ パ お 帰 リ ィ ﹂ と 娘 にも出さず 風呂上がりの背中
翌1月1
に 抱 き つか れ て は 、 テ レ テ レ。 の汗もや ニキピの処置を乞われ などワイワイや っていたが、八 今 、 そ れ が 杞 憂 だ った と 思 う の ョタヨタオ ロオ ロとやみくもに 上 げ だ ﹂ と ふ ん が いし て い る し 、
調 は 一致 し て い る 。
察から三度目の電話で ﹁
これは
息 子 の一
削で は 妙 に オ ヤ ジ よ って るまま に勤める。息子は下半身 月十五日は徹夜で戦争に ついて は 、 ス ケ ベな 情 報 を 取 捨 選 択 で 生きる姿を見せつければ、子供 こち ら は 突 然 の 話 で よ く 分 ら な 呼 出 さ れ た 人 た ち も 、 お お む 刑訴法上の捜査だ﹂と脅しのポ
オチンチンの 語り明かした。思 ったより知識 き 、 互 い の 異 性 の相 手 を いた わ は自衛上、自律心も自立心もで いが 、 何 や ら 学 校 側 が 、 T 君 の ね ﹁学 校 側 の仕 掛 け た も の ﹂ と ルテージを上げてくる。
いる テ キ に 、 フ ン、 無 理 し て い の守りが堅く、 ﹁
、
、
や が る 、 と 笑 いが こ み 上 げ る 。 皮、むけたか﹂と聞いたら、 ﹁ はあ ったが それが現在と結び り 危 げ な い青 春 を エ ン ジ ョイ きてしまうことが、立派な大人 ア ザ を 利 用 し て 、 日 頃 反 抗 的 な 予 想 は つく が 、 な に し ろ ﹁
警 察 ﹂ こちらも知人の弁護士と相談
三 階 か ら か け 降 り る 音 は 山 崩 そんな こと聞く母親がいるかよ。 つかな い。同じ誤ちを繰り返さ し て いる こ と だ 。
にはわからんだろうな ァ。
生 徒 を 鎮 圧 し よ う と し て いる 気 の 名 を き いた だ け で ビ ビ る の は 、し つつ最悪の事態まで考慮 しな
れ の ご と く 、 兄 妹 喧 嘩 の す さ ま スケベ﹂と逃げて行 ったが、あ ぬためにはどう生きていったら
性 教 育 は 人 間 教 育 であ る 、 を
配 を 感 じ 、 釈 然 と し な い思 いだ 土日か ら の 日 本 人 の常 。 頭 を 下 げ がら対応を話合 った。
った 。
し さ は 〇 〇 組 の ご と く 、 冷 蔵 庫 る日、風呂場 の前を横切るとき、 いいのか、真剣な瞳が輝 いて、
て 済 む な ら 、 こ んな こ と 早 く 終
まかりまちがえば、規 子の信
。
、
学
校
と
い
を た ち ま ち 空 にす る は 豚 の ご と 彼がち ょうど戸を開けて出よう 全員をゴーカンしたくな った
う と こ ろ は いわ ば 直後 の生徒 へのサディスティッ
そ
の
ま
ま
2
学
も
終
り、幕れ らせてしま いた い、と思う のは 頼関係までこわされかねな い問
期
2月8日、警察 平均的な人情と いうも のだろう。題だ。門野晴子さんもやはり、
五無主義でも幼稚な高校生で 司 法 、 行 政 、 立 法 の 三 権 を 職 員 クな暴力も結局ウヤムヤにされ もおし つま った1
買 いだ め を 料 理 し て は 食 っ とした。瞬間に見たアダムの全
く ︵
2
、
あ っ、見ないで﹂あわ もな い。彼らが真しに求めるも 室 が 独 占 し て いる 空 間 だ 。 そ の てしま った。
の少年係から高圧的な調子で電 それが又、学校と警察 のねら い 息子が中2の時、暴力事件をデ
て し ま う ︶ ラ ジ オ を ガ ンガ ン 身/ ﹁
、
。 ひとりの な のかも知れな い。
2
のに応える大人がいれば、考え、 中 で 、 体 育 教 師 な ど 腕 力 に 自 信
ッチ上げられ、教師と父母 の包
鳴 ら し て 寝 そ べ る 図 は 受 験 生 の てて片手でチ ンポ コを隠した様
︲月に入 ってからも 女生徒 話がかか ってきた ﹁
発言し、行動する人格に育 って のあ る 連 中 が 物 理 力 と し て 警 察 が日答えしただけで、男の教師 生徒を 8人でいしめた事件につ ともかく、うちと、もうひと 囲攻撃 で自殺まで考えたことが
ご と く で は と て も な く 、 ど ち ら が可愛く て、役得にニヤリ。
も ﹁
性教育解禁 のわが家でも、内 いく のだ。わからな いことがあ 的 役 目 を つと め る 。 彼 ら は 力 に がビ ンタをはり、頬を押さえた いて調べた いから、明朝 ハンコ リB君だけは呼出しに応しなか あると いう文章を読んだ ことが
栄 光 のオ ー ル 3 ﹂ を 堅 持 し
、
ったら調 べさせれば いい。立派 よ る 支 配 を 信 奉 す る か ら 、 や た 彼女 の手をネジあげて更にビン を持 って親子で出頭しろ﹂と二 った。型日の2月9日も警察か ある。前林則子さんも大がかり
た の ど か さ は 、 親 の ﹁子 育 て ﹂ 心ドキ ン ビク ンとする蒼 いセ
︲ 2
。
ら に ポ カ ポ カ な ぐ る 。 や ら れ た 夕するとか、朝礼をサポ った生 う のだ。 ﹁
を 無 視 し て ﹁子 育 ち ﹂ し た 感 。 タシ ュアリティが渦を巻 いてい なことを言わなくても いい
それは事実とちがう ヽ
ら呼出しがあり ﹁
これで二回日 なデ ッチ上げと闘 っている。
、
、
、
不安に揺れ動く思春期 の子供 生 徒 は 日 惜 し いけ ど 、 か な わ な
言 葉 を 選 ば ず 話 題 を 選 ば ず るのだから 息子を宝もののよ
世の中にはず いぶんデ ッチ上
、 緒 に考える いか ら 、 そ の 不 満 の ハケ ロ を よ
対 等 に わ た り 合 え る よ う に な っ うに保護したり、独占してしま と不安を共有し 一
げの被害者が多 い。
ことは、不安な思 いで生きる大 り 弱 い部 分 に む け る 。 こ れ は前
て 子 持 ち の 面 白 さ を 満 喫 し て い う母親 の気持はよくわかる。
それにしても、教育 の場 への
る が 、 思 春 期 の 子 供 に いち いち
ナ ンデ エ、ガキなんかに興味 入ならばできるはずだ。応える に も 書 いた よ う に ﹁ニ ワ ト リ の
警察 の介人を防ぐのは、教師と
ツ ツキ 順 ﹂ と よ ば れ る 現 象 で狭
ビ ビ って は いら れ な い親 の正 念 はねえや い、と いう面白おかし とは受け止めるだけでいい。
しての最低限度の良心ではな い
、や
彼らが 、
どうしてこう い 話 い空 間 に と し こ め ら れ た 動 物
場の連続に、他家では 一体どう いか、はたまた、なにごとかに
う
の
ぼ
は
か
と
い
の
思
い
込
み
う
く
し て いる のだ ろ う か と 思 う 。
焼えるオトナの世界がなければ、 をうちの両親ともしてくれな い 多 く が こ の 傾 向 を 示 す 。
はり幻想だ ったのだろうか
,
、
、 のか とボヤき、私は下を向 い
﹁
校 内暴 力 ﹂ と よ ば れ るも の
と りわ け夏 は
若 さ が は ち き とてもも つま いと思うのだが
唯 一の救 いは、子ども達 の陽
﹂
、
、
に は いろ いろ な 形 があ る が 、 根
れ そ う な 肉 体 が 旦 削で 躍 り
ツ どちらもしな い女はどうしてい てしま ったが おそらく不安な
気さだ。
一月下旬 の授業参観で
規 ではな いから自信を持 って説 元 は 必 ず ﹁暴 力 教 師 ﹂ の存 在 と 徒 を 体 育 教 師 が ビ ン タ し て 、 半 し 、 学 校 内 で 解 決 済 み だ ﹂ と 言 だ ﹂ と 脅 し を か け て き た が 、 こ みる限り、子供達に ﹁
るのかしらネ。
警察沙汰﹂
、 ﹁
日 中 そ の ビ ンタ の 手 形 が 頬 に紅 ヽ
よく聞く母親の嘆きは、関心 教してしまうのだろう。それと 言 って い い。
学 校 と 警 察 は 別 。 こ れ れ も 断 った 。
つと
の後遺症はなく、底ぬけ の屈託
と こ ろ が 奇 妙 な こ と に 、 親 も く 残 って いた 等 の事 実 が あ る 。 は 捜 査 だ ﹂ と 言 う 。 ﹁
は大 いにあるのだけど子供が相 も、不安を不安と現わせな いは
誰 が そ ん 正 月 も す ぎ 、 三 学 期 も 始 ま っ なさでふざけ合 っていた。
手にしてくれな い、という声だ ど ヨロイに身を堅めているのか 教 育 委 員 会 も 警 察 も 新 聞 も 、 生
こ う いう 状 況 で 生 徒 も か な り な 話 を 通 報 し た の か ﹂ と き い て 、 さ し も の警 察 も 、 こ ん な セ
このパイタリティがあるかぎ
,
が、食 いも のや話題で餌付けを
徒 が 教 師 を な ぐ る と 大 騒 ぎ す る 荒 れ て いる 。 受 験 前 の 二 年 生 は て も ﹁そ れ は 言 え な い﹂ と いう 。
コイ 話 に い つま で も か か わ って り、管理主義教育者たちが勝利
思春期 のガキと いう のは、勝 く せ に 、 教 師 が 生 徒 を な ぐ って お と な し い が 、 二 年 生 は 教 師 達 ﹁で は こ ち ら も よ く 調 べ て み い ら れ な い の だ ろ う と 思 い始 め 感を味わうことはできま い。
息 った報 いは思春期に出る。う
ちなんぞ、息子の愛を つなぎと 手なときに子供になり、勝手な も 知 ら ん ぶ り し た り 、 時 に 奨 励 の タ ー グ ット に さ れ て いる 。 る ﹂ と 電 話 を 切 る 。 す ぐ に 学 校 た 1 月 9 日 0 、 な ん と 教 頭 が B
それが今、ぼくらに残された
2月 6 日 、 2年 生 X 組 に 電 話 す る と 、 冬 体 み中 な の に 君 を 呼 び ﹁
めるには、たまにギ ョーザや コ ときに大人になる。も っとも親 し た り す る 。
さ て、 ・
ま す の 君 と 一緒 に 明 希望と いう べきかもしれな い。
1
中 野 七 中 も そ う いう 学 校 の典 と Y 組 の合 同 の技 術 の授 業 の時 担 任 の S 教 師 が 居 た 。 ﹁
ロッケなど手のかかる エサを作 や教師も、勝手に子供視したり
警 察 の 日 、 警 察 へ行 き な さ い﹂ と 言 っ
2月3日、又も警察より呼出
・
8 号 に 書 いた 手 術 だ 。 こ れ は 男 子 ば か り の 二 組 合 捜 査 は 或 程 度 予 想 し て いた と た と いう 。
れば、ゴ ロゴ ロとのどをならし 大人として要求したりするから 型 の 一つだ 。 9
し電話。
﹂
辟
颯
1982年 2月 10日 α
流
交
第二種郵便物認可
第100号
保青 国 にお いて、あ ず ける者
と あ ず か る 者 の分 断 が 指 摘 さ れ
1
え る か ら だ った 。
し かし、信 頼 で
1
き る友 人 、 知
人 に N を あ ず か る こと を た め ら
わ れ た 現 在 、 自 分 の 理想 ば か り
る よ う に な って 久 し い が 、 私 は
N の保 育 者 を さ が す 過 程 で そ の
言 って いら れ な く な る 。 あ ず か
一
に は 我 ま ん す る と いう 気 持 へと
って く れ る 所 な ら た い て い の事
背 景 の 一つ に 気 ず い た 。
って く れ る 人 と の 信 頼 関 係 を 結
私 自 身 傾 か ざ る を 得 な く な って
い った 。 そ ん な 時 、 上 の 子 M と
子供を あず け る者 は、あ ず か
ん だ 上 で 子 供 を 託 す と いう の が
順序 であ る のに対 し 、保育 園等
以 前 そ の 子 を 家 庭 福 祉 員 の人 へ
同 じ 年 令 の 子 供 の いる 友 人 が 、
の公 的 機 関 に 子 供 を あ ず け る と
いう こ と は 、 あ ず け る 者 と あ ず
か る 者 個 人 の間 の信 頼 関 係 は 当
初 ゼ ロ であ り 、 し か も 互 い に 信
頼 関 係 が築 け な く ても あ ず け な
ければな らず 、 又、あ ず からな
け れ ば な ら な い。 そ れ は 、 保 育
園 と いう 公 的 機 関 が 子 供 を あ ず
か る の であ り 、 保 育 者 は ま さ に
そ こ で働 く 労 働 者 と し て保 育 を
し て いる の であ る 。 そ し て 、 個
は私達がかよ いされるかどうか
疑間を感したらしく、私 の家に
比較的近 い他の家庭福祉員 の人
を紹介してくれたのだ った。
もちろん市役所に出向 いてY
市 の家庭福祉員を紹介してもら
いそのお宅 へNをお願 いするこ
ともありえたのだが⋮︰。
そも/ 主家庭福祉員制度 の存
在は、ず いぶん前から知 ってい
たがY市で認可される基準が年
性 を 回復 す る た め に 何 を し な け
そ し て、 女 が ″
主 婦 ″ から、
″
人 ″ と し て自 分 の人 生 を 生 き
る た め に 、 自 己 実 現 のト ー タ ル
写真 は寛 樹 君 、 革
︵
あ らた︶君
た か 子 さ ん も が ん ば って ま す 。
回東中野の小学校二年生 のA君
は脳性 マヒですが、これまでは
ず っとお母さんが授業中 つきそ
ってきました。しかし、お母さ
んの健康状態もよくなく、区 の
かれ
かど
し
そ
か
断
う
判
た
い
と
う
子
供
規
や
の
生
活
を
け
る
で
助
こ
と
た
め
際
せ
保
園
な
て
育
み
の
単
に
価
し
た のだが⋮⋮。
いう のである。私は最初 ﹁
おや もなく、子供と共に楽しくすご できな いのかき いてみた。家庭
さてNは二日ばかり泣 いたが
っ﹂と いう思 いがしたがよく考 せる時間を自らも つ喜びが感じ 福祉員 へは人件費しか出せな い
割と早く慣れ、約二週間た った
えてみると、しごく当たり前 の られる行為 であ ってはし い。
のだと いう。それも保育園 へ措 今では私と別れ際も泣かなくな 圏前号 のミ ニニュー スで柴崎温
事だと思えてくるのだ った。
そうでなくては、子供とあず 置されるまでの腰かけが多 いか って安心してあずけている。そ 子さん
の電話番号を間違えまし
保青園で子供をあずかるかど ける者とあずかる者が対等にな ら親側から市 の援助が少な いと し 、
て Yさんとの約束がどこま た。正しくは ︵
九七 一︶八九五
うか決めるのは、市のケースワ りえな い。そう いう対等な関係 文 がで
句
る
は
意
外
だ
の
と
い
態
う
で
果
せるか、現在私は思案中で 九です。なお、あ のア ッピール
、
。
、
ーカーが 置基準
らし
措
に
照
て
判
を
家
庭
福
員
し
っ
祉
の
Y
さ
ん
に
感
だ
度
た
Y
じ
さ
ん
に
子
同
供
あ
る。それは家庭福祉員制度が の賛同者は現在 一一八人に達し
断するのである。措置基準は主 家庭福祉員制度が市 の管轄にお をあずか って稼 でいる立場とし 保
育園に措置されるまでの仮 の ています。その他、署名運動も
に親 の生活状態を対象にしてお かれているとは いえ、保育者 の て、あまりの安さに驚きました
居場所としてではなく、も っと 続けています。協力して項ける
、
りあずけられる子供は、そして 主体性が認められ
て
い
る
こ
と
に
と
い
と
は
う
実
Y
さ
ん
は
家
庭
福
積
な
で
極
的
意
味
位
置
け
っ
づ
さ
れ
方
て
絡
の
連
を
待
てます。
あずかる保育者はそこでは客体 意外な気持を いだ いたのだ った。祉員の協議会 の会長をしていて も いいのではな か
い と思えるか 日前号 ﹁
情艶ヽ
ファイ ル﹂ の ﹁
不
である。
︵
理由は後にな って市役所に手 いろノてヽ市 へ要請しているのだ らである。それには実態をも っ 協和音 発行者 藤
遠 さんの住所
﹂
家庭福祉員 のYさんにと って、続きに行 った時、すぐ解 った。 けど福祉予算が少 いからといっ レラ ヽ知る必要が
あろうが、現 も間違えました。■しくは ︿
中
く
。
子供をあずかることは、
そ
の
子
非
常
に
安
保
料
い
育
な
だ
の
も
ち
て
き
き
入
れ
て
も
ら
な
で
え
い
の
す
私
は
ひ
た
ら
在
の
す
一
年前
神町 一三七 一︱八四﹀です。
とある いはその親といい関係を ろん支払う側から いけば安 いと と いう のであ った。今後親とし 職場と
Yさん宅と自宅 の往復 に
みなさん、ごめんなさ︱ い。
築けるかと いうことであり、保 はいえな いが市からの援助額が て協力できることがあ ったらど 明け れ
く ているだけな のだ。
育者として主体たらんとするこ 少な 、
で
つ やつ ド
く
N
の
場
合
ぞ
し
Y
さ
ん
の
手
お
う
て
さ
い
と
約
束
一
千務課と交渉して、なんとか行
とであ ったろう。Yさんは以前 に 入 る の は 三 万 四 千 円 ︱ 親 一万
政側 の責任で介護者を つけるよ
あずか った子で三 ヶ月泣き通し 七 千 円 市 七 千 円 ︱ な の で あ る 。
う要求しているのですが、それ
のため、とても慣れそう にな い N ︵一才 丁 度 ︶ の よ う な 子 を 基
も難航しています。
からと言 ってことわ ったんです 準 い っば い の 四 人 あ ず か った と
そこで、とりあえず週 一∼二
よと言 った。私は同じ保育者と し て も Y さ ん に 入 る の は 九 万 六
回、ポランティアとして学校に
して、なんと親、ある いは子供 千 円 。 し か し 現 実 は 一才 を 四 人
つき添 ってくれる人を探してい
と対等なんだろうと思わず には は 無 理 だ か ら 二 才 三 才 の 混 合 で
ます。心当りのある方、本紙事
いられなか った。
保 青 す る こ と に な り そ の 年 令 で 日 本 紙 2 ・3 号 に 登 場 し た 日 吉 歩
9 9
︵
あゆみ︶ち ゃんとたか子さ 務局までご連絡下さ い。
子供をあずかるという行為は、 は 一才 の 半 額 近 く に な っ て し ま た か 子 さ ん ︵現 姓 高 橋 ︶ は 、 9 ん。なお、自宅
の電話が次 のよ
なお、区側は ﹁
区はお金がな
9 日 に 二 っ子 誕 生 。 早 産 の た
ただ単に、子供のめんどうをみ 、つ︶
月2
九六五︶九 いからポランティアで﹂と いう
うに変りました。 ︵
られな い母親にかわ って子供 の
Y さ ん が N を あ ず か って く れ め 病 院 暮 し が 続 き ま し た が 、 今
一
ハ一一
一一
言 い方で福祉 への出費をケチる
めんどうをみてあげると いう こ る こ と に な り 、 市 の 援 助 の 少 な で は 二 人 と も 退 院 し て ス ク ス ク
姿勢 ですが、家族やポランティ
とではなく、又自分を犠牲にし さ に 怒 り を 党 え て 手 続 き に 行 っ 育 って ま す 。 い ろ いろ 困 難 は あ
アの善意 のみに期待すると いう
り ま す が 板 橋 区 の緊 急 育 児 保 護
福祉政策にもかなり問題があり
や 地 域 の支 援 者 に 助 け ら れ つ つ
ます。どう いう解決がいいのか
これも今後 の課題として残され
ています。
会 ってみると ﹁
普通 のオパサン﹂等 の著書もあるが、おそらく彼
の温さを感じさせる人だ。取材 女にと っていちばん熱 い思 いが
にもしばしば腕白坊や同伴で行 こめられているのは本書な ので
くと いう。
はな いだろうか?
と し て 親 と 結 ば れ て い る こ と は あずけていて、とても安心でき 令 に か か わ ら ず 一人
の保 育 者 に
特 に 必 要 が な い の が 現 実 で あ る 。ると いっていた事を思 い出した。 四 人 ま で 措 置 さ れ る こ と で 不 安
私 が N を あ ず け る 所 を さ が す 彼女に連絡をと ってその家庭福
を 感 し 、 自 分 の子供 を あ ず け る
、
の に 公 的 機 関 に 足 を は こ び た 祉員 の紹介をた のみ、丁度体暇
対 象 と し て考 え る こと がな か っ
く な か った の は 、 公 的 機 関 に あ をと っていた彼女は 一
緒にその た 。 た ま ′くヽ友 人 が 安 心 し て あ
ず け る こ と で あ ず か っ て く れ る お宅までついてきてくれた。そ
ず け て いた と いう こ と で 突 然 私
人 と 、 個 と し て の 関 係 が も ち に の家は奥ま ったかなり不便な所
の 視 野 に 入 って き た の で あ る 。
く く な る と い う 危 惧 が あ った か にあり、又私の家からは距離が
そ し て 紹 介 さ れ た家 庭 福 祉 員 の
ら だ 。 個 と し て の 関 係 が も ち え あ った。しかし、彼女からの話
Y さ ん 宅 へ電 話 を す る と 、 Y さ
と気さくな人柄にNをお願いす ん は N に 会 って み た いと いう の
ることにした。ところがその人 で あ った 。 お 子 さ ん を み て あ ず
て は じ め て互 いに信 頼 関 係 を 築
こ う と す る 努 力 が 成 り 立 つと 考
臣 に し て み た い と いう 気 持 に な
る。 ﹂ ﹁
自 ら の意 志 で議 員 バ ッ
チ を つけ な か った り 、 ぼ ろ の ジ
ー ン ズ や 上 っば り で議 場 に出 た
、
ー マ ンと いう 印 象 を 受 け る が 、
け 聞 け ば 、 いか に も キ ャリ ア ウ
り 議 員 報 酬 の お 手 盛 リ ア ップ
本書は、その彼女が自らの仕 ︵
大和書房刊、八八〇円︶
れ ば な ら な いか 、 己 自 身 の半 生
に 反 対 し た り と 、 議 員 の権 威 や 事と子育ての谷間で悩み、苦労
を ふま え て 、 熱 い メ ッセ ー ジ ー
︵
I︶林都著 ﹁
未来を紡ぐ女た 特 権 、 利 得 を 批 判 し 、 日 常 の生 しながら、いろいろのことを学 ︵
Ш︶武田京子著 ﹁
主婦からの を 増 って く れ る 。
ち﹂
活 でも 徹 底 し て ﹃
持 た ざ る 人 間 ﹂んでいく体験記であると共に、
自立﹂
経 済的 自 立 は 必 要 条 件 ではあ
﹁
お んな と 辺境 ﹂ 、 ﹁
﹁
未 来 を の姿 勢 を つら ぬ い て い る ピ
ポ ッポの家﹂、 ﹁
か っぱの家﹂ ″
主婦″と いう言葉は、女性 る が 十 分 で は な い、 ﹁男 も 女 も
、
紡 ぐ女 たち 、 ﹁
お な
ん
と
文
明
な
︵
が
お
宮
本
さ
ん
し
﹂
7.年 に 共 産 など無認可共同保育の現状や意 の性別役割意識、男女分業論 の 内 と 外 ﹂ の役 割 を 平 等 に 担 う こ
党 か ら 除 名 さ れ た と いう 記 述 は 義などを紹介するルポでもある。根拠として語られ、女にと っ
て と、 ﹁
生産性の論理﹂
﹁
社 会 党 の誤 り で あ ろ う ︶
保育は、ただ単に子どもを ″ はウラミのこも っを言葉 である。ゆたかさのなかみを点検、弱者
そ の他 ﹁
キ
カ
ヤ
エ
女
の
生
と
死
け
あ
ず
る
ではなく、親と 著者は ″
こ
と
﹂
年令を問わず主婦 であ を核とした社会づくりにこそ、
″
﹁ハル モ ニと オ モ ニ の涙 な ど 保育者が共に ″
育てる″ことを ろうとなかろうと、女たち のす 明日への展望が在ることを示す
﹂
視 野 は 全 国 に ひ ろ が って いる 。 意味する。保育所のあり方を問 べては、あらゆる場で主婦的な あきらめ 、
ず 身 のまわりのこと
果 来 社 刊 ・ 一六 〇 〇 円 ︶
、
ことは、
う
同
時
に
親
自
も
間
身
わ
事
し
仕
を
役
と
が
割
な
ら
主
し
婦
的
状
か
ら
か
も
同時に、全ては ″
れることであるのだ﹂と考える 況を生きている。そしてそ のこ 戦争 への道 を許るさな い、と
″
︵H ︶ 佐 藤 洋 子 書 ﹁子 ど も を あ 著者は、ベピーホテル規制によ とが、まさに女の問題 の原点 に い
う大前提 の上 であることをも
ず け て 働 く と いう こ と ﹂
って良心的な共同保育所までが 他ならな い と言 い、歴史的 に、決して忘れな い。
″
著 者 の佐 藤 さ ん は 朝 日 新 聞 の ,
つぶされてしまう危険t対して 主婦が形成されてきたプ ロセス
女の底力を今 こそ示さなけれ
ベ テ ラ ン記 者 だ 。 そ の 肩 書 き だ も目くばりを忘れていない。
を分析し、今 の世で主婦がど の ば、と呼びかけている。
佐藤さんには他に ﹁
子を持つ ように機能させられているのか ︵
汐文社刊、
〓 一
〇〇円︶
女が輝く時﹂ ︵
教育史料出版会︶明確 に整理してくれる。
の三編からなる。それぞれ、日
立たずに生きる女たちからの間
き書きである。たとえば ﹁
激励
者 ・宮本なおみ﹂ の章では
﹁
政治家を書くま いとわたし
は思 った。⋮ ︰だから宮本さん
が全く の無所属であ っても、区
議 であることにこだわりを感じ
た。だが、彼女の実物にふれる
うち、そんなこだわりはなくな
ってしま った。彼女くら い徹底
した肩書き嫌 い、 レ ィアル嫌 い
だと、逆にこう いう人を総理大
第二種郵便物認可 第100号
,充
交
0)1982年 2月 10日
あ
こ う し て 、 古 い文 化 か ら 新 し
i,
ます のきよ し
編集お ぼえがき 印 Lど F
,
F
りがえれば 一〇O ヶ月
いや 種 属 そ のも の
群 の存 亡 が 、
の存 亡 が 、 少 数 のは み だ し 派 の
滅 す る な ど 、 環 境 が激 変 し て
れ ま で 主 食 に し て いた 植 物 が 絶
、
い文 化 へ の 移 行 が サ ル社 会 で も
。
起 き る こ と が あ る の です と り
わ け 、 た と え ば 災 害 のた め に こ
開拓した道に左右されることさ
えありえます。
ぼく の言おうとすることがお
分りでしょうか
,
ミ ニコミの基本的な機能は、
いわば右 にあげた少数はみだし
派 のコミ ュニケーシ ョンなので
す。失敗したり、ポス派から い
しめられたりしながら、その身
形
≠
一時 は 子 連 れ で 通 動 し て た の で
ぼくも時 々、近所 の公園で遊ん 右のことからお分りのように、 新 し い本 の 実 を 試 食 し て み た り
︵Ⅳ ︶ ミユ ¨コ ミ と マ ス コ ミ
今日届 いた読者からの手紙を でもら いました。Eさんには い ミ ニコミは吹けばとぶような身 群 の寄 り つか な い場 所 に 侵 入 し
た り と いう 冒 険 を す る こ と が あ
ずれ本紙にも寄稿を頼みた いと 軽さが特徴です。
紹介してみます。
﹁ ″ふ り か え れ ば 一〇 〇 ヶ月 思 ってますが、手話ができるし、 この身軽さこそ、ある意味で り ま す 。 そ の 冒 険 に 失 敗 し て怪
″
、
。
を 、 内 幕 も の が 好 き な の で 熱 読 いろ いろ集会 にも出てるみた い はミ ニコミの強みでもあります 我 を し た り 群 か ら いじ め ら れ
その理由を説明してみましょ た り す る こ と も 勿 論 あ り ま す 。
さ せ て い た だ い て いま す 。 ″編 ではくも教えてもらう ことが多
、 。
し か し 、 こ の 少 数 派 の試 行 錯
集 お ぼ え が き ″ と は 言 う も の の い 以前は本紙のタイプを外注
、
、
、 に出してたけど、今は殆どEさ
中 に 一群 のサ ルが 誤 の中 に た ま た ま 快 適 な 食 べ
タ イ プ す る 人 写 植 を う つ人
。
カ ット を 入 れ る 人 、 印 刷 す る 人 、んが写植で打 ってくれてます
、
発 送 す る 人 な ど な ど の顔 も 読 む 1月号の見出しを写植にした時
、
側 と し て は 思 い浮 か べ た いと 思 手書き の方がいいですよ と熱
、
。
いま す の で 、 そ ん な こ と に も ち じに言 ってくれたのがEさん
′
ょ っと で い いか ら ふ れ て も ら え やはり、読者からの声も手奎”
き
。
た ら と 思 って お り ま す ﹂ ︱ ︱ と 支持派が多いようです
いう わ け で 、 先 ず ご 質 問 に お 答
カ ットは読者 のR子さんが書
いてくれることもあるし、他の
え し て お き ま し ょう 。
、
。
本 紙 の 印 刷 所 は 零 細 な 有 限 会 ミ ニコミ類から無断盗用したり 住んでいるとします 彼らの大 も の 快 適 な 生 き 方 が 発 見 さ れ
、
。
一定 の る と 、 ﹁こ れ は 面 白 そ う だ な ﹂
部分は Iこの食 べも の、
社 で 現 在 社 員 は 二 人 だ け 。 男 の ぼくが描 いたり いろ いろ
、
一つ と ば か り 、 少 し ず つ仲 間 が ふ え
発送作業は9%ぼくひとり。 生活パターンを守ります。
F さ ん は 。代 で 二人 の子 持 ち
9
3
つれあ いや息子 の生き方が親から子 へ、おとな て いき ま す 。 こ れ は 大 体 、 好 奇
営 業 と 印 刷 を 主 に や って ま す 。
︵
1%ぐら い、
、
昔 は 活 動 も や って た よ う だ け ど が手伝 ってくれることもありま から子ども へと伝承される仕組 心 の 旺 盛 な 子 ど も 若 者 に よ く
、
みにな っているので、なかなか み ら れ る 現 象 で す 。 お と な 、 特
︶
今 は 仕 事 ひ と 筋 。 や さ 男 で 時 す。
以上が本紙を作る裏方さんの そのカラを破 ろうとはしな いの に ポ ス ザ ル と か 年 と った サ ルほ
々子 育 て の悩 み も チ ラ と 洩 ら し
です。ところが、中 には群 の秩 ど 保 守 的 で 、 新 し い生 き 方 に冷
プ ロフィルです。
さて、本題にもどりますが、 序からはみ出す変りも のがいて、 淡 な 傾 向 が み ら れ ま す 。
て いま す 。 女 の E さ ん は 写 植 。
らうと いうものでした。又映画
上映前 には宣伝カーに乗 って、
繁華街を点呼して廻 ったり、映
画が上映されてからは、館内で
ポ スターを販売したりすると い
うも のでした。
私がバイトを始めた時、すで
ヽ房
は東薬大の四年生でした。私が
彼女を知 ったのは、この時が最
初だ ったのですが、このべ平連
キ ューバ
の部室で、私は映画 ﹁
の恋人﹂の切符販売を頼まれま
した。 これが増渕君と知り合う
キ ッカケにな って いきます。
°
キ ューバの恋人﹂
に増渕君は ﹁
でバイトをしており、H氏より
紹介をうけました。H氏の紹介
注 ・増渕君の
によると、 ﹁
M ︵
略︶は、東海大学学生会 の執行
委員長をや っていたが、今は退
学になり、再度、大学 へ入学す
るため、受験勉強をしている﹂
と いう ことでした。
いわゆる学生運
私にと って、
動家を身近かに紹介されたのは
Mが始めてでした。Mの風貌も
これまで私 の知 っている男友達
とは違 い、何か心ひかれるもの
がありました。そして、本など
で読んだ学生運動家像︱II義
感が強く、人を受する気持をも
ち、どんな困難にもくしけず、
清貧 の生活に耐える︱︱をMに
、の中で
あてはめ、理想を私のじ
′
作りあげていきました。
バイト中、Mと 一緒にな った
る
﹁
キ ューパの恋人﹂の切符を
預 った私は、大学 の友人達や姉
に売り、後日、その代金をも っ
キ ューパの恋人﹂自■上映
て、
映画事務所 へ行きました。その
事務所でH氏より ﹁
アルバイト
をや ってくれな いか﹂と頼まれ
私は数日後 にアルバイトを引き
受ける旨、返事をしました。
何回も書きますが、怪我をし
たことによ って私は体が丈夫で
はなくな ってしま ったので、後
期試験が終 ったあとは、家でゆ
っくりした いと思 い、アルバイ
トはしな いつもりでした。しか
し今までのパイトとは違 ってお
り面白そうな ので、やることに
決めてしま いました。
パイトの内容としては、会社
の文化サークルや、労働組合 ヘ
行 って、映画 の切符を預 っても
土田 0日 石 ピース缶冤罪
″
可能性が大でした。しかし大学 には大変な負担をかけてしま っ
生活四年でさえ長く感ずるのに たので、これ以上家族に迷惑を
二年も在学するのは耐えられな かけることは出来な い、と いう
いように思 いました。と いって 負 い目がありました。
そこでベトナム反戦 ・反安保
大学をやめて、何かやりた いと
いう こともなく、私 の気持は中 の問 いは、誰でも参加できて、
機動隊との衝突がな い ︵ ︶ べ
途半端でした。
,
普通﹂ 平連 の集会 へ友人と 一緒 に行き
特 に体が前と違 って ﹁
ではなくな っていたので、働く ました。と いっても べ平連に積
こともできな い状態だ ったので 極的に関わ ったのではなく、た
す。ですから復学後は、体に気 またま集会日程が月 一回と決ま
を使 いながら、何とか四年 で卒 っており、私が知りえる唯 一の
業しようと努力し、遅刻 ・欠席 集会だ ったという のが大きな理
由です。
は最少限にとどめました。
一方、社会では ベトナム反戦
︿
増渕君との出会 い﹀
べ平通 の集会 で偶然に中央大
反安保闘争の高場と共に全国 の
大学で全共闘が結成され、学生 学 べ平連の機関誌を購入し、そ
運動が広が って いました。私も の読書会がお茶 の水 の喫茶店で
同じ大学生としてそれらの問題 開かれると いうことを知り、私
は友人と出かけていきました。
を身近に感しました。
しかしその問 いは、
中
いずれも
読書会が終 ったあとで、 ﹁
︿一九六八年秋﹀
ヘルメ ット ・グ 人 へ来な いか﹂と誘われ、好奇
一九六八年九月に大学 へ復学 大学を封鎖し、
l盛な私は ﹁
バリケード封鎖
したも のの、私の気持は落ち着 パ棒で武装し、街頭 へ出る形が 心l
H
きませんでした。まず進路 の問 多か ったので、私などが参加で を見てみた いな﹂と思 って、
題として、大学をこのまま続け きる余地はありませんでした。 緒に中人 へ足を運びました。中
るかどうかで、悩みました。
同時に私自身、デモを見にいっ 大 べ平連 の部室には、男性数人
白百合 では出席日数が規定 に て怪我をしたこともあ って、 ﹁ と女性 一人がいて紹介をうけま
被告﹂にさ
達しな いと単位がとれな いので、過激﹂な学生運動には加われま した。女性は今、 ﹁
私は出席日数不足で留年になる せんでした。怪我によ って家族 れている江H良子さんで、当時
露 え
(4)
1982年 2月 10日
i充
交
第二種郵便物認可
第 100号
いろいろな模索 叫ぶ、ということだ ってありえ 行を余儀なくされます。ミ ニコ
軽さのゆえに、
ができるわけです。簡単につぶ ます。それがミ ニコミの生命だ ミには、だから、その発行主体
の力量に応して、おのずから ﹁
れてしまうかわりに、誰でも簡 と思います。
なお、少し問題 がズレますが 最適規模 があるように思 いま
単に始めることができます ︵
長
﹂
0%増
大き いこ す。本紙の場合は、もう1
くつづけることは余り簡単とは マスコミにと っては ﹁
、
言えませんがヽマスコミのよう とはいいことだ﹂と言えても、 ぐらいが最適かもしれませんが
余り大き まあ部数に ついては、ぜいたく
な大きな影響力はもちえません ミ ニコミにと っては ﹁
が、そのかわり多種多様な主張 くなると困る﹂と いう ケースも を言わず、なりゆきまかせと い
唯一
あります。たとえば、本紙 の場 う感じでや っています。 ︵
の場になりえます。
売れる 合、財政的な面では、もう少し の例外は、今度 の結刷版で、こ
マスコミにとっては ﹁
視聴率﹂の高いこ 読者が増えた方 がやりくりが楽 れだけはかなり目 の色かえて売
こと﹂又は ﹁
そん らなければ、大赤字 になるおそ
とが至上命令ですから、常に多 になります。しかし仮に ︵
数派の意向を配慮しなければな な ことはありえませんが︶読者 れがあります︶
そんなわけで、これからどこ
りません。時に少数派の主張に 数が倍に増えたとすると、今度
場を提供することはありますが、は発送作業 の面で、ぼくひとり まで続くか、よく分りませんが、
余り悲壮感をも ってでなく、か
それは多数派の感情を逆なでし の手には負えなくなります。
かと言 って、誰かアルバイト といって投げやりにでもなく、
ない、という条件つきです。
T万 ミニコミにとっては、 を雇 って、と いう ことになると ほどほどの緊張感と快適さと、
売れればそれにこしたことはな 何倍も規模を拡張しなければな 読者 の皆さん への甘えの構造に
身軽さ﹂と いうメ 身をゆだね つつ、図 々しくも生
いけれど、売れることが至上日 りません。 ﹁
的ではありません。前にも書い リ ットが失われるだけでなく拡 きのびていきた いと、かように
言いたいことが言え 張した読者数を維持するために、ねが っております。よろしくお
たように ﹁
͡
完︶
る﹂、これが絶対条件です。場 いろいろな配慮をしなければな 引立てのほどを⋮⋮。
たくあんの味﹂
合によ っては、誰もふりむいて らなくなり、 ﹁
くれなくても、叫びたいことを から ﹁レストラ ンの味﹂ への移
り、話しを交わす ことが少なか 四年で事業できる見込みもたち、
2年ぶりに、昔 の社会党オ
ったので、よけいに私の理想を 春からは卒論に取組み始めまし 回約 1
ルグ仲間の同窓会 → ︶に出て
Mにダブらせていったとも いえ た。
そして二月中旬、どうしても みた。みんな スネにキズ持 つ身
ます。Mとざ っくばらんに話し
をしたのは、パイトが終rした 京都 へ行 ってみたくて、私は 一 だから再就職 の苦労話に花が咲
時でした。 バイトが終 ったら春 人で旅に出ました。今思えば無 いたが、中でも最も華麗な変身
、
休みを利用して、友人と京都旅 謀とも いえるのですが、Mが書 をとげたのは 武骨な活動家だ
行を計画していたので、そのこ いてくれた京都 の街を歩 いてみ ったF君。 ファッシ ョン界 のジ
とを話すと、Mは京都の名所を たくて、宿 の予約もせず、カバ ャーナリストにな って欧米を旅
地図に書 いて説明してくれまし ン 一つとカメラをも って出かけ し、今も某ホテルのファッショ
ました。京都にいる間は、Mが ンショーを取材してきたところ
た。
。
そのあと、自宅 全示都 の旅行 隣りに肩を並 べて歩 いてくれて だと言う 人間その気になれば
案内書をすぐに送 ってくれたり いるような感じでした。しかし 生きる道は拓けるも のだと感心
詩が送られてきたりして、更 に 現実は、Mと音信不通が続 いて させられた。
又、人それぞれに、時間的距
Mの印象が強く胸にやき つくよ いたので、Mを忘れるために出
かけた 一人旅でもあ ったわけで 離をお いてみると、成長の軌跡
うになりました。
や短所 の増幅ぐあ いが ハッキリ
す。
︿
京都旅行﹀
バイトが終 ってからMとは二、 ところが人生とは皮肉なも の 映しだされるも のだと いうこと
一九 です。Mの面影を忘れようと努
三国会 ったと思 いますが、
六九年四月中旬頃からは音信不 力し、キ論に集中す べく気分転 回昨年 の ﹁ベピーホテル問題と
通になりました。その間、私は 換で出かけた 一人旅でしたが、 保育時間延長をめぐる討論﹂の
、
春休みに行く予定をして いた京 そのあと、偶然に新宿駅でMと 継続として 厚生省交渉を検討
。
都旅行が、宿をとれずに中止に 再会することになります。偶然 中です 打合わせを 3月2日ω
、
なり、旅行をしな いまま、大学 という不思議な現象は、時とし 夜6時半より 中野区新井老人
て、人間の意志を押しつぶし、 会館でやります。問合わせは本
四年に進級しました。
。
怪我が治 って復学したあと、 とてつもない時代の中に投げこ 紙事務局まで
四年生に進級できるかどうか危 む要素をも っているような気が
ぶまれたのですが、遅刻 ・欠席 します。この偶然的なMとの再 も M を 理 想 の 男 と し て 胸 に 秘 め
。
を最少限にとどめれば、何とか 会がなかったならば ⋮私は今 て 生 き て い た か も 知 れ ま せ ん
Fly UP