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貧困プロファイル 要約 インドネシア共和国 2001 年 2 月 国際協力銀行 第1章 インドネシアの貧困概況 1−1 貧困の測定基準 インドネシアの中央統計局(BPS: Badan Pusat Statistik)は、社会経済調査(SUSENAS: Survei Social Ekonomi Nasional)のデータに基づき、貧困ライン及び貧困ライン以下の人口を設定して いる。BPS は、「貧困ライン」を「一人一日 2,100 キロカロリー相当の食糧と、それ以外の必需 品(衣服・住居・教育・保健・交通等の 25∼27 非食品項目)を得るのに最低限必要な支出水準」 と定義し、都市部と農村部別に総合貧困ラインを定めている。この総合貧困ラインは、SUSENAS が実施される度に見直されている1。 1−2 貧困人口と不平等度の推移 インドネシアの貧困率は、1976 年の 40%から 1996 年の 11%へと 20 年間で大きく減少した。人 口でみても、5,420 万人(1976 年)から 2,250 万人(1996 年)へと変化し、1997 年のアジア通貨 危機まで、年平均 7%の GDP 成長率を背景に、着実に貧困削減の成果を上げてきた。しかし、1997 年のアジア通貨危機の影響で、貧困人口は、1996 年 2 月から 1998 年 12 月間に約 50%増加した と推計されている。また、食品価格の値上がりのため、貧困ラインは都市部で 153.5%、農村部 で 165.5%引き上げられた。この経済危機は、全ての支出階層に多大な影響を及ぼしたが、支出 格差や不平等度はあまり拡大せず、むしろ都市部の支出中位以上の比較的裕福な階層へのダメー ジが大きかったという特徴をもつ。1999 年に入ると、経済危機による社会・経済指標の悪化は 回復の兆しをみせ、同年 8 月には、危機前の 1996 年 2 月のレベルまで貧困率は回復した。 1−3 貧困人口の地理的分布 インドネシアにおける貧困人口の分布は地域差が大きく、1999 年時点では、全人口の 50%が偏 在する西ジャワ州、中部ジャワ州・東ジャワ州の 3 州に全貧困人口の 60%が集中する。一方、 各州の全人口に占める貧困率を見ると、イリアン・ジャヤ州(54.75%)、東ヌサトゥンガラ州 (46.73%)、マルク州(46.14%)の 3 州が、全国平均(23.43%)と比較して突出して高い数値 を示している。 1−4 貧困の深度(Depth)、重度(Severity)およびそれらの動態 貧困の深度および重度は、経済危機以前の 1993-1996 年の間に、ほとんど全ての州で改善された。 しかし、経済危機発生後の 1998 年では、ほとんど全ての地域に渡って貧困の深度および重度は 深刻化し、特に都市部において大幅な悪化傾向を示した。また、経済危機が貧困の深度・重度に 与えた影響には、大きな地域格差があった。1998 年時点において最も深刻な影響を受けた州は、 中部ジャワ州とジャカルタ首都特別地区であり、インドネシア東部および東ジャワ州において深 刻な影響があった。1999 年までに、ほとんどの州で貧困の深度および重度は若干改善したもの の、南スマトラの都市部・農村部および西ジャワ州の都市部は、依然として深刻な状況にある。 なお、ADB などのドナーも BPS の貧困ライン測定基準を適用しているため、本アセスメントにおいても BPS の測定基準を 適用する。 1 1 なお、貧困の動態については、慢性的貧困層の割合は、都市部(9.2%)よりも農村部(12.5%) の方が高く、一時的貧困層の割合も、都市部(12%)よりも農村部(13%)の方が若干高い。 1−5 貧困層の特徴 貧困層の類別:SUSENAS サンプル・データを踏まえインドネシアの貧困層は以下の特徴を有し ている。 z z z z z z 平均世帯人数が大きい 中等教育以上の教育を受ける人口(特に女性)が少ない 医療従事者の立会いによる出産が少ない フォーマル・セクター労働者が少なく、インフォーマル・セクター労働者が多い 農業労働者が多く、サービス業従事者が少ない 平均労働時間が短い 教育:教育水準と貧困の関係は大きく、貧困層世帯では世帯主の 87%が初等教育課程修了者、 初等教育課程中退者、もしくは非識字者である。また、支出レベルと教育レベルには相関関係が 見られ、成人識字率・就学年数・中学校の純就学率は、Q1 グループ(下位 20%の低支出世帯層) で最も低く、Q5 グループ(上位 20%の高支出世帯層)において最も高い。 教育水準レベル毎に経済危機が与えた影響についての調査結果によれば、1996 年 2 月から 1999 年 2 月の間に、非識字者の貧困率は 52%上昇したのに比べ、高等教育(大学・短大)レベル労 働人口の貧困率は約 5 倍と急激な上昇を示した。すなわち、経済危機の影響は、教育水準が高い 層ほど大きかったことが伺える。 保健医療:インドネシア全体の保健指標は、過去 20 年間に大きな改善が見られたが、貧困層は 依然として厳しい状況に置かれている。乳児死亡率、5 歳未満児死亡率、合計特殊出生率では、 Q1 グループで最も高く、Q5 グループにおいて最も低い。さらに、支出階層別の安全な水や衛生 施設へのアクセスの状況においても、いずれも Q1 レベルの状況が悪くなっている。さらに、イ ンドネシアの特徴として、都市部と農村部の格差、ジャワ島およびバリ島とそれ以外の島との地 域格差が挙げられる。 経済危機以降の政府・援助国・国際機関による保健・栄養セクター支援が、貧困層の基礎的保健・ 栄養サービスの確保にかなり貢献したため、経済危機による保健・栄養セクターへの影響は当初 の予想ほど大きくなかったと分析されている。しかしながら、今後、ソーシャル・セーフティ・ ネット・プログラムが縮小されるに伴い、保健セクターへの支出の確保が課題となっている。 職業:アジア通貨危機の影響を受け、すべての職業部門で貧困率は上昇した。中でも金融・保険・ 不動産部門の貧困率は、1996 年 2 月から 1999 年 2 月には約 4 倍も増加した。これは、アジアの 通貨危機が金融システムの破綻をきっかけとしていたため、それらの部門への影響が最も大きか ったためである。一方、農業部門では、依然として貧困率は約 40%と最も高く、同部門にイン ドネシアの貧困層の約 58%が集中している。経済危機の発生以降、 、農業労働人口の割合は、40.8% (1997 年)から 45%(1998 年)へと上昇した。農業セクターは、経済危機下で典型的なショッ ク・アブソーバーとして都市部失業者等を吸収しているものと見られる。 2 1999 年の失業率に関しては、Q3 レベル以上においても高い数値を示しており、ジャカルタ首都 特別地区、西ジャワ、北スラウェシという都市人口が多い 3 州では全所得階層を通じて失業率が 全国平均の 6.4%を越えている。これは、失業の多くが都市部の近代部門における現象であるこ とに起因するためである。一方、就労が週 20 時間未満の不完全就業率では Q1 レベルで最も高 くなっている。州別の不完全就業率は、南スラウェシ州、西ヌサトゥンガラ州、東ジャワ州、西 スマトラ州といった農業を主産業としている地域で高い。 ジェンダー:インドネシアにおける教育・保健セクター等における男女間格差は、過去 20 年間 に縮小されてきたものの、ジェンダーに関しては様々な問題が存在している。例えば、高い妊産 婦死亡率に代表されるような女性のリプロダクティブヘルスに関する問題である。出生 10 万人 当たりの妊産婦死亡率は約 390(1994 年)であるが、これは ASEAN 諸国の中では突出して高い 数値である。妊産婦の過重労働、慢性貧血、栄養不良、不衛生な出産処置、堕胎の合併症などの 問題、並びに僻地や後進地域における医療サービスの不備などの問題の改善は、インドネシアの 母子保健対策における最重要課題に位置付けられている。 3 第2章 インドネシア政府の取り組み 2−1 国家開発計画と政府の貧困政策 経済危機及びスハルト大統領の退陣(1998 年 5 月)を受けて、国家政策は現在、大きく変わり つつある。スハルト政権下においては、国家開発計画として、国策大綱(通称 GBHN) 、25 ヵ年 開発計画(通称 PJP) 、および 5 ヵ年計画(通称 REPERITA)が存在していた。しかし、スハル ト退陣後、新国家開発計画(通称 PROPENAS)の策定が開始され、2001 年から施行される予定 となっている。REPERITA がセクター別の計画であったのに対して、PROPENAS はイシュー別、 問題解決型アプローチになっており、①国家統一と民主的政治システムの実現、②グッド・ガバ ナンスと法律至上主義、③経済力向上と経済構造の復興と改善、④社会保障・福祉の拡充、⑤人々 と地域のエンパワーメントの 5 つの柱に基づいて策定されている。 以下に、貧困削減のための重要課題と位置付けられているマクロ経済、インドネシア政府の貧困 削減政策の概要、地方分権化の現状、主な貧困削減関連プログラム、社会サービス財政等の政府 側の取り組みを分析する。 2−2 マクロ経済 1975 年から 1996 年の 20 年間、インドネシアはマクロ経済の安定を維持しつつ、年平均 7%とい う高い経済成長率を維持していた。しかし、アジア通貨危機発生を契機に、GDP の対前年成長 率は 1997 年 4.9%の後、1998 年にはマイナス 13.7%と大幅に低下するなど、インドネシアの経 済指標は急激に悪化した。経済危機に対応すべく、インドネシア政府は、IMF からの金融支援を 受けて金融部門健全化等を目指した財政・金融引締め政策を推進した。しかしながら、こうした 政策は功を奏することなく、社会不安は全土に拡大した。更に、高いインフレ、失業率の増加は、 貧困人口の急激な増加をもたらした。 1999 年 6 月の民主的選挙を経た、新政権による金融・経済改革の推進等により、インドネシア 経済は回復基調に向かっている。現在、新政権は、行財政改革、地方分権化にも取り組んでいる。 しかしながら、財政・金融・産業の改革は遅れており、インドネシア経済の本格的な経済成長路 線への復帰を妨げる要因となっている。なお、2000 年 9 月に IMF とインドネシア政府は経済改 革についての「趣意書」に調印したが、ここで示された「新経済改革パッケージ」の中では、農 業分野と地域開発インフラ並びに中小企業支援が重点課題として掲げられたことが注目される。 2−3 国家貧困削減政策の概要 スハルト政権の崩壊後、インドネシアの政治・行政システムでも改革が進められている。2000 年 8 月末のワヒド大統領による新内閣の組閣では、調整相の国民福祉・貧困撲滅担当が廃止され、 貧困や社会福祉の調整機能は、直接メガワティ副大統領率いる副大統領府に委譲された。副大統 領府には、旧国民福祉・貧困撲滅担当官や国家開発企画庁(BAPPENAS)の職員などから構成さ れる「特別貧困撲滅チーム」(A Special Poverty Team)が新設され、貧困削減に関して省庁間の 調整を行うこととなった。なお、今後は、貧困削減に係る政策やプログラムの策定に関しては、 BAPPENAS が引き続きその役割を担うものの、貧困や地域開発事業の実施に関しては、内 4 務省の地域開発総局(通称 BANGDA)や村落開発局(通称 PMD)などが、予算の割当につ いては大蔵省が、今後は中心的役割を担うものと予想されている。 2−4 地方分権化の現状 インドネシアでは、スハルト政権の崩壊後、従来の中央集権体制を見直し、地方分権化が進めら れている。1999 年 4 月 21 日に地方行政法案 22 条が、4 月 23 日に中央政府と地方政府官の財政 に係る財政均衡法案 25 条が各々国会で可決され、2001 年 1 月 1 日から施行予定である。今回の 法律改正は、中央政府の権限を縮小し、地方政府による効果的な行政を求めていくもので、イン ドネシアの行政・財政・政治の抜本的な変革を伴うものである。地方分権化の推進に関しては、 様々な問題点があることも指摘されているが、この改革により、開発プロジェクトの政策決定や 実施が円滑化され、貧困層自身がプロジェクトの実施および運営に主体的に関わること、物資が 地域に平等に配分されることなどが期待されている。 2−5 省庁別の主要な貧困削減関連プログラム 政府機関の中で、貧困削減政策における重要な役割を果たしてきたのは BAPPENAS で、開発政 策の策定と開発資金の配分を決定する機関として機能してきた。その他、教育省、保健・社会福 祉省、居住・地域開発省、内務・地方自治省、女性のエンパワーメント省、協同組合・中小企業 省などが独自の貧困に関連するプログラムを実施してきた。なお、主な貧困削減関連プログラム については2−6以降に記す。 2−6 地域開発プログラム インドネシアでは様々な地域開発プログラムが実施されてきた。一例として、地方政府への財政 移転(開発インプレス等)を通して、地方政府によるインフラストラクチャーの開発などを行っ た村落総合開発プログラム(通称 PKT)などがある。また、後進村向け大統領布告(通称 IDT) プロジェクト、後進村支援インフラプロジェクト(通称 P3DT) 、郡開発プロジェクト(通称 KDP) 、 地方政府による緊急雇用創出プログラム(通称 PDM-DKE)などの村落開発も地域開発政策の中 に含めることができる。 2−7 ソーシャル・セーフティ・ネット(SSN)プログラム 政府は、経済危機がもたらす社会的弱者への社会経済的な影響を緩和するために、1998/99 年会 計年度から、①食糧安全保障プログラム、②保健・教育などの社会保障の提供プログラム、③雇 用創出プログラム、④中小企業の振興プログラム等のソーシャル・セーフティ・ネット(SSN)プ ログラムを開始した。これまで SSN プログラムのもと 15 プログラムが実施され、開発予算のう ち 9.4 兆ルピアが投入された。現在、SSN プログラムの実施に関しては、融資プログラムを除い て、BBAPPENAS が中央で計画・調整を行い、ミクロの計画やターゲティングは地方政府(県) が実施し、予算が配分されるシステムが取られている。SSN プログラムについては、ターゲティ ングや実施方法に重複や対立が見られたとの批判があるが、予算の配分は概ね効率的であったと の評価がなされている。なお、SSN プログラムは今後縮小される予定である。 5 2−8 その他の貧困削減プログラム(マイクロ・クレジット・プログラム) マイクロ・クレジットは、貧困削減に有効な方法であると認識され、インドネシアでは多くのマ イクロ・クレジット・プログラムが実施されている。1986 年∼1989 年の農村部世帯における純 所得の平均増加率は 11.7%であったのに対して、同期間におけるマイクロ・クレジット利用者の 純所得は 75%上昇し、利用者の多くが貧困ラインを脱出したことが報告されている。インドネ シアの代表的なマイクロ・クレジット・プログラムとしては、BRI Unit Desa Scheme、Badan Kredit Kecamatan (BKK)、Pembinaan Peningkatan Pendapatan Petani Kecil (P4K)などがある。 2−9 労働関連政策 インドネシアでは、1990 年代初頭に新たに最低賃金法が施行された。最低賃金額は、最低生存 費を参考として算出され、州ごとの物価水準を反映している。しかし、インドネシアの賃金労働 者の約 30%が最低賃金を得られないなどの問題がある。また、インドネシアには公務員を対象 とした PT Taspen、陸軍を対象とした PT Asabri、民間セクターを対象とした PT Jamsostek の 3 種 類の社会保障制度がある。さらに、雇用者年金基金(Employer Pension Funds)および Financial Institution Pensions Funds が 120 万人に対して社会保障を提供している。 2−10 社会サービス財政 インドネシアの教育・保健セクター支出は、他の近隣諸国と比べてかなり低い水準に留まってい る。また、経済危機の勃発により、政府は社会セクターへの支出を大幅に削減した。累積した対 外債務負担の結果、インドネシア政府はかなり厳しい財政事情を強いられている。そのため、今 後も政府は、社会サービスにおける事業費や資本投入などの臨時支出の多くを国際機関やドナー による支援に依存せざるを得ないと考えられている。 6 第3章 貧困削減のためのパートナーシップ 3−1 パートナーシップの現状 インドネシア支援国会議(Consultative Group on Indonesia: CGI 会議)では、各年次の援助方針 および援助約束額について方向づけが行われており、インドネシア政府と援助供与国・機関のパ ートナーシップを強化することが目指されている。2000 年 10 月 17 日、18 日に東京で開催され た第 10 回 CGI 会議には 30 を越えるドナーが参加し、①IMF との同意書に沿った構造改革の継 続、②明確な貧困緩和の設定、③立法・司法改革、分権化、森林管理などを網羅する包括的なガ バナンスプログラムが重要課題として挙げられた。また、同会議では、貧困問題への配慮はあら ゆる政策とプログラムに反映されるべきとの認識が広く共有され、女性や子どもなど弱い立場に 置かれやすい人々が特別なニーズを必要としていることも認められた。経済機会の拡大、エンパ ワーメント、治安維持という根本問題がこうした様々な対策をまとめる全体戦略の基礎となって いる。 なお、同会議において、BAPPENAS は貧困削減戦略ペーパーを集大成した貧困削減戦略(案) (“Poverty Reduction Strategy in Indonesia” )を発表した。同ペーパーでは、過去の貧困関連プロ グラムに関する教訓や今後の貧困政策がまとめられており、今後は各ドナーも貧困削減戦略ペー パーに沿った支援が求められていくものと思われる。 3−2 ドナーによる取り組み 2000 年の CGI におけるプレッジレベルでは、世銀、ADB、日本の 3 ドナーで全体の約 90%が供 出されたが、各機関・国とも 1998 年と比較して支援額を大きく減少させている。その主な要因 としては、危機対応の大型のプログラム援助ニーズが減少したことが挙げられる。また、政府に よるプロジェクトの実施が予定通り進んでいないこと、政策改革の進捗が遅れていること、融資 額が増加することは既に重荷となっている政府の債務が増加することから、政府がドナー支援額 の増大を望んでいないことも支援額減少の背景と考えられる。 経済危機以前の 1990 年代半ばから、各援助国・機関は、貧困層を直接的なターゲットとするプ ログラムやコミュニティーを中心とした支援を展開するようになった。今後、各ドナーは、貧困 層にターゲティングしたプログラム、グッド・ガバナンスの推進、環境保全、地方政府・地域住 民のエンパワーメント等を引き続き重点分野として支援すると考えられる。また、地域開発や教 育・保健・インフラなどのセクター支援も継続されると思われる。 3−3 市民社会による「取り組み」 経済危機以降、SSN プログラムや地域開発プログラムにおいて、住民による事業の計画と実 施を支援するために、NGO がファシリテーターとして技術的な支援を行うことが大きく期 待されてきた。人々や地域のエンパワーメントはさらに重要視されるようになり、それに従 って NGO の役割の重要性も高まっていることから、これらのローカル NGO の今後の活躍 に注目する必要がある。 7