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犯罪被害者として、母と娘の手記 匿 名 希 望 この手紙を書くのは事故の
犯罪被害者として、母と娘の手記 匿 名 希 望 この手紙を書くのは事故の右手の後遺症がひどいために、うまく内容をまとめることがで きませんので、とりあえず知人と医師に提出した日記の一部文書を貼り付けて、書くこと に決めました。まとまりがない文書ですが。 私は事故で上腕に後遺症が残り、自宅でリハビリ療養です。簡単な手紙をかきます。 今後の参考になればと思います。 私ですが、母と私が・交通事故の災害に巻き込まれて、二人とも後遺症を残すことになり ました。「母と二人分のアンケート」を書きます。 私の母「60 歳・事故当時 47 歳」事故日、平成 7 年、娘「34 歳」平成 16 年の交通事故の 被害者として、波乱に人生を送りますが、この数年は、私が母と一緒の同じ・交通事故の 被害者という運命になったときに、本当の意味で被害者支援を考えるようになりました。 母の時代は、被害者支援がなく苦労しました。また・私が再度・悪質な交通事故で手に後 遺症が残り苦労している日々です・日々感じるのは・誰もが心のケアがいる時代だなと思 います・ ①母の交通事故・平成 7 年 平成 7 年・母の事故・平成 12 年に民事裁判終了・・・平成 7 年から被害者の家族として地 獄の日々を送るとは現れるとは想像もつきませんでしたが、被害者の家族がトラウマのた めに病気になり・対人恐怖症になりました。特に地域社会との理解がなく・社会的にも距 離をおくように生活していました。 母は脳障害があるので、 平成 13 年度から中部地区の保健婦さんの訪問等もあったのですが、 私たちの警戒心が強く、なかなか福祉に結びつけられないということで悩んでいたみたい です。 今回、平成 16 年から 17 年に私の事故をきっかけに、福祉との連携がとれて近年、精神障 害の人たちの人権が守られて地域で理解されたのと険さんに活躍のおかげで新たな道を歩 みはじめています。 ふっと振り返るとよい相談者に恵まれていたのかなと思います。 母について「60 歳」事故当時「47 歳」 母の事故の後遺症と経過については、事故の裁判の新聞と母の事故の裁判の体験をHP開 設しています。 「脳外傷問題」 http://www.e-net.or.jp/user/mblu/misa/bi.htm をみていただきたいです。 母に付いて「60 歳」事故当時「47 歳」 田舎で、障害がある母を難しく、孤立した生活をしていましたが、平成 17 年に、保険婦・ 精神科の医師と話しあい母の脳障害はもう一度社会復帰してもらおうと願い介護施設でリ ハビリしています。 また、病気の家族も福祉の人たちに支えられて地域に理解していただき新たな一歩を歩ん でいます。 A 被害者支援に対する気持ち 交通事故の死者は減ったものの、後遺障害、特に脳損傷で苦しむ人は増えているので、そ の人達へのケアがポイントかもしれませんね。どうすれば社会復帰できるのか、社会で必 要とされないと感じると人間は生きる気力を失い鬱になったりします。どんなに障害があ っても、人生を切り開いていくような社会になってほしいです。 私の事故の場合「平成 16 年・平成 20 年」 平成 16 年にひきにげの事故で、右前腕骨折怪我をして、三年間・病院に通院しました。 後遺症として右手「回外」の後遺症が残りました。事故の相手加害者は主婦でしたが家庭 に問題があり、精神的に不安定な面があり・経済的に貧困と理由とかさなり、刑罰は受け てのですが、被害者に誠意ある態度ではありませんでした。そのために、会社の任意保険 の担当者と話あいすることになりました。 被害者に過失がない事故なのに、骨折しながら保険会社と交渉するので、心に負担になり ました。 最終的に事故のことが解決したのが、事故から四年後 20 年の 2 月でした。 市役所福祉課・・法律相談にいきたかったのですが、骨折しているのでいけませんでした。 事故の経過 1. 後遺症の等級としては、11 級でしたが、手の手術後が認められず、異議申し立てをし ましたが認められず自賠責最終結果は 11 級でありました 2. 保険会社との交渉の成功 私の場合は、被害者支援が進み、奇跡を起こすことができました。事故の交渉について、 三重県の事故相談の方、三重県被害者支援センターの方に相談にのっていただき、事故の 交渉で悩み、道がみえないときに的確なアドバイスをしていただきました。 異議申し立てをくりかえすことなく解決できました。 法律相談について 弁護士相談は、日弁連の事故相談・事故相談の法律相談を利用しました。 また・事故相談の人に付き添っていただき・法律相談をうけました。 また・法律相談を利用し・今回の事故解決の知恵をいただきました。 これからの被害者支援 A 電話相談 日弁連の毎月 10 日の電話・交通事故相談を全国にしてほしい。 B 電話相談 心理のカウンセリングをしてほしい。 C 法テラス 交通事故被害者のため本を作ってほしい。 D 県の事故相談 県の事故相談を充実してほしい。巡回相談日を増やしてほしいです。 また・最終面のときに犯罪被害者支援を利用して解決の道を探すことができました。 これから国の被害者支援を期待します。 (母の記事 平 18 年 1000 人の交通死者 外見回復 読売新聞) 安全を求めて 性格など激変 ⑨ 診断難しい高次脳障害 「お母さんは普通の人と変わりありません」 医師にそういわれて、二女(27)はもどかしかった。「何でわかってくれないの」 一九九六年夏、中部地方の病院。自転車の母親(53)が乗用車にはねられ、一年がたとうと していた。 脳挫傷で生死の境をさまよい、半年後退院した母親は見た目は「回復」していた。でも、 「別人」になっていた。 幼児言葉を連発する。受話器を置いた瞬間、相手の名前を忘れる。陽気になったかと思 うと、突然怒りだす。祖父にくしを投げつけ、言った。 「早く死んでしまえ」 MRI(核磁気共鳴影像法)など脳の検査をいくらやっても、 「正常」 。医師は「本当にそん な症状があるんですか」といぶかった。「保険金をつり上げようとしている」。そんな口ぶ りだった。 自賠責保険の後遺障害認定は八級。これをもとに補償を申し出た任意保険の会社を相手 に、二女は裁判を起こした。 同じ後遺症に悩む患者の団体を知ったのは、そんな時だった。すがった。紹介してもら った医師は脳の撮影や心理テストの後、言った。 「脳外傷の症状です。高次脳機能障害と言うんです」 事故から三年。やっともらえた病名だった。 裁判は今年二月に和解。補償の基になる後遺障害は四級にまで跳ね上がった。 高次脳機能障害は新しい障害と言われる。医療技術の進歩で一命をとりとめるものの、 事故などで受けた脳の損傷によって情緒不安定や記憶障害、性格変化などの症状が出る。 精密検査でも微妙な変化しか現れず、診断も難しい。 自賠責保険の後遺障害認定でも見過ごされてきた。等級表がこうした症状にピッタリ当 てはまらないためだ。 自動車保険料率算定会は高次脳機能障害だけの等級基準表を作り、人間関係など被害者 の社会変化も調べる方法を年明けにも導入する方針だ。 運輸省の担当者は「該当者がどれぐらいかは、始めてみないとわからない」と話す。 古謝宏二さん(21)は毎朝七時に三重県四日市市の自宅を出る。製粉工場で夕方まで二十㌔ 入りの袋を運び、寄り道もせず帰宅する。 自転車でワゴン車にはねられたのは五年前、高校二年の秋。「一日一日が峠」と医師に宣 告された「死の淵」からよみがえった。ただ、高次脳機能障害が待っていた。 バイアスロンで優勝したこともあるスポーツ万能人間。穏やか、我慢強い。それが、真 っすぐ走れなくなった。ネクタイが締められず、家族に当たり散らす。朝、母の由美さん(49) に聞く。「僕、トイレに行ったっけ」 後遺障害は五級。友人に「お前、とろくなったな」と言われた。ショックだった。 昔の自分、今の自分。その<落差>がもどかしい。 夢がある。 「年寄りになってでも、必ず高校に戻る」 今年一月。ケーキにろうそくがともる真っ暗な部屋。 薄桃色のシンビジウムの鉢植えを渡し、言った。 「お母さん、誕生日おめでとう。僕のこと、面倒見てくれてありがとう」 優しさだけは変わっていない、と母は思う。