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原発労働者諸君に告ぐ‼

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原発労働者諸君に告ぐ‼
[ 著 者 ・ 松 本 直 治 ][ 発 行 所 ・ 潮 出 出 版 社 ]
原発労働者諸君に告ぐ‼
怖いのは地震だけじゃない、内部で作業して浴びる放
射線被曝が恐ろしいのだ。
ここに記した記事は今から約40年前「舌ガン」で最愛の一人息
子「松本勝信」を放射線被曝で亡くした父親の無念の手記から抜粋
したものである。
- 1 -
松本直治
「1912年生」東京から富山市駒見町に妻と共に
疎開、
東京新聞・北國新聞・北日本新聞(編集長)歴任。
松本勝信
直治の一人息子昭和49年11月14日「舌ガン」が
全身に転移して死亡、31歳
職歴
北陸電力入社後、昭和43年11月より5ヶ月間、
日本原子力東海研究所に勤務、翌44年~47年5
月まで3年1ヶ月、日本原子力東海第二発電所の安
全管理課に勤務、この間1ヶ月敦賀原発へ応援のた
め執行する。47年6月~48年4月まで、敦賀原
発安全管理課に勤務。
業務内容
東海・敦賀とも安全管理課で、放射線管理班に属し、
放射線汚染強度の測定、放射線汚染機器の手入れ時
の作業員の安全確保の任に当たる。放射線測定器の
管理・放射性団体廃棄物処理の管理所員や業者の放
射線管理教育などの業務を行っていた。
勤務中浴びた放射線被曝量
44年度(東海)
1.11レム
45年度
0.57レム
46年度
0.17レム
47年度(敦賀)
1.1
合計
2.95レム
レム
これは放射線数量や法定許容量(当時年間5レム)より低く同業
種内では中位である、と原電側はいっているが、データーを改ざん
した可能性もある。
彼が行っていた業務は、安全管理課という課で原発建屋内でも放
射線を一番浴びやすい部署であった。
- 2 -
松本勝信の放射線治療
当時「舌ガン」から始まったガンは全身に転移して手遅れ状態に
なっていた。
その当時はガンに対する治療や医療技術・そして薬品等も今ほど
向上していなかったが、舌の手術は「千葉大北村武」教授の執刀で、
舌を縦に半分切り取る手術を行った。
松本勝信の放射線治療はリニアアクアセレータ略してリニアクと
いう高圧X線照射をした。
照射部分には患部に合わせて予めマジックで青く線が付けられて
いる。その照射野は頸から胸まで鎖骨を横切って引かれていた。
1回に200レントゲンの放射線が患部をつきぬけて行くのだが、
治療が始まると食欲が減退し、好きな食べ物でも一切受け付けなく
なってくる。
高圧X線照射は目に見えず、肉体を突き抜け、床を突き抜け、
地球の中まで突き抜けていく。
このX線照射時間は2分程度で、痛くも痒くも無いが、身体の衰
弱は極端であった。
松本直治(父)の言葉
私は息子の死は放射線被曝による死であり、これをあくまで追求
することに残された余生の全エネルギーを賭けて、解明して行きた
い。それが無念にも挫折して逝った息子への鎮魂歌であると信じて
いる。
人間の執念とでもいおうか、もう年老いた私ではあるが、最後ま
で骨を冒され苦痛の中で「僕だけだから被曝のせいではない」と自
らガンと知りつつそれに一言も触れず、全身に転移しながらなお勤
め先に迷惑をかけず、残された妻子の今後の生きる道へ、電力会社
が少しでも報いてくれることへの淡い望みを賭けて逝ったのであろ
う息子の、口に出せぬ痛恨の気持が痛いほど今分かるのである。
- 3 -
80人の北電より東海村の日本原子力発電所への出向者のうち、
前線の安全管理課で、下請け労務者の日を追って増えていく被曝を
記録しつつ悩んでいた。
部外秘の記録を眺めながら、今更のように「絶対安全は無理」と
言 っ た り 、「 絶 対 安 全 」 と い う 発 言 に 対 し 、 憎 し み だ け が 私 の 心 揺
さぶる。
哀れな一人の犠牲者である息子のため、また若くして未亡人にな
り幼い孫を育ててゆく去った嫁、取り残された私たち夫婦の、それ
こそ痛恨の日々を広く社会に訴え続けたいのである。
放射線被曝とガン発生の因果関係
松本勝信は安全管理の仕事で、常に下請けの労務者を指導してい
たが、被曝量がぐんぐん増えていく現実にぶつかり、苦悩の中に上
司へその報告をまとめて提出した。
しかしその都度急場をしのぐ処置を取らされたという実情を詳し
く書き綴って残している(彼の遺品)この遺品の文面は恐らく社外
秘のもので、原発が第一線の下請け労務者にとって如何に危険なも
のであり、彼自身もその危険に常に晒されていたことを物語ってい
る。そして松本勝信は10年近く以前に、多くの労務者が原子炉に
武装して、パイプの溶接作業や炉内で補修作業に従事しても、20
分と入っておれない危険なもので有ることを知っており、それを会
社側に報告しても、ほとんど黙視されるか極秘報告として公表され
ないという現状を手記として残している。
原発が射つ毒性を吸えば確実にガンになる。一粒のプルトニュー
ムが肺に入っただけで殆どの人間は肺ガンになる。
口から入るから「舌ガン」にもかかりやすい。
死の灰やプルトニュームは他の毒性食品添加物など科学的な毒物
と違って、ある長時間冒されていることが本人自体に判らない。
つまりプルとニュームが出す放射線は、人間の五感に感ずること
- 4 -
がない。放射線は目に見えず臭いもしない。
そ し て プ ル と ニ ュ ー ム は ,喉 の 奥 に あ る 甲 状 腺 に 集 ま る 性 質 を 持
っているから、肺・筋肉・骨へとそれぞれ体質によって好き勝手に
どんどん侵入し、体内に蓄積されるので、人間の手ではどうするこ
とも出来ない。
原発で一番危険なところは「炉心」である。
松本勝信はそんな危険なところで仕事をしていた。
残業もかなりあった。
原発建屋周辺でも危険と言うのに、中で働くのが如何に危険なこ
とか。
しかも数日経って発病するので、因果関係を特定し難い。
医師は死体を解剖しても、その因果関係を突き止めることが不可
能 と い う ( 昭 和 4 9 年 頃 ) 事 か ら 原 発 側 は 「被 曝 に よ る 発 が ん 」 と
は絶対に言わない。
放射線被曝の影響
被曝線量についてどんなに微量でも影響があるとなると、働く者
特に安全管理部門では炉心周辺作業は尻込みする。
許容量を10分の1に決めるよう勧告した「ICPR」が「生物
的あるいは医学的な意味合いは何もない」と言ってるが、基準を決
めなければならない。
電力会社はその線量限度以下の被曝で死亡したガンや白血病
患者の遺族を説き伏せごまかしてきた。
放射線被曝で死亡したと思われる患者が、因果関係の立証が不可
能に近いという現実があるため、電力会社は遺族に泣き寝入りさせ
ているのである。
また全国の原発の稼働率は、つぎつぎと起きる事故によって、
46%と非常に低い状態である。
- 5 -
しかしそこで働く労働者は、その中で作業をしているので、被曝
量が急増するのが当然といえる。
身体に受ける放射線量の単位
全 身 又 は 身 体 の 一 部 分 に 受 け た 放 射 線 量 は 、「 ラ ド 」 と 言 う 単 位
で測られる。
1ラドは電離放射線のある決められたエネルギーの吸収として定
義されている。
一人の人間は30歳になるまでに、様々な医療上の処置から
1.5ラドの放射線を受ける。
「ラド」は一般的に用いられている「レム」という単位と同様で
「1ラドは1000ミリラド」で1レムは1ラドである。
1ラドつまり1レムは大人のあらゆる種類のガンを2%増やす。
アメリカの許容蓄積量は年間0.17ラドまたは30歳までに5ラ
ド。毎年32万件のガンが自然発生するから、白血病プラス分を入
れると10%の増加となり、人為的に3万2千人のガン・白血病の
患者が余分に発生する。
また子供は感受性が高いので3分の1ラドで明らかにガンになる。
原子力の平和利用の場合、0.17ラドの電離放射線を平均して年
間に被曝することを許容している。
この許容量については、別に科学的判断に基づくものではなく、
「大体良かろう」と言うような極めて曖昧なもので有る。
アラームメーター(被曝量測定器)
作業員が原子炉近辺で作業するときは、このアラームメーターを
胸に付けて作業をするのである。
一定値以上の放射線を受けると警報を発する。
原子力発電所内の放射線管理は、作業環境を管理することが、最
も重要な任務である。
法令によれば従事者は年間5レムまで浴びても危険はないと、そ
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の時点ではなっていた。
発電所内の放射線物質は、2重にも3重にも閉じ込めてあるが、
それでも汚染を免れることは出来ない。
この汚染区域内では、種々の放射線測定器を身体に付ける。
出入りの際は服を着替え、手を洗い、シャワーをして身体の汚染
を無くする。また監視員の汚染検査も厳しい。
しかしなお被曝を完全に防ぐ事が出来ないのが、原発に対する不
安である。
下請け労働者の被曝
下請け労働者の被曝は増えている。
アラームメーターが鳴っても、音が小さく気がつかない事がある。
またガーゼマスクを付けているが、これで体内に入る放射線が本当
に防げるかどうか分からない。
危ない仕事は全部彼ら下請け労働者達が請け負っている。
日雇い労務者、その労働力によって点検される原子炉に、人為的
な事故が生じないとは言い切れない。
しかし原発側はこうした下請け労務者の犠牲で、定期検査を切り
抜けているのだ。
松本勝信は「安全管理課」という指導的立場にあって安全なはず
だが結果的に被曝し、発がんで死亡したのである。
原子力発電所で働く労働者は、毎日がモルモットと同じで、原子
力発電所の稼働率は事故が連続して起こるので、30%~50%で
ある。
その度に労働者は放射線を浴びなければならない。
従業員の被曝量は年ごとに増え、原発側は個人当たりの被曝量を
増やさないようにするため、一人当たりの作業時間を短縮し、これ
まで一人でやった仕事を、二人三人と作業員を増やすことで、個人
の被曝量を低く抑えるようにした。
しかし1時間で出来る仕事を三日にわけてやるような作業では企
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業としての営業コストが成り立つわけがない。
放射線に関する日本の法律
この法律は1958年(昭和33年)の国際放射線防御委員会
(ICRP)勧告を元に決められたもので、職業人に対しては年間
5レム一般人はその10分の1の0.5レムを最大許容量とした。
職業人とは放射能を扱う場所、つまり原発等で働く労働者であり、
放射線量の測定と定期的な健康管理が義務ずけられている。
この許容量について切り下げようとの動きが起こり、アメリカで
は1971年原発の環境基準を原発周辺で、年間5ミリレム以下、
人工大集団都市では平均1レム以下にすることに決めた。
この4年後に日本の原子力委員会は、原発周辺に限って目標値を
同じにした。
公害罪法5条
工場または事業場に於ける事業活動に伴い、当該排出のみによっ
ても公衆に於いてその排出により、そのような危険を生じうる地域
内に、同種の物質による公衆の生命、または身体の危険を生じてい
るときは、その危険はその者の排出した物質によって生じた物と推
定する。
これは有害な汚染物質によって、地域内の住民の生命に危険が生
じたと考えられる場合、推定で工場が公害罪の犯人と指摘される事
を明確にしたもので有る。
原発公害
放射線漏れで有害物質(プルトニュウム)などを排出すれば、
公害罪として処罰される。
日本原子力発電所や東海村及び敦賀原発経営者は、松本勝信の
「舌ガン」死亡については責任が無いと言う。
それならば許容量基準は崩れ去っているので、放射線漏れによっ
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て発生したガンでないことを証明すべきである。
武谷三男
原子力問題研究会幹事の報告
放射線に許容量はないと主張する科学者
「原水爆実験」という著書の中で、次のように述べている。
放射性物質と共に暮らしている原発の労働者は、身体の中に放射
性物質を吸い込み、急性の症状が起こらなくても、3年~5年の年
月の間絶えず被曝することでガンを誘発する。
自然に発生する放射線と混ざり合って、その影響は子孫にまで及
ぶが、どれくらい悪性の遺伝因子が人類集団の中で、保持されてい
るかは、現在に於いては解明されていない。
これは如何に僅かな低い線量の被曝でも、それなりの害があると
いう意味を持ち、放射線障害はゼロにならず、突然変異の発生と遺
伝傷害、つまりこの型のがん発生が存在することを明らかにるもの
である。
それをを証明するのはビキニ環礁の核実験である。
昭和53年米核実験の島、ミクロネシア・マーシャル諸島のビキ
ニ環礁は「死の島」であると米紙ワシントンポストが報じた。
実験後実に4半世紀経過しているにも関わらず、放射能汚染調査
の結果、地下水や植物が放射線に汚染されていることが判明した。
米 国 内 務 省 は 下 院 の 文 科 委 員 会 で 、「 ビ キ ニ 環 礁 は 農 地 と し て 居
住地域としても使わせない」と発言し島民を別の島に移住させた。
ビキニ環礁から180㌔離れたロングラップや、290㌔離れた
ウチリク島の原住民の中に、過去1年間の間に新たな7つの病例が
あった。放射能灰が降下した住民83人のうち、33人が甲状腺異
常うち5人はガン症状、また当時の幼児が18年を経過して、白血
病で死亡
実験当時12歳以下だった子供21人のうち19人まで
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が甲状腺腫瘍にかかっていた。
小出裕章
京大・原子炉実験所研究員の報告
福井県の関電美浜1号機の燃料棒挫折事故調査グループの一
員として、1年間同事故を調査した結果、日本の原子力開発が、
本質的な欠陥を持ったまま進められていると断定した。
原子炉に於ける燃料棒は、生成した放射線の外部漏洩を防止する
役割を担っているが、そのうち2本が170㌢に渡って折損し、折
損片が原子炉内を循環した上、その一部が行方不明になるという大
事故が発生した。
しかしこの事故を関電は4年近く隠し、国会で追及されて初めて
明るみに出た。
また美浜1号炉の燃料棒折損事故より半年前1972年10月、
日本原子力敦賀原子力発電所の第3回定期検査に於いて、燃料棒
取り替え作業中に、吊り下げていた燃料集合体を、誤って炉心内に
落下させるという事故があった。
落下した集合体は底部や上部が変形するなど大きな破損をし、
炉 内 は 舞 い 上 が っ た 「ク ラ ッ ド 」 の た め に 真 っ 暗 な っ た 。
また破損した燃料棒からはFPガスによると思われる泡が発生し、
炉建屋5階に備えられていたエリヤモーター(原子炉の周辺環境の
放射線を測定する装置)は2.5~4.0へ跳ね上がったと云う事
である。
この敦賀原発の事故は、まだ公式に国や県に報告されておらず、
また一般にも公表されていない。
小出氏はこのことについて故・松本勝信のメモで知ったという。
磯部勘造
敦賀市自民党員「原発反対福井県民会議のリーダ」の報告
敦賀は原発に占領された市と私は思っている。
起債はなんと100億円に達していますから。
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それに安全とうたっているから事故隠しに懸命だ。
美浜原発での大事故は、何と燃料棒106本の全部にひび割れが
あっがこれを隠していたのです。
長期点検で発見し、長期間ストップしたが、従業員がその発見ま
でに強烈な放射線を浴びていることは当然である。
定期検査となると原電は人界戦術をやる。
良い仕事があるという口車に乗って、流れ者がやってくる。
原子炉に入るのは日本人労働者だとせいぜい10分間。
しかし黒人や外国人を使った場合は5時間ぐらいはたっぷり入れ
ているのだ。
無知を良いことに人種差別や人権無視も甚だしい。
被曝とガンの関係は、ガンや白血病だけでなく腹も心臓も肝臓も
みんなやられる。
また原発内で働く洗濯婆さんの白血病が、ものすごく増えた。
すると原電では休暇を与え数値が減るとまた雇う。
そ の 繰 り 返 し で 「安 全 だ 心 配 い ら ん 」 と 嘘 を 言 い 、 彼 女 た ち は 肝
臓がいかれ黄疸になって死ぬほど苦しんでいるという。
関電は福井県高浜に3.4号炉を増設するために高浜町や漁へ金
を出した。
高浜町だけで52年度に2憶3200万円53年度は2憶830
0万円の寄付、それに5漁協へ1漁協当たり7千万円の計3憶5千
万円出した。
これは住民への危険手当みたいなものだ。
他にも日本原電敦賀2号でも4億円を敦賀市に寄付をした。
磯部氏は更に話を続ける。
こんな事がありましたよ。去年の確か春だった、関電が美浜2号
の使用済み核燃料を4トンずつ2回に分けて、専用船「日の浦丸」
で東海村の再処理工場へ海上輸送した。
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4トンと言えば死の灰110キログラム、プルトニュウム28キ
ログラム含まれ、被曝許容量の何十億人分に当たるというものだ。
こんな危険な使用済み核燃料を入れる容器が、深さ15メートル
の水中で8時間、温度摂氏800度の火災で30分だけ堪えればい
いという運輸省令になっているという。
もし火災や衝突、沈没によってキャスターから放射性物質が海に
放出されたら大変なことになるというのに。
その使用済核燃料は、原電内に風雨に晒されて山積みなっている
という。
米国疫学調査報告書
「これまで考えられていた放射線許容量のずっと低い線量で、ガン
や白血病を引き起こす」という結論に移った報告書である。
こうゆう研究結果は世界でも初めてであり、従来の被曝許容量で
あるICPR勧告の従業員年間5レム、周辺での0.5レムを根底
から覆すものであった。
この調査は米国のピッツバーグ大学産業環境衛生化学部のトーマ
スFマンクーゾ医学博士がまとめ、エネルギー研究開発庁が196
6年以来米原子力委員会の委託で、米国最大のハンフォード原子力
センター施設に働く労働者2万5千人を対象に疫学調査を開始、原
子力センター施設内の被曝記録を元に、被曝と発がんの関係を調べ
たものである。
この報告書によると、29年間に同センターに勤めた労働者の死
者は、3710人、このうちガン・白血病で死んだのは670人で
全労働者の27%ガ生前職場で1.38レムの放射線を浴びている
事が判明した。
以上のような報告書が出た以上、米国ではこの数字を黙視するこ
とが出来ず、原子力施設周辺住民の浴びる放射線許容量を従来の年
間0.5レムから、一挙に0.025レムに引き下げられることに
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断行した。
実に国際的な許容量を40分の1に引き下げた分けである。
これまで絶対安全とした従業員年間5レム、周辺住民0.5レム
は大きく崩れた。
世界の公認許容量はいかに危険なものであるかの立証である。
「原発 の恐怖」著者
シエル ドン・ノビック
大部分の科学者は放射線の影響を2つに分類している。
「原発の恐怖」を書いたシエルドン・ノビックという米国の科学
者は、1、肉体的影響
2、遺伝的影響とし、1は放射線に被曝し
た人体(体細胞)に対する影響、2は子孫に及ぶ影響である。
両方とも原因は同じで、放射能で細胞の基本的自己統制機構が破
壊されたためだと考えられている。
この破壊が病気をもたらすか、遺伝的奇形をもたらすかは、身体
の細胞のどれが影響を受けたかによる。
甲状腺に入った放射線はガン腫をつくり、生殖線に向けられた放
射線は胚種組織に与える事で、次の世代に突然変異や奇形を作る。
ノビック氏の言わんとするのは、何故放射線を浴びるとガンにな
るかは、科学的に解明できる段階ではないが、数年後にガン腫瘍が
出来るし、肉体的に突然変異も起こり得ると言う。
ガンの症状は初期に於いては分からない。
放射線は人間の細胞を傷つけても晩性型であり、遺伝的な障害で
ある。
しかしそれが却って恐ろしい。
事故の際真っ先に妊婦を避難させるのは、遺伝性が人類に大きな
影響を与えると考えられているからだ。
原子炉故障時の対処
日本の原子力発電所事故・故障は、1967年以降の10年間に
実に40件を越え3年もストップしている原子炉さえある。
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冷却パイプのヒビ割れ、制御棒が上下逆にセットされて炉の中止
・燃料集合体のピンホール・原子炉の起動用変圧器の故障・廃液貯
蔵施設廃液漏れ・欠陥制御棒・蒸気発生器細管損傷による放射線放
出・細管158本の磨減で、関電の美浜原発1号機は4年間運転を
停止・再循環ポンプのバイパス管にヒビ割れ・漏洩細管の欠陥・プ
ルとニューム吸水事故、等数え上げれば原発の事故・故障は限りな
く、何れもが放射線漏れと伴うものであって、下請けの労働者だけ
でなく、第一線で共に運命共同体存在の安全管理職員は、たとえ短
期間でも放射性物質から発する放射線を浴びるのである。
原発の総検査の時は臨時労働者が1200人にもふくれる。
運転を止めて燃料の善し悪しを点検したり部品の交換をしたり、
放射線の強さを測定したりする。
その時は下着から何から何まで全部着替えて、原発が準備した服
に着替える。
放射線が強くて長時間やれない作業なんかは4分ぐらいですぐに
出てくる。
或る者は顔に放射線を受けた事があるが、中性洗剤で洗っても抜
けないので、顔に石膏を塗ってやっと落としたと言う。
また風邪を引きやすくなって顔が扁桃病と言うか、押さえつけれ
るような痛さが走り、そして鼻や歯茎から出血をするのである。
血清検査では赤血球は標準だが、白血球は普通の人の倍はあると
言うので、気持ち悪くなって仕事を辞めたと訴えた人もいた。
放射性廃棄物の処理
原子炉から出る固定の放射性廃棄物は、ドラム缶に詰めて発電所
倉庫に暫定的に保管された。
この低レベル放射性廃棄物は、洗浄水や従業員の衣服を洗濯した
水、使えなくなった衣服等で、このような廃棄物を200リットル
入りのドラム缶に詰めてセメントで固める。
こうして個体化した廃棄物は、何れは無人島か深海に投棄される
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のだが、今のところ処分方針は決められていない。
どの原発でも毎日ドラム缶が増え続け、数年後には年間数10万
本に達すると言われている。
松本勝信が安全管理の仕事をしていた敦賀原子力発電所でも、4
年間に6129本のドラム缶が貯まった。
編集者 からの参考意見
現在行 われている使用済み核 燃料の処分方法
中に残っているウランやプルトニュームを取り出して再生する方
法は混合抽出で、この再処理事業は始め原子炉規制法により、政府
機関の施設でしか行えなかったが、昭和54年6月に規制法が改正
に な り 、 民 間 企 業 で も 再 処 理 が 出 来 る 事 と な っ た 。( 日 本 核 燃 料 再
生産)再処理すると個体・液体・気体の廃棄物が出る。
このうち最も濃度の高い高レベル放射性廃棄物は固体である。
また液体は死の灰を大量に含んでいる。
現在行われている廃液の処理方法は、タンク内に一定期間保存し
て放射能を減衰させ冷却する。
その後ガラス溶液などと混合して固体化する。
これを更に一定期間冷却させた後、貯蔵施設に30年以上貯蔵す
る。そしてその後地層深く隔離処分をしている。
(注)100万㌔㍗級原発1基を1年間運転するとガラス個体化
した廃棄物が30本出る
福島原発裁判
福島地裁判決
福島県双葉郡三町の住民は「海は住民のものであり、住民の生活
や健康・財産を侵害するのは憲法違反である」という理由で原発埋
め立て許可に反対し、最高裁裁判所に取り消し訴訟を起こした裁判
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で、最高裁は1992年門前払いの判決を下し、原告敗訴が確定し
た。同県の太平洋側は12基の原子炉が立ち並ぶ原発地域である。
住民は「個人の尊重と幸福追求の権利を保障した憲法に反する」
と主張したが、県側は「将来その埋め立て地に何が建設されるか県
の知ったことでは無い」と反論。
裁判所はその尻馬に乗った判決を下した。
つまり「住民には原告の適格性が無く訴える理由も資格も無い」
という住民を馬鹿にしたようなひどい判決であった。
中間判決ではあるが実質的にはこれが最終判決だと云える。
住民が生活権を主張した訴える資格まで奪ったという実に無茶苦
茶な判決であった。
その後1971年(昭和46年)3月東京電力福島原子力発電所
(16.6万㌔㍗)は建設され稼働した。
この福島原電も日本原電もアメリカのゼネラルエレクトリック社
製の原子炉である。
被曝量の年間国際基準は5レムであった。死の灰やプルトニュウ
ムを総じて「放射性毒物」と言うがそれは目に見えない。
コレラ菌やチブス菌などは毒を発しても科学的にこれまで退治し
てきたが、死の灰やプルとニュームは、吸っても飲んでも食べても
症状がすぐに出ない。
それを良いことに原発は完全だと言っているのである。
しかし福島原発は周辺環境調査結果のバックグランド計数値が、
運転前と運転後で22カ所に渡って書き換えられていたのが暴露さ
れた。これによって原子力委員会が発表する安全性は、全て信頼を
失った。
編集者 からの参考意見
この裁判は福島第2原発設置許可処分取り消し訴訟で、1992
年最高裁に於いて原告敗訴し確定した。
その後平成23年3月福島県沖太平洋海底地殻でマグネチュウド
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11.3という予測以上の大地震が発生した(東日本大震災)この
地震によって大津波が発生し「3.578人」が津波の犠牲になっ
て尊い命を失い、家屋は実に「21.273棟」が流されたり崩壊
して、4.762世帯8.633名が犠牲となった。
このようにして町は一瞬のうちに消えてしまったのである。
しかも地震は福島原電にも襲いかかり、原子炉の1.2号機が破
壊して運転不能となった。
原子炉は水素爆発を起こし、あたり一面に放射能をまき散らし、
津波からかろうじて難を逃れた住民も、放射能汚染によって自分の
家に帰ることが出来ず、事故から3年も経っているというのに、未
だに小さくて不自由な仮住まいを余儀なくされているのである。
住民は今こそ住民側の訴えに耳を貸さず、一方的に原発を建設し
た福島地裁や、県行政側の対応に対して抗議活動を行い、慰謝料を
請求すべきである。
福井県
敦賀原子力発電所の実態
福井県は原子力発電所が集中している原発銀座の県として知られ
ている。高浜原発・大飯原発・美浜原発・敦賀原発・もんじゅなど
がそうである。
厚生省が全ガン・白血病に限ってコンピューターではじき出した
統計によると、敦賀市。御浜町の49年度の死亡率は全国平均の2
倍以上である。
敦 賀 原 発 は 非 常 に 放 射 線 量 が 多 く 、「 舌 ガ ン 」 で 死 亡 し た 松 本 勝
信は、東海村の原発で既に発病していたと予想されているものの、
勤務の実労は極めて短い。
敦賀原発で僅か1年の間に、東海村原発の数倍の放射線を浴びて
いることが「集積線量通知書」によって判明した。
敦賀原発の周辺海域の海底土に昭和45年以来、人工放射性核種
のコバルト60が蓄積され、他の海域と比べて汚染度が、80~1
30倍高いと放射線医学研究所の報告がある。
- 17 -
コバルト60とは、原子力船や原子力発電所の第1次冷却水など
に含まれる人工放射性同位体で、自然界には殆ど存在しないため、
マンガン54と共に原子力施設からの放射線放出の決めてとなる。
それは主に海底に蓄積し、魚貝類に取り込まれやすく、サザエの
実験では約1万倍にも濃縮された例がある。
昭和41年7月日本で最初の原発が「日本原電東海村発電所」で
完成稼働を開始したが、その後僅か半年後、制御棒と圧力容器の接
合部から水漏れが生じ、8ヶ月半運転を停止、更に一時系パイプの
破損で、2年以上運転を停止した。
水漏れが大事故に繋がる深刻なものだったからである。
第一次系パイプの破損は最悪の場合は、原子炉の空だき状態を引
き起こし、その結果炉心を溶かして、死の灰をまき散らす危険を秘
めている。
重要なことは原子力発電所の大事故は、広島型原爆の200~1
000発に匹敵する死の灰を飛散させる事だ。
原 発 か ら 出 る プ ル ト ニ ュ ー ム は 、「 耳 か き 一 杯 で 1 0 0 万 人 を 死
亡させる」恐ろしい物質で、原発はそれを絶えず放射し垂れ流して
いる。
敦 賀 原 発 は 全 て の 市 ・町 或 い は 人 口 密 集 地 か ら 1 0 0 ㎞ 以 上 離 れ
たところに建設されているのは、人間への放射線被害を少なくする
ための配慮である。それは1年間に死の灰が300ワットも作られ
ているからだ。そのため人口密度の高い都市部では建設しないとの
ことである。
あとがき(編集部より)
こ の 「原 発 死 」 は 昭 和 5 5 年 頃 に 発 行 さ れ た 手 記 で あ る 。
著者「松本直治」の一人息子が原子力発電所に勤め、31歳と
いう若さで「舌ガン」が全身に転移して死亡した。
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著者は死亡した原因が、放射線の被曝によるものと考え、それを
認めようとしない原発側に対し、息子の無念を晴らすため、あらゆ
る角度からメスを入れて因果関係を探った。
しかし残念ながら当時はまだ、放射線が発ガンや白血病を引き起
こす凶原である事を、医学的にも科学的にも証明されていない。
本書ではあらゆる状況証拠を挙げて、放射線が発がんや白血病を引
き起こす原因になっている事を明らかにしている。
原子力発電所とは、高圧の水蒸気によって発電機のタービンを
回し、電気を発生させる装置である。
その原理はSL機関車と同じで、機関車は釜の水を石炭を燃やし
て沸騰させ、発生した水蒸気の圧力で機関車の動輪を回して走る。
原子炉はSLの釜を焚く石炭の代わりに、化学物質であるウラン2
35やプルトニューム239を化学反応させて高熱を発生させ、そ
れを水で冷却すると高圧の水蒸気が発生する。
その水蒸気を利用して、発電機のタービンを回して電気を発生さ
せる装置である。
その仕組みは原子力船「むつ」なども同じで、発電タービンの代
わりにスクリューを回すだけだ。
原子力発電機では水蒸気を発生させるのは原子炉である。
この原子炉内は高温高圧の水蒸気が循環しているため、パイプの
ヒビ割れや破損によって水漏れを起こす。
すると原子炉を止めて人が故障箇所の修復に向かう。
原子炉が通常動いている場合でも、放射線が一番多く出て危険な
ところが原子炉と言われているが、冷却装置の故障などが発生した
場合は、更に高濃度の放射線が放出されるのである。
そのような所に人が入って作業をしなければならないという宿命
を原子炉は担っている。
この世に原発がある限り、原子炉は故障があるものとの定説があ
り、その故障を直すのが人間である以上、今後も原発が稼働する限
り、ガンや白血病で死亡する人達は後を絶たない。
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最後にもう一言書き添れば、原発の故障で一番恐ろしくあっては
ならないのは、何らかの原因で冷却水が入ってこなかったり、全部
放出されたときである。
そうゆう状態でも原子炉は勝手に反応して止まることは無く、原
子炉は空炊状態になりメルトダウンが起きる。
すると炉内の温度が異常に上昇し、燃料のウランが溶けて超高熱
を出す。原子炉からは放射能・死の灰が拡散しチェルノブイリ原発
事故以上の大惨事が発生するのである。
「舌ガン」が全身に転移して死亡した「松本勝信氏」に対して、電
力側は放射線がガンを発生する医学上の因果関係が立証されていな
いことを良いことに責任を取ろうとしなかった。
また全国の原発で働く労働者達は、ガンや白血病を発病しても、
それが放射線被曝によるものかどうかは判断出来ず、病院側も自然
発 生 の 病 症 と し て 処 理 ・治 療 を し て い る の で 、 ガ ン 患 者 は 何 も 分 か
らないまま死を迎えるしか無いのである。
従って早急に放射線被曝が、ガンや白血病に繋がることを立証
しなければ、原子力発電所はいつまでも放射線を垂れ流す事を止め
ないであろう。
原発の被害
原発は放射線をまき散らす
労働者の放射線被曝・ガン・白血病の凶元
志賀原子力発電所の臨界事故
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北陸電力
能登志賀町原発
1999年6月18日の深夜に起きた、志賀原子力発電所の臨界事
故が発覚したのは2007年3月15日の事である。
北陸電力が過去の不正を調査している課程で、8年も昔に事故が
あったことを知り、発表したことに始まる。
北陸電力自らが発表したのだから、その信憑性を疑うことはない。
しかし何故こんなに発表が遅れたのか。
それは臨界事故前に不正調査が命じられたことに起因する。
発端は某電力会社が国に報告したダムの変形測定のデータに誤り
があり、告発により判明したことに始まる。
経産省原子力安全保安院が、その調査を行っている課程で、火力
発電所に於ける冷却用の海水温度の記録にも、改ざんがあることが
判明した。
今日の文明社会に於いて、安全性のとなるデータの改ざんは、
社会全体への虚偽であり、決して許されるものでは無い。
それは国家全体の相互信頼を揺るがす事項であるからだ。
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海水温度の改ざんともなれば、他の電力会社にも存在するのでは
無いか。この懸念が保安院が全電力会社に対して不正調査を命じた
動機となった。
原子炉の臨界とは
臨界とはウラン燃料の核分裂反応が、連鎖的に継続している状態
の事である。原発はこの核分裂反応によって生み出されるエネルギ
ーを利用して発電を行う。
核分裂反応は人の完全なコントロール下に置かれ、原子炉が暴走
しないよう監視されているが、過激な反応速度が生じれば原子炉は
暴走する。
そのために制御棒を挿入して反応の調整を行う必要がある。
臨界事故とは原子炉が暴走したと云う事である。
再臨界とは
臨界状態であった原子炉が、一旦停止するなどして核分裂が停
止 し て い る 状 態 で あ る 。「 未 臨 界 状 態 」 に な っ た 後 に 何 ら か の 原 因
により再び臨界になることである。
沸騰水軽水炉型原子炉の場合地震や事故により、炉心が破損した
り冷却水を注入するための非常用ディーゼル発電機が使えなくなっ
たりして、原子炉圧力容器に冷却水を注入する機能を消失すると、
圧力容器内部の水位が低下し、燃料棒が露出する。
この時燃料棒の露出が続くとウラン燃料が溶け出し、圧力容器の
下部に蓄積すると、大規模に集中して「臨界量」に達する。原子炉
が制御されない状態で核分裂連鎖反応が起きて「再臨界と」なる。
再臨界が生じると、核分裂反応の制御は非常に困難となり、大規
模なエネルギーが発生して、原子炉内で爆発が起こり、大気中に放
射性物質を飛散するという最悪の結果を招く。
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その結果、1986年にチェルブイリ原子力発電所で発生した原
発事故と同様の、広範囲で大規模な放射性物質汚染を招く恐れがあ
る 。 2 0 1 1 年 3 月 1 1 日 「 東 日 本 大 震 災 」 に 伴 い 発 生 し た 、「 福
島 第 一 原 子 力 事 故 」 に 於 い て は 、 第 一 原 子 力 4 号 機 に 於 い て 、 3月
15日に使用済み燃料プールの付近で、爆発と火災が発生しており、
2 0 1 1 年 3月 1 6 日 現 在 に 於 い て 「 再 臨 界 」 の 発 生 が 懸 念 さ れ て
いた。
この「再臨界」を阻止するために、ヘリコプターや地上からの高
圧放水などが行われたのである。
臨界事故の真相
制御棒引き抜け状態
事故当日志賀1号機(BWR)は、定期検査毎に行っている制御
棒の挿入速度の点検を終え、今回の定期検査を利用して新しく取り
付けた(制御棒挿入をより確実にするための装置ARI)の試験を
行なおうとしていた。
しかしこの試験グループは、先に行った制御棒挿入速度測定グル
ープとは、所属する部署が違っていた。
その結果グループの違いによって発生した連絡事項の不徹底が、
事故の原因となった。
そ の 作 業 は 「締 め 切 り 運 転 」と 称 す る 制 御 棒 を 稼 働 す る 水 圧 系 統 と 、
原子炉を冷却する一次冷却水系統とを結ぶ配管の縁を切り、水圧系
統を独立運転状態にすることの技術的意味合いが、現場で制御棒稼
動機構を操作するグループに、正確に伝達されていなかったと言う
初歩的ミスで発生したのだ。
この「締め切り運転」状態に於ける水圧系統の弁誤操作が、事故
の原因となった。
一般にポンプの吐出圧力は、出口にある弁が閉じられて送り
出す水量が少なくなるほど高くなる。
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原子炉
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上図1に示すように、事故に至ったときの水圧系統のポンプの状
態 は 、 8 5 本 あ る 制 御 棒 の 弁 の 内 、「 1 0 1 弁 ・ 1 0 弁 」 が 閉 じ ら
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れて、僅か6本の制
御棒の弁のみが開いている状態であった。
水圧系統の配管は、制御棒を作動させるためのピストンの上下に
繋がれている。
このうちピストンの下部に送られる水の一部は、制御棒の駆動軸
と、その外筒との間の僅か6本の制御棒の弁が開いている状態で、
ポンプにとっては締め切り直前の「ちょろちょろ流れ」の状態であ
った。
しかしARi試験のためには、試験対象の制御棒1本を除く、
残り全ての制御棒の弁を閉めきる必要があり、作業員は作業手順書
に従って、弁の閉止操作を更に継続していた。
水圧系統が「締め切り運転」になっていなければ、ポンプから吐
出する水は一次冷却系にも流れるから吐出流動は大きい。
だが「締め切り運転」となっていたため、ポンプの吐出量はちょ
ろちょろと流れるだけである。
ま た 弁 の 閉 止 操 作 が 更 に 続 け ば 、「 ち ょ ろ ち ょ ろ 流 れ 」 も 更 に 小
さくなり、ポンプ出口の体積も塞がれて小さくなっていく。
このためポンプの吐出圧力は非常に高く、また弁を閉めることで
ポンプ出口の体積がさらに小さくなることから、事故直前の水圧系
統の状態は、ちょっとした弁の閉止操作が、活き残っている水圧系
統の出口部分の圧力を、異常に上昇させる状況下にあった。
弁を閉める時に「重くて力が要った」と言う作業員の証言は、上
記の状況を有力に証明しているものだ。
制御棒を動かすには、制御棒の停止爪ロックを駆動軸から外す必
要がある。
それにはピストンを一旦持ち上げ、人的に弁を閉止していくこと
で水圧系統の圧力を高める。
この高圧力を他の制御棒駆動機構のピストン下部に作用させ、
ピストンを
上に持ち上げて爪を外すのである。
しかし一旦高まったピストン下部の圧力は、当該制御棒の101弁
を閉めることによって、ポンプの吐出圧力がかからなくなると共に、
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駆動機構内部を流れる「ちょろちょろ」流れによってすぐに圧力は
低下した。
また逆にこの状態で、102弁が開いている制御棒に於いては、
爪の外れた駆動部が、ピストン上部に作用している水圧によって押
し下がり始めた。
以 上 「 制 御 棒 引 き 抜 け 」 の 説 明 で あ る が 、「 引 き 抜 け 」 と 云 う よ
り「押しげ」という表現の方が適正である。
なお3本の制御棒が同時に引き抜けしたのは、作業員がそれぞれ
弁を閉めていたからで、これは外科手術に於いて、未熟な研修生に
手術を行わせ、人命に関わるミスをしたことと同様で、志賀原発作
業員の未熟が招いた人的ミスが、もう少しで重大事故に発展すると
ころであったことや、故意に事故隠蔽行為を行ったことを鑑みると、
電力会社が原発の安全性に対する認識と稀薄性に、信用と信頼が消
失するものである。
放射線被曝の恐怖・東海村JCO臨界事故
原発稼働中原子炉内部は常に臨界状態である。
「臨界」とはウラン燃料の核分裂反応が、連鎖的に継続している状
態の事で有る。
核分裂反応は人間のコントロール下にあるが、時に地震や事故、
或いは人的ミスによって、過剰な反応速度が生じると原子炉は暴走
する。
そのため制御棒を挿入して、反応の調整を行うのである。
一連の制御棒脱落事故は、原発運転上の致命的な問題であった。
「臨界事故」 とは原子炉が暴走したという意味である。
志賀原発事故3年後、1999年(平成11年)9月30日茨城
県東海村で悲惨な「JCO臨界事故が発生した。
この臨界事故の放射線被曝が、作業員にどのような悲劇をもたら
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したのか。
「JCO東海事業所」は、住友金属鉱山の子会社で、原発で使用す
る核燃料を製造する会社である。
当日事故発生建屋では、高速増殖実験炉「常陽」で使用する、濃
縮ウラン燃料の加工作業が行われていた。
原子炉でウランを燃料として使用するためには、原料を濃縮し、
核分裂反応がしやすい性質のウラン235の含有量を高めなければ
ならない。
9月30日午前10時、作業員は「作業手順書」に従って、ステ
ンレス製バケツ内で濃縮ウランを溶かし、それを沈殿槽に流し込む
作 業 を 行 っ て い た と き 、「 パ シ ッ 」 と い う 音 と 共 に 青 い 光 が 放 た れ
た。それは臨界に達したときに現れる「チェレンコフ光」であった。
作業に当たっていた二人の社員が、至近距離から放射線を浴びた
のである。
また別室で事務作業をしていた上司も多量の放射線被曝をした。
そして更衣室に走り込んで避難した社員達は突然嘔吐し、そのま
ま昏倒して意識を失った。
転換試験棟には「裸の原子炉」が出現しコントロールが全く聞
かない上、放射線を防ぐ防御壁もない。
元々通常より高い濃度に濃縮されていた燃料ウランを、溶液化す
る課程で、臨界に達する条件が満たされて閉まったのである。核分
裂を起こしやすいウラン235が一定の条件のもとに、一定量集ま
っていなければ臨界にはならない。
本来の「作業手順書」には、それらの条件がそろうことを回避す
るための作業が記されていた。
しかし工場では、より効率を上げるための「裏マニアル」がまか
り通っていた。
大きな沈殿タンクに、溶液をバケツ7杯分も流し込んでいたので
ある。さらに被曝して死亡した社員のうちの一人は、この作業を行
うのは初めてであった。
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事故発生直後、東海村は現場から半径350メートル以内の住民
約150人に避難を要請した。
その3時間後隣接する那珂町住民にも同様の避難要請をしたが臨
界は止まらなかった。
事故発生から約12時間後の午後10時近くになって、半径10
キロ圏内の住民の被曝も明らかになり、避難した人々は衣服や頭髪
の放射線量を入念にチェックされた。
そして子供達にはヨウ素剤を飲ませ、甲状腺に放射性ヨウ素が蓄
積するのを防ぐ処置をした。
いっこうに衰えることのない「裸の原子炉」を消滅するために、
決死隊が組織された。
ICOの社員達が中性子線を放ち続ける沈殿タンクに次々と近づ
いて、水抜きの作業を行った。
これが功を奏して、事故発生から約20時間後の翌日10月1日
午前6時15分、放射線量が下がり、臨界は収束を迎えた。
しかし決死隊の作業員達24人は、全員重大な被曝をしていたの
である。
被曝で奪われた命
「 J C O 」 臨 界 事 故 は ,放 射 線 事 故 の 恐 ろ し さ の 現 れ で あ る 。
しかし本当に恐ろしいのは、事故後に待っていた被爆者の運命だっ
た。彼らの身体に取り返しのつかない事態が確実に進行していった。
工場で作業に当たっていた二人の社員、大内久さんと篠原理人さ
んには、あらゆる手当を尽くした治療ケアを施した。
しかし二人の身体は、医師達の超人的努力をあざ笑うかのように
壮絶な様態を示していった。
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東海村JCO放射線被曝での推移
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(篠原さん)
人の致死量とされる被曝線量は、7000ミリシーベルト、
これを一度に浴びると殆ど100%死亡し、3000ミリシーベ
ルト以上では、半数が死亡する。
篠原さんが浴びた放射線量は、20シーベルト(2万ミリシーベ
ル ト )、 お よ そ 考 え ら れ な い 多 量 の 放 射 線 放 射 線 を 浴 び て 、 大 内 さ
んの身体は完全に破壊されてしまった。
染色体は断ち切られ、ばらばらに砕けているし、細胞は再生能力
を失い、放射線を浴びた身体全体の表皮被曝の表皮は失われていた。
被曝の影響は身体の隅々に及び、大内さんは被曝83日目帰らぬ
人となった。
司法解剖の結果、胃腸に多量の血液が溜まり、消化器は全く機能
いていなかった。
また身体の粘膜は全て失われ、骨髄の造血幹細胞もずたずたに破
壊されていた。
そして台胸筋の写真には、筋肉繊維は全く存在せず、細胞膜だけ
が抜け殻のようにその痕跡をとどめているのみであった。
また篠原さんも被曝211日目に息を引き取った。彼は大内さん
の約半分の6000ミリシーベルトから1万ミリシーベルトの放射
線を浴びており、致死量を遙かに超えていた。
別室で作業を監督していた社員、臨界収束に挑んだ社員24名は、
現在も放射線障害の恐怖と闘いながら、生活をしているのである。
以上
注
東 海 村 J C O 事 故 1999年 3月 30日 発 生 、 現 在 1 5 年 目 に 当 た る
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