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新潟大学 人文学部 情報メディア論履修コース 2011 年度卒業論文概要

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新潟大学 人文学部 情報メディア論履修コース 2011 年度卒業論文概要
2011年度卒業論文概要
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
新潟大学 人文学部 情報メディア論履修コース
2011 年度卒業論文概要
阿部
貴之
噂分析から考えるインターネット時代の情報伝播形態…………………..2
石井
賢俊
サッカー指導現場の問題と現状……………………………………………..3
小原
雄輔
Jリーグの魅力低下と地方クラブに起こる問題…………………………..4
川合
礼
食品流通におけるコミュニケーションツールとしての情報……………..5
斎藤
友希
美人に憧れる女性たち………………………………………………………..6
佐藤
恵
都市空間の中のカフェ………………………………………………………..7
佐藤
靖子
温泉広告のオーディエンス研究……………………………………………..8
澤野
裕花
カメラ付きケータイ普及後におけるプリクラの実態とその役割………..9
高橋
和寛
現代メディア環境における「炎上」………………………………………10
田村
かおる
現代マスメディアにおける性的表象の変化………………………………11
難波
純也
インターネットがもたらした人間と社会の変容
―中島哲也作品『告白』の分析をもとにみるゼロ年代前期から
後期にかけての若者の変容―………………………………………..12
細谷
伊功真
個人ライブストリーミング配信に見られる自己目的性…………………13
本田
大輝
「新規開発型まちづくり」における地域資源の役割……………………14
本間
はるか
明治時代初期の錦絵新聞……………………………………………………15
三木
康平
ソーシャルメディアの地域コミュニティにおける活用
―Twitter・Ustreamを事例として―…………………………………..16
横尾
崇宜
震災におけるラジオの役割…………………………………………………17
輝
都市交通における自転車利用の実態とその意義…………………………18
優人
食を通じたまちづくりに関する一考察……………………………………19
若穂囲
渡辺
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2011年度卒業論文概要
阿部
貴之
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
噂分析から考えるインターネット時代の情報伝播形態
本稿では阪神・淡路大震災、東日本大震災で広がった噂を分析していくことでインター
ネットが登場したことによって情報の流れが変化していったのかを考えていく。
2011年3月11日に発生した東日本大震災では情報の伝達手段として人々はインターネッ
トを利用した。インターネット上では真偽を問わず様々な情報が大量に広がっていった。
その中にはインターネットなしには広がりを得ないような情報が多く存在していた。本論
文ではインターネットによって人々にどのような影響を与え、情報の伝播、内容にどのよ
うな違いがあったのかを考察していくことで今後私たちがインターネットとどのように関
わっていけばよいのかを論じている。
第1章では事例分析の前準備として様々な研究者のうわさ分析を基に筆者なりに噂とは
何かを考えている。噂研究をしていく中で様々な研究者によって噂が定義づけられてきた。
本論文では先行研究を基に噂について述べていき、噂の種類について論じ、噂の分類には
自己がどの程度噂の内容に関わってくるかによって噂の伝わり方に変化が表れていること
を明らかにしている。
第2章ではインターネット誕生以前の噂として阪神・淡路大震災を例に取り上げ噂分析を
行っている。ここでは阪神・淡路大震災で流れた噂を分析し、メディアの様子についても
述べながらインターネット登場以前の人々と情報の関係性について論じている。この分析
を基にインターネット登場以前の情報には情報の地域性の強さと情報源との距離について
人々が重要視し情報を選別していったと指摘している。
第3章ではインターネットの性質について説明しつつ東日本大震災で広まった噂の分析
を行っている。ここではインターネット上で広がるうわさを分析することでインターネッ
トで広がるうわさに関してどのような特徴があるのかを論じている。ここでの分析を基に
インターネット上での噂の特徴として地域性の欠落とリアルタイム情報の発信といった特
徴が見られると指摘している。
第4章では第2章、第3章の分析を基にインターネット登場以前と以降で噂の内容、伝播ル
ートについて比較考察し、その中においてソーシャルメディアの影響について論じインタ
ーネット時代における情報との関わり方について考えている。ここでは震災時、外側から
の情報発信が圧倒的になったという状況からインターネットの情報の伝播の特徴として世
界の広さの概念が消えていったことについて指摘している。また今後ソーシャルメディア
によって世界の垣根がなくなったことによって生じた様々な諸問題に対し、情報に対しよ
り厳しい目を向けていくべきであると述べている。
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2011年度卒業論文概要
石井
賢俊
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
サッカー指導現場の問題と現状
本稿では、近年日本において人気が高いサッカーについて取り上げた。特にその中で日
頃からサッカーに携わり、草の根の活動に貢献している人の声と、日本サッカー協会(以下、
JFA)の方針の乖離を指摘し、現状を明らかにする。
最近の国際舞台での日本代表の活躍は、JFA が進めてきた強化策によるところが大きい
が、それと同時に、自分の時間を犠牲にしてまでも育成に力を注いでいる指導者の存在が
大きな役割を果たしていることはあまり知られていない。彼らに焦点を当てることで、JFA
の方針の改善点や、生涯スポーツとしてのサッカーの側面を明らかにし、日本においてサ
ッカーが文化として根付いていくためには、どのようにすればよいかということを考えた。
第1章では日本におけるサッカーの浸透度の高まり、選手育成の重要性について明らかに
した。人々のサッカーに対する意識、実際に行っている人数などのデータを示すとともに、
選手育成については第一線で活躍するサッカー関係者の声を紹介し、その重要性の高さを
指摘した。
第2章では JFA の育成制度を分析した。JFA のビジョンを明確にし、それが日本サッカ
ーに与えた効果と、育成現場への浸透の限界について述べた。
第3章では実際の育成現場のシステムの問題点を指摘したうえで、少年サッカーチームの
指導者と、社会人チームでプレーする人に対してインタビューを行い、生涯スポーツとし
てサッカーが捉えられていることを指摘した。
第4章では日本における生涯スポーツの意識の広がり、生涯スポーツとしてのサッカーの
現状、問題点を明らかにした。
第5章では結論として、まず、日本サッカーのスタイルを確立することで、サッカーの見
方を理解する人が増え、人気はさらに盛り上がり、社会全体的な関心を呼び寄せることも
可能となると考えた。また、サッカーとしてメディアに取り上げられるのは、ほんの一握
りの「強化された」プロの選手たちがほとんどである。大部分のプレーヤーたち、特に学
生以外の場合、サッカーは楽しみの一種として捉えられている現状に触れ、サッカーが日
本において、一つの文化として形成されるためには、「強化された人」と「楽しむ人」の
双方が補い合っていくことが、必要不可欠であるとした。
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2011年度卒業論文概要
小原
雄輔
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
Jリーグの魅力低下と地方クラブに起こる問題
本論文は、サッカーJ リーグにおける「地方クラブ」の現状を、アルビレックス新潟から
分析し、これから先の日本サッカー界において「地方クラブ」がどのように存在していく
べきかを述べていくものである。
「地方クラブ」には経営的なバックボーンが無く、多額の広告料収入を得ることができ
ないため、入場料収入に依存する割合も高い。しかし、資金力に乏しいことから、観客動
員数に影響を与えるような日本代表クラスの人気選手を多数抱えることは事実上不可能で
ある。また、「百年構想」を掲げる J リーグには、発展途上のクラブが多い現状ではある
が、資金の問題がある中、魅力のあるチームへ強化することと、健全なクラブ運営をする
ことの両立は難しいのである。
本論文では、J リーグ加盟から J1定着までの一定の経験をし、近年はこのような問題に
多く直面しているアルビレックス新潟を、他の「地方クラブ」の先駆けとして捉え分析し、
資金力に乏しいクラブが、問題を解決するために向かっていくべき方向が「ユース選手の
育成」であることを明らかにしていくものである。
また、サポーターが現状を理解し、クラブと共通の理解をしていくことが魅力あるクラ
ブへと繋がっていくことを示すものである。
序章により、本論文の主張、本論文の展開、本論文の社会的意義について整理する。
第1章では、J リーグの誕生と「百年構想」の理念から「地方クラブ」の存在意義を明ら
かにし、「地方クラブ」が経営の部分で難しい局面にあることを明らかにする。また、ア
ルビレックス新潟の入場料収入が極めて大きいという特殊性についても考察する。
第2章では、「地方クラブ」の代表であるアルビレックスの過去と現状を明らかにし、新
潟においてサッカー熱が冷めてきてしまっていることや減少してしまっているサポーター
を取り戻すためにクラブが何を行っているかを示す。
第3章では、健全なクラブ運営とチーム強化という2つの問題に対して、資金力に乏しい
アルビレックス新潟がユースチームの強化に取り組んでいるという部分に着目し、「地方
クラブ」のチーム強化には下部組織に力を注ぐことが不可欠であることを述べる。
第4章では、アルビレックス新潟サポーターからの意見から、クラブの行いがうまくサポ
ーターに行きとどいていないことを明らかにし、この認識のズレを埋めることが魅力ある
クラブとなることを示す。
終章では、以上の結果より「地方クラブ」には様々な問題があるがしっかりと存在し続
けなければならないことを示す。また、存在し続けることが「百年構想」の結果にも繋が
っていることを明らかにする。
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2011年度卒業論文概要
川合
礼
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
食品流通におけるコミュニケーションツールとしての情報
本稿では、食品流通においてコミュニケーションの道具として用いられている情報を取
り上げ、その役割と現状を分析する。
今日の食品流通において、生産者・販売者と消費者は、情報を使ってコミュニケーショ
ンをとっている。仮に、食品に情報が何も記載されていなければ、生産者・販売者はその
食品がどのようなものなのか、消費者に対して何も伝えることができない。同様にして消
費者も情報が無ければ、食品を口にして何か問題が発生したときに原因が何かを知ること
は出来ないし、また生産者・販売者に連絡を取ることもできない。
ところが近年、そんな食品の情報のあり方が大きく揺らいでいる。食品の国境を越えた
やりとりの増加や、多発する食品事故・事件を背景として、情報の必要性が高まりつつあ
る。生産者・販売者、そして消費者間のコミュニケーションをより良くするために、情報
のあり方を見つめ直した。
第1章では、法律による記載義務がある情報や生産者の顔写真といった、食品流通におけ
る情報の種類について整理し、それぞれが担う役割と目的を明らかにした。また高度経済
成長期において食品の流通経路が多様化・複雑化したことや、食品事故や事件が多発した
ことなど、情報の必要性が高まった背景について言及している。
第2章では、食品において情報の需要が高まった結果、情報が付加された食品は、価値が
変化するようになったことについて述べている。例えば、消費者は食品が国産品であれば、
輸入品と比べて多少価格が高くても買うことがある。これは付加された情報によって、食
品そのものの品質以上の価値があるように消費者の目に映るからである。また、生産者・
販売者も、生産者の顔が見えるということを売りにして食品を売り出すことがある。
第3章では、生産者・販売者が食品の情報を偽装したり、消費者が情報に対して過剰とも
いえる不安や不信感を抱いていたりする現状の問題について言及している。生産者・販売
者と消費者双方に問題があり、コミュニケーションのすれ違いを生みだしている。また、
相互の間にある、食品やその表示に対する知識の差も一つの問題といえる。さらに、販売
現場の方にインタビューを行い、現場で実際に行われているコミュニケーションの実態に
迫った。
第4章では結論として、食品における情報は未だ発展途上であること、またコミュニケー
ションを向上させるためには、生産者・販売者と消費者が自らの担う役割や姿勢を見つめ
直すことが欠かせないことを述べた。
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2011年度卒業論文概要
斎藤
友希
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
美人に憧れる女性たち
本論文では女性たちが美人に憧れを抱く構造を分析し、なぜ美人になりたがるのか、女
性は美人にならなければいけないという風潮からどのようにすれば逃れられるのかを考察
し論じた。
最近、広告でよく「すべての女性は美しい」というニュアンスのフレーズを見かけるが
書店に行けば美人になるための How to 本が数多く陳列されており、またテレビや雑誌に登
場する女優やモデルたちは美人であるともてはやされる。一般的に人々は露骨な態度で表
しはしないが意識的には美人とブスを区別し、そして美人はやはり特別な存在であると認
識しているということは明らかではないか。この矛盾に疑問を抱いたことをきっかけにな
ぜ女性たちは美人に憧れ自分も美人になろうと努力するのか、女性は美しくあらねばなら
ないという風潮からどのようにして逃れればよいのかを、これまで美人とブスはそれぞれ
どのような扱いを受けてきたのか、美容産業の動き、アンケート調査などを踏まえて考察
していく。
まず第1章では江戸時代から現代までを各時代別に美人の境遇とブスの境遇、特に美人
の境遇に重きを置いて彼女らがどのように社会に扱われてきたかを述べた。明治時代には
道徳の教科書で貶された美人であるが、実社会ではやはり美人はその美しさを武器に次
々と社会的地位を築き上げていった。そして現代においては美人の範囲がどんどん広げら
れている。
第2章では美容産業が自らの利益を生み出すためにどのように美人の多様性を生み出
し、誰でも手軽に美人になることができるように思わせてきたのかを一つのテレビコマ
ーシャルを例にとり分析した。また化粧品売り場がどのように女性たちの購買意欲を高め
ているのかを考察した。そして人が対面コミュニケーションの際に相手のどこを見ている
のかをまとめ、外見が内面のイメージに与える影響の大きさを指摘した。
第3章ではお笑い芸人の森三中・大島美幸さん、「美魔女」の水谷雅子さん、「美人す
ぎる市議」の藤川優里さん、「かわいすぎる海女」の大向美咲さんを紹介した。そしてメ
ディアから提示される様々な美人像には実体がないことを指摘し、またアンケート調査で
得られた回答から周りの女性たちが美しさに対してどのような意識を持っているのかを紐
解いていった。
おわりにでは第1章から第3章を踏まえて、女性たちはメディアから与えられる様々な
美人像を組み合わせ自分だけの女性像を作り出すことによって美人にならなければならな
い呪縛から逃れることができるという答えに集約した。
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2011年度卒業論文概要
佐藤
恵
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
都市空間の中のカフェ
カフェは、都市の中で、様々に機能する空間として存在している。本稿では、都市とい
う空間の中で、カフェがどのように機能しているかについて考察する。カフェは、飲食店
であり、食事を提供する場所である。その店ごとに味にこだわりがあり、そこでしか味わ
えないものを求めて通う人も多い。しかし、カフェの利用目的はそれだけにとどまらない。
カフェを訪れる人の多くは、その空間を求めていると思われる。食事に対してのみならず、
空間利用に対しても、対価を払っているような感覚が、カフェの利用者にもあるのではな
いかと考えられる。
まず第1章では、コーヒー・ハウスとコーヒーの起源について述べる。各地のコーヒー・
ハウスの様相と、コーヒーが人類に発見され、現在の形になるまでの過程を述べる。
第2章では、日本の喫茶店の歴史について記す。日本人のコーヒーとの出会いと、明治か
ら昭和時代に誕生した、さまざまな喫茶店を取り上げる。
第3章では、なぜ都市にカフェが多いのか、またカフェが都市の中でどのように機能して
いるかについて考察する。
第4章では、カフェの空間がどのようなものであるかを考える。カフェの空間に日常性と
非日常性がみられることを論じる。
そして、第5章では、スターバックス・コーヒーが日本にもたらしたものを述べ、今後は
どのようなカフェが求められていくのかについて考える。
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2011年度卒業論文概要
佐藤
靖子
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
温泉広告のオーディエンス研究
本稿は、温泉広告におけるオーディエンスの利用や関与の実態について、その傾向を捉
えようと試みる論文である。
従来のオーディエンス研究においては、オーディエンスの「能動性」について論考する
ことが一つの支柱として定着している。近年ではニューメディアが登場し、ますますオー
ディエンスの「能動性」について注目され始めた。しかし、オーディエンスが「能動的」
であるか「受動的」であるかを把握することは、メディアとオーディエンスの関わり方の
一部を捉えているにすぎない。また、従来のオーディエンス研究では、大半がテレビ番組
の受容について研究するものであり、広告に関するオーディエンス研究は、現在でもほと
んど行われていない。
さらに、広告の中でも温泉広告とは、ジェンダーという観点から見たときに最も特徴的
なメディアである。日本において歴史のある温泉文化を商品としている広告は、われわれ
日本人に根差してきたジェンダーの表象を読み取ることができるのである。
本稿では、以上のようなオーディエンス研究や温泉広告の背景から、温泉広告における
オーディエンスの利用や関与の実態をより正確に把握していくことを試みる。
まず第1章では、広告の社会的機能について述べたあと、広告は送り手のメッセージをど
のように表現するのかについて考察する。さらに、送り手のメッセージを通して広告が提
供している自己像について、他者との関係という観点から論考する。
次に第2章では、従来のオーディエンス研究において、オーディエンス像がいかに描かれ
てきたかを考察する。そして、「能動性」や「受動性」について論考する傾向にあったオ
ーディエンス研究についての批判的な意見を取り上げ、本稿のオーディエンス研究におけ
る最適な概念について提示する。また、近年のオーディエンスについて、メディアの機能
における可能性だけではなく、他の要因をも考慮に入れた研究の必要性を述べる。
さらに第3章では、温泉広告の内容分析として、言語テクストと非言語テクストについて、
それぞれの具体例を提示しながら特徴を分析する。言語テクストでは、「関連性の原理」
を用いることによってその心的効果について言及することを目的とし、非言語テクストに
おいては、写真の特徴を要素ごとに分析する。また、ジェンダーという観点からも考察す
ることを試みる。
最後に第4章では、オーディエンスの受容分析として、温泉広告に関するインタビュー調
査を基に、オーディエンスの利用や関与の実態を把握することを試みる。ここでは、第2章
で提示した本稿における最適な概念を基に分類することを試みる。
オーディエンスは温泉広告に対して能動的であるか受動的であるかという一つの次元にの
み存在するのではなく、多次元の中で関与している。多メディア環境が拡大している現在、
様々な角度からオーディエンスの実態を捉える必要性があることを述べ、本稿を締めた。
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2011年度卒業論文概要
澤野
裕花
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
カメラ付きケータイ普及後におけるプリクラの実態とその役割
本稿では「プリクラ」を取り上げ、カメラ付きケータイ普及後にプリクラがどのように
進化したのかについて考察する。
プリクラはかつて一世を風靡した、今ではゲームセンターになくてはならないマシーン
である。発売から、テレビによるメディア戦略と少女たちのクチコミによって広まったプ
リクラは、少女たちのコミュニケーションツールとして活躍していく。そのプリクラがヒ
ットする背景には、日常写真ブームが存在していたことが挙げられる。そんなプリクラも
変わりゆく少女たちの流行に飽きられ、台数の減少の危機に襲われる。さらに、カメラ付
きケータイの普及によって、主な消費者である女子中高生たちは、日常的に思い出を撮影
することが可能になった。それにもかかわらず、プリクラは現在も少女たちに利用され続
けている。そこで本稿では、少女たちがプリクラのどのような点に惹かれて、日常的に記
録することのできるカメラ付きケータイが出たにもかかわらず、現在もプリクラを撮影し
続けるのかに焦点を置き、考察していく。また、プリクラ特有の機能が生まれた背景を分
析、考察することで、どのようにプリクラが生き残ったのかを明らかにする。そして、現
代ではその機能が受容されているのかを明示するために、プリクラ利用者にインタビュー
調査を行った。
第1章では、プリクラの社会背景とカメラ付きケータイの誕生について記述した。その社
会背景からプリクラに対する問題提起と、プリクラを脅かす存在であるカメラ付きケータ
イの誕生からサービスや機能の搭載までを説明することで、以降の章を読み進めていくた
めの予備知識とした。
第2章では、プリクラの変遷について歴史と機能の進化から分析した。加えて、カメラ付
きケータイ普及後の、プリクラの進化した機能である画質の向上や画像処理技術について
考察した。また、それらの機能は少女たちの欲求に応えていたのかを分析した。
第3章では、第2章のプリクラの歴史を踏まえて、画期的な機能の登場には、カメラ付き
ケータイの存在があったことを述べた。そして、カメラ付きケータイがプリクラにもたら
した影響とそれを受けて進化したプリクラの機能について分析し、それらの機能があった
ことから、プリクラとカメラ付きケータイが共存しあえたと指摘した。
第4章では、これまでの章から分析した結果を元に、現代のプリクラ利用者が、なぜ、カ
メラ付きケータイがあるにもかかわらず、プリクラを撮り続けるのか。また、搭載された
機能が少女たちの欲求に応えているのかを検証するための、インタビュー調査の方法や方
針を述べた。
第5章では、調査結果をもとに、プリクラならではの機能である「データ化」「らくがき」
「盛る」の3点から、なぜプリクラ利用者がプリクラを撮影し続けるかについて考察した。
まとめでは、これまでの章から、プリクラにとってカメラ付きケータイの登場は脅威だ
ったが、カメラ付きケータイの機能を利用し、同時に差異化を図ることにより、互いに共
存しあうことが可能になったことを結論として述べた。
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2011年度卒業論文概要
高橋
和寛
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
現代メディア環境における「炎上」
インターネットがこの世界に浸透し、携帯電話普及率も90%を越えた今、誰でも手軽
にネットワークにアクセスすることが可能となった。近年ではさらに「Twitter」や「mixi」
など、SNSの普及により日記や他者とのコミュニケーションを目的として多くの人がそ
のサービスを利用している。これに伴いどこでも情報を発信できるようになった人々は、
時として軽率な発言や問題発言をしてしまうことが多くなった。これに対して、批判のコ
メントが殺到する「炎上」という問題がここ最近よく見られるようになった。
ではどうして炎上が起こるのだろうか。本稿ではインターネット上で起こる「炎上」に
着目し、各ウェブサービスとウェブの持ちうる特性を調べ、具体的な炎上事例を分析する。
そこから「炎上」がなぜ・いかなる状況で起こりうるのかと、その防止法を見出し、現代
メディア環境において「炎上」がどのようなものであるかを考察する。
第1章では「炎上」と似通った表現の「荒らし」と「祭り」について説明を行い、「炎
上」とは「ウェブ上の特定の対象に対して批判や荒らしが殺到し、収まりがつかなくなっ
てしまった状態のことである」と述べた。
第2章では論文を分かりやすくするため、用語として「Twitter」、
「mixi」、
「facebook」、
「2ちゃんねる」、「ブログ」の5つのウェブサービスについての説明を行った。
第3章では「炎上」がおきる基盤にある原因として、匿名性、サイバーカスケード、SNS・
スマートフォンの普及を挙げた。匿名性により人々は現実社会よりも積極的に議論に参加
できるため、批判的な発言もしやすい。また、サイバーカスケードという特性によりイン
ターネットでは同じ考えを持つ人々がひとつに結び付けられるため、批判的な集団が固ま
る。さらに、SNS・スマートフォンの普及で人々はよりネットと接する機会が多くなるた
め、些細な言葉から他人の反感を買い、上記のように批判的な波に飲まれる危険性がある
と結論付けた。
第4章では過去実際にあった「炎上」事例を取り上げ、そこにどのような問題があるの
かを分析した。具体的には、「東芝クレーマー事件」、「AKB と写真撮影した女子高生の
事例」、「大沢あかねのブログ炎上事例」、「日本一周中の女子大生の Twitter 炎上事例」、
「上村愛子ブログ炎上事例」、「バルサンのテレビ CM 事例」、「関西大学の学生マック
無料クーポン窃盗事例」という7つの事例について分析した。
第5章では第4章で分析した結果から「炎上させられる側の要因」として「犯罪」「自
慢」「暴言」「上から目線」「嘘」「言い返し」「侮辱」「安易な発言」「反日」の9項
目を、「炎上させる側の感情」として「嫉妬」「憎しみ」「正義感」「他人の不幸を喜ぶ」
「便乗」「頭を良く見せたい」の6項目に分類した。さらに本論文のまとめとして「炎上」
の防止法を述べ、匿名性が普及し誰もがネット上で自由に、そして気軽に発言できるよう
になった背景として「炎上」は避けられない必然のものであるとして、本稿を結論付けた。
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2011年度卒業論文概要
田村
かおる
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
現代マスメディアにおける性的表象の変化
本論文では、現代日本社会・マスメディアがセクシャルマイノリティ(性的少数者)に
対して、寛容だと考えられる理由をセクシャルマイノリティ表象の歴史を分析することで
明らかにする。また、セクシャルマイノリティ表象の変化と現代の同表象を分析し、果た
して本当に現代マスメディアがセクシャルマイノリティを寛容に受け入れているのかにつ
いて考えていく。
セクシャルマイノリティとは、身体的・性自認・性的指向において、生物学上の男性・
女性の概念を超える人々を表す。具体的には、半陰陽やトランスジェンダー(医学用語で
は性同一性障害)、同性愛者などがこれにあたる。近年、世界各国で個々人の性のあり方
は尊重されつつあるが、宗教上の理由などで、セクシャルマイノリティが差別や迫害を受
ける国や地域が今なお存在する。一方で、性別越境の社会・文化史研究家である三橋順子
(2008)は、日本の状況を世界的にかなり特異なものだと指摘している。なぜなら、現代日本
社会・マスメディアにおいて、ニューハーフタレントのはるな愛をはじめ、あらゆるセク
シャルマイノリティが人気を誇る芸能ブームが起きているからだ。このことからは、日本
では性的少数の存在が一般社会に広く認識され、比較的寛容に受け入れる状況にあること
が伺えるだろう。このようにマスメディアによって、性的少数者がもてはやされる状況に
は、如何なる背景があるのだろうか。こうした疑問を持ったことが、本論文で現代マスメ
ディアにおける性的表象の変化を取り上げた理由である。
第1章では、現代のマスメディアによる性的表象の状況を述べ、現代日本がセクシャルマ
イノリティを寛容に受け入れていることを指摘し、問題提起を行った。また、本論文で取
り上げるセクシャルマイノリティとは何かについて説明をした。
第2章では、現代の性的表象の背景を探るため、日本におけるセクシャルマイノリティ表
象の歴史を分析した。その上で、古代から現代までの特徴や共通点、変化をまとめ、各時
代にセクシャルマイノリティを表象し、受け入れる文化があることを指摘した。
第3章では、第2章における分析をもとに、現代社会・マスメディアがセクシャルマイノ
リティに対して寛容な理由について考察した。その結果、日本が古くからセクシャルマイ
ノリティを受け入れる領域を持つことが明らかとなった。また、人々が双性的特質を賛美
対象とし、セクシャルマイノリティ表象を芸能として扱う共通点がみられた。さらに、戦
後以降、セクシャルマイノリティの社会認識や興業的価値にマスメディアが大きな影響を
与えてきたことを指摘した。
第4章では、現代におけるセクシャルマイノリティ表象を分析し、その特徴と問題点を挙
げ、現代マスメディアがセクシャルマイノリティを寛容に受け入れているのかについて考
察した。その結果、現代までの同表象の変化は、セクシャルマイノリティに対して寛容な
社会形成に大きな役割を担ったが、全てのセクシャルマイノリティを寛容に受け入れるも
のではなく、未だ閉鎖的な一面をもつことが結論として導かれた。
11/19
2011年度卒業論文概要
難波
純也
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
インターネットがもたらした人間と社会の変容
―中島哲也作品『告白』の分析をもとにみるゼロ年代前期から
後期にかけての若者の変容―
本稿の目的は2000年代、いわゆるゼロ年代の前期と後期にかけて、インターネットとい
うメディアが人間、特に若者の日常をどのように変容させてきたのかを明らかにすること
にある。その上で、インターネットは今後の社会をどのような社会へと変容させようとし
ているのかについても、現状を踏まえて明らかにしていく。
ゼロ年代前期のインターネット文化は「匿名の文化」であった。積極的にインターネッ
トで自己表現をしていた若者たちの多くが、当時、「匿名」を名乗っていたのである。し
かし、ゼロ年代後期になると「携帯電話」の普及により、今までインターネットを利用し
てこなかった若者もこのメディアを利用して、インターネットを活用するようになった。
さらに、SNS の普及により、インターネット文化に「実名の文化」が入り込んできた。つ
まり、インターネットに「実名の文化」と「匿名の文化」とが併存するようになった。こ
のような状況の中で、若者の中にはインターネットでの発言によって自己を危険な状況に
陥らせてしまう者、つまりメディアに翻弄される若者が現れる。一方、インターネット上
での自己表現だけでは物足りず、リアルの世界に自己表現の欲求を求めた若者も現れた。
このような若者の変容をインターネットはもたらしたのである。
インターネットというメディアは若者だけでなく社会も変えようとしている。社会は「リ
アル」と「ヴァーチャル」なものが複雑に絡み合ったものへと変わろうとしている。この
変化はあくまで可能性の1つにすぎない。しかし、2010年代、テン年代に入ったばかりの今、
様々な技術の開発によって、この変化が十分に起こり得るものなっているのである。
第1章では、現代の若者について考えるために中島哲也の映画『告白』の表象分析を行っ
た。公開当時の批評ではあまり触れられることのなかった「メディアを利用する中学生た
ち」に注目し、映画で表現されていた中学生たちが今の若者のことを表現しているからこ
そ、この映画が大ヒットしたという仮説を提唱した。この仮説を証明するために、現代の
リアルを生きる若者たちは、どのような状況に置かれているか、次章以降考えていった。
第2章、第3章では、ゼロ年代の間に多くの若者に親しまれていったインターネットにつ
いて、ゼロ年代を前期と後期に分け、それぞれの時期にどのような特徴があったのかにつ
いて整理した。
第4章ではこれまで述べてきたゼロ年代前期から後期にかけてのインターネット文化の
変化が、若者に影響を及ぼし始めたことを論じた。
第5章では、インターネットは若者だけでなく社会も変容させる可能性について述べた。
おわりにでは、今日の社会を表象分析からみることの意義、多角的な視点から社会を
考える意味について考えた。さらに、変化し、複雑化し、曖昧化する社会と人間について、
その変化を受け入れながらも今後も見つめていかなければならないとし、本稿を終えた。
12/19
2011年度卒業論文概要
細谷
伊功真
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
個人ライブストリーミング配信に見られる自己目的性
本論文ではインターネット上で映像や音声を生中継することができるライブストリーミ
ングを、個人がどのように利用しているのかについて調査を行い、自己目的性という観点
から分析した。現在インターネット上には様々なライブストリーミングサービスが存在し
ており、そこでは数多くの番組がライブストリーミング配信されている。山崎(2010)は
ライブストリーミング配信が一般的に認知されるきっかけとなった出来事としてオバマ大
統領の就任式の例を挙げていたが、そのように一般的に認知された中で、一般人はライブ
ストリーミング配信をどのように受け取り、実際に利用しているのかを調査したいと考え
た。そして現在ライブストリーミング配信を行う番組提供者は、その番組を行うことに何
らかの目的を持っていると考えられるが、その中で「ライブストリーミング配信を行う」
ということ自体に価値を感じているのではないかと考えられたため、そうした点からライ
ブストリーミング配信における自己目的性を明らかにすることを本論文の目的とした。
本論文は2部構成とし、第1章、第2章から成る第1部では個人ライブストリーミング配信
の利用実態に関して記述し、第3章、第4章、第5章から成る第2部では個人ライブストリー
ミング配信における自己目的性について言及していく。
第1章ではライブストリーミングとは何かを説明し、ライブストリーミングを利用したサ
ービスの紹介や、実際にどのような番組がライブストリーミング配信されているのかにつ
いての紹介を行った。
第2章では現在個人でライブストリーミング配信を行う6人の番組提供者に対して行った
調査内容を記載し、ライブストリーミング配信の利用実態を捉える。それぞれの調査対象
者が行う番組内容については、中心的な番組内容が、ゲーム実況、雑談、お絵描き、音楽、
車載映像、声真似という全て異なるジャンルの番組から選択した。
第3章では自己目的性についての説明と、電話とインターネットにおける自己目的的利用
について触れ、ライブストリーミング配信と自己目的性との繋がりを考える前提とした。
第4章では第2章の調査内容から各番組提供者の特徴を捉えると共に、共通した質問項目
について6人の番組提供者全員の回答を包括的に分析した。これらの結果から、各番組提供
者におけるライブストリーミング配信の自己目的的利用に関わる点について述べ、さらに
個人によるライブストリーミング配信における全体的な特徴を述べた。
第5章では第2章の調査内容と第4章の分析から、各番組提供者が実際にライブストリーミ
ング配信を自己目的的に利用している面について、その利用実態から分析した。また個人
ライブストリーミング配信に見られる自己目的性について述べ、個人がライブストリーミ
ング配信を行う際には、視聴者とコミュニケーションを取るということに強い価値を感じ
る番組提供者が多く、さらに大勢の人間と同じ時間を共有できることが、ライブストリー
ミング配信を行うことの自己目的性に大きく関わるという結論が得られた。
13/19
2011年度卒業論文概要
本田
大輝
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
「新規開発型まちづくり」における地域資源の役割
近年、「まちづくり」という取り組みが盛んになっている。この取り組みは、文字通り
言えば「まち」を作ることであり、「地域開発」といった用語と同様の意味である。まち
づくりの主な目的は地域内の経済的な活性化と、地元の人が地域アイデンティティを取り
戻して、地域に誇りを持って暮らせるようになることの二つである。現在の衰退しつつあ
る日本、とりわけ地域においてはまちを救うための画期的な解決策として注目されている。
そのまちづくりを行うために必要不可欠となっているものがある。「地域資源」である。
地域資源とは、各地域に顕在するその地域特有の資源の事であり、その種類は全部で13項
目と多岐にわたる。まちづくりはこの地域資源を用いて行うことによって、地域の個性が
表現でき、それによって人の目を引いて交流人口を増加させ、経済的利益を上げるという
地域の活性化とともに、地域の資源が評価されたことによる地域アイデンティティへのよ
い刺激も同時に行われる。本稿ではその地域資源に注目し、地域資源によってはよりまち
づくりが効果的に行えるものがあるのではないかという予想の元、考察を進めた。
第1章では、今日におけるまちづくりが「地域の活性化」と「地域の誇りの取戻し」と
いう二つの要素を兼ね揃えた取り組みであることと、大きく分けて二種類あるまちづくり
のうち、新規に地域資源の開発を行う「新規開発型まちづくり」が現在の主流であること
を述べ、本稿では新規開発型を論のメインに取り上げることを説明した。
第2章では、現在の日本、とりわけ地域が「経済的な問題」と「人間的・精神的な問題」
の二種類の問題を抱えていることについて触れ、その実態について述べた。そして、その
二種類の問題を同時に解決できる取り組みがまちづくりであるということを結論付けた。
第3章では、まちづくりを行ううえで頻出となる「用語」と「法律」についての説明を
行った。特に法律では、「まちづくり三法」を取り上げ、この法律の存在がむしろまちづ
くりを阻害していることを明らかにして、改正の必要性を示した。
第4章では、数あるまちづくりの事例を地域資源ごとに分類して、まちづくりが行いや
すいかという点について分析と評価を行った。その結果として、まちづくりがしやすい・
しにくい地域資源を判別した。また、成功例における共通点の存在を示した。
第5章では、今まで考察したことに基づいて、実際にまちづくりが出来るかを考察した。
新潟県内から長岡市を例に取り上げて、地域資源に関する調査と分析を行った結果、長岡
市が「歴史と偉人」という地域資源が優れており、それでまちづくりが可能ではないかと
いう結論に結び付けた。そして長岡市が実際に歴史と偉人のまちづくりに取り組んでいる
事例を紹介し、この結論が方向性として正しいということを証明した。
そして「おわりに」において、本稿の題目にある「地域資源の役割」とは、「地域を活
性化させて、かつ地域アイデンティティを刺激すること」つまり「まちづくりを成功に導
くこと」であると述べ、これを本稿の結論として終えた。
14/19
2011年度卒業論文概要
本間
はるか
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
明治時代初期の錦絵新聞
「錦絵新聞」とは、文明開化の最中の明治7年(1874)に誕生した視覚的メディアである。
江戸時代より受け継がれてきた多色刷りの木版画である錦絵と、ニュースを伝える文章を
組み合わせたものだ。新聞は、明治時代に入り日本に持ち込まれたが、当初は限られた知
識層しか受け入れられなかった。そのため民衆、特に女性や子供にとっては遠い存在であ
った。しかし、錦絵新聞はそのような非知識層を読者の対象とし、たちまち人気を得たの
だ。錦絵新聞の特徴は、描かれているニュースの主人公たちが高名な政治家ではなく、ど
れも市井の人々であるということだ。その内容も、残酷な殺人事件はあるが、不倫、窃盗
事件などどれも読み手の身近にいつ起きてもおかしくはないような出来事なのである。
本論文では、現存する作品の紙面の内容を分類することにより、錦絵新聞がどのような
情報を伝え、新聞というものになじみのない当時の民衆がどのような情報を好み受容して
いたのかを明らかにしていく。
第1章では、錦絵新聞とは何か、時代背景を明らかにした上で、その発展の歴史に言及し
た。そして、錦絵新聞の研究をめぐる現状についても述べた。
第2章では、分析を進めるにあたって必要な先行研究の紹介と、分析方法をまとめた。
第3章と第4章では、分析の結果を記した。また、作品の実例を挙げながら、考察を行っ
た。結論としては、錦絵新聞は近代化が進む時代の中で様々な新しい技術、文化を象徴的
に描いていることから、日本の近代化を民衆たちに周知させるための役割を果たしていた
と考えることができる。しかし、その一方で殺人事件や男女の痴情のもつれのようなスキ
ャンダラスな内容が多く残されていることから、三面記事に夢中になる現代の我々と本質
的には変わっていないのかもしれない、と指摘した。
15/19
2011年度卒業論文概要
三木
康平
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
ソーシャルメディアの地域コミュニティにおける活用
―Twitter・Ustream を事例として―
企業による効率化の推進が引き起こした地域の画一化、経済成長を目標とした国民の意
識の変化などの事由により、地域におけるコミュニティ内のつながり意識の衰退が地方で
は引き起こされている。だが、そのような環境のなかでメディアが、人と人とをつなぐも
のとして、地域活性化に寄与できる役割は大きく、実際に新しいメディア「ソーシャルメ
ディア」を利用する所が出てきて、地域コミュニティの活性化に一定の成果を上げた場所
が存在している。ソーシャルメディアを利用した、気軽に集まることができる場・情報を
共有できる場の形成により、ここでは人々の関係性の希薄化・地域への無関心などに焦点
を当てた“地域の衰退”に、多少なりとも歯止めをかけることができるのではないか。本
稿では地域でのソーシャルメディアの活用法に焦点を当て、コミュニティ論とメディア論
の両面から考察を深めることで、地方を取り巻く問題とその対策について迫り、そしてそ
の論考をある地方での成功例という具体例のなかで機能させ、有効性について論じる。
第1章では、地域の衰退の歴史を追うために「コミュニティ」を定義し、その機能につい
て検証する。その後地方の画一化という観点から、人々の関係性の衰退について論じ、一
方で近年始まっている「関係」と「関与」による新しいコミュニティの原理について論を
展開する。
第2章では、地域メディアの歴史を追い、メディアが秘めている情報共有の力について論
じる。そしてソーシャルメディアに焦点を当て、現実社会とネット社会をつなぎ、集合知
を形成する「場」になり得るためのグランドデザインの重要性を明らかにする。
第3章では、実際にまちづくりに一定の効果を挙げているふたつの地域のソーシャルメデ
ィアの活用法を取り上げ、人々をつなげたという個々の成功事由について探っていく。
最後の第4章では、新興の新潟の事例を取り上げたうえで、事例比較により成功要因に迫
っていき、オンライン・オフライン活動の活発化、主客一体のつながり、地域独自に適材
適所な活用が可能であると考えた。そして地域で活動を興したいという個人の思いを補助
するツールとしてソーシャルメディアは効率的に寄与できる、と結論を導いた。
16/19
2011年度卒業論文概要
横尾
崇宜
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
震災におけるラジオの役割
2011年3月11日午後2時46分に東日本大震災が発生した。この震災においては、地震や大
津波の被害に加えて長期に渡る停電が各地で起きた。停電が起きている間、テレビやパソ
コン、携帯電話などの主要なメディアが使えなくなり、それらのメディアの機能不全をラ
ジオが補完したと考えられる。
本論では、「震災におけるラジオの役割は、人々に安心を届けるということである。」
という結論のもと、東日本大震災においてラジオが役に立ったということを明らかにする。
そのためにまず、震災時に宮城県内で放送を行なっていたラジオ局と、ラジオを聴いてい
た人々にインタビューを行い、ラジオの発信者と受信者の両方からの意見を聞くことにし
た。
TBC 東北放送と宮城県内でラジオを聴いていた7人に対するインタビューを行い、その結
果を分析することで震災におけるラジオの役割とは何かを考察した。
序章では報告書をもとに東日本大震災においてラジオが必要とされていたことを述べ、
各ラジオ局がどのような放送を行い、それに対してリスナーがどのように感じたのかをま
とめた。
第一章の第一節では TBC ラジオの震災報道の概要を述べ、震災発生直後からどのような
ラジオ放送を行ったのかについてまとめた。第二節では TBC 東北放送ラジオ局制作部長の
鈴木俊樹氏へのインタビューを掲載した。
第二章では震災当時に宮城県内に住んでいた人々へのインタビューを掲載し、震災が発
生した後の行動や実際に聴いたラジオ放送について詳細に述べた。
第三章では第二章で載せたリスナーへのインタビュー結果を分析し、ラジオ放送がリス
ナーに与えた影響や震災時のラジオ放送の問題点について論じた。
結論では序章から第三章までの議論を踏まえて、「震災におけるラジオの役割は、人々
に安心を届けるということである。」と述べ、本稿を締めた。
17/19
2011年度卒業論文概要
若穂囲
輝
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
都市交通における自転車利用の実態とその意義
本稿においては、都市交通において自転車がどのように利用されているか、自転車を利
用することにどのような意義があるかということについて取り上げる。我が国においては
戦後から高度成長期にかけて、自動車の生産、普及に力を注いだ。いわゆるモータリゼー
ションである。そして、モータリゼーションの進展以後の我々の生活は自動車によって支
えられている。しかし、自動車の普及は交通事故の増加、生活環境の悪化といった悪影響
をも同時にもたらした。その反省として、「脱自動車」という動きが欧米を中心に行われ
ており、我が国でもそれは例外ではない。
そして、自動車からの転換先として考えられるものとして、自転車があげられる。自転
車は化石燃料や電力を使用することなく、人力のみで動作する交通手段である。よって、
現在人々からの関心が高まっている環境保全や人々の健康維持に対して寄与するものであ
る。また、公共交通機関と異なり、決まった軌道を走ることなく、個人が自由に面的な移
動を可能にするという自動車のメリットをも内包している。
しかし、その自動車からの転換先としての交通手段として選択されるものは電車、バス
などの公共交通機関であり、自転車がその議論にあげられることは少ない。また、自転車
道などの自転車の走行空間の整備に関しても、自転車が人々の間で利用されているにもか
かわらず、十分な整備が行われていない。なぜこのような事態に至ったのか、今後自転車
を都市交通で利用するためにはどのような施策が行われるべきであるかといったことにつ
いても同時に触れていくこととする。
まず1章ではモータリゼーションの歴史とその問題点について概観する。そこで、「脱自
動車」という動きが登場していることと、行政の推進する自動車からの転換先として、主
に公共交通が選択され、自転車は無視されてきた傾向にあることを指摘する。
第2章では、従来、都市交通の中で自転車がどのように扱われてきたのかといった部分に
触れ、総論的に自転車の問題点、自転車の使われ方などにも言及する。そして、従来の自
転車は都市交通の中で明確な位置づけが行われておらず、狭間の存在として扱われている
ことを指摘する。
そして、第3章では具体的に都市の中で自転車がどのように活用されているのかを調べる
ため、特にここ数年自転車の推進に取り組む動きが見える新潟市について注目し、調査を
行った。その際には実際に現地の自転車の走行環境について直接調査するほか、行政の担
当者の協力を得て、インタビュー調査を行った。
第4章ではそれまでの調査をまとめ、都市交通の中で自転車を活用することで自転車の利
用者、行政、そしてその他の人々にも意義があることをあげた。また、推進をしていく上
で検討すべき点として、事前の検討の重要性についてあげたほか、自転車同士の関係につ
いては議論が足りていない点について触れ、本稿を締めた。
18/19
2011年度卒業論文概要
渡辺
優人
新潟大学人文学部情報メディア論履修コース
食を通じたまちづくりに関する一考察
本稿では、食を通じたまちづくりに関して、コミュニタリアニズムの政治思想を用いて
考察を行った。
1980年代中頃のバブル経済以降、資産格差が高まりを見せている。その思想的背景には
最小国家を説く「リバタリアニズム」や市場万能主義を唱える「ネオリベラリズム」があ
る。この影響を受け、家族や地域コミュニティなどの崩壊が進行しており、道徳的な空白
状態も存在している。個人の自由や権利を追求したが実際は個人の利益を追求したものと
変わらなくなっている。
この問題に対してリバタリアニズムやネオリベラリズムの思想を批判し、自分が帰属す
るコミュニティの構成員の相互の関係を意識する思想がコミュニタリアニズムである。コ
ミュニタリアニズムの論が
現在では日本の行政において、コミュニティという言葉が肯
定的に使われ、コミュニティ政策が推進されている。
そこで、三条カレーラーメンという食を取り巻く消費者・食を提供する飲食店について
調査し、調査結果から、コミュニタリアニズムの思想が注目を置く地域社会と、そのコミ
ュニティについて分析を行った。具体的には、三条カレーラーメンをきっかけとしてつく
られた「三条カレーラーメン部会」をコミュニタリアニズムの思想が重視する組織である
「アソシエーション」と見なし、三条カレーラーメン部会の現状を否定的に論じた。
序章では、コミュニタリアニズムの思想と関係が深い「コミュニティ」という言葉の戦
後の社会科学における評価について言及した。
第1章では、コミュニタリアニズムの政治思想についてまとめた。コミュニタリアニズム
の基本概念である「共通善」の意味が曖昧でややこしいため、この思想の元となったアリ
ストテレス哲学について言及した。また、コミュニタリアニズムの思想の日本における具
体的な政策の適用について論じた。コミュニタリアニズムが重視する伝統的な自治組織に
対する批判に対しては、地域の自治組織の役割を肯定的に評価した。
第2章では、調査方法を示し、調査結果からコミュニタリアニズムの思想を用いて実践的
に検証を行った。ご当地グルメの消費者と提供する飲食店に対する調査結果から、ご当地
グルメブームの一過性に疑義を唱え、持続可能性を備えた要素として食と向き合うために
地域の共益を重視すべきであると述べた。
終章では、前章までの内容をまとめ、コミュニタリアニズムの政治思想の理想主義的な
傾向を指摘した。しかし、本稿でも取り上げた現代社会の問題は、私たちすべてが日々の
生活において直面している課題でもあると述べ、一人一人が熟慮していかなければならな
いと提案した。
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