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平成 24 年度教師海外研修プログラム(ガーナ) 研修報告書 学校名 長野県松本県ヶ丘高等学校 氏 名 田邉 紗也子 ■ 印象に残る写真 2 点 ■ ●「ガーナの水田と子ども」 ガーナに水田がある・・・。稲作プロジェクトを見学することは頭ではわ かっていたことではあるが、いざ目の前に水田が広がる光景は、私の 中にある「乾燥した大地アフリカ」というステレオタイプを見事に崩してく れた。 ●「マザーテレサ女子校の生徒たち」 子どもたちは未来そのもの。屈託のない笑顔で思い切り体を動かして 踊る子どもたちにガーナの未来を感じた。 1.現地研修に対する各自の目的 とその達成度 ガーナでの教師海外研修に参加するにあたっての目的は、「ガーナが抱える問題は何か」「ガーナの抱える課題 に対して日本はどのような支援を行っているのか」「世界の抱える課題について日本の高校生が出来ること取り組 めることは何か」「教師として出来る国際協力とは何か」をガーナで見て、聞いて、感じて、その答えを探してきたい と思っていた。現地ではガーナという国の抱える課題、例えば公務員の能力・資質の向上、製造業・サービス業の 未発達、教育の質の向上、貧困などが見えてきた。何がガーナの抱える問題なのか、日本はどのような支援をして いるのかを理解するという点については、充実した研修プログラムを通して十分に達成出来た。しかし、ガーナ各地 を周り、現地の人々やガーナで働く日本人の方々から話を聞くうちに、ガーナの人々の明るさや親切さ、アフリカの 国の中では珍しく安定した政情、油田の開発と共に発展している経済など、ガーナに来る前はその課題にばかり焦 点を当て過ぎていたことがわかった。もちろんガーナはまだ様々な分野で各国の支援を必要としながら発展を遂げ ている国であり、JICA が行っているガーナへの支援が国の発展や人々の生活の向上につながっていることに間違 いはないが、ガーナに行く前に自分が“あるだろうと”思い描いていた「ガーナが抱える問題点」は、私自身が抱い ていたアフリカやガーナに対する勝手なイメージや偏見が作り上げたものだったのかも知れない。 「ガーナはこん なにも貧しくて、問題を抱えている国だ。日本にいる私たちに出来ることは何か考えてみよう」という展開になんだか -1- 違和感を覚えるようになったのは、問題点や課題について学んだこと以上の成果だと考えている。 2.訪問国から学んだこと (気づいたこと、わかったこと、大切に思ったことなど) ガーナでの訪問先で話題となり、特に印象に残っていることは二つある。第一に国の基盤を作るには、インフラ 整備というハード面はもちろんだが、国家や教育を支える公務員や教員の能力・資質を向上させ、国を支えていく人 材の育成というソフト面もまた重要であるという点。第二にガーナは歴史的に植民地支配の支配国であるイギリス からの輸入品に依存してきたため、製造業があまり発達していないという点。製造業が発達していないということは、 製品の加工技術が未熟であるというだけでなく、製品を作るための部品の購入や管理から、製品を売るための販路 や流通経路の確立、在庫管理やアフターケア、人事管理に至るまでの製造業を営む組織が機能していないというこ とであり、単純に加工技術だけを伝えればそれで製造業が発達していくというわけではない。それを支えていく人材 がいなければ成り立たないということを聞くと、製造業に従事している人からすれば当たり前の事だとは思うが、普 段学校という限られた世界に生きている私にとっては新鮮な驚きであり、同時に教育や人材育成の大切さを再確認 することが出来た。 3.現地研修の経験を生かす授業実践の意欲やねらい ガーナ研修に参加する機会を頂いた者として、ガーナで見聞きしたこと、感じたこと、考えたことを生徒や周囲に 伝えるまでが責任であり、それが教師だからこそ出来るとても大きな意味を持った国際協力だと思っている。ガーナ に行く前は「発展途上国にはこんな問題がある。さあ、それを解決するにはどうしたらいいかみんなで考えてみよ う!」・・・そんな授業の展開を想定していた。しかし、ガーナに行ったことで、たとえその解決するべき課題が真実で あったとしても、その国の課題だけを授業で扱うことが本当に良いのだろうかと思うようになった。確かに負の部分 というのはインパクトがあり生徒の興味を引き付けるが、その国の人にとっては必ずしもフェアではないのではない か、それが本当にその国の人が伝えて欲しいことなのだろうか、ガーナの人と関わる中でそんな思いを抱くように なったのは自分の中で大きな変化である。実践する授業のねらいの一つとして「ガーナを肯定的に知ること」は大 切な視点だと思っている。 また、今回の研修ではガーナで働く多くの日本人の方からお話を聞く機会があった。高校生にとって働くこと、まし て海外で働くことは未知の世界ではあるが、グローバル化の進む現代においてその可能性は十分あり得ることで あり、むしろ積極的にその可能性にチャレンジして欲しいと思っている。ガーナで働く日本人の方々を題材に、“グロ ーバル化に伴う自分の進路”について考えてみる授業ができたら面白いのではないかと考えている。 4.JICA の国際協力事業 の 「良い!と思ったところ」 と 「今後あるといいなと思う視点」 今回の研修では国際協力の最前線にいる何人もの JICA 専門家の方から、「相手の立場に立って」という言葉を お聞きしたことだ。お金を援助する、インフラを整備する、農業であれば機械を援助する、農地改良をする等、その 国の力だけでは出来ないことを支援するのももちろん大切なことだ。しかし、それだけでは援助に対する依存心が 高まるばかりで、本当に必要なのは最終的にその国の人々が自分たちの力だけで国を発展させて行くための技術 やシステムを作ること、また伝える技術もガーナの国内で調達出来る物を利用しなければ意味がないということ、伝 える際にもトップダウンでやるのではなく、同じ目線でガーナの人と共に歩む姿勢が大事だ、ということをお聞きし、 それはまた教育においても同じことが言えると感じた。 -2- ガーナでは中国人労働者や韓国企業の LG、SAMSUNG の広告を目にすることが多く、自分が思っている以上に 中国や韓国企業のアフリカ進出が進んでいた。以前 TV 番組や雑誌などで韓国企業が途上国に駐在員を住まわせ、 徹底した現地化を図ることで現地のニーズを把握し商品開発をしているということが話題になった。今回ガーナで青 年海外協力隊の方の生活を垣間見せてもらい、彼らの生活がかなり現地の人々の生活と近いことに驚くと同時に、 彼らが持っている現地での経験や情報などは韓国企業の駐在員のそれに相当する価値があるのではないかと思 った。すでに計画として進んでいるという話も伺ったが、青年海外協力隊に限らず、JICA の持っている情報や途上 国でのネットワークを日本の民間企業が利用し、また民間企業の持っている技術などを国際協力事業に活かすこと で、途上国側にも企業にもメリットのある支援をするという視点は今後更に進んで行って欲しいと思う。 5.ここまでの研修自体 (国内・海外) に対して 「良かったこと」 と 「今後あるといいなと思う視点」 事前研修でグループに分かれて訪問地ごとに見てくる観点を絞り込んだおかげで、何に気をつけて見てくれば良 いか、事前に準備しておくべきことは何かが明確になり、訪問先に行ってからも効率よく質問し、必要な情報を得てく ることが出来た。観光では決して見ることの出来ない JICA のプロジェクトを見せて頂くことが出来、日本人の活躍す る姿、苦悩する姿も含めて日本の国際協力事業の最前線が見られたことは本当に貴重な経験となった。 現地では慣れない土地にいる緊張やストレス、疲れもあり、移動中など少し休みたいなと思うときに見聞きしたこ とを共有するのは大変だと感じることがあった。とはいえ記憶を文字に残すことは非常に大切であり、なぜもっと頑 張って日記をつけなかったのかと今更後悔している。部屋に帰ってからはぐったりしてしまうので、1 日の終わりの 振り返りにもう少し時間をかけてもいいのかもしれない。また、仕方がないことだとは思うが、参加者は全てをやっ てもらうお客さんのような立場で常に指示を待つ側となったため、最初は意欲的だった参加者が主体性を発揮する 場面が少なく、受け身になっていく気がした。参加者が中心になって振りかえりを行うなど、参加者にさらに主体性 を持たせる工夫があっても良いのかも知れない。 6.訪問先ごとの 「感じたこと」 や 「学んだこと」 ●7/31:オリエンテーション(JICA ガーナの事業概要説明、安全管理、健康管理等) ガーナに到着して初めての訪問地となる JICA ガーナ事務所はとても綺麗で清潔感があり、初めてのガーナの雰 囲気に緊張していたせいか、日本を感じることが出来て安心する自分がいた。JICA 事務所で稲村所長から直々に お話し頂いたことを、研修を終えてから振り返ってみると、研修中に「本当にそうだった」と実感したことばかりだった。 以下に挙げておきたい。 ・ 日本はあまり知られていない。新聞を読んでいる人は地震があったことなど知っている。野口英世はあまり知 られていない。中国→韓国→日本の順で知られている。 ・ 物資は品質を問わなければ色々とある。日本製品もある。 ・ アフリカの中ではかなり治安がよい。民主主義の優等生。 ・ ガーナ人にとって「約束」に必ずしも履行義務は無い。「目標」と同じ。 ・ 2010 年より石油開発が進んでおり、日本の企業がその一翼を担っている。 ・ 製造業があまり伸びていない。 -3- ●7/31:抗ウイルス・抗寄生虫活性物質研究プロジェクト[野口英世記念医学研究所]野口英世研究室 ガーナ大学内の野口英世研究室では東京医科歯科大学の研究者の先生方がいらっしゃった。日本では取れな いハマダラ蚊や生薬研究に必要なサンプルを求めて、ガーナの地で人生をかけて研究していらっしゃる研究者の 姿に頭の下がる思いがした。鈴木先生から生薬の元となる植物がガーナで取れるようになれば、それはまた一つ の資源としてガーナの利益となるだろうというお話を伺い、ふと、漢方薬に使われる生薬の原産がほとんど中国で、 中国が生薬の輸出を制限したことから漢方薬の値段が高騰しているというニュースを思い出した。名古屋で行われ た COP10 でも、生物産出資源国からの植物資源の移動の問題が議論されたそうで、これまで先進国に搾取されて きた生物産出国に取っては良い方向に向かっているとのこと。しかし、日本国内で本当に漢方が必要な人にとって は深刻であり、難しい問題だ。 ●7/31:HIV 母子感染予防にかかる運営能力強化プロジェクト 世界的に見てもアフリカは HIV 感染の発生が深刻な地域ではあるが、世界各国による感染予防活動の効果が現 れ始め新規発生率は減少している。中央アジアやアジアで新規発生が増加している。 ガーナは比較的HIV の感染 率が低く、南アフリカや東アフリカのほうは一時期エイズが非常に深刻な状況にあった。ガーナなどの西アフリカに 感染率が低い理由として、一つには南アフリカなどで拡大したウイルスとは種類が違うことと、西アフリカの部族に ある包皮切除の文化が予防に比較的効果があるのではないか、とも言われているそうだ。 ●8/1:公務員能力向上プロジェクト ガーナ人にとってなりたい職業はパイロット、医者、弁護士、会計士などの高給の職業であり、給料の低い初級公 務員は社会的地位も高くはないが、現金収入を得られる職業が限られているため、なりたい人はとても多く高倍率 である。どこの国でも同じだが、ガーナでも仕事をしてもしなくても給与が変わらない公務員や教員は勤務態度や意 欲に欠けるものが多く、それを改善するために近年は公務員や教員の給与を能力や仕事内容に応じた Single Spine Salary Structure という給与体系を導入した。今回訪問した公務員研修センター(Civil Service Training Centre: CSTC) では初級、中級公務員の研修を行っており、昇進のためには研修が必須となるような仕組みになっている。公務員 研修センターではガーナの伝統的な Chalk&Talk の授業ではなく、参加型の実践的なスキル・トレーニングを行って おり、自分たちの開発したプログラムに対して校長先生を始めとするスタッフが誇りを持ち、熱心に教えていること に感動した。またガーナ国内の公務員だけではなくシエラレオネやリベリアなど他の Anglophone(英語圏)の国々の 研修も請け負っており、色んな面でガーナが ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)の leading country(先進国)だとい うことが分かった。ちなみに公務員の中でも秘書に女性が多く、全体の人数としては女性が多いが、地位が高くな ればなるほど女性が少なくなっているのは日本と同じだった。しかし公務員は民間の会社に比べて仕事がきつくな いため、女性に人気だというのも日本と状況が似ていると感じた。 ●8/2:シニア海外ボランティア(電子工学)活動 [クマシ技術短期大学] シニア海外ボランティアとして奥様と共にクマシ技術短期大学で教鞭を執られている円子さんは、奥様と現地の アシスタント共に温かく私たち一行を迎えてくれた。研究室の前の庭には太陽を自動で追いかけるよう、時計の秒 針を利用して工夫したソーラーパネル発電システム「Solar King」、自動フーフー作り機「FuFu Mama」、奥様のこんな ものがあったらいいなという要望から生まれた、ソーラー電動ミシン「Solar Tailor」といずれもユニークで覚えやすい -4- 名前がついた発明品が展示されていた。何でも揃う日本から部品を調達するのではなく現地にあるもので工夫して 作られた発明品の数々を見ていると、教育には間接的に社会を良くする力があるが、技術は直接的に人々の生活 を変化させることが出来るのだということを改めて感じた。円子さんが「FuFu Mama」を国際見本市に出展した際に、 始めの頃は現地カウンターパートの Head of Department (HOD)は円子さんの活動に協力的でなかったにもかかわ らず、国際見本市での反響の大きさを見て、円子さんの活動に協力的になってくれたのが非常に嬉しいと話してく れた。国際見本市出展後に FuFu Mama を製品化するという話も出ているが、製品化には技術だけあってもダメで、 部品管理や購買、販売など細分化された様々な業務が全て成立して初めて成り立つため、なかなか難しいとのこと だった。 ●8/2:青年海外協力隊(ソーシャルワーカー)活動 [ジャチ訓練センター] 青年海外協力隊の門脇さんが活動されているガーナ身障者協会ジャチ訓練センターでは肢体不自由の方が 2 年 間ろうけつ染めや靴作り、裁縫、織物等の技術を学んでいる。訓練センターの位置づけとしてはリハビリテーションセ ンターというよりも職業訓練であり、ものを売ってお金を稼ぐのが目的である。しかしものを売るマーケットが無く、ろう けつ染めの布などはプリントの布に価格競争でそもそも負けてしまい売れない。最近は新しいパソコンが寄付された ため販促として NGO などを開拓しているそうだ。青年海外協力隊の門脇さんの仕事は訓練センターのスタッフのマネ ジメントだが、センターの敷地内にスタッフの家があり、朝出勤簿にチェックをするとそのまま家に帰ってしまうスタッフ や、仕事に来ないスタッフもおり思うような活動が出来ないことにストレスを感じることもあるようで、お話の端々に門 脇さんの苦悩が伺い知れた。ここでもそうか、という気がしたがいくら訓練所(ハード)を作っても、良い人材(ソフト)が いなければなかなか組織を運営していくということは難しい。 ガーナでは障害者へのあからさまな偏見は無いが、生きていくのはかなり困難なことのようだ。ガーナの至る所で 見られる舗装されていない道を車いすで移動することは出来ないし、一般の人々の移動手段であるトロトロにはもち ろんバリアフリーの設備は整っていない。家から出て自由に移動することがそもそも困難なため、障害のある人は家 に引きこもってしまうことが多いらしい。何より驚いたことはこの訓練センターでの訓練を終えた後でも彼らが働ける場 所はなく、(追跡調査などはしていないのではっきりとは分からないが)結局家に引きこもってしまうことが大半なので はないか、とのお話。日本であれば何のための訓練なのかと批判を浴びそうだが、健常者でも仕事がないガーナに おいては仕方のないことなのだろうか・・・。 ●8/2、8/6:青年海外協力隊(門脇隊員および諏訪戸隊員)のホームステイ先ホスト宅での食事・交流など 日本人の団体を受け入れることができるということなので、そのエリアではかなりお金持ちの家がホストとなって いるのだろう。お二人ともホストと良い関係を築いているようで、私たち日本人をとても歓迎してくれた。食生活はフ ーフー、バンクーが中心でお米料理は出てこなかったが、伝統料理としてフーフーを出してくれたということなのだ ろう。携帯はかなり普及しているようで門脇さんのホストのご一家は、私たちのことをずっと携帯のムービーで撮影 していた。諏訪戸さんのホストマザーは素敵なピンクのドレスを着ていて、おそらく一番良い服を着て出迎えてくれ た。ガーナの人はとても綺麗好きで、お客さんにはみっともない姿を見せないのが礼儀であり、マナーなのかも知 れない。そういうところは日本と似ていてきちんとしている。 -5- ●8/3:天水稲作持続的開発プロジェクト 「ガーナで水田を見学する」ということは研修の前から分かっていたことではあるが、いざガーナに来てみてまる で日本の原風景のような小さな田んぼが連なるプロジェクトサイトを目にすると、本当にここはアフリカなのだろうか という気がしてならなかった。撮った写真を見て、もし黒人の子どもが写っていなかったら、ここがガーナだと答える 人はまずいないだろう。 天水稲作プロジェクトを見学し、専門家は広い視野と大きな規模のプロジェクトを展開していることに驚いた。ガー ナでは都市部で米の消費量が増えている一方で、割れ米や石の混じった国産米は人気が無く、国内消費の 60~ 70%を輸入米に依存し、結果的に年 2 億ドルの外貨を支出している。外貨節約と小規模稲作農家の生計を向上させ るために、輸入米と同等の品質を持った国産米の増産が急務となっている。日本では当たり前の、畦を作る、田ん ぼを平らにならすといった初歩技術を伝えるだけで収穫量が 4~5 倍に増え、プロジェクトサイトの周辺には自発的 に農民が田んぼを作り始めているそうだが、すでにプロジェクトサイト周辺でも水が足りなくなってきており、水不足 に陥ることは目に見えている。これからどのような展開をしていくのかは、これまでプロジェクトに携わってきたガー ナ人達自身が選択し、実行していくのかを見守って行くようだ。日本の専門家達は欧米や中国のように設備やお金 での援助ではなく、技術を伝える技術協力であることに誇りを持っているようだった。また米の生産技術を伝え、収 量を増やすだけでなく、生産から流通までの value chain の構築に携わっていた。しかし、生産が出来ても品質が良 くならないと売れず、売れる仕組みやマネジメントをすることがこの国では本当に難しいのだと、クマシ技術短大で 思ったことと同じことを考えた。 ●8/3:スアメマガジンにおける金物加工などの町工場 スアメマガジンは鉄鋼や工業部品の小売が集まり、ガーナ国内だけでなく西アフリカの国々からも部品の買い付 けに人が集まる不思議な場所だった。大きな部品というか、船の船体のようなものからねじのような小さな部品まで、 錆びて赤茶けた部品や鉄の塊が山積みになっていた。製造業が発達していないことによりクマシ技術短期大学で は、卒業後の就職率は 25%~50%だという話があった。そもそも製造業の企業が少ないため、卒業生は自分で修 理などの仕事が行えるような技術を身につけられるよう指導しているとのことだったが、彼らも卒業後に修理に必要 な部品をここへ買いに訪れるのだろうか。 ●8/3:ボランティア、専門家との懇談会 懇談会で、辻下専門家による乾杯の発声が「ガーナの発展のために」という言葉でぐっと来た。私の知っている宴 会の発声というものは「ご臨席の皆様のご健康とご多幸を祈念する」程度のものだと思っていたが、やはり専門家 は違う。本当にガーナの発展を願う人でなければこの言葉は出てこないのではないだろうか。そして援助とは Humanity, 人間愛が根本にあるのだと思った。しかし、国際協力や開発援助には様々な利害や思惑も絡んで一筋 縄ではいかないようだ。現地の人の立場に立って技術を伝えようとすれば、物や金が必要だと言われたり、ある面 からは良いと評価されているプロジェクトでも、別の専門家から見れば不十分であると言われたり、その評価は難し い。ボランティアと専門家の活動はもちろん規模の違いはあるけれども、草の根レベルで現地の人を理解すること は本当に大切なことだと思った。現地に来てみて青年海外協力隊の人の忍耐力、すごさを改めて感じた。 -6- ●8/4:国道 8 号線改修計画プロジェクト ガーナの赤土無舗装道路から急に日本の高速道路のような、美しく舗装された道路に切り替わると、車内に響く 音や振動も収まった。徳倉建設のベースキャンプではコンクリートに必要な石を採掘し、材料を調達するプラントが あり、日本の現場そのもののような雰囲気だ。また、社員の方が滞在する宿舎も併設されており、ここで一からスタ ートしたのだということがわかる。徳倉建設の社員さんの部屋のお部屋は男性の単身赴任を前提としているのであ ろう、6 畳ほどの広さだったが、隣には共同で出資しているポルトガルの会社の宿舎とプールがあり、そちらの宿舎 のドアの間隔は徳倉建設の宿舎の部屋の 3 つ分ほどもあり、新婚の奥さんを連れて来ているポルトガルの技術者 にもお会いした。日本とポルトガルの文化の違いも感じられた。徳倉建設の食堂では久しぶりに嗅ぐしょう油のにお いにテンションが一気に上がった。今日のメニューは久しぶりの日本食がいただけるのかも・・・と期待したが、日本 から来た私たちのために現地食を用意してくださっていた。同じ現地食でも、徳倉建設さんの食堂で頂いたガーナ 食は日本人の口に合うようアレンジされておりとてもおいしく頂くことができた。 ●8/4:お葬式・パーム油精製所・子どもとの交流など 徳倉建設の北折さんの粋な計らいにより、期せずして 8 号線沿いで行われている一般の方のお葬式を見学させ ていただくことが出来た。このあたりではかなり大きなお宅のおばあさんのお葬式のようだが、家に向かう途中に 案内をしていた女の子の T シャツになんとおばあさんの顔写真がプリントされている。噂には聞いていたが、なくな った人の顔写真をプリントするなんて日本では考えられないが、これもガーナ流の弔意の表し方なのだろう。お葬 式の参列者はとても多く、ちょっとした地域の催しのような雰囲気だ。お葬式に参加して悲しんでいるのと、お祭りの ような雰囲気を両方持ち合わせていた。さらにパーム油の精製所も見学できた。パーム油は実から取れる透明な 一番油と、実を取った後の種から取れるドロドロの二番油がある。どす黒い油の使い道を聞いたところ食用に使うと いうから驚きだ。またパーム油を作る作業を手伝っていた子どもに学校のことを尋ねると 7 時から 2 時半くらいまで 学校に行っているとのこと。もしかしたら学校に行けていないのでは・・・という疑念もあったために学校に行ってい ると聞いて安心した。 ●8/4:カクムナショナルパーク カクムナショナルパークにうっそうと茂る森は、まさに熱帯そのものであり、私の中のアフリカのイメージにはな いものだった。その森にかかるつり橋は想像以上に長く、多くの人がそのつり橋を目当てに公園を訪れているよう だった。ガーナ国内または他のアフリカの国からと思われる団体、または欧米人の姿も見られた。つり橋を渡るの はなかなか大変で、つり橋を大きく揺らすふざけた大人(!)も中にはおり、高所恐怖症の人にとってはかなり怖い と思われる。みんなでわいわい、キャーキャー言い合って空中散歩を楽しみながら、ガーナの豊かな自然を感じる ことができ、楽しいひと時だった。帰りにカカオの実を買って、みんなで分け合って食べた。カカオの実の中にはたく さんの種が入っていて、その周りに白く、とろっとした甘酸っぱい果肉がついていてとても美味しい。カカオの実だけ でなく、プランテンバナナチップスも子どもたちが売りに来ていたので購入した。ビールのおつまみにちょうど良さそ うな塩気でこちらも美味しい。 ●8/5:ケープコースト城・エルミナ城 奴隷貿易について世界史の授業で習ってはいたが、実際にこの地から 1200 万~2500 万人もの人々が奴隷とし -7- て世界各地に送られたのだと思うと、世界にはいろんな差別や人権問題があるけれども、これほどまでに人の尊厳 をおとしめることがあるだろうかと思わずにはいられない。人を人としてではなく、商品や家畜と同じように扱うとい うのはどういうことなのか、机上の学習ではわからない地下牢の臭い、息苦しさ、暑さ、暗さを肌で感じたことで、そ の卑劣さや非人道性、人間の持つ恐ろしさについて考えさせられた。お城にある博物館には奴隷がどのような状態 で船で運ばれていたのか、奴隷がつながれていた鉄の鎖や男性の奴隷の肩や腕に焼印をつけるための鉄の焼き ごて、アメリカ国内で奴隷の売買がなされていたことを示す広告など、生々しい陳列物に息を呑んだ。 ケープコースト城では夏の間ボランティアでガイドをしている中西さんという日本人の大学生さんに出会った。ガ イドとしての豊富な知識と英語力を備えており、その風貌からなかなか骨のある若者だということも見て取れる。こ んな風に日本から遠く離れた場所で飄々と自由な時間を過ごす若者がいるのだと思うと、羨ましく思うと同時に頼も しさも感じた。 奴隷貿易の歴史がガーナの学校でどのように教えられているのか興味があったが、ガーナでは歴史として表面 的なことは教えてはいるけれども、深いところまで教えることはないそうだ。アメリカの公民権運動のイメージから私 の中で奴隷貿易は白人と黒人の問題というイメージだったが、もともとは黒人同士の部族争いに勝った方が負けた 方を捕虜として捕らえ、それを白人が持っている武器と交換することで部族の戦力を高めていった。黒人の部族同 士の争いがこのような悲劇に荷担していたというのも全く新しい知識だった訳ではないはずなのだが私の中で勝手 なステレオタイプが出来上がっていたことに気づかされた。 ●8/6:青年海外協力隊(青少年活動)活動 [マザーテレサ女子校] マザーテレサ女子校では生徒達が緑色かマザーテレサの顔写真が印刷された可愛い生地のワンピースに身を 包み、年のかなり小さい子からお姉さん達まで整列して迎えてくれた。初めに私たちの挨拶とジンギスカンを踊った ことで生徒達へのつかみは上々。先生の指示に合わせて子どもたちも大きな声で歌を歌ってくれた。マザーテレサ を称える校歌を独自にアレンジしてダンス付きバージョンまであったのには驚いた。 私は日本から持ってきた広告で 3,4 年生に紙鉄砲の作り方を教えた。諏訪戸さんから折り紙を教えてもらっている 子もおり、とても上手に折る子もいた。みんな目がキラキラしていてとても元気で、女性の先生には「マダム」と呼び かけ、先生のアテンションを一人ずつ欲しがり個別に教えてもらおうとする。最初はこちらも一人ずつ教えてあげて いたのだが一人ずつでは対応しきれなくなったので、隣の子にも教えてあげて、とお願いすると、「よし!」とばかり に張り切って隣の子に教えてあげていた。最初からそうしてくれればいいのに・・・、と思ったが、先生に認めて誉め てもらいたい気持ちが強いのだろう。なりたい職業は何かと聞くと、医者、弁護士、パイロット、会計士、看護師、教 師、秘書、服の仕立て屋、兵士、銀行員等が挙がった。公務員能力向上プログラムの研修センターでも伺ったが、 医者・弁護士・パイロット・会計士あたりは高給が得られる上に社会的地位も高く、別格扱いで人気があり世間的に も憧れの職業と認められているようだ。子どもたちのなりたい職業はその 4 つに加えて、さらに現実的で現金収入 が得られる職業が挙がってきた。 放課後は 2 時半に学校が終わると水汲みや母親の手伝いの台所仕事をすると答えた子が多く、先生が「他にも 何かあるでしょう?」と一言いうと勉強、読書、ノートを写すなどと先生が気に入るような答えを言う子が急に増え た。 -8- ●8/7:テテクワシ カカオ農園 カカオ農園ではカカオの幹から桜のような花が咲き、それがやがて実となり、大きく育っていく過程を見ることが 出来た。農園はそれほど広くなく観光用にも開放している農園だったため、一人で管理しているとの事。カカオを作 る工程は、実を発酵、乾燥させて焙煎し、磨砕するのだが、この農園では発酵と乾燥を行った状態で出荷している。 値段は驚くことに 1kg/3 セディ(約 120 円)だそうだ。労働の手間隙を考えるとあまりにも安い気がした。カカオの実 の中にはおよそ50粒の種が入っており、手のひら1/4サイズのチョコレートがひとつできる。児童労働の問題につ いても、問題意識はカカオ農園の人にもあるようで取り組んでいかないといけない問題だといっていたため、そうい う実態もあるにはあるようだ。 ●8/7:青年海外協力隊(プログラムオフィサー)活動 [グローバル・ママス] グローバル・ママスはアメリカの NGO で地域に伝統的に伝わるクロボビーズを使ったアクセサリーや日用品を作 り販売している。ここで働く女性たちは最低賃金よりは少し良い、月に 100~200 セディ(約 4000 円~8000 円)をもら って家計を支えている。赤ちゃんをあやしながらの若いお母さんもおり、女性同士が支えあいながら働いている雰 囲気が感じられた。ビーズをつなぎ合わせる作業はもちろん手作業だが、その後見学したビーズ工場では、粉砕し たリサイクルガラスの粉を型に入れ、手作業で一つ一つのビーズを作る工程を見学した。当たり前のように手にと っていたビーズだったが、違う色の粉を慎重に型に注いできれいな模様を作り、一つひとつのビーズに手で模様を 描き、またそれを窯で焼くなど、非常に手の込んだ作業に驚いた。 ●8/7:アコソンボダム アコソンボダムにいくまでにこの日は二つの見学地を回り、到着するまでにだいぶ時間がかかった。ダムとは直 接関係ないことだが、研修も後半に入りドライバーさんとの気心も知れてくるようになった。この日も、本来予定して いた場所ではあまりダムが良く見えないこともあり、わざわざダムの近くまで車を走らせてくれたようだ。 世界最大級のアコソンボダムはガーナで見た最も大きな構造物であり、そこへ行く道も舗装されていてきれいに なっていた。今から思えばどれくらいの人が携わったのか、ガーナの技術だけではおそらく出来なかったと思われ るため、どこの国の支援があったのかなど、ガイドが付いていれば聞けたような事が今更ながら気になってきた。 ●8/8:青年海外協力隊(小学校教諭)活動 [ドドワ小学校] 小学校への訪問は二校目となり、普段高校生と接しているため何がガーナに特有なのか、小学生に特有なのか つかめない部分もあったが、やはり設備が簡素であることや体罰があることは大きな違いだと思う。ドドワ小学校は そういった意味で良くしつけられている印象だ。まず青年海外協力隊の尾林さんの授業を見学させてもらった。とて も丁寧で綺麗な字で英語の板書。わが身を反省する。実際に現地の先生の授業を見ていないのでなんともいえな いが、ガーナの小学校は伝統的に先生が一方的に教える講義が中心だそうだ。4~6 年生と幅がある休み中のプロ グラムだったので対象を設定するのが難しかったと思うが、尾林さんは生徒が主体的に参加できるように体を使っ たウォーミングアップのアクティビティや手作りの掛け算カードを作って算数が「楽しい」と思えるような工夫をしてい た。ガーナでは理数科教育に特に力を入れているようで、子どもたちに好きな教科を聞くと理科や算数と答える子 がとても多かったのは将来仕事や収入に直結するということも関係しているような気がする。国語や英語と答えた 子が少なかったのは本を読む機会が少ないため、作品を味わう経験が少ないからかもしれない。 -9- ●8/8:川商フーズよる貿易等に関する講義 川商フーズはガーナで 60 年以上も GEISHA というブランドの缶詰を販売している実績のある商社である。BOP ビ ジネス展開をするためにガーナを選んだ理由としては、ひとつにフランス語圏が多い西アフリカ 15 カ国が加盟する ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)において、英語圏であるガーナを玄関口とすることで言語の壁を低くし、 ECOWAS 内に無関税で安い商品を提供できる点。もう一つはアフリカでは珍しく政情が安定している点。もう一つは 2010 年から石油開発が始まり高い経済成長が見込める点。現在石油はガーナの対外貿易の中で金、カカオ、につ いで三番目の外貨獲得資源となっている。川商フーズは長年に渡ってガーナでの販売実績はあるが、現在販売し ている鯖とトマトの入った缶詰にはメキシコや中国産の鯖とヨーロッパや中国産のトマトを使用し、中国で加工したも のをガーナに輸入している。そのためガーナでは20%の関税がかかりGEISYAの消費者は中所得層以上に限られ ているのが現状だ。製造業、食品加工技術の乏しいガーナにおいて、地産地消、Made in Ghana 商品を作ることで、 雇用の創出とガーナの一般の人々にも手の届く価格帯の缶詰を作り、最終的にはガーナの学校給食でも提供でき るようにするために BOP ビジネスのモデルを検討している。 ●8/9 他:アクラ市内、市場など アクア市内は大変都会で、特に南アフリカ系のアクラモールはアメリカなどにある大型モールと雰囲気や品揃え などまったく変わらない。特にクマシ、ケープコーストなどの地方を周ってきた後に、アクラモール内の食料品コー ナーに行くと、本当にこれが同じ国の中なのだろうかと思うほど充実して余りある食料や日用品が並ぶ。南アフリカ 産のジョロフライスやアチェなどの定番の米料理やバンクーもパックに小分けにされて売られており、魚や肉も様々 な部位ごとにパックに入って売られている。日本と同じ光景だ。ヤムいもやプランテンも売られていたが、忙しい都 会人のためにはフーフーやバンクーミックスも売られていたのには驚いた。 ●8/9-10:所長宅での所員・専門家・ボランティアとの夕食会&JICA ガーナ事務所報告会 所長宅での夕食は久しぶりの日本食に涙が出そうになった。たった十数日間日本を離れていただけでこの有様 ではガーナで働く人たちに呆れられてしまうが、今回の旅ではガーナ食を頂く機会が多く、パーム油ではなくしょう 油味に飢えていた。大根おろし、ひじきといったおなじみの食品がありがたく感じたのはなぜだろう。年齢のせいだ ろうか。 食事会では北海道の現職高校教諭の青木さんのお隣に座り、活動の様子などをお聞きした。青木さんの任地は ガーナの北部にある教員養成校で、20 代から 30 代の教員を目指す学生たちを指導しているとのこと。一番苦労さ れているのは英語力で、生徒に英語を指摘されたりしながら授業をされているとのことだった。 ●その他印象に残ったエピソード( 大統領の逝去とお葬式 ) 私たちがこの研修に出発する 1 週間前にガーナの大統領が亡くなったらしいと同僚が教えてくれた。アフリカの 国で現職の大統領が亡くなったとあれば、もしかしたらこの研修自体延期、もしくは中止になってしまうのでは・・・と 思い、急いでネットでニュースを確認すると、特に混乱もなく副大統領が大統領職につく予定だと、意外にも落ち着 いているようで安心したのを覚えている。普通アフリカで元首が亡くなったといえばクーデターや政情が不安定にな り、治安の悪化を懸念するものだが、実際にガーナに行ってみると車に赤い布を巻いて弔意を表す人々は多かっ たが、政情が混乱している様子など一切見られなかった。ガーナでのお葬式の習慣では亡くなってから準備に 3 ヶ - 10 - 月時間をかけるそうだが、大統領のお葬式は私たちの滞在の最終日である 8 月10 日に執り行われた。当日は交通 規制が布かれ、町中のお店もお休みとなるなど普段とは違う雰囲気となった。 7.その他全般を通じての感想・意見など ガーナは 2011 年に国民総所得が一人あたり 1190 ドルとなり、国連の基準では最貧国ではなく中低所得国と分類 されている。2011 年の経済成長率は世界第四位となっており、今現在世界で最もめざましい変化と発展を遂げてい る国であることは間違いない。しかし、いくら発展しているとはいえ、日本の暮らしと比べると格段の差があるのは 明らかであり、正直日本の生活の快適さ、清潔さ、食事に慣れきってしまっていた私は 2 週間のガーナの滞在は想 像以上に過酷に感じる場面も多かった。もちろん「研修」という特異な状況下にあり、長距離の移動や慣れない土地 にいることのストレスが加わってのことではあるが、ガーナ滞在中に日本の暮らしを恋しく思ってしまう場面も少な からずあった。最近、日本では特に震災後、「豊かさ」について話題に上ることが多く、「物質的な豊かさ」よりも「心 の豊かさ」を大切にしていこうという風潮が高まっているが、ガーナ滞在中の経験は、私たちが現在日本で享受して いる「豊かな」暮らしは物理的・精神的両面から支えられて初めて成立するものであり、この暮らしに慣れてしまった 日本人がこの生活スタイルを変えていくことは相当に難しいのではないかということを思い知らされた。 8. 来年度参加する先生へのアドバイス (持ち物、必要な準備、学びの視点、注意事項など) どんなに疲れていても、文字で気づいたことや一日の記録を残しておいたほうがよい。頭で覚えておこうと思って も忘れてしまう。帰国後の報告書作成にも生かす事が出来る。私は出来なかったので今非常に後悔している。 以上 - 11 -