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第16回マスターズクラブ関西講演会と見学会のお知らせ
2012. 9. 17. マスターズクラブ関西会員各位 「第16回マスターズクラブ関西講演会と見学会のお知らせ」 マスターズクラブ関西 代表幹事 池田 功 事務局 木田吉重(携帯 No. 090-8798-0159) または松嶋健兒(携帯 No.090-9253-9647) 下記の通り第16回マスターズクラブ関西講演会並びに見学会を開催いたしますので、 ご友人お誘いあわせの上多数ご参加くださいますようご案内申し上げます. 見学については3か所予定しており移動しますので、集合時に人数を確認する必要があ ります.ご参加の場合にはその旨事務局までお知らせくださいますようお願いいたします. なお、入場料、移動用交通費などはご自身でのご負担をお願いいたします. マスターズクラブ見学会 集合日時:平成24年10月12日(金)12:30 集合場所:地下鉄淀屋橋(プラットフォーム中央の C,D 階段を上がり、中北改札口また は中南改札口を出たところ。何れからでも同じ場所に出ます) 見学場所:1)除痘館記念資料室(無料 大阪市中央区今橋 3-7-17 緒方ビル4F Tel 06-6231-3257) 2)適塾(一般 250 円 大阪市北区北浜 3-308 Tel:06-6231-1970) 3)大阪歴史博物館(無料 大阪市中央区大手前 4 Tel: 06-6946-5728)難波 宮の地下遺構および地上復元倉庫 移動タイムスケジュール: 12:30 地下鉄淀屋橋集合 (徒歩で)除痘館記念資料室へ(約 30 分見学) (徒歩で)適塾 へ(約 50 分見学) (徒歩で)北浜 バス停へ 14:24 発の市バス乗車 15:00 大阪歴史博へ 難波宮の地下遺構および地上復元倉庫の見学 15:50 移動(徒歩約 1.4 Km) 16:20 市工研(Tel: 06-6963-8002) 到着 16:30~ 講演会 聴講 第16回マスターズクラブ関西講演会 日時:平成24年10月12日(金)16:30~17:30(支部合同会議終了後) 場所:大阪工業研究所 3 階大講堂 〒536-8553 大阪市城東区森之宮 1-6-50 Tel:06-6963-8023 テーマ:シクロデキストリン化学の新展開 ~油中での分子認識を利用したポリ塩化ビフェニル(PCB)の除去~ 講師:木田 敏之氏(大阪大学大学院工学研究科) 《ご参考》 第 16回マスターズクラブ関西講演会について 今回は大阪大学大学院工学研究科木田敏之氏に「シクロデキストリン化学の新展開 ~油中での 分子認識を利用したポリ塩化ビフェニル(PCB)の除去~」と言うテーマでご講演をいただき ます. シクロデキストリンと言う糖類を使って油の中に溶存している物質,それも親油性のたいへん高 い物質を識別し分離するという極めて新規性の高い発想法に基づくものです. 除去対象であるポリ塩化ビフェニル(PCB)はカネミ油症事件を発生させた原因物質であり, 今もなお裁判で係争中という社会性の高い物質であります.特に,低濃度の PCB が混入した油 は今なお数十万トンもあって,未だ適切な処分の方法も見つけられないまま保管されている状況 にあります.かつてはその勝れた絶縁性・化学的安定性から PCB は送電線のトランスの絶縁油 として日本中で大量に使用されておりました.これを如何に効率的に分別除去するかということ は強い社会的要請でありまた急務の事でもあります. 木田氏はこの絶縁油から効率的に PCB を除去する方法を開発・提案され国からの支援を得て現 在その詰めの段階にある研究に取り組まれております.大変社会的意義のある研究であるととも に糖類を用いて油中で分子認識するという新しい分野を開くものでもあります. 1時間と言う限られた時間ではありますが,ぜひご聴講くださいますようご案内いたします. 除痘館記念資料室 緒方洪庵を中心とする「蘭方医」たちの努力によって我が国の天然痘「疱瘡」の予防法が浸透し た.この間の歴史について,特に西日本の活動中心であった「除痘館」の業績を展示している. 〔(財)洪庵記念会の運営〕 適塾 日本で唯一の蘭学塾の遺構.江戸末期,天保9年(1838)緒方洪庵が開いた私塾である. 1 階は,緒方洪庵の家族の生活スペース.2階は蘭学の勉強に励んだ若者達の泣き笑いの場であ った.洪庵は教育者としての業績のほか,種痘を広めて天然痘の撲滅を果たした医学者としても 著名である.大阪大学の前身の大阪医大の源流である. 難波宮跡 昭和29年からの山根徳太郎教授(大阪市大)の発掘により日本書紀に記載されている難波長柄 豊碕宮が初めて見いだされた. 前期難波宮 乙巳の変いわゆる大化の改新(645 年)の後,中大兄皇子らによって企画され,652 年に完成し, 孝徳天皇が遷都した.建物は,朱鳥元年(686 年)の正月に全焼するまで,34 年の間存続した. 板葺き掘っ建て構造ながら,朝堂院や内裏を備えた,我が国で最初の,本格的な都であった. 後期難波宮 約80年後,聖武天皇により前期の宮殿の焼跡に再建された後期の宮殿は,礎石の上に瓦屋根を 持った本格建築であった.その後,桓武天皇の長岡京建設に際して,解体され,移設された.