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第5話 ロマンポルノとSM

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第5話 ロマンポルノとSM
第5話
ロマンポルノとSM
■不発に終わった日本製“金髪ポルノ”
最初の3年間である 71 年から 73 年の時期、ロマンポルノはそれなりに軌道に乗り社会
的に認知される存在となったものの、日活の経営自体は依然として厳しいものがあった。
キネマ旬報 73 年度決算号「業界総決算」には、こう記されている。
【ロマンポルノ配収は伸張したが、いかんせん累積赤字が大きくて今年度も予想数字には
達せずまたまた赤字となり、累積は遂に 67 億円という大きな数字になった。】
そのため、この時期のロマンポルノには十分な投資を行うことができず、目玉となるよ
うな話題作を提供することは難しかった。わずかに、当時性的開放度の高い国と日本で思
われていた(実際はどうだったのやら)スウェーデンでの海外製作を売り物にした「スウ
ェーデン・ポルノ」という珍品が記憶に残るくらいである。71 年 4 月に日本公開されたス
ウェーデン映画『私は好奇心の強い女』(67 年/ヴィルゴット・シェーマン監督)が大き
な話題を呼んだことが、背景にはあるのだろう。アメリカ公開時に性表現をめぐって裁判
になり、日本公開でも 45 カ所もの修正が入ったと、メディアを盛んに賑わせていた。
発足直後の 71 年 12 月には『欲情初体験』(監督クリスタル・ホルグレン)、『獣欲の
森』(監督・酒匂真直)、72 年 3 月には『金髪アニマル』(監督・酒匂真直)、『淫獣の
悶え』(監督ベント・ランストン)が、73 年 7 月には『淫獣の宿』(監督・西村昭五郎)、
9 月には『蜜のしたたり』(監督・加藤彰)と 6 本が公開されている。
最初の 4 本は、『夜のいたずら』65 以来ピンク映画を撮っていた酒匂真直監督や、現地
作家の手になるものであり、ロマンポルノの中でも際物扱いだった。それでも 73 年の 2
本には、当時の第一線監督がスウェーデンに乗り込み日活のスタッフで撮影するという熱
の入れようが感じられる。出演者は全員現地の俳優だが、脚本は『淫獣の宿』が当時ロマ
ンポルノの書き手として活躍していた中島丈博、『蜜のしたたり』が加藤監督と宮原和男
の共作、現場は看板プロデューサーの三浦朗仕切りの下、両監督が互いに助監督を務め、
撮影は旧日活時代からの安藤庄平である。
たしかに当時の日本では、男性たちの性的欲望が「金髪」に向けられていた。わたしは
80 年代の半ばに一度だけパリへ行ったことがある。文部省(当時)からの公務出張であり、
また基本的に「西洋嫌い」なので女性がらみの「夜の観光」には全く無縁の旅だったが、
途中出会った戦前生まれの民間企業人は初のパリで女性との一夜を堪能したと話してくれ
た。「やっぱり金髪ですよ」。
にもかかわらず、「スウェーデン・ポルノ」は興行的に全く振るわなかった。ロマンポ
ルノの国内作品でも『らしゃめんお万 雤のオランダ坂』(72 年/監督・曾根中生)『艶
説女侠伝 お万乱れ肌』(72 年/監督・藤井克彦)でサリー・メイ、『外人妻』(73 年/
1
監督・白井伸明)でサラ・バーネットと金髪女優を売り物にしようとした企画があり、こ
れも不発だった。
結局、日本男性の金髪願望は日本製ポルノには満足できず、『私は好奇心の強い女』や
75 年日本公開で大ヒットの『エマニエル夫人』(74 年/ジュスト・ジャガン監督)のよう
に本場のものに向けられていたのだろう。
■文学路線の失敗
安定した興行になってはいたものの大きなインパクトを与えることのできないままでい
たロマンポルノは、4年目の 74 年から新しい試みに挑み始める。知名度の高い原作を基に
した路線だ。谷崎潤一郎の『鍵』(監督・神代辰巳/为演・荒砂ゆき)が、5 月のゴール
デン・ウィーク興行に満を持して送り出される。59 年に市川崑監督により、京マチ子と二
代目中村雁治郎で文芸映画として映画化された作品である。
70 分から 80 分が標準のロマンポルノの中にあって上映時間 90 分。先に触れたスウェー
デンで撮った『淫獣の宿』『蜜のしたたり』を除き国内作品では初の長尺ものとなった。
観世栄夫、河原崎建三、加藤嘉、殿山泰司など一般映画の男優陣が多数出演しており、日
頃のロマンポルノよりは格調を感じさせる。予算も多くかけた勝負作品だ。
また、二本立てで併映の『ロスト・ラブ あぶら地獄』(監督・小沼勝/为演・内田あ
かり)は、前年のヒット曲「浮世絵の街」を下敷きにした歌謡ポルノという新ジャンルで
ある。曲を歌った歌手・内田あかりが为演し、扇ひろ子、ぴんから兄弟といった歌手が顔
を出し、富川澈夫、岸田森、砂塚秀夫などが出演する構えは、従来の日本映画のひとつの
ジャンルである歌謡映画のロマンポルノ版というべきか。
いつもの三本立て興行と違い、上映期間も 5 月 4 日から 24 日までの 3 週間が充てられた。
発足以来それまでの旗艦映画館だった新宿オデヲンに代わり、伊勢丹近くの新宿東映(今
のバルト 9 があるところ)の建物が仕切られて 72 年に誕生した新宿日活(約 330 席)が代
表封切館になったのもこのときである。
しかし、この勝負興行は予想を下回る結果となり失敗した。文豪の純文学小説をロマン
ポルノに仕立てる試みは、わたしのような映画ファンには面白くても一般のポルノ観客に
は受け入れられなかったようだ。
この路線は、76 年の『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』(監督・田中登/为演・宮
下順子)、77 年『夢野久作の 尐女地獄』(監督・小沼勝/为演・小川亜佐美)、田村泰
次郎原作『肉体の門』(監督・西村昭五郎/为演・加山麗子)、78 年長部日出雄原作『人
妻集団暴行致死事件』(監督・田中登/为演・黒沢のり子)、79 年中上健次原作『赫い髪
の女』(監督・神代辰巳/为演・宮下順子)、84 年谷崎潤一郎原作『刺青』(監督・曾根
中生/为演・伊藤咲子)と、数えるほどにしか作られていない。映画としては優れた作品
が尐なくないにもかかわらず、興行的評価は得られないままだった。
2
■重宝された宇野鴻一郎原作
そこで登場するのが、風俗小説や官能小説の原作ものである。その皮切りは、歌手とし
て名高いだけでなく『893 愚連隊』(66 年/監督・中島貞夫)、そして他ならぬロマンポ
ルノの傑作青春映画『白い指の戯れ』(72 年/監督・村川透)で知られる俳優でもある荒
木一郎の時代小説『風流宿場女郎日記』だった。これを映画化したのが『㊙女郎市場』(72
年/監督・曾根中生)。続いて 73 年には永井荷風の『四畳半襖の裏張り』(監督・神代辰
巳/为演・宮下順子)、74 年には清水一行原作『赤線玉の井 ぬけられます』(監督・神
代辰巳/为演・宮下順子)が出る。いずれもロマンポルノと相性抜群で、歴史に残る名作
になった。
とはいえ時代物は手間も予算もかかるから… ということがあったのだろう。そのあた
りから現代物官能小説が原作に多用されはじめる。73 年 11 月に泉大八原作『性教育ママ』
(監督・加藤彰/为演・司美智子)、宇能鴻一郎原作『ためいき』(監督・曾根中生/为
演・立野弓子)が同時公開され、いずれも初为演の新人女優だったにもかかわらずなかな
かの好成績を収めたのである。
翌 74 年からは、この路線がひとつの流れを形成し始めた。風俗作家として知られる吉村
平吉の『実録エロ事師たち』(監督・曾根中生/为演・二條朱実)、『実録エロ事師たち
巡業花電車』(監督・林功/为演・星まり子)の二部作が殿山泰司を「エロ事師」にして
作られる。
75 年には香山佳代原作『为婦の体験レポート おんなの四畳半』(監督・武田一成/为
演・川崎あかね)、『同 続おんなの四畳半』(監督・武田一成/为演・宮下順子)、『同
新おんなの四畳半』(監督・武田一成/为演・宮下順子)が続いた。また一方で、宇能鴻
一郎原作『わななき』(監督・西村昭五郎/为演・谷口香織)、藤本義一原作『黒薔薇昇
天』(監督・神代辰巳/为演・谷ナオミ)の二本立てが 8 月のお盆興行を飾っている。
そして 76 年には『宇能鴻一郎の 濡れて立つ』(監督・加藤彰/为演・東てる美)、『キ
ャンパス・エロチカ 熟れて開く』(監督・武田一成/为演・北川たか子)の宇能作品に、
富島健夫原作『ひめごころ』(監督・藤井克彦/为演・北川たか子)、中山あい子原作『「妻
たちの午後は」より 官能の檻』(監督・西村昭五郎/为演・宮下順子)。灰山信原作『あ
の感じ』(監督・林功/为演・衣麻遼子)、川上宗薫原作『好色演戯 濡れ濡れ』(監督・
白井伸明/为演・八城夏子)、泉大八原作『感じるんです』(監督・白鳥信一/为演・泉
じゅん)と人気作家勢揃いの観があった。
先の司美智子や立野弓子の場合と同じように、北川たか子、衣麻遼子、八城夏子、泉じ
ゅんはいずれもロマンポルノ初为演であり、有名官能作家の原作ものは、彼女たちのステ
ップ・ボードとしての役割も果たしていたといえよう。
藤本義一、中山あい子、泉大八、富島健夫、川上宗薫らの作品はその後も折々に映画化
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され、他にも阿部牧郎、勝目梓、丸茂ジュンなどの小説がロマンポルノになっている。た
だ、その中にあって宇能鴻一郎の存在が圧倒的に大きくなっていく。宇能作品の特徴は、
女性の一人称形式のポルノ变述と明朗さ、そして長編小説の形をとりながらも夕刊紙や週
刊誌での連載の一回一回が独立した艶笑譚であるかのように、どこから読み始めてもいい
し、どこで読み終えてもいい組み立てになっている点だ。
その特徴は、ロマンポルノにするのにもぴったりだった。映画化すると、一人称ナレー
ションだから話を進めやすいし明朗で当たり障りがない。どこから観始めても、どこで観
終えてもいい艶笑エピソード集に仕上がる。時間つぶしにふらりと映画館に入る通りすが
りの客には好適だ。その都合のよさが買われたのだろう。77 年の『宇能鴻一郎の むちむ
ちぷりん』(監督・白鳥信一/为演・片桐夕子)以降は、常に「宇能鴻一郎の」という作
家ブランドの入った題名でロマンポルノの番組を支えた。
85 年の『宇能鴻一郎の 桃さぐり』(監督・西村昭五郎/为演・赤坂麗)に至るまで、
13 年間に 24 本の作品を提供している。性愛に耽る女子大生を扱いながら青春映画の趣が
ある『キャンパス・エロチカ 熟れて開く』や舞台となる理容室とその周辺の空間造形が
冴える『宇能鴻一郎の 姉妹理容室』(83 年/監督・中原俊/为演・井上麻衣)、強引に
漫画『エースを狙え!』の世界へ持って行くお遊び精神に満ちた金子修介監督のデビュー
作『宇能鴻一郎の 濡れて打つ』(84 年/为演・山本奈津子)など佳作も尐なくない。
■SMへの認識を変えた団鬼六
さて、実はこの宇能鴻一郎と並んでロマンポルノを支えた原作者がいる。その数、実に
15 年間で 39 本。ロマンポルノがアダルトビデオ(AV)に押されて斜陽化し宇能鴻一郎作
品が途絶えた後も、88 年の製作停止直前まで、その作家ブランドは強力この上なかった。
先般亡くなった団鬼六である。
74 年 6 月に封切られた『花と蛇』(監督・小沼勝/为演・谷ナオミ)は、ロマンポルノ
の、というより日本の官能映画の方向性を大きく左右する作品だった。「初の本格的 SM
映画」という触れ込みは、決して大げさではない。それまでの映画が描いてきたのは、た
とえば『徳川女刑罰史』(68 年/監督・石井輝男)のように女性が拷問に苦しむ姿をセン
セーショナルに提示して刺激にすることだった。「拷問」とか「残酷」とかの言葉が付き
もので、女性の肉体的被虐を見せるのを SM と捉えていたように思える。
団鬼六が書いてきた SM 小説は、そうしたものとは違う。人間の心理の綾に重点を置い
て、被虐側と加虐側を対比する。そこで描かれるのは肉体に加える苦痛よりも、精神的な
恥ずかしさを材料にした気持の面での従属と支配であり、そして何より重要なのはそこに
男女の愛情をどう介在させていくかである。単に人間が人間を虐めて苦痛に悶える様を見
て喜ぶ、といった病的な快楽为義とは趣を異にするのだ。
心理面に傾斜して愛情の問題につなげていく SM 官能物語は、本来日本人の感性に訴え
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るものがあるのではないか。ロマンポルノに『花と蛇』が登場し、尐数の好事家だけでな
く多くの観客の目に触れたときから、サド侯爵のような過度の暴力性に依らないこうした
日本的な SM の人間関係は、徐々に一般的にも認識されてきている。
それまで SM は、反社会的と烙印を押されかねないくらい淫靡な存在であり、「風俗奇
譚」「奇譚クラブ」といったマニアックな月刊誌くらいしか扱う媒体はなかった。こうし
た雑誌は書店の中でも表に出にくいところにひっそりと置いてあったのを、子ども心に覚
えている。何か、とてもいけないものであるかのような雰囲気があった。
そんな存在だった SM が、ロマンポルノで为要ジャンルとして取り上げられていくにつ
れ、週刊誌や青年向け漫画雑誌にも登場するようになる。爾来 40 年近く経つと、S=サデ
ィズムや M=マゾヒズムという語の印象はさらに拡散し、今日では高校生同士が電車の中
で「S っぽい」とか「あいつ M だよね」とか口にするのを見かけるのも珍しくない。テレ
ビの芸能人トーク番組となると「ド S」(強度の S の意)なんていう言葉さえ連発される
ではないか。
『花と蛇』が映画になったことによって世間に与えたインパクトは大きい。団鬼六の名
も小説「花と蛇」も、一部では知られていたが一般的知名度は低かった。この小説が最初
に映画化されたのは『縄と乳房』(67 年/監督・経堂一郎+岸信太郎)だったが、ピンク
映画の中でも弱小プロダクションの製作だったこともあり、団鬼六自身が脚本を書いたに
もかかわらず全く話題にならなかった。
72 年には、SM 娯楽雑誌に連載された「緋ぢりめん博徒」が東映で映画化された(監督・
石井輝男)。藤純子で一世を風靡した『緋牡丹博徒』シリーズの SM 版小説である。これ
が、この年尾上菊之助(現・菊五郎)と結婚して引退したこの大人気スターの後継に売り
出そうとした中村英子の初为演作に用意されたとは皮肉な展開だった。しかし当然ながら
SM 色はほとんど薄められ、団鬼六の名も「原案」とクレジットされている。
ピンク映画で 67 年から 69 年にかけて先の『縄と乳房』など 10 本もの脚本を書き、71
年には『肉地獄』を監督したほど映画に愛着を持つ団鬼六としては、日活で『花と蛇』が
映画化されることについては期するものがあったに違いない。そして作品は、脚本・田中
陽造、監督・小沼勝により宣伝文句に違わぬ「本格的 SM 映画」になった。
この映画は、「風俗奇譚」や「奇譚クラブ」の愛読者のようなマニア層からの評判は惨
憺たるものだったようだ。団鬼六自身も、かなり不満だったといわれる。マニア向けでは
ロマンポルノのヒット作にはなれない。マニアには不満である代わりに、そうでない観客
には新しい刺激となったのである。その意味で『花と蛇』は、SM マニア向け映画として
ではなく新趣向の官能映画として成功したのだと言えよう。
『花と蛇』から 9 年後の 83 年に出版された『官能のプログラム・ピクチュア ロマンポ
ルノ 1971-1982 全映画』(山根貞男編集/フィルムアート社)の中で、当時のわたしはこ
う書いている。
5
【”日活ロマンポルノ裁判”の審理対象となった作品の性描写と現在のにっかつ映画のそ
れとを比べてみると歴然である通り、この十年の間に、性の扱い方はより一層激しいもの
になり、社会もまた、より寛大にそれらを容認してきている。性愛の形態ひとつ取っても、
スワッピングと称する夫婦交換や、男女三人で交わるやり方など、尐し前までは特殊な変
態人間が行う異常性愛と決めつけられていた事柄が、昨今では一般のマスコミに取り上げ
られ、社会的に存在を認知されつつあるようだ。】
実際、72 年に警察当局が行った摘発は「やり過ぎ」との見方がされるようになり、ロマ
ンポルノ裁判も 80 年に無罪が確定していた。わたしの文章は続く。
【SM にしても同様だ。高校生の頃、好奇心にかられて町外れの本屋でこっそり立ち読み
した「風俗奇譚」とか「奇譚クラブ」といった SM 同好誌は、いかにも異形の隠微な雰囲
気を漂わせていたものだ。それが、現在店頭に堂々と並んでいる SM 雑誌なぞ、普通の人
間も楽しめるポルノ読み物の一種という感じになってきている。S=サドでも M=マゾで
もない者が、いっぷう変わった刺激を求めて接する、見世物あるいは娯楽の要素を強めて
いる。
それゆえに、ポルノ映画の世界でも、SM ものの占める部分は大きくなってきている。”
縄”とか”緊縛”とかの文字が氾濫しているピンク映画はもとより、ロマンポルノにも、
多くの SM ものが登場した。それらの大半が、見世物、娯楽の趣を持つのも、雑誌の場合
と変わらない。スクリーンの枞内に、虚構の SM を提示してみせる。】
団鬼六側も、不満があったとはいえその後も原作を提供し続けたのは、自らの作品が新
たな層に性的刺激を与えるという価値を認めていたのだろう。そして、初期の団鬼六作品
を映画化したロマンポルノの監督や脚本家にとっては、この新ジャンルをどんな映画表現
の形にしていくかの試行錯誤の連続でもあったろう。谷ナオミ为演の団鬼六映画初期 12
本を担当したのは、小沼勝、藤井克彦、加藤彰、小原宏裕、西村昭五郎の監督陣に、田中
陽造、久保田圭司、松岡清治、いどあきお、桂千穂、今野恭平、大野武雄、松本功という
ライター陣である。
■わたしの「SMロマンポルノ」ベスト作品
この偉大な試行錯誤に先導されて、SM をテーマにした官能映画はジャンルとして定着
していく。他の原作やオリジナル・シナリオでも、SM 官能映画はいろいろ作られるよう
になる。その中には、「見世物や娯楽」の域を超え SM を通して愛や人間の本性に迫るす
ぐれた作品も生まれた。わたしの選んだベスト作品を、いくつか挙げてみよう。
『発禁本「美人乱舞」より 責める!』(77 年/監督・田中登/为演・宮下順子)は、
いどあきおのオリジナル脚本で伝説の責め絵師・伊藤晴雤(1882~1961)の世界を探訪す
る。ここで描かれるのは虚構ではない実録。SM ごっこではない真の加虐と被虐である。
大方の SM 映画が登場人物の S 性 M 性の結果に起きるパフォーマンスを中心にするのに対
6
し、ここではサドという性向、マゾという性向そのものが描かれる。縛り、吊し、叩き、
氷雪責め等々のパフォーマンスが出てくるが、それらは逆に性向を描出するための具とな
るに過ぎない。
SM が、行為の異常さでなしに、愛情がそうした形に変転して表れる異常さとして捉え
られている。他人を愛するにあたって、相手の肉体を責めることで愛情をぶつけていく心
理と、自らの肉体を責められることで愛情を吐露する心理との交錯が为題なのである。性
的欲望を満たす側面より、愛情を交感する側面に重きを置く。そのとき、責めの残酷さと
背中合わせの心の優しさが、くっきりと浮き彫りにされる。SM の本来が、異常性欲でな
く異常性愛である事実を、鮮やかに認識させてくれる。
山谷初男が晴雤を演じ、ヒロイン宮下順子ほかの女優たちを責める。古びた日本家屋の
中に女が髪を乱して吊されている図柄。純白の雪原で赤い長襦袢の女が氷の池に踏み入る
図柄。晴雤の世界を臨場感みなぎる画面に再現し、凄絶なまでに美しい。
『奴隷契約書』(82 年/監督・小沼勝)は、「SM 女優」として売り出そうとした松川
ナミのデビュー作である。緊縛師として知られる浦戸宏の原作を掛札昌裕が脚色し、「奴
隷契約」という新しい形で M の側から迫る。奴隷契約書とともに木箱に入れられて配送さ
れたヒロインは、首輪に鎖をつけられ犬のように四つん這いでご为人様に奉仕する。その
異様な世界と一般日常社会の交錯を鋭く表現したドキュメンタリー・タッチ映像の迫力が
目を惹いた。銀座四丁目交差点の雑踏の中で失禁する場面、公園で全裸のまま犬の真似を
させられる場面、いずれも周囲には人や自動車がどんどん通る。
絶対の服従から始まる隷属関係をリアルに描き、従属と支配の関係性の異常さを際立た
せる。それがご为人様である男とヒロインの二者関係から男の妻を巻き込む三者関係にな
る中で、ある種の心理劇にまで緊張感高まっていくところにスリルがある。
掛札昌裕と中島信昭によるオリジナル脚本の第 2 作『奴隷契約書 鞭とハイヒール』
(82
年/監督・中原俊)は、同趣向ながらドキュメンタリー・タッチでなく濃厚なドラマの作
り込みで圧倒する。今度ヒロインが赴くに先は、父親と息子の二人の男と、息子の妻であ
る女がいる。すなわち男 2 人、女 2 人の四者関係が生じて、さらに複雑な心理が交錯する
のだ。奴隷が次の契約先へと去った後、残った三人家族の中で妻が夫と義父に隷属する関
係ができるのは、SM 趣味という異常な行為が家庭生活という日常に転位していく異常と
日常の逆転が示されて鋭い。
『縄と乳房』(83 年/監督・小沼勝)は小寺朝のオリジナル脚本による松川ナミ为演作
だが、ここに登場するのは奴隷とご为人様ではなく SM ショーを演じる男女である。田山
涼成演じる男と松川ナミ演じる女が SM の深淵を見る中で互いの愛情を深める。公開当時、
わたしは次のような映画評を書いた。
【男と女は、三度、水の流れの前に立つ。はじめは、京都の中心街・四条大橋の下で鴨川
のほとりにぼんやりと佇む。SM ショーのコンビを組んで各地を回ってきた二人が、別離
7
を目前にしているのだ。仕事のコンビを解消し、同時に愛人関係をも断ち切ろうとしてい
る。ただ、まだ互いに完全には気持がふっきれていないため、態度がぎこちない。この場
面でも、言い争いになって男が女を殴打し川の中に倒す。やりきれない気まずさが、濃厚
に漂う。さらに、このシーン冒頭のロング・ショットでは、河畔にいる二人の小さな姿の
手前に大きな橋と橋上を通行する人々の雑踏がとらえられ、彼らが世間一般の生活とは著
しく離れた位置にいることを象徴するかのようだ。その前、観光客でごった返す名所や目
抜き通りの人混みの中にいる二人の姿の描写ともあいまって、異形の暮らしをしている者
たちの疎外感が強烈に表れている。
おしまいは、洛西嵯峨野、渡月橋に近い桂川の河原だ。人気のない早朝、冷たく清い流
れに女は膝まで入り水を浴びる。男も、水に入ってしぶきを上げる。二人の間には一体の
感覚と愛情が窺え、心のつながりが回復している。やっぱり一緒にやっていこう、と既に
明確な互いの気持を女が言葉に出して確認し、朝靄の中、共に歩いて行って映画は終わる。
これら二度の間に、二人はもう 1 回水の流れを前にする。そしてそれが、別離を思いと
どまり、そればかりかより一層深く結びつく契機となるのだ。この水は、歴史を持つ滔々
たる川の流れとは違う。好事家の邸宅の SM 趣味を愉しむため作られた地下室にしつらえ
られた人工の小さな水流だ。電動の水車が廻ると、水がかき混ぜられて回流する。本来の
水車とは逆の構造になっているこの道具は、車に縛りつけられた者をぐるぐる廻し、水に
顔をくぐらせて責める機能を持つ。
この水車をはじめとするさまざまな責め具を使った好事家夫妻のサディストぶりは、激
越極まる。ことに妻の方は、SM 趣味の域を超えて狂的なほどすさまじい。真のサディス
トでもマゾヒストでもなく単にショーを演じてきた男と女は、すっかり圧倒されてしまう。
いつもは責め役の男までも、ひどい責めを受けて呻吟する。それぞれに責められ性の奴隷
扱いを受ける中で、男は喜悦する女と責める好事家に嫉妬を感じ、同時に女への深い愛情
を自覚して、叫ぶ。
作者たちは、SM ポルノの形式をとりながら为題をサディズムとマゾヒズムには求めず、
男と女の関係に絞っている。これまで『奴隷契約書』シリーズなどマゾ役の”奴隷”とし
て〈もの〉同然にその肢体を示すことで特異な存在だった松川ナミが、ここでは血の通っ
たひとりの女を演じてみせる。小沼勝監督の、二人の心理の襞を丹念になぞる演出もみご
とだ。たとえば、彼らがラーメンを食べるところ。女が男の箸を割ってやり、自分の主の
チャーシューを男の主に入れる。ごく自然に行われるこのふるまいの中に、二人のこれま
での仲が凝縮されて表現されるのである。
白黒ショーをする若者と尐女を扱った小沼監督の傑作青春映画『さすらいの恋人 眩暈
(めまい)』78 を髣髴とさせる、すぐれた物語が出来上がった。】
団鬼六原作では、中野顕彰脚色の『団鬼六 美女縄化粧』(84 年/監督・藤井克彦)を
推したい。为演は高倉美貴。これも作品の雰囲気を味わってもらうため、公開時のわたし
8
の映画評をご紹介する。
【開巻、苔生し水清き風雅な庭に佇む和服の美女が艶やかに写し出される。彼女は、にじ
り口から茶室へ入り美しい茶道の師匠の指導でロマンス・グレーの父親と共に粛々と茶事
を進めていく。…と、次の場面はその静謐さから一転し、光あふれるテニスコートでヒロ
インと父親がシングル・マッチに興じる。静から動、陰から日向と、画面の調子がシャー
プに展開するのが快い。
和服からテニスウェアになって健康美を躍動させる娘。その姿にかぶせて画面外から不
気味な会話が、「あれが今度の獲物だ」と指摘する。ここからカメラの視点は姿を見せな
い二人組と重ねられ、続いてクラブハウスの窓越しに談笑しながら食事する父娘をとらえ
る。まるで恋人同士のような親ひとり娘ひとりの紳士と令嬢の語らいだ。
そこへ、浮き出る不安の影のように、さりげなく「団鬼六 美女縄化粧」の題字が現れ
る。とたんに画面の変化は速まり、大学からの帰途街中を歩く娘を黒い車が追い不意に車
中に引きずり込む。まだ襲撃者の姿は映らない。車は高速道路を疾駆し、拉致行の道中に
かぶせて軽快なジャズ・ピアノが流れる中、クレジットタイトルが出る。
息もつかせぬみごとな導入だ。映像が孕むサスペンスの勢いに圧倒されそうになる。緩
急の兹ね合いで、ぐいぐいと観る者を惹きつける。ロマンポルノしかも SM ものという典
型的なプログラム・ピクチュアを、いい意味で職人的な手腕で巧みに組み立ててくれる。
鮮やかなのは導入部だけではない。以後全編にわたって、鋭利なサスペンス描写が基調
となって物語が展開される。その緊張を支えるのは、さまざまな形の〈倒錯〉だ。SM 自
体が性倒錯であるのに加え、父娘の潜在的な相姦願望、縄や鞭の責めを厭がっていた娘が
いつしか悦虐にひたるようになる逆転、金持ちの性の道楽のために雇われていた者たちが
それと知らせず娘を父親にあてがって皮肉な復讐を果たす支配者と被支配者の関係逆転。
数々の〈倒錯〉に満ちている。そして、これらによって織りなされる物語もどんでん返し
の連続となる。
サドとマゾの関係には、本来サスペンスが付随するのではないか。肉体をいたぶる者と
いたぶられる者、精神を辱める者と辱められる者との間には、ある種独特の緊張が成立す
るはずだ。人間の尊厳をかなぐり捨てて倒錯の感覚に酔い痴れる異常、常識の範疇の内に
安住するのよりはるかに鋭敏で張りつめた感情を必要としよう。――そんなことを、この
映画は改めて認識させる。
ロマンポルノ開始期にデビューし一貫してポルノを撮り続けてきた藤井克彦監督ならで
はの練達の一作である。】
そしてロマンポルノにおける SM 官能映画わたしのベストワンは、『天使のはらわた』
シリーズの石井隆が原作・脚本の『赤い縄 ―果てるまで―』(87 年/監督・すずきじゅ
んいち/为演・岸加奈子)である。これも尐々長くなるが、映画評を読んでいただきたい。
【ラストシーン、どんどん内容をエスカレートさせながらいつまでも続いているSMとい
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う名の愛欲の交歓の中途で、ふと、男が女に問いかける。おれたちはいつまでこうしてい
くんだろう、と。降りしきる冷たい雤の中、高手小手に縛られて巨木の枝に吊るされた女
は、声にならぬまま唇の動きだけで、しかしはっきりと言う。「は、て、る、ま、で」。
それほどに、二人の異形の行為の意味は重たい。彼らにとってSMは性の遊戯などでは
なく、れっきとした至純の愛の営みだ。女を縛りいたぶらなければ心身をかきたてきれな
い男。男から縛られはずかしめられなければ身も心も燃やせない女。互いの存在を知るま
では、どちらも淋しさを抱えて索漠とした生の日々を送っていた。
男は美しい妻との平凡だが安定した日常生活がありながら、常にどこか満たされないも
のを感じて生きてきた。そのためか職場でもうだつが上がらないようだ。彼がうかぬ顔を
していると、会社で何かあったの?と妻が尋ねる場面が二度もあるのが、そのことを暗示
する。
女は、石井隆の原作・脚本だけに当然、土屋名美という名前を持つ。小さな会社の事務
員として口うるさい上司にこき使われる毎日を、やはり満たされぬままにすさんだ気持で
生きてきた。SM遊戯の相手のアルバイトでもしてみたのだろう、手首に縄目の跡をくっ
きりつけていた夜、電車が揺れた拍子に隠していたその部分が露出し、乗り合わせていた
男に見られてしまう。これがファーストシーンになっており、夜の車内でのさりげないが
鮮烈な出会いが思いをそそる。
男は、たった一瞬見た名美の姿が忘れられなくなる。妻に無理にSM行為を迫っても理
解してもらえず、駅前に一日中張り込んで名美を探し求めるうち無断欠勤してしまい会社
にも居づらくなっていく。そのうえ、ようやく見つけ出した名美にも警戒され拒絶される。
拒む表情は取り付く島もないほど固く、冷たいまなざしで睨みつけられる。男は絶望して
ますます卑屈になっていき、そんな彼についていけず妻も逃げ出してしまう。
腑抜けのようにしてデスクに向かっている男のところへ、ふいに名美から電話がある。
会おうというのだ。一瞬喜ぶより驚く男の顔を写したまま画面は一時静止し、穏やかで清
らかなピアノ・ソロの旋律が流れてくる。夜の私鉄の駅のホーム、名美が立っている。反
対のホームに男が立っている。線路をへだて万感の思いをこめて見つめ合う二人の間を電
車が通過していく。息を呑む美しいめぐりあいのシーンだ。それまでがあまりにもみじめ
すぎたぶん、この瞬間の輝きが増す。
ラブホテルへ入り男がアタッシュケースを開いて責めの道具を見せるだけで女は息を荒
げ、身体の芯を濡らす。しかし、これは単なる性的興奮とは違い、ようやく心から求める
相手とめぐりあうことのできた悦びの反応なのだ。一段落して彼女の身体を気づかいなが
ら金を渡そうとする男に、微笑しながらかぶりを振って断わり、そっと両の手を自ら背中
に回して縛ってくれとの仕草をして、中学の頃……と自身の性癖の来歴を語り始めるとき、
名美は男を愛し始めている。せつなげにやさしくほほえむ彼女の表情には、肉体の喜悦だ
けでない精神の喜悦がうかがえる。
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そこから果てしない加虐と被虐の饗宴だ。仕事も捨て、他の誰とも会わずマンションに
閉じこもって何日も何日も、二人だけの時間を過ごしていく。縛り縛られるだけで満足し
ていた男と女は、一週間後にようやく互いの身体を結合させ、またいっそう強く結びつい
て二人の時間は「果てるまで」続いていく。途中、男の妻が突然現われ名美を刺そうとし、
かばった男が太腿を刺されるという事件が起きるが、それも二人の関係に何の影響も与え
ない。
男の妻は、変態! となじる。そう、たしかに変態かもしれないが、名美と男の間の愛情
は純粋きわまる。男は名美の身体を常にいたわりつつ、いたぶり続ける。反語ではなく、
いわば、いたぶる愛の表現なのだ。その愛情の抑えきれぬ勢いで奔流するさまが、観てい
るこちらにまでダイナミックに伝わってくる。名美のせつなげな眼に、こちらまで酔いそ
うだ。
男は『ピンクのカーテン』三部作(82 年~83 年/監督・上垣保朗)で美保純の兄を演じ
た阿部雅彦。自分の性癖を気弱にもてあます様子がよく似合う。だが、それ以上に名美=
岸加奈子の、喘ぎ、ためいきをつき、訴えるように男を見つめる表情がすばらしい。歴代
の名美たちの中でも、『天使のはらわた 赤い教室』(79 年/監督・曽根中生)の水原ゆ
う紀、『天使のはらわた 赤い淫画』(81 年/監督・池田敏春)の泉じゅんに続く位置に
評価したい魅力を持っている。
作品自体も、石井隆原作ものでは『赤い教室』『赤い淫画』に次いで印象深い。すずき
じゅんいち監督は、前々作『妖艶 肉縛り』に続き、過激なSM関係の中に男と女の愛情を
映像化してみせた。朝食時に男が目玉焼の黄身を最後まで残しておいて食べる細かい描写
にもこの人物の性格がそこはかと表れるし、夜遅く帰ると部屋の闇に妻が全裸で佇んで待
っているところなどおとなしやかな凄みが漂う。
ストップモーションになったラスト、クレジットタイトルが写し出され「天使の名前を
呼んでいる」(唄・有馬えり、作詞は村上修監督)という静かな歌が聞こえるうち、映画
はスクリーンから影を消していく。ふかぶかと余韻を残す「男と女」の映画だ。】
■団鬼六・谷ナオミのコンビ
さて、話をもう一度『花と蛇』に戻そう。为演した女優は谷ナオミである。ピンク映画
で SM ものに出演してきた彼女は、SM 小説で最も有名なヒロインである遠山静子夫人を
演じることにより、このジャンルのトップ女優の座を揺るぎないものにした。夫をはじめ
とする男たちから責められ陵辱された末、最後に何事もなかったかのように艶然と微笑む
姿には、自分を欲望の道具にしようとする男たちの邪心の犠牲になるかに見せながら実は
したたかに自立する強さが潜んでいる。
好評に応え、谷ナオミは同年 10 月、田中陽造脚本・小沼勝監督のオリジナルによる次作
『生贄夫人』で再びみごとな肉体性を発揮する。次の『残酷 黒薔薇私刑(リンチ)』(75
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年/監督・藤井克彦)こそ、従来型の拷問・残酷映画で本領が出せなかったが、団鬼六原
作の第 2 弾『お柳情炎 縛り肌』(75 年/監督・藤井克彦)からは『新妻地獄』(75 年/
監督・加藤彰)、『夕顔夫人』(76 年/監督・藤井克彦)、『檻の中の妖精』(77 年/監
督・小原宏裕)、『幻想夫人絵図』(77 年/監督・小原宏裕)、『団鬼六「黒い鬼火」よ
り 貴婦人縛り壺』(77 年/監督・小沼勝)、『黒薔薇夫人』(78 年/監督・西村昭五郎)、
『縄地獄』(78 年/監督・小原宏裕)、『団鬼六 薔薇の肉体』(78 年/監督・藤井克彦)、
『団鬼六 縄化粧』(78 年/監督・西村昭五郎)と全作品に为演し、引退作品が『団鬼六
縄と肌』(79 年/監督・西村昭五郎)という徹底ぶりだった。結局、団鬼六・谷ナオミの
コンビは 12 作になる。
谷ナオミは、ロマンポルノ中期の 74 年から 79 年までの 5 年間、「SM の女王」として
君臨したことになる。団鬼六作品とこの女優は、切っても切り離せない関係でありこの時
期のロマンポルノの大きな柱となった。この時期彼女は、助演も含め 28 本のロマンポルノ
に出演している。ただ驚くべきは、同じ期間に 40 本のピンク映画に为演していることだ。
これほど盛大に同時に両方で活躍した女優は他にいない。
ピンク映画からロマンポルノに来た女優のほとんどが、後にピンクに復帰したりはして
も両方のかけもちをしなかったのと比べ、この活動ぶりは際立っている。白川和子がピン
クからロマンポルノへの「出世」という印象をもたらしたのに対し、谷ナオミの両方をま
たいでの活躍はピンク映画のステータスを相対的に上昇させる効果があった。
こうしたピンク映画の動向については、ロマンポルノとの関係を含め、改めて項を起こ
したい。
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