Comments
Description
Transcript
大好き! お兄ちゃん 石川県 井口 香奈子 私の父と母は共働きなので
大好き! お兄ちゃん 石川県 井口 香奈子 私の父と母は共働きなので、いつも家にはいません。だから私はお兄ちゃんと家で留守 番です。夕飯を食べて自分の部屋でテレビを見ていると、 「香奈子―。僕の部屋においで」 と呼ぶので「なに?」と言ってお兄ちゃんの部屋へ行くと、嬉しそうに私の好きなスマッ プの写真をくれました。お兄ちゃんが買ってきた新しい雑誌なのに、そこだけ切りぬいて あるのです。「いいの?」と聞くと、「僕、別にいらないから、香奈子好きだろ?」と言い ます。そっと裏を見ると裏はお兄ちゃんの好きな歌手でした。そんなお兄ちゃんでした。 いつも私を大切にしてくれました。いつも私に優しくしてくれました。誰にでも温かい優 しいお兄ちゃんでした。私が次の日テストだというのに勉強していないと言うと「やらな いと駄目やぞ! 香奈子はやればできるのだから」と言って夜遅くまで勉強をみてくれま した。お兄ちゃんには新聞配達のアルバイトがあるのに、私がわかるまで教えてくれまし た。 結局、一夜漬けで英語は九十六点でクラスで一番でした。「良かったな。わからないとこ ろがあったらいつでも言うんだぞ。僕英語なら得意だから」と、私の顔を見ながらとても 喜んでくれました。お兄ちゃんとの最後の晩一緒にテレビゲームをしながら横になって寝 たので、顔に畳のあとがついて一緒に笑っていました。お兄ちゃんはテレビゲームがとて も上手でした。その次の日、そのお兄ちゃんが、病院のベッドの上で手を縛られ冷たくな っていました。いつも汗をかいてピンク色の頬をしていたお兄ちゃんが、青白くなってい ました。その横で今まで見たことのないくらいの小さな小さな母が体全身で泣き叫んでい ました。私はその恐ろしい光景を死ぬまで忘れないと思います。私も体中の水分が全部な くなるくらい泣きました。おかしくなるくらい泣きました。 あの日の朝、私はいつものように寝坊して台所へ行くと母が朝食の用意をしながら「お 兄ちゃん遅いね。まだ帰ってこないわ。おかしいね。事故にあったんじゃない?」と、心 配性の母が毎朝必ず言うセリフを言っていました。いつもはどんなに遅くなっても私が食 べている途中に絶対帰ってくるお兄ちゃんなのに、あの日の朝は玄関のドアが開きません でした。そしてあの警察からの電話が鳴りました。そこからが悪夢の始まりです。母は狂 ったように床に倒れ叫び出しました。私は母を抱きしめながら「お母さん! 落ち着いて」 と言いました。父は出張でいなかったので、私は親類に電話するため家に残りました。母 は警察の人に「一人では来ないでください」と言われたのに自分で運転をして飛び出して 行きました。私はお兄ちゃんが帰ってきたら後で食べるだろうと思い、置いてあった朝食 にラップをかけて、居間で母からの電話を待ちました。母に言われた通り、学校には行か ないで、親類に電話をして一時間ぐらい待ちました。事務の沙織ちゃんに呼ばれ、いとこ の貴広ちゃんの運転する車で病院へ向かいました。 私はその時、どうして母は直接私に言ってくれないんだろうと不思議に思いました。で も後になって考えると母の気持ちがわかりました。母は最後の最後まで私が辛い思いをす ることをさけたんだと思います。ドライアイスをのせられたお兄ちゃんの横で泣き続けま した。 私は泣き続ける母があまりに別人のようで見ているのが悲しく、何もしてあげられませ んでした。頭を撫でてあげることも、声を掛けてあげることもできませんでした。きっと こんな時、お兄ちゃんなら私ができなかったことでも簡単にしてあげられただろうと思い ました。 母は三日間何も食べずにいたため、頬もこけてしまい目に見えるようにやつれていきま した。家に来た全ての人が皆口を揃えて「お兄ちゃんの分までお母さんを守ってあげない といけないよ。もう大きいんだからそれくらいできるでしょう」と言いました。 そう言われる度に、私にはできるわけがないと思いました。お兄ちゃんがいたから、お 兄ちゃんと一緒なら母を守ってこれたのです。でも、私がずっと休んでいた学校へ行って 帰った時、お兄ちゃんの写真の前で泣きながら座りこんでいる母を見て「私が守ってあげ ないと母は駄目になる」そう思いました。これからは母を守ってあげれる強い人にならな ければと心に決めました。 新聞配達の給料日の日、お兄ちゃんは貰ったばかりの給料袋の中から中身を取り出して、 「お母さんには二千円貰ったと言うんだよ」と言って私に五千円札をくれました。 お兄ちゃんは辛いことがあると直ぐ泣く泣き虫の母に「僕がお母さん幸せにしてあげる よ。もう泣かなくていいよ。いつもみたいに笑っていてくれ」と言います。母はいつもそ んな優しい言葉でお兄ちゃんに元気づけられていました。それで母は頑張ってこれたのだ ろうと思います。 お兄ちゃんがいなくなって母は笑わなくなりました。ここ最近はすこしずつ笑ってくれ るようになりました。でも母はよくお兄ちゃんの部屋から目を真っ赤にして出てきます。 私に気付かれないように目をこすりながら下を向いています。 「お母さん泣いていいんだよ。 我慢しなくていいんだよ。私の前では泣いていいんだよ」そう心の中で母に言っています。 親類の人は止めたのに、従業員の皆のためだと言ってお兄ちゃんがいなくなって直ぐに母 は仕事をしました。事務所にいると来る人皆に色々な事を言われるのは判っていたくせに、 母は体の調子が悪い日でも仕事を続けました。まるで自分をいじめているようでした。 「今日はとってもいい人が来て慰めてくれたよ」と言う日もあれば「今日はあんなに酷 いことを平気で言う人は初めてや」と泣く日もありました。そんな母がかわいそうで見て いられませんでした。神様は絶対不公平だと思います。 お兄ちゃんを返して下さい。お兄ちゃんは悪いことなんてしたことがありません。お兄 ちゃんみたいに優しい人はいません。太陽のように光り輝いていました。これから大学生 活を楽しもうとしていたお兄ちゃんです。私の大事なお兄ちゃんです。どうして一瞬のう ちに奪ってしまうのですか? 三月の寒い日、私は母とデパートへ行って新しく入学する高校の制服を取りに行ってき ました。家へかえって早速その制服を着てみた私を見て、母はポロポロ涙を流しながら兄 の祭壇の前で「お兄ちゃん! 香奈ちゃん高校生になったんだよ。一緒におめでとう言お うね。頑張ったから錦ヶ丘受かったんだよ」と言っていました。私も涙が止まりませんで した。お兄ちゃんも見てくれた気がしました。 入学式の日、他のお母さんは皆嬉しそうに笑っているのに、私の母だけはまた泣いてい ました。母はお兄ちゃんがいなくなってから一度もお兄ちゃんの夢は見ていないと言いま すが、私は二回お兄ちゃんの夢を見ました。 一回目の夢は、私とお兄ちゃんといとこの千恵ちゃんと祐ちゃんと四人でバドミントン をしている夢でした。お兄ちゃんは汗を流しながら、頬もピンク色で何度も私の名前を呼 んでいました。二回目の夢はとても不思議な夢でした。皆がお兄ちゃんが死ぬのを知って いるのに、お兄ちゃんだけが知らないのです。母が泣きながらそれを見ている夢でした。 夢を見たことのない母は「夢でいいからお兄ちゃんに会いたい」と言います。でも私は 夢ではない本物のお兄ちゃんに会いたいです。そして大きな声でお兄ちゃんに何度も言い たいです。「お兄ちゃん、大好き!」って。