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竹鼻まちなかの賑わい再生計画

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竹鼻まちなかの賑わい再生計画
竹鼻まちなかの賑わい再生計画
平成28年3月
羽
島
市
目
序
次
計画の概要 ........................................................................................... 1
(1)はじめに
(2)計画の位置付け
(3)竹鼻まちなか地区
1
竹鼻まちなかの現況 ............................................................................. 4
(1)竹鼻まちなかの資源の洗い出し
(2)まちの状況
(3)竹鼻まちなか関係者の意見
2
竹鼻まちなかの賑わい再生の課題整理 ................................................. 36
(1)地域の課題
(2)地域の強み
3
竹鼻まちなかの賑わい再生の目標と取り組み方針 ................................ 38
(1)竹鼻まちなかの賑わい再生の目標
(2)竹鼻まちなかの賑わい再生の取り組み方針
4
竹鼻まちなかの賑わい再生計画に向けた取り組み ................................ 40
(1)地域資源の磨き上げ
【取り組み方針1】 観光の推進
【取り組み方針2】 地域産業に触れる機会の充実
【取り組み方針3】 地域教育・世代間交流の促進
【取り組み方針4】 健幸づくりの推進
(2)地域資源の繋ぎ合わせ
○地域資源を有機的に繋ぐ周遊・散策コースの設定
5
今後の展開 ........................................................................................... 63
(1)今後の展開
序
計画の概要
(1)はじめに
本市は、美濃竹鼻まつりや美濃竹鼻ふじまつりをはじめ濃尾大花火、なまずまつり等のイ
ベント時には多くの人で賑わいを見せる一方で、
「核」となる資源がなく、年間を通じての
賑わいが少ない状況にあります。
そのような中、近年、新幹線岐阜羽島駅のパークアンドライドによる利用や新幹線岐阜羽
島駅から観光バスに乗り継ぐ利用が増えるとともに、名神高速道路岐阜羽島インターチェン
ジ付近では多くの企業立地が進み、特に大型商業施設の開店に伴い、多くの人々が広域から
本市を訪れており、本市の活性化を図るうえで、こうした来訪者の市内への滞留を促すこと
が課題となっています。
羽島市まち・ひと・しごと創生総合戦略(以下「羽島市総合戦略」という)の策定時にお
いて実施した「市外在住の方による羽島市に関する意識調査」によると、本市を訪れた主な
目的として、
「目的地へ行くときに通過する」との意見や、また、
「本市に対するイメージは
特にない」との意見が最も多く、本市の認知度を向上させるために、本市の魅力を効果的・
積極的に情報発信していくことが求められています。
また、その意識調査によると、観光地を選ぶ際に重視するポイントとして、
「グルメを堪
能したい」との意見のほか、
「自然や風景を見たい」、「寺院や史跡等の歴史文化財や建造物
があること」との意見が多くなっています。
かつて本市の中心地として栄えた竹鼻まちなかには、全国的にも珍しい歴史民俗資料館・
映画資料館をはじめ、神社仏閣や老舗酒蔵、風情あるまちなみ等、数多くの地域資源が存在
するものの、それら単体での集客力は弱く、また、商業の大型店舗化・専門店舗化や車社会
の進展、高齢化や後継者不足等により、空き店舗及び空き地の増加や住宅化が進み、以前の
ような活気や賑わいが見られなくなっています。
こうした状況のもと、急増している本市への来訪者を市内へ滞留させるためには、観光客
のニーズが高い数多くの歴史・文化資源が存在し、また、名神高速道路岐阜羽島インターチ
ェンジ及び東海道新幹線岐阜羽島駅からも近く、最寄りに鉄道駅(名鉄羽島市役所前駅・竹
鼻駅)があり交通利便性が良いこの竹鼻まちなかで、地域の魅力の向上を図ることにより、
本市への来訪者を呼び込み、賑わいを創出することが重要です。
このため、本市では、平成 27 年 10 月に策定した羽島市総合戦略の基本目標3「にぎわ
いをつくる」の中で、
「まちなかのにぎわい再生」事業を位置付けており、竹鼻まちなかの
現況や課題を整理したうえで、賑わい再生に向けた取り組みを示す本計画を策定します。
1
(2)計画の位置付け
本計画は、
羽島市第六次総合計画を骨格としながら幅広い意見を踏まえて策定した羽島市
総合戦略を上位計画とし、本市の魅力を高め、観光・交流を通じて、人を呼び込み、賑わい
のあるまちづくりを進めていくことを目的として、羽島市総合戦略における基本目標3「に
ぎわいをつくる」に位置付けた「まちなかのにぎわい再生」事業を実現していくための計画
として策定します。
図1 計画の位置付け
羽島市第六次
総合計画
羽島市まち・ひと・しごと創生総合戦略
基本目標3「にぎわいをつくる」
「まちなかのにぎわい再生」
竹鼻まちなかにおける観光拠点施設
の整備を進めるとともに、地域資源を
周遊・散策できるコースを設定する等、
竹鼻まちなかの賑わい再生に向けた取
り組みを進めます。
竹鼻まちなかの
賑わい再生の実現化
竹鼻まちなかの賑わい再生計画
2
(3)竹鼻まちなか地区
本計画における「竹鼻まちなか」とは、はしま観光交流センター(愛称:ぐるっと羽島)
を拠点とし、観光客のニーズが高い歴史・文化資源等が数多く存在する概ね半径約 400m圏
内のエリアを範囲とします。
図2 竹鼻まちなか地区
竹鼻まちなか地区
山車蔵
3
1
竹鼻まちなかの現況
(1)竹鼻まちなかの資源の洗い出し
竹鼻まちなかには、全国的にも珍しい歴史民俗資料館・映画資料館をはじめ、神社仏閣や
老舗酒蔵、風情あるまちなみ等、観光客のニーズが高い歴史・文化資源が徒歩で周遊・散策
可能な圏内に多く存在しています。
①歴史資源(寺院や史跡等の文化財や建造物)
※指:県又は市で指定された文化財・史跡・天然記念物、イ:開催されるイベントを示してい
ます。
※資源名の末尾に記載されている番号は図3竹鼻まちなか資源マップと対応しています。
※説明内容については諸説あります。
区分
資源
神社関
八劔神社1
連
内容
指木造狛犬(県文化財)
八劔神社社殿(市文化財)
イ美濃竹鼻まつり会場
○美濃竹鼻の氏神で祭神は日
本武尊で、社殿正面の欄間を
かざる「波に兎」の彫刻は左
甚五郎の作との伝承。
<詳細>
八劔神社は、人皇第十二代景行天皇の皇子日本武尊がご祭神
で、伊吹の山賊ご征討の折り、熱田からのお道筋になった氏子の
祖先が、後世尊の御勇姿を景仰して村内字須賀の地に奉斎したの
を、天正9年(1581 年)竹ヶ鼻城主不破源六広綱が、居城の
守護神として現地に遷祀されたものであり、以来、ふるさとの氏
神さまとして長年にわたり敬神崇拝されている。
[引用:羽島市史・図説
竹鼻の歴史・案内看板解説]
秋葉神社
○火の神を祀っている。
2(各所)
○竹鼻まちなか地区の各所に
点在。
[引用:羽島市史・図説
4
竹鼻の歴史]
区分
寺関連
資源
竹鼻別院
内容
指竹鼻別院のフジ(県天然記
(東本願寺別院)
念物)
3
竹ヶ鼻大谷別院薩摩工事義
歿者墓(県史跡)
イ美濃竹鼻ふじまつり会場
○昔は、御坊専福寺であった。
門前にはお城地蔵が建つ。
<詳細>
嘉禎元年(1235 年)親鸞聖人が関東からの帰途、三河の柳
堂で教化された時、葉栗郡門間の庄、河野四郎通勝等九人の者が
教えを受け、木瀬に草庵を結び聖人を迎えた。後世これを「河野
九門徒」と言い、濃尾真宗門徒のはじまりであり、この草庵が竹
鼻別院の前身である。
文明二年(1470 年)蓮如上人ご巡化の折、洪水で流れた草
庵を再興し「河野御坊」と名付けられた。その後河野御坊は専福
寺と改称されたが人災・天災等で何度も移転した。
戦国時代、本願寺と織田信長との一向一揆(石山合戦)に、
当時の住職忍語が出陣し戦死した。慶長9年(1604 年)教如
上人はその功に報い、寺を「御坊」とし新加納村から竹ヶ鼻村に
移し、五十四ヶ寺を配下にした。
竹鼻の下町にあった「御坊専福寺」は、再度の類焼に遭い現
在の地に移転したのは、宝暦10年(1760 年)である。明和
8年(1771 年)から50年の歳月を要し完成した本堂は、明
治24年(1891 年)の濃尾大震災で倒壊した。しかし、「法
燈を守らねば」と、篤信の門信徒達によって直ちに、南北八間・
東西十八間の仮本堂が建立された。
現在の本堂は大正4年(1915 年)から大正11年(1922
年)にかけて再建された。なお、「竹鼻別院」と改定されたのは
明治19年(1886 年)である。
[引用:羽島市史・図説
5
竹鼻の歴史・案内看板解説]
区分
資源
本覚寺4
内容
イぼたんまつり、幸種市(マル
シェ等開催)会場。
指絵天井(江戸末期の大和絵
師浮田一恵斉の傑作、県文
化財)
永田佐吉墓(県史跡)
○山門は左甚五郎の弟子慶助
の建立。
<詳細>
福井県の永平寺と横浜市の総持寺を二大本山とする曹洞宗
(禅宗)の寺で、永正(1504 年~1520 年)の頃、時の領主・
不破源六広綱が始祖・本覚寺殿大雲義沢大居士のために一宇を創
建したのを始まりとするのが、竹ヶ鼻城主の菩提寺といわれる由
縁である。その後、当山は小牧長久手の戦い、関ヶ原の戦いの戦
乱、安永3年(1773 年)の大火、明治24年(1891 年)の
濃尾大震災等に見舞われ、そのたびごとに倒壊・焼失、復興・再
建を繰り返し、現在の伽藍は大正4年(1915 年)に建立され、
第二次世界大戦の戦火をまぬがれ今日を迎えている。
本尊は宝冠釈迦牟尼如来、本堂内には十六羅漢像のほかに少な
くとも江戸期に制作された百二十五体の震災の傷跡が痛ましい羅
漢像が祀られ、天井には幕末の勤皇家で京都の大和絵師であった
浮田一恵斉による雲龍の絵天井が描かれている。この板絵は濃尾
大震災により破損したが、本堂再建の際に森村宜稲画伯によって
復元された。
また、同画伯による八面の松の襖絵もあり、期間限定で展示さ
れている。本堂の左手奥には不破家伝来の霊験あらたかな茶枳尼
天をご神体とする竹鼻稲荷大明神が祀られ、多くの人びとの信仰
を集め、節分や初午には盛大に祈祷法会が営まれている。また、
庫裡の裏手にある境内墓地には美濃聖人・永田佐吉(1701 年~
1789 年)の墓所がある。
なお、境内の万霊塔上には満面に笑みを湛えられた地蔵を始
め、如意輪観世音や十一面観世音が祀られ、敷地の周囲や稲荷堂
の周辺には百数十株の色鮮やかな牡丹が植えられ、4月の中旬か
ら下旬にかけて、参詣者の目を楽しませている。
[引用:羽島市史・図説
6
竹鼻の歴史・案内看板解説]
区分
資源
般若寺5
内容
○明治初年(1867 年)ごろ、
谷汲山の信者が多かったこ
とから、元蓮田に創建した。
大般若経 600 巻(谷汲山華
厳寺より贈与)がある。
<詳細>
明治初年(1867 年)ころ、谷汲山帰依の信者が多く、また、
華厳寺の住職が足近町出身であったことから、相当数の人々が華
厳寺へ参詣していた。そこで、横井辰次郎、一柳茂吉、説田菊次
郎等が中心となり、当地に御分身を御請けすることとし、堂宇の
建設に努力した。境内は元蓮田で、明治30年(1897 年)に
埋め立てて畑地とし、寺を創建した。
大正5年(1916 年)岐阜県知事の許可を受け「谷汲山」と
称していたが、昭和の戦後、宗教法人法により「般若寺」と改名
した。本寺所蔵の大般若経六百巻は、谷汲山華厳寺からおくられ
たものである。
[引用:羽島市史・図説
光照寺6
竹鼻の歴史・案内看板解説]
指十一面観世音菩薩像(室町時代
作
市文化財)
○円空慶立が八劔神社の宮寺とし
て移転、創建したと伝えられる。
<詳細>
厚見郡西庄村(岐阜市西荘)立政寺の末寺で、元三屋村(笠
松町)にあったが、慶長2年(1597 年)円空慶立が八劔神社
の宮寺として移転、創建したと伝えられている。
寛政10年(1798 年)十五世戒愍の時、木曽川の洪水で寺
東の堤防が切れ、境内は大池となり、諸堂、宝物、什器等が流出
した。
住僧戒愍は檀信徒と協力して、徳川家の許可を得て池を埋め、
諸堂を再建した。しかし、明治10年(1877 年)火災に遭い、
同13年(1880 年)再建するも明治24年(1891 年)の濃
尾大震災で全壊した。
今の本堂は、明治27年(1894 年)の建築であり、境内に
地蔵堂、天満宮の二社が祀られている。浄土宗西山禅林寺派。
[引用:羽島市史・図説
7
竹鼻の歴史・案内看板解説]
区分
資源
浄栄寺7
内容
指梵鐘(名古屋東照宮から贈与
市文化財)
○梵鐘は徳川義直が家門繁栄を
祈願し名古屋東照宮へ奉納し
たもの。
<詳細>
創立年月は不詳。法壽坊龍登山浄栄寺という。上山蔵人信家
法名法壽坊の開基である。元は天台宗であったが、後世蓮如上人
本願寺教団に帰し、現在は真宗大谷派(東本願寺)であり、川並
六坊の一つである。川並六坊は本願寺第八世蓮如上人関東巡化の
帰洛の折、尾張の境川を二代目釋壽聞他五人の僧が、上人を助け
て川を渡し、近江に無事送ったことに由来する。
梵鐘は名古屋市の東照宮の時鐘、元和8年(1622 年)尾張
公徳川義直を願主として、水野太郎左右衛門藤原則重鋳造。明治
9年(1876 年)願主十六代目釋德明が買い受けた。
[引用:羽島市史・図説
聞得寺8
竹鼻の歴史・案内看板解説]
○浅井長政の七男の浅井民部卿行政が建立
した寺が起源で、銅板葺入母屋造りの美
しい鐘楼門がある。
<詳細>
天文7年(1538 年)近江国浅井長政の
七男、浅井民部卿行政が美濃西門間庄(竹
ヶ鼻町大西)へ来て、剃髪して法名を浄祐と名乗り、一宇を創建
した。翌年9月本願寺第十代門首証如上人から本尊と寺号を賜っ
た。的場山の号は、西的場にあったため、それを山号とした。
寛政年間に、西的場から現在地へ移転し、現在地は、宝暦10
年(1760 年)下町の大火で類焼した専福寺の跡地である。山
門は銅板葺入母屋造りの鐘楼門で、年月を経た銅板の緑が美し
い。境外仏堂として太子堂、地蔵堂が西的場の旧地に残っている。
[引用:羽島市史・図説
8
竹鼻の歴史・案内看板解説]
区分
資源
正法寺9
内容
指十一面観世音菩薩像(恵心僧
都末期の作、市文化財)
○梅雨時に白い粉をふくこと
から名付けられた乳乞観音
がある。
○境内には市の名木百選の老
松と大銀杏がある。
<詳細>
天正15年(1587 年)10月、濃州厚見郡西庄村の立政寺
十五世恵空智玉が建立したもので、往時は福寿町本郷にあった。
慶長19年(1614 年)の洪水で堂宇が流出したため、現地
に移転し随松庵と呼んだ。正徳4年(1714 年)、第十世俊超
上人が大慈山正法寺と改めた。享保4年(1719 年)及び明和
9年(1772 年)に焼失したとの記録がある。
境内には市の名木百選である老松があり、「臥龍の松」と称さ
れている。また、近くの小堂に祀られている十一面観音菩薩像は
恵心僧都末期の作で、母乳を豊かにするという乳乞い信仰で知ら
れている。他に、芭蕉の句碑が立っている。
[引用:羽島市史・図説
専福寺 10
竹鼻の歴史・案内看板解説]
○明治9年(1876 年)に東本願
寺掛所専福寺が竹鼻別院となり、
専福寺の寺号が消滅することを
惜しまれ、明治 19 年(1886
年)に創立された。
<詳細>
明治9年(1876 年)、東本願寺掛所専福寺は竹鼻別院とな
った。そこで、教如上人以来、常輪番を務めてきた河野氏との間
で、所有をめぐって訴訟が起こり、本山別院側が勝訴した。以後、
御坊専福寺は竹鼻別院となり、専福寺の寺号は消滅した。
東本願寺管長の大谷光勝は、岐阜県知事小崎利準と協議して、
河野九門徒以来の御坊専福寺の寺号が消滅することを惜しみ、明
治19年(1886 年)に専福寺を創立した。
そして、京都閑証寺住職の藤井了俊を初代住職とし、上中町中
9
区分
資源
内容
の徳仁寺田中恵斉を二代目住職として相続させて、現住職に至っ
ている。
[引用:羽島市史・図説
西岸寺 11
竹鼻の歴史・案内看板解説]
○文武に優れた名僧祐慶師が
始祖で、石山合戦の武勇によ
り織田信長より預載された教
如上人の御影が寺宝。
○ドウダンの古木、楓の大樹が
あり紅葉が美しい。
<詳細>
文禄3年(1584 年)、現在の足近町西方寺九代住職にして
文武に優れた名僧祐慶師を始祖とし、以後現在に至っている。
祐慶師は織田信長が本願寺に敵対した石山合戦の武勇により、
天正9年(1581 年)3月19日教如上人の御眞筆の御書6月
28日、聖人の左上の御影を賜り御陽成院の御眞輪も頂戴され
た。
西岸寺建立の節幾多の宝物を持参されたが明治初年(1872
年)の火災の為多くは焼失したが、左上の御影は寺宝として現存
している。庫裡の前庭にはドウダンの古木、楓の大樹があり、春
は新緑、秋は紅葉が美しい。
[引用:羽島市史・図説
円覚寺 12
竹鼻の歴史・案内看板解説]
指木造阿弥陀如来立像(県文化財)
伝教大師像(市文化財)
古文書(市文化財)
○専福寺の住職河野氏が竹鼻別院を出て、三
重県にあった円覚寺を現在の地に移し、明
治9年(1876 年)東本願寺掛所河野御坊専福寺は、東本願
寺竹鼻別院と改称された。
<詳細>
河野御坊専福寺の住職河野氏は、竹鼻別院の所属を巡って本山
との間に起きた訴訟で敗訴となり、竹鼻別院を出て今町へ退い
10
区分
資源
内容
た。
明治27年(1894 年)西本願寺へ転派し、
明治30年
(1897
年)7月、許可を得て三重県朝日村にあった円覚寺を現在地(栄
町)へ移して住職となった。
河野氏並びに専福寺は、共に古い歴史を持ち、河野九門徒と呼
ばれ、濃尾の地に真宗が弘布するもとを築いた。浄土真宗本願寺
派の寺院。
[引用:羽島市史・図説
大仏寺 13
竹鼻の歴史・案内看板解説]
指佐吉大仏(県史跡)
○永田佐吉が建立した佐吉大仏がみ
られる。
<寺の詳細>
大仏寺は、以前大仏を安置する目的で建てられた、総けやきの
立派な建物であったが、明治 24 年(1891年)の濃尾大震災
で全焼した。その後、長く露仏であったが、昭和 37 年(1962
年)に永田家によって現在の鉄筋コンクリート造りに再建され
た。大仏寺内には、永田佐吉と関係のある道標や石橋の一部等が
置かれている。
<大仏の詳細>
像の背面には、「武州江戸神田住、御鋳物師西村和泉守藤原政
時作、寛延3年7月 28 日」の銘がある。寛延3年(1750 年)
佐吉が 50 歳の時、母の勧めによって建立されたもので、建立発
願については、彼は諸国の社寺をまわって旅をした時、急病で危
うく命を失いかけたが、仏の加護で救われたためという。尚、伝
説では、今の大仏は二度目のもので、初めの一体は運搬の途中遠
州灘で荒波のため沈んだ。その時、彼は難所といわれる海の底に
仏像を置くのは、願ってもない善行であると喜び、急いでもう一
体を注文したという。
現在は、鉄筋コンクリート平屋造りの大仏寺本堂中央に安置さ
れている大仏は、通称佐吉仏と呼ばれている青銅造りの釈迦如来
で、像高 4.9m、像廻り 8.3m あり、高さ 1.3m の台石の上に座
している。
[引用:羽島市史・図説
11
竹鼻の歴史・案内看板解説]
区分
資源
竹鼻不動明王 14
内容
○不動明王(縁談・安産にご利
益があり、八劔神社境内に立
てられたものを明治 31 年
(1898 年)に現地へ安置
された。)
<詳細>
役の行者(向かって右側)
宝塔の石室に杖を持ち立っている座像は役の行者尊で、天明3
年(1783 年)冬、大峰講中が、天下泰平、五穀豊熟、当所繁
盛、家内安全の願意により、八劔神社境内に創建したものを明治
初年(1868 年)の神仏分離令により、浅井社家に預けられた
が、明治31年(1898 年)4月再び有志者により此処にお遷
ししたもので、縁結びや安産等の霊験あらたかだといわれてい
る。
逆さ不動(向かって左側)
火焔の中に降魔の利剣を握って立っている不動尊は、寛政元年
(1460 年)の昔、この川辺で旅の途中に死亡した虚無僧の菩提
を弔うために土地の有志者が、八劔神社境内の狐格子の祠に祀っ
てあった木造不動尊の写しを此処に建立したもので、古来川の流
れに向かう不動は御利益が多く特に厄除けや足止め等の願い事が
良く叶うと伝えられ、左右の脇立は昆迦良童子と須介多加童子で
ある。
[引用:羽島市史・図説
地蔵・橋
・道しる
石山観音 15
竹鼻の歴史・案内看板解説]
○滋賀県大津の石山寺の分霊。
[引用:羽島市史・図説
べ
12
竹鼻の歴史]
区分
資源
川町湊跡
内容
○逆川沿いにある。
16
竹ヶ鼻城の堀の
指竹鼻城跡(市史跡)
遺構 17
○竹ヶ鼻城は、不破源六広綱が城主であった
時代に、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)による
「水攻め」があったことで知られる。
<詳細>
築城は応仁年間(1467 年・1468 年)と
伝えられているが定かではない。城といっても戦国時代であっ
たため、戦略上の目的の砦のような物であったらしい。しかし、
時代の流れと共に整備され、堀等も設けられていったようであ
る。
歴代城主中名が残っているのは、不破源六広綱であり、羽柴
(豊臣)秀吉の竹ヶ鼻城の水攻めに遭い、1ヶ月の死守むなし
く破れたことで有名である。
現在の竹ヶ鼻城跡には、石碑が建てられているだけで城跡と
わかる石垣等はない。
[引用:羽島市史・図説
川町灯台 18
竹鼻の歴史]
○秋葉山の常夜燈で、土場から石燈明への道筋
は、伊勢街道の旧道であった。
[引用:羽島市史]
句碑
太田巴静の句碑
28(歴史民俗資料館・
映画資料館内)
○歴史民俗資料館・映画資料館
内にある。
『美濃国竹ヶ鼻光照寺に
遊ぶに本郷川の帆かけ舟 間
近く見渡し侍れば 涼風の
他力や目にも帆かけ舟 六々
庵巴静』
[引用:羽島市史・図説
13
竹鼻の歴史]
区分
資源
内容
松尾芭蕉の句碑
○正法寺内にある。
9(正法寺内)
『をりをりに伊吹を みてや冬ごもり はせを』
[引用:羽島市史・図説
横井祥祐の句碑 1
(八劔神社内)
竹鼻の歴史]
○八劔神社内にある。(彰忠碑、忠魂碑、
殉国碑)
『五十年を
一日の如く
詣できて
み
たまのふゆを うくるかしこさ 祥祐』
<詳細>
本名は磯一という。昭和 9 年(1934 年)
より昭和 17 年(1951 年)まで、竹鼻町
の町長に就任していた。和歌の道は、渡辺俊明に師事し、後に竹
ヶ鼻千尋蔭社の主宰者、中央歌道会(名古屋)の選者として活躍
した。昭和 39 年(1964 年)11 月、喜寿を祝って、歌道八団
体により、この碑を建立した。
[引用:羽島市史・図説
竹鼻の歴史]
渡辺俊明の句碑
○八劔神社内にある。
1(八劔神社内)
『田家煙
新はえいの磯の
らも人すみて
塩がまならぬ
田つ
煙
たつなり』
<詳細>
安政元年(1954 年)生まれ、幼名を佐一郎と呼び、伝右ェ
門松園、後松坪静幽軒と号し、家業の味噌溜の醸造を営んだ。父
勉貫早逝の後を継ぎ、家業と共に公共事業にも努力したが、感ず
るところがあり、明治 38 年(1905 年)2 月に事業を長男に
譲り隠居し、俊明と改名し、茶道は松尾派、皇学詠歌の道を始め
三輪経年後小出ツバラに従学した。明治及び大正の宮中歌会始め
に何度も入選し、御前披講の光栄を担った。また、その道の大家
である子爵黒田清綱、坂正臣とも交り厚く後進者のために絶えず
朱筆を取り門下生も多かった。後年土佐流の絵を描き、陶物の作
等もあって、茶味自然に添った逸品もあった。
[引用:羽島市史・図説
14
竹鼻の歴史]
区分
資源
内容
宗祖遺跡の碑
○竹鼻別院内にある。
大震紀念の碑
[引用:羽島市史・図説
竹鼻の歴史]
3(竹鼻別院内)
蔵
永田佐吉の碑
○大仏公園内にある。
31(大仏公園内)
[引用:羽島市史・図説
竹鼻の歴史]
山車蔵(13輌) 指竹鼻祭の山車(県文化財)
19(各所)
○13 輌の山車は全て県文化財であり、山車蔵は竹鼻まちなかの
各所に点在している。
<詳細>
山車の多くは、江戸時代の寛政以降から天保頃に製作されて
いる。
竹鼻の山車はからくり人形を乗せたものが多く、名古屋や犬
山の山車の影響を受けているといわれている。また、格子戸等
には長浜や大垣の山車の影響が見られる。
山車の幕には金銀の糸で刺繍された美しい図柄が施され、県
随一の豪華さを誇っている。
明治 24 年の濃尾地震の際、半数以上の山車が焼失したが、各町
内の努力により、大正 4 年頃までに再建され、現在へと受け継
がれている。
歴史的
天正橋 20
な町屋
[引用:羽島市史・図説 竹鼻の歴史]
○豊臣秀吉ゆかりの橋。
[引用:羽島市史]
等
千代菊株式会社
21
○元文3年(1738 年)に創業した伝
統ある酒蔵で、地下 128 メートル
からの湧水により仕込まれている。
<詳細>
美濃国・竹ヶ鼻村に居を定めた坂倉家
は、元文3年(1738 年)七代目当主・又吉に至って、伊吹お
ろしの冷気が満ち、清流・長良川の地下水が豊富に湧き出て、
15
区分
資源
内容
また濃尾平野穀倉地帯の中央に位置するこの地こそ、酒造りに
最適であることに着目し酒造りを始めた。
現在でも、昔ながらの千代菊伝統の酒造りを次代にもしっかり
受け継いでおり、手間がかかると言われる蓋麹法での麹造りを続
けている。
②自然・景色
区分
自然
資源
内容
竹鼻別院のフジ
指県天然記念物
3
○樹齢 300 年以上の古木で優美な
長い花序をつける。
<詳細>
竹鼻別院の東の門を入ると、左手に広く藤棚が広がる。一本
の樹木から四方八方に枝が伸び、互いに絡み合いながら棚一面
に広がる。
4 月下旬から 5 月上旬には、四弁薄紫の蝶形の花を総状花序
に垂れて開きその優美な姿は人々に憩いの場としての空間を提
供している。
県内では益田郡萩原町の諏訪神社にある「臥竜のフジ」と並
ぶ巨木である。
逆川 22
○木曽川と長良川をつなぎ、その水位差
から今も北上して流れる。かつては川
沿いに、材木屋、薪炭屋、瓦屋、染物
工場が続いていた。
<詳細>
天正 14 年(1586 年)の大洪水で現在の木曽川が生じた際に
この地で分かれ、竹鼻町を抜け足近川と合流して長良川へ注い
だのが始まりである。昔この川は急流で水害が多かった。
名称は当地方の木曽川や長良川が基本的に南へ流れている
のに対し、この川だけがそれに逆らい北へ流れているというこ
とより、「逆川」と言われた。また、江戸時代には「さかさま
川」と呼ばれたこともある。
現在は、竹鼻町の南東より羽島市中央部を北北西に向かって
16
区分
資源
内容
流れ、長良川に注ぐ全長約 7km の河川である。
現在の逆川は水量が少なく、穏やかな流れである。道路面か
ら水面までは約3~4m の差があり、親水的な空間はない。
桜 23
○逆川沿いには桜が植えられており、春には水辺の桜の花を楽
しむことができる。
レンコン田の蓮
の花
○竹鼻別院の西側にはレンコン田がみら
れる。
24
<詳細>
竹鼻の蓮は、昔より竹鼻レンコンの名で
知られてきた名物の一つであり、美味で有名であるが、現在で
は、その栽培面積も少なくなってきている。
蓮は毎年6、7 月が開花時期で、夜明けに玉を転がすような
余韻のある開花微音を発して花が開く。また、蓮は紅い清らか
な花をつける。
景色
格子のある古い
町並み 25
<詳細>
竹鼻町は竹ヶ鼻城の城下町として栄え、また、陸上交通や河
川を利用した水上交通の要衝として発展を遂げてきたが、現在
は城がなくなってしまったものの、古い町並みが残されている。
竹鼻町の古い町並みには岐阜県の郡上八幡に見られるよう
に、規則正しく整えられた格子や構造、あるいは目隠しの目的
でつけられた袖壁及び軒の部分に見られるセイガイ造りのある
家々が軒を連ねているほか、屋根神様が祀られた昔の商家の面
影が残る建物も存在している。
しかし、これらの家屋が残っている所も時代の流れと共に建
て替えが行われ、古い町並みが減りつつある。
ノコギリ屋根 26
○ノコギリ屋根は逆川周辺に点在する。
③伝統文化・偉人
区分
資源
伝統産
美濃縞
業遺産
27(関連施設)
内容
○美濃縞は、京都西陣から縞織りの技術が伝わり、
江戸時代より明治時代にかけて、竹鼻町・笠松・
柳津等を中心に農家の副業として盛んに生産さ
れた。
17
区分
資源
内容
<詳細>
岐阜縮緬より約50年後、明和年間(1764 年~1771 年)
京都西陣から機留縞製織の技術が伝わった。これより 20 年後
の天明年間には、京都仏光寺通り西の洞院の火災により、そこ
に居住していた織屋が美濃に移住して菅大臣縞(寛大寺縞とも
いう)を織出した。
この二種の縞木綿のうち桟留縞は,明和から天保にかける約
60 年間この地方を代表する産物であった。例えば文政 12 年
(1829 年)、加賀金沢の商人の記したものの中に「尾張と美
濃の桟留縞は諸国流行の品で、加賀藩領内への売捌量も英大に
上る」と述べていることからも理解できる。
文政・天保期には主として美濃の芝原・北方・加納の問屋を
経て売り出されたので「美濃結城」と呼ばれ、文政頃(1818
年~1829 年)から明治初年(1868 年)に至るまでこの地方
の代表的な縞木綿となり、一般的には、「美濃縞」という名称
で一括されて呼ばれていた。
偉人
永田佐吉
13(関連施設)
○竹ヶ鼻の豪商であると共に人徳者で、母親と人々のために大
仏を建立した。また、明治の尋常小学校の教科書で紹介され
た。
<詳細>
永田佐吉は元禄 14 年(1701 年)に竹ヶ鼻町上鍋屋町に生
まれ、寛政元年(1789 年)に没している。
絹の仲買をするかたわら、数々の善行を尽くしたため人々か
ら美濃聖人、仏佐吉、至誠至孝の鑑と称せられた。永田佐吉に
ついては数々の逸話、佳話の類が伝えられており、その生涯は
勤勉、正直、慈悲、慈愛、誠実、報恩、恭倹、質素倹約、陰徳、
感化等の孝行の徳によって尾張藩庁から表彰されており、現在
も多くの遺墨や遺跡が残っている。その代表的なものとして、
揖斐川の堤で追いはぎに遭った時のものがある。
太田巴静
○江戸時代中期の俳人。各務支考、沢露川に師事。
27(関連施設)
<詳細>
太田巴静は、美濃国竹ヶ鼻に太田可政の次男として生まれる。
18
区分
資源
内容
父可政は北村季吟の門人であり、兄の夕湖も俳諧に親しんだ。
元禄 14 年(1701 年)、支考を竹ヶ鼻に迎え、坂倉水石が
願主となって、八劔神社に奉納した十二吟歌仙に一座する。竹
ヶ鼻を軸として、大垣の木因門、名古屋の露川門との交流が伺
われる。正徳2年(1712 年)、名古屋にて剃髪し庵を結んで
立机する。門弟に横井也有、河村秀根、如是庵理然等がいる。
墓は、名古屋大須真福寺境内に建てられている。
坂倉準三
○竹鼻町出身の昭和を代表する建築家の1人。
21(関連施設)
<詳細>
竹鼻町の醸造家坂倉又吉の 4 男として生まれ、東京帝国大学
文学部を卒業後、世界的な建築家であるル・コルビジェに師事
し、昭和 15 年(1940 年)に自身の設計事務所を設立した。
代表作には、日本最初の地方美術館である神奈川県立近代美術
館や本市の市役所がある。
④イベント
資源
美濃竹鼻ふじまつり 3
内容
○4 月下旬から 5 月上旬に竹鼻
別院にて美濃竹鼻まつりと併
催される。
美濃竹鼻まつり 1
○毎年、5 月 3 日に開催され
る竹鼻町の氏神八劔神社の
祭礼。
○江戸時代を起源に持つ絢爛豪
華な 13 輌の山車が半数ずつ
隔年交互に曳行され、からく
り人形や子どもの手踊り等が奉芸され、一大絵巻を繰り広
げて、盛大に開催される。町内が所有する山車が八劔神社に
おいて奉納し、その後、各町内を曳き回り、会所等において
「からくり」「手踊り」等の芸を披露する。
19
資源
代々まつり 1
内容
○7 月1・15 に夏祭り(提灯祭)が行
われ、八劔神社等が会場となっている。
本覚寺イベント(ぼたんま
つり、幸種市など)4
○ぼたんまつりは 4 月の中旬か
ら下旬にかけて本覚寺にて開
催され、境内には 200 株程の
牡丹が咲いている。
○幸種市は、羽島を元気にするイ
ベントとして、マルシェの開催や羽島市文化センター企画
のコンサート、羽島高校吹奏楽団の演奏等が行われている。
千代菊株式会社イベント
(酒蔵開放・コンサート、
酒仕込み体験)21
○千代菊株式会社では2月頃に酒蔵見学のほか、当日限定酒の
販売や酒蔵コンサート等、各種イベントが開催されている。
○「羽島体験プロジェクト」の1つとして、JAS有機の認定
を受けて体験による田植えを行い、収穫されたアイガモ米を
使った酒の仕込み作業の体験を行っている。
なまずまつり(夜の部)
○毎年、10 月下旬に開催されるなまずまつりは、平成 27 年
度で 26 回を迎えた。これまでは竹鼻まちなかで開催されて
いたが、平成 26年度より昼間の会場は新幹線岐阜羽島駅前
で、夜は竹鼻まちなかで開催されている。
⑤グルメ
資源
レンコン料理
内容
○本市の特産品であるレンコ
ンを使ったれんこんカツ丼
等のレンコン料理が市内の
飲食店で提供されている。
みそぎ団子
○みそぎ団子は、あんこの入った
団子に味噌を付けた野趣豊かな
珍菓である。
○代々まつり時に販売されてい
たお菓子。
○現在は、代々まつり以外でも販売されている。
20
資源
内容
千代菊株式会社のお酒 21
○元文3年(1738 年)に創業した伝統ある酒蔵で、地下 128
mからの湧水により仕込まれ、全国で銘酒として愛されてい
る。
○酒の原料となる「米」と「水」にこだわり、昔から伝わる手
作り製法により、全国で愛されている日本酒づくりを行って
いる。特に仕込み水は、鵜飼で名高い清流「長良川」の伏流
水である。
⑥その他の資源
区分
資源
内容
観光交流
歴史民俗資料
○平成 8 年(1996 年)2 月 23
施設
館・映画資料館
日に開館。民俗資料約20,000
27
点、
映画資料約 135,000 点収蔵。
○映画資料館は、神戸市、尾道市と
並び、全国的にも珍しく、映画上
映室があり、定期的に昭和 30 年
(1955 年)代から 50 年(1975 年)代の邦画、特に時代
劇を中心に上映会を開催している。
はしま観光交
流センター
(愛称:ぐるっ
○平成 28 年 4 月 1 日にオー
プン。
○情報発信や観光案内・展示、
と羽島)
休憩所、体験コーナー、土産
28
物品の販売等を備えた観光
交流施設で、愛称は、「ぐる
っと羽島」と名付けられた。
広場
御坊瀬戸広場
○各種イベント等に使われている。
29
21
区分
資源
青山スクエア
30
内容
○永田佐吉の像やイベント時に使用さ
れるステージや湧水が整備されてい
る。
大仏公園 31
○上鍋屋町の山車蔵や永田佐吉の碑が公園内
にみられる。
○園内にはトイレが整備されている。
建物
平成パーク 32
○園内にはトイレが整備されている。
旧菱田邸 33
○大正 3 年(1914 年)築。
菱田常太郎が町家をモデルと
して二軒分の間口の居宅を建
てた。
○玄関を入ると土間になってお
り、台所や便所等があり、廊下
づたいに離れとして茶室が設けられている。建物とは別棟に
倉庫が設けられている。中庭があり、飛石、石灯籠、樹木が
植えられている。全体的に老朽化が進んでいる。
商店街の
商工会議所 34
施設
○竹鼻まちなかの中心部の利便性の高い場所に立地しており、
多くの貸室を有している。
美濃竹鼻まち
○商店街に訪れた方の憩いの場。
かどステーシ
○円空仏や山車の写真の展示等を実
ョン一葉亭 35
施している。
22
区分
通り
資源
円空ロード 36
内容
○市道松山大浦線の竹鼻町の上城・下城通り
から本町通り付近で羽島市円空顕彰会の会
員により制作された彫刻がみられる。
鉄道
名鉄竹鼻線・羽
○竹鼻まちなかには、竹鼻駅と羽島市役所前駅がある。
島線(竹鼻駅
○両駅は竹鼻町や他地域の人々にとっての通勤・通学等の足と
37、羽島市役所
して利用されている。一日の平均乗降客数は共に約 2,000 人
前駅 38)
で、羽島市役所前駅では県立羽島高等学校の最寄り駅として
学生に利用されている。
23
図3 竹鼻まちなか資源マップ
19
1
19
14
2
26
ノコギリ屋根
5
37
4
19
20
2
12
19
6
36
3
19
32
28
17
24
19
27
16
19
10
19
29
11
34
25
19
33
18
19
9
21
23
35
38
22
7
19
31
30
13
2
8
15
19
24
19
(2)まちの状況
竹鼻まちなかの観光入込客数等の状況については、以下のとおりとなっています。
①観光入込客数
岐阜県観光入込客統計調査によると、歴史民俗資料館・映画資料館の年間入館者数は 1.2
万人前後で推移しています。また、美濃竹鼻まつりは 12 万人前後で推移している一方、美
濃竹鼻ふじまつりは平成 22 年(2010 年)の 17.5 万人から平成 27 年(2015 年)では 9.8
万人と減少傾向がみられます。
図4 歴史民俗資料館・映画資料館の年間入館者数の推移
(人)
16,000
13,379
14,000
12,000
12,344
11,906
11,562
9,412
10,000
8,000
6,000
4,000
2,000
0
H22年
H23年
H24年
H25年
H26年
資料:岐阜県観光レクリエーション動態調査(平成 22 年)
岐阜県観光入込客統計調査(平成 23 年から平成 26 年)
図5 美濃竹鼻まつり・美濃竹鼻ふじまつりの観光入込客数の推移
美濃竹鼻まつり
(人)
美濃竹鼻ふじまつり
200,000
180,000
175,000
160,000
140,000
120,000
120,000
120,000
100,000
125,000
120,000
100,000
125,000
96,000
96,000
125,000
98,000
80,000
60,000
40,000
20,000
0
H22年
H23年
H24年
H25年
H26年
H27年
※平成 23 年(2011 年)の美濃竹鼻まつりについては統計調査のデータなし。
資料:岐阜県観光レクリエーション動態調査(平成 22 年)
岐阜県観光入込客統計調査(平成 23 年から平成 26 年)
25
②流動人口
地域経済分析システム(RESAS(リーサス))による本市内の流動人口について、比較的
人口が集中する市内三地域における休日の時間別の流動人口を季節ごとに集計すると、春
から秋にかけては、岐阜羽島駅周辺の流動人口が最も多い一方、12 月や 2 月の冬場は竹鼻
まちなか周辺の流動人口が最も多く、特に昼の時間帯の流動人口が多くなっています。
※ 流動人口:特定の地域に滞留している人口の合計値。
図6 市内の休日における流動人口の状況
【春期(平成 26 年 5 月) 】
【夏期(8 月) 】
【秋期(10 月) 】
資料:地域経済分析システム
26
【冬期(12 月、2 月) 】
資料:地域経済分析システム
※市内の人口が集中する地域
①竹鼻まちなか周辺
②岐阜羽島 IC 周辺
③岐阜羽島駅周辺
①竹鼻まちなか
周辺
③岐阜羽島駅周辺
②岐阜羽島 IC 周辺
図7 観光マップ メッシュ分析(流動人口)平成 26 年 8 月(13 時)
※色が濃いほど、流動人口が多いことを示す。
27
資料:地域経済分析システム
③休日の滞在人口
滞在人口についてみると、平日・休日ともに、年間を通じておおむね 12~13 万人程
度で推移しています。時間別にみると、平日の昼間時では滞在人口が居住人口(国勢調
査人口)を下回っており、通勤・通学層の市外への流出が顕著に現れています。休日で
は朝晩の流入増が見られます。
また、県外からは、一宮市、稲沢市、春日井市からの来訪が多くなっています。
※滞在人口:市区町村単位で滞留時間が 2 時間以上の人口を表示。
図8 滞在人口の月別推移
図9 滞在人口の時間別推移
表1 出発地別滞在人口ランキング
滞在人口(平日) 上位 10 件
1 位 愛知県一宮市
6,400 人(32.8%)
2 位 愛知県稲沢市
3,000 人(15.3%)
3 位 愛知県春日井市
600 人(3.0%)
4 位 愛知県名古屋市西区
400 人(2.0%)
5 位 愛知県日進市
400 人(2.0%)
6 位 愛知県名古屋市港区
300 人(1.5%)
7 位 愛知県名古屋市中川区
300 人(1.5%)
8 位 愛知県小牧市
300 人(1.5%)
9 位 愛知県江南市
300 人(1.5%)
10 位 愛知県名古屋市中村区 300 人(1.5%)
滞在人口合計 122,900 人(滞在人口率 1.84 倍)
県 内
103,400 人(84.1%)
県 外
19,500 人(15.8%)
滞在人口(休日) 上位 10 件
1 位 愛知県一宮市
6,000 人(31.4%)
2 位 愛知県稲沢市
2,000 人(10.4%)
3 位 愛知県春日井市
600 人(3.1%)
4 位 愛知県愛西市
500 人(2.6%)
5 位 愛知県豊田市
400 人(2.0%)
6 位 愛知県名古屋市中村区
400 人 2.0%)
7 位 愛知県小牧市
400 人(2.0%)
8 位 三重県四日市市
400 人(2.0%)
9 位 愛知県名古屋市中川区
300 人 1.5%)
10 位 愛知県犬山市
300 人(1.5%)
滞在人口合計 122,200 人(滞在人口率 1.83 倍)
県 内
103,100 人(81.6%)
県 外
19,100 人(18.3%)
※滞在人口率:国勢調査人口に対する市内に休日 2 時間以上滞留した人口の割合(滞在人口/国勢調査人口)
資料:地域経済分析システム
28
本市への滞在人口を潜在的な観光需要と捉えた場合、県外上位 10 都市における滞在
人口誘導率によると、いずれも本市の占める割合は低位ですが、愛知県一宮市、愛知県
稲沢市との結び付きを、今後も維持していくことが有効と考えられます。
表2 本市における滞在人口上位都市の滞在人口誘導率(平成 26 年 休日)
資料:地域経済分析システム
29
④本市を訪れた目的
羽島市総合戦略の策定にあわせて実施した「市外在住の方による羽島市に関する意識調
査」によると、本市を訪れた主な目的は、「目的地に行くときに通過する」が 33.8%と一
番多くなっています。
図10 本市を訪れた目的
資料:市外在住の方による羽島市に関する意識調査
30
⑤本市を訪れた際の印象
「市外在住の方による羽島市に関する意識調査」によると、本市を訪れた際の印象は「特
に何も印象がない」が 51.3%と半数を超えています。
図11 本市を訪れた際の印象
資料:市外在住の方による羽島市に関する意識調査
31
⑥本市に対するイメージ
「市外在住の方による羽島市に関する意識調査」によると、本市に対するイメージは、
「特にイメージはない」が 45.4%と一番多くなっています。
図12 本市に対するイメージ
資料:市外在住の方による羽島市に関する意識調査
32
⑦観光地を選ぶ際に重視するポイント
「市外在住の方による羽島市に関する意識調査」によると、観光地を選ぶ際に重視する
ポイントは、「グルメを堪能したい」が 33.8%と最も多く、続いて「自然に触れたり、き
れいな景色・風景を見たい」28.0%、
「寺院や史跡などの歴史的文化財や建造物がある」26.6%、
「交通アクセスがよく行きやすい」20.6%と順に多くあげられています。
図13 観光地を選ぶ際に重視するポイント
資料:市外在住の方による羽島市に関する意識調査
※市外在住の方による羽島市に関する意識調査
調査の目的:東海 3 県(岐阜県(本市を除く)
、愛知県、三重県)に居住している人を対
象に、本市の認知度やイメージ、来訪意向などを把握し、来訪促進(交流
人口の拡大)に向けた施策立案に反映することを目的として実施。
対
象:居住地
年
齢
東海 3 県(岐阜県(本市を除く)
、愛知県、三重県)
20 歳代~60 歳代
サンプル数
500 サンプル
方
法:WEB モニターアンケート
期
間:平成 27 年 6 月 24 日~6 月 26 日
33
⑧人気の観光分野
岐阜県観光入込客統計調査の観光地分類別観光入込客数によると、「道の駅等」が24.8%
と最も多く、続いて、「歴史・文化」23.8%、「スポーツ・レクリエーション」20.2%の順
に多くあげられています。
図14 観光地分類別観光入込客数(岐阜県)
資料:岐阜県観光入込客統計調査(平成 26 年度)
34
(3)竹鼻まちなか関係者の意見
竹鼻まちなかの賑わい再生について、住民や商店街関係者、まつり関係者等と意見交換
会を行う中で、次のような問題が挙げられました。
表3 問題点の整理
区分
空き家、空き地
商店街
テーマを打ち出
したまちづくり
賑わい
人
意識
意見交換会で出された主な問題
○空き家(空き店舗)
、空き地が増加している。
○古い建物の保存が必要。
○旧菱田邸も単体では弱く、まち全体としての景観が必要。
⇒空き家(空き店舗)を活用していくことが必要
○商売の存続は難しい。
○商店街ではこれまで多くのことに取り組んだが変わらなかった。また、
商店街としての力が残っておらず協力して行うことは難しい。
⇒商店街と連携した取り組みを短期的に実施するのは難しい状況
○昭和レトロなどテーマ性を持ったまちづくりを一体的に進めるには、ト
ップダウンではなく、積み上げにより行う必要がある。
⇒テーマ性のあるまちづくりを短期的に実施するのは難しい状況
○イベントでは多くの人が集まるが、平時には人通りも少ない。
○単独で集客力のある資源はない。
○新たな「核」となる資源が必要である。
⇒既存資源を磨くとともに、新たな観光資源の創出等により、地域の魅力
の向上を図ることが必要
○高齢化が進み、若者が流出している。
○子どもの数が減ってしまった。
○多世代が交流できる場がみられず、世代間交流も少ない。
⇒世代を超えた交流の促進を図ることが必要
○住民の意識改革が最優先、特に子どもは竹鼻の歴史などを知らない。
○次世代のまちづくりの担い手である子どもが羽島を好きになり、自慢し
たいと思えるようにしていくことが大切。
⇒子どもたちが地域のことを学び、理解する教育を提供するとともに、子
どもたちへ伝統芸能・文化を伝承することが必要
35
2
竹鼻まちなかの
賑わい再生の課題整理
(1)地域の課題
課題1
積極的・効果的な情報発信による人の呼び込み
○ 竹鼻まちなかは、統計指標等によると通年の賑わいが乏しい一方、県外からは愛知県
一宮市、稲沢市、春日井市から本市への来訪が多くなっています。
○ また、本市が実施した「市外在住の方による羽島市に関する意識調査」の結果による
と、本市を訪れた主な目的として、「目的地へ行くときに通過する」との意見や、ま
た、
「本市に対するイメージは特にない」との意見が最も多くなっています。
○ こうしたことから、地域の魅力の向上を図るとともに、効果的・積極的に情報発信を
図り、竹鼻まちなかへ人を呼び込むことが必要です。
○ 県内をはじめ、近隣の愛知県西部地域や三重県北部地域へ、効果的・積極的に情報発
信を図ることが必要です。
課題2
既存資源を磨くとともに新たな観光資源の創出による地域の魅力向上
○ 竹鼻まちなかは、地域の中心地として醸成された、歴史・文化資源を中心として豊富
な資源を有しています。しかし、単独で強い集客力のある資源は美濃竹鼻まつり等の
まつりに限られており、恒常的にまちの賑わいに繋がる資源が少ないのが現状です。
○ こうしたことから、単独では集客力がないものの、地域資源を最大限活かし、今ある
資源を磨くとともに、新たな観光資源を創出することにより地域の魅力の向上を図り、
それら資源を繋ぎ合わせることが必要です。
課題3
地域のまちづくり関係者の意欲等の向上
○ これまで竹鼻まちなかの活性化に向け様々な取り組みを行ってきたものの、賑わいの
喪失に歯止めをかけることができず、まちづくり関係者のモチベーションが低下して
います。
○ こうしたなか、一体となって、テーマを掲げたまちづくりを行う合意形成を図ること
は難しくなっており、まちづくりに携わる関係者の取り組み意欲やモチベーションの
向上を図るとともに、地域のまちづくりの担い手づくりが必要です。
課題4
地域教育の充実と伝統芸能・文化の継承
○ 竹鼻まちなかは、高齢化が進む一方で若者が流出しており、子どもの数が減少してい
ます。
○ また、伝統行事である美濃竹鼻まつりは、多くの来訪者で賑わうイベントとなってい
る一方、山車の曳き手やお囃子、踊りの担い手が少なくなっており、まつりの存続が
厳しくなっています。
○ こうしたことから、子どもたちが地域のことを学び、理解する教育を充実させるとと
もに、世代間を超えた交流の促進を図ることが必要です。
○ また、今後も、さらに伝統芸能・文化を継承する取り組みを行うことが必要です。
36
課題5
健幸に暮らせるまちづくりの充実
○ 竹鼻まちなかは、高齢化が進んでいることから、ウォーキング等の運動習慣を身に付
けることで、引きこもりの高齢者を減らし、健幸で元気に暮らせるまちづくりを充実
していくことが必要です。
(2)地域の強み
○ 本市が実施した「市外在住の方による羽島市に関する意識調査」の結果によると、観
光地を選ぶ際に重視するポイントとして、寺院や史跡等の歴史文化財や建造物がある
こととの意見が上位を占めています。また、岐阜県が実施した岐阜県観光入込客統計
調査を見ても、県内の歴史・文化資源がある観光地が上位に入っています。
○ 竹鼻まちなかには、全国的にも珍しい歴史民俗資料館・映画資料館をはじめ、数多く
の神社仏閣等、観光客のニーズに合致する歴史・文化資源等が、徒歩で周遊・散策で
きる圏内に豊富に存在しています。
○ 竹鼻まちなかは、名神高速道路岐阜羽島インターチェンジ及び東海道新幹線岐阜羽島
駅から車で約 5 分、最寄りの鉄道駅(名鉄羽島市役所前駅・竹鼻駅)から徒歩数分の
好立地にあります。
○ 竹鼻まちなかは、かつて本市の産業の中心として栄え、昭和の雰囲気が残る商店街や
醸造業、美濃縞等の繊維業等、多くの産業的資源を有しています。
○ 竹鼻まちなか周辺には、保育園、小学校、中学校、高等学校の教育施設が立地してお
り、地域と学校教育との連携した取り組みが行いやすい環境にあります。
○ 竹鼻まちなかには、狭い範囲に数多くの資源が集積しており、これらを比較的短い時
間で周遊・散策することが可能です。また、ポケットパークや広場が点在していると
ともに、夜間でも非常に明るく安心して歩くことができる環境が整っています。
<地域の強み>
1 観光客のニーズに合致する豊富な歴史・文化資源等の存在
2 自動車及び電車による高い交通利便性
3 体験可能な産業的資源の存在
4 地域と教育との連携した取り組みが行いやすい環境
5 安心して歩いて周遊・散策できる環境
37
3
竹鼻まちなかの賑わい再生
の目標と取り組み方針
(1)竹鼻まちなかの賑わい再生の目標
竹鼻まちなかの賑わい再生に向けては、現状や課題
を踏まえ、地域の魅力を高め、それらを有機的に繋ぎ
合わせる仕組みを構築することで、賑わいを創出し、
地域に誇りと愛着がもてるまちづくりを進めていく
ことが必要です。
近年、新幹線岐阜羽島駅のパークアンドライドによる利用や同駅から観光バスに乗り継
ぐ利用とともに、駅周辺の宿泊施設の利用が増えています。さらには、名神高速道路岐阜
羽島インターチェンジ付近では多くの企業立地が進み、特に大型商業施設の開店に伴い、
広域からの新たな来訪者が増加しており、これら来訪者の市内への滞留を促す取り組みが
必要です。
こうしたなか、平成 28 年 4 月には、竹鼻まちなかに情報発信や観光案内・展示、休憩所
や体験コーナー、土産物品の販売等を備えたはしま観光交流センターがオープンします。
このため、地域が持つ強みを最大限に活かし、さらに地域の魅力を高める取り組みを進
めるとともに、はしま観光交流センターを拠点として地域資源を繋ぐことにより、竹鼻ま
ちなかで、
「観て楽しむ」
「触れて楽しむ」「食して楽しむ」ことができる環境づくりを目指
します。
『観て・触れて・食して楽しむ』
“竹鼻まちなかの周遊・散策”による賑わい再生
~
市内外から竹鼻まちなかへ人を呼び込む環境づくり ~
38
(2)竹鼻まちなかの賑わい再生の取り組み方針
竹鼻まちなかの賑わい再生の目標である『
「観て・触れて・食して楽しむ」
“竹鼻まちな
かの周遊・散策”による賑わい再生』の実現に向け、地域資源の強みを活かした取り組み
を進めるため、次の方針を定めます。
取り組み方針1
観光の推進
○ 竹鼻まちなかには、観光客のニーズに合致する歴史・文化資源等が豊富に存在してい
ることから、これらを活かすとともに、新たな集客施設の整備等を進め、鉄道事業者
や旅行代理店等の関係機関と連携しながら人を呼び込む取り組みを推進します。
取り組み方針2
地域産業に触れる機会の充実
○ 竹鼻まちなかには、美濃縞(織物産業)、老舗酒蔵(醸造業)、昔からの商店街(商業)
等の産業資源があることから、こうした地域産業に触れる機会の充実を図ります。
取り組み方針3
地域教育・世代間交流の促進
○ 竹鼻まちなかは、多くの偉人を輩出するとともに、多くの伝統芸能・文化が残されて
いることから、世代を超えた交流を通じて地域の歴史や文化を理解し、地域に誇りを
持てる環境づくりを進めます。
取り組み方針4
健幸づくりの推進
○ 竹鼻まちなかは、高齢化が進むなか、ポケットパークや広場が点在しているとともに、
夜間でも非常に明るく安心して歩くことができる環境が整っていることから、これら
を活かし健幸づくりへの取り組みを進めます。
39
4
竹鼻まちなかの賑わい
再生に向けた取り組み
(1)地域資源の磨き上げ
【取り組み方針1】
観光の推進
①既存資源の拡充
1)歴史民俗資料館・映画資料館の取り組みの充実
歴史民俗資料館・映画資料館は、映画のポスター等の貴重な資
料を保有・展示しているものの、学校教育における歴史民俗資
料館の利用や高齢者による映画資料館の利用など、利用者層が
限定されています。
こうしたことから、様々な年代をターゲットとした企画展を実
施するなど、利用者層を広げる取り組みを進めます。
2)美濃竹鼻ふじまつりの拡充
竹鼻まちなかの最大の資源である県天然記念物で、樹齢 300
年以上のフジが咲く 4 月下旬から 5 月上旬には、美濃竹鼻ふじ
まつりが開催され、多くの人で賑わいをみせる一方、平成 22 年
(2010 年)の 17.5 万人をピークに、近年では減少傾向にありま
す。
今後は、フジで有名な近隣市と連携してフジの魅力の PR を進め、来訪者の増加を図
るとともに、
“フジのまち羽島”としてのブランド力の向上を図ります。
また、鉄道事業者等との連携により、本市と近隣市とのまつり会場を繋ぐ切符の企画
化を目指します。
40
3)地域イベントとのタイアップ
竹鼻まちなかでは、まちを活性化したいという思いを
持つ人や団体が、ぼたんまつりやなまずまつり等のイベ
ントを主催・共催しています。
今後は、積極的に活動を行う団体や各種関係機関との
連携を強化し、地域の既存イベントの更なる拡充を推進
します。
4)既存スタンプラリーの拡充
竹鼻まちなかでは、11 ヵ所の寺院や神社を巡る「美
濃竹鼻まちなか寺社巡り」が行われており、すべてのス
タンプを集めると、市内一部店舗で特典が受けられます。
また、市民ボランティアガイドによる無料案内サービ
スを実施していますが、リピーターが少ないこと等から
近年は利用者が低迷しています。
こうしたことから、複数のスタンプラリーのコースを
設定するなど、何度も訪れたくなるよう、内容の拡充を
図ります。
41
②新たな取り組み
1)歴史的・文化的価値の高い美術品等の活用
美術鑑賞は、高齢者や女性を中心に集客が期待できるツールとなっています。
本市には、平成 26 年度に市内企業から、国内外の著名芸術家の歴史的・文化的価値の
高い絵画、陶器、彫刻等の寄贈を受けており、旧菱田邸を活用し、それらを展示する場
を設け、人を呼び込む核としての活用を図ります。
また、それらの美術品等を活用して、歴史民俗資料館・映画資料館との共同による企
画展を実施するなど、地域にあるその他資源との連携した取り組みを進めます。
⇒美術品等を展示する場の創出
図15 美術品等を展示するギャラリーイメージ
ギャラリー内観イメージ
ギャラリー外観イメージ
42
2)美濃竹鼻まつりの山車の積極的な活用
美濃竹鼻まつりは、江戸時代に起源を持つ絢爛豪華な山車を目当てに、広域から多く
の来訪者を集める一方、平時の集客には繋がっていません。これは、見どころである山
車が平時は地区ごとの山車蔵に保管され、見ることができないことが一因となっていま
す。山車は県重要有形民俗文化財に指定されており、集客が期待される資源であること
から、美濃竹鼻まつり時以外においても山車を展示するなど、積極的な活用に努めます。
⇒山車を展示する機会の創出
図16 広場での山車展示イメージ
43
3)竹鼻まちなかハイキング企画の実施
名鉄では駅を起点としたハイキングイベントを実
施しており、高齢者を中心に多くの方が参加するイ
ベントとなっています。
竹鼻まちなかには、名鉄竹鼻線が通り、竹鼻駅及
び羽島市役所前駅が立地しており、駅を起点として
竹鼻まちなかの豊富な資源を巡るハイキングコース
を設定していただけるよう働きかけを行います。
⇒鉄道事業者等と連携した取り組みの実施
4)バスツアーの一部に組み込む周遊・散策プランの企画
竹鼻まちなかに近接する新幹線岐阜羽島駅は、名
神高速道路岐阜羽島インターチェンジが近いことも
あり、観光バスへの乗り継ぎが増加しています。
また、岐阜県では関ヶ原古戦場を核とした広域観
光を推進しており、この取り組みを念頭に置き、旅
行代理店等と連携しながら、ツアーの一部として竹
鼻まちなかの周遊・散策プランを組み込んでいただ
けるよう働きかけを行います。
⇒旅行代理店等と連携した取り組みの実施
5)ふじまつりのバスツアー化
4 月下旬から 5 月上旬にかけて開催される美濃竹
鼻ふじまつりは、約 10 万人が訪れる本市の一大イ
ベントである一方、来訪者の多くが個人客となって
おり、大型バスを使った団体客はほとんどみられま
せん。これは、竹鼻まちなか周辺の大型車両交通規
制や大型バスを止める場所の確保が難しく、旅行代
理店等への PR が不足していることが要因と考えら
れます。こうした問題をクリアしながら、旅行代理
店等と連携し団体客の取り込みを図ります。
⇒旅行代理店等と連携した取り組みの実施
44
6)新たな名物料理の創出
本市は、木曽川・長良川の二大河川に囲まれ、昔か
ら川魚を食する文化があり、とりわけ、なまず料理は
古くから市内飲食店で提供され、地域独自の食文化を
育んでいます。こうした食文化を活かしながら、最近
話題のうなぎ味のなまずを新たな地域の名物料理と
して、提供し普及させることを目指します。
⇒うなぎ味のなまずを地域名物料理として提供・普及
45
【取り組み方針2】
地域産業に触れる機会の充実
①既存資源の拡充
1)歴史民俗資料館・映画資料館の取り組みの充実
歴史民俗資料館・映画資料館は、美濃縞等の地域産業に
関する貴重な資料を保有・展示しているものの、歴史民俗
資料館の学校教育における利用など、利用者層が限定され
ています。
こうしたことから、はしま観光交流センターでの美濃縞
体験織りの実施とともに、歴史民俗資料館での美濃縞展示
を行うなど、地域の伝統文化に触れ合う機会の提供に努め
ます。
2)地域名物料理の普及促進
竹鼻まちなかには、老舗酒蔵をはじめ、和菓子店、飲食店
等があり、地域の名物料理であるレンコン料理やみそぎ団
子、お酒等が提供・販売されています。
しかしながら、食をきっかけとした竹鼻まちなかへの広域
からの来訪者は少ない状況です。
一方で、羽島市総合戦略の策定にあわせて実施した「市外
在住の方による羽島市に関する意識調査」によると、観光
地を選ぶ際に重視するポイントとして、グルメを堪能した
いとの意見が最も多く、食をきっかけとする観光来訪は全
国的なトレンドとなっており、特に地域の特産品を使った、
その土地でしか味わえないグルメは高い人気を誇っていま
す。
こうしたことから、多様な情報発信等によりレンコン料理等の地域の名物料理の更な
る普及促進を図ります。
46
3)老舗酒蔵のイベントの拡充
竹鼻まちなかにある老舗酒蔵では、毎年、2 月頃
に酒蔵開放が行われ、当日は、誰でも入場でき、
酒蔵見学や当日限定酒の販売、コンサートを楽し
むことができます。
また、
田植えから酒仕込みまでの酒造り体験がで
きる羽島体験プロジェクトが行われており、子ど
もから大人まで多くの方が参加しています。
このため、老舗酒蔵と連携を図りながら、こうしたイベントの拡充を図ります。
47
②新たな取り組み
1)美濃縞体験織りの実施
美濃縞は、京都西陣から縞織りの技術が伝わ
り、江戸時代から明治時代にかけて、この竹鼻
町を中心に農家の副業として盛んに生産されて
いました。現在は産業としては残されていない
ものの、美濃縞の伝承を目的とした団体の活動
により地域の伝統文化として受け継がれていま
す。
このため、定期的に美濃縞体験織りができる機会を提供するとともに、歴史民俗資料
館での美濃縞展示の実施等の取り組みを進めます。
⇒はしま観光交流センターでの美濃縞体験織りの実施
⇒歴史民俗資料館での美濃縞展示の実施
2)地元高校のチャレンジショップ等の実施
竹鼻まちなかでは、高齢化や後継者不足により、空き店舗や空き地の増加がみられま
す。
また、付近には県立高等学校があり、名鉄羽島市役所前駅を利用する学生が多くみら
れます。
こうしたことから、高等学校と連携を図りながら、空き店舗を活用して、高校生が就
業体験・起業体験を行うチャレンジショップを実施するなど、地域のまちづくりに高校
生の参加を促します。
⇒地元高校と連携した空き店舗の活用によるチャレンジショップ等の開催
図17 地元高校のチャレンジショップによりまちが賑わう様子イメージ(地場産品の販売)
48
【取り組み方針3】
地域教育・世代間交流の促進
①既存資源の拡充
1)歴史民俗資料館・映画資料館の取り組みの充実
歴史民俗資料館・映画資料館は、地域の暮らしや伝統
を伝える貴重な資料を保有・展示しており、学校教育で
の利用がされています。
こうしたことから、さらに、昔の遊び等の企画展示や
体験コーナーを設置するなど、子どもたちの関心や興味
を引き付ける取り組みを図り、地域教育を通して世代を
超えた交流を促します。
2)地域名物料理の普及促進
レンコン料理やみそぎ団子といった本市の名物料
理は、食育等の活動により学校給食でも提供されて
おり、子どもたちにとって親しみのある料理となっ
ています。
今後も引き続き、竹鼻まちなかで本市の名物料理
の提供を図り、子どもたちに地域を知ってもらえる
ような取り組みを推進します。
49
②新たな取り組み
1)世代を超えた交流の場の創出
竹鼻まちなかには、屋内で世代を超えた交流や親子が集える場が不足しています。
このため、既存の低未利用スペース等を活用し、子どもからお年寄りまで世代を越え
て安全安心に集い、楽しめる交流の場の創出を検討します。
⇒交流の場の創出(昔の遊び体験、世代を超えた交流イベント等)
図18 地域のお年寄りや親子が交流しているイメージ
50
2)郷土の偉人(永田佐吉・円空等)
・歴史の紹介、伝統芸能・文化の披露
郷土の偉人である永田佐吉や円空、太田巴静等を紹介する機会の創出や、伝統芸能・
文化に触れる場の提供により、ふるさと教育の充実を図り、地域に誇りを持ち、まちに
愛着を持つ次世代の育成に努めます。
⇒広場等を活用した郷土の偉人の紹介や伝統芸能体験の場の提供
図19 屋外での地域学習のイメージ
51
3)子どもが気軽に地域の歴史等に触れられる(仮称)竹鼻文庫の設置
ふるさと教育を学校での総合学習だけでなく、日常生活
のなかでも触れることができるよう、商店街の交流スペー
スである美濃竹鼻まちかどステーション一葉亭等の交流
スペースにふるさとに関する書籍や資料、郷土作家の書籍
等を設置し、気軽に地域の歴史等に触れられる環境づくり
を進めます。
⇒一葉亭等を活用した(仮称)竹鼻文庫の設置
(まちかど図書館として児童向けの郷土資料や児童書、郷土作家の書籍等を
所蔵、紙芝居や手遊び等の教室を開催)
52
【取り組み方針4】
健幸づくりの推進
①既存資源の拡充
1)地域名物料理の普及促進
本市での、特産品である蓮根は免疫力を高める健康食材と
して健康番組等でも度々取り上げられています。また、な
まずについても皮膚や粘膜を守る働きがあるとされます。
レンコン料理やなまず料理等の地域名物料理の普及促進
にあたっては、成分分析や効能・効果をあわせて発信し、
単に話題性のある料理ではなく、体に良い健康料理として
効果的な情報発信を図ります。
②新たな取り組み
1)ウォーキング・ジョギング企画の実施
高齢者を中心に気軽な運動としてウォーキングやジョ
ギングが定着してきています。
ウォーキングやジョギングの醍醐味としてまちの風情や
四季の変化を感じながら健幸づくりが行えることがあげら
れます。
竹鼻まちなかには、ポケットパークや広場が点在しているとともに、夜間でも非常に
明るく安心して歩くことができる環境が整っており、ウォーキング・ジョギングにとっ
て大切な準備運動ができる場や安全な道、休憩できるトイレや給水の場が充実していま
す。
こうしたことから、例えば寺社仏閣等の資源を巡るウォーキングや、春から初夏にか
けて桜、フジ、蓮の花を楽しむジョギングができるコースを設定する等の取り組みを進
めます。
⇒寺社仏閣等の資源を巡るウォーキング・ジョギングコースの設定
⇒『ジョギングの日』設定
53
(2)地域資源の繋ぎ合わせ
○地域資源を有機的に繋ぐ周遊・散策コースの設定
「観光の推進」
「地域産業に触れる機会の充実」
「地域教育・世代間交流の促進」
「健幸づく
りの推進」の4つの取り組み方針に基づく、既存資源の拡充や新たな取り組みによる資源の
磨き上げを行うとともに、これらの資源を有機的に結び付けます。
資源単体では弱い地域資源を点から線、あるいは面として繋ぐことにより、集客力を高め、
竹鼻まちなかへ人を呼び込み、賑わいの再生に繋げていきます。
以下は、4つの取り組み方針を踏まえて、地域資源を繋ぎ合わせた周遊・散策コースを示
します。
なお、今後は地域ボランティアガイドを活用し、取り組みの進捗状況を踏まえたコースづ
くりや案内の実施等を進めます。
地域資源を有機的に繋ぐ周遊・散策コース
コース1:アート満喫コース
コース2:竹鼻産業ロマンコース
コース3:郷土の偉人をめぐるコース
コース4:寺社仏閣めぐりコース
54
アートを通して竹鼻の歴史や文化を感じられるコースを巡ります
コース例1
アート満喫コース
距離:1.2km
Start
所要時間:2時間程度
既存資源
既存資源を磨いた資源
1
はしま観光交流センター
2
映画資料館
食
みそぎ団子等
3
ギャラリー(旧菱田邸)
4
円空ロード
5
本覚寺
食
レンコン料理・なまず料理等
Goal
新たな資源
観光情報だけでなく、休憩所や体験コーナー、
土産物品の販売所等も充実しています。
全国的にも希少な映画資料館
で、約 135,000 点の資料を収
蔵。特に映画ポスターの展示が
みどころで、子どもの頃に見た
懐かしい映画に出会えます。
米粉のダンゴと赤味噌の入り混
ざった何とも言えない甘辛い素
朴な風味が人気です。夏の風物詩
として親しまれています。
国内外の著名芸術家の
歴史的・文化的価値の
高い絵画、陶器、彫刻
等が鑑賞できます。
羽島市円空顕彰会の会員によ
り制作された彫刻が、道路両端
に設置され、道行く人々に優し
くほほ笑んでいます。
本堂の絵天井は、八方に
らみの雲龍と称され、ど
こにいても龍に睨まれて
いるように感じられま
す。
55
コース例1
アートを通して竹鼻の歴史や文化を感じられるコースを巡ります
アート満喫コース MAP
1
はしま観光交流セン
ター
2
映画資料館
食
みそぎ団子等
Goal
3
ギャラリー
4
円空ロード
5
4
5
本覚寺
Start
1
食
2
レンコン料理・
なまず料理等
3
56
コース例2
竹鼻の醸造業、繊維業等の産業が感じられるコースを巡ります
竹鼻産業ロマンコース
距離:2.6km
所要時間:2時間 30 分程度
既存資源
既存資源を磨いた資源
新たな資源
Start
1
はしま観光交流センター
2
ノコギリ屋根の織物工場跡
3
川町湊跡
4
川町灯台
5
青山スクエア
6
高校生チャレンジショップ
7
千代菊株式会社
食
みそぎ団子等
Goal
8
食
食
歴史民俗資料館
レンコン料理・なまず料理等
竹鼻の産業の柱であった、美濃縞の展示が行
われ、織物の体験もできます。
また、羽島市の観光情報も充実し、休憩所で
休むこともできます。
織物の産地として、ノコギリ屋根
の織物工場が多くありました。現
在も八劔神社周辺に名残のある
建物がみられます。
明治以降も川町湊は荷上場
として賑わいがあり、昭和
に入ってからも材木、炭、
瓦等の荷揚げが行われてい
ました。
竹鼻では、酒や味噌、溜等
の醸造業が盛んでした。千
代菊㈱は元文三年(1738
年)から続く酒蔵です。
美濃縞とは
江戸時代の中頃の明和年間(1764
年~1772 年)に京都西陣から「機
留縞」の織り技術が竹鼻に伝わっ
た。天明年間(1781 年~1789
年)に、京都仏光寺通り西の洞院
の火災により、そこに居住してい
た織屋が、美濃に移住して「菅大
臣縞」織りが伝わった。この二種
の縞木綿のうち桟留縞は、明和か
ら天保にかける約 60 年間、この
地方を代表する産物であった。
[引用:羽島市史]
57
コース例2
竹鼻の醸造業、繊維業等の産業が感じられるコースを巡ります
竹鼻産業ロマンコース MAP
1
はしま観光交流センター
2
ノコギリ屋根の織物工場跡
3
川町湊跡
2
4
川町灯台
5
青山スクエア
6
高校チャレンジショップ
Start
1
7
3
8
千代菊株式会社
4
Goal
食
7
7
みそぎ団子等
6
8
歴史民俗資料館
食
レンコン料理・なまず料理
5
等
58
コース例3
昔の遊びに触れあいながら、郷土の偉人永田佐吉と円空ゆかりの地等を巡ります
郷土の偉人をめぐるコース
距離:1.6km
Start
所要時間:2時間程度
既存資源
1
歴史民俗資料館
2
太田巴静の句碑
3
永田佐吉の碑
4
佐吉大仏
5
青山スクエア
6
一葉亭
7
交流の場(商店街内)
食
みそぎ団子等
8
円空ロード
9
本覚寺(永田佐吉の墓)
既存資源を磨いた資源
Goal
食
レンコン料理・なまず料理等
新たな資源
歴史民俗資料館には、昔の暮ら
しに関する資料等が展示されて
います。
漢文で書かれた永田佐吉の
生涯について記した碑が大
仏公園に設置されていま
す。
永田佐吉が建立した佐吉大仏
は、青銅造りの釈迦仏座像で、
県史跡となっています。
米粉のダンゴと赤味噌の入り混
じった何とも言えない甘辛い素
朴な風味が人気です。夏の風物
詩として親しまれています。
羽島市円空顕彰会の会員によ
り制作された彫刻が、道路両端
に設置され、道行く人々に優し
くほほ笑んでいます。
絵天井で有名な本覚寺には、永田佐
吉の墓があり、県史跡となっていま
す。
59
コース例3
昔の遊びに触れあいながら、郷土の偉人永田佐吉と円空ゆかりの地等を巡ります
郷土の偉人をめぐるコース MAP
1
歴史民俗資料館
2
太田巴静の句碑
3
永田佐吉の碑
4
佐吉大仏
Goal
9
5
青山スクエア
6
一葉亭
8
Start
7
1
交流の場(商店街内)
2
食
みそぎ団子等
7
8
円空ロード
9
本覚寺(永田佐吉の墓)
6
3
5
食
レンコン料理・なまず料理等
4
60
ウォーキングやジョギングをしながら、竹鼻の寺社仏閣等の歴史を感じられる
コースを巡ります
コース例4
寺社仏閣めぐりコース
距離:3.0km
所要時間:1時間程度
既存資源
既存資源を磨いた資源
新たな資源
Start
1
大仏公園(トイレ)
2
青山スクエア(給水)
3
逆川
4
平成パーク(トイレ)
5
八劔神社
6
円空ロード
7
竹鼻別院
食
みそぎ団子等
8
大仏公園(トイレ)
9
青山スクエア(給水)
食
レンコン料理・なまず料理等
スタート前に準備運動を行うと
ともに、トイレ・給水を行い始
めはゆっくりと出発します。
逆川を眺めながら散策しま
す。春には桜の花を楽しむ
ことができます。
羽島市円空顕彰会の会員によ
り制作された彫刻が、道路両端
に設置され、道行く人々に優し
くほほ笑んでいます。
八劔神社や竹鼻別院等の寺社の境内では季
節ごとの景色を楽しむことができます。
Goal
61
ウォーキングやジョギングをしながら、竹鼻の寺社仏閣等の歴史を感じられるコースを巡ります
コース例4 寺社仏閣めぐりコース MAP
1
大仏公園(トイレ)
5
2
青山スクエア(給水)
3
逆川
4
平成パーク(トイレ)
5
八劔神社
6
6
円空ロード
7
竹鼻別院
7
4
3
食
みそぎ団子等
8
大仏公園
(トイレ)
1・8
Start
9
食
ょ
Goal
2・9
青山スクエア
(給水)
レンコン料理・
なまず料理等
62
5
今後の展開
(1)今後の展開
竹鼻まちなかの賑わいを再生し、それを持続させるためには、有する資源を最大限活用
しながら、市民、地域、各種団体、経済界、行政等の多様な主体が連携し、主体的に携わ
ることが必要です。
このため、市観光協会を中心とし、行政、商工会議所、地域自治会、地域ボランティア、
鉄道事業者、旅行代理店等が連携しながら、将来的には、事業推進主体として市観光協会
を独立(法人化)させるなどまちづくりを担う組織の育成に取り組みます。
また、地域に根ざし、地域が一体となった取り組みを進めるため、関係者の取り組み意
欲やモチベーションの向上を図るとともに、地域のまちづくりの担い手づくりを進めます。
役割のイメージ
<竹鼻まちなかの自治会>
○賑わい再生、観光振興に向けた
取り組みへ積極的に参加
地域
自治会
<地域ボランティア>
○観光客のニーズに基づく周
遊・散策コースの案内
地域ボランティア
竹鼻まちなか
の賑わい再生
民間事業者
行政
市観光協会
はしま観光交流
センター
歴史民俗資料館・
映画資料館
市関係課
鉄道事業者
旅行代理店
等
<市観光協会>
○はしま観光交流センターで常時、観光案内等ができる体制の構築
○竹鼻まちなかの賑わい再生、観光振興の取り組み(行政、商工会
議所、竹鼻まちなかの自治会、鉄道事業者、旅行代理店等の関係
者間との調整)
○地域ボランティアへの観光案内のおもてなし講座の実施
<鉄道事業者、旅行代理店等>
○竹鼻まちなかへ呼び込む取り組み(ハイキング、バスツアー等)
の企画
63
○新たな観光資源の創出
○市内外への竹鼻まちなかの魅力等の積極的
な情報発信
○市観光協会がはしま観光交流センターを拠
点として竹鼻まちなかの賑わい再生や観光
振興の取り組みに専念できる環境整備や関
係者間の調整の支援
竹鼻まちなかの賑わい再生計画
平成28年3月
〒501-6292
岐阜県羽島市竹鼻町55番地
羽島市役所総合政策課
TEL:058―392-1111
FAX:058―394-0025
E-mail:[email protected]
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