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十八世紀とシュイクスピアの喜劇 : 女性登場人物の批評
に関する覚え書
小畠, 啓邦
英文学評論 (1976), 36: 1-29
1976-12
https://doi.org/10.14989/RevEL_36_1
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
十八世紀とシュイクスピアの喜劇
.
)
ノ
-女性登場人物の批評に関する覚え書
ヽ
小
島
啓
邦
王政復古期から十八世紀を経て十九世紀初頭にいたる時期のシェイクスピアの批評を一瞥するとき、ただちに
気付くのは、シェイクスピアの喜劇に関する言及がすくないということである。喜劇の地位が悲劇にまさると考
えられた時代は、現在までのところ無いといってもよいぐらいであるから、いわゆる新古典主義のさかえた時期
に、悲劇を喜劇よりすぐれた芸術形式とみなす風潮がつよかったとしても、いたしかたないことである。しかし、
今日のわれわれがシェイクスピアに兄いだす、あの魅力ある女性たちー円熟期の喜劇の、機智に富む、活漠な
若い恋人たち、およびロマンス劇の清純な女性たち-に対する評言がほとんど見当たらないのは、いさゝか意
外の感をまぬがれえない。
トマス・ラウンズベリーの指摘によれば、一七〇九年の:;ラス・ロウの﹃シェイクスピア全集﹄(全七巻)刊
①
行後は、各種の全集版を通して、教養ある人々が直接シェイクスピアの作品に接して独自の判断をくだすことが
可能となり、それによってはじめて、﹁悲劇のみならず喜劇の作家としての彼の偉大さが徐々に認められる﹂こ
十八世紀とシェイクスピアの亭劇
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とになった。それ以前はもっぱら、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄だけが、その喜劇のなかで最高の作とみな
されていたのである。そして、かの詩人の真価を認識するのがいかに遅かったかの例証として、ラウンズベリー
は女性登場人物(訂m已ech害aCterS)に注目し、次のようにいう。
かなり確信をもっていえることは、王政復古後の百年以上にわたる時期の批評文献中に、シェイクスピアの女性登場人物
の清純さ、繊細さ、高尚さをいささかなりとも認める含みのある一節を探し求めても、無駄であろう。彼の性格描写の技
②
偏は限りなく賞讃されたものの、それは常に男性の主人公たちの性格描写であった。⋮⋮一七七五年にいたってようやく、
今日一般に抱かれている見解に類似した、シェイクスピアの女性登場人物に関する一つの意見に遭遇したのである。
クリテイカル・ヘリテイジ
最近刊行中の﹁批評の遺産﹂叢書の﹃シェイクスピア﹄(ブライアン・ヴィカーズ編)は、六巻のうち、一七
六五年までを扱う四巻が出版されている。それなどを参照してみると、シェイクスピアの描く女性の作中人物に
触れた文章は、たしかに少ないけれども、皆無というわけではない。本稿においては、そのような倣かな存在と
しての少数派の声に耳を傾け、その主張するところを確認しておきたいとおもうのである。
○
シェイクスピアの創造した女性の、十八世紀における評価を考えるとき、おそらく常に念頭にうかび来る二つ
の評言がある。そのいずれもが十八世紀に属するものではないけれども、その前後になされたこれらの発言は、
シェイクスピアの女性人物について論じるときにはいつも無視できないとおもわれるので、周知の、しかもやゝ
長い一節ではあるが、その引用からはじめることにする。
その第一は、ドライデンが、シェイクスピアの﹃トロイラスとクレシダ﹄を改作した同名の作品に付した序文、
﹁悲劇批評の基礎﹂(TheGrOunds。hCriticisminTragedy)(一六七九年)に兄いだされる。ドライデンは、シェ
イクスピアとフレッチャーを諸々の点で比較して言う。
かの詩人︹シェイクスピア︺が卓越している点は、既に述べたごとく、より男性的な情熱にあり、フレッチャーの卓越し
ている点は、より女性的なものにある。シェイクスピアは男と男の関係を、フレッチャーは男と女の関係を措くのにすぐ
③
れていた。従って、前者がまきっていたのは友情の描写であり、後者の場合は愛情の描写であった。とはいうものの、フ
レッチャーに愛情の描き方を教えたのはシェイクスピアであり、ジュリエットとデスディそゥナがその手本なのである。
女性の描写においてはシェイクスピアがフレッチャーに劣るというこの批判は、その後も長く主流を占めたので
あり、シ・エイクスピアは﹁女性より男性を巧みに描き、劇中で女性に何か重要な地位を与えることは、実際はと
④⑤
んどなかった﹂とか、﹁女性以外はすべて、見るものを写しとった﹂などと言い続けられた。
第二の引用は、コウルリッジが一八二1一二年におこなった﹁シェイクスピアおよび、、、ルトンに関する講演﹂
(LecturesOnSh旨espe賀eandMi〓On)の第六講、第七講からである。
確かドライデソによってだとおもうが、シェイクスピアは男性のためにのみ書いたが、ボーモソトとフレッチャーは(い
や、﹁あのやさしいフレッチャーは﹂といった方がよかろう)、女性のためにのみ害いたといわれたことがあった。わたし
はまず最初に、これが真実でないことを示し、つぎに、シェイクスピアがあらゆる劇作家のなかで、女性特有の、あの現
実と思想のまざりあった形で女性を描いた唯一の人であることを示し、さらには、彼と同時代のすべての作家の劇作品中
には、男性がまじめに自分の心と分別に相談して、﹁あの女性をわが生涯の伴侶たらしめよ、わが求婚の対象、わが成功
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の褒美たらしめよ﹂といえる女性の登場人物は一人としていないことを示したいとおもう。(第六講)
⋮⋮あらゆる非難のなかでもっとも残酷なものー彼は不道徳な作家であるという非難-からシェイクスピアを弁護す
るには、その女性登場人物の描写方法および恋愛の情熱の表現方法に立入って、くわしく論じないかぎり不可能であるよ
うに、わたしには感じられる。この世に知られている他のいかなる作家にもまきって、より一層の完堅さでそれをなしと
げた唯一の例外は、イヴの描写におけるミルトンであろうとおもわれる。
シェイクスピアは男性のために書き、やさしいフレッチャーは女性のために書いた、という言葉を目にしたり耳にした
⑦
りすると、わたしは、シェイクスピアに対するこれ以上の不公平はありえないようにおもえるところから、常に烈しい胸
の痛みをおぼえるのである。(第七講)
百三十余年を隔てたこの二つの批評が、おたがいに非常に異った精神風土のなかでおこなわれたのは明白であ
るが、あまりにもかけはなれた両者がどのようにつながっているかを見きわめる糸口をつかむのが、本稿の狙い
の一つでもある。いろいろな説明の仕方があるなかで、片や、女性の存在がもっぱら男性を娯しませるものとし
てしか認められなかった時代と、他方、メアリ・ウルストンクラフトの﹃女性の権利の擁護﹄(一七九二年)には
じまる女性運動を多少とも経験しはじめた時代との間にみられる、女性に対する考え方の相違を反映していると
いうこともできよう。また別の見方をすれば、モーリス・モーガンのフォールスタッフ論(一七七七年)を囁矢と
する詳細なる性格分析に対する興味から、シェイクスピアの登場人物が吟味され、当然のことながら女性の登場
人物も吟味の対象に供されるようになる、以前と以後との遣いということもできよう。そして、そのような吟味
の結果の他の例が、ハズリヅトの﹃シェイクスピア劇の登場人物たち﹄(Wil-iam寓已-itt︰C訂畠Cぎ払えS訂訂?
甘睾‡包卓上(一八一七年)であり、また、のちには﹃シェイクスピアの女主人公たち﹄(治乱巴甘ミ㌻迦邑ミ3
⑧
の名で知られた、ジェイムソン夫人の﹃女性の特質-道徳的・詩的ならびに歴史的﹄(Mrs・AnnPBr。WnWC〓
JPmeSOn︰C訂喜菅を喜.亀青さ奉還--ら旨萱-旬邑宣旨軋要旨を主(一八三二年)である。このような傾向のな
かで、さきのコウルリッジの言葉を一歩おしすゝめるならば、﹁シュイクスピアの作品には男の主人公はいない
1女の主人公のみである。⋮⋮︹シュイクスピアの︺すべての劇の破局は、常に男性の愚行または欠点によっ
⑨
て惹きおこされる。その救いは、もしあるとすれば、女性の叡智と徳によって来たるものである。それがなけれ
ば、救いはない。﹂というラスキンの評言(一八七一年)にまでいきつくことも可能であることは、容易に理解で
きよう。しかし、本論の領域外の十九世紀に踏みこみすぎたようなので、十八世紀に戻ることにしよう。
ロ
コウルリッジの﹃シェイクスピア批評集﹄の編者T・M・レイザーは、さきに引用した第六講の引用文の注に
おいて、﹁グラスゴウ大学ラテン文学教授ウィリアム・リチャードソンは、シェイクスピアの女性に対するこの
ような評価という点で、コウルリッジの先駆者としての栄誉に値する﹂と記し、﹁シェイクスピアの女性人物の
⑲
模倣について﹂という一文を含むその著書如才童=三りぎ㌻革昌も㌣冒童萱訂C訂芸迂:半家こ富更訂主よご邑
茎こ済∴ぎ泳註ぎ苗亀﹂をさきC訂昌C蕾.二LOndOn∵宗¢)を挙げている。この女性人物論の目的は、後世の一学者
⑱
の言葉をかりると、﹁シェイクスピアの女性の拙劣さ-十七世紀のある大批評家により述べられ、また、十九
世紀の同様の大批評家により否定された拙劣さ1を否定すること﹂にあり、扱われている人物は、ミランダ、
イザベラ、ビアトリス、ポーシャ、コーディリアであるという。また、リチャードソンには、マクベス、ハムレ
ット、ジェイクィズとともにイモジェンを論じた別の著書ゝ﹁苫寮蛋恒罫邑了旨凰霊訂契軋∼憲邑古事三月﹁哲章
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亀的訂評尽昌も?無毒宰ざざCg⊇C叫等わ(-叫ぶ)もあるという。ラウンズベリーはこの書のイモジェン論に触れ
⑬
て、﹁たいして啓発するところも示唆するところもない論文﹂といゝながらも、﹁﹃シンベリン﹄の女主人公が、
その劇に現われる男性たちよりも一層きわだって研究に値すると考えた事実﹂を高く評価すべきだとしている。1
バブコックの﹃シェイクスピア崇拝の起源一七六六1一七九九年﹄は、このリチャードソンと前後する時期の
シェイクスピア批評を論じた書物である。そこには登場人物の鑑賞に関して、﹁シェイクスピアの女性たち﹂と
いう見出しの一節が約一ページ分あって、一七七〇年から一七九三年の諸例への言及およびその一部の引用がな
⑬
されている。それらは、たとえば、﹁他の作家の場合には、シェイクスピアの場合にくらべて、女性登場人物にお
ける豊富で多様な独創性を兄いだすのが困難であろうと信ずる﹂(トマス・デイヴィス)とか、﹁あゝ、比類なきシ
⑯
ェイクスピアよ!汝こそは/女性の真価を、またそのやさしき美質より/流れ出づる喜びを、知りぬ﹂(﹃月刊
評論﹄)などのごとく、とりわけ深い洞察力による批評でもなければ、特定の人物に言及するものでもない。
それでは、シェイクスピアの女性に関してわれわれと似た意見が現われたのは、ようやく一七七五年であった
という、さきに引用したラウンズベリーの指摘の根拠はどこにあるのであろうか。それは、作者不明(おそらく
は女性か?)の小説3hCQヨ竜昌計註(-∃∽)に見られる二薪の詩なのである。そこでは﹁ミランダの無邪気
⑬
さ、イザベラの乙女の操、コーディリアの父を思う情、ポーシャの智慧、要するに、彼︹シェイクスピア︺のペ
-ジに現われるさまざまな女性登場人物のあらゆる特質が、承認と賛辞の対象にされている。﹂そして、当時の
⑬
﹃紳士雑誌﹄に戴った書評は、﹁この詩篇がシェイクスピアを︽新しい観点において﹀位置づけたもの﹂ととら
えていることを、ラウンズベリーはつけ加えている。
ところで、彼が﹃紳士雑誌﹄に転載されている旨を記して一行も引用しなかったこの詩は、ロバート・ゲイル
・ノイズの﹃俳優の鏡---十八世紀小説におけるシェイクスピア﹄(一九五三年)の五二-四ページに掲載されて
いる。それは、四行二十二連からなるもので、四箇所、計九行が欠行あるいは不完全なまゝ残され、最後にも
ユソタテインメント
﹁以下欠落﹂と記された、未完を装う詩の形をとっている。ノイズの説明によれば、ギャリックが一七六八年十
⑰
月におこなった﹃祝祭﹄(3m盲註且-シェイクスピアの作品十九篇からとった登場人物による催しなら
ぴにページェ∴/トーをたたえるために書かれたことになっているという。イギリスの若き娘たちに、故郷の広
野をしばし離れて、シェイクスピアの祝祭に集うよう、呼びかける言葉ではじまるこの詩は、前半において、シ
ェイクスピアが﹁女性の裁き人、朋友﹂であり、﹁女性の心の主人、そのあらゆる源を知り尽せる人﹂であると
たたえる。詩の後半では、その実例として多くの登場人物を列挙する。それは、マクベス夫人、リーガン、クレ
オパトラ、クレシダにはじまり、ミランダ、イザベラ、コーディリア、ポーシャ、イモジェソ、ヒアロウ、ヘレ
ナ、キャサリーン、コンスタンス、シーリア、ロザリンドと続き、最後にデスディモウナ、オフィーリア、ジュ
⑬
リエットがくる。ラウンズベリーの指摘するほど注目に値する批評であるならば、その一部でも見ておく必要が
あるかもしれないから、以下に、菩劇中の女性に触れるところの多い第十五-六、十八-九連を引用しておく。
WithinnOCenCe-Mirandach害mS一
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The已i巴he害tCOrde-ipw雪mS.
AndP〇rtip-spr巴se-et邑わきまte︼l・
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十八世紀とシェイクスピアの喜劇
七
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
WhenImOgen.SdistressispastAロdくiBdicatedHerO.Sfame.
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LetCe-ia-struthremainunsung,
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れば、こ1の十八人は、主要人物としては、ジェイムソン夫人の﹃シェイクスピアの女主人公たち﹄に扱われて
いるため、ビアトリス、ヴァイオラ、そして﹃冬の夜ばなし﹄の二人の脱落などを責めることはできない。とす
確かに今日の判断に類以しているといえよう。また、挙げられている人物についても、未完の詩として作られて
個々の人物についての特徴を一語ないし二行程度で簡潔に表現した詩句に関するかぎり、これは大体において、
八
いる人物(注⑧参照)にきわめて接近しているといえるのである。
今問題にしているリ訂C茎戻せ適賢さには、実は、無名の作中人物(男女不明)の書簡なるものがあり、ノイ
⑲
ズの引用によれば、そこには、シェイクスピアは﹁女の友達の性格を完壁なまでに措いている、(私の知るかぎ
りで)唯一の詩人である﹂と、その女性描写をた1えた一節が含まれている。ここでは、﹃お気に召すま1﹄の
ロザリンドとシーリア、特に後者が注目されている。われわれが、妖精や魔女、エアリエルやキャリバンには驚
ヽ
ヽ
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ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
嘆するけれども、シーリアには驚嘆もせず見過してしまうということは、﹁それだけでも、この人物が異常なも
⑳
のではないこと、少くとも不自然ではないことの証拠として十分﹂であり、﹁この比類なき作家の麗章を発見す
るのが遅々として速やかならざることの証拠でもある﹂と述べられている。書簡の筆者は、第一幕第二場の冒頭
および同第三場八六行以下(ロザリンドがフレデリック公爵に追放を申し渡された直後)のシーリアとロザリンド
⑳
の対話を引用して、﹁私の心に何かを留めておくことができるようになって以来、シーリアの人柄に対する特別
⑳
の尊敬を心に留めてきた﹂と記している。﹃月刊雑誌﹄(一七七五年)の書評子が、この論評に﹁優雅さのみなら
ず新奇さ﹂をも認めたというのは繁くにあたらないとおもわれる。
このようにみてくると、シュイクスピアの女性に関する批評は、おそらく、十八世紀の最後の二、三十年間に
はまだ細流であったものが、十九世紀に入り、コウルリッジやハズリットとともに急に河幅をひろげた一つの流
れとみることができるのではなかろうか。この流れをさかのぼる作業は、一七七四、五年でひとまず打ち切り、
つぎには目を転じて、十七世紀および十八世紀前半の様子を眺めてみることにしよう。
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
九
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
)
(
四
アリユージ雪ソ
G・E・ベントリーの﹃シェイクスピアならびにジョンソン1十七世紀におけるその評判の比較﹄には、一
⑳
六〇一年から一六八〇年のあいだの、シェイクスピアおよびベン・ジョンソンの登場人物に対する言及の頻度
の表がある。それによれば、五回以上言及のある人物二五人のうち、シェイクスピアが十一人、ジョンソンが十
四人、圧倒的に多いフォールスタッフ(九三回、第一位)を除くと、シェイクスピアの人物十人、六二回、ジョン
⑳
ソンの人物十四人、一〇四回となり、﹁ジョンソンの主要人物はシュイクスピアの主要人物よりはるかに人気が
あった﹂ことになる。フォールスタッフに次ぐ人物(とその言及の回数)は、シェイクスピアの場合、ハムレッ
ト(十一)、オセロウ、王子ハル(ともに七)、バードルフ、ブルータス(ともに六)、デズディモウナ、ジュリエッ
ト、マクベス、クイックリー、リチャード三世(いずれも五)の順で、ここには喜劇の女性はクイックリーしか登
場しない。ジョンソンの場合には、一位は﹃ヴォルポーネ﹄のサー・ポリティックと﹃錬金術師﹄の女性ドル・
⑳
コモン(ともに十三回)である点が、多少奇異の感を与えるであろう。しかし、彼女は、劇中の暴力行為で目立
つうえに、﹁ドル・コモン﹂がprOStituteの一般的呼び名として用いられていたというのであるから、特種な例
と考えてよいであろう。
アリユ・⊥シヨソ
一六八一年からの世紀末二十年を加えた百年間を通じて見た場合、どのようになるのであろうか。フォールス
7Hンユージヨソ
タッフとその仲間たち-王子ハル、バードルフ、ピストル、クイックリーなど-の言及の総数と、ベン・
ジョンソンの登場人物の言及の総数が、五対三の比になるそうで、﹁明らかに、十七世紀の作家たちは、シェ
イクスピアがジョンソンに疑いもなくまさる一つの点はその性格描写である1そして、その傑作がフォールス
⑳
タッフである1と考えていた﹂というのが結論になる。言及は、その回数が多ければそれだけ人気があると考
⑳
えてよいものではない。ベントリーはその点をよく承知して、ライマーの﹃悲劇小論﹄を含めた表と含めない衷
の二種類を用意する供重さを示す。たとえば、デスディモウナは前者の表によると第三位(四五回)であるが、後
者では十三位(十回)にすぎない。その差三五回は、ライマーによる酷評の際の言及ということになる。
⑳
さて、この表でシェイクスピアの女性人物に対する言及をどう評価すればよいであろうか。クイックリーは、
おそらくフォールスタッフの並外れた人気に付随して言及されたにすぎないと推定できるから、除外するとすれ
ば、残るはデスディモウナ(十回)とジュリエット(五回)、そして新しく加わったオフィーリア(九回)、いずれも
悲劇中の女性である。ベントリーはこのことについて次のように述べている。
この表を全体として調べてみるとき、シェイクスピアの女主人公たちは、十九世紀・二十世紀における人気にくらべて、
その影がうすいのにすぐ気がつく。デズディモゥナとオフィーリアだけが、特に述べるに値する印象を与えたにすぎない
ようにおもえる。マクベス夫人、クレオパトラ、ビアトリス、ポーシャ、Pザリソド、ミラソダ、ヴ7イオラ、パーディ
タ、イモジェソ、それにコーディリアの名はほとんど挙がらず、未知の人物かとおもわれるぐらいである。あきらかに、
浪漫的喜劇は、十七世紀には訴えるところが非常に少なかった。同様のことが、ロマソス劇についても、ほぼおなじ確実
⑳
さでいえることだろう。⋮⋮シェイクスピアの考える無邪気な女主人公という馬のは、チャールズ王時代と王政復古期の
観客には、何の魅力もなかったのである。
ここに、本稿のはじめに引用したドライデンの批評の、ひとつの背景が明示された。他人の妻を寝取ることば
かり考えている男性と、男性に媚びを皇し不貞を楽しむ人妻とが多い、王政復古期の喜劇を考慮に入れ、さらに
それが、十八世紀に入っても人気を博して頻繁に上演されたことを考えるならば、いまベントリーの指摘する傾
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
向が、十八世紀においても当分継続すると想像することは大して難しくなかろう。
)
(
五
一二
一六九〇年代から一七三〇年代にいたる期間は、新古典主義の理論大系がもっとも確固としていた時代であり、
⑳
その代表的批評家として、﹃シェイクスピアI批評の遺産﹄の編者ブライアン・ヴィカーズは、チャールズ・
ギルドンを挙げる。ギルドソは、ドライデン、ライマ1、デニスらとおなじ姿勢をとると同時に、ファーカー、
ロウ、アディソンらにみられる少数派の意見も、多少は示すことがあるという。
シェイクスピアの劇作法は、元来、古典主義的なものに反するから、三一致の法則を唯一絶対の尺度として振
りまわす時期には、そのテストに合格する作品はすくない。﹃あらし﹄﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄そして
⑳
﹃間違いの喜劇﹄ぐらいがそれに該当する。﹃間違いの喜劇﹄はプラウトゥスの﹃メナユクムス兄弟﹄の﹁正確
⑳
な翻訳ではなく﹂、﹁すくなくともパラフレイズしたもの﹂として、この時代には軽んじられたらしい。ギルド
ンは、シェイクスピアがラテン語に精通していたことを示す証拠としてこの作を評価した。ほかにも同意見の批
評家がすくなくないが、女性登場人物という観点に立てば、さしあたり問題にする必要はなさそうである。
﹃あらし﹄は、シェイクスピアの原作が読まれたのかもしれないが、上演に関するかぎり、十八世紀前半にお
いてはほとんどすべて、ドライデソとダヴェナントによる改作(〓ハ六七年)か、あるいはさらにそれに手を加え
たシャドウェルの版(〓ハ七四年)であった。これらの改作は、幾棟装置を利用してスベクタルを見せるのをひと
つの狙いにしている。また怪物キャリバンに妹のシラコックスを、エアリエルには妖精の友、、、ルチャを配し、ミ
ランダとおなじく男性というものを見たことのないもう一人の女性、妹ドリンダをつけ加えたばかりか、女性を
見たことのないヒポリタをも加え、、、二フンダ‖ファーディナンド、ドリンダ‖ヒポリタの二組の若い男女の愛を
⑬
中心とした場面を強調している。しかし、原作にみられるファーディナンドとミランダの清らかな語らいの言葉
は、卑猥さをこめた言葉に変えられている。また、ヒポリタは女優が男装してつとめた役であり、王政復古期以
降あらたに舞台にのぼった女優に猥雑な、時には倒錯的な性的魅力を求めたらしい、当時の俗好が反映されてい
㊨
るようにおもえる。シェイクスピアの原作が舞台に復活した後も、ジョン・ケンブルはヒポリタの役を排除しき
れなかったと、ジョージ・C・D・オーデルはシェイクスピア上演史に記している。それほど、当時の人々には
⑳
訴えるところがあったのであろうが、今日では、﹁一七〇〇年以前の王政復古期の改作のなかでは、それがもっ
⑳
とも成功をおさめただけに、最悪のものと呼びうるであろう﹂とか、﹁シェイクスピアの曲解としては、二世紀
⑳
にわたるそのような暴挙中、最悪のもの﹂と厳しく非難されている。それというのも、﹁あの高貴で清朗な詩境﹂
を有する﹁シェイクスピアの原作のプロットや詞句をとり入れながら、その精神を把握することができなかった﹂
⑳
からに他ならない。このような批判は、しかし、すでに一七〇九-一〇年頃、ニコラス・ロウやギルドンによっ
て唱えられていた。ロウは、自分の編纂した﹃シェイクスピア全集﹄に付した﹁シェイクスピア略伝﹂において、
⑲
﹁二人︹ドライデンとダヴェナント︺が省いたもので、残した方がよかったかもしれないもの、また、残すべき
であったものがある、と言うことは許されるのではないかと思う﹂という表現で述べている。面白いことに、ポ
⑳
ウプは、のちに自分の﹃シェイクスピア全集﹄にこの﹁略伝﹂を含めるとき、ロウがドライデンを批判したいく
つかの部分は削除してしまった。
以上述べたような改作の人気のせいであろうか、ミランダに関する妥当な批評は、ウォーバートンの評釈(一
七四七年)まで待たなければならないようである。・-1-﹁ドライデンによって措かれたプロスベロウの娘たちは、
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
十
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の
喜
劇
一
四
砂漠において一哲学者の厳格なる戒律のもとに教育をうけたというよりも、官廷あるいは劇場で教育をうけたよ
㊨
うにみえる。しかし、シェイクスピアの描くミランダは、まさしく、かの詩人が彼女をうみだしたま1の姿であ
る。彼女の性格の統一を保つ彼の手腕たるや、見事なものである。﹂
⑫
﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄は、厳密な意味では、三一致の法則にかなっていない。ジョン・デニスのよ
⑳
うに﹁三つもの筋がある﹂ことを非難して、みずから改作することもあるが、ドライデンもギルドンも、一応規
則にあったものとして大目にみていた。この作品の女性たちに触れた文章としては、時代がかなりさかのぼるが、
王政復古の頃(〓ハ六二年)の、ニニーカースル公爵夫人マーガレット・キャヴェソディッシュの書簡がある。
⋮⋮いえ、あの方︹シェイクスピア︺が男から女に変性されたと考えたくなることでしょう。と申しますのも、あの方以
上に見事にクレオパトラを、また、自分の創造なされた他の女性たち1たとえば、ナソ・ペイジ:へイジ夫人、フォード
⑳
夫人、お医者の女中、ビアトリス、クイックリー、ドル・ティアシート、その他、数えきれないぐらいの女性たちー
を、描写できる方がありましょうか。
ここに、クイックリーと医者の女中が並んで出るのは、﹃ヘンリー四世﹄に登場するイーストチープの酒亨の女
将クイックリーと、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の医者キーズの女中クイックリーを、別人として区別して
いるのであろう。それにしても、フォールスタッフ劇の女性たちのなかに唯一人ビアリトリスが入りこんでいる
のは面白い。というのは、このリストの、彼女以外の女性たちは、ジェイムソソの﹃シェイクスピアの女主人公
たち﹄においては取上げられない人物なのである。しかるにジョン・アブトンは、十八世紀が半ば近くなっても、
﹁シェイクスピアは貴婦人のような人物を知らなかったように思われる﹂と述べたあと、シェイクスピアが舞台
に連れだす女性のなかで輝くのは、せいぜいフォード夫人とペイジ夫人という﹁二人の無骨な田舎紳士の、正直
⑬
でお人よしの二人の豪君﹂にすぎないではないかと、シェイクスピアの女性描写力をや1軽蔑したような言い方
をしている。シェイクスピア劇の女性の代表としては、この二人しか考えられなかったのであろうか。しかし、
アブトンの発言とおなじ頃、﹃紳士雑誌﹄(一七四八年十一月、十二月号)は、オットウェイの﹃みなし児﹄を論
ヽヽ
じるとともにシェイクスピアにも言及する、N・S氏の批評を掲載している。彼は、デスディモーナ、オフィー
㊨
リア、ミランダなどを賞めたあとで、﹁あの身分の低い、陽気なフォード夫人とペイジ夫人さえ、注目に値する﹂
(傍点筆者)と述べている。あとで触れるが、ここでもまた、一七四〇年代の終り近くになってようやく、われわ
れのものに近い意見誕生のきざしが見られるようである。
そこで次に、一七四〇年代をすこし詳しくながめてみる前に、女性を主人公とする悲劇-みずから﹁女性悲
劇﹂(she・tr品edy)と名づけたもの1を書いたニコラス・ロウに注目してみよう。
榊
一六六〇年から一七〇〇年にかけて、ドライデン、ジョン・バンクスのほか、トマス・オットウェイ、ナサニ
エル・リーなどの劇作家により、劇中の女性の役割を重くし、ときには女主人公の地位を与えるような悲劇が書
かれた。この狙いのひとつは、いうまでもなく、女性の俳優という目新しいものの魅力を最大限に活用すること
にあったとおもわれる。十八世紀に入ってロウはその慣向を受けつぎ、一七〇二年に﹃慨悔せる女﹄(3鴫計れ、
勺鼓富、)を、その後十年以上もたった一七一四年に﹁シェイクスピアの文体を模倣した﹂という﹃ジェイン・
ショーの悲劇﹄(宗こゴ甘さ半音鳶家風を、さらに翌年﹃レイディ∴シェイン・グレイの悲劇﹄(憲コ薫せ亀
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
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卜息誉急患(ぎ且を、書いた。女性が劇の中心を占める悲劇の例は、古くギリシァやイギリスのジェイムズ王朝
などの悲劇、フランスの古典悲劇にも見受けられ、決してロウの発案になるものではない。むしろ、ロウの悲劇
㊨
が特殊であり、他の女性中心の悲劇とは異り、高位の人を扱う場合でさえ、その人物の私的な面を強調する、家
⑳
庭悲劇を指向したものであることは、ほとんどすべての批評家の意見が一致するところである。﹁観る人の胸を
⑳
痛ましめる意図をもって書かれた、感情に訴える場面に満ちている﹂これらの作品は、今日では看過されている
といってもよいであろうが、十八世紀には、もっとも人気のある数薦の作品のなかに入っていたという。
そのような女性中心の悲劇を書いたロウが、シェイクスピアの菩劇中の女性をどう眺めていたかは、悲劇と喜
劇の違いがあるにせよ、興味深いことである。本稿ですでに何度か言及した﹁シェイクスピア略伝﹂には、
⑳
﹃むだ騒ぎ﹄のベネディックとビアトリスの会話、そして﹃お気に召すまま﹄のロザリソドの会話には、いたるところ、
多くの機智と活浸きが存在する。
という評言が、男性登場人物-マルヴオーリオウ、バローリス、ぺトルーチオウ、道化たち11た関する批評
のなかに挿入された形となって発見できる。われわれから見れば、当り前として見過しがちな言葉であるが、実
㊥
は、ロザリンドの名前は、﹃シェイクスピアー批評の遺産﹄の既刊の四巻(一六二三1一七六五)には、はかに
一度だけしか挙っていない。チャールズ・ギルドンの﹁Pザリンダの、恋する男の役は非常に巧みだ﹂という言
及がそれである。
いうまでもなく、この﹁批評の遺産﹂叢書はあらゆる文献を網羅しているわけではなく、一冊の書物のごく一
部を僅かに収めているにすぎない場合さえ少くない、ひとつの選集なのであるから、これだけをもってすべてを
判断するわけにはいかない。えてして、望む資料の数がすくないときには、たまたま見付かった少量を過大評価
ア
リ
エ
ー
ジ
ま
ソ
㊥
する危険が多分にある。それを十分に警戒しっ1、また、﹁他の︹フォールスタッフ以外の︺シェイクスピアの
登場人物に関する彼︹ロウ︺の評言は、十七世紀の言及によって支持されるものではない﹂というベントリー
の指摘をある程度のよりどころとして、女性人物についてのこのようなロウの評言は、この時代においてはあり
ふれたものではなかった、と判定することにしよう。
一方ビアトリスは、ロザリンドと違い、べネディックと対にされることにより、多少めぐまれていたといえる
かもしれない。早くも一六四〇年、レナード・ディッグズの﹁今は亡きシェイクスピアを誘える詩﹂において、
ブルータス、キャシアス、イアーゴウ、フォールスタッフとその仲間たち、マルヴォーリオウとともに、ビアト
㊥
リスとベネディックの名が挙げられているー﹁⋮⋮ビアトリスと/ベネディックを演じて見せれば、そら、あ
っという間に/土間も桟敷も特別席も大入満員。﹂その約二十年後にマーガレット・キャヴェンディッシュの言及
(一六六二年)があるが、フォールスタッフ劇に登場する女性たちのなかにまざりこんだ態のビアトリスは、さき
に引用した通りである。十八世紀に入ると、ロウを経て、ギルドンの﹃むだ騒ぎ﹄論がある。ヒアロウが無実の
罪に陥れられる筋はひどすぎて、悲劇にも喜劇にもふさわしくないと不満を述べたのち、登場人物の多様性をは
㊥
め、﹁ベネディックとビアトリスは、二人の活漠な、機智に富む、話し好きな人物で、同質ながらも完全に区別
されており、誰の台詞かを知るために話し手の名前を読む必要がない﹂と述べている。これは、﹁あらゆる台詞
㊨
が人物の名前なしに印刷されていても、その台詞を一人一人の人物に誤なく当てはめることができると私は信じ
ている﹂というポウプの有名な言葉を、ごく小規模に先取りしたような評言である。ギルドンのこの批評が、ヴ
ィヵーズのいう﹁少数派の意見﹂に近いものといえるならば、ビアトリスに関するロウとギルドンの評価の一致
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
は注目してよいのかもしれない。
ロウがシェイクスピアの作品中の女性について、当時としては珍らしく、好意的な認識を持っていたらしいと
推測する、もう一つの証拠になるかもしれないものがある。それは、彼の編纂した全集本のなかに見られる﹃冬
スタテユー・シーソ
の夜ばなし﹄の挿絵である。この作品の新アーデン版の﹁上演史﹂は、﹁十八世紀初期ならびに十九世紀半ばに
は、関心はパーマイオニーに、特に彫像の場に集中した。しかし、その間にはさまれた時期には、﹃この劇は羊
㊥
毛刈りの祝祭とみなされた﹄﹂と、W・M・マーチャントの指摘を引用しながら説明し、一七〇九年版全集のこ
の劇に付ける唯一枚の挿絵の題材として﹁ロウはこの場面を選んだ﹂と脚注に記している。挿絵にどの場面を選
ぶかということに関して、ロウがどの程度の責任をもちえたかについては、当時の出版事情に詳しくない筆者は、
判断の根拠を欠くのである。もし新アーデン版の﹁選んだ﹂という言葉を信用すれば、確かにロウは卓見の持ち
@
主であったといえよう。﹃冬の夜ばなし﹄は一七四一年に百年ぶりに上演されたということであるから、マーチ
ヤソトがいう通り、ロウはこの劇の上演を見る機会にめぐまれなかった管だからである。
では、﹁その間にはさまれた時期﹂には、彫像の場をどのように見たのであろうか。十八世紀半ばの例として、
シャーロット・レノックス夫人が、この劇の粉本であるグリーンの﹃バンドスト王﹄と比較しっ1論じている一
節を引用してみよう。
小説では、嫉妬に狂った王の后は、息子を失った悲しみのあまり死ぬことになっている。ジエクスピアが女王を生かし
ておいた理由は、最後の場面で、彼女を彫像として登場させんがためであるらしく思われるが、これはつまらぬ馬鹿げた
企てである。というのは、貞淑で情のこまやかな后としてのパーマイオニーは、十六年間も人里離れた家に身を隠しっゝ、
後悔した夫がその間ずっと、彼女の死に対する悲嘆と自責のあまり、やつれはてているのを承知していたと、どうして想
像することができようか。⋮⋮また、いやしくも一国の女王たるものが、このように興味ある幾会に、台座に立ってじっ
⑳
と動かず、一点を見つゆ、ポーニフイナの魔力ある命令によってようやく、魔法にかけられたごとく降り来たる、などとい
う道化ぶりをおこなうとは、何と途方もないことではないか。・
㊥
結局、レノックス夫人の評決は、シェイクスピアがどのように改作しょうと、あらたに創造しなおそうと、原作
の小説に﹁はるかに劣る﹂というものである。
シェイクスピアのロマンス劇は、すでに触れた﹃あらし﹄をのぞいて、あまりにも大胆に三一致の法則から外
㊨
れていること、あまりにも荒唐無椿な物語りの展開をしめすことなど多くの理由から、十八世紀の批評家たちに
は好まれなかった。ウオーバートンが、﹁一七四七年に(この時期としては珍らしく)﹃冬の夜ばなし﹄の弁護﹂
㊥
をしたが、ほとんど何の効果もなかった。一七四一-四二年に、一応原作に近い形で十四回上演されたのが、こ
の世紀を通じての﹃冬の夜ばなし﹄の唯一の上演記録であり、一七五四年以降十九世紀に入るまで、﹃フロリゼ
ルとパーディタ、別名、羊毛刈り﹄というアフターピース(巳tqpiece)に改められ、パーマイオニーの筋は忘れ
きられたのであった。このような事情を考えれば、一層ロウの慧限は賞すべきものとおもわれてくる。
ロクがシェイクスピアの喜劇の女性に言及しているのほ、Pザリンドとビアトリスに関するものだけであるが、
いわば間接的な言及をしている﹃ヴェニスの商人﹄と﹃十二夜﹄の女性について、簡単に触れておきたい。
㊥
ロウは、﹃ヴェニスの商人﹄についてやゝ詳しく論じたあと、この劇には﹁特別の注意をはらうに値する二つ
の詩句﹂があるとして、ポーシャの慈悲をたたえた箇所と音楽の力について述べるくだりとを挙げている。ポー
㊥
シャに対する他の批評家の言及はこれまた少く、ギルドンが彼女の言動は女に、またその高き身分に、ふさわし
くないと非難し、しとやかさの欠除を憤るがごとき一節ぐらいである。
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﹃十二夜﹄は、十八世紀において、やはり言及される回数が少いが、ロウは、シェイクスピアのすぐれたイメ
ージの例として、ヴァイオラの﹁石碑の上の忍耐の像﹂のくだりの五行(第三幕第四場)を引用している。シオボ
㊥
ールドは(一七三三年)、﹁かくも広く貿讃を博しているこの非常にすばらしいイメージ﹂はチョーサーから借り
た可能性がなきにLもあらずだが、はるかに元の詩をしのいでいると評釈をつけている。この一節がよく知られ
ている証拠は多くあるとおもわれるが、ここでは、フィールディングの﹃トム・ジョウンズ﹄(一七四九年)の
﹁ジョウソズ自身はというと、彼は石碑の上の忍耐の像のごとく、悲しみをものともせず微笑をうかべていた﹂
㊥
(第四巻第四章)という一節の存在、およびリチャードソンの﹃サー・チャールズ・グランディソン﹄(一七五四
年)にみられるその詩句の引用(第三巻書簡二十一)を指摘するにとどめよう。
)
(
七
前節では、ニコラス・ロウがシュイクスピアの女性人物をどのように評価したかを考察すると同時に、ロウの
注目する人物や場面に、チャールズ・ギルドンをはじめとする十八世紀前半の批評家たちがいかに反応している
かをも、多少あわせて見てきた。それによると、一七四〇年以前では、シェイクスピアの女性に向けられる注意
がロウをしのぐという批評家は発見できなかったが、一七四〇年代の後半にいたって、女性登場人物にや1関心
が向けられはじめたかに見受けられるのであった。
舞台では、一七四〇年頃からシェイクスピアの喜劇の復活がはじまり、その当時まで上演されなかったか、あ
るいは改作のみが上演されていた作品も、多くの観客の日にふれることとなった。それは、﹃お気に召すまゝ﹄
﹃十二夜﹄﹃むだ騒ぎ﹄﹃終りよければすべてよし﹄﹃ヴェニスの商人﹄などであった。一七四一年から五十年
㊥
にかけての十年間には、総公演回数四〇一六回のうちシェイクスピアの作品の上演は一一二三回(そのうち喜劇
㊥
は四一二回)をしめたというから、大体三・五回に一度(七回に二度)の割合でシェイクスピア劇が舞台にかけら
れた勘定になる。
このような突然のシェイクスピア復活の理由はどこにあるのだろうか。一七三七年の検閲令公布以前には、劇
場経営者が、良い悲劇の不足をシェイクスピアの悲劇で補っていたが、検閲令実施の頃から新作の喜劇にも不足
して、シェイクスピアに頼ろうとする試みがはじまった。折しも丁度、それを受けいれる環境ができあがってい
た。すなわち、一七三四年にトンソンとウォーカーの二軒の書店がきわめて安い値段でシェイクスピアの作品集
を売り出し、一般の関心と要求が高まっていた。もちろん、これが成功した背後には、一七〇九年のロウの﹃シ
ェイクスピア全集﹄以来、ポウプ、シオボールドの版(それぞれ、一七二五年、一七三三年)が続き、おのおのが
さらに版を重ねたという事情がある。また、アディソン、スティールの﹃スペクティター﹄をはじめ各種の新聞
・定期刊行物が、シェイクスピアに関する意見を載せて、一般読者の啓蒙につとめた成果もある。﹁婦人シェイ
クスピア・クラブ﹂が結成され、シェイクスピアの正しいテキストに基く上演を要求し、一七三五年にはコヴェ
ント・ガーデン劇場でそれが実現されたというような例もある。一七四一年以降、名優ギャリックの登場も大き
な原因であったことは、いうまでもない。
もしかかる事情でシェイクスピアに対する関心が急に高まったとすれば、俗塵から離れることを誇りにしてい
るかもしれない批評家たちにも、知らず知らずのうちに、何らかの影響を与えずにはおかなかったのではなかろ
うか。そのかすかな徴侯はすでに見た通りであるが、このような場合、反応がもっとも速やかなのは、当然なが
ら新聞雑誌であろう。はたして正確にその一例となるかどうかは断足しがたいが、さきにも触れた、一七四八年
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十一月、十二月号の﹃紳士雑誌﹄に載せられている、N・S氏の﹁﹃みなし児﹄の悲劇に関する評言﹂は、注目す
べき一節をふくんでいる。
彼︹シェイクスピア︺の女性-デズディモウデ、オフィーリア、ミラソダ、ヒアロウ、シーリア、ポーシャ、ジェシ
カーもまた、もっとも絶妙なやさしさと純真さとを持っている。あの身分の低い、陽気なフォード夫人とペイジ夫人さ
@
え、注目に値する。⋮⋮彼の描く女性は、やさしく、つつましやかで、おもいやりがある。そして、女性が自慢しなけれ
ばならない愛すべき特質をことごとく授けられている。
ここではまだ、女性人物ひとりひとりの特質を区別するのではなく、女性人物たちをひとまとめにして、シェイ
クスピアの筆致をはめるのである。そこにはヒアPウがいてビアトリスがいない、シーリアがいてロザリンドが
いない、ジェシカが入っている、などと注文をつけたくなるのであるが、この八人の女性群は、ジョン・アブト
⑳
ンがフォード夫人とペイジ夫人に軽蔑的に言及したのち、シェイクスピアの悲劇の女性は台詞を聞くより眺める
存在であるとして挙げている、﹁ミランダ、デズディモウナ、オフィーリア、ポーシァ﹂をしのぐ大きな群とい
ぅことができる。そして、これは、﹃ロンドン雑誌﹄(一七五〇年六月号)所収の無名氏の詩﹁シェイクスピアの
亡霊﹂のなかで言及されている女性たちージュリエット、ビアトリス、ハムレットの母、エドワードの未亡人、
スコットランドの無法な王の誇りたかき妻など-よりは正統なリストといえるのではなかろうか。そして﹃ロ
ンドン雑誌﹄の珍らしい坂り合わせもまた、それなりに、面白いものではある。
以上一瞥した四十年代の終り頃の風潮について、小説家サミュエル・リチャードソンが述べているのは、当時
の人々は考えて読まなければならない作品には見向きもしないということである。簡明こそが大声で世間の求め
ているもので、﹁彼らには一目瞭然の美はいくらでも見えるのかもしれないが、鉱山に宝石が埋もれていて獲得
するのに労力を要するならば、掘ってみょうともしないのである。ミルトンの﹃失楽園﹄が今日もし新作として
㊥
出版されるのであれば、好評を博するとは思われない。シェイクスピアは、あれほどの絶妙な詞章にもかゝわら
ず、当代の作家としてならば、やじられて舞台から引き返がる羽目に陥ったことであろう。﹂(一七四八年十月二
七日付エアロン・ヒル宛書簡)。
すでに指摘した通り、一七四一年以降にはシェイクスピアの上演回数が極端に増加した。一七四一-五〇年は、
この世紀を通じてもっともその頻度の高い十年間であった筈である。それにもか1わらず、﹁シェイクスピアは、
ヽ
ヽ
ヽ
当代の作家としてならば、やじられて舞台から引き過がる羽目に陥ったことであろう﹂といわれるのである。ま
た、﹁御存知のことと確信しているが、当世、シェイクスピアを槍玉にあげることほどのはやりは他にない﹂とは、
㊥
フィールディングが﹃コヴェント・ガーデン・ジャーナル﹄(一七五二年四月十八日付第三一号)に寄せた記事の
なかの言葉である。シェイクスピアがこの時代に非常に好まれた劇作家であると考えがちであるが、かの詩人に
厳しい、ジョンソン博士の﹃シェイクスピア全集﹄﹁序文﹂が公刊されるのは、さらに十余年後の一七六五年の
ことである。時代の風潮はまだあきらかに十八世紀半ばであったようである。改作の傾向は王政復古期や世紀始
めよりも減少したものの、たとえば﹃シソベリン﹄は、その後もさらに、チャールズ・マーシュ(一七五五年)、
㊥
ウィリアム・ポーキンズ(一七五九年)、ヘンリー・ブルック(一七七八年)、アンプロウズ・エクルズ(一七九三
年)らの手をわずらわせることになる。
リチャードソンは﹃パメラ﹄(一七四〇-四一年)と﹃クラリヅサ・バーロウ﹄(一七四八1四九年)とにおいて、
ゆれ動く女性の心理状態を克明に記述したのであるから、女性の描写に関しては相当に意識していたと推測でき
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る。そして、確かにその通りなのである。一七五四年二月十四日付ブラッズへイ夫人宛の長文の書簡のなかで、
ウィリアム・メイソンの﹃エルフリダ﹄(一七五三年)という小説を批評しながら、次のように述べている。
⋮⋮そして最後に︹メイソソは︺女性の心情や性格を少ししか知らなかったといってよいでしょう。親愛なるB夫人、実
際、巧みな人でさえその著述の中に女性の性格をあまりにも容易にーそれも、一般の意見に基くか、特定の知己に基く
⑩
かしてーとりあげる例をごらんになるでしょう。卑見によれば、あらゆる作家のなかで女性を最もよく知っているのは、
シェイクスピアです。女性たち以上に女性をよく知っていたのです。
シェイクスピアの個々の女性にこそ触れていないが、ここにおいて、ロウの場合よりも一層安心して信じること
㊥
のできる批評家に出会うことができたようにおもわれる。リチャードソンの心理描写を読む﹁現代の読者は、大
いに変化した女性の地位を考慮し、また、幾分かは歴史的態度を堅持しなければならない﹂といわれるのである
から、リチャードソンがシェイクスピアの女性描写に見たものと、われわれが見るものとの間には大きな隔りが
あるかもしれない可能性の方が強い。けれども、実践家としての彼の批評には、ロウの場合とおなじく、重みが
ある。そして、みずからの女性悲劇によったロウとおなじく、リチャードソンもまたその小説によって、読者の
関心を女性の作中人物なるものに向けることに、多少とも成功したのではないだろうか。もし、たとえば、一七
六〇年代における﹃シソベリン﹄の人気(注⑬参照)を見て、それは、リチャードソンの小説などにみられる女性
の苦難の物語がイモジェンに対する観客の興味を刺戟した結果だ、と考えることができるならば、さきに述べた
ウィリアム・リチャードソンの、イモジェンを含む登場人物の分析とうまく結びついてくる。しかし、これでは、
あまりにも早急に、また安易に、影響関係を考えているとの批判を受けるかもしれない。一七五〇年から七五年
頃にかけての問題点のひとつは、やはり、﹃シンベリン﹄を中心とするロマンス劇の受け入れられ方にあるとお
もわれるが、それを論じるだけの充分な資料を現在は欠いている。本稿においては、ドライデンからコウルリッ
ジにむかう大体の傾向をたどろうとしながらも、二人のリチャードソンの間の時期にはほとんど触れずに残すこ
とになった。十八世紀後半については、﹁批評の遺産﹂叢書の続刊を待ち、稿を改めて論じることにしたい。
本稿は、ジョソソソ協会第九回大会(昭和五十一年五月三十一日、於広島大学)パネル∴ディスカッションの発表に加筆したものである。
(注)
①ThOmpsR.LOunSbury︰的訂許も軍音更=こ¥呈§ぎゝき註(2ewYOrk.-父芯).p.岩戸
③lOhnDrydenH電b古さ蚤こ首唱雪昆9吾C主叫C已和宏竜♪ed.GcO宗eWatsOn、N昌-S.(L。nd。n.-宗N)こ.p.N$
◎ヽ試Ppp.当千謡.
④ChPr-esGi-dOn.quOtedinLOunSbury.QやC訂.、P.当-.
⑤ヨchO-PSROWe∴茜:富豪ミミ的五首註瞥(-30),Pr0-Ogue-.岸quOtedinLOunsburyI尽.註こP.∽声
⑥S・T,CO-eridge∵望訂訂息罫ミ窯冨C主計訂竜Ped・ThOmPSMidd-etOnRaysOr-Nく0-S.(LOndOn.-箕○)-:I.pp.誓TP
⑦ヽ註軋こHrp.昌の.
⑧本書において扱われている人物は合計二五名、﹁知性の人物﹂としてポーシ了、イザベラ、ビアトリス、ロザリソド、﹁情熱と想像力の
ィモウナ、イモジェソ、コーディリア、﹁歴史的人物﹂としてクレオパトラ、オクテイヴィア、ヴオラムニア、コソスタソス、ギエソのユ
人物﹂としてジュリエット、ヘレナ、パーディタ、ヴァイオラ、オフィーリア、ミラソダ、﹁愛情の人物﹂としてパーマイオニー、デズデ
リナー、スペインのプラソシュ、。ハーシー夫人、ポーシ7、アソジューのマーガレット、アラゴソのキャサリン、マクベス夫人である。
デスディモウナ、イザベラ、パーマイオニー、イモジェソ、女王キャサリン、パーディタ、シルヴィア、ヴァイオラ、ロザリソド、ヘレナ、
⑨lOhnRusEP∴紆準夢二完料h転封(︻笥-)-Eくerym呂、sLibrary-pp・父γ-・なお、ラスキソの言及している人物は、コーディリア、
そしてヴ7-ジリアである。
⑲S.T.CO訂ridge,QやC訂こII.p.澄.
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⑪HerbertSpencerR。bins。n︰昏隻監わざ訂宮呈.呈C主計ぎデ訂叫ぎhざ曽§邑二ぎ喜j(-器N:ptd.け訂wY。rk∴¢㌫)-p,-芦
⑲旨鼠.、pL箪これらのリチャードソンの著書は、本稿執筆に際し是非参照したいものの一つで、入手に努力したが、残念ながら現在ま
で未見の書である。なお、ファーネスの新集註版シェイクスピアの﹃シソベリソ﹄二九一三年)の巻末附録﹁批評﹂の項に、ただ﹁リチャー
ドソン﹂として引用されているイアキモウおよびイモジェソに関する文章(四九六-九八ページ)は、おそらくhh蟹訂良家邑二言鼻息
からとられたものではなかろうか。
⑲ThOmasDaくies.b遥遠已計L蛋笥註も邑ぎ(-遥e-く0-.Ilら.宗U,quOtedinRObertWhitbeckuabcOCk‖3鴨G等乳ここぎ蚤鳥堅至
寮呈さよぎ訂.試しくIH(-∃N).p.舎PquOtedinR.W.出abcOCk\旨計㍗p.-uP
、計Eざーツ浩Thコぢ(-器ごrptd.2ewYOrk,-父詮),PP・-?省.
T.R.LO呂Sbury.OやC革p.当今
と罫汁+.ただし、﹃紳士雑誌﹄からの引用はG昌患謹呈-h誼∬盲瞥革u已ン(Aug∵〓霊ダp.山戸同誌の三九四ページにその詩が転載
㊨ヽ試Pp.-N吟.
㊨旨叫声p.-NP
㊨以下は同書、一二六ページの表による。
rptd.-漂い)、I、P.-N↓、
⑲Ge=-dEadesBent訂y︰Sg雷鳥昌苫gd㍉。彗冨∵3各こぶ監告ぎこ卓賢こぎ塞ぎ皇C等芸ミヾCO選甘苫丸㍍≦訂.(ChicPgO∵¢畠︰
(〓armOndswOrth.-霊¢).p.-3.
士は、シーリアの行為を..theherOism。鴫herEendship、-と呼んでいるーW.K.Wimsatt(edヤ∵9∴甘ざ§ぶ宝∴繚乱艮ぎミ
㊨き旨ミミヾ知鼠等.uH(-3い).pp.畠?拐byGeOrgeC。-mantheE-der.宅OtedinPG.20yeS.p.SBOte.なお、ジョソソソ博
㊥ヽ監札..p.票.
⑳∼箪Pp.票.
⑲ヽ監㌣p.宗.
⑲ヽ試Pp.霊.
ue⊥.
㊥RObertGa-e20yeⅥ︰3㌣3足許デ塞ぎきよきざせ室ごま誉h音冨蔓草訂罫ミニ訂(PrOくidence.RhOdeIs-and.-害u),pp・
されているという。
⑩⑲⑲
㊨
﹃へソリー四世一部および二部﹄﹃へソリー・五世﹄﹃ウィソザtの陽気な女房たちLqのいずれ三言及したものかは、区別がつかないそう
ヽ紅さpp.-N)紆-Nや
CharlesGi-dOn︰告示好さ呂罫:京知を;已句遠さ=誉哲治毒ここぎ罠云富空軍ござ音(-コ○)Ln的C碑lI-p.N-空
GerardLggbaine︰き:含§昌こち夢二ぎ亀邑こざ芸更訂句註(-の〓),inhC串I(-3這).p.告や
は一六二三-九二年、第二巻は一六九三-一七三三年、第三巻は一七三三-五二年、第四巻は一七五三-六五年をそれぞれ扱う。
田肯ipロ.くickers(edL︰家註且百害∴遅C主計∵寧ヨ巨悪(LOndOnLS芋く。-∴-p.-.以下、この叢書を∽C壇と略す。第一巻
∼監軋..p.-N甲
であるー同書、一二〇ページ脚注。
⑳
⑲
⑲
㊥
㊨
Char-esBeecher已Ogan︰治註足首吉富こ訂ゴ貫き-ゴビ了︼宣ごゝ知買えふこせ甘遍宝§去ござ最善N言︼S∴○已Ord.-雷撃印ジ
知逗姿夢二呂蕾hざ卓二亀hぎ瓢遷宮電(-ご○)-inhC串II.p.N芦
㊧
G.C.D.〇de〓1尽.註..I-P.巴.
呂pgltOnSpeg3︰泣監漕官軍∴ぎせ豆宜∵リ訂出方菅生を昌S星ぎこおや旨蔓:軍礼昌曇り蒼(CpmbTidgO.Mpss..-ゆ3).p.gU.
GeOrgeC.D.〇deu︰曽註且ぎ畠!芋茎こぎ雪ぎニ?ぎ音.N<0-S.(耳ewYOrk.-父呂∴1ptd.-宗芋I.p.rd声
I.pp.畠㌣当.
⑲
中西信太郎﹃シェイクスピア批評史﹄(あぼろん社、一九六二年)五五ページ。なお、改作の﹃あらし﹄については、同書五一-六〇ペー
㊧
⑳
⑳
ゥ〓chO-asROwe︰SQ鳶ゝCへ0蓋、亀誉卜さ賢・亀旨マ・琶ミ旨選り訂評苺等J旨D・ヨch〇一Sヨith(ed.)こざま§邑C昌をj∴評塞き
ギルドンの批判は、hC碑IT-N?試参照。
ジ参照。
㊥
⑲
D・ゥコchO-Smith.旨さ㌣p.N雲.(以下同書をDZSと略す)
昌的訂計も昌苫(Ox冒rdこ1eく.ed.-宗学p.-P
Wi≡pヨWarburtOn=ヨ鴫寸冒鼠的亀的雷君も旨声nOtetOヨ訂当選せ卓二二i.合示声iロ的C碑llI(-誓ひ).p.NNP
⑲
㊨
10hnDennis︰3hCQ邑C已G註白ミ㌧0、.蕾き萱芸こ丁寧こ宗旨評を息(-さN).引用はそのThe向pist-ededicatOryより-
MargaTetC雪endish-DghessOfZewcast-e.Letterこい▼cc的ヽ哲へ叫註、へ卜主等♪inhC串I.p.合.
Dryden二楓!鼠ナI.pp.更)蝕nこNS紆n.GildOn-QやC監こhC旦HIIPP.NN-.N試
hC旦lI.p.-巴.
㊨
㊨
㊨
十八世紀とシェイクスピアの喜劇
十
八
世
紀
と
なじ句がみられるかどうかは不詳。
シ
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二
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㊨lOhnUpt。n︰C主計㌫忌宗三善選=云色数雇官憲(Nndedニー墨字inhC碑III.p.N芦アブトンの著書の初版(一七四六年)にお
hC由III.p.ビ.
㊨∴闊emar訂。ntheTra等dy。ftheO尽訂ぎーby声S.iロ︰コ訂(PS賢茜巳.的蓄電鼠.莞1㍍SHi(20くemberandDecember二言芋in
㊨三chO-asROwe日当訂h村㌻hざ乳首已ed.Ma-cOlmGO-dstein(RegentsRestOratiOnDramaSeries)(LOロdOnL票芦pp.雲丁震.
亀蕾的富旨亘詰C宗旨童(2ewYOrk.-3-).p.-3.
⑲呂巳cOFGOEstein∴P翼h。∽呂dPe宗On巴ityintheT宗駕di$0︻窯chO-asROwe㌧in10hnH.MiddendOユ(ed.)︰内点謀計司ミ3
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⑳一七〇二年から七六年までの上演回数の多い悲劇は、Otway︰望訂▲9尽き=(巴忘per旨rmance草ROwe︰叫材ヨ毒完と軒更(NmN).ROwe︰
(NOひ)-COngreくの‖りぎこき竃鼻息こ冒罫(NO∽)であった。-EmmettI.Aくery∵ThePOPu-arityOhりぎこ5壷表音叫加寓語.知e変革鼠
建邑訂云、罫∵詮註C主音:蝿等試写色盲IH(-苫-).pp.--㌣-Pエイヴァリーのこの調査結果は各所に引かれている。
⑳ROWe.inDZS.p.--.
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㊥Gi-dOn.尽.cFhC碑II-p.N巴.
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曾雲:軍軋疑:ぎ旨(LOndOn.-箆豊pp.NO㌣心より。
㊥1.揮P.Pa曽rd(ed.Y叫ぎこさえ箪正当註(L。ndOn.-宗学p﹂声なお、マーチヤソトの引用はW.MOe-wynMercha芝︰り訂計や
㊥W.M.Me↓nh巴え.$芯.、p.N宗.
㊥CharざtteLenn宗︰治乱遷せヨこき蚤蔓註.切言︼S.(-謡㌣監)LnhC貪Hく(-胃の).pp.-N㌣NP
⑳L富戸p.-NP
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㊥ROWe.inDZS.pp.-Nl-∽・
㊥L等isThe。ba︼d︰36等ぎ訂♪﹁監監頚骨ミ(-景学nOtetO冒ミ語呂ぬきH・iv・≡Pin∽︹耳目・p・念戸
S軋ヽC訂きhG三寒賢Q芦ed一lOCe-ynHarris.∽言-S.(OxfOrdLSN)LI-P・-∽P
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㊥C.B.HOgan.阜cFI.p.畠率
-↓含⊥忌0..詮.やIl(-¢巴).pp.NNTわー.紆≡(-器N)-pp.∽-㌣g︰ArthurH・ScOuten.TheIncreaseinPOpuFrityOfShpkes・
㊥この一節は、前記C.PH。ganの著書以外に次の論文を参照した。GeOrgeWinchesterStOneJr・.Sh旨espeareinthePeriOdic已S,
peare、splpysintheEighteenthCentury=ACS邑旨rInterpretersO-St品eHistOry㌧叫声やくHI(-誤字pp・-雷-NON︰河mmett
L.Aくery..TheShPkespeareLpdiesC-ub㌧詮.や雲H(-霊草pp・-∽㌣挙
⑳.Reヨ胃ksOntheTragedy。=heO尽訂畠∴by声S・∵nhC斗HHT,p・∽綽
⑲lOhnUptOn.OやCぎinhC串llI.p.N胃
㊥JOhnCarrOu(ed.)︰的已毘ah塞ぎ:斗汐毒草こざ訂昆箋(○已Ord--宗芋p・霊・
⑲HOanWi≡ams(ed.)‖3∼C主旨訂ヨ亀h計ミ七句邑丸首恥(LOndOnJSO),p・声
⑲1.芦20SWOrthy(ed.)︰Cヾ3g謎莞(LOndOn.-害い)1P.巴-.ただし、これらの改作のうち実際に上演までこぎつけたのはホーキソズ
のものだけで、上演回数僅かに七回である。ちなみに、トマス・ダーフィーの改作(一六八二年)の十八世紀の上演回数は二十二回(一七
〇二、一七-二〇、三七-八年)である。シェイクスピアの原作の上演回数は一七四一-六〇年に十回、一七六一-七〇年に九十九回、一
七七一-八〇年に四十四回、一七八一-一八〇〇年に二十五回となっている。-C.B.H。g3-も=資
⑲1.CarrO〓,QやC羊p.N胃.もっとも、リチャードソンの念頭にあるのは悲劇中の女性のようである。
㊥GeOrgeSherbu=andDOna-d句.BOnd=3へ和毘宮告ぎ:翠㌣無官廷吏盲口蓋ぎヾ∵選挙-記も(LOndOn.Nnded.-害Pp.箆亭
時の女優たちから、シェイクスピアの清純なイメージは得がたいとおもわれるからである。ただし、再考を要する問題ではある。
︹付記︺本稿においては十八世紀の劇評に触れなかった。それを蒐集する困難が予想されるばかりでなく、美貌ながら私生活の乱れていた当
十八世紀とシェイクスピアの菩劇
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