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Page 1 Page 2 ーヌロクラムノート 中 村 孝 義 ` (大阪音楽大学学長
'伊 ∝身P∝ 熟辞主殊砕だネネ遇拓来迂拓ネ越%持 ピ将神じてるじ灯れう灯やじ好おじ将来ピ 垢車う 越 馬的じ 来 ネ ピ 垢やじ石 越 垢栄ピ垢誨ぜ将酌じ灯おじておう好とD ネ 財団法人 神戸市演奏協会 第 3 4 8 回 公演 神戸市室内合奏団 設立30周年記念シリーズ 18世 紀 か らロマ ン派 ヘ ∼ライプツィヒの音楽家たち∼ バッハの遺伝子 は、ヨーロッパ各地 に運 ばれ と き と ころ 12月 9日 (金)18:30開 戸文化 ホ ー ル ・中ホ Tル 2011年 神 フElグラム 演 ‐ ッハ C.Ph.E.Bach C.Ph.E.バ 弦楽 の ため の6 つ の シ ンフ ォニ ア 第 2 番 変 口長調 W q 。1 8 2 - 2 H , 6 5 8 Sinfonio Nr.2 wQ.182-2 H.658 Allegro di molto 第 1 楽章 ア レグロ ・デイ ・モル ト ー ・ Paco adagio 第 2 楽 章 ポ コ アダ ジョ 第 3 楽 章 プ レス ト Presto F.J.ハ イ ドン Fo J.Haydn ー I-105 オ ボエ、ファゴット、ヴァイオリン、チェロのための協奏交響曲 変口長調 Op.84 Hob・ Concertante Op.84]Hob.I-105 Allegro 第 1 楽 章 ア レグ ロ Andante 第 2 楽 章 ア ンダ ンテ ー ・ ・ ロ コ 3 楽 ピ ン ス Allegro con spirito リト 第 章 ア レグ F.J.ハ イ ドン F.J.Haydn 交響 曲 第 9 3 番 二 長調 H o b . I 二9 3 Sinfonia No.93 Hob.I-93 第 1楽 第 2楽 第 3楽 第 4楽 章 章 章 章 ア ラ メ フ ダ ージ ョ ー ア レグ ロ ・ア ッサイ Adagio― Allegro assai rgo cantable 助 ル ゴ ・カ ンタ ー ビ レ :ア MENUETTO:Allegro レグ ロ ヌエ ッ ト マ ・ノン ・トロッポ FINALE:Presto rla non troDpo ィナ fレ :プ ロスト・ 指 揮 / ゲ ルハル ト ・ボ ッセ 独 奏 / オ ー ボ エ : 青山 聖 樹 フ ァ ゴ ッ ト : 河村 幹 子 ヴァイオ リン : 由井 圭 チ ェ 田 :伝田 正 則 管弦楽/ 神 戸市室内合奏国 主催/ 岡 神戸市演奏協会 i 神 戸市 コ働神戸市民文化振興財団 神戸文化ホール うf詩じてヽどX課ヽみP∝9行0つ馬 的じ垢ネ竜弥Pに'行金う好玲ど将閑'筆 垢電 馬茉ヽ弥P∝)f苺う串 奄 馬 だ ヽ電 馬電 ヽ P咲う行草う灯詢ぜ%ネ選弥P∝)?越 垢 石 来選弥β主)『卓9f詩じ将来ぜ%R錠身 ●フログラムノート 中 村 孝 義 (大阪音楽大学学長 '音 楽学) 「 18世 紀か らロマ ン派 へ ∼ ライ プツィ ヒの音楽家たち ∼」 とい う年間テ ー マ の元 に進 め られ て きた神戸市室 内合 奏 団 の設立 30周 年 を記念す る2011年 度定期演奏会 シ リー ズ も、 今 回を含 めて2回 を残す のみ とな った。 今 回 も音楽 監督 ボ ッセ さん の登場。 プ ログ ラム には2曲 のハ イ ドン の交響 曲 (ただ し1曲は協奏交響 曲)と C,Ph.E.バッハ のシン フ ォニ アが組 まれている。 この プ ログ ラム をみて、こ れが今 年度掲げ られた年 間テ ー マの 「 ライプツィヒの音楽家た 一 ちJと 体 どのよ うな関係が あるのだ ろうといぶか しく思われた方 もお られ るか もしれな い。 ベ ル リン のバ ッハ、 ある い はハ ンブル ク のバ ッハ と して知 られ るC.Ph.E.バッハ は大バ ッハ の次男。 生 まれ は ワイ マ ー ルだが、 ケ ー テ ンの ラテ ン語 学校 、 ライプツ ィ ヒの トー マス 学校 を経て 1731年 には ライプツ ィ ヒ大 学 に入 学 し て 法学 を学んで いる。要す るに多感 な 青年時代 を、 ライプツィヒに聖 トー マス 教会 カ ン トー ル として赴任 した 父親 の も とで 過 ご した ので ある。 もちろん作 曲 と鍵盤楽 器奏法 は父か ら学 んだ。 そ の後 1740年 には ベ ル リンの フ リー ドリ ヒ2世 (大王)の 宮廷 で チ ェンバ ロ奏者 に就任、 さ らに1767年 にはハ ンブル クに移 つて 代父テ レマ ンの後任 としてハ ンブル ク の5つ の教会 の音楽監督 を兼任 した。そ の斬新 な転調、 強弱やテ ンポの急 激 な変化 によって もた らされ る感 情が噴出 して くるよ うな 多感様式 と呼ばれ る表現 ス タイル は、次 の世代 の音楽家たち、 と りわけハイ ドンに大 きな影 バ ッハ 家 の遺伝子」 は、息子たちの手 によって 確実 に 「 ヨー ロ ッ 響 を与えた。つ ま リライプツ ィ ヒで 受 け継がれた 「 パ 各地 に運ばれ」、次 世代 の作 曲家たち に受 け渡 されたので ある。 この ことを現実 の音楽 として 耳 にで きる のが今 回 の音楽会 とい うわ けだ。 C.PLE.バ ッハ (1714∼ 1788):弦 楽 の た めの 6つ の シ ンフ ォニ ア 第 2番 変 口長 調 Wq1822 H.658 -昨 年 (2009年)の ハ イ ドン ・イヤ ー の 際、 神戸市室 内合奏 回はハ イ ドンの作 品 とともに大 バ ッハ の息子たち の ハの を数 く取 り上げ 作品 た。バ ッ 息子たちは、世代的 には、 大 バ ッハ とハ ィ ドンやモ ー ツ ァル トたち の ち ょうど中 多 間 の世代 に当たってお り、バ ロ ック音楽 とウ ィー ン古典派音楽 を結ぶ、 いわば橋渡 しのよ うな存在 (前古典派音楽)Ⅲ なのであった。 と りわ け大 バ ッハの次男カ ール ・フィリ ップ ・エマ ヌエ ル ・バ ッハ は、大バ ッハ の薫陶 を受けた息子 たちの中で、 最 も個性的か つ 大胆な音楽 を展 開 し、 作 曲家 として 大 きな成功 を勝ち得 る とともに、 次世代 にも大 きな 影響 を及ば したのであった。 先 にも述 べ たよ うに、大バ ッハ の音楽 を しっか りと受 け継 ぎなが ら、 しか し父親 とはかな り傾 向 の異な る多感様式 と呼ばれ る音楽 によって 一 世 を風靡 したエマヌエル は、 当時バ ッハ といえば、 父親 の ことで はな くエマ ヌ エル の こと を指す ほ どに名声 を博 した。 彼 の音楽 は、バ ロ ック の名残 も随 所 に窺 えるが、すで に父親 か らの影響 を脱 した古典派 的な構成技法や、 まるで ロマ ン派 の音楽 ではないか と見 まが うほ どの大胆な和声法 を駆使 した奔放 な感 情表現 によっ て、 当時 として も他 に類例が ないほ ど個性的な もの とな っている。 彼 は ベル リン時代 に8曲、ハ ンブル ク時代 に10曲 のシンフ ォエ アを作 曲 したが、 今 日演奏 され る、WQ.182の 「 6つ の シンフ ォエ ア」 は、ハ ンブル ク時代 の1773年 に、 ハ イ ドンや モ ー ツ ァル ト、 ベ ー トー ヴェンとの 関係 で もよ く知 られ るヴ ァ ン ・ス ヴィー テ ン男爵が、 オ ー ス トリア公使 として ベ ル リンに滞在 して いた折 にエマヌエル に依頼 した も ので ある。 男爵が これ らのシンフォニ アを旧知 のハ イ ドン らに見せた ことは まず 間違 いがな く、こ こにもバ ッハ の遺 伝子 とハ イ ドン らを繋 ぐ糸 の存在が見 て取 れ る。 この 「 6つ のシンフ ォエ ア」 は、弦楽器 のみで 編成 されたオ ー ケス トラ用 に作 られて いるため、 そ の書法 は非常 に 精級 で室 内楽的 で あ る。 もちろん独奏部分 と合 奏部分が対比 され る協奏 曲技法 もしっか りと援用 されてお り、 語 り□ は極 めて雄弁 で技法的 にも華やかだ。 今 日演奏 され るのは、 6曲 の うち の第 2番 。協奏 曲原理 を用 い た第 1楽章 は、短 い楽句 の摸続進行か らな る トリオ編 成 の挿入句がた びたび めまぐる しい転調 で 合奏 を中断 し、 いか にもエマヌエル らしい奔 放 な 音楽が展 開 され る。 第 2楽 章は遠 隔調 の 口短調 で 一 端落 ち着 きを取 り戻すが、 突然 の不協和音 の全合奏 で 静かな トー ンが 打 ち破 られ、 ふたたび生 命感 あふれ る第 3楽 章 へ となだれ 込 んで い く。 F.J.ハイ ドン (1732∼ 1809):オ ーボエ、ファゴット、ヴァイオリン、チェロのための協奏交響曲 変 口長調 Op.84 Hob.I-105 ハ イ ドンとい う作 出家は、時代や社会 の変化 に伴 って作 曲家 の 身分 も大 き く変貌 せ ざるを得なか った、 ま さ に過渡 期 の真 っ只 中を生きた音楽家であった。彼 はそ の人生 の大半 (1761∼ 1790)を ハ ンガ リー の大貴族 エス テルハ ー ジー 家 の宮廷楽長 として 過 ご したが、 も し彼 が生きた時代 が大 きな変化 の時代 で なければ、 58歳 でエステルハ ー ジー 家 の楽長 を辞 した後、彼 の作 曲家人生 も今 日知 られて いるよ うな形 にはな らなか ったか もしれ な い。 ところが、 音楽受容層が王侯貴族 か ら市民 階級 へ と変化 しつつ あつた時代や 社会が、す で にヨー ロ ッパ 中 にそ の名 を轟かせて いたハイ ドンを放 つてお くはず がなかった。市民へ の公開演奏会が盛んに行 われて いたイギ リスにお いて、 音楽家 で あ り興行主 で もあったず ロモ ンは、 1790年 9月 28日 にハ イ ドンが エス テル ハ ー ジ ー 家 の宮廷楽長 を辞 した と聞 くや、す ぐさまウィー ンに赴 き ロ ン ドンを訪れ るよ うハイ ドンを回説 いた ので ある。齢60歳 近 くにもな って、 長旅 に不安がな くもなか ったハイ ドンだったが、示 された 破格 の条件 に、 結局は ロン ドン行 きを承諾す る ことになっ た。 ウ ィー ンを 出発 したのは1790年 12月 15日 。翌 1791年 早 々にロ ン ドンに到着 したハ イ ドンは、 1792年 7月 にウ ィー ンに帰 るまで、 実 に約 1年 半 にもわた ってイギ リス に滞在 し、ザ ロモ ンと約束 した6曲 の交響 曲 (第93番 ∼第 98番 ) とそ の他 20曲 の作 品 の作 出 に勤 しんだ。 イギ リスでの歓 迎振 りは想 像 をは るか に超 える盛大 な ものだ ったが、 また それ に比例 して仕事 のほうも過酷 で、ハ イ ドン自身、 一 日として仕事 のない 日はな い と手紙 に書 いている ほ どで ある。 しか し一 方 で この訪 間 を契機 として、その作風が公 開 の演奏会 に適 うよ うに、外 面的 にも内面的 にも、 よ り深 み と大 きさを備 え た もの に変化 して きた ことも見逃せな い。 ここにハ イ ドンは、 エス テル ハ ー ジー 家 の楽長か らウィー ンの 巨匠 に、 さ らには世 界 の 巨匠へ と上 り詰 める ことになったのである。 今 日演奏 され る2 曲 の作 品は、 いず れ もハイ ドンの 第 1 回 ロン ドン訪 間時 に作 曲 された もので ある。 協奏交響 曲 の 方 は、 初演 された 日時 ( 1 7 9 2 年3 月9 日 ) か らして、滞在 2 年 目 に入 つた 1 7 9 2 年 の2 月 か ら3 月 にか けて 作 出 されたの ではな いか と考 え られて いる。 この頃 ロン ドンでは、ザ ロモ ン主 催 の演奏会 に対抗す るかのよ うに、 プ ロ ッフェシ ョ ナル ・コンサ ー トとい う演奏会 シ リー ズがお こなわれてお り、そ こで人気 を博 して いた のが ハ イ ドンの弟子 であった プ レイエル の協奏交響曲だ った。おそ らくザ ロモ ンの示 唆 によって、プ レイ エ ル の作 品 に対抗す べ く作 られ た のが こ の作 品 ではなかったか と考 え られ る。 第 1 楽章は、協奏 曲 の定石 どお り協奏的 ソナタ形式で書かれて い るが、 面 白 い ことにハ イ ドンは、管弦楽提示部が 終 わ ったあ と独奏楽器 による提示部がや って くるとい う定型 に拘 らず、管弦楽 提示部 においてすで に独奏楽器が登場 す る とい う型破 りな ことをして いる。そ の後独奏楽器群 による提示部があ った後、独奏楽器 の技巧 を誇示す るよ りも、 む しろ交響 曲的な主題 の展 開がな された後t 型 どお りの再現部 によって 曲を閉 じる。 第 2 楽 章 もハイ ドンには珍 しくソナ タ形式 によって 書か れ た緩徐楽章 。 第 3 楽 章 は、展 開部 を思わせ る部分は あるが、 いわ ゆ る主題 の展 開や発展がな されな いの が いか にも変則的。 ただ 展開部風な部分 に続 いて 提示部 で現れた独奏 ヴ ァイオ リンによる レチタテ ィー ヴ ォ主題 を再現す る部 分 が現れ る こと か ら、 これ もソナタ形式 の変種 ということがで きるか もしれ ないよ V ヽ ずれ にして も、 一 つの枠組み ( ソナ タ形式) の 一 中を如何 に歩 くかで、 いつ も 工 夫あ るのがハ イ ドンのハ イ ドンた る所以な の だ。 F.」 . ハイ ドン ( 1 7 3 2 ∼ 1 8 0 9 ) : 交 響 曲 第 9 3 番 二 長調 H o b t I - 9 3 t 先 にハ イ ドンが、 ロン ドン滞在 中 に6 曲 の交響 由 を作 曲す る ことをザ ロモ ンと約束 した と述 べ たが、滞在 1 年 目 ( 1 7 9 1 年 ) の シー ズ ン ( 6 月に終 了) に は、現在、第9 5 番、 第 9 6 番 と番号付 けされ て いる2 曲 が作 曲、 初演 された。 前 者はハ イ ドンとして珍 しい短調作 品、後者はあ るエピ ソー ドか ら 「 奇潰」 と命名 された 作品 で、 いずれ もロン ドンの 1 7 9 1 年 回 だけで も何 と4 も演奏 されてお り、ハイ ドンのイギ リス にお ける 聴衆か ら大 きな喝来 を受 けた。特 に後者 は 人気 は ここに、 まさに不動 の もの とな ったので あった。 ― 翌 シー ズ ンに向けて秋か ら準備 に入 つたハイ ドンは、 1 7 9 1 年 中 に少な くとも2 曲 の交響 曲 を作 出 した と考 え られて いる。それが第9 3 番 と第 9 4 番 の2 曲で ある。 1 7 9 1 年 シー ズ ンにロン ドンの聴衆か ら得 た絶大な評価 は、ハイ ドンに、 高 まる期待 に応 えねば とい うプ レッシ ャー を与 えた に違 いな い。 しか しそれ にも増 してハイ ドンの創作意欲 は高 まっ て いた。新 しい環境 の 中で、 よ り多 くの聴 衆 か ら積極 的な反応 を得 られ る喜び、 これ は何物 にも代 えがた く、ハイ ド ンに新 たな試 み にチ ャ レンジさせ る勇気 を与 えたのだ。実 は第9 8 番 に も第9 4 番 にも1 7 9 1 年 シー ズ ン に発表 した2 曲 に比 べ て 新 しい様式 へ の試みが見 られ るのだ。 第 1 楽 章 では、 もともとお 手 の物 で あ ったソナタ形式 の構成法が よ り 説得 力 を増 して くる。個 々の楽想 の性格 は際立 ち、対比 もよ り明確 とな り、それ らが実 に有機 的 に機能す る。 展 開部 の構成 も巧み さが 一 段 と増 して いる。 また ロン ドンにおけるオー ケス トラの規模や腕 の高 さを充分 に勘案 して、 管楽 器 の用法な どにも以前 よ り充実が図 られて いる。 今 日演奏 され る第9 3 番 は、 1 7 9 2 年 シー ズ ンの野頭 を飾 る2 月 1 7 国 の第 1 回ザ ロモ ン ・コンサ ー トで取 り上げ られ、 前 シー ズ ンに取 り上げ た 2 曲 にも増 して 大 きな好評 を持 って 迎 え られた。そ のせ い か、 この 曲は 1 週 間後 に 開かれ た 第 2 回 ザ ロモ ン ・コ ンサ ー トで も再演 され ている。 第 1 楽章は、 アダT ジ ョの序奏 につづ いて、先 にも触れた よ うに一 層 の成熟 を果 た したソナタ形式 による音楽が続 く。2 つ の主 題 はきわめて 明確 な対照性 を持 つ が、 いずれ も共通す る基 本動機 によって 形作 られてお り、 両者 には有 機的な関連が しっか り保 たれて いる。展 開部 で現れ 、 中心的 に扱われ る新 しい動機 も基 本動機が重用 されてお り、 こ の楽章全体が この基本動機 を中心 に形成 されて いる ことがわかる。再現部では、提示部 のほぼ 全体 が再現 され る。 第 2 楽 章 は基本的 には3 部 形式 で あるが、両端 の主 部 も真 ん中に短調部分 を持 つ3 部 分 で 形成 されているため、 ロ ン ドのよ うな印象 を与 える楽章で ある。 この楽章 で驚か せ られ るのは、 曲 む終 わ り近 くなって弱音で美 しい音楽が奏 で られて いる時、何 の予兆 もな く突然 フ ァゴ ッ トが人 を驚かす よ うな フォル テで入 って くること。ハイ ドン独特 のユ ニ モア も極 まれ りとい う感 じがす るが、 これが何 を意味す るのかは、 聴 く人 一 人 一 人が考 えて いただ ければ と思 う。 第 3 楽 章は明確な性格 を持 った フ ォルテ による楽想 で 形成 され るメヌエ ッ ト。ト リオ部分 は、管打楽器 の3 連 音 に よる信号 と、 弦楽器 による トリオ楽想が、 フォルテ とピア ノ、 さ らには調 的 にも対比 され る。第4 楽 章は、主調 ( 二 長調) と 属調 ( イ長調) の 二つ の主題か らな るソナタ形式 による楽章 だが、面 白い ことに全 く展開部 を欠 いて いる。 それで も音楽 として 何 ら不完全 な感 じを与えな い ところはさすがハイ ドンで、 これ も常 にル ー テ ィン に陥 る ことを避 けた ハ イ ドンの機知 だった といえるか もしれな い。 ●煎Bの 出演者 才 旨揮 ゲ 客演 ヨ ンサ ー トマ スタT 自 西 第 1ヴ ァイオ リン 第 2ヴ ァイオ リン 井 ヴィオ ラ 亀 チ ェロ 伝 コン トラバ ス 長 フル ー ト 池 オ ーボエ 青 ファゴ ッ ト 河 ルハル ト 井 圭 尾 恵 子 上 隆 平 井 宏 子 田 正 則 谷川順子 邊 昇 平 山 聖 樹 村 幹 子 ボ ッセ ・谷口 ・ 黒江 ・ 増茂 ・ 山本 朋 郁 和 彩 子 子 美 子 1遠 藤 慎 ・ 中根 庸 介 ・ 小澤 公 裕 子 ・ 幸 田さ と子 ・ 中山 裕 子 子 ・ 前川 友 紀 ・ 萩原 合 歓 子 ・ 三木 香 奈 郎 チ ェンバ 田 辰 巳美納子 フ レンテホル ン 垣本 昌 芳 中山亜津紗 トランペ ッ ト 秋月 孝 之 桑原 正 善 テ ィ ンパ ニ 田中 雅 之 二橋 奥野 中島 田中 洋 敬 悦 次 三谷 政 代 中尾 友 紀 ●フ臼フィータ L ナ 旨 揮 ゲルハル ト・ボッセ Gerhard Bosse 1 9 2 2 年 ライ プツ ィ ヒ近郊 の ヴル ツ ェン生 まれ。 ヴ ァイ オ リンを E . ヴ ォルガ ン ト教授 、 ライ プ ツ ィヒ音楽 院 で は、W . ダ ヴ ィ ッソ ン教授 に師事。在学 中か らゲ ヴ ァン トハ ウス管 弦楽 回 の代用 メ ンバ ー を務 め、第 二 次世界大 戦 中は、リ ンッ帝 国ブル ックナ ー 管 弦楽 国 に所 属 し、 フル トヴ ェング ラー やカ ラヤ ン等 の も と演 奏活 動 に従事 した。 1 9 4 6 年 ワイ マ ー ル 音楽大学 の講 師、 4 9 年 に教授就任。 1 9 5 1 年 ライ プ ツ ィヒ放送交 響 楽回第 一 コ ンサ ー トマス ター 、 同時 に母校 ライ プツ ィ ヒ音楽 院 の教授 に就任す る。 1 9 5 5 年 ゲ ヴ ァン トハ ウ ス管 弦楽 団第 一 コ ンサ ー トマス タ ー に迎 え られ、 同弦楽 四重奏 団第 一 ヴ ァイ オ リン奏者 として の活 動 も開 始。 1 9 8 7 年 に引退す るまで、 コ ンヴ ィチ ュニ ー ら歴 代 の指揮 者t 国 際的な ソ リス トた ち と共 演 した。 1 9 6 2 年ゲ ヴ タン トハ ウス ・バ ッハ 管弦楽 団を創立、 ソ リス ト兼指揮者 として活 躍 した。 同管弦楽 回 との演奏旅 行 で 訪れ た国 々 は、4 0 ヵ 国 にのぼ る。 1 9 6 1 年 の初来 日依頼、日 本 で の演奏 は回 を重ね、 1 9 8 0 年 霧 島国際 音 楽祭 を創立。 2 0 0 0 年 まで音楽 監督、 現在 も名誉音楽監 督 として、 後進 の指導 にあた って い る。 1 9 9 4 年 か ら通算 7 年 東京 藝術大学客員教授、 以後 日本 に在住。 近年は指揮活動 に専念 し、ゲヴァン トハ ウス管弦楽団や、新 日本 フィルハー モニー交響楽団をは じめ とす る 日本 の主 要オ ー ケス トラヘ の客演 多数。 1998年 神戸 市室 内合奏 団首席指揮者、 2000年 に音楽監督 に就任。 同年 よ り新 日本 フィルハ ー モ ー ニ ー 交響楽 団首席客演 指揮 者、 2 0 0 2 年 ミュー ジ ック ・ア ドヴ ァイザ ー 。 2 0 0 4 年4 月 か らは、 東京 藝術 大学テ ェンバ ー オ ー ケス トラ の指揮者 も兼任 して いる。2 0 0 6 年 には、 同オ ニ ケス トラを率 いて ヨー ロ ッパ 公演 を行 な い、 各地 で 高 い評価 を得 た。 2 0 0 9 年 か ら、 ジ ャ パンアカデミ千フィルハーモニ ック初代音楽監督に就任。1 9 6 2 年と1 9 8 6 年にドイッ民主共和国国家賞、1 9 7 2 年ライプツィヒ市ニキシュ 賞、1 9 9 8 年ドイツ連邦共和国第丁等功労十字勲章を授与される。 日本国内でも2 0 0 5 年神戸市文化賞、2 0 0 7 年音楽クリティック ・クラブ 特別賞、2 0 0 8 年エクソンモービル音楽賞本賞等の受賞歴がある。2 0 1 1 年、ライプツィヒ ・ゲヴァントハ ウス管弦楽団より名誉国員に指 名される。元楽員からは1 9 2 4 年のユ リウス ・クリンゲル以来、8 7 年ぶりの指名となる。 臨 飽 yama オTボ エ 青 山 聖 樹 Sat。 東京生まれ。幼児よ リドイツで育つ。名手インゴ ・ゴ リツキー氏のもとでオーボエを始める。ゲス ト首席 として、 ヨー ロッパ各地 の管弦楽国 (ブダペス ト祝祭管弦楽団、 コンテェル ト ・バ ンベルク、 ミユンヘン ・バ ッハ ゾ リス テ ン、カンマー フィルハ ーモニー ・アマデー、 フィルハーモニア ・オブ ・ザ ・ネー シ ョンズ等)に 客演 し、日 本 ではアンサ ンブルofトウキ ョウ及びカ ンマー アカデ ミー さいたまのソロ ・オーボエ奏者 として活躍する他、 アン サ ンブル ・アマデ ー を主催。 ライ ンガ ウ、ナー ンタ リ、 アフィエス、富士 山麓、小布施、木津川やまなみ音楽祭 などに出演。 ソリス トとしてKBS交 響楽団、韓国交響楽団、北京交響楽回、ド イ ツ `フ ィルハー モニア ・フンガ リカ、新 日本フィル、 コー リアン ・チェンバー ・オーケス トラ、大阪チェンバ ー ・オーケス トラ、アンサ ンブル ofトウキ ョウ等 と協演。ド イ ツ ・フィルハ ーモニア とフンガ リカ、新 日本 フィル首席 を経て、現在NHK交 響楽 回首席オーボエ奏者。 また、武蔵野音楽大学准教授、東京芸術大学非常勤講師 として後進 の指導 にあたっている。 フナゴツト 河村 幹 子 Motoko Kawmtlra 1 3 歳よ り岡崎耕 治氏 の もとで、 フ ァゴ ッ トを始 め る。 1 9 8 8 年 東京芸術大学 附属高校卒業古 9 2 年 同大学首席卒業。 DAAD(ド イ ッ学 術交 流会) の 奨学 生 として渡独、 ハ ノー フ ァー 音楽大 学 に入学。 9 6 年 国立 ミュ ンヒェ ン音 楽大学 マ イス ター ク ラスー( 大学院) 卒 業。在学 中ミュンヒェン交響楽 団で研修 生 を務 める。 同年市立 アウグス ブ ルグ歌劇 場首席奏者 に就任。 9 8 年 帰国 し、 新 日本 フ ィル ハ ー モニ ー 交響楽 国 に入 団。 現在、 同国首席奏者。 東京 芸術 大 学、 同附属音 楽 高等 学校 で後進 の指導 に もあた る。新 日本 フ ィル ハ ー モニ ー 交 響楽 団、 K o r e t t C h a m b e r O r c h e s t r a , 神戸 市室 内 演 奏団な ど、指 揮者 は小澤征爾氏、ゲルハル ト ・ボ ッセ氏 な どとコンチ ェル ト、 コンチ ェル タ ンテな どを共演。 これ まで にフ ァゴ ッ トを岡崎耕 治、 エバ ー ハル ト ・マ ー シ ャル、 クラウス ・トウー ネマ ン( 伊 達 博各氏 に師事。 神戸 市室 内演 奏団 とは第 1 7 4 回公演以来 9 年ぶ りの共 演 で ある。 ヴァイオリン 白井 圭 Kei Shr航 1983年 、ト リニ ダ ー ド ・トバ ゴ生 まれ。東京 芸術大学付属音楽高校 を経 て、 同大 学 を卒業。 2007年 に文化庁 の 奨学 生 と して ウィー ン国立音楽大 学 に留学。 これ まで に、 徳永 二 男、大谷康子、改 田中千香士、堀正文、改ゴ ー ル ドベル ク山根美代子、山崎伸子 の各氏 に師事。ウィー ンでは、ヨハ ネス ・マイスル、ヴェスナ ・スタ ンコー ヴィ ッ チ両 氏 に師事 して いる。 1997年 全 日本学 生音楽 コン クー ル優勝。 2001年 日本音楽 コン クー ル第 2位 お よび増 沢 賞受賞。 第 1回 仙台国際音楽 コンクール 入賞。 09年 第 58回ARDミ ュンヘ ン国際音 楽 コン クール第2位お よび聴衆 賞受賞。 ソ リス トとして、チ ェコ 。フィルハ ー モニ ー、新 日本 フィル、神奈川 フィル、神戸 市室 内合奏団な どと の共演 や、 横須賀 芸術劇 場、ト ッパ ンホ ー ル、Sch、 varzwald Musikfestival等 で リサ イ タル を行 うほか、 室 内 楽 で も精力的 に活 動 して いる。 リッカル ド ・ム ー テ ィ、小澤征爾、 マ ンフ レッ ド ・ホー ネ ック、ゲル ハル ト ・ボ ッ セ、ド ミ トリー ・キ タイ ェンコ、 ベ ー テル ・チ ャバ、 ロバ ー ト ・マ ン らの指揮 の もと、 小澤征爾音楽塾、サイ ト ウ ・キネン ・フェステイヴァル松本、ルツェルン ・フェスティバル ・アカデ ミー、サンタンデル音楽祭など国内外の音楽祭に数多く参加、 昨年より加子母田中千香士音楽祭 ( 岐阜県) に は指揮者 として招かれている。 チェ回 伝 田 正 貝J MasanoA Denda “ 3歳 よ リチ ェロを始 めるよ 東京 芸術大学音楽学部附属高校 を経 て、 同大学 を首席卒 業。在学 中 に福 島賞、安宅賞、 アカ ンサス音楽賞 を受賞。第9回 長野 アスペ ン音楽祭 にて特別優秀賞、第 18回霧 島国際音楽祭 にてグ ローバルユ ー ス ビュー ロー 賞、優 秀演 奏賞受賞。 第 70回 日本音楽 コ ンクー ル 最高位 入賞、併せ て 「 徳永 賞J受 賞。 他受賞多 数。文 化庁海外派遣員 として ドイツ、 ベルギ ー に留学。 2006年 よ りDeutsche Radio Philharrlloniё Saaぬrucken Kaiserslautern(元 ザ ー ル ブ リュ ッケ ン放送交響楽 団)に て 演奏 しなが ら、 グス タ フ ・リヴィエ ウス の も とで研 鑽 を積 む。 2010年 木 曽音楽祭、NHK FMシ ンフ ォニ ー コンサ ー トな ど、 ソ ロ、室 内楽 の多方面 にて活躍 中。 神戸 市室 内合 奏 団 K o b e t t y t t a t t b e r O r c h e s t i a 今年3 0 周年 を迎えた神戸市室内合奏団は、 1 9 8 1 年に神戸市 によって設立 され、 以来、神戸 ・大阪 ・東京な どで演奏活動 を繰 り広げてきた古設立 当時か ら高い 演奏能力を備えて いたが、 1 9 9 8 年にゲルハル ト ・ボ ッセ を首席指揮者に迎え、 更 に2 0 0 0 年にボ ッセが音楽監督 に就任 してか らは、技術的並 び に芸術的水準 において飛躍的な発展を遂げた。 また毎年 のシー ズン ・プ ログラムにおいても、 ボ ッセ のアイデ アによる充実 した内容 の魅力あふれる選出で、各方面か らの注 目を集めて いる。 2 0 0 9 年のハ イ ドン ・イヤー までの 2 年 間、合奏 国 とボ ッセは1 8 世紀 の作曲家 の作品 に精 力的 に取 り組み、定期 演 奏会 のシ リー ズ にお いて、 ハ イ ドンの 占め る音楽 史 上の重 要 な位 置 とそ の偉大 さを鮮や か に描 き出す ことに成功 し、こ の事 が高 く評価 されて 文化庁 の助成 を受 ける ことにな った。 内外 の実 力あ るソ リス トた ち との共演 も多 く、 今年 3 月 の 定期演奏会での 」. S . バ ッハ 「 ブランデンブルク協奏曲全 6 曲 」 における名演は記憶に新しいところである。近々には、ファン待望の C D が アル トゥスレーベルよリリリァスされる予定である。