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Medical Journalist
Medical J ournalist
医学ジャーナリスト協会会報 ● April 2003 Vol. 14 No. 2(通巻38号) ● 発行代表人 大野善三
CONTENTS
11月例会「国際疾病分類の意義」………………………1
特別寄稿「高齢医療の最前線」………………………… 9
1月賀詞交換会「21世紀の医療」………………………3
「エイズ、嫌煙運動…求められた先見性」………………10
11月見学会 「国立成育医療センター」訪問記 ………… 5
書 評 ……………………………………………………11
A.デーケンさんの最終講義 ……………………………… 7
「世界科学ジャーナリスト連盟」の創設について……………12
11月例会
国際医療社会と交流するために… 「国際疾病分類の意義」
菊池 優子さん、神津 仁さん
医療の質を考える場合に費用
(コスト)の問題を抜きにしては論
じることはできない。病院経営の
近代化・合理化を追究する場合も、
医業収入とコストの対応をしっか
りと把握しておく必要がある。こ
のことは会社の経営では基本中の
基本だが医療の世界では長年、収
入(入り)と支出(出)の間のプ
ロセスはいわばブラックボックス
の状態に置かれていた。
収入に関しても、日本の診療報
▲菊池 優子さん(右)と神津 仁さん
酬システムは診療報酬点数表に基
分類に基づいた分類コード(病名
づいて支払いが健保組合などの保
や処置)を使って、入院の原因と
険者によって行なわれている。各
なった主な疾病とその他の疾病お
医療機関はその月の診療請求内容
よびその処置に対応したコードが
(投薬・注射・処置・検査など)を
記入されて請求される。このよう
レセプト(明細書)と呼ばれる書
な方式は欧米や一部のアジア諸国
式に保険請求の範囲内で点数とし
(シンガポール、韓国・中国)で
て記入し保険者に請求する。レセ
プト中には傷病名の記入欄があり、 も採用ないし採用が検討されてお
り、国際的な比較が可能となりつ
医師が付けた病名に基づいて記入
つある。
される。病名は保険請求を念頭に
付けられており、別名「保険病名」
● 疾病・死亡統計の前提として疾
とも呼ばれている。問題はこのよ
病分類の試みが19世紀から
うな「保険病名」があくまでも我
が国の保険請求システムの中だけ
11月例会では「国際疾病分類」
で機能する特殊な存在で、国際的
をめぐって、菊池優子氏(国際医
な比較や医療機関相互の客観的な
療福祉大学助教授・NPO法人日本
比較の対象とはなり得ない点だ。
クリニカルコーディング協会理事
一方米国の病院では、患者の退
長)に続いて「国際疾病分類学会」
院の際にU92と呼ばれる一定の統一
会長の神津仁先生が講演を行なっ
された書式に、ICDという国際疾病
た。菊池先生によれば、現在、ま
れな疾患まで加えると診断用語は
12万以上もあるそうだ。疾病の分
類は遠くギリシャ時代にまで遡る
と言われているが、疾病や傷害の
発生や死亡の状況を統計的に把握
することは非常に重要なことだ。
そのためには客観的な疾病分類が
前提であり、その検討は19世紀か
ら今日まで続けられている。1948
年に世界保健機関(WHO)が設立
されてからはWHOを中心に作業が
進められている。
診断用語の中には、同じ疾患を
いくつもの用語で言い表すことが
多々見られる。例えば、グレーブ
ス病はバセドウ病ないし眼球突出
性甲状腺腫ともいわれるが、これ
らの病名を一つにまとめデータと
して活用できるようにするために
Medical Journalist
1
共通のコード(分類番号)を使って
表す。コードは郵便番号のいわば
メディカル版ということができる。
このように一般に、文字を数字に
翻訳することを、符号化またはコー
ディングと呼んでいる。コーディン
グは、本来、疾病・死因統計業務
を簡素化させるために生まれた方
法で、大量に発生する情報を的確
に処理し、その後の利用を容易に
するために考案されたものだ。
現在、WHOで発行されている国
際疾病分類はICD(International
Classification of Diseases)と呼ばれ、
医学研究上で必要な疾病、傷害お
よび死因を臓器別あるいは病態生
理学的特性に基づいて分類したも
ので、ほぼ10年毎に修正されてお
り、現在、疾病についてはICD-9
(第9回修正版)とICD-10(第10回
修正版)とがある。
(CCS)と呼ばれる専門家は通常病院
ところが問題がさらに複雑にな
でコーディングを専門に行ってい
るが、これに目を付けたのが米国
て、1983年にDRG-PPSが導入され
医療財政庁(HCFA)と呼ばれる政
て以来、こうした専門家のニーズ
府組織だ。1965年に発足した高齢
がますます高まってきているそう
者を対象とした医療保険(メディ
だ。医療スタッフと事務スタッフ
ケ ア )の 支 出 の 抑 制 を 目 的 に P P S
の中間に位置するこのようなスペ
(Prospective Payment System)とい
シャリストの養成が急がれる。我
う包括予見支払いシステムをDRG
にくっつけてDRG-PPSを導入した。 が国でも遅まきながら推進の動き
があり、コーディングスペシャリ
一定の診断グループに対して、一
ストの育成と国際医療社会との交
定の支払い(定額払い)しか払わな
いことで医療費を抑制する試みで、 流 を 目 的 に 「 国 際 疾 病 分 類 学 会 」
この方式が制度の異なる日本でも (会長・神津仁先生)が発足した。
また、日本病院会でも診療情報管理
「日本版DRG-PPS」として導入・拡
士の通信教育を始めている。
大されようとしており、注目を浴
(七野俊郎記)
びている。
◆コーディングスペシャリスト
● クリニカルコーディングスペシャ (CCS)の状況(米国)
AHIMA
リスト(CCS)の養成が急がれる
我が国の最大の問題点はDRGの
もととなるコーディングが医療現
● 病 院 マ ネ ー ジ メ ン ト の 手 法 場で普及していない点だ。日本の
(DRG)と費用抑制策(PPS)が 病院はICDの使用を義務づけられて
合体
おらず、一部の病院でしか使われ
ていない。WHOに提出するために
以上は医療データの統計上の活 日本では、ランダムに選んだ病院
用の問題だが、こうして作られた の中からデータを収集し、その際、
分類コードを使った病院マネージ わずか一月分の入院患者の疾病別
メントの手法が1960年代後半に米 分類データしか集めていない。米
国エール大学で開発された。これ 国を初めとする先進国では、全病
はDRG(Diagnosis Related Group) 院からすべての退院患者のデータ
と呼ばれ、国際疾病分類(ICD-9) を 分 類 し た 状 態 で 収 集 し て い る 。
で約1万ある疾病分類を、治療に さらにレセプトという閉鎖的な環
費やしたマンパワー量、医薬品や 境が存在しており、データの汎用
医療材料の量等の医療資源の必要 性・共通性・互換性に著しく欠け
度を基準にして25の主要診断カテ るのが現状だ。
ゴリー(MDC)と500程度の診断群
病名を正確にコード付けするに
(病名グループ)に分類・整理した は、診療記録の記載内容が十分で
ものである。例えば、同一疾病で なくてはならない。医師をはじめ
も年齢や合併症の有無によってコ とするカルテの記載者の協力が不
ス ト が 大 き く 異 な る 場 合 に は 、 可欠だ。診療の内容をカルテから
各々が別のグループに分類される 正確に読みとれるようになるには、
一方、コスト的に類似している場 医学的知識をかなり身につける必
合には、すべて同一のグループに 要があり、そのため、米国では早
分類される。DRGはコストと病名 く か ら 医 療 情 報 管 理 士 協 会
グループとの関連を探って病院経 (AHIMA)を中心にこうした専門家
営の有効なツールとしようとする を養成している。中でも、クリニ
試みだった。
カルコーディングスペシャリスト
2
Medical Journalist
(米国医療情報管理士協会)
会員数 45,000名
内 CCS
06,000名
菊池 優子(きくち・ゆうこ)さん
1978年米国カリフォルニア州ローマリ
ンダ大学医療秘書科卒業。80年同大学
医療情報管理学部卒業後、東京衛生病
院に就職し、メディカルレコード室長
を務める。85年RHIA(米国医療情報管
理士)免許取得。99年日本コーディング
センター設立。東京衛生病院メディカ
ルレコード室顧問に就任。2001年国際
医療福祉大学医療福祉学部医療経営管
理学科助教授、国際疾病分類学院を開
校、学院長。02年NPO法人日本クリニカ
ルコーディング協会理事長。
神津 仁(こうづ・ひとし)さん
1950年 長野県佐久市生まれ。77年日本
大学医学部卒業、第一内科入局、80年
神経学教室に入局、病棟医長。米国ハ
ーネマン大学、ルイジアナ州立大学留
学後、インストラクター、社団法人
佐々木病院内科部長を経て「神津内科
クリニック」院長。99年世田谷区医師
会副会長、2001年世田谷区医師会内科
医会会長。
1月賀詞交換会特別講演
「21世紀の医療ー医学ジャーナリストへの期待ー」
医学に新しい『知』を創造し、創造物の活用を図る
井村 裕夫 さん
進む。言わば、20世紀と逆の方向を
歩むことになる。そのために、生物
情報学という新しい学問(Bioinformatics)の発達が待たれる。膨大な生
物情報を整理し、そこから法則を見
つけ出すことになる。これまで医学
の実験といえば、まず体外で行うin
vitroの実験、体内の変化を追及する
in vivoの実験が主流であった。いず
れもラテン語である。これからは、
コンピュータの中で変化を追求して
行くin siliconの研究が普通になる。
2003年の賀詞交換会で、総合科学
技術会議議員の井村裕夫元京都大学
学長に講演をしていただいた。「21
世紀は『知』の時代だと言われてい
るが、医学分野の改革を通して『知』
を創造し、その創造物を活用して
『知』の実現を図らねばならない」
という、中身の濃い話であった。
★2003年は、『二重らせん』の構造
が解明されて50年目
①2003年は、ワトソン・クリック
が1953年に『二重らせん』を発表し
てから丁度50年目に当たる。世界各
地で、50周年記念の様々な催し物が
予定されている。
②2003年の春には、約32億対あると
言われるヒトゲノムの最終稿が報告
される。2001年に、粗原稿が発表され
たが、その後精度を上げた結果、総
てのATGCの配列が明らかにされる。
③2003年は、ヒト完全長cDNAの
アノテーションが行われる年でもあ
る。世界中から約6万のcDNAが集め
られているが、去年の暮れ、専門家
が東京のお台場でおおよそその半分
のアノテーション、意味づけを行っ
た。これがなお続く。
④去年、マウスのゲノムが発表さ
れた。マウスは、人間の病気の解明
に深い関わりを持っているので、マ
ウスゲノムの完全配列を知ること
は、今後の研究に欠かせない。
⑤毎年、雑誌「SCIENCE」が
「The Breakthrough of the Year」を発
表しているが、去年は「RNAの役割」
を掲げた。DNAの情報をmRNAに伝
えられ、タンパク質合成させるのが
普通だが、タンパク質情報を持たな
▲井村 裕夫 さん
いRNAがあったり、RNAからcDNA
を作ったりといった、これまでに考
えられなかったRNAの問題が起こっ
てきた。RNAを再検討する姿勢が世
界的にある。こうした、生命科学に
関する情報をしっかり捕らえておく
ことが、医学ジャーナリストに望ま
れる。
★個人の遺伝子の違いを踏まえた臨
床医学
臨床医学が大きく変ることは確か
である。よく言われるように、医療
の個人化、テーラーメイド医療の実
現に向かって努力される。遺伝子特
性に応じた予防と治療、がんの特徴
に沿った治療法の追求である。現在、
★準備整ったポストゲノム時代の基 単遺伝子で発症する病気の追及が行
われているが、多因子疾患の成因の
礎医学
解明の基礎を行っている側面があ
芝居で言うならば、いまやっと脚 る。病気は遺伝子によって起こるが、
本を手に入れようとしている段階で 環境因子が様々に関わっている。そ
ある。これを芝居にするために、舞 の解明がこれから大事になる。その
台装置、俳優、照明計画、音楽やSE 対象となるのが高齢化で起こるが
などなど、様々な準備が必要になる。 ん、脳血管障害、心疾患、糖尿病、
これからが、ポストゲノムの研究と 高血圧、高脂血症、老人性痴呆、骨
粗しょう症などである。これらを
言える。
20世紀の生物科学は、細胞や固体 Multi-factorial Disease(多因子疾患)
の現象に目をつけ、それがどういう と捉え、Poly-gene(遺伝素因)と環
タンパク質、あるいは、どういう遺 境因子の関係を解明することが急が
伝子が関与しているかを分析的、還 れている。
中でも注目されているのが糖尿病
元主義的に追及する方法で進んでき
た。21世紀の出発は遺伝子である。 である。オーストラリアのジンメッ
したがって、遺伝子からタンパク質 ト等が発表した、世界の糖尿病罹患
へ、さらに細胞や固体へと統合的に の将来をみると、アジアが最も罹患
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3
率が高い。2000年の世界糖尿病患者
は、1億5100万人、2010年には2億
2100万人、44%の増加と推定してい
る。ヨーロッパ、北米は20数%の増
加だが、アジアはこの10年間で、8億
4500万人から13億2300万人と57%増
える。生活環境が激しく変化すると
推定されている。そういえば、東南
アジアの車の増え方は凄い。こうし
た環境の変化と発症のメカニズムを
解明することが大きな問題になる。
遺伝子が個人で少しずつ違う遺伝
子多型が、病気の罹りやすさ、病気
の解明法、薬の効果、副作用の有無
などに大きく関係してくる。人間な
ら、99%以上遺伝子は同じだが、約
300万対ばかりが異なる。1000万対
位の違いがあるかも知れないと推定
する人もいる。それを、SNP(Single
Nucleotide Polymorphism)と言う(複
数はSNPs)。今後、このSNPsの役目、
あるいは、違いを一つ一つ検討する
ことになる。
働かせないようにする薬が開発され
た。特異的分子標的治療薬、「イマ
チニブ」である。投与すると、確か
にbrc-ablが消えた。イマチニブの開
発が成功したのである。最近、肺が
んの特効薬「イレッサ」が肺炎を起
こして、患者を死に追いやったとい
うニュースで騒がれている。薬剤の
受容体が正常細胞にもあることが解
った。分子標的治療による創薬はま
だまだ研究しなければならない開発
途上にある。
ポストゲノムの大きな研究分野
は、再生医学である。これまでは、
骨折すると人工骨で代替させてい
た。それでは充分ではない。そこで、
骨髄細胞を培養して骨の再生を図る
研究が進められている。骨や皮膚な
どで、幾つかが再生医療として臨床
応用されている。
再生医学で注目されているのが、
ES細胞である。人間なら受精卵5日
目の胚盤胞から細胞を採取して、こ
れを培養すると、神経、筋肉など
★トランスクリプト・創薬・再生医療 様々に成長する。専門家は多機能細
胞と称している。ただ、将来、腫瘍
トランスクリプトームという言葉 を起こす可能性があるなど、解決す
がある。例えば、既にチップの上に べき課題が山積している。ES細胞
細胞のcDNAを貼り付けておき、そ に対して、体性幹細胞が注目されて
こに乳がん細胞から作ったcDNAを いる。自分の体内から採ってくるの
注いで、結合するかどうかを観る。 で、免疫拒否などの問題はなくなる
こうして、がんを起こした遺伝子異 が、数が少ないなどの問題が残って
常を発見しようと研究中である。遺 いる。
伝子産物をトランスクリプトと言
い、色々に蛍光発色したチップの表 ★わが国は臨床研究を軽視してきた
面現象をトランスクリプトームと言
う。この方法で、乳がん遺伝子、brca-1
①これまで、基礎研究には力を入
とbrca-2が見つかっているが、乳が れてきたが、臨床研究を軽視してき
んの中でも少数派で、大多数の乳が た、あるいは、問題を回避してきた
んの原因遺伝子は未だ捉えられてい 傾向がある。その結果、人材不足が
ない。
明らかである。
慢性骨髄性白血病の原因は、40年
②その表れとして、臨床統計学者
ほど前に発見されたフィラデルフィ の不足が挙げられる。ハーバード大
ア染色体にあると確定されていた。 学には、臨床統計学者が60人もいる。
22染色体の一部が9染色体に転座し ピッツバーグ大学には42人いる。日
て小さくなっていたのである。転座 本は、全国の大学から集めても、10
部分はbrc-ablというキメラ遺伝子が 指に満たない。
形成された。これが働いて、白血病
③日本には、リサーチナースや
を起こしていた。そこで、brc-ablを CRCが少ない。臨床試験などで、直
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接、患者さんに接触するのはこれら
の専門家である。医療体系の中に、
これらの人たちを早急に位置づけな
ければならない。
④あちこちで言われることだが、
トランスレーショナルリサーチの体
制ができていない。基礎研究は世界的
に第一線を走っているが、その成果を
臨床に移す機関も人も十分ではない。
だから、遅れを取ることが多い。
⑤研究費不足は、常に問題になる。
アメリカのNIHの年間予算をみると、
わが国の国家予算に匹敵している。
時代が変りつつあることを皆が認め
ているので、科学研究費は全体には
多い方ではある。その流れに乗って、
現在の研究費を5倍にして欲しいと
いう希望が出たが、せいぜい2倍にし
ようとしたのが精一杯だった。
⑥こうした研究体制を変革するた
めにも、一般の人たちの理解・支援
が前提となる。もちろん、臨床の医師
などもそうだが、ポストゲノム、テー
ラーメイド医療、再生医療などに対
する一般の意識改革が必要である。
★“介護”や“心”の問題と相まって
医療産業について一言言っておき
たい。世界の医薬品市場に占めるシ
ェアが、日本は急速に減っている。
以前は、アメリカが40%以上を占め、
ヨーロッパ諸国が30%程度で、日本
は20%近く、他は1%程度の国が多
かったが、日本のシェア占有率は
10%以下に落ちている。新薬、分子
標的治療薬の研究開発が待たれる。
医療機器についても、日本の特徴
がうかがえる。血球計算装置などは
ほとんどが日本製である。X線CTと
か内視鏡など診断機器については、
日本は強い。だが、治療機器など身
体の中で使うものは、ほとんどが外
国製である。人工心肺、カテーテル、
ペースメーカーなどは、海外から輸
入したものを使っている。しかも、
外国製のものは高価である。たとえ
ば、心臓カテーテル1本で検査料が
とぶ。1本詰まらせると、それだけ
で赤字になる。
医療の科学化、科学技術の進歩を
医療に導入させることが大切だが、
この現状では、それを実行している
とは言えない。みんなで、考える問
題である。
最後に、2003年度科学技術予算の
重点について、羅列しておこう。
『2003年度科学技術予算の重点』
(ライフサイエンス関係)
●基礎研究(特に、科学研究費)
●テーラーメイド医療
●再生医療
●タンパク質、糖鎖
●脳研究
●医療機器開発
●臨床研究とくにトランスレーショ
ナルリサーチ
●食品の安全性
●食料、有用物質の開発
●バイオ関連機器
基礎研究の科研費が3.6%アップ
した。テーラーメイド医療、再生医
療、医療機器開発、トランスレーシ
ョナルリサーチなどに研究費をつけ
た。それぞれの世界で、より深く、
より広く研究して欲しいという思い
を込めて予算を組んだ。
医療は科学だけではなく、介護や
心の問題があることは十分承知して
いる。その方でも、研究、解決す
べき問題は山積しているが、両々
相まって21世紀、『知』の時代を乗
り越えて行きたい。
(大野 善三記)
井村裕夫(いむら・ひろお)さん
1931年滋賀県生まれ。京都大学医学部
卒業。京都大学医学部教授、同大学医
学部長、同大学学長を経て現在同大学
名誉教授。総合学術会議議員。日本学
士院会員。アメリカ芸術科学アカデミ
ー名誉会員。著書に『内分泌・代謝病
学(第三版)
』
(医学書院)
、
『神経内分
泌免疫学』
(朝倉書店)
、
『人はなぜ病
気になるのか』
(岩波書店)等多数。
11月見学会
将来を担う子どもたちに良い医療を……
「国立成育医療センター」訪問記
大野 善三
児病院があったが、研究が優先して
見学会で、「国立成育医療センタ
敷居が高いという印象を持ってい
ー病院」を訪れた。東京都世田谷区
た。「日本人は子どもを大切にする
大蔵に平成14年3月に開設されたも
国民だ」と、自ら思い込んでいるが、
ので、国立小児センターと国立大蔵
病院を壊して、その敷地内に建てら 「本当かな?」と考えて仕舞うこと
がしばしばあった。自分の子どもは
れた。その情報室の案内にこう記し
大事にするが、児童一般になると冷
てある。「小児医療、母性・父性医
たい。子どもの遊び場を奪うような
療および関連・境界領域を包括する
仕業を平気でやる。立派な病院がで
医療(成育医療)を総合的・継続的
きたのを機会に、みんなで将来を担
に進めます」。新生児から出産する
う人たちに良い医療が受けられるよ
両親までの医療を行う国立医療機関
うに希望したい。
で、21世紀最初のナショナルセンタ
外来玄関を入ると、吹き抜けのよ
ーになった。現在は未だ建設中で、
うに天井が高く、上から下までガラ
元の小児センターの一部を研究棟と
ス張りで、外光が燦燦と入ってくる。
して使用しており、平成16年に移転
空間が広い。天井からぶら下がった
開設の予定である。新しい建物は黄
青い「楽」という切り抜き文字が、
色とセピア色が映え、明るい印象を
眼を楽しませてくれる。どの階も明
与える、地上12階建ての高層ビルで
るく、暖かい雰囲気を醸し出すよう
ある。
に設計してある。病院という空気を
できるだけ感じさせない配慮がうれ
★研究よりも子どもの臨床を大切に
しい。
したい
多くの先進国が、必ず女性専門病
院と小児専門病院をもち、診療と研
究を行っている。日本にも、国立小
500床。手術数、年間3000例。分娩
数、年間1000娩。分娩数だけは既に
6月ごろまで満床の予約であった。
この成育医療センターはハブ機能を
果たすためのネットワークが組まれ
ている。厚生労働省、地方自治体、
全国の小児病院、児童相談所・福祉
施設、大学病院、地域の医療施設、
教育施設、全国の周産期施設、他の
ナショナルセンターなどとの間に
は、ホットラインが繋がっている。
国立成育医療センターの「情報憲章」
によると、「患者情報」の取得・保
護・管理をして、相互利用に努めな
ければならないとある。全国の小児
医療機関をネットで結び、互いに情
報を交換するシステムの開発を前進
させようとするものである。
★患者の納得づくで医療を進める
院内のシステム化も、IT時代に沿
って行われた。患者の安全確保(リ
★全国の小児医療機関を結び情報交換
スクマネージメント)、患者アメニ
ティの向上は、当然の目的であるが、
外 来 患 者 、 1 日 9 0 0 名 。 病 床 数 、 同時に、成育医療・研究・研修の支
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5
援、成育医療に関する情報の収集と
発信が目的になっている。
事実、気分が和らぐように暖色設
計された病室を訪ねると、色々な機
能が果たせるようにプログラムされ
たベッドサイド端末がある。TV鑑
賞、院内情報、患者スケジュール、
患者用経過表など数多くの情報が準
備されている。普通の病院では、あ
まり知らせない患者自身の病状情報
も伝えている。診察室を訪ねると、
もちろん必ず端末が置いてある。紙
のカルテはない。一般に、カルテや
検査の数字ばかりに目をやって、患
者本人の顔を見ない医師が多いとい
う批判がされてきた。端末のキー叩
きに集中して、診察がおろそかにな
っているのではないかと心配にな
る、という声を聞いたこともある。
ここでは、端末のキーを叩くのは医
師の必須条件である。そして、患児
を診察した医師は、お母さんと一緒
に端末の画面を見ながら、必要な医
療情報を記入して行く。カルテを医
師の独占物にしないで、患者側の納
得づくで医療を行うシステムになっ
ている。
嫌うので、両親や親戚など
が新生児をみるとき、ガラ
スを通して観る習慣になっ
ていますが、外国ではじか
に新生児を観るのが普通で
す。このガラスをはずして
欲しいと言ったのですが、
かないませんでした。世界
では非常識になっているこ
とが、日本ではいまだに常
識なんです。いずれ、外し
たいと思います」、と新生
児室の係りの医師は言って
いた。
★医療センターの近くに、
16室の善意の宿泊施設
国立成育医療センターの
遊びの要素をいっぱいに取り入れた空間
そばに、マクドナルド・ハ
(国立成育医療センターパンフレットより
ウスがある。ファスト・フ
ードのマクドナルドが最初の寄付を ルド・ハウスを訪ねたことがある。
して、この建物ができた。玄関内の スローンケタリング・メモリアル・
右の壁に、「善意の樹」が沢山の金 ホスピタルなど有名ながん専門の病
属の葉っぱを付けている。葉っぱに 院があり、世界から患者が集まって
寄付者の名前が記入してある。成育 くる。訪れたときには、イスラエル
医療センター病院へ入院の小児に付 から来た5歳の坊やが飛び回ってい
き添ってきた両親縁者が、患児の治 た。この施設の所長さんは、50歳代
療中、寝泊りする宿泊施設である。 後半の女性であった。その人がパネ
★救急部長が「日本の常識、世界の
新しくできたばかりの建物は、全館 ルになった設計図と建物完成図を見
非常識」というコメント
ブラウンのやわらかい色彩である。 せながら、「今ある建物は古くなっ
一人の事務長以外は総てボランティ たので、近々建て替える予定です。
救急室を訪れたとき、一人の小児
アで、総勢200名だとのこと。部屋 5階建てで、樹木が周辺を取り巻く
が救急医療を受けていて、現場は騒
ようにしたいと思っています」、と
数は16。
がしかったが、これが救急医療室の
ダブルベッドの寝室。台所には自 強調していた。総てはボランティ
常態なのだろう。その中で、救急部
長から「日本の常識、世界の非常識」 炊道具が完備している。お食事付き ア・グループが世話し、生活の面倒
一泊2万円と請求されても仕様がな をみていた。将来計画を進める所長
というコメントが発言された。「こ
ういう新しい国立病院ができると、 いかなと思う。「いろいろ、ご案内 自身、一銭も貰っていない。その後
戴いてありがとうございました。と のマクドナルド・ハウスは訪ねてい
ここを敬遠して他へ行きたがる。そ
ころで、ここは一泊幾らですか?」 ない。新装成った建物を訪ねた人は、
のために、かえって病気をこじらせ
る。賢い行為とは言えない。どんど 「国立成育医療センター病院に入院 「素晴らしい」という感想を持って
ん飛び込んで来て欲しい。日本人は、 しているという条件さえ満たしてい いた。アメリカの方式を、日本に移
こ う い う 立 派 な 建 物 が で き る と 、 れば、誰でも1,000円です」「遠くか 植したこの行為を賛美したい。そし
ら来る人のためですか?」「いいえ、 て、医療は善意のボランティア精神
我々のものではないと、疎遠になり
先週は、東京の人も、自宅に帰れな から生まれることを再確認したい。
勝ちだ。そんな遠慮をしないで、ど
い の で 泊 ま っ て い ま し た 」「 遠 く
しどし相談に来て欲しい」。
は?」「いま、インドネシアの人が
生まれたばかりの乳幼児が並ぶ新
お泊りです」。
生児室でも、「日本の常識、世界の
13年前、ニューヨークのマクドナ
非常識」の言葉を聞いた。「不潔を
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Medical Journalist
《上智大学教授A・デーケンさんの最終講義》
先の見えない“ひとまずの別れ”
飯塚 眞之
上智大学教授アルフォンス・デー なデーケンさんの口調や表情がいつ
ケンさん(70)の最終講義が1月25日、 もと違ったのも、そうした事情によ
東京・四谷の同大学10号館でありま るのではないかと思われました。
した。800人収容の大教室では、例
によって得意のユーモアによる笑い ●人は旅人―祖父が、連合軍兵士に
目の前で射殺された
が度々会場をわかせていましたが、
その雰囲気には、いつもと少し違う
この日の最終講義でデーケンさん
ものがありました。それは「私の人
生の出会いと転機――生と死とユー は、人間は「出会い」と「転機」を
モア」という講義のテーマ通り、生 節目に生きる旅人であると言い、そ
涯の体験や節目を通して自身の人生 の最初の出会いが父母であり、8人
の意味を、これまでになく真摯に語 きょうだいであり、第2次世界大戦
ろうとする強い意思の現れのように のさなかの過酷な体験だったと語っ
思われました。大学教授としての最 ています。例えば学校でただ1人、
終講義に加えて、自身が日本を離れ ナチのエリート校に推薦されたのを
るという、もう一つの感慨が加わっ 断って厳しい迫害にあったことや、
父と姉が反ナチ運動に参加していた
たからでしょうか。
デーケンさんの来日は1959年、27 こと、終戦の日、解放軍である連合
歳の時です。上智大学神学部で学ん 軍を、白旗を持って迎えた反ナチ思
だ後、ニューヨークのフォーダム大 想の祖父が、連合軍兵士に目の前で
学に留学。73年から上智大学で教鞭 射殺されたことなどを詳しく話しま
をとってきました。来日から数えて した。
「さまざまな出会い」では、「書
44年、教鞭をとってから30年。その
間にわが国での「死生学」の研究教 物」として『新約聖書』『ノヴァー
育に先駆的な役割を果たし、華々し リスの詩集』『マックス・シェーラ
い活躍で91年には、全米死生学財団 ーの価値倫理学』『トルストイのイ
賞とともに文芸春秋社の「菊池寛賞」 ワン・イリイチの死』などの著書を
を受賞しています。とりわけ82年か あげ、「人との出会い」では、イエ
ら毎年開催している「生と死を考え ズス会に彼を導いたフランシスコ・
るセミナー」は、その分野の学際的 ザビエルや、実際に講義を受けたフ
な人材をそろえて見事なものでし ランスの実存哲学者ガブリエル・マ
ルセル、そして『死ぬ瞬間』の著者
た。
「私の母国日本」が口癖で、日本 として知られる、米国の「死生学者」
に骨を埋めると語っていたデーケン で精神科医のエリザベス・キューブ
さんでしたが、まだ十分活動のエネ ラー・ロス女史などをあげました。
ルギーを持ちながらこの5月に、1年 とりわけマルセルからは、「問題」
間の研究生活ということで、ドイツ と「神秘」の違い、「日常的な希望」
に帰ることになりました。その後、 と「根源的な希望」の相違などを学
日本に戻れるのかどうか、もうひと びました。日常的な次元の課題は
つはっきりしない面があります。来 「問題」だが、死を前にした患者に
日以来44年といったら、日本に生涯 はすでにそれはなく、テーマは「神
を捧げたと同義でしょう。あの陽気 秘」である、というのでした。留学
した「アメリカとの出会い」では、
励ましencouragementを学んだといい
ます。
最後に最も深刻な「自分との出会
い」として、自身のがん発病の体験
があったと語りました。
● 欧米のホスピス視察ツアー
私ごとになりますが、デーケンさ
んと知り合って13年になります。90
年2月、アメリカの東海岸、ワシント
ンとニューヨークのホスピス視察研
修ツアーに、取材記者として同行し
て以来です。医師や看護師、ジャー
ナリストらが参加したこのツアー
は、デーケンさんの3度目の欧米ホ
スピス・視察ツアーでしたが、その
後多くのツアーに参加した私たちに
とっても、とりわけ印象深い体験で
した。
現在、医学ジャーナリスト協会会
長の元NHKディレクター大野善三
さんもこの時参加していて、以来大
野さんと私は、あきることなくデー
ケンさんの欧米ホスピス視察研修に
同行しました。米国西海岸(91年)、
英国・ドイツ(93年)、オーストラ
リア・ニュージーランド(95年)、
カナダ(96年)などなど。97年には、
デーケンさんと別に英国縦断のホス
ピス視察ツアーをしましたが、この
10年余、ほとんどはデーケンさんと
ともに、世界のホスピス運動の実体
を見て歩いたことになります。01年
9月には、デーケンさんと10年ぶり
に再び米国東海岸のホスピスを訪問
して、ニューヨークでかの9・11テ
ロ攻撃に遭遇。燃え盛る世界貿易セ
ンターが崩壊するさまを目撃するこ
とになりました。
ご存知のようにホスピス・緩和ケ
Medical Journalist
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アとは、末期患者の介護・ケアの理 の立ち直りを援助することでした。
念と方法のことです。しかし患者の
デーケンさんのホスピス運動は
QOLを重視し、患者を主役と位置付 「生と死を考えるセミナー」などで
けたその理念は、学際的なチームケ 毎年、充実した展開をみせていまし
ア、チームアプローチという手法と た。しかし99年ごろの「生と死を考
ともに、新しい「医療文化」構築に える会」の実情は、デーケンさんに
役立つ普遍的な理念としても注目さ よれば、「私のポリシーはこの16年
れています。現代ホスピス運動の創 間、まったく変わっていない。しか
始者、英国のシシリー・ソンダース し、実はこの数年、私は会の中で孤
女史に学び、カナダで緩和ケア病棟 立状態が続いていて、昨年からは名
を初めて立ち上げた外科医のバルフ 目だけの名誉会長と一理事の立場に
ォア・マウント氏は「この全人的ケ 置かれていた」そうです。
アの理念と方法が、医療の全領域に
会事務局内の争点は、直接には
行き渡ること」が重要だと私たちに 「死への準備教育」
(Death Education)
語っていました。
をめぐる意見対立のようでした。デ
デーケンさんの一連の欧米ホスピ ーケンさんを攻撃していたグループ
ス視察シリーズの業績は、わが国の は、「死への準備教育」などという
医師や看護師、一般市民に、先進的 ものはあり得ないとして、当時テー
な欧米ホスピスの実体をつぶさに見 マになっていたNPO法人化に際して
る機会をつくり、そのグループから、 も、申請する定款にこんなものを標
後にホスピス・緩和ケア病棟の立ち 榜することはできないと反対したそ
上げに加わった人たちなどが何人も うです。追い詰められたデーケンさ
輩出したことです。欧米のホスピス んは99年5月、ついに同会を「身一
の現状など、今となってはそう珍し つ」の形で脱会し、新たに「東京・
くはありませんが、90年頃のわが国 生と死を考える会」をゼロから立ち
では、まだまだ新鮮な感動がありま 上げました。
した。ホスピス・緩和ケアをめぐる
当時の我が国の医療行政や医療現
場、世論づくりにも刺激を与え、重
要な役割を果たしたといえるのでは
ないでしょうか。
● ボランティア団体のあり方
当時私は、そうした経緯を多少知
っていましたが、ボランティア団体
の姿として極めて不健全なものを感
じていました。市民が自発的に参加
し、それぞれの活動を通して自己実
現を目指し、不正常な状態になった
ら解散して新しい活動に向かう、と
いうボランタリー団体の本来の姿が
見えてこないのです。意見の違いや
論争があるのは当然としても、16年
間も「生と死を考える会」をリード
して、高い社会的評価を得ていた創
始者の会長を、まるで権力闘争のよ
うな激しさで、会にいられなくして
しまうという市民団体のあり方に
は、理解できないところがありまし
た。デーケンさんはとんだ受難に遭
遇したと思うほかはありません。こ
の問題を解くカギは、むしろ「日本
人論」とか「日本の文化」の中にあ
るのかもしれないと感じています。
ともあれ来年5月、デーケンさん
が晴れやかに「母国日本」に戻って、
やり残した「死生学」の仕事を再開
することを期待します。そういう思
いで待っている、一般市民のファン
が沢山いることでしょうから。
あなたはどこの町の住民ですか?
●会事務局内からの攻撃で脱会
デーケンさんは99年10月号の雑誌
『論座』(朝日新聞社刊)に、「『生』
をまっとうするために/『死への準
備教育』のすすめ」という小論を書
いています。ここで紹介されている
ひとつの事実が実は、かなり重い意
味を持っていると思われます。
82年、デーケンさんは上智大学で
「生と死を考えるセミナー」を開き、
翌83年に「生と死を考える会」を創
設しました。そこでの会の目標は…
①「死への準備教育」の普及促進、
②終末期医療の改善と充実、③ホス
ピス運動の発展に尽くす、④死別体
験者の分かち合いの場をつくり、そ
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Medical Journalist
ニューズレターはいつも読んでい
ますが、月例の学習会は休んでばか
りの不出来な会員です。
今取り組んでいることは、地域の
中で人・物・システムなどのあらゆ
る資源をつなぐネットワークをどう
作るかということです。
現場では「こんなことが今の時代
にあるの?」とびっくりするような
事例がいっぱいあります。介護保険
制度ができたおかげで以前は潜在し
ていた困難ケースがあぶり出されて
きたこともあります。
10年前と比べると飛躍的にサービ
スの量は増えましたが、現状では介
護保険のサービスだけでは到底本人
の尊厳を守り、在宅でケアをするこ
とは不可能です。地域にあるあらゆ
る資源を総動員して有機的につなぎ
合わせることで何とか支えて行ける
のです。
15年度からは地域福祉計画の策定
が本格化する自治体が多いと思いま
す。皆様のプロとしての知恵と経験
をご自分の住んでいらっしゃる地域
の計画作りに活かして欲しいと思い
ます。情報は大きな力です。今その
力を豊かな地域を作るために提供し
て欲しいと切に願っています。
(秦 靖枝)
「特別寄稿」
─高齢者医療の最前線─
岡本 祐三
大阪市で生まれ(1943年、自宅で
「産婆さん」にとりあげてもらった
世代)、53年間同じところに住みつ
づけ、大学での研究生活の後は府下
の公的病院で23年間勤務医生活。こ
の頃深刻化しつつあった高齢者医療
や介護に取り組んで四苦八苦。高齢
者医療をライフワークとする。その
後、神戸で大学の教員になったのを
機に阪神間に居を移し、思いがけず、
谷崎潤一郎の「細雪」の舞台となっ
た芦屋の地に根を下ろすことになっ
た。
★高齢化先進地域
芦屋で駅近くにひょんなことで手
頃な土地が見つかり、クリニックを
開設することに決めたのは、土地柄
の良さ―たしかにおしゃれな町だ―
もあるが高齢化率が高いということ
と、多分自立心の強い高齢者が多い
に違いない、その分医療や介護の社
会的なサービスのニーズが高い、と
いう意味での高齢化先進地域に違い
ない、つまり高齢者医療と福祉の最
前線での実践ができるということに
もある。もともとは内科全般に加え
て心療内科を研鑽していたが、次第
に老年医学に関心を持ち、同時に自
身もそれなりに人生経験も積み重
ね、今なら高齢者の方々の心身の病
気や悩みに共感をもって対応できる
のではないかと考えるに至ったから
だ。
もうひとつのきっかけは―これが
決定的に重要だが―政府の委員とし
て制度創設に関わった介護保険制度
が発足したことがある。この制度を
プランニングしたものの一員とし
て、現場でこの制度がどれくらい役
に立つかを検証する責任があると思
ったからである。
療方法の説明の後、私が介護保険の
申請はしておられますか?と問いか
★変わる高齢者医療
けると、「よく知らないんですけど、
介護保険は65歳以上からしか使えな
大阪府下での勤務医時代と比較し いんでしょう」と。実は介護保険は
て大きく変わったという印象を受け 65歳以下でも、この方の病名ならひ
るのは、レントゲンや心電図などの とつでもあれば、40歳以上から使え
検査機器が小型化しかつ高性能とな るのである。さっそくパソコンで市
り、血液検査などもインターネット 役所のホームページにアクセスし
を介して診察机の上のパソコンに迅 て、制度の説明や担当部署を印刷し、
速に結果が返ってきて、非常に便利 直ぐに電話して申請をするようにす
になったことと、高齢者の方々が病 すめてさしあげた。次の診察時には
気や薬剤についての知識が豊富であ すでに手続きが完了し、ホームヘル
ることに感心する。
パーの外出の介助、デイサービスの
またうつ状態や痴呆などメンタル 利用が始まって、家族の負担は格段
な問題を抱えている方が非常に多 に軽くなったとのこと。
い。同時にこれらの問題について、
介護保険関連でも、訪問看護、ホ
有効で使いやすい薬剤が増え、介護 ームヘルパーの派遣事業所、ケアマ
についても利用できる社会資源が格 ネージャー、介護施設、等について
段に増えたことにある。これらに対 もどの事業者が良質であるかについ
しては、薬剤治療、カウンセリング、 て情報収集を怠らないようにしない
家族指導あるいはデイサービス、と といけない。他にも病気によっては
いった支援手段を適切に組み合わせ 医療費の自己負担の公費負担制度な
て、治癒にいたらなくても(うつ状 どもあり、経済的に豊かになった日
態などは治癒することも多い)、ご 本の社会も、未だ十分とはいえない
本人やご家族の生活の質を向上させ が社会保障制度も、10年前と比べる
ることが、以前と比較すると大いに と相当成熟し―つまり複雑になっ
やりやすくなった。今や医学的知識 た。かつては社会福祉といえば、貧
だけでなく、利用可能な社会福祉制 困階層の救済制度だったが、今や幅
度や施設について、最新情報を得る 広い階層の人々のための支援制度に
努力を怠らず習熟しておく必要があ なった。よろず「知らないと損をす
る。でないと知らず知らず患者さん る」時代なのだ。医師の側も病気の
に損害を与えてしまいかねない。
診断や治療方法だけでなく、心身の
障害を持った高齢者の方々の生活を
★「生活コンサルタント」
社会的なサービスを駆使して支え
る、つまり「生活コーディネーター」
先日も62歳の男性の診察に妻の方 あるいはなんでも気軽に相談できる
が同伴してこられた。男性は「脊柱 「生活コンサルタント」としての役
管狭窄症」と「脳血管性痴呆症」だ。 割が求められていることを日々痛感
極端な物忘れ、閉じこもり、半身の している。
マヒがあり(杖歩行可)、妻は介護 (筆者は、岡本クリニック院長・国際高齢者医療
負担に憔悴しておられた。診察と治 研究所)
Medical Journalist
9
リレーエッセイ-5
エイズ、嫌煙運動…求められた「先見性」
牧野 賢治
1世紀という時間の長さは等身大で
とくに、たばこ問題にのめりこんでい
リストは取材や関心の優先順位に最
はないように思う。物心ついてから
たころは、若かったせいもあるが、一
大の配慮をしなければならないこと
なら、人生はたかだか70-80年。100年
途に突っ走った日々だった。嫌煙権と
を教えているのだと思う。もちろん、
は長すぎる。半世紀という時間も、振
いう考え方に共感を覚え、支援をした
私が80年代初めにエイズ取材に全力
り返るにはちょっと長い感じだ。世
いと考えたジャーナリストとして、
投球できたとして、はたして何がで
の中が変わりすぎてしまう。しかし、
紙面をかなり使えたわけだ。個人的な
きたかはわからない。当時エイズ取
四半世紀となると、がぜん身近に感
信念にそってはいたが、あの当時はあ
材にかかわった記者たちの多くが語
じられる。自分の人生として、かなり
れでよかった、といまでも思う。いわ
るように、越えがたい厚い壁にぶつか
明確に再構成し、点検できると思う。
ゆる「積極的な公正・中立報道」と
ってひるみ、あきらめたかもしれない。
それを痛感したのは、2月15日に開か
いえばいいだろうか。だが、科学記者
しかし、いまとなっても悔いは残る。
れた「嫌煙権運動25周年の記念パー
として振り返ると、あのころ、もっと
ティー」に出席したときである。
やるべきことがあったのに、という
無念さを感じるのも事実である。
25年前(1978年)の2月といえば、社
エイズ取材(とくに薬害エイズ取
材)に比べれば、たばこ取材は楽なも
のだったといえるだろう。それに甘ん
会部所属の科学記者として、たばこの
健康面を担当した83−89年は、エイ
問題を科学・医学、さらには社会的な
ズという恐るべきウイルス感染症が
いまだに喫煙者たちのニコチン依存
視点から取り上げた連載記事「タバ
この世に現われ、日本でも深く静か
症は根強いものがあり、理屈が通ら
コロジー」を新年早々からスタートさ
に拡大した時期と重なっていた。医
ない個人の嗜好の世界でもある。し
せたばかりだった。そこに「嫌煙権」
学記者として健康面でエイズの記事
かし、問題点はほとんど出尽くして
を提唱、それを旗印にした市民運動グ
を何回かは書いたが、たばこに取り
もいる。もはや科学や医学の世界で
ループが設立されるというのだから
組んだほどにエイズに熱心だったか
はない、といってもいいだろう。世界
願ってもない取材対象。記事は翌日
となると「ノー」だったと言わざる
観、人生観の違いという様相が濃い。
の朝刊、社会面のトップを飾った。以
を得ない。生活家庭部というニュー
ジャーナリストが日々の取材活動
来、タバコ問題との付き合いは、社会
ス取材では第2線的な取材部門に所属
に追われるなかで、アジェンダとし
部から生活家庭部に転部、週1回の健
していたせいもあるが、自分の守備
て何をもっとも重視するか。人はま
康面を6年間担当、定年で退社するま
範囲を自ら狭めていたように思う。
ま安楽な道を選ぶものだ。重要だか
で10年間、濃密に続いた。
エイズ取材については、まったくの
困難な課題よりも、重要性は低いが
不完全燃焼だった。
解決の道が見えているテーマに取り
1978年以前の約20年にわたる大阪と
じていたのかもしれない。たしかに、
東京での科学記者時代にも数々の思
このことは、ジャーナリストに何
掛かる。そうして困難を避け、後に
い出はあるのだが、喜怒哀楽というこ
を意味するのだろう。エイズがらみ
なって後悔するのである。先見性を
とでは、たばこ取材ほど充実した人生
でいえば、似たような言葉をニュー
いかに発揮できるかでもある。
だったことはなかった。悩みがなかっ
ヨークタイムズのある高名な医学記
たわけではない。当時、現在の医学ジ
者も語っていた。それによると、ち
念パーティー」は盛会だった。運動は
ャーナリスト協会が、まだ医学ジャー
ょうどエイズが現われた80年代初め、
着実な成果を挙げ、集会に集う人々の
ナリズム研究会という名称だったと
アメリカでは完全人工心臓の人間へ
顔ぶれは広がり、厚くなっている。
き、会長を務めていたのだが、いまと
の初移植という大ニュースがあって、
運動に共感をもち、支援した元記者
はちがって会議中に喫煙する幹事も
科学記者としてそちらに気を奪われ
としては満足している。あのとき、
2月15日の「嫌煙権運動25周年の記
いたし、会議後の喫茶店での雑談時に、 てしまい、エイズ取材がおろそかに
ジャーナリストとしての視点をどこ
たばこを手放せない仲間がいて、たば
なったのだという。エイズについて
に置いたか。被害者である非喫煙者
こ嫌いにとっては閉口したものだっ
は、その発端が同性愛者だったこと
だったのは間違ってはいなかったと
た。それもいまは昔である。たばこを
から、アメリカのメディアに偏見が
思う。二兎を追えば一兎も得られな
めぐる社会状況は、この25年間に大き
あって取り組みが遅れたという話も
かったかもしれない。人間の能力には
く変わった。四半世紀という時の流
伝えられている。先の医学記者の話
限界がある。社会情勢と自分の能力
れは、着実に人間の日常的な営みに
は弁解めいているが、そうした事実
変革をもたらしている。
はあったのだろう。
いま思えば、あのころはよく働いた。
10 Medical Journalist
歴史は繰り返すわけで、ジャーナ
を見極めることも、また大切である。
(筆者は、医学ジャーナリスト協会初代会長、
現在、東京理科大学教授)
書評
スギ花粉症
三好 彰 編著
斎藤洋三氏(東京医科歯科大元助教
授)が、スギ花粉症の最初の報告を行
ったのは1964年。わずか21症例だった
この病気は、40年を経た今日、国民の
約16%(6人に1人)が罹患する代表的
な現代病になってしまった。
私自身、数年前にその1人になった
体験から言えば、シーズン中の仕事へ
の集中力は大幅に落ちるから、医療費
を含めた国家的損失は莫大なものと思
われる。しかも台風や集中豪雨後の山
崩れ現場のテレビ映像を見ると、その
多くがスギ林である。戦争のツケのス
ギ林を伐採し、広葉樹を植林すれば問
題はすべて解決すると思うのだが、そ
んな発想は暴論として相手にされない
らしい。かくして医療現場では、スギ
花粉症の研究と治療の試行錯誤が営々
と続けられてきた。
本書は当協会会員の三好彰氏(三好
耳鼻咽喉科クリニック院長)が編著者
となって、佐橋紀男東邦大教授、白川
書評は以上だが、私は⑤のレーザー
太郎京大大学院教授、中村晋大分大前
とソムノプラスティの併用治療を仙台
教授ら11人の専門家(中国人留学生を
の三好クリニックで受け、その体験を
含む)が、長年にわたる研究成果を豊
本書に寄稿した。特別に紙幅を割いて
富な文献をもとに共同執筆している。
感想を述べさせて頂くと、東京から4
読後感をまとめると、①スギを含め
日間の日帰り通院で、昨シーズンは楽
た花粉症の研究の推移と花粉情報の歴
に乗り越えることができた。負担の少
史的経過が分かる。②花粉症発症のメ
ない医療の恩恵を受けたのだが、簡単
カニズムが分かりやすく説明されてい
に普及しないと思っている。
る。③スギ花粉症の要因と言われるダ
理由は本書に書いていないが、ソム
ニ汚染や感染症、大気汚染、食生活の
ノプラスティの価格が約500万円で両
変化との関連性について、最新の研究
方の鼻を治療した場合の保険点数が約
をふまえて可否を詳述している。④中
1800点。これに対し、患者の体内に挿
でも結核の減少とアレルギーの増加が
入して高周波を発信するハンドピース
逆相関にあるという白川教授の研究が (2万円強)は感染症予防のため使い捨
注目される。⑤治療では、レーザーで
てである。減価償却どころか治療をす
鼻粘膜を焼いて抗原抗体反応を抑え、 れば赤字が増えるため、輸入商社によ
米国製の高周波発信装置ソムノプラス
ると、普及台数は日本で販売開始以来
ティによって肥大した下甲介の一部組
2年半の2月現在11台という。
織(米粒ほど)を壊死させて縮小する
このユニットを舌根やノドの肥大に
(壊死部分が体内に吸収される)最新
用いると無呼吸症やいびきの治療にも
の併用治療法が紹介されている欲を言
効果を発揮するそうだ。三好氏はこの
えば、花粉症を含めたアレルギー研究
方面の治療にも力を注いでいる。興味
史と治療史の概略が年譜形式で掲載さ
のある方は同氏に直接聞かれることを
れていたら、一層役立つ一書となった
薦める。(いちい書房・1500円)
であろう。
(会員・中安 宏規)
書評
「医学生のお勉強∼『クレイジー』な国ニッポンを理解しよう∼」
東海大学医学部長 黒川 清と仲間たち著
もうお読みになった方もおられるで
しょうが、日本の医療システムを知る
一つの参考書として勉強になる本で
す。去年出版されたもので、推薦の後
れたことに気がひけますが、決して遅
くはありません。黒川教授が主催する
『文明論』講座に出席した学生たちの
意見、疑問を編集した講義記録です。
この講座に出席した学生は殆どが他の
大学を卒業した人たちで、様々な社会
経験をした人も多くを占めています。
黒川教授が東海大学医学部で展開した
「Clinical clerkship」や「Problem based
learning」を踏まえた上でのディスカ
ッションです。 内容を6つのテーマに
分けて、学生たちがディスカッション
しています。その6つとは、黒川教授
が決めたもので、次のテーマです。
Chapter1「安楽死」、Chapter2「避妊、
中 絶 、 ジ ェ ン ダ ー ・ イ ッ シ ュ ー 」、
Chapter3「生殖医療」、Chapter4「生活
習 慣 病 」、 C h a p t e r 5 「 医 療 事 故 」、
Chapter6「医療経済」。
黒川教授が「はじめに」の中で、こ
う述べています。「医学部を卒業して
からは『混ざる他流試合』を避けた医
師の育成システムなど、明治以来をす
ごしてきた日本のシステムが、今、大
きな岐路に立たされているのである。
その上、現在の情報化の時代にあって
国民が広く他国の医療のあり方、医師
のあり方について知り始め、従来の医
師の育成にあたってきた『既得権勢力』
の価値観や利害等が『抵抗勢力』とし
て実社会の要求にマッチしなくなって
きているともいえる」。中を読んでゆ
くと、マスコミ批判もあり、痛いとこ
ろを突かれていると感じる部分もかな
りあります。黒川教授はHarvardの
Tostesone教授とも何回か話されたよう
ですが、Tostesone教授が新しいカリキ
ュラム導入にあたって苦労したのは
「教員のマインドの変革と教員教育で
あった」、としみじみ語っていたと、
本の「おわりに」書いています。アメ
リカさへシステムを改革して行くのは
難しいのだと思ったものです。
約440ページある厚い本ですが、紙
面の下は時々注釈を入れるために空い
ており、会話が筋を進めて行くので、
読みやすい本だと思います。皆さんが
お読みになることをお勧めいたしま
す。(芳賀書店)2,800円
(大野 善三)
Medical Journalist 11
「世界科学ジャーナリスト連盟」の創設について
牧野 賢治(日本科学ジャーナリスト会議会長)
すでにご承知かと思いますが、昨
ナリストも含んで考える)は、さま
ロニク・モリンさんが就任、6人の
年11月にブラジルで開かれた第3回
ざまなところで活動しています。日
理事も決まりました。日本からは、
科学ジャーナリスト世界会議で、世
本では新聞社に所属している記者が
高橋真理子さん(科学技術ジャーナ
界連盟(WFSJ)の設立が決まりまし
一番多いでしょうが、その他にも出
リスト会議理事、朝日新聞)が会計
た。この連盟は各国、地域にある科
版社、テレビやラジオの会社の人、
担当として加わっています。
学ジャーナリストの諸団体をまとめ
フリーランスの人、あるいは大学や
WFSJについてのさらに詳しい情報
る「アンブレラ」組織です。会則に
研究機関、企業の広報部門にいる人
は、ウェブサイト(http://www.esf.org/)
より、加盟団体が6団体に達したと
など多様です。そういうジャーナリ
を開いてください。なお、第4回科
きに正式に発足します。すでに中国
ストが所属組織を離れたところで、
学ジャーナリスト世界会議は2004年
の科学作家協会が加盟を表明しまし
共通の関心事について意見を交わ
9月にカナダのノモントリオールで
た。日本からは、科学技術ジャーナ
し、問題を議論し、専門職としての
の開催が決まっています。医学ジャ
リスト会議が、1月の理事会で加盟
能力の向上をはかり、社会に貢献す
ーナリストのみなさんもぜひとも参
を内定、5月の総会に諮ることにな
るのは当然の役割です。国内組織は
加されることを願っています。また、
っています。医学ジャーナリスト協
そのためのものですが、さらに世界
ブラジル会議報告と世界連盟の会則
会も加盟する方針とのことなので、
のジャーナリストがそれぞれの経験
は、JASTJNEWS(日本科学技術ジ
アメリカなど海外の団体の動向から
を交流すれば、さらにいいでしょう。 ャ ー ナ リ ス ト 会 議 会 報 、 N o . 2 6 、
みて、今年中には発足できるでしょ
連盟創設は、そのためのものです。
う。
ブラジルでの会議で、初代会長に
科学ジャーナリスト(医学ジャー
学・医療・福祉分野での報道に関心
会長 大野 善三
ン・バーケット著)を皮切りに、
2000年に米国科学アカデミーによる
を持つジャーナリスト有志が集まっ 『To Err is Human(邦題・人は誰でも
て発足しました。会の発展に伴い、 間違える)
』
、2002年に同じく『A New
1990年に『医学ジャーナリスト研究
Health System for the 21st Century(邦
会』に、1994年(平成6年)に『医
題・医療の質)
』
(いずれも日本評論
学ジャーナリスト協会』と名称を変
社刊)などの翻訳事業を行ってきま
更し、現在に至っています。
した。現在、当会の会員数は200名以
当協会の目的は、日本における医
上が参加しており、今も増えていま
学・医療の横のつながりを大切にし
す。参加している人々は、新聞、雑
ながら情報を交換し、医療に関する
誌、放送などの医学ジャーナリズム
報道の質の向上させることです。そ
の記者、フリーライターだけでなく、
のために、年4回のニュースレター
編集者、評論家、作家、医師・看護
「Medical
Journalists」の発行、各分野
士・製薬会社社員などのコメディカ
の専門家をお呼びして講演いただく
ルをはじめ医学、医療に関心を持つ
月例研究会、年2回程度の医療施設
人々と多彩です。今後はシンポジウ
への見学会、出版等といった事業を
ムや医学講座などを進め、また世界
展開しています。また機関誌を支え
科学ジャーナリスト連盟に参加する
るために、会員を軸にメールによる
など国際的に視野を広げながら、日
「同報メール」を発信しています。
当協会は、研究会時代の『科学は
正しく伝えられているか』
(ウォーレ
12 Medical Journalist
す。
はカナダの女性ジャーナリスト、ベ
医学ジャーナリスト協会について
当協会は、1987年(昭和62年)医
2003年2月発行)に掲載されていま
本の医療・福祉の分野に貢献してゆ
きたいと考えています。
★編集後記
機関誌の次の号に原稿をお願いしま
す。会員の“近況報告”という軽い
お気持ちでOKです。
メールの「同報通信」は、250人を超
えました。過半数が現会員と講師で
す。「同報通信」が厄介と思われたら、
すぐ私のところにご連絡ください。
「同報通信」を管理している私のとこ
ろには毎日数十本のメールが入りま
すが、短時間で処理しています。煩
雑だと感じたことは1度もありませ
ん。メールをお持ちの方は、ご送信
をお願いします。(秦)
Medical Journalist
Vol.14. No.2(通巻第38号)
発 行: 医学ジャーナリスト協会
発 行 者: 大野善三
編集責任: 秦 洋一 E-mail : [email protected]
事 務 局: 東京都港区麻布台1-8-10
麻布偕成ビル7階
(株)コスモ・ピーアール内
担当 近藤
TEL 03-5561-2911
FAX 03-5561-2912
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