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スペイン・サンセバスティアン市における都市空間の変遷に関する研究

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スペイン・サンセバスティアン市における都市空間の変遷に関する研究
3.1.2.
スペイン・サンセバスティアン市における都市空間の変遷に関する研究
準会員
正会員
サンセバスティアン
変遷過程
スペイン
城塞都市
○和田 史織*
杉本 俊多**
都市空間構造
港町
1.序
イベリア半島、特にスペイン北部のある地域の港町に
る。古地図は縮尺のズレや歪みを含むため、2009 年の詳
細都市図を CAD ソフトでトレースし、これを元に時代を
順に遡って古地図を落とし込み復元を行った。地形には
おける空間形成手法は、運河を都市に引き込むような 16
変化している部分があるので、大きさや形は新しい年代
世紀~17 世紀のフランス、オランダ、スペイン南部の手
の地形や建物、街区の位置関係を基準にし、絵画資料・
法とは全く異なる特徴的な形態パターンがみられ、ヒホ
参考図を関連させ、14 世紀(推定復元図)、1552 年(眺望図)、
ン(Gijon)、ア・コルーニャ(A Coruna)などの港町の中でサ
ンセバスティアンはその明快な形を示しているといえる。 1644 年(眺望図)、1789 年(都市図)、1862 年(都市図)の資料
から 5 段階の復元平面図を作成した。また、都市図から
そして、それらの地理的要因の共通する特徴として、半
施設名を読み取った。
島に港と街を築いている点が指摘できる。
また、サンセバスティアンは 1180 年頃から港町として
3.サンセバスティアンの都市変遷過程
3.1 概要
サンセバスティアンにおける 14 世紀、1552 年、1644 年、
1789 年、1862 年の復元平面図により、都市空間構造の変
遷の分析を行う。各時代ごとに都市空間構造の明らかに
なった特徴を以下に記す。
3.2 14 世紀(図.1 参照)
14 世紀の推定復元図を用いて復元図を作成。
①市壁は半島の先の街区を囲み、北側のモンテ・ウル
グル山(Monte Urgull)のモタ城(Castillo de la Mota)を包
括し、東側はウルメア河(Rio Urumea)に面する断崖の
際に市壁が造られており、防御力と都市としての面
積を確保している。
②街区の北東側と北西側に教会のようなものがあり、
後に同区域にサン・ビセンテ教会(San Vicente)とサン
タマリア教会(Santa Maria)ができる。
③西側のコンチャ湾(Bahia de la Concha)には港があり、
付近の市壁には門が整備されている
④南側の市壁の外部には広場が整備されている。
3.3 1552 年(図.2 参照)
1552 年の眺望図(MST. H-001181)と絵画を用いて復元平
面図を作成。
①市街地を囲む古い市壁の外側に新しい市壁が建設さ
れ、二重に壁が整備される。
②市壁の南側に矢印型に突き出した稜堡が整備され、
街の南側にむけての防御機能が強化されている。
③港が整備に伴い、大型船の停泊スペースや桟橋、防
波堤が設けられ、海岸線も砂浜から石敶に整備され
ている。
重要性を増し、14 世紀には、ナバラ王国との羊毛交易の
拠点として繁栄した。街の境界を強化し街と港を保護す
る目的で、半島の周囲を壁で囲まれた都市空間が形成さ
れた。その後、15 世紀末には軍事拠点となったことで、
要塞化を加速させ城塞都市として機能する。後の 17 世
紀・18 世紀にはフランス・オランダ・イギリスの艦隊と
戦うこととなり、半島戦争では 1808 年にナポレオンが率
いるフランスの軍隊によって占領され、1813 年にイギリ
スとポルトガル軍がフランスの占領を破るまで城塞都市
としての都市空間構造が用いられていた。そして、1863
年に市壁の取り壊しがはじめられ、市域は拡張した。1)
このようにサンセバスティアンは、イベリア半島の港
町として空間手法と城塞都市としての空間手法が用いら
れており、特異性のある都市空間の変遷を辿っていると
いえる。
2.研究の目的と方法
本研究は、サンセバスティアンにおいて、当時の主要
貿易拠点であり軍事拠点であった 14 世紀頃から 19 世紀
後半の城塞が取り壊されるまでの空間構造の変化を通し
て、その変遷過程を明らかにすることを目的とする。
研究資料として、主に歴史的都市図を収集し、各時代
の都市空間構造の変化・実態を検討していく。資料とし
て主に、サンテルモ博物館(Museo San Telmo)所蔵の古地図
を用いる。その中で、対象年代である 16 世紀から 1862
年までの同地域の都市図を対象資料とする。また、14 世
紀 の 都 市 図 と し て 、 モ タ 城 博 物 館 (Castillo de la Mota
Museum)で紹介されている 14 世紀推定復元図を資料とす
Study on the Transition Process of Urban Space of San Sebastian in Spain.
WADA Shiori, SUGIMOTO Toshimasa
33
④市壁がモンテ・ウルグル山の西側に設けられ、山の
起伏に沿って整備されており港の北側の防御力が高
まっている。
3.4 16 44 年(図.3 参照)
1644 年の眺望図(MST. H-001189)と絵画を用いて復元図
を作成。
①二重にあった市壁の内側が取り壊され、街区が拡張
し、整備される。
②半島と東側の陸地を結ぶ橋に要塞の形をした検問所
が整備される。
3. 5 1789 年(図.4 参照)
1789 年の都市図(図.5 MST. H-001711)と絵画を用いて復
元図、CG 復元鳥瞰図(図.6)を作成。
①モンテ・ウルグル山の山頂にあるモタ城の周辺、特
に北側の防壁が山の起伏に沿って設けられ、半島の
北側の防御機能を高めている。
② 1722 年 、 街 区 の 中 心 部 分 に 憲 法 広 場 (Plaza de la
Constitucion)が形成される。当時スペインには街区を
長方型に切り取った広場が多くつくられており、そ
の流れを汲んでいる。
③街の南側の要塞はさらに強固なものに整備され、陸
地側からの攻撃に対しての防衛施設が備えられたと
考えられる。要塞部分は小山のような起伏がついて
おり、都市を保護する本格的なものであった。
3.6 1862 年(図.7 参照)
1862 年の都市図 2)と絵画を用いて復元図を作成。
1813 年に街は全焼し、市壁が攻撃を受け、また 1863 年
から壁の取り壊しが始まることから市域拡張の計画段
階にあると考えられる。
①旧市街地の西側と東側に市壁の取り壊された跡が残
っている。
②南側の市壁と要塞は取り壊され、市域は拡大してお
りグリッドプランで新街区が形成されている。
4.1.1 都市の外郭
①地理的要因として、北側にはビスケー湾(Bay of Bicay)、
東側にはウルメア河、西側にはコンチャ湾、半島の先
にはモンテ・ウルグル山があり、外部からの侵入を防
いでいる。
②街の南側と西側の市壁が強化され二重になる。
サンセバスティアンはイベリア半島の港町のパターン
である半島の地理要因を利用して、貿易活動の重要な中
心地となり、街と港を保護するために市壁がつくられて
いった。しかし、フランス国境と 15 ㎞の位置から、フラ
ンスに対する攻撃の重要な軍事拠点となり、結果的に要
塞化が進んでいく初期の段階であった。
4.1.2 街区計画
①14 世紀の街区は雑然と配置され、不整形であり街路の
幅や位置などが整備されていない。街路の幅は 6~8m、
約 21 個の通りが形成された。
②街の北側にサン・ビセンテ教会とサンタマリア教会の
原型の建造物が見られ、四方向から最も保護されてい
る街の北側は神聖な地域であったと考えられる。
③1489 年 1 月、中世最後の大火によりサンセバスティア
ンは街が全焼し、石の使用によって再建された。
4.2 第Ⅱ期(16 世紀―18 世紀)
4.2.1 都市の外郭
①要塞部分の強化、形状が細かくなる。
②港と街区、中心広場の整備がほぼ完成する。
15 世紀後半からその市壁のために、サンセバスティア
ンは戦争における軍事拠点となり、多くの戦争に巻き込
まれ、また 1719 年にはフランス軍に占領されることから
要塞化がすすんだ。16 世紀頃に建てられた矢印型の稜堡
を中心として、南側に拡大していき、城塞都市としての
都市空間が完全な形態であったと考えられる。
4.2.2 街区計画
①1722 年に街の中心に広場ができ、18 世紀には合理的に
街区のレイアウトが整備された。街路は市壁とほぼ平行
に延びており、大きな通りは南北に 5 本、東西に 7 本程、
幅は 6~10m 程度であった。
②街の北側は 16 世紀に守護聖人サンタマリア・デル・コ
ロ(Santa Maria del Coro)を奉ったサンタマリア教会と 16
世紀前半にはサンセバスティアンで最も古いとされる
ゴシック様式のサン・ビセンテ教会、16 世紀にドミニ
コ派の修道院が建造された。
③西側の港付近には埠頭への門が設けられた。
4.3 第Ⅲ期(18 世紀―19 世紀)
4.3.1 都市の外郭
①市壁が東西側を除き、ほぼ壊されている。
②南側の要塞部分が取り壊され、グリッドプランの街区
が造られる。
4.3.2 街区計画
4.都市構造の変遷過程
ここでは特に、都市の外郭・輪郭部分と街区部分に
焦点を当てる。14 世紀から 19 世紀の都市空間構造の変
遷期間を以下の三期に分類する。
・第Ⅰ期
14 世紀―16 世紀(1552 年)
・第Ⅱ期
16 世紀(1552 年)―18 世紀(1789 年)
・第Ⅲ期
18 世紀(1789 年)―19 世紀(1862 年)
第Ⅰ期はサンセバスティアンが交易・軍事の拠点として
活躍した 14 世紀から 16 世紀の 2 世紀間とし、第Ⅱ期は
城塞都市として攻撃・防御能力を高めた 16 世紀から 18
世紀とする。第Ⅲ期は 18 世紀から 19 世紀に要塞が解放
され、市街地が拡大するまでとする。各期ごとの明らか
になった変遷過程を以下に記す。(4.1 4.2 4.3)
4.1 第Ⅰ期(14 世紀―1552 年)
*広島大学工学部第四類 (建設・環境系) 学生
**広島大学大学院工学研究科 教授・工学博士
*Student,Faculty of Engineering,Hiroshima Univ.
**Prof.Graduate School of Engineering,Hiroshima Univ.Dr.Eng.
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①折れ曲がっていた街区のラインが人工的な直線へと形
成される。
②約 80m×50m グリッドプランの新しく整形された市街
地が形成される。
18 世紀から 19 世紀にかけてサンセバスティアンの人口
は、1813 年のフランス軍の占領・攻囲の後、5,500 人から
2,600 人まで減少したが、1860 年代には 9,000 人近くとな
った。人口の成長により市壁の中は過密化し生活水準が
著しく下がったため、市壁と南側の要塞が取り壊され、
街は外部へと広がった。
5.結.
サンセバスティアンにおける都市構造の変遷過程を観察
することにより、地理的好条件を有効に利用し、半島の
先の丘のふもとに街が形成されたと考えられる。ヒホン
やア・コルーニャにも共通するイベリア半島の港町の都
市空間構成として以下の特徴が明らかになった。
①海に突き出した半島を利用する
②半島の先には丘があり、ふもとに街区を形成する
③手前の湾に港がつくられる
④市街の陸地側に強固な市壁が築かれる
の四つがあげられる。
5.
18 世紀のサンセバスティアンの市壁・要塞構造
最も形態が複雑で、詳細な施設や建造物が読み取れ
る 18 世紀の都市図と復元図を用いて市壁・要塞形態につ
いて分析を行う。市壁は東側、西側、北側、南側の四つ
に分類する。
①東側の市壁
16 世紀には市壁の長さは約 264m、厚さ約 2~3m、高さ
は 10m~15m であった。市壁の上部は通路になってお
り、監視や攻撃に用いられた。ウルメア河岸の崖に沿
って壁が建っており、狭い都市空間を最大限に利用し
ていた。壁門は一ヶ所も設けられておらず、河岸は砂
浜ではなく、敵船は着岸できない。
②西側の市壁
15 世紀には門が三つ設けられていたが、18 世紀には港
の付近に、壁門(Puerta de muella)が一か所設けられ、
港と街の内部を接続していた。市壁の高さは 10m~15m
程、厚さ約 2~3m、市壁の上部は通路になっていた。
③北側の市壁
モンテ・ウルグル山の起伏に沿った市壁に加えて、14
世紀頃から山の東西に監視所が建てられていた。18 世
紀には、20m×60m 程の三角柱型の防壁が山の中腹に幾
つか設けられ、海に対しての攻撃・防御に備えていた。
④南側の市壁・要塞(図 8.参照)
15 世紀の市壁には三つ門が設けられていたが、16 世紀
頃から矢印型の稜堡(図 8.a)を中心に 18 世紀には図.8 の
形態になった。要塞には起伏が付けられ、小山のよう
に盛り上がった輪郭を持ち、内部にも堀や壁が多く造
られ高低差がつけられていた 。要塞全体の大きさは
200m×300m に対し、矢印型の稜堡 40m×35m であり、
三層構造であった。これを中心に、16 世紀頃のオラン
ダ・フランスの城塞都市論の発達の影響を受け 17~18
世紀頃に完成した。矢印型の稜堡を中心にして西側の
砦 (図 8,b)は 55m×55m 程、東側の砦 (図 8,c)は 35m×
50m 程、南側の半月堡(図 7,d)は 35m×50m 程であった。
入口は要塞の北東側と南西側の二ヶ所設けられていた。
半島の先に街をつくることで、外部の攻撃から街を保護
していたと考えられる。その後、サンセバスティアンは
都市が成長していく中で、交易・軍事拠点となっていっ
たことにより、16 世紀頃のヨーロッパの城塞都市論の影
響を受け、都市空間が計画されていった。海と山によっ
て囲まれた半島を市壁で囲み、陸側は要塞を建設するこ
とで都市を保護する、半島を利用した城塞都市の空間構
成の手法が明らかとなった。
謝辞
本研究は平成 21 年度科学研究費補助金基盤研究(C)課題
番号 21560666「大航海時代ヨーロッパにおける都市計画
理念の形成に関する研究」の研究成果の一端をなす。
記して感謝申し上げる。
註.
1)サンセバスティアンの都市形成史について、概説的な文献として
以下の書籍を参考とした。Miguel artola(ED.),”Historia de DONOSTI
A-SAN SEBASTIAN”NERESA 2007 、 Raquel
Lopez Varela(ED.)
“Donostia San Sebastia’n” SECOND EDITION inc EDTIONAL
EVEREST
2)歴史的都市図については、MIGUEL ARTORA(ED.) HISTORIA DE
DONOSTIA SAN SEBASTIAN
Editorial Neresa,S.A.p104(1862 年)、
サンテルモ博物館(本文中”MST”表記)の所蔵古地図[H-001181(1552
年 ),H-001184(16 世 紀 ),H-001185(17 世 紀 ),H-001186(17 世 紀 ),H001187(1641),H-001188(1644), H-001189(1644), H-001190(1667), H001191(1669), H-001192(1682), H-001193(1682), H-001194(1693), H001195(1719), H-001196(1724), H-001197(1728), H-001198(1756), H001199(1786), H-001205(1552), H-001207(16 世紀), H-001208(16 世紀),
H-001214(18 世紀), H-001218(1793), H-001223(1794), H-001225(1788),
H-001611(18 世紀),H-001711(1789) H-001713(1794),p-001849(1719),p001962(16 世 紀 )] を 参 照 、 さ ら に サ ン セ バ ス テ ィ ア ン 市 役 所
(DONOSTIA Udala Ayuntamiento de San Sebastian)が公開する地図デ
ータを参照。
3)モタ城博物館の 14 世紀推定復元図、歴史紹介ビデオを参照。
Study on the Transition Process of Urban Space of San Sebastian in Spain.
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0
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1
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城壁
城壁
街区
街区
モタ城[Castillo de la Mota]
モタ城[Castillo de la Mota]
1:サン・ビセンテ教会
[San Vicente]
2:サンタマリア教会
[ Santa Maria]
教会
図 1: 14 世紀の復元図
図 2: 1552 年の復元図
0
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1
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城壁
街区
モタ城[Castillo de la Mota]
城壁
1:サン・ビセンテ教会
[San Vicente]
2:サンタマリア教会
[ Santa Maria]
街区
モタ城[Castillo de la Mota]
1:サン・ビセンテ教会
[San Vicente]
2:サンタマリア教会
[ Santa Maria]
図 3: 1644 年の復元図
図 4: 1789 年の復元図
図 5: 1789 年の都市図
0
図 6:1789 年の復元 CG 鳥瞰図
300m
施設名
3
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城壁
街区
モタ城[Castillo de la Mota]
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1:サン・ビセンテ教会
[San Vicente]
2:サンタマリア教会
[ Santa Maria]
0
図 7: 1862 年の復元図
*広島大学工学部第四類 (建設・環境系) 学生
**広島大学大学院工学研究科 教授・工学博士
50m
a:市壁に設けられた砦
(cubo Imperial)
b:サンフェリペの砦
(Baluarte de San Felipe)
c:サンティエゴの砦
(Baluarte de Santiego)
d:半月堡(Revellin)
1:角堡(Hornabeque)
2:競技場(Juego de Pelota)
3:南壁(Muralla meridional)
4:掩蓋通路(camio cubierto
5:掩蓋通路の武装広場
(Plazade Armas de
camio cubierto)
6:堡塁の斜堤(Glacis)
7:堀(Foso)
8:掩蓋通路(Caponera)
9:堡障(Contraguardia)
10:角堡上の地上入口
(Puente de Hornabeque a
la Puerta de Tierra)
11:地上入口
100m (Puerta de Tierra)
図 8: 18 世紀要塞部分詳細図
*Student,Faculty of Engineering,Hiroshima Univ.
**Prof.Graduate School of Engineering,Hiroshima Univ.Dr.Eng.
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