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2013・14 テーマ史

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2013・14 テーマ史
2013・14 テーマ史
① 中国テーマ史(儒教史)
p.2
② 中国テーマ史(道教史)
③ 中国テーマ史(仏教史)
p.6
p.8
④ 中国テーマ史(その他の宗教)
⑤ 中国テーマ史(社会経済史)
p.10
p.12
⑥ 中国テーマ史(貨幣史)
⑦ 中国テーマ史(反乱史)
p.16
p.18
⑧ 中国テーマ史(書道史)
⑨ 中国テーマ史(美術史)
p.22
p.23
⑩ 中国テーマ史(中央官職・地方行政史)
p.24
⑪ 中国テーマ史(官吏登用制度)
p.26
⑫ 中国テーマ史(土地・税・兵制 + 主従・村落・戸籍制) p.27
⑬
⑭
⑮
⑯
⑰
⑱
⑲
世界テーマ史(文字の歴史)
世界テーマ史(暦の歴史)
世界テーマ史(船の歴史)
世界テーマ史(茶・砂糖・コーヒーの歴史)
世界テーマ史(病原菌・医学史)
世界テーマ史(鉄道史)
世界テーマ史(移民史)
p.28
p.30
p.32
p.34
p.36
p.40
p.44
⑳ 世界テーマ史(ユダヤ人&パレスチナ問題)
p.46
【使い方】
空欄・太字は基礎・標準、☆はハイレベル、★は合否に関係ない 10 年に1回のマニアックな知識、
下線部は○×問題の注意点を意味しています。実際、☆のハイレベル用語や下線部の情報は参考書に
はほとんど載っていませんが、難関私大では狙い撃ちされている情報です。
① ☆129.3cm、129.3kg(身長は小学4年生の平均)
② 四次元ポケットを駆使して秘密道具を出す
ドラえもん
※22Cのネコ
※どこでもドア、スモールライト、タイムマシンなど
③ 好物=
→ 関西では『三笠』、
『三笠焼き』
、『三笠まんじゅう』などと
型ロボット
呼ぶことが多い。これは、菓子の外見が奈良県の三笠山(若草山)に似た形で
(21C×)
あることに由来。
④ 苦手=
ドラミちゃん
野比のび太
※小学4年生
⑤ 色
=
① 色
=
→ 元々は黄色(ネズミにかじられた恐怖から変色)
② 好物=☆メロンパン(ドラ焼き×)
①
、
、射撃の天才
② 父は☆野比のび助、母は☆野比玉子(母の旧姓=★片岡)
1
①中国テーマ史(儒家・儒教・儒学史)
① 節度を重視=礼
てい
前 551~前 479
こ
う
し
孔子
※春秋末期の
弱小国魯の
② 道徳的心情=仁 ※親への孝、兄への悌が根本
③ 家族道徳の実践から仁の完成を目指す★“修
身・斉家・治国・平天下”の道を説く
④ 周を理想視(新の王莽、唐の則天武后も)★周
公旦を祖とする
⑤ 経典=五経(経書)
(=易経・春秋・書経・詩経・
礼記)を整理
※「春秋」=魯の年代記
※「書経」=堯・舜・夏・殷・周の人々の言葉を
きょくふ
曲阜(山東省)
春
秋
出身
じ
ゅ
か
※儒教の祖
儒家
戦
※学問化す
国
ると
宗教化する
時
代
儒学
と
儒教
前 372~前 289
孔子の死後の弟
、
子
も
う
し
孟子
※戦国時代の
すう
魯の鄒(山東
新
ぜんじょう
※禅譲 =位を譲るなど理想的で平和的(に見せ
かけた)王朝交代
ほうばつ
※放伐=武力による王朝交代
ぎょう
しゅん
前 298~235
① 性悪説=人の本性は悪であるからこそ、その矯
ゅ ん
し
※戦国時代末
期の趙の出身
漢
えきせい
“天
③ 易姓革命(説)=革命による王朝交代を認め、
命が革まり、姓が易わる”と説く
④ 言行録「孟子」、 堯 ・ 舜 を理想視、★民本主義
荀子
前
せいぜんせつ
① 性善説=人の本性は善で、不善は後天的要素に
よるとし、みな聖人になれると説く
② ☆王道政治=武力ではなく、徳によって民衆を
治める政治を説く
省)出身
じ
秦
まとめた中国最古の歴史書
※「詩経」=最古の詩集
⑥「論語」=孔子の死後、弟子達が編纂した孔子の
言行録
→ 南宋の朱熹が「四書(大学・孟子・論語・中
庸)」の1つに
せいあくせつ
正のために礼による教化が必要と説く → 門下
生に法家の韓非、李斯
② ☆覇道政治=徳ではなく、武力によって民衆を
治める政治を説く
③ 言行録「荀子」
始皇帝&李斯(法家)=焚書・坑儒で儒学者を弾圧
武帝&公羊学の祖董仲舒=儒学を官学化、五経博士を設置
王莽が儒教を保護
2
く
後
漢
ん
こ
が
く
訓詁学
内容=五経(経書)(=易経・春秋・書経・詩経・礼記)の字句解釈
を中心とした学問
弊害=内容に踏み込まず、儒学が形骸化
ば
大成=師匠の
ゆ
う
じ ょ う げ ん
馬融、弟子の鄭玄(166 党錮の禁で弾圧された)
ろんこう
おういん
☆王充=「論衡」で儒教の非合理性を批判
魏晋
南北
朝
仏教・道教の流行で、儒教は不振
隋
598 科挙開始、科挙の試験対策は五経の暗記から始まる
く
よ
う
だ
つ
が
ん
し
こ
孔穎達・☆顔師古
=太宗李世民の命で五経の注釈書「五経正義」を編纂
※意義=「五経」の解釈が統一され、科挙のテキストとされたので、
儒学の固定化・形式化が加速
唐
か
ん
ゆ
韓愈=唐宋八大家の一人、廃仏・廃道と儒学復古を主張
① 宋学=後漢で五経の字句解釈を中心とする訓詁学が成立し、唐で
「五経正義」が編纂されて訓詁学に留まり続ける状況に反発して、
理気二元論に立って新しい宇宙観を探ろうとする儒学
し
北 宋学(訓
宋
詁学からの
脱却)
ゅ う と
ん い
周敦頤
たいきょく ず せ つ
→「 太 極 図説」、道家思想と仏教哲学(禅宗)を
② 祖=
導入、易と中庸に基づく道徳論を宇宙哲学の立場から基礎付けた
て
③ 発展=
い こ
う
て
い
い
程顥、程頤(兄弟合わせて“二程”)→
共に周敦頤
に学び、王安石の新法に反対、兄は宇宙の根本原理を「理」とし、
弟は「理」と「気」
(物質を形成する原理)の一致を説く理気二元
論を提唱
朱熹(朱子)=宋学の大成者、朱子学の祖
かくぶつ ち
ち
① 格物致知説=物事の道理を究めて、自分の知識を完成すること
② 理気二元論=宇宙の根本原理である「理」と物質を形成する原理
である「気」の一致を説く
朱子学
南
宋
せいそくり
③ 性即理説=人間社会の原理「性」は、すなわち、宇宙の根本原理
陸九淵(陸象山)
「理」vs
の心即理 ※禅宗の影響
(宋学の派
た い ぎ めいぶん
生)
④ 大義名分論=「春秋」に基づき、臣下の守るべき節操と本分を明
らかにし、君臣関係を正そうとする論。欧陽脩、司馬光が唱え、
“格物致知”
し じ つ が ん こうもく
(知識重視、
朱熹が「資治通鑑綱目」で強調。
主知主義) ⑤ 四書(=大学、論語、孟子、中庸)体系化 →「四書集注」で五経
(易経、春秋、書経、詩経、礼記)より四書を評価 → 以後、五
経より四書が重視
☆読む順番=大学 → 論語 → 孟子 → 中庸(02 慶文)
か
い
⑥ 華夷の区別=漢民族が自己の文化を理想視、周辺諸民族を文化の
低い「夷」とみなす中華思想(華夷思想)
3
中国の伝統である儒教文化を軽視、科挙を一時的に廃止
※理由=既に当時最先端のイスラーム文明と接触していた(イスラ
ームのホラズム朝征服の方が中国の南宋征服よりも先)
きゅうじゅじゅっかい
☆九儒 十丐=身分最下層は儒家と乞食
★“一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐”という表現の末
尾だけをとった言葉
元
仁宗
1313 元の第4代
が科挙を復活 but モンゴル人第一主義に立
ち、モンゴル人と色目人に有利で、漢人と南人には不利
陽明学
(宋学の派
生)
南宋の朱子
洪武帝が朱子学を官学化=君主独裁体制の基礎に
※日本の陽明学者=★中江藤樹
but
陽明学へ変遷 by 王守仁(王陽明)=「伝習録」
しんそくり
① 南宋の陸九淵の影響を受け、心即理 (心の動きがそのまま宇
宙の根本原理である)を確立
学が客観性
を重視し、理
明
ち こ う ごういつ
② 知行合一 =“知ることは行うことの初め、行うことは知るこ
との完成である”とし、認識と実践を一体として捉える
論に止まり
ち りょうち
がちだった
③ 致良知 =人間の心に本来備わる善悪を判断する心の作用(良
のに対し、主
知)を徹底的に突き詰めて、事を正す(理想社会の実現を目
観的な心即
指す)という考え
り
し
り
た
く
ご
理の立場を
by
取り、実践を vs
① 儒学の偽善を批判、仏教を信奉、“儒教の反逆者”
重視(行動重
② 商人の営利活動を弁護、童心、男女平等を重視
視)
③ 「焚書」
「蔵書」、泉州のイスラーム教徒(ムスリム)の家に
“知行合一”
生まれる。マテオ・リッチと会見。
陽明学左派 李贄(李卓吾)
「交渉は、コソコソ声で、お風呂の
明末清初の
考証学 黄宗羲
こ
う
そ
う
顧炎武
王夫之
大金
銭大昕
大金、大玉砕」
戴震
段玉裁
ぎ
考証学 黄宗羲=考証学の先駆者・祖、明に仕え、清には仕えていない、
明
末
清
初
(乾嘉の学)
∥
主観的な宋
学や空理空
論に堕した
一部の陽明
学を批判、客
観的・実証的
に古典究明、
確実な文献
に典拠を求
める
め い い たいほうろく
「明夷待訪録」“東洋のルソー”
こ
え
ん
ぶ
顧炎武=考証学の基礎・祖、明に仕え、清には仕えていない、実
にっちろく
証主義を重視、「日知録」
お
う
ふ
う
し
王夫之(王船山)=明の滅亡を嘆き、明に仕え、清には仕えてい
ど く つ がんろん
ない、華夷思想を主張、☆「読通鑑論」
せ
ん た い
き ん
銭大昕=大成者、乾隆帝時代、史学研究法を確立、★「二十二史
考異」、☆「大清一統志」、☆「続文献通考」
た
い
し
ん
戴震=「孟子字義疏証」、気の哲学、「四庫全書」を編纂
も う し
じ
ぎ そ し ょ う
だんぎょくさい
段 玉 裁 =「説文解字注」→ 後漢許慎の「説文解字」の注釈書
4
くようがく
公羊学
∥
考証学に満
清
① 内容=孔子の「春秋」の注釈書「春秋公羊伝」を正統とする学問、
と う ち ゅ う じ ょ
董仲舒を祖とする
③ 「海国図志」by☆魏源=アヘン戦争期、林則徐の依頼、
② 前漢武帝の時代の
足せず、より
実践的な経
幕末の日本でも読まれた世界地理書
こう ゆ う い
康 有為
=広東省出身、変法自強を提唱、光緒帝の時代に
世実用を主 ④
りょうけいちょう
たんしどう
張、実際の政
と変法運動、
「孔子改制考」
(“い
治に結びつ
梁 啓 超 、☆譚嗣同
ぼじゅつ
く理念を重
にしえの~”と発言、孔子を改革者とした)、「大同書」、戊戌の
政変で失脚、日本に亡命
視
1917 文学革命=白話運動(旧来の難解な文語体から、やさしい口語で文学
を表現しようとする運動、1917 胡適が提唱)を中心とする新文化運動(知識人・青
年・学生らが中心となっておこした啓蒙運動、ヨーロッパの近代文化を紹介し、儒
教・封建思想を批判)の一環 at 北京大学(総長=蔡元培)
① 日露戦争期に日本の東北大学医学部(仙台医学専門学校)に留学中、
ろ じ ん
魯迅
中
(1881~
1936)
※本名
∥
☆周樹人
華
り た い し ょ う
民 李大釗
国
(1889~
1927)
こせき(こてき)
胡 適
(1891~
1962)
ちんどくしゅう
陳独秀
(1879~
1942)
医学から文学に転向、封建体制や帝国主義に激しく抵抗し、中国解
放運動の精神的支柱に。徹底して社会悪の根源を追及。
② 1918 処女作「狂人日記」=陳独秀の雑誌「新青年」に投稿。文学
革命中に発表した白話小説。白話文学の先駆。狂人の手記という形
式で、伝統、特に儒教思想を否定。近代中国文学の出発点。
③ 1921「阿Q正伝」=貧農阿Qを主人公として、悲惨な現実を見極め
ようとしない中国民衆の意識を徹底的に批判。中国社会に根強かっ
た封建的な現実逃避の精神を鋭く批判。
④ ☆「藤野先生」=東北大学の教授との交流を描いた
①
②
③
④
マルクス主義者、北京大学教授、
1919 五・四運動を理論的に指導
1921 中国共産党を創設 at 上海 with 初代委員長陳独秀
1927 張作霖に捕えられ、処刑
① 1917 北京大学教授、プラグマティズム(実用主義)の立場に立ち、
儒教思想を批判 but1919 五・四運動後は改良主義に傾き、保守化
② 1917 白話運動(旧来の難解な文語体から、やさしい口語で文学を
表現しようとする運動)を提唱、1917 文学革命の発端に
す う ぎ
③ ☆「文学改良芻議」
① 1915 啓蒙雑誌「青年雑誌」(1916「新青年」と改名)を刊行 at 上
海 → 欧米の近代的合理主義を紹介、旧体制・旧道徳の根源である
儒教思想を批判、標語“民主と科学(デモクラシーとサイエンス)”、
魯迅が「狂人日記」を投稿。☆「文学革命論」。
② 1919 五・四運動中にマルクス主義に傾倒し、保守派から反発
③ 1921 中国共産党を創設、初代委員長に with 李大釗、29 除名
5
②中国テーマ史(道教史)
道教=老荘思想 (無為自然)+神仙思想 (不老長生)+民間信仰 (太平道、五斗米道)
① 道教寺院
=☆道観
② 聖職者、僧侶=☆道士
③ ★金丹
=不老不死の薬とされた水銀と砒素の化合物
春秋
道家
開祖:老子=無為自然を主張 → 儒家の人為的礼を批判
戦国
大成:荘子=老荘思想(無為自然)を体系化
秦・漢
不老長生の神仙思想が流行
=秦の始皇帝、前漢の武帝が不老長寿の薬を求めたのは有名
現世利益的な民間信仰流行
※ 張角の太平道 at 河北、河南、山東(=黄河流域)→ 184 黄巾の乱
→ 呪文による病気治癒を説く
後漢
魏晋
南北
※ 張陵の五斗米道(天師道)at 蜀(四川省)
→ 蜀(四川省)で張陵が組織、祈祷による病気治癒の謝礼に米五斗(9ℓ)
を徴収、孫の張魯が教団を確立、四川・陝西省で宗教王国を形成 but215
曹操が討伐
清談の流行
げんせき
けいこう
りゅうれい
おうじゅう
さんとう
げんかん
しょうしゅう
by 竹林の七賢(白眼視の阮籍・☆嵆康・劉 伶 ・王 戎 ・山濤・阮咸・ 向 秀 )
→ 老荘思想に基づき超世俗的な論議に耽ったらしいが、全員が顔見知りでは
ない。
ほ う ぼ く し
かっこう
東晋:「抱朴子」by☆葛洪(道教の理論と実践を説く)03 慶文
ほ う ざ ん は
朝
梁 :★陶弘景=★茅山派を起こす
北魏:第3代太武帝の保護で寇謙之が道教を大成 → 新天師道を組織
唐
唐の王家は李一族、道家の祖である老子の本名は李耳。同姓なので保護される。
北宋
☆徽宗が信仰
:全真教 by 王重陽(儒・仏・道の混合、禅宗的色彩)
→ ★弟子=邱処機(チンギス・ハンが信任)
南宋の道教:正一教=五斗米道(天師道)が改称、大師道とも呼ぶ。従来の
道教)→ まじない(禁呪)、祈祷、おふだなどにより、不老長
生を願う
金の道教
金
南宋
6
7
③中国テーマ史(仏教史)※伝来=印
(・_・?)…ん?
※仏陀の死後、小乗と大乗に分裂。後者はナーガールジュナが大成。
小乗仏教(大乗側からの蔑称)
大乗仏教
別名
南伝仏教・上座部仏教
北伝仏教
信仰
戒律遵守、個人の解脱
菩薩信仰、他人を救済
セイロン島(スリランカ)経由で
西域経由で中国・朝鮮・日本。シュリーヴ
東南アジアの内陸国
ィジャヤ王国・シャイレンドラ朝。
☆パーリ語
☆サンスクリット語
伝播
仏典の言葉
後
→ 68(or 紀元前後)中国 → 372 朝鮮 → 538 日本
68 明帝時代に道教で仏教を解釈する格義仏教伝来 → 白馬寺建立 at 都の洛陽
クチャ(きじ)
※ 絹の道を通り西域の 亀 茲 から伝来
漢
※ 後漢は儒教の訓詁学が隆盛のため、広まらず
ブ
羯族の後趙 → 石勒の招待で西域の亀茲出身の
五
胡
・
チ
ン
ガ
仏図澄が洛陽で布教
ク マ ー ラ ジーヴァー
羌族の後秦 → 西域の亀茲出身の
東晋の
鳩摩羅什が長安で仏典漢訳
法顕(次項の「中国の渡印僧」を参照)
東晋の
※↑父はインド人
道安 =仏図澄の弟子、前秦の苻堅に招かれ長安へ、老荘思想(道
東
教)で仏教を解釈する格義仏教批判
え
晋
ド
東晋の
お
ん
慧遠=道安の弟子、弥勒菩薩にすがる他力本願な念仏三昧の白蓮社
結成、阿弥陀仏を信仰する浄土宗の祖
☆浄土宗=唐の善導が大成、阿弥陀浄土を信仰、宋では民衆に広まる
梁
武帝が仏教を保護、長男の昭明太子が「文選」を編纂
ば っ こ う く つ
莫高窟(千仏洞)at 敦煌
そ ぞ う
☆20Cの英スタインと仏ペリオが調査、塑像
雲崗石窟寺院 at 山西省平城(現大同)近郊
北
☆ガンダーラとグプタ様式の影響、4代文成帝、塑像(粘土像)
魏 竜門石窟寺院 at 河南省洛陽近郊
☆様式が中国化、第6代孝文帝時代
※上記3遺跡が有名 but 太武帝は寇謙之が大成した道教を国教とし、仏教弾圧
だ
※
る
ま
達磨=禅宗(座禅と瞑想を重視)の開祖でインド人、海路来朝、弟子は慧可、
宋では士大夫に広まる
8
隋
ち
☆
ぎ
智顗=天台宗(法華経を重視、最澄が日本に伝来。最澄の弟子は円仁、円珍。)
玄奘、義浄は下記の「中国の渡印僧」を参照。
宗派
開祖
☆律宗
☆鑑真
ち
天台宗
隋の☆
東晋の
日本で唐招提寺を建立
法華経を重視
最澄が日本へ
ぎ
智顗
え
浄土宗(蓮宗)
備考
大成者
お
阿弥陀浄土信仰
宋代では民衆に広まる
ん
慧遠
唐の☆善導
北魏時代に海路で
来朝したインド人
禅宗
だ
る
座禅と瞑想を重視
宋代では士大夫に広まる
ま
達磨
だいにちにょらい
唐
ぜ ん む い
真言宗(密教)
唐の☆善無畏
★華厳宗
★杜順
★三論宗
★吉蔵
呪術的傾向、大日如来信仰
空海が日本へ
(・_・?)…ん? 中国史上4人の仏教弾圧=三武一宗の法難
=道教の大成者である寇謙之の画策
=道教も弾圧
=会昌の廃仏、唐代三夷教も弾圧
446 北魏の太武帝
574 北周の武帝
845 唐の武宗
955 後周の世宗
ファルンゴン
★法輪功=李洪志が創始、仏教・道教に基づく気功法を学習する宗教団体。世界 80
カ国数億人が学習
(・_・?)…ん? 中国の渡印僧
法顕(東晋)
☆当時の中国
☆出発地など
当時のインド
往復路
399 長安~412 帰国
玄奘(唐)“三蔵法師”
義浄(唐)
太宗李世民
高宗~則天武后
629 長安~645 帰国
671 広州~695 帰国
グプタ朝(超日王) ヴァルダナ朝(戒日王)
陸路 → 海路
陸路 → 陸路
太宗の命「大唐西域記」、
著書
「仏国記」
★「大慈恩寺三蔵法師
伝」
ナーランダー僧院
×
○
ほっそうしゅう
所蔵し翻訳、☆法 相 宗 の
9
「南海寄帰内法伝」=スマト
ラ島のシュリーヴィジャヤ王
国で執筆した旅行記。
○
帰国後に仏典を大雁塔に
開祖
海路 → 海路
☆「大唐西域求法高僧伝」
往路で☆西突厥を通過、
その他
分裂期(×)
スマトラ島のシュリーヴィジ
ャヤ王国に往復とも寄る。小
雁塔で翻訳
④中国テーマ史(中国のその他の宗教)
祆教
唐代三夷
教=全て
ササン朝
ペルシア
から西域
の絹の道
① 5C(4~6C)北魏の頃に西域人によって伝来
し
② 寺院=☆祆祠(祆寺)
(ゾロアスター教)
③ 845 武宗の会昌の廃仏で禁圧を受け、衰退
① 635 唐の第2代太宗(李世民)時代にペルシア(イ
あ ら ほ ん
ラン)人の☆阿羅本が布教
景教
(ネストリウス派
キリスト教)
経由で伝
来
摩尼教
(マニ教)
回教(イスラーム教、清真教)
タージー
by大食(アラブ人、ペルシア人)
※ダウ船で広州へ
モンゴル帝国時代に
ラマ教(チベット仏教)伝来
は
し
じ
② 寺院=☆波斯寺(745☆大秦寺と改称)
③ 781 唐の第9代徳宗時代に大秦景教流行中国碑
建立 → 漢字とシリア文字を使用、教義の概要や
伝来の由来についての記録
④ 845 武宗の会昌の廃仏で禁圧を受け、衰退
① 694 唐の則天武后時代に伝来
② ウイグル人が信仰
③ 845 武宗の会昌の廃仏で禁圧を受け、衰退
① 7C後半、唐の第3代高宗の時代、アラブ人が海
の道経由で伝来、後に陸路の西域経由でも伝来
② 寺院=☆清真寺
フビライのチベット遠征で伝来
☆大乗仏教+民間信仰のボン教(チベット民間信仰)
元代にカトリック(アタナシウ 大都大司教モンテ・コルヴィノの布教活動で伝来
ス派、十字教、天主教)伝来 ☆モンテ・コルヴィノの後任者=マリニョーリ
※伝来ルート=唐代三夷教は全てササン朝から西域の絹の道(オアシスの道、シルク・ロ
ード)経由、イスラーム教は海の道(マリン・ロード、陶磁の道、香料の道)経由で伝
来
10
11
⑤中国テーマ史(社会経済史)
都市部
農村部
余剰生産物の取引所が巨大化し、大都市
春秋
戦国
時代
か
ん
た
ん
咸陽、趙の☆邯鄲、 鉄製農具・牛耕・灌漑の普及で
農業生産力 up
燕の☆薊(現北京)
出現 ex.秦の
け
い
華北の乾地農法
魏晋
斉民要術」by 北魏の☆賈思勰
か し き ょ う
南北
=「
朝時
→ 中国最古の農業書
江南の開発=稲作(田植え農法はまだ)
代
①商業区域
☆↓西市、東市(図版)
城内の市場=
(坊)市
※営業時間は正午~日没
草市
城外の市場=
遠距離商人=☆客商
ざ
唐
こ
都市の店持ち商人=★坐賈
②都市の発展
陝西省長安(都)
江蘇省揚州(カンツー)
広東省広州(カンフー)
四川省成都(チョンツー)
福建省泉州
※ 玄宗が広州に市舶司設置(宋で秀
州・明州・杭州・温州・泉州・密
州にも)
※ 安史の乱のとき玄宗と楊貴妃が四
川省成都に逃亡
③外国人居住区=
陸=イラン系
蕃坊(清では租界)
ソグド人(粟得)
※安禄山・史思明も
タ ー ジ ー
海=
大食(ペルシア人、
アラブ人)
※ダウ船に乗り、イスラーム教を
伝播
12
綿花・茶の栽培
↓
玄宗時代に
喫茶の普及(一般民衆
にも広まる)
華北=小麦、粟、大豆の二年三毛作
小麦を裏作とする二毛作
江南の開発=田植え農法
①宋代(特に南宋)で江南の開発が本格化
北宋の都開封周辺の繁栄を描いた絵画
=「
清明上河図」by☆張択瑞
鎮・市
=
行
手工業組合=
作
蘇湖(江浙)熟すれば
のことで
長江下流域。
②新しい農法
竜骨車、田植え農法
※営業時間の規制は緩い
商人組合
→
.
.
※蘇は江蘇省の蘇州、湖は浙江省の湖州
喫茶店=☆茶館(さかん)
演芸場=☆匂欄(こうらん)
宋
三毛作
天下足る
①繁華街=☆瓦市(がし)
料理店=☆酒楼(しゅろう)
②商業区域=
→ 稲麦二毛作
※華北では唐以来の小麦粟大豆の二年
占城稲 from チャンパー
③3つの田んぼ(図版を見てみよう)
いでん
☆囲田 =湿地帯などを堤防で囲んで干
拓した水利田。官戸、寺院などによっ
て造成され、耕地は大幅に拡大
③貿易港(南海貿易を展開)
北宋最大の海港都市=
広州
うでん
☆圩田=河岸や池を干拓した耕作地
南宋最大の海港都市=
泉州
こでん
☆湖田=湖の一部を堤防で囲み、その中
を田地としたもの
④唐は
塩を専売、宋は茶を専売
① 元の交通網の発達
海路=隋の大運河を補修、大都にいたる新運河も建設 by フビライ・ハン
杭州・泉州・広州、海運(中国東海岸の貿易路、長江下流~山東半島~大
都)が発達
は い ふ
元
陸路=10 里毎に駅を設ける駅伝制(ジャムチ・☆站赤)完備、牌符(官用旅行証
明書)発行
② 元の都市 → 下の太字4つはマルコ・ポーロの「世界の記述」に記載
杭州(キンザイ) =人口 150 万、浙江省
泉州(ザイトン) =世界一の港、福建省
大都(カンバリク)=元の都、現北京 → 内陸にありながらも港を持つ
広州(カンフ-) =珠江の河口に位置、広東省
ニンポー
明州
=現寧波、浙江省
※さらに以下の2都市とも区別
オゴタイの都=カラコルム(和林)、フビライが即位した都市=上都
③ 江西省景徳鎮の陶磁器が発達(唐宋から)
13
① 穀倉地帯の変化
① 海外に移住した中国人とその子孫=
北宋・南宋 が南ベトナムのチャ
華僑
ンパー(占城)から日照りに強い早稲種
長江下流域
※福建省、広東省の人が多い
占城稲を輸入 →
の
.
.
江蘇省の蘇州、浙江省の湖州が穀倉地帯
※ 東南アジア へ の 移 住 が 多 い
そ
になり
(南洋華僑)
※商業的に成功した者も多い
※海禁を犯しての移住が多く、清朝か
こ
こ
う
湖広熟すれば天下足ると
山西商人 at 山西省
言われた
② 商品作物(輸出用の作物)の名産品
=☆金融業・運輸業の客商
き
会館・公所=都市において同
郷・同業の商工業者が親睦・相互扶
助のために建てた建物・組合、宋代
に始まり、明・清で発達
景徳鎮
=中国一の陶磁器生産地
⑤ 金融機関=★票号(票荘)
ち ゃ ば
と
松江・上海の綿、桑(蚕の
繭から絹がとれるが、その蚕の餌として
重要な植物)
③ 外来作物(大航海時代の影響で流入)
トウモロコシ・ジャガイモ(馬鈴薯)・
タバコ・サツマイモ(甘藷)etc
④ 輸出4品=茶・絹・綿・陶磁器
け ん ば
北方民族(特にウイグル)から馬を輸入。
ご しじょう
=北方民族との貿易専売機関
14
い
蘇州の絹、湖州の生糸、
☆茶馬(絹馬)貿易=平和時に、中国は茶・絹を輸出
☆瓦市場
長江中流域
の湖北省と湖南省が穀倉地帯になり、
vs
④ 江西省
、蘇湖(江浙)熟す
地に変わったので、
=☆塩の客商
③
つ
明 では長江下流域が商品作物の生産
新安(徽州)商人 at 安徽省
清
う せ
↓
の援助者となるものも多い
② ☆客商(遠距離商人)の活躍
・
こ
れば天下足ると言われた
らは脱法者とされたので、反清運動
明
こ
15
⑥中国テーマ史(貨幣史)
殷周
☆貝貨(子安貝など)
(・_・?) …ん? 物々交換や貝貨から青銅貨幣が主流に
趙
戦国
秦
環銭 → 半両銭
魏
韓
時代
楚
布貨
燕
刀貨
斉
刀貨
布貨
布貨
蟻鼻銭
① 刀銭(刀貨)=小刀の形、燕・斉など河北・山東省で使用
② 布銭(布貨)=
の形、韓・魏・趙など山西・河南省で使用
③ 円銭(環銭)=円形円孔、後に
、秦・斉・魏で使用
④ 蟻鼻銭
=蟻の顔と鬼の鼻の形、未解読文字刻印、楚で使用
※青銅貨幣は大商人や諸侯が発行。
秦
半両銭に統一 by 始皇帝
→ ☆始皇帝が創始したのではなく、戦国時代末期の秦から既に使用
前漢
前 119五銖銭by 武帝 → 銅製、中国史上最長期間使用、隋までの正貨
唐
ご し ゅ せ ん
開元通宝銭 by 李淵 → 材質は銅
※送金手形=飛銭
北宋
唐の飛銭から発展した交子(世界初の紙幣)at☆四川省成都
→ ☆民間の金融業者が発行していた手形を政府が引き継ぎ発行
※フランス革命の国民議会は☆アッシニア紙幣を発行した
南宋
会子(紙幣)at☆大都
→ ☆北宋時代から金融業者が発行していた手形を政府が引き継ぎ発行
※宋代には貨幣の銅銭(宋銭)も大量に鋳造し、日本にも流入
元
明清
中華
民国
交鈔(発祥は金)
→ ★13 世紀後半に価値が下落するが、滅亡直前まで使用
☆宝鈔(銀との交換不可の非兌換紙幣)を発行、メキシコ銀・日本銀も流入
☆馬蹄銀(発祥は元)=巨額取引で使用する馬蹄形の銀塊
幣制改革 by 蒋介石&☆リース・ロス(英の銀行家)&アメリカ
→ ☆法幣が中華民国唯一の通貨として流通
16
(・_・?) …ん?
古バビロニア
王国
リディア王国
ポリス時代
世界の貨幣史(正誤判定では銀貨と金貨を書き換えてくるので区別が必要)
大麦
by ハンムラビ王
☆エレクトロン貨幣
世界最古の鋳造貨幣
アテネの☆ドラクマ銀貨(金貨×) ※ポリスごとに独自の貨幣を鋳造
マケドニア
アッティカ貨幣
by アレクサンドロス大王
ローマ帝国・
東ローマ帝国
ソリドゥス金貨(ノミスマ)
by コンスタンティヌス
ウマイヤ朝
☆ディナール金貨
☆ディルハム銀貨
17
⑦中国テーマ史(反乱史)
性質
ポイント
指導者
① 始皇帝の死後
② 中国初の農民反乱
③ 原因=法治主義、改革事業に反抗
お う こ う しょうしょう
秦
前
漢
新
後
漢
農
内
前 209~前 208
陳勝・呉広の乱
前 154
呉楚七国の乱
農
後 18~27
赤眉の乱
外
40~43
徴姉妹の反乱
外
チベット羌族の反乱
内
166、169
党錮の禁
184
宗農
黄巾の乱
④ “王侯 将 相 、いずくんぞ種あらんや”
by 陳勝
陳勝・呉広
えんじゃく
こうこく
⑤ ★“燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らん
や”by 陳勝
⑥ 実力主義を標榜
⑦ 項羽、劉邦も参加
① 第6代景帝時代
② 歴代皇帝の諸侯に対する領土削減策に
7諸侯
対する反発
① 時代錯誤な王莽に対して山東省で勃発
② 27 劉秀(光武帝)が完全鎮圧
樊崇
① ベトナム初の民族運動
徴姉妹
② at ベトナムの交趾郡
(徴側、徴弐)
③ 劉秀(光武帝)が鎮圧
☆前朝を慕う
清流派官僚(宦
官)
太平道
(張角の宗教
組織)
18
① 儒教を奉ずる官僚知識人グループ(党
人)が、宦官の専横に対抗しようとし
て逆に終身的な公職追放に処せられた
事件
② 以後も党人は度々弾圧され、宦官の専
横がむしろ強まった。
① ☆“蒼天すでに死す、黄天(黄夫)ま
さに立つべし”by 張角
② with☆失政と自然災害に苦しむ貧農
③ ☆華北一帯に波及
④ 曹操が鎮圧
① ★2代恵帝時代
内
290~306
司馬氏皇族の
八王の乱
8諸王
時代に
① ★3代懐帝~4代愍帝時代
② 南匈奴の劉淵の子☆劉聡が山西省で挙
外
晋
北
魏
宗
307~316
永嘉の乱
400
孫恩の乱
軍
523
六鎮の乱
内
755~763
安史の乱
漢化政策に反発
軍隊
安禄山・史思明
吐蕃が長安占領、ウイグルが救済
(イラン系ソ
☆玄宗と楊貴妃は四川省成都に逃亡
グド人節度使)
徽宗の悪政に反乱
1120 宋江の乱
豪傑 108 人
明の小説「水滸伝」の原型
1260~1264
アリクブケの乱
アリクブケ
農
993・1130
均産一揆
北
宋 農宗 1120 方臘の乱
元 農宗
五斗米道
農民・マニ教徒
商
内
聡
兵
③ 南匈奴の劉淵の子☆劉聡が4代愍帝も
...
下し、西晋は滅亡、司馬一族は南遷し
.
て東晋建国
黄巣、王仙之
(塩の密売商
人)
875~884
黄巣の乱
農
南匈奴の劉淵
の子である劉
① ★王仙芝は “大斉皇帝”を自称
※則天武后は“聖神皇帝”、安禄山は“大
燕皇帝”を自称
② 原因=唐が塩を政府専売したため
③ 鎮圧者=西突厥の子孫である沙陀突厥
の☆李克用
唐
蒙
古
侵入を招く
④ 長城以南の南匈奴の☆劉淵は 304 漢
(後の前趙)を建国、304~五胡十六国
西
晋
東
② 外戚の横暴に対して反乱
③ 鎮圧に南匈奴などの力を借り、五胡の
フビライの強引な即位に対して
1266~1301
ハイドゥの乱
ハイドゥ
1351~66
紅巾の乱
白蓮教徒
首謀者=韓山童、実行者=韓林児
19
内
明
靖難の役
(永楽帝)
※背景=建文帝の諸王抑制策、一族・諸王
の領地没収、中央集権化に反発
鄧茂七
佃戸の抗租運動の一種
佃
1448 鄧茂七の乱
外
1449 土木の変
エセン・ハン
英宗正統帝が捕虜に
外
1550 庚戌の変
アルタン・ハン
北京包囲
李自成
明の最後の皇帝崇禎帝が自殺
1631~1644
農
李自成の乱
1673~81
三藩の乱
内
呉三桂(雲南の
康熙帝が鎮圧
藩王)、尚可喜、
耿継茂
1796~1804
農宗
清
“君側の奸を除き、帝室の難を靖んず”
燕王朱棣
1399~1402
嘉慶帝時代、湖北省や四川省
白蓮教徒の乱
1813
宗
嘉慶帝時代、紫禁城に乱入
天理教徒の乱
アヘン戦争での英の侵略に抵抗
対外 1841 平英団事件
1851~64
宗
太平天国の乱
1899~1901
義和団事件
対外
(・_・?) …ん?
洪秀全
同時期に捻軍の反乱
義和団
仇教運動の最大のもの
明治・早稲田志望者は☆も覚えること!
【明末清初】
で ん こ
け い せ い こ
抗租運動=小作料を巡って荘園制(佃戸制)で佃戸(農民)が形勢戸(領主、地主)に
と う も し ち
対して起こした闘争、最大の抗租運動は鄧茂七の反乱
☆民変
=都市民の手工業者、賃金労働者の暴動
ぬ へ ん
☆奴変
=家内奴隷(奴婢)の暴動
【清末】
こうりょう
☆抗糧
=地主の納税拒否闘争
20
21
⑧中国テーマ史(書道史)
ぼ く じ
せんぼく
きっこう
甲骨文字(卜辞)for占トの記録 on亀甲・獣骨
殷
おうこく い
らしんぎょく
→ 解読者=☆王国維&羅振玉
周
☆金文(金石文字) → 青銅に刻む
春秋戦国
大篆
秦
始皇帝=小篆
前漢
隷書
後漢
楷書・行書・草書
お
う
ぎ
し
王羲之(書聖)=“書聖”、行書の「蘭亭序」、草書の「十七帖」、楷
らんていじょ
東晋
書の「楽毅論」、☆唐の太宗(李世民)が好んで収集
ち ょ す い り ょ う
お う よ う じ ゅ ん
ぐ
せ
い
な
ん
欧陽詢・褚遂良・虞世南
初唐三大書家
が
ん し
ん け
い
顔真卿=安史の乱に抗戦、力強い書風、東晋の王羲之の典雅な書風
盛唐
を一新、「争座位帖」
さ い じ ょ う
北宋四大書家
こ
う
て
い
け
そ
ん
し ょ
く
そ
と
う
ば
べ
い ふ
つ
☆蔡襄、☆黄庭堅、蘇軾(蘇東坡)、☆米芾
ち
ょ う も
う ふ
ち
ょ
う
す
ご
う
趙孟頫 (趙子昴)=宋の皇族、画家でもある
元
と
う き し
ょ う
董其昌=正誤判定では「明」末期の人だということが大切!
明
※東晋の
王羲之(優美な書風)+盛唐の顔真卿(力強い書風)
=明末の
「OH!
王羲之
お
ちょ
董其昌(両者を融合)
ぐ るな!ガン神経は 最
欧陽詢 褚遂良 虞世南
顔真卿
蔡襄
22
高
粗食 米
ちょっ
黄庭堅 蘇軾 米芾 趙孟頫
と!」
董其昌
⑨中国テーマ史(美術史)
こ
が
い
し
顧愷之=“画聖”、大英博物館所蔵の「女史箴図」、「洛神賦図巻」
じょししんず
東晋
え
ん り
っ ぽ
ん
閻立本=人物画、「歴代帝王図巻」
初唐
ご
ど
う げ
ん
呉道玄=「玄」の字は玄宗から賜った
かん り ん
盛唐
※玄
宗時
代
北宗画(院体画)by 画院の職業画家
南宗画(文人画) by 士大夫階級の余技
※宮廷中心・写実的・カラフル
※士大夫中心・庶民的・モノクロ
り
北宗画の祖=
し
く
ん
お
李思訓(唐の皇族)
南宗画の祖=
徽宗=「桃 鳩 図」「芙蓉錦鶏図」、
と う きゅう
北
宋
と
☆玄宗が創設し、宋で完成した画院=翰林図画院
う
い
王維
ふ よ う きんけい
り
画院を保護、宣和時代という文化繁
栄期を現出。
こ う り ん
李公鱗=「五馬図」
ち ょ う た く た ん
べ い ふ つ
☆張択端=北宋の都開封とそ
☆米芾
せいめい じ ょ う が ず
の周辺の繁栄を描く「清明上河図」
ば えん
南宋
か け い
りょうかい
もっけい
☆馬遠、☆夏珪、☆梁楷
☆牧谿=「禅宗の道釈画」
ち ょうも うふ
ち ょ う す ご う
★元初=☆趙孟頫(趙子昴)※宋の皇族
元末四大家
げ い さ ん
元
=
こ う こ う ぼ う
ご
ち ん
倪瓚 、黄公望、呉鎮、
お う も う
王蒙(大成者)
ぶ ん ち ょ う め い
明
しゅう し ん
と う い ん
し
ん し ゅ う
と
う き し
ょ う
文徴明、沈周、董其昌=南宗
きゅう え い
周臣、唐寅、☆仇英=美人画
画の大成者、「画禅室随筆」
し お う ご う ん
乾隆帝時代の蘇州の繁栄を描いた
せいせい じ せ い ず
こ
そ
☆四王呉惲(★王時敏、王鑑、王翬、王原
祁、呉歴、惲寿平)
は ん か ず
★「盛世滋世図(姑蘇繁華図)」
じょよう
清
はちだいさんじん
し ゅ と う
せ き と う
by★徐揚
☆八大山人(★朱耷)、☆石涛
イエズス会の伊カスティリオーネ(郎世寧)が西洋画法を導入
ex.★「馬上の乾隆帝」、「儀礼用甲冑を着けた乾隆帝」
超
「北宗画:りし君、奇想天外の
李思訓
徽宗
バ
カ
張択端 馬遠 夏珪
は了解!
梁楷
終始 キュー
周臣
仇英
ト!」
唐寅
「南宗画:おーい!あのお利口さんがベイブリッジで『OK 、ゲイさん ココを棒で ゴチン、おーNO!』だと!
王維
李公鱗
米芾
牧谿
倪瓚
黄公望
呉鎮
王蒙
武 士 となるのが夢だったのに、4 8歳で石像にかすっておかしくなってしまったのか?可哀想に。
」
文徴明・沈周・董其昌
四王呉惲
八大山人 石涛 カスティリオーネ
23
⑱中国テーマ史(中央官僚・地方行政史)
地方(首都とその周辺以外)
中央(首都とその周辺)
行政
軍事
監察
行政
軍事
監察
封建制
周
郡県制 by 秦の孝公、始皇帝
秦
漢
じょうしょう
たいい
ぎょしたいふ
丞 相
太尉
御史大夫
さんしょう り く ぶ
三 省 六部
唐
く
六部の中の
じ ごかん
すうみついん
中書門下省
宋
中書省
元
ぎょしだい
(六部を統括)
州県制
御史台
兵部
☆九寺五監
郡国制 by 前漢の高祖(劉邦)
郡県制 by 前漢の武帝
枢密院
御史台
枢密院
御史台
こう
行中書省
行枢密院
行御史台
①洪武帝が中書
省・宰相制廃止、
明
六部は皇帝直属
化、☆殿閣大学士
②永楽帝が 1402 内
閣設置=政治最
高機関、数名の
(内閣)大学士で
構成、皇帝を補
佐、主席内閣大学
ごぐん と と く ふ
とさついん
五軍都督府
都察院
雍正帝創始
の軍機処
都察院
ふ せ い し
布政使
と
し
き
し
都指揮使
あ ん さ つ し
按察使
し ゅ ほ
士(首輔)が事実
上の宰相に
内閣大学士
清
軍機処
※モンゴル=中央から地方にモンゴル人官僚(ダルガチ)派遣、モンゴル人第一主義で官
職独占
※清
=中央から地方に漢人官僚を派遣、満漢併用制(満漢偶数制)で官職平等
(・_・?)…ん?
中央官制
∥
唐の三省六部
① 中書省(法律を起草)
② 門下省(法律を審議)→ 皇帝の独裁や中書省の立案に封駁・反駁・逆送
の権限あり、貴族の牙城
③ 尚書省(法律を施行)→ 六部を統括
りく
三省六部
り
1・兵部=軍事
3・工部=土木工事
こ
5・戸部=戸籍財政
2・吏部=官吏選任
4・刑部=司法
れい
6・礼部=教育、祭祀、科挙、朝貢貿易
24
(・_・?)…ん?
唐
軍隊
募兵制で集まった辺境に設けられた軍団の指揮官=節度使
★節度使の私兵=健児、親衛隊=牙軍
せっしょうふ
北宋
明
※折衝府で軍事訓練 ★都の防備兵=衛士、辺境防備兵=防人
太祖趙匡胤
=節度使廃止、後周の世宗を継承して☆禁軍(皇帝の衛兵、正規軍、首都周辺
しょうぐん
に駐屯)を強化、地方軍隊の★廂軍を縮小
※軍事力低下のため異民族の侵入を招く
とうしょう
永楽帝の秘密警察=★東廠
① 八旗 =徴兵による正規軍 (ex.満州八旗、蒙古八旗、漢人八旗)
② 緑営 =志願の漢人正規軍、首都の治安警護 → “漢をもって漢を制する”
③ 軍機処=雍正帝時代にジュンガル部討伐のために設置された軍事機関。後に
軍事・行政を兼任。
↓ 19C 以降
④ 団練=地方自治、郷勇の前身
⑤ 郷勇=郷紳の臨時軍・義勇軍。白蓮教徒の乱や太平天国の乱の鎮圧に活躍
そうこくはん
清
しょうぐん
りこうしょう
わいぐん
ex.曾国藩が率いる湖南省の湘軍、李鴻章が率いる安徽省の淮軍(☆曾国藩の
さ そ う と う
命で創設)、☆左宗棠が率いる☆楚軍)
※郷紳=漢人の地方実力者、科挙合格者や官僚経験者で郷里に隠退した者が
...........
多い(多いだけで全員ではない)
⑥ 新軍=1906 光緒新政で編成された西洋式の新軍(新建陸軍)
※日清戦争後に創建された★定武軍を 1895 袁世凱が☆新建陸軍と改称、義和団
事件後に編成が進む
※北洋新軍=袁世凱
れいげんこう
中華
民国
以降
※湖北新軍=☆黎元洪
中国国民党の国民革命軍
...
......
中国共産党の紅軍 → 第二次国共合作で華北の八路軍、長江下流域の新四軍と改
称 → 戦後は人民解放軍と改称
25
⑩中国テーマ史(官吏任用制度=役人採用システム)
前
漢
魏
郷挙里選 by 武帝
※内容=有徳者を地方長官が中央に推薦して官吏とする法
※弊害=地方長官と結びついた豪族(地方の大土地所有者)の子弟が政界進出
220 九品中正(官人)法 by 文帝(曹丕)
①中正官=中央から地方に派遣され、人材を九段階に人物評価し中央に報告
②弊害
=中正官と結びついた豪族の子弟が高い位を得て、門閥貴族層を形成
か ひ ん
隋
→ 弊害を表した言葉=上品に寒門なく、下品に勢族なし by★西晋の劉毅
598 科挙 by 文帝(楊堅)
※意義=貴族の高級官職独占を防止、万人に機会均等化
☆朝鮮半島の高麗、ベトナム北部の陳朝大越国に伝播
☆合理性がヨーロッパの啓蒙思想に影響
が ん し こ
① 科挙対策=五経の注釈書「五経正義」by 孔穎達 with☆顔師古 ※太宗李世民の命
② 六部のうち礼部が統括、科目は六科(秀才、進士、明経、明法、明算、明書)
唐
③ 三段階試験(★地方の郷試 → 礼部の貢挙 → 吏部の採用試験)
おん い
④ ☆蔭位の制=科挙によらず、家柄、父親の官位に応じて官職が与えられる制度
整備が本格化
① 秀才科(時事問題)、明経科(古典知識)、進士科(詩作文)のうち進士科に統一
② 三段階試験(地方での州試 → 礼部での省試 → 皇帝による殿試)
宋
③ ☆三年に一回実施
け い せ い こ
か ん こ
④ 科挙合格者を出した家(多くは荘園制の新興地主層である形勢戸)を官戸と呼び、
役の減免などの特権が一代限り与えられた
① 中国の伝統である儒教文化を軽視、科挙を一時的に廃止
※理由=既に当時最先端のイスラーム文明と接触していたから(イスラームのホ
ラズム朝征服の方が中国の南宋征服よりも先)
きゅうじゅじゅっかい
☆九儒 十丐=身分最下層は儒家と乞食
★“一官二吏三僧四道五医六工七猟八民九儒十丐”という表現の末尾だけをとっ
元 た言葉
↓
1313 元の第4代仁宗が科挙を復活
but
モンゴル人第一主義に立ち、モンゴル人と色目人に有利で、漢人と南人には不利
② 三段階試験(★郷試 → 会試 → 殿試)
明の制度を継承
清 地方の学校の生徒であることが受験資格、学校が科挙受験のためだけの場と化した
1905 西太后による“(光緒)新政”で科挙廃止 by 袁世凱・張之洞
※郷挙里選と九品中正法は推薦式、科挙は学科試験
26
⑪中国テーマ史(土地制・税制・兵制 + 主従制・村落制・戸籍制)
※個々の制度・法律の詳細な内容は各自が通常テキストを確認!
税制
土地制
周
兵制
その他
井田制
秦
さ ん ふ
☆算賦(15~56 歳の全
ごう
前漢
限田法(哀帝)
新
王田制(王莽)
魏
屯田制(曹操)
西晋
郷・亭・里
男女に課された人頭
税、銭納の原則)
占田・課田法
戸調式
(武帝司馬炎)
(武帝司馬炎)
(村落制)
土断法(戸籍制)
東晋
北魏
均田制(孝文帝)
三長制(村落制)
府兵制(宇文泰)
西魏
隋
均田制
租庸調(文帝楊堅)
府兵制
唐
均田制 → 荘園制
租庸調 → 両税法
府兵制→募兵制
宋
荘園制
(形勢戸 vs 佃戸)
節度使廃止
禁軍、廂軍設置
王安石の新法
千戸制
元
★華北は税糧と科差
江南は両税法を継承
(チンギス・ハン)
明
一条鞭法(張居正)
衛所制(洪武帝) 里甲制(村落制)
清
天朝田畝制度
(洪秀全)
せ い せ い じ せ い じんてい
☆盛世滋生人丁制
→ 地丁銀(康熙帝)
け い せ い こ
八旗・緑営・団
練・郷勇・新軍
で ん こ
か ん こ
※ 荘園制:領主を形勢戸、農奴を佃戸と呼ぶ。官僚を出した形勢戸を官戸と呼ぶ。
※ 租庸調:租は粟、庸は年間 20 日の中央での労役、調は絹と綿を納める。
※ 雑徭 :年 40 日以内の地方での労役
せっしょうふ
※ 唐の府兵制:折衝府で軍事訓練、都の防備兵を★衛士、辺境防備兵を★防人と呼ぶ。
(・_・?) …ん? 正誤判定問題では「北魏・隋・唐の均田制の違い」が狙われる!
北魏
給田す
る対象
丁男(15~69 歳)、
ぬ
ひ
妻・耕牛・奴婢
隋
唐
丁男
(18~59 歳)
丁男
(21~59 歳)
ろでん
くぶんでん
① 露田=一代限り
支給地
そうでん
② 桑田=世襲OK
① 口分田=一代限り
麻田は廃止
までん
その他
③ 麻田=麻の生産地のみ
※結局は豪族に有利な制度
※官人永業田=世襲・売買OK
えいぎょうでん
② 永 業 田 =世襲 OK
③ 官人永業田=官吏用の②
★職分田、公廨田
27
⑬世界テーマ史(文字の歴史)
☆アラム文字、フェニキア文字は 22 の子音
①エジプト象形文字がルーツの文字
エジプト(象形)文字
※ex.神聖文字(ヒエログリフ)
、神官文字(ヒエラティック)
、民用文字(デモティック)
↓
シナイ文字
↓
※↓=ローマ字
フェニキア文字 → ギリシア文字(アルファベット)→ エトルリア文字 → ラテン文字
↓(表音文字)
↓
↓ ※↓ゲルマン人が使用
↓
グラゴール文字 by キュリロス兄弟 ルーン文字
↓
↓
↓
キリル文字(キュリロス兄弟の弟子達)
↓
↓
↓
ロシア文字
※↑チェコのモラヴィア王国で布教
アラム文字 → ナバタイ→ アラビア・ブラフミー → インド(グプタ)→ チベット → パスパ
↓→ 突厥文字
↓
ソグド文字
カロシュティ文字など南・東南アジアの文字
↓
※チベット文字は表音文字
☆ブラフミー文字とカロシュティ文字はアショーカ王碑文
ウイグル文字
に使用
↓
モンゴル文字
↓
満州文字
②甲骨文字がルーツの文字
殷の甲骨文字
↓
周の金石文字(金文)
↓
だいてん
れいしょ
漢字(大篆 → 秦の小篆 → 前漢の隷書
かいしょ
ぎょうしょ
そうしょ
→ 後漢末の楷書 → 行 書 → 草書)
はく
↓
※↑木簡・竹簡、帛(絹布)に書く
※↑紙に書く
チュノム
日本の仮名文字、陳朝大越国の字喃、遼の契丹文字、西夏の西夏文字、金の女真文字
※契丹文字の影響も
③その他の文字
楔形文字、ヒッタイト象形文字、クレタ絵文字、線文字A・B、インダス文字(象形文字)、ビルマ
のモン文字、オルメカ文明の絵文字、マヤ文字、ヒエログリフの影響を受けたメロエ文字、李氏朝鮮
の訓民正音(ハングル)
※楔形文字=アマルナ外交文書、ハンムラビ法典、アッシリア大図書館、ベヒストゥーン碑文
アケメネス朝ペルシアの時代まで使用された(駒澤)
28
文字
解読者
碑文・ポイント
ロゼッタ石(神聖文字・民用文字・ギリシア文字)
神聖文字
仏シャンポリオン
(ヒエログリフ)
※1798 ナポレオンのエジプト遠征で 1799 発見
at ロゼッタ(現在、大英博物館所蔵)
※プトレマイオス朝のプトレマイオス5世の勅令記載
フェニキア文字
★独バウアー
突厥文字
トムセン(デンマーク) ☆オルホン碑文で解読、北方遊牧民族最古の文字
西夏文字
★西田龍雄
甲骨文字
王国維、羅振玉
独グローテフェント
楔形文字
英ローリンソン
ヒッタイト象形文字
★フロズニー(チェコ)
線文字B
英ヴェントリス
(・_・?)…ん?
☆ペルセポリス碑文
ベヒストゥーン碑文(ダレイオス1世の業績記載)
建築家出身
主な未解読の文字も覚えておこう
クレタ絵文字、線文字A、インダス文字、契丹文字、女真文字(現在解読がかなり進んでいる)、オ
ルメカ文明の絵文字、マヤ文字(部分的には解読)
、メロエ文字
(・_・?)…ん?
何に書かれていたかも覚えておこう
エジプト(象形)文字
※ 神聖文字(ヒエログリフ)on 碑文、墓室、石棺、神殿
※ 神官文字(ヒエラティック)on 宗教書、公文書、文学作品
※ 民用文字(デモティック)on パピルス(☆カヤツリ草の一種)→ paper の語源
殷の甲骨文字
on 亀甲・獣骨 for 占トの記録
周の金石文字(金文)on 青銅器
はく
(蔡侯紙)
漢字=小篆・隷書 on 木簡・竹簡、帛(絹布)→ 楷書・行書・草書 on
楔形文字
on 粘土板、印章
※蔡倫が和帝に献上
インダス文字
on 印章
(・_・?)…ん?
文字の作成者・制定者も覚えておこう
グラゴール文字 by キュリロス兄弟
キリル文字
by キュリロス兄弟の弟子たち
タイ文字
by スコータイ朝のラームカムヘーン王
チベット文字 by 吐蕃のソンツェン・ガンポ
パスパ文字
by 紅帽派(サキャ派)ラマ教の僧侶パスパ(フビライ・ハンの命)
小篆
by 秦の始皇帝
契丹文字
by 耶律阿保機、西夏文字 by 李元昊、女真文字 by 完顔阿骨打
満州文字
by ヌルハチ
訓民正音(20C~ハングル)by 世宗(1446 李氏朝鮮(朝鮮王朝)の第4代皇帝)
(・_・?)…ん?
全て漢字の影響を受けているが・・・
契丹文字(未解読)
西夏文字(大部分解読)
女真文字(未解読 but かなり解読中)
=大字は漢字と元に耶律阿
=李元昊が創始、西田龍雄
=契丹文字と漢字を元に、大字は太祖
保機、小字はウイグル文字を
が大部分を解読、☆敦煌で
完顔阿骨打の命で完顔希伊、小字は3
仏典翻訳に使用された
代熙宗が創始
て つら
元に耶律迭刺が創始
29
ワンヤン キ イ ン
⑭世界テーマ史(暦の歴史)12 明治(文)、12 学習院(法)、12 上智(外国語 etc)
エジプト太陽暦(背景:ナイルの洪水周期。☆太陽ではなくシリウスに基づく)
↓
BC45(or46)ユリウス暦 by カエサル
↓ ★July はカエサル(Julius Caesar)
、August はアウグストゥスにちなむ
AD1582 グレゴリウス暦 by 教皇グレゴリウス 13 世(現在でも使用)
エジプト太陽暦
の影響
↓
☆上記の暦を採用したのはカトリック圏中心。ギリシア正教圏はユリウス暦
↓
★1700 露ピョートル1世が西欧化政策の一環で一時ユリウス暦を導入
↓
※トルコ共和国のケマル大統領の暦法改革
↓
=イスラームのヒジュラ暦から太陽暦(グレゴリウス暦)へ
1793~1805 革命暦(共和暦)by ジャコバン派率いる国民公会
=第一共和政成立の 1792 年を起点に、1ヶ月を 30 日間と定めた 12 ヶ月と、
祭日(サンキュロットの日)とした5日間で1年を構成 → 1805 グレゴリウ
ス暦に復帰、1806 正式に廃止
★テルミドールは7月、ブリュメールは 11 月
1805 グレゴリウス暦に戻る by ナポレオン1世
☆ロシア革命の三月革命・十一月革命はグレゴリウス暦での総称だが、当時ロ
シアで使用していたユリウス暦ではそれぞれ二月革命・十月革命と呼ぶ。
メソポタミアの太陰暦(月の満ち欠けに基づく)
↓
.
622 ヒジュラ暦(イスラームの太陰暦)※現在でも使用されている
↓
メソポタミアの
.
ジャラリー暦(イスラームの太陽暦)※複雑すぎて不使用
by ウマル・ハイヤーム(セルジューク朝、☆メルヴ天文台の館長)
太陰暦の影響
(影響関係の順
↓
序を正確に覚え
授時暦 by フビライ・ハンに仕えた郭守敬(元)→ 貞享暦 by 渋川春海(江戸)
る必要あり)
↓
★大統暦(明)
↓
きんてんかんせい
☆時憲暦 by アダム・シャール(清) ※天文台館長=☆欽天監正
※「崇禎暦書」by 徐光啓&アダム・シャール
① メソポタミアの太陰暦 → 閏月
その他の暦
② ☆バビロニアの太陽太陰暦
③ マヤ文明の暦=★ツォルキン暦(神聖暦 or 儀式暦)、ハアブ暦、長期暦
④ ★ベリー公の時祷書(ヴァロワ朝時代のキリスト教徒の聖務日課書)
ぎょう
三皇五帝時代: 堯 が暦を作成?
元フビライ :授時暦 by フビライ・ハンに仕えた郭守敬
中国の暦
明
:★大統暦
明の崇禎帝 :
「崇禎暦書」by 徐光啓&アダム・シャール
清の順治帝 :☆時憲暦 by アダム・シャール
30
31
⑮世界テーマ史(船の歴史)
図版確認!
10 センター、09 慶(済)
、11 明(国際日本)
、11 早(政経)
、12 明(情)
、12 慶(文)
、12 慶(法)
【図版対策】
※↑ムスリム商人のダウ船
※↑オールがたくさんある三段櫂船
※↑ヴァイキングの船
※↑ガレー船
※カラック(キャラック)船
※↑亀甲船
32
【09 慶(済)
】
1はガレー船、2はガレオン船
3はカラック船、4はダウ船
古代~19C
ガレー船(BC480 サラミス海戦の三段櫂船 など)
8C~現在
ダウ船(イスラームの船、三角帆の木造船)
13~18C
15C
16C
ジャンク船(中国の船。角型の帆を持ち、海の道の主役。宋から 18C。
)
鄭和の宝船(ジャンク船の一種)、木造で当時世界最大級
甲船 vs 豊臣秀吉の朝鮮出兵 ★壬辰では小西行長が活躍
李舜臣の亀
じんしん
ていゆう
わ らん
※1592・97壬辰・丁酉の倭乱(日本では、文禄・慶長の役)
15C後半(大航
海時代初期)
16~18C(大航
海時代)
17C
カラック(船
(ex.コロンブスのサンタ・マリア号、マゼランの☆ヴィクトリア号)
★カラベラ船(サンタ・マリア号に随伴したピンタ号、ニーニャ号など)
アカプルコ貿易のガレオン船(フィリピンのマニラ~メキシコのアカプルコ間)
スペインの銀船隊を襲うイギリスの私拿
捕船(私
掠船)
(ex ガマの★サン・ガブリエル号、ドレークの★ゴールデン・ハイドン号)
朱印船 貿易=江戸初期、1635 徳川家光による渡航禁止まで。幕府から海外
貿易の許可証を得た貿易船。日本は生糸を輸入、銀を輸出。
産業革命で蒸気船発明 by フルトン(米)
19C
※ハドソン川渡航はクラーモント号、大西洋横断はサヴァンナ号
☆クリッパー(19Cの快速帆船。ex.茶を運ぶ英のカティーサーク)
※他:1620 メイフラワー号、1831 ダーウィンのヴィーグル号、1856 アロー号、1875 江華島事
件の雲揚号、1898 米西戦争のメーン号、1905 ポチョムキン号、1912 タイタニック号、1915
ルシタニア号事件、1941 大西洋上会談のプリンス・オブ・ウェールズ号、1954 第五福竜丸
etc、航海法の内容、無制限潜水艦作戦の内容、イラン・イラク戦争の内容。
33
⑯世界テーマ史(茶・砂糖・コーヒーの歴史)※はじめは薬として飲用
【茶の歴史】※原産地=中国
at アッサム、ダージリン
インド
セイロン茶 19C英☆トマス・リプトンがスリランカのセイロン茶を輸入
スリランカ
喫茶の習慣
漢代
=四川に始まる?
晋・南北朝時代=江南に広まる
隋・唐代
=広西・陝西まで伝わる
唐の中頃
=玄宗時代に一般民衆にも普及 ☆「茶経」by 唐の☆陸羽
け んば
☆茶馬(絹馬)貿易=平和時に、中国は茶・絹を輸出、北方民族
(特にウイグル)から馬を輸入
中国
ご しじょう
☆瓦市場
宋代
=北方民族との貿易専売機関
=国内のほか、周辺民族にも広まり、茶の専売も実施。インド洋交
易の主要な取引品となる
1044 慶暦の和約 ∽ 西夏の李元昊 ※北宋が主君、銀絹茶(歳賜)
☆唐は塩を専売(黄巣の乱へ)
、宋は茶を専売、喫茶店=茶館
清代
=18C片貿易 :清の茶、英の銀
19C三角貿易:清の茶銀、英の綿織物、印のアヘン
鎌倉の臨済宗の祖☆栄西が南宋から喫茶の風習を持ち込み(異説あり)
日本
→
安土桃山時代の千利休がわび茶を大成、豊臣秀吉に奉仕
1610 オランダ東インド会社が茶を始めてヨーロッパに紹介
16・17Cイギリス人が紅茶を愛好(18Cアイルランドにも伝来)
1689 ネルチンスク条約以後、ロシアが中国茶の輸入を本格化
欧米の
1773 茶法、ボストン茶会事件、19C英☆トマス・リプトンがセイロン茶を輸入
茶の歴史
産業革命期のイギリスでは低賃金な労働者も紅茶を飲み、居酒屋で酒を飲んだ
1813 イギリス東インド会社のインド貿易独占権廃止(茶を除く)
1833(34)イギリス東インド会社の中国貿易独占権廃止
(・_・?)…ん?
陶磁器の歴史
喫茶の普及
中国以外の陶磁器
漢代
喫茶の習慣が四川に始まる?
晋・
南北朝
江南にも広まる
隋・唐
広西・陝西まで伝わる
唐の
中頃
玄宗時代に一般民衆にも広まる
→ 唐三彩を生産
北宋
北方民族にも広まる。
白磁を生産。
南宋
青磁を生産。
元
染付を生産。
明
赤絵(明五彩)を生産。
高麗青磁、李朝白磁
す ん こ ろく
☆スコータイ朝の宋胡録焼
→ 日本へ
※名産地を聞かれたら=景徳鎮(江西省)→ 唐・宋・元・明・清(特に元)で発達
34
【砂糖の歴史】
原料はサトウキビ(原産地はパプア・ニューギニア or インドであり、新大陸産でない)
ウマイヤ朝時代にイスラームに伝播、十字軍でヨーロッパに伝播、イェルサレム王国で生産
16・17Cイギリス人が紅茶を愛好(ブラジル、西インド諸島で砂糖プランテーション)
17・18C大西洋三角貿易で“白い積荷”と呼ばれる。
(・_・?)…ん?
17・18C大西洋三角貿易
西インド諸島
ヨーロッパ
(カリブ海諸
→ 砂糖・綿花
(英リヴァプール、蘭アム
島、北米)
(白い積荷)
ステルダムが繁栄)
☆ラム酒↓↑黒人奴隷(黒い積荷)
↓武器(火器・銃)&雑貨(日用品・毛織物)
西アフリカ ※東海岸ではない!
☆中間航路
(ナイジェリアのベニン王国、ガーナの☆アシ
ャンティ王国、ベナンの★ダホメ王国が繁栄)
※黒人奴隷=輸送途上で約3分の1が死亡、約 300 年間で 1000 万人が輸送
1733☆糖蜜法
1764 砂糖法=1733 糖蜜法を修正、砂糖・糖蜜の輸入徴収税と密貿易への処罰を強化
1830~強制栽培制度 at ジャワ島 by 蘭領東インド総督ファン・デン・ボス
あい
※何を栽培? 答=サトウキビ、コーヒー、藍(インディゴ)。胡椒も○。
※なぜ強制? 答=1830 オランダからベルギーが独立した分の財源確保
※結果は?
答=ジャワ島で米不足、飢饉が続発
☆現在ブラジル、インド、中国が最大の生産国(ハワイもかつて生産国だった)
【コーヒーの歴史】
起源 at エチオピア(or 15Cイエメンのアデン、モカ)
イスラーム神秘主義者(スーフィー)が不眠苦行でコーヒーを飲用
17Cヨーロッパに伝来(1683 第2次ウィーン包囲でオーストリアのウィーンに伝播?)
1650 英にコーヒー・ハウス(☆ロイド軒、ロイド海上保険会社)→ 世界初はイスタンブル
※フランスではカフェ。モンテスキューの「ペルシア人の手紙」にコーヒーの記事。
1750 ブラジルでコーヒーのプランテーション(1750 年以前は砂糖が中心)
1830~強制栽培制度 at ジャワ島 by 蘭領東インド総督ファン・デン・ボス
あい
※何を栽培? 答=サトウキビ、コーヒー、藍(インディゴ)。胡椒も○。
※なぜ強制? 答=1830 オランダからベルギーが独立した分の財源確保
※結果は?
答=ジャワ島で米不足、飢饉が続発
1905 マジ・マジの蜂起 at 独領東アフリカ植民地(タンザニア)→ 独のコーヒー・綿花経営に反発
☆「コーヒー・カンタータ」作曲 by 独バッハ
35
⑰世界テーマ史(病原菌・医学史)
ギリシア
ヘレニズム
古代ローマ
ピッポクラテス
(前 460~前 375)
ヘロフィロス
① 医学の父、病気の原因を科学的に究明、体液病理説
② 小アジアのコス島出身
人体解剖学、アレクサンドリアに医学校設立
ガレノス(ギリシア人) ① ☆小アジアのペルガモン出身
② マルクス・アウレリウス・アントニヌスの侍医
(131~201)
③ ヒッポクラテスの体液病理説を継承、近代まで影響
① 南イタリア、医学大学としては最古の医学
中世西欧
サレルノ大学
② イスラームとの接触の結果、アラビア医学の影響が強
く、サーマーン朝のイブン・シーナー(ラテン名=アヴ
ィケンナ)の「医学典範」などを研究
☆モンペリエ大学
フランス、医学
① フィレンツェ郊外のヴィンチ村出身
② 「最後の晩餐」
=ミラノの聖マリア・デッレ・グラツィエ聖堂の食堂の
15C末~16
レオナルド・ダ・ヴ
C初
ィンチ(万能の天才)
(ローマ・
※フィレンツェ、ミ
ルネサン
ラノ、ローマ、仏で
ス)
活躍
壁画 2007 東洋、2010 関西学院、2007 関西学院、2006
神戸学院、2006 上智(法)
、2008 中央(法)、2011 南山、
2007 早稲田(政治経済)
③ 「モナ・リザ」フィレンツェで製作
→ 仏ルーヴル美術館所蔵
④ ミラノのロドヴィゴ・スフォルツァ、仏フランソワ1世
が保護
⑤ 解剖学、飛行機の原案など
⑥ 絵画☆「岩窟の聖母」
ハーヴェー(英)
(1578~1657)
17・18C
☆レーヴェンフック
(蘭)
ジェンナー(英)
(1749~1823)
① 1628 血液の循環を立証、心臓は太陽
② ジェームズ1世・チャールズ1世の侍医、魔女裁判の審
問官
赤血球、細菌を発見
① 1796 種痘法を開発、予防接種を開始、天然痘を予防
② 牛痘を摂取すると牛になる?
① 乳酸菌を発見して、自然発酵の原理を確立
19C
パストゥール(仏)
(1822~1895)
② 微生物の自然発生説を否定し、殺菌法を考案
③ 1880 狂犬病の予防接種に成功、伝染病の予防・治療に
貢献
① 細菌学の祖
コッホ(独)
(1843~1910)
② 1882 結核菌を発見
※↓西インド諸島ときたら×!
③ 1883 コレラ菌を発見=インドのベンガル地方の風土病
④ 1890 ツベルクリンの創製
⑤ 炭素菌発見、門下生に北里柴三郎
36
① コッホの弟子
② 1894 ペスト菌を発見
(・_・?)…ん?
ペスト(黒死病)の歴史
① 主にクマネズミが保有、ノミを媒介にしてヒトに伝染
② 中央アジア or 中国が発祥
③ 前 429 ペロポネソス戦争中、アテネで流行、ペリクレ
ス死去
④ 542 東ローマ帝国で流行、
“ユスティニアヌスの斑点”
⑤ 1347 英仏百年戦争中の西ヨーロッパで流行、ヨーロ
ッパ人口の3分の1(5分の1)死去
※ 流行の背景=13Cモンゴルのユーラシア制覇、13
C十字軍による東西交流
☆北里柴三郎(日)
(1852~1931)
※ イタリアのシチリア島から流行が広まった
※ エジプトのマムルーク朝でも流行した
※ 中世荘園制の農奴が激減し、領主が農奴の束縛を強
化する封建反動が発生
※ ユダヤ人が井戸に毒を混入したとするデマが流れ、
迫害
※ ボッカチオの「デカメロン(十日物語・人曲)」の
背景
※ “死の舞踏”と呼ばれる題名の絵画、“死を想え”
という教会の説教が流行(03 慶文)
⑥ 1665 ロンドンで流行、
「ロビンソン・クルーソー」で
有名なデフォーが「疫病の年」で描写
⑦ 1894 北里柴三郎がペスト菌を発見
⑧ 1947 小説「ペスト」by カミュ(仏)
③ ★ジフテリア、破傷風、コレラの血清療法
☆志賀潔(日)
ナイティンゲール
(英)
(1820~1910)
北里柴三郎の弟子、赤痢菌を発見
① 1853~56 クリミア戦争中、傷病兵の看護に活躍
② 近代看護制度を創始、赤十字運動に影響
① スイスの銀行家、ナイティンゲールの活動に深く影響
デュナン(スイス)
(1828~1910)
② 1859~61 イタリア統一戦争のソルフェリーノの戦いで
の悲惨さを見て、1863 赤十字運動を提唱、1863 国際赤
十字社を設立
③ 1901 最初のノーベル平和賞を受賞
マイヤー(独)
① 1842 エネルギー保存の法則を発見
(1814~1874)
② 医者でもある、☆オランダ東インド会社の船医
37
フレミング(英)
ワクスマン(米)
20C
1928~29 アオカビの一種から抗生物質ペニシリンを発見
結核菌に効く抗生物質ストレプトマイシンを産出する菌を
発見
☆パブロフ(ソ)
条件反射を研究
☆クリック(英)
1953DNAの二重らせん構造を解明 with ワトソン(米)
★ルイセンコ(ソ)
環境操作で植物の遺伝性を後天的に変化させ得ると主張
★ラントシュタイナ
ー(墺)
★シュヴァイツァー
(仏)
マザー・テレサ(マ
ケドニア生まれのア
ルバニア人)
1901ABO式血液型
仏領コンゴに病院を設立、医療と伝道活動に貢献
インドで貧者・孤児・ハンセン病患者を救済したカトリッ
ク修道女
しゅうかんろん
☆張仲景
後漢
「傷 寒 論 」、中国のヒッポクラテス
西晋の王叔和が整理
か
だ
★華陀
全身麻酔による外科手術
り じ ち ん
明
李時珍
ほ ん ぞ う こ う も く
1596
薬物書「本草綱目」
① 固有の学問=「コーラン」に基づくアラブ人固有の学問
ex.神学・法学・文法学・書記学・歴史学・韻律学・詩学
医学は外来の学問
イスラーム
② 外来の学問=ギリシアやインドから導入された非アラ
ブの学問
ex.哲学・論理学・医学・数学・天文暦学・地理学・化学・
光学・錬金術
ムワッヒド
朝
サーマーン
朝
イブン・ルシュド
(ラテン語名=アヴ
ェロエス)
イブン・シーナー
① コルドバ出身のベルベル人
② 医学者=「医学概論」「医学大全」
③ 哲学者=アリストテレス研究、中世ヨーロッパのスコラ
哲学に多大な影
① 哲学者=イスラーム哲学の大成者、アリストテレス哲学
も研究
(ラテン語名=アヴ
(・_・?)…ん?
ィケンナ)
てんぱん
② 医学者=「医学典範」
「治癒の書」、医学のサレルノ大学
の教科書に
その他の伝染病の歴史
① 産業革命=不衛生と交通の発達でコレラ(インドのベンガル地方の風土病)、結核が流行
② WWⅠ後の 1918~1919★スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザが流行
③ 1980 年代、免疫機能を破壊するHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染によるエイズ(AI
DS、後天性免疫不全症候群)が流行
④ 2002~03SARS(重症急性呼吸器症候群)と呼ばれる新型肺炎がアジアを中心に流行
⑤ 伝染病対策には国際連合の専門機関であるWHO(世界保健機関)が対応している
38
39
⑱世界テーマ史(鉄道史)
① 1804 軌道式蒸気機関車の発明 by トレヴィシック
→ 性能が低く、故障も多く、実用化には至らず
英
② 1814、25 蒸気機関車の実用化 by スティーブンソン
※1825 ストックトン・ダーリントン間で試験走行(☆ロコモーション号で客、貨物を輸送)
1830 マンチェスター・リヴァプール間で営業運転(☆ロケット号)
③ ☆鉄道建設順序=1830 英、1830 米、1832 仏、1835 ベルギー・独、1938 露、1839 蘭・伊
1830 ボルティモア・オハイオ間で鉄道開通
1869 大陸横断鉄道開通(エジプトのスエズ運河と同年)
※意義=東部と太平洋岸が連結、西部開拓が促進、経済的・政治的統一へ
※セントラルパシフィック鉄道が東へ、ユニオンパシフィック鉄道が西へ、1869 に☆プロ
モントリーで連結。西の終点はカリフォルニア州☆サクラメント、東の終点はネブラスカ
クーリー
州オマハ(07 慶文)
、労働力は中国系移民(苦力)とアイルランド系移民
(・_・?)…ん? 北アメリカへの移民
米
1880 年代まで
①北欧・西欧出身の旧移民=特に 1840 年代後半から 50 年代には、ジャガイモ飢饉を原因
とするアイルランドからの移民と、1848 年革命(諸国民の春)に失敗したドイツからの
政治的亡命者と農民の移民が増加
②クーリー(苦力)=中国人、インド人を中心とするアジア系の移民。人種差別や移民制
限の対象ともされ、低賃金で過酷な労働を強いられた。その数はヨーロッパ出身者より
少ない。
1880 年代以降=東欧・南欧出身の新移民
独
1899 ヴィルヘルム2世がバグダード鉄道敷設権 get from オスマン帝国(アブデュル・ハミト2世)
☆コニアからバグダードを経てペルシア湾に通じる鉄道 but 一部のみ完成
1891 シベリア鉄道(チェリヤビンスク~ウラジヴォストーク)by 蔵相ウィッテ
露
※露仏同盟でフランスの資本投下を受け完成、1905 年までに東清鉄道と結ぶ線が完成
すいふんが
1896 東清鉄道(★満州里~綏芬河)
※ 三国干渉の代償としてロシアが敷設権を獲得、完成。支線は南満州鉄道(長春~旅順間)
。
1872 新橋・桜木町(横浜)間
1906 南満州鉄道(長春~旅順間) ※日露戦争のポーツマス条約でロシアから敷設権 get
☆日本移民排斥=日露戦争後、南満州鉄道株式会社の共同管理権をアメリカが要求し、日本が拒
否したため、アメリカで激化した日本人労働者の排斥問題。1906☆サンフランシスコ学童入学
拒否事件、1909☆カリフォルニア州での日本移民制限法通過など。東アジアで孤立したアメリ
日
カの、日本への警戒心が背景。
しんよう
1928 張作霖爆殺事件(奉天事件)by 日本の関東軍 at 奉天(現・遼寧省の瀋陽)
=北伐軍(蒋介石の国民革命軍)にやぶれ、奉天に引き上げる途中、東北地方の直接支配を狙
った日本の関東軍が南満州鉄道ごと爆破。日本では満州某重大事件として報道。責任問題を
めぐって田中義一内閣が倒れた。
※関東軍=1919 設置。1905 ポーツマス条約で獲得した遼東半島南部(関東州)と南満州鉄道
40
の警備を担った日本陸軍部隊。政府の意向を無視、独断で中国侵略を拡大。
(11 明治国日)
1931★9 月 18 日(11 立教全)柳条湖事件
=奉天郊外の柳条湖で、関東軍は南満州鉄道を自ら爆破し、張学良の仕業として軍事行動を起
こし、満州事変を開始した事件
仏
☆雲南鉄道(雲南省~フランス領インドシナ連邦のハノイ)
かんせん
1911 年5月清朝が幹線鉄道国有化=民営鉄道の国有化をはかる政策
※目的=民営鉄道を国有化し、国有化した鉄道を担保に四国借款団(米英独仏)から借款(借
清
金)し、財政難の克服を目指そうとしたため
えっかん
せんかん
☆幹線鉄道=湖広鉄道(広州~漢口の粤漢鉄道+四川から漢口の川漢鉄道)
→ 1911☆鉄道国有令で対象とされ、各地で反対運動が頻発
① 王の道(スサ~サルデス間)→ 駅伝制を整備 by ダレイオス1世(アケメネス朝ペルシア)
② アッピア街道=前 312☆サムニウム戦争中に監察官アッピウスが建設したローマ最古の軍
道、→ ローマ・カプア間、後に☆ブルンディシウムまで延長
③ 1932 アウトバーン=独と墺を走る高速道路。ケルン~ボン間。失業対策で建設。
④ 草原の道(ステップ・ロード)=南ロシアの草原地帯・カザフ草原地帯・アルタイ山麓・
モンゴル高原を結ぶ大ステップ地帯を貫く最も古い東西交易路。精巧な金細工、馬具の動物
意匠(鳥獣模様など)を特徴とするスキタイ(スキト・シベリア)文化の東伝、匈奴などの
騎馬遊牧民の活躍、アジア系民族のヨーロッパへの侵入(北匈奴と同一視されるフン人の西
進、モンゴル系アヴァール人の西進など)のルートとなる。プラノ・カルピニやモンテ・コ
ルヴィノなどのイエズス会士の世界伝道にも利用された。
⑤ 絹の道(シルク・ロード、オアシスの道) =ドイツの地理学者リヒトホーフェンの命
名。中国特産の絹がこのルートにより西方へ輸送されたことに由来。中国の洛陽・長安から
中国西北部・東西トルキスタン・イラン高原北部・メソポタミア・地中海東岸の☆アンティ
オキアを結ぶ東西交通の主要ルート。アケメネス朝ペルシアの駅伝制、アレクサンドロス大
王の東方遠征、前漢武帝の西域経営(敦煌など河西4郡を設置、張騫が西域からブドウを持
他
ち帰る?)などにより整備され、点在するオアシス都市国家(タリム盆地の周縁やアム川・
シル川に挟まれるソグディアナ地方のサマルカンドやブハラなど。イラン系ソグド商人がマ
ニ教・ソグド文字・ソグド語を中央アジアや東アジアに伝播、東西文化の交流に大きな役割)
が中継都市として繁栄。商人たちが隊商(キャラヴァン)を組み、ラクダなどの家畜を利用
して交易する隊商交易が営まれる。後漢の西域経営(宣帝が西域都護府を設置。和帝が班超
を西域都護に任命。仏教、ゾロアスター教が東アジアへ伝播)で発展。唐の西域経営(安西
都護府・北庭都護府を設置。ソグド商人を通じての絹馬貿易が盛ん。ネストリウス派キリス
ト教・マニ教・イスラーム教が東アジアに伝播、玄奘は往復路、義浄は往路で利用し、仏典
を持ち帰る)で繁栄は続いたが、8世紀以降、タラス河畔の戦い(製紙法の西伝)の敗北や
安史の乱の混乱で唐の西域経営は消極化、ムスリム商人による海上交易が活発化したことに
より衰退。
⑥ 海の道(マリン・ロード、陶磁の道、香料の道)=紅海・アラビア海・インド洋沿岸
から、マレー・スマトラ・インドシナ半島を経て中国南部にいたる海上ルート。危険性が高
く内陸ルートより利用度は低かったとされるが、唐代以降はムスリム商人の活躍で東西交通
の主要ルートに。1Cにエジプト在住ギリシア人が著した「エリュトゥラー海案内記」で季
節風(夏季は北東へ、冬季は南西へ吹く)を利用した季節風貿易について記述。1C~ギリ
41
シア系商人、インド商人、8C~ダウ船を操るムスリム商人、10C~ジャンク船を操る中国商
人が活動(陶磁器を西方へ輸送)。1371~明の海禁政策によって琉球王国が東シナ海交易圏と
南シナ海交易圏を結ぶ中継貿易で繁栄。11~15Cアイユーブ朝とマムルーク朝で保護を受け、
カイロやアレクサンドリアを拠点としたカーリミー商人が活躍。16C~ポルトガル・スペイ
ン・オランダが拠点(順に、マカオ、マニラ、バタヴィア)を築いて交易に参加。カンボジア
の扶南、ベトナム南部のチャンパー、スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国、スマトラ島北端
のアチェ王国、マレー半島のマラッカ王国、タイのアユタヤ朝、ジャワ島西部のバンテン王国、
インドのサータヴァーハナ朝、スリランカ(セイロン島)、フェニキア人のシドン・ティルス
タージー
などの港市国家が繁栄。義浄がインドへの復路で、鄭和が南海諸国遠征で、大食(アラブ人、
ペルシア人)がイスラーム教を中国へ伝播。
(・_・?)…ん?
中国分割での鉄道を確認しよう
勢力範囲(面)
租借地(点)
鉄道(線)
1896 東清鉄道(満州里から
露
万里の長城以北
すいふんが
1898 遼東半島南部
綏芬河に至る本線と、ハルビン
(旅順に要塞と軍港、大連に商港)
から旅順に至る支線から構成。
※期限 25 年
本線は 1896 三国干渉の代償、
支線は 1898 敷設権 get)
こうしゅうわん
1898膠 州 湾
独
山東省
チンタオ
(☆青島市建設、東洋艦隊の基地に)
☆膠済鉄道
※期限 99 年
いかいえい
英
仏
日
長江流域
1898威海衛(独に対抗)※期限 25 年
1898 新界(九竜半島+33 島)※期限 99 年
雲南省、広西省、
1899 広東省の広州湾(広州とは別)
広東省
※期限 99 年
福建省
(1905 大連・旅順)
42
★津浦鉄道
☆雲南鉄道
(1906 南満州鉄道)
43
⑲世界テーマ史(移民史)
※移民の歴史=10 慶應(法)、11 成城(済)
、09 早稲田(人科)08 青山学院(営)
、11 関西学院(済)
、
08 杏林(外)、11 金城学院(外)、10 上智(総、文)、10 成蹊(済)
、10 日本女子(人間)
、11 松山
(営)
、06 流通科学(商)07 慶應(文)
、09 東海(海洋)、09 法政(営)
※基本的には、A国がB国を占領した場合A国からB国へ(またはその逆へ)移民が生まれる。
したがって、通史で勉強したとおり、どの国がどの国を征服したかをしっかり覚えれば良い。
【アメリカへの移民について】
時期
移民の国籍
16C
ポルトガル人
絶対主義時代初期
スペイン人
ポイント
植民地のブラジルに植民、移民
植民地の中南米に植民、移民
絶対主義時代による植民
17~18C
絶対主義時代後半
オランダ人
※1620 英ジェームズ1世のイギリス国教会強制に対
フランス人
し、ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)が弾圧
イギリス人
を逃れて、メイフラワー号に乗りメイフラワー誓約
を掲げ、北米にプリマス植民地建設
①特に 1840 年代後半から 50 年代には、ジャガイモ飢
饉を原因とするアイルランドからの移民と、1848
年革命(諸国民の春)に失敗したドイツからの政治
的亡命者と農民の移民が増加
②ジャクソン、ケネディ、レーガンも移民の子孫
③1848 カリフォルニアの金鉱発見で 1849 ゴールドラ
ッシュ発生、一攫千金を狙う☆フォーティーナイナ
旧移民
北欧・西欧出身
(~1880 年)
ーズが移民。1867 アラスカの金鉱発見でゴールドラ
ッシュ発生。
④1869 大陸横断鉄道開通(エジプトのスエズ運河と同
クーリー
年)の労働力は中国系移民(苦力)とアイルランド
系移民
⑤クーリー(苦力)=中国人、インド人を中心とする
アジア系の移民。人種差別や移民制限の対象ともさ
れ、低賃金で過酷な労働を強いられた。その数はヨ
ーロッパ出身者より少ない。
新移民
①特にイタリア・シチリア・ユダヤ人
東欧・南欧出身
(1880 年代~)
新々移民(戦後~)
②ロシア(アレクサンドル3世)・東欧でのユダヤ人
弾圧(ポグロム)などが原因
アジア・南米・難民
WWⅡ終結と植民地独立に伴う政治再編
44
(・_・?)…ん?
アメリカの受け入れ姿勢
20C初頭:☆日本移民排斥=日露戦争後、南満州鉄道株式会社の共同管理権をアメリカが要求し、日
本が拒否したため、アメリカで激化した日本人労働者の排斥問題。1906☆サンフランシスコ学童入
学拒否事件、1909☆カリフォルニア州での日本移民制限法通過など。東アジアで孤立したアメリカ
の、日本への警戒心が背景。
1920 年代:ワスプ(WASP)主義で差別
※white anglo saxon protestant、北部の都市の中産階級、米社会の中心
.....
......
① 1920 サッコ・ヴァンゼッティ事件=2人のイタリア系移民のアナーキスト(無政府主義者)が証
拠不十分のまま殺人罪で有罪とされ、1927 死刑になった冤罪事件。
② K・K・K(クー・クラックス・クラン)復活=1865☆テネシー州で結成され、南北戦争後に活
動した秘密結社。黒人を迫害。1920 年代に復活。
③ 1882、1924 移民法
=1875 以来、数回にわたってアメリカ議会で可決された法律。とくに、1882 年の移民法では中国
人の移民が厳しく制限され、中国人排斥法とも呼ばれる。また、1924 年の移民法(クーリッジ大
統領の時代)では、☆新移民(19C末以降の東欧・南欧系の移民)への移民制限を強化、日本人
を含むアジア系移民は全面禁止
現在:世界一の移民受け入れ=★“人種のるつぼ”“人種のサラダボウル”
【その他の地域への移民について】
① 17Cオランダがケープ植民地 get、オランダ系白人のブーア人(ブール人・ボーア人)が移民
② 1830 仏シャルル 10 世のアルジェリア出兵、1842 ルイ・フィリップのアルジェリア攻略で直轄領
に → 普仏戦争を境に☆コロン(アルジェリアへの入植人)増加
③ 1847 リベリア共和国(都=☆モンロヴィア)=★胡椒海岸に位置するアフリカ初の共和国。アメ
リカで解放された奴隷の居住地として★アメリカ植民協会が開拓、1847 独立して共和国に。アメ
リカ方式の憲法を制定。アメリカの支援を受けた解放奴隷の子孫による独裁政権が圧政を続け、
反乱・虐殺が頻発。現在でも国民の多くは難民化。
)
④ 1826 海峡植民地 → 1895 マレー連合州(マライ連邦)と改称
すず
※錫鉱山は中国からの移民、天然ゴム農園は南インドのタミル人が労働力
☆印僑=インド(当時はイギリス領インド帝国)出身の移民。多くは小作農民、低いカースト層、
南インドのタミル人からなり、東南アジア方面(とくにマレー半島の天然ゴム農園やシンガポー
ルの港湾労働など)で過酷な労働に従事。他には、イギリス本国、南アフリカ、ペルシア湾岸、
セイロン島などに移住した者も多い。
※華僑=中国(とくに南部の福建省、広東省)出身の移民。多くは東南アジア方面(とくにマレー
半島の錫鉱山やタイの米作地帯など)で過酷な労働に従事(☆南洋華僑)
。その後、彼らの中か
らは移民先で成功するものも現れ、政治・経済的な支配層に加わる一方、独自の民族文化を維持
する華人社会を形成し、現地の住民と摩擦を生じるケースもある。また、海禁を犯しての移住が
多く、清朝からは脱法者とされたので、反清運動の援助者となるものも多い。
⑤ 客家=華北から広東、広西、江西、福建に移住した移民、よそ者 ex.洪秀全など
⑥ ☆外省人=WWⅡ後、台湾へ移住した人びと ex.蒋介石など(対義語=本省人)
⑦ 19Cの黒人奴隷制廃止に伴い、黒人の代用人材として欧米・アジア人が中南米へ移民
45
⑳ユダヤ人とパレスチナ問題
← 現イスラエルがある地域がかつてのパレスチナ地方
☆パレスチナ(カナーン)地方の名前の由来=カナーン人 vs ペリシテ(フィリスティア)人 → パレスチナ
前 1500 パレスチナ地方の先住民☆カナーン人が交易活動。ユーフラテス上流の遊牧民ヘブライ
人もパレスチナに定住、一部はエジプトへ butBC13C新王国(ラメス2世)の迫害を受け、
ヘブライ人の指導者モーセが約束の地☆カナーン(パレスチナ)を目指し、出エジプトを指導、
じっかい
☆シナイ山で唯一神ヤハウェからユダヤ教の立法の中核となる十戒を授かり、パレスチナに帰
還。(13 上智2月3日)
古
代
前 1000 ヘブライ王国(★王政以前の指導者=士師)
初代☆サウル
2代ダヴィデ vs ペリシテ人(海の民の一派?)の巨人☆ゴリアテに勝利
=都をイェルサレムに、ミケランジェロのダヴィデ像の題材、羊飼い
3代ソロモン=最盛期“ソロモンの栄華”、イェルサレムに第一神殿建設
↓ ソロモンの死後、前 922 南北分裂
北部=BC922~BC722 イスラエル王国(都=☆サマリア)
※滅亡 by アッシリアのサルゴン2世
南部=BC922~BC586 ユダ王国(都=イェルサレム)
※滅亡 by 新バビロニア(カルデア王国)
のネブカドネザル2世によるBC586~BC538“バ
ビロン捕囚”
(=ユダ王国を滅ぼし、住民をユダ王国の都イェルサレムから新バビロニア
の都バビロンへ強制連行)
★イザヤとエレミヤ=ユダ王国後期の預言者
↓
BC538 アケメネス朝ペルシアのキュロス2世が新バビロニア(カルデア)を征服し、バビロン
に捕囚されていたユダヤ人をバビロンからパレスチナへ解放(解放後、ユダヤ教が成立、イェ
ルサレムに神殿を建設、ヘブライ人をユダヤ人と呼称)
↓
以後、ユダヤ人はアケメネス朝ペルシア領パレスチナ地方のイェルサレムに居住
↓
46
(・_・?)…ん? ユダヤ教
民族的受難
成立
① 出エジプト =新王国(ラメス2世)の迫害を受けたモーセの受難
原因
② バビロン捕囚=新バビロニア(ネブカドネザル2世)に強制連行された受難
※バビロン捕囚から帰還後にユダヤ教が成立
① メシア(救世主)思想=ヘブライ(ユダヤ)人を救う者が出現する
② 選民思想
思想
=ヘブライ(ユダヤ)人のみが救われる
③ 戒律主義、偶像禁止、最後の審判&天使・悪魔の思想(ゾロアスター教の影響)
④ 排他的な形式的律法主義者=パリサイ派(後にイエス・キリストと対立)
⑤ 反ローマのパリサイ派、親ローマの☆サドカイ派、死海文書の☆エッセネ派
唯一神
ヤハウェ(ヤーヴェ・エホバ)
聖地
イェルサレム(同時にキリスト教の聖地、イスラーム教の第3聖地)に☆嘆きの壁
聖典
「旧約聖書」(ヘブライ語)→ 最古写本=☆死海文書 by☆エッセネ派
① 生活書=☆「タルムード」
その他
② 礼拝堂=☆シナゴーグ
③ ★トーラー(律法) ★ラビ(指導者)
↓
ユダヤ人はアケメネス朝ペルシアを征服したアレクサンドロス大王の領土へ
↓
アレクサンドロス大王の死後、ディアゴコイ戦争の結果、ユダヤ人はセレウコス朝シリア領へ
↓
○×
マカベア戦争=ユダヤ人vsセレウコス朝シリア
↓
ユダヤ人はセレウコス朝シリアから独立、ハスモン朝を建国
↓
ユダヤ人のハスモン朝はポンペイウスに征服され、ローマ領へ
↓
ローマ宗主権下でユダヤ王国成立(新生児虐殺で有名な王=ヘロデ)
↓
×○
66 第1次ユダヤ戦争=ユダヤ人vsネロ、☆ウェスパシアヌス
×○
132 第2次ユダヤ戦争=ユダヤ人vsハドリアヌス
↓
ローマからの独立運動失敗
↓
ローマ領パレスチナ地方から追放、ディアスポラ(離散)開始、流浪の民として各地を漂流
↓
47
東ローマ(ビザンツ)帝国=ユダヤ教の礼拝堂(シナゴーグ)の建設と布教を禁止
○×
636★ヤルムークの戦い=ウマルvs東ローマ(ビザンツ)帝国のヘラクレイオス1世
※結果=ウマルがシリア・パレスチナ(イェルサレム含む)地方、エジプト get
※意義=パレスチナ地方のイェルサレムがイスラーム圏へ
※ユダヤ人は“啓典の民”として扱われ、ジズヤ(異教徒が払う人頭税)を払えば、信仰・財
中
世
産・生命を保障(改宗の義務なし、征服民に寛大)
、待遇が比較的寛大
8Cフランク王国のカール大帝=ユダヤ人に信仰・通商の自由を許可
1078 教皇グレゴリウス7世=ユダヤ人を公職追放
1215(第4回)ラテラノ公会議 by 教皇インノケンティウス3世
=ユダヤ人に対する差別、キリスト教徒との通婚や荘園経営禁止 → ユダヤ人は金融業へ
1347 ペスト(黒死病)流行下、十字軍下の英・仏、レコンキスタ下のスペインで迫害が激化
※ペスト流行時、ユダヤ人が井戸に毒をまいたとして差別、迫害。スペインではマラーノ(豚
を意味する。ユダヤ人 or ユダヤ教からカトリックへの改宗者を指す)と差別、迫害。
諸国でユダヤ人を都市部に設けられた強制移住区(ゲットー)に
16C英シェークスピア=「ヴェニスの商人」でユダヤ人の悪徳商人シャイロックを創作
but
※↑ヴェネツィアのこと
絶対主義時代の諸国は財源確保のために金融業の得意なユダヤ人を保護
1657 英クロムウェル=ユダヤ人にイギリス居住を許可
18C啓蒙思想の普及=アメリカ独立宣言、フランス人権宣言でユダヤ人を受け入れ
19Cユダヤ系金融資本家一族=ロスチャイルド家
=初代は 1760 フランクフルトで金融業を開始、息子達が世界金融を動かすほどの巨額の富
(特に、ナポレオン戦争で)。1875 英ディズレーリ(保守党)の要請で、スエズ運河会社
近
代
株買収の資金調達、シオニズム運動での資金援助で活躍
1881 東欧、ロシア(アレクサンドル3世の治世下)でのユダヤ迫害=ポグロム
1894~99 反ユダヤ的なドレフュス事件(ユダヤ系軍人のドレフュス大尉が軍法会議でドイツの
スパイとして終身刑にされたが、真犯人が発覚しても軍部は威信保持のために真犯人をかば
い、国民の反ユダヤ主義を煽り、あくまでもドレフュスを有罪にした。その後 1906 年に無
罪とされたが、反ユダヤ主義の根深さを印象付けたスパイ疑惑事件)→ ★悪魔島に流刑
※「居酒屋」
「ナナ」
「実験小説論」で有名な自然主義作家ゾラがユダヤ系のドレフュスを弁護
だんがい
し、“私は弾劾する”と発言。★作家アナトール・フランス、ロマン・ロラン、政治家クレ
マンソー(急進社会党)もゾラに共鳴。
→ イェルサレム(雅名シオン)にユダヤ国民国家(ナショナル・ホーム)建設を目指すシオ
ニズム運動と、反対するアンチ・セミニズム運動が高揚
→ 1897 第1回シオニスト会議 at スイスのバーゼル by ヘルツル「ユダヤ人国家」「バーゼル綱領」
↓
国民(国家)社会主義ドイツ労働者党(ナチス、ナチ党)がユダヤ人を迫害
※1920☆ドイツ労働者党から改称
現
代
※25 カ条綱領(ヴェルサイユ体制打破、再軍備、労働者救済、マルクス主義撲滅、ユダヤ人
根絶、アーリヤ人種の純血 etc)
....
※オーストリア生まれのヒトラーが途中入党(創設者ではない)
、1921 党首に就任。ヴェルサ
イユ体制打破、反ユダヤ主義(反セム主義)
、反共産主義を主張。
48
(・_・?)…ん? ナチスの政策・幹部・ユダヤ人迫害
なら
ナチス
の政策
☆イタリアに倣って娯楽・文化や福祉を提供(11 明治全、12 明治経営)
1932 アウトバーン=独と墺を走る高速道路。ケルン~ボン間。失業対策で建設。
1936 ベルリン・オリンピックを開催
① ☆ゲーリング=空軍大臣(航空相)
、国家秘密警察ゲシュタポ(1934 以降☆ヒムラーが
ナチス
実権を握り、通常の法律・裁判を行わずに人々を処罰、恐怖政治の象徴)を設立、1936
の幹部
四カ年計画(
“バターよりは大砲を”の軍事最優先、民生軽視の軍国主義的な経済計画)
で景気回復、失業者救済に一定の成功
※2003
② ☆ゲッベルス=啓蒙宣伝大臣(宣伝相)
、徹底的な言語・思想統制、反ユダヤ宣伝
③ ☆レーム
慶法
=突撃隊(SA)の指導者、1934 レーム殺害事件でヒトラーが粛清
④ ☆ヒムラー =ユダヤ人大量虐殺の最高責任者、1934 以降ゲシュタポの長官
ホロコースト=ユダヤ人大虐殺のこと。各地に絶滅収容所を建設
1933☆ダッハウ強制収容所(ビルケナウ)at ドイツ国内
1935☆ニュルンベルク法=8分の1の混血までのユダヤ人の市民権剥奪、公職追放、財産没収
ユダヤ
1938 水晶の夜(クリスタルナハト)=ユダヤの商店打ちこわしや虐殺
人迫害
1940 アウシュヴィツ強制収容所(ビルケナウ)at ポーランドの★オシフィエンチム
※↑1933 ダッハウが既に設立されているので、最初の強制収容所ではない。
※ロシア(アレクサンドル3世の治世下)・東欧のユダヤ人虐殺=ポグロム
☆ロマ(北インド起源の放浪生活者、ジプシー)
、障害者、同性愛者も迫害
(・_・?)…ん? ナチスの関連文化史
① 相対性理論 → 1905☆特殊相対性理論(光速度不変の原理に立ち、等速運動の
問題を扱う)、1915☆一般相対性理論(加速度運動・重力の問題を扱う)→ 光
アインシュタイ
ン
(ユダヤ系ドイ
ツ人)
(1879~1955)
速に近い世界ではニュートンの力学が通用しないことを解明、ニュートンの物
理学に根本的変革をもたらす
② 1933 ナチスの迫害を逃れ、アメリカへ亡命
③ 原子爆弾極秘製造(マンハッタン計画)の提案者 → ナチスよりも先に原爆を
作る必要性をフランクリン・ローズヴェルト大統領に説く but 日本の被爆を嘆
き、晩年は平和運動へ
④ 1955 ラッセル・アインシュタイン宣言=核兵器廃絶、科学技術の平和利用を主張
① 保守的・非政治的な生き方から、WWⅠの体験で転向、反ファシズムを貫く
トーマス・マン
(ドイツ)
(1875~1955)
② ナチスの迫害を逃れ、アメリカ、スイスに亡命
③ 1901☆「ブッデンブローク家の人々」
④ 1924「魔の山」=俗世から隔絶された山中のサナトリウム(療養所)が舞台
⑤ 1947☆「ファウスト博士」
(ゲーテの戯曲「ファウスト」と区別しよう)
⑥ 評論★「非政治的人間の省察」
☆ヘッセ(独)
① 1906「車輪の下」=少年の青春の苦悩と死、1919「デミアン」
(1877~1962)
② ロマン・ロランと親交、スイス経由でアメリカに亡命
☆アンネ・フラ
①「アンネの日記」
ンク(ユダヤ人) ② アムステルダムで避難生活
☆フランクル
①「夜と霧」
(ユダヤ人)
② 医師、アウシュヴィッツから奇跡の生還(08 慶法)
※通常授業の中東戦争へ続く
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