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社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例

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社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
呉 英蘭
朴 光駿
〔 抄 録 〕
本研究の目的は、ある国家の社会政策プログラムが他国に導入されていく現象を意味する
政策拡散(diffusion)の概念を提示し、他国の政策モデルを導入することにおいて国際的要
因がどのように影響を与えているのかを、国連の女性差別撤廃条約が日本と韓国の男女雇用
均等法の成立・改正に与えた影響を研究事例にし、明らかにすることである。
社会政策発展における国際的要因に注目する研究は 1960 年代からなされてきたが、その
後いわゆる国際的レジームの強化に伴ってより活発化されている。本研究においては、政策
拡散に関連した先行研究を総合的に整理したうえ、政策拡散の 2 つの要因─(1)国際社会
からの圧力、
(2)国家間学習─が、
実際の政策拡散にどのように影響するのかを明らかにする。
キーワード:政策拡散、グローバルガバナンス、政策模倣、男女雇用均等法、国家間学習
はじめに
社会政策プログラムがなぜ導入・開発されるのかを究明する研究は社会政策発達論と呼ばれ
るが、それには当該国の国内的要因だけを重視する傾向がある。しかし、特定の政策課題を抱
えている国家がその具体的対策を講じる際に、他国の類似な政策事例を事前に研究し、それを
模倣することは過去においても現在においても事実である。従って、社会政策プログラムの導
入を説明するためには、その国内的背景だけでなく国際的要因をも考慮しなければならない。
グローバリゼーションの進行は社会政策発展における国際的要因の重視を促す重要な政策環
境である。国連をはじめ、国際レジームや国際機構は会員国に特定政策理念あるいは政策プロ
グラムの導入を促し、時にはその導入を強要する。IMF などの国際金融機関が特定国家に金
融援助を提供する際に、特定の政策プログラムの導入を条件づけることもある。しかし、個別
国家はこのような国際的圧力を受けながらも、より合理的な対応策を探るために他国の社会政
策的対応方式を自主的に学習し、
自国の案を取りまとめようと努める。
つまり、
国際的要因とは、
国際的圧力とともに国家間学習という 2 つの要因からなっていて、この 2 つの要因を考慮せず
に社会政策プログラムの生成・発展を説明することはもはや不可能であるといっても過言では
ない。この研究は、1960 年代以降その国際的要因に注目した先行研究を発掘・整理し、新自
由主義的グローバリゼーションの動きが個別国家の政策プログラムの導入にどのような経路で
─ 17 ─
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
影響を与えたのかを、国連の女性差別撤廃条約が日本と韓国の男女雇用均等法注1の導入に与
えた影響という事例をもって明らかにしたい。
1.社会福祉制度導入の国内的要因
社会政策プログラムの導入理由は何か、社会政策導入の動因は何かを追究する説明は、(1)
国内的要因のみに注目する説明、
(2)国際的要因・圧力を動因とみなす説明、に大別すること
ができる。(2)の類型の説明は比較的最近の研究傾向であるが、それについては次節で検討す
ることにし、まず国内的要因を重視する説明を検討してみたい。
国内的要因をもって社会政策発展を説明する研究も、さらに 2 つに大別できるが、それは、
政策決定者の主観的動機を重視する説明と、社会・経済・政治的要因を重視する説明の 2 つで
ある。前者は、政策決定者の個人的世界観、パーソナリティなどから制度導入の動因を見つけ
ようとするものである。たとえば、1935 年のアメリカ社会保障法は障害者に手厚い給付を設
けていたが、その理由の一端を当時の民主党大統領ルーズベルト(F. Roosevelt)自身が身体
障害をもっていたという事実から発見しようとするものである。ただ、このような「主観論的
アプローチ」(subjectivist approach)といわれる観点は、福祉制度導入の決定が必ずしも合理
的に説明できるプロセスとは限らないという事実を喚起しているという意味では、学問的意味
があるといえるが、しかし、社会福祉を恒常的制度としてならしめた社会経済的構造変動が十
分に考慮されていないという欠点があり、それゆえ、その説明の範囲は限られてしまう。
これに対して、社会・経済・政治的要因からの説明はより合理的なものである。
まず、社会的要因を強調する説明であるが、特に最近になって「人口高齢化」という要因が
社会福祉拡大の最も重要な政策環境になっていることから、再び社会的要因への関心が高まっ
ている。実は、ウィレンスキー(Wilensky, 1975)はすでに 1970 年代に社会支出の国際比較
を通じて、福祉先進国・中進国・後進国という区分の決定的要因の 1 つが人口構造の変動(高
齢化)であるということを指摘した。特に、
急速に進む高齢化が過去の政策の影響によるもの、
つまり政策選択の結果によってもたらされた東アジア地域では、高齢化が社会福祉拡大の最も
重要な要因であるといっても過言ではない。
社会政策は産業化のもたらした社会問題への反応であるという説明、つまり産業化論は経済
的要因を重視する代表的なものである。
極めて異なる政治的伝統をもつヨーロッパとアメリカ、
そしてロシアを対象にした比較歴史的研究を通じてそれぞれの社会が自由主義的、
温情主義的、
集団主義的体制であったにもかかわらず、産業化による社会変化によって類似な形の福祉介入
がもたらされたというリムリンガーの研究はその代表的なものである。社会福祉は伝統的援助
形態の崩壊によって発生した社会問題に対する対応であるということである。
政治的要因に注目する研究は、歴史的にみると労働者に選挙権が認められていく過程、労働
組合の形成過程に注目しており、不況による社会不安、政治政党のイデオロギーなどに注目し
─ 18 ─
福祉教育開発センター紀要 第 11 号(2014 年 3 月)
てきた。1980 年代にはいわゆる「社会統制理論」
(Social Control Theory)が台頭した。それは、
社会福祉の拡大・縮小のサイクルは、貧民や失業者による抗議デモの発生など社会不安が広が
る時に拡大され、社会安定が回復されると縮小すること、つまり社会福祉は社会統制という政
治的動機から説明できるというものである。ただ、この説明にも限界がある。例えば、1960・
70 年代のアメリカとイギリスの貧困政策の比較研究によると、貧困政策は事前に用意された
政治的目的を達成するために導入されたのではなく、予測できない社会政治的状況に対する即
応的対策であったことが明らかになっている。
以上の諸説明には 2 つの傾向があるといえる。1 つは、多くの研究者(例えば、Carrier and
Kendall, 1977:273;Esping-Andersen, 1990:29 など)の指摘のように、福祉制度の起源と役
割に関する説明が「決定論的傾向」を強く帯びており、
「単一の原因に過度に執着する傾向」
(fetish single cause)があるということである。社会福祉制度は社会経済的・政治的・歴史文
化的要因が複合的に絡み合って発展するという認識が欠けているのである。2 つ目の傾向は、
社会福祉制度発展の動因として国内的要因だけに注目しているという点である。しかし、グロー
バリゼーションが深化している現代社会にはいうまでもなく、過去においても社会福祉制度の
導入には国際的要因が強い影響力を及ぼしてきたことは明らかである。
2.社会福祉制度導入に影響を与える国際的要因と先行研究
(1)問題の提起と先行研究
社会福祉制度導入の動機や論議および準備期間などにおいて当該国の政治・経済・社会・文
化的要因が強い影響力を持つということには異論の余地のないことである。しかし、福祉制度
の導入には国際的要因も極めて強い影響力をもっているので、福祉制度は国内的要因と国際的
要因の絡み合いによって発展するということを見落としてはならない。
表 1 は、公的年金制度と関連して、社会保険施行年数、年金制度導入時期、年金開始年齢を
地域別に分類・比較したものである。世界の地域別比較を通して見えてくるのは、例えば、年
金開始年齢においては北欧、西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、中東アジア、東アジアなどそれぞ
れの地域に極めて高い類似性がみられるということである。この現象は、個別国家を超えた地
域的共通性が社会福祉制度の導入や制度運用にみられること、その背後には当該地域内部の情
報交換や学習などが存在するという推測を可能にする。その類似性の原因は単なる地域的近接
性にある場合も、地域共通の言語ないし言語的類似性にある場合もある。
社会保障制度導入における国際的要因を重視した研究は 1960 年代からなされてきた。その
1 つは、社会保障制度においても国家を取り巻く国際社会の影響から完全に独立している国は
ないと指摘したライス(Rys, 1964)の研究である。ライスは、国際的政策模倣には 2 つのタ
イプがあるとした。その 1 つは、ある国家が他国の政策を直接模倣することである。たとえば、
1898 年、イタリアの社会保険(老齢年金、医療保険)はフランスとベルギーの制度を総合し
─ 19 ─
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
表 1 地域別国家の社会保険年数・年金導入時期および年金年齢比較
地 域
北欧
西ヨーロッパ
東ヨーロッパ
北米
南米
中東アジア
西南アジア
東アジア
社会保険年数
1934 − 1960*
年金導入時期
年金開始年齢
(1966 年基準)
デンマーク
117
1922
67
ノールウェー
121
1936
70
スウェーデン
122
1913
67
スペイン
131
1919
65
フランス
135
1910
60
ドイツ(西)
115
1889
65
イギリス
124
1908
65
チェコ
97
1906
60
ハンガリー
104
1928
60
ポーランド
95
1927
65
ソ連
98
1922
60
アメリカ
95
1935
65
カナダ
106
1951
70
メキシコ
65
1942
65
アルゼンチン
75
1944
55
チリ
129
1924
65
ブラジル
101
1923
65
イラン
40
1953
60
サウジアラビア
28
1962
60
イスラエル
45
1953
65
インド
49
1952
55
マレーシア
37
1951
55
タイ
5
*
*
中国
37
1951
60
台湾
*
1950
60
韓国
0
*
*
日本
88
1941
60
ベトナム(北)
31
1961
60
国 家
資 料: 社 会 保 険 年 数 は Cutright(1965) の Appendix、 年 金 導 入 時 期 と 年 齢 に つ い て は、
Pilcher et al(1968)の Appendix(93 カ国の資料)を参考にし、地域別に分類して作成。
─ 20 ─
福祉教育開発センター紀要 第 11 号(2014 年 3 月)
たものであり、オーストリアの年金はドイツモデルであるという。もう 1 つのタイプは、直接
的模倣ではなく、制度導入の政策決定者が他国の政策プログラムを模倣する類型である。例え
ばロイドジョージ(Lloyd George)がドイツとベルギーの社会保険アプローチを真似したこと
である。それ以外に、国際組織と国際協定なども社会保障の拡散に重要な影響を与えているこ
とがベルギー・フランスの互恵協定の例を持って示されたが、ライスによると、ベルギーはフ
ランスとの協定のため全体的社会保障制度をフランスの基準に合わせる形で修正したという。
また、コリエルとメシックの研究(Collier and Messick, 1975:1313)も重要な先行研究である。
この研究は、世界の 59 カ国を研究対象にして、社会保障導入の時期と内容の決定要因を提示
したものであるが、
社会保障発展を国内的要因だけでなく、
「国家間社会保障の模倣(imitation)
」
という要因を重視し、後者を「拡散」現象と表現している。そして、なぜ社会保障の導入時
期と内容が国家間に異なるのかを説明するためには国際的要因に着目しなければならないと主
張した。彼らは、社会保障の導入は国際的なコミュニケーションシステムの中から起こるもの
とし、拡散を、位階的拡散(hierarchical diffusion)と地理的拡散(spatial diffusion)という 2
つに分類し、後者には、地理的近接による拡散とコミュニケーションラインによる拡散(along
major lines of communication)があるとしている。以上の要因を検討し、彼らは、ある国家
が先に社会保障を導入した国家の制度を導入することに影響を与える要因は、地理的近隣、共
通の言語、植民地の経験という 3 つの要因であり、なかでももっとも強い要因は言語であると
結論づけた。
社会福祉制度の導入時期や制度内容に重要な影響を与えるのは共通言語であるという研究も
ある。例えば、スペインは 1919 年 65 歳を年金開始年齢とした年金制度導入した以降、スペイ
ン語を公用語とする南米の 15 カ国が相次いで同じ内容の年金制度を導入したが、それに決定
的に影響を与えたのが言語(公式語であれ,そうでないのであれ)であったという。
(Pilcher,
1968:401−402)また、同じ傾向は、フランス語を使うアフリカの国家の場合にもみられ、ア
ラブ語を共通語とするすべてのアラブ国家の場合も 60 歳を年金開始年齢とする年金制度を導
入している。
(2)グローバルガバナンスと「S 字型」政策拡散
特定国家の福祉政策プログラムが政策模倣によって他国に広がる現象は、決してグローバリ
ゼーションによって初めてみられるようになったのではなく、福祉制度の発展段階から確認で
きる普遍的現象である。しかし、情報通信技術の発達などによってその速度は速まり、その規
模も大規模化していることは確かである。ある国家の政策革新(policy innovation)を他の国
家が導入する現象は「政策拡散」(policy diffusion)と呼ばれる注2。それは、ある国家の政策
革新が特定のチャンネルを通じて他国に伝達される過程のことである。ただ、この言葉にはも
う 1 つの意味があるが、それは「国家間学習」の意味である。それは、次章で詳述するが、国
─ 21 ─
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
際的な圧力によって、政策導入をさせられるという類型の拡散ではなく、自主的判断によって
他国の政策プログラムを自発的に導入する現象のことを指す言葉である。
政策拡散はいわゆるグローバルガバナンス(global governance)によって促進されている。
グローバルガバナンスとは、ある国家の公式・民間セクターの社会的実践活動が、国際機構・
国際関係・多国間関係の中から生まれた規約やルールなどによって規制される関係のことを指
す言葉であり、国際的レジーム(international regime)とほぼ同じ意味で使われている。国
際的レジームとは特定問題において、その対応方式やルール、手続きなどに対して国際的に
合意された社会制度のことである。ある国家が他国の政策を導入することによって、国際的
に政策の同質性が強まる現象は政策収斂(policy convergence)と呼ばれるが、政策収斂を
もたらすのは、政策移転(policy transfer)
、政策模倣(policy imitation)
、政策借用(policy
borrowing)、教訓学び(lesson-drawing)などで表現される現象である。ただ、政策拡散は政
策収斂だけでなく、政策異質化(policy divergence)をももたらすことがあるということにも
注意する必要がある。というのは、政策異質化は、ある政策革新を導入する国もあれば、導入
しない国もあることから発生する現象であるからである。
政策拡散がどのようなパターンを示すのかについては、チリの年金改革方式がその周辺国に
広がった過程を研究し、その拡散類型を示したウェイランド(Weyland, 2005a;2005b)の研
究を引用したい。その研究によると 2005 年時点で、チリが 1981 年に年金民営化改革を行った
以来,2005 年までに南米の 9 カ国(アルゼンチン、ボリビア、コロンビア、コスタリカ、ド
ミニカ、エルサルバドル、メキシコ、ペルー、ウルグワイ)がチリモデルを導入し、3 カ国(エ
クアドル、ニカラグア、ベネズエラ)はそれを立法化(未実行)しており、南米諸国の中で既
存の年金体制をそのまま維持している国は 2 国(ブラジル、キューバ)だけである。そして、
彼は政策導入のパターンとして次の 3 点を確認している。それは(1)政策革新の拡散は地理
的に集中する傾向があり、強い地理的共通性を示しているということ、
(2)政策革新の拡散は
時々「S 曲線」の形を現しているということ、(3)政策革新の拡散は多様性の中の共通性の拡
散であり、極めて異なるニーズをもっている国家の中で、あるいは経済・社会・政治発展の多
様な段階にある多くの国の中で類似な政策を導入する傾向がみられるということ、
などである。
その中で、「S 字型の拡散」を説明するのが図 1 である。この図は 1981 年にチリが年金民営
化を行った以降、1992 年までには同じ改革を導入した南米国家はなかったが、1992 年と 2002
年の間に同モデルの年金改革を導入した国家は 10 カ国にまで急速に増加した後、同様の年金
改革を行う国家はなくなってしまうという「S 字型」のパターンを示すものである。そのパター
ンは「ゆっくりスタートした後、急速に拡散し、ある時期になると不人気になり、拡散がみら
れなくなる」というものである。つまり、ある国家における政策の成功は、それを過大評価す
る多くの国によって迅速に導入される傾向があるが、より多くの情報、より冷静な証拠が集ま
ると、それを導入するケースは減っていくということである。また、以前社会主義国家であっ
─ 22 ─
福祉教育開発センター紀要 第 11 号(2014 年 3 月)
た国家がチリモデルを導入した場合においてもそのパターンは「S 字」を示しているとしてい
る。S 字型の拡散は社会福祉制度導入には国際的要因が強く働いているということの証しであ
るといえる。
図 1 年金民営化の「S 字型」の拡散
12
Nümber of Countries
10
8
6
4
2
0
1980
1982
1984
1986
1988
Latin America
1990
1992
1994
1996
1998
2000
2002
2004
Postcommunist Countries
出所:Weyland, 2005a
ところが、現実世界をみると、政策拡散の可能性や速度などには国家によって大きなばらつ
きがある。それは次のような 4 つの理由によるものである(Jorgens, 2004:254−55)。①当該
政策関連情報を収集する国際的・多国的コミュニケーション・チャンネルがどれほど確保され
ているのかの違い、②政策拡散のスピードに影響を与える要因として、新しい政策革新を受け
入れることによって、既存の制度との間に起こりうる葛藤の程度、③他国の政策革新の導入を
もって対処しようとする国内問題の具体的構造(問題の緊急性など)、④新しい政策革新を導
入し、運用・実行する国家の力量や行政的能力の高さ、がそれである。
3.国際的要因を説明する 2 つのパラダイム
(1)国際的圧力:国際関係の垂直的側面
すでに、別稿(朴光駿 , 2007:50−51)で指摘したように、国際的圧力による政策拡散も 3
つの形に分類することができる。それは(1)戦後の日本とドイツに対する占領軍の福祉政策
のように、政策を受け入れる国家に対する一方的国際的強制(penetration)
、(2)国際的影響
による政策実施であるが、その政策を受け入れる国家からみれば、その政策の導入の見返りと
してある種の利益が確保できるという国際的強要(imposition)、
(3)国際的地位の維持や会
─ 23 ─
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
員国の資格維持のために、自国の政策を国際的基準に合わせるパターンの拡散である国際的歩
調(harmonization)
。それぞれのケースにおいて政策導入の動機は異なるが、
(1)の場合は現
代社会においてはもはやほとんどみられないので、主に(2)と(3)を中心に論議する。
国連はじめ国際機構は、援助を必要とする地域や国家に対する給付的援助とともに、会員国
に対する「規制」というもう 1 つの方法で社会福祉発展を促す。それは、人権保護や福祉向上
のために必要な諸政策を規定した国際的基準、国際条約、国際協定などを定め、より多くの国
がその基準を受け入れるように圧力をかけることによって、生活の質の水準を引き上げようと
する活動を行うことである。貧困の解消、労働条件、社会保障制度の完備、女性の雇用差別、
障害者や老人に対する差別禁止、子どもの権利保障などの分野における国際機関の働きかけは
著しいものであり、国際社会に多くの貢献をしてきた。(朴光駿 , 2007)その協定内容を特定
の国家が批准すれば、国内の法律と同様な強制力を伴うようになる。従って、その批准を目指
して、国内の法律の改正を行なったり新しい制度を導入したりすることがあるが、その場合、
福祉制度の導入・改善は国際機構の規制によるものになる。例えば、児童の権利に関する国際
条約には日本を含め大半の国家が批准しているが、その批准のために、同協定が保障する児童
の権利を制約するような国内の法律・規則・慣行などの改正や撤廃などとともに新しい制度が
導入されることもあるのである。
国連が世界的実現を目指して行なってきた努力の結晶である条約は前記の条約以外にも、世
界人権宣言(1948)
、児童権利宣言(1959)
、経済的、社会的および文化的権利に関する国際規
約(1966)
、市民的および政治的権利に関する国際規約(1966)
、
国連人種差別撤廃条約(1969)
、
女性差別撤廃条約(1979)などがある。女性差別撤廃条約が日本・韓国の関連制度にどのよう
な影響を与えたのかについては次章で詳しく検討する。
また、EUなどの国際レジームが会員国に対し、必要な規制を行うことがあるが、その中
には社会福祉制度発展に大きな影響を及ぼすものがある。たとえば、EUのマストリヒ条約
(Mastricht Treaty)は国家債務に対する統制を強化し、事実上福祉拡大のために他の財源を
使うことを禁止した。EUへの参加を希望する国家はこの条約に規定された基準をクリアする
必要があり、1988・89 年までにGDPの 3%以下に財政赤字を縮小することを余儀なくされた。
それが税金の引き上げを抑制し、年金給付の削減に大きな影響を与えたとされている。
1980 年代以降の新自由主義的グローバリゼーションの進行とともに、債務国や開発途上国
に対する国際金融機関の影響は大きくなり、それが当該国の福祉改革に大きな圧力要因になる
場合がある。冷戦崩壊後のアメリカ主導の経済自由化に基づく国際経済秩序構築を目指す合意
はワシントン・コンセンサス(Washington Consensus)と呼ばれるが、これは開発途上国に
市場開放を核心とする新自由主義的な経済構造調整のプログラムを強要する傾向がある。この
合意が民間企業の自由な経済活動を強調する個人主義的企業イデオロギーによって促進され
てきたことは言うまでもない。しかも開発途上国の累積債務問題が深刻化した 1980 年代以降、
─ 24 ─
福祉教育開発センター紀要 第 11 号(2014 年 3 月)
国際金融機関(世界銀行、IMF など)は構造調整融資のような資金協力事業を進め、南米な
ど負債問題を抱えている国家に対して、資金援助を行う代わりに新自由主義的構造調整を要求
した。世界銀行は 1980 年に「構造調整融資」
(SAL)を開始し、一方、IMF は 1986 年に「構
造調整ファシリティ」
(SAF)の枠組みを作った。そして、国際収支の赤字に悩む開途国に
対し低利の融資を行う条件として緊縮政策や開放政策をとらせている。年金制度など国民生
活保障の分野において国家責任よりは民間企業の活用を強調する政策の導入を迫るのである。
従って、金融的支援を受け入れた国家は、国際金融機関の要求する政策を自国で実施すること
を余儀なくされる。つまり、
国際機関の圧力によって新しい政策が導入されるということである。
社会福祉分野におけるこの類型の事例としては、世界銀行の年金改革の提案と指導が挙
げられる。世界銀行の公式レポート、
『年金危機をどう回避するか』
(Averting the Old Age
Crisis )は 1994 年に発表されたが、すでに 1980 年代に入ってから世界銀行は開発途上国の年
金改革を指導してきた。1981 年チリの年金改革はその代表例とされる。
この報告書は、急速に進行する世界的な高齢化を背景にし、高齢者の多くが公的老後保障制
度から疎外されているということ、公的年金制度を導入している大半の国家において持続可能
な年金財政が実現されていないという問題を背景にしたものであるが、既存の年金制度に対す
る代案として「三階建ての年金体制」
(multi-pillar system)を提案した。三階建ての構造は、
政府が運用する基礎年金の性格を持つ強制適用の公的年金制度(一階部分)、強制適用である
が民間部門で運用する所得比例年金
(二階部分)
、任意適用で民間運用の追加的所得比例年金
(三
階部分)、となっている。この年金改革案については、国家による社会保障システムを重視し
てきたILOなどから批判が出るなど、世界的な規模で賛否両論が広げられたのである。その
内容については言及しないが、国際金融機関からの金融支援を受けている国家からみると、金
融機関の提案は大きな圧力になる可能性があるということを本研究では重視するのである。
(2)国家間学習:国際関係の水平的側面
国家間学習というのは、政策拡散が国際的圧力の結果余儀なくされるような形で行われると
いうことではなく、特定の問題を抱えている国家がその解決のために他国の先例を自主的に導
入するという形で行われるという見方である。
受入国の自律的判断によって政策導入が行われ、
それを受け入れるか否か、そして受け入れる内容の範囲を決めるのは受入国になる。この観点
からみると、政策拡散は国際関係の水平的な側面、政府間あるいは関連研究者間の情報交換が
重視される。
実は、グローバルガバナンスの傾向が強まる中でも、国家政策は国際的圧力という垂直的影
響を受けることよりは、自律的制度導入が依然として主流をなすと指摘されている。実際にお
いて多国間の政策調整の過程を経ずに行われる政策調整のケースが多いからであり、従って、
国際的レジームの下においてもなお自立的制度導入がグローバルな政策調整の重要なメカニズ
─ 25 ─
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
ムになる。これは、グローバルな規範や原則は具体的なルールや手続きがその中に含まれてい
ない場合でも国内政策決定に影響を与えることができるということ、グローバルガバナンスは
必ずしも国際的レジームを通じてのみ行われるものではないということを示唆するものである。
国家間学習の観点から社会福祉制度導入を説明する時、重要な関心事は 2 つである。1 つは
どの国家の政策を模倣・導入するのかということであり、もう 1 つは、誰が政策模倣の主体な
のかの問題である。前者の問題については、モデル政策・国家の選定は政策導入の必要性や緊
急性によって異なる。他国の政策を導入するためには、新たな法律の導入や既存法律の整備か
ら、実際の制度運用におけるきめ細かい規定に至るまで、さまざまな次元の問題をクリアする
必要があり、当該国の状況に対する持続的資料収集や情報交換が必要になる。前記した先行研
究者たちが、国家間学習の決定的要因として、同じ言語を挙げていることはこのような状況を
反映している。
他国の政策革新を自国に導入する動機については、1980 年代以降の新自由主義的グローバ
リゼーションの影響によって大きな変化があった。それは「福祉削減」という動機による他国
の政策プログラム・手法を導入する傾向が著しくなったということである。福祉国家発展段階
においては、政策導入の主な動機は福祉拡大であった。しかし、
いわゆる競争国家(Competition
State)が福祉国家に代替する傾向によって、社会政策の優先的目的が不平等の解消や手厚い
最低生活保障という伝統的目標よりは、財政的負担の軽減に置かれるようになっている。その
ために、福祉先進国はさまざまな福祉軽減策を打ち出してきたが、財政負担という共通の問題
に直面している国家がそうした福祉軽減手法をきそって自国に取り入れようとしているのであ
る。この現象は、グローバルな政策ネットワークの成長をもたらし、政策模倣にも寄与すると
されるいわゆる「アプローチのグローバリゼーション」に関わるものである。他国の福祉軽減
手法やそれに関わる情報・データは自国に対する新しい圧力として作用し、福祉給付の引き下
げ、すなわち底辺への競争(a race to the bottom)を加速しているのである。
次は第 2 の問題、つまり他国の政策アイディアを自国に導入しようとする主体は誰なのかの
問題についてである。政策模倣は政策主導者(policy entrepreneurs)によって試みられるが、
官僚、政治家、学者や専門家などが政策主導者になる。国家間政策経験の学びには「エリート
ネットワーキング」が重要な役割を果たす。専門家たちの超国家的政策コミュニティは定期的
な相互交流(国際会議、政府代表活動など)を通じて特定政策に関する専門的知識や情報を共
有し、理解の共通的パターンを形成するが、それが政策収斂の重要な力になる。また、専門家
や学者らが政策変化に主導権を取ろうとする政策主導者として行動するときに政策収斂がより
強力な要因になる(Mintrom, 1997:739)とされる。
以上、国家間学習と国際的圧力という 2 つのパターンに分けて政策革新の国際的拡散の背景
を考察したが、実際においては必ずしもその背景が 2 つの要因と明確に区分できるとは限らな
い。その 2 つの要因が絡み合っているからである。
─ 26 ─
福祉教育開発センター紀要 第 11 号(2014 年 3 月)
例えば、1981 年チリの年金民営化改革は世界銀行の指導によって行われたということにつ
いては異論の余地が少ないが、その後チリの年金改革モデルが多くの周辺国に広がったことの
背景については 2000 年代の半ばまで「チリ年金改革モデルを支持する世界銀行のような国際
機構の圧力の結果」であるという見解が幅広く受け入れられていた。ところが、ウェイランド
は、南米 5 カ国の調査研究を通して、その政策拡散が世界銀行からの垂直的圧力によるもので
はなく、同じ言語(スペイン語)を使用するチリと周辺国の研究者たちとの間にさまざまな形
の情報交換や学習活動によるもの、チリモデルを導入した国の研究者と「チリの専門家たちと
の水平的人脈」
(horizontal connections)
(Weyland, 2005a:8)によるものであったことを証
明したことは前記の通りである。
4.国際的要因による政策拡散の事例:女性差別撤廃条約と日本・韓国
この章では、国際的要因が政策拡散に与える影響の具体的事例を考察する。検討事例は国連
の女性差別撤廃条約の日本・韓国の男女雇用均等法成立への影響である。広く知られているよ
うに、国連は 1963 年第 18 回総会において「男女差別撤廃宣言」の作成を決め、それは 1966
年の総会で採択された。その核心的内容は、「男性と同等の権利を事実上否定又は制限する婦
人に対する差別は基本的に不正であり、人間の尊厳に対する犯罪を構成する」(第一条)、
「婦
人を差別的に扱う現行の法律・慣習・規則・慣行を廃止し、男女の権利の平等に対し、十分な
法的保護を確立するために、すべての適切な方策がとられなければならない」(第二条)など
である。こうした理念に基づいて成立した「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する
条約」(女性差別撤廃条約)は 1979 年第 34 回国連総会で採択された。それは女性の権利の世
界基準を示す包括的で法的拘束力のある国際文書であった。差別的慣行の廃止、女性の地位向
上に向けての国の義務、出産保護、性による分業の変革と家庭に対する男女の共同責任、国籍、
婚姻などについて詳細に定めている。
日本と韓国において、男女雇用均等法が成立した背景にはさまざまな国内的事情があり、中
でも女性運動という動きは重要な要因である。しかし、同法の成立には女性差別撤廃を指向す
るグローバルガバナンス、国際的レジームの圧力が最も重要な動因として存在し、そうした国
際的動きに歩調を合わせる必要に迫られた政府と国内のさまざまなアクターとの交互作用の中
で成立したのである。
(1)日本の男女雇用機会均等法の国際的影響
日本政府が同条約に署名したのは、
1980 年 7 月のことである。この条約を批准するためには、
条約と矛盾する可能性のある国内法制の整備が必要とされたことは当然のことである。女性差
別撤廃条約は日本政府に家族政策の修正と転換を図る大きな圧力となった。
(横山文野 , 2002:
150−151)その条約に批准するために解決しなければならない女性差別規定を外務省国連局が
─ 27 ─
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
関係 9 省庁に当たったところ、修正が必要と指摘されたのが、労働の分野での差別(労働省)
、
家庭科を女子のみ必修していること(文部省)、国籍法での差別(法務省)などの 3 点であっ
たという。
(堀江孝文 , 2005:237)日本の「男女雇用機会均等法案」
(以下「均等法」と記す)
は 1984 年国会提出され、1985 年成立、1986 年 4 月から施行されるようになった。この法律は、
女性差別撤廃条約という国際的基準をクリアするために立法されたものであり、国際的圧力が
特定国内政策の成立背景になるという 1 つの事例といえよう。
日本は 1979 年国連女性地位委員会で行われた女性差別撤廃条約の採択過程で同条約への賛
成を表明した。それは「女性に対するすべての差別を禁止する立法とその他の措置をとること」
という国際社会の要請を受け入れたという意思表明であった。その後、1980 年に同条約に署
名しているが、それは当然ながら条約批准の前提条件として受け止められる。しかし、日本政
府は予定されていた条約署名式をわずか 1 カ月残した 1980 年 6 月に、条約批准を見送ると決
定した(朝日新聞 , 1980.6.7;進藤久美子 , 2004:228 から再引用)
。
もともと条約の署名は批准を前提としていて、条約に批准するためには日本国内において女
性に対するすべての差別を禁止する適切な立法措置をとることがその先決条件であった。そこ
で条約批准のためには均等法の制定をはじめ男女差別的な国内制度や慣習を整備せざるを得な
くなったのである。従って、日本政府が条約の署名を見送るという決定をしたのは、条約に関
わる国内法の整備が困難であるという現実認識を意味するものであった。当時、自民党内部に
は「日本の現状では署名は無理」という意見が強く出ており、特にそうした法整備は「国内法
の整合性とともに検討しなければならない」
、
「すべての国内法とも十分整合性をしっかり踏ま
えて対応する、一度署名すると今後法治国家として責任を果たしていくというのが国の基本的
考え方である」
(影山裕子 , 2001:359)という反応が多くあり、そうした法律整備は、同条約
の署名までには間に合わないという意見を示していたのであった。注4
しかし、1980 年の条約署名は不可能であるという政府の立場が表明されるや、日本の女性
界はそれに反発し、政府署名を促すための積極的対応が繰り広げられるようになった。全国的
規模の女性組織が稼動され、短期間に膨大な人数の署名が政府に提出された。さらに「行動す
る会」「一緒に行動する鉄連の会」
「男女平等法をつくる会」
「アジアの女たちの会」「刑法改悪
に反対する婦人会議」などの全国的な女性運動グループは相互連帯し、政府の署名見送りに対
する抗議文を決議した。同時に婦人問題企画推進本部の大平首相をはじめ外務省、労働省、文
部省、法務省などの関連省庁に要求書を提出しながら条約署名と均等法制定を要求する圧力活
動を行った(行動する会記録会集編 , 1999:247−248)。結局、こうした女性団体の強力な要請
をはじめ各界における条約署名の要求が寄せられることによって日本政府は国連世界会議の開
始直前に、条約に署名するという決定をせざるを得なくなったのである。
日本の条約署名決定の過程から確認できる国際的要因の影響については、以下のようにまと
めることができる。第一に、日本政府には「国際社会との歩調・調和」が求められていたとい
─ 28 ─
福祉教育開発センター紀要 第 11 号(2014 年 3 月)
うことである。日本政府は国連の条約検討期間中、女性地位委員会の委員国であったため条
約案が総会の第 3 委員会に付託された後にもワーキンググループに出席して条約案審議をフォ
ローしながら積極的に参加していた。また条約の採択可否が決定された国連総会では、単なる
賛成意思表明に留まることなく、当時の三木首相が全世界に向けた特別メッセージも発信して
いた。このように条約の採択に積極的に関わってきた日本政府がその条約の署名を見送るとい
うことは「国際社会に対する裏切りであり日本の恥である」という意識が日本の政界に存在
していた。かつて条約の検討期間中に開催された 1978 年第 33 回国連総会において、条約の第
10 条(教育の権利)に関して、日本政府は日本独自の修正案を出したことがあった。しかし
その修正案の内容が国際社会の男女平等の流れに逆行する内容になっていたので注5、結果的
には日本の修正案とは全く反対の案が採択されたこともあった(赤松良子 , 2003:19−22)。従っ
て、こうした前歴もあり、日本政府にとって条約への署名は、国際社会の自国のイメージアッ
プのためにも避けられないことになっていた。こうした事情から、日本政府はコペンハーゲン
での第 2 回世界女性会議において女性差別撤廃条約の署名式が開催される 2 日前の 7 月 15 日に、
最終的に女性差別撤廃条約に署名するという閣議決定を行ったのである。条約署名は 1980 年
7 月 17 日の最後の署名式で行われることになった。
第二は、日本の条約署名過程からは国家間学習による拡散が確認できるということである。
均等法形成における拡散過程をみると、国家間学習は女性団体側にもそして政府側にもみられ
た。1978 年の夏「行動する女たちの会」は日本において男女雇用平等法制定の運動を準備す
るために、イギリスやアメリカの女性差別禁止法の内容および女性運動に関する情報、研究資
料を集める活動を行なっていた。また「行動する会」はこのような他国の状況に関する情報を
参考にしながら、日本において有効な平等法の内容を検討するようになった。例えば、差別禁
止の対象になる行為は何か、差別救済を目的とした機構はどのような形が有効なのか、平等実
現のための指針の内容、女性も男性も人間らしく働くための条件整備には何が必要なのか、な
どの問題を検討し「私たちの男女平等法案」と題する法案の骨子を作り上げた。
他国の状況を参考にするという国家間学習の過程は、政策決定レベル(政府側)にもみられ
る。1982 年均等法立法化準備事務局であった男女平等法制化準備室は本格的な法制化審議を
スタートさせるために、婦人少年問題審議会婦人労働部会において労働側、公益側、使用者側
の委員から構成された調査団を結成し、女性労働者の現状の把握と現行法制についての分析・
検討が行われた。(呉英蘭 , 2007)そして欧米先進諸国においてすでに整備されている男女雇
用平等法制の施行状況の実態を視察するなど、外国の先行政策に関する模倣と学習を行なって
いたのである。
(2)韓国の男女雇用平等法の国際的影響
韓国の男女雇用平等法(以下、平等法と記す)は 1987 年成立したが、それ自体は主に韓国
─ 29 ─
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
国内の政治的動機によるものであったといえる。韓国の場合、平等法に関わる国際的影響は、
その後の法改正過程から見られる。平等法は成立後、数回にわたって改正されたが、中でも
1995 年の第 2 次改正は、その背景に国際的要因が強く影響を与えたものとして注目に値する
ものである。当時の金泳三政府は「世界化」
(globalization)を政府の政策理念として設定し
ていたが、そこには国際的水準の男女平等の実現という目標が盛り込まれていた。
同政府にとっ
て男女平等政策の推進は国際社会との歩調を意味するものであり、優先的政策課題になってい
たが、それが平等法改正の主要背景となった。
1993 年の出帆当時から金泳三政府は「世界化」を政局運営の主要目標として設定していた
が、1994 年の第 2 次 APEC 世界首脳会談を契機に、世界化政策をより鮮明に打ち出していた。
同政府は同年 11 月 17 日、記者懇談会を通じて「世界化構想」を発表したが、そこには「世界
化推進委員会」の発足が盛り込まれていた(
『世界化白書』1998:34)。以降世界化委員会は各
分野における具体的な推進課題を提示して施行していたが、この中で、女性の役割および地位
向上部門における世界化推進方向も定められていた。その基本方向としては、女性が社会活動
に積極的に参加することができるように総合的な対策を設けること、男女差別的な社会意識を
転換させるための対策を設けることが定められていた。その具体的な実践内容は、育児負担の
社会的分担方案と母性費用の社会化、そして社会参加の機会と条件における男女平等の実現に
向けての支援の強化などであった(
『世界化白書』1998:420−23)。特に 同政府は 1994 年度
から OECD の会員国として加入することを積極的に推進していたが、そのためには 2 つの大
(2)
きな障壁を乗り越えなければならなかった。その壁とは、
(1)韓国の福祉水準の低さ注6、
女性労働と差別禁止に関わる法的保障レベルの低さ、であり、それは OECD 加入における大
きな障壁になっていた。(呉英蘭 , 2007)このような社会状況の改善が実現できない場合、た
とえ OECD への加入が実現しても、その会員国としての評価を受けることが難しいと考えら
れていた。その思惑から、同政府が女性差別的社会制度や慣行の改善に努めるようになったの
である。金泳三政府は 1995 年 6 月に開催された「北京世界女性会議」への参加をきっかけに
して国内においてもそうした国際的動向に歩調を合わせ、女性の雇用機会の平等を一層高めて
いかなければならないという事実を認識した(朝鮮日報 , 1995.9.29)とされる。
政策拡散の観点から韓国男女雇用平等法の改正をみる時、注目に値することは、一方では、
平等法の改正とそれに伴う政府政策には国際社会からの圧力が明らかに働いていたこと、もう
一方では日本の対処方法に対する自律的学習と導入がみられたということである。
まず、日韓の政策拡散はグローバルアジェンダの拡散という観点から説明することができ、
しかも、政府レベルと民間レベルに分けてみることができる。まず、政府レベルでの政策拡散
についてである。日本においては、国連世界行動計画に対応し、2 回にわたって国内行動計画
と重点目標を樹立し、婦人問題推進本部を設置した。そして法律改正時には、新しい国内行動
計画を策定し、国際社会の男女平等状況に相応しいグローバルアジェンダの国内実行を推し進
─ 30 ─
福祉教育開発センター紀要 第 11 号(2014 年 3 月)
めていた。韓国の場合も同しく、平等法制定当時、女性政策のナショナルマシーナリーとして
女性政策審議会と女性専門研究機関を設立し、国際社会の男女平等政策と歩調を合わせようと
した。
民間レベル、すなわち女性団体レベルでは、女性団体による欧米における性差別禁止法の
模倣と学習が均等法の法案提示に大きな影響を与えた。そして日韓両国において大きな議題に
なったセクシュアルハラスメントアジェンダは、1980 年代後半民間の女性団体の働きかけに
よって導入され、均等法改正に盛り込まれるようになった。
一方、韓国の政策拡散過程においては、日本の対処方式に対する学習も同時にみられた。例
えば、1990 年代初期から金融界を中心に導入され、2 次平等法改正時には間接差別議論を引き
起こした「新人事制度」というものは、日本の「コース別雇用管理制」のアイディアから強い
影響を受けたものである。女性労働を取り巻く劣悪な処遇条件問題を呼び起こした新人事制度
に関連して、韓国の女性団体は直接日本を訪れ、日本の雇用管理制の現状と事例を積極的に学
習しながらその対応策を模索したのである。これは自律的学習による政策拡散の具体的事例で
あると考えられる。
結び
社会政策プログラムの導入を説明するためには、当該国の国内的要因についてはいうまでも
なく、国際的要因を考慮しなければならないということは、すでに 1960 年代から研究者によっ
て指摘され、その事例も提示されてきた。にもかかわらず、社会政策発展の説明は国内的要因
中心の論議がその主流をなしてきた。その後、国際的レジームの強化によって、国際的要因
を重視する研究がなされてきたが、その焦点が国際機構による垂直的圧力に向けられる傾向が
あった。しかし、個別国家は国際機構などによる圧力を受けながらも、自主的に他国の経験を
学習し、自国に適した政策プログラム案をまとめ上げるので、国家間学習、つまり水平的交流・
ネットワークという側面も決して見落としてはならないのである。
特定政策分野において国際的圧力に直面した国家の場合も、そのような圧力を政策導入の動
因としながらも、より合理的な政策プログラムを策定するために、すでに同類の政策を導入し
ている国家がどのように対応してきたのかを自主的に学習・模倣する過程を経るということは、
日本と韓国の男女雇用均等法の成立過程の事例が明確に示しているのである。
注
1 日本の法律の正式名は「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」
(1982.7.1)であり、
通称「男女雇用機会均等法」と呼ばれる。韓国の法律は「男女雇用平等と仕事・
家庭両立支援に関する法律」(2007.12.21:1987.12.4 当時「男女雇用平等法」)であり、通称「男女
雇用平等法」と呼ばれる。本研究においては、この 2 つの法律を指す場合は「日韓男女雇用均等法」
─ 31 ─
社会政策プログラム導入の国際的要因とその事例
と記し、日本の法律は「日本均等法」、韓国の法律は「韓国平等法」と記す。
2 ここでは「diffusion」を拡散と訳したが、その意味については注意が必要である。すでに収斂
(convergence)の反対語である「divergence」が「拡散」と訳され場合もあるからである。政策
拡散と類似な意味の言葉としては政策模倣があるが、一般に、政策模倣は個別的政策プログラム
に関わる言葉で、拡散は政策模倣の総体を意味する傾向があるという。
3 ただ、この協定の批准には、特定条項の留保が認められている。例えば、日本の場合、「児童が父
母と一緒に暮らす権利」を規定した第 9 条が、日本に不法滞在している者の子どもの場合、出入
国管理法の強制退去措置によって、父母から分離されることがありうるという理由で、同条項を
留保している。また、中国の場合、「すべての子どもの生きる権利」を規定した同条約 6 条が、計
画生育政策(一人っ子政策)と合致しないという理由でこの条項を留保したまま締約している。
4 当時の総理府の婦人問題担当室長であった柴田知子は、「日にちは正確には覚えていませんが、外
務省の担当審議官が総理府の審議室長のところへ、署名できないと正式に言いにこられたことが
あります」と述べていた。また、当時の朝日新聞には「女性差別撤廃条約署名見送り、法改正メ
ド立たず」というスクープ記事が掲載された(進藤久美子 , 2004:227)。
5 日本の修正案は、カリキュラムにおいて、
「男女同等」を意味する言葉として「同等(equivalent)」
という言葉を使っていた。教育課程に男女間の違いがあっても容認できるという考え方である。
しかし、当時実際に採択された修正案はイギリスの案であり、それには「同一(same)
」という
言葉になっていた。
6 OECD に加入した時、韓国の福祉水準は世界経済フォーラム(WEF)の『1995 年度国家競争力
報告書』によると、生活の質のレベルが世界 32 位であり、GNP 対比社会福祉財政支出は 1997 年
の場合 1.0%、一般財政会計の 10%という低い水準あった。また、社会保障に対する財政支出は
10.7%で、OECD 会員国 29 カ国のうち 27 位になっていた(崔均 , 1998:568−569)
。
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朝鮮日報 1995.9.25
(お よんらん 韓国・東明大学社会福祉学科)
(ぱく くゎんじゅん 佛教大学社会福祉学部)
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