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東京教区東日本大震災支援対策本部東日本大震災支援対策本部
いっしょに歩こう!パートⅡ
日本聖公会東京教区
東日本大震災支援対策室ニュース
NO.25
2014年 11 月23日発行
第 3 回被災地を訪ねる旅
10 月の初め、台風の進路も気になりましたし、前日夜の仙台は雨というご連絡がありましたので、
天候を心配いたしましたが、初日は暑いほどのお天気の中、被災地を訪ねる旅をスタートしました。
被災地を訪ねる旅 行程
10
月
3
日
10:40 「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」郡山ベースを訪問
昼食後 福島県南相馬へ向けて車で出発!
15:45 「カリタス原町ベース」を訪問。スタッフの方の案内で浪江町、大熊町など
宿泊
「鹿狼の湯」にて食事を終え、温泉に入ったあとは、分ち合いの時間。
9:30「だいじに・東北」の「センターしんち」を訪問。
10
月
4
日
昼食後 広畑仮設住宅からふじ幼稚園旧園舎での祈り。
午後
名取市「閖上(ゆりあげ)の記憶」館を訪問。スタッフの方と閖上地区を廻り、
震災当時のこと、復興の状況についてお話を伺った。
夕方
若林区荒浜を通って仙台基督教会/主教座聖堂へ。
17:00 夕の礼拝(司式:長谷川清純司祭)を仙台基督教会の信徒の方々と共に。
10
月
5
日
8:33 仙台から福島までは高速バスを利用。
10:30 福島聖ステパノ教会 聖餐式。その後、信徒の方々と愛餐会。
14:50 東京へ向けて帰途に。
被災地を訪ねて(郡山・福島・仙台)…これからのことを思う
田代玉恵(東京聖三一教会)
東日本大震災のあの日の事は今でも忘れることができません。榛名(群馬)の施設での働きもそ
の日で退職という日でした。ヘルメットが棚から落ち、廊下には花びんや置物が粉々に散乱し、あ
る部屋ではベッド脇の仏壇が倒れ落ちてふるえる手で片付けをした事が思い出されます。あれから
3 年 6 か月の月日が流れ、東北被災地ではどのような状況になっているのか、この目で確かめたい
という思いから今回の“旅”に参加しました。
時間の経過と共に、被災された方の中には、生活も個々に変わり、当時の頃とはまた違った先の
見えない心の苦しみから解放されずに日々を過ごされている方、また仮設の高齢者の方の中には一
日外にも出ず、ひっそりと家の中で過ごされている方もいらっしゃるとか…。被災地の方と共有で
1
きる時間を見つけ出し、寄り添うことの難しさを知りまし
た。福島の場合は、地震・津波・火災に加えて放射能汚染
という目に見えない災害を受け、言葉では言いつくせない
深い心の痛みを抱きかかえているという事実をどう受け止
めたらよいのか考えさせられました。
人の姿の見えない村の異常な光景の中を我々の車だけが
「希望の牧場・ふくしま」浪江農場
そのスポットに吸い込まれそうに感じながら、窓の外に目
を向けると「除染作業中」の旗があちこちに立ち、山積み
された黒いビニール袋の山が数えきれないほど並んでいま
した。また、見捨てられた牛が濃度の高い牧場で放牧され
ている光景もショックでした。牛舎につながれたまま餓死
するより、少しでも生きのびて欲しいと願う農家の人々の
思いは、無意味に死なせるのではなく活かせる道を考えて
「命」を守るために闘い続けたいとおっしゃっているそう
です。せめて生活圏の放射能を一掃できるすぐれた物を誰
か知恵を出して創れないものかつくづく思いました。
ふじ幼稚園 旧園舎
津波の被害もまた語り尽くせないほど痛ましく、磯山聖
ヨハネ教会では小高い丘に登って難をのがれ、目の前に迫
った惨事の状況を話して下さいました。現在教会は取り壊
されていましたが、その跡地で未来の再建に向けて良い話
し合いができるようにと共に祈りを捧げました。幼稚園バ
スに乗ったまま流され、最後は冬の寒い中、低体温で命を
亡くした幼い園児たち、今はお地蔵様としてたくさんのコ
スモスの花に囲まれ、子ども達をいたわるように咲いてい
て涙を誘いました。
身体の不自由なお年寄りを助けるために家に戻ったまま
子どもたちのコスモスと風車
共に流されたお孫さんの話、卒業式が命日になってしまっ
た中学生…。いずれも悲しい事実です。
「復興」にはまだま
だほど遠く、被災を受けた立場から語り部として事実を後
世に残し、歴史の一頁を加える作業を使命として果たして
いきたいと熱く語られたガイドの方の言葉が印象的でした。
今回の内容の濃いプログラムも福島聖ステパノ教会での
締めくくりとなり、それまで肩にズッシリと重くのしかか
ったものが礼拝の進む中、その重さがこれからの信仰の糧
として素直に受け止めることができたのは神様のお恵みと
福島聖ステパノ教会
感謝しております。東北教区宣教発祥の聖ステパノ教会で
八木正言司祭の牧師就任式の立会いにも接し、加藤主教様ご夫妻をお迎えしての愛餐会も忘れるこ
とができない思い出となりました。
東北への思いはこれからも続けていきたいと思っています。
2
線量計を常に持ち歩き、私達に危険度を教えて下さった松村さん、長い時間の道のりを走行して
下さり運転して下さったご自身も被災された渡部さん、引率者としてお骨折り下さった支援室の黒
澤さんに心から感謝、御礼申し上げます。
主に在りて
記憶に留める、記憶を伝える
岸まち子(東京聖テモテ教会)
10 月 3 日、郡山駅。被災地の今の現状をしっかりこの目
に焼き付けたいという強い気持ちで車に乗り込みました。
「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」郡山ベー
スでは、原発事故による放射能汚染が及ぼしている影響に
ついて越山健蔵司祭からお話をうかがいました。大人はも
ちろん、子どもたちの生活の変化、親としての思い、安心・
安全に対する思いを共有できないことの辛さ、除染につい
て等。問題が多岐にわたり複雑なため、うかがっている方
越山健蔵司祭
も辛い気持ちになりましたが、県外でのキャンプで生き生
きとした表情で遊ぶ子どもたちの写真に心がなごみました。
南相馬市では「カリタス原町ベース」を訪問し、帰宅困難
区域の浪江町、大熊町まで足を延ばしました。車中の線量
計の数値は刻々と上昇。立ち入り禁止区域の手前から引き
返す頃には、あたりは暗くなっていましたが、民家の明か
りは全く見えません。行く先々で、汚染土の入ったフレコ
ンと呼ばれる大量の黒い袋を目にしました。宿では、夕食
後夕の礼拝をお捧げし、一日を振り返ってそれぞれの想い
を分かち合えたことはとてもよかったと思いました。
2 日目は「だいじに・東北」のセンターしんちへ。支援
活動の資料をいただき、新地町の津波の様子を映した映像
を見せていただき出発。13 名の園児と先生 1 名が犠牲にな
磯山聖ヨハネ教会
へ上る坂道
「閖上の記憶」館のスタッフの方のお話
ったふじ幼稚園跡には、花壇にかわいらしいひまわりが咲
き、コスモスの花の奥には小さなお地蔵さんが置かれてい
ました。磯山聖ヨハネ教会は、1936 年に建てられてから昨
年解体されるまで、この地に根付いてきました。今は他所
に仮設礼拝所がありますが、いずれは、この同じ場所に礼
拝堂を建てたいという信徒の方々の熱い想いが伝わってき
ました。次の訪問地は名取市閖上。
「閖上の記憶」館のガイ
ドは被災された地元の方で、
「辛い記憶や感情であっても、それを伝えていくことが、未来のいの
ちを守ることにつながる」と、力強く語ってくださいました。仙台の荒浜地区も、荒浜小学校の校
舎以外は住宅の基礎が残っているだけでした。夕刻、仙台基督教会/主教座聖堂を訪問。長谷川清
純司祭と夕の礼拝をお捧げしました。
3
最終日は、福島聖ステパノ教会へ。この日は八木正言司
あの日の時間のままの閖上中学校
祭の牧師任命式が行われ、礼拝後の愛餐会での温かなおも
てなしに、それまで緊張気味だった気持ちと体がほぐれて
いくのを感じました。大変な状況下にありながら、信徒の
皆様がしっかり前を向いていらっしゃることに心を打たれ
ました。形のない想いを心にしっかり刻んで、帰京。同行
してお世話くださった支援対策室の黒澤さん、
「だいじに・
東北」の松村さん、渡部さん、参加者として気持ちを分か
ち合ってくださった本多さん、田代さん、五十嵐さん、現地でお世話になった方々に心からお礼を
申し上げます。ありがとうございました。
「被災地を訪ねる旅」に参加して
クララ五十嵐爽子(聖愛教会)
福島は地震、津波に加えて原発の被害が重なり、とても複雑な問題が絡み合っているようで、ど
のように考え理解したら良いのか自分の中で整理が出来ず、今まで正面から目を向けることを避け
ていた感があった。昨年、正義と平和委員会の主催する講演会を聴き、原発は原子力の「平和利用」
と声高に言われて来たが、今度の様な事故が一旦起これば人間では制御できない物であり、更には
原発に使われている核燃料は実は核兵器をも作ることができる物であるという事を知った。それ故
に世界に「死の商人」達が暗躍し、多くの国々の為政者達が原発を「平和利用のため」と言って、
止めたがらないということも見えてきた。
最近の日本政府の取る行動にも危機感を感じている。
やはり今、キリスト者としてとるべき立場を真剣に考えなくてはならない、との思いに至り、今
回の「被災地を訪ねる旅」に参加した。
初日に山あいの村で目にした「除染作業」の様子と石垣の様に積み上げられた黒い大きな袋、線
量計を携えての居住規制区域内の走行、そしてその区域の中にある「希望の牧場」
(350 頭の牛が放
牧されている)の存在は衝撃的な光景であった。昨年私は、福島の現状を訴える映画で見た「飼い
主がやむなく牛を放置して避難した後に、牛舎で餓死していった牛の凄惨な光景」が瞼に焼き付い
ている。「希望の牧場」の一角に抗議の看板と共に牛の頭蓋骨が並べてあった。あの映画は本当に
現実なのだと実感した。
翌日聖公会の新地ベースを訪ね、仮設住宅で生活しておられる信徒の方達の案内で、磯山聖ヨハ
ネ教会の跡地へ向かった。
「あのあたりに私の家があり、津波に追われて必死であっちの高台まで
走って逃げた」など生々しい体験談を伺い、皆で津波の犠
牲になった方々を思いお祈りをした。磯山聖ヨハネ教会に
は、震災当時 17 名が避難していたが、その後危険な建物と
して取り壊されたのだった。この二人の信徒の方達の教会
再建への熱い思いが伝わって来た。午後からは宮城県南部
の名取市閖上地区を訪ねた。ここは昔から「牡鹿半島より
北側は津波が来るが、なだらかな海岸線のこの地域は大丈
夫」と思われていた事が、今回の津波で多くの犠牲者が出
だいじに・東北 センターしんち
4
たことに繋がったのではないかと言われている。実は歴史に
高台から新地の海を臨む
は過去の大津波の記録が残されていたにもかかわらずその
経験が生かされていなかったのだ。
10 月 5 日の主日には福島聖ステパノ教会で聖餐式に与る
ことが出来た。ここで私は思いがけなく、20 年近く前まで
通っていた水戸聖ステパノ教会でご一緒だった方と再会で
き、とても嬉しかった。
私達が今為すべき支援とは、被災された方々の抱える様々
な困難を思い、理解する努力をする事。見守りつつ心を寄せて祈ること。震災直後とは必要な支援
は変わってきていることを認識しなければならない。この意味において私はこれから、原発につい
て学び、情報に耳を傾け、そして被災された方々に心を寄せて祈ることをしていきたい。この訪問
で見聞きしたこと、感じたことを周りの人々に伝えて行きたい。
放射能汚染
本多峰子(東京聖三一教会)
十月三日「第三回被災地を訪ねる旅」の初日、黒澤圭子さんをリーダーに東京からの一行五名は
「だいじに・東北」支援室事務長松村豊さんと共に働いて下さっている渡部正裕さんに郡山駅で迎
えられ、郡山聖ペテロ聖パウロ教会に向かった。教会では越山健蔵司祭ご夫妻に放射能汚染の状況
について、線量計で敷地内を計りつつ様々なお話を伺い、昼食後いよいよ南相馬、原町へ出発した。
秋の東北の農村は美しい。出発して暫くは刈入れ間際の黄金
黙々と行われる除染作業
色の稲田、コスモスや秋の花々の咲き盛る明るい農村の佇まい
に見惚れていたが、進む程にこの美しい風景の何処にも人がい
ない、牛や馬、生き物の気配すらしない事に気づいた。何とも
言い様のない不気味な静けさ。やがて車内で松村さんが計り続
けていられる放射線量が上るにつれ、稲田は雑草地になり、そ
こには黒いビニールの大きな除染廃棄土の黒袋が石垣の様に
積まれている光景がどこまでも続き出した。私達は立入り禁止、
居住制限地区に間違って入り込んでしまっていたのだ。この光
景を視よとの天の声に道に迷ったのではないかと今も思う。
旅から帰ってもあの青空の下の美しい風景と恐ろしい静寂が
忘れられない。何代も住み続けた父祖の地。長く厳しかった時
代もその土地と共に生き抜き、今は豊かに平和に暮らしていた
人々。その命である土地を何の罪科もないのに突然追い出され
た戸惑いと悲しみ、悔しさは如何許りであろうか。都会に住む
私達には計り知れない。
今回、この度に参加させていただき心から感謝いたして居ります。実際に現地を訪れ、自分の目
で見、感じ、人に出会う事がどんなに大切か心にしみました。松村さん、渡部さんその他沢山の方々
にお世話になりました。有難うございました。これからこの三日間の経験を周囲の方々に沢山語り
伝えたいと思っています。
5
東日本大震災支援対策室報告
支援対策室は、今年も定例ミーティングを中心としながら、
「だいじに・東北」仙台オフィスとも連絡
を取るとともに仙台で活動する松村豊氏の報告を随時受けながら、活動を進めてきました。
Ⅰ.3月 11 日(火)
・聖アンデレ主教座聖堂において、東日本大震災を憶え、
「わたしたちは忘れない 3.11」の礼拝
が、司式・香山洋人司祭、お話し・後藤務氏で行なわれた。この日は平日にもかかわらず、90
名弱の多くの方々が出席してくださった。
・仙台基督教会で行われた記念聖餐式に、代表として、黒澤圭子氏が出席。
Ⅱ.4 月より、従来、教役者会主催で行われていた毎月第三日曜日の「東日本大震災を憶えて」の礼拝
は主教座聖堂と支援対策室の共同主催となった。これに伴い、奇数月の礼拝につきまして、各教会
グループの主体で行って頂くことのご協力をお願いし、それぞれご了解をいただき、以下のように
行った。
4 月 聖アンデレ主教座聖堂
お話し:下条章司祭
5 月 城南グループ(聖アンデレ教会)
お話し:松村信子氏
6 月 聖アンデレ主教座聖堂
お話し:吉松英美氏
7 月 外濠グループ(東京聖テモテ教会)
お話し:松田正人氏
8 月 聖アンデレ主教座聖堂
お話し:八幡眞也氏
9 月 下町グループ(神田キリスト教会)
お話し:小川
10 月 聖アンデレ主教座聖堂
お話し:八木正言司祭
氏、佐々木國夫氏
11 月 環状グループ(阿佐ヶ谷聖ペテロ教会) お話し:犬山みき子氏
Ⅲ.5 月 17(土)活動報告会を行い、40 名強の方々がご参加くださり、当日は、
「だいじに東北」
・長谷
川司祭、
「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」
・池住圭氏にお話をして頂いた。
Ⅳ.9 月 13 日(土)会計担当者懇談会において、報告の場をいただき以下の報告をいたしました。
・
「だいじに・東北」は、2013 年 6 月~2014 年 6 月までで、18,400 千円の活動費等がかかっている。
・
「原発と放射能に関する特別問題プロジェクト」では、2014 年 1 月~2014 年 7 月までで、8,700
千円の活動費等がかかっていること。
・8 月末現在で、今年度の皆様からの献金が、8,755 千円(10 月末現在 9,040)、前年よりの持ち越
しも含めた金額が、12,489 千円(10 月末現在 12,662 千円)となっている。なお、この中から「だ
いじに・東北」仙台オフィスへの職員派遣費用を負担している。
Ⅴ.2013 年 11 月より「被災地を訪ねる旅」を行い、本年も 6 月 20 日~22 日、10 月 3 日~5 日に実施。
Ⅵ.その他、月島聖公会「キッズ・デイ」の支援、8 月には大震災を憶える祈りのカードの配布を行っ
た。また、わかめの収穫季節の 3 月下旬から約 1 ヵ月間 4 つのグループが「わかめ商品化ボランテ
ィア」として石巻十三浜へ赴いた。多くの教会の方々のご協力に心より感謝いたします。
まだまだ被災地の厳しい状況は続いております。今後とも皆様のお祈りとご支援を是非お願い致します。
以上
東日本大震災支援対策室
〒105-0011 港区芝公園 3-6-18 東京教区事務所内
FAX:03-3433-8678(教区事務所気付)
E-mail:[email protected]
ご連絡はファクシミリまたはメールにてお願いいたします。
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