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アジア・モンスーン地域の持続的農業と水環境・水文化の創造
【基調講演】 『アジア・モンスーン地域の持続的農業と水環境・水文化の創造』 -重要さ増す水のネットワークシステム- 東京大学大学院農学生命科学研究科 客員准教授 山岡和純 氏 アジア・モンスーン地域(湿潤アジア)は、世界の陸地のわずか14%の面積しかあり ませんが、潤沢な降雨に恵まれ、世界人口の54%におよぶ人々が生活しています。世界 のコメの9割を生産するこの地域を一言で呼ぶと、水の恵みを巧みに利用した稲作社会と 言い表すことができます。 しかし、恵みの雨は雨季に集中して降ります。このため、雨季には洪水の脅威がつきまと い、乾季には大地が極端に乾燥します。気候が温暖なため、蒸発散量が大きく、河川こう 配の急峻な流域が多いため、降雨の流出が速いという特徴があります。人口が増えてくる と水の需要が増大し、雨季にもしばしば渇水が起こります。年間降雨量だけを見れば豊か に見えますが、アジア・モンスーン地域の水の利用に関する自然条件は、むしろ厳しく過 酷な側面が大きいと言えます。水田は、このような条件下で、時間的・空間的に偏って降 る雨を地表にためておく装置です。各所に広がる水田は、流域全体の水資源利用の効率性 を高める働きをします。水田での水収支を考えると、降雨と灌漑が入ってくる水で、蒸発 散と地表流出、地下浸透が出ていく水です。これらのうち、大気中へ蒸発散して消費され た残りの水は、地表流出水や地下浸透水となり、河川に環流し、あるいは地下水を涵養し て、下流の農業用水や都市用水の水源となります。渇水時にも河川に環流することで、河 川の流況を安定させ、河川環境の向上に貢献します。また、水田の田面水、ため池と用排 水路のネットワークは、河川外の水環境を増強し、生物多様性を豊かに保ちます。 アジア・モンスーン地域の各地や日本の各地に見られる棚田は、生物多様性の保全に加え て、私たちの心に訴える美しい景観を提供し、地滑りの防止にも一役買っています。この ような水田と対照的な乾燥地域の灌漑農地は、河川の環境にダメージを与え、地下水資源 を枯渇させる一方で、農地に入れる水はすべて蒸発散によって消費されてしまうので、河 川外の水資源も損なってしまいます。大事なことは、今お話ししてきたアジア・モンスー ン地域の水田農業の流域での働きや、これらがはぐくむ水環境は、水田一筆の成果ではな く、何千何万筆もの水田が形成する水のネットワークのシステムによって生み出されてい るということです。多面的機能と呼ばれる市場で値段が付かないこれらの価値は、傑出し たリーダーの下、結集した地域の先人たちの血と汗の結晶によって支えられているのです。 この水田が持っている水のシステムは、畑のそれとはまったく異なっている点があります。 それは、畑の水は土の中に染み込んでしまうので、後で誰かに分けてあげることはできま せんが、水田の田面水はほかの人の水田に融通することができます。畑の水、正確には土 壌水分は土地と一体化しているので、土地が私有財であれば土壌水分も私有財です。しか し、水田の田面水は、私有財と共有財の両面の性格を持っています。ですから、水田に入 れる直前の末端用水路の水、その上流の支線水路の水、幹線水路の水などを共有財として 認識することが容易なのです。共有財として認識される資源の管理は、共有者の間でルー ルを決めて、相互の信頼関係を共通の基盤として実行されねばなりません。もし仮に、自 分一人ぐらいはわがままをしてもいいだろうと多くのメンバーが考えたとしたらどうでし ょう。ほかのメンバーの努力や負担にただ乗りする人、フリーライダーが続出して、共有 財の管理は破たんします。いわゆる、コモンズの悲劇というドラマの幕が開いてしまいま す。ですから、お互いの信頼関係と規範のネットワークであるソーシャル・キャピタル(社 会関係資本)を地域に蓄積して、水の管理者と利用者が一体となって協働協治する水利ガ バナンスを発展させることが極めて重要です。農村社会に定着しているさまざまな水文化 は、共有財である水を間違いなく管理していくために、共同体社会が自らの接着剤となる ようにはぐくんできた生活の知恵ではないかと考えられます。日本では 1947 年から 50 年 にかけて抜本的な農地改革が実施され、それと併行して土地改良法が制定されて、各地域 で国庫補助事業を実施するための体系が整備されました。この土地改良法は、15 人以上 による申請、関係者 3 分の 2 以上の同意取得、土地改良区の設立などを求めており、完成 した土地改良施設が十分な水利ガバナンスによって管理されることが可能となるように、 地域のソーシャル・キャピタルの蓄積度を確認しながら事業実施手続きを進める仕組みを 採用しています。土地改良区(水土里ネット)が、水環境と水文化の創造にイニシアチブを 発揮することは、極めて自然かつ合理的なことであり、制度的にも整合がとれていると考 えられます。アジア・モンスーン地域に視点を広げれば、コメは所得水準が上がると消費 量が減る劣等財であるため、将来的に小麦やトウモロコシほどの消費の伸びはないものと 考えられます。そうしたなか、食味の優れた食用米、超多収の飼料米、炭水化物含量の多 いバイオエタノール原料米生産への三極化が進むものと見られます。自然共生型の持続可 能な農業と、商業的大規模農業とを区別して考え、地域ごとに両者のバランスをとりなが ら、三極のどれとどれを選択するのか考え、地域社会を維持するシステムとして水環境と 水文化を担う水土里ネットのような主体を育てていく必要があると結論づけたいと思いま す。 【文:大分合同新聞社広告局】