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PDF(5.6MB) - 中国新聞福山深津北販売所
はじめに 私たち﹁ふれあい通信﹂ ︵中国新聞福山深津北販売所発行︶では、取材などで蔵王を訪れる際、町内のい たるところで番号を振られたお地蔵さんに出会うことに気付き地元の方々に聞いたところ、江戸時代に築 かれたミニ八十八ヵ所があるとわかりました。 蔵王周辺は高度成長期以降急速に発展し、区画整理や宅地化が進んだ現在、郊外都市として目をみはる ものがあります。その一方で古い石仏が残存しているという事実に、ロマンを感じました。 資料を捜したところ、数年前に蔵王学区のふれあい事業推進委員会の方たちが作られた﹁蔵王︵市村︶史 跡めぐり﹂で触れてあり、簡単な位置を表した地図がありました。 ﹁ふれあい通信﹂は地域の人たちに地域の事を知ってもらい、より一層地域を愛していただこうという趣 旨のもと発行しております。 蔵王八十八ヵ所のひとつひとつの札所にまつわるお話などを取り上げ、蔵王町の資料のひとつとして、ま た子どもたちに故郷を再認識してもらう手助けになればと思い﹁ふれあい通信﹂にシリーズとして掲載さ せていただきました。多くの方にご協力いただきながら進めてまいりました結果、掲載後の反響も大きく、 記事を切り抜き保存をしている方もいらっしゃるようです。 そこで今回一冊の冊子としてまとめさせていただきました。お手元に置いていただければ幸甚です。 今回の取材にご協力いただきました蔵王町内の方々に、改めて御礼を申し上げます。 ﹁ふれあい通信﹂発行責任者 中国新聞福山深津北販売所 代表取締役 吾川 茂喜 1 もくじ 一番∼五番札所 経塚山慶満寺参道・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・3 六番∼十番札所 九番札所から長池を眺める・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・4 十一番∼十五番札所 宮ノ前蔵王八幡神社・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・5 十六番∼二十番札所 山を分け入る十八番・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・6 二十一番∼二十五番札所 二十三番から沼隈半島を望む・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・7 二十六番∼三十番札所 土屋家山林を歩く・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・8 三十一番∼三十五番札所 堀山から住宅街の中へ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・9 三十六番∼四十番札所 六区高崎常夜燈そば・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 四十一番∼四十五番札所 一八二号線を西に渡る・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 四十六番∼五十番札所 目の病に効くお薬師さん・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 五十一番∼五十五番札所 行き帰りお大師さんに手を合わせ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 五十六番∼六十番札所 優しい心で菊の花が満開・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 六十一番∼六十五番札所 安産子安のお大師さん・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 六十六番∼七十番札所 二つ三つと集められた仏様・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 七十一番∼七十五番札所 しょったれ道をのんびりと・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 七十六番∼八十番札所 春はウグイス、梅の花・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 八十一番∼八十五番札所 竹林に石仏穏やかな時間の流れ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 八十六番∼八十八番札所 平成十八年三月吉日同行二人・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 2 12 11 14 16 15 17 19 18 20 22 21 R182 す副住職 。ご自 身も 小さ い 頃、札 番 順に お地 蔵さんを 探して歩いたそうだ。 参道入口の 案内あり 蔵王町 四丁目 この辺りに ①∼⑤ ★ 3 弘法大師が四十二歳の時、開いたとされる四国八十八ヶ所の霊場。蔵王には一七九七年︵寛政九年︶設置 と記録に残る﹁市村八十八ヶ所﹂が現存している。当時、度重なる疫病の発生に困った人々が、病気平癒を お大師さんに祈願して、日々巡拝ができるよう村内に石仏を置いた。 先祖の残した史跡を自らの足で確かめるべく、順打ち︵一番から番号順に巡ること︶で紹介していこう。 慶満寺 山陽自動車道福山東イ 参道を上がっていくと左側にあります。すぐわかる ﹁瀬戸大橋の 完成以来四国が ずいぶん身近になり、霊場巡り がブームにもなっているが、地 元の 八 十 八ヶ 所 を 守っ て き た 人々 の信 仰 はす ばらしい ﹂と話 蔵王ゴルフ センター ﹁お参りに来 られた人が誰彼 なく、掃除をしたり花を供えて くださる﹂と慶満寺副住職の松 井 一 昭さ ん。境 内に 梅の 花が 咲 く頃 は、参道 を 上っ て来 る人 も 多く 、お地 蔵さ んの 前掛 けや 帽 子も﹁お 茶の お 接待 のお 礼 に﹂ と来訪者 が わ ざ わざ 作っ て持 っ て来 て く れ た と のこと。 長池 至東城 ンターチェンジ西側、蔵 王町六丁目の小高い丘を 経塚山 という 。その昔 、 はるばる四国から年寄り を捨てに来ていたので姥 捨山 う ( ばすてやま︶と呼ばれ ていたが、後世、供養のための お経を埋めた経塚が作られたこ とから、その名がついた。 現在は福山で最も古い共同墓 地が広がり、山頂には浄土真宗 慶満寺が建つ。 その参道に札番一から五の石 仏が並んでいる。 一番∼五番札所 慶満寺 ⑩ ⑧ 4 どの札 所にも具 足 が置かれ、瑞々しいサ サキが供 え ら れ て い る様子か ら、近隣の 人々の今 も変わ ら ぬ 信心がうかがえる。 ⑥ 刺されるかもしれないのでご用 心。︵七月の取材でございました︶ 六番札所 R182 市民病院へ コンクリートブロックのお 家に入ってる七番の仏様 八番札所のたたずまい は、とてもノスタルジッ クな雰囲気です ⑦ 長池 ⑨ 蔵王ゴルフ センター 山の様相も、昔とはずいぶん 変わったのだろう。六番と十番 の仏様はコンクリート擁壁の窪 みの中に納められている。 気を 付け て見 な い と わ か ら ない、道路側から見た九番 一番から五番札所のあ る慶満寺の参道とは反対 側の山腹、慶満寺東参道 と表示された石段のふも ように鎮座している。 今の時期は 、道中蚊に と付近に六番札所があ る。そこから経塚山を反 時計まわりにぐるりと囲むよう に十番札所までが点在する。 長 池 の 方に 歩 い て行 け ば七 番、 八 番 札 所は す ぐ に 見つ か る。 難所は九番。再び慶満寺参道 を上がろう。一番から五番札所 を過ぎた辺 りに、左へ 入る小道がある。右手 に墓地を見 ながら、途 中で山道になってもあ きらめないで下ってい くと、長池を見下 ろす 六番∼十番札所 十番 さて、十番札所を後に して東へと向かう。市民 側に十四番札所。道を戻って鳥 そのまま神社 の境内を抜け、 たササキと、きれいな花 鳥居をくぐって少し降りると右 が供えてあり、ここでも 十五番 ているから見落とさない で。 どの札所にも青々とし 病院へ上が る道路を横 居の手前を右に伸びる道を歩い また人々の愛情が感じら れた。 切って山陽自動車道の下 5 ていくと左側に十五番札所があ る。道路から少し山の中に入っ 十四番 をくぐるトンネルを抜け ると、斜面を上がる階段 ⑭ に気付く。登っていく 蔵王 八幡神社 と、蔵王八幡神社の裏参 道に出る。左へ少し歩くと右側 に八幡神社の駐車場が広がる。 こ こ に十 一 番 か ら十 三 番の 石 ⑮ 駐車場 仏が並んでいる。 八十八ヶ所巡りが一度に三ヵ 所分済んでしまう、ということ ⑪⑫⑬ 階段 は無いだろうから、高速道路が 造成された際に、現在の場所に 移動されたのではないかと思わ れる。静かで、少し日陰になっ ていて﹁仏様にはなかなか居心 地がよろしいのではないか﹂と 感じ、ほっと胸を撫で下ろす。 十一番∼十三番 十一番∼十五番札所 す﹂笑顔で話す藤井夫人。﹁近 くの 札所 は み ん な う ち の仏 様と思って、お供えは欠かさ ない﹂とのこと。 そういえば十六番札所に供え られた真っ赤な花が、濃い緑の 十 五 番 札 所か ら 四 十 さ っ た 山 重さ ん 。出掛 け の 際 風景の中で一際印象的だった。 メートルばかり歩くと山 だったにもかかわらず﹁初めて 側に十六番札所。うっそ の人にはちょっと 分からないだ うと茂る木々に覆われた ろう﹂と、神社の向こう、もう 道をそのまま進んで行く ほとんど山ん中と言っても過言 と、下から上って来た道 で は な い 十 八 番 札 所の 在 り か と合流 する地 点がある。 を、丁寧に教えてくださった。 そ の 道 と 道 に 挟 ま れ た やっと会えた十八番の仏様に ちょっとした空き地に二十番札 手を合わせ、山際をズンズン歩 き十七番札所に辿り着いた。 地図を見るとわかるように、 十七番札所は藤井芳夫さん宅に 隣接して在る。順打ちで巡るた めには藤井さんちの庭を通り抜 十六番 けるより他に道は無い。 ﹁かまいませんよ、遠慮な くお 参り し て あ げ て く だ さ い。みなさん通って行かれま 所がある。 ・・・ しまった!間の仏 様たちを見逃したか!と引き返 してみるが、姿が無い。 首をひねりながら二十番札所 から下り道を降りて行くと、松 葉佐権現神社の入口に十九番札 所。 十七番と十八番の仏様はいっ たいどこに鎮座 ましますのか、 何度も同じ道を 行きつ戻りつ、 途方にくれていると、﹁何か探 しとっての?﹂声を掛けてくだ ⑮ 6 十七番 二十番 ⑯ 蔵王 八幡神社 ⑳ ⑭ 十六番∼二十番札所 福山 市民病院 藤井さん宅 ⑰ ⑱ 神社 ⑲ 山重さん宅 十九番 十八番 ま で な ∼ んにも 無 か っ た か も知れない。仏様の目に映る 風景 も ず い ぶ ん 様 変 わりし たのだろうな、と感慨にふけ りながら深呼吸。 静 か で 眺 め の い い ポイン トなので、ここらでちょっと ひと休み。 広 い 道 路 まで 引 き 返 して 右 方 向 へ 百三十 メ ー ト ルば かり 、ヘ ア ピ ン カ ー ブ を 曲 が っ て 下 っ て行 く と 道 が二 股に分かれている。左の細い 方の 道 を の ん び り 降 りてい くと、先に二十五番札所が見 つ か る 。二 十 四 番 は 何処 か な?とキョロ キ ョ ロす れ ば 、 コンクリートの 小道に気 付くは ず。奥へ進め ば そこに二十四番 札所が在る。 二十三番 7 望む。 蔵王市村八十八 ヶ所が設置さ れて二百年。当時このあたりは 二十一番 二十五番 20 半田池 25 21 24 市 民 病 院 宿 舎 22 東霊苑 23 みが眼下に広がる。風景のほぼ 穴の海。海岸線がすぐそこまで 中央でひときわ目立つ背の高い 迫っていたかも知れないし、深 建物は東深津町 のマンション。 津高地が右側からちょっとせり その向こうを山陽線が横切り、 出しているくらいで、沼隈半島 はるか彼方に沼隈半島の山々を 二十四番 二十二番 二十番の札所から北へ 上って行くと左側に二十 一番の石仏が、ちょっと くすんで オ レ ン ジ 色に なった前掛けをして微笑 んでおられる。 そのまま道なりに歩い て行くと市民病院の裏手 に出て、道幅もグンと広 くなる。左にマンション のような建物︵市民病院の医師 宿舎だけど︶が見えたら、右に 神社。神社の一角に二十二番札 所が在る。道路沿いだから すぐわかる。 神社と、その東側に広が る福山東霊苑との間の細い 道を入って行くと二十三番 の仏様が西南の方向を向い て座っておられる。 蔵王町、南蔵王町の町並 福山 市民病院 二十一番∼二十五番札所 ノア 春 日 店が あ る堀 山ま で、一 直 線に 水路 が 引か れ、その 築堤 を﹁割 り土 手﹂と呼んでいた。二十九 番と三十番札所はそこに、 点在していたそうだ。 昭和四十年日本鋼管 ︵現JFE︶が操業を 開 始、四 十 四 年 東 部 土 地 区 画 整 理 事 業が 始 まり 、昔 の人が 知恵 と力 を注 いで作 8 二十五番札所から東の 方向に下っていく山道に 入ると、その昔、農業か んがい用の貯水池として 作られた、蔵王町で二番 目に大きい半田池が見え てくる。池の南端まで降 りたら、山道は右に延び り上げ た水 路は 消え た。割 り土手 の仏 様は 現在 の位置 に移動 され 、仲良く 並ん で いる。 右が二十九番、左が三十番 屋根の上 はトタン で補修し た け ど 木 造部分は 昔のまま 、二十七番 の仏様 が鎮座するお堂 聞くことができた。 千六百年代、水野のお殿様の 命で始まった市村沖の干拓。干 拓地の除塩と広大な田んぼのか んがい用水として、芦田川から 延々と引かれ てきたのが二 十八番札所の 前を通る上井 出川だ。 ちょうど土 屋さんちの下 から、現在ス ポーツプラザ 巨木の根っこに二十八番 に二十七番札所の仏様が、古び たお堂の中で穏やかな顔をして いらっしゃる。 大 き な お屋 敷 の 横を 通 り 抜 け、道を下りきって上井出川を 渡る手前に二十八番札所。道を 渡った角に二十九番、三十番札 所が並んでいる。 歩いてきた山道は土屋大作さ ん所 有 の 山林 の 中 を通 っ て い る。 平成八年、蔵王学区ふれあい 事業で郷土史ガイドブック ﹁蔵王︵市村︶史跡めぐり﹂ を作成した時、蔵王公民館 の館長として発行に尽力し た土屋さんはまた、古くか ら続く庄屋の主であり、市 村の歴 史に造 けいが 深い。 今回、札所を案内していた だきながらいろんなお話を 二十六番。手前にひっくり返さ れた大きな石は仏様の屋根石と して乗っていたもの。心無い者 のいたずらか・・・ る。 落ち葉を踏みながら竹林の中 を登って行くと左に二十六番札 所が在る。そのまま進むと右側 二十六番∼三十番札所 お堂 の中 に 三 十 二 番 お隣は慶満寺の墓所 い道路を渡り、 宅地に在る札 所も、土地勘 のない者にとっては、難所 だ。やっと見つけた仏様に、 近所の人た ち の手によって きれいな花や 水が供えてあ るのを見ると、ほっとする。 悲しい事件が 後を絶たない 世の中だが﹁人の心って、捨 てたもんじゃないよね﹂と、 お蔭をいただいたような気 持ちになる。 県営住宅を背に、左端が 三十三番の仏様 9 三 十 四 番 は墓 地の 中で見つけてね 菊の花がとてもきれい 三十五番 左へ 。次の 札 所 は住 宅 街 の中 だ。 早川歯科 とペットショップキ 堀山を目指して南に針 札所が見えている。そこから右 クモトの間の道を南へ入る。突 へ小道を登っていくと頂上左に き当たりを右、次の突き当たり 路を取ろう。 を左 、次の 突 き 当り を 右 に曲 イズミ蔵王店、第一病 三十二番札所がある。 院を過ぎ、手城川にさし そのまま 山を下りてノアの前 がって右側に小さな公園が見え かかるあたりで左前方に を通る道に戻ろう。信号︵緑丘 てきたら正解!道なりに真っ直 見える丘が堀山だ。一本 小学校南︶を渡り、用水路沿い ぐ進むと、突然墓地に突き当た 東の 橋 で 手 城 川 を 渡 り、 に百五十メートル ほど行くと左 る。その墓地の奥に三十四番札 スポーツプラザノアへ向 に三十三番札所が在る。ちょっ 所が在る。 かって歩いて行くと、上 とした広場に、三体の仏様と注 墓地を出たら来た道を引き返 り坂カーブの手前、コン 連縄を掛けた石、表面が磨耗し さないで進む。突き当たりを右 クリート擁壁の一角に三十一番 た石仏が在る。区画整理で一ヶ へ下りて行く小道の途中に三十 所 に 集 め ら れ 五番札所が在る。 三 十 一 番は 分か り や す い た も の と 想 像 山の中も分かりにくいが、住 この横の坂←を上がると↓ が つ く が、 ど の仏様に も 青々と し た サ サキが 供えら れ て い て、 な んだか嬉しい。 そのまま広 三十一番∼三十五番札所 半田池 東霊苑 25 26 ○ 27 ○ ←土屋さん宅 40 上井出川 ● 手城川 28 ○ 29 ○ 30 ○ ベスト電器 緑丘小 ノア 31 32 この辺りが 堀山 鴨目池 県営住宅 ● 33 ハローズ ひまわり 至 182 号線 ● ハローズ 早川歯科 ペットショップ ● ● 35 至東福山駅 10 ここの墓地に 34 じゃった﹂﹁常夜燈も今よ り五 十メートル ばかり西にあったん で﹂池田さんの話を伺っている と、昔の風景が目に浮かぶよう だった。 さて、いったん三十番札所ま 三十六番 左から常夜燈、三十八番、三十九番、 三十七番と並ぶ 11 で戻り、上井出川沿いの道を西 に二百メートルばかり歩いた右 側に、川を背にして四十番札所 が在る。人々の信仰あつく、常 に季節の花が供えられ、仏様は 美しい袈裟︵けさ︶を掛け微笑 んでおられる。 ●ハローズ 嵯峨野● 35 36 手城川 ● 病院 ● 蔵王 藤井酒店 三十五番札所から下り 理で動かすことになった時、町 て道を左へ行くと東福山 内にある三つの仏様を一ケ所に 駅へ 通 じ る道 路 に 出 る。 集めれば、皆がお参りするにも 道路を横切って︵信号が 便利だろう﹂と現在の場所に落 ありません。決死の覚悟 ち着いたそうだ。以来、近所の お年寄りたちがササキや花など を手向けている。 ﹁母親なんかがしてきたこと。 年寄 り の 仕事 と 思 お て し よ う る﹂と話す池田芳夫さん。草取 りや掃除など、常夜燈まわりの 世話を始めて十年余りになる。 ﹁子どもの頃 はお大師さんご とに祭りがあってなあ、お接待 を い た だ い て 回 るのが 楽 し み で渡るか、ハローズの交 差点を利用することをお 薦めします︶真っ直ぐ二 十メートルほど行ったら 左の 道端 に三 十 六 番 札 所。 蔵 王 病 院 を左 に 見上 げなが ら、道なりに進み、藤井酒店の 前を西へ曲がろう。道が手城川 と交差して出来たスペースに、 大きな常夜燈と三十七番、三十 八番、三十九番の仏様が鎮座す る。 も と も と 三 十 八 番 札 所 は藤 井酒店の前に在った。ご主人の 藤井賢次さんによれば﹁区画整 三十六番∼四十番札所 四十番の仏様は平成13年 建立の立派なお堂の中 常夜燈と 至東福山駅 37 38 39 ア ー チ 型 の屋 根 が オ シャレな 四十一番 96 少し 上 っ た仁 伍の 辻 堂 の横 に四 十 三 番 札 四十二番 お堂の北側に四十三番の仏様 南向きに鎮座する 観音開きの扉の奥で微 笑む四十四番の仏様 12 瓦葺 き の 古い お堂 。仏様 は た く さ ん の花 に囲 ま れ て鎮 新しい石仏が鎮座する。 四十番から上井手川に 座す る 。お向 沿って西へ。一八二号線、 四 十 一 番 札 所 は も と も と 、 か い の 三野夫 もっと東の坂道にあった。一八 広尾北の信号を渡ってす 人に伺うと ぐ、右に食料品店がある、 二号線拡張工事でその道が無く ﹁ここを通られる時はみなさ なるので、現在の場所に移動が その向こうの小さい道を ん手 を合 わ せ て行 かれます 決まった際、当時蔵王近辺の建 所が在る。 北へ入る。少し上り坂だ 築物はすべて手掛けていたとい 辻堂まわりは、いつ見てもき よ﹂とのこと。今でも人々の なと思ったら、正面に四 う左官の棟りょう、羽原繁夫さ れいに掃き清められている。辻 信仰 の対 象と な っ て い る ん 十 一 番 札 所が 見 え る は ん︵ ︶が﹁雨に濡れちゃあい 堂が村人や旅人にとって 憩いの だなと実感する。 ず。立派なお堂の中、向 四十五番札所は かって左側に四十一番の仏様、 けん﹂と自らの手でお堂を建立 場であり社交場だった、昔の姿 ビ ュ ー セ ン ト レ ー ジの そのままに。 した。 右側には四国の四十一番札所 前にある 。石仏 が三 体 と、その本尊である﹁十一面観 再び上井手川沿いの道に戻り 四 十 四 番 札 並び 、そ れ ぞ れ に 花が 音、龍光寺﹂と書かれた比較的 七十 メ ー ト ル ば か り西 へ 歩 く 所 は 蔵 王 農 協 供え て あ る。写真 を と、黄色い太鼓橋がある︵これ 東 側 の 道 か ら 撮っ た日 は コ ス モ スの も羽原繁夫さん 作です︶。渡っ 行 っ た 方 が 分 花が 揺れ て い た が 、通 て急 勾 配 を登 る と四 十 二 番 札 かり易い。高速 るたびに 花が 新し く 所。JA蔵王支店を過ぎて消防 道 路 の 側 道 に な っ て い る。近隣 の 器 庫 角 の 坂を 出る ひ と つ手 人々 の優 しさに 、心が 前を 右 に 入っ て歩 い て 行く 温か く な っ た こ と も一 と、右側に木造 左端に四十五番 度や二度ではない。 四十一番∼四十五番札所 福山東I C入口 線 号 ● 2 18 アントン サービス ビューセント レージ 44 ○ ● 45 ○ ● 羽原繁夫さん宅 42 ○ ○ 蔵王 公民館 43 ● ● ● JA蔵王支店 消防器庫 ここに薬師堂と 46 ○ 47 ○ ● 蔵王小学校のほ うへ上がってく 醫王寺 小畑工務店 板谷さん宅 ● ● 49 48 ○ ○ 山王神社 45 ○ 50 ○ 蔵王仁伍公園 上井手川 ● 蔵王公民館 ゲート ボール場 グラウンド 13 41 ○ 上井手川 うお世話をしとって﹂今でも毎 年、八月二十一日のお大師さん の日 に は 近所 の 人 が寄 り 合 っ て、札所札所でお接待をしてい るそうだ。 薬師堂ではご近所の羽原さん にお話を伺うことができた。二 つ並ぶ札所の、一つはインター の側道の辺り、もう一つは此処 より少し南の角にあったのを移 したのだと教えてくださる。 ﹁年 寄りばあじゃないで、 14 近所の 者がみんなで 世話を しようる﹂と羽原さん。 若い 嫁が お姑 さ ん と一緒 にお大 師さんに 手を 合わせ る、それこそがまさに、文化 の継承ではなかろうか。 卜部さん 宅の塀に す っ ぽ り と納まって鎮座する五十番 四十九番 四十八番。お散歩中の 坊やも「のんのんさま」 に手を合わす が、このお薬師さんは特に目の 病に効くとして、昔から参拝者 が絶 え な か っ た と あ る 。今も ﹁目にええからなぁ﹂とお参り をされる人は多い。 道を引き返して小畑工務店の 突き当りを右に四十メートルほ ど歩くと左に曲がる登り坂の入 り口に四十八番札所。登りきっ た左に四十九番札所。そこから 南に向かって坂を下り始めると すぐ左に五十番札所が在る。 どの仏様にもま新しい花とサ サキが供えられている。四十八 番札所のまん前 に住む 坂谷さ ん は﹁毎朝お 茶 とお仏 飯 供えて 、ろう そくと線 香に火 をつけ て拝む。これは私 の習 慣﹂と話してくださる。 ﹁この辺の人はみんなよ 薬師堂の右に四十六番、四十七番が並ぶ 四十六番、四十七番札 所は蔵 王 町 三 丁 目 の 薬 師堂脇に在る。この薬師 堂は 御 門 に 在 っ た も の を移転したのだと、お堂 に掲げられた﹁薬師堂の 由来﹂に書いてある。薬 壺を 持 っ た 姿 で 馴 染み 深い薬師如来は、病気を 治す神様としてあがめられる 四十六番∼五十番札所 53 15 藤井ツヤ子さんは足の手術 で入院し た の を機に﹁しば らくは歩かれんし、もう上 がるんがえろうなって、細 川さんにお世 話をお願いし たんよ。きれいにしてくれ とってじゃろう﹂と話す。 出掛ける時は﹁行ってき ます﹂と手を合わせ、帰り しなには﹁おかげさんでこ こまで無事に帰ってきまし た﹂と手を合わせるという ツヤ子さん。道端に在るっ てことが、案外とても大切 なことなのだなと思った。 上井手川 52 51 55 駐車場 ● 54 山王神社 細川さん宅 うに五十二番札所が在る。 来た道を戻り、そのまま坂道 を登ると左にま新しいお堂が見 えてくる。平成十一年再建の萱 ノ堂。その中に五十三番札所の 仏様が鎮座する。 左へカーブする坂道を上って 行く と 、五 十 四 番 札 所 の仏 様 が、南向きに座っておられる。 萱ノ堂まで戻り、西へ伸びた 新しい道へ入る。新築中の家の 手前を左に行く と道は二股に。 右へ上る道を十五メートル、朽 ちかけた塀の一角に五十五番札 所が在る。 菊の花が美しい季節、家の庭 にも 畑 に も、今を 盛 り と咲 き 誇っている。そしてどの札所に も、花立てに入りきらないほど の菊が供えられている。 五十四番 のお世話をしてきた 萱ノ堂の中 50 ● ツヤ子さん宅 五十一番 五 十 二 番 の 青々 と し た ササキが目に眩しい 五十五番は人通りのな い道 に 在 る た め か 、 ちょっと寂しい感じ 五十四番 五十番 札所から 南へ下る 坂の手前 に西へ入 る道がある。右手に山王 神社を見て道なりに進ん で行くと左に五十一番札 所。 道 を下 り き っ た ら左 折、駐車場の広場を過ぎて西へ 歩き 、突き 当 たった 道 を 左に 下って行くと三叉路の角に倉庫 がある。その倉庫に寄り添うよ 五十一番∼五十五番札所 ゲートボール場 16 56● 57 ど、もうお年で。私も家に居る 55 石のてっぺんが欠けて「六」が「八」 に見えるけど六十番の仏様です 五十九番 桒田さん宅 上井手川 ゴミステーショ ン。に も か か わ ら ず、い つ も き れ い に掃 除 が 行 き届 き、町内の マ ナ ー に感心する。 60 五 十 五 番 札 所か ら も と 来た 道に 戻り 、右手 に竹 林を 見ながら 下っ て行 く と山 側に 、周り をブロッ クで 築かれて五十七番の 石仏が鎮座する。 そ の ま ま進 み、合流 し た道 を東 へ戻 ろう 。桒田 さん 宅の 塀に 寄り 添う よ ようになったので、枯らさない よう、畑で作っている四季の花 をお供えしているの﹂と桒田良 子さん。ああ、ここにも、古き 良きものを 引き継ぐ優しい心が 息づいているんだなと、嬉しく なる。 五十八番札所は綱木池の東、 小道を少し入った所に在る。上 の畑のご主人が﹁気付いた時に は家から持ってきて供える﹂と いうササキが、青々と目に眩し い。 綱木池を右に見ながら通り過 ぎ、右の道へ進むと正面に五十 九番札所。左の広い道を下りて 行くと六十番札所が在る。 六十番の仏様は綱木橋を渡っ た正面に鎮座するので、川沿い の道路からもよく見える。隣は 綱木橋 五十八番 うに五十六番札所が在る。黄色 い菊の花が柔らかな光を放って いるようだ。 ﹁長いことお 隣のおばあさん がお 世 話 を し と っ ち ゃ っ た け 五十六番 58 綱木池 五十六番∼六十番札所 五十七番 59 六十番から上井手川を 左に見ながらゆるい登り ここに子安大師堂と 十五番札所﹁三角寺﹂を尋ねて みた。 ご本尊は安産子安の観音様と 第5区倶楽部 西深津町 61 62 63 64 鐘尾木工所 来た道を少し 戻って、左折。 して信仰され、妊婦が寺の庫裏 右前方に広がる畑の一角に六十 ︵台所︶にある杓子︵しゃくし︶ を密かに持ち出し、床下に置い 五番札所が在る。 上井手川 ● 坂を 百メ ー ト ル ば か り 子安大師堂の中、右から 61 番、62 番、子安大師像、 63 番、64 番と並ぶ 六 十 五 番 の 仏 様 を よ く 見 る 綱木橋 ●● と、手に何やら先の丸いものを 持っておられる。何だか不思議 な所持品だなと思い、四国の六 ▲ 17 行った右側に建つ子安大 師堂の中に六十一番から 六十四番までの石仏が鎮 座している。 最初からまとめて設置 するわけないよなぁと思 ておくと安産できる。そして無 事出産の後、お礼参りをして新 しい杓子を納めるという風習が 今も残っている。 ああそうか、あれは﹁おしゃ もじ﹂だったんだ!と勝手に解 釈し 、石仏 を 彫 った 先 人 の洒 落っ気に嬉しくなる。 60 これこれ、おしゃ もじみたいでしょ い、昔のことに詳しい小 島亀夫さん︵蔵王町一丁目︶に 伺ったところ、六十一番はもと からこの付近にあったが、六十 二番札所はもう少し西へ行った 三叉路のあたりに、六十三番、 六十四番の仏様は、西深津町と の境になる道沿いに点在してい たとのこと。子安大師堂も昭和 二十五、六年ごろ、第五区倶楽 部に場所を譲り、西隣に新築さ れたのだそう。 65 番 六十一番∼六十五番札所 65 五十五番札所から畑を の袋を肩に担いで山坂道を上っ まわって北へ登って行く ていると、ポタリポタリと塩水 と小さな公園がある。道 が垂れ落ちるから﹁しょったれ 路を挟んだ北向かいに六 道﹂。 ﹁お大師さんはしょったれ 十六番から六十九番の仏 道に沿ってポツンポツン と祀っ 様がまとめて安置されて てあった﹂﹁道そのものが 無く いる。 なってしまった所もあるし、言 いつ頃ひとまとめにさ 葉は 悪 い が道 路 拡 張で 邪 魔 に れたのだろうか。蔵王の なったんだな、ほとんどが移動 歴史に詳しい尾熊勘治さんにお されている﹂ 話を聞くと﹁道を治したり、家 これから 八十八番まで巡ると を移動したりで、長い年月の間 いう私に、尾熊さんはいろんな に二つ三つと集 められたもの。 話を聞かせてくださった。 公園の前から北へ、ゆるやか ひとつひとつがどこから 移され て来たのか、もうはっきりとは わからない﹂とのこと。 その昔、浜︵農試の田んぼ一 帯︶で作られた塩は、綱木池の 土手から山を越えて、当時市が 開かれていた宮の前︵蔵王八幡 神社南︶の港まで運ばれた。塩 六十六番∼七十番札所 な登り 坂を歩 いて行くと、右 手に大森工務 店がある。その 向かい側、左へ 上る道 と二股 になった角に、 七十番札所が 在る。木造瓦葺 きの立派なお堂が目を引くので すぐわかる。平成元年、朽ちて 倒れかけていたお堂を、ご近所 の有志が協力して建て替えたそ うだ。 いつもきれいな 花が供えられ ている。﹁ご近所や、お墓参りに 来られる人が立ち寄って供えて くださるんですよ﹂と 大 森 夫 人 。﹁ ご 縁 が あってここに来させて 頂いたのだから、お花 第5区倶楽部 子安大師堂 ●● と心に誓っています﹂ 車 通 り も 多い 道 沿 いにも 65 かかわらず、さっぱりと清め られた仏様がすがすがしい。 18 公園 66 67 68 69 上井手川 左から六十六、六十七、六十八、 六十九番が並ぶ ●大森工務店 70 が枯れることのないよ うにお世話をさせてい ただくことを私の務め 七十番 お堂の奥に「奉 修弘法大師堂一宇建立」 の木札が掛かる ﹁仏様の前ま で来て拝む方も いらっしますが、坂を上がらな いまでも、下の道を通る際、止 まって手を合わせておられるの が見 え る ん で す よ ﹂と皿 海 夫 人。﹁時に花を供えてくださる 方もいて、みなさんと一緒にお 守りしているのですよ﹂ 来た道に戻り下って行くと左 に七十三番札所。仏様までかわ いらしい石段が積まれている。 七 十 三 番を 過 ぎ て す ぐ 左 手 に、山に 入 っ て行 く 小 道が あ る。うっそうと茂る木々の中を 進んで行くと溜め池にさしかか る、右に七十四番札所。 さ ら に奥 へと 進め ば左 に七十五番札所が在る。 ほ と ん ど人 も来 ない よ う な場 所だから 忘れ ら れ て い る か も知 れな 七十五番 大森工務店 七十三番 写真は秋口に 撮ったもの。美しい緑に 囲まれて涼しげな仏様。 ● 70 七十二番 皿海さん宅 72 七十一番 19 いなと思いながら 訪 れたが、青々とした ササキがたっぷり 供 えられている。道の 先には墓地があり、 お墓参り の人々が お大師さ んにも手 を合わせ ていかれ るとのこ と、またこ こで人の 心の優し さに触れ た。 74 73 七十四番 71 蔵王小学校へ この辺りが 墓地 七十番札所から北へ歩 いて行くと右カーブの手 前、左側に七十一番札 所。モノトーンの冬景色 の中で、赤い前掛けが温 かい。 なだらかな登り坂を上 りきった辺り、左へ入る 少し勾配のきつい坂道は 皿海さんのお宅へ通じる 道だ。その坂の途中に七十二番 札所が在る。 皿海さんがここに家を構えた のは三十数年前。当時は国有の 農道が通り、そこに在った石仏 がそのまま庭の中ほどに残って いた。 ﹁古いお地蔵さんだろう﹂ と思い大切にしていたが、札所 であれば道沿いに祀ろうと、敷 地の角にお社を建てて移動した のが十五年ほど前だとのこと。 七十一番∼七十五番札所 75 前谷池 七十四番、七十五番が 在る林から、もと来た道 に戻る。下って行くと左 に七十六番札所。 見晴らしのいい道を進 み、蔵王小学校脇の広い 道路に突き当たるとすぐ 右に在るのが七十八番札 所。赤い頭巾とフリル付 きの前掛けがトレードマークの 大きなお地蔵さんと並ぶ、ここ が最も目立つ札所ではないかと 思う。 七十七番札所は池の方に少し 歩いた左方向、山側に広がる墓 地の入り口に、六地蔵と並んで 鎮座する。鮮やかな黄色い菊と み ず み ず し い サ サ キが 供 え ら れ、心癒される景色だ。 週に三度はご両親とご主人が 眠るこの墓地に、西深津町の自 坂本池 坂本墓地 77 79 前谷池 80 76 蔵王小学校 78 ● 74 の こ と 。仏様 に 宅から歩いて来るという 藤井安 子さんは﹁もうしばらくしたら 右の斜面に八十番札所が在る。 梅の花が咲いてウグイス が鳴い この道は近く道幅の拡張工事 て、そ り ゃ あ い い と こ ろ で す が始まる。地域のお世話をされ よ﹂と微笑む。道ができ家が建 る藤 井 宏 道さ ん に 伺っ た と こ ち、蔵 王 界 隈 も様 変 わ り し た ろ、七 十 九 番 の が、お大師さんやお地蔵さんを 仏 様 は 東 へ 数 大切にする気持ちは変わらない メ ー ト ル 、蔵王 と教えてくださる。 小 学 校 側 の 斜面 七十八番の前 を過ぎ、右手、 に 台 座 を 設 け 、 移動 す る 予 定と 七十七番(一番手前)と六地蔵 畑に入る細い道を上がって行く と左に七十九番。さらに進むと 七十八番 右 ( と ) お地蔵さん 添うように並 んでいるのは お そ ら く 無縁仏 と の こ と、 その対処について検討が急 がれる。 七十六番 20 八十番 七十九番 七十六番∼八十番札所 薬師堂へと 下りていく道 羽原さん宅 81 83 藤井さん宅 醫王寺 85 21 醫王寺の門をくぐり境内 八十一番 に入ったら左へぐるりと向 いてみよう。蔵王で最も古 い石造物とされる﹁宝篋印 塔﹂の横に八十五番札所が 在る。 八十五番 ﹁みすぼらしいのが気になって いた﹂羽原さんが有志 を集め、 建造した。南蔵王町に住まいを 移して二十年あまりになるが、 墓参りや元の家屋敷の掃除など で再再上がって来ては、夫婦で お大師さんのお世話をしている とのこと。いつも瑞々しい季節 の花が手向けられている。 蔵王小 84 82 80 八十四番 八十三番 八 十 番 札 所 か ら 南 へ、 かと 思 い な が ら 近 付い て 見 る 畑 に は さ ま れ た 道 を 歩 と、石仏の周りはきれいに掃き く。畑が途切れたと思っ 清められ、カスミ草であろう白 たら右側、藤井勉さん宅 い可憐な花が供えてある。うっ 横の石垣に八十一番札所 そうと茂った竹やぶを背景に静 かにたたずむ、とても穏やかな が在る。 来 た 道 を振 り 返 る と、 空間だ。 右に 広が る 畑の 向 こう 竹やぶを抜け車 道 に、おそらくもう誰も住 に出たら右へ、羽原元 んでいないだろう古い家 治 さ ん 宅 の 南 側 の 塀 に設えた社に八十三番 屋が見える。そこへと下る細い 道を降りて行くと、古い家屋の 裏側に八十二番札所が在る。用 が無ければ普段通るような道で もなく、参る人がいるのだろう の仏様が鎮座する。 八十 四番札 所は東 方向、醫 王寺へ と入っていく道添いに在る。羽 原巧さんの所有地に建つ瓦葺の 立派な社は、四年ほど前に造り 替えられたもの。老朽化が進み 八十二番 八十一番∼八十五番札所 醫 王 寺 の境 内 を 出 て、 彫られた木の板がある。 ﹁廣島縣深安郡○村 奉納八 どが供えられた社の中、ふと見 ると、弘法大師像と古い文字が い広い道に出る。左方向 拾八ヶ所靈塲順拜 大正○年○ 月吉日同行○人﹂よく見れば左 寺に添って東へ歩いて行 くと、まだ出来て間もな を見ると、蔵王小グラウ ンドの南角から薬師堂へ か。大切にさ れてきたのだ ろう、木製に この角に 右が逆の鏡文字、これは今で言 ● んが﹂そう前置きをして﹁先 祖が世話 をして、築いたと いうようなことをおじいさ んに聞いたことがある﹂と 話してくださった。 一番札所は桒田 さ ん宅からすぐ東へ 降 りたところに築いた。 四国の八十八ヶ所 を 模して、四ヶ町村︵た ぶん市村、神辺、春日、 深津︶を巡るように札 所を築き、八十八番ま で帰って来て﹁ただい 八十八番 2 0 数年前庭から 東南角に移したとのこと ま﹂となるように。﹁区 22 もかかわらず、 大正時代のも のとは思えな いほど美しい。 自分の家の 庭にお大師さ んがあることについて桑田さん は﹁親父からは何も聞いてはい ないんだ、確かなことはわから ● うスタンプのようなものか。一 番から順に八十八番まで巡った 記念 に 版 画の よ う に押 し た の 薬師堂 と下りてくる道と交わっ た角に八十六番、八十七 番札所が並んでいる。 八 十 六 番 の石 室 には 八十六番、八十七番 ﹁大正八年三月吉日﹂と刻まれ ている。 薬師堂の前を北に入り突き当 りを右に歩いて行くと、桒田力 人さん宅の石垣の一角に八十八 番札所が在る。 ﹁八十八番大窪寺﹂と大きく 書かれた石の上に、蓮台に座っ た仏 様 。大 窪 寺 の 本尊 で あ る ﹁薬師如来﹂らしく、手に薬壺を 持っている。季節の花や果物な 86 87 85 醫王寺 88 桒田さん宅 八十六番∼八十八番札所 満願! 仁伍 ノ 堂 下 の 五 十 六 番。 近くの四 十 三 番 同 様 大 切 にお参りされています 画整理 や一八二号 線の開 通でずいぶ ん移動 されたが、 確かに 四ヶ 町村に またがっとったよ うに思う﹂ 実は ヘ ル ス共和 国Zを 上がった所 にある団地の北側、大 谷北公園に二十番の仏 様が在る。また、蔵王 霊園の北、マーメイド ゴルフクラブ の敷地と 接する辺りに十二番札 所が残る。 蔵王町一丁目、綱木 池西 の丹 下さ ん宅 には 六十三番 が、蔵王町二 丁目 、仁伍 ノ堂 下に は 五十六番の仏様が在る。 連 載 中それらには 触れ な か っ た が、もしかし たら 隠れ た札 所がまだ あるのかもしれない。 丹下さん宅の敷地に在る六 十三番。まるでお家の仏様 のように祀られています 大谷北公園の二十番。花こそ 無いが、きれいに掃き清めら れ、お水が供えてあった でございます。長い間ご愛読ありがとうございました。 思えば2005年6月の連載開始以来、みなさまのお力添えでやってこれ たようなものでございます。夏の日は「暑いのにご苦労様」、冬の日は「寒い のにようするねぇ、楽しみに読んでるよ」とお声を掛けていただきました。 虫に刺されて足が腫れあがっても 、 吹き荒ぶ寒風に飛ばされそうになっても、 そのお言葉ひとつで勇気百倍「よっしゃあ、次なる札所へいざ行かん」と奮 い立ったものでございます。 ど う に も見つからなくて カメラを 抱えて途 方に暮れ て い る と き「何を探 しょうてん」・・・まさに天の声、どんなにお礼を言っても言い足りない気持ち でございました。札所のご近所のお宅に突然お邪魔したり、また、農作業中、 お散歩中の方々にもいきなり「ちょっとお伺いしたいのですが・・・」。不躾な 質問にも笑顔で答えてくださるみなさまに教えていただいたこと、お大師さ んのこと、蔵王に残る数々の史跡のこと、昔の様子、とてもとても書ききれ てはおりませんが、私の心の宝物として、一言一句大切にしまってあります。 札所の番号を間違えたこともあります、 シリーズ⑨の次も⑨でした・・・読者 の方に「違ってたよ」と指摘されるのも嬉しゅうございました。私のつたな い文章を読んでもらえることが、幸せでした。 最後になりましたが、 ご指導いただきました蔵王町の羽原耀明さんを始め、 お話を聞かせていただいた多くの方に感謝いたします。 ふれあい記者・磯部 23 蔵王八十八ヶ所順打ちの旅 発行日 平成18年8月 発 行 中国新聞ふれあい通信事務局 福山市東深津町1−2−1 印 刷 (有)中国新聞福山深津北販売所