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22 年間の紆余曲折 ~22 年間を振り返って~
1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 (1)幼児期 ― 講話 - 生まれたときは,聞こえた状態で生まれ, 22 年間の紆余曲折 体重が4Kg 以上というジャイアントベビー ~22 年間を振り返って~ でした。そのせいか,おんぶをねだったとき 東北福祉大学大学院 社会福祉学専攻 総合福祉学研究科 などは親があまりの重さに鉄アレイを背負 修士課程 1 年 ってランニングしているみたいだっだそう です。 精神保健臨床分野 畠山 修 生まれは仙台ですが,父親の転勤で福島へ 転居しました。 福島県の原ノ町という閑散 皆さん,こんにちは。みなさんの前 とした町で,地元の幼稚園に通い,3つ上の ではいつもはお笑い系などをやると全然緊 姉にくっついていつも遊んでいました。姉は 張しないのですが,まじめな所になると極端 たまに弟の存在がうっとおしくなるらしく, に緊張してしまいます。定期総会で話しをさ あまり付きまとうと家のすぐ側にある小さ せていただく立場になったのもびっくりし な堀に突き落とされたりしました。その堀は てますが,よろしくお願いします。 結構な深さで,今考えたら姉の手によって抹 畠山/ タイトルは紆余曲折ということですが,何 殺されかねなかった勢いでした。現在だった を話そうかと随分迷いました。本当に私も優 ら児童虐待防止法やらDV防止法やらにひ 柔不断ですので原稿を書き直して,やっとこ っかかりますけど。 れだ!というものになりました。これから幼 幼稚園ではスポーツが大好きで,教室の片 少期について,そして今までのこと,まとめ 隅にあった小さなトランポリンを占領して てお話させていただきます。 先生に叱られたのを今でもはっきりと覚え ています。 しかし,そんなスポーツ大好きな少年も, さすがに病魔には勝てなかったようです。4 歳の幼稚園在学中のときに,おたふく風邪に かかり,両耳を失聴してしまいました。聴力 損失の程度は非常に重く,両耳 110dB 以上 の感音性難聴となり,健聴者から聴覚障害者 へとなりました。大学に入ってから分かった のですが,私のようなおたふく風邪で失聴す る症例は「Mumps 難聴」と言われ,2万人 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 -7- 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 に 1 人の割合で発症するという,極めて稀な 原因は自分の障害にあると言い,まともに取 ケースだそうです。2 万人に 1 人,その割合 り合ってはくれませんでした。 を見たとき,ひょっとして俺はプレミアも これは自分で解決するしかないと思い,目 の?なんて一人で笑っていましたが,喜んで には目,歯には歯ということで,徹底抗戦し 良いのやら・・・聞こえなくなってから,す ました。集団でいじめられた時などは,みん ぐに宮城県に転居し,宮城県立ろう学校幼稚 ながバラバラになった時にすかさず奇襲攻 部へ入学しました。 撃。個人的ないじめは喧嘩上等とばかりに殴 聞こえなくなってからしばらく補聴器も りあう。そんな調子だから,親はしょっちゅ 何も付けていなかったので発音もくずれが う学校に呼び出しをくらい,先生や父兄に頭 ちであった私は,聴覚口話法と発音練習を嫌 を下げていました。しかし,喧嘩については, というほど叩き込まれました。それは,スパ 親は何も言いませんでした。いじめられてい ルタとも呼べるほどで,聴覚口話法教育では る事は十分承知していたのですが,学校側が 全国的に有名な摺沢先生の教育は,とにかく あまり対応してくれなく八方ふさがりの状 厳しい。その厳しさに少し反発して,給食の 態でした。いじめられて泣く私を見て,父は 時間に,「先生のお汁はどこ?」と言われた 「男がめそめそ泣くな!いじめられたらや ところを,わざと「先生のおつむは阿呆」と り返せ。いじめられて黙っていてそれで泣い 読み取って,ゲンコツのご褒美を貰ったこと て,いじめがなくなるのか?」と叱りました。 が何度かありました。反発心がエスカレート 父も辛かったと思います。しかし,父はここ すると,とある教室に立てこもって,授業ボ で逃げたら,これから同じようなことがあっ イコット。手を付けられない悪ガキでした。 たときにまた逃げる,逃げるだけの人生を送 ってしまうと考えていました。それゆえ,私 に対するいじめが原因で起こったトラブル (2)小学校時代 小学校時代のことに入ります。小学校時代 や喧嘩で学校側に呼び出されても,私を責め は,6年間,喧嘩の毎日でした。とんでもな ることはありませんでした。ただ,自分が原 い6年間です。なぜかというと,小学校時代 因で作ったトラブルの場合は,お構い無しに は,自分に対するいじめがひどい状態でした。 鉄拳が飛んできました。いじめということに いじめがエスカレートしたとき,自殺を図っ かなり過敏になっていたので,ちょっとでも たこともあります。学業成績のほうもあまり 気に入らないことをされるといじめと思い 芳しくない状態でした。当時,障害者は弱者 込み,暴力をふるうという勘違いもありまし というイメージが大きく,担任の先生もそん たので,そのような時は身震いするほどのお な差別意識をもっていた人でした。いじめの 叱りを受けました。 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 -8- 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 こんなとき,本当は学校側が解決策を見出 口に出せることです。 してくれるのが普通と考えますが,先生も障 こういうと結果論となりますが,もしその 害を持っている生徒を教えるのが嫌だった 当時のきこえの教室がそのような機能を果 らしく,こんなことも言われました。「お前 たしてくれたなら,私はいじめであんなに悩 は勉強も全然出来ないし,喧嘩ばかり。勉強 む必要はなかったのかなあと思っています。 できない奴は学校にいらねえ。今すぐろう学 こんな思いをこれからの後輩たちに経験し 校へ戻れ。分かったか?」と名指しで皆の前 て欲しくないが為に,聴覚障害の専門性とカ で言われました。 ウンセリング的役割を持った先生がすべて 生徒の発達を願って働きかけるべき教師 が,生徒の人格を否定する。本来ならば,こ のきこえの教室に配属されることを心から 願っています。 のような発言は絶対あってはならないこと あまりいい思い出がなかった小学校時代 だと思います。そんな先生の下では勉強した ですが,誇れるものがひとつだけあります。 いという気持ちは全くありませんでした。そ それは,いじめに対して,真っ向から立ち向 れは当然のことだと思います。それではどこ かったことで,自分で問題解決に取り組んだ で勉強したらいいかというと,きこえの教室 ことです。いじめの報復として喧嘩を積み重 ということになりますが,私は当時の聞こえ ねましたが,いじめに一回も負けなかったと の教室はとても嫌な存在でした。発音練習と いうたった一つのことが現在私の中で何百 作文だけで終わり。それだけならば,きこえ 倍以上の誇れる経験として残っています。現 の教室に行かなくても,家でもできます。き 在はいじめにより転校したりするケースが こえの教室とは,聴覚障害児への専門的な指 増えていますが,やってみやくちゃ分からな 導だけではなく,通常学級で起こった様々な いというものがあります。いじめが続くのな 悩みや葛藤を先生に打ち明けて,障害が原因 ら,こっちはとことん反抗する。それがわず で起こる様々なトラブルの素を少しでも軽 かな解決策になるきっかけになるかもしれ 減できる,オアシス的な存在でなければなら ないのです。 ないと思います。障害児教育というのは,そ のようなところに意義があるのではないで (3)中学校時代 しょうか。きこえの教室が嫌になるというこ 中学校時代中学校に入ると,いじめはほと とは,障害児教育としての特殊学級が全く機 んどなくなりました。それは,中学校一年の 能を果たさないことになります。このことは 時,新たな顔ぶれになったクラスが活発に動 親も気づいてはいましたが,子どもへの反動 き出そうというころ,弁論大会で優勝したこ を恐れて学校側へは言えなかった。今だから とがきっかけでした。その弁論文のタイトル 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 -9- 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 は「障害者の心」というものです。小学校時 っていました。最初は安いギターを買っても 代にいじめにあったことをちょっと愚痴っ らい,父が昔軽音楽をやっていたこともあっ ぽく書いたのですが,それがみんなの支持を てギターの基本を教えてくれ,それが弾きこ えられた結果でした。この弁論大会をきっか なせるようになると,更なる段階としてエレ けとして,かつてのいじめっこたちも私に対 キギターやベースを買ってくれました。私が する価値観が変わったようでした。それから 音楽に興味を持って楽しく演奏しているの は,毎日楽しいことの連続。かつてのいじめ を見ると,嬉しそうな顔をしていました。ラ っこと方を並べて笑いあい,入部したバスケ イブにも来てくれ,ライブ終了後には「お疲 ットボール部に情熱を燃やし,友達と遅くま れさん。演奏はとても良かったぞ。」と温か で趣味の話をする。そして気の合う友達とバ い声を掛けてくれました。勉強は二の次にし ンドを組み,ライブを行う。親にねだって買 ていましたが,何でも経験して楽しみを見つ ってもらったベースを夜遅くまでかき鳴ら けて欲しいという経験主義と,私の生活を理 して一日が終わるという状況でした。嫌いな 解してくれた事が,音楽を私にとってかけが 勉強はそっちのけ。中学校ともなると,親は えのないものまで位置付けてくれました。音 毎日のように「勉強しなさい!」と目くじら 楽に関わらず,何事においても何か一つ得意 を立てたものですが,何か一つの事に集中し なものや集中できるものを持った時,それは て,それをやり遂げるというのはひょっとし 「集中力」となってこれからの学業やその他 たら勉強をすること以上に大切なものなの 新たな経験に対して役に立ってくると思っ ではないでしょうか。親の言われるがままに ています。その証拠に,私は現在バンドは組 して「勉強しました。テストでいい点数とリ んでいないものの,個人的に花山キャンプや ました。はい,終わりました。」それは本当 脳障害,知的障害児のボランティアで障害児 に親が望んでいることではないと思います。 に聞きやすい曲を提供する作曲活動を行っ 勉強も大切ですが,スポーツでも趣味でも, ており,中学校よりも活動範囲が広くなりま 何か一つ集中できるものを持って,それを遂 した。作曲という新たな分野でも音楽に対す 行することにより充実感や達成感を持って る集中力が続いていることを考えると,一つ 欲しいというのが本音ではないでしょうか。 のことに集中することはどれだけ大切なも 私の両親は,テストの低下についてはさすが のかと実感しております。逆にいうと,一つ に注意しましたが,音楽という私の趣味を取 のことに集中できないのは,何をやっても集 り上げることは決してしなかったです。むし 中できないということに繋がってしまうの ろ,聴覚障害を持っているが,音楽という難 ではないのでしょうか。 しい分野に挑戦するということを嬉しく思 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 10 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 また,体格を見込んで柔道部に引っ張って (4)高校時代 高校時代に入ります。高校は東北高校に入 くれたコーチの先生も勉強には厳しい方で, 学しましたが,ここで私の人生を変えてくれ 柔道部は学内の部活で実績や学業成績が一 る先生に出会いました。高校1,2年時の担任 番優秀な,伝統のあるクラブでした。柔道部 の先生。その先生は,私たちの代で初めてク では,文武両道の精神を掲げており,学業を ラスを持つという先生でした。その先生に, おろそかにしている者は柔道でも,何をやっ 聞こえない事を言い,何か配慮を頂きたいと てもおろそかであるという考えをもってい の趣旨を伝えたところ,そのために大変努力 ました。そのような精神がある部活なので, してくださいました。席をなるべく前に配置 自分の周りは学業では皆全校でトップを占 するだけではなく,教科の先生全員に,配慮 めている人たちばかり。学業ではレベルの高 をして頂くように掛け合ってくれ,「授業に い公立高校を受かる実力がある人でも,柔道 ついては,先生方がバックアップしてくれる の実績を買われて特待生として入学してき から,安心してね。」と優しく声を掛けて下 た人もいるので,並大抵の成績ではまともに さいました。その言葉に,どんな配慮をして 競争できない。このような競争社会に入り, いただけるのか,少々不安でしたが先生は授 先生方の配慮もあって,成績はクラスでは常 業では私の表情を敏感に汲み取ってくれ,ち に 3 位内をキープでき,学年でも 10 位以内 ょっとでも分からないような顔をしている に名を連ねることができました。ここで一番 と,家にまで電話を掛けてきて,授業内容の 大きかったのは,一番仲の良かったある親友 細かなところを教えてくれました。テストの の存在です。 範囲については,プリントを渡してくれまし その友達は特待生で入り,中学校の成績も たが,それでも電話で分かったかどうか確認 優秀でありました。その親友が,「テストの をしてくれ,そんな先生の優しさに,絶対に 成績を勝負しよう」と卒業まで張り合ってく 泥を塗ったり,恩を仇で返すような行為はや れたことです。最初はどうしても勝てずその りたくなかったと思いました。他の先生方も 度に「お前の成績はこんなもんか~」などと このような配慮をして頂き,分からないとこ いわれました。その友達と一緒のクラスにな ろは徹底的に指導してくれました。まさにプ ったことがライバル心をますます向上させ, ロフェッショナルとしての教師像がそこに 2 年生の実力テストの時,その親友にやっと ありました。そのような恵まれた環境の中で 勝つことができました。勝った時の成績は, 勉強することが楽しくなり,高校ではじめて 学年 1 位でした。すなわち,1 位を取らない のテストの時にクラスで2番という成績を と勝てない相手だったのです。その親友がい 取ることができました。 る事によってとてもよい刺激となり,切磋琢 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 11 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 磨し合える友達を持つことがどんなに意味 創造無しです。例えば,友達から発展し,親 のあることが改めて実感しています。 友となる過程で様々な喧嘩や衝突を繰り返 その切磋琢磨しあう過程で,親友はライバ して信頼関係を結んでいきます。しつこく聞 ルながら授業で聞き逃したことを親身にな いて「お前しつこいぞ。他の人に聞け。」と って教えてくれました。その行為に私は人の いわれる場合もあります。その過程を何回も 優しさに触れ,友達も私に教えることにより, 経験して初めて親友と呼べる存在が生まれ 聴覚障害の何たるかについて理解を深めて るのです。それは,親友となる過程の衝突だ いく。さらに,今までの経験や色々な情報を けではなく,自分の障害との戦いでもありま お互い交換することによって,相談相手にも す。自分の障害を相手に受け入れてもらえる なってくれた事は,高校生活の経験の中で宝 にはどうすればよいか考えるという努力も 物となっています。その根底には,友人間の 必要です。親友を作る,一見普通のことのよ 信頼関係が大切であると思います。信頼関係 うに思えますが,聴覚障害者にとっては非常 がなければ,ここまでの存在になってくれな に労力と根気のいることです。これは障害と かったと思います。その親友とはいいことば いうハンディキャップがあるからこその試 かりではなく喧嘩もしましたが,真っ向から 練であると思っています。衝突を恐れずにた 喧嘩をし,それを悪かったなとお互い素直に くさんの親友を作って,学校生活を心身とも 謝る。そのような信頼関係が聴覚障害を持つ に充実したものとして送れるように後輩た 私にとって,人付き合いの何たるかというこ ちにがんばって欲しいと思っています。 ここでは話し尽くせないほどの先生方の とを学ぶ機会となりました。 学校生活では,親友と抜きにしては学校生 配慮や友達との切磋琢磨によって,自然と勉 活を送れないと思います。私は「友達」と「親 強するようになりました。中学校のときは 20 友」の存在は違うものとして位置付けていま 点や 30 点に, 「0 点じゃなくて良かった」と す。聴覚障害者が学校生活をうえでの苦労を いう考えから,90 点取っても「何だ,満点じ くみ取ってくれ,聴覚障害者が学校生活を送 ゃないのか」という気持ちになり,98 点とも る上で一番困るのは情報ですが,その苦労を なると後 2 点のために先生に何とかチャンス しっかりと汲み取ってくれ,自然と「分から を,と往生際悪く頼み込んだほどでした。し ないところはないか?」とか「さっき先生が かし,自分のために勉強をしている,という 言ったのは・・・」と教えてくれる存在が必 気持ちではなく,その友達へのライバル心と 要です。親友が必要だからといって,求める 先生の期待に応えたいという気持ちだけで だけでは何も生まれない。親友を作るために 自然と机に向かっていました。それが良い成 はある程度の衝突も必要です。破壊無くして 績のキープに繋がり,2年生のときと3年生 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 12 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 の時に,学業優秀者として校内特別奨学生を 大きな声で話せば良いだけなどの誤解を招 受賞しました。選ばれた当初は,「何で俺 く恐れがあるので,自分の障害のことを詳し が?」という気持ちで,嬉しさよりも驚きの く説明し,自分が理解しやすい授業はこうい 方が強かったです。 うものだと先に伝えることによって,先生方 しかも,授業の理解は先生方の十分すぎる ほどの配慮があったからこそついていけた の理解を得られることが出来ました。障害と コンプレックスにされないひともいます。 小学校や中学校の経験から,コンプレック ので最初に先生方に感謝しました。ライバル の友達には逆に見せびらかしました。もし, スの固まりでした。障害を隠しておきたいと 先生方の配慮がなければ,ここまで勉強する いう気持ちが強かった。最初先生方に,本当 ことが楽しくはならなかったでしょう。初受 に伝えようか,やめようかと職員室の前でま 賞したときは,担任の先生はまるで我が事の ごまごしていました。顔を真っ赤にして,し ように喜んでくれました。その喜びの顔を見 どろもどろになりながら,何とか勇気を出し て,ちょっとだけど恩返しできたかなと思い て伝えることができたとき,後々になって少 ました。苦手だった数学も,高校では90点 しの勇気がじぶんのおかれている環境を根 台を記録することができました。それは,先 底から変えることができると実感しました。 生方に直接聞きにいくと,「良し,分かった。 勇気を出すか出さないかは,もちろん出して これは・・・」と自然に,そして丁寧に分か みるだけの価値はあります。ここで,勇気を るまで教えてくれる環境だったからです。良 持って先生に伝えられたことが自信となっ い先生にめぐり合えると,勉強に対する苦手 て,後に出逢えた人々に恥ずかしさもなく, 意識なんて吹っ飛び,逆にやる気が沸いてく 私は聴覚障害者ですということを言えるよ るものです。この賞を受賞してから,私は障 うになりました。この勇気は他の人とコミュ 害に対する苦手意識を捨て,学年の変わり目 ニケーションをはかるときに,大変役立って になると担当教科の先生方に聞こえないの います。 で配慮をして頂きたいとの趣旨を伝えるよ 部活動は,コーチに勧められ柔道部に入部 うにしました。まず,先生に「お前,聞こえ しましたが,東北高校は東京オリンピックの ないのか?」と気づく前に,聴覚障害を持っ メダリストを排出している名門校,入部して ている事を自主的に伝えに行き,聴覚障害は くる人も,全国大会出場者で特待生がほとん どういうものか,どんな時に聞こえないのか, どでした。その中で,私はまったく素人。3 どんな配慮をしたら授業が分かるのかとい 年続けばいいと思っていました。しかし,柔 うことを説明しました。気づいてもらうだけ 道部では練習もさることながら,上下関係も に徹しては,聴覚障害は耳が遠いだけとか, 厳しかったです。厳しい練習では,30人近 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 13 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 くいた一般入部者が入部した最初の日に半 たいと監督に伝えましたが,監督は福祉大は 分がやめ,特待生をのぞく一般入部者は,私 練習する人数もいないし,弱いからダメだと を含め2人だけになりました。上下関係では, 言い,どうしても用意した推薦先に行かせた 先輩が絶対的な存在で,言葉遣いや礼儀作法 い考えでした。しかし,担任の先生が監督と はとても厳しかったです。だからといって先 喧嘩してまで取り合ってくれ,福祉大を学業 輩は威張っていたのではなく,むしろきちん 推薦で受けられることになりました。これに と敬語で話すことで,何でも話せる先輩でし 監督は激怒し,スポーツ推薦の話は消滅して た。社会に入ってからも役立つ言葉遣いや礼 コーチからは「福祉大行くんだったら柔道を 儀作法でした。目上の人に対する礼儀作法, やめてから行け!」と三行半をたたきつけら 誰に対しても恥ずかしくない作法を学べた れました。成績の評定値で福祉大学を推薦で ことが今とても役立っています。しかし,お 受験する権利を貰えた私は,受験が決まって 世話になった柔道部の監督,コーチと対立し から毎日小論文対策を行いました。1.5あ たことがありました。これは,大学受験のと った視力が0.7に落ちるまで文章と国語辞 きでした。 典との格闘を行いました。受ける学部は併願 入学当初は大学進学など夢にも思わなか もできますが受験勉強には 1 つに集中したか ったのですが,スポーツ推薦を得られる実績 ったので受けたのは社会福祉学科 1 つだけ。 と学業成績を作れたことで,大学進学という 滑り止めもなく,スポーツ推薦もなくなった 視野が見えた頃です。監督は,岩手県や関東 ので,後がない状態で必死でした。大学に無 のスポーツの強豪大学を勧めてくれました。 事合格できた時,涙が止まりませんでした。 大学で学業と柔道を続けたかった私は,進学 最終的には,監督やコーチも祝福してくれ, できる大学があれば幸せであると感じまし わだかまりも解けてとても嬉しかったです。 た。しかし,高校 3 年時の担任の先生が,「成 大学も無事合格が決まり,卒業を 2 週間前 績では,どこにでも推薦できるのに,柔道だ に控えたある日,担任の先生から電話がかか けのためにそれを無駄にするな。柔道で飯を って,「君が学校選出で,全日本私学会長賞 食うわけじゃないだろう。君は障害を持って を受賞することになりました。おめでとう。」 いるから,障害に配慮のある福祉大学が一番 と言われました。この賞は全校で一人だけ受 良い。柔道なんてどんな環境でもできるじゃ 賞できるもので,成績だけではなく学校生活 ないか。」とおっしゃいました。その時,大 の態度,クラブ活動を総括して評価されるも 学進学の意味を改めて再認識しました。勉強 ので,障害者が受賞するというのは高校始ま するために大学へ行くのだと。そう考え,監 って以来初めてというものでした。1000 人以 督が勧めてくれた大学は断り,福祉大を受け 上いる生徒の中から選ばれたということに 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 14 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 驚きを隠せませんでした。審査は学校の先生 をできるだけの経験を持っていなかったの 方全員によって行われるらしいですが,全員 で,とにかく話を聞いてあげることに徹しま 一致で選んでくれたそうです。贅沢すぎるほ した。話を聞いてあげるだけでも,生徒の顔 どの学習環境と,理解のある先生方の配慮と, がとても違うことに気づきました。 それに応えたい自分の3つが実った結果で また,生徒があやまちをおかしたときなど あると思っています。いい先生にめぐり合う は頭ごなしに叱るのではなく,何故そのよう と,障害の有無に関わらず自分の持っている なことになったのか,これからこういうこと もの全てを出せると実感した高校生活であ がないようにするにはどうすればいいのか り,最後の最後にやっと先生方に恩返しをで など,論理的に説明することが重要であるい きたかなと思っています。 うことが大切であると実感しました。それは 教育者を目指す上で最も基本的なことです が,その基本が出来ていないといくら教科に (5)大学時代 大学では,保育士や社会福祉士,精神保健 対しての知識が豊富であっても,人間的に生 福祉士,教職など色々な資格を履修すること 徒に信頼される先生にはなれないんだなあ が出来ますが,大学に入ったら,教職課程を って実感しました。教科のみならず常識など 履修しようと決めていたので,養護学校教職 も教えていくには,モデルとしての先生の役 と,中学校社会科の教職課程を履修しました。 割がとても重要であると思いました。小学校 大学 4 年時には,殆どの単位を取り終えて余 の時の先生と高校の時の先生が私にしてく 裕があったので,高校公民科もあわせて履修 れたことは,全く反対のことであったと今思 しましたが,教職課程で学んだことはたくさ っています。 んあります。今までは「だれだれ先生は教え 部活動は高校から続けていた柔道をやる 方が下手だ」とか「この先生はちっとも僕の ことにし,柔道部に入部しましたが,入部し ことを理解してくれない」など,評価をして た時は先輩が 4 人,新入生が 3 人の計 7 人と いたのですが,今度は逆の立場,先生として いう少人数でした。高校のときに 40 人近く 評価される側になりました。教育実習などで の環境で練習していた私にとって,このよう 実際現場に出てみて,生徒が教師に何を求め な少人数で練習をすることに戸惑いがあり ているのか,敏感に汲み取るのがとても難し ましたが,日を重ねていくごとに高校よりも かった。でも,分かったことは,生徒は先生 楽しい部活となりました。練習内容は高校と との相談を一番頼りにしているということ。 比べては少し短い内容でしたが,部長や監督 教育実習で,生徒から友達関係などの悩みを とは公私共に何でも相談できる関係で,部長 持ちかけられた時,私はまだ良いアドバイス は入部した時に「柔道だけでなく,友人関係 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 15 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 や学業も大切にしなさい。大学は勉強すると くい大学の講義では,とても大切なものでし ころだから,勉強を第一として考えて柔道は た。2年からは直接講義保障班の運営に関わ 楽しくやりなさい」と声を掛けていただいた り,活動を通じて,様々な先生方と仲良くな ことで,自主的に練習できる環境でのびのび れ,ノートテイカーの友達をたくさん持つこ と練習することができました。練習内容は, とが出来ました。しかし,少し怠惰心も出て 部員たちで考える。部長は「自主的な取り組 いたところもありました。講義保障がついて み」を重視しており,何事も自分から先立っ いてくれるという甘えから,ろくにノートを て行動することが大切であると教えてくだ 取らなかった授業では,もののみごとに単位 さいました。練習の時は先輩と後輩の堅苦し を落としてしまいました。これでは,勉強嫌 い雰囲気はなく,笑いながら楽しく練習をし, いの中学校時代と変わらないと思い,次の年 もし壁に突き当たったら部長,監督や先輩方 は,自分に喝をいれるつもりで,その講義の に何でも相談できる。このようなのびのびと 保障を断り,授業の時は常に前の席に座り口 した環境が自分にとても合い,大学 2 年の時 話法と友達から借りるノートだけで勉強を に高校時代に成し遂げられなかった個人戦 して単位を取りました。テイカーさんたちは 優勝を達成することが出来,団体戦では優秀 聴覚障害者の為に自分の時間を割いてまで 選手,さらに選抜海外遠征選手までに選ばれ 活動に協力をしてくれているのであり,それ たことは,高校3年時の担任がおっしゃった に甘えてしまっては,テイカーさんの努力が 「どんな環境でも柔道はできる」ということ 水の泡になってしまいます。テイカーさんは, はうそではないと感じ,このような指導方針 保障をしてくれるときは皆必死です。私が授 を取っていた理解のある部長の優しさに感 業を少しでも理解できるようにと,ビデオ上 謝しつつ,4年間楽しい環境で部活を引退で 映のときもずっとペンを走らせてくれる。そ きました。3年の時に,聞こえないながら副 れで単位を落としたということは,テイクが キャプテンという重責な立場を無事遂行す ありながら講義を理解していなかったとい ることが出来たのも,理解を示してくれた部 うこと。テイカーさんの努力を受け止めて講 長と部員の方たちのおかげであると思って 義をきちんと理解し,講義が終わったら「あ います。 りがとうございました」と感謝の意を述べる 大学4年間の講義を無事取り終えること ことが,テイカーさんへの最大の感謝である が出来たのは,講義保障班によるところが大 と思います。また,講義保障を行うというこ きかったです。この団体は,聴覚障害者が受 とは重要な事ですが,保障をしても,本人が ける授業を要約筆記形式で保障してくれる 理解しようという気持ちがなければ,無駄な ものであり,教室が大きく,口が読み取りに ものになってしまうと感じました。 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 16 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 余談ですが,私の相棒の岩松君が4きてい 能力は身につかないと考えています。すなわ ますが,4年間に渡って,週何回でもいいよ ち,コミュニケーションのモデルを親が見せ と毎週3回という講義保障班の中で一番の ることが必要であると思います。 働き者でしたが,問題があって,書いている コミュニケーションといっても言語的な 字が象形文字かくさび形文字かと思うくら ものだけではありません。コミュニケーショ いに判別不可能でした。たのむから,きれい ンは生まれた時から子供を抱いたりするマ にかいてくれ,とまた,同じ講義をとってい ザリング(愛撫)という形から始まります。 るテイカーさんは寝坊癖があるらしく,よく また,遊びも 1 つのコミュニケーション。遊 講義を欠席したり,遅れてきたりして最終的 びというコミュニケーションを通じて言葉 には私がノートを貸していたのですが,君の を覚えたり,ルールを学んでいく。すなわち 保障をしてどうする,これじゃ立場が逆なん コミュニケーションと呼ばれるもの全てを じゃないかと笑ったこともあります。 大切にしていくことが子どものパーソナリ 在学中には,聴覚障害関係のゼミで指導を ティを発達させる重要なことであると思い 受け,様々なことを学ぶことが出来た。それ ました。それを研究したく,親の会をはじめ に,そのゼミの先生が,高校1.2年生の時 様々な方々に協力して頂き,卒業論文を作成 の恩師のお母さんということもあり,しかも しました。その内容は,ちょっと長いのでこ 分野は聴覚障害。不思議な縁だと思いつつ, こで説明することは割愛させていただきま その先生の下で聴覚障害の生理学的なもの すが,コミュニケーション学を研究している からコミュニケーション学,メンタル的なも うちに,もっとその奥深くまで学びたいとい のまで幅広く教わりました。その中で,私が う気持ちが沸き起こってきました。ゼミの先 一番興味をもったのは,聴覚障害児と親子間 生からも,「大学院では,もっと色々なこと コミュニケーションについて。聴覚障害児の が学べるだけではなく,自分で好きな研究が コミュニケーション能力を発達させるには, 出来る。 」といわれ,大学院へ進学しました。 家庭でのコミュニケーションが基盤となっ 聴覚障害関係を研究するには,精神保健臨 ていなければならないと考えていました。親 床分野の「感性福祉」という分野が一番あっ とのコミュニケーションが基本であり,学校 ていると考え,精神保健臨床分野を選択しま や社会でのコミュニケーションは応用であ した。感性福祉は,人間の5感に対する福祉 ると考えています。 で,最近確立された分野です。音楽療法など よって,基本としての親子コミュニケーショ も扱っているので,音楽好きな私にとってや ンが身についてなければ,それを応用させて りがいのある分野です。 友人や,社会に出た時のコミュニケーション 修士論文はコミュニケーション関連で進め 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 17 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 ていきたいと思っていますが,手話コーラス 生に一度の機会だと思って全力を出してつ や聴覚障害者に効果のある音楽など,研究し いていく。そうすることによって,学業の面 たいことはたくさんあるので,これから一つ でも精神面でも,また特技の面でも限りなく 一つ研究していきたいと思っています。 伸ばすことが出来ると思っております。親に 大学院では,大半が社会人であるので,経 対しましては,まだまだ金のかかる親不孝息 験豊かな方々の知識を分けていただくこと 子ですが,大学院を修了していいところに就 がとても楽しいです。まだ始まったばかりで 職して飯を食わせられるようにこれからも すが,有意義な2年間になるように精進した 精進していきたいと思います。今日はご静聴 いと思っています。 ありがとうございました。 最後となりますが,相田みつをの言葉にこの ような言葉があります。 会場/ (拍手) 「その時の出会いが人生を根底から変える 司会/ ありがとうございました。ではここ ことがある。よき出会いを」 。 で質問を受けたいと思います。どなたかあり 私の今までの人生を振り返ると,恩師や親 ますか? 友と呼ばれる方々に出会ったことで今の自 分があると思っています。小学校のときは勉 会場/ 小松由紀枝の母です。今日のお話を 強もできず,いじめだらけ,中学校は素行不 聞いて,驚くことばかり。どうしてこんなに 良。昔は一日一日精一杯生きているという感 育ったのでしょう? お話,ありがとうござ じでしたので,こうして皆さんの前でお話さ いました。一つ聞きたいのは,お母さんの口 せて頂くような立場になったことは考えら 癖です,教えてください。 れなかったことでした。そんな私を変えてく 畠山/ れたのは両親と高校から出会った全ての先 主なものは「痩せろ」「あんまり食べるな」 生方と,親友たちでした。これを考えると, 「食費を考えろ」です。それは冗談として父 障害があるない関係なく,人間は一人では生 の口癖は「障害に負けるな」でした。私は小 きて行けない存在であると思っています。健 さな頃,他の人と違うように見られるのがと 聴者も聴覚障害者も,お互い支え合って生き てもいやで補聴器をつけていないことがあ ていく。それが大切だと思っています。私が りましたが,父は障害を隠すことを怒りまし 今回言いたいのは,自分の人生を根底から変 た。障害を隠して生きていけるのか,と。で えてくれるような人に出会うことは,一期一 すから,「障害に負けるな」というのが口癖 会です。一つ一つの出会いを大切に,その中 でした。 母の口癖はたくさんありましたが, で師と呼べる人に出会ったならば,これは一 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 18 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 会場/ 高校での配慮はどうでしたか? をしたと思うが,どうですか?漠然としてい マイクなどは使いました? て答えるのが大変かもしれませんが,そのこ 畠山/ とについて教えてください。 マイクは使いませんでした。但し, 自分がいる教科だけ特別にプリントを多く 畠山/ 私のいじめが始まったころは,みん 小学校 3 年ごろです。 してくれたり,終わった後直接来てくれたり, なが物心つくころです。 私だけの特別の資料をいただいたり,最初に ここからずーっと続いていた。私は開き直っ 今日やる授業の簡単なレジメを渡してくれ ていたので,慣れてしまって,少々ではびく ました。プリントによる配慮をしてくれまし ともしなかった。 た。また,全校集会などでは先生が簡単にま 解決策かどうかはわかりませんが,開き直り とめてくれて,終わった後に説明してくれま としては,「いじめられっこよりきらわれっ した。 こをめざせ!」ということ。コブシをふるっ 会場/ て対抗していた。それでいじめは半減しまし ありがとうございました。 た。 西方/ しかし親の存在がとても大きかった。友達 やまびこホームで難聴の就学前の 子供たちの指導をしている西方です。昨年, が居なく。親が友達。 「友達と遊んでこい!」 私が担当していたお母さんたちが,自分の子 とかいわず,遊んで欲しいというとなんでも 供が大きくなった時のことを心配して畠山 相手してくれたり,両親が向き合ってくれた。 さんにお話を伺ったところ,とてもいろいろ どうしていじめられた?「原因は?」とか, な話が聞けてびっくりしたと伺いました。菊 やられたらやりかえせ,とか。「自分でやっ 地先生からも畠山さんのお話を聞いていま てみなさい!」といわれました。 したが,今日は直接お話を伺ってみて,小さ 世の中には負けてしまう人もいる。よっぽ な子供たちに接している私にとって貴重な ど強い気持ちがないと,いじめに自分から立 お話がたくさんありました。 ち向かうのは難しいが,そういう気持ちを少 一つとても感心したのは,難聴児は自分の ことを自分で考えるのが苦手なところがあ しでも伸ばしてあげられるように働きかけ る親のアシストが一番大きいと思います。 るのですが,小学校時代にひどいいじめにあ ったことが,今のお話ではとてもまとまった 会場/ 形で整理されているところです。それができ つ教えてください。 るようになったのはいつごろですか?多分 畠山/ そのころの話でも「こうするな」「ああする 楽しかった思い出は,まず大学に入って,色 な」だけでなくいろいろとご両親とやり取り 気づいて,130K合った体重を30キロ落 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 19 - いままでで,楽しかった思い出を3 すごい簡単な質問ですね。今までで 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 としました。しかし告白して成功率が2%と だきました。今まで口話法でやってきました いう。玉砕率が98%というとてつもない記 が,大学に入ってからたまたまサークルでこ 録を達成しました。それが楽しかったですね。 ういうものがあると進められ,手話を覚えた もう一つは,岩松くんと出会ったことです。 ことによって,コミュニケーションの幅が広 会場/ (拍手) がったのが嬉しいです。口話法では限界があ 畠山/ 初めて会った時が,高校3年のとき ります。うるさいところとか,限界の要素が だった。初めて出会った時は11月くらいの あります。それを補えるものが手話です。う 試合でした。こいつ巨人の松井秀喜ににてる るさいとことか,口が見えないところで手話 なと。今言ったら,彼はすごく太ったやつが で会話する。それで私のコミュニケーション いるな,とかえされた。4年間親友としてつ の手段の幅が増えたと思っています。 きあってきたが,けんかしたことは一度もあ りません。いろんなとこに連れていってもら 司会/ ほかにありますか。 ったり,夜遊びしたり,ここでは言えないこ 会場/ 岩松君に質問してもかまいません ともあります。彼の豊富な経験で,大人とは か? なんたることかと学びました。 校生活をしていますが,友達づきあいも難し もう一つ楽しいことは,自分の人生全てで うちの息子も現在小学校6年生で,学 く,自分なりに頑張っていますが,岩松くん, す。いじめとか経験しましたが,宮城県立ろ 合宿にきていただいて,覚えているんですが, う学校の遠藤先生がおっしゃるように,経験 逆の立場から,どうして畠山君と友達となっ は宝物。まさにその通りだと思います。勉強 たのですか?彼の魅力なども教えてくださ もできなかった,いじめも受けた。そういう い。 経験があるからこそ,今の自分があるのだと 思っています。 以上の3つです。 会場/ (拍手) 会場/ 今伺ってみて,畠山君は普通の小学 校,普通校ですね。手話を今やっていますが, いつごろからどういうきっかけで覚えたの でしょうか。 畠山/ 今日もできれば手話でやりたかっ たのですが,下を見ながらお話しさせていた 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 20 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 初めまして。岩松です。畠山くんと 無敗。グレイシー柔術みたいでしたね。いじ 大学の柔道部でいっしょになって,その前に めっ子に対して集団でいじめるようになっ 高校で一度だけ顔を合わしたことがありま てきたので,集団ではさすがに勝てなくて, した。最初見たとき,「なんだこいつ,でか みんなが帰ろうと分散したあとに,一人にな いなあ」という印象で。なんで親しくなった った時に殴った。闇討ちですね。以上です。 岩松/ か。共通点は柔道。同級生もほかにいました が,フィーリング,友達になろうぜ,とかそ 司会/ 他にありませんか?せっかくの機 ういうことはいらないです。知らないうちに, 会ですので。 どこに行くにもいっしょにいた,ということ 岩松/ で4年間がたちました。親友の出会いとは, やることは?こっていること。 そういうものだと思います。そうですね?特 畠山/ 今の趣味は映画鑑賞です。 に言葉はいらない。心の通じ合いがあるので 岩松/ どんな映画を見ましたか? は? 畠山/ アクションとか,ラブロマンスです。 会場/ いま一番たのしくて,休みのときに あなたの考えているような不純なのは見な (拍手) いですよ。無理に質問を考えなくていいから。 今の時点での夢はなんですか?大 岩松/ 学院を卒業してからのつきたい職業とか,そ した。 会場/ わかりました。ありがとうございま の他。 畠山/ 大学で専攻している分野は精神保 会場/ ギターを弾いたということを聞い 健臨床分野。精神保健についてなので,それ たが,実はうちの娘も主人がギターを好きで, と聴覚障害者を結び付けたい。ソーシャルワ 居間にたてかけてあるのですが,いたずらに ーカーとかいろいろな仕事がありますが,も 弾いている最近童謡のようなものを弾いて っている力をフルに使っていきたい。自分に います。ああいう音は聞こえるのですか? 合った職業を見つけたいと思っています。今 畠山/ は研究で精一杯ですが。 音性難聴で音はなかなかわからないが,響き 私も小学校からやっていた。私は感 とコードの形でやっています。マイナーコー 非常に楽しい,ありがとうございま ドは聞き分けがつきません。音楽活動でなん した。小学校時代にいじめには負けなかった とか耳慣れしている。私が作るのは童謡タイ と。精神的には強かったが対戦成績はいかが プとか,#や♭があまりつかないきれいな音 でしたか?それを聞きたかったのですが…。 です。自分でも人も聞きやすい。感覚として 畠山/ は分かるような感じです。ベース・ギターは 会場/ 対戦成績は,個人的には400戦, 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 21 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 低音なので,身体でリズムを感じることがで 耳が悪くても統合教育を受けたほうが良か ます。ですので,特にベースには力を入れま ったのか した。 教えてください。 畠山/ 苦労しすぎたと感じているか? 統合教育は,障害児も,健常児も一 小学校・中学校と勉強は好きじゃな 緒になって学習する環境ですよね?私の場 かったそうですが,高校に入ってライバルの 合は,当時の学習環境が整備されていなかっ 親友もできて,勉強を頑張って素晴らしい成 たので,何回もろう学校に戻りたいと思いま 績になったということで,部活と成績もすご したが,ろう学校と普通学校の違いもありま くあげたと。家でどんな勉強を?我が子に聞 すが,普通学校の場合は難聴学級があります。 かせたいので!ゲームとかは? 言葉の指導などをしますが,統合教育という 畠山/ 高校のときは部活が終わるのが 7 時 のは理想かなと思うのですが,余計に専門性 か 8 時。帰るのが9時くらいなのがざら。寝 を持った先生を増やさなければいけないで る前に,1 時間でもいいから教科書の読み直 すね。弱視,肢体の障害など,聴覚障害,い しをしようと。先生が電話をかけてくれて教 ろんな専門性をもった先生が必要だと思い えてくれた。教科書を開いて先生の説明を思 ます。今の学校の質を向上すれば,車いすだ い出したら,「あーなるほど」と。練習が厳 ったらスロープをつけるとか,それがなされ しかったので,3時頃起きて朝まで勉強する ない限り,統合教育は難しいと思います。 会場/ とかしていました。数学でもどうしても分か らなければ,そういう場合は先生が「うちで 司会/ 読みなさい」と与えてくれた。友達とやった でおしまいにさせていただきます。この後, らゲームとかに手を出してしまう。でも一人 懇親会を行うので,その時にまた,ご質問お なら雑念が入らない。部活と遊び,勉強のけ 願いします。畠山君,ありがとうございまし じめをつけるのが大事です。 た。 会場/ 会場/ 岡と申します。本当に立派で,成人 他にないようでしたら,時間ですの (拍手) なさったのを伺って,感動しました。私たち も難聴児,弱視にも関係者がいて,親のほう が統合教育をする。しかし,弱視の人は盲学 校 ごたごた言うならろう学校にいきなさ いという傾向が強くなってきたように思い ます。畠山さんは両方にいっている。教育の, 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 22 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号 1994 年 2 月 28 日第三種郵便物認可 2002 年 6 月 15 日発行(毎月 1 回 15 日発行)TSK 通巻第 110 号 □□ 畠山修さんのプロフィール - 昭和54年9月13日生まれ。 - 福島県の幼稚園在学中におたふく風邪 により両耳失聴。聴力両耳110dBと 高度難聴となる。失聴してすぐに,宮城 補聴器セミナー 補聴器セミナー2002 セミナー2002 県に転居し,宮城県立ろう学校幼稚部に 「難聴の 難聴の原因と 原因と正しい補聴器 しい補聴器の 補聴器の使い方」 講演者 仙台市立病院耳鼻咽喉科部長 在籍。 - 沖津卓二先生 仙台市立南材木町小学校きこえの教室 に6年間通う。野球部,サッカー部。 - 仙台市立八軒中学校1年生のとき,仙台 市中学校弁論大会優良賞。部活はバスケ 「宮城県・仙台市難聴者中途失調者協会」 の主催で次のとおり開催されます。親の会も 協賛しています。 ットボール部。 - 日時:平成 14 年 8 月 4 日(日)午後1時から 南光学園東北高等学校 柔道部に在籍 し,宮城県大会無差別級準優勝。国体指 場所:仙台市福祉プラザ 11 階第1研修室 参加費:500 円(資料代) 定強化選手に選ばれる。在学中,2年連 続校内特別奨学生受賞。卒業時,全日本 私学会長賞受賞。 - 栴檀学園東北福祉大学総合福祉学部社 会福祉学科 柔道部副キャプテンを務 め,宮城県大会個人81Kg超級優勝。 東北選抜海外遠征選手団100Kg超 級に選ばれる。団体戦では大将をつとめ, 東北総体第3位。平成12年度熊本障害 者国体ハンドボール投優勝。中学校社会 科,高校公民科,養護学校教員免許取得。 - 大学卒業後,東北福祉大学大学院総合福 祉研究科社会福祉専攻修士課程合格。柔 道部の後輩の指導をしながら現在に至 る。 - 趣味:楽器演奏,作曲。 - 特技:柔道初段。 宮城県難聴児を持つ親の会 機関紙「坂道」 - 23 - 平成 14 年 6 月 15 日発行 第 71 号