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海を渡った日本人町

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海を渡った日本人町
2013
Japanese Overseas Migration Museum News No.30
Summer
■発行元:JICA横浜 海外移住資料館
神奈川県横浜市中区新港2-3-1 赤レンガ国際館2階
Tel:045-663-3257(代)URL:http://www.jomm.jp/ ■編集発行人:JICA横浜 海外移住資料館 館長 北中 真人
海を渡った日本人町
―アメリカ大陸の日本人町、
日本町、
日本人街、小東京―
日本人町って
どんなところ?
海外の
邦字新聞より
World NIKKEI News
海外各地で移住者・日系人のために発行
されている邦字新聞より、気になるトピッ
クをピックアップしてご紹介します。
2013年6月1日 ニッケイ新聞
デカセギ子弟らがラジオ放送開始!
日本にデカセギに来た両親と日本で暮らし、両親の帰国とともに今度は馴染みのないブラジルで暮らすことになった子
供たちが、
インターネットを使って、
自分たちのことを語り始めました。
ブラジルの邦字紙「ニッケイ新聞」が伝えています。
ニッケイ新聞の紙面より
人生の大半を日本で過ごし、両親の帰国などに伴って帰伯したいわ
ゆる デカセギ子弟世代 らによるインターネットラジオ番組『Japacom
ラジオ』が、明日2日から始まる。インターネット上の動画共有サービス
「Ustream」
で、
日本語で情報発信を行う新たな取り組みだ。発起人で、3
∼15歳まで岡山県で過ごしたアリーネ・ソウザさん
(24、
三世)
は
「ブラジ
ルに私たちのような若者がいて、
こんなことができるということを、
日本
に、
世界に伝える第一歩になれば」
と意気込みを語った。
(中略)
設立人の1人で、今回の番組立ち上げにも携わる本間サチエさん
(20、二世)は「自分たちのような若者が、
日本語を使って交流することが
目的」
と説明する。同ページを通じたやりとりの中で、
アリーネさんが本
間さんに今回の話をもちかけ、
賛同した数人のメンバーが加わり4月末
頃から準備が進められてきた。放送される内容は、同ページに寄せられ
た情報(求人、
イベント告知、
アンケート)の紹介、
日本の国内ニュース、
ブラジル国内の注目情報など。各回担当者による独自企画も盛り込むと
いう。
メンバーの山路リチャードさん
(23、三世)は「日本に関わりのある
人たち同士で、何か一つのことに取り組むということに魅力を感じる」
と
やる気満々。中学3年で帰伯し、現在聖市内の大学に通う金子ミシェリさ
ん(19、三世)
も
「この活動は日本語を使う貴重な機会。楽しみながら頑
張りたい」
と笑顔で話した。
初回の放送は6月2日午後6時半∼8時。週1回のペースでの放送を予
定している。
視聴方法は放送時間帯にURL
http://www.ustream.tv/channel/japacomladioにアクセスする。
■World NIKKEI Newsは、資料館友の会のメーリングマガジンでも配信中です!
*友の会メーリングマガジンへの
登録申し込み詳細は、資料館ウ 海外移住資料館
ェブサイトをご覧下さい。
検索
夏休みイベントスケジュール
!
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クリ
HPを
詳細は
さい。
だ
く
ご覧
7月
13日(土) ミュージアムクイズラリーよこはま2013 スタート
!
9月1日までやってます
25日(木) ミュージアムツアー(予約が必要です。詳細はHPで!)
ガイドさんの案内で横浜の街を散策しながら、
日本新聞
博物館と当資料館を見学します。
8月
●開館時間 10:00∼18:00(入館は17:30まで)
●休 館 日 月曜日(月曜日が祝祭日の場合は翌日)、年末年始(12月29日∼1月3日)
●入 館 料 無料
アクセス ■みなとみらい線
「馬車道」駅(4番出口)から徒歩約8分
「みなとみらい」駅(クイーンズスクエア方面改札)から徒歩約15分
■JR線・市営地下鉄
「桜木町」駅から
(汽車道→ワールドポーターズ→サークルウォーク)
徒歩約15分
小・中学生対象/参加者には当資料館オリジナル
国旗デザインの缶バッジをプレゼント!
3日(土)・17日(土)
かながわ子ども・子育て支援月間∼かるたで遊ぼう!∼ 20日(火)・21日(水)
子どもアドベンチャー2013
∼かるたで遊んでタイムスリップ!∼
※8月の2イベントとも10:00∼16:00(随時)
◉当資料館は、平成25年4月1日に「歴史資料等保有施設」の指定を受けました。
引き続き、収集資料の整理、保管等に努めてまいります。
海外 移 住 資 料 館 へ
ようこそ!
入館30万人を達成!3月5日(火)
2002年10月4日の開館以
来、入館者が30万人に達しま
した。記念すべき30万人目の
来館者は、横浜市泉区在住の
八谷道紀さん(63)。吉浦伸二
館長(当時)から30万人記念
証明書と、当資料館オリジナ
ルの缶バッジで作られたレイ
や船の模型、絵葉書などの記
念品が手渡されました。地元
自治会の会長を務めている八
谷さんは「資料館があること
は前から知っていましたが、
来たのは初めてです。今度は
自治会のみなさんと一緒に来
たいと思います」
と話してくれ
ました。
るパートナーとして交流を促進するこ
となどを盛り込んだ共同声明を発表
しました。ガルシア市長は「1899年、
最初の日本人移民を乗せた佐倉丸が
横浜港を出てカヤオ港へ到着したと
きから、両市のつながりは始まってい
たことを実感します」
と話し、ペルーに
関連ある展示品をじっくりと見学して
いました。
日本太鼓ジュニアコンクールで特別賞を
受賞した天龍和太鼓のみなさん 3月28日(木)
石川県で開催された第15回日本太鼓ジュニアコンクールに参加する
ため来日した天龍和太鼓(サンパウロ州サンミゲル・パウリスタ市)のみ
なさんが来館しました。チームリーダーで日系4世の中村タチアナ茉莉
さん(18)は、
「知らないことがいっぱいありました。今、わたしたちが幸せ
に暮らすことができるのも先祖のおかげだと実感しました」
と涙で言葉
をつまらせながら、感動した面持ちで話してくれました。
ペルー共和国カヤオ市長が来館 3月29日(金)
ペルーの首都リマ市の西に位置するカヤオ市のファン・ソトマヨル・ガ
ルシア市長が来館されました。カヤオ市と横浜市は、
この日、共に成長す
TOPICS
海外移住資料館や海外移住にまつわる
さまざまな情報をお届けするコーナーです。
Topic-1
「誰も知らない日系アメリカ人の歴史」
すずきじゅんいち監督よりDVDを寄贈いただきました
「宮武東洋が覗いた時代」
「442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」
「二つの祖国で 日系陸軍情報
部」の3部作で第二次世界大戦の時代を生きたアメリカ日系人の歴史を記録した、すずきじゅんいち監
督が、3月22日に奥様で女優の榊原るみさんと来館されました。すずき監督はこれら3部作の映像を、新
たに40分にまとめた作品「誰も知らない日系アメリカ人の歴史」を制作。
日米の高校や大学など教育機
関約2,000カ所に寄贈し、今日ある日米関係の礎となったアメリカ日系人の歴史を若い世代に伝える活
動もされています。当資料館に寄贈いただいたDVDは、図書資料室(海外移住)
で貸出中です。
Topic-3
Topic-2
ペルー移民の歴史を
オンラインで!
待望のデータベース
を公開!
サンティバニェス公使参事官(左から2人目)
と
監修にあたった柳田利夫慶應義塾大学教授(左)
ペルー日系人協会と当資料館が共同で行った「Pioneros ペルー日本人契約移民
データベース」が4月3日
「日本ペルー友好の日」のスペイン語版公開に続いて、6月
18日「海外移住の日」に日本語版が公開されました。日本語版公開日には、在日ペ
ルー共和国大使館のマルコ・アントニオ・サンティバニェス公使参事官が来館し開
通式が行われました。本データベースは、1899年から1923年に契約移民としてペ
ルーに渡った日本人移民18,727人のデータが収録され、氏名、出身県、船名、ペ
ルー到着日、配耕地などで検索できる画期的なシステムとなっています。
http://www.jomm.jp/dnpperu/entrance.html
きたなか ま こと
北中真人 新館長が着任しました
4月1日付で当資料館に北中真人新館長が着
任しました。北中館長はパラグアイでの在外勤務
を終えたばかり。
「多難な初期の海外移住の歴史
と、各国で尊敬され社会の発展に貢献している日
系社会の現状をここ横浜から世代を超えて広く伝
えていきたく思います。そして、資料館を訪れた
方々にとって海外移住という
テーマをひとつの鏡として、
現在のグローバル化した世
界の中の日本、日本人を改
めて考えていただく機会に
なればと切に願っています」
日本人
アメリカ・ロサンゼルス
洋街・・・『日本人町』とい
移民の「心のよりどころ」で
より)日本人町ってどんなと
アメリカ・ロサンゼルスのリトル・トーキョー 写真:石原嵩
和菓子店
リトル・トーキョー
和菓子は、
日系社会でも祝い事や法事などの冠婚葬
アメリカ・ロサンゼルス 小東京
リトル・トーキョーは、1885年に
茂 田 濱 之 助 が この 地 に「 カメ・
チャー ルズ・レストラン」を開き、
次々と日本移民が商店を連ねたこ
とから始まったといわれています。
言葉の問題や日系人に対する人種
差別から、
アメリカ社会で仕事につ
くことができず、移民たちがリトル・
トーキョーに仕事を求めて集まった
ことも日本人町が発展した理由の
一つです。
やぐら
リトル・トーキョーのシンボル「櫓」。
1978年、
ジャパニーズ・ビレッジ・プラザ(ショ
ッピング・センター)のオープンと同時期に建
てられた
祭には欠かせないものでした。
和菓子店は日本の行事等、伝統文化を広める役割
を果たしていました。
日本語新聞に掲載された和菓子店の広告にも、
「命
名祝・御祝儀・全快祝・還暦・喜寿・米寿の祝 御注文
に応じています」
と
書 か れていること
から、お 祝 い 事 に
は必ず和菓子を
贈ってい たことが
うかがえます。
1930年代頃の和菓子店「相模屋」
(アメリカ・シアトル)
ロサンゼルスに住む日系人は、第
二次世界大戦前には30,000人に達
しましたが、開戦により日系人は強
終戦後、多くの日系人がロサンゼルスに戻り、1950年代にリトル・
トーキョーは再建されます。70年から80年代にかけては日系企業の
本屋
制収容所に移動させられ日本人町は廃墟となってしまいました。
BOOK
MUSEU
M
進出も盛んになり、現在では、
日系二世、三世が中心となって、
リトル・
トーキョーの活性化のため活動しています。
MOCHI
ブラジル・サンパウロ リベルダーデ東洋街
1912年頃から、サンパウロの中心部に日本移民が住み始
が、
より中心に近いリベルダーデ地区に開館すると、
それまで
住宅街だった町は日系の商店街に変わっていきました。
日本人町
め日本人町が作られましたが、1953年7月、日本映画上映館
1968年に、映画館は、自動車専用道路建設のため、立ち退
きを命じられて移転。同じ頃、地下鉄の開通工事の影響でリ
ベルダーデでは商売にならず、閉店する日系商店が相次ぎま
した。
街が分散してしまうことを心配した日系の商店会は、1969
年に「第一回東洋祭り」を開催、1974年には町のシンボルと
なる
「大鳥居」が完成しました。
1990年代に入り、日本へのデ
カセギによる日系人の減少で、
中国人や韓国人の進出が目立
つようになり、
リベルダーデ東洋
街は、
ブラジル日系文化の中心
であると同時に、文字通り東洋
リベルダーデ東洋街のシンボル、大鳥居と
人町として発展を続けています。 すずらん街灯
サンパウロの東
みつけた招
右手にだるま、左
おなかには
これだけの幸運
招き猫は、日
ちょっと、みられ
人町ってどんなところ?
リトル・トーキョー
スの小東京、サンフランシスコのジャパンタウン、ブラジル・サンパウロのリベルダーデ東
いっても、その土地その土地で、いろいろな呼び方がありますが、どこの日本人町も日本
ここ
アメリカ・サンフランシスコ
ジャパンタウン
1906年、
サンフランシスコを襲った大
地震で多くの日系人が被災し、家を失
いました。他の都市へ移住した人たちも
」でした。
『海をへだてた日本の香り 此処にあふれて栄えゆく』
(「リベルダーデ音頭」
いましたが、サンフランシスコに残った
なところなのでしょう。
人たちは地震の被害を免れた地域へと
移り住み、現在のジャパンタウンとなり
ました。
第二次大戦前、ジャパンタウンは大
旅館・ホテル・下宿屋・レストラン
きく発展しますが、戦争中の強制収容
1950年代後半から70年代にかけての
都市再開発事業により、1968年、日米の
るジャパンセンター(日本文化貿易セン
センターの完成を祝って始まった「桜祭
の週末、2週にわたって行われ、約15万人
r
ese spape
Japanuage New
Lang
映画館
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emup
T
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Sush
ada
Yam
Hotel
CAFE
館
旅
喫茶店
KAN
日本映画
CINE
MA
KAI
GROCERY
STORE
I
SH
GA
WA
東洋街で
招き猫。
左手に小判、
は七福神
運をあつめた
日本では
れない???
によりすべての財産を失い、戦後ジャパ
日系人は、
ゼロからの再出発でした。
日本語新聞
農村部から仕事を求めて都会へでてき
た人たちは、日本人町の旅館やホテルに
滞在しながら、仕事を紹介してもらうなど、
宿泊だけの施設ではなく、多くの人たちが
行き交う情報交換の場となっていました。
ロサンゼルスのレストラン「ミツル・グリル」
旅館や下宿屋の中には食堂を経営して 沖縄そば、ラーメン、お好み焼きなど、
メニューはバラエティーに富んでいる
いるところも多くありました。サンパウロの
リベルダーデに現存する「レストランテ・サトウ
(佐藤食堂)」は1960年の創業
ですが、開業当時はサンパウロの学校に通うため地方から上京してきた学生
の寄宿舎でした。
SAK
RICE/JU E
ICE
戦後、日本人町には日本映画を
上映する映画館ができ、移住地や
農村部で働く人たちも、
日本人町へ
出かけて映画をみることが楽しみ
となりました。
ブラジル・サンパウロのリベル
ダーデは、1953年に建設された映
画館「シネ・ニテロイ」
を中心に日本 サ
「シ
人町が作られたといわれています。
奥地で農業に従事していた移民たち
ウロに出て、ホテルに泊まり、
日本映画を
ンへ行き、お土産を買って帰るので、
し
の周辺には、
日系商店が次々とオープン
ていったのです。
日本文化が魅力的なものである限り
日本人町も生きつづける
サンパウロ大学教授(元ブラジル日本移民史料館運営委員長)二宮
雑貨店
サンパウロ リベルダーデ東洋街の「KIOTO」
(写真:深沢正雪)
移民にとって「日本の味」は何より恋しい
ものでした。日本人町の雑貨店では日本か
ら輸入した米、味噌、醤油や乾物、缶詰、豆、
日本茶などさまざまな「日本の味」をあつ
かっていました。食品のほかにも、台所用
品、陶器類、文房具、衣類、神仏具、土産物、
日本の雑誌や書籍、楽器やレコードなど、
日
用品から趣味の品までなんでも揃っていま
した。
言葉も文化も違う外国で、移民たちは、日本の物や情報を求めて
集まれば、店ができ、食堂ができ、宿屋ができというように、一つの町を
現在、
アメリカ大陸にある日本人町は、多民族国家で暮らす日本人
ない二世、三世が、日本の文化を感じられる心のよりどころとして、守
いえます。日本文化がその国を豊かにする魅力的な文化の一つとし
わば観光地として発展しているのが現在の姿でしょう。
サンパウロのリベルダーデ東洋街では、毎朝6時半から、日系人を
もラジオ体操が続けられている一方、世界的な日本ブームもあり、新
のおしゃれなバーで、
日系ではないブラジル人カップルが語り合う姿
日本文化が、世界で魅力的なものである限り、
日本人町も生きつづ
∼海を渡ったブラジル人町∼
コ 群馬県大泉町を
リベルダーデ東洋街の
逆バージョンに!
群馬県大泉町は住民のおよ
そ10人にひとりがブラジル
人なのよ。まさに、日本の
中の「ブラジル人町」ね。
日本語情報誌「Bem-vindo!ブラジル街」を
発行する平野勇パウロさん
1968年、
姉妹都市の大阪市
より送られたジャパンタウンの
シンボル五重塔
(平和の塔)
パンタウンに戻ってきた
の、サンフランシスコの
の交流促進の拠点とな
ンター)が完成しました。
群馬県大泉町は、日系ブラジル人が多く住んでいる町として知られて
います。町を歩いていると、ポルトガル語の看板が立ち並び、
レストラ
ン、雑貨店、パン屋など、ブラジル風のお店をあちらこちらに見かけま
す。そんな大泉町に日本語でブラジルのお店を紹介する無料情報誌を
みつけました。
「どうしてブラジルのお店を日本語で?」さっそく、発行人
の平野勇パウロさん(34)にお話を伺いました。
祭り」は、現在も毎年4月
発行している日本語情報誌を手にする平野さん
人もの人々が訪れます。
サンパウロ・リベルダーデの日本映画館
シネ・ニテロイ」の外観
ちは、たまの休みにサンパ
画を楽しみ、
日本食レストラ
しだいに「シネ・ニテロイ」
ンし、
日本人町へと発展し
り、
宮正人
平野さんは、
ブラジルサンパウロ市出身の日系3世。1989年、10歳の時に家族と共に来日し、大泉町に
移り住みました。日本で小学校から大学まで進み、その後は貿易関係の商社に勤めていました。
2008年のリーマンショックの影響で、解雇されたブラジル人の帰国が相次ぎ、大泉町におよそ100店
あったブラジルのお店が次々と閉店。そんな中、
「自分に何かできないか」
と思いついたことが、日本人客
を呼び込むための日本語フリーペーパーの発行でした。平野さんはそれまで勤めていた商社をやめてデ
ザイン事 務 所をたちあげ、大 泉 町 や 隣 接 する太 田 市を中 心としたブラジル 店を紹 介 する情 報 誌
「Bem-vindo!ブラジル街」を2009年6月に創刊しました。
「子どもの頃、週末に家族でサンパウロの日本人町、
リベルダーデ東洋街へ買い物に行き、少年ジャン
プを買ってもらうのが楽しみでした。その思い出が今の自分の人生の原点になっています。だからこそ、子
どもたちにもブラジルの文化に触れる場所をつくってあげたい。
ブラジル街を失くしたくないんです。今、
サンパウロのリベルダーデには、たくさんのブラジル人が訪れ、日本の文化に興味をもつきっかけになっ
ています。
ここも日本人とブラジル人の交流の場にできたらいいなと思っています。大泉をリベルダーデの
逆バージョンにしたいんです」
ベンヴィンド
*Bem-vindoはポルトガル語で「ようこそ」の意味
表紙の写真
特別展示
「海を渡った日本人町」展 ―アメリカ大陸の日本人町、日本町、日本人街、小東京―
7月19日(金)∼9月23日
(月・祝)
アメリカ・ロサンゼルス・小東京のジャ
日本人が移住したアメリカ大陸には、多くの日本人町がありました。
そこ
パニーズ・ビレッジプラザ駐車場の壁に
には日本の食材が買える雑貨店、食堂、旅館、映画館などが集まり移住者
の心のよりどころとなっていました。当時の写真や資料、
また現在の様子や
証言映像で、
日本人町の過去と現在を紹介します。
て集まるようになり、人が
ングは地域の子どもたちをはじめ、市民
が営んでいた八百屋、1940年代の二世
カップル、収容所のガードタワー(監視
塔)など日系人が歩んできた歴史がモ
して人を引き付ける、い
づけることでしょう。
(談)
16フィート
(約5メートル)、幅40フィート
(約12メートル)
もある巨大なペインティ
2005年10月に完成しました。
日系4世の
人が、そして日本を知ら
姿も普通に見られます。
リトル・トーキョー
取り付けられている
「小東京壁画」。高さ
トニー・オスミさんがデザインし、日系人
、守ってきたものであると
新しくできた日本酒専門
リトル・トーキョー
600人がボランティアで彩色に参加し
町を形作っていきました。
を中心に、
もう30年以上
(写真提供:羅府新報社)
チーフとなっています。
展示の目玉は、日本人町のマップです。サンフランシスコ、ロ
サンゼルス、サンパウロ、ホノルル、ポートランド、シアトルの日
本人町の地図を拡大し、床に敷きつめます。街並みを想像しな
がら、地図を上からじっくり眺めてみてはいかがでしょうか。
ブラジルの
日本人町、
リベルダーデ
東洋街
(写真:
深沢正雪)
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