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藤原和博氏 個を発揮し

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藤原和博氏 個を発揮し
イ
ン
タ
ビ
ュ
ー
個を発揮し、
多様で寛容な
社会を
−学 校で地 域 社 会づくりを−
藤原
和博
氏
杉並区立和田中学校長
民間企業リクルートから公立中学校の校長に
転身された藤原和博校長。これまでの公立中
学校にはなかった新しいユニークな授業や
試みを次々と打ち出している。
人の個性や価値は、人と人との間において生
まれ、発現し、蓄積されるものであって、人の
内部に蓄積されるものではない。藤原校長の
語り口は平明だが、その背後には近代的自我
を乗り越えようとする現代哲学と同じ問題意
識がある。そしてその実践は、教育、家庭、地
域社会、成熟社会のあり方の全般を射程距離
におく、一つの社会変革活動とでも言うべき
ものであった。
個を発揮し多様性を出す規模
野口参与(以下、野口)
:昨今、ゆとり教育の見直しなど、
さまざまな教育に関する問題が持ち上がっていま
す。このような現代において、藤原校長は、
[よ
のなか]科をはじめ、興味深い授業や試みを実
践していらっしゃいます。本日は日々実践されてい
ることや感じていることも含め、お話ください。
和田中学校では、生徒数を増やすことを掲げて
いらっしゃるようですが。
藤原校長(以下、藤原)
:おっしゃるように 3 年後までに
生徒数を300 名前後に増やすことを目指していま
す。300 名程度の生徒数がいないと人間の多様
性が出てこない。また、教師の多様性も出てこな
いからです。
野口 今までの教育論は少数精鋭がよいとされてきたけ
れども、そうではないということですね。社会の中
で生きて抜いていく人間を育てるには、ある程度
の人数の中でもまれるほうがよい。
藤原 個というものをつきつめて考えていった場合、多く
の人は少人数制教育でより少ない方がよいと言
聞き手
株式会社三菱総合研究所
参与
う。でも理由を聞くと、ようするに少ないほうが目
野口和彦
もっと本質的に考えていけば、個を発揮するには、
が行き届くからなのです。
個が認識されるパブリック、共通の場が必要で
す。さらに多様性を求めていくのであれば、ある
程度の規模が必要になる。
少人数になりすぎると皆同質になってしまいがち。
藤原和博
ふじわら かずひろ
現 職
略 歴
杉並区立和田中学校 校長
旧来とはひと味もふた味も違うアプローチで「新時代の働き方と
生き方」を提言し続ける1955年生まれの元ビジネスマン校長。
理想論にとどまらず、すべて自ら実践している見事さで、
30∼40代
の会社員を中心に熱い支持を得る。東京大学経済学部卒業後、リ
クルート入社。伝説に残る輝かしい経歴を残しながら出世街道を
選ばず、パリ、そしてロンドンで「次代」を学ぶ。帰国後の96年には、
年俸契約の客員社員「フェロー」制度を創出しその第1号に(第3
号はマラソンランナーの有森裕子さん)。
そうなると、結果、違う意見や環境など多様性を
受け入れられない弱い子どもが育ってしまう。そう
かといって多ければいいというものではないから、
多様性が得られる適切な規模があるのでしょう。
中学では3、4クラス程度がよいと感じています。
2002年4月、
「たった一人からの教育改革」を旗印に自治体の教育
委員会の教育改革担当を経て、
03年4月からは区立中学校の校長
に就任。東京都では、義務教育初の民間人校長の誕生となった。
著 書
「この本読んで勇気が出ました」という人が続出したベストセラー
デビュー作『処生術』を始め、
『自分「プレゼン」術』
(ちくま書房)、
『リクルートという奇跡』
(文芸春秋)、
『民間校長、中学改革に挑む』
(日本経済新聞社)など著書多数。
『処生術』
(新潮社)は現在、
『お
金じゃ買えない。』
『給料だけじゃわからない!』
『味方をふやす技術』
(ちくま文庫)の3部作として文庫化されている。
「よのなかnet」http://www.yononaka.netに全著作と活動を紹介。
近著は『公教育の未来』
(ベネッセ)で、学校に関わる全国のPTA
必読の書。
藤原 人は、一般に、個性というものは、人間一人ひと
勉強は「クレジット」を
高めるために行うもの
りの内部にあるもので、それはもっぱら自分の内
部に蓄積され、発現されるものと考えています。
野口 最近、個性という言葉をよく聞きますが、この個
しかし、世界での潮流は、個性とは個と個の間
性という言葉はある価値観の中での優秀性に置
に出現するもの、つまりは相手がいて初めて個性
き換わっているような気がします。
が発揮されるという認識へと変わってきています。
たとえば相手がAで自分がXだとすると、自分の
藤原 例えばある私立中学校では入学の際、偏差値を
個性はAXとなって発現されるということです。相
55 で切ってしまって、偏差値 55 ∼ 65 の生徒ば
手がBならBXとなる。ようするに個性は関数に
かりがいる。それに対して、公立中学校には、偏
なっていて、だからクラスに 40 人の生徒がいたら
差値 35 ∼ 70までの幅広い生徒が集まります。私
生徒たちが多様であればあるほど、豊かな個性
立では、同じような価値観を持った両親と家庭環
が発現されるというわけです。
境で育った同じレベルの成績の子どもたちが集ま
り、同じように育つ。一方、公立中学校では、偏
野口 相手という存在が自分の心を映し出してくれる鏡
差 値 6 0 の生 徒が 3 5
の存在になるときもあるし、違う人に出会うことに
の生 徒に勉 強を教え
よって新しく何かが生まれるときもある。それらが
てあげるといったこと
見えてくると、
もっと集団での個が見えてきますね。
が起こります。勉強だ
けでなく、スポーツに
藤原 何かが生まれるのも、蓄積されるのも、人の内部
おいても得 意な生 徒
でなく、人と人との間においてであるという点が
が 得 意じゃない生 徒
重要なんですよ。相互にメリットが生まれて、両
に教えます。委員会で
方がハッピーになれる人間関係をたくさん持って
は、自然にリーダーシッ
いることが、人生の豊かさでしょう。その場合、
「ま
プを発 揮 する子が 現
ず自分ありき」などと考える必要はない。
「自分を
れる。ありとあらゆる局面で学びあう場が出てきま
強く持て」とか「アイデンティティ」ということが、
す。さて、どちらが個性を育てるでしょうか。
この 2、30 年、日本では強調されてきましたが、
実は固定的な「自分」なんていうものは存在しな
野口 ベネッセコーポレーション創業 50 年記念の論文で
※1
くて、あるのは「自分ネットワーク」だ、と。誰かと
を拝
の関係の中にしか自分は存在しない。自分自身
見させていただきました。その中の学校が輝きをな
の価値は、人と人との間に生まれ、見えない資
くしてしまった理由について述べているくだりを読
産として蓄積される。
「人脈」というと、自分の中
み、私も改めて学校というものを考えてみました。
に蓄積される資産のように聞こえてしまうけど、そ
最優秀賞を受賞された藤原先生の論文
学校に行く意義は、先生のおっしゃるとおり、集団
うではなくてね。むしろ「クレジット」を高めるとい
の中に自らを置き自らを磨くことにあるのではない
う言い方のほうがしっくりくる。人々から得る信頼
かと。知識を獲得するだけならインターネットや本、
と共感、あるいは信任という意味。クレジットが高
塾で十分ですから。
まると、行動の自由度が高まり、選択肢が広がる。
※ 1「公立校の未来を拓く―[ よのなか ] 科と地域本部の役割」
(ベネッセコーポレーション創業 50 年記念『日本の教育への提言』
「最優秀論文・選考委員特別賞」論文集)
個を発揮し、
多様で寛容な
社会を
僕は生徒にも、何のために勉強するのか、
それは、
パーツを、自らの知識と技術、経験を駆使して組
クレジットを高めるためなんだと語っています。
みあわせ、試行錯誤しながら解を探る能力です。
ジグソーパズルの絵柄は別の人が決めているけ
情報処理力と情報編集力
れども、ここで問われる情報編集力はいわば絵
柄を自ら作る力、世界観や人生観を形づくる力
野口 教育を受ける目的や成果がクレジットを高めるた
で、当然答えは一つではない。
めというのは、大変納得のいく説明ですね。さて、
日本はすでに成熟社会に突入しました。成熟社
日本には、クレジットを高める教育に対して偏差
会では、いくら正解を暗記したところで解になる
値教育が存在しますが、偏差値の利用について、
ような答えは出てこない。だからある条件下で自
藤原校長はどのようなご意見をお持ちですか?
分の力をいかに発揮できるかという力を身に付け
ていく必要がある。僕は「納得解」と呼んでいま
藤原 偏差値は狭義の学力を最もわかりやすく数値化
しているものですから大事だと思っています。
すが、なるべく多くの人から理解を得られる納得
解の探し方が成熟社会では大事になってきます。
学力は情報論的に言うと、2 つの要素に分けら
れます。1 つは「情報処理力」。どういう力かとい
野口 必ず明確な正解がある
うと、正解をとにかく記憶してそれを吐き出す、で
とは限らないので、そ
きるだけ早く正解を出すことが偉いという視点で
のような場合は、複雑
す。
「読み・書き・ソロバン」の世界での正解は必
な解 の 中から自分 の
ず 1 つ。ジグソーパズルのパーツを、決まった位
価 値 観にあった解を
置に、いかに早くはめていくかというようなイメー
選 択 するということに
ジ能力です。何千ものピースがある複雑なパズル
なるのでしょうか。
も、完成形の絵、つまり正解はあらかじめ決まっ
ており、1 通りしかありませんね。これまでの教育
藤原 自分と他人とが納得で
は、工業化社会に対応した優秀なホワイトカラー
きることが 解になって
が大勢必要だったため、このような情報処理力
いくのでしょうね。だからこそ、他人を納得させる
に優れた子ども達が望まれ、輩出されてきました。
プレゼンテーション力がますます重要になってき
学校はいわば産業主義の下請けで、この仕組み
ます。
があったからこそ、戦後の短期間のキャッチアッ
プも可能だったのです。
野口 ロボコン博士の森先生(東京工業大学名誉教
しかし、現在の日本は、右肩上がりの成長は止
授 )とお話した際に、生 徒がロボット作りに夢
まり、立ち止まったまま次の世界が見えない状況
中になったお話をしてくださいました。私は、授業
にあります。このような状況下で必要になってくる
の一環としてやらされるロボット作りに対して、どう
のは「情報処理力」のような力ではなく、もう一
して生徒たちは夢中になったのか不思議に思い、
つの学力である「情報編集力」。情報編集力と
「やらされることに変わりはないのにどうして生
は、
“レゴ”を組み立てるときのような力で、一つ
徒たちはロボット作りに夢中になったのでしょう
ひとつのパーツはシンプルなんだけれども、その
か?」と伺ってみました。すると先生は、
「それは
先生も答えを知らないからだ」と。作りながら生
い」という風潮さえあります。けれども、正解のな
徒と一緒に考え、解を探していけるからだという
い、人生の多くの課題には、自分なりの納得解
のです。
を持つことのほうがよっぽど重要でしょう。
藤原 ただ、情報編集力だけではだめで、情報処理力
も必要。だから学ぶ割合を発達段階で変えてい
けばいいと考えています。小学校では情報処理
力が 9 割で情報編集力が 1 割程度でいいかな。
中学校では情報処理力が 7 ∼ 8 割で情報編集
地域社会で
「ナナメの関係」を築いていく
野口 唯一の正解がないような問題に答えられるように
するには、どのような教育が必要なのでしょうか。
力が 2 ∼ 3 割程度は欲しい、高校で 5:5、そし
て大学になったら100%情報編集力というように。
教育界の議論では、
「学力低下」を指摘する人
は簡単なことではありません。また、教えられる人
が多いのですが、その調査結果にも二つのタイ
間もなかなかいないでしょう。教師が教え手として
プがあることを知らない人も多い。国際比較で使
すべてを担うのは無理。そこで補完していく存在
われるテストには、情報処理力を問うものと、情報
として地域社会の人々が必要になるわけです。
編集力のような能力を問うものとの二種類がありま
和田中学校には、学内に地域本部を設置し、約
す。後者の例を挙げましょう。たとえば公共建築物
100 人の大人たちがサポートしてくれる体制がで
の壁に落書きアートをすることは果たして犯罪でし
きています。他人のよい考えはどんどん取り入れ、
ょうか? それとも許される芸術的行為なのでしょう
さらによいものへと発展させていくことが大事であ
か? 自分の意見を述べなさい、というような問い。
るということを大人も子どももともに学びます。
この問に対して答えられない子どもたちが日本には
昔は、納得解の導き方を学ぶ場が地域社会にた
多い。
くさんあった。たとえば親子や先生・生徒など直
この回答はどっちでもいいのです。一つは、公共
属の関係でダメと言われることも、別の関係の中
物を私物化するのはあくまでも犯罪であるといっ
では許されることがあった。僕は一人っ子だった
た回答。対して、かつてのニューヨークでは地下
のですが、それでも同じ団地には同級生が何人
鉄の壁に絵を描き、それをステップにして若手アー
もいて、その中でもまれながら納得解の得かたを
ティストが育った。一概にはどちらがいいとはいえ
身に付けました。しかも、自分の両親の兄弟、つ
ない。だから自分の考えを素直に書けばいい。
まり叔父さん、叔母さんの中には、例え親に反対
ところが、日本の子どもたちの多くは白紙のまま返
されていることでも応援してくれる人が必ず一人
してきます。なぜなら塾では、正解を答えられる問
はいたものです。多様性と寛容性をあわせもった
題から回答していきなさいと教えているからです。
社会。僕はこれらの関係を直属の上下関係に対
でも考えてみてください。この問題には決まった
して「ナナメの関係」と呼んでいます。昔の社会
解答はないので、すべてが正解となり、実は得
では、
「ナナメの関係」が豊かに育めた。
点できるのです。
それが現在は、少子化の影響で核家族化が進
日本の教育では、すべてに正解があると勘違い
み、地域社会は崩壊してしまった。結果、
「ナナ
しがちです。だから「下手なことを書くと恥ずかし
メの関係」が失われ、子育てで必須の寛容性の
個を発揮し、
多様で寛容な
社会を
藤原 唯一の正解のないような問題について教えるの
ある環境がなくなってしまったわけです。寛容性
先や 10 年先の夢を持つ必要はないと思っていま
がなくなり、一つの考えだけが正しいと押し付け
す。僕自身、中学時代や高校時代に、リクルート
られると、その考えにあわない子どもは居場所が
で働くとは全く考えなかったし、ましてや中学校
なくなる。セルフ・エスティーム、自己肯定感とで
の校長になるなんて夢にも思っていませんでした
も言いましょうか、これが弱い人ですね。日本の
(笑)。ようするに、遠い夢が動機付けとなったこ
とはない。
子どもたちはこのあたりに危機があると思う。
それよりも今、何ができるかが大切です。目の前
にいる子どもたちに対して、さらに自分と自分が
野口 では、
「ナナメの関係」を築いていくためにはどう
経営する学校のクレジットを高めるにはどうしたら
すればよいのでしょうか?
いいかということを常に考えています。
ゴルフが難しいのは 1 発で入れようとするから。
藤原 もはや、家庭に期待するのは無理があります。家
庭の教育機能が低下したのは欧米も同じです
残りの距離を考え、クラブを選び、風を読み…し
が、欧米の場合は教会を中心とするコミュニティ
かし、急に突風が吹いたりと、未来は不確定で
がこれを補った。先進国の中で、宗教の支えな
すよね。だからいろいろ考えるよりも、まずは打ち
しに地域社会をこんなに崩壊させたのは日本だ
始めること。打たないと物事は始まらない。
けでしょう。日本は企業の内部コミュニティの育成
考えに考えて 1 ホール 30 分もかけて Par3をボ
にしか投資してこなかった。結論をいえば、学校
ギー(4 打)でホールアウトするオジサンよりも、30
を中心に地域コミュニティを再生していくしかない
発ドンドン打って 10 分でホールアウトしてしまう
と思うのです。
子どもがいたとします。子どもは、打ちながらバン
文部科学省は、
「学校を開け」と唱えていますが、
カーも池も楽しんでまわるでしょう。その上、時間
それだけでは足りません。学校にきちんと投資を
も短い。果たしてどちらがハッピーなのでしょう?
行い、外ではなくその内部に擬似コミュニティを
ということ。
築いていかないといけません。メンバーとしては、
僕は、短い時間でたくさん楽しんだ方がいいと思
学校の OB・OG の活用、教師を志望している学
いますね。成熟社会ではルールが変わったので
生やフリーター、ニートなどの若者、そしてパソコ
す。これに気付いていない人が多すぎる!
ンの使い方などの専門性をもったお父さんなどに
参加してもらうのです。そして学校の中に再び地
野口 豊かさとは、クレジットの獲得であり、そのために
域社会を形成していく。
は、とにかく始めてみること。たしかに成熟社会
の豊かさとは、そうかもしれませんね。本日はどう
短い時間で楽しんだ方がいい
もありがとうございました。■
野口 最後に藤原校長が考える「豊かさ」とはどのよう
なものでしょうか。
藤原 クレジットがどれだけ築けるかではないかだと考え
ます。よく夢を持ちなさいなどといわれるが、5 年
イ ン タ ビ ュ ー を 終 え て
野口和彦
藤原先生とお話をしていると
教育論という枠を超えて、地域
論、社会論、人間論など目線の
高さを感じさせられた。それは
教育が子供を社会に送り出す
準備である以上当たり前かも
しれないが、改めて教育の懐
の深さ、可能性に気づかせて
もらった。
藤原先生が推進されている授
業に[よのなか]科というものが
ある。生徒に社会を知らせよう
という試みとして始められたも
のである。たしかに、大切なこ
とだと納得させられた。しかし、
ここでふと疑問がわきあがった。
[よのなか]科が必要なのは、中
学生だけなのだろうか、もしか
すると今[よのなか]科の授業
が必要なのは、我々大人なの
ではないのか、
と。我々大人は、
和田中学の生徒に負けてはな
らない。我々大人が率先して
「よのなか」を知り、良い「よの
なか」として子どもたちに引き
継がなくてはならない。
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