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スウェーデン時代 ロシア大公国時代

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スウェーデン時代 ロシア大公国時代
フィンランド史年表
BC1000
AD800
~
エストニア周辺のバルト=フィン語族の一部が小規模な支族単位でフィンランド湾を渡り、現在のトゥルク近郊に移住(ス
オミ人)。その一部が上質な毛皮を求めて東進し、タンペレ付近に定着(ハメ人)。さらに東進した部族はラドガ湖周辺に
定着(カレリア人)(A.D.800 ごろ)。
c100
タキトゥスの『ゲルマーニア』に原始的種族「フェンニー」に関する記述(現在のサーミ人に同定)
9c
毛皮貿易におけるノルウェーとの抗争(『アルフレッド大王地理誌』の記述)
1143
コレラ族(バルト=フィンの一支族)、ノヴゴロドを襲撃(『ノヴゴロド年代記』の記述)
スウェーデン時代
※ スウェーデン王権はフィンランドを財源として重視し、時には王弟など有力者を遇するためにフィンランドを公領とすることもあったが、
基本的には王国辺境の県 province としてスウェーデンの他の諸州と法的・政治的に同等の地位を認めた。
スウェーデン王エーリック、十字軍と称し、ウプサラ司教聖ヘンリックを伴ってフィンランドに侵攻、占領。以後、スウェーデン王国
1155
とノヴゴロド王国との間で国境をめぐる争いが続く
1240
スウェーデン十字軍、ノヴゴロドのアレクサンドル=ネフスキーの軍隊に敗れる
1323
ネーテボリ(パハキナサーリ)条約 初めてスウェーデンとノヴゴロドの国境確定
1362
フィンランド代表にスウェーデンの国王選挙に参加する権利が与えられる
1397
カルマル連合成立
1523
グスタヴ 1 世ヴァーサ、スウェーデン王を宣言しカルマル連合から離脱
1536
グスタヴ 1 世ヴァーサ、スウェーデンの教会は福音派国教会と宣言、教会・修道院財産を没収
1548
オーボ(トゥルク)司教ミカエル=アグリコラ、最初のフィンランド語訳聖書を出版
1570~95
スウェーデンとロシア(モスクワ大公国)の戦争。フィンランドが主戦場となり、「長き怒り」の時代と呼ばれる
1595
タユッシナ講和条約 ロシア・スウェーデンの境界最確定
1617
ストルボヴァ条約 スウェーデン、ロシアよりイングリア(カレリアの一部)を獲得
1611
スウェーデン王グスタフ2世アドルフ即位 中央集権化(全土のスウェーデン化)推進
1630
グスタヴ2世アドルフ、三十年戦争に参戦(兵站部とされたフィンランドの国力低下) Hakkapelites として動員
1640
スウェーデンのクリスティーナ女王、オーボ=アカデミー(大学)設立(1828 年にヘルシンキへ移転)
1700
北方戦争はじまる
1713
ロシア軍、ヘルシングフォシュ(ヘルシンキ)(5月)、オーボ(トゥルク)(8月)など、フィンランドの大半を占領。フィンランドでは「大
いなる怒り」の時代と呼ばれる
1721
ウウシカウプンキ(ニュスタード/ニスタット)条約 スウェーデン、バルト海南東岸の領土を失う
1741
スウェーデン、対ロシア戦争(ハット党戦争)
1743
オーボ(トゥルク)条約 キュミ川以東のフィンランド南東部をロシアへ割譲
1770
フィンランド最初の新聞(スウェーデン語)がフィンランド文化グループ、オーロラ協会から発刊
1776
最初のフィンランド語の新聞『フィンランド語報知新聞』発刊
1777
ロシア皇帝アレクサンドル1世即位(~1825)
1788
ロシア・スウェーデン戦争始まる(露土戦争~ナポレオン戦争) ※スウェーデンはこれ以降戦争に参加していない
1808
2 月、ロシア軍フィンランドに侵入
3 月、ロシア皇帝アレクサンドル1世、フィンランド併合を宣言
宗教
改革
9 月、戦争終結
ロシア大公国時代
※ 併合当初は帝国辺境の安定のために民心を慰撫する目的でスウェーデン時代以上の自治が認められたが、ドイツとの関係が悪化
するにつれ、帝国の首都に近いフィンランドを緩衝地帯として掌握するため軍事的・政治的支配を強化し、ロシア化政策を推進した。
3 月、アレクサンドル1世、ポルヴォーに議会(グスタヴ2世が制度化)を招集
8 月、大公国評議会を設置(16 年にセナーッテ
1809
ィと改称)
9 月、フレドリスクハムン(ハミナ)条約 スウェーデン、ロシアにフィンランドとオーランド諸島を割譲
法令により、全土の中等学校にロシア語教師が配置され、文武公務員・聖職者はロシア語試験を受けるべきことが定められる(学
1811
校での授業は基本的にスウェーデン語)
1825
ロシア皇帝ニコライ1世即位
1835
医師エリアス=リョンロート編集の民族的叙事詩『カレワラ(古カレワラ)』刊行開始
1
1848
ヘルシンキ大学の学生組合の「春の祭典」において現国歌“Maamme(Our land)”がはじめて歌われ、白地に青十字の学生旗
がはじめて掲げられる
1849
リョンロート、『新カレワラ』刊行開始
1850
ロシア、検閲令によりフィンランド語による刊行物を禁止
1853
クリミア戦争(~56) スカンディナヴィア主義(北欧諸国民の連帯を求めるロマン主義的運動)、デンマークを中心に高揚
1855
ロシア皇帝アレクサンドル2世即位(~81)
1859
最初のフィンランド語の中等学校がユバスキュラに設立
1863
7月
9月
1869
ロシアより完全な自由主義的関税を獲得
1878
新徴兵法。フィンランド独自の軍隊を設立
1881
ロシア皇帝アレクサンドル3世即位(~94)
1894
ロシア皇帝ニコライ2世即位(~1917)
1898
フィンランド総督ボブリコフ赴任 「ロシア化」政策推進
1899
2 月、ロシア、「二月宣言」発布。これ以降、フィンランドで本格的なロシア化政策が始まる。 ニコライ2世に二月宣言の取り消しを
求める「大請願」が提出される
11 月 シベリウス『フィンランディア』初演
1900
言語宣言により、ロシア語の使用が公の場で強要される
1901
フィンランド軍廃止、ロシア軍に統合される
1902
「法廷・行政機関における言語使用に関する法令」(言語闘争の終了)
1903
フィンランド社会民主党結成
1904
フィンランド総督ボブリコフ、フィンランド人学生シャウマンによって暗殺される
1905
10 月 ゼネスト始まる
1906
5月
1907
3 月 第1回男女普通選挙。ヨーロッパで初めて女性の選挙権が認められる。社会民主党、200議席中80議席を獲得し、第一
党となる
1908
ストルイピンによる第2回ロシア化政策始まる
1914
第一次世界大戦
1917
ロシア三月革命、ロシア十一月革命
12/6 フィンランド独立を宣言 12/31 ロシア、フィンランドの独立を承認
1918
1月末,将軍 マンネルヘイム C. G. E. Mannerheim の率いるフィンランド政府 (「白軍」 The Whites) は,フィンランド西部の
オストロボスニア地方に駐留していたロシア軍を武装解除する。同じ頃,「赤衛軍」 (The Red Guards) と呼ばれた急進派の左
派勢力が,ロシア革命に刺激されて,フィンランド南部で政権を掌握する。赤衛軍とフィンランド政府軍の対立は激しい内戦 (「フ
ィンランド独立戦争」) へと発展し,ドイツからの援軍を得た政府軍の勝利に終わる。フィンランドは,ドイツの王子 Friedrich
Karl にフィンランド国王即位を申し入れるが,王子はフィンランドを訪問せず,即位を放棄する。
1919
4/6
言語令。公の場でフィンランド語はスウェーデン語と対等の立場におかれる。
アレクサンドル2世、半世紀ぶりに身分制議会の招集
11 月 ニコライ二世、十一月宣言を発し、二月宣言の効力停止を宣言
一院制議会(エドゥスクンタ)創設を議決 男女普通選挙制度を含む
フィンランド共和国を宣言
7/25 ストールベリ K. J. Ståhlberg、初代大統領に就任
以下は,フィンランド外務省の広報サイト Virtual Finland に掲載されているA Chronology of Finnish History (© 2000 Joe Brady/Virtual
Finland) の一部を翻訳したものです(http://virtual.finland.fi/netcomm/news/showarticle.asp?intNWSAID=25911)
1920
フィンランドとソビエト・ロシアとの間でタルト和平条約が調印され,フィンランドはロシアから Petsamo 地方を獲得する。フィ
ンランド人の有名な陸上選手パーヴォ・ヌルミ Paavo Nurmi が,アントワープで開かれたオリンピックで,最初の金メダルを
獲得する。フィンランドが国際連盟 League of Nations に加盟する。
1930
フィンランド共産党が,他国のスパイ団体として非合法化される。
1932
フィンランドとソ連邦の間で不可侵条約が調印される。
1937~39
カヤンデル A. K. Cajander が,進歩党,農村連合,社会民主党からなる連立政権 (「赤土連立政府」) を結成する。
2
1939
ソ連邦とドイツの間で,モロトフ=リッベントロプ協定が調印される。協定に附属する秘密の議定書により,フィンランドはソ連
邦の勢力圏に含められる。
1939
フィンランド人作家シッランパー F. E. Sillanpää がノーベル文学賞を受賞する。
1939~40
ソ連軍がフィンランドに侵攻,冬戦争 (30.11.1939 — 13.3.1940) が始まる。マンネルヘイム元帥の率いるフィンランド自衛
軍は,数で圧倒的に勝るソ連軍を相手に 105 日間の持久戦を戦い,「冬戦争の奇跡」 (Miracle of the Winter War) として
外国のマスコミに注目される。戦争終結後モスクワで調印された講和条約で,フィンランドは南東部のフィンランド第2の都市
ヴィープリを含むヴィープリ県の大部分をソ連邦に割譲する。
1941~44
対ソ連戦争再開 (「継続戦争」)。冬戦争で失った領土の奪還を目指すフィンランドはドイツと同盟を結ぶ。フィンランド政府
は,フィンランドはドイツと時を同じくしてソ連邦と交戦状態にあるだけで,交戦の理由は共有していないという立場を表明し,
ナチズムの国内浸透に対しては拒否の態度を示す。
1944
7月,フィンランド軍は,ソ連軍の大攻勢を 1940 年の国境の手前のソ連邦側で食い止める。ソ連軍は南フィンランド占領を断
念し,国境線防衛に方針を転換する。
9月,1940 年の国境の回復を主調とする停戦協定がモスクワで調印される。ニッケル鉱山があり,北極海に面した不凍港をも
つ北東部のペッツァモ地方を新たにソ連邦に割譲し,工業製品の形で多額の賠償金を支払うことに合意。割譲された地域
(カレリアとペッツァモ地方) の住民のうち,およそ 45 万人がフィンランド国内へ移住
1944~45
ラップランド戦争。ソ連邦との講和の条件にしたがい,フィンランドは,ラップランドに駐留する約 20 万人のドイツ軍を北隣のノ
ルウェーに退去させる。
1944~47
ソ連邦とイギリスの代表によって構成される連合軍の管理委員会がヘルシンキに設置される。共産党が合法化される。ソ連邦
は,芬ソ戦争の責任者に対する軍事法廷の設置を要求する。
1945
トーベ・ヤンソン Tove Jansson のムーミン・シリーズの最初の作品 『ムーミン谷の大洪水』 (The Moomin and the Great
Flood) が出版される。
1947
フィンランドが,パリ講和条約に調印。
1947
フィンランドは,ソ連邦の意向にそって,マーシャル=プラン受け入れ拒否。
1948
フィンランドとソ連邦の間で,友好協力・相互援助条約が調印される。
1952
ヘルシンキでオリンピック大会が開催される。
1954
対ソ戦争をテーマにしたリンナ Väinö Linna の 『無名戦士』 が出版される。
1955
フィンランドが国際連合と北欧会議 (Nordic Council) に加盟。
1956
ケッコネン Urho Kekkonen が大統領に選出される。
1958
ソ連邦が,フィンランド政府の組閣に介入 (いわゆる 「霜夜危機」)。
1961
フィンランドが,ヨーロッパ自由貿易連合 EFTA の準加盟国となる。
1961
ソ連邦が,フィンランドの大統領選挙に間接介入 (いわゆる 「覚書危機」)。
1973
ECと自由貿易協定を締結。
1975
欧州安全保障協力会議、ヘルシンキで開催。
1981
ケッコネンが 25 年間務めた大統領職を引退。
1989
フィンランドがヨーロッパ評議会に加盟。
1991
ソ連邦が崩壊し,友好協力・相互援助条約が失効・消滅する。
1991
フィンランドの学生 Linus Torvalds が,コンピュータOS Linux を考案。
1991~93
深刻な経済不況に襲われる。
1992
EC (現EU) への加盟申請を決定。
1994
国民投票で,57%の国民がEU (ヨーロッパ連合) 加盟を支持。
1995
EUに加盟。
1999
フィンランドは,ヨーロッパの経済・貨幣統合の支持を表明。欧州連合理事会の議長国を務める。
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